2008年04月
2008年04月28日
雪国 何故地方に住まねばならぬのか?
東京から弘前に向かう。花見だ。みゆきが日本の桜を見たことがないために、スクールホリデイに合わせて連れて行く。
散財ではあるが、金は盗まれても記憶は盗まれない。だから勉強になる事ならと思い、ついでに日本の田舎も見せようという狙い。
東京を出ると、少しずつ空気が冷たくなる。北に向かう新幹線は、途中から在来線特急に変わり、dandan線路の幅が狭くなって、揺れも強くなっていく。そして、途中の駅に止まるたびに老人の数が増えるのに、否応無しに気づく。
限界集落と言う名称で、過疎化が問題になっている。所謂老人ばかりの村である。
僕が子供の頃にお盆で里帰りしてた九州の里に比べれば、この東北、新幹線が走ってるなんて立派なものだ。あの頃の里は陸路がなくて、ぽんぽん船と呼ばれる10人乗りくらいの小型船で1時間かけて通ったものだ。
それでも当時は日本の人口が増えていた。だから田舎といえども活気があった。じいちゃんもばあちゃんも元気だった。
こんな事書くとまたも批判されそうだが、過疎化の問題を語るときに大事なのは、人には移動の権利があるという事だ。
人が幸せを追求する権利があるなら、なぜ人は常夏の島に行って、一年中・山には果物、海には魚のいる場所で生活しないのか?
何故に氷点下の中、凍えそうな雪に吹雪かれながら生きていかねばならぬのだ?
それが先祖代々の土地だからと言って、その義務はそれほど大事なことなのか?
たまたま日本の人口が増えた時代に安い土地代の田舎に残っただけであり、その土地を放棄することは不可能ではない。相続等せずに、権利放棄して国家に返却すればよいのだ。
自分の家を離れたくない人は、生活のスタイルを変化させたくない、結局そういう事ではないか?
それを否定しているのではない、ただテレビが過疎化の問題で「病院に通うにも大変なおばあちゃん」を描くたびに思うのが、今の日本でどこに住むのも自分の権利であるが、その結果として発生する不利益を蒙ることは理解すべきではないかという事だ。
今日のテーマはどうしても政府の考えに近くなってしまうから嫌なんだけど、人口減少の中で日本が選択する一つの冷厳な事実として、人が固まって都市社会を作って住むことも必要だってことだ。
日本ではダムに沈む街とか成田空港とか色んな問題があって、強制的に先祖代々の土地を立ち退かされることがあった。その場合は政府がきちんと面倒を見るのは当然である。
ただ、自分の判断で北海道の山の中、道路もない、周囲20km以上に人がいないような場所に住んでいる人が、東京で生活をしている人と同じようなインターネット環境や文化環境を政府に対して「東京の住民と同様の原価で」求めるのは、それは違うのではないかと言うことだ。
たまたまおばあちゃんおじいちゃんという事で問題になっているが、これが20台後半の夫婦が子供二人を連れて山の中に住んでて、子供の病院が大変だと言っても、誰も気にしないだろう。
例えばアロータウンの先にあるメイズタウンは、砂金堀の1800年代後半には立派な町だったが現在ではゴーストタウンである。だって、人間が生きていく最低限の数が不足すれば、それは引っ越すか、他所の町を合併するしかないからだ。
合理的な判断の結果、メイズタウンの人々はアロータウンに引き揚げ、そこに残った人もいれば中国や欧州に戻った人もいるだろう。
いずれにしても、大事な点は「移動の自由」である。
日本の過疎化の村も、そこから住民を引き揚げて人口30万人くらいの街に移して手厚い看病をしてあげればよいではないか?勿論本人が先祖代々の土地と言って離れないなら、それは本人の自由。その代わり行政の手当てが薄くなることは覚悟すべきだし、実際にしていると思う。
この点マスコミにも言いたいが、限界集落に住むおばあちゃん、実は自分の判断の原価はしっかり理解していると思う。「いずれ政府に切られても仕方ないね〜」、そう思ってる人が今も田舎に住んでいるんだと思う。
それを感情論でネタにして、限界集落問題を世間に問題視させるマスコミと、そのような人々を都会に集めたい政府が手を組んで、あと1〜2年くらいで「引越ししなければ福祉厚生もないよ」ってなるんだろな。
今の過疎化の一番の問題は、「おらが村」、「一所懸命」と言う村信仰、数百年間にわたって続いてきた日本の農家構造が崩壊している点にある。
駄目なら見切って捨てな。もうそこには住めないんだ。住み慣れた場所かもしれないけどな。今の年になって辛いかも知れんけど、
農民は、自分が好きな今の場所に住みながら行政の補助を求める。行政は、農業改革をしないまま他の納税者のおカネを勝手に再生産のきかない場所に投入する。
それだけのカネがあれば、それを東大阪の中小企業にまわしてあげれば、国家としての税収がもっと増える、そう考えてる人もいるだろうに。
夕張を潰して、そこに住んでいる人を札幌とか他の土地に移してしまおうと言う中央政府の隠れた政策がある。読売新聞のゆうばり特集を見ると分かるけど、倒産した会社は解散して、社員は他の会社に行けという事。
北への旅は続く。
2008年04月25日
気遣い 朝ごはんに続いて
気遣い 朝ごはんに続いて
新幹線を利用するのは毎度のことだけど、ちょっと気持ちの良いことがあった。日本人でいて良かったな〜と言う、ほんとにちょこっとした気持ちのよさ。
新幹線で新大阪から新横浜に向かう途中。この時の出張はお客様との面談の所要時間を読めず、仕方ないからどの街でも仕事が終わり次第駅に向かって、一番近い出発時間の新幹線に飛び乗る。
レールウェイパスなので乗車券も特急券も買う必要はないが、座席指定を受ける必要はある。
早速受け付けに行き、相棒と二人分のレールウェイパスを見せて、禁煙車で並んで座れる座席を調べてもらった。
すると「xx号車xxAとxxBがあるけど、これはxxB、名古屋から他のお客さんが乗ってきますね〜。でも、名古屋からはxxDが空いてるな。」もう少し調べてくれて、
「あ、これだったら、xxCは新横浜まで取れるし、後は新幹線乗務員にxxと言ってもらえば、多分ずっと二人掛けで新横浜まで行けますよ」との事。
彼にとっては日常の業務なんだろうが、NZ国内線でちょっとした座席指定でも大喧嘩をする僕としては、とっても嬉しいサービスだ。新幹線の座席指定は、僕も昔マルスを打った事があるので分かるけど、本当にパズルのような複雑さだ。
あっちを取ればこっちが合わずの繰り返しで、キーウィにはまずあれは出来ないだろう。絶対に頭の中でこんがらがってしまう。
実際、並んで座るというのは仕事のうえでも打ち合わせがあるので是非とも欲しいところだが、もっと言えば自分がサービス業で働いているわけで、その視点から見ればNZの国内線なんて、20年前の中国航空並みのレベルの低さだ。
20年以上前に香港から北京に30名程度の日本人団体を連れて行った際は、一応国際線だってのに、座席指定なんてない。てか、相手がこっちに座席を割り振るのだ。おいおい、この人とこの人は隣掛けだし、大体うちは30名のグループなのに、なんで歯抜けの櫛みたいなばらばらにするんだよ。
そうやって10分くらい押し問答しても、担当者はこっちの話の意味が分からない。何故皆を一箇所で座席取らないといけないんだ?
当時の中国では国際線と言えど座席指定と言う感覚はなかった。早いもの勝ちなのだ。だから搭乗客も大したもので、自分がもらった座席番号に関係なく、好きな座席に勝手に座る。
後から来た人間には、「おまえ、どんなけちだよ、馬鹿言ってんじゃねえよ、どこに座ってもいつかは到着するだろうが!お前は心の狭い病人だ〜!」くらいに罵られる。
ひどい時はそんな中国人、怒ってる自分に更に怒りを覚えて、自己増殖した怒りをぶつけてくる。そんな喧嘩が当然なんだから、予め座席指定を受けても無駄でしょ、何でそんなしょーもないことであなたは怒ってるの?
結局その時は連れてた団体が北京の人民大会堂で夕食会を開催してもらうようなVIPだった為に、「上の人間」が出てきて鶴の一声、「席取れ、言われた通りに取れ」で問題終了。
だから、中国の座席指定のデタラメさは彼らの悪意と狡知の結果としてトラブルになるし、NZ国内での座席指定のいい加減さってのは、彼らの善意と無能の塊の結果として出てくる。どちらも僕をいらつかせる事だけは間違いない。
結局新幹線に乗り込んだ僕らは、とりあえず並んで座りながら、パズルのような座席の埋まり方を見てた。そうこうするうちに乗務員が来てくれた。これが、本題とは全く外れるのだが、頭の良さそうな知的な女性。
状況をさっと説明すると、大した事でもないだろうに「はい、分かりました、ちょっと当たって見ます」と戻って言った。
その時はちょうど隣の二人掛けに一人だけ、居眠りしているおっちゃんがいた。
「あいつが次の名古屋で降りればいいんだけどね〜」
「こっそり切符覗いて見ようか?」
「次の名古屋に着く寸前に、おっちゃんにむかって#もう東京駅ですよ〜!#って大声出して見るってのもあり?」
「いや、それよりいっそ、君がxxxxをxxxxxxxxxxxxxれば、絶対に退散するぜ」
「あたしかい!」
なんて他愛もない話をしていたら、先ほどの乗務員が随分と静かに近づいてきて、こっそりと僕に囁いた。
「大丈夫ですよ・・・」
う〜ん、そうか!そういう事か、分かる分かる、俺だもんね〜、思いっきり新幹線の天井に頭をぶつけるくらい舞い上がったが、その次にすっと手渡されたポストイットに書かれた文字。
え〜、早すぎな〜い?いきなりケータイ番号かい!どきどきしながら早速ポストイットを読む。
と、「隣のお客様は名古屋で降りられますので、名古屋から新横浜までの席は押さえておきました、お降り次第すぐに移っていただいてよろしいですよ」と言う内容の文面。
天井まで舞い上がった気持ちが情熱の真っ赤とすれば、この手紙は温かく包んでくれる陽だまりのオレンジ・・・。
寝ている人を気遣い、相手の気持ちを気遣い、そして僕らの為にわざわざ座席を手配してくれた、何かあったかな気持ちが、どんどん体の中から湧いてくるようだった。
日本にいては分からないよね、この喜び。ニッポンチャチャチャ!
2008年04月24日
顔面に蹴り!
ぼこ!
やった!見事におでこにヒザ蹴りが入った。
土曜日の午後、ホテルのビジネスラウンジでお客様と個人面談をしていたら、いきなりすごい場面が目に飛び込んできた。
お綺麗な衣装をまとった母親がちっちゃな子供をラウンジの中で走り回らせて放置した挙句、その子がトレイにコップをたくさん積んで運んでたラウンジコンシェルジェ君の右ひざに、見事に衝突。
2〜3歳の子供って軽いから足音もしないし、大人の視界にも入らないから、柱の影に隠れてしまうと全然見えない。そこから急に飛び出すのだから、コンシェルジェ、避けようもないまま右ひざでバッコーン!お子様、見事にカウンターを喰らって、そのままふわーっと一瞬浮き上がって、今まで隠れてた柱に後頭部激突。
幸いコンシェルジェは持っていたトレイを落とさずに済んで、ガキの頭に割れたガラスコップ落とさずによかったのだが、近くで「お茶にしようかな〜、ジュースにしようかな〜、ね^だーりん、どうする〜?」ってな馬鹿ずらさらしてたお綺麗なお洋服の若い母親、子供の突然の割れるような泣き声に振り返り、スッパびっくりしたように振り返った。
最近は週末に都内のラウンジ付のホテルに泊まる若い家族が増えている。
所謂勝ち組階級が、世間の喧騒から離れてちょっとリッチに過ごそうという事だろう。
平成貴族がお互いに集まってホテルのラウンジをそうやって利用するのも、今の格差社会の中ではありだし、おカネを使う事で経済は回るのだから良いと思う。
そのこと自体は、明治時代の日本人が頑張って伸びようとして鹿鳴館に通ったようなものだ。ただ明治時代は鹿鳴館に子供を連れてくることはなかったと思うけどね。
ホテルとしても当初は外国からやってくる大手企業の役員から部長クラスを狙ってあえて通常の客室を潰して作ったラウンジだが、意外と違う使い方をされて、それでお客が入るなら、それもまた良しだろう。
日本と西洋のホテルの客室料金設定は対照的。例えばオークランドだと週末に客が入らないから割引をする。東京だと週末は貴族が来るからわざと1万円くらい高く設定する。
白人は、週末は家族と過ごしたいのだ。だから週中で仕事をして週末には出来るだけ帰国するような日程を作る。そこに平日は自宅に帰り、週末だけちょいとリッチに過ごしたい平成貴族を突っ込めば、上手いこと客室も回転する。
だから、週末に仕方なく残ってラウンジで仕事をしているビジネスマンにとって、家族と過ごせない上に他所のガキがピーピーギャーギャーやられると、すっかり労働意欲を無くして、テーブルの上のパンとジュースだけ取って自分の部屋に戻るのだ。
こういう場面はホテルのラウンジに限らず、最近の公共の場所で、ほんっとよく見かける。親が全然子供を見てないのだ。一体何を考えているのだろう。
20年くらい昔はどうだったかな?あの頃は親が子供を叱ってた記憶がある。ぶつかった子供に注意して、ぶつけられた人に子供の母親がお詫びしていた記憶がある。
第一、公共の場で、特に料理なんかを運んでるレストランで子供が歩くとどれだけ危険か、分かりきったことだ。
こうするとこうなる、つまり簡単な想像力と、次にどうなるって考えることが出来れば、いずれガキの頭に熱湯かけられて一生残る傷がつくってのも想像出来る。
そんな事も考え付かないのが親をやってるんだから、全く持ってガキがガキを生んでるようなものだ。何が悪くて何が良いか分からないから、叱らないおや、叱れないおや、何を叱ってよいか分からないおや。
どっちが悪いかなんて、普通の常識があれば分かる。片方は完全に信号無視の前方不注意の飛び出しである。信号守ってきちんと走ってた人間には何の過失もない。
ところが今の時代では、親が子供を怒らずに相手を怒る。「何で注意してないんですか!子供なんですよ!」
この彼女の名誉の為に言っておけば、ぶつけられたコンシェルジェ君に対して「あら、すみません」と言葉を発するだけの常識はかろうじてあった。ただ、自分の子供には何も怒らずに、「お〜、痛かったね、きをつけようね」と痛い顔面とおでこをさするだけ。
でもね、でもね、ちがうだろうが!気をつけるのはあんたでしょうが。
広い場所で子供に走るなと言ったって聞かないのは「猫の前にまたたび」だ。所詮無理なこと。だからきちんと親が付いてあげて、暴れそうになれば人の迷惑のかからない所に連れていき、子供に少しづつ「公共の場所でやって良い事悪い事」を教えるのが親の仕事。
ぶつけられた相手に母親が謝る、その背中を見て子供が「あ、私、悪いことしたんだ」と学んでいく。それが教育。
このお父さん、静かなラウンジの中で、周囲の静けさにどれだけ迷惑をかけているかも考えずに大声でぎゃんぎゃん泣いてる子供に近寄って「xxちゃん、どうしたの?」と聞いてる。
これも、最近よく見かける勝ち組のような、DG(あれは騙されジェネレーションって意味の自虐か?・後述)って刺繍の入ってる高級ジーンズにエリの高い白シャツ、もちろん素肌にネックレスはお決まりのアイテム、スーツ生地のような柔らかそうな高級ジャケットに先の尖った鰐皮のような茶色の革靴といったいでたちの兄ちゃん。
脳みそには子供の頃にお母さんからもらった500円玉でいつも塾帰りに買って食べてたコンビニおにぎりとかの化学調味料添加物がたっぷり残留しているのではないか。
奥様「あのね、このこがぶつかっちゃったの」
旦那「ふーん、そうなんだ、xxちゃん、もう痛くないよ〜」だってさ。
おいおい奥さん、自分の不注意は棚上げですか?
おいおい旦那さん、ぶつかった相手の事は聞かないんですか?
てか君ら二人、子供を叱ろうよ!自分をもっと反省しようよ!
ここから騙されジェネレーションの呟きが始まる。
「でも、そんな事を言っても、僕らが子供の頃は鍵っ子で、忙しい父親なんて会う事もなかったし、母親は自分の面子の為の子供の受験受験で目の色変えてたから、まともに両親の愛なんて受けてない。だから僕らはこの子を、こんなちっちゃい時からお休みの日はちゃんと一緒に外出して、色んなものを見せてあげるようにしてるんですよ。家族を大事にしてるんですよ」
何だか、そういう言い分が聞こえてきそうな気がする・・・・。
負の遺産はどこかで断ち切ることが必要だけど、切っちゃいけないものまで切ってはいけない・・・・あ、そか、彼らは公衆道徳とか最初から学んでないから、切るも何もない、最初から知らないんだ・・・。
親も子供も、両人に悪気がないだけに、こりゃやばいっすね、こりゃ。
ちなみに添付の写真の2枚、下のほうにちっちゃく写ってる子供は、コンシェルジェ君にヒザ蹴り喰らって大泣きした子の30分後くらいの写真です。またもカメラに捕らえられないくらい勢いよく駆け回ってます。
どうよ?
2008年04月23日
卵かけご飯
朝飯
サービスを中国語で翻訳すると服務になる。それを日本語にすると服務規程みたいな「規則」になってしまいそう。
だから、日本人がお客様に提供するモノは、やっぱりそのままサービスとした方がしっくり来て良いのか?
今朝も元気だご飯が美味い、てか最近は良く朝ごはんを食べるようになった。体質変化?
でも最近の西洋系のホテルでは生卵は注文出来ないところが多い。「夏場に生卵なんて、とんでもねえ!そんなもん出して食中毒出したらどうするんだ!」ファンドから送り込まれた非日本人ホテルGMが日本人シェフに向かってそう言ってるのが聴こえそう。
だろうな、卵かけご飯の旨さを知らない人の食生活では、生卵の管理は甘い。だからそんな卵の管理の粗雑さを見てれば非日本人GMからすれば、生卵を食卓なんてあり得ない。
例えばNZで売ってる冷蔵庫には、卵入れがない。卵を冷蔵管理する発想がないからだ。その上殻の外側の管理も雑だからサルモネラ菌が付くとかで、必ず火を通せと言ってる。
だけど、日本の卵はそんなじゃないぞ。豊富で自然の恵みを大事にしている日本食では、生卵の管理も他国では考えられないほどしっかりしている。大体他の国で、自分の作った食品をマスコミにけなされただけで自殺するなんて、それがすでに道徳基準が高い証拠である。自殺に追い込んだ連中の責任は別にしてね。
しかしまあ、泊まらせてもらうこちらの立場は弱い。「嫌なら出てケ」であるもんね。
なので必然的に出来るだけ生卵に近い半熟の目玉焼きを注文する。ご飯に乗せるので一個で十分と、「半熟を一個でお願いします」と注文する。
この時、卵担当者が日本人であれば、「半熟」と言う時の目配せで意味が通じるので有難い。
「はい、お席どちらになりますか、お持ち致します!」と元気に言ってくれる素敵な笑顔のおにいちゃん料理人に僕の座っている場所を説明して、出汁が効いてて豆腐と揚げ麩の入ったお味噌汁と山本山の海苔を用意して、どきどきしながら待つ。
ほら来たぞ!たまご!
半熟に焼きあがった卵を、白ご飯の上に乗せて醤油をたらして食う。うっま〜。かきまぜて、海苔で挟んで口に入れるときは、これって至福?て本気で思う。
でも?あれ、卵が二個あるぞ。一個だけ切り取って、もう一個は他のお客さんの分かな、そんな事あり得んな〜とか思いながら卵を食う。
一応最初の一個だけ食っておく。
しばらくすると、出張仲間の卵(がちがちの焼き)を持ってきた、さっきのお兄ちゃんが「申し訳御座いません、一個の注文でしたのに、二個お持ちしました」と、笑顔と申し訳ないという表情を一つの顔に同居させて、きちんとお詫び。
人の顔はいろんな表情が出来る。
一個の注文で二個作るのだから、顧客の要求にはきちんと応えている。それでも、顧客の言ってることと違う事をしたから、きちんと礼を尽くしますって感じが良い。
日本だな〜。卵を作る人、卵を持ってくる人、食べる人、皆同じ価値観と喜びを共有している。
NZだったら、「You are Lucky!」で終わってしまう話だ。日本人でよかった。
2008年04月22日
死語? 花金?
大雨の金曜日、ホテルのビジネスラウンジで終日面談をこなしながら仕事をする。
出張仲間は今晩は友達とおでかけのご様子で、夕刻の面談を終えたら、そそくさと夜の街へ。
僕は、のんびりと風呂に入って体を伸ばして半身浴。昨日頂いた本を読み、1時間ほど湯船でゆっくりとする。てか、本の内容は決してゆっくり出来るものではないんだけど。
読書とお風呂を楽しんだ後は、行きつけの静かなバーのカウンターでよく冷やしたジン&トニック。タンカレーの透明感が汗をかいた(永ちゃんみたい)大きなタンブラーの中で爽やかさを醸し出している。ライムの香りが鼻をくすぐって、これがまた快適。
ただま、唯一の問題とすれば、花金に一人かよ?ってくらい。
でもまあ、気を使って人と一緒にいるよりは、一人の酒場で冷えたグラスを抱えながらパソコン叩いてるほうが気楽で良い。
大体花金が死語なんだから、金曜日に一人でいる事を気にする必要もない。
バーテンダーの皆さんと適当にスキーの話とかしながら、僕の花金は過ぎていく。今晩の飯は、おつまみのピーナツとフルーツ盛り合わせで終わり。それにしても花金は本当に、すでに死語になりつつある、てか死語のようだ。
なにせバーの中、僕の回りにはお酒を楽しむカップルゼロ。
皆さんホテルには週末を楽しむ為に泊まりに来てるんだろけどね。特に土曜日などは部屋代も高く設定されてて、日曜のチェックアウトは12時丁度が一番込み合う時間って、ここは何が目的のホテルですか?って聞きたくなるくらい。
それでもホテル内のバーとかにはあまりカップルはおらず、飲んでるのはもっぱらガイジン客かビジネスマン、自営業者(つまりあやしいおっさん)のミーティングみたいな人ばかり。
じゃ何だ、今のカップルはレストランでご飯食べたら速攻でお部屋でテレビゲームや映画鑑賞会ですかい?誰か彼らの行動パターンを分析して、バブル期と比較してみれば面白いのに。
このホテルはバブルの華やかなりし頃に出来たホテルで、それからの市場の急激な変化にも何とかついていって、結婚式やパーティを獲得して頑張っている。逆に言えばホテルの高級レストランや部屋はあまり利益が出せてないのかな〜。そんな事をバーの人たちと話す。
今日の2件の個人面談は、両方とも投資が中心であり、移住関連ではない。ただ、最近はそのような問い合わせが非常に増えている。誰の心にもあるのが、今の日本に対する不信感だろう。
丁度東京にいる時に後期高齢者医療制度保険料の問題が大きく取り上げられていた。
自民党と公明党はこのまま押し切ろうとしているようだが、民放に出演して野党とちゃんちゃんばらばらやってた谷垣さん自身、理解して話しているのか?
いつも歯切れの良い彼が、野党の質問に対してあれれ?って感じで、質問にはきちんと答えずに問題をすり替えようとしている。
世間の現実を全く理解出来ないなんちゃら省のエリートが、まず最初に数字ありきで総額いくら削減するか決めて、経済的視点でベッド数をいくつ削るか決めて、医療費も削っていくのが今回の案。不要だから削るんじゃない、予算を削減するので、文句を言えないところから削減しているだけだ。
ところがそれって国民全体への平等感のある税金の再配分と言う視点からは全く考えられてないから、再配分と言う視点からの国民からの質問には、どう答えればよいか、谷垣さんとしてはテレビの前でお困り。後で官僚、怒られるぞ。
ただ国民の視点から見ればそりゃそうでしょう、役人が湯水のように税金を無駄遣いした挙句に、そのツケを医療費削減と言う形で国民に払えと言ってるのだから怒りもするよ。
政府が医療関連の支出を3千億円削減する。その為に体の弱い寝たきり老人を病院から自宅に戻す。その先は見えてるでしょう。介護を経験した人なら誰でも経験した苦しみが来るのは分かりきっている。
それだけではなく、その後のNHKでは「終末医療」問題で長妻さん率いる民主党と自民党が侃侃諤諤やってた。
いずれ死ぬと分かっている終末患者の命を後一週間延ばす為だけに数百万円の医療費を若者が負担する事はどうなのか?自民党案は、「おカネを使わずに死んだほうが良いという選択もあるのでは?」といい、長妻民主党は「それは違うでしょ?」と反論する。
これは経済効率と国民合意がもろにぶつかるケースだ。自分の親が死ぬ時にどうするか?ただ、こんな事を真剣に考える省の脳みそが、すでに普通の人間の感覚を無くしているのが良く分かる。
欧州では平均的に国家予算の50%近くが福利厚生に使われているが、日本に引き直せば80兆円の国家予算なので40兆円くらい出て行ってもおかしくない。でも現在は30兆円程度。これで多すぎるから減らせってのが今の自民党の言い分。
民主党は「多くないよ!他の国を見てみなよ!」とやってる。
ただ僕は、彼らの議論でいちいち欧米を引っ張り出すのがずるい気がする。日本には日本のやり方がある。欧米の方法の一部だけを切り取って日本がどうのこうのって、欧米の全体像を理解しないまま都合の良いとこだけ取りでしょ。
成果主義の導入にしても、その反対側に転職の自由と転職制度の完備と言う前提があってなのに。
終末医療。
戦争状態で薬もない山の中で親が死ぬのに薬がなければ、これはもう子供も諦める。しかし目の前に薬があるのに、それが高いから買えない?だったら怒るけど、でも、それが皆平等に買えないなら諦めもつく。
でも、ある一部の役人だけが美味しい思いをして薬を独り占めしていれば、これは国民、異常なまでに怒るよ。今の問題はそこだ。
やっぱり繰り返しになるけど、問題は平等感であり経済効率ではないのだ。役人が国民に黙って勝手に使い込んだ年金や道路税を返してから言えってことだ。
それから谷垣さんの話は消費税に飛ぶ。国民に介護と言う苦しみを押し付ける。苦しいでしょ、だから消費税を上げましょうねと言う議論だ。
でも、今まで国民が払ってきた年金は一体何だったのか?国民皆保険はどうなったのか?
少なくとも、契約違反をやったのが国だという事だけは明確だ。その犯罪は問わないのか?
そんな世の中で真面目にやっても馬鹿らしい。政治も官僚も国民を守ってくれないのだから、自分の資産は自分で守るしかない。医療保険が必要なら自分で民間保険に加入する。老齢年金が必要なら、投資運用で資金を増やして将来の生活費に充当する。
もう国には頼らない。だから国よ、俺に公的年金を払えと言うな。国民の実感はそんなところだろう。
ニュージーランドの消費税は12.5%であるが、これを高いという人は、殆ど聞いたことがない。それは内税であり消費者が感じることはない。
それ以上に、国が定めた最低賃金を含めて毎年10%の賃上げが行われ、可処分所得が増えている国では、国民は応分の負担をするし、国家はきちんと政策運営をする。何故なら昭和の日本がそうだったように、国が潤っているからだ。
ところが振り返ってこの日本では、国民は信頼出来ない国家にはお金を渡さず、国家は国益を考えずに省益と政治家の利権のみを考え国民の生活安定等全く考えていない。
何でこうなったのか?非常にざっくりと割り切って言えば、今の日本にはカネがないのだ。カネに振り回された1980年代、そしてカネに逃げられた1990年代、カネがなくなって生きる気力を失った2000年代が今の日本だろう。
以前ならばカネがなくなって女に捨てられた親父も、最後はごめんと謝って戻る「家庭」があったのだが、家族はすでに崩壊した。だから逃げようがない状態で緊迫感に追い詰められ、他人に対する思いやりをなくす。
結局何千年も前の中国人が言ってた「衣食足って礼節を知る」だ。
食べるものも着るものもない、そんな生活では誰も礼儀を守らないし節度なんて持ちようもない。
そりゃそうだ、明日生きていけるかどうか分からないのに、他人に道を譲るなんてあり得ないし、取れるときは節度なんて関係なく取り捲る。
自分が生き残ることがすべての社会では、電車を押し合いしながら乗るし、いつもピリピリと神経を尖らせて生きるか、または生き残る力を無くして青いテントに横たわる人、薄暗い部屋に引きこもるか、どちらしかない。
凶悪、てか異常な犯罪が激増しているのは、世の中の人心がすさんでいるからで、それは戦乱の世の中では常に起こる事件だ。学校教育とかの段階ではないのだ。
ただ、そんな世の中を作ったのが今の政府とその政府に投票した国民であるのは事実。
日本、ますます悲惨になるな。
昭和が死語になる事はないだろう。でも、「思いやり」とか「家族そろって団らん」とか、「皆の未来」ってのが死語になるのも、とっても近いかも。
2008年04月21日
小岩
仕事で東京にはしょっちょう行くものの、その行動範囲は山手線の西側に限られている。恵比寿、渋谷、新宿、品川、精々足を伸ばしても池袋までだ。
ところが今回お会いしたお客様は、僕が生まれてこのかた一度も足を踏み入れたことのない「小岩」という場所にお住まいだった。
まずは東京駅と直結する丸の内ホテルで「浜Bチーム」と打ち合わせをする。
このホテル、入り口もよく分からんが、中は更に分からん。
宿泊客だけのプライバシーを守ろうとしているのだろう、とても静かで小奇麗なのだが、田舎出身の僕からすれば、ホテルに入ったと思った瞬間に反対側の出口で全然違う商業ビルに出たり、エレベーターを使わないとロビーに行けないという事を知らずに、あっちいったりこっちいったりしてホテルスタッフにじろじろ見られたり、結構大変な思いをして、やっと七階?のロビーに辿り着く。それまでに僕のちっちゃなプライドが傷ついたのは当然の事だ。
打ち合わせを終えると、浜Bチームと一緒に東京駅に戻る。切符を買わねばと言うことで、自動券売機に向かうが、ボタンだらけで少し迷う。
210円を2枚買うために、まずは1000円札を入れて210円のボタンを押す。そしてすかさずゲーム機を叩くように大人の絵2名を押す。遅かった・・・切符が一枚だけ出てきた。
「tomさん、JRの切符とか買ったことないでしょ」とからかわれながら、なんとか線に乗り、御茶ノ水(だっけ?)の擦り切れた石段を上がって降りて、でもって反対側のホームで乗り換えて、なんとか線
以前に大阪の十三で衝撃的な地元体験をしていた僕は、「小岩はどうなんじゃ?!」と気合を張って降りてみたら、これが意外と普通にまともな街。つまり、住宅街なのだ。
衝撃的なピンクのアーケードもなく、大声で卑猥な声を出す客引きもおらず、普通に買い物かごを抱えたおばさんがままちゃりで走り、夕方の喧騒の中でサラリーマンがいそいそと歩き、ほんっと、ごく普通。
小岩の駅を降りて、駅の線路沿いに小雨の降る中を5分ほど歩くとお客様のオフィスに到着。100円パーキング、ラブホ、焼肉や、ナショナル特約店、自転車や、普通の住宅、いろんなものがごちゃっと一つにまとまって生活圏を創り上げてる。
お客様は国際政治研究家でもあり物書きであり、数十冊の著書を発行している。
著書を何冊か頂いたが、どれも全く「その通り!」である。警察大学でも講義を受け持っているが、これだけスリランカ、じゃなくて正論を語ってて、そんなセイロンをケーサツ相手に話しても良いのか?と思うくらい。
お客様と少し挨拶をした後に、メシ。まずはメシ食って酒飲んで、肝胆相てらす仲になろうという趣向である。
ところが、!なんと!行ったお店が街場の居酒屋「親の代から酒は小野内」!そしてそこの食い物!すべてがうま〜!こんなのありかい!びっくりマークの連発であるが、本当にこれにはびっくりした。肝胆あいてらすよりも食うことに集中!てか、ハイボール美味し。
「親の代から酒は小野内」ってお店は、一見普通の居酒屋。入り口もがらがら〜って開くやつだし。でも戦前からやってる店で、思わず「東京大空襲は大丈夫だったんですか?」と聞くと、「小岩は、あの外側だったんだよ」。悲しいな。
あんまり商売っケのないおばちゃんに注文して、最初に出てきたエビフライ。出るまでに30分はかかる。そりゃそうだ、注文してから海老を剥いて料理開始なのだ。本物。
モツ煮、マグロ、しめ鯖、煮物、一体この店の料理は何?あり得んくらいレベルが高いのに、街場なんですか。
エビフライ、NZならクレイフィッシュで通るような、身のプリプリした歯ごたえのある味。「これ、どこで獲れたんですか?」江戸前とか北海道沖なんて答を期待しながら聞いた僕に、そのおばちゃん、あっさりした顔で「インド洋でしょ」だって。いいね〜。daisuki!
てか!メシ食うのは親善目的であり、メシを食う為の集まりじゃないのに、何だかメシとハイボールに力注入。でもま、そこは社会人、何とかお客様といろんな会話をしながら、メシに目が行きそうになる視線を外す。ハイボールは手放さなかったが。
それからも日本の外交、国家戦略、いろいろと語る。ここまで深く話せる人は少ない。居酒屋で語る国際政治も楽しい。
美味しいものはdaisukiだし、楽しい話もdaisukiだし、友あり遠方より来る、とほりはくの世界である。
カウンター10席、テーブル15席程度の街場のお店で、ハイボールをがぶ飲みして美味しいものを腹いっぱい食って、歓談。
その後は馬小屋に移動して2次会で大声大会。これもまた楽し。東京の人間って、気持ちいいね。すかっとしてる。
結局、美味しいもの食って楽しい会話して大声で歌って過ごした小岩の夜だった。
俺って、ちゃんと働いているのか?
2008年04月20日
成田の山猿
山猿は、自分が猿と呼ばれていることには気づかない。自分はとても賢い、くらいに思ってるのだ。
成田空港に行くたびに腹が立つのが、空港にバスやタクシーで入る前の検問所である。
検問所!
これこそまさに、役人の、役人による、役人のための施設である。
あの検問所って1970年代の過激派が成田空港に車で突入するのを防ぐ為に作ったのだ。車が唯一の特攻武器であり、車で突入するテロしかなかった時代のテロを警戒する為の施設である。
ところが過激派なんてのはすでに過去の遺物であり、ましてや今時車に爆弾積み込んでやってくるような空港テロなんて、アフガニスタンじゃあるまいし、そんなダサいこと、やんないよ。
当初は空港の治安を守る為に必要だったとしても、今は全く無用の存在である。
第一、もし成田に必要だったら、羽田にも必要なはずだし、東京駅なんてもっとテロに弱いよ。
なのに成田空港だけ検問があるのは、一度作った権益は手放さない、ちょうど高速道路の料金所に無用な人員を配置して役人の職場を確保するようなものだ。
つまり、成田に住む山猿どもは、世間の変化に関係なく、毎日自分の通帳を見ながら、その残高が増えるのを見つめているだけなのだ。
大体この空港、その成り立ちから品がない。大島って当時の自民党のえらいさんに言われて無理やり成田に作ることを決めたのだが、だったら天皇も総理大臣も外遊するのに何で羽田を使うんだ?国策なら成田を使えよ。自分で「あの空港、遠いんだよね」と認めているようなものだ。
それに、空港作る場所を先に決めてから、その土地で農業やってた農民を追い出しにかかったんだから、中国政府も脱帽ものの社会主義でっせ。そりゃ農民も怒るわ。成田闘争にもなるわ。
でもって、長いものに巻かれるのがdaisukiな日本人、ちょいと過去になるとすぐ忘れる日本人、環境にすぐ順応する日本人としては、このような検問所の存在も何の疑問も持たずに生活出来るのだろうが、毎日成田に通ってる身分ではなく、長いものに巻かれるのも嫌で、成田闘争を見てきた世代であり、外国人のように「へ〜、こんな事、まだ日本ではやってんだ」と他人事にはなれない日本人としては、非常に腹が立つのも事実だ。
でもまあ、そのような「仕組み」としての馬鹿さ加減は別として、今回の成田空港到着では、面白い事件あり。
これは僕ではなく、別の飛行機で成田に到着した仕事仲間の話だ。
出張当日の朝、自宅を出て空港に向かう途中で仲間をシティで拾った僕は、ちょうど読み終わった日経ビジネスを2冊渡して、仲間のカバンにしまってもらった。
僕はキャセイ航空で香港経由、仲間は日本航空の直行便である。
約20時間後に都内で合流した僕は、早速仲間から笑い話を聞く。
仲間「ちょっと聞いて!成田でいかにもドメスティックな出来事があったの。
税関員との話なんだけどさ〜」
と「またまた、素人いじって遊んだんですか〜?」
仲間「じゃなくてさ、空港で荷物を取って、tomさんからもらった日経ビジネスをカバンの外側のポケットに突っ込んでたらさ〜」
と「ほうほう、どうした?」
仲間「税関までつかつかって行ったら、若いお兄ちゃん税関職員が、どちらへご出張に行かれていたんですか?って聞くから、いえいえ、私はニュージーランドに住んでて、日本が出張なんですよ〜って言ったの。」
仲間「そしたらさ、その子がさ、にやっと笑って私の日経を指差して、“でも日経お持ちですよね、日本で購入されたんでしょ“ってさ、勝ち誇ったように笑うのよ!」
仲間「だから、私もわざと明るく笑って“今時日経ビジネスは海外で定期購入できるんですよね、これも日経が直接送ってくるんですよね、ご存じないんですか?お〜ほほほほ!”って感じで、にやって笑い返してみました!」
仲間「そしたらその兄ちゃん、ドツボにはまったような恥ずかしそうな顔して“え〜、そうなんですか、失礼しました〜”だってさ」
2008年04月19日
香港に一泊
香港に一泊。
キャセイ航空は週に4日はオークランドから当日香港経由でそのまま成田に行けるのだが、今回はちょいと別の予定が入りそうだったので、泊まりにした。
結局その予定は取り消しになったのだが飛行機の予約を今更変更するのも手数料がかかって面倒なので、香港に一泊する。
泊まったホテルはチムシャツイイースト(尖東)にあるRegal Kowloon hotel(リーガルカオルーンホテル)。僕が90年代に仕事をしていた日通旅行のオフィスから、広場を横切って歩いて2分の場所にある、仕事でよく足を向けていたホテルだ。
ちなみに日航ホテルもDFSも、歩いて1分以内の場所にある。
決して5星級ではない。3星くらいかな。ホテルいわく4星だが、立地が良くて値段も手頃で、乗り継ぎの為と夜の街にのみに出るためと考えれば、胃の腑にすとんと落ちる使い勝手の良いホテル。
このホテルはチェーン展開しており、空港にも香港側にも九龍側にも旧空港にも沙田にもある。
70年代の建物で全面改築をしてないので、おばさんが無理して化粧したような、ドアの端っこにペンキを塗った後とかあるけど、部屋では無線LANが使えるし、ソフト面ではしっかり近代化についてってるホテルだ。
オークランドから11時間の飛行の後、夜9時過ぎに香港に到着。それからタクシーでそそくさとホテルに移動、チェックインして荷物を放り込んでシャワーして、10時30分にはコーズウェイベイの行きつけのバーで一杯目の水割りを飲む。
「まあ、久しぶりですね〜」と上品そうなお店のママがお迎えしてくれる。
半年近く前に来ただけなのに、しっかり顔を覚えててくれて、ボトルも本名で入っているのにすぐ出てくる。彼らの記憶容量には脱帽ですな。
ちょうど4月の人事異動のせいなのか、5〜8名の団体が二組、賑やかにカラオケを歌っている。
おっチャンにしては結構綺麗な歌声だなとか思いながら、ここは日本だな〜。窓の外の景色を眺めて、そんな事を思う。
でも、このビルに入居してた日本人向けバーが、すでに2軒廃業している事実は変わらない。「SENSE」と「蛍」は、香港人オーナーと韓国人オーナーと言う違いはあれ、客層は日本人だった。
ママにそんな話を振ると、何だか縁起でもないって顔をしながら「そうなんですよ、最近は日系が不況なんですよ」と語ってくれた。
今晩はたまたま団体が入ってるけど、古くからやってるお店では商売が結構大変だとの事。香港や中国に進出している日系企業も、その殆どが利益を出せてないと聞く。皆が行くから俺も行く的に進出して、今はその高いツケを払ってる、てか、社員が払わされているのだ。
1980年代は日本の製品を叩く意味でJapanBassingだったのが、21世紀に入るとJapanPassing、そして今は、JapanNOTHINGだ。「痛い日本」って意味で「JAPAIN」とも言われたりする。
ところが同じビルに入居している香港人向けのクラブやバーは、エレベーターの前まで行列が出来るほどだ。
おいおいこれでいいのかよ?
でも仕方ない。香港の連中は空気の流れにとても敏感だ。15年前は日本語を学ぶ香港人が多かったのに、今彼らが一生懸命中国語を学んでるのを見れば、21世紀は中国の時代かなと本気で思う。
日本に住んでいる人たちは、外国のものが高いという。違う。価格は適正なのだ。
自分の地盤が沈下しただけなのだ。日本の円が下がり給料が下がったから、外国からものを買うと高くなったと感じるだけだ。
USドルと比較して上がった下がったというが、ユーロ、NZドル、AUSドルと比較すれば、ここ5年でどれだけ墜ちたか良く分かる。
彼らは昨日の豆腐と今日の豆腐の値段の違いしか見ない。何故上がったか?何故下がったか?そんな事はどうでも良いのだ。バイオエタノールによる食糧問題も「俺には関係ない」、だ。今、いくらで野菜やとうもろこしが買えるか?それしか考えようとしない。食料を国家戦略として考えることが出来ない。全くドメスティックな発想しかない。
最近は食料の買い負けというのがやっと記事に出るようになった。日本人は安くて良いものを求めるが、食料に限ってはこれが通用しない。ニュージーランドで獲れる魚は、中国人が言い値で買ってくれるのだ。何で注文が難しくて値段の安い日本人に売らんといかんのか?
でも食料自給率が低い日本では、どうしても肉や魚や野菜を海外から買うしかない。その結果食料品の価格は確実に上昇する。ところが給料は増えないから、生活は苦しくなる。おまけに今後日本円は長期的には確実に安くなる。そうなれば為替分も食料品高に影響を与える。
ロシアが倒産して経済が破壊され、やくざが国を乗っ取ったのはつい10数年前だ。今はプーチンがすんごいパワーで何とか元の国家に戻そうとしているけど、経済が崩壊していた時代に国民がどれほど苦労したか。
政治の無策と言う大失敗が、失われた10年に続いて日本の長期的低下を招いている。国内にいては見えてこない事実だが、国内にいる人が気づいた時は、完全に手遅れになってしまうだろう。
2008年04月16日
田舎じゃプレスリー
自分の頭の中で最近うけてる言葉が「田舎じゃプレスリー」だ。
海外、特に白人の住む国で働いている場合、かなり自分に自信を持つ人が多い。勿論それはそれでよい。自信がなければ生きていくのは大変だから。
実際に海外で生活するってのは、それだけで大変だ。
住むだけなら「わたくし、だんなの給料で海外生活しておりますの、おほほ」なんて駐在の妻や「わしのおやじ、金持ちやんか、だからわし、仕事せんでも食っていけるんや、がはは」と笑ってのける威勢の良いおにいちゃんでも出来る。
でも、自分で生活を構築して、日常生活を乗り切るために必要な英語力、交渉能力、トラブル処理能力、そして経済生活を維持する給料を得る為の業務処理能力、などなど身に付けて、一人で海外で生きていくのは、そりゃあ大変なものだ。
地方出身で海外に飛び出して自力で頑張ってる人たちは故郷の田舎の友達からすれば、
1・海外で生活してるんだって!かっこい〜!
2・海外で永住権取って一人で生きてるんだって!うわ、すごい!
3・海外で自宅を買って素敵な家庭生活を送ってるんだって!ドリカムじゃん!
この3段階特別進級で、田舎じゃプレスリー。
それだけ日本人が「海外」と言うブランド信仰に弱いからという問題を差っ引いても、彼らの努力は当然一定の評価に値すると思う。
だからと言うわけではないだろうが、オークランドに住む連中の中でも、勿論自分に対する自信という意味ではよいのだが、その裏返しとして他人を批判したり、更に酷いのは、近くにいる年下の日本人を捕まえて、「お前は所詮俺以下だよ」とやってしまう輩が、最近目立つことだ。
これが、僕にとっての「田舎のプレスリー」。
こういう連中、自分が馬鹿ですよ、白痴ですよ、世間の事なんて何も知りませんよ、役立たずで人を不幸にしてますよってのを、10メーター四方の大きな看板に大書して抱えて歩いているようなものだ。
子供の頃から、とにかくお受験で生きてきて、他人と自分を比較することでしか自分の立場を確認出来ずに不安に陥る連中。えらそうに見えて、結局中身は子供のまま、空っぽなのである。
こういう、他人と自分を比較していないと、一瞬たりとも自分の立場を安心出来ない弱虫連中は、何かと言えば周囲にいる、自分より弱い奴を虐める。
だから、競争力もあるし頭がよいのも認めるのだが、その自尊心を満足させる為の手段が他人との比較しかないって点が、日本人が構造的に持つ寂しさなのだ。
特にNZでは、男性にその症状が目立つ。
上には弱く下には強く、横とは競争して足を引っ張り、東に弱っている人いれば叩き、西にお金がなく困ってる人がいれば「貧乏人め〜!」とあざ笑い、北に病気の人がいれば傷口に塩を塗って苦しみを倍加させ、南に失恋で悲しんでいる人いれば、その悲しみに「いやさ、彼、他にも女いるみたいよ」と、悲嘆と言う重石を載せるような奴。
自分に目標設定をして、それを超えることで自信を持って生きる人と、他人と比較してしか自信を持てないってのは、全く違う。自信というキーワードは同じでも、その結果として周囲に与えるものが全く変わる。
この点、とても区別が難しいのだが、一番良いのはレストランやバーに行って、自分がカネを払う立場になった時にウエイトレスに対してどんな行動を取っているかで判断することだ。事実、山水でスタッフの話を聞いたり、お客の行動を見たりすると、学歴の高いのに比較傾向が多いのに気づく。
何より嫌なのは、そういう差別主義者の子供が地元の学校に通っているという事だ。
あのさ〜、キーウィの学校でそんな事教える?
他人と比較せずに、自分が選んだ道を歩いていく、途中で疲れてる人がいれば助ける、それがKiwiwayじゃないかな。
日本では教室の隣の子と成績で足の引っ張り合いをしていたからその癖が抜けないんだろうけど、所詮君らは、田舎のプレスリーなのだ。自分の子供以下なんですぜ。
上には上がいる。君は日本人の県大会で一位でこの街にやってきたとしても、NZのオールジャパンではすでに最下位に近いんですぜ。
ましてやそこにアジア選手権で韓国チームや中国チームが参加して競争したら、勝てる日本人はどれだけいると思う?
個人の戦闘能力で韓国人や中国人を上回る日本人は、今までの経験で言っても、100人に1人くらいではないか。
日本人は優秀なリーダーに率いられたチームとなれば強いが、個人の戦闘能力は無茶苦茶に弱いのが実情なのだ。所詮は田舎でだけプレスリーなのだ。
更にこの国の土俵は地元民が圧倒的人口を占める白人社会、白人も参加したオリンピックに出場?予選落ちですぜ。
田舎じゃプレスリーと威張ってた連中も、いざオールジャパン、アジア選手権、オリンピックとなると、その実力の違いには、太刀打ちのしようがない事に、すぐ気づく。
日本のサラリーマン社会だと、これを20年近くやって、たった一つしかない社長の椅子を目指していくから、途中で考えを変える余裕もある。
ところが競争社会元祖の西洋人の競争では、そんなもん、一年もかからずに結論が出て、誰が負けているか、すぐ答が得る。
そんな時に今まで自分が信奉してきた競争社会が音を立てて崩れ落ちていくのは、そりゃ辛いだろう。
でもプレスリー君、そこでちょいと見方を変えて欲しい。
そんな競争社会じゃあ人が幸せにならないと思ってる人たちが集まって出来たのが、今のキーウィ社会ですよね。
自分が作った目標に対して、弱い自分が目指す自分に向かって競争する、そんな社会がここではないか?自分が作った目標が他人から見て低くてもよいではないか?比較するな。
病気で歩けない子には、普通に歩くことだけで素晴らしい進歩なのだ。自閉症の子が他人と普通に話すことが出来るようになるだけで大進歩だ。
どれも健常人からすれば当たり前の事でも、本人にとっては大目標である。そんな彼らを、プレスリー君、君は笑っているんだよ。
いい加減、田舎のプレスリーをやめて、自分との競争、他人との共生ってとこに視点を変えてみないかな。
そうすれば、お店で働く人たちにも、優しく接することが出来るし、彼らも「お客さん、変わりましたね〜」と、営業じゃない素敵な笑顔を見せてくれるようになりますよ。
せっかくここまで来たんだ、がんがれ田舎のプレスリー。
2008年04月15日
美味しい食事は人を幸せにする
久しぶりにTribecaを再訪。
http://tom.livedoor.biz/archives/50852735.html
いやま、良い店はわざわざタクシーに乗ってでも行くべきだって意味では、僕の中では三ツ星かも。
東京に行けばこのような店はあるだろうけど、今オークランドで生活をしてて、会社の帰りにタクシーで行けて、美味しいワインと食事を素敵な雰囲気の中で味わえるとすれば、これはやっぱり「お勧め」となる。
特に大事なポイントは、いちいち「禁煙席」など確認する必要もなく、周囲のお客もストレスのない顔で楽しく食事をしてて、皆が場を楽しもうとする雰囲気。
これが東京だと、食事しながらタバコをふかして、時にはストレスの溜まった連中がメシ食いながら愚痴ってるのが耳に入ったり、おやじ連中が部下を相手に威張り散らしてたりする。
普段は忙しい仕事の中で、時には職場の中でいらっとする事もある。
けど、ここで美味しいワインを飲んで回りは楽しい空気が流れてて、素敵な料理がちっちゃなサイズで出てきたら、そりゃ会話も弾むし、とげとげした雰囲気もあっという間に溶けていく。
美味しい食事、軽くて楽しい会話、日本人とフランス人と南米人?かな、スタッフの国籍も多彩で料理も楽しければ、それはそれは素敵な時間を過ごせてるって事。
2008年04月14日
Conventional
一週間前の話になるけど、出張から戻り、土曜日の夜は古い友達がオークランドに来てたので、シティに出て夕食となった。
自宅からシティに行くタクシーの中で運転手のKeithと、南島出張の話をする。
「どうも、何つ〜か、俺はクライストチャーチよりもクイーンズタウンの方が好きで、合ってるような気がするんだよね」
「そりゃそうだ。クイーンズタウンは世界から観光客が集まって、いつも何か新しいものを作ってる街だけど、クライストチャーチは、とってもConventionalなんだ。お前に合うわけがないよ」
コンベンショナルって言い方は初めて聞いた。75歳のKeithがクライストチャーチの人々を示して言う言葉である。
「それってConservativeって意味と同じなのかい?」
「まあ大体同じだ。真面目で、道がどれだけ広くても真ん中しか歩かないし、一回就職すればそこで引退するまで働くし、家族を大事にする。いつも他人と同じような事をして、それが彼らの喜び。つまり退屈な連中なんだ」
キースが運転席に乗せた自分の足の位置を動かしながら、半分くらいこっちを見て話し始める。
「彼らは自分の生き方が一番良いと思ってるし、俺も時々クライストチャーチの人間を乗せるけど、皆オークランドは嫌だって言うよね。別に俺はそれに反対も賛成もしない。ただ、彼らがそういう考え方を持っているという事は知ってる。それだけさ」
クイーンズタウンでは、常に街が発展している理由の一つに、世界から観光客が来るので、彼らの「お目にかなう」施設や食事、サービスが要求される事がある。実際に国際級と呼べるかどうかは別として、街の連中がいつも新しいことをやろうと考えている。
でもクライストチャーチでは、今日も明日も同じ食事を食べるし、同じ事を繰り返して、その中で心の安定を求めようとする。
なるほどな、僕がどうもクライストチャーチが合わないのは、その保守的な街の雰囲気なんだろうな。自分が革新的というつもりはない。革新的以上に過激だから、あの街に流れる空気が、僕にとってはいずらいものになるんだろう。
クライストチャーチの人からすれば、随分と迷惑な話だ。自分たちは今幸せにやってるのに、よその街の人間、それも外国人に口を突っ込まれたくはないだろう。
勿論口を突っ込むつもりもないし彼らの生活を尊重もするし、彼らを好きだ。一緒に酒も飲めるし楽しく過ごせる。決して嫌いではないのだ。ただ、自分と違うというだけ。和して同ぜずなだけだ。
「和して同ぜず同じて和せず」と言う諺がある。「人とうまくはやっていくけど、決して彼らと同じようなことはしないよ」と言うのが本来のありかたなんだけど、「隣の人と同じようなことばかりやってるくせに、隣の人の文句ばかり言う」人がいるって意味。
彼らは楽しく生きている。ただ、「お前には合わないよ」という事を、オークランド生まれのオークランド育ち、現在70歳を過ぎても現役でタクシーの運転をしてる独身のKeithから聞いて、それをconventinalと言う表現をされた、その事が妙に頭に残ってて、一週間前の話だけど書いてみた。
あ、ちなみに僕はお客様によく聞かれるのが「ニュージーランドを好きですか?」。これは勿論YES。でも、「オークランドを好きですか?」と言う質問に対しては「別に〜。ただ商売やるのに一番都合が良いから住んでますね」と答えてる。これは事実。
じゃあ何でニュージーランドを択んだのかと言われれば、それが運命だからと答えるしかない。
今から20年前に買った片道航空券、行く先はバンフでもスイスでもクイーンズタウンでも良かった。たまたま立ち寄ったクイーンズタウンで仕事を依頼されたこと、そこで奥さんと知り合って結婚したこと(これは一生のうちで最高の巡り会わせだった)、香港生活を終わって次に行くとすると、オークランドが一番都合が良かったこと、そんな事の組み合わせが今僕のオークランド生活を作っている。
そんなbumpyな生活を送っているからこうなのか、それとも性格がBumpyだからこんな生活を無意識に択んでいるのか分からない。でも、多くの日本人には静かで落ち着いたクライストチャーチの方が良いのかもしれない。これからはクライストチャーチを勧めていこう。
Conventional
〔社会的{しゃかい てき}〕慣習{かんしゅう}の、慣習{かんしゅう}として認められた
伝統{でんとう}の、伝統{でんとう}として確立{かくりつ}された、従来続けられている、標準{ひょうじゅん}となった
2008年04月13日
危機管理
最近たまたまある古くからの業界仲間と話す機会があった。僕は10年前は彼らと同じような仕事をしていたのだが、7年ほど前に無理やり業態転換を行なった。
彼らは今も当時と同じ仕事をしているが、請け負い金額は次々と引き下げられ、要求はますます理不尽になり、業務自体も10年前の半分くらいに減少している。
そのしわ寄せは結局スタッフの労働条件に回る。
いつまで経っても上がらない給料。働く時間はどんどん延長されるけど残業代はもらえず、代休は取れない。お客の要求はますます理不尽になり、モンスタークレーマーに変身していく。先が見えなくなる。
それでも言う事は「これからどんな仕事がありますかね〜?かと言って、今も何とか食っていけてるから、すぐやめるのもどうかな〜」って感じ。これが危機感の差なんだろうなって思った。
そして今年になってうちは更に業態転換を行った。それは去年までやってたビジネスの一つの将来性が非常に悲観的だからだ。ところがこのビジネス、今も新規参入してくる人がいる。ビジネスモデルの将来性を考えているのだろうかと思ってしまう。
今やっている事を変えるのは、とてもきつい。「何で変えるの?まだ大丈夫じゃん、食えるじゃんか」
そのとおり。でも、危険な匂いを嗅いだ時にすぐ行動しなければ、捕食獣が目の前に現れた時は、もう遅い。
新しいことがうまくいくかどうかなんて分からない。なのに無理やり方向変換していこうとすると、本当にドキドキする。これで良いのか?本当に正しかったのか?答の出ない期間は、いつも不安でたまらなくなる。
間違っているんじゃないか?引き返したほうがいいんじゃないか?そんな自問自答を繰り返しながら、心は突撃と撤退の間で行ったり来たりする。
それでも常に先を見通して変化していかなければ、絶対に生きてはいけない。世の中で最も強いのは体の大きい動物ではなく、変化出来る動物だ。
2008年04月11日
決断するペシミスト
「わが上司後藤田正晴」
危機管理ってのは、多くの日本人が戦後の繁栄の中で忘れた言葉だ。でも実は、日常の個人生活の中でも皆さんの生活は常に危機に晒されている。ただ気づかないだけ。
例えば道を歩いていると、アパートのベランダに置いてる植木鉢が落ちてきて頭にぶつかるかもしれない。
こっちが緑の信号を渡ってても、車が突っ込んでくるかもしれない。事故が怖くて家の中にいれば、暴走したトラックが突っ込んでくるかもしれない。
スーパーで買った米国産オレンジは農薬まみれ(NZのオレンジは米国からの輸入)、中国製のカップラーメンは毒薬入り、割り箸さえも中国産がほとんどで、黒いくず木を無理やり漂白させて白くして割り箸にしているが、これは漂白剤まみれで、割り箸を口に入れるたびに漂白剤を舐めているようなものだ。
東京に住んでいれば地震の危険は常にあるし、南の島に住んでいれば津波の恐れがある。
要するに、どこで生活をしていても、生きている限り常にある程度の危機に晒されているのだ。その意味で危機管理とは生活の安全を守る基本中の基本である。
それが国家レベルとなれば国民生活を守るわけなのだから、最も重要な項目である。
ところが驚くべき事だが、1970年代の安保闘争で多くの死傷者を出し、赤軍による浅間山荘立てこもり事件、ハイジャック事件などが立て続けに起こった、そして大韓航空撃墜事件、ミグ25亡命事件などの国際事件が次々と発生していた当時、日本には国家として安全保障を担保する組織がなかった。
ハイジャックは外務省、浅間山荘は警察、大韓航空事件は自衛隊などなど、行政の縦割りの中で処理されていたから、いつもちぐはぐな対応となる。
例えばあるハイジャック事件では、犯人の要求に従って数百万ドルの身代金を渡し、おまけに政治犯の釈放までやってしまった。これはその後、世界中の治安組織からごうごうたる批難を受ける事になる。
このような日本国家の危機の際に自ら陣頭指揮を執って戦ってきたのが後藤田正晴であり、彼の懐刀として活躍したのがこの作者の佐々淳行だ。
そして彼は縦割り組織を横断して国防と言う観点から見る横繋がりの組織、「内閣安全保障室」を創設して、その初代室長となったのが佐々淳行。
「わが上司 後藤田正晴」は、そんな二人の「特別権力関係」を中心に、いかに当時(現在もだが)の日本に危機意識がなかったかを描いている。全く平和ボケした奴だけはどうしようもない。
危機管理は、常に悲観主義者であり最悪の事態を予想して対処しておくが、いざ事が起これば焦らずばたばたせず、心を楽観的にして対応するのが基本。
だから後藤田正晴は決断するペシミストと言う名前を、その部下から献上されたのだろう。
危機管理という意味で佐々淳行の本は、実に参考になる。
トップの写真は、新危機管理マニュアル2008年度版。ふざけた表紙だけど、中身は思いっきり現実的、、、らしい。まだ読んでない。
2008年04月10日
海国記
途中他の本を読みながらの並行だったので、読了に約一週間かかった。上下巻で約1000ページ。内容の重みも、時間がかかった理由の一つ。
僕が日本の暗記教育の一例として使う話に、「いいくに作ろう鎌倉幕府」てのがある。
「おい、ここは試験に出るからしっかり暗記しておけよ」と歴史の先生に言われて、子供たちは1192年に鎌倉幕府が出来ましたってのを暗記する。これでテストはばっちりだ。これが日本の暗記教育。
でもそれが、実際の生活のなんの役に立つの?そんなもん、インターネットで調べればすぐ分かること。
NZでは、何で1192年に鎌倉幕府が成立したのか?と言う切り口から子供に考えさせる。
答はいくつあってもよい。例えば荘園、寺領、天皇制、公家、武士、貿易、経済などの切り口から自分で歴史文献を引っ張り出したりインターネットで調べたりして、色んな角度から「その時何が起こったのか?」を考えて、自分なりの答を見つければよい。
大事なのは、考える力だ。
天皇が抱えていた暴力装置=治安警察であった武士が、次第に天皇よりも力を持ち、経済力を自前で持つ事で天皇や公家などの知識層を支配するようになった。その歴史的転回点が1192年である、そんな答があっても良い。
そう考えることで、世の中で何が本当に強くて権力に繋がるのかが学べればよい。
または、政治がその決定権を他人に任せると、最初は仕事しなくて楽だけど、いずれ任せた他人に食われてしまう、だから権力とは何かを理解して、手放すならどういう形ですべきかを学ぶとかも良い。
いいくに作ろうなんてそんな数字を学ぶのが歴史教育ではなく、歴史を学ぶことで未来をどう切り開いていくか、その能力を身に付けるのが本来の歴史教育なのだ。
何せNZでは、試験の点数はない。だから隣の同級生と点数を比較することもないので、皆自分なりに一生懸命回答を考えるから、実社会で生き残る為の智恵となる。
日本ではいいくに作ろうと覚えて大学に入り社会人になるけど、権力の意味も武力の意味も何も分からないから、結局そういったものに振り回されるだけで、何も自分で考えることが出来ないままの人生を送るようになる。
海国記は、平安の後期から鎌倉幕府中期までの、主に平家を描いている。しかし既存の歴史小説のような人物像を描き出すという方法ではなく、如何にして経済が国家を動かして行ったかを記している。
その意味では本当の主人公は海と船であるだろう。
面白いのは当時の公家だ。いつの時代も腰巾着で、世間の寄生虫だってのに気づかないまま。
こういう連中を有難がってる民衆ってのは、泥棒に追い銭を払っているようなものだ。
今まで読んできた服部真澄とは一味違った、というか、これが服部真澄が本領発揮をした作品と言うべきか、歴史に学び未来を生きる、そんな事を考えながら久しぶりにじっくりと読めた作品。
2008年04月08日
This is the Future !
チャールトンヘストンが死んだ。
ああ、何か時代が変わった気がする。大きな一つの時代が終わり、これからは細かい時代になるんかな〜、でも仕方ないかもな〜、そんな感じ。
僕は元々SF少年で、映画大好きで、その中でもチャールトンヘストンの演技が大好きだった。力強くて逞しくて、それでいて誰をも受け入れる笑顔と優しさ、とにかく小学校時代から彼のファンだった。
猿の惑星なんて当然だけど、ソイレントグリーン、地球最後の男あたりのチャールトンヘストンは、本当にすんごい演技だった。
勿論普通にベンハーも大好きで十戒も大好きで、何十回も観た映画だし、今も時に観てるほど。
でもやっぱりSF少年だったから、どうしても彼の死亡記事で「ソイレントグリーン」に触れた記事が少ないのが、どうもねーと思ったりする。
そんなこんなとか思いながら昨日家族で観た映画が「ミクロの決死圏」。古典的なSF映画。
1966年にアカデミーを受賞した作品だが、そこに出てくる様々な小道具は、当時の人々の希望を描いている。
あの頃のSFは、世の中がこうあればいいな、ああなればいいな、そういう人々の夢が、映画の中ではそのままに表現されている。IDカードを差し込むと、読取装置の下に本人の写真が映し出される。
自分の体をちいちゃくして他人の体に入り込んで外科手術をする。他にもSFの世界では、次々と新しいアイデアが出てきてた。
結局、人類の進歩を知りたければ、SFを読むのが一番ではないか。何故なら、人は望むものになれる可能性を持っているのだからと本気で思う。
ただもし、SFで「渚にて」が流行ったら?その時こそ、人類の終りかも。
面白いのは、映画の中で皆タバコを吸っていることだ。この当時は、タバコに対する危険性は認識されてなかったのが、良く分かる。
それと、すべての計器がアナログ表示。デジタルじゃない。当時はデジタル制御って発想はなかったのか、それとも本格技術者ではないSF作家には、少し理解不能だったのか。
数値制御って、その効果は専門家にしか理解出来ないし、おそらく専門家はSFをバカにしてたから作家にも言わず、だから本に出なかったのだろう。イメージで言えば、ケータイを大ブームにしたドコモでさえ、まさかストラップ文化は読取れなかったという感じか。
当時、早川書房のSFマガジンを毎月読んでたので思い出すが、この頃のSFにはユビキタスという概念がなかった気がするな。何か妙に、科学を前提にしたSFでないと駄目よみたいな雰囲気があった気がする。
だから小松左京の作品が無茶苦茶面白いのに、何故か光瀬龍の方が通には受ける、みたいな。SFは自由な発想のはずなのに、どこか「科学に基づく」みたいな束縛があって、ユビキタスではないな。
その意味で、この映画も、かなり真面目。アシモフが後で小説化したのも、よく分かる。彼の「Foundation Series」を詠めば、彼独特の、自閉症的な「端っこをきちっと詰める」キモチを、紙面を通じて感じる。
それに対して、誰が一番ユビキタス、つまり自由発想だったかな?サルの惑星?筒井康隆?
う〜ん、それでいけばハインラインかな。夏への扉。あれこそ、すべてのものから自由な発想。「月を売った男」なんてのも最高な作品。
映画を観ながら竜馬君が、しきりに大声で「This is the feature !」 と喜んでたのが印象的だった。
2008年04月06日
喧騒 オークランド
クイーンズタウンでの予定もすべて無事終了し、昼過ぎの飛行機でクイーンズタウンを出発する。
クイーンズタウンからオークランドへの直行便は小型だけどジェット機なので、往路よりはいくらか快適。
何せクライストチャーチからクイーンズタウンへの移動はプロペラ機。
座席は革張りと立派なのだが、天井は低いし、上の棚なんてジャケットしか入らないくらい狭い。
おまけにプロペラ機、途中でよく揺れてくれる。もうローラーコースターですか?と思うくらい、横揺れとか急降下とか、結構楽しませてくれる。
カネ払ってるんだからもっと揺らせとか思ったりしたが、やっぱり安全第一ですね。日本で安全な大型機にばかり乗ってる人には、ちょいとびっくりの体験ですぜ。
でもってオークランドに到着すると、いやま、4日いないだけなのに、人の多さとその喧騒にやっぱりびっくりする。
南島、特にクイーンズタウンの雰囲気は、それほど人の心を温かくのんびりとさせてくれるんだなと、改めて思う。
オフィスに戻って普通に仕事を再開したのだけど、体の中の歯車がごとりと音を立てて高速回転になるのを感じる。
出張中に思いついたことや忘れてた事を次々とスタッフに指示したり打ち合わせしたり、いつの間にかオークランドの日常に戻っている自分に気づく。
けど、出張前に感じてたような焦燥感はない。少し気持ちが軽くなってるのに気づく。
クイーンズタウンは、やっぱり良いな。数日いただけなのに、とても気持ちが軽くなってる。出張なんだけど、気持ち的には休暇を取ったような気がする。
クイーンズタウンで洗車をしている人がいる。彼は元々他の仕事があり、その仕事であれば高給が保証されている。でも洗車で安い給料で働いて、それで楽しいそうだ。
「だって、誰に気を使わなくて良いし、働く時間は決まってるし、安くても十分食っていける。何でそんなに一生懸命働く必要があるの?ボスに気を使い、休みも満足に取れず一生懸命働いて、それでストレスを抱えて、発散の為に高い金払って脂っぽい食事して、太った挙句にダイエットでまたカネを使うくらいなら、この街でのんびりと車を洗って、夜は星空を眺めながらワインでも飲んでるほうが、よっぽど心にも体にも良いでしょ。」
やっぱり将来住むとしたらクイーンズタウンだな、そう思ったクイーンズタウン出張でした。
2008年04月04日
Glenorchy
今回はアポイントが詰まってたのだが、二日目に偶然2時間ほどOFFが出来たのでクイーンズタウンからGlenorchyへ行く。
片道45km、往復で2時間あれば、ちょうどぴったりで行けるなと読む。
グレノーキーはLord of the Rings の舞台にもなった美しい場所だけど、町自体は至ってちっちゃくて静かだ。
僕がクイーンズタウンに住んでた頃、今から20年近く前は道路も舗装されてなくて、「GLenorchy?行くかよそんなとこ?」てな感じの陸の孤島だった。
何せクイーンズタウンから45kmしか離れてないので、他の道なら30分かからずにいける場所なのだが、大体道路が舗装されてないし、おまけに道はハーフパイプをひっくり返したように路肩が下がっているし、冬場はブラックアイス(アイスとは言ってもクリームではなく、道路の部分凍結)が出るし、慣れた連中でも1時間かけて運転してたものだ。
てか、あっこを飛ばして走ろうなんて思う人は、長生きしたくない人くらいなものだった。当時、直接の知り合いなのだが、この道に慣れてる奴なのに見事湖にダイビングした奴を二人知ってる。
左の写真の、湖と山の間に細い道路が走っている。
それが今ではきれいに舗装されてて、時速100kmで走ってください、てなサインが出てる。最初は「マジかよ、ここを時速100kmかよ?!」って思ったが、走り出して見るとこれがしっかり整備されている。
勿論ちょっとハンドルを切り間違ったり、景色に5秒以上見とれて運転してると、確実に湖に飛び込んでしまうようなLong and winding Road であることは変わりないから、一瞬たりとも気を抜けない。
道路の右側はそそり立つ絶壁で、普通にさらりと「落石注意、ここは停車も駐車も出来ないよ」って大きなサインが出てるし、左側は断崖で、ガードレールがない。景色を楽しませる為なのだろうが、反射テープを貼ってるポールがあるのみ。途中は離合が出来ないOneLaneBridgeが数箇所ある。
100kmで走ってて一気に減速して対向車線に車がないかどうかを確認して突っ込む、そこからブラインドカーブをぐい=んと曲がると、今度は「坂道注意、エンジンブレーキ使え!」の長い下り坂があったり。
ここ、公道レースやったら面白いだろうなって思わせる楽しいドライブ道路だけど、今は舗装がしかりしているから、往路は写真ストップ入れて約40分、帰路は真っ直ぐ飛ばしたので30分で戻ってこれた。
昨今は人気の観光地となったので、レンタカーで訪れる人が多い。ありゃ米国人だろうな、途中途中の写真ストップで、皆楽しそうに写真を撮ってた。走ってる途中もすれ違う車の5台に1台はレンタカーじゃないかと思うくらい。
でも、山歩きをする人には、ここは何十年も前から聖地みたいなもの。
Routeburn trecking 、Milford trecking など、世界でトップクラスに入るトレッキングコースが目白押しであり、とにかく素晴らしいコースが3泊4日とか1週間とかでガイド付きで回れるのだ。
おまけに環境保護のために一回当たりの入山者数も限られており、夏場しか歩けないので、2年先まで予約が一杯と言われた時期もあった。
今はどれだけの人気か分からないけど、その絶景は今も20年前も全く同じだ。ほんっと、綺麗。
こんなところに住んでたら、寿命も延びるぞって思う。ほんとに、人の顔が柔らかい。優しい。この道は天国へと続く。てか、本当にそういう名前の道路があるから面白い。
何も話さなくても楽しい。こんな綺麗な景色と雰囲気と、そして優しい人たちに触れてしまうと、道行く見知らぬ人に思わず、「ハイ!」と声をかけてしまいたくなる、そんなグレノーキーへのドライブ。
“清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき”
与謝野晶子のそんな気持ちが良く分かる短い旅でした。
2008年04月03日
My Family and My Job
クイーンズタウンでは当社から送った有給インターンの受け入れ先ホテルや、現在ワークビザを取得して働いているお客様から、直接生の声を聞いてくる。
これが、思ったよりも数倍、てか、たぶんもっとか、両者に評判が良い。ホテル側はキーウィ独特の言い回しとは言いながら、皆さん手放しで日本人の働き振りを褒めてくれる。
よく働くし、気は利くし、残業も厭わず、周囲と仲良くしながらやるスタッフってのは、特に自己要求の多いキーウィやブラジル人を相手に人事をしていると、こりゃ本当に疲れるのだろう、日本人が次に来る時は永遠契約を結びたいわとまで言ってくれたホテルもある。
そうだろう。今クイーンズタウンで働いている人々は、観光の延長で滞在しているわけではなく、これから永住権の取得を目指しているのだから、真剣度も違う。
ホテルも彼らの真剣度を理解してくれているのだろう、是非ともこれからも人材紹介をお願いすると言われた。
実際に働いている方からもお話をお伺いする。
すると皆、「仕事が楽しい」と言ってくれる。これからやることはたくさんあるけど、今自分がこうやってキーウィ社会の中に入れたという事が、それだけでまず前進だ。日本にいていくら考えていてもきりがない、一歩を切り出す気持ちが大事なんだ、皆さんそう思っている。
夫婦でやってきて、今までの経済生活よりも随分収入が減りましたよね、どのようにしてますか?と聞くと、これまた異口同音に「生活が豊かになりました。お金では買えないものですね」ってのと、「まあ、二人で働けば貯金は食い潰さずにやっていけます。まずはそこからですね」。
説明会で僕がいつも、「現地に行けば給料は激減しますが、夫婦で働けばとりあえず貯金は食い潰さずに生活出来る、その間にビザを取得してから転職、キャリアアップを目指して勉強.」と言ってる、それをそのまま実行出来ているのに、とても嬉しく感じた。
収入は減る代わりに、家族で一緒にいる時間が劇的に増えますよとも言ってた。
「日本にいたんじゃ、子供が寝てから家に帰り、子供が起きる前に家を出て、今のように家族が一緒に夕食をとれる生活なんて、ほんとに僕はラッキーだと思います」
幸運ではあるだろうが、幸運を呼び込んだのは実力と努力だ。
他にも、オークランドで職探しをしていた30歳代のご夫婦と去年後半に偶然知り合いになり、僕の助言でクイーンズタウンでビザ取得の方法を「商売抜き」でご案内したら、彼らはすぐにクイーンズタウンに行き、半年後には無事に希望していた永住権の取得が出来た。
これなどは、やはり前向きな行動力と自分で考える能力の賜物だと思う。
永住権申請=申請した場所で一生過ごさねばならないと思ってる日本人も多いかもしれない。しかし永住権はクイーンズタウンで取得して、他の街で生活することはまったく問題ない。中国人などは、豪州へ行く為の手段としてNZの永住権を取得する人もいるくらいだ。
写真の景色はグレノーキー。こんな素敵な家族生活出来るのかって?出来ますよ、本人が出来ると思えば。
今年はこのプログラムをもっとお客様に勧めていこう、そう思った一日だった。
2008年04月02日
夏服のイブ
クイーンズタウンは、僕がいた頃の3倍くらいの街に広がっている。
1980年代後半までは人口4千人のちっちゃな村だったが、松田聖子が主役を取った1984年公開の「夏服のイブ」でミルフォードサウンド、ショットオーバージェット、ワナカ湖畔などが日本のお茶の間に紹介されると、純真爛漫、明日は今日より幸せになると無条件に信じていた若いハネムーナーが一気に火がついたようにこの街を目指して団体旅行でやってきたのだ。
当時は受け入れる側も体勢が出来ておらず、随分といろんなトラブル?というか、面白い場面もあった。
当時はどこもちっちゃなお土産やで、店長はキーウィのおじさんとかおばさんというパターンが多かったのだが、彼らが当時数少ない日本人である僕のところに聞きに来る。
「おい、tomよ、俺は折角日本人のために一つ一つ手作りのお土産を用意しているのに、何で日本人はそういう真心のこもったものを買わないのだ?何で、全く同じ格好で棚に並んでいる出来合いの人形を何十個も買って帰るのだ?自宅に同じものを置いても仕方ないだろう?」
「日本では結婚式に来てくれた人へのお祝い返しがあるのだ、その際に、AさんとBさんの品物が違っていては、相手に不愉快な気持ちを与えてしまうから駄目なのだ」と説明。
しても、彼らはどうも腑に落ちないような顔で、「でもさ、結婚って二人の為にするんだろう?旅行は二人の為だろう、そうじゃないのか?」と、更に突っ込まれる。
「日本の結婚は、家同士の繋がりとか社会通念上大人になった事を示す儀式であり、相手が誰かよりも、きちんとそういう儀式をこなせたかどうかがポイントだという面がある」
「勿論誰でもそういうわけではないが、少なくともニュージーランドにやってこれるようなお金持ちの若い人たちは、そうである可能性が高い」
「だから日本では、恋愛する相手と結婚する相手が違うのは、よくあることだ。、見ろ、あそこのハネムーナー、カップルでおそろいのセーターを着ているけど、心の中を覗いて見れば、随分と面白いかもよ」と説明すると、更に意味不明な顔をしていた。
まあ結婚と言う仕組みが、法律の概念上からも全く異なるし、社会的地位や両人の資産の配分などの考え方も全く違うわけだから、理解しろと言うほうが無理だろう。
なので、おじさんたちに唯一残された選択肢は、人形やシープスキン、セーターなどを、全く同じ企画で数十枚単位で仕入れて店に飾って「はい、当店は同じものがたくさんありますよ〜」と営業することだけだった。
結局その後もバブル崩壊までこの景気は続き、それ以降は旅行価格も低下してきて、団体ツアーもやってくるようになり、クイーンズタウンは日本人観光客にとって「必ず訪れる観光地」となった。
まさに聖子さまさま、である。
てな事で、現在では人口15000人、街ではホテル建設が次々と進み、道路は拡幅されて、街はおしゃれになり、今では日本の観光客はあまり来なくなったが、米国からの観光客が「必ず訪れる観光地」となっているが、クイーンズタウンである。