2008年05月

2008年05月31日

異邦人

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どこへ行っても異邦。

 

家のリフォームが進行中である。勿論僕は何も知らない。いつもの事。

 

土曜日の朝、昨晩の痛飲で昼頃に起きて、眠い頭をごりごりとかきながら「日清やきそば」を作ってると、突然ドアがピンポン。生卵を落とす瞬間だったので、ちょいとやばかったが、ドアベルにめげずにきちんとフライパンの真ん中に落とせた、よしよし。

 

中国人のリフォームやさんが家に来たのだ。奥さんが「あ、リフォームやさんだ」とぼくに一言声をかける。はい、それで通知終了。

 

実際、月のうち半分くらいしか自宅に住んでない「旅人」としては、何を言う必要もないし、奥さんと家族が住みやすくなればそれでよし・・・え?あはは?

 

そういえば数ヶ月前に「ねえ、この家スペース的に無駄が多いから、今の3ベッドを4ベッドに改造出来るし、そしたら高く売れるよ」って「一方的通告」を受けた気がする。

 

それからその話、立ち消えになってたのかと思ったら、立ち進んでいたようで、今日は間取りやぶっ壊す壁の測量に、3人ほどが立会いに来てた。

 

こっちはパジャマ姿で「日清やきそば」を作ってる最中に、あっちのおっちゃんたちは僕の手元でキッチンやダイニングのサイズを測り、こっちをしっかり「がんみ」してから、「おう、美味しそうな匂いだね」とか言ってた。

 

特に何の説明もしてないのだろう、彼らは僕をしっかり香港人と思ってるようだ。そりゃまあそうだろう、普通に朝から自宅で広東語で会話しているから、違和感なしなんだろ・・・おれ、日本人だけど。

 

     ・・

 

普通の日本人なら、「少しは遠慮せんかい!」となるところだ。

 

文化の違いだな〜。普通ならご主人に挨拶もあるだろうし、「あ、すみません、朝ごはんの最中に〜」とか、一言あってもいいだろ。

 

普通に「日清やきそば」を覗き込まれて「美味そうだね」では、・・・。

 

やっぱり日本と海外の常識は違う。

 

何十年経っても、自分が日本人であり日本の文化習慣をしっかり抱えて生きてるって事を実感させられた土曜日の朝であった。

 

さてと、りょうまのガンダムを買いに行こう。あは、日本製だし!

 

これから海外に住もうと思う方、ビザやお金じゃなくて、文化の違いを乗り越えるのが、正直一番大変でっせ。相手に染まらず相手を染めず、お互いの文化を尊敬しながら「同居」するんですからね。

 

同じ日本人同士でも会話不能な家族もあれば、外国人同士でも何とかやってけることもある。大事なことは相互理解と尊重と積極的会話。

 

それにしても・・・俺の日清焼きそば、勝手にのぞくな〜!



tom_eastwind at 11:37|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2008年05月30日

蟹工船

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恵比寿での仕事も終わり、やっと駅中の本屋に行く時間が取れた。さあまとめ買いするぞ。

 

まずは入り口に平積みしている本をさっと眺める・・・・え?蟹工船?!

 

あり得ん・・・。何で君がここにいるのか?

 

 

蟹工船が本屋にあったのだ。

 

絶対あり得ん。君、蟹工船だよね?

 

それくらいに衝撃的な話である。本屋が平積みするわけだからそれなりに売れているのだろうが、今年になって15万部が売れたというニュースを聴いて、さらにびっくりである。

 

蟹工船だぜ。誰が買うのか?

 

最初にこの本を読んだのはもう30年以上も前で、本が書かれたのは80年近く前である。あの当時は、そりゃもうびっくりしたものだ。それは本の完成度の高さだけではない。

 

小林多喜二作者である小林多喜二は、労働運動が認められてなかった時代に自分の命を賭けて本を発行し、そして案の定特高警察によって逮捕され拷問、挙句に殺された。

 

社会に対して何の知識もない若者が労働運動に立ち上がって、人間としての権利を追求していく話は、僕の時代でも読む人は殆どいなかった。

 

誰に話をしても「そんな本、知らん」である。それほど僕が日本にいた時代、日本の人々は恵まれていた。

 

蟹工船が売れ始めたのは、昨年この小説が漫画化されて、それが漫画喫茶に置かれるようになって、漫画喫茶を利用するフリーターの若者に人気が出たことが原因のようだ。彼らがインターネットの書き込みで「おいおい、これって俺たちの事じゃねえの?」と書き出したらしい。

 

蟹工船は、あの文体、まともに読むにはきつすぎるでしょ、フリーターの皆さん。ありゃ古いし汗臭いし、第一漢字が多くて難しい。

 

それなのに若者が読み込んでいくってのは、これはもしかしてすごいことではないか?本当の意味での労働運動が高まっていくのではないか?

 

大体、労働運動なんてのは理屈でやるものではない。社会に対する異常なまでの怒りと言うエネルギーがなければ戦うことは出来ない。

 

理屈でやった労働運動は安保闘争みたいなもので、結局おぼっちゃんやおじょうちゃんの「お理論お遊び」の延長でしかない。だから戦うにしても弱いし、卒業するときは長い髪を切ってよい子になって社会人となる。そして子供も出来た頃に「あの頃は俺も若かったな〜」などと格好をつける。

 

本気で労働運動をするなら社会そのものをひっくり返す必要があるが、ひっくり返されたら既得権益をなくしてしまう体制側は、警察を使って冤罪でも何でも作り、ばんばん逮捕して刑務所に放り込む。

 

そんな連中を相手にするのだから、こっちは体制側を暗殺でもしてひっくり返そうなんてのを本気で考える必要がある。

 

普通に理屈で考えればそんなエネルギーが出るわけはない。大体、それなら選挙で戦おうと思うはずだ。それを通り越していきなり「蟹工船」に行くって事は、今の若者が内包している怒りが、かなりの極限に達している事を意味するのではないか?

 

それは部落問題に端を発する水平社運動でも同じだったし、いつの時代も「取り戻しようのない」社会の不公平に対する怒りは行動を生む。

 

ただ、その前に誰しも「もしかしてこれって、俺だけ怒ってるの?俺だけが間違っているんじゃないの?」と考えるのが普通だ。

 

その怒りが実は正しいものであり、隣に住んでいる若者も同じように怒りを感じているのだと分かった瞬間に、その怒りは正当性を持ち、政府に向かって戦う力を与える。

 

しかし、今までだったらそんな弱い連中の横のつながりなんて取りようがなかった。それがインターネットの出現で、横が繋がったのだ。これこそ恐るべしインターネットの効用であり、政府が一番恐れることだろう。

 

それにしても、誰に言われたわけでもなく大昔の労働運動の本を読み、誰に習ったわけでもなく労働運動を学んでいく。それが本来の労働運動である。社会に対する「努力しても取り戻しようのない差別」に対する怒り、それが労働運動を産むのだ。

 

久々に読み返してみるか、蟹工船。

 

 蟹工船・党生活者 (新潮文庫)



tom_eastwind at 00:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2008年05月29日

長崎市長射殺事件

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長崎市長射殺事件

 

地裁で死刑判決が出た。それはよく分かる。人のために手を挙げて公職に就こうとしている人を殺すのでは、こりゃ誰も政治家のなり手はなくなるのだから、民主主義の根幹に関わる大問題というのも、それもよく分かる。

 

でも、人の命の重さに違いがあるのか?てか、あるって事を裁判所は認めるのか?その点を知りたい。

 

光市母子殺人事件では無期懲役判決と言う量刑で「少なすぎる!もっと重罪を=死刑だ」と言う議論が出ている。

 

日本の裁判では、一人殺せば最高でも無期懲役、二人殺せば死刑の可能性ありって事になってる。これは別に法律に書かれているわけではない。運用の段階で決めているのだ。

 

公職者を、その地位にいるからと言って殺すのは、勿論どう見ても違法だし民主主義を否定するものだ。それは十分認める。死刑判決も納得出来る。

 

しかし、それなら他のケースはどうなのか?二人殺しても死刑にならない時に、一人殺したら死刑ってのは、法の下の平等とは言えない。それとも、市長一人の命は母子二人の命より重いってのか?

 

これはどう見ても、要するに体制側に手を出したら死刑ですぞって言ってるようなものだ。政治家が、自分の命を守る為に作ったような量刑でしかない。

 

大事なのは法の下の平等であって、今回のように「身内が殺されたら死刑、他人なら懲役」なんて話は、どう見ても不公平だ。

 

大体それなら民主主義の根幹を揺るがすような事件なんて、官僚がしょっちゅうやっているではないか。社会保険庁による詐欺事件、社会福祉を受けられずに死んでいった人々、水俣事件、実にたくさんの一般市民が政府や役人の作為や無作為で殺されているのだ。

 

そういう公権力による犯罪は全く罪を受けずに、その役人は退職後に年金を貰ってのうのうと生活をしているのは、法の下の不平等ではないか?水俣病で苦しんで亡くなった人への責任はどうなるのだ?

 

殺人事件の量刑については色んな議論があるだろう。僕個人としては、被害者の家族が死刑を要求した場合は死刑にすべきだと思っている。何故なら殺人はそれだけ重い罪だからだ。

 

被害者の感情を無視して人権など語れるものではない。人の体を殺したら死刑なら、人の心を殺すのも死刑である。

 

なのに、肉体にのみ重みを置いて精神に重みを置かない現在の裁判制度には非常に疑問を感じる。でもこれは俺の個人的意見。だからきちんとした場所で全員が納得出来るような決まりを作ればよいと思う。

 

ただ、今回の判決については、こいつを死刑にするなら、他のケースでも死刑判決を出して欲しい、この日本をもう一度法治国家に戻して欲しいという事だ。

 



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2008年05月28日

笑えない記事

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笑えない記事

 

朝日新聞より全文引用:

 

探知犬お手上げ?訓練用大麻を紛失 成田税関が規定違反

 

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 東京税関成田税関支署は26日、成田空港に到着した一般旅客のスーツケースに隠した探知訓練用の大麻樹脂を麻薬探知犬が見つけられず、紛失した、と発表した。

 

その後、同日午後にスーツケースの持ち主がわかり、大麻樹脂も無事に戻ってきた。訓練に一般旅客の荷物を使うことは内部規定違反で、同支署監視部の高橋靖之(のぶゆき)次長は「関係者を厳重に処分する」という。

 

 同支署によると、25日午後3時半すぎ、空港第2旅客ターミナルの手荷物引き渡し場裏で、香港から到着したキャセイパシフィック航空520便の旅客のスーツケースに樹脂124グラムを隠し、訓練をしていた。

 

隠し場所は、キャスター付きの黒いソフトスーツケースのサイドポケット。樹脂は縦11センチ、横9センチ、幅3センチのスチール製の箱入りで、新聞紙で包んであったという。

 

 訓練には、職員4人のほか、探知犬2頭が参加。内規では税関のかばんに樹脂を隠すことになっているが、同支署係長(38)が「同じかばんだと、訓練の効果が薄れる」とし、一般客のスーツケースに隠した。過去も一般客のかばんを使ったことがあったが、見つけていたという。

 

 同支署は、旅客から出された携帯品申告書をもとに、都内のホテルに滞在していた持ち主を突き止めたという。

 

以上全文引用終わり

 

 

何が笑えないかって、朝日新聞の事ではない。

 

空港税関がキャセイ航空の預け荷物に大麻樹脂=要するに麻薬を隠したんでしょ。

 

これって、もしその気になれば国際線で成田に到着する乗客をいつでも麻薬取り締まりで逮捕出来る、その気になればどんな冤罪でもでっち上げが可能って事だよね。

 

つまり、昨日から池田ブログでも取り上げられている「植草事件」の問題と同じように、政府に都合の悪い人間はいつでも政府によって排除出来るって事で、そりゃあ政府がそんなにあくどい事出来るって分かってはいるのだが、キャセイ航空、成田到着、客の荷物に役人が無断で麻薬仕込むって、ここまでくれば犯罪でしょ。

 

その犯罪を取り締まるべき側がこんな事やってるんだから、一般市民はいつでも冤罪に巻き込まれる事おおありだ。

 

これがまともな国家のする事ですかね。

 

関係者の厳重処分ってのは、担当者を逮捕してくれるんですかね?

 

「私は悪いことしてないから大丈夫」なんて言える時代ではなくなったのです。気に食わない相手がいればいつでも冤罪は作れる、その証拠のような記事でした。全くもう、頭にくる話だ。

 

てな事を書いてたら、フジテレビの朝のニュースでも同じような趣旨でアナウンサーが報道してた。日本、一体どういうこっちゃ?



tom_eastwind at 00:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2008年05月27日

成田は成田たない

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成田開港30周年である。そこで羽田の存在が表に出てきて、あるテレビの取材に答えた成田住民の言葉。

 

「成田は空港があってこそ成田。空港がなければ成り田たない」

 

 

 

そう、まさにその通り。元々成田に空港がなければここはずっと田舎の町であり続けて、東京へ食材を送り込む為の食料基地として存在を続けていけたわけだ。

 

だからおとなしく野菜を作ってれば良かったのに、矛盾の塊のような空港を「おらが村」の長老の利益だけを考えて作ったからとんでもない騒動になったのだ。

 

無理やり自民党議員が目先の利権だけで空港を誘致し、その挙句成田闘争まで巻き起こして、その傷は今も追加の滑走路が作れないし夜中に発着出来ない等の、国際ハブ空港として決定的な欠点を抱えているのだ。

 

成田は、そこに空港があること自体が大きな矛盾を抱えていたわけだ。空港が本来必要とする機能を持てない場所に空港を作った、まさに世紀のバカの極みである。

 

それも1990年代までの閉鎖された日本であればその矛盾が見えてこなかった。けど、アジアの他の都市が急激にハブ化する事により、その馬鹿さ加減が次々に露呈しているのだ。

 

今日本では成田30周年を迎えて成田空港の存在価値が問われている。羽田が拡張していけば、成田など必要がなくなるのだ。だから成田は、その延命策として「あ〜でもないこ〜でもない」と成田の宣伝をしている。

 

でも、それは誰のためだ。千葉県知事が「羽田に行く飛行機だって千葉の上を飛んでる」なんて意味不明な事を言ってるが、それは国全体の利益を考えた上での発言か?

 

結局今回も、他人はどうでもよい、自分だけ儲ければよいのだと言う典型例である。一体成田の延命策の為の宣伝費用は誰が払っているのだ?第一これでまた国内調整をやって、じゃあxx方面は羽田で、xx方面は成田ね〜なんてやってしまえば、世界から馬鹿にされるぞ。

 

世界からアジアに来る旅客は東京の使い勝手のみを問題にしており、成田の利権と羽田の利権なんてどうでも良い。そんなに国内問題でもめるんなら勝手にどうぞ、私は香港やソウルを使いますよって事になるだけだ。

 

でも、今の日本にそんな国内事情を優先するだけの余裕があるのか?

 

成田の野菜2写真は成田空港で売ってる県内産の野菜である。

 

売ってる人に悪気はないと思う。綺麗な野菜だと思う。

 

けど、世界のどこの国際ハブ空港で野菜売ってるか?

 

 



tom_eastwind at 00:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2008年05月26日

日本は本当に“破綻”?

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「日本は本当に“破綻”しているのですか?」そんな質問をお客様から頂いた。

 

でも破綻とは何だろうか?ホテルのバーで夕食のシーザーサラダを食いながら考えた。ちなみにここのサラダはdaisukiだ。

 

前回の戦争で負けた時には数百万人の日本人が死んだ。経済は崩壊して多くの餓死者を出して国家の制度は破壊されて無政府状態になり、やくざが警察を守って外国人と闘いを起こす事にもなった。また戦前にはなかった「民主主義」が導入されて、天皇が普通の人になった。

 

それでも日本は破綻はしなかった、とも言える。だって土地も残ったし生き残った人もいたからだ。戦火を逃れて生き残った人が日本を再構築して昭和後期の繁栄を迎えることもできたのだから。

 

じゃあ破綻のイメージが国家の“崩壊”であれば、崩壊って何だ?

 

ロシアもアルゼンチンも崩壊した。でも国家が爆弾で吹っ飛んで、そこに住んでいる人すべてが死亡した、なんて話ではない。

 

だから、破綻とか崩壊ってのは、ある程度定義付けを明確にする必要がある。もっと言えば国家が破綻しても崩壊しても、自分の生活に影響が出なければ関係ないとも言える。

 

例えば日本が戦争で負けてたくさんの人が死んで経済が崩壊しても、親兄弟が戦争に行かずに九州の山奥で農業や漁業をしている人には、あまり大きな影響はなかったと言える。

 

逆に、どんなに世の中が好景気に沸いていても自分が貧しくて家庭的に不和であれば、こりゃ個人破綻だし家庭崩壊である。

 

昭和30年代に周囲が皆どんどん良い服を着て美味しいものを食べて綺麗な家に住み始めた頃に、いつも酔っ払って帰ってくる父親、風呂もないぼろ長屋に住んで飯盒でご飯を炊いてた家庭にとっては、破綻とはこういう事かと思うだろう。

 

そういう大前提をあまり考えずに「破綻してるんですか?」と質問する方は、こちらがまず言葉の定義づけを確認する必要がある。

 

「あなたの考える破綻とは何ですか?」

 

だから相手の背景を知らずにいきなりどっかの本のように「破綻してます」と言うのは、かなり無責任であるし正確な回答とはいえないのだ。

 

ただ、これが経済的に日本はどうなんですか、日本はニュージーランドと比べて治安や医療、教育はどうなんですかと言う質問なら答えやすい。

 

まず今の日本が民間の会計制度を前提に考えれば経済的に破綻しているのは明確だ。経済的破綻とは、年間利益50兆円の会社が年間で80兆円の費用を使っている状態だ。

 

その点ニュージーランドは毎年国家として黒字を出して、その黒字を国民に還元する為に毎年減税を行っている。去年は個人減税、今年は企業法人税の減税などである。

 

医療と教育は無料だし大学へ通う学生は政府から学生手当を貰える。貧富の格差が少ないから経済的犯罪も少なくてその結果治安も良くなる。だから、比較すれば生活基盤の安定と言う意味ではニュージーランドの方がずっと良いと言える。

 

ただ日本政府としても解決策はあるから全く駄目と言うわけではない。国債を個人に売ってからスーパーインフレを起こせば通貨の価値は下がるので、1500兆円と言われる借金はすべてチャラになる。

 

痛みを蒙るのは国債を買ったり国債を購入した銀行におカネを預けていた人=国民だけだから、政府は気にする必要もなく国家は継続出来る。

 

そう言えば「小説日本銀行」でもそんな話があった。戦後すぐの日銀を描いた有名な小説である。

 

「エリート集団、日本銀行の中でも出世コースの秘書室の津上は、インフレの中でバカと言われながら父の遺産を定期預金する。厳しい不況で一家は貧乏のどん底に。」

 

ただ政府からすれば「何せ一般国民の資産がゼロになったからと言って彼らが生活を停止するわけではない。それどころか、資産がなくなったのだから、ますます余計に働いて政府に納税してくれるだろう。こりゃいいや」と言うことである。

 

消費税を増税して20%くらいにしても良い。それで景気が冷え込んでも下々の人の話であり、大企業や皇族の生活に影響が出るわけではない。

 

戦争が終わった時でも、一般国民の生活に大きな影響が出て「蛍の墓」のような戦災孤児が餓死をしても、飢え死にをした皇族はいなかったし大企業は結局生き残った。

 

だからその意味では国家が破綻するなんて彼らの世界ではあり得ないのだ。

 

と、ここまで説明すると、「おいおい、国家がそんな事するわけないじゃないか!」なんて怒る人もいる。でも、歴史を紐解けばいつの時代も国家は国民を踏み潰しながら生き残ってきたというのは明確である。

 

明治維新は大増税と徴兵制の導入に繋がった。米騒動では騒ぎを起こした人々が逮捕された。第二次世界大戦では無理と分かっている作戦を決行して多くの若者の命を無駄に奪っていった。

 

戦後は経済成長の為に水俣病を放置して世界一の公害大国にもなったが、水俣病の原因を知りながら放置した役人は誰一人として責任を取ってない。バブルの決算も政府は一切責任を取らず結局は国民だけが痛みを蒙ったのは誰しも理解している。

 

ほらね、いつの時代もどこかで国民に泥をかぶせて生き残るのが政府官僚国家なのだ。

 

だから日本政府と皇族とその関係者にとっては、国家破綻などあり得ませんので、その意味では日本政府が「破綻する」なんていうわけないし、本気で破綻しないと理解しているのだ。

 

だから問題は「じゃあ私にとってはどうなんですか?」なのである。

 

ね、結局そこにいきつく。つまり国家がどうのこうのではない、自分個人の財産や家族や生活がどうなるか、そこが大事なのだ。

 

さて、あなたにとってどうなんですかと言う質問に対しては、こう答えるべきだろう。

 

「あなたは皇族ですか?」

 

 小説日本銀行 (角川文庫 し 4-1)

 



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2008年05月25日

第30回説明会、無事終了

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朝から雨模様だったが、午後には曇り空で涼しくなった東京。

今回は投宿してるホテル内のビジネスセンターだったので移動は楽。最近は益々資料が増えたので、ニュージーランドから日本に送るのが結構大変。大体40kgくらいの資料だもんな。

3日前の説明会でも今回の説明会でも、皆さんの反応が非常に似通っているのに気づく。

日本政府への何となく漠然とした不安を感じていたのがdandan現実になってきたというものだ。

数年前なら、飲み屋の宴席で「政府が〜」なんて言っても、心の底では「まだいける」と思ってた。

でも今はもう違う。本当に怖くなっている。医療、教育、経済、賃金、治安、どの点を取っても具体的に恐怖を感じ始めているのだ。

「移住と言っても、実際は避難ですよ。10年くらいの単位で自分の住みやすい国を選べばよいのです。日本が良くなれば日本に戻って納税すればよい。要するに会社を選ぶのと同じです。潰れそうな会社に就職する人はいないですよね」

そう話すと、それまでの緊張感が少し解けたようになっていく。

「やっぱり、日本を捨てていくのは悪い」そういう気持ちがあるのだが「なんだい、就職先選びと同じとか、いずれ日本に帰るんだもんね、ならいいじゃん」となる。

気持ちの持ち方の問題だ。気持ちを変えてみれば、実は移住なんて何てことはないのだ。

強い者よりも変化出来る者が生き残る時代。てか、いつの時代も同じ。去年と同じことを今年やってたら、いつの間にか時代に遅れを取ってしまうのだ。恐れては何も出来ない。

「あの時、思い切って移住していれば・・・」そう後悔するよりは変化すべきだろう。

午後遅くに個人面談も終了して、近くのラーメン屋「一風堂」に行く。福岡が本店のこのラーメン屋、出来た当時からよく通ってた。久々に食う。5年ぶりかな。

ラーメンさ、・・・・・君、変りすぎ。

 

 

 

 

 



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2008年05月24日

宮島

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安芸の宮島は日本三景の一つ。広島で仕事が17時過ぎに終わり、まだ太陽も残っているので、ちょっと足を伸ばして宮島に行く。

 

宮島と言えば最近読んだ「海国記」の舞台でもある。宮島は何十年ぶりだ。

 

打ち合わせが駅前のホテルの禁煙ラウンジだったので、電車に飛び乗り約20分で宮島口駅に到着する。

 

あ、ちなみにこのホテル、最近禁煙を始めたようで、禁煙ラウンジに入ってきたスーツ姿の若い男女が「え?ここ禁煙なの?」と言って出て行った。

 

宮島口までの電車は普通電車で、ちょうど学生やサラリーパーソンが自宅に帰る時間だったので、彼らのおしゃべりを小耳に挟みながらちっちゃな旅を楽しむ。

 

鳥居4電車が宮島口に到着すると、ほうほう、ガイジン観光客も目立つ。バックパッカーを担いだヨーロピアンのカップルとか、アメリカから来た団体さんとか、皆さん三々五々にフェリー乗り場へ向かう。

 

駅とフェリー乗り場の間に国道?かな、大きな道が走ってるので、観光客が渡りやすいように地下道がある。英語の表示はあるんだけど、あんなにちっちゃくては、ガイジンさん分からないのでは?

 

船は15分ごとに出ていて、JRと地元の船会社が同じ路線を走っている。地元の人は車ごと乗り込んで、おうそうか、これは車も運ぶフェリーなんだと初めて気づく。

 

宮島鳥居2宮島、それにしてもきれい。夕焼けを背景にした大鳥居には、ガイジンさんが数十人いて、その時間はとっくに神殿は閉まっているのに、夕焼けの大鳥居の写真を撮るためだけにずっと待ってるようだ。

 

ここに、1000年近く前に平清盛もやってきたんだな〜とか、少し感慨に浸る。やっぱり日本は良いよな。

 

 



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2008年05月23日

税金は130%?

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銀座4丁目でお客様と待ち合わせ。4丁目の超高級バーで軽く飲みながら、移住に関する計画の相談を受ける。

 

その後、銀座6丁目の鮨やにご案内頂き、これまた美味しいお寿司を頂く。更に6丁目のクラブで、「おう、これぞ東京!」ってな感じの接客。お客様はすべてのお店で「いきつけ」なので、お勘定の時は「送っといて」で片付く。

 

こりゃまた、何とも贅沢な話である。それだけお金があれば、いつでも自由に移住出来るでしょうとか思うのだが、それがそうでもないらしい。

 

お金があれば何でも解決出来るってものではない。ある人はある人なりに悩みがあるし、自分では解決し難いこともたくさんある。そしてそんな時に彼らは、MIXIやNZdaisukiで誰にでも相談出来るってものではない。

 

そのお客様も、最初はうちの会社を視野にも入れてなかったのだが、実際にオークランドで生活をしながら永住権取得を考えて現地で独自に情報収集をしてみると、「まあよく分からんけど、こいつに話を聞いてみるか」という気持ちになったようだ。

 

丁度同じ時期にお客様も一時帰国をしており、「では東京でお会いしましょう」と言うことになったのだ。少しは信頼を頂いたという事で、ありがたし。

 

鮨を頂きながらお客様のこだわりのポイントを聞き、クリアーすべき点を検討する。来週オークランドで再度お会いした際に、いくつかの提案をするようにした。

 

その鮨やのカウンター席でお客様と並んですしを食ってたら、たまたま隣り合わせて坐ってたお客様が、今日のテーマの税金130%の話をしていた。

 

そのお客様はうちのお客様と長いお付き合いのようで、「おやxxさん、久しぶりですね、ニュージーランドに行ってたんですよね」と話題が盛り上がる。

 

「大体さ、色んな税金を足していったら、結局130%だよ、そんなのありかよ、ねえxxさん!」とお客様がしきりに話す。

 

ある程度の資産がある方は、様々な税金を取られる。今現在一生懸命働いて稼いでいても、一定の収入を越すと累進課税だけでなく、それ以外の税金もどんどん取られていって、結局収入以上の税金を取られることになるのだ。

 

え?そこまで税務署に取られるのか?と不思議に思ってお客様をよく良く見ると、なんと有名な俳優さんではないか。

 

あの職業って、生きてくだけで経費がかかる。変な服は着られないし、おかしな車にも乗れない。まさか上野の6畳一間のアパートに住むってわけにもいかない。

 

名前と人気で生きてる職業だから、そりゃあ経費もかかる。ところがそんなものは税務署は経費として認めてくれない。だからどしても、収入よりも支払いの方が増えるという事になるのだ。なるほどなるほど。

 

結局その俳優のお客様、巻き鮨を2個おごってくれた。おいしかった。でも、ここの食費は、彼の経費としては落ちないんだろうな。

 



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2008年05月22日

AKASAKA サカス

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今日はお客様の個人面談をこなす。それにしてもニュージーランドへの関心が高まっているのを感じる。

 

(今回は出張が忙しくてブログ書いた日とUPする日がずれてますので、話が前後してしまいます、お読みいただいてる方、少し分かりにくくてすみません。ちなみにこの記事を書いた時は福岡です、その翌日広島に移動してます)

 

夜はお客様にご案内して頂いて、赤坂の新名所、アカサカサカスへ。ちなみに、アカサカを英語で書くと、右から読んでも左から読んでもakasaka。

 

六本木ヒルズからミッドタウン、そしてこのサカスと再開発が続き、このあたりもすっかり観光地となる。街の賑わいが楽しい。

 

連れていっていただいたお店は、魚屋さんが経営している居酒屋。弘前から戻ったばかりなのにねぷた祭りの案内ポスターとか、大間のまぐろとか、ほうほう、どれもいけますな。

 

ウーロン割を飲みながら日本が置かれている現状の話をする。

 

結局、国の景気が良いとか経済がうんぬんとか言っても、比較の問題が大きい。日本が悲惨だと言っても今の中国の成都よりはよほどましである。どこと比較するか、いつと比較するかの問題だ。

 

今の日本は昭和後半の日本と比べて確実に悪くなっている。でもそれは一般庶民にとってのみであり、一部の特権階級にとっては「あらま、物価が下がってよろしゅうございますわね、お〜ほほほ」となる。

 

でも昭和前期、1940年代の日本と比較すれば、戦争やってないだけ庶民にとってはましかも・・・なんて考えてみる。

 

昭和初期の日本よりは良いかもしれない。でも昭和後期よりは確実に悪くなってる。

 

自殺者3万人、フリーター数百万人、貯蓄もなくてと言う状況、とくに電車に人が飛び込んでも、もうニュースにもならないような世の中、こりゃどうなんだ。年間3万人死んでて、5年で15万人だ。ちょいとした戦争並みである。

 

今の中国と比較すれば、それは日本の方が全体的には良いかもしれない。でも個人のレベルに引き戻して見ると、日本で幸せをつかめない人がたくさんいるのだ。それなら中国の田舎の共産党の幹部の息子の方が幸せだろう。

 

今の日本が誰にとって住みやすい国なのか、思わず考えて見る。

 

智恵子は東京には空がないと言った。今の東京には夢がない・・・誰にとって?。



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2008年05月21日

加計塚小学校

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智恵子は、東京には空がないという。

 

東京の小学校の校庭には、芝がないという。

 

ない。

 

確かにない。随分と立派な建物が並んでいる恵比寿だけど、ほんと、小学校の校庭には芝生がない。ありゃなんだ、コンクリート?生土?

 

加計塚(かけづか)小学校はホテルのラウンジからよく見えるのだけど、ただでさえ狭い校庭で、ありゃ走り回って転んだら痛いぞって感じの地面である。

 

せまいところを有効利用しようってのか、学校の屋上には運動が出来るような場所を作ってるけど、その隣の民間アパート(日本で言うマンショ)の屋上は芝生のようなものを植えているのだから、学校の屋上も芝生を貼ればよいのになって思うのは、ニュージーランドの小学校を見慣れているからだろう。

 

とにかくニュージーランドの学校で芝生がないなんてあり得ないし、それがラグビー場よりも狭いなんてのはあまり見たことがない。

 

それからこの小学校、横に交番があるのだが、人がいるのを見たことない。箱だけ作っても役にたたんでしょう。ないよりましって言っても、政府の一番の役割は治安管理であるから、そこの予算を削って無人にしてしまい、せっかく逃げてきた人が交番の前で犯人に刺されるなんてことになる。

 

お金の使いどころ、間違っているんじゃないかなと思う。

 



tom_eastwind at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2008年05月20日

日本

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今回の日本出張では、2週間で約40名の方とお会いする。

名前、覚えきれるかな〜。それにしても激増。特徴的なのが、問い合わせはすべて関東から西、九州までに限定されていること。

東北の人からすれば、移住先は東京なのかな。

とにかく移動が多いので、なかなかブログUPできず。

 

 



tom_eastwind at 10:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 移住相談 

2008年05月17日

朝焼けが消える前に

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自宅から見た朝焼け。みかけは綺麗なんだけど、この時期、いよいよ冬なので霧が発生します。

てか、こっちの霧は毎年同じように冬の朝に発生して、飛行機がよく止まります。この霧、結構分厚くて、朝でも車のヘッドライトをつけないと危ないくらい。

夏場はキャセイ航空でオークランド・香港・東京と、同日乗り継ぎ出来る便もあって、曜日が合えば使ってるのですが、冬場は駄目。

霧というのが、香港の乗り継ぎ時間が1時間丁度しかなくて、オークランド空港で出発が30分でも遅れると、もうOUT。

写真は空港に向かう途中の霧です。すごいでしょ。

 

 

なので冬場は、香港1泊してから東京に向かうことになります。

さて、これで香港で飲む言い訳が出来た(勿論奥さんには言い訳がばれてますが一応許容範囲内のようです、笑って送り出してくれました)ので、今晩も楽しく飲みます!

 

 



tom_eastwind at 00:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年05月16日

地球温暖化?

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地球の温暖化ってのは、門外漢の僕がブログ書かなくても色んな人が色んな立場から意見や調査結果を出しているのであえて触れることもない。

 

ただ、どちらが事実かは別にして、最近の日経ビジネスの広告等見ていると、どうも納得し難い内容が多いので、「温暖化してないよ説」をベースにしながら書いてみる。

 

 

ベースは池田信夫ブログ

 

質問:

1・地球は本当に温暖化しているのか?

2・もし温暖化というなら、それはどの時代の気温と比較しているのか?

3・温暖化とCo2との関連性はあるのか?太陽黒点との関連性はないのか?

4・学者全体の認識としてCo2が温暖化を進行させているという事で一致したのか?

 

僕は学者ではないが、少なくとも色んな資料を見る限り、温暖化しているという確定証拠はないし、Co2との関連性も証明されておらず、むしろ太陽の黒点の関連性が強いと言われてるのは、文を読む限り理解出来る。

 

まして学者の認識さえ一致していない現状で「Co2削減が必要だ!」なんてのは、まず「地球は温暖化しているのだ」と言う結論ありきの話ではないだろうか。

 

前提となる条件が事実かどうかも確定してないままに、自分に都合の良い部分だけを抜き出して宣伝するのはどうなのか?

 

日経ビジネスを開いてちょっと見るだけで

・フジゼロックス「Co2を削減するという指名を決して忘れない部品です」

・富士通「ブレードサーバで〜Co2の削減を実現。」

 

等という広告が出ている。これは、温暖化=Co2と言うことを前提条件にしているが、その前提条件自体を学者の半分近くが「そうなのか?違うのではないか?」と疑っているのである。

 

ところが企業からすればCo2を削減とかエコとか環境に優しいという言葉を使えば消費者が喜ぶからと、自分の頭で考えもせずに馬鹿みたいにセールストークに使って売上を伸ばそうとしている。

 

そして地球温暖化については未だ結論が出てない状態なのに、目先のかっこよさにすぐ酔うあふぉ連中が「家庭や個人で取り組む温暖化対策」を絶賛した読者書簡を日経ビジネスに投書する。

 

「捨てたもんじゃないな、日本人」とか

「今日から電気の一つ、踏み込むアクセルの1回を意識したい」だってさ。

 

これではもうCo2が犯人扱いではないか。そしてそれ以外の意見を言えば押しつぶされるってのは、まさしく言論統制、それも国民が国民を言論統制している状態は、丁度戦前と同じだ。

 

排気ガスが汚いのは分かるし空気を綺麗にしようという行動も、勿論大賛成。不要な電気を消すとか当然である。

 

しかしその前提となる事実を履き違えたまま温暖化対策をやれば、その結果は魔女狩りになってしまう。

 

その魔女狩りをうまく操って儲けるのは誰か?

 

結局全体像を自分の頭で考えもせずに、とりあえず目先の利益になるからと御輿を担いでわいわいやる。それに反対する奴は村八分。

 

昔は農協が化学肥料を農家に押し付けて、「こんなの使ったら病気になりますよ」なんて言う農家がいれば、これも村八分。長老様のいう事が聞けねえのか!ってことになる。おいおい、国民の健康はどうでも良いのか?肥料会社と農協が儲けさえすれば、それでよいのか?

 

農薬を撒けば体に悪いのは分かってる。だから農家は自分が食う野菜には農薬をかけない。そう。他人はどうでも良いのである。

 

カネになるからってとりあえず飛びついた連中は、自分の会社の利益と言う点=部分の無謬(むびゅう=間違ってないって意味)は正解だろうが、全体の誤謬(ごびゅう=間違ってる)、つまり社会全体としてはマイナスになるという事を考えて見ないものか。

 

現代における地球温暖化も、別に今日明日で地球の気温が10度上がるわけではない。もうちょっと立ち止まって、ゆっくり考えるべきではないか。

 

地球温暖化 氷河ただ、地球に悪いことや人間の体に不健康な事をやっているのを止めるのは大賛成である。まずは直接人間の体に害のあるタバコを世界中全面禁煙にして見ればよい。まさかタバコを吸いながら「環境に優しいエコ、Co2削減」なんて、言ってませんよね?



tom_eastwind at 00:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2008年05月15日

そろそろ冬・・・秋刀魚

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空気が冷えてきた。

 

太陽は出ているのに空気が冷たいから、道行く人もいつもより少しづつ厚着している。

 

 

 

こうなると温かい食べ物が欲しくなる。と言うことで最近よく昼食で食べるのが「海鮮茶漬け」。

 

そんなメニューない!って感じだが、元々は鯛茶漬けをイメージして作ってもらった山水の裏メニュー。

 

最初は鯛だけと思って注文したのだが、そのうちサーモンを載せるとさらに旨いことに気づいた。

 

それからいくらをトッピングにすると、これがまた熱いお湯で皮がピンと張って、歯で噛んだ時にプチっと割れる快感が良い。皮の中から塩味のジュースが飛び出るような感じ。

 

でもって、通常の鯛茶漬けならお茶を使うって事になるけど、当店のはうどんのだし汁を使ってる。関東系のうどんスープではないので、お茶代わりに使っても色を汚すことがない。

 

海鮮茶漬けそんなこんなで現在の完成形が出来上がったのだが、あまり空腹でない時とか、軽く食べたいけど肉は嫌だな〜なんて時に、新鮮な魚と温かいご飯、そこにうどんの出汁がよく効いたスープをかけてくれるので、実に食べやすくて胃に優しい。

 

 

 

結構いけるので最近は表メニューに載るようになった。でも、僕以外に誰か注文しているのか?

 

お茶漬けと言えば思い出すのが魯山人。多分近代日本の中で一番の美食家ではないかといわれてる彼は、お茶漬けにも拘った。

 

例えばのり茶漬け↓

 

「それは、いい海苔をうまく焼いたものか、焼海苔のうんと
  上等のを熱い御飯の上に揉みかけ、その上に醤油をたらし、
  適当に山葵を入れて、茶をつげばよろしい。熱い御飯を海
  苔で巻いて食べる人は沢山いるが、焼いた海苔を茶漬けに
  する人はあまり見受けぬ。一椀について海苔の分量は、せ
  いぜい一枚か、一枚半を使う。これは朝によく、酒の後に
  もよく、くどいものを食った後にはことさらにいい。多忙
  な時の美食としても効果がある。茶の代わりに、かつおと
  昆布のだしをかけて食べるのもよい。これらは副菜の漬物
  を一切要しない。」

 

彼は他にもてんぷらを使った「天ぷら茶漬け」なんてのも創り出した。

 

最近ではお茶漬け専門のお店もあり、そこの一番メニューが「天茶」のようだ。

 

天茶「天茶」は、天ぷらを乗せたご飯に鰹だしの入ったほうじ茶をかけるもので、美食家の北大路魯山人氏が好んで食べたといわれる伝統料理。

 

同店では、通常のだし入りほうじ茶だけでなく、だしに豆乳を加えた新しい食べ方も提案する。

 

これまで天ぷらを食べる機会の少なかった若い女性をターゲットに、「トラディショナル」「ヘルシー」をコンセプトとして新たな客層の獲得を狙う。

 

なるほどなるほど。

 

そう言えば一昨日は、おくさんが魚市場で秋刀魚を見つけてきた。普段は冷凍でしか見かけないのだが、これも季節感かな〜。

 

佐藤春夫の「さんまの歌」を思い出した。

 

あはれ秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ
----
男ありて
今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
さんまを食らいて
思いにふける と。

 

sannma佐藤春夫ってのは「細め雪」で有名な谷崎潤一郎と仲良しで、あんまり仲良くて奥さんを寝取った人。彼がずっと片思いでいた頃に、さんまをネタにした歌をたくさん作ったのだが、上の歌はちょいと自虐的。

 

 

 

それに比べて下の歌は、何と谷崎家の家庭の内情を暴露する歌。

 

さんま、さんま

そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食うはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかいけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻に背かれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はらわた)をくれむと言ふにあらずや。

 

 

結局谷崎潤一郎と別れた千代は佐藤春夫と一緒になる。

 

さんま、さんま

さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食うはいずこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。   

 

昔も今も、さんまはさんまか。



tom_eastwind at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 世界と日本 味めぐり

2008年05月14日

Periodontist

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西洋社会では、歯を大事にする。子供の頃から矯正とかして歯並びをきちんとさせるのがごく当然で、健康な時でも必ず半年に一度は歯医者に行って歯垢を取ったり定期健診をする。

 

人間の体だと予防検診とか定期健診なんてやらないのに、歯だけは見かけもあるのか、人気のある歯医者はいつも半年先まで予約が一杯なんて当たり前。

 

僕も今日は歯の定期健診と歯垢の除去だ。予約は半年前に入れておいたが、その時点ですでに空いてる時間が、朝の8時15分しかなかった。ダブルの意味でどういうこっちゃ。

 

つまり、出勤前のビジネスパーソンでも歯医者に行けるようになってるてのが最初のばっきゅーんで、だって日本の昔の歯医者さんって朝の9時からしかやってなくて、出勤前なんて行けるはずもなかった、そんなイメージを持ってたからだ

 

そして、半年前の予約にも関わらず、こっちは10時とか昼間の時間帯の方がよいのにこんな朝早い時間しか空いてないってことは、時間に縛られる仕事をしているビジネスパーソンよりも時間に縛られない人がたくさんいて、彼らが半年前に予約してるって事で、再度ばっきゅーん。

 

前の晩はあまりお酒を飲まずに10時前にはとっととベッドに入り、朝はしっかり歯を磨いてから身繕いして歯医者に向かった。

 

僕が通っているクリニックは(歯医者とは言っても色んな職種があり、知ってる人は知ってますけど知らない人には意味不明)Dentistと呼ばれる一般的な歯医者ではなく、ピリオドンテストとかオーソドンテストとかプテラノドンテストとかサディステストか呼ばれる、一度聞いただけでは理解出来ず、思わず「すいません、英語で言ってください」と聞き返したくなるようなヨコナガの専門医である。

 

とにかく聞いた次の瞬間に忘れてしまうような、とても難しい発音のヨコ医者?なのだが、皆さんとても優しい。なにせ、患者用のベッドに横たわった僕の喉首に両手を回して、「大丈夫よ〜」だって言うんだから・・・。

 

dentistman

 

考えて見ればこれは、歯医者に限らず理容室でも同じだが、彼らが僕の喉首を掻っ切らないという信頼の元に予約を入れて金を払っているのだから、これってすんごい信頼関係ではないか?

 

 

 

理容室でも、ひげを剃ってもらうときは無防備に喉を晒す。歯医者でも無防備に口を開ける。そこに砒素を放り込まれたら、もう終わりだよね。

 

て事は、彼らは絶対にそんなことをしないという信頼は、どこから生まれてくるんだろう?

 

これって普通の医者も同じで、彼らは多分僕の命を守る為に治療をしてくれるんだろう、だから殺すことはないだろうって思いでベッドに横たわるのだ。

 

て事は、これが警察官であれば、彼らは腰につけてるピストルを絶対に僕らに向かって使用しないだろうって言う、なんてか無条件の信頼が大前提にあるわけだ。

 

じゃあその信頼が壊れたら・・・・・

 

若い女の子がバスに乗ると、バスはそのまま郊外に行って、実は他の乗客は全部犯人の一味で、はい誘拐いっちょあがり〜。中国では本当によくあります。

 

紳士がエレベーターで「お先にどうぞ」と若い女性をリフトに乗せると、箱の中で豹変して暴漢になる。これは香港で昔流行しました。それ以降香港のエレベーターには監視カメラが付くようになりましたとさ?

 

レストランで食事をすると、その中に薬が仕込まれてて、隣に立っているウエイターが「おい、暗証番号、何番だ?」なんて聞いたりする。これはまだ聞いたことねえな。

 

ATMATMに現金を入金すると、その機械、いきなり走って逃げ出す。中に入ってるの実は人間だった、なんてね。

 

←の機械におカネを入れた瞬間に機械が立ち上がって逃げたら面白い。ついでに、途中でしびれた足のおかげでこけたりしてね。これなら笑えるから・・・やっぱり犯罪じゃ!

 

 

そう考えると、この世の中って実にたくさんの「無条件の信頼」の上に成立していることに気づく。そうなると、「通りすがりの切りつけ魔」とか「誰でも良かった殺人」とかが発生すると、そこはもう無条件の信頼が成立しなくなる。

 

事件に因果関係がなくなってしまった現代では、刑事さんが一番苦労をする。犯人と被害者の間に関連がないから、初動捜査でこけると、もう犯人を見つけることは出来ない。

 

だから犯罪検挙率が昭和に比べて落ちてるのか?

 

などとしょうもない事を考えながら、約30分のお手入れ終了。気になる御代は120ドル。人件費と機械の仕入れ費用を考えればそんなもんだろうが、やはり決して安くない。

 

ただ僕からすれば、この費用を思いっきり安くした結果として担当者が旅行にも行けず美味しいものも食べられずにストレスを溜めてしまい、値段を安くするって事ばかり世の中皆でやった結果としてその社会全体がストレスを溜めてしまい、ある日学校に行った筈の自分の子供が道端の田んぼで殺されていたなんて事は好きではないので、この御代が払えるように一生懸命働くのみである。



tom_eastwind at 11:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年05月13日

元祖長浜 豚骨ラーメン食ってみろ!

元祖駐車場

 

これは20年以上前の話だが、ある時東京から「山猿の郷九州」に出張してきた親子三代江戸っ子だってんでえ!と言う威勢の良い20代後半の営業マンと飲みに出た。

 

 

 

最初に中州のバーに連れて行くと「お〜、福岡は飲み代安くて女の子は可愛くて、“こんなとこでも”どうにかなるもんですね〜」と喜んで頂いた、ははは。

 

口を開くと「俺はね〜、親の七光りなんて関係ないんっす!自分の力で就職先を見つけて、自分で頑張ってんだ、他の奴らとは違うんですう!」。

 

そりゃまあ良いことで。こちらは一応接待なので、はいはいと聞いておく。別に話すことが嫌なわけではない。ただ二人で飲んでれば、どちらかが語り手になるし、僕が語り手になってお酒が入ってるのでは、こりゃやばいっしょってな事。

 

その後彼は少し気が大きくなったのか、安心出来る「ガイド」を使って地獄の底を恐る恐る探検するって気持ちになったのだろう、地元の人が食べるものを食べて見たいと言い出した。

 

当時の東京には豚骨ラーメンもなければ最近の洗練された焼酎もない。それを味わおうってのか?本気かい?

 

六大学野球「いや、こう見えても僕は、同期の連中(勿論六大学)と違って、現場で頑張ってきたんですよ、親の力なんて関係ね〜!、ナンだってOKっすよ〜!」

 

よしよし、では夜中の3時の元祖長浜ラーメン屋に行きましょう。

 

当時の元祖は今のような食券がないどころか、今のように周囲に屋台のなかった時代であるから、周囲は本当に真っ暗な大通りで、元祖だけが唯一薄明るい光を灯してた。

 

近くに浜の町公園って薄暗い公園があってその隣が大きな浜の町病院で救急病棟もあったから、夜はかなり気持ち悪い地域だった。病院で死んだ人がそのまま隣の公園に腰掛けて、ラーメン食ってる俺たちを恨めしそうに見てたりしててね。

 

ファミマえ?その頃は向かいのファミマはなかったのって?あんた、今の平成の時代に生きる、単純でよい人だね。

 

客は車で店のまん前に乗り付けるのだが、このコンクリートの床が地震にあったようにヒビだらけ。それとも近くの病院の地下から、誰か来たか?

 

 

壁も薄汚いコンクリートの箱みたいな作りで、ガラガラって脂ぎったドアを開けると、睨み付けるような目つきの兄ちゃんたちが厨房のラーメン丼の前にずらっと並んで、「きさん、くいかた、わかっとーとや〜」(お客様、当店での食事の方法はご存知でしょうか?)と威嚇するように腕組みしている。

 

ところが客も慣れたもんで、脂ぎった安物テーブルの下に雑然と置かれているビニール張りの丸椅子を引っ張り出して座る寸前、兄ちゃんの一人に向かってガン付けしてから、ぐっと目を据えて怒鳴るように注文する。「カタ!ビール一本!替え肉ね!」

 

元祖長浜ラーメンが、客の注文が入るやいなや、あっという間に目の前に投げつけるようにラーメンを置いていく兄ちゃん、実に手早い。

 

誰も「いらっしゃいませ!」も「ありがと!」なんて言わん。すべて最低限の言葉だけ。

 

毎日味が違うし、時間によって麺の固さも違う。今時の言葉で言えば品質管理がなってないという事になるのだろうが、毎日仕込んでるし、忙しいときのお湯の温度なんて管理出来ない。

 

でもとにかく、味がどうのこうのサービスがどうのこうの、CP(支払い価格に対する満足度)がどうのこうの、きれいの汚いのと言って元祖でラーメンを食う客はいない。元祖は元祖、なのだ。美味しいとか不味いとかで店を選ぶのではない。東京で言えば、次郎か?

 

最初の頃は僕もタイミングが分からず、まずはビールでもと思ってた坐ってたらいきなり目の前にラーメンが来た。切ったばかりの新鮮なねぎがたっぷり。ネギ大嫌いの僕は、やばい状態に陥った事に気づく。

 

「あれ?まだ注文しとらんけど」

びっくりする僕。

「坐ったっちゃろ、ラーメン食べるんやろ、他にメニューもないけんね」

さらっと答える兄ちゃん。

「ビールが欲しかったんやけど」

「追加注文やね」

「俺、ねぎ無しやんね」

「遅かったね」

 

元祖メニュー深夜の店には、両肩を揺さぶるようにして前掛けを血で汚して市場の仕事の合間に食いに来た連中、迫力満点。その横では極道刈りにそりこみ入れたトラック野郎が、魚がパックされるまでの時間を利用してがつがつとラーメンを食ってる。スープの残った丼を指差して、「たま〜!」。(すみません、ラーメンの替え玉を一つ下さい)これで通じる世界だ。

 

 

中州の仕事帰りのお姉ちゃんたちは、半分酔っ払ったように壁に背中をもたせながら、大きな声で今日店に来た親父連中をネタにしてげらげら笑ってる。

 

片手にタバコ、片手にビールのグラス、目の前の、割り箸が突っ込んである食い終わった丼はぎらぎらの口紅がべっとり。

 

元祖長浜入り口タバコの煙と物凄い豚骨の臭さと、屋外にある掘っ立て小屋のような汚い便所のドアが半開きになってて、そこにふらふらしながら左手を壁について小便してる酔っ払いサラリーマン。

 

確かに強烈ではあるが、そこには生きている人間の生の姿がぎらぎらと炙り出されている。

 

六大学の兄ちゃん、タクシーを降りた瞬間に、こんな店の雰囲気に唖然として酔いが抜けたように周囲を見回し、店にはいってく客を見てぽかんとして、更に店の中に入った瞬間に体が百分の一に縮んでしまったようだ。

 

誰にも見られないように、お願いだから視線が合いませんようにってな顔で、緊張して体を丸めて目の前のテーブルの一点だけをじっと見つめ、割り箸だけが唯一の武器だと言うように、ひざの上で両手で握り締めてた。

 

兄ちゃんにガン付けされてやってきたラーメンを一生懸命見つめているのだが、しかし鼻はすでに恐るべき拒否反応を起こしてる。いつもばあやから貰っていたとらやの羊羹が懐かしいのだ。

 

自分が今どうすれば良いのか、まさにこれこそ親の七光りではなく自分で判断しなければいけない状態に陥ってる彼。

 

結局彼はあまりに臭いラーメンに手をつけることが出来ずに、でも何とかその場であまりの臭さと緊張に吐かずにいただけ立派、それは褒める。

 

ラーメンは僕が代わりに食べた。多分そうなるだろうと思って「最初はネギなしがいいっすよ、九州のネギは匂いが強いからですね。後でネギは追加出来ますから」って言っておいたのだ。

 

現在の元祖長浜

 

もちろん今ではこぎれいになり、食券機も導入されて普通にサラリーマンも来るし、親子連れなんてのもやってくる。でも夜の遅い時間は、あいも変わらずなのかな。久しぶりに行ってみたいな。

 

 

 

まあ、彼のような連中は、よい連中だと思う。一生懸命自分なりにがんがっている。ただ、制度として今の日本がどうあるべきかとなったら、やっぱり悪いけど「あっち側の人」なのだ。こっちの連中との痛みは共有出来ないのだ。

 

そりゃそうだ、社会の公平性とは、詰まるところ誰にいくら配分するかのゲームであり、あっちの取り分が多ければこっちが少ないのだから、その妥協点を探す事が政治である。ところが今のように政治が機能せずに弱者が虐待を受ける状態になれば、こりゃ革命っしょ。

 

結局一昨日の本「貸し込み」に戻るのだけど、このようなお人よしのお兄ちゃんたちは、自分が関わってる個別ケースでの「押し貸し」なんてのがあれば、怒りを感じて激怒して許しがたくなってる。

 

ロシア革命戦争と平和でもそういう下流社会の下流民から、NZや米国では無料の高速道路利用料とか高すぎる国内航空運賃とか高すぎる家賃とか給料から天引きされる社会保険とか国民健康保険とか市民税とか高すぎる電気やガス、水道料金とか、とにかく本来国民のインフラであるべきものを様々な形で吸い上げたカネが、上流社会を支える「旨い汁」となっている事実には、決して怒りも感じないし激怒なんて絶対にしないし、許すんですよね。

 

今ではすっかり豚骨ラーメンも焼酎も東京で当たり前になったけど、当時は労働者の食い物だった、そんな時代の話だ。

 

個人的にはよい奴なのだ。でも、違うのだ。

 

なんか、ロシア革命の頃にこんな議論があったような気がするな。「何故君は僕を労働者階級に入れてくれないんだ!?僕が貴族だからと、差別するのか!」

 



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2008年05月12日

石川啄木 ブラックホールを吹っ飛ばせ。

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昨日の「貸し込み」を書きながら函館のことで思い出した事があったので、随分と話がそれるけど書いておこう。

 

最初にお断りしておきますが、もしあなたが生まれつきの上流階級出身でしたら、このブログは読まないほうが良いと思います。たぶん気分が悪くなるか、腹が立ちますから。 

 

石川啄木は、函館に行った時に土方歳三と共に是非とも見ておきたかったテーマである。僕にとっての函館は、亀井勝一郎と石川啄木。なので、久々に彼の詩集「一握の砂」も手に取った。彼ととしちゃんの土方・啄木浪漫館にも行った。

 

明治維新から文明開化、函館は東京以北で最も栄えた都会となる。盛岡の田舎を追われた啄木は、東京に行っても芽が出ずに、その後函館にたった半年だけど移住した。それから北海道を転々とするが、何故か彼の印象は函館と重なっている。

 

心が優しいだけでは生きていけないこの世界。自分の能力だけでは評価されないこの世界。押し込みの強さやコネや人の足を引っ張る技術が優先されるこの世界。

 

そんな世界で石川啄木は若くして病気でこの世を去る。彼の死後、その作品は高い評価を得ることになる・・・。

 

違うだろ!何で生きているうちに彼らに評価を与えることが出来なかったんだ!何でそれこそ公共の評価システムがなかったんだ?

 

Wolfgang-amadeus-mozart他にもそんな人はたくさんいる。芸術家と呼ばれる連中は、大体生きる能力が低い。その為に中世の欧州では音楽家などは貴族が生活の面倒を見てたほどだ。

 

日本にはそういう仕組みがない。パトロン制度ってか、芸術家が自由に生きていける土壌を、カネを作れる資産家が支えていく、それによって文化が向上していって資産家も文化を享受出来るって言う仕組みがないのだ。

 

あまりある才を抱きて

妻のため

おもひわづらふ友をかなしむ

 

とにかくすべての資産がジョウリュウに向かって流れるように出来ている。その最高峰が江戸のブラックホールだ。

 

資産の一定額、例えば0.5%を誰でもよいから芸術家に寄付しなさい、その分は100%損金処理してよいよってすれば、この国も随分と文化が発達するのに、税法上そうなってない。

 

何故ならそのカネは蹴鞠や宮中の歌をさえずる上流階級にまわすべきお金であり、あふぉな民間が役立たずの頭で勝手に寄付等と下らんことに使ってはいけないというお偉い方の発想なのだ。

 

その代わりに著作権っていう、ちんちくりんでみょうちくりんで意味不明な米国発の制度が出てきて、逆に文化の伝達をなくしてしまった。だから芸術はダブルパンチでどんどん衰退していって、ビジネス優先の雑音が、電車の中でケータイを通じてシャカシャカとくだらない音を出しているのだ。

 

そしてそれを、メディアのベスト10に乗っかってるからと単純に喜んで聴くあふぉ連中がいるから、また始末に終えない。何故ベートーベンやビートルズが時代を超えて聴かれているのか?なぜ小室ファミリーで生き残って今でも歌われてる歌手が殆どいないのか?そんな事はどーでもいい、ジョウリュウが食えればそれでよいのだ。

 

ここから本題になるが、お金持ちや上流社会の人々って庶民とは発想が違うし、そういう人の子供たちが東京で生まれて東京で育ち並木通りを歩いて一流の都銀や商社に入社してエリートコースを歩くわけで、地方の世間の隅っこで泥を舐めながら生きてきた啄木のような下流層の事など、知る由もないのは当然の事。

 

啄木と金田一京助彼の死後、その作品が有名になって初めて、その坊ちゃん連中は自分の彼女(当然ジョウリュウである)に向かって「僕こんな詩知ってるんだ、すごいだろ、お金がない悲しさを歌った、胸が痛くなる詩集だよね」となる。

 

★左は金田一京助

 

 

 

そしてぼっちゃんたちがそんな詩集を彼女の前で憂いをみせながら読んでる時に着てる服は、実は一日中働きっぱなしの現場の運転手が運んできたんだとか、中国の山の中で超安い給料で働いている少女の手で作られているんだとか、そんな中でも庶民は苦労して子供の学費を用意したり親の介護をしたりして、それでもやっていけずに一家離散したり自殺したりしてるんだという現実なんて知る必要はない。

 

たわむれに母を背負いて

そのあまり軽きに泣きて

三歩あゆまず

 

自分はこの詩集を読み、心を痛めて涙を頑張って少しだけ流したんだよって友達のお金持ちの娘に話して、刺繍の、じゃなかった、詩集をさえずるだけで彼女は落ちるのだ。ちょろいもんだ。

 

 

下流貧乏なんてあくまでテレビの中の事。それさえ、バアヤに言われてスイッチを切ってしまえば一生知ることもない。

 

かなしきは

喉のかわきをこらへつつ

夜寒の夜具にちぢこまる時

 

こちら庶民といえば、朝から晩まで働いて、それでも暮らしは全然楽にならずに、ほんとにじっと自分の手を見つめて、俺は一体何やってんだろうと思ってしまう。

 

南太平洋の若大将そんな時に貧乏人唯一の娯楽であるテレビや映画を見ると、そこでは馬鹿大将がヨットで遊んだり上流階級の人々が銀座で買い物をしたり、俳優が豪華なパーティでシャンペンを飲みながら優雅におしゃべりをしている。

 

一体どっちのテレビが本当なの?

 

 

 

はたらけど

はたらけど猶(なお)わがくらし

楽にならざり
ぢっと手を見る

 

まもなく秋が来る渋谷駅の夜、お金持ちがカネに糸目をつけずに買い物をする高級店からほんの数百メートル離れた場所。

 

薄暗い裏通りと電車の盛り土の間の数メートルの細い空間にある青いテントの中で、近くの電柱からこっそりと引いてきた電気でやっとちっちゃな電球を点灯させている。

 

そろそろ冷えてくる空気が青いシートの隙間から吹き込んでくる。そんな時、ほの明るい電球にそっと手を触れてその温もりをじっと楽しむ人。

 

秋近し! 電燈の球のぬくもりの

さはれば指の皮膚に親しき。

 

エレキの若大将そうそう、ぼっちゃん達は立派なお屋敷で温かい部屋の中で最高級のカップに淹れた紅茶を飲みながらお互いに「君は素敵だ最高だ!」と褒めあって、親のコネでもらった地位を自分で勝ち取ったと素直に誤解して無邪気にそれを信じて生きていかないと、そういう社会では生きていけないのだから仕方ない。

 

下流層なんて、見ちゃいけないんです。

 

 

田舎から出てきて東京西部の団地に住んでるサラリーマンが何とか教育ローンを組んで通わせてる子供とは、学校で机は並べて普通に喋る。けど、その子が背中を見せた時にその隣にいる同じ階級の子と目配せをすれば、それで十分周囲に配慮した、誰にも優しいよい子なのだ。田舎?何それ?俺、東京で生まれたし。

 

ふるさとの訛りなつかし停車場の

人ごみのなかにそを聴きにいく

 

モガ随分昔の話だが、当時日本航空にコネで入った社員に対して人事部が福岡支店への転勤を命ずると、親にお願いして辞令を取り消させたなんてのもあったな。

 

「九州ですか?」という彼の言葉には、まるで江戸時代の八丈島への島流しか山猿の住む山奥の山の中の僻地、現地ではまだ原住民が棍棒持って歩いているくらいのイメージの場所に送り込まれる恐怖があったのだろう。

 

そうそう、上流階級はそれほどでなくてはいけない。

 

上流階級の人々は並木通りを最新のファッションでアスコットタイをしめて歩くのだ。

 

 

決して親不孝通りなどをTシャツにジーンズで歩いてはいけないし、元祖長浜ラーメンなんて臭い食い物は決して東京の人々が口にする食い物ではないのだ。ましてや、しょ、焼酎?!あれこそ九州熊襲の野蛮人の飲み物だ!

 

★あ、豚骨ネタもあった。明日書こう。

 

啄木に限らず、多くの芸術家がその夢をかなえることが出来ないまま死んでいった。

 

いつの時代も同じっちゃ同じ。銀のスプーンをくわえて生まれてきた連中と、貧乏人の子供として生まれた連中が混在するのがこの世だ。

 

そんな彼らにも怒りはある。不公平な世の中に対して言いようのない怒りを覚えている。しかし非力な彼らには、それを実行するだけの力もない。

 

一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと

 

世の中の殆どの人は啄木のような、生きる力もなく戦う武器もなく、家に帰って日記に向かって文句を書くか、家族に怒鳴り散らしてうっぷんを晴らすような人々だ。

 

ただ、そんな人たちが安心して生活が出来る、将来の不安を感じずに生きていける世の中を作る、それが政治の役目だと思うし、その為にブラックホールが邪魔であれば、排除すべきだろう。ついでにその周りで蹴鞠やってる連中も含めてだ。

 

久しぶりに改めて啄木に触れて思った。日本は「あの当時」と何も変わってないって。国力を強くする事で利益を得るのは、結局上流の連中だけだ。

 

お国の為だと騙されるな!あれは「お国」じゃない、一部の特権階級の為なんだ!ジョウリュウに騙されて殺されるんじゃない。

 

フランス革命何百年経っても国民のことを考えない連中。それなら白人国家の方が、まだましだ。



tom_eastwind at 00:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2008年05月11日

貸し込み 黒木亮

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4月の日本出張の前にamazonで購入していたのだが、忙しくて読む暇もなく一昨日まで放置。

 

ところが一旦開いて見ると、読みやすい文章と内容の面白さにぐいぐいと引っ張られて、一気に上下2巻を2日で読了。

 

 

旧三和銀行がバブル時代に個人資産家に数十億のおカネを勝手に貸し付けて、資産家が支払い出来ないとなると担保の鎌倉の邸宅を叩き売ろうとする。

 

現在はニューヨークで投資銀行を運営する旧三和銀行の元社員がこの事件に巻き込まれて、裁判を通じて次々と銀行の実態が暴かれていく。

 

大雑把こんな筋書きで、専門用語が出てくるからちょち面倒だけど、少しでも銀行とか金融やった人でバブル時代を経験した人なら「あ〜、あれね」と言う感じで理解出来る。

 

細かい数字が途中たくさん出てくるけど、それを無視しても本筋には影響なし。途中を適当に飛ばしながらでも、推理小説ではないので変な引っ掛けもなく、問題ない。

 

本書では銀行名が「大阪に本店がある大淀銀行と言う都銀」と言うだけで仮名だったので、いくつかのキーワードでGoogle検索をかけてみると、三和銀行がマッチした。

 

独裁的な会長と野心的な社長、それに社長の裏側で経営を操る秘書。貸付の方法から回収の方法、行員へのノルマの設定などなど、あまり一般的ではないキーワードでも、Googlewikiを使えば10分で出てきた。

 

ほんっと、インターネットってのは世界を変えてしまうよねって、単純に感激した。

 

でも、時代が変わっても手口が変わらないのが金融屋って事かな。

 

押し貸し「貸し込み」って、闇金が使う「押し貸し」と同じじゃん。

 

債務者名簿を名簿業者から買って、債務者の口座に勝手に金を振り込んでおいて、10日すると、「はい、1割の利息頂戴ね」となる。

 

 

 

読みやすくて面白いのだが、ちょっと気になるのは、何があってもすぐ切れる性格のようで主人公怒りすぎ。多分これは作者の感情移入だろう。

 

冒頭いきなり「驚愕と同時に体内から怒りが噴き上げてきて、頭がくらくらする。これほど誰かを許しがたいと思ったことは、生涯ない。」だってさ。

 

君、それほどまでに順風満帆な人生を送ってきたんですね〜。

 

ある意味この程度の事件で激怒できるだけ羨ましいかもと、どうでも良いことだが物語の主人公にやっかみした。

 

この本、いいとこのぼっちゃんが読むには共感が得られて良いかも。舞台も東京とニューヨークと、かっこいいしね。

 

「貸し込み」は来週からトム文庫デビューです。

 

 



tom_eastwind at 09:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2008年05月10日

君たちに明日はない

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君たちに明日はない 「垣根涼介」

 

僕の机の上に置いてたら、お客様が何気に「最初から暗くなるようなタイトルですね」と言われた。そりゃそうだ、実にうまい名前付けだもん。

 

だけど、作者の持つ独特の文体「諦念(ていねん)を基本にした底知れなく明るい力強さ」が、文章全体に天から光を当てて、とても苦しい話を書いてるんだけど、とても明るいものを感じさせる。彼にしか書けない文章だ。

 

「人生は不公平だけどそれが人生だ。だからその中で自分の生きてく場所を戦って勝ち取っていくしかない」

 

そうやって誰の手も借りずに生きていると、自然と強くなる。そのうち、人生に対して皮肉っぽくもなる。そんな主人公が繰り広げる大リストラストーリー。

 

作者は冒険小説作家みたいな事も言われるが、実は彼の真骨頂は今回の作品の方によく現れているのではないかと思う。

 

ある日突然それまでの常識がすべてぶち壊される。今までの会社生活で築いて来た道徳観、上下関係、思考方法、社会的地位、名誉、そういったもの全てが破壊される。

 

それが現代における「奈落の底に落ちる」と言う奴だ。何も別に、その舞台がブラジルやamazonでなくても、普通の日本の社会にも同じような状態は存在するのだ。

 

ただ戦後50年間終身雇用制と年功序列制度の中で生きてきた人々からすれば、それはそれは信じられないことなのだ。

 

首になる。

 

墜ちていく、墜ちていく、どこまでも堕ちて行く。

 

自分の心の中にこんな深い、まるでマリアナ海溝のような、光も当たらなくて暗くて深い穴があったのかと、その時に初めて気づく。

 

恐怖で身がすくむ。これからの生活をどうするか?子供の教育、住宅ローン、友人へのプライド、とにかく、ありとあらゆるものが音を立てて崩れていく。そんな事、俺に起こるはずないのに、、、堕ちて行く、自分の心の深い穴に。

 

そんな首切り宣言をする主人公は、自分がやってる事の社会的正義の怒りを感じながらも、でもやるしかないと分かっているから、淡々とやるべき事をやる。

 

その中で出てくる様々な人間物語。まさに「山本周五郎賞受賞作」である。

 

余談だが、僕の中で日本人作家の3本指は、山本周五郎「裏の木戸は開いている」、司馬遼太郎「竜馬が行く」、五味川純平「人間の条件」である。

 

人の生き死になんて、なっちまわねえとわからねえ。楽しく生きるもよし、悩みながら生きるもよし、どっちにしても、おてんとさまの下じゃみんな同じよ。

 

愛する死体を抱えて生きた人、どこまでも人を信じて無償奉仕に生きた人、人生に対する怒りの塊を持って生きた人、とにかく周五郎の世界は、人を徹底的に突き詰める世界だった。それに反して、司馬遼太郎は、そんな人の集まった「日本」を描いた。

 

どちらも凄い。でも、現代において周五郎の片鱗を感じさせてくれた作者の存在も凄い。彼の本を読むのが益々好きになった。

 

 

君たちに明日はない (新潮文庫 (か-47-1))

写真は今朝ハーバーブリッジ上り車線で発生した玉突き事故。こんなの見るのも珍しいけど、事故にあったほうも「あり得ん」と思ったろうな。

そう、人生って、そうなんです。あり得ないことが起こるんです。だからあんまり先の65歳より先の人生の安定を考えて今の人生を無駄にするような事はやめましょ。今日やりたい事をやって、食べたいものを食べる。

 

 



tom_eastwind at 00:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  | 諸行無常のビジネス日誌

2008年05月09日

函館4 蝦夷共和国

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今日は五稜郭観光だ。ホテルを出て、春先の冷たい空気を感じながら朝市に向かう。

 

ホテルは毎朝食付きのプランなのだが、ヤニ臭いレストランの中華っぽい訳の分からん味の冷え切った飯よりも、朝市の朝ごはんの方が美味しいのは、それこそ物の道理。

 

という事で10時過ぎを目処に、ガイドブックにもよく出てる朝市の恵比寿食堂に向かう。

 

うみゃーうみゃー、完璧に透き通った烏賊ソーメン、うにいくらかに丼、温かいお茶と合わせて食べると、神様ありがと!である。

 

いくらうにかに丼

 

勿論観光地なので、うにいくらかに丼は1800円?だったか高いが、それでもアレはいくら金払ってもNZでは絶対に食えないし、日本でも築地並みの旨さだ。

 

口福。

 

 

 

 

いかそうめん

 

 

ところでこんな透明な烏賊ってのは、今の日本では函館+札幌と、呼子+博多にしかないのではないか?

 

 

 

 

 

あんまり美味しいので、僕と竜馬はそのまま向かいのラーメン屋「しおや」に向かう。

 

かに20人も座れば一杯のお店には、昼前の中途半端な時間なのだろう他にお客がいなかったが、大丈夫、お店側もレジに両肘ついておしゃべりしてるやる気なっしんぐな二人組みのおばさんで、何を食べようか悩んで食券機の前にいる僕らに「何たべんのさ〜?」だって。いいよねこのノリ。地元の人しか出来ないよ。

 

 

食券も買ってないのに勝手に聞くのは職権乱用では?とか思いながら食券買って「すみません。この醤油ラーメン、ねぎなしでお願いします」と言うと、年下のおばちゃんが「おにいちゃんたち、なんか割引券持ってるの?」と、のんびりと聞いてくる。

 

なるほど、ここも色んな客向けにクーポンとか発行してんだな、餃子一皿サービスとかだろうね。

 

 

でも僕らは何もなかったのでその旨を告げると、まるで僕らが「御食事券」を持ってないのをどっかの旅行会社から「汚職事件」と思われるのを嫌がったように、「あれ?めんずらすいね、にいちゃんたちはツアーじゃないんだ〜?」と明るく問い返される。

 

後で旅行会社から「こら、うちの客に50円割引せんかったろ、50円!」とか言われるのを嫌ってるんだろうが・・・・あのさ〜、いい加減に団体ドリームを忘れて、きちんと決められた値段で個人客を取って、相手もオタクもwinwinって商売、しようぜ。

 

しおやラーメンここのラーメン旨し。

 

要するに飽きが来ないのだ。東京だと、こねくり回しすぎて、これがラーメンかと言うこともあるが、函館のラーメンは、原点なのではないかと思う。

 

基本の味を昭和から守り続けてて、これは、東京では忘れられた、てか、覚えてると「父さん」する味なのかな。

 

腹いっぱいになった僕らは、小雨の降る中を50mほど歩き、行列を作ってたタクシーに乗せてもらう。何で朝市の横にタクシー乗り場ないの?点と線?ミステリーですな。

 

「すみません、五稜郭までお願いします」

 

僕らの格好を見た中年のがっちりしたおじちゃんは、素朴な笑顔で「観光で来られたんですな、じゃあ途中途中ご案内しながら、五稜郭まで行きましょう」と、どう見ても千円以内の距離なのに、函館の歴史を語り始めてくれた。

 

「今は五稜郭が街の中心地になってるけど、元々は函館山の麓が中心地だったんですよ」

 

「大門の由来を知らないのは、観光客だけじゃなくて地元の若者にも増えてますよ。あそこは元々遊郭で、その入り口にあった大きな門が目印だったんですね。本当の地名よりも通称が有名になったんですがね。でも結局昭和の大火事でその門も焼けてしまいました。」

 

この人、観光タクシー出身だな。話口でそんな感じがする。何となく30年近く前に宮崎交通のタクシーに乗った時の事を思い出す。あの頃、1日観光の相場は5万円で、それでも結構満車だった。30年経っても相場が変わらないどころか、場所によっては下がってる日本。なんだろな?

 

甲陽丸

 

あんまり手馴れてる様子だったので、今日の見学コース、「アウグスチヌ修道院、土方、石川啄木」の話をすると、にこっと笑って、「あ、それじゃよければ、今日は適当にメーター倒さずにいますから、よければ私に案内させてください」

 

 

 

話しぶり、タバコを吸わない、知識の豊富さ、これなら問題ないと思い、すぐにお願いする。

 

五稜郭と戊辰戦争、土方歳三と石川啄木、アウグスト、アウグスチヌスの話等、運転手さんの話は続く。

 

「このあたりは昭和の大火災で燃え落ちた橋のあったところですよ」、海沿いの道を走りながら、地元の人ならではの話もしてくれる。

 

「いや〜、海峡のラーメンも旨いけど、鳳蘭の塩ラーメンもうまいっすよ。昔はしょっちゅう行ってました、運転手には100円引きとかもしてくれましたしね〜」と、懐かしそうに語る。

 

運転手さん、最近は夜は自宅だそうで、あまりラーメンを食いに出る機会もないようだ。

 

突撃「だって、観光客の方で夜にあちこち行く人はいないし、地元の人は酒を飲んでも自家用車で帰りますからね〜」

 

このせりふ、町村官房長官(彼は北海道出身でつ)が聞いたらどう答えるんだろうね?

 

 

話は変わるけど、飲酒運転取り締まりは、もう旬ではないのか?あいも変わらず田舎では日曜の結婚式や宴会に役人や代議士がやってきて、偉そうなこと言って酒飲んで自家用車で帰ってる。

 

アレを取り締まるか、少なくともそんな場所にはタクシーを十分に用意しておけば、飲むほうも安心だし乗せるほうも商売になるではないか?タクシーの自由化をやるんなら、そういう商売ネタもセットにすればよいのに。

 

五稜郭は最近建て替わり、随分と立派な塔になっている。特に展望台からの景色も素晴らしい。ここでは戊辰戦争の歴史を詳しく説明してくれる資料が豊富にある。

 

船中八策、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、江戸城無血開城、最後の戦いが戊辰戦争、そして明治は始まる。

 

土方

 

新撰組は、司馬遼太郎の「竜馬が行く」以来、本来司馬遼太郎が望まない形ですっかり悪者にされてたが、先年のNHKで随分評価も変わり、最近ではすっかり人気者になっている。

 

 

 

良いことだ。竜馬も新撰組も、お互いに一生懸命「国」の未来を考えて戦ったのだ。自分の目先の利益等ではない。この点で日本の明治維新は世界に類を見ない革命ではなかったかと思う。

 

貴族の義務ってか、武士が本来あるべき姿で生きる事が出来た一番最後の時代だな。その一番最後の時代の一番最後に死んだのが土方歳三とも言えるのではないか。

 

戊辰戦争の面白い点は、それが北海道独立計画だったという点だ。

 

国内戦争の場合、例えば西南戦争では西郷隆盛が桐野利秋の為にやったようなもので、死に逝く武士道の最後の一花みたいなもので、建設的な目的はなかった。

 

しかし榎本や土方の考え方は、幕府方についていた人々を集めて新しい国を造ろうとした点であり、その意味で建設的だ。

 

土方最後明治維新の話を書き始めたらきりがないのでこの辺で打ち止めだけど、土方歳三、「人は死して名を残す」と言う格言どおり、実にかっこよい生き様だったな。

 

写真のジオラマは五稜郭タワーの展望台に飾ってあったものです。

 

函館ストーリー、これで4日連続。長くなったな〜。歴史があるから、当然っちゃ当然かも。



tom_eastwind at 00:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2008年05月08日

函館3 点と線

午後の寂れた大門めぐりを終えると、過去の栄華と郷愁を胸に感じながら、僕らは一旦ホテルに戻った。

 

函館夜景3

 

それから夕食前に函館山登り。雨上がりの夜景と函館山にある古くからの建物群のライトアップを見学する。

 

夜の7時から1時間30分で、函館山から明治以降の建物を見て回るのだが、これは圧巻だ。

 

 

当時の函館の栄華を、そのままに感じることが出来る。北の街にこれだけの文化が出来上がっていたのか、すごいな開国と貿易ってのは。

 

ハリストス正教会

 

 

ロシア正教会、キリスト教会、公会堂、中国人集会場、当時はそれこそ世界中の人々がこの街に集まり、それぞれの才覚でビジネスを展開して、それが結果的に函館の繁栄を招いたのだ。

 

 

 

 

ヨハネ教会

 

勿論彼らの国からここまで辿り着くだけでも大変だったろう。

 

飛行機もなく、北の荒海に飲まれて行方を絶つ船もたくさん出ただろう。

 

 

 

それでもつい数十年前までは鎖国してて言葉も通じなかった国に、ガイジンは船に乗ってやってきた。彼らの原動力、それは「利」と、「夢」=好奇心だったのだろう。

 

公会堂まだ見たことのない日本という国に行ってみよう、どんな文化や文明があるのか、見てやろう。

 

ただし、行くだけでは意味がない。その街に住んで見てカネを稼ぎ、ふるさとに持って帰ってやるんだ、そんな気持ちもあったろう。

 

 

そしてこの街は北方貿易の中継地点として一大都市を北の国に創り上げた。

 

北方で獲れる魚介類や蝦夷の物産品の交易、北の良港として造船技術も盛んだった頃は、それこそ弘前十三湊の最盛期と肩を並べるほどであったろう。

 

それが戦後、200海里問題、海洋資源、オイルショックによる造船不況、青函連絡船の廃止など、続けざまに起こった構造不況により、函館は一気に歴史の表舞台から剥落していった。

 

その中の一つで当時から今もかろうじて生き残っているのが、僕が泊まったホテルや駅前の百貨店、それに美味しいラーメン屋と朝市だけなのかもしれない。

 

朝市今函館は、観光と漁業の街として生まれ変わろうとしている。

事実、泊まっている古いホテルのすぐ横のもっと古い金森倉庫群も、今はその外壁のみ残してお土産や、レストラン、博物館、朝市会場など、地元資本により新名所として生まれ変わって最近の観光名所となっている。

 

函館市wikiを見ても、主要な産業として観光と漁業となっている。函館の人口は現在約30万人。弘前と同じくらいだ。

 

倉庫群に「ラーメンあじさい」が出店してたのには驚いた。勿論食った。うまし、あじさいの塩ラーメン。札幌空港ではよくお世話になった店だ。

 

函館名産の魚をお土産に買い求める日本人、ただひたすら珍しく街のあちこちをガイドブック片手に見て回る外人、それぞれに目的は違うが、観光客と言う点では一致している。

 

朝市焼物未だに函館に残るたくさんの歴史遺産をうまくビジネスに結び付けて、それが各拠点ごとに頑張っている感じはする。

 

でも、何だか線がない。点と線がうまく結びついてないもどかしさ。

 

 

これは、各自が一生懸命頑張っているんだけど、その方向性が少しずつ違うし、その違いを調整すべき団体が主導権を取れてないから起こる現象だと思う。この街ではその団体が政治家なのか役所なのか少年会議所なのか分からないけど。

 

函館人力車企業であろうと市であろうと、人が集まればそこに集団が出来て、そして皆を引っ張ることが出来るリーダーが出てくれば、そしてそれが一つの方向に長期にわたって動き始めれば、その時の力はすごい。

 

ところが今函館で見てる状況は、一人ひとりが独立している様子なのだ。

 

函館にラーメン屋は約300店あるらしい。結局函館滞在中に5軒回ったが、ラーメン屋同士の競争はないんかい?もっと観光客を喜ばせるイベントは?昼過ぎの手の空いた時間に手持ち無沙汰にタバコをふかしながらスポーツ新聞の競馬欄を見てる老舗ラーメン屋のおやじさんを見ながら、ふと思った。

 

じいさん、あんたの知ってた函館は、もうないんだよ。そうやって百年一日の如く過ごしてても、過ぎ去った時代は戻ってこないし、客が黒門を歩くこともない。ほら、あんたの娘さんだか知らんが、名物やきそばの餡を作れずに、途中からあんたが手を出して作るってのは、やっぱり任せられないんだろ?

 

中華なべを持つ手が震えてても、それでも彼女が作るより俺が作るほうが旨い、そう思うなら、その煙いタバコをやめてしっかり後輩に伝授しなよ。誰かに継がせたいのか潰したいのか?

 

家族ともに、スープの旨さは認めた。麺は・・・おねえさん、水切りとか温度管理とか、しっかりしようね。

 

竜馬買い物函館って地域が成長していく為には、自分だけ良ければと言う気持ちでは絶対無理。地域全体が、直接自分に関係のない事でも助け合って、皆で手を取り合って伸びていこうとしないと、「あれは俺に関係ないもん」なんてやってたら、くしの歯が欠けるように少しずつ潰れていって、最後は全滅、ちょっと前までの函館になる。

 

 

駅前の真正面に、客よりも従業員の多い、壊れかかった百貨店があって、それで委員会?

 

ラーメン屋さん巡りを函館名物にする事で、朝市も儲かる。それで駅弁も売れるし、農家も助かる。助け合いをせんで委員会?

 

折角生き残ってきた人たちと、これから頑張っていこうとする一部ラーメン店、そして古い倉庫を改造して更に観光客を集めようとする人々。

 

このような人々の点を線にするにはどうすれば良いか?答えは簡単で、それは理論ではなく利益である。お互いに助け合うことでいくら利益が出るか、逆に言えばその輪の中に入らないと利益は出ないという事を各事業者に認識させれば、自然と輪の中に入ってくるようになる。

 

こっちからタカピーに理論や政治を振り回して個別訪問する必要はない。折角素晴らしい芽が出てきてるし、昔からの素晴らしい遺産も残されているのだから、それがなくなる前に、誰かリーダーが出てきて欲しいと思った。

 

じゃあお前ならどうする?

 

俺ならまず、電車路線を利用する。函館駅から朝市、そして倉庫へ移動出来る、観光客向けのところてん式移動コースを作る。

 

函館夜景1倉庫から函館山と麓にある旧跡めぐりは、地元のおじいちゃんやおばあちゃんをボランティアに使って、定期的に小型バスを無料または100円くらいで走らせる。

 

函館山のロープウェイを起点にすれば、夜景も楽しめるし、地元のじっちゃばっちゃもおしゃべりが出来て楽しめる。

 

 

 

函館夜景2 「わたしらの若い頃、ここには毎日のように内地から移民がやってきました〜大門の人だかりは、それこそ不夜城でした〜」そうやって内地から来る観光客向けに話すじじばばが、ぼけるはずもない。明日は誰が来るかな、そうやって楽しい生活を送れる。人材の有効活用だ。

 

 

そこから倉庫に戻り、大門には電車で移動してもらう。電車はもちろんその頃の雰囲気一杯にして、黒門を再建する。これにカネはかかるだろうが、役所と地元名士が出すべし。パチンコ屋作ってる場合じゃないでしょ。

 

いろいろとアイデアは出るが、誰かもっと頭の良い人、実行してくれないかな。

 

それにしても点と線。松本清張だな全く。

 

明日は五稜郭。いよいよ幕末の舞台を見学である。

 

 



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2008年05月07日

函館2 繁栄と過去の日々

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初日はホテルに荷物を置き、早速気分転換に街に戻る。少し雨が降り出したが、今度は荷物がないし、傘をさす習慣もないので気軽にあちこちいける。

 

ついでに言うと、同じ頃にホテルにチェックインした白人連中も、ごつい体をTシャツ一枚、雨の中、傘もささずに興味深そうにあっちこっち見てる。

 

元々は大通りだった、今はどう見てもさびれた裏通りを駅に戻ると、函館駅の手前に朝市がある。水産物を朝早くから売っており、観光客はこれを目当てにやってくる。

 

市場の入り口の一番良い場所にお店を構えた、人の良さそうなおじさんが「おにいさん、美味しい魚あるよ〜、買っていかんね〜」と勢いよく声をかけてくれる。

 

hakodate asaichi奥さんはここでのお目当ては干した貝柱。早速棚にぶら下がってた1kg入り15,000円の貝柱を購入。

 

現金を払った後に嬉しそうに「ねえねえお父さん、このお店、現金で払ったら12,000円にしてくれたよ、20%引きだね」と言って笑ってた。

 

てっきり僕は、個人で割引クーポンとかも使わずに買い物したから安くしてくれたのかなと思い、何気なく「良かったね〜」とか言いながら市場の奥の他の店を見て回る。

 

でも、奥に入ると、次の店にぶら下がってた干した貝柱が13,000円だったのはいうまでもない。更に奥の店は12,000円だったし・・・。入り口で貝柱売ってたおっちゃん、商売って、大変ですね・・・。

 

奥さんは気づいてないようだったので、僕は出来るだけ下の平場に置いてある魚や干し烏賊を見せて、どれ買う?とか聞いて気を引きながらお店を回った。

 

子供たちは北海道弁で機関銃のように話しかけてくるおじいちゃんに飴をもらったのでとりあえず意味も分からないままにこっと笑ってブラックホールチームの子供のように手を振ってた。

 

hakodate kaikyo ramenそれから小腹が空いたのだが、朝市の閉店は早く、午後3時過ぎにはがらんとしてて、食べるものがない。そんな時ふと目に付いた、朝市前のビル1階でやってる「海峡ラーメン」に飛び込む。

 

 

頑固そうなおじいちゃんとアルバイトらしきおねえちゃんの二人でやってるが、何か美味そうな雰囲気を漂わせている。

 

早速味噌ラーメン、醤油ラーメン、塩ラーメンと注文する。美味し!この程度で喜んでもらっては困りますと言うかもしれないけど、寒い体と重い荷物を抱えてチェックインして、更に雨に降られてここまで来た体には、スープの温かさがたまんない。

 

お店には外人さんカップルも顔を突っ込んで、中を珍しそうに眺めてた。カウンター10席程度だけの店なので、午後3時とはいえどタクシーの運転手や地元のお土産やで働いてる人が食べてたりして、結構一杯。後で調べて見ると、地元でもそれなりに「昔からの味」って事で人気店のようだ。

 

そこから(世間で言う意味の)大通りを歩いて、電車街を散策する。

 

おお、ここはあまり人がいないな〜。てくてくと10分くらい電車沿いに歩くのだが、どこまで行っても寂れた印象。ナンだろな、昭和の終わりの飲み屋街(黒門)て地区では、電車通りから横に抜けるように幅1メートルくらいの細い路地があり、そこにちっちゃな店が看板を出してるけど、どこか哀愁。

 

hakodate daimon函館で昔からやってる棒二デパートにもはいるが、お客より従業員が圧倒的に多い。それも、従業員が完全にその環境に慣れきっているのが、ちょいとびっくり。

 

昭和の時代は←のような、東京以北で最も賑やかな都会だったとも言われている。

 

 

hakodate showa最初の写真は昭和30年代、次の写真は昭和10年代、時代背景を考えれば、どれほど発展していたか、よく分かる。この写真は地元函館の方がUPしてた写真集からです。拡大してみれば、あなたの街(村?)の昭和10年代と比較して、どれほど栄えていたか分かりますよね。

 

実は石川啄木もこの街を愛した一人ではあるが、この街を目指して東京から来たのは、故郷の東北にも戻れずに、東京の次の大都会と言えば函館だったからである。

 

 

 

後でタクシーに乗り運転手さんといろいろ話しながら聞いてみると、昭和63年に青函連絡船の運航が終了して、そしてあのバブルが吹っ飛び、それ以来このあたりはすっかり寂れてしまったとの事。

 

時代は変化する。変化についていったものだけが生き残れる。ここも何となくそんな心持を感じた。



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2008年05月06日

函館

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本州の最北端から海底に潜り、1954年に1430名の命を奪った宗谷丸事故bywikiの起こった津軽海峡をくぐり北海道側に入る。

 

海峡の長いトンネルを抜けると、そこは北海道。そりゃ長い、30分も海底に潜っているんだから、長い。

 

北の玄関が函館と言っても、トンネルの出口に函館駅があるのではない。北に向けて弓なりになった湾を、右手に青森の陸地を眺めながらぐるりと回ると、大体15分ほどで函館に着く。

 

函館到着が13時58分。家族にとっては弘前も函館も初めての街だが、実は僕にとっても函館は事実上初めてに近い。実際は函館、30年近く前に来た記憶があるのだが、勿論その頃とはすべて変わっているわけで、最初から躓く。

 

つい最近改築された函館駅に着くと、ここはホームが終点なのでホームをずっと歩くだけで階段使わずに移動できる。う〜ん、うまく説明出来ないけど、要するに電車の始発駅みたいな作りなので、荷物を持って階段登ったり降りたりが不要。

 

一応函館で老舗だし有名だし名前からしても国際ホテルなんて言ってるので、駅を降りればすぐに分かるだろうくらいに考えてたら・・・おいおい、駅前広場はだあだっぴろく、右手にも左手にも背の高いホテルが見えるのに、一番肝心な函館国際ホテルがないじゃんか?

 

事前に電話した時も、「駅から大通りを歩いて5分ですよ、すぐ分かりますから」とホテルの人に言われてたのだが、駅を背中にした広場から周囲を見回しても、そんなもん、ない。

 

11階建ての建物だし、周囲のビルの合間からでも見えるかと思ったけど、全然だめ。駅を降りて正面を進むと、そこはもう駅前商店街と電車が走ってる。おっかしいな、ホテルは駅前じゃないのかよ?駅前って言ったよね?

 

冷たい春風の中、5分も立ってると家族からの非難の目つき。仕方ないので駅前ターミナルの案内所に行き、場所を訪ねると、20歳前半の彼女も、あっさりと「あ、そこの駅前の大通りを真っ直ぐ行ったところですよ」と指差す。

 

その指差した先には、海とフェリーターミナルと埠頭と貨物船が並んでるだけ。

 

hakodate ekimae toriおいおい、こっちが駅前大通り?????????

 

あ、そうか!函館では港が元々は街の中心で、その左側に駅が併設されて、右に国際ホテルがある。だから駅前の大通りと言うのは今の本州の感覚で言う駅の横の裏道なのだ。

 

hakodate hakkoda maruその昔青函連絡船がやってきてた頃は、駅前通から函館駅に行き、北海道のあちこちに皆さんが散らばっていたんですね〜。

 

だから僕らが立っている普通の感覚で言う駅前は、駅前ではなく街であり、昔は大門と呼ばれた遊郭があり、宿屋があり、飲み屋が連ねていた繁華街なのである。

 

もらった地図を見ながら、重い荷物を抱えて人気のない歩道を反対向きにぼちぼちと歩き始める。

 

さぶ!風は冷たいし、ホテルの場所は分かったけど、そんな建物見えないし、大体そんな駅前通りなら、何でこんなに空き地とだだっぴろい道路ばかりなのよ?!何で誰も歩いてないんだ!平日の午後だぞ、14時過ぎだろ!

 

7〜8分ほどふーふー言いながら歩くと、やっとホテルの天辺が見え始める。少しほっとするが、それでもまだロビーまでは遠く、更に5分ほど歩く。

 

結局ありゃあ、荷物があったら歩いて15分だべさ。かと言ってタクシーだとワンメーター、5百数十円。駅前で長い行列を作って待ってる運転手さんには、申し訳なくて乗れない。

 

やっとの思いでホテルに入ると、あ、そうか、そういう事ですかって、中途半端な距離の疑問が氷解。

 

このホテル、建築された当時は函館でも一流のホテルだから、立地も実は一流だったのだ。

 

hakodate mashu maru当時のこのホテルの利用客からすれば、フェリーターミナルから歩いてすぐだし、地元のロータリーとかえらいさん達の集まりでは、おっちゃん、元々自分で歩かない。すべて社用車で来るわけなので、函館駅からの距離なんて関係ない。

 

 

大体函館と言うのは、元々函館山のある地区が明治時代から栄えており、金森倉庫とかもホテルのすぐ横にあり、当時で考えれば最高の立地だったのだ、当時ならね。

 

ところが時代が変わり青函連絡船が廃止され、町の中心部が五稜郭のほうに移っていき、港を賑わしていた北方漁業が衰退していくにつれ、倉庫もフェリーターミナルも不要になっただべさ。そして周囲の建物は次々と壊されて更地になっていく。その結果ホテルの周囲は空き地だらけとなる。

 

そうなると、海外や内地から電車でやってくる旅行客にとっては、このホテルの中途半端な立地が、中途半端でなく厭らしいものになる。

 

でも、今でも「当ホテルは函館で最高のホテルでございまして、地元名士がご利用頂き、結婚式も会社のパーティも当ホテルで行うのが、地元の人々にとってのステータスになっております」ものですから、自家用車もなく内地からデカイ荷物を担いで歩いてくるような「名士でないお客様」は、歩けという事なのだろうね。

 

実際、僕ら以外にも同じ電車から降りた外人さんグループが、いくつかガラガラと荷物を引っ張りながらホテルに向かってた。

 

少なくともホテルから函館駅までの送迎バスくらい出しても、ばちは当たらんと思うけどね。

 

そうそう、地方にいけば、必ずこんなホテルがある。今は名古屋を地方とは言えないけど、名古屋城の目の前にあるキャッスルホテルは名古屋の名門。ところが駅前ではないのでビジネス客には不便。

 

これでウエスティングループですかい?となるが、ここもやはり地元の人からすれば「まあ、キャッスルホテルでご結婚なんですね」となるし、お客様を呼んでの会社のパーティともなると、黒塗りトヨタリムジンがずら〜っと並ぶってなもんだ。

 

とにかく地方には、その地方の名門ホテルとデパートが欠かせない。

 

福岡で言えば西鉄グランドホテルと岩田屋。函館で言えば、それが国際ホテルと棒ニ百貨店であろう。函館のホテルとデパートの共通点は、どちらも終わってるってところかな。

 

もうそのビジネスモデル、通用しないんですよね。あなた方がその昔から接客し続けてた人々はすでにこの世を去り、新しい世代の人はホテルやデパートの利用方法が全く変化しているんです。

 

そう言っても今もホテルで働く彼らは聴く耳を持たない。丁度、古ぼけて朽ち棄てられた大邸宅で出てくるお化けの執事のようなもので、彼にとっては僕らの言葉は耳に入らず、死んだ後も同じ事をずっと繰り返して、古きよき時代を守っていくのだ。当然だ、利益等考えなくて良い人が殆どなのだから。

 

ホテルのロビーは最近禁煙を開始したのだろうが、昔から壁に染み付いたタバコ臭さと何となく薄黄色が全然抜けてない。入り口横の「今日のご宴会」の上部には、少し埃をかぶったままの半永久的に張り付いてるプレートが、堂々巡りさん(ロータリー)とか寅さん(ライオンズ)とか少年会議所とか書いてる。

 

どれも楽しそうな集まりだ、時間があれば一杯引っ掛けてから顔でも出して見るか。

 

ロビーでは、このようなホテルにお定まりの人々が、お定まりの格好でたむろしている。いやさ、別に溝鼠色のサイズの合わない皴のよってるスーツは構わないし、ごま塩頭に赤い顔してビール臭い息で同じような仲間とロビーにいるのは良いけど、ロビーのど真ん中に立たないでくれる?

 

こっちは函館駅から歩いてきてふーふー言ってるのに、さてチェックインしようとすると、まるでサッカーかラグビーの守りみたいに、横一直線ディフェンスだもんね。ありゃまいったわ。

 

ホテルの人からしても、僕らのようなカジュアルウエアの個人客は透明人間なのだろう、ロビー入り口のベルキャプテンさん御一行もロビーのお客に眼が行ってるようで、歩いてやってくるなんて客がいるわけないと思い込んでるのだべさ。

 

函館良いところだろうしラーメン美味いだろうし、何よりJRの切符は3日後を買ってるし、ここ以上にサービスの良さそうなところに移るにしても、そりゃあ熱いフライパンから飛び出たら、煮えたぎった鍋に落ち込むようなもんだ。

 

しばらく考えたが、とりあえず疲れてたので、その辺のディフェンスのおっちゃん二人ばかりにガラガラの足をぶつけながらフロントに辿り着く。

 

あのがらがらってよく出来てて、相手が通り過ぎたと思って横切ろうとしたりすると、足元を移動中のがらがらの足に、もろに踏まれる仕組みだ。合法的に他人の靴の上を大きなローラーで横切れる、数少ない手段である。オークランドに戻ったら本格的にラグビーの練習でもするかな。

 

ロビーで昔ながらの鍵を受け取り、「あの、家族4人なのでスペアキーありますか?」と聞くと、普通ににっこりと「ありません」。ケータイのない時代は、4人家族が常に一緒に行動してた時代だもんな、かぎなんて二つも要らないよな。

 

部屋は海向きの8階なので、景色はとても良い。真正面に海が広がり、左手には函館山が見える。

ロビーがたばこ臭いなんて贅沢言っちゃいけない、僕らのお部屋のある階は、何と禁煙階なのだ!ぱちぱちぱち!部屋の広さを表すのに、さすがに四畳半とは言わなかったホテルマン、立派です。

 

そうこうしながら、函館の旅は始まったさ。



tom_eastwind at 06:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本 | 諸行無常のビジネス日誌

2008年05月05日

津軽 十三湊

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津軽十三湊 正史

 

日本海側にある弘前から函館に行くには、一旦青森に寄る経路となる。ただ、街の規模としては青森と弘前は殆ど変わらないが、歴史的には弘前の方が圧倒的に長く、東北の中での存在感が強いと感じた。

 

ちょっと調べて見ると、弘前は江戸時代から弘前藩と呼ばれていた。それが1871年の廃藩置県で弘前県になり、更に近郊の八戸県などと合併して弘前県となったのもつかの間、県庁を青森に移したことで、それ以降この地域が青森と呼ばれるようになる。byWikipedia

 

丁度博多が福岡県になったようなものだな、そんな事を考えながら更に昔の歴史を掘り起こして見ると、津軽十三湊の歴史に辿り着く。

 

何と平安時代、ここには大規模な都市があり、北方のロシア、中国北部、蝦夷のアイヌなどと取引を行っていたというのだ。

 

いんこつい最近読んだ「海国記」の東北版である。

 

島国日本は、実は港で結ばれていた。北の漁場で獲れる海産物や物産を、十三湊を経由して日本海を下り、博多の湊まで物産を運んでいたというのだ。

 

 

 

一般の歴史の本では、東北は山の中であり、源氏が東北平定をした後に安藤氏氏族によって栄えたとなっているが、僕としては平安時代から栄えていたんじゃないのかなって思う。

 

何故なら、奥州の山道から見れば確かに北の辺境でも、海側から見ればそのロケーションは全く変貌する。それは北方交易をする為に理想的な位置にあるのだ。

 

鐘朝鮮半島から博多を経由してやってきた貿易路は、そのまま日本海を北上して途中の湊に寄りながらその本州の最北端を十三湊とする。十三湊には、北部中国、ロシアや蝦夷からやってきた貿易品があり、北の物産が南へ、南の物産は北へと通行していたのだろう。

 

博多から瀬戸内海に入ってきて、平清盛がその栄華の基礎とした貿易路とは流れが違うが、当時は日本海が貿易の中心であり太平洋側ではなかったのだから、そう考えれば船で移動する貿易形態の場合、湊が最も重要となる。

 

 

GoogleMAPで見ると、やはり十三湊から岩木川が内陸に広がっており、その山と山の付け根に位置するのが弘前である。つまり弘前は、九州における大宰府のような、戦争にも貿易にも便利な場所にあったのだ。

 

当時の世界最大の国であった中国とも取引を行い、ロシアや蝦夷のアイヌと取引を行うのに、山の中は関係ない。それよりも海、湊なのである。

 

その湊がある日突然の大津波で町全てが流されてしまい、その文化と歴史は海の藻屑となった。その後も何故か歴史の本から十三湊のことは出てこないため、殆どの日本人からすれば平安時代の大都市は空想もつかないだろう。

 

だが、時の王様によって作られた正史は、政権側の都合の良いように書かれているだけで、必要であれば歴史的に抹殺することも可能なのだ。十三湊、時間のある時にきちんと調べて見れば、北の海に広がった日本人の「本当の歴史絵巻」が広がっていくんだろうな。

 

五重塔要するに戦争で勝てば官軍、何を言っても良い、負ければ歴史でぼろくそに書かれるか抹殺されてしまい、いつの間にかそれが事実として定着していくって事を良く知っている中国人と同じように、東京のど真ん中のブラックホールに住んでる人の祖先が、彼らの好きなように歴史を書きなおしたんだろうな。

 

だから弘前を回りながら、九州の邪馬台国も思い出しつつ、今から1500年前の日本ってどうだったんだろうと、過去に思いをめぐらせる。

 

特に最近は、興味のある場所はGoogleの航空写真で確認するようにしている。絵に描かれた地図ではどうしても分からない戦略上のポイントとか拠点、川と海岸線などは、船を利用して物資移動をしていた当時のキーワードである。

 

もっと面白いのは、よくよく見てみると、今から1500年前は、そこって海じゃなかったのって場所が見つかることだ。逆に、そこは陸があったのでは?と言う場所もある。

 

そういうところでは、歴史に書かれなかった様々な物語があったのではないだろうか?時の政府、つまりブラックホールの祖先にとって都合の悪いことはどんどん消していき、都合の良いことだけを残した歴史ってのが正史なんだろうな。

 

昔西村寿行が何かの小説で書いてたけど、もしかして6世紀頃の東北は今の東京くらいに温かかったのではないかという仮説。気温なんて100年でころころ変わるわけで、今の東北が雪降るほど寒いからって、1300年前も寒かったってのは言えない。

 

ましてや1500年も前であれば、温かくてもおかしくはない。そこに北方民族、中国、ロシア、アイヌ、様々な人々が貿易に訪れていたのではないだろうか?

 

石塔その当時は、津軽十三湊や弘前が文化の中心地で、平泉が奥座敷だったとしたら。

 

今から1000年以上前に東北で栄えた文明があったとしたら。そう考えてくると楽しくて仕方ない。

 

 

 

東北の桜と歴史を堪能した僕らは、11時11分発のかもしか1号で弘前を出発、36分で青森に着いて、そこで青函トンネルを越えて北海道に行く特急に乗り換える。11時47分に着いて11時56分の乗り継ぎなので、都合が良い。

 

東北新幹線よく整備された青森駅はエレベーターやエスカレーターが整備されている。こういうところを整備して観光客の利便を図るってのは、観光政策の基本ですな。

 

途中に見える陸奥湾の景色を楽しんだり、岩木山を遠くに見たりしながら電車は進む。駅弁もビールも、東北の空気に包まれると、何故か旨い。



tom_eastwind at 08:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2008年05月04日

桜の花の咲く頃two

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以前、桜の花の咲く頃と言うコラムを書いた。

 

日本人と桜は切り離せないようだ。実際に今回も弘前の桜を見て、その美しさに感銘したものだ。

 

それは、単純に桜が綺麗というだけではない。

 

みゆきが桜を見て「一つの花」として綺麗と思うのと、桜の花の下で花見をした記憶や、桜を背景に卒業や出会い、別れがあった、そんな「原風景の背景の一つ」として思い出す僕とは微妙に角度が違うのだと思う。

 

何よりも胸にぐっときたのは、桜の散り時である。

 

 

aruku昨日まで満開だった桜が、今朝の一陣の風に吹かれて、春の日差しの中で花吹雪を散らす。

 

散る桜の潔さってのかな、とにかく余計な事は言わずに、さっと咲いてさっと散る。これが日本人が桜を大好きな理由の一つでもある。

 

海外に住んで20年、いつも考えることは生き残ることばかりだった。僕の海外人生で「桜のように清く散る」なんてやってしまえば、お前か俺かの中で生きてる西洋社会や何でも食ってしまう中国社会では、本当に地球の反対側に吹っ飛ばされてしまう。あ、今が反対側だから、月まで飛ばされるというほうがしっくりくる。

 

桜と正反対の生活を続けていた僕が、こうやって20年ぶりに桜の花吹雪を見て、その散り際の美しさに感激するのだから、変な話だと思う。それにしても綺麗。

 

今年は普段より開花が早く、僕らが到着した時は弘前城の桜が満開。平日のお昼だというのに、弘前公園ではあちこちに青いビニールシートを広げて楽しむ人々がいた。hanami group

 

学校のサークルなのか、一人の若者がリーダーシップを取りながら、まだ固さとぎこちなさが残る参加した若者皆が楽しめるように立ち上がってゲームをしている。

 

 

 

 

 

 

jiisan多分地元の古い友達の集まりなのだろう、皆が自分の立ち位置を熟知して、おばあちゃんは空っぽになったおじいちゃんのカップに冷酒を注ぎ、おじいちゃんはそれぞれに、ここ10年で何十回も繰り返しただろう自慢話を、まるで今日初めてみんなの前で披露するように楽しく話している。てか、大声。かまうものか、桜の木の下じゃないか。

 

花見女性三人組の女性は、学校の同級生なのだろうか、屈託のない様子で友達を待っている。

 

結婚している友達よりも独身の方が多くて、多くの同級生よりは一応優秀で、地元で仕事があって、実家通勤だからお金も自由に使えて、今まで学校で学んできた事よりもこれからの社会で経験する事の方が数倍楽しいと無邪気に期待出来る人たちだろう。

 

最初、誰も坐ってないのに青いビニールシートがあるのを見てみゆきが、「お父さん、東京の人達は公園とか駅だったのに、ここの人たちはお城の中に住んでいるんだね」

 

違います。あれは路上生活者で、こちらは花見。

 

茶店僕らも途中の茶店で、弘前名物のおでんこんにゃく、焼き鳥、津軽ソバ等を、板台に坐って食べる。

 

僕の片手にはビール、片手に焼き鳥で、空は青くて人々の顔は幸せで、心がなごむ。

 

隣では日本酒を飲んで良い気分のおじさんが、奥さんから「お父さん、お昼からあんまり飲んじゃだめですよ」とたしなめられている。

 

勿論そんな奥さんの話に耳を傾けるはずもないってのは、奥さん自身が一番良く知っているのだろうが、案の定「まだ酔ってね〜ぞ!」と応えるおじさんのだみ声。夫婦って、そんなもんなんだろうな。よかった、僕のうちだけ特別じゃないんだ。

 

とにかくみんな楽しそう。春が来たぞ〜!そんな感じなのかな。無条件に明日を信じて、どうにかなるさ、まあ大丈夫だよ、さあ酒でも酌み交わして、今日を楽しもうぜ。

 

弘前ってのは東北でも田舎と思ってた僕は、今回の旅で弘前が実は昔の東北の中心地だって事に気づいた。弘前は江戸の時代からの本格的な城下町だし、キリスト教だって来てるし、文化の中心地だって弘前じゃんか。

 

案内してくれたタクシーの運転手さんからも、言葉の端々に弘前の歴史の古さを誇りに思う気持ちが伝わってくる。

 

長勝寺初代津軽藩主の菩提寺である長勝寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

この古いお寺の横に弘前陸軍連隊の墓がある。最近は誰も手入れをしないのか、草生す古いお墓だ。

 

弘前軍人墓地

 

古い話だが、日露戦争の時に最も勇敢にロシア軍に突撃を挑んだのは、熊本と鹿児島の兵隊だった。ところがいざ防戦に回ると、元々我慢すると言う事を知らない九州人だから、すぐに突撃するか撤退する。とにかく動き回ってそそっかしい。

 

 

それに対して東北出身の兵隊は凍てつく北東中国の平原にちっちゃな地下壕を堀り、強力なロシア軍コサック騎兵の全面攻撃や野砲の砲撃の中でじっと耐え、後方で見ていた司令部が、あれでは一人も生き残ってはいないだろうと思う中、敵の攻撃がやむと自軍陣地から反撃を開始し、当時世界で最強と言われていたロシア軍を相手に一歩も引かなかったという栄光の歴史を持つ。

 

その東北出身の軍隊の中でも中心となったのが弘前連隊である。遠くに北の海を眺める小高い丘の上にある苔むす墓は、弘前の歴史の深さを十分に感じさせてくれる。

 

今から100年以上も前に、クワを銃に持ち替えて弘前から出征した若者の多くは、見たこともない中国東北部の平野でその命を落とした。

 

弘前城彼らが凍て付く平原で最後に見た景色は、薄霧に包まれて雪をかぶった岩木山だったろうか、それとも故郷の村の桜の木の下で酒を酌み交わした花見だったろうか。

 

今こうやって僕が弘前城で桜を楽しめるのも、そのような先達があったからの事。

 

何も分からない竜馬は、お墓の周りで飛び跳ねて、お母さんに叱られてた。その後にお墓に合掌させられてたが、何で石に向かって手を合わせるのか、意味不明って顔をしながらも、素直にお母さんのいう事に従ってた。

 

今から100年以上前に東北アジアで起こった戦争。二級国家であるサル顔のアジア人が一級国家である白人、それも当時世界一の陸軍を、例え運が良かったとは言いながら破った。この後、アジアの植民地は独立に向けて動き出す。そんな話をニュージーランドに生まれた竜馬が理解出来るようになるには、あと何年かかるのかな〜。

 



tom_eastwind at 13:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌