2008年08月

2008年08月31日

白人化

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今回のクイーンズタウン訪問で一番感じたのが、「もうアジア人は不要です」って感覚か。

それも、地元の人々と言うよりも、クイーンズタウンに旅行に来ているオーストラリア人など、よその地域の人々から発せられるメッセージである。

ちっちゃな街であり、資源景気の豪州や天下の米国から白人が続々と訪れているクイーンズタウンでは、あえてアジア人に向けた営業をする必要もない。

スキー場では随分乱暴な滑り方をする連中を見たが、大体においては豪州人。さすがにここまでやってくる欧州人や米国人はそれほど下品ではない。ホテルのレストランで朝食を食ってても、腹の中で何を考えているかは別にして、他人に対する礼儀はわきまえている。

豪州人、個人的には良い人も多いと思うが、集団になると下品。リフトに割り込んだりM1と言う初心者コースを、他人に見られたくて飛ばして人にぶつかって、それで相手に文句を言うって人種だ。

夜になるとビールとワインを持ってレストランでどんちゃん騒ぎ。

そりゃあ楽しいのは良いのだが、まるで80年代の日本農協ですぜ。

ただ、今のクイーンズタウンはそういう客が多いし、彼ら白人は自分たちが世界の盟主と本当に思い込んでいるから始末に終えない。

まあ、そういうのは日本人にもいるし、とにかく自国が一番みたいな連中が自分の信念を貫くのは良いのだが、出来れば自分たちの山の中だけでやってもらいたい。

分かっているキーウィからするとバカみたいな白人至上主義な話だが、資源を持った子供には止めようのないことなのだろう。

 



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2008年08月30日

クイーンズタウン

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クイーンズタウンの最後の夜は、僕が20年前にお世話になったマンダリンレストランで夕食。

 

オーナー夫婦、今だ現役でメニューのオーダーを取っているが彼らはすでにクイーンズタウンでも有数の資産家、そこまでして、なんて日本人なら思うのだけど、彼らは仕事を楽しんでるし、体を動かすことが健康って考えだから、働く事が全然苦になってない。

 

年は取ったがあいも変わらず元気で、久しぶりに顔を出した僕にも、お客のメニューを取る合間におしゃべりを楽しむ。

 

そういえば昨晩もあるビジネスオーナーと話す機会があったけど、クイーンズタウンはある意味今でも白人共和国であり、アジア人が客として金を落としていくのは万々歳だけど、ビジネスとして白人の懐に手を突っ込む真似に対しては物凄い反感を生む。

 

マンダリンのオーナーも、僕もずっと傍にいて見てきたが、80年代に成功して一生懸命白人社会に入ろうとしたが、結局本当の意味での「受け入れ」はなかった。

 

ドアを正しくノックすれば良いのだが、そんなことが出来るアジア人はクイーンズタウンには来ない。

 

勿論クイーンズタウンもすんごい良い街だけど、ビジネスをする時は、地域性とか自分のやりたいビジネスとかその売り出し方とか、よほどしっかり考えておかないと苦労することになる。

 

特に田舎になると、基本的にニュージーランドは社会主義国であり白人至上なんだから、その点をしっかり押えた上で自分がなにやりたいかを決めて、それなりの根回しと利益配分をやんないと、後で思いっきり叩かれる。

 

このあたり、机の上でどれだけ勉強しても分からない部分。ただ、むやみやたらに喧嘩しても勝ち目はない。

 

喧嘩をするなら、まずは自分と相手の力の関係をよく理解すること。昔の中国の戦略家の言葉。

 

 



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2008年08月29日

暖炉の火

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クイーンズタウンに出張。よく晴れた冬空の下を車で空港まで行き、前の晩に少し飲みすぎた頭を抱えながら機内に乗り込む。

 

それにしても昨日は楽しかった。仕事と全く関係のない友人とスキーの話や政治の話や世相の話やらを、ビールから熱燗そして水割りとはしごしながら楽しく過ごす。勿論シメは大声大会(つまり歌声喫茶)。

 

木曜日の直行便はほぼ満席で、ネクタイをしている乗客は当然のことながら一人もいない。

 

クイーンズタウンは冬場は観光地でありスキー場であり、例えビジネスで行くとしてもネクタイをする必要がない。だから時々街で見かけるネクタイをしている人ってのは、よその国から来た初対面の客を相手にする弁護士か不動産業者かって感じなくらい。

 

それでも機内から空港ターミナルまでずっとTシャツ一枚で過ごしてたおにいちゃんもいたのには、さすがにびっくり。てか、街の中でもスキーウェアーを着ている人もいればTシャツ一枚の人もいる。一応スキーシーズンですが、寒くないのか?

 

南島の人々の特徴としては、実に明るい顔で朗らかで、特に若者の顔が5歳児に見えるくらい純粋な点だろう。これだけはオークランドと決定的に違う点だと思う。

 

レンタカーを借りて移動、ミルブルックリゾートに投宿する。

 

前回のスキー出張では仕事の都合と山に行くのもOKなので泊まってみたら、なるほどこれは良い。

 

全体的にはニュージーランド、それも南島独特の「時間が止まったような柔らかいサービス」なのだが、そこにピザの上の粉チーズのように乗っかった、少しずつプロフェッショナルな雰囲気がするのだ。

 

ホスピタリティってのは面白いもので、提供する側が自分の頭の中にイメージがないと提供出来ない。

 

20年ほど前の中国では新しいホテルがどんどん建設されたが、働くスタッフが良いホテルに泊まった経験がないので、客あしらいってのを理解してなくって、当時の旅行業界からは「あり得ん・・・」てな評価だった。

 

そういえば大阪のカールトンホテルでは、従業員がまず自分を高めようとしているってのがあった。つまり、客=神様、従業員=奴隷ではなく、客と従業員が同等の視線でお互いのベストを求めるって発想なのだ。

 

それがここではうまくバランスが取れている。客でありながら友達、そんなイメージが持てるのだ。

 

そして部屋に入る。

 

今回は家族帯同。前回の出張で「ミルブルック良かったぜ、そいでまたスキー出張だぜ」と、ついつい余計なことを言ったしまったら、うちの奥さん、「わたしもつれてけ!」である。そうなると家族大移動。

 

予約してもらった部屋は寝室が二つあるタイプで、キッチンと暖炉部屋があってとても過ごしやすい。

 

竜馬君は部屋に入るなり「テレビどこどこ!」って騒いでたが、今日はNOテレビです。折角こんなゆっくりした雰囲気を楽しめるのに、何でテレビが必要なの?

 

暖炉(薪に見せかけたガス暖炉)に火を入れて部屋を暖めながら、風呂上りの体をソファに横たえてchet baker LesterYoungCDをホテル備え付けのBOSEプレイヤーに突っ込む。

 

良い音ですね〜、全く。これならMilesDavisも持ってくれば良かった。

 

家族はとうにクイーンズタウンに夕食に出かけた。このホテルからクイーンズタウンまでは、歩けば2時間くらいか?車で15分程度。歩けば、多分凍え死ぬな。

 

ジャズとウイスキーとルームサービスのステーキサンドウィッチと一人の静けさを楽しむ。

 

こりゃ贅沢かも?そう思いながらクイーンズタウン行きの飛行機の中に居た若者の顔を思い出した。

 

彼らって、生まれた時からこんな贅沢な生活、してるんだよね・・・。

 

コンビニの便利さとか電車が時間通りに来るとか最新の映画が見れるとか・・・。そんなもんになんの価値があるのか?・・・・あるんだろうね、ある種の人々には。でもでも・・・・

 

やっべ!web2.0の次の世界、web3.0では、ニュージーランドが世界で最も過ごしやすい国になるかも。

 

要するに生活の基盤をNZに置きながら、仕事は世界最先端なことをやってるってイメージですね。

 

暖炉の火を眺めながら、結構そう本気で考えています。



tom_eastwind at 00:36|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月28日

床屋談義

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4月に家族で函館に行った時、ついでに散髪をしてきた。(散髪ってのも、もしかして死語か?)

 

駅前の平日の午後、人通りの少ない、でもその店だけは何故かたくさんのスタッフ(8名くらい?)とお客(10席もない)で埋まってた。初日に見かけてずいぶんお客が入ってるなと思い、翌日もまた偶然そこの前を通りかかると、お、スタッフばかりでお客は一人だけ。

 

ちょうど散髪したかったので、髪の伸びた竜馬と二人で飛び込む。

 

どこ切るんじゃ?とよくからかわれるくらい丸坊主のはげなのだが、短くするとそれなりに10日に1回は刈りそろえる必要があるのだ。

 

日本なので実に手際が良い。さっさと注文を取ってくれて、何より良いのは曖昧が通じることだ。「ここを大体こんな感じで〜、こっちがこうで〜」とか、「子供は普通に刈ってください」で通じる。

 

実は僕はオークランドにいる時は、いつも自分でバリカンで刈っていた。だから後頭部とか刈り忘れたりして、そこだけモヒカンになったりする。でも、地元のお店でキーウィ相手に「曖昧な」説明をして無茶苦茶に切られた挙句に金を払うくらいなら、30ドルで買えるバリカンを何十回も使ったほうが余程諦めもつくと言うものだ。

 

この時は旅の途中だしバリカン持ってきてなかったので、久しぶりに日本の散髪や=理容室に飛び込むことになったのだ。

 

ただ、何でこの店、特別でもないのに繁盛しているのかなと思って後でちょっと聞いたら、以前は個人経営の理髪店がたくさんあったのだけど、人口が減少して大手チェーンが進出(それがこの店らしい)、格安価格で客を取ってしまったもんだから、古くからやってる店はどこも赤字で子供は商売を継がず、結局廃業するか、チェーン店で働くしかなくなったとのこと。

 

元々この業界、ちゃんとした団体があって値段等は昔からどこでやっても同じ、大人一人4千円くらいってのが相場だった。

 

ところがQBハウスなど安売り?散髪やが参入してきて市場は激変。そこからすっかり値段競争に追い込まれて、古くからやってる理容室などは怒りのあまりにQBハウスが出来ると石ぶつけたり美容師を脅かすなんて騒動になった。

 

でも結局消費者の支持を得た安売り理容室が業界を席巻して、他の美容院もあの手この手で価格競争に走り、今の状況になっている。

 

たしかに価格競争で美容室チェーンの経営者は儲かるだろう。そこで働く人も仕事は安定するだろう。しかし、その人たちの収入は確実に減っている。

 

消費者は安いものを探して買う。その結果企業側は人件費を下げる。労働者の収入は減る。労働者は家に帰れば消費者だ。企業の安売りの結果給料が下がったから、消費者は安いものを探して買う。悪循環。

 

ここでもまた「働けど働けど猶〜」が始まっている。労働者が回りまわって同じ労働者を虐めているのだ。

 

価格競争はこれもあってしかるべきだろう。でも、適正価格がいくらかってのは大事だと思うし、適正価格の中には、必ず社員の生活の安定が入ってるべきだと思う。

 

雇用形態がどうであろうと、少なくてもその会社で5年から10年働けば、夫婦の共稼ぎで家を買う頭金くらい貯金出来る、それが一つの標準ではないかと思う。

 

その標準を作るのが政府の仕事である。

 

民間に任せていては、人間さえも商品の一部となってしまい、最低価格がどんどん下げられて、結局「食えなく」なる。5年経っても家が買えない、その日暮らしのサラリーマンになってしまう。

 

でも、人間だけは商品の部品ではなく仲間なのだ。その認識があれば、最低の生活を守ろうって気持ちになるはず。

 

例え派遣でもパートでも、最低守るべきものはあるはずだと思う。人が人を尊敬していれば、やってよいことと悪いことの区別がつくはず。

 

ところが今は職場で差別が広がり、同じ仕事をしても正社員、派遣、パートと、階級が発生している。職場内階級は、静かに人々の心に浸み込んでいる。

 

でもその格差是正を民間に求めても、民間は価格競争をやっているんだから他社が値下げすれば当社も値下げするしかない。そしたら一番経費削減に早いのは人件費である。だからどしても人件費の値下げに歯止めが効かない。

 

だから本来なら政府が国民生活の最低基準を守る為の「人が人に値する生活が出来る」最低賃金を導入してそれを遵守させるべきなのだ。ところが東京の最低賃金は739円である。ニュージーランドはどの地域で働いても12ドルだ。どっちがまし?

 

政府もやっと最近になって職場内格差の是正に向けて取り組み始めたが、キーウィ流に言えば「遅すぎるし少なすぎる」ではないだろうか。

 

結局いつの時代も一番損をするのは政府を信じて真面目に働いている人々だ。

 

写真はグレンフィールドのショッピングセンターでバーゲンやってるとこ。

 

しょうもない床屋談義であった。

 

 



tom_eastwind at 19:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 

2008年08月27日

デモの風景

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ヌードパレード判決

僕の机はちょうどクイーンストリートとビクトリアストリートの交差点側にあるので、下を見ると時々面白い景色が見える。

この日はある種のパレードを許可するかどうかで裁判にまでなったケース。

 

詳細はNZdaisukiでご覧下さい。

**全文引用開始**

昨日、裁判を行なったニコラ・メザース判事はオークランド市側の申し立てを退け、ポルノ写真家スティーブ・クロー氏主催のヌードパレードの開催を許可した。判事はパレードは悪趣味だが無害だとし、こういった問題は「モラル」であるため難しく、判事はあくまでも法に従った判決を下したと語った。

申し立てを行なっていたオークランド市議会のキャシー・ケイシー議員は、反対する女性知人らと共に抗議運動を行なう為にクィーン通りに横たわりパレードを阻止する予定だ。

気象台は、オークランドは南西の風により冷たい空気が流れ込み、パレードが予定されている昼頃の気温は8度程度を予報している。

このランチタイム・パレードは今年で6回目を数え、約10万人の見物客を集めるイベントとなった。

判決を聞いたジョン・バンク市長は、パレードは女性侵害でクィーン通り、オークランドの恥だが、裁判所の意向に従うと感想を述べた。

**引用終了**

自由と自分勝手の間に揺れるオークランド市でした。

 



tom_eastwind at 17:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2008年08月26日

資格

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週末から書類を読み込む。眼底疲労か?ってくらい、目が疲れるな〜。

ニュージーランドでも資格バカってのか、「資格を全てと思い込み、実力等は何も考慮せずに、例えば大学在学中に資格を取ってしまう、とても頭の良い人々」がいる。

あんまり変わらんか。

まあいい、実はこれ、ニュージーランドでも結構そういう場面がある。資格を持ってるけど現場の智恵がないからとんちんかんな事を話す連中。

資格を持った素人連中よりもこっちの方が余程詳しいのだが、そういうのに限って自分のミスを認めようとしない。また、資格を持った人間としか話をしませんって当局がたくさんある。

そりゃまあそうだわな。誰かが「俺は資格はないけど知ってるんだ!」なんて言ってきても、それを調べる手段はない。当然入り口で叩き落すしかない。理解は出来る。でも、その意味ではニュージーランドも役所が関わると日本並みに結構めんどいところがある。

今回は、警察と司法省と移民局にいる担当者3人を相手に振り回される。始まりは会社登記局(Company office)だったのが、縦割り行政のニュージーランドでは、隣の局や省の法律を知らない。

そりゃそうだ、終身雇用もない制度なので、公務員と民間の交流が思いっきり盛ん、つまり昨日までの素人が今日は役所の窓口に坐って偉そうなことをのたまうわけだ。

特に現場の窓口にいるような連中は、かなり知識が低いし、論路を組み立てるということが苦手だ。学校でこの手の勉強はあまりやらないしね。

だから飲茶が日本料理と思ってたり、何かを作る作業になると段取りってのが無茶苦茶悪い。これは現場を知っている日本人なら誰でも感じることだろう。

ましてや司法省に問い合わせたことがきちんと警察に伝わらず「これはこうです」と間違ったデータが移民局に届けられる。そして司法省はそれだけを見て間違った回答をする。

でもってこっちが「それっておかしくない?こっちの役所はこう言ってるよ」と説明すると「あらま〜、うちの役所はあなたの質問に答える理由も義務もありませんのよ」で終わり。

まるでトップ写真のように、自分の顔を全部隠して役所になりきったような雰囲気だ。

おいおい、こっちはNZで雇用と納税に協力しようとしてるんだぜ。

こういうのは、お人よしの国ではあるがその反面どうしてもマイナス面として出てくる。出てくる理由が分かるから「!」と怒鳴っても解決しない。

そういう時はもっと実際的な解決策を見つけて問題を終了させるのだが、一旦こじれたものを修復するのは実に面倒。

全体を見ずに自分の目先さえ終了すればそれでよしとする人々は、世界中どこにでもいる。

「部分の無謬(むびゅう)、全体の誤謬(ごびゅう)」がここにも発生している。

それにしてもお役所仕事。黒澤明の名作で「生きる」ってのがあった。地方公務員が自分の人生の終焉を迎えて、俺は一体何のために生きてきたんだろうと悩む。

そりゃそうだ、少なくとも自分の一番元気な時代のかなりの部分は労働時間である。その部分の思い出が楽しくないとすれば、てか、全く空白であれば、振り返ったときの人生のわびしさは、ひとしおだろう。

役所だって真剣に自分の立場を考えればわかること。国民のことを考えれば、やれることはたくさんある。もっと仕事を楽しもうぜ。

”命短し恋せよ乙女”、死を迎えた主人公が思わずくちずさむ歌だ。

皆さん、やりたいこと、やってますか?



tom_eastwind at 22:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月25日

口直し

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「とにかく口が悪いってか、言わなくてよいことばかり言うから良くない」

多くの方から、メールや直接口頭で指摘されております。それもしょっちゅう。

地域性の問題で片付けられないくらい、どうも僕の態度はあまり良くない。

そうなのです、最近は少し反省して、文体を変更しようかとか考えてます。

でもな〜、腹の中で考えていることは結局同じなので、さてどうしたもんか。

そんな事を考えてるけど、コロネットピークから見たリマーカブルの美しさは、やっぱりべつもんですね。すんごいきれい。

何の化粧もなく、写真より実物の方が綺麗なんて、世界の観光地でいくつあるものか?

特にシンガポールのマーライオンなんて、超勘違い。

あんなうそつき連中に比べれば(お、またも口が悪くなってる)、ニュージーランドの美しさってのは本当にすごいと思う。

さて、どうするかは別にして、とりあえずこの写真を楽しんでください。



tom_eastwind at 22:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月24日

記者の目 1

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グルジア紛争が国際ニュースのトップ記事になっている。

 

ところがどの新聞を見ても、「ロシアが軍事介入した」とか、グルジアの一つの州である南オセチア州にロシアが侵略してグルジアと戦争している、だからロシアは出て行けって文意である。

 

これ、自由主義国家の限界を示しているってか、新聞記者、恥ずかしくないのかって感じ。

 

ここから先は思いっきり長くなるので戦争とかロシアに興味がない人は無視してください。

 

ついでに、長すぎて一回じゃダメってなったので、二回に分けて書きます。

 

結論だけ先に言うと、今回のグルジア紛争、侵略したのはグルジア政府とその背後にいる米国で、ロシアがやってるのは南オセチアに住む仲間を助ける防衛戦争だってことです。

 

まずは読売新聞の89日の記事を見ると、誰が誰に何をしたか明確に書かれている。

 

**全文コピー開始**

グルジア軍、「分離独立」主張する南オセチヤ州都を攻撃

 【モスクワ支局】AFP通信などによると、グルジア軍は7日夜から8日未明にかけて、同国からの分離独立を主張する南オセチヤ自治州の州都ツヒンバリへの攻撃を開始した。

 戦車による砲撃など激しい戦闘が続いており、南オセチヤ側の説明では少なくとも15人の市民が死亡した。

 こうした事態を受け、同州に平和維持部隊を駐留させ独立派勢力の後ろ盾となっているロシアは、国連安全保障理事会の緊急会合の招集を要請した。

2008881426  読売新聞)

*全文コピー終了**

 

だから要するに、グルジアの兵隊が自国領にある自治州に対して兵隊を送り込んで市民を殺したわけだ。同時に駐屯するロシア兵をも殺している。

 

でもって、これは一番下の抜粋の田中宇の記事を読んでもらえば分かるけど、自治州と呼ばれてるように、ここは元々グルジアの領土と言えない面がある。

 

国際政治は本当に歴史をややこしくするけど、「「ロシアと南オセチア自治州は欧州安全保障協力機構)の協定に基づき、ロシア軍が「平和維持軍」として駐屯している」」のにも関わらず攻め込んでロシア兵を殺したのは、実はグルジア軍なのである。

 

それに対して米国が言いだしたのは↓

 

**全文コピー開始**

米国務長官、露軍撤退を求めるグルジア軍との交戦で

 【ワシントン=岡本道郎】ライス米国務長官は8日午後、ロシア軍とグルジア軍が交戦した南オセチヤ自治州情勢について、ロシアに対し、グルジアの領土保全尊重と同国内からの地上軍撤退を求める声明を発表した。

 長官声明は、北大西洋条約機構(NATO)加盟を目指し、親欧米路線を進めるグルジア支持の立場をより明確にしたものと言える。

 一方、米国務省のガイエゴス報道室長は長官声明に先立ち、当事国や欧州諸国との停戦協議のため、特使を同日中に現地に派遣する方針を明らかにした。

2008891245  読売新聞)

**全文コピー終了**

 

これっておかしくないか?ロシアが駐屯する南オセチアにグルジア軍が侵攻したのだぞ。大体同国からの撤退って、今回の戦争になる前からロシア軍は南オセチアにいたんだよ。何で叩かれたほうが出て行かなくてはいかんのか?

 

ところがその翌日はにはこんな提灯記事が出される。

 

**全文コピー開始**

「ロシアは死んでも許さない」グルジア国民に渦巻く憎悪

 

 【トビリシ=本間圭一、中谷和義】南オセチア自治州をめぐり、ロシアと戦闘状態に入ったグルジアの首都トビリシに9日入った。

 市民の間では、圧倒的な軍事力でグルジアへの攻撃を続けるロシア軍に対する憎悪が渦巻いていた。

 

 「ロシアは死んでも許さない。命令があれば死ぬまで戦う」。

 8日に空爆を受けた、トビリシの南東15キロにあるワジアーニ陸軍基地。ダビッド・クトシア大佐(43)は、ロシア軍への怒りをぶちまけた。

 

 国軍精鋭の陸軍第4師団が駐屯する同基地では9日、私服を着た若者が次々に建物の中に入っていった。急きょ招集された予備役だ。「ロシア野郎め!」。少年ぽさが抜けない20歳の若者はこう吐き捨てた。

 

 だが、戦況はグルジア側に厳しい。南オセチア自治州の州都ツヒンバリ周辺での戦闘では、グルジア軍が後退しているとの見方が有力だ。

 

 主要テレビは戦況を伝える特別ニュースを常時流し続けるが、トビリシはツヒンバリからわずか100キロで、市民は気が気ではない。「そろそろ首都か」。街角で会った男性はそうつぶやいた。乗用車の窓からグルジアの旗を振って運転する若者は目立つものの、すでに首都から避難する市民も出始めている。

 

 一方、トビリシ中心部の共和国病院には、9日だけで、空爆などによる500人の負傷者が運び込まれた。病院入り口には、負傷者の名前を書いたリストが張り出され、親類や家族、友人の安否を気遣う数百人の市民が駆けつけた。

 

 47歳の主婦は、爆撃を受けてツヒンバリから同病院に運び込まれた義理の息子と面会したが、「爆撃のショックで、口もきけなかった」と話した。

20088100228  読売新聞)

*全文コピー終了**

 

そりゃグルジアの首都で取材をすれば「ロシアが憎い」となるのは当然だが、本来公正中立である新聞なら、その反対記事として、グルジア兵に殺された南オセチアの人々の取材を並行するべきではないか?

 

ところが日本の新聞は一切そういう事を書かずに、↓のような記事になる。

 

**全文コピー開始**

米大統領が緊急声明、露軍のグルジア侵攻を強く非難

 【ワシントン=貞広貴志】ブッシュ米大統領は11日、ロシア軍によるグルジア侵攻を受けて緊急声明を出し、「紛争を劇的、かつ野蛮にエスカレートさせるもの」とロシアを強く非難し、「露政府は、進もうとしている針路を転回し、紛争解決の第一歩として(停戦などをうたった)和平合意を受け入れなければならない」と、グルジアからの即時撤退を要求した。

 

 大統領は、露軍がグルジアの首都トビリシの民間空港爆撃や、サアカシビリ政権の打倒を計画している兆候があるとした上で、「このような行動は、21世紀には受け入れられない」と批判。さらに、侵攻が「世界におけるロシアの地位を傷つけ、米国や欧州との関係を危険にさらすことになる」と警告した。

 

 ブッシュ政権は従来、南オセチア自治州情勢の悪化には懸念を示しつつ、対ロシア非難には慎重だった。だが、露軍が自治州を越えて米国の友好国グルジアの領内に侵攻し、トビリシにも迫る緊迫した事態を迎え、対決姿勢を明確にした。

 

 ただ、今後の対応については、欧州連合(EU)を中心とする調停努力への支持表明にとどまり、ロシアの軍事侵攻に対抗する具体措置は提示しなかった。

20088121207  読売新聞)

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これだと米国が正義の味方、悪いのはロシアだって印象を持たせようってのが見え見えだ。しかしこれは全然事実と違う。それは最後の田中宇の記事を読んでもらえば分かる。

 

もひとつこの記事には、実は思いっきりずるい内容が含まれている。

 

「大統領は、露軍がグルジアの首都トビリシの民間空港爆撃や、サアカシビリ政権の打倒を計画している兆候がある」とワシントン発の記者会見記事をそのまま書いてるけど、おいおい兆候ってナンだよ?

 

イラクを侵略した時は「決定的な証拠がある」と言って戦争始めといて、相手が負けた後に「あ、ごめん、そんなのなかった」と平気で言う国だぜ。

 

そんな「兆候」だったらどんなことでも言えるよ。「彼女は僕を好きな兆候がある」とか「ブッシュが今晩はステーキを食べる兆候がある」とか、ナンでも言える。それを検証するのが記者の仕事じゃねーのかい?

 

このあたりが米国追従の御用記者の一番腹だたしい点だ。

 

てか、自分がいつも米国や日本政府に対して弱い立場にいて、弱い人の苦しみを知っているはずなのに、いざ国内記事となるとまるで正義の味方のように弱い人を痛めつけて、全く反省をしようともしないその姿勢には、「お前の脳みそ、一体何が入ってるんだ?社会人になる前のどの時点で人間の心棄てたんだ?」と聞きたい。



tom_eastwind at 13:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

記者の目 2

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でもって米国、今度はこんな事を言い出す。

 

**全文コピー開始**

米国務長官と仏大統領、南オセチアの地位変更「認めず」で一致

 

 【ブリュッセル=尾関航也】ライス米国務長官は14日、南オセチア紛争の調停を担う欧州連合(EU)議長国フランスのサルコジ大統領と南仏トゥーロン近郊の大統領別荘で会談し、現在は事実上のロシア軍支配下にあるグルジア領南オセチア自治州とアブハジア自治共和国について、独立など地位の変更は認めない方針で一致した。

 

 EU主導によるロシアとグルジアの和平交渉が始まるのを前に、「領土の一体性」をめぐる問題についてはロシアへの妥協を排除し、グルジアの主張を支持することを、米欧共通の立場として確認したものだ。ライス長官は会談後、記者団に「(グルジアは)国連加盟国であり、国際的に認められた国境線は尊重されねばならない」と述べた。

 

 ライス長官は15日、トビリシに入り、サアカシビリ・グルジア大統領と会談する。

20088151104  読売新聞)

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全くこいつらのいう事は意味不明。自分勝手の典型的な例です。

 

米国は今まで他国をひっくり返すときには必ず「民主主義」とか「国民の自由な選択」とか言って、自由と民主主義と言う美名の元に世界であっちこっちの親米政権を作るためにひっくり返してきた。

 

イラクに民主主義を持ち込んで国を破壊したのは誰だ?中南米で民主主義の名の元にクーデターを起こして中南米を米国の実質支配下にしたのは誰だ?

 

なのに今回は、グルジアの領土がどうのこうの、お前らいつから他国の領土について語る立場になったの?

 

大体それなら、南オセチア自治州の人々の声を聞いてみればよい。田中宇の記事にもあるように、「ほとんどの人々がロシアへの併合を求めている」のだ。

 

田中宇の記事を一方的に信じる必要はないというのも事実。でも少なくとも中立公正というなら、両方の意見を取り上げるのが本来の仕事ではないか?

 

ところが更に今度はチャスラフスカさんまで持ち出して、ロシアの印象を悪くさせようとしている。

 

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五輪の華、チャスラフスカさんが露のグルジア侵攻を非難

 【ウィーン=石黒穣】東京、メキシコ五輪金メダリスト、チェコスロバキア女子体操のベラ・チャスラフスカさん(66)が、21日発行のチェコ主要紙イドネスのインタビューで、40年前の民主化運動「プラハの春」がソ連軍侵攻で挫折した体験を踏まえ、ロシアのグルジア侵攻を「40年前とほとんど変わっていない」と非難した。

 プラハ在住のかつての体操の花は、元夫が息子の暴行で死亡した事件後、10年以上も世間と接触を絶っており、メディアへの登場は異例。

 チャスラフスカさんは、インタビューの中で、ソ連軍侵攻の2か月後、4種目で優勝したメキシコ五輪に「祖国の屈辱をはね返すため、最高の演技を誓って臨んだ」と述懐。

 表彰台ではソ連の選手に背を向けたが、「内心かわいそうと思った」と語った。

20088221244  読売新聞)

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そりゃプラハの春を経験した彼女であれば、当然ロシアに対して一生忘れない恨みをもっているし、その怒りは当然のものである。ただ、当時のロシアによるチェコへの侵略と、今回の南オセチア防衛とは全く内容が反対なのだ。そのような背景を全く無視して、チャフラフスカさんがメディアに出てきたその背景に何があるのか、そのほうが気になる。

 

僕は別に読売新聞に恨みは持ってないし、今回取り上げる記事にしても、露・グルジア紛争特集を日付順に取り上げてるだけだ。

 

ただ、その殆どの記事の取り上げ方が、「グルジアに侵略したロシア軍」と言う印象を、読者に植え付けようとする魂胆が見えてしまうのだ。

 

新聞記者が世の中の最低の仕事であり、中学を卒業したら誰でも入社出来て、それほど漢字も書けてなくよくて、自分で社会の事実を理解出来なくて、人に言われた事をそのままコピー&ペーストするだけでよいだけの仕事であれば、僕も何を言う必要はない。

 

でも、違うでしょ?

 

事実と違ったことを書くと恥ずかしいでしょ?それとも、恥ずかしいという気持ちよりも、高給が貰えてお迎えの車が来て、一生を保障されてる今の生活の方が好きなのか?

 

でも、もう新聞の時代ではない。それは購読部数の落ち込み、広告出稿量の落ち込みに如実に現れている。

 

すでに化石に向けて衰退を始めている新聞社が、嘘を書いてでもいいから何とか今の自分の生活を守り、何とか定年で逃げ切ろうとする上層部によって支配されているから、新聞が事実を書けなくなる。

 

捏造記事を読まされてそれをそのまま信じる国民への裏切り行為というのは、犯罪にはならないだろうな、騙されたほうが悪いってことだろう。

 

今日のNHKニュースではグルジア軍による南オセチアへの攻撃を特集している。その中では南オセチアの民間人に取材したら「グルジア軍が攻めてきたんだよ」とはっきり語っていた。

 

一番最後になったけど、田中宇氏の記事を抜粋コピーする。

 

田中宇の国際ニュース解説 2008819http://tanakanews.com/

━━━━━━━━━━━━━━━━
★米に乗せられたグルジアの惨敗
━━━━━━━━━━━━━━━━

 8月7日夜、グルジアの軍隊が、自国領ながら半独立状態で中央政府に敵対
してきた南オセチア州の州都ツヒンバリに侵攻し、ロケット攻撃などで市街を
破壊した。ロシア政府の発表では、グルジア軍は侵攻時に約2000人の市民
を殺害した。南オセチアには、OSCE(欧州安全保障協力機構)の協定に基
づき、ロシア軍が「平和維持軍」として駐屯しているが、グルジア軍はこのロ
シア軍をも攻撃し、15人のロシア兵が戦死した。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/eo20080813gd.html

 南オセチア州は、埼玉県ほどの広さで、人口は約7万人。人口の3分の2が
オセチア人(オセット人)、4分の1がグルジア人で、両民族は州内にまだら
に混住している。南オセチアはロシアと国境を接しており、ロシア側には北オ
セチア共和国がある。南オセチアのオセチア人は、北オセチアとの統合を希望
し、ソ連崩壊後、1991年にグルジアからの独立戦争を開始し、決着がつか
ず長期紛争となり、今に至っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/South_Ossetia

(オセチア人は、イラン語に近いオセチア語を話す。13世紀にモンゴルの侵
攻を受け、ドン川流域から、カフカス山脈の山中にある今の居住地域に逃げて
きた)

 2006年の住民投票の結果から見ると、南オセチア州に住むオセチア人の
ほとんどは、グルジアからの独立と、ロシア領北オセチアへの併合を希望して
いる(同州のグルジア人住民は、自州がグルジア領内に残る現状維持を希望し
ており、国連では、住民投票は無効とみなされた)。ロシア政府は、同州のオ
セチア人がロシア編入を希望しているため、希望者にロシア国籍(旅券)を配
布しており、オセチア人の9割以上がロシア旅券を持っている。8月8日にグ
ルジア軍が侵攻したツヒンバリの市民の大半はオセチア人で、攻撃を受けた市
民の多くがロシア側に越境避難した。
http://rense.com/general82/dcnuke.htm

 グルジア軍侵攻の数日前から、南オセチアでは、グルジア人とオセチア人の
武装住民どうしの散発的な銃撃戦が続き、ロシアとグルジアの両方がOSCE
の交渉枠組みを使い、仲裁に入っていた。8月7日午後、グルジアのサーカシ
ビリ大統領は国営テレビを通じ、自治を与えるので交渉しようと、オセチア人
に停戦と和解を呼びかけた。しかしこの和解提案は、オセチア人とロシアを騙
すトリックだったようで、数時間後の同日夜、800人のグルジア軍が州境を
超えて進軍し、ツヒンバリの市街を破壊し、軍事占領した。

 グルジア側が侵攻のタイミングとして8月7日を選んだのは、翌日からの北
京オリンピックのため、ロシアの権力者プーチン首相が北京に行っており、メ
ドベージェフ大統領もボルガの川下り船中で夏期休暇中で、ロシア軍の対応判
断が遅れると予測したからではないかと分析されている。実際には、プーチン
は北京からロシア軍に反撃の指示を出し、露軍はすぐに南オセチアに越境進軍
し、グルジア軍を退散させた。
http://www.odt.co.nz/opinion/editorial/17337/georgia039s-folly

 

田中宇のメルマガをコピーした文責は当方にあります。

 

もし国際政治に興味のある方、是非とも彼のメルマガに登録して見てください。世の中の見方が変化すると思います。 

 

 



tom_eastwind at 13:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月23日

EB Games

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日本とニュージーランドを繋ぎたい。

 

多くのNZdaisukiな人が考えてます。でもって、彼らがいつもいう事が、「日本のキモノ」とか「伝統的な舞踊」とか「盆栽?」になってします。

 

 

 

でもですね、悪いんですが、そのような日本文化は、多くのキーウィにとっては意味不明。それは、日本人が見せたい日本であり、外国人が見たい日本ではない。

 

それでも多くのキーウィが日本を好きな理由は、実は日本の知識層が小ばかにしているアニメとかテレビゲームとかプレイステーションとかプラモデルなんですね。

 

今日も竜馬くんとグレンフィールドショッピングセンターのゲームショップEB Gamesに来てます。

 

ここでは普通に日本語のパンフレットが置かれてます。お客が日本人ってわけじゃないのは写真を見てお分かりのとおり。

 

でも、日本からは色んな宣伝材料を送ってきてくれるし、それが日本語だって絵を見るだけで楽しい、そんなのがあるのでしょうね。

 

竜馬くんは周囲から日本人の子供とは思われてないので突っ込みはないのですが、僕の場合、大人がこんな店にふらっと入ってくるのが珍しいようで、「どっから来たの?」と控えめに聞かれます。

 

そこで「日本からだよん」なんて言うと、皆さん大喜び、手に持ってる日本語のパンフレットを見せて「ねえねえ、ここ何て書いてるの?」となる。

 

これはタカプナの玩具店でも同じで、このお店で一番人気はTAMIYA(田宮)の模型。ミニカーとか戦車、いろんなものがあります。

 

でもってシティのキーストリートにあるHobby1だっけな、この店は田宮の35分の1の戦車とか、所謂ミリタリーモデルが幅を利かせてます。

 

隣の棚には中国製、韓国製、イタリア製、いろいろありますが、やっぱり田宮と対等に戦えるのは同じ日本製の長谷川くらいかな。

 

自分でも中学生の頃から田宮の35分の1モデルは随分作りこんできたので、その水準が当たり前と思ってきたけど、中国製のミリタリーモデルを見ると、まるで「トヨタ」のエンジンと中国の「なんちゃら汽車」のエンジンを比較するようなもので、もうかわいそう。

 

日本人の一番の問題は、自分の長所と欠点を把握していないって事かなと思ったりします。

 

長所であろうが欠点であろうが、それは自己研鑽という意味では自己の目標と比較した場合に「未だ出来てない」と反省するのは良いのですが、国際ビジネスをするうえでは、他国の競合商品と比較をしての話です。

 

このあたりの感覚を磨かないと、一生懸命働いても手元に残るのは誰かさんの食べ残しってことになります。とくにこれからの時代。考えないとなー。

 



tom_eastwind at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月22日

オリンピック 柔道でもか

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たまたま日経ビジネスを読んでいたら、井上さんっていう、とても強い柔道選手がいて、彼はシドニーオリンピックの柔道で金メダルを取った人だけど、今回はオリンピック選手を選ぶ試合で負けてしまい、結局柔道現役を引退することにしたそうです。

 

5歳から25年間柔道やってきたってから凄いのだけど、それ以上に彼が今回のインタビューで語った内容が「勝つ柔道と強い柔道の違い」です。

 

 

つまり、柔道が欧州でも人気が出てきたのですが、普通に戦ったら本場の日本選手に勝てないので、例の如く欧州の仲良しチームが舞台裏でこそこそと話してルールを変更して、日本選手の得意とする一本技を封じて、まるでレスリングのダンスのように抱き合ってじらすほうが勝てるようにしました。

 

ところが日本勢はまじめ、ルールが変わったにもかかわらず今まで通りに普通に一本を狙いにいくので、頭の良い欧州勢は逃げ回って時々足を引っ掛けて、それで優勢勝ちを獲るんですね、まあ賢い。

 

こうなると、強い柔道を学んできた日本勢、勝ち目なし、ですね。

 

これは、数日前に書きましたスキーや水泳やバレーボールと全く同じ構図ですね。完全にある種の人々にバカにされてる。

 

宮崎出身の井上さん、ご自分でも「強い柔道を学んできたし、それが自分は好きだ、でも後輩が勝つ柔道を学ぶことを否定はしない」って言ってました。

 

あ〜あ、あふぉ(IOC)と付き合うからだよ。

 

と申しますか、そこまでして勝ちたいでございましょうか?所詮ゲームなのに、ルールを作る連中とつるんでルールを変えてまで勝とうなんて、一体頭の中どんな子供でしょうね?

 

白州次郎がこんなの見たら、本気で烈火のように怒ってIOCに殴りこむだろうな。

 

戦争で負けたからって、スポーツの世界でまで相手の言いなりになって卑屈にならずに、「お前らのルール作り馬鹿げてる、だったらやーめた」でオリンピックの参加拒否すれば良いのではないでしょうか?

 

参加することに意義があるって言ったのは、一体誰だ?参加させといて、不利な条件で競争させて、自分が勝って威張りたいからか?やってることがいつまで経ってもガキじゃんか。全くもう。

 

 



tom_eastwind at 00:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月21日

兵隊稼業

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青く薄暗い森、雨雲の下、野戦用の雨傘をかぶって新型自動ライフルを持った兵隊たちが歩き回る。足元は泥だらけだ。

 

場所は、コソボあたりではないかな。画面からしてそういう感じを受ける。

 

 

兵隊たちは、たった今戦闘の終わった、まだ薄煙りの上がる森の中の戦場で腰を低く構えて武器をを腰だめにして、少しづつチームの幅を広げて歩きながら残敵がいないかどうか、沈黙の中ですり足で探索する。

 

すると「ヘイ、誰かいるぞ!」

 

一気に兵隊の間に緊張が走り、銃を正面に構えながら、声を出した兵隊の近くに寄っていく。

 

するとそこには、大きな木の窪みの下に隠れて肩を寄せ合ってる、怯えてる8歳くらいの子供が二人いた。

 

まだ幼い顔は青ざめている。背中を丸めて、びくびくしながら近寄ってくる兵隊が味方なのかどうか、まだ見極めが出来ずにいる。

 

着ている柔らかそうなジャケットはそれなりの家庭であることを示しているが、戦争は全てを破壊する。

 

泥の中に半分まで浸かったような子供に、兵隊が声をかける。

 

「ヘイ!大丈夫だよ!“」

 

そう声をかける彼らの声は、兵隊の声から自分たちの生まれ育ったニュージーランドの田舎町の声に戻っている。

 

「この子供たちの命を守るは誰ですか?」テロップが流れる。

 

そう、これはニュージーランドの兵隊募集のテレビ宣伝だ。

 

ニュージーランドでは兵役はない。だから日本の自衛隊と同じで、常に募集をかけている。ただ、日本の場合は戦争に負けたし自衛隊なので国家防衛だが、ニュージーランドの場合は、

 

1899年のボーア戦争

1904年の第一次世界大戦

1937年の第二次世界大戦

1949年の朝鮮動乱

1950年代のマラヤ独立戦争

1960年代のベトナム戦争派兵(すぐに撤退した)

(この年次、記憶で書いてるので、もし違ってたら後で訂正します)

 

その後も、コソボや東ティモール、ソマリアなど、世界各地の紛争国に国連の要請の元に兵隊を送り込んでいる。

 

要するに、常に外国で戦争をしてきた。でも彼らは常に大義のある戦争を戦ってきた。常に英国や国連や世界の要請に基づいて兵を出してきた。

 

でも、イラクには派兵していない。あれは米国の私的戦争だからだ。

 

だから、戦争を恥ずかしい過去とは思ってない。それどころか、誇りを持っているのだ。

 

平和を守る為の戦いは必要だ、そういう認識がNZ社会ではきちっと守られている。こっちが武器を持たなければ相手も戦争しかけてこないなんて、す〜ぱ〜あふぉな発想は、この国にはない。

 

毎年2~3人くらいは、世界の派遣先で死んでいる。勿論その度に新聞記事になるし、その兵隊がどれだけ良い奴だったかを、3日くらい記事に載せる。それで終わり。

 

でも、国民は覚えてる、人は、時には戦うことが必要だって。

 

日本ではこんな広告を掲載は出来ないだろうな。

 

自分の国に自信を持っているから出来る募集広告だな。

 

 



tom_eastwind at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月20日

一人で頑張ってる大人たちへの、小さな恋のメロディ

借金取りの王子

読了。表紙はおふざけだけど、1ページ目を開いたとき、のっけから「いいな」って思う。

今の時代の恋の中編集。か細くて繊細で、でも強くて、社会に巻き込まれながらも自分の道を探している、そんな素敵な若い大人や大人になろうとしている人たちの恋の物語。

 

 

***本文から抜粋編集***

「どうしたの?」

「うん・・・」

今日の真介は、なんとなくふさぎ気味だ。そして生返事が多い。

「どうしたの」

もう一度聞いた。いつになく自分の口調が優しくなっていることに気づいた。

「俺さ、ああ、こういう感じっておれ、しばらく忘れてたなって思った」

「そう?」

「うん」

それからテーブルの上にあった陽子の煙草を、意味もなくいじくり始めた。

「ひょっとしてしょげてんの?」

「しょげてない」

この感じ。やっぱりこいつはしょげてる。昔に忘れ去った何かを、妙に懐かしがっているような雰囲気。

陽子は少し考えた。

なら、今日はちょっとだけ優しくしてやろう。

ただし今日だけだ・・・。

**抜粋終了**

 

真介は最近流行のリストラ請け負い会社の面接官、つまり首切り担当だ。

 

陽子は42歳、一生結婚はしないと決めて都内にマンションを買い一人暮らしをするキャリアウーマン。今は8歳年下の真介とつきあってる。

 

そう、これは山本周五郎賞を受賞した垣根涼介の名作「君たちにあすはない」の続編なのだ。

 

真介は34歳、地方から上京して好きな道を目指すも、途中で挫折。それから営業職やったりして今の首切り人の仕事に就く。何をやらせても誰よりも要領よくこなすし冷淡にもなれる、同時にばっかみたいにとても明るいんだけど、心の中のどこかに、どうしても棄てられないものがある。

 

そんな二人を軸として、首切り現場で会う様々な人が、まるで人生の切り絵の走馬灯のように一瞬だけ姿を見せては去っていく。

 

そこには現代社会の歪が描き出されている。

 

借金取りの王子はサラ金の店長。

 

有名デパート外商での現場の首切り。

 

大手生命保険会社で人間性をすり減らしながら働く30代サラリーマン。

 

切る方も今の時代のあだ花のような商売だし、切られるほうも今の時代に擂り潰された人々だ。

 

この本の主題は重いけど、最近流行っている蟹工船的な社会への反抗ではない。最初から一人称で自分の物語が進む。要するに人とつるんでないのだ。

 

一人で生きてきて、いつも自分の目の前に立ちはだかるものがあって、そいつを力づくでぶっ壊しながらも、ぶっ壊すなんて良くないんだよね、そんな事しなくても生きていけるような世の中じゃないとおかしいんだよね、そう思ってる自分がいる。

 

でも、だからと言って蟹工船のような、共産党に入って社会を変えてやるとか、そんなのはない。この社会も、それなりにいいじゃんか。少し頭に来るけど、殆どの人は良い人ばかりだよ。

 

だから、優しくなるために強くなろう、人の事を考えるだけの余裕を持てるように力を持とう、そうやさしく話しかけてくるのだ。

 

そう、これは司馬遼太郎ではなく山本周五郎なのだ。

 

司馬遼太郎のように「国運がかかった大騒乱」のような派手さを狙った内容ではなく、その騒乱に参加するしかなかった市井の人々が、その夜何を食べてどんな話をしたか、その時長屋の隣の部屋では若い子連れの夫婦が将来をどんな風に夢見てたか、そんな事を書くのが周五郎だ。

 

「君たちにあすはない」が山本周五郎賞を受賞した時に、垣根の多くの初期からの読者は「違うでしょ、おれが読みたいのはワイルドソウル」とか「ヒートアイランド」を期待しているんだ」と言う書評があった。

 

でもそれは、ある意味作者に対して「同じ芸を何回もやれ」と言ってるようなものだ。作者は進歩したい。いろんなものを書いてみたい。だけど読者は時々とても自分勝手になるんだよな。

 

 

個人的に受けたのは、物語の中で関越自動車を川越から越後湯沢に向けて走る場面。

 

**編集抜粋開始**57033c01.JPG

 

「路面が荒れているな」運転しながら真介がつぶやいた。

 

「だって一昔前のスキー街道だもん」思いつくまま陽子は言った。

 

 

こんもりと木々が覆った赤城山の山頂が、やや色づき始めている。

 

湯沢インターを過ぎた時点で、それまで無人地帯に等しかった山間の景色が突如として変わる。十階建て、二十階建ては当たり前の高層ビル群が田んぼの中に広がり始める。

 

ほとんどが80年代後半のバブル末期に建築されたものだ。

 

コロGreegate2

ふと真介が口を開いた。

「あのさ−、スキーって昔、本当に流行ってたの?」

「むかーしね」

陽子は答えた。たしかにそうだ。あの頃は日本国中が浮かれに浮かれて、夏は軽井沢で避暑、冬は越後湯沢でスキーというのが友達との小旅行の定番だった。

 

 

でも、本当にもう昔のことだ。今ではもう世紀さえ変わっている。

**編集抜粋終わり**

 

あの道路、スキー客用だったのか〜。そうか、バブルの頃は、この道路ってスキーに行く人で溢れてたんだろうな〜。

 

関越自動車道が全面開通したのは1985年。そしてバブルが始まった。

 

Amazonの書評でこんなのがあった。

 

久々に出会った、読んだ後に幸せな気分になれる本でした。ちょっと生ぬるいかな?とは思いますが、心がホワっとなる作品です。

 

20歳前のような世間知らずの小娘でもなく、かと言って人生を投げ出してしまったようなおばさんでもなく、その間で一生懸命自分の為に活きようとしている、そんな人向けの本。

 

どこから読んでも楽しめるけど、どれか一つとなれば迷わずに「借金取りの王子」です。中篇集なので一篇が1時間もかからず読める、長編が苦手な方にもお勧めです。                                 

        

借金取りの王子

                             



tom_eastwind at 00:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2008年08月19日

山を降りる

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昨日の夜NHKをつけると、丁度朝日新聞主催の野球大会の閉会式をやってた。

 

大阪のチームが勝ったようで、一人ひとりにメダル授与をする際の紹介文、おそらく昨日の遅くか今日、ゲームを観ながら局の若い担当者が書いたんだろうな。時間との勝負、ですな。

 

そうこうするうちに秋山さんと言う新聞社の人が出てきて、「まあ点差はあったけど、皆さんがんばったね〜」とご挨拶。

 

朝日だよね。新聞の朝日だよね。最近朝日放送と合併した新聞社だよね。そして秋山さんは、その天下の朝日新聞の社長だよね。

 

たった二家族が大株主になってて、それがどうも左よりで、だから従軍慰安婦なんて書いて、南京虐殺なんて書いて。

 

どっちも言い出したらきりがないからそこはごーまん作家に任すけど、要するに日教組がdaisukiで左翼がdaisukiで、その延長で「国旗掲揚!」とか国家政商、じゃなかった「国歌斉唱」を嫌いで椅子に座って裁判に訴えられた教師を庇ってた新聞だったよね。

 

国旗は日本を代表しないとか君が代は天皇礼賛であるとか、否定しまくってたよね。

 

あのさ、否定すること自体は全然問題ない。昔米国出身の黒人が、オリンピックで星条旗に背を向けたって事件があったくらいで、誰でも自分の信じるものを(他人を暴力的に傷つけない範囲で)表現する自由はある。

 

大体僕自身、「君が代」を好きと思ったことはない。「君」の「世」が「とわに八千代」に続くってのはなんだい、結局天皇制がどこまでも続けばよい、そしたら現役政治家がそいつらを上手いこと使って日本全国から金を搾り取れるって仕組みが守れるからってことかい?

 

こんなしょうもない歌を歌わせるんだったら革命起こすぞって言いたくなるくらい下らん歌だが、だからと言ってそれを僕が批判する立場にいるとは思わない。

 

何故なら世界中どこでも国歌も国旗もあるし、一応その元に国民は集結するって習慣があるし、米国人が国家を聴く時の真面目な顔を見たら、さすがにからかう気にはなれない。

 

日本の君が代も同じで、彼らが喜んで歌ってるものを僕が積極的に否定する必要もない。一応外国に見せるときにそれなりのもんがないとみっともないじゃん、ないよりは君が代でもいいじゃん、なんて理屈も、まあいいかって思える。

 

大体こっちが「だっせ〜、てか、そんな押し付け嫌いだし!」なんて言い出したら、相手が「お前こそなんだ!いつも酔っ払ってくだらん歌ばかり歌いやがって!」と否認されるだろう、はは。

 

だからこの世の中で生きていくには、誰もが相手の(体力とか暴力とかの強制を別にして)言うことを聴くことが必要だと思うし、少なくとも自分がしないにしても、相手がする事は許容することが、これからの世の中を生きていくことだと思う。

 

でも唯一嫌いなのは二枚舌。

 

自分が日頃反政府や国旗反対国歌反対って立場でキャンペーンやってきたのに、自分が主催する野球大会では、堂々と国旗掲揚ですか?堂々と国歌歌うんですか?おまけにそれを選手全員に強制して、試合を見に来ているお金を払った客にまで「すみませんがよかったらご協力を〜」だってさ。

 

高校野球の神聖さを汚すつもりもないし、高校生の真面目さを否定するつもりもない。

 

ただ、朝日新聞において日頃はあれだけ言いたいこと言いながら、自分とこ主催の野球大会では国旗や国歌に調子合わせるのは、ちょいずるくない?

 

こんな事書くと、「だから何!あんたが何を言っても皆が不愉快になるだけでしょ!高校野球くらい、黙って楽しみなさいよ!」って言われる。

 

う〜ん、そうなんだよな。このへんで長いものに馴染む訓練をせねばと思うが、なかなかそう出来ない今日この頃なのだ。おとなしく山を降りろって感じ?

 

写真はクイーンズタウンのスキー場でこけた場所から約10メートル離れた駐車場。道路に雪、付いてるよね?

 

 

 



tom_eastwind at 00:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2008年08月18日

こめかみに、傷

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左の頬と左のこめかみのちょい前に、つまり眉毛の左側に傷がある。

 

「こけたんすっか?」

「こけるわけないじゃん、スキーだぜ」

 

 

そう言い返したが、実は今回、一回だけ見事にこけた。その時は右ひじを思いっきり路面に叩きつけて血が出たくらいだが、正確にはスキーのゲレンデ上ではないから、スキーでこけたのではないと意地になってみる。

 

ゲレンデから駐車場まで道が凍り付いているようだったので、NZスキーのいつもの癖でスキーを履いたままそのまま道路に飛び出した。よっしゃいける!その途端、思いっきり砂利になっている道路に板を取られて、まるで両足を押さえつけられたまま体が前に飛ばされたって感じでぶっこけたのだ。

 

がっちゃーん!てな感じで地面に叩きつけられたので、周囲にはすっかり笑いものになったが、くっそ〜!でもゲレンデではないぞ、なんてしょうもない強がり。

 

んでもって話は戻り、左の頬の傷は、これは日焼けした肌が乾燥してかさかさになった状態で、スポット的に焼けこげた痕。

 

雪山帰りでなければ、「喧嘩で殴られたの?」とかんぐられそうな絶妙の位置。

 

聞かれたのが昨日の午後で、その時にあったのは頬の傷一つ。

 

じゃあもう一個は何かってなるけど、これが昨日の夜に付いた傷。

 

両方揃って今朝しげしげ鏡を見つめてみると、これがどう見ても喧嘩で右パンチを喰らったような、これまた絶妙な位置。

 

さて、昨日の夜の僕に何が起こったのか?

 

本来なら土曜日なので街に出ることはないのだが、昨日は友達の新しいビジネスについての相談を受けてて夕方から彼の経営しているシティのレストランに向かった。

 

ビジネスの内容の法的な面での検証、ビジネスモデルとしての成功確率と継続性、失敗した際の最大リスク(費用毀損、信用毀損)、などを一通り打ち合わせした後、ポイントとなる点を搾り出して、次回までに必要な作業を洗い出す。これなら最低のコストでビジネスが開始できそうだ。よっしゃ、頑張れ!

 

ここまでの作業を食事前に軽く飲みながら1時間程度で終わらせる。後は同じメンバーでそのまま豆乳鍋を突っつく。

 

その時、ふっと気づいたように出てきたのが、文頭の質問。

 

元々スキーなんて、そんな熱中してやるほどのことかよ。寒いしきついし危ないし、いいことないじゃん。

 

でも、ブーツを足にはめると、ついついそのまま一気にゲレンデに飛び出していく自分がいる。

 

「スキーの一番面白いところは、スピードとバランス、っすかね〜」。20年前に初めてスキーをしたシーズン、僕の住んでたフラットには日本でもベスト50に入るスキーヤー連中がよく遊びに来てた。そのうちの一人が教えてくれたことだ。

 

彼ら雪山のヒーローたちの目的は、勿論僕ではない。僕のフラットメイトであり、小柄で、愛嬌があって、色白の道産子で、無茶苦茶元気良くて可愛い女の子スキーヤーだったのだ。

 

ビールとワインを屋外に置いて良く冷やしておき、スキーを終えた彼女と二人でリビングにいると、「ちは〜っす」とか言いながら、鼻の下を伸ばしたヒーロー連中がやってくる。

 

「近くに来たもんだから〜」とかてきとーな理由を付けてはいるものの、クイーンズタウンなんだぜ、近いも遠いもあるもんか、皆目と鼻のところに住んでるだぜ。

 

しかしこっちにしても、全日本のトップクラスから直接スキーの話を聞けるんだから、悪い条件ではない。ビールとワインと美女のおもてなしで、次第に夕方から盛り上がる。

 

こういう場では、必ずすくっと立ち上がって、片手を壁につけてターンを見せてくれる人がいる。かと思うと、股関節はこういう動きなんだよと、北海道出身のインストラクターが教えてくれる。

 

そんな素敵で楽しい時代を3シーズン過ごした。

 

それから雪なしの街で6年過ごした。ここではウインドサーフィンを楽しんだ。あんまり楽しいもんだから、家族を置いてハワイまでウインドサーフィンに行ったこともある。基本的に家族の意味が分からない男ですな。

 

そんな話を年下の友達としながら、夜は更けていく。

 

夜がそれで終わればよかったのだが、やっぱりいつもの調子で2軒目に繰り出す。

 

この日はタクシードライバーのキースが午前1時で仕事終わるので、どうしてもそれまでに帰宅せねばならない。

 

だもんで、ついついあせってたくさん飲む。おお、もう時間がない、大変だ、早く飲まなきゃ、、、って、一体どんな理屈じゃ!しらふで考えればわかることだが、飲んでる人間に冷静な判断など出来るわけもない。

 

結局キースが迎えに来た12時過ぎには、すっかり人生を楽しんでいる僕がいた。

 

「おっは〜キース!」そりゃまあ時計の針から言えばそうなるのだろうが、オークランド生まれで70歳過ぎのキースは、あいも変わらず「よっほ〜!」と軽快に受け答えてくれる。

 

僕はいつもの調子で、車の後部ドアを引っ張る。そしてすかさず乗り込もうとする。この二つのスピードとタイミングが見事にぶつかったその瞬間、引いたドアの上部が、乗り込もうとする僕の左の目の上を直撃!

 

がっつ〜ん!

 

ててて、痛って〜。

 

自分で鉄の塊を顔の中で一番皮膚の薄い部分にぶつけてんだから、どうしようもない。案の定たらたらと流れる血をキースにばれないように頬ひじを付いたような格好で誤魔化して自宅に戻る。

 

スキーもタクシーも、結局はスピードとバランスってことか?あ、それを言い出したら家庭も仕事も同じかも。

 

そんな週末でした。

 

 



tom_eastwind at 00:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月17日

オリンピックを何気なく見て

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オリンピックを何気なく見てる。

 

オリンピックはどうもあまり興味がないけど、積極的に否定もしてないので、たまたまテレビをつけて、その時の画面がオリンピックだったからってんで、ぼんやりと体操を見た。

 

しかしまあ、どこの国も次から次へと凄い技を思いついては繰り出してくる。お国の声援を受けてますから、いくら「参加することに意義があり」なんて言っても、やっぱり勝ちたいよね。

 

個人同士の祭典とはいえ、最終的には国家の支援を受けて参加しているし、これで金メダルがたくさん取れれば、そりゃあ国家としてもうれしいわな。

 

でも、本当に勝ちたいんだったら、西洋人のやり方を真似ればよいのにといつも思うのは僕だけか?

 

どういう事?って言うと、簡単に言えば自分に有利になるように、ゲームのルールを変えるのだ。

 

例えば冬のオリンピックのジャンプ競技で日本チームが一時期強かったことがある。その時は、ゲームのルール内で日本勢が色々と考えて、V字型で飛ぶこととスキー板の長さで飛距離を出したのだが、そうなるとオリンピック委員会、速攻でルール変更をして、小柄な日本人に不利になるようにスキー板の長さの規定を変更したのだ。

 

勿論それからはジャンプ競技で日本が勝てなくなった。

 

最近では新型水着を着た北島選手が金メダルを取ったが、あの件はまさに分かり易いルール変更だ。

 

ある英国のメーカーがオリンピックルール違反の水着を作った。そしてオリンピック開催ぎりぎりになってオリンピック委員会が水泳競技の水着に関する規定を変更した。するとこの会社すかさず、変更された規定に合った自社の(元々はルール違反の)水着を世界中で発表して「新水着発売!驚異的な速さ!」とやったわけだ。

 

実際にその素材を使って競技した選手は次々と新記録を出してしまったので、日本オリンピック委員会も仕方なくその水着を着用することを認めたのだが、そりゃそうだ、そんなもん馬に興奮剤を打って走らせれば一時的に早くなるのは当然。

 

日本の水着メーカーも、時間さえあれば同じような素材の水着は作れる。しかし、そんなもん作っても、その時点ではルール違反なんだから作るわけがない。

 

ましてやオリンピック委員会の決定と発表が、どう見ても他の水着メーカーが開発出来ないぎりぎりの時期なのだから、こりゃもうどうしようもない。

 

ね、簡単でしょ、こうやって上同士がつるめば、下はどうしようもないのだ。

 

こういうゲームのルールを変更するってのは、白人、特に英国系の最も得意とする戦略だ。日本人は真面目だから、すぐに相手のルールに付き合って苦労する。そして苦労して一番になったと思ったら、またもルール変更だ。

 

だから、日本が本来やるべきなのは、ルールを作る側に回ることで、相手のルールで戦うことではない。

 

捕鯨問題でも同じで、あんなもん、鯨を実際に食うかどうかは別として、何でわざわざ捕鯨委員会に所属して無益な議論をしているのか、意味不明。欧州のどこかの国のようにとっとと退会して、自分なりに資源を守りながら鯨を獲ればよいのだ。

 

大体40年前は、学校給食でも普通に鯨を食ってた。戦前の日本は魚が中心だった。それがいつの間にか牛肉を食べるようになった。

 

ほんと、いつの間にか、だよね。誰かに強制されたわけでもないのに、いつの間にか食べるようになった。これを専門用語で、広告宣伝と言う(笑)。

 

そういうのを作るのが得意なのが、日本では電通だし西洋ではヤング&ルビカムとかがあるけど、彼らの広告宣伝と言うのはチョコレートのデザインだけじゃなくて、国民全体を肉食に誘導するという技もあるのだ。

 

その牛肉の流通の殆どをコントロールしているのが米国にあるカーギル社だ。

 

この会社はパパブッシュが役員をしていることでも有名だったが、世界中の食料に関わっており、尚且つ株式上場してない同族会社なので、その実態を知ることはとても難しい。ただ、食糧問題が出てくると必ずこの会社が裏で動いている。

 

バイオエタノールを使おうと言い出したのはブッシュで、その為に世界中で穀物の値段が上昇した。誰が儲けるのだ?

 

一事が万事こんなもので、結局はルールを作り情報を制するものが一番強い。

 

オリンピックだって、結局は勝ちたい連中が自分に有利なようにルールを変更する。日本みたいに純情な連中は、何も考えずに試合に参加して一生懸命頑張るけど、主流にはなれない。

 

そういえばバレーボールでもそういう事があったと、ある人から聞いた。

 

バレーのルールでは、背が高い人間の方が有利に出来ている。てか、以前はそうではなかったのだが、やっぱり勝ちたい国としては、自分たちの平均身長が日本人より高いのだから、身長が高い奴が勝てるようにルール変更をしたいのだろう。

 

この次にルール変更をするとなれば、肥満の多い米国人に有利なように、バレーボールではジャンプを認めないとか、日本人がパンチのあるボールを打ち込んだら「不公平だ、紳士的ではない」と審判がその選手を退場させるとか、みたいなことがあるかもしれない。

 

ルールと情報操作を得意とするのは、元々英国のお国芸だ。欧州の一番端っこにあるちっちゃな国としては、欧州の大国に勝つために、国を挙げて情報戦を仕掛けていった。世界で最初に国家が運営する情報部を作ったのも英国だ。これはMI6と呼ばれる、007が所属するところですな。

 

つまり英国は、体力や国力で劣る分を情報でカバーするということを世界で最初に思いついた国で、その情報力を生かして19世紀から世界のトップクラスの国になり、今も米国とつるみながらスポーツから食料、そして戦争までも「情報操作」と「ルールつくり」で支配しているのだ。

 

だから、オリンピックをいくら見てもしらけた気持ちになる僕=(自分の都合でルールを変えておいて平等なんてのたまう連中と付き合いきれない僕)としては、早いとこアジアを中心とした、名前はなんでもよい、例えばアジアンピックとかペキンピックでもペキンダックでもよいので、同じ価値観で競技が出来る人同士だけでゲームをやってもらいたい気持ちだ。

 



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2008年08月16日

さらば財務省

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「さらば財務省」高橋洋一

 

実に読みやすく、理論明快。頭の良い奴がそのまま言いたいことを言うとこうなるのか、そんな感じ。

 

内容は思いっきり日本の政治の内幕に突っ込んでるのに、さらっとした書き方なので、実に分かり易い。

 

こんな本を出しても殺されない日本ってのが、今回の一番のびっくりかもしれない。

 

時の本なので、2年後に読むよりは今読んでおいたほうが絶対に臨場感があって面白い。

 

日本の政治だって基本の理屈に戻せば実に簡単なのに簡単にはいかない。それはすべて「しがらみ」と「利権」の問題。

 

でも国家運営とは国家の為に運営することで、それは国民がどれだけ幸せになれるかであって、個人同士の「しがらみ」や、特定団体の「利権」で国が動くようでは、そりゃもう革命起こせ!って言いたくなるよね。

 

彼がどのような性格なのか知らないし、この本しかデータがないけど、かなり割り切った考えの出来る優秀なシステムエンジニアって感じがする。

 

こういう人が日本にいて、日本のことを考えてくれるってのを政府は感謝すべきではないかな。ただ、文章全体からすれば、この人は、ある日突然秤のバランスが外側に傾けば、すぐに米国あたりの海外へ移住するタイプではないかと感じた。

 

だからこそ、こういう人物が日本を離れないでいけるように政府は努力すべきなのだが、とりあえず現在の結果としては、「さらば財務省」である。次に出る本の表題は「さらば日本」か?

 

 さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白



tom_eastwind at 12:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2008年08月15日

ある日の宿題

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「お父ちゃん、お金ちょうだい、いっぱいお金が欲しい!」

 

君は強盗か?思わず竜馬くんに聞くと、あいも変わらずとぼけた声と話し方で、「学校の宿題で世界のお金ってお題目を与えられたんだよ」らしい。

 

 

らしい、というのは、彼はあいも変わらず相手が何を言ってるかよく分からないし、自分が何を言ってるか良く分からないから、聞き取るこちらとしては推測するしかないからだ。

 

さあ、家の財布にある日本円(1万円札、千円札、100円硬貨、10円硬貨、)とNZドル(100ドル札、50ドル札)と香港ドル(1千ドル札、100ドル札、20ドル札)を渡して、論文開始!である。

 

解釈は各人自由、お金が何なのかってのを勉強するようだ。一つのテーマを皆で色んな角度から勉強するってことですね。

 

こういうテーマは、先生がその度に自分の判断で決めて子供に伝える。一人ひとりのテーマが違う時もあれば、皆同じテーマで宿題になることもある。

 

今回の「世界のお金」は、りょうま11歳にしては得意な分野かもしれんな。何せ香港と日本とニュージーランドで実際にお金を使っている。

 

香港のコンビニで5香港ドルのアイスクリーム買ったり日本のスキー場のゲーセンで100円単位で遊んだり、もちろんニュージーランドでは2NZドルで昼食のパイを買ったりしているから、ある程度は為替も理解出来ているのではないか。

 

りょうまは、お札の形とかデザインの話を書いてるようだ。他の子は、為替を問題にするかもしれない。もっと進んだ子は、NZドルの1840年代からの流れを書くかもしれない。当時はNZには通貨がなくて、英国の通貨が流通していた。

 

この問題は答が何でも良い。

 

大事なのは、お金を暗記的に為替がいくらとか勉強することではなく、自分なりに「お金」を理解することとその過程で「自分で考える能力」が身に付くこと。

 

「お父さん、100円ってNZドルでいくら?」と聞かれる。

 

「簡単に言えば、日本のお金からゼロを二個取れば、それがNZドルだよ」って説明する。

 

「ふ〜ん、そうなんだ。じゃあ10,000円札からゼロを二個取れば100円だから、つまり100ドルだね!」

 

NZの小学校の何よりも良い点は、こうやって自分で考える力を付けてくれるところだ。所詮親は教育の素人。自分の子供の出来が悪いからと頭叩いても、それで利口になるわけではない。

 

親は子供に道徳を教えることは出来るけど、きちんとした体系的な教育は、やっぱり素人だもんな。次回学校から義理チョコ買ってちょうだいって来たら、少し余分に買わせてもらおう。

 

写真はリマーカブルにかかる雲。

 

 



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2008年08月14日

中国民用航空とニュージーランド航空

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僕が初めて中国民用航空(CAAC)、略して民航(CA)に初めて乗ったのは20年以上前だ。

 

古い旅行業界の連中なら知っていると思うが、1980年代の中国旅行手配は中国国際旅行社(CITS)が独占してて、とにかくツアーを組んでも、東京から北京までのフライトと、帰路の広州から香港に戻る便だけが決まってて、後は全く白紙と言う時代だった。

 

意味が分かりにくいと思うが、要するにミステリーツアー、どこに泊まるのかは当日にならないと分からないのである。今日行く先が万里の長城なのか天安門なのか、とにかくその日にガイドに言われたところに行くだけ。

 

旅行費用も、一日1万円でチンタオビールのみ放題とだけあって、どんなクラスのホテルなのか、何を食えるのか全く不明。

 

そんなもんだから、勿論飛行機も列車も、座席指定なんてあったものじゃない。

 

「当然です!共産主義国家であり、世界で一番偉い国を見て回るんだから、黙って私の後を付いてきなさい」 なにせガイドが国家公務員であるのだから、皆さんお話することが立派である。

 

ましてや、座席がどこに坐ろうが、要するに目的地に着けばいいんでしょ、何をでれでれと、家族だから一緒に坐りたいとか甘い事を言うのだ!国家が世界制服をするときに、そんな戯言を言うなんて何事!みたいな話だ。

 

まあ、これを言い出したらきりがないので話を航空会社に絞って見る。

 

香港から北京に飛ぶ民航は、1990年代初期は座席指定がなかった。とにかく来た人間にどんどん坐らせる。団体なので事前座席を依頼しようが関係ない。とにかく詰め込みをして、あとはお客同士の話し合い、てか、座席の奪い合いを平気で国際線でやるのだ。

 

ほんと、座席番号が何番であろうが関係ない、とにかく機内に乗り込んだら、自分の好きな席に好き勝手に坐るのだ。座り込んだ奴に自分の座席番号を見せて「どけ!」と言っても、逆に「あっちが空いてるんだからあっちに坐れ!」である。

 

そして機内乗務員も、「あんた何言ってるの、どこでもいいから早く坐りなさい!」なのだ。

 

この時の彼ら、つまり中国人乗客と航空会社職員及び機内アテンダント、彼らの息はぴったり合ってる。同じ哲学を共有しているのだから、誰もその状況を疑問と思わない。

 

要するに人間を貨物の一種と考えているのだ。その機内で快適さを味わってもらおうとか楽しんでもらうとか、そういう発想が根本的にないのである。ある物体がポイントAからポイントBに移ってしまえば、それでOKなのだ。

 

乗客も自分を貨物と納得してて、航空会社の人間とは喧嘩せず、貨物が他の貨物と喧嘩して座席を奪い合うのである。何故なら「航空会社の職員は偉いのだ。座席指定など客同士が適当にやっとけ、嫌なら乗るな」と言う共通認識が航空会社と乗客の双方にあるからだ。

 

だから、彼らにとっては航空会社とはホスピタリティ産業ではなく運送業なのだ。

 

こういう精神ってのは、時代が経って2008年になっても、何が変わるわけではない。

 

それを今回体感したのは、ニュージーランド航空に久々に乗ったときだ。(実際に搭乗したのは7月末です)

 

青酸カリの甘酸っぱいアーモンド臭は、生まれつきに感じる人と感じない人がいると言う話を聞いたことがある。

 

ホスピタリティも同じで、どんな事にも感謝出来る人は幸せである。ただ、これを商売として30年やってきた人間からすれば、勿論どんな事にも感謝の心を持つことを前提にして、「でもプロとしてどうなの?」と感じることがある。

 

航空会社を運送会社と思うなら、定時に出発するニュージーランド航空はちゃんとしているだろう。しかしホスピタリティ産業と思うなら、これは全く視点が変わる。

 

やっぱり社会主義国家の毛色がまだ残っているのだろう、「俺が決めた飛行機にお前が乗れ。俺がメシを食わせるから黙って食え、お前がどうのこうの言うな」である。

 

そして「俺は労働者だ。お前らの為に12時間も黙ってサービスするつもりはない。俺がメシを食ってるときは呼び出すな」である。

 

これは文句ではない。それはそれで一つの立派な社会主義国家を建設する為には大事であり、尚且つ労働者であろうが乗客であろうが同じ人間なんだから、相手を思いやれって事だろう。

 

でもさ、だったら最初から、「うちは人間輸送会社です」と言えよ。偉そうにホスピタリティ重視とか、、美味しいご飯を作ってますとか、嘘を言うな。あ、嘘ではないな。やってる本人は本気で信じ込んでるんだから。

 

結局中国の民航と全く同じなのである。時代は変わっても社会主義的発想は何も変わらない。

 

結局、経済改革によって市場原理主義が導入されてNZ航空は民営化されたものの、まだ航空会社の多くの人々の頭は昔の社会主義のままって事だ。

  

これ、感じない人からすれば「何言ってるのあんた?」って事になるけど、どういえば良いのか分からんが、世の中の大体の理不尽な差別を受けて苦しさとか階級の壁の重さを見てきたら、どしてもそういうことに敏感にならざるを得ない。

 

そんな視点から民航、じゃなかった、ニュージーランド航空を見ると、どうしてもこりゃ「貨物輸送会社ですね」と思わざるを得ないのだ。

 

じゃあお前が乗ってるキャセイ航空はどうなんだって話になるけど、キャセイ航空の場合は、最初からはっきりと「うちは人種差別はしません、金種差別です」と明確なポリシーを出した上で、商売としてホスピタリティをうたっている。

 

だから機内サービスは明快である。乗客の為にキャビンアテンダントは働いている。空中のホステス(空中小姐)である。金を払うのだ、当然サービスを提供しなくちゃ。

 

それに対してニュージーランド航空は、働いている人は良い人なのだろうが、根本的に社会主義なのである。金を払おうが払うまいが、そんなのは関係ない。同志なのだから、俺がやることに文句を言うな、なのだ。

 

サービスとは何かを全く理解出来てない上層部が、サービスを受けたことがない現場スタッフに教育をするわけだから、本当のサービスが成立するわけがない。

 

いやさ、再度言うけど、別に彼らの批判をしているわけではない。ただ、やってる事と言ってることがずれてますよって事の指摘である。運送会社なのだから、日通とか佐川急便のように「定時到着!」とかをお客に案内すればよいだけなのだ。

 

それを他の航空会社がホスピタリティとかサービスとか言うから、意味も分からずに表面だけ真似をしてしまい、「うちもホスピタリティ!」とか宣伝するもんだから、乗るほうもついつい期待をする。「お、もしかしてサービス産業かも?」

 

ところが蓋を開いて見ると、何のことはない民航だ。

 

嫌なら乗るなって話になるよね。でもそれを言い出したら公共交通機関ではないよね。

 

ニッチなビジネスをやってる、例えばラーメン屋の「次郎」は、「これがうちのラーメンだ、嫌なら食うな」は分かる。他に選択の余地があるからだ。

 

しかし日本とニュージーランドを結ぶ航空会社はここしかないのだ。他に選択の余地がない中でまずいラーメン食わされた気分だ。

 

そうは言ってもオークランドから東京なら、経由便であれば選択肢はたくさんある。アジア経由便は直行便よりも4時間程度余分に時間がかかるけど、4時間なんて寝る時間の調整でどうにでもなる。

 

「早いですよ直行便!」なんて、人生で4時間くらい、いつでも取り戻せる。それよりも12時間も不愉快な気分を抱えて精神的抑圧を感じるほうが、よほど体に悪い。

 

国内線ならオークランドからクイーンズタウンまでも1時間30分だから、まだ我慢も出来る。口を聞かずにずっと本を読んでればよい。しかし、密閉された空間で12時間も社会主義者と付き合いたいと思えない。

 

いやさ、彼らがもし本当に社会主義者なら、まだまし。社会主義者のふりをして仕事の手を抜く、そして飛行機を持ってると言う権力にしがみついて乗客に対して強気に出る、昔の中国やロシアの官僚のようなエセ主義者なのだから嫌になるのだ。

 

一体何があったの?_て、別に何か特別なことがあったわけではない。彼らの多くは友好的だし笑顔が素敵だし、よく気軽に話しかけてくれるし、社会主義者だ。それも自分で気づいてないほど洗脳された社会主義者ってだけだ。

 

じゃあ何があったの?_だ〜から、何か特別なことがあったわけではない。

 

ただ、7月の出張はたまたまビジネスクラスで、空港では優先チェックインが出来ると書いているのだ。立派なものだ。

 

ただ、優先チェックインカウンターは一つしかなく、そこに長い行列が出来ている。隣の普通チェックインは窓口を6個くらい空けてて、どんどん流れてる。

 

エコノミーの乗客を捌いているスタッフに、「こっちは全然流れてないし待たされてるんだけど、ちょっとおかしくない?」と聞くと、ぶすっとした顔で「そっちは私の担当ではありません」だって。まさに社会主義。

 

座席指定を事前に行ってても、当日は彼らの都合で適当に座席変更されている。だって、彼らの都合で座席を組み合わせてるんだから、客が偉そうなことを言うな、である。

 

そして東京からオークランドに戻る真夜中の機内で食事中に、ウイスキーを一杯欲しいと言ったら、「よし、僕のこの仕事が終わったら作ってあげよう」である。その仕事は料理をお客に配る仕事であり、それがすべて終了するまで、つまり最低30分は待たねばならないのだ。自分で作ったほうが余程ましだ。

 

プレミアエコノミーと言う座席を作ったり、ビジネスクラスのシートをフラットにするけど、スタッフがたった2〜3人では、どうにも回らないでしょ。ハードの部分で作りこんでも、結局ソフトの部分がどうしても社会主義者なのだ。

 

何度も言うが、社会主義を否定してはいない。ただこの場合、他の言葉、例えば「時代遅れ航空」とか「思いっきり勘違い航空」とか「プロのサービスを知らない人間がやってる素人会社」とか「スタッフも乗客も同等、だからお前も我慢しろ航空」とかで表現すると少し意味がずれるので、総合的に説明しやすり社会主義という言い方をするだけで、社会主義には良いところもたくさんあるのはよく知っている。

 

ただ、サービスをプロとして提供すると言う視点で見ると、やっぱりニュージーランド航空は人民同志の航空会社なのだ。

 

今回も(つまり8月)国内線でニュージーランド航空に乗ってクイーンズタウンに向かう機上でのことだ。韓国からの旅行団体客が20数名乗ってる。あまり海外旅行慣れしてないのは、一目でわかる。

 

一人のおじさんがスチュワーデスに2杯目のコーヒーが欲しいとたどたどしい英語で言うと彼女、無表情で振り返って、「If I have a time」だって。そのスチュワーデスは、それからずっと同僚と機内後部でおしゃべりをしてた。

 

「だ〜から、一体何が悪いの?」

 

悪くはないのだ。彼女は1時間30分のフライトで皆に飲み物を出して疲れているし、友達ともおしゃべりをしたいし、大体一人にコーヒーを出して、機内の全員が「もう一杯」となったら、そんなのやってられない。

 

だから労働者の判断としては正解なのだ。それで良いのだ・・・・・・・。

 

第一多くの人々はそれで満足しているのだから、お前も黙って満足しろって事なのだけど・・・。

 

説明のしようがないので、一度ニュージーランド航空の自動チェックイン機械(航空会社が人件費削減と顧客管理のうざさを避ける為に作った機械=決して乗客のためではない)で家族でチェックインしてみればよいと思う。そしたらあの機械が誰の為に作られたのか、よく分かる。

 

「あれ?あなたたち、一緒に坐りたいの?」うざったそうなその言葉を日本のハネムーナーにぶつけてみろって。

 

勿論座席の組み合わせでどうしても坐れない事もあるだろう。しかしサービス産業であれば、基本は一つのグループは固めて坐らせるのが世界の常識。そうなるようにシステムを作るべきである。ところがこのシステム、そこを重視してない。自分の飛行機の離陸時のバランスだけ考えているのだ。

 

つまり、牧場主が羊を一箇所に追い込む為に牧羊犬を使うように、飛行機主は乗客を追い込むためにシステムを作る。そこに顧客視点は存在しない。

 

でも、乗客からすれば離陸時のバランスとかよりも、家族と一緒に坐って飛行機の中でおしゃべりもしたいだろう。結果的に駄目なら仕方ない。しかし最初から駄目とは意味が全く違うのだ。

 

もちろん他に選択の余地がなければ、僕もニュージーランド航空に乗る。それは否定しない。でもそれは、世界中に食べ物が玉ネギしかなくなった時に、死ぬほど大嫌いなたまねぎを食べるようなものである。

 

世界中で食べるものがたまねぎしかなくなった時・・・・食べるかな〜?

 

今度機会があれば、青酸カリを嗅いで見よう。僕はアーモンドの香りを感じるのだろうか?

 

写真はファンショー通りにあるニュージーランド航空のオフィスです。



tom_eastwind at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月13日

コロネットはピーカン

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このスキー場、特に今年は20億円かけて降雪機を増設しただけあって、一言、すごい!だ。どこでも滑れるし、とにかく楽しい。日本のスキー場にはない雰囲気だ。日本だと斜面にコブがあれば潰す。キーウィだと、コブがないところにコブを造ってジャンプする。

 

そのおかげだろう、今年はオーストラリアからのお客や欧州からのお客が増えており、ゲレンデでも普通にフランス語とかオージー英語が飛び交ってる。ないのは日本語だけ?

 

それにしても日本人、減ったな。てか、インストラクターとして働く日本人が6人いる。それから山で働くスタッフの中にもいる。けど、客としての日本人の消滅の方が思い切り感じる。

 

僕がクイーンズタウンで仕事をしていた1989年頃は、日本は勿論バブル絶頂期。スキー場のアジア人と言えば日本人のみで、特に8月に入るとスキー場の三分の一は日本人じゃねーかと思うくらいだった。それが消えたのだ。

 

日本の二極化で、一般の人々は余暇にお金を使う余裕がなくなった。わざわざニュージーランドまでやってきて寒いスポーツなんてする気も起こらないのだろう。

 

仕方ないとは思う。そして日本のスキー場も大変だ。人口減少と二極化がスキー客激減と言う結果を招いている。

 

ただ、生き残る道はある。日本のスキー場だって、海外スキーツアーを扱う会社だって、方策はあるのだ。

 

それが海外からのお客を呼び込むことだ。現にニュージーランドのコロネットピーク、リフトチケット一日券は95ドルもするけど、資産のある外国人からすれば「だから何?」である。丁度、BMWに乗る人はガソリンが値上げしても気にならないって理屈だ。

 

ニセコに行った時も香港人やオーストラリア人が来てた。

 

要するにお金のない日本人相手に昔と変わらない商品を売ろうとしても、もう誰も買いませんよという事だ。

 

でも、その商品を買うことが出来る人は世界中を見回せば、たくさんいる。

 

考えて見れば、戦争に負けた日本は、焼け野原から町工場を作り、外国から原材料を仕入れてトランジスタラジオを作り、それを商社マンがスーツケースに入れて米国の田舎町で売り歩いたものだ。

 

その時にお金持ちだったのは米国人だった。日本にはお金がなかった。買いたい人に買いたいものを売る、そういう時代の事を忘れたのだろうか?

 

ちょっと考えれば分かることだろうが、「考える」と言う技術を戦後の学校教育で潰された人々からすれば仕方のないことかもしれない。

 

でも、このまま放置しておくと、そのうち日本のスキー場は金持ちの外国人に買い占められるよ。今の日本のゴルフ場の多くが外国ファンドに買収されているのと同じ理屈だ。

 

日本のゴルフ場に韓国人が来て、その利益は外国ファンドが持っていく。日本に残るのはこき使われた労働者とその子供たちの将来の不安だけ。

 

その点クイーンズタウンはちっちゃいながら要領よく外国からの投資を受け入れて設備を整えて、外国人を呼び込んでいる。その利益はきちんと地元に落ちると言うビジネスモデルが完成している。

 

米国や欧州の観光客は、一週間単位でクイーンズタウンに宿泊する。天気の良い日は山でスキーを少し楽しみ、昼ごろにはワインと食事を楽しみ、おしゃべりを楽しむ。

 

少し天気が悪ければ、街に出てお土産を探したりジェットボートに乗ったりミルフォードサウンド一日ツアーに行ったりしている。

 

夜ともなると皆が街に繰り出してきて、車を止める場所もないほどである。レストランでははいかにも観光客って格好の人々が、一回の食事に一人一万円以上を平気で使う。

 

ワインのボトルはどんどん空いて、レストランのシェフはばたついて、町は夜遅くまで賑わう。特にファーグバーガーでは、朝の4時頃に飲み終わったオージー連中が夜食代わりの1200円のハンバーガーを食い、そのすぐ後には、朝食としてハンバーガーを食いに来たオージー連中が行列を作っている。

 

ちっちゃな、地下資源もない国が、その国にある無料の雪を利用して、外国人相手にしっかり稼ぐ。最近は不動産不況も始まっているが、不動産投資をせずに堅実に商売をしているクイーンズタウンの人々には、あまり大きな影響がないようだ。

 

今回も友達の経営するレストランで食事をする。彼の店も急がしそうで、「ちょっとごめん」とか言って席を外すと、観光客の間を回ってトップ営業である。

 

ある晩などは、最初から顔を出さないのでどうしたのってスタッフに聞くと、ちっちゃな声で、「キッチンでお皿洗ったり野菜切ったりしてるんですよ〜」と、くすくすと笑いながら教えてくれた。

 

良いことだ。

 

そうやって皆が、明日の希望を持てる、そんな気持ちにさせるクイーンズタウンだった。 

 



tom_eastwind at 19:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZの不動産および起業

2008年08月12日

暖炉の火

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ホテルのロビーの暖炉。

都会ではすっかり見かけなくなったが、クイーンズタウンではまだ普通に暖炉が使われている。

でも、よく見るとこれはガス暖炉。

薪に見せかけた材料の間にちっちゃなガス管が通ってて、そこに火が点いてるので、なんだかホンモノの暖炉に見えるんだけど、クイーンズタウン、発達したなって感じです。

僕が住んでた20年前は、やっと都市ガスが来るようになって、ほんの一部の家庭や中国レストランでガスが使われるようになったけど、冬になるたびにガスが凍ってしまったことを覚えてる。

今では新築の家ではガス暖炉を利用している。このほうが費用も安いし手間もかからないもんね。

以前のように薪をくべて煙いところをごほごほとやりながら新聞紙を使って点火してた時代ではないのだろう。

それにしても、この街の変貌にはびっくりする。ただし、良い意味で古いものを大事にしているのは立派。

自分たちが生き残る道は観光産業しかない、その為には新しい高層ビルを建てるのではなく、自然に合致した方向性での街つくりが大事なのだ。

150年しかない歴史ではあるが、それなりにがんがってるクイーンズタウン。

川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず

でも、川を囲む景色は、あいも変わらずとても綺麗だ。日本の地方都市の駅前のような、どこも金太郎飴のような変貌ではない。



tom_eastwind at 08:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月10日

南十字星

ニュージーランドの一番の良さを語るとすれば、日本人、特に東京人に対しては暖炉の炎と南十字星の美しさではないだろうか?

 

いろんな人種がいてそれぞれ感じることが違うのでひとくくりには出来ないけど、今目の前で暖炉の炎を見つめて、一瞬ごとに変化するその形相に心を奪われ、ガラス窓を開けて冬空に天を眺めれば、そこには南十字星が煌々と輝いている。

 

大自然の中に自分が今いる、そんな気持ちにさせてくれる瞬間だ。

 

東京では六本木ヒルズが電気の光で照らされて、夜空はレーザー光線で輝いている。でも、その光とは違うんだよね。

 

「今日も有難う!明日も会おうね!」そういう人の笑顔、自然が織り成す光に、人々の優しさが重なる。そんな瞬間がニュージーランドの一番の良さではないかと思う。

 

何だこりゃ?今日はNZ絶賛のネタを書いてしまった。たぶんそれは、僕が自分の古巣のクイーンズタウンに出張して、暖炉の炎を眺めながらウイスキーを飲んでいるからだろう。

 

今日はニュージーランドの教育システム、スキーの谷足の位置、焼き鳥、おでん、友達との軽くて楽しい会話。  外の気温は2度くらいだろう。

 

ホテルに帰るバスを降りるとき、運転手さんに「今日は有難う」って言うと「何の!こちらこそ歓迎以上ですよ」と、仕事を超えた笑顔。夜の10時30分で、客は僕らしかいないんですぜ。

 

北京ではオリンピックと言う競技が発生してる。ウイグルでは人殺しが起こってる。

 

でもこの街クイーンズタウンでは、何も変わらない、素敵な一日が過ぎていく。

 

暖炉を見ながら20年前に初めてこの街に来たときの事を思い出す。薪に火をつけられずに暖炉の前で一時間以上うずくまってた俺。

 

やっぱりこの街、daisukiだ。

 



tom_eastwind at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月09日

鎮魂歌

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ぼくがこの言葉を初めて認識したのは、ハリマンが月ロケットを飛ばしたときだった。

 

自分が造ったロケットなのに、高齢だから飛べないってね。

 

 

http://ebby.hp.infoseek.co.jp/req.htm 

 

 

人の魂は不滅だって思ってる。

 

意味不明な書き込み。

 

さ、友達の、あの世への旅立ちを祝った夜だ。

 

しめっぽくするのはやめようぜ。あいつなりに生きたんだから。

 

あの世では一才だ。誕生日、おめでとう!



tom_eastwind at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月08日

いつも何をしてらっしゃるんですか?

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実によく聞かれる質問。

 

日本にいるお客様からは、僕の仕事は日本で説明会をして個人面談をする事だと思われている。だから日本にいない時は何をしているんだろうと思われてる。

 

ニュージーランドにいる人からは、僕の仕事は毎日会社に来てメールのやり取りをすることだと思われている。だから日本で一体何をやってるんだろうと思われてる。

 

それを柔らかに質問系にしたのが、本日のタイトル。

 

実は僕がお客様とのやり取り以外で一番手間をかけて集中しているのは、商品企画である。

 

商品企画とは言っても二つあり、一つは移住と言うビジネスプランの個別企画。移住は一人ひとりの道筋が違う。だからそれぞれに合った時系列プランを提案するのが個別企画でもある。

 

しかしもう一つの大きな柱は、当社のウェブサイトに掲載されている、円送金とか無料携帯電話レンタルとか不動産購入サポートとかのような「目に見える商品」である。

 

円送金を始めたのは1999年、日本の外為法が改正になった翌年である。この法律が変わることによって何が起こるか?外為法がない他の国、例えば金融が自由化されている香港ではどのようになっているのか?

 

そんな事を考えながら、今の日本にはない商品を考えて作ったのが円送金だ。仕組み自体は決して難しくはないのだが、今まで誰も思いつかなかったし法律上日本側で禁止されていた。それが合法になったのを機に商品化したのだが、今ではニュージーランドの留学関連会社で円送金を扱ってない会社はない。

 

携帯電話レンタルビジネスも、1997年当時はワーホリがケータイ持つなんて、まさにあり得ない時代だった。いくらこっちがケータイ持ったとしても、相手が持ってないのだから存在が無意味、それなら公衆電話でいいやと言う時代に、誰でも無料で持てるケータイを仕掛けたので、これは面白いほどに当たった。

 

最も多い時期は、ワーホリ全体人口の約半分近くが当社のレンタルを利用していたくらいだ。一回当たり最大の台数を借りてくれたのは、オークランドでアセアン会合が開催された時に政府から受注したケースである。

 

ただ、最近ではすっかり市場が変わり、日本から携帯してくる人が増えたし、だいいちワーホリ人口が激減してるので、あまりビジネスとしてのうまみはない。

 

不動産購入サポートも、元々ニュージーランドの不動産売買に関する法律が、システムとして購入側に不利に出来ていたので、買い手の利益になるようにするにはどうするか?を考えて作った。これも「以前は存在しなかった」ビジネスであった。

 

こういう商品は、いつも市場を見ながら、「そこにないものは何か」と言う点から考え始める。

 

毎日街を歩いて、日本に出張に行く度に色んな地方を回って見て、そこに「あるもの」と「ないもの」を観る。だから、特にこれと言った目的を持って歩くのではなく、その時の気分でふらふらと、あちこちを歩くのだ。

 

例えば今年で言えば冬場のニセコでオーストラリア人村を見たり、ニセコのちっちゃなお店で働いてる地元の女の子の話を聞いたり。「そんなもん、どんなビジネスじゃ!」と言われるが、こういう積み重ねが色んな発想(時には妄想)を生むネタになっている。

 

今も僕のパソコンの中では、現在進行中の商品企画だけでも10個近くある。

 

「ほう?だから何なの?いくら企画しても自分じゃ何にもできないくせに」

・・・まさにその通り、実務に弱いのです・・・

 

「第一、  企画倒れの方が、よっぽど多いじゃん。その度に無駄な時間使ってさ」

・・そうなんです、随分無駄撃ちしてます・・・・

 

「企画企画って、それを紙に落として商品化しているのは誰よ?」

・・き、きついですね。何せパワーポイントを使えないのです・・・

 

結局はいつもスタッフに助けられているのが実情です。

 

てな事で、僕の仕事のお話、第二弾でした。

 

写真はオークランドの携帯電話会社Vodafoneの本社でした。



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2008年08月06日

ビジネス売買契約

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今日はニュージーランドの会社の買収契約を成立させる。

 

当社の位置づけは、ニュージーランドで起業したい人と、ニュージーランドの既存ビジネスを売りたい人を結びつけるコンサルタント=仲介役である。

 

起業と言っても目的は様々で、日本で行っている事業をニュージーランドで展開したいと考える人のためには、会社をゼロから設立することもある。

 

また、既存のビジネスを購入することでロングタームビジネスビザと言う永住権を取得したい人もいる。

 

どちらの場合も問題は、売る側がいるか、と言う点だ。

 

日本だと、親子代々のれんを守りってなもので、ビジネスを売るなんてあり得ん!という人もいる。また、ビジネスを売るとなると、まるで悪いことみたいに考えてしまう傾向がある。

 

でもニュージーランドでは、親のビジネスを子供が継ぐという発想はあまりなく、むしろちっちゃなビジネスを大きくしたら、後は売却してしまうという感覚である。

 

だから、ビジネスで何かを売って儲けるという視点と、ビジネス自体を売って儲けると言う視点があるのだ。

 

でも、誰も自分のビジネスがON SALEだとは、あまり言いたくない。自分から売りに出すと、どうしても価格が低くなるし、第一誰にでも言うことが出来るような話ではない。だから売りの情報は、表面には出てこない。そこで僕らのようなコンサルタントの出番となる。

 

レストランでビジネスランチをしてる時とか、どこかのバーのカウンターでビールを飲んでる時とか、仲良くなった弁護士連中とコーヒーを飲んでいる時とかに、「そう言えばあそこが〜」とか「実はこんな話があるんだけどね〜」てな感じで、テーブルの下からこっそりと出てくるのだ。

 

所謂ビジネス売買コンサルタントがウェブサイト上で載せているのは、あれは氷山の一角。本当に面白みのあるビジネスは身内でしか回さないのだ。

 

このあたり、本当に田舎の地縁社会である。

 

あまり知られていないが、ニュージーランドの起業家ビザ(LTBV)のポリシーでは、既存企業の買収とは「当該会社の株式の25%以上を取得すること」が最低条件となっている。実際にはもっと積み上げて33%以上とか、できれば経営支配権が取れる51%とかが良いのだが、要するに会社を丸ごと買わなくても起業家ビザで永住権が申請できるという点なのだ。

 

そして、2〜3年後に永住権が取得出来れば、その時点で株を売却することが出来る。てか、中国人や韓国人の場合は、いたってごく普通のビジネスとして株の売買を行っている。

 

中国人経営のお土産やさんで、「ここでやっても絶対に儲からないでしょう?」みたいな場所や商品でやってる場合、僕はよく冗談で「ビザショップ」と言ってる。

 

それでもニュージーランド経済に貢献して雇用を創出しているのだから、政府としては問題ない。そのビジネスを誰かが再度購入して経営している限り、国からすれば納税と雇用があるのだから問題ないのだ。

 

ただそうなると買う側からして難しいのは、「適正価格がいくらか?」と言う点だ。ここでデューデリジェンスの問題が出てくる。

 

最近の日本でもM&A、企業買収がよく行われるようになって一般化された言葉だが、企業の株価がいくらなら適性か、またその株を再度売却する際にどの程度の価格で売れそうなのか、と言う「読み」である。

 

勿論非公開未上場企業の話なので、どこまで相手側の出す情報を読むか、また実際にその商売を見て、それがNZにおいては将来性があるのか、などなどを読まねばならない。

 

最初に見るのは、当然相手の会社の決算書である。日本の決算書ほど難しくはない。

 

意外に思われるかもしれないが、今儲かっているかどうかは、あまり関係ない。大体どこの会社もオーナー企業であり、利益を出して納税するよりは、経費を使って少し赤字にするのが一般的だからだ。

 

だから決算書を見ながら、その数字がそのビジネスモデルと合致しているかを見る。大体どんなビジネスでも、大事なのはビジネスモデルだ。そこさえしっかりしていれば、後は自然と家賃、人件費、経費部分が適正かどうかが分かる。

 

それで、経費とビジネスモデルをつき合わせて、本来出る筈の利益を見つける。この利益を年間に直してその2〜3年分の合計と、会社の持つ資産と、ビジネスモデル自体が誰にも真似が出来ないものか、又は誰でもすぐに真似できるものかを見る。

 

これで買収価格を算出する。

 

そうすると面白いことに、企業経営者は、自分の会社の価値を外部に客観的に評価されたことがないから、皆「ほ〜、そうなんだ」と口を揃えていう。

 

ただ、これで出てくるのはあくまでも数字の上だけなので、今度は実査をする必要がある。実際にその店や企業の中に入って、日常業務が回っているか、ビジネスモデルが実際に顧客の足をその店に向かわせているか、である。

 

なので僕の場合は、日頃から時間があれば街を歩き、どんなビジネスがどの程度お客が入ってるのかを見ることになる。帳簿だけでは実際のビジネスは分からない。

 

だから時々、売りたい人がネタを持ってきて「これなんぼで売りたい」と言うのだけど、「その店知ってます、その売値違いますよね」と切り返すことになる。

 

僕の立場は、買い手側のエージェントとしてデューデリジェンスを行い、出来るだけ買い手の利益になるように交渉を行い(勿論売り手としても納得出来る金額)、弁護士を通じて法律的な問題がないかを確認して、税理士を通じて株の売買契約を作成し、最後に署名を両者にしてもらうことだ。

 

毎年20〜30件程度の会社設立をやっているので、それに伴った上記のようなビジネス売買も発生する。ただ僕の立場は常に買い手の利益代表である。

 

だからどんなビジネスを紹介、仲介するかは、当然ながら最も重要。何せ買い手のお客様とは、これから何年もの長い付き合いになる。変なものを売ってしまったら、そのお客様は目の前にいるわけなので、後でトラブルになる。

 

そこで大事なのは地元とのコネクション。ほんとのところ、どうなの?ってブラックボックスな部分だ。これを、時にはキーウィ、時には中国人、時には韓国人、勿論日本人からも情報を収集して、さあどうしましょうって考えるのが僕の仕事。

 

日頃はあまりこういう事は書かないのだが、最近よく「結局君はなにやなのか?携帯電話レンタル会社?医療通訳会社?旅行会社?不動産会社?ファイナンス会社?ビザコンサルタント会社?ガイド派遣会社?」と聞かれる。

 

勿論全部答えはYESなのだ。実際にうちの会社は色んな事をやっているので、人によっては今でも僕が携帯電話レンタルの会社の人間だと思われている。

 

ただ、そのような仕事はすでにルーティン化されていて僕自身がする必要はない。なので、「君はなにや?」と聞かれれば、僕の仕事は移住と起業のコンサルティングです、となる。

 

他にも色んなケースがあるのだけど、今日は「起業家部門のビジネス買収」について、でした。

 

などと偉そうに書いてると、こんな声が聴こえてきた。

 

「情報収集が大事だなんてのを言い訳に飲み歩いてるだけでしょ」

・・・それはまあ、そうだけど・・・。

 

「大体情報収集なんて、記憶失うほど飲んで出来るわけないじゃん」

・・・それもたしかに、そうだな・・・・。

 

「あんまりかっこの良さそうなことばかり偉そうに言うんじゃないよ、飲んでる時の写真ばらすぞ!」

・・・・失礼しました! 

 



tom_eastwind at 16:47|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZの不動産および起業

2008年08月05日

光る風

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週末は溜まった仕事を半分片付けながら、やっつけでどんどん未読の本や雑誌、漫画(山上たつひこの1960年代の初期SF作品集)を読む。

 

(ちなみに彼の「光る風」を知ってる人が何人いるか?)を片付けたおかげで、月曜日は昼飯抜きで仕事となる。

 

 

全く、こんな読書が何の役に立つのか。役に立つんだろうなんて考えたことはない。ましてや、今の時代の普通の人に山上たつひこの「光る風」なんてありえんだろう。ちなみに今回は「光る風」よりも更に初期の作品ばかりで、「光る風」は読んでない。しかし、ありゃあ昭和後期の代表的傑作の一つだ。

 

ただ、こまわりくんとかどらえもんとかおそまつくんとは全く違う世界で、ガロとかの世界の住人で、隣にはカムイ伝があって、その先にはアシュラがあってという世界での代表的傑作。

 

だから普通の人が読んだら絶対に消化不良を起こす事間違いなし。

 

人間はお腹が空いたらご飯を食べるし、喉が渇いたら水を飲む、その延長で、頭(演算装置)が空っぽになったら(つまり記憶装置に入ってしまえば)、自動的に次の本(入力データ)を入力したくなる、そういう感じで本を読んでる。

 

そんなふうに入力されて演算されて記憶装置に入ったデータは、様々な場面で自分の思考に大きな影響を与える。「人間の条件」とか「社会契約論」とか、モノによってはとんでもないことになるのだが、まあそれはどうでもいい。

 

今日は比較的天気も良くて(勿論1時間に1度は土砂降りのスコールが来る程度)ジャケットにスラックス、それに珍しく最近自分の中で流行な「ネクタイ」をしていったので、うどんの汁をネクタイに飛ばして後悔するよりも上品に紅茶飲みながら仕事をしているほうが良い。

 

朝からメールの処理しながら、あれ?と思う。おやや、やばし、感覚が雑になってるぞ。

 

つまり、がさつになっているのだ。本来僕の仕事は100%以上の気遣いでお客様の満足を得るのが仕事なのだが、いくつかのメールで、本来使うべき言葉が出てこない。

 

ああ、もう、指先まで来ているのだけど、最後の第一関節のところで止まってる感じ。

 

なんじゃこりゃ?週末に本を読みすぎたせいか?

 

それとも、日本出張から戻ってその反動で頭がいう事聞かなくなったか?

 

どうもな〜。こりゃなんだろな〜。

 

そのうちに気づく。

 

「あ!優しさと気遣いが吹っ飛んでる!」

 

何でじゃこりゃ???????

 

ニュージーランドに興味をお持ちの方や旅行に来られた方はご存知かと思うが、この国で仕事をしていると、あまりストレスがたまらない。ところが日本で仕事をしていると、色んなストレスが溜まる。

 

普段はこれも、ニュージーランドに戻れば抜けてしまうはずなのに、先週は溜まってた仕事に追っかけられて、読みたい本が僕の心に押し込み強盗してきて「ほら読め、早く読め」って来るもんだから、日本から離れた筈なのに、まるで日本にいるようなストレスを感じてしまったようだ。

 

おまけに会社でも自宅でも、心にヤスリをかけるような、ちっちゃな問題がちょこまかとあり。あ〜あ、やっちゃった。

 

自分がストレスを感じるときの基準は明快で、怒りっぽくなってしまうとき。

 

朝起きて、あ、暫くアパートでも借りて一人暮らしするかな〜なんて思うときは、大体ストレスが溜まっている証拠。

 

これは全く他人の問題ではなく、全く僕の問題であるから、周囲からすれば随分な迷惑である。

 

この親父、いい加減好き勝手なことやった挙句に、一人暮らしだと!ふざけんじゃね〜よ!って感じであろう。

 

ただまあ幸運なことに、何とかこちらの気持ちを理解してくれてるので、出てけ!って話にならないだけ良い。運の良いうちに性格直せって言われそう。

 

しかし本来、仕事は追っかけるもの、追っかけられるものではない。焦ると、どうしても視野が狭くなる。どうも、いろんな仕事に対して準備不足なのかもしれない。やばし。

 

今日は早くベッドに入って、中国古典を読もう。

 

表題の写真は上巻。

 

 

光る風 (下) (ちくま文庫)

 

 



tom_eastwind at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2008年08月04日

乱調文学大辞典

今週は、溜まっていた本を一気に読み上げるという事もあり、日曜の夜には、目がしょぼしょぼ。まだ読み終わってない本もかなり「積ん読」状態。

 

そんな時にちょっと頭を柔らかくする本が、僕にとっては「乱調文学大辞典」である。昭和46年(1971年!)に作られたこの本は、筒井康隆の手によるものだが、物書きの教養?とか昭和の売文家??の生活実態???とかが書かれていて、実に面白い。

 

とにかくさっさと手にとってどこのページを開いても、堪えられない笑いが込みあがってくるのである。その笑いが、一種酒場のちょっとしたジョークなのだが、理解する為にはある程度の知識がないと笑えないという点である。

 

この本はかなり特殊でもある。昨日も他の本のことで書いたけど、日頃本を読まずに真面目に生きてる人が読むと、まず90%の確率で本気で怒り出す。

 

大辞典と書いてるから素直に権威を信じて素直に数ページ読んで、

 

「ふむふむ、愛読者とは読者を愛する作者の事なのか、なるほど勉強になる」とかなる。

 

「アウトサイダーとは、密造のサイダーである」と書かれて、そのまま信じる。

 

そしてdandan自分が馬鹿にされていると思い込む。

 

実は筒井康隆、読者を馬鹿にしてはいない。ただ、普通の教養と常識、そして自分で考える力があれば分かるでしょってレベルで、色んなことを面白おかしく書いているのだ。

 

だから、権威主義に慣れた、自分で考えることをしないまともな社会人であるか、またはやくざのような本当に教養のない連中が、己が教条主義に陥ってるか、ほんとに馬鹿であることに気づかされるのがこういう手合いの本なのだ。

 

そう、これはお笑い本なのだ。

 

ただし、どっかの関西のお笑い芸人のように、芸にネタがないもんだから相方の頭を引っ叩いたり、自分のやったことをばらしてみたり、挙句にはみっともなく鼻の頭を膨らませたり裸になったり、みっともない格好で踊ったりなどの必要はない。

 

そういえば大橋巨泉がある時「最近の芸人は芸人じゃない。自分の過去や恥をさらすのは、芸人ではない」と言ってた。

 

大橋巨泉はかつて11PM等で一世風靡して、その番組は「PTAがdaisukiな自己陶酔型主婦の集まる教育委員会」から、最も見たくない番組といわれたものだ。

 

しかし彼は長い芸人生活の中で、一切自分を語らなかった。綺麗な知識芸一筋だったのだ。

 

そしてこの本も、一切己を見せない。とにかくネタで勝負、てか、勝負ってほど肩に力が入ってない。

 

20年前のクイーンズタウンは日本語の小説がなく、新しい本を読みたかったとっても真面目な日本人女性に渡して、何気なしに「けっこう楽しいですよ」とだけ説明した。

 

翌日、日頃温厚な彼女が本気で怒って僕のフラットに押しかけてきた。「こんなもんを私に!ふざけないでよ!」結局その晩に作ってもらう予定だったカレーライスは食い逃した。

 

例えば

 

せ:「西武戦線異状なし」

「西武デパートと東武デパートのはなやかな宣伝、販売合戦を描いた現代小説。作者不明」

 

これなど、まじで信じる人が出てきてもおかしくないだろう。てか、このブログを読んで戴いてる人の中にも、意味不明?と思う人もいるだろう。

 

同じく「せ」の欄にはこんな分かり易いのもある。

 

せ「セミ・ファイナル」

「蝉の優勝戦。」

 

でも、↓になると、本気で信じる人もいるかもしれない。

 

そ「相対性理論」

「男女両性の対立を説いた理論」

 

た「ダイヤグラム」

「列車運行表のこと。点と線以来、推理作家の需要に応じて国鉄が発行している」

 

つ「追体験」

「東映映画を観て興奮し、山口組に入ること」

 

でもって、↓このあたりからまたdandanと?になる。

 

つ「吊るしあげ」

「勘定の溜まった店に一年ぶりに行った男が食わされる揚げ物の一種」

 

て「デカダンス」

「和田アキこが踊るゴーゴーのこと」

*これなんて、昭和47年という時代背景を知らないと意味不明だろうし、今だと個人情報保護法とか著作権とか肖像権とか、おおもめに揉めるんだろうな。

 

そして、元々が銀座の夜のお笑いネタで始まったような内容だから、dandan堕ちて行く、崩れていく。(このあたりが、真面目な彼女が本気で怒った部分だろう)

 

と「トリミング」

いやなやつ、新しい恋人に知られてはならぬ昔の女、不都合な人物のいる部分を写真から切除すること。

*DTP全盛の現代のほうが大衆受けしますね。

 

な「ナーバス」

「オムニバス、コントラバス同様、芸術家用に設計された黄金風呂の一種」

 

は「走り書き」

「走りながら書くこと。書いたものが走り出すこと〜」

 

ひ「悲劇」

入場料が高いわりに、つまらない劇のこと。劇団側にとっては喜劇。

 

等等、読み出したら笑いが止まらない。次々とツボに入ってくるので、そばにいた家族が気持ち悪がってしまうほどだ。

 

とにかく人生を真面目に生きてきた人は読まないほうがいい。本気で腹が立つだろうから。

 

 乱調文学大辞典 (角川文庫)

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2008年08月03日

若者はなぜ正社員になれないのか

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最近は格差やフリーターに目を向けて、彼らを調査の対象として書かれた本が激増している。

 

そう、まさに激増。データにして統計的に分析したり、その心情を一緒に生活することで理解しようとしたり。

 

この本あるブログで見かけた記憶があったので、東京の本屋で購入。

 

結論=これはハウツー本でもなく自己啓発本でもなく社会批判本でもない。文学的センスのある若者が自分の体験を文書化しただけの「読み物=小説」である。

 

「ハウツー本でもなく自己啓発本でもなく社会批判本でもない」からと言って内容がないようとか言ってるわけじゃない。

 

むしろその反対で、「おお、この作者の感性と表現力、すげえな。多くの研究者が今まで言葉に出来なかったモノを見事に文章にしている」って感じだ。

 

最近の中では出色。

 

というのが、作者自身が実際にネットカフェで寝泊りをして、日雇い派遣で生計を立て、その合間に面接をちょこっと受けて、時間と金に余裕が出来ればパチンコもして、喫茶店で周囲の若者が嫌がるのも構わずタバコを吸って、と言う「安定した?生活」を送っている若者の側から、つまり研究の対象自身が自分を分析しているのだ。

 

若者が一生懸命勉強して安定した会社生活にうまいこと入り込んだのは良いが、実は毎日が綱渡りであり不安定であり、これからの約40年を業績だけではなく上司へのごますりや人脈構築の失敗で「失敗する可能性=降格、左遷、首の危機」に晒されるし、無事に生き残ったとしてもその将来が目の前にいる役立たずの部長や役員ってなるのか?って事に気づいたらどうなるのか?

 

安定した生活を得る為に(入社の為だけに)「子供の頃からわき目も振らずに勉強して個性を殺してしまった今までの自分の努力」を、「会社生活から得られる不安定な立場と収入」とを比較して、一体おれってナンなのと、一生懸命生きることの無駄さを感じる若者がいる。

 

安定した生活を得るために、学校の先生の教えることだけが正しいとしなければ受験に落ちるから自分で考える力を放棄して、悪い未来と正面から戦っていこうと言う独立した気概を学校の画一教育の結果として放棄させられた子供。

 

親の世代の人々から、未来は悪くなるぞ、地球温暖化だ、高齢化社会、汚職、親の世代のようには増えない収入と言われ続けて、それでも未来は良くなるんだ、いや、良くしていくんだなんて明るい気持ちを持てる子供が、どれだけいるだろうか?

 

作者が言いたい「未来を知ってしまった絶望」とは、このあたりにあるのではないだろうか?

 

それでも全体的には軽く書かれている。見えてるけど、非難はしない。大声を出さない。

 

ハローワークに一歩足を踏み入れた時の話でさりげなく“苦しみのあまり「仕事を、もっと仕事を」と叫ぶのは理性的ではないし”なんて書いてる。

 

丁度良い軽さ、なのだ。書き過ぎてもいないし皮肉さもなく、かと言って怒りもない、丁度良いのだ。まさに哲学者の観点から書いている。

 

でも、彼が映し出す正社員ではない若者の姿も生活も、間違いなく今の世の中が作ったものなのだ。

 

200ページ程度の薄い本だし文章の切れも良いので読みやすい。ただ、日頃本を読まない人には、この本は恐らく面白くない。「何言いたいのあんた!?」で終わりになってしまうと思う。

 

もし日頃本を読まなくてこの作品を読んで興味を持つとしたら、それは・・・。

 

写真はホブソンストリートの朝、通勤時間です、、、なのに車、少ないね。もうスクールホリデイは終わってるんですけど・・・脳内スクールホリデイなのか?

 

 

 若者はなぜ正社員になれないのか (ちくま新書 728)



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2008年08月02日

最後の雨、、ではないな

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連日の雨がすごい。普通なら6月で雨季も去るのだが、この10年の気候変化なのか、7月も結局雨だらけだった。

 

今年は珍しく傘を使う日が数日続く。普段なら雨が降っても気にせずに横断歩道を渡るのだが、さすがに激しい雨、Heavy Rain

 

最初の頃は「重い雨」って変な言い方って思ってたが、dandan慣れた。そいでもって、パッチーレインという言い方、パッチワークの、あのパッチ。つまり「継はぎの雨」なんてのも面白い。

 

実際にオークランドで生活をしていると、頭の上は晴天なのに、数キロ向うに真っ黒な雨雲が来てて、それが後10分くらいでこっちに来るぞってのが分かる。本当に継はぎのような雨雲がオークランドを覆っているのだ。

 

それでも今朝は久々に雨雲が抜けて綺麗な景色になった。

 

雨を雨として楽しみ、晴れを晴れとして楽しむ。だから、「夜明けの来ない朝はないさ」という発想にはならない。

 

夜が悪くて朝が良いのか?そんな事はない。夜も朝も、どっちも大事。ただあるがままに生きるのみ。

 

実際、毎日生きていくのは大変だけど、だったら死ぬか?そうはならんでしょ(これまた極端?)。やっぱりあるがままに生きていくのが楽しい。

 

今週も随分と忙しく、仕事に追っかけられた一週間だった。普段は仕事を追っかけているのだが、こういうのはちょっと珍しいかも。

 

まだまだ降り続く雨。最後の雨、ではないな。

 

雨を楽しもう。

 

写真はファンショー通りから眺めるシティ。



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2008年08月01日

バリシニコフなレイニーブルー

 

レイニーブルースタッフの冷笑「あのおっさん、馬鹿じゃないの〜」を浴びながら、島谷ひとみの「男歌」を聴いている。

 

このCDを買うきっかけになったのは、たしかTV宣伝だったと思う。

 

 

ほんのちょろっと彼女の歌うレイニーブルーが流れたのだが、その時にびび!って電気が走り、思わずそのままamazonに飛びついたのだ。

 

いいじゃんか、これ。

 

好きではない唄も入ってるけど、基本、丁寧な歌いこみで、彼女の服装が何であろうと、要するに唄がうまいのだから、何も言うことはない。

 

基本、僕は歌手のDVDは観ない。勿論彼女のもCDのみである。音が良いから聴きたい、ただそれだけだ。

 

最近の音楽は映像付きが多く、特に洋楽に至っては、どうしても受け入れがたい画面ばかりである。これで音楽に独創性があれば良いのだが、これまたゼロ。

 

要するに目立ちたがりの白痴が金儲けしたい漢字書けない馬鹿連中と組んで作ってるのがこういうDVDなのだろう。音楽がいつのまに盆踊りになったんかい?と言いたい。

 

音楽は、その音だけで勝負でっせ。米国のレコード会社が、自分のボーナスを増やす為に、歌う奴が画面に向かって薄汚い舌をむき出しにして中指を立てて、それがロックだ!みたいなDVDを作り、それに乗せられたばか者が、それを音楽と思い込む、そんな風潮を日本が拝金主義でそのまま受けているんだな。

 

食料品の偽装とまさに同じ構図で、自分で味について理解も解釈も出来ない状態の「消費者」が、それこそ無駄な事にお金を消費しているんだから、話にならん。

 

特に最近では、セロハンテープだか食料品を包むビニールだかよく分からんようなのラップってのが、「自称音楽」である。あれなら、トイレに水を流している音の方が、よほどすっきりしている。

 

そういうのを聴きながら、帽子を斜めにかぶって頭からフードを付けて破れたジーンズを穿いてケツを出してる勘違い連中が、「これが俺が求めてた音楽だ〜!」なんてさ。兄ちゃん、脳みそチェックしたほうが良いぜ。

 

他人が何を聴こうが僕には関係ないし、それで売れてるんだから文句を言う必要もないけど、それは麻薬が売れてるから、そりゃビジネスとして立派!って言うのかどうかの問題。

 

ちょっと違わないか?

 

勿論これが音楽と演技が最初からセットになった芸術であれば話は違う。演劇においては、音楽と演技は切り離せない。

 

バリシニコフ最近僕の中でよくネタになるのが、バリシニコフの「白夜」だ。ダンスとかバレーなんて軟弱、そう思ってた今から20年以上前の僕の頭を、思い切り棍棒でぶん殴ってくれて、ダンスやバレーの力強さと素晴らしさを教えてくれた作品である。

 

今でもバレーを見ることはないし、ダンスもあまり観る事はない。ただ、バリシニコフを観る事で、その奥の深さは十分に感じた(と思う)。

 

やっぱり本当に質の高い芸術は、門外漢が見ても感激するものだと思った。そのうち機会を見つけてブロードウェイでミュージカルを見なければ。

 

今は真夜中、もう2時過ぎだ。本当なら寝なくちゃいけないんだけど、結構調子が良くて仕事を進めている。

 

今の時代は便利なもので、パソコン一台で仕事をして、音楽を聴きながら、調べ物が出来る。つーことは画面は例えばワードだけど、静かな真夜中にパソコンから流れる音楽は島谷ってことになる。

 

バリシニコフ舞台裏これはバリシニコフの舞台裏の笑顔。愛嬌あるよね。

 

これって、一昔前には存在しなかった環境だよね。贅沢。

 

 

 

一昔前は自宅で仕事なんて、思い切り資料を持ち帰らないと出来なかった。

 

今はインターネットで必要な資料はすべて入手できるし、ほんっと、ユビキタスだ。そこに音楽が乗っかっているんだから、こりゃもう、楽しむしかないでしょう。

 

家族みんながベッドに入り込んだ真夜中に、島谷ひとみが歌う「レイニーブルー」を聴きながら仕事をする。これって、時代が提供してくれた贅沢ですな。

 

男歌~cover song collection~

 

 

 



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