2008年12月
2008年12月31日
激怒する妻2008
大掃除二日目の今日は妻の怒りが大爆発!怒った相手はキッチンのレンジフッド。ほら、ガス台の上に付いてて脂を吸い込む奴。
問題はこの奴が脂を思いっきり吸い込んでて定期的に掃除をしなくてはいけないのに、これが実に取り外しにくくて、まるで智恵の輪かパズルでスカイ?と思わせるほどにわけのわからんつくりになっていること。
うちの奥さんからすれば、世の中の人は世の中の人のために働いているはずだから、こんな「作る側の勝手な論理」で使う側が不自由をするってのは絶対に許せない話。
イタリア製ってかっこいいと思ってるビルダーが9年前にこの家を建てる時にこのレンジを採用したのだろうだが非常に使い勝手が悪い。
実はうちの材料でもう一つガスポンプの取り付け口があるんだけど、これがまた取り付けにくい。これもイタリア製。
そんなこんなで大掃除の二日目が始まったのだけど、実は昨日の夜の話の方が面白かった。
うちで買う卵はどこでもよくあるように厚紙で作られた6個入りのやつだ。
これがオーガニックのフリーレンジ、有機栽培で自由に電子レンジに入れていいのかと思ってたら違うようだ。檻に入ってないって意味らしい。つまりどう違うか良く分からんという代物だけど、6個で6.99セントなので日本感覚で言えば699円。もちろん今の為替なら350円くらいだ。
いつものように卵を使い終わった厚紙をみゆきが捨てようとすると、奥さんがいつものように「環境保全(環保:広東語でワンポー)でしょ、ちゃんとリサイクル袋に入れなさい」と言ってた。
するとみゆきは「いちいちお母さんめんどくさいな、これくらいいいでしょ」と言い返す。そこでお母さんが「自然は大事でしょ、環境を良くしないと将来困るでしょ」とマジで話し始める。
奥さんの理想主義も良いのだけど、そろそろ現実ってのも知ったほうが良いだろうと思い、僕が横から口をだす。
「あのねお母さん、リサイクルと言う考えはとても大事なんだけど、再生紙を作るためにどれだけの水と電気と手間がかかっているか知ってる?詳しくはインターネットでどうぞ。自然を大事にするってのはとても良いことだけど、それを理由にうまいこと商売をしている人が考えたエコに乗っかってあなたがゴミを分別して出すのは、結局そういう業者の手伝いを無料でやっているようなものだよ。バレンタインのチョコレートと同じですぜ」と説明する。
さらに「でもお父さんの話は経済効率の観点からしか見てないから、リサイクルは政治的に見るとOKかもね。だって皆これで“リサイクル!”って言って自己満足出来るんだから安いもんだよね」
くしゅんとする彼女。
「ついでに言っておくとCO2削減とか温暖化対策とか言ってるけど、あれは欧州の連中が何もせずに金儲けをしようと考えたあこぎな商売だよ。温暖化しているかどうか、その原因がCO2かどうか、そういう事を何も科学的に考えもせずに乗っかって自分が自己満足天使になってるのは、自分だけがやる分にはいいけど他人を巻き込んじゃいけないよ」
ますますくしゅんとする彼女。
僕は科学者ではないし立派な学問を学んだわけではない。けど自分の売りたいものに大義名分を付ける連中のやり口は良く知ってるし、それで何百万人の日本人が第二次世界大戦で命を落としたことも知っている。
みゆきはそれを聞きながら、「なんだ、世の中って嘘が多いんだね〜」と呆れたように言うし、お母さんは「何で皆そこまでしてお金を儲けたいのかな〜、人間って嫌だね」と嘆いてた。
付け加えて言ったのは「けどね、だからと言ってお父さんの言ったことをそのまま信用するのも違うよ。もしかしたらお父さんだって間違っているかもしれない。だから自分で調べて見ることが一番じゃないかな」
「お母さんが自然を大事にしようって気持ちを持ってるのはとても素晴らしいことだけど、それを悪用して商売をやる連中は頭に来るね。お父さんの話はあくまでも経済的に見てどうかってことだから、それでお母さんが幸せなら分別すれば良いし欧州の連中に金払っても良いと思うよ。自分がやってる事が何なのかをよく理解してれば、それでいいんじゃないの」
世の中、実にたくさんの嘘のビジネスが出回っている。良いビジネスとは何かってのは非常に規定が難しいだろうけど、一つ言えるのはそのビジネスが社会にとって必要とされているか、だろうと思う。
けど、そうなると有名大学を優秀な成績で卒業したエリートの皆さんが、必ずと言ってよいほど自分の会社の社会貢献を語る。これを言い出したら皆さんプロなので、「当社ではxx宣言をしてxxを削減して〜」となる。君ら大学を出たのは何の為?と聞きたくなる。会社の為なら嘘でもOKなのか?
だからもう一つ違う基準を提案したい。
それは、「あなたのビジネスは自分の子供に話せますか?」と言うことだ。
僕は自分のやっている仕事を常に奥さんとみゆきに話している。彼らがどう思うか、それが僕にとっての一つの基準だ。
僕は三菱重工が戦車を作るのを反対してない。だって国防は大事だし、外交のために絶対に必要なんだから、ガザに戦車で侵攻して数百人を殺しまくっているニュースの前で三菱重工で働く親が子供に向かって「お父さんの会社は戦車を作っているんだよ」と言っても良いと思う。
けどそのためには、父親は自分が何をしているのかを正確に理解した上で国防とは何か、国家とは何かを学ぶ必要がある。平和の為の人殺しが世の中に存在すると言う現実から目を背けることは出来ない。
そしてその理想論と今ガザで起こっている戦いを同次元で語るのは問題がある。何故ならガザ侵攻はイスラエルの自分勝手な理屈でやっているからだ。
そしてその背景にはイギリスのバルフォア条約やサイクス・ピコ協定なんかがあり、だから戦車一つの話をするとしてもその先の広がりを父親が理解していないと、どこかで家族に説明出来なくなる。
だから父親たるもの、子供と話をするときであってもある程度の知識がないと辛いものがある。みのもんたの話をコピーするだけでは、どうしても限界があるからだ。
それにしても今年はいろんなことがあった。学ぶことがあり反省することがあり、嬉しいこともあった。
世の中はますます変な方向に向かっている。CO2削減に貢献って、どこの大企業も大声で騒いでいる。車会社もクリーンエコって叫んでる。
だったら車を減らそうよ。車がなければ事故も無い。エコを目指すならスピードを競うF1レースとかラリーはもう不要だよね。
食べ物が安全じゃないって、だったらちゃんとお金を払って生産者に十分な報酬を払おうよ。
今年の世間の動き、どう見ても一番肝心なところのボタンを掛け間違えているとしか思えない。
一生懸命商売やってる人が叩かれ、何もせずにテレビの前に坐ってる連中が裁判官になる。そんな話があるもんか!
世の中、一部のずる賢い連中が金儲けのために反社会的な商品を売り、無知で学ぼうとせず自己責任を取る事をしない人々はマスコミに煽られてしまい、まるで第二次世界大戦か日露戦争前夜である。
来年は5万人移住計画を更に推進して、優秀な日本人をキーウィに紹介したい。その為の準備も整った。
来年は少しでも今年より良い年でありますように。
2008年12月30日
大掃除
本を読んでいるだけではなく映画を観ているだけでもなくちゃんと仕事をしているのだけど、先日も書いた仕事パズルの組み合わせに苦戦中。
何せこのパズル、どれだけの組み合わせがあるやら。
おまけに今日は何年ぶりかの大掃除。庭の雑草を取り、自宅内のレイアウトを変更して、風水とか一応考えながら、風通しの良い自宅にしようと朝から奮闘。
朝から奥さんと
おれ「これは不要だよね?」
おく「ナンでよ!いつか使うでしょ」
なんて議論を繰り返す。
「男は棄てることが出来るけど女は棄てることが出来ない」最近読んだ本に書いてた。
これは間もなくUPする予定だけど、脳医学と心理学といろんな角度から男女の問題に触れてて非常に勉強になった。なりすぎて、全部筆写してブログに掲載したいほど。
今は自宅の在庫を整理して、どんどん古いものを棄てている最中。何かを得るには何かを捨てるしかない。これは僕が中学の頃の先生に学んだこと。
その瞬間、真実だな〜って心を打ったのを、今でも覚えている。高校生までの授業で顔を覚えている先生は3人しかいない。
一人は数学の先生。「おい、数学なんてやっても賢くはならん。けど、数学的考えを身に付ければ、これは役に立つぞ。例えばある人が100万円儲かりまっせと儲け話を持ってきたときに数字的に分析すれば、ありえないとわかるからだ」
まさに真理。今も実行している。いろんな人が「儲け話」をほぼ毎日のようにもって来るが、数字的に突き詰めてみると最後は「いやそれは、明日が天気になればの話です」とか「いやあ、精神力さえあればいけますよ!」なんて話ばかり。
What a wonderful world である。S先生、ありがと。
二人目は僕に亀井勝一郎を紹介してくれた国語の先生。
「その恋人たちは朝霧の消えかける山の裾野に二人して坐り、彼女はスカートを広げてひざを折り曲げて・・・・、、、おいおい、女の子のパンツが濡れるぞ」なんて笑いながら、亀井哲学を語ってくれた。
「愛とは彼女を皆に紹介して解放すること、恋とは彼女を閉じ込めて誰にも見せないこと」
お前、誰かを愛していると言いながら、実は閉じ込めてないか?それは自己満足にしか過ぎないぞ。愛ってのは、相手の未来を考えることだ。
人に紹介して盗られるとしたら、お前の実力が無い証拠だって何故思わない?
頭の中で流れるテネシーワルツ。
これ以降亀井勝一郎は、僕にとって日本人代表みたいになっている。
そして三人目が、やせ細った先生の語った言葉。
「おいお前ら、右手で何か持ってみろ」ペンを持つ。
「よっしゃ、次は左手で何か持ってみろ」ノートを持つ。
「ほら、その状態で教科書を持てるか?」出来るわけないだろ、ばか。
「お前ら今、出来るわけないだろと思っただろ、それが整理をするってことだ。つまり整理とは、何かを捨てない限り出来ないことなんだ」
この話は今も、あの教室のイメージと共に頭に残っている。
けど先生、たった一つ言わなかったことがあるよね。
女性は捨てることの出来ない人種であり、彼女を敵に回して掃除する大変さを。今更ながら、感謝しながらも、ちょいと恨むよ、はは。
2008年12月29日
夕日と拳銃
日本にいた頃は独身で、一生結婚することはないと本気で思い込んでいた。
そしてもし万が一結婚するような事があったとしても、その相手は日本人以外あり得ないと思ってた。
二十歳前に偶然もらった日本航空のオークランド直行便のポスターを見ながら、こんな国に行けるなんて事は一生ないだろうなと思ってた。
そしたら三十前にはすでに海外に飛び出してて、住み始めた国はなんとニュージーランドだった。
そして自分で約束したことを裏切るように外国人と結婚したのだから、「私はこうやって生きていくって決めたんです!」なんて他人に喋った自分の言葉に縛られるのが無意味だな、そう思った。
これが人生かな、結局未来なんて誰にも分からないんだな、だからその瞬間を一生懸命生きるしかないなって、結構本気で思った。
変化することが強くなることだし、その為には過去の自分を否定していく必要がある。その時に自分が話した過去の言葉に義理を背負っていては生きていけない。
今もこの年になっても思っているし、その思いは益々強くなっている。
さて夕日と拳銃。1958年の壇一雄の名作である。
*抜粋開始*
戦前の朝鮮半島北部から中国満州には日本からやってきた大陸浪人が溢れかえっていた。
「オーイ、日本人か?」
「オレは何も、何処の人間でもヨカろ?」
「ワシは早稲田を出て、本省の官吏をしとったんだが、去年朝鮮に来たもんじゃ。貴様は一体何処を出た?」
「何処を出たっち、何のこつかい?」
「何処の中学だ?」
「ナニ?豊臣秀吉も西郷南州も早稲田大学は出とらんぞ!」
*抜粋終了*
日本人って、一体なんだろう。おれは日本人なのか?ナニがあれば日本人で、ナニがなければ日本人じゃないのか?
おれは自分が日本人だと思ってるし、それを誇りに思ってる。それは何も今経済的に強いからって意味じゃない。人間としてよく出来てると思うからだ。
他人を思いやることが出来る人種。他人を大事に出来る人種。他人と同等の目線でモノが見える人種。これ、たぶん世界でもっとも優れた人々だと思っている。
けど、今の日本に住みたいか、今の日本人と同じにされたいか?そう聞かれたら間違いなくNOだ。今の日本人の方が日本人らしくないんじゃないか?
たとえ少数派でも自分が正統な日本人だと思う今日この頃。けどそれを理解してくれないから悲しい。
そんな感じを主人公は心の中で抱いてたのではなかろうか?
無意味な規則ばかりの学校、年齢だけで序列が決まる不合理、無意味な社交辞令。どれを取ってもある種の人間から見れば全く意味不明で、同席するのに耐えられない苦痛を感じるほどなのは、実に良く分かる。
主人公の伊達麟之介(だてりんのすけ)は伊達藩主の直系の子孫に当たる、所謂殿様の三男である。東京に家はあるがある理由から九州の母方の実家で成長する。
13歳で東京に出てきた彼は品川にある伊達藩主邸宅に住み学習院に通い始めるが、その破天荒な性格のために問題を起こす。彼を庇ってくれた乃木大将が明治天皇の崩御と共に殉死を遂げると、彼は遂に日本という枠を外れた人間になり、様々な事件の後に中国大陸に渡る。
彼は満州に渡った後いつの間にか馬賊のボスとなりその名は満州中に響き渡った、それも義賊として。
常に金のためではなく満州国民のために戦い、その為には共産党軍(今の共産中国)にも付き、時には日本軍とも協力をして、あるときには国民党(今の台湾)にも付き、要するに常にその時点で満州国民に最大限の利益になるように戦いながら、己を棄てて天の道に生きた人物である。
僕も行くから君も行け、狭い日本にゃ住み飽きた。
そんな合言葉と共に多くの壮士が中国にわたっていった。その中には彼のような高邁な思想の人間もいれば、金儲けのために一旗揚げに行った児玉誉士夫、岸信介などの戦後も生き残った連中もいる。
このあたり佐野真一の「阿片王・満州の夜と霧」に詳しいが、いずれにしても伊達さん、それから中国大陸を馬賊の親分として戦争が終わるまで駆け抜ける。
この小説には実在のモデルがいる。伊達順之助という、本当に伊達政宗の直系の子孫であり、学習院を中退して大陸に渡り縦横無尽に暴れ回り、戦争終了後は国民党に逮捕されて上海の監獄で銃殺された人物である。
この小説は上下2巻であるが読みやすく、まるで活劇を観ている様な分かり易いストーリー展開である。
恋あり友情あり青春あり、そして一転戦争の場面では激しく戦い、時には五国協和って何だ、王道楽土って何だって、今も通じる世界観をテーマにした議論も出てくる。
ただ、男として生まれたからには、明日も分からない人生ってのも素敵だなと思うのも事実。
来年の心構えを作る上でも今年の年末にふさわしい一冊でした。
2008年12月28日
真夏のイブ ウェリントンに行く
ウェリントンに行ったと書いたら「遊びか?」と聞かれた。違う。ウェリントンはクリスマスイブの12月24日に日帰り出張。こんな日でも飛行機に乗っている人は多く、ほぼ満席だ。ただクイーンズタウン行きと違って半数以上がネクタイをしてた。
来年の年間行動予定も基本的な部分は出来上がり、既に先週会計士や弁護士とも打ち合わせを終わらせて新しい会社を2社設立することになった。
来年は急激な円高で1980年代後半のような海外投資バブルが来るぞ、その為に海外での受け皿を今のうちに作ろうというのが今回の基本認識だ。
あの時も急激な円高で製造業が未曾有の危機に陥り多くの企業が中国にシフトした。今はすでに大手製造業は海外拠点にシフトを終了している。
なので商品さえ売れるなら海外生産をすれば良いのだが、今の危機は金融危機ではなく製造業危機になってしまったから、例えば中国やタイで車を作って米国に持って行っても、てか米国で作ったって買い手がいないという危機である。
これを救う為に金融の流動化、つまり政府が低利で市場に資金をじゃぶじゃぶと供給してるのだが、いくら銀行にお金を入れてもそのお金は国内製造業に貸し出しはされない。何故なら相手が製造業だと回収見込みが低いからだ。
するとこのような金は必ず海外に向かう。今の円高なら海外で何を買っても安いわけで、それなら世界中の土地を買ってしまえとかビルを買ってしまえという事になるのだ。
そして前回のバブルでは日本が世界中の土地を無節制に購入してホテルを建てて、バブルが弾けた後には何も残らなかった。それこそ第二の敗戦と言われたゆえんである。
そして今、日本は食料自給率の改善が大きな問題となっている。
ならば合法的に日本人が外国の農地や水産会社を購入して日本人向けに食料を生産すれば良いではないか。
安全な作り方で安心できる場所で高品質で美味しい食材を提供出来るようになれば、日本にとっても実質食料自給率の向上に繋がるしニュージーランドにとっても高級食材輸出国としての日本という新しい市場が出来上がる。
今までの日本は形を整えて色を揃えた食材を、安くオンタイムで納入する必要があった。そんな市場に疲れたキーウィ農家は、その食材を中国に売るようになった。
しかしここで全く新しい発想で、ニュージーランドでキーウィを雇用して日本に高級食材を輸出して利益を出してNZに納税すれば、NZの雇用と経済に貢献出来るし日本の自給率問題の解決の一案になるし、日本人も安全な食材が食べられるし、その時は日本の農法をNZに取り入れても良いのだ。
しかしその為の橋渡しは、通常のJETROや大手企業ではムリだ。何故なら彼らはサラリーマン感覚でしか取り組まないけど、これはゼロから文化を越えて作り上げる全く新しいビジネスモデルであり、その場その場で判断しながらすすめていく必要がある。
とくにこのビジネスは、今までの一般日本人の「食材は安くて安全」と言う常識をぶっ壊す必要がある。何よりも、購入客を神様と思っては絶対に失敗するビジネスモデルなのだ。
顧客と対等の立場でお互いに相手を尊敬しながら、時には許しあい助け合うビジネスモデルでなければ成立しないのだ。
だから日本の食ビジネスで「お客様は神様」と思い込んで「大量に売るのが偉い」とか「安く提供しなければならない」などと考えて生産者が農業を継続出来ないような価格を無理やり押し付ける、そういうビジネスモデルでは絶対に継続出来ないのだ。
すでにキーウィは農業水産と言う部分では日本人を相手にしなくなっている。日本人と付き合っても彼らのルールを勝手に押し付けられるだけで商売にならないからだ。
幸いにも日本とNZは同じ文化がある。見も知らない他人を信用できると言う文化だ。
今でも南島に行けば道路沿いに農家の無人やさい販売所がある。日本でも田舎に行けば無人販売所があった。今はどうか知らないが、人のものを盗まないという習慣を持っている文化を持っている国は先進国や西洋諸国の中でも珍しい存在だろう。
そして今の日本は偶然にも円高と言う機会が与えられた。
そういう背景をもとにニュージーランドでファームやワイナリーへの投資をしたり農業や水産業を考える企業、また勿論一般企業の進出のお手伝いをして、その受け皿として今までイーストウィンド社内に内包していた貿易機能、決済機能、市場調査やコンサルティング機能を新会社に切り出し、法人向けの会社を立ち上げる。
そうすればバブルが弾けた後でも日本はニュージーランドと長い付き合いをすることが出来る。単純に土地を買って家賃を稼ぐと言うビジネスモデルではなく、一緒に働いてモノを生産するってことが出来る。
来年は電話帳を端っこから開いてでも日本の企業にプロモーションを行い、二国間の橋渡しをするぞ。
その為に必要なのがこの国の首都にある機能だ。
来年からの法人向け新規営業を開始する場合に何よりも必要なのは、NZでの背景だ。会社の看板である。オークランドはすでにかなり強固なローカルのチームが出来上がっている。次はウェリントン、ニュージーランドの首都であり、ここでの人脈作りが大きなポイントとなる。
そのための出張であり、どれだけコネクションを作ったり政府や公的機関と提携できるかが勝負だ。
結果的に一日の滞在で随分とたくさんの情報を仕入れることが出来た。ウェリントンもオークランドと同じ、活発で新しいビジネスに対して意欲的だ。
てか、一目で気に入った。
オークランドと違うところは、ウェリントンの場合は人間に品格があってそれが町全体に漂っていると言うことだろう。道徳ってのかな、オークランドに無いものを感じる。
だからこちらの提案をするとストレートに乗ってきてくれる。そこに誤魔化しなどがないので、話が早い。お互いに信用をベースにしているから、こういう話が出来るのだ。
オークランドは東京と同じで、よそ者が一攫千金を狙ってやってきた街でもある。だから商売に道徳が少ない(それでも日本や米国よりはすんごいましだけど)。だから裏取りが時には必要。
ところがウェリントンでは、まさにGood Old Boysの街って感じを受けるのだ。正しいビジネスを正しくやって正当な利益を得て納税して、国民全体を豊かに使用って言う、ニュージーランド建国時からの良い雰囲気があるのだ。
今回はウェリントンシティ中心部のフレンチレストランでお客様ご夫婦と昼食をとる。そのレストランの名前がArbitrage。さすが首都、やられたね。今年一番の自分的流行語だ。
白のグラスワインSPYVALLEYを頂き、まるで日本のような小皿料理を食べると、おお!レベル高い!こりゃもう次回は週末の夕食と買い物だけのために来なくちゃ。
十分な手ごたえを感じたウェリントン。これに今年日本で出来たコネクションと来年新規で作るコネクションをどうつなげるか、A3の紙を引っ張り出して、そこにマルでそれぞれのコネクションの名前を書き込んで、それを線で結んでいく仕事をしなくちゃ。ビジネスの細部をこれから詰めていかねば。楽しい正月になりそうだ。
皆さん、上記の趣旨をご理解いただき、農業や水産業に興味のある方、または企業としてニュージーランドに進出をお考えの方、是非とも一度お問い合わせ下さい。
来年の説明会は2月8日東京を予定しています。この前後に個人面談の時間も取っています。
2008年12月27日
人間の条件2
人間の条件、映画版6本。単行本6冊。
僕にとっての試金石がこの本であることは以前書いた気がする。とにかくこの本は常に空中のある一箇所に停止していて、僕が下がれば本が上にあるように感じるし、僕が上がれば本の中身の論理に「あれ?そうだったのか」と思ったりする。
だからこの本に触れるたびに、今の自分の置かれた場所が見えてくるから不思議なものだ。
とにかく戦後の日本でこれだけ売れた本はないのではないか?1千3百万部を超えて売れたベストセラー。1956年発売。
当時は戦争に負けた日本が中国やロシアに抑留され、そこで共産思想に感化され、戦争に負けたこともあいまって日本が急激に左翼かした時代だ。
そういう背景もありベストセラーになったとも言えるが、しかしそれはあくまでも副要因であると思う。
やはり何よりも大きいのは、その小説としての面白さであり心理描写であり、常に読者に向かって「お前ならどうする?」と問い詰めてくるその文章だろう。
かっこいいことばかり言って現実から目をそらすんじゃない。蝶よ花よで世界が片付いてる時代ならそれでも良いだろうが、極限状況で人は生きていくためには時には人を殺すしかない。
そんなとき、お前ならどうする?そうやって問いかけてくる。
平和が一番大事、武器は持たない、人は殺さない、方が良いのは事実。けど、だったら目の前で殺人者がナイフを構えているときにきゃーきゃー騒ぐなって言いたい。
自分で武力を棄てたんだから文句は言うなよって言いたい。
そうすると、それは極端だと言われる。そう。けど極端なまでに考えておかないと、何かあった時に行動に移せないのだ。
多くの人に対して僕が一番「ずるいな・・・」って感じるのは、考えきることをしない「中途半端な思考停止」な考え方である。
本来は政治であれ経済であれ文化であれ歴史であれ、自分で徹底的に納得するまで突き詰めるべきところを、考えることに慣れていない人々はすぐ適当なところで思考停止して、その辺のコンビニで売ってる雑誌に書いてることをさも自分の意見のように語る。
ところが僕がその議論を突き詰めて「その根本的な問題は究極的にこうなりますよね、それでいいんですね」と言うと、大体の人が「tomさんは極端過ぎる」と怒り出す。けど真実は一つしかない。怒る事は思考停止をしている自分への誤魔化しに目をつぶる唯一の方法なのだ。
原子力の問題を突き詰めて考えて見れば良い。それでも受け入れるかどうかの問題は個人的判断だけど、浜岡原発で地震が起きれば、風の具合によっては東京が壊滅するのだ。
そんな事言い出したら交通事故が〜と思う人は問題ない、そのまま日本に住んでれば良い。その判断をどうこう言わない。嫌なのは、日頃は問題から目をそらしておきながら、いざ原子力発電所で事故があると「安全が大事!」と声を大にする連中である。
今の原子力が安全でないのは分かりきったことで、それでも浜岡が爆発したって霞ヶ関とお堀の内側の人間を逃がすだけのヘリや船は準備されているから問題ない。
だから原発を作って活用するほうには何も問題はなく、あるのは原発の危険性を知らされずに原発の危機に晒されながら目をつぶっている人々だ。
この本が常に語りかけてくるのは、「何もしないことが大きな罪だって事を知ってるのか?何もせずに失敗しないからって他人を裁いたり許したりする権利があるのか?」と言う点だ。これが何度も繰り返し出てくる。
「オレだったら戦争地帯から負け戦で脱出している状況で自分の仲間のために目の前で歩哨をしている若いソビエト兵を殺すか?」
「オレだったら軍隊の中でたった一人でも抵抗して軍刑務所に入るか?」
全六巻の中で実に様々な極限の状況下で主人公の梶はその時その時の判断をしていく。それが成功するときもあれば失敗するときもある。その度に後悔しながら、それでも生き抜こうとする彼の姿に、多くの戦争帰りの兵隊が共感した、その結果として1300万部と言う驚異的なベストセラーとなったのだろう。
とにかく「目の前の状況を自分の頭で理解しながら強く生きていくしかない」と再度思い出させてくれた「人間の条件」であった。
ちなみに最近は単行本で10万部出ればベストセラーと言われる。
2008年12月26日
人間の条件1
クリスマスは映画三昧。
昼過ぎから「人間の条件」を全編通して観る。
全部で6本のDVDであり、合計すると10時間近くだ。
こんな日にしか観ることが出来ないので、神様のクリスマスプレゼントと思う。何も考えずにゆっくりと映画を楽しむ。
この感想はゆっくり後で書くとしてこの小説版をもう何十回読んだか考えてみる。
高校生の頃に最初に読んで、今が28歳だから何十回読んだかな。追記:精神年齢と肉体年齢が28です。政府認定のパスポート年齢はもうちょっと上です。
いずれにしても若いです。サミュエル・ウルマンの詩にこんなのがあります。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。」
感想は明日書くとして、今日はやっぱり書いておきたいことがある。だって明日じゃあ遅い。
ウェリントンに行ってきた。すんごい楽しかった。ちっちゃな京都みたい。そして思った。
オークランドでだらだらと生活をしている何もしないどこかの会社の社長って、なにもしないから罪がないと思っているのか?何もしない事が罪だってことを気づかないのか?
結局変化しない人間は社会を停滞させる。おれはそんなの嫌いだ。
詳細は明日。けど、どうしても今日書きたかったこと。楽しくない、意味のない人生を君は誰のためにこれから何十年も繰り返すのか?生きるって何なんだ?
人間の条件、それは何なんだろう?
2008年12月25日
世代間戦争2
ある人が言ってた。
「そんな事を煽ってどうする!かえって若者の心をかき乱すだけじゃないか!」
けどあなたは勝ち組だよね。
このようなブログが煽りになって若者が燃え出す前に、このようなブログを読んで社会制度を再構築するのが社会に責任ある地位の人のするべきことではないか?
何、インターネットなんて嘘ばかりで、そんなの見てないってか?
言っておくけど、社会で起こることはどれも真実なのだ。あれは違っててこれは正解なんてない。読売と朝日新聞とNHKとフジテレビだけが正しいのではない。実は2ちゃんねるも池田ブログへの書き込みも間違いなく一つの真実なのだ。
新聞も取らないテレビも見ない人種が増加している。それは新聞を売っている人間が一番分かっている。そしてそういう若者が次第にインターネットの世界で世論をまとめ始めている。2ちゃんねるを馬鹿にしてても、それが市民権を得始めている現実は無視できるのか?
イランのイスラム革命を1年前に予想できた人はどれだけいただろう。
徳川14代将軍のときに明治維新を想像した人はどれだけいただろう。
革命は地震や火山の爆発と同じだ。何となくきな臭い、けどまさかね。そう思ってるうちに、ある日突然起こる。
明治維新以降日本で大きな革命(学生運動のぞく、あれは革命と言うタイトルで始まったが子供のぐずりにされた)が起こらなかったのは何故か?それは政府が民衆に食い物と寝る場所を提供したからだ。
70年代安保では、当時の政府側の実に優秀な戦略が学生の情熱を見事に冷やして、武装闘争に持ち込むのを避けることが出来た。あれはやはり後藤田の力量だろう。
安田講堂を占拠している学生諸君、君らの言い分はよく分かったから早く家に帰れ。今なら許す。けど逮捕して否認したらそうはいかんぞ。一生棒に振るのか?君らはよく頑張った、優秀だ、だから今後はその力を日本のために使ってくれ。
そういわれて多くの若者が長い髪を切って体制に取り込まれ、一部は日本の大企業の社長となりその後は政府の嘱託を受けて仕事をしていたりする。あるものは大学教授になったり本を書いたりして、それなりに安定した地位にいる。
そして迎えた昭和の繁栄。
衣食住があれば、民衆はそれほど文句を言わない。ましてや少しお金に余裕があって結婚出来て子供が産めて一生仕事が出来れば、こりゃ極楽だ。何?子供の学費は只でスカイ!おまけに病院でも会社員なら負担は1割!退職したら年金まで貰えて一生保証でスカイ!
その会社では毎年会社の金で健康診断をしてくれるし、秋になれば家族総出の運動会だ。社員旅行ではバスの中でお酒を飲みながら大声で歌い、旅館に着けば仲間で温泉に飛び込んで日頃の汗を流す。
お待たせしました、100人くらい座れる大きな宴会場では、日頃はいかめしい顔している部長さんがすでに出来上がって大声で部下と話している。部長に酌する課長さん、湯上りの色っぽい浴衣姿の総務課の女性社員は若い男性社員に囲まれて楽しそうにキャーキャー言って、若い男性社員は女性社員のおしゃべりの合間を見つけてはいそいそと仲居さんに「ほら、すぐにあと熱燗3本、ほんとに早くだぞ」とお酒を注文している。
当時の女性社員の主たる業務はある意味「婚活」みたいなもので、会社の中で優秀そうな独身男性を見つけるために入社したようなもんだ。
宴会部長の慣れた司会のもと、社長の長い挨拶と乾杯、そして社員の喉自慢や芸が始まり、日頃の鬱憤を晴らそうと飲みまくる親父連中、何とか総務部のあの子を落とそうとする若者連中、何とか一番遺伝子の良さそうな男を選ぼうとする総務部女性の、三つ巴の戦いだった。
そんな時代だった。けど、それを支えていたのが誇りある日本国家と官僚であった。公害とか企業戦士とかいろいろあったけど、昭和は楽しかった。
今はどうだ?!
毎日山手線が飛び込み事故で止まっているのに、もうニュースにもならない。
若者はこれから先の将来が見えない。この不安は自分が悪いのかと真剣に悩んでいるけど、どうしていいかわからない。
出生率?!ふざけるな、誰が今の時代に子供を産みたいと思うか?
そんな簡単な人間の心理を分かっているはずなのに、今の政府は国民のために動こうとしない。一部利権を持った人間と自分を守る為に今日も嘘を言いまくる。
けど、そのツケは必ず出てくる。人生のバランスシートに「逃げ切り」はないのだ。
今回の池田ブログでは、彼の記事よりもそれに付けられたコメントの激しさにびっくりした。
安保闘争から (事実を見た人間) |
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2008-12-21 23:02:39 |
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時々私は、この頃の若者は何故こんなにおとなしいのか?と不思議に思います。 |
何が安保を見ただよ... (じん) |
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2008-12-22 02:05:59 |
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事実を見た人間さん、あなた方の世代は僕らの親の世代でしょう。 |
2008年12月24日
世代間戦争1
警官に「税金泥棒!」、JR西車掌逮捕、会社員が撮影
朝日新聞のニュースダイジェストでこんなタイトルの記事が出てた。
なるほど、警察に向かって「税金泥棒!」とJR西車掌が怒鳴ったので逮捕されて、それを偶然会社員が撮影したのだな。
いよいよ警察国家だな、文句言っただけで逮捕されるなんて。
などと思ってたら、・・・違うし。
本当はこの車掌はJR駅で発生したある暴行事件の犯人として逮捕されただけなのだけど、このタイトルだけじゃあ意味が通じないかもしれないと誰も思わなかったのか?
とは言っても新聞記事はどうしてもそういうところがある。思いっきりはしょって大文字で書くから、どうしても文字数が限定される。
書いた本人は記事の内容がすでに分かっているので「それでよい」と思うのだけど、まったく前提条件のない状態で見る読者からすればハテナ?まーくになってしまうのだ。
では、もしこのような書き出しで記事が出たらどう思うだろう?
「ついに不当な扱いを受けた若者が団塊世代に戦いを告げる!」
このタイトルを聞いて、若者と団塊世代のパンの早食い競争とか綱引きとかを想像するか、それとも団塊世代への無差別殺人を想像するか?
今回の池田ブログに代表されるような「世代間戦争」は、すでに始まっていると思うのは僕だけだろうか?
*抜粋引用開始*
1ドル=90円で換算しても、これから生まれる日本人は生涯に自分が受け取るより7200万円も多い税金・年金を納めなければならない。これは財政赤字とか消費税とかいう問題ではない。日本の財政は、世界最悪のねずみ講なのだ。
私の世代は払った以上の年金を受け取れるので、これはすばらしい制度だ。しかし若年世代は、私の世代の最大18倍の税金を負担する。本当は、若者は暴動を起して、フリードマンのいうように公的年金制度を廃止させるべきなのだが、幸い彼らはそれに気づかない。景気対策がどうとかいう話は、その目くらましである。
*抜粋終了*
この場合、世代間の全面戦争は難しい。何故なら敵と味方の区別が難しいからだ。
貧困と不安な未来を基準とすれば年代別ではないし、年代を基準とすれば団塊世代にも貧しい人がいて若者世代にもお金持ちがいるから、これも相手を敵として戦うエネルギーを生むだけの客観的公平性がない。
だからやはりターゲットを絞り込んで行うテロ的な戦争の方が受け入れやすい。
秋葉原無差別殺人事件では若者が若者を殺してしまったので、「かすった」と言う感じ。
元高級役人連続殺人では、オヤジがオオオヤジを殺してしまったので、これも「かすり」。
けど次に起こる事件が、明確に貧困な若者世代と分かる人々が明確にリッチな団塊世代を狙って殺人事件が起これば?
70年代安保を遠い目で懐かしみながら年金を受け取ってのんびりした退職後の生活を楽しんでいる人だけが集まる場所等、たくさんある。
豪華客船が出航するその当日に東京港だか横浜港に爆弾を仕掛けて、一回の船旅で500万円を使おうとする老夫婦をふっ飛ばしてしまうのだ。
火薬を作る知識は大学の化学の授業で習った。卒業した年が氷河期で就職先がなかっただけだ。結局生活が優先して仕方なく派遣に登録。
自分のやりたい事に全然関係ない自動車工場の仕事やパチンコ場の警備員、30過ぎても貯金もなく結婚も出来ず、一体俺の人生ってこのままずっと過ぎて言ってしまうんだろうか?
そんな事を思ってたときに同僚の40代の警備員が仕事中に突然倒れる。脳溢血。去年まで勤めていた会社をリストラされて家族を抱えてバブル期に高く買った自宅のローンを抱えて、家賃を払うためにアルバイトを掛け持ち、その挙句に職場で命を失った。
これが俺の未来か・・・・・。そう思った若者は、警備棒を棄ててヘルメットを外して農薬と肥料を売っているホームセンターに向かう。
または負け組みが勝ち組を襲ったら?
以前見た映画だっけな、例えば日曜の午後の銀座の歩行者天国、ここに高さ数百メートルのヘリコプターからパチンコ玉を落とせば、散弾銃を人の顔に向かってぶっ放すのと同じ効果がある。
霞ヶ関のビルの上からボルトを落とせば、それは確実に車の屋根を貫く。
ヘリをチャーターしてハイジャックして、無理やり銀座の上を飛ばす。日曜の午後歩行者天国にいるのは年齢に関係なく勝ち組ばかりだ。
若者は手に持ったオオバコに入ったパチンコ玉を、ドアを開けたヘリコプターの窓から4丁目の交差点に向かってばら撒く。
「鬼は外!」
長くなるので明日に続きます。
2008年12月23日
世界の宮崎
お客様の同行でANZ銀行に行く。お客様を交えて本店のプライベートバンカー(俺は100万ドル以下はやんないよ⇒勿論名刺には書いてないけど顔に書いてる)と言う肩書きの付いたマネージャーに、ニュージーランド経済の今後の見通しを聞く。
2009年も金利は1%前後は下降するだろう。持ち直すのは2009年9月以降で、2010年くらいからやっと本格的に回復の見通しとの事。
勿論彼は神様ではないからその読みが当たるかどうかは分からない。ただまあ普通に常識的に現状を見れば、そしてこれ以上大きなトラブルが起こらなければというのが前提である。
これでオバマが暗殺されるとか日本以外で大きな問題が起こったら更なる円高になるだろうし、反対に日本で大震災が起こって首都機能が麻痺するとかなったら、今の円独歩高がひっくり返るだろう。
要するに、明日の事は誰も分からないというのが明白な事実。
ただ、今まで世界が恐慌になったり世の中が引っくり返るような崩壊に陥った時でも、誰でも絶対に必要な物がある。
それは食料だ。
この国は退屈で面白くなくて麻雀もカラオケもパチンコもない、日本で言えば宮崎みたいな田舎だけど、実は宮崎と同じで食うものだけはたくさんある。
実は1929年の世界大恐慌の際もニュージーランドは近代化政策で成功した農業と取り扱いを一元化する公社を作る事でニュージーランド経済を守った経緯がある。
元々この国は羊毛のイメージが強いが、1800年代半ばは実際に羊毛を英国に送り、英国の紡織工場で商品化して世界で販売していた。
ところが羊毛を刈り取った後の羊は用途がなく当時のニュージーランドでは羊の数が多すぎて、羊毛を飼って4年もすると廃棄処分、つまり犬や猫に食わせる餌にしかならなかった。
それが1800年代後半に鉄道網が整備されて同時に冷凍輸送船が発明されることで、ニュージーランドで飼育した牛や豚、羊の肉が冷凍されて英国に送られるようになった。
それまで廃棄していた食物が冷凍船のおかげで英国で販売出来る様になり、これがニュージーランドを英国の食料庫とまで言わせるようになった起源である。
そしてウィリアムマッセイの時代には農業近代化研究所が北半球のあらゆるところから農産物を集めて、どれが一番ニュージーランドに合うかを調査した。
例えば日本の梨や桜はニュージーランドでも有名だけど、これはこの時代に日本から送られたものだ。最も有名なのはキーウィフルーツである。原産地中国、けど今はニュージーランドを代表する輸出用食物である。
そうこうするうちに世界中の商社がニュージーランドから食料を買い付けるようになった。特に北半球の冬、端境期に輸入する野菜など。
ところが買い付け業者が農家を各戸撃破で値段叩きする、そのうちに大恐慌が発生した。そこでNZ政府は農家の食料をすべて公社で買い付けて、これを海外の業者に卸すシステムを作った。
このおかげでニュージーランドは価格競争から回避でき、同時に世界中誰でも食べるものは必要なので食料輸出国として何とか大恐慌からも免れることが出来た。
その後も食料はニュージーランドにとって最も重要なビジネスであり食料自給率は300%、輸出の半分は農業関連商品である。
大雑把に言うと上記だけど本当はもっといろんな要素がある。ただ言えるのは本格的な不況になった時に何よりも強いのは、食い物を持っていることだ。
人は最後は食い物が必要なのだ。その食い物を北半球の端境期に輸送していたニュージーランドは英国と言う大きな市場を食料で支えて生き残った。これだけは値切るわけにはいかない。人は食わねば死ぬのだ。
不況になれば農業が強いのは日本の戦後すぐの食糧危機を学べば分かる。都内に食うものがなくなった時、資産家の妻は高級和服を持って田舎の農家に行き米と替えた。
そう、ヴィトンのカバンの皮は食えないのだ。
戦後すぐの本を読めば、必ず買出しの場面に出会う。東京では食うものがなくても宮崎に行けばお米と新鮮な鶏肉が食えたのだ。
今回の金融危機はやっと金融の第一幕が終わったところで、これから第二幕である実需の冷え込みが発生する。
この第二幕では製品が売れなくなるという現象が発生する。車もカメラも買い控えるようになる。そうなると車会社は車を作らず、回りまわってオーストラリアの鉄鉱石の値段が下がっていく。
ニュージーランドの景気が2007年前半のようになるには、あと1年は必要だろう。けど、どこよりも早く立ち直るだろう。だって、元々実体経済は痛んでないんだから。
まあ、ニュージーランドにいればとりあえず食いっぱぐれはなさそうだ。
2008年12月22日
WINS
日本でいうところのハローワークは、ニュージーランドでは
WINS Work and Income NewZealand である。
国民の福利厚生や失業者の仕事斡旋とかいろんな事をやっている。
12月21日の記事によると、免停中に車を運転していたギャングリーダーの妻がクライストチャーチの警察に捕まった際に2007年生クライスラーサロンという高級車が28日間没収された。
現場に残された車を没収用の駐車場に持っていくレッカー費用、28日間の駐車費用は、全額がWINSによって支払われた。
なお去年このギャングの自宅が放火され全焼した際もWINSはこのギャング家族のために一晩240ドルのホテルの部屋を10泊予約、支払いをした。
???
この国では誰でも生きる権利があるんだ!
てか、こんな事やってたら日本でしのぎを稼げない暴力団員が組単位で移住してくるんではないか?
今回の件は政府も「ちょいと行き過ぎでは?」と調査をするかもしれない、程度。
それで委員会?!!
WINSの広報では「誰でも困ったら助けるのが僕らの仕事」だってさ、でもって何故か南島の労働組合の幹部も「誰でも生きる権利があるんだ」だって言ってた。
おいおい!よく考えてくれ。2007年製のクライスラー買ったんでしょ、それで金がないってか?じゃあガソリンどう調達してるんだよ。放火って、そりゃ犯罪でしょ。やった方もやられたほうも事件性について取調べをしなかったのか?
そういえばクライストチャーチでは最近ニューヨークから移住してきた黒人女性が白昼の住宅街で6人組グループに囲まれて人種差別発言をされたそうだ。
これ以外にもシティ中心部で昼間からぶらぶらして周囲にいる連中を脅かそうとしているスキンヘッドも見かけたな。昼間からシティのど真ん中でギャングと警察がつかみ合いの喧嘩やってるんだからね。
努力しない人や他人にぶら下がって生きてる人や肌の色が違うだけでひまつぶしにからかうような連中が普通に市民権を持って生活していれば、まともに働くのが馬鹿らしくなる。
そうすれば誰も働かなくなるから、そんな社会はいつかは行き詰る。平等を追求した結果として不平等を招いてしまう、悪い意味での社会主義がクライストチャーチにはまだ残っているのではないか。
2008年12月21日
万引き
ちょっと古い記事から。
**
北海道白老(しらおい)町の私立北海道栄高(生徒数343人)の2年生が、修学旅行先の米ロサンゼルスで集団万引きをしたとして、男女21人が5日間の停学処分を受けていたことが26日、わかった。
同校によると、修学旅行には2年生108人が参加し、11月7〜12日の日程で米西海岸を訪問。ロサンゼルス国際空港の免税店で帰国便の待ち時間に、生徒8人がブランド品の財布など計33点を万引きした。ほかの生徒は万引きした生徒から商品を受け取るなどしていた。
免税店員の指摘で発覚し、大部分の商品をその場で返却して生徒は帰国したが、その後の調査で生徒の一部が商品4点を持ち出していたことがわかり、同校は免税店に謝罪した上で商品を郵送して返却したという。
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でもってこの記事に反応した書き込みが↓
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以前添乗中に似たような事件があった。
その時の教頭先生の言葉、
「簡単に万引きが出来てしまうような店を計画に入れた旅行業者にも責任がある…」
そりゃ、こんな教育者の教育を受ければねぇ…
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昔香港に住んでたときに会社の入ってるビルの1階が免税店だった。毎日大型バスがやってきて日本人観光客を送り込んでいたのだけど、もちろんその中には手癖の悪い客もいる。
あるとき免税店の人と話をしてて「万引きされたらどうするんですか?」と聞くと、その日本人担当営業マネージャーはさらりと「あ、そのまま商品を買ってもらって終わりですよ」と答えたものだ。
「どういうこと?」って聞くと、「いやね、日本人は大事な客だしうちが警察に突き出したら旅行会社が困るでしょ。それより見逃してあげれば次に来る団体の数も増えるしうちに対して恩を感じてくれますからね」だって。
そのお店では地元香港人も買い物は出来るが免税ではないし、もちろん彼らが万引きしようものなら即警察に突き出す。入り口にはショットガンを持ったインド系警備員が立っているんだから、誰も簡単に万引きしようなんて思わない。
万引き一つとっても、いつも責任取らずに逃げ回る連中と、それを機会として捉えて商売にする連中。どっちが逞しいかは一目瞭然ですな。頼むぞ日本人、強くなってくれよな。
2008年12月20日
Sunday Driver
会社に行くときにいつも聞くラジオ93.4FMでこんなジョークを言ってた。
Someone driving slower than me, it stupid,
Someone driving faster than me, it Fanatic!
たしかに君たち西洋人の発想がもともとそうだ。自分だけが正しい、他の価値観を認めないと言う意味ではまさにそのとおり。
あまり世界のバランスを考えずに自分の都合ばかりを優先する人種ですからね。ルネッサンス以降に始まった西洋の世界支配は実にバランスの悪いものだ。
でもって実際に日曜日に運転をするとかなりいらいらするのも事実。SundayDriver、週末のみの運転手ってのは平日感覚がないから「最高時速50km」と書いてれば本当に50kmかそれ以下で走る。
おまけに突然ウインカー(英語ではIndicaterという。知ったときはびっくりした。ウィンカーが正しい英語と思い込んでたのだ)も出さずに右折左折をするし、全然周囲の雰囲気を理解してない。おたくの農場を走ってるんじゃないんだからね。
50kmかそれ以下で走るのは合法だけど、それが秩序を守るという意味では決して正しくない。だって周囲に迷惑をかけるんだもの。
だってさ、郊外のゆるやかなアスファルトで舗装された一本道で周囲に何の障害もなくて前に誰もいないんだから、もうちょっと考えようよ。
スピード違反ってのは最高速度制限だけだけど、何で最低速度制限がないのか?
法律違反と秩序違反。この違いは社会に生きてる限り常に理解する必要がある。
とか考えてはいながら今日もりょうまくんを連れてプールに来ているのだけど、やっぱりキーウィは西洋人の中でもかなり礼儀正しいなと思わず考え直したりする。
なぜかって言うと駐車場の車の止め方。
このプールでは屋内プール以上の広いスペースを駐車場として取っているんだけど、週末はほぼ満車状態。出入り口は一箇所のみで、誰かが出ない限り駐車スペースはない。かと言って車間がそれほど広くないので出入りは大変。
そうなるとキーウィは駐車場の入り口の手前でハザードを付けて誰かが出て行くのを礼儀正しく待つ。
ところがあるアジア人(人種の特定は皆さんでどうぞ)の場合はそうやって待っている車を無視してずかずかと中に入っていき、出て行きそうな車を探してぐるぐるとうろつきまわる。
追い抜かされたキーウィはすんごい嫌な顔をするけど、決して車から降りて怒鳴る付ける事はない。
けどこのアジア人、これは実にみっともない。法律では私有地の駐車場であるからどういう規制もない。どういう順番で並べとも書いてない。
けどキーウィとしては全体のバランスを考えて一番みんなに快適な「入り口で待つ」という選択を自然に行う。これだと、一台出て行けば待ってる車が一台はいっていくということになる。
これが秩序でしょ。
ところがアジア人のやり方だと駐車場の中にガンガン車が入りこんでそのうち出たい車も出られなくなるということになる。つまり個人の利益ばかり考えた結果として社会全体が止まってしまうということだ。
法律に書いてなければ何をしても良いのか?ってことですね。
そういえばオークランド名物というか、この街の交通信号は良く壊れる。大きな交差点の信号が止まったりするが、そういうときでも交通渋滞が起こらない。
つまり四つの方向から来る車が常に自分の右側や左側の車の流れを注視して、ある程度溜まってるなと思うと自分で自発的に止まって、つっかえてる車の列を流してあげるのだ。
こういうのが何の決まりもない中で自然と行われるのがこの国だ。決してそれで「おれ、やさしいでしょ!」なんていう事はない。それが国民性の中に完璧に根付いてるから、譲るほうは平常心だし譲られるほうはにこっと笑って手を振って「Thanks!」である。
法律では絶対に対応出来ない世界がある。その時にこの国の持つ「コモンロー」と言う考え方が生きるんだな、そう思った。
文章化された法律よりも、その場の空気を読む力、それでいて各人の自由はちゃんと認めてる。西洋人の割にはよくやるじゃん、この国。
2008年12月19日
雇用不安激化
最近の日本の記事では大手企業が派遣社員を「雇い止め」にするケースが次々と発生している。
これも日本企業の特徴だろうが、一社のみがやれば叩かれるものでも「赤信号みんなで渡れば怖くない」の倫理だろう。
全社が一斉に雇用解雇に走ったのだから、こりゃ経団連の会議で打ち合わせしたのかと思うくらい。
■派遣切り次々
県内では、精密機器メーカー「キヤノンプレシジョン」(弘前市)が10月末に派遣社員約220人との契約を打ち切ったのをはじめ、弘前航空電子(同市)も12月末に約90人、ルネサス北日本セミコンダクタ津軽工場(五所川原市)も来年1月末までに約100人の派遣社員との契約を打ち切る方針を固めた。
弘前航空電子総務部は「自動車業界や家電業界の不振が影響し、受注が急減している。これほどの減産はかつてない。まずは派遣社員にしわ寄せがいってしまう」と話し、ほかの2社も景気悪化による減産を契約打ち切りの理由に挙げた。
青森労働局職業安定課の佐藤順一課長補佐は「派遣先による契約打ち切りは、そのまま派遣元による社員の解雇につながるケースが多い。10月末現在で0・36まで落ち込んだ県の求人倍率がさらに低下することも懸念される」と語った。
(2008年12月18日 読売新聞)
ただ、派遣と言うのは元々雇用の需給調整をするための受け皿でありそれは誰しも理解していたはず。民間企業が仕事の受注に応じて雇用調整をするのは当然だ。
派遣できる事業を拡大した結果として派遣社員が増えたわけではない。正社員を守っている雇用条件(解雇出来ない保険が必要賃上げ労働組合など)がきついから正社員を雇えない企業が、派遣事業を拡大しなければそのまま失業者となっていた人々を採用したのだ。
安易な雇用と言うが、労働者も商品である以上安易なものを購入するのが企業の判断である。採用だけを企業の生産性とは別枠と考えるほうにムリがある。だって企業は利益を追求するのが仕事だからだ。
この場合失業者が出れば、それは日本政府が憲法に定められているように「国民」に対して生活保障をすれば良いだけのことだ。これを企業に求めようとするから無理が出る。
どこのマスコミも本当は分かっているのではないか?「労働者」と「国民」は違うってことを。
労働者とは会社にとって商品を作るための部品や原価の一つであり国民とは社会を構築する決定的に大事な要因であり、社会を安定させるために彼らの生活を保障するのが政府の仕事だってことを。
元々は政府が行うべき国民生活の安定を企業に要求したところからムリが始まっている。戦後すぐの政府の金なし状態で企業が協力して挙国一致体制で終身雇用と年功序列を導入したのは、それなりにあの時代では正解だった。
けど今はもう世界が変化している。本来の形である「政府による保障」が行われるべきである。
大体雇用のいびつさは指摘されてしかるべきだ。つまり正社員だったら雇用も労働条件も確保されるのに派遣は確保されないってどうして?なんで公務員はクビにならないのか?
今やるべき事は正社員の雇用と解雇条件を緩和することだ。派遣も正社員も同じ労働条件にしてしまえばよい。簡単に言えば正社員もすぐクビを切れるようにすること。
だって国民からすれば正社員も派遣社員も同じ国民だ。
会社からすれば給料が高くて使えない正社員など不要である。それよりも使い物になる派遣社員の方が良い。
では何故雇用と解雇条件の緩和が出来ないか?
それは労働組合が正社員の雇用と賃金を守る為に同一作業同一賃金同一労働条件を認めなかったのが最大の原因だ。
この問題は1980年代から存在していた。それぞれの組合がいろんな取り組みをしてきたが、結果的に「問題の先送り」をして正社員=組合員の既得権益を守ることでずるずるとここまで来たのだ。
だから雇用問題についてやるべき事は分かっている。
1・正社員と派遣社員の雇用と解雇の条件同一化
2・同一作業同一賃金の導入
3・失業者への生活保障=政府の義務
4・生活保障をするための消費税増加=痛みは社会全体で分かち合う。
これが出来ないのは政治がきちんと国民全体のために機能していないからだ。消費税の値上げで選挙に負けることを恐れる自民党、労働組合の支持を受けている民主党が、共に手を付ける事が出来ない状態になっている。
しかしこれ、やれば国民は絶対に受け入れると思う。だってこれが一番正解なのだから。
ちなみにニュージーランドでも解雇の問題は出ているが日本のような深刻さはない。何故ならこの国ではセーフティネットが整備されており、すべての国民は65歳まで失業手当が貰えるし、65歳からは老齢年金がもらえるからだ。
ニュージーランドって国は資本主義ではあるが、社会制度はほぼ社会主義である。リチャードセドンが首相だった1893年から1906年の間に国民と労働者を守る様々な制度が導入された。
例えば1893年、ニュージーランドは世界で初めて女性の参政権を認めた。
そして1898年、ニュージーランドは世界で初めて老齢年金制度を導入した。
も一つ言えば、労働組合の活動を合法化して労働者の権利を認めたのもニュージーランドが世界で最初。当時の労働組合と言えば経営者や政府から蛇蝎のように嫌われており、日本や米国では組合活動をやるだけで警察や暴力団に殺されていた時代である。
世の中、やろうと思えば大体の事は出来る。政府が国民の生活を真剣に考えれば正しい政策は取れる。国民がおらが村の目先の利益だけを考えて政治家を選ぶから現在のような無政府状態になるのだ。
2008年12月18日
2009年
何となく来年のニュージーランドの流れが見えてきた。
と言うのが日本から戻りオークランドでビジネス現場の経営者連中と話をしたり銀行やファイナンス関係の人たちと話をしていると、その流れがほぼ一致しているのだ。
2009年前半は不動産が底をついて後半に入ってから経済もやっと安定するだろう。金利もそのあたりが底だ。その底とは4%程度。
来年9月頃から景気が戻り始めて、本格的に再活動するのは2010年から。そして経済が元に戻り始めて不動産価格は上昇を始めて、2012年頃には2006年頃の景気のよさを取り戻すだろう。
その頃になったらキーウィは「おお、景気いいぞ!」と、つい数年前の不景気をすっかり忘れてまたはしゃぐんだろう。
けど、だからと言って別に今のNZが他国ほど景気が悪いわけではない。実体経済としては北半球に比べてかなりしっかりしている。
銀行もダブルAを持ち、金利も世界に合わせて調整しているけど、それは不動産購入者を助ける為に役立っているくらいだ。ある意味うまく立ち回っている。
勿論手を広げすぎて潰れる連中は自己責任。けど一般の、真面目に働いているサラリーマンは救いますよ、住宅金利を下げることで。そして銀行の決済システムはきちんと稼働している。
この国は食料を生産している。自給率が大雑把300%の国である。水力と石炭だけで国家の電力全てを賄っている。この強みは、本当の恐慌になって都会に食い物がなくなった時に初めて分かる。
所詮世の中に100%の安全なんてない以上、食い物があり比較的に安全と言うだけで立派なもんだと思う。
そして何よりも大事なことは、国民が不安を持っていないということだ。不況は人々の心から始まる。そこの部分でこの国は実に強いのだ。
来年この世界がどう動くにせよ、どうやらニュージーランドは問題なくやっていけそうだ。
気楽なこと言うなって?けど気楽なことを言うところから人々の希望が生まれてくるんですよ。
2008年12月17日
たった2週間で
日本から戻ってきたら、真夏のオークランドはもうしっかりクリスマスモードだ。
と言う意味は別に道路にクリスマスの飾りつけが増えたというわけではなく、道路を走る車の量が目に見えて減少しているという意味だ。
この街は朝シティに向かうハイウェイの交通量でその日がどういう日か分かる。
例えば月曜の朝。 土日にゆっくりと魚釣りを楽しむキーウィは、日曜日の午後に釣りそこなった大きな魚に再挑戦するために、月曜日の朝8時過ぎに会社に電話する。そして死んだはずのおばあちゃんが危篤になったりする。
これを地元の言葉でBLUE MONDAYという。
労働感謝の日とかイースターなどの連休の前後は、おいおい休みはまだ始まってないぞって感じのあたりから車の量がめっきり減る。
そして父親の休みに全く関係ない子供の休みの期間中、スクールホリデイの前後も車の量が減る。あの、お父さん、この休みは子供向けなんですけど、思わずそう聞きたくなる。
そしてクリスマスとお正月を挟んだ期間は、一年のうちで最も高速道路が「がらがら」になる時期であろう。
気持ちの良い乾いた空気の夏の朝9時、全然渋滞のない高速を、ニュースを聴きながらシティに向かって車を走らせる。
こんな朝はニュースの後に「TheBand」が合う。最初に聴くのは勿論weight。
のんびりした青い空気の中でコーヒーマグを片手に、少し後ろに体を傾けて空を見ながら土の匂いを楽しむ、そんな朝である。
けどこっちは車を運転しているので空を見てると事故る。なので正面を見ながら座席だけ少し倒して窓を開けて気持ちよい風を入れながらドライブをたのし・・仕事に行くんだっちゅうに。
自分の気持ちを引き締めないと思わず出勤途中ってのを忘れてしまいそうな、そんな朝は気持ちよい。
今年もあと一週間で終わり。なんだけど日本から戻ってこっち、来年の企画に没頭している最中。
来年はいよいよ法人向けの営業体制を構築する。非上場オーナー系企業に対するビジネスコンサルティングである。かなり方向性も見えてきた。具体的な計画も見えてきた。
あと一歩。
写真は11月に撮って溜め於いてた写真の一枚。ある日のハーバーブリッジでの事故処理です。
ビジネスも運転も、よそ見してるとこうなりますぜ。
自分で商売していると誰もあなたに忠告しないから好きなことばかり出来るけど、それで自分を見失う人がどれだけいることか。
ちゃんと周りを見て先を見てしっかり本業の未来、見つめましょうぜ。だって失敗して苦労するのは結局本人なんだから。
2008年12月16日
公認会計士vs特捜検察
週末に一気に2冊、それも単行本を読むということはあまりない。
500ページくらいの厚さの本で、それも同じ作者。
偶然何かでこの本の存在を知ってamazonで注文かけて自宅に置いたのが10月で、それからなかなか読む機会がなくてしばらく「積読(つんどく)」だったのだが、一旦手を出すと後は早い。あっという間、てか2冊とも寝る間を惜しんで一気に読み上げた。
佐藤優という元外務省ロシア担当職員が鈴木ムネオつながりで逮捕されて、その時に出した手記が「国家の罠」という本になり大評判、これ以降彼はあちこちのテレビに顔を出すようになる。
細野祐二氏のこの本は同じく自分の逮捕および公判の手記をベースにしているが、基本的に国家の罠と違う点は、国家の罠は国策捜査だった、つまり国として「そうあらねばならない」筋書きだったけど、この捜査は検察官個人がミスをして作り出した「冤罪」なのであるという点だ。
ただその事実を糊塗するために嘘に嘘を積み重ねてまで一人の真っ当な市民を有罪にしたのだ。要するに役人の面子で一人の人間が有罪にされたのだ。
つまり政府がどうこうなどというレベル以下で、世の中で検察官に睨まれたらそれで終わり、犯罪の事実は彼らの頭の中で作られてしまい、それ以外の筋書き等存在しないというわけである。
その通り。日本では何故ここまで警察や検察が信用されているのか本当によく分からない。勿論優秀な人は多いだろうが、同時に彼らは大体に置いて見込みで犯罪を推測して、その線で筋書きを作る。その際に筋書きと違う証言や事実は無視する。
そして、筋書きと違う証言をすれば「それは違うだろう!」と言う。
「え?何が違うんですか?事実はこうですよ」とでも言うと
「お前ふざけるな!そんな事いうならお前の働いてる会社や家族全部の身元を洗ってやるぞ」みたいな脅しをする。もろに暴力団と同じである。
このあたり、普通の一般市民には考えられないと思うけど、これすべて事実。
そしてもっとびっくりするのがこの裁判の経過。
この裁判では上場企業に義務付けられている財務諸表の内容に虚偽があったという事で訴えれている。
だけど、プロの会計士が「これは企業会計原則に則って正確に作られた財務諸表です」というと検察官は「それは違う、それは正確ではない」と言う。
「ではあなたならどう処理するのか?この処理のどこが企業会計原則に違反しているのか、指摘して欲しい」と反論しても、それに対しては何も言わない。
要するに患者が医者に向かって「お前の治療法法は間違っている」と言い、医者が「どこが間違ってる?俺はきちんと手術ルールに則ってやってるしこれがこの治療の基本だ。悪いならどこが悪いか指摘しろ」と言えば、患者は「そんなことは知らない、とにかく間違っているのだ」てなもんだ。
会計の素人の僕が聞いても「一体どこが問題なの?」って思うような内容で告訴されてるし、告訴の原因となる事実認定はころころ変わるし、普通こんなので公判が維持できるわけがない、裁判所と検察がぐるでない限り。
それなのに、「とにかくお前は有罪。理由は言わない」なんだから、やられたほうとしては「冤罪だよね。よほど検察官に嫌われたんだよね」としか言いようがない。
作者の言葉
「弁護人とは被告人の弁護をする人のことではない。弁護士は被告の行う無罪証明を公判の場で司法用語に翻訳する通訳人以上の機能を持たない」
これもその通り。裁判は真実を追及する場?もし貴方が本気でそう思ってるんなら、今からでも遅くはないのでその考えを訂正したほうが良い。でないと逮捕されたときに本当に目も当てられないような悲劇が待ち受けていますよ。
このケースは被告である作者が非常に道徳心が高くて戦闘能力があって戦う動機があるから控訴審まで持っていけたが、普通の市民には到底不可能なことである。
ちなみにニュージーランドで裁判をするときは、これもそれなりのローカルルールがある。この国では裁判では真実を追究しない。問題をとっとと片付けろ、これで終わり。なので普通の日本人感覚で裁判に行けば、かなり高い確率で負ける。
この本は一般市民に是非とも読んで頂きたい警鐘本である。最後に、amazonに載ってたこの本へのコメントを一つ付け加えておく。
事件後4年にして真相を知り納得できた。元社員, 2008/1/31
By 元社員(東京都)
私自身、事件の舞台であるキャッツに16年間勤務していました。事件後、民事再生から転職を余儀なくされました。この本を読むまで、この事件の真相を理解していませんでした。
私は著者である細野氏を知っています。加えて細野氏以外の登場人物の多くを知っています。この作品は、満天白日の下に事件と関係者の本質を明らかにしたものでした。この事件の本質は、「外部の詐欺師たちが起こした経済事件」であり、詐欺師らは捕まりもせず、罰せられてもいないこと、さらに、この事件が歪曲された原因が、事実でない証言(偽証)によって立件されているということが述べられていました。
この中の登場人物は、全て実名で書かれており、元常務の学歴詐称まで書かれていることに驚かされました。元社員の私としては、ある種、この本が、この世の閻魔大王の判決文のように、各人各様の実態を鮮明に表現していることに背筋を寒くする思いで一気に読みました。
細野氏の過去を知るものは、細野氏が善良な人であることを知っています。そのような細野氏をして、悪の烙印を押し、色眼鏡で見ると、主犯にも見えるものだというのは、怠慢な権力のなせる業なのでしょう。
問題の本質が、元役員の讒言(ざんげん)にあるという点に、事件の複雑さ、やるせなさを感じました。元常務らが、いかに検察のストーリーとはいえ、自らが助かりたいがために細野氏を犠牲にして自らが特別背任の罪を逃れたという点は、元社員として許せません。
真実の犯人である初期の首謀者が逃れることができたのも、本来被害者である村上氏や、事件の解決を図ろうと努力した細野氏が事件の首謀者に仕立てられたのも、原因が元常務の偽証にあったのですから、今更ながらにひどい事件だと思います。この本は、経済犯罪を裁くということの難しさを、ノンフィクションで解説した良書です。加えて、人が人を裁くことの難しさを、この本は教えてくれています。
写真はうちのオフィスから見えるサンタ。毎年恒例で8年間こいつの顔を見てます。こいつ、右手の人差し指がくいくいと曲がってるので僕らの間では「万引きサンタ」と呼んでますが、こいつはまだつかまったことはありません。
2008年12月15日
法廷会計学vs粉飾決算
「法廷会計学vs粉飾決算」 細野祐二
日興コーディアルグループを解体に追い込んだリポート
とにかくこの本で出てくるある経済リポートが原因で日興コーディアルグループが解体に追い込まれたんだからすごい。個人の力でここまでやれるとは、こりゃ本当に凄い。そう思って読み始めると、これは案の定すごい。
元々財務専門家向けのネタとして発行されてたリポートではあるけど、ある程度の会計知識、つまりちっちゃくても自分で商売をしてて自分の会社の損益計算書とかの財務諸表を読める人なら、十分に理解出来る本。
何がすごいかって、上場会社なら義務付けられている財務諸表、つまり公表されているデータだけでこの会社の粉飾決算を見つけ出して、粉飾決算に加担した中央青山監査法人までも解散に追い込んだんだから、だ。つまり理論的には上場されている全ての企業に於いて全く関係ない外部の人間がその会社の内部実態を具体的な証拠を持って把握できるということだ。
もうこうなると殆ど推理小説。ガリレオのレベルではないですよ。これが本当に一個人で見つけ出したんだから、車椅子の捜査官もびっくり。
他にも日本航空の不正経理やNOVAの経理などを扱っているリポート集だけど、どれも読み応えがある。
全体を通じてこの作者の言いたいことがすべてのリポートに現れている。それは、今の日本はすでに法治国家ではないということだ。
ライブドアのやった事と日興コーディアルがやった事を比べれば、圧倒的に日興コーディアルの方が悪質で継続的だ。ところが法律の下では政治家や官僚と「うまく」付き合ってた日興の方が圧倒的に罪が軽いのである。
これが個人同士の取引なら当然にコネは大事である。しかし事柄が法律や裁判になってまでコネが大事となれば、これはもう法治国家とは呼ばない。
どれだけ法律を守っても、すべては政府や官僚のさじ加減一つという恐ろしさ。
白いものは黒くなり、黒いものは白くなる。役人に逆らわずに悪いことをすれば放任、役人に逆らって正しいことをすれば企業は倒産で社長は逮捕だ。
大体日本って、政府が意味のない規制を山ほど作っておいて、そいつを守らなくても政府に恭順であればOK、少しでも政府に逆らうときは意味のない規制を持ち出して当該企業を退出させたり時には経営者を逮捕したりする。
その規制にしても、企業の実態や社会の実態に全く沿っていない明治時代の民法だったり、第二次世界大戦時に非常事態用に作られた法律(不動産関連とかつい最近までは食糧管理法とか)が今も生き残ってたり、要するに意味がないだけではなく現代のビジネスにとっては大きな障害となるような法律である。
だから法律をまともに守ったら商売にならず、法律を無視すればお上の取り締まりと言うことになる。だから法律を破ってもお上ときちんと取引して役人の天下り先を用意して上納金を払えば企業として継続できると言う実態がある。
つまりそこには企業が成長するための合理的なルールや統治という考え方が全く存在せず、お上の裁量のみで統治されている、中国並みに酷い実態がある。
こんな国でまともにビジネスが出来るのか?出来る!政府のいう事を聞いてればよいのだ。
だからまともな考えを持ったある米国系の大手企業は「やってられない」と言って出て行った。そりゃそうだろう。ルールを作るのは役人で、その基準は役人の為になるかどうかだけである。
それでも1970年代は良かった。敗戦の苦しみを知る優秀な官僚が日本を敗戦から立ち直らせる為に一生懸命頑張って成長してきた。
しかし今の官僚はそのような苦しみを知らない人々ばかりである。自分の省の利益のみを追求してそれで自分が出世することしか考えていない。そんな人々の為にルールを作るんだから、まともな企業経営者ならばかばかしくてやってられないという事になる。
日本は全く持って企業統治や法治国家という感覚のない国だ。お上がOKならどんな悪いことでもOK、そこに法律はあるんか?!という感じである。
そんな日本の実態を、会計の現場で長く企業監査にあたってきたプロが本腰入れて書くのだから、その破壊力は凄い。
付け加える必要はないと思うが、読み物としても一流。実に理論的で読みやすい文章である。
ちなみにこの人、どう見ても推定無罪なのに逮捕・起訴されて有罪判決、現在は上告中。政府に対して本気で戦ってます。
2008年12月14日
テレビの終わる日
最近急にテレビを見なくなった。とは言ってもニュージーランドの話ではない。日本の話。
と言うのが、毎回日本に出張すればホテルに泊まるわけで、大体部屋にいる間はテレビをつけるのが僕の習慣だった。
昭和半ば生まれの人間の習性というか、あの頃は世間と自分を結ぶ媒体がテレビか新聞しかなく、何時何をしててもとりあえずテレビのスイッチだけは入れておいて、緊急のニュースとか面白い時代劇とかなんちゃらかんちゃらを流し見してた。
ところが今年になって、何故かテレビから出る音が雑音と聞こえるようになってきた。
雑音?なんでじゃ?と思い、流し見じゃなくてちょいと真面目に見た。すると分かった。
番組の質が無茶苦茶低下しているのだ。安物芸人が経済評論とか政治評論して、何か事件らしきものがあるとその本質や背景を全く理解もせずに、大手新聞が掲載したことをそのまま真に受けて金切り声でピーピーキャーキャーと騒いでるのだ。
これがまた程度の低い解釈で、それでいて芸人たちは自分が世間の味方、大衆の学者くらいの勘違いな顔をするからやってられない。ましてやその中でぎゃーぎゃーぴーぴーやってても、そのうち喋りながら「あれ?俺おかしくない?」と気づいてスタジオが一瞬凍りついたりすると、もう本業よりもお笑いである。
しかしそれにしても仕事中に女を殴ったり舞台で相手の頭を引っぱたいたり汚い言葉を吐いて下卑たことしか言えない人間が法律事務所がどうこうしたとか、まさに「あり得ん」レベルである。
そして一般の番組も「何チャラ旅殺人事件」とか、よくもあんな脚本と演技で視聴者を引き寄せられるものだ。
そしてもう一つ気づいたのが広告だ。異様なまでにパチンコ業界の宣伝が増えたのだ。
サンヨーと言えば家電製品と思ってたら実はパチンコ機械を作る会社だったり、海物語と言えば海賊でも深海の不思議でもなくパチンコ?ぱちすろ?台てな感じ。
僕自身まったくパチンコをしたこともないし興味もないしこれから一生する事もないから分からないのだが、テレビに広告載せて客が増えるのか?
興味のある人間はテレビ宣伝をしなくても来るだろうし、しない人間はテレビを見ても絶対に行かない。
あれは要するにパチンコ業界が社会的地位を高めたいがための自己陶酔用宣伝なのではと思ったりしている。
けど、何で最近になって急激にパチンコ業界の宣伝が増えたのか疑問に思ってちょっと調べたら、東京のキー局のパチンコ宣伝は元々「倫理的によろしくない」と言うことで受けてなかったらしい。
ところが最近の不景気で一般企業の広告が20%近く減少し、今まで広告を支えていた貸し金業界がほぼ全滅したので、背に腹は変えられずということでパチンコ業界広告を「解禁」したのだ。
2004年には年間で2066回しかなかったパチンコCMが2008年には20,000回!2万回ですぜ、約10倍。そりゃ目立つはずだ。
でもって、それでも売上が激減しているテレビ会社としては、ついに制作費の削減に手を付けて番組制作費を10%削減しただとか。それじゃあまともな人は出演しないだろうしまともな脚本も書ける訳がない。
つまり、広告の質が下がり番組の質が下がった。それがテレビ全盛時代に生まれた僕でも感じるようになったということ。
これ、やばいっすよ。
池田ブログでも取り上げられてるが、今テレビをまともに見るのは高卒で50歳以上の専業主婦だとのこと。NHKではそのあたりを視聴者ターゲットとして捉えてる。民放にいたっては更に酷いとのこと。
要するに見るほうがバカだから見せるほうもそれに合わせているのだ。だからまともに自分の頭で考えればあり得ないような内容でも、ある種の人々にとっては「信用のおける報道と、娯楽性のあるドラマや討論番組」ということになるのだろう。
お笑い芸人を安い金で雇い、すべてをスタジオの中でやってしまい、脚本、てかネタはその日の新聞から拾ってくるんだから、こりゃ費用は安いわな。
こういうのを日本語でなんと言うんだっけ?粗製乱造?
もちろん良い作品もあるんだけど、そういうのは対象としている視聴者の皆様には難しすぎて誰も見ないから視聴率が下がり打ち切りということになり、結局はボツ。
視聴率という実体のない悪魔に振り回されているから視聴者に合わせて社会の下部向けの情報発信装置としかならざるを得ず、その方向性はどんどん下に向けて進むという構造なのだ。
ところがテレビ局の社員と言えば見掛けは良いから業務内容やビジネスモデル自体が崩壊しててもとり合えず高い給料は貰えるし社会的地位も高いと思い込める。ある意味脳内満足だけで生きてるゾンビーみたいなもので、「実はお前はすでに死んでいる」状態なのだ。
地方のテレビ局はすべて実質赤字だというのは業界の常識。
その辺は電波利権に詳しく出てるけど、遂に東京のキー局でも日本テレビ、東京ローカルのテレビ東京が2008年9月決算で赤字となった。
5社すべてが大幅減益となり、下期も売上期待が出来ないから、恐らく日本テレビは来年決算では赤字に陥るだろう。
その分インターネットが発達しているのは、自分の行動を見てもそう思う。実によくパソコンを使っているからだ。
以前のインターネットでは能動的に情報を入手する必要があった。けど今は技術の進歩で、ある程度はテレビのように受動的に情報が入手出来るようになった。
予め興味のある記事や言葉を選んでおけば、その記事が出た時に自動的にパソコンにデータが送られてくるとかである。
もちろんテレビや新聞が全面的に消滅していくことはないだろう。いつの時代になっても一方的に情報が発信される仕組みは有効である。
ただそれが、今のテレビ局や新聞社の形として継続できるか、これは別問題である。そして今のビジネスモデル=無料番組を見せる代わりに広告を見てもらう=は崩壊していく。
と言うのが、テレビや新聞の本質は誰かに何かを伝える為の「媒体」だからだ。
企業が消費者へ商品を売ろうとするときの媒体は、今まではお店に商品を置くかテレビか新聞しかなかった。ところがインターネットが出来ると企業のウェブサイト自体が有力な媒体となり、テレビや新聞と言う「媒体」が不要になるのだ。
企業のウェブサイトへ呼び込む窓口としての媒体としてはテレビも新聞もいくらかチャンスはある。電車の吊り広告や屋外広告と同じレベルってことだ。
けどこんなのは音楽の世界ではすでに常識だ。昔はLPレコード、そしてCDという媒体を通じて音楽を入手していた。今はインターネットでそのままダウンロードしてパソコンで音楽を聴くのだからCDを買う必要がない。
つまり音楽会社とかCDと言うのは媒体にしか過ぎなかった。一番端っこにあるコンテンツ=歌手がその反対側にある購買者=聴き手が直接結びつくようになれば、途中に発生するコストはすべて無用となる。
最近になって一部の歌手は自分が直接サイトで歌い、気に入った聴き手はお金を払って直接パソコンにダウンロードすると言う販売方法が出てきた。こうすれば音楽会社の社員の給料やCDを作る費用を聴き手が負担する必要はなくなるから、随分安く購入できる。
コンテンツが重要であり、伝達手段が変化すれば媒体は滅びるか変化するしかないのは自明の理でその変化を誰よりも嫌がったのがテレビ局や新聞社であろう。だからこそ今、世の中の流れに逆流していくことで時代に押しつぶされようとしている。
皆さんの同期でテレビ局や新聞社に入社出来た人たちのこと「あいつ、すごいな〜」と思ってたでしょ。「あいつ、最後のコーナーで可哀相なことになったな、あの年でリストラかよ」という事になるのも近いですよ。とくに地方のテレビ局ではすでに崩壊は始まってます。
その代わりに出てくるのが、今ニュージーランドの自宅でよく見ている有料チャンネルだろう。例えばディスカバリーチャンネルは非常に優秀な報道内容でありまともな大人の視聴に十分応えてくれる。金を払って見る価値がある。
今僕は東京に出張してホテルの部屋に入っても、真っ先にスイッチを入れるのはパソコンだ。テレビはいつも音楽モードで、その時の気分でジャズを聴いたりするだけ。自分のパソコンに入れてる音楽を聴くときは、それさえもスイッチを切ってる。よほど面白そうな討論番組とか時間ごとのニュースくらいかな、スイッチを入れるときは。
それにしても、さようならテレビ(自己責任)、こんにちはインターネット(時代の流れ)である。
書き終わって気づいたんだけど、今年の1月7日にはこのあたりの本を読んだ時の感想ブログ「テレビがテレビでなくなる日」を書いてた。
2008年12月13日
90day hire-and-fire bill
国民党に政権が移ってどうですか?と聞かれることがある。僕の答えは「良かったですよ」だ。それは移民政策だけでなく経済政策において経営者の立場を理解した施策を行ってくれるからだ。
元々この国は社会主義国であり労働者が充分に強いし、経営者だって元々は労働者で、だから殆どのまともな経営者は労働者の事をきちんと扱っている。
けど、この国では労働党政権下では経営者が不当に低く評価されたり、苦労するだけで利益はすべて労働者に回ったりなど、どうしても働く意欲が下がってしまう。
そこで早速新しい法案が国会で可決された。
90日採用解雇法案とでも言うか、90day hire-and-fire billという名前で、要するに経営者が自分で雇った社員を90日以内なら自由に余分な費用なしで解雇出来るという法案だ。
野党である労働党は勿論反対している。
けどこの法案は、中小の経営者にとっては朗報であろう。これで雇用の自由度が生まれる。人なんて採用してみないと優秀かどうかなんて分からない。だから採用して見てダメなら切る自由は、経営者には必要。でないと萎縮してしまい、人なんて雇えない。
ここで問題になるのは、そうすると今の日本のように失業者が増えるという論点だけど、これはブログに書くには長すぎるネタなので簡単に言う。
経営者の経営の自由度と雇用問題を同次元で扱ってはいけない。国が継続的に発展していくには経済活動が必要だしそれを支えるのが企業で企業を作ったり発展させたりするのは経営者の仕事。その結果として雇用が発生する。
だから無意味な雇用や生産性のない労働者を採用するとか会社の経営方針を守らない人々が会社にいては経営の生産性が低下する。
そのような人々を「一旦採用したから」と言う理由だけで首に出来ないなら、そんなリスクのある商品は買えない。例えて言えば、企業が購入した新型機械が全然使えなかったら当然返品して必要に応じては賠償請求をするだろう。
ところが人間と言う商品だけは返品も出来ずずっと使い続けなければならず、万一返品(解雇)しようとしたら目の玉が飛び出るような賠償金を払わねばならないのだ。そんな不合理がどこにある?
その結果として経営者は採用をしなくなり、かえって失業率は高まるし、優秀な人間がその国の法律の不平等の結果として採用されなくなる。これは社会全体の効率から言ってマイナスなのだ。
使い物にならない労働者の仕事がなければ、それは国民であり国家が何らかの形で富の再配分をすれば良いのであり、生産性を求める企業に対して雇用保証を直接要求するのは全く筋違いである。
これは国民と労働者、または労働力の区別が出来ない感傷的な連中が採る「だめな政策」であり、部分の無謬を全体の誤謬にしている典型的な例だ。
けど、雇用契約書の書き方も知らない多くの日系企業には意味不明な話だろう。何故なら彼らは最初から雇用法を理解していないからだ。
一度くらい労働調停所に行ってみろ!
日系企業の社長と呼ばれる連中にはニュージーランドに住んでいながらNZの本当の生活を知らない人が多すぎ。
そういう人たちが親からもらった金で会社を作り何故か肩書きだけ「社長」と付けてNZ擬似生活を喜んでる、子供の運動会レベルである。
けどまあそれは今回の趣旨ではない。
ポイントとしては、民間企業上がりの首相が早速経営者向けの政策提案をしたってところかな、この法案。
期待させてもらいますよ、国民党。ぼくの一票、家族全部を合わせれば3票入れたんだから。
2008年12月12日
Mellisa Lee
いつもの如くNZdaisukiからのコピー。
韓国人MP (MPとはMember of Parliament, 憲兵ではない)
国民党で出馬し初の議会入りとなった韓国人議員が、ニュージーランドに住むアジア人に対し援助の気持ちが無い人々がニュージーランドにいると非難した。
アナウンサーであるMelissa Leeさんは国民党として議会入りし、議会における最初の演説でニュージーランドファースト党が居ない議会を歓迎した。
彼女は議会に対し、ニュージーランドファースト党は単に人種の違いを理由に彼女のような人々を嫌うメンバーによって支持されている。アジア人がニュージーランドで暮らしやすくする為にも、このような人種差別的な見方を変えていく必要があると話した。
Lee氏は韓国生まれだが自分自身をニュージーランド人だと思っており、もちろんニュージーランドのパスポートも持っている。ただ、肌の色だけのために、Lee氏をキウイと認めてくれない人々が居ると話している。
コピー終了
援助の気持ちがない?英語をどう翻訳したのだろうか?よその国から来た移民がその国の国民に何か援助を期待しているのか?それは世間一般では乞食というのではないか?このサイト、時々日本語がおかしい。「火災が消化した」とか。
母屋は自国民がゆっくり寛ぐ、移民は軒を少し貸してもらって、そこで自分が頑張って新しい国の為に頑張る、それが本当ではないのか?頑張っていつか自分で自分の家を買い、この国に当然のことながら感謝の気持ちを持ちながらも次第に先住の人々たちとの距離感を縮めていく、そして子供の世代になってやっと同等の距離感になる、それが普通ではないだろうか。
ただ忘れてはいけない。キーウィにとってはここだけが彼らの土地だけど、僕らには常にもう一つ故郷がありもう一つ言葉がある。その強みの大きさは移民のみに与えられた特権である。
だから援助なんて言葉はどうしても馴染まない。この国で子供を学校に通わせているけど、毎月きちんと納税しているし雇用も生んでいるしこの国に新しいビジネスをどんどん送り込んで経済の活性化にも務めている。それが本来の移民だろう。
けどまあ言いたいことは分かる。たぶんこれは翻訳の間違いだろう。そう思ってYoutubeでMellisaLeeを検索したら、彼女の国会での演説の様子が出てた。
彼女はなんと演説でチマチョゴリみたいな服を着ているけど話の内容は分かりやすく韓国人でNZ国会議員となった第一号だから、非常に声が力強い。もし日本人女性が例えば米国で議員になって初登場の場で和服を着て出たらどんな感じだろう。
でもってその話。結果、「援助」ではないね。新しい国民になろうとする人たちへの「受け入れる気持ち」を持ってほしいということ。
今ニュージーランドではアジア系の国会議員が二人いる。ここに書いた韓国系のMellisaと中国系のパンジーウォンだ。両方とも女性ってのが21世紀らしくてよい。いよいよ首から上の能力で世の中が動くようになった証拠だ。
実際にNZファーストのバカらしい主張は何時聞いても呆れるようなものだ。
特にそのキーパーソンとなるウィンストン・ピーターズは東欧移民ばかりが働いてるイタリアンレストランで美味しいピザとイタリアワインを楽しみながら移民反対と言ってるような人間だもんね。(数年前に彼がそのレストランでとなりに座って移民のことぐだぐだ言うのを聞いたことがある。)
彼らは何を話すにしても常に論理的に破綻しているのだけど、彼らを支持する少数の人々の脳みそは彼ら以下なので、破綻に気づかないし考えもしない。
毎日ビールが飲めて週末にBBQが食えればそれでよい、金は政府がくれるし病気になれば政府が治療してくれる、日本人が苦労して南洋で獲ったマグロに「マオリ税」をかけて日本政府から金をむしり取り自分では何もしない、こんな楽チンな生活を捨てることの出来ない連中がNZファーストの支持母体なんだから日教組も真っ青、「親分、そんなうまい方法があったんすか!?」って感じ。
移民に対しても何も考えない小学生以下のレベルであるし、子供が自分と違う動物を恐れるようなレベル。
例えばクイーンストリートで薄汚い服装で昼間からラリッて数人でつるんで道路を目一杯広く歩いて、ほらよくいるじゃん、肩をいからせて帽子を反対にかぶって頭にフードを載せて頭を上下左右に振りながら自分が一番いけてると思い込んでるバカ連中、あーいう連中が普通に昼間歩いてるアジア系の女性に向かってすれ違う瞬間に「ハカ」の踊りのような、目をむいて舌を突き出して「げ〜!」とやるんだから、こりゃもうバカとしか言いようがない。
そんな時にそんな場面を見かけたネクタイをしている白人ビジネスマンからしたら、恥ずかしいばかりである。時にはびっくりして座り込んだアジア系女性を「大丈夫、あんなのばかりじゃないかれね」と救ってる男性を見かける。
そう、こういう白人が国民党に投票して、経済もビジネスも知らない教育のない連中が暴力団的に集まって利権ばかりむさぼっている(日教組ではないですよ)のがNZファーストを支持しているのだ。前回までは国会で7議席を確保していたが、今回は選挙区選挙で全滅、全員落ちておまけに比例代表でも得票数不足で議席を取れず、国会での議席はゼロとなった。いいこっちゃ。
殆どすべての日本人と多くの韓国人、そして中国人の7割くらいは一生懸命働いてるし納税もしているし、真面目に商売をやっている。政府の援助にぶら下がろうと思って移住してくる人など3割程度の中国人くらいだ。
この国が抱える一番の問題は、実は全く労働意欲を持たないマオリ及びパシフィックアイランダーなのである。この事実は人種差別に繋がるから誰も決して大きな声ではいえないが、普通に常識と仕事と家族を持っている人間であればほぼ間違いなく共有している認識である。
普通に調査すれば分かることで、だれが政府給付の住宅に住み、誰が就職率が低く、誰が刑務所の中で大多数で、誰が毎年時々起こる殺人事件の主な犯人で、誰がショッピングセンターで泥棒をして逃げ回ってて、それは決して彼らが機会の平等に恵まれなかったのではなく彼らの民族的な性格の問題なのだということ。
ニュージーランドは世界でも珍しいくらいに人々の機会と結果の平等を推進している国である。米国黒人のような機会の不平等は殆ど存在しない。マオリに限って言えばむしろ彼らは逆平等なくらいに恵まれている。
それでいながらそのような機会を自分で生かそうとしないのは積極的に何もしないという、何もしなくても生きていける南太平洋で生まれ育った環境の持つ遺伝子なのだとしか言いようがない。
そういえば数週間前に帰宅途中に寄った中国スーパーでレジに並んでたら、薄汚い格好のアイランダー系の中年女性が大麻で「らりった」顔で、そこにいる若い中国人に向かって「きさまら、出てけ〜」と自分は中国製の安い商品を手に持ちながら騒いでた。
勿論そこにいた若い中国人はネイティブな英語で「うるせ^、このホームレスのくずやろう!」と怒鳴り返してた。
いずれにしてもニュージーランドの国会は一院制で定員は120名。今回は122名。これはその年の有権者の数とかなんちゃらの計算方式で変わる(これを調べるのにかかった時間は2分・インターネットはすごいと再自覚)。投票率は毎回80%程度。
このうちの二人がアジア系でありNZファーストはゼロ。この国が変化しているのを肌で感じます。
経済は三流でも政治は一流。昔から田舎の国ですが、政治は三流、経済も三流になった国よりも未来が明るい気がするのは僕だけか。
ちなみにニュージーランドで初めて総選挙が行われたのは1853年、ジョージグレイの時代。日本はまだ江戸幕府でしたね。
2008年12月11日
2009年
ライブドアブログを見ると、いろんなバナーが貼ってる。
「2009年こそ、ダイエットをしませんか?!」
出来る人は言われなくてもするだろうし、出来ない人は商品を買ってるだけで満足して使わないからダイエットにならない。
僕にとっての2009年が勝負の年になりそうなのは、僕がそういう場を設定したのではない。
まずは時の流れ。サブプライムとか米国経済の崩壊とか。それから東京でたくさんの人と知り合えたこと。そしてニュージーランドと言う場所にいること。
天の時、地の利、人の和が揃ったような気がする。
ビジネスにおいて感情的になることは、今まで100%なかった。けど、来年はなにかあるぞ。
客寄せブログではないのでそんなこと書いても仕方ないけど、ほんと、これでやっと東京とオークランドを一本の道で結べるぞ、そんな気がしている。
東京タワー。パワー、もらったぞ。5万人定住計画、絶対成功してやる。
2008年12月10日
何でも出来そうな街
もちろんオークランドの事ではない。
オークランドも決して悪くはないけど、やっぱり東京に比べるとどうしてもビジネスの機会が少ない。
てか、オークランドでは人々がリスクを取ってビジネスをしようとしないから、東京の人々のようなぎらぎらさがない。
オークランドでは、決まったパターンで決まったことしかせず、それ以上のリスクは取ろうとせず、新しいことは考えようとせず、何てか公務員的な民間企業。
1日は8時間だし残業はないし土日は休みだし年休は4週間でそれでも不足しているくらいだし、それはそれで人間らしい生活でいいんだけどね。
これに対して東京では、皆が常に頭を使っているし24時間動き回り、夜中に会議をやって朝一番から仕事をしているし土日も働いてる。
昭和の時代の誰もが追いかけられるように働く忙しさとはちょっと異質で、自分が分かって仕事をしているって感じ。
今回も東京滞在で多くの方とお会いしたけど、やっぱり東京のビジネス現場の動きはすごい。学ぶことが多い。
毎月来てるんだけど、特に今回は東京の凄さを実感した。
ずいぶんと新しいビジネスアイデアを注入された気分。これは面白い。頭の中で来年の流れが見えてきた。今まで気づかなかったビジネスが見えてきた。
同じ港町で国一番の大都市だけど、やっぱりずいぶん違うな〜と、何にもない街から来た人間が何でも出来そうな街の朝を眺めてます。
2008年12月09日
英語は翻訳ではない
今日も池田ブログを読んでて興味深い記事あり。
「日本語が亡びるとき」という本に対する書評で、彼の意見としては「日本語は現地語であり世界標準では最初からない」と言うこと。
これは当然の話であり、世界で使われている標準語は時代によって変化しており現在は英語だけど、だからと言って日本人が日本語を使わなくなることはなく日本語が亡んだことは一度もない。
まあそういう論旨はとても面白いんだけど、もっと面白かったのはコメント。その中で流れがいつの間にか「日本で生まれて日本で育ち日本で仕事をしている人」対「実際に海外に住んで海外を居住地としている日本人」とのやり取り。
その中で「在日日本人」は英語は翻訳だと言う。つまり日本語がしっかりしてなければ英語なんて出来るわけないから、まずは日本語をしっかり身に付けろと。
これはいかにも論理的。
これに対して「在外日本人」は、翻訳と言う部分については、「そりゃ違う。頭の中で日本語で考えて、それを英語にしてたら堅くて使えない」と言ってた。これ、わかるんだよね。
そして日本語が大事だと言う意見はよく分かるけど、だから英語は後でよいという考え方は、正解でもあり間違いでもある。という部分。
この意見は本当に英語圏で生きてきたから出てくる言葉だなと思った。
僕の自宅では3ヶ国語が日常飛び回っており、時にはそこに北京語が入り込むわけで、だから会話をする時は翻訳ではないというのが良く分かる。
英語力ってのは移住をする際の大きな要素だから説明会でも個人面談でも常にそのことは話すけど、その英語のレベルと上の人たちが話している英語の話は全く違う。
最初は誰でも日本語で組み立てた文章を英語にするし、それしかないしそれで良いんだけど、本格的に現地で生活をして仕事として英語を使うようになれば、そのレベルでは正直言って間に合わない。
会話の中で時には冗談も言い、時には辛らつな意見も言い、間合いの取り方、そんなのをやっていると、勿論日本語のベースがあるにしても、やっぱり英語の会話をする時は最初から英語で考えていかないと、会話は成立しない。
少なくとも、楽しい会話、継続できる会話にはならない。要するにコミュニケーションツールなのに相手が話をしたくなくなるのだ。
これは発音の問題ではない。論理構成の問題。発音は、正直言って日本の公立学校で日本人の先生から英語を最初に学んだ世代の人は、こりゃもうご愁傷様としか言いようがない。勿論僕もそうだ。発音は、悲しいほどにどうしようもならない。
けど論理構成は、これはどこかの文化の中でしっかり見につけるべきだってのは良く分かる。だから在外日本人が二番目に言ってる「正解でもあり間違いでもある」と言う意見になる。
うちの場合、みゆきの文化の基本は香港広東語でりょうまくんの場合はニュージーランド英語だ。つまり何かの文化を理解してれば、そこにいくつ言葉を乗せても良いけど、文化がなければ悲惨なことになる。
要するに問題は根無し草にするなと言う点。どこの国の文化をベースにするにせよ、一番悪いのは中途半端に子供を放置して海外に追いやったりする親である。
実際にニュージーランドには全く文化の基礎を持ってない日本人の子供をよく見かける。中学生くらいでNZに来たのかな、とにかく日本文化の基礎もなければ英語文化の基礎もないまま、それを誰にも指摘されずに体だけ大きくなるから、もうこれはどうしようもない事になる。
じゃあどこの国の文化でもよいのかという問題になるが、大雑把に言えばYES。
けど、僕は東アジア、それも中国か日本の上質の文化が、多分世界で一番良いと思ってるから体験的にはNO。
だから最初の話に戻るけど、英語の早期教育は不要って話になると、体験者の経験から言えばYESでもありNOでもなってしまうのだ。
けど正直言えば、英語程度の言語と日本語を二つ同時に学ぶのは子供にとってはそれほど難しいものではないですよ。学べない大人のレベルで議論するから二者択一みたいなおかしな話になるのではないかと思います。
2008年12月08日
何としてでも生き残る
今日は説明会。またも定員オーバーでお客様に窮屈な思いをさせてしまい、申し訳なし。
説明会に参加いただく人数が年間240名で、年間にニュージーランドに渡航する日本人が1200人。メールでの移住問い合わせは年間で600名程度。
説明会に来ていただきその後連絡がない方で、偶然クライストチャーチで会った人もいる。この人は説明会を聞いてもらい自力で渡航した方だ。
内田樹の研究室でとても興味深い言葉が二つあった。
「合理的に生き延びる技術」と「何が何でも生き残る技術」は別物。
これは実によく分かる。多くの人には意味不明だろうけど「おお、自分を死の縁に晒したこともないのに良く分かる、さすが学者。それとも合気道の師匠として学んだのか?」と、彼の事を見直した。
そうなんです。合理的に生き延びようとする人は結局生き残れません。何故なら最悪の事態を予想せずにできるだけたくさんのものを自分のポケットに残して置こう、そう甘いところでモノを考えるから、今ポケットにあるものの優先順位が分からない。
何が何でもってのは、本当に常に最悪の状態を予測しながらその中でどうすれば良いかと考えること。だから幸せの真っ最中でも常に頭の中に優先順位を付けておいて、今何かが起こったらどれを最初に棄てるかを決めてる。だから決断が早い。
もひとつあったのは、これ。
自分が失ったものの数を並べ立てて相手に対して「どうしてくれるんだ!」と怒る人。
自分にまだ残っているものの数を数えて、それを元手にどう復活しようかと考える人。
生き残れるのはどっち?
これもそうだ。他人に対してどうこう言うのは、他人に頼ってる証拠。現状をしっかり見つめて自分で答を出そうとする人間だけが生き残れる。
今日は説明会。いろんな方とお話しました。いろんな人生ありますね。
2008年12月07日
Sunny
韓国の田舎に育った純朴な少女が地元のナイーブな青年と結婚するが、彼には既に以前からの彼女がいた。
1971年当時の家では、跡継ぎと言う考え方は子供を産むと言うことであり、それが本妻の子でも彼女の子供でも良い、当然本人同士の気持ちが無視されたところで行われた。
自分を正面から見てくれない夫はベトナム戦争に送られ、一人残された彼女はことごとく辛くあたる姑や周囲の人々からもだんだん白い目で見られるようになる。
ベトナムに送られた夫を追いかけるために彼女が武器にしたものは?そして得られたものは?
主人公の彼女は日本の女優である「ゆうか」と香港の往年の大女優アニタムイを足して2で割ったような顔をしている。
けどその彼女が夫のために彼のいるベトナムの土地に一歩でも近づこうとする時の顔は、何者も私を止める事は出来ないわよって鬼気に迫ってくる。
英語が全く出来ない彼女は旅先で知り合ったバンド仲間に「スージーQ」を教えてもらう。その踊りも最初は全く振り付けも分からないままでぎこちないけど、そのぎこちなさの中に元々持ってる踊りのセンスをちらっと見せるという演技。
けどこれ、「黒い雨」の高倉健さんだ、そう思わせた場面です。マイケルダグラスと健さんの掛け合わせ、大坂のクラブだった。そういえばあの頃は大坂も賑やかだったんだなとか思いながら懐かしく観てしまった。
彼女と知り合いになったバンド仲間のキャラも良い。「おれたちゃ天使じゃない」って古い映画があるけど、最初は金儲けのためにだけ集まったバンドメンバーだが、苦労を共にすることで少しづつ連帯感を身に付けていく筋書きは、無理なく良く出来てる。
映画を見たのは空の上、キャセイ航空。つまり韓国でも人気があって外に出せるだけのレベルの高い映画という事だろう。勿論これをハリウッドの一流映画と比較するのはまだきつい。けど、荒削りだけど十分によく作りこんでると思えた。
ほんと韓国の最近の映画の質の向上は金大中元大統領が国家として映画産業に力を入れて映画人を育てたおかげだと思うけど、これからもまだまだ良い映画が出てきそうだ。ベトナム戦争の場面もよく作っている。今から40年近く前の戦争なのに、一部の韓国人の記憶には今も残っているのだろう。
ただ一つ難を言えば、韓国の映画にはどうしても歴史がない。日本のようなクロサワアキラとかオズがいない。この点、手本となるべき試金石的映画をどこに置くのか?これから韓国がどこに進むにせよ、その石からの距離感や違いが方向性となる。
けどこのストーリー、ネタばれになるからあまり書けないけど、もしこの二人がうまくベトナムから戻れたとしても、離婚するだろうな。あの奥さん夫を探してベトナムまで行ったけど、その夫は結婚する前から他に女がいるわけだし、姑は酷いし周囲も理解がない。
相手を理解しようとせずに自分の価値観ばかりを押し付ける世間に対して彼女は出来る限りのことをした。そして英語も出来ないのにベトナムに飛び込んでいった。
でもそれはこの映画を見てれば自然と感じるように、彼女が持つ「あたしが納得するためにやるんだ」と言う強烈な意思だ。決して誰かの為ではない。
それは彼女がすさまじいまでの勢いで「スージーQ」を歌う後半の舞台でスクリーン一杯に広がる。
このあたり、アニタムイ的な演技の迫力が出ているなって思った。(ちなみにアニタムイ、香港を代表する大女優でまだ若いのについ最近癌で死んだ)
その間夫は、妻のそんな苦労を知りもせず家にいる母親を思い置いてきた彼女を振り返り、だ。ちょっと子供っぽくないか?
「一度違う世界を知ってしまった人間」が「違いを知らない人間」と同じ価値観を持つことは、よほどのことがない限り出来ない。どこかでムリが来る。そしてそれが苦痛になってくる。
内容がせっかくこれなら、次回は少し状況設定を変えて「強く独立していく韓国女性」をテーマにしても良いのではと思った。
ただ一つ難点を言えば、せっかく60年代後半のベトナムロックなんだからスージーQだけじゃなくてCCRとかジミヘンとかあったろうにと思う。音楽担当の人が実際は当時のロックを聞きこんでなかったのではないか?と思ったり、スポンサーの関係なんかなと思ったり、実は担当者が好きなのはビートルズだったんだけど、ビートルズとベトナムロックの区別がつかない映画会社のプロデューサーがその人を選んだのかなとか。
いずれにしても、ベトナム戦争にビートルズは合わない。
ベトナム戦争で一躍有名になりその後殺された三沢教一の有名な写真が左です。
2008年12月06日
日通旅行
僕は1991年から1996年、つまり中国返還の前年まで香港に住んでた。
でもって知る人ぞ知るだけど僕の奥さんが香港人なので香港に移住するとすぐに永住権がもらえて、どこの会社でも就職出来る状況だった。
けど香港での生活は全く知り合いおらず何もしらないし、大体あの頃はまだインターネットも発達してなくて、就職情報の入手方法がなかった。
そんな時に飛び込みで旅行会社で面接を受けたのだが、最初が郵船航空。その次が日通旅行。当時の郵船航空は香港にあるアウトバウンド日系旅行会社(約10社)の中でトップクラスだった。
郵船では担当者から「来週からでも営業の仕事をお願いします。給料は香港ドル1万ドル以上です」と言われた。
日通では「うちみたいなところで良いんですか?給料も7千ドルしか出せませんよ」と言われた。
日通は当時の日系旅行会社で一番ドンケツだったし、旅行部と言っても5人くらいしかいない。そこに日本から送り込まれた社長と部長がいるんだから、かなり頭でっかちの利益が出ない仕組みになっていた。
でも何故かその当時に面接してくれた部長が、話の合間に見せる彼の人柄ってか、「あ、この人は旅行の事が分かってるし組織の事をよく知ってる」と思い、日通で雇ってもらうことにした。
1991年当時は香港が好景気で、日本のバブル不況はどこ吹く風って感じで、特に僕が担当したアウトバウンド部門はそれまでのやり方をひっくり返して(今ではどこでも当然なのだけど当時は珍しかった)顧客視点での営業を行う事で、翌年には日系でトップにもっていき、スタッフも12名まで増えた。
その時にずっと僕の背中を守ってくれたのが当時の部長だ。3年くらいで部長は任期が終わり日本に戻ったが、その頃には僕は独り立ちしていたので、自分で背中を守れるようになってた。
1996年、香港返還の前年に奥さんから「早くニュージーランドに戻らないと、いくらNZの永住権があったって香港を出国出来なくなるかもしれない」と本気で心配されて、せっかく住み慣れた香港を後にしたのが1996年10月。
おいおい、ただでさえ香港に落下傘移住だったのに、次はオークランドに落下傘移住かよと思ったが、まあ勝ち目のない喧嘩をしないだけの智恵があったので、黙ってオークランドに引っ越した。
それからの香港は一気に景気が冷え込み、それまでの「わが世の春」が一気に「真冬」に突入した。知り合いもどんどん首を切られて、日通旅行と言うよりも旅行業界全体に構造的崩壊がやってきたのが丁度その頃だった。
それから僕はオークランドで今の会社を作るのに一生懸命で、けど運の良いことに何とか軌道に乗せて現在に至るのだけど、ついさっき何気なしに日通旅行を検索してみたら、何と日本の日通旅行、ほぼ完璧に崩壊ではないですか。
LOOKWORLDは廃止され、地方支店は閉鎖された。
その中で「え?香港はどうなってるんだ?」と思って調べてみたら、何とここ、思いっきり業態変換して生き残っているではないか。
けど、担当者の名前を見ると、フランシス?キット?君ら、元々インバウンドのスタッフじゃんか?どういうことよ?
そうか、日本から日通旅行のツアーが出なくなったから、それまで受け入れをしていたインバウンド部門が思いっきり縮小になって、そこであぶれた人員がアウトバウンドに流れたんだな。
うわあ、ほんと、時代の変化は凄いな。1980年代までは海外と言えば日通だった。それがここまで・・・。感慨。
けど、何よりもうれしかったのは、ペリカンネットと言うアウトバウンドのシステムを導入することで生き残りを図っているということだ。
このあたりは業界話なので分かりにくいかもしれないけど、昔はインバウンドの方が圧倒的に強くてアウトは鬼っこみたいな位置付けで、海外のどこの支店でも傍流だった。仕入れはすべてインバウンドが優先して、こっちはそこから買わなくちゃいけない。
直仕入れをするなり共同仕入れをするなりして合理的にやれば良いものを、面子や肩書きでやるから、当時からかなり頭に来て何かあればインバウンドの連中と喧嘩したもんだ。
それが今の時代になってインバウンドが崩壊してアウトバウンドによってかろうじて海外支店が生き残ってる現状。
実は今、ニュージーランドでも同じような動きが起こっている。インバウンドが崩壊し始めているのだ。ところが彼らは自分のノウハウを利用した業態転換を考えておらず、もう少し待てばツアー客が帰ってくるだろうと、まるでバブルが崩壊した後の証券会社みたいなことを言ってる。
もうムリだ、早く業態転換しろ。いくら言っても聞かない連中。
天下の日通旅行でさえつぶれた。ニュージーランドのインバウンドが今のままで生き残れると思っているのか?
変化を忘れたとき、変化出来なくなったとき、それが終わりの始まりなんだ。
2008年12月05日
STARKS
ついでにもう一枚。
アオテア広場の入り口にある移動屋台のカフェです。
こういうのをやりたいってお客様がよくいます。
最初は固定店舗だとコストがかかるから、試しに屋台で商売したいってことですね。
何故か実際に始めた人がいないのはどういう事かな?途中まで話がいくんですけどね。
どうも屋台を選ぶ人はリスク回避を狙っているわけで、そんな事を考えたらニュージーランドに行くこと自体が大きなリスクだってのに気づくのでしょう。
そう。移住はすんごい大きなリスクなんですよ。キーウィが幸せに過ごしているからって、移住したばかりの人が同じ生活を出来るわけもない。
恵まれた社会保障、相続税がない、生まれたときからスタート地点が違うわけで、それでいながらキーウィ並みのものを今すぐに欲しいといっても、それはどうなんかなと思うわけです。
2008年12月04日
夏 アオテア広場 その2
この日も天気良く、若いビジネスマンが3人で肩を並べてお昼ご飯食べてた。
写真では二人だけど、実際にはもう一人いて、彼は食べくずをゴミ箱に入れに行ってる途中。
けど、全員コーラにハンバーガー+フレンチフライ。いかにもキーウィです。
仲良く食べ終わった彼らは、その後肩を並べて食べくずをそれぞれ手に持ってゴミ箱に入れて、クイーンストリートを下っていきました。
ほんと、こういうのを見てるとこっちまでホノボノしてくるのは何でしょうね。
最近はクイーンストリートでも東洋人の煙草ポイ捨て、ゴミ箱に自宅のゴミを入れる、テイクアウェイの食い物を道路のベンチに置き捨てたりが目立つ。
特に目立つのが東洋人の若者の煙草のポイ捨て。まるでどっかのチンピラやくざ映画を見すぎたのかもしれないけど、斜めに構えて歩きながら、ペッと吐き出すように道路に捨てる。
ちんけなその姿を自分ではかっこいいと思ってんのかね。ほとんどサル並みの知性しか感じませんがね。
2008年12月03日
夏 アオテア広場にて
毎日夏と冬が交互に天気だったのが、やっと先週あたりから落ち着いてきた。
このアオテア広場はクイーンストリートの上の方になるけど、昼休みともなるとあちこちからキーウィがテイクアウェイをぱくついてる。
この写真はいかにも人の良さそうなキーウィおじさん。ネクタイを外して(最初からしてない?)サンドイッチをぱくついてました。
かと思うと、ハーレム状態で食事(喫茶か?)をしてるビジネスマンがいたり。
けどこの頃、いろんな人たちが外に出てきていかにも夏の太陽がうれしい!って感じで日光浴を楽しんでます。
毎日が日曜日みたいなキーウィビジネスマンですが、やってる本人は至って真面目だし、今回の金融危機には真剣に、、、う〜ん、あまり実感がないな。
NZdaisukiの書き込みを見ると、ニュージーランドでの生活に適応出来ない人、なかなか給料が上がらない人、誰かに騙された!みたいなことを書く人、いろいろいます。
けど、皆さん移民一世ですよね?安定した生活を求めるのは、まだ早いのでは?
僕は少なくとも、僕の世代はこの国では外様と思って毎日生活しているので、この国の為に一生懸命働くのは当然だと思ってる。少々大変なことがあっても「そんなもんでしょ」と思ってる。
一番最後に来たよそ者が少々不公平に扱われたからって、いちいち金切り声を上げて「平等!」とか「公平!」とかを匿名で書き込んで、それでどうしようと言うのだろう?
なので、実際には僕も同じような思いをしているんだけどあまり苦痛を感じないだけなのかもしれない。けど、その方が楽しく生きることが出来るから、それでいいんじゃないかなと思ったりする。
2008年12月02日
絶対安全??
昨日はインターネットで未来を考えた。今日も似たようなネタ。
けど僕が毎日現場でやっている作業はかなり生々しいものが多く、間違ってもブログで書けるものではない。それも、いついつならほとぼりも冷めて、という手合いのものではない。
それこそケースによっては、そのまま墓場までと言うのもある。現在進行中の取引は間違いなく一切表に出せない。
そんな中でも、たまには一般論として書けるケースがある。
なので、移住をしようと考えている人へいくらか精神論になるけど手助けをしてみると。
「絶対安全とか絶対安心ということばは世界中のどこにも存在しない。存在しないものを存在するように扱うからムリが出てくる」
という事。
日本では「絶対大丈夫ですか?」と言うと、その言葉が独り歩きをする。だから安全と安心の区別がつかずに、人生で一切のリスクを取ろうとしない他人任せの人になってしまうんだけど、その結果として多くの無駄が生まれてしまい、肝心の「生きる喜び」を失ってしまうことになる。
けど、道を歩いてたら交通事故に遭うかもしれない。香港の下町を歩いてたらアパートのエアコンが落ちてくるかもしれない。てか、香港では台風の後にエアコンが落ちることがよくある。
だから冷静に考えれば「絶対安全」なんてあるわけないのに無責任な消費者の言いぶんが「絶対安全」だからと言うだけの理由で思いっきり金をかけて安全神話を作ろうとする。その結果費用が高くついたら今度は消費者、「何故こんなに高いのだ!」と文句を言う。
これを日本国内でやる分には良いのだけど、ニュージーランドに移住しようとするなら、「絶対」なんて言葉は存在しないし、それを認める気持ちがなければ日本から出ないことだ。
世の中の殆どすべてのものは「相対」であり、生きてくことは常に一定のリスクを抱えるってことであり、そのリスクを他人任せにしてゼロにすることは不可能。もし出来ると思ってるんなら、それは大いなる誤解。
人生においては大体思わぬようなことが起こる。今まで一度も思わぬような事が起こったことがない人、次の波はでかいですぜ。
人生は例えて言えば大きな川を下っていくゴムボートのようなもんだ。努力をすれば川の流れの緩いところにボートを寄せることは出来る。
けど川の流れを遡って上流に行ったりとか、一つの場所でずっと止まっておくなんてことは不可能。
最後は海、つまり死に向かって進んでいくしかない。
その川では途中にワニが出たりピラニアがいたり、時には椰子の実が流れて喉を潤してくれたりするけど、基本的にはハードワーク。毎日一生懸命やるしかないし手抜きは出来ない。
そんな人生で何か一つ、絶対にこれだけは間違いないなんてものを下手に持つと、大体失敗する。特に安全なんてものを追い求めれば、確実に失敗する。そして何かあったら他人のせいにすることで問題から逃げようとする人は、確実に大失敗して、人生すべてにおいて惨めになることは請け合いだ。
あ!一つだけあった。絶対に間違いない事があった。それは絶対に間違いないなんてことはないってこと。皮肉ですな。
もし一つだけ「比較的」に安全を求めよう、てか、何かあっても大丈夫なようにしようと思えば、やれることはある。自分が強くなることだ。何があっても自己責任、毎日自分を磨くことだろう。
その中でも失敗はあるだろうけど、自分で問題を解決する技術を身につければ、ゲームの主人公のようにdandan持ち点数が増えてきて、魔王と戦って勝てるようになる。
それ以前に大魔王が来たら?その時は運がなかったと言って諦めるしかない。けど、だからと言って何もしないよりは、「その日のために」毎日訓練をしておくほうがましだよね。
とにかく人生って何が起こるかわからない。その日の為に心の訓練しましょうぜ。
写真はクイーンズタウンのラフティング。時々死者が出るスポーツです。ここでは誰も「絶対安全」なんて言いません。出来るだけ安全になるように「努力する」のです。
2008年12月01日
日曜の検索
プラムアイランドの読んでそのたっぷりととした重さに、次の本に取り掛かれない日曜日。だもんで溜め込んでた調べものを一気にやる。
平日だとまとめて時間が取れずにゆっくりとした調べモノが出来ないという事もある。
インターネットがなかった時代ってのはついこの間で、僕が社会人になった頃はファックスも標準的ではないくらい。
ホテルの予約は往復はがき、ゼロックスと青焼きコピーの時代だった。
だもんで、調べるというのはかなりの時間と手間が必要だった。百科事典が普通に使われてたし売れてたな。今も百科事典は売られているのだろうか?
などと考えながら、メモにしてた調査対象をまとめて調査開始。
4時間くらいぶっ続けでやるとさすがに背中も痛くなるけど、今日は家族が買い物に出てるので集中して仕事が出来る。
これじゃ体に良くないからと鶏肉ガラで取ったスープでお茶漬けを作る。永谷園にはいつもお世話になってるけど、お湯よりも鶏ガラスープの方が味にコクが出てよい。
午後の調べごとは個人的な興味。オークランドで商売を始めてもう10年以上経つ。そうするとお客様の名刺も溜まるし、当時はウェブサイトを持ってなかったお客様でも今検索すると出てくることがよくある。
アラスカの地図をmap検索しながら緑地を調べてみたり。
当時食べてたラーメン屋(ラーメン屋を食べたのではない、ラーメンを食べていたのだ)も、5年前なら出てこなかったけど、今なら検索出来る。おお、懐かしいなあの店。
昔は随分広い場所だと思ってた広場が、実はとっても小さかったりするのはグーグル万歳です。
そしてそして、どんどん過去に遡って縄文人、ムー大陸のこととか調べてると、何とアイヌの言葉が福岡にある!
下代久事(ケタイクジ)とはアイヌ語で「 川向こうの山の頂に密集した森のあるところ」。
背振山(セブリヤマ)とはアイヌ語で「高く、広い山」の意。
時が止まったようなオークランドの青空の下で時を駆け抜けて過去に戻る。俺はタイムトラベラーか?
けど、そうこうするうちに、俺はタイムトラベラーじゃないってことに気づいた。だってインターネットはこれ、過去に飛ぶことは出来ても未来に飛ぶことは出来ないんだもんね。
過去に学ぶことは出来るけど、未来に何が起こるかは誰にも分からない。自分で考えるしかないんですね。
あはは。あたりまえのことだけど、おかしくなって笑ってしまった。