2009年03月

2009年03月29日

自衛隊出動!

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海自出動、陸自出動!

 

アフリカの海に自衛隊が出動する。そして北朝鮮のミサイル対応で迎撃ミサイルを準備した陸自が都内から東北にかけて配備される。

 

おお、すごいではないか。これなら間違いなく「戦う為の軍隊」である。

 

基本的に僕は軍隊を持つことに賛成している。

 

憲法9条で軍備を持たないと言う決まりがあるってけど、あれは米国が日本の攻撃能力を喪失させるために作った決まりであり、軍隊の法律的な位置付けとか何とかより、もっと人間の原点に戻って考えれば、誰の手にも爪があり歯がある以上、それは何かを噛み砕いたりする道具であるし、生き残る為には戦うしかないのも事実だ。

 

このあたりは憲法よりも法律以前の人間の位置付けで言えば、家族を守るのに自分で戦うのは当然である。その戦いのサイズが国家になっただけであり、周囲に脅威があれば身構えるのは当然だろう。そのような本能的行動を法律でダメ!という事自体がおかしいのだ。

 

戦争と言っても侵略ではなく積極亭防衛である。今回のように日本の権利を守る為にアフリカに行くなら、それは常識の範囲内でOKである。

 

これがなしくずしに侵略に変わるようなら、それはそういう政府を止める事が出来ない国民の問題だ。国民が選挙にも行かずに法律でどうのこうの守ってもらおうなんて、そりゃだめっしょ。

 

ただまあ、この動きは何処の国でもあることで、大体国内で揉め事が起これば海外に目を向けさせるのが基本である。

 

その意味で今回の自衛隊出動は今まで麻生政権で内向きの問題をいらいらしながら見てた国民からすれば、「すかっとする」ようになるかもしれない。

 

けど、これがすぐに行き過ぎるのが日本の悪い癖だ。左に行くときは戦後の日教組のように一番左まで行って国の教育を潰すし、右に行くときは戦前の軍国主義のように全滅するまで戦う。

 

真ん中で止まるというのは一種の芸当かもしれないけど、それが出来ないとまたも「いつか来た道」になる可能性があり。

 

写真は戦後日本初の空母、と呼んではいけない護衛艦。けど、どう見ても空母です。米国が日本に空母を持たせたのは、米国はこれから少しづつ世界の警察官役から退いて行きますよの象徴である。



tom_eastwind at 19:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年03月28日

塩の道4 なごり雪

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今回の滞在で一番感じたのが、新幹線が運んできたのは地域の繁栄だったのかそれとも現代の都会の混沌だったのかという事だ。

 

繁栄を目指して上昇気流に乗ろうとする人々と過去の思い出の中で生きようとする人々と、それぞれに目的は白馬の幸せと言う終点は同じとしてもその道程が違う。

 

けどこれは白馬に限らず日本全国、おそらく世界中の田舎で起こっている現象だと思う。

 

てか、すべての人間の心の中で起こっているのと同じような現象が社会で発生しているんだと思う。

 

リスクを取ってでも坂の上の雲に向かっていこうと歩き続ける心と、もういいじゃないか、今が一番幸せなんだから、これ以上ムリをしても意味はないだろうって思う気持ちと。

 

そんな事を考えながら東京へ戻るバスに乗りこんだ。

 

汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる

季節はずれの雪が降ってる。

東京で見る雪はこれが最後ねと

寂しそうに君がつぶやく。

 

思えば初めて日本でスキーをしたのは志賀高原。生まれて初めてスキー板を履いたその年の冬であった。

 

あの頃の自分を思い出すとまさに笑うしかないが、実にバカだったな〜。今も同じ、ばっかだな〜と思う。

 

誰でもいつも自分の中で葛藤しているんだろうし、それと同じように世の中では一つの社会の中で皆が葛藤しているんだな〜って思う。

 

その中で白馬を捨てて東京に出るか、それとも東京を捨てて白馬に出るか。色んな選択があると思う。

 

自分に合った社会にするか、それとも自分に合った社会を選ぶか。

 

一つだけ言えば、どっちを選んでも戦うしかないって事だろう。

 

人は一人では生きていけない。けど他人と一緒に生きている以上、相手の気持ちも認めるしかない。自分の人生を納得して生きようと思えば、全ての人に良い顔をすることなんて出来ない。

 

長野駅に着いて、時間を作って立ち食いそばを食いに行った。この時の話は2月19日のブログ。

 

そば、特別美味しいわけではないんだけど、なんかさ、温かい。やっぱり多分次もここでそばを食べるだろうな。



tom_eastwind at 03:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年03月27日

塩の道 3

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続き

 

白馬47スキー場の出口、爽快に晴れた空の下で、よく日に焼けたおっちゃんはしら〜っとした顔で「あ、そこに坐ってね」。指差した先はバスのステップの上。

 

道交法って聞いたことありますか?

 

まあいいや、とりあえず何かの理由があるんだろうね、そう思った僕はとりあえずバスに乗り込んだ、板とポール(ストック)を持ったままである。

 

「あ、板はその床に置いといてね」おっちゃんはおもむろに運転席に乗り込むとそういい、ついでに「あ、ドア閉めるときだけステップから上に上がっておいてね」と、全く足の踏み場もない状態の床を指差す。

 

これ、車種は15人乗りで満席でそれにすでに4名が床に立ってて、それに僕が、てか他の人も同じように板とポールを持って乗り込んでいるのだ、そんなスペースなんてあるわけない。

 

仕方ないからとりあえず通路の上に自分のスキー板を置いて立つと、おっちゃん早速スタート!

 

道交法は〜?

 

あのさ〜、法律を大嫌いな僕ではあるし、自分の行動にはいつも覚悟つけてるけど、君らは、それでいいのか?

 

けどまあ田舎のルールがあるのか?そう思ってふと前方を見ると、先ほどの二人組みが薄汚い服装と髪の毛と喋り方で、べっちゃくちゃと大声で自分たちの最近の生活を話し始めたのだ。

 

「あんな〜、昨日のあの子な〜、どないなっとるねん?」

「そんなん知らんわ〜」

「な〜おっちゃん、あんたどうおもわはります?」

 

遂にはおっちゃんも巻き込んでのおしゃべりに、周囲の乗客は完全沈黙。

 

あのさ〜、KYってのは中年男性のことかと思ったら、学生向けの言葉でもあるんだね。

 

お前らさ、サービスって聞いたことあるか?金払ってスキーをして先に待ってる客を立たせておいて、お前ら助手席とその隣にふんぞり返っておしゃべりかよ?

 

雪のせいだろう、がたがたになったコンクリート道路を走りながら途中で道幅が半分になったり大型バスとぎりぎりですれ違ったりとかしながら、乗ってる人のことなど全く脳中にないスタッフの皆さんは、小型バスのたびを楽しんでいらっしゃる。

 

ほ〜、これはまた面白いものを見たぞ、僕は怒るより前にそう思った。先ほどのうどんやもそうだしこのバスもそうだが、この白馬って地域、違った空気が流れているんだ。

 

なんてか、怒るんなら来るなってのか、お前らスキーヤーを滑らせてやってんだ、嫌なら来るなってのか。

 

そのね、嫌なら来るなってビジネスモデルは良く知っているし、うちでもそういう事はあるけど、それと今目前で行われているのは根本的に違うよね。

 

人に対する優しさとか、旅人を迎える気持ちとか。カネじゃなくて普通に人間同士の気持ちとか。

 

普通ならスタッフが立つでしょう。少なくともおっちゃんが「こら!お客を立たせておいてお前ら坐ってるんじゃねえ!」となるでしょう。

 

電車やバスに老人優先席があるのが良いかどうかは別にして、少なくともこのケースで「いや〜スタッフさん、リフト係ですか、今日もお疲れ様です、あなた方の為に大変楽しく滑れました、どうぞ上座へ〜」なんていうお客がいるとでも思っているのか?

 

常識ってのは、もしかしたら長野では通用しないのか?

 

法律より秩序が優先する田舎においては、道路交通法よりも村の一級村民のやってる事の方が優先するのか?

 

いろんな問題が頭の中でぐちゃぐちゃになりながらペンションに戻った僕は、夕食の後のオーナーとの暖炉のおしゃべりで47バス送迎について話をしてみた。

 

彼は「いや〜、誠に恥ずかしい。そんなことがあったなんて・・・・」と絶句した。

 

「いやいや、これも僕にとっては良い勉強ですよ。大した実害があるわけでもないし、それよりも白馬の一面が見えて非常に勉強になりましたよ、皮肉ではなく」と言った。

 

日本の教育に欠けているのは、こういう社会常識ではないだろうか、彼はそう言った。

 

わがままを言う子供をきちんと叱れない親。てかそれを放置して、他人が叱ると「何でうちの子に怒ってるんですか!」と逆切れする親。

 

要するに子供の頃に基本的な社会教育を受けないままに学業のみが身について体だけが大きくなったのがあの若者たちなのではないか?

 

彼のいう事はよく理解出来る。うどんや事件と言いバス事件といい、確かに彼らの視界に他人は存在しない。

 

存在しない他人を意識することもない。わざと無視しているわけではなく、最初から意識の外なのだ。その方が怖いぜよ。

 

これは白馬の問題と言うよりも、個人と社会のかかわり具合の変化と言うべきだろう。

 

それにしても、この学生たちに対して経営者側がきちんと「あのね、お客様が立っていたら席を譲りましょうね」とか「あのね、女の子を口説くのはお客さんがうどんを注文した後ですよ」と言えば、おそらくこの若者たちは「は〜い、分かりました!」と言って、きちんとそれなりの行動をすると思う。

 

それはスキー場で彼らが働いている姿を見ればよく分かる。寒い山のリフト係なのに何故かコスプレでセーラー服を着たりぬいぐるみを着てリフト待ちのお客さんを笑わせたり。

 

リフトに乗るときも一人ひとりのお客に対して「いってらっしゃ〜〜い!」ときちんと声をかけて行く。

 

こうやってスキーヤーであるお客に声をかける若者と、バスでお客を立たせたまま気にせずに大声で喋る若者は、実は同じなのだ。彼らにとっては何の矛盾もなく同居出来るのだ。

 

つまり、言われた事はきちんと守るけど、何故そういう事を言われたかってのは考えようともしないし、自分で考えると言うことを放棄しているのだ。社会における自分の立ち位置を全く考えずに生きているのだ。

 

これって、本当に怖いよ。もしそうだったら、こんな若者はいつでも洗脳出来るし、明日北朝鮮に潜入して破壊工作やってこいと言えば、にこっと笑って「はい分かりました!爆弾ですか最近兵器ですか〜?」と聞くようなものである。

 

白馬47が悪いとかではない。良いスキー場だ。リフトサービスも良い。うどんも旨い。無料でホテル近くまで送ってくれる。

 

けどさ〜、違うんだよね。ずれてんだよね、どっか根本が、ずれてんだよね。

 

塩の道、まだまだ続く。

 



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2009年03月26日

塩の道 2

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「あのですね、普通スキー場からホテルまでお客を送る無料送迎バスに、スキー場スタッフが堂々と椅子に腰掛けておいてスキー客を立たせたまま運転するんですか?大体座席数の決まっているバスに定員以上に客を乗せた時点で法律違反でしょ」

 

ペンションのオーナーからすれば自分も常にサービス向上に努めておりそれに共鳴して変化を続ける白馬47スキー場は彼にとってシンパである。

 

だから折角彼が僕に勧めたスキー場でそんな事があったのか?!と、半分怒りと半分失望の顔つきだった。

 

これは僕の今回の白馬47スキー場での体験だ。

 

元々そんな送迎があるなんて知らないし、白馬47スキー場に行く予定もなかったんだけど、ペンションのオーナーの勧めで行って見て、お、雪いいじゃん、サービスも悪くないぞ、そう思った日の最後の出来事だった。

 

午後3時30分頃スキーが終わり、てか、要するにこっちの体力が完全に消耗されて、もう両手両足が動かずに、板を外した瞬間に思わず座り込みたくなる、ブーツのバックルを外す力もないくらいに疲れてた状態。

 

朝10時から昼飯も食わずに一切途中休憩もないままに滑りまくり、やっと午後3時過ぎに板を外して白馬47のベースにある立ち食いのお店で月見うどんネギなしを注文した。

 

気になったのはここからだ。

 

どこにでもある立ち食い蕎麦やではカウンター越しにお客とやり取りをする。その時僕は疲れ切った目でメニューを眺めながら放心状態で「え〜っと、月見かな、うどんかな〜」くらいにぼんやりしていた。

 

そして遂に頭脳がごとりと「月見うどんネギなし」を指示して、カウンターに一人しかいない若い女の子に注文をしようとしたその瞬間だった。

 

突然横から割り込んできた二人組みが「あの、このバウチャー使えますか?」「てか、この写真ってあなたですか?」「えっと、今晩とか何してます?」。

 

カウンターの向うにいた子は、それまではこちらの顔を見て注文取る気持ちだったのが、僕の目前で話しかけてきた二人組みに気を取られて、こっちを放置したまま話を始めた。

 

「え〜、今日は忙しいねん」、「これさ〜、あたしの友達やん」「てか、うどんくわへんの?」

 

どうやらこの二人組みはスキー場のスタッフであり、スタッフ用の食券が使えないかと言う口実でこの子を口説こうとしているのだ。

 

その行為は僕がどうこういう事はないし、自分の事を考えれば、百万回譲っても何もいう事はない。それどころか、「おいこら、切れ味悪いぞ、話題の切り口、下手だし〜」とかなるのだ、普段はね。

 

けどさ、俺は客だよね、つまり対等だよね。

 

少なくとも客の前で従業員同士がだべって、おまけにそれがナンパ引っ掛け話であれば、どっちかが常識を持って君らの個人的な話題を横に置いて、まずは僕の注文を取るべきではないか?

 

2分ほどそういう話をしていた彼らにこっちも愛想を尽かして、もういいや、他の店でハンバーガーでも食おうと目線を反らした時になって初めて、二人組みのうちの割かしまともな格好をした方が「あ、すいません、ご注文ですよね」と話しかけてきた。

 

ふーん、随分丁寧じゃん。きちんと敬語使えるしまともじゃん。じゃあ今までのギャップは何なんだ!逆にびっくりした。

 

こいつら、部分的に何かが欠けている普通の人間なのか?本気でそう思った。普通なら最初から「あ、ご注文どうぞ」でしょう。

 

うどんは旨かった。僕は讃岐系の腰の強いうどんよりも、関西系の柔らかうどんが好きだし、出汁もしっかり効いてる関西系のうどんは大歓迎。スキー場の屋台で、いくら腹が空いているからと言え、こんな美味しいうどんはひさびさ〜って感じた。

 

そうしてスキー場出口に向かうと、そこではテンガロンハットをかぶった若い女性スタッフが、「ありがとうございました〜!」とか「もうすぐ16:00のエコーバレー行きのバスが出ますよ〜」とかスキー客に声をかけている。

 

「エコーバレー?」タクシーで戻る積りだった僕は、蒸気機関車の格好をした小型バスの横に立っているおじちゃんに話しかけた。

 

「すいません、エコーバレーのウェザーリポート前に止まりますか?」

「はいはい、ウェザーリポートね」そう言っておじちゃんは自分の持ってる配車表に書き込んだ。

 

その時点で15名程度乗れるバスはほぼ満席。てか立ったままの人が4名いて、離れた席で2席が空席だったので、あれ、この人たちが坐ったら満席ジャン、だったら満席になり次第次のバスが来るのか?

 

例えばクイーンズタウンでは満席になった時点ですぐに予備のバスが来て順々にお客を乗せていく。

 

このスキー場も同じシステムなのかな、だったら今乗り込んでも満席だから降ろされる、ダメじゃん、そんな事を考えながら僕はバスの乗車口のまん前に板を持って、おじちゃんから何か言われるのを待っていた。

 

15:50になってテンガロンの女の子たちがますます声を張り上げて「もうすぐバスが出ますよ〜」とやってる。こっちはあいも変わらずバスの乗車口の前に立ってる。おっちゃんも何も言わない。

 

ふ〜ん、バスの中で立ってるお客さん、まさかあのまま出発しないよね、そんな事やったら法律大好きなニッポン、大騒ぎになるよって思いながら周囲をちらちら見ていると、先ほどとは別口の学生らしい二人組みの男性がやってきた。

 

途中でテンガロンときゃいきゃい喋ってケツぶっつけあった後、そのままバスの近くに来た。

 

「お、すげえ、満席ジャン!」

「てか、おお、やった〜、助手席空いてるじゃん、乗ろうぜ乗ろうぜ」

 

ずっと礼儀正しく順番、てか指示を待っている僕の目の前で、僕の存在等まるで空気のように無視して、さっさとバスに乗り込んだ。その時点でもおじちゃん何も言わず。

 

どういうこっちゃこりゃ??そう思った僕はおじちゃんに聞いてみた。

 

「あの、すみません。このバスに乗っていいんですか?それとも次のバスが来るんですか?」

 

なぜか「長文拒否」になったので、また明日。

 



tom_eastwind at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年03月25日

塩の道 1

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白馬のペンションで夕食後、オーナーの方とラウンジで色々と地元の話を聞く機会があった。

 

大阪出身の彼はまだ若く、全8室のちっちゃなペンションを足元を走り回る子供の面倒を見ながら経営している。

 

元々大阪で一流ホテルや高級飲食業界で働いた経験があるので、たった一人で切り盛りと言いながら料理もフレンチ風で旨いし(これが本当に旨い!素材と火の入れ方絶妙!)バーでお酒を作らせれば大体のカクテルは作れる。

 

「いえね、村の会議に出るたびに長老連中からは『うるさい!他所から来たもんが余計な事言うな!』って怒鳴られるんですよ」

 

苦笑しながら彼が語る。地元の人には言えないことでも、他所から来た僕のような人間には話しやすいのだろう。

 

白馬の歴史は古く、先祖代々白馬で生活を営んできた人々からすれば5年くらい前に都会から移住してきた人間のいう事など、一切耳を貸さない状況だ。

 

白馬でも移住一代目は2級市民なんだなと思いながら話を聞く。

 

「白馬の人々は都会の人間に対して不信感を持ちながらも劣等感を持っています」

 

そう、この感覚が僕が先月レンタルスキーショップで受けた印象だったのだ。

 

白馬は昔から温泉とスキー場が有名である。しかし温泉で言えば確かに山の上に江戸時代からあったものの、利用客は殆どが地元民だった。

 

そしてスキー場が出来たのは80年前。それでも白馬にスキーに行こうと思えば東京から一日がかりであるから、滑るのは地元の人々や北関東の人々のみが中心であった。

 

そんな白馬に変化が訪れたのは戦後の登山とスキーブームからだった。当時は関西や関東方面から夜行列車や特急列車が運行されるようになり、戦前に比べれば随分と便利になったことで民宿商売が始まった。

 

それでもやはり、かなりの「好き者」でなければ白馬まで足を伸ばすことはなく、受け入れる白馬側も民宿の好意で泊めてあげますよ程度のサービスだった。

 

サービスを提供する側も受け取る側も白馬で「サービス」等というヨコモジは期待しておらず、むしろ受け取る側=顧客は提供する側から夏山や冬山の情報を頂く立場だったからへりくだっており、それでお互いの関係が保たれていた。

 

民宿と言っても元は農家兼猟師であり、山の入会権を持っており、彼らが共同一致して村の発展の為に80年前に作ったのがスキー用のリフトであり、1980年代に遂に村の中に引き込んだ源泉であった。

 

これ以来、農家は自宅を改造して民宿として毎年夏と冬にお客を迎えて温泉を楽しんでもらい、スキーに行く人からはリフトチケット代金を受け取ってそれを山の自分の土地割合に応じて分配して生活を支えていたのだ。

 

そんな静かだった白馬に最初の変化が訪れたのは、別荘ブームとバブルだった。

 

それはまるで津波のように、都会からネクタイをしたビジネスマンがやってきて次々と土地を地元民から取得して、そこに別荘を建て始めた。

 

農民からすれば元々あまりカネにならない田んぼでしかなかった土地が売れるのだからいいじゃないかと思い、都会のビジネスマンに言われるままに土地を売却した。

 

その価格がどれほど安値であり、都会のデベロッパーがその別荘をべらぼうな高値で売り抜けたことを知ったのは、それから随分後のことである。

 

そして迎えたバブル時代。いよいよ人々は都会から流れ込むカネに目がくらむようになった。そして白馬の人々の心の中にまでバブルがやってきたのである。

 

銀行が民宿に直接カネを貸し付けて「これからは白馬がブームになりますよ、カネを貸しますから改築しませんか、個室トイレも温泉もないような民宿では、これからやっていけなくなりますよ。ほら、隣のなになにさんとこも、今度4階建てのホテルに生まれ変わるんですよ」と民宿を各個撃破していった。

 

経営の事等何も知らない民宿の主人に銀行が適当に売り上げ予測数字を並べてカネを持ってくるのだから、主人はほいほいとそれに乗っかった。

 

そして間もなくバブル崩壊。ここから現在の白馬の状況が始まる。これを一言で言えば、世の中何も知らないほうがいつも負けるのだと言う現実である。

 

借金を抱えて立ち行かなくなった主人たちは生き残りの道を探すも、そんな事が出来るほど優秀な経営者もいるわけがなく、かと言って改築したペンションを売りに出しても値はつかず、次々と破綻していった。

 

そして次々と建てられていた別荘も、オーナーがバブル崩壊で手放してしまい、売れない物件が次々とブラックホール状態で点在するようになった。結局別荘は建っても人口は増えず売上は伸びず、村はシャッター商店街のようになったのだ。

 

地元の人々に残ったのは、都会の人間に騙された悔しさと、それにほいほい乗っかった自分への怒りだけであった。

 

そんな彼らも、次に来る長野オリンピックが何とか立ち直れる機会かと思ったが、これもまた東京の大手建設会社と組んだ一部の長野市の大手建設会社と都会のビジネスマンだけが利益を得て、結局白馬に残ったのはジャンプ台だけという事になってしまった。

 

オリンピックの一部期間のみの売り上げ増加なのに恒久的な施設を作ってしまって、そんなもんオリンピックが終われば過剰設備になるのは分かりきっていたことだ。

 

同じことは実は1975年に開催された沖縄海洋博覧会でも起こっていた。

 

博覧会の期間中にやってきた客が引き揚げた後に、次々と放置されたホテルや旅館や公園が58号線沿いに打ち捨てられて広がり、利益はすべて本土企業、結局地元は無駄な設備を抱えさせられて行き詰ってしまったのだ。

 

今の沖縄からは想像もつかないかもしれないが、30年前の沖縄を自分で見てきた僕としては、今も脳裏に刻まれている「本土による襲撃と破壊の痕」である。

 

白馬は結局お人好しで、いつも都会人に騙されてきた。けど都会人のようにうまく話も出来ないから逆らうことも出来ず、残ったのは都会人に対する不信と劣等感と言うことになったのだ。

 

それから信州の自然を気に入ってやってきた余所者が頑張ってペンションを建てて地元の組合や協会に加盟して地元の発展を促そうとするのだが、何かあれば「うるさい!」「余所者は黙っておけ!」となり、それが現在の白馬の人々の心境に繋がるのだ。

 

信州に移住して信州を発展させようとする人々からすれば「何でこうやらないのだ!」と思っても、地元で山の入会権を持っている人々に逆らうことは出来ない。そんな事したら、それこそ村八分だ。

 

「お前さとこの泊まり客は八方尾根を滑らせねえぞ」と言われれば終わり、子供は学校でも虐められる。

 

そんな状況の中でも、地元で危機感を持っている民宿の息子たち一級村民は、少しづつ自分たちで勉強会を開いて「都会の戦い方」を学び「都会との付き合い方」を学び、都会から来た二級村民の話も聞いて変化をし始めている。

 

例えば白馬47と白馬五竜スキー場は同じ山の反対側の斜面を使っており、元々は別々にリフト券を購入する必要があった。

 

それを両方の山の共通券を作ってお客が一日で両方の山を楽しめるようにした。残念ながら八方尾根はまだ共通券に参加していない。

 

英語の資料を作り、もっとたくさんの外国人に来てもらうように営業をしたり英語のウェブサイトを作ったりしている。

 

実際に僕が先月とまった樅の木ホテルはお客の半分以上が外人であるが、このホテルは元々先代が銀行に融資を受けてそれまでのペンションの横にホテルを建てたものであり、これを息子が外国人向けに一生懸命営業して発展させてきたものだ。

 

それでもやはり若い世代の努力の多くは村の長老連中、つまり別荘とバブルとオリンピックに振り回された人々によって「若いものは黙っておけ!何も知らんくせに!」となるのだ。

 

すでに野沢温泉スキー場は倒産しており、八方尾根スキー場も赤字営業である。それでも変化をしている白馬五竜と白馬47は何とか利益を確保している。

 

今、まだスキーヤーが来ているうちに何かしなければ、これでスキー客が来なくなったらどうするのか?その危機感を持っている若者はいろんな事を考えるものの、長老連中にはなかなかその気持ちが通じない。

 

実際に今スキー場に来る主流は中高年スキーヤーである。彼らが来なくなれば、今の若い世代はスキーなどしないのだから、いずれ山はすたれる。そうなった時にどうするのだ?

 

白馬のライバルは野沢でも苗場でもなく、ケータイとゲームなのだ。どれだけ若者が自分の収入の中の「スキー支出費用」を増やすかが勝負なのだ。

 

その為にはサービス品質を向上せねばならない。しかし昔の民宿から全く発展していない長老たちは、そんなサービス等オレの時代には不要だったのだと、全く相手にしていない。

 

「そんなサービスやクオリチイたらヨコモジを使うから、また都会のモンに騙されるのさ!」

 

「おらたちは昔ながらのやり方が一番いいんじゃ。分からんモンがいちいち口を出すんじゃないべ!」

 

このような世代間対立は白馬の中では裏話であるが厳然と存在する。

 

若い世代はこう思う。「じっちゃん、あんたらはいずれ死ぬからええけどさ、おらの世代はこれからも食っていかなくちゃいけないんだべ」

 

若い経営者の元で地元の食材を使ったフレンチやイタリアンレストランを増やし、山で獲れたジビエを食べてもらい、温泉を露天にして八方尾根を借景として利用する。

 

そんな改革もあるし、僕からすれば白馬は日本全体が低迷する中では結構頑張っているほうだ。それでも若い人々の改革への前進はまだまだ止まらない。

 

白馬頑張れ!である。



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2009年03月24日

白馬

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日本を旅行して一番感じるのは、どこも同じような問題を抱えていると言うこと。

白馬が特別でもないし別府温泉が特別でもない。

突き詰めていけば、既得権益を持ってて変化したくない、つまり自分が今だけよけばよい、そんな人が世の中の変化についていこうともせずに子供たちのことも考えずに生活しているんだなって。

勿論そこには新しい人々も出てきているのだけど、新しいと言うことだけで既得権益者から批判をされて潰されて。

難しいですね、田舎って。

きついですね、都会って。

要するにどっちの社会で生きてても大変なのは同じ。

何もしなくても生きていける世の中なんて存在しない。

だったら思いっきり喧嘩して生きたほうがましか。

白馬、内容が濃いすぎてまだしばらく文字に出来ず、でした。



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2009年03月22日

倉庫と冷蔵庫

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香港人の癖なのかうちの奥さんの癖なのか、とにかく食料品を買いに行くと、賞味期限内に食べ切れられるかどうかも分からない量を買う。

 

「あのさ、冷蔵庫に入りきれないよね」と言うと、いつも意を決した顔で一生懸命冷蔵庫と格闘して押し込んでる。

 

だったら買わなければいいじゃんか、別に明日スーパーが消滅するわけじゃないんだから。

 

そう思うのだけど、彼女は食料の大量購入はどうしても譲れないようで、毎回買い物に行っては買い込んでる。

 

山の中や牧場生活をしているわけでもないんだから、スーパーを倉庫と思えば良いでしょ。

 

自宅は出来るだけ広々と使って、食料が不足すれば必要な分だけ倉庫から出して自宅の冷蔵庫に移す、何でそう考えられないの?

 

元々人間なんて一人じゃ生きてられないんだし、皆で分業することで社会を作っているんだから、ここは一つスーパーの人を信じて、明日になっても食料を売ってくれると信じて、彼らに倉庫番をしてもらおうよ。

 

そう聞くと、彼女は石の様に黙り込んでしまい、同じ質問をもう一回すると、大体において「蹴り」が来る。こっちが黙り込むまで蹴ってくる。

 

なるほど暴力とはこうやって使うのだな。

顔が可愛いからって安心しちゃいけませんぜ。



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2009年03月21日

AIG

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AIG幹部がボーナスを受け取ったことが米国で大きな問題になっている。

 

大赤字で政府から支援して経営再建の真っ最中だと言うのに、一人当たり1億円くらいのボーナスを受け取った高級社員が4百数十人。

 

理屈からすればAIGの雇用契約だから他人がどうこう言う筋合いのものではない。赤字だからボーナスはもらえないと言う規定でもあればともかく、2007年の時点で既に2008年のボーナスを決めているのだから、理は社員側にある。

 

けれど今回の金融危機で多くの人々が生活を脅かされる中で、その金融危機を創り出した張本人がボーナスを貰うという無慈悲な現実に対して米国民が感情をぶちまけているのだ。

 

「ボーナスを払うような会社なら救済しなければ良い、民間会社なのだから倒産させれば良い」と言う意見もあるけど、AIGはすでに保険会社ではなく金融会社、それも銀行と同じ機能を持って決済を行っているわけで、今回のスワップ商品の片方の紐を持っており、もしここを吹っ飛ばしたらそれこそ世界中に恐慌が広がってしまい、その費用の方が高くつく。

 

だから実にジレンマなのだけど、AIGを飛ばすわけにはいかず契約を不履行にする事も出来ないから「ボーナス返せ」と言うことになるのだ。

 

この流れをうまく利用しているのが政治家である。AIGを「悪の権化」として自分たちはそれを退治する「良い人」となるべく、議会で過激発言を繰り返しているのだ。

 

簡単に言えば今回の金融危機で国民の怒りの矛先が自分とこに来ないように贖罪羊探しに一生懸命なところだった政治家たちが、やってくれましたねAIG!てな感じなのだ。

 

そりゃそうだ、今までやりたい放題だった金融大企業を放置しておいて、赤字になったらお金を下さいなんて虫の良い事を言ってるんだから、そんな連中にカネを渡したら国民が許すわけがない。

 

政府がカネを渡せば国民の批判は政府に向く。けどカネを渡さないと金融危機が更に広がってしまう。そんな時のAIG。

 

オバマ大統領が昨日のニュースで実にうまいことを言っていた。

 

The buck stops with me

「私は米国大統領だ。私がすべての責任を取る。」

 

うまいうまい、これで見事に米国民を味方につけましたね。

 

AIGのボーナスを取り返し国民の人気を得て、俺が責任を取る、政府が金融規制をしっかりやると国民に約束した上で、返す刀で大手企業の支援金を出す。

 

さすがオバマですね。大事なのはこういう劇場型の政治なのだ。

 

内容の良し悪しよりも、いかに国民を味方につけて国を一つの方向に導いていくか。これを直感で出来る人でないとリーダーとは言えない。

 

「間違った方向に導かれたら?」と言うかもしれないけど、どっちにしても政治とは利益の再配分なのだから、誰かが儲ければ誰かが損をするようになっている。つまりすべての人々が享受出来る仕組みなんてありえないのだ。

 

だからどれだけ国民が納得してくれるかどうかだ。その意味でオバマは大したもんだと感じたニュースだった。



tom_eastwind at 00:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年03月20日

オバマ

証明出来ないから存在しないってのは言えない。

 

推測しか出来ないことに対して「そんなの事実じゃない、事実だったら証明しろ!」と言われても困る。小沢さんちの強制捜査にしてもそうだ。

 

けど今日は本の話。小沢さんの事を書くと、またも「証明しろ!」とか言われますからね。ネット工作員がいるって本当だったんですね、どきどき。

 

普通に世の中の事を勉強していけば、それまでは荒唐無稽と思われていた事が、実は本当だったなんてのはよくあることだ。

 

例えば天動説。はるか昔、世界の優秀な人々は地球の周りを太陽が回っているのだと本気で信じ込んでおり、そうじゃないよ、地球が回っているんだよと言った人間をキチガイ扱いにしてこう言った。「事実なら証明してみろ!」

 

さて、地球が回っていることが証明された後、天動説信者は何を反省しどう謝ったのだろうか?

 

宇宙船の存在を信じるか?雪男は存在するのか?

 

まあそこまではいかないにしても、少なくともこの世界がロスチャイルドやロックフェラーなどユダヤ系の世界的大財閥によって支配されていると言う事実は、これはある程度は認めざるを得ないのではないか。

 

日本が米中によって事実上支配されているという状況なんて書くとまたもたくさんの批判を食らいそうだけど、これは事実なのだから仕方ない。

 

要するに日本はいつも世界の金持ちや権力者たちの草刈場になっているのだ。夜中まで一生懸命働いて終電で帰宅、子供とろくに遊べないままに早朝出社。それはすべて一部の支配者が儲かるために仕組まれたものだ。

 

だからその手の本や情報は基本的に表面化しない。そんなんが表面化したら大変だ。西側労働者が皆手を組んで支配層をやっつけようなんて事になる。

 

だから5次元文庫ってところから発行されている「世界恐恐と言う仕組みを操るロックフェラー」と言う本が品川の本屋でヒラ積みされていたのはびっくりした。

 

「へ〜、大丈夫なんかね」などと思いながら早速購入。ある時に買っておかなければいつの間にか全冊買取その後焼却処分なんて事もありえますからね。

 

ちらちらと見ると、「ブッシュの後継者マケインが46%、オバマ41%だった2008年9月14日。その翌日にリーマンブラザーズの破綻。そこから一気にオバマの支持が増える」とか「ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知っていたけど、米国が参戦する機会なので放置していた」とか「911は作られた事件」だとか。

 

さあ、どれをどこまで信じるかは本人次第。

 

あ、そうだ、「米国の大統領を決めるのは国民ではなく財閥です」なんて書くと過激になりますが、言い方を変えれば「米国で大統領になろうと思ったら財閥を敵に回すことは出来ません。だから大統領は必ず財閥のいう事を聞きます」だったらよいか。

 

ちなみにこの5次元文庫ってのは、そのふざけたネーミング通り、他に発行している本は「地球内部を旅した男」とか「私が出会った宇宙人たち」とかです。ふざけたネーミングだから「検閲」に引っ掛からなかったのかもしれませんね。

 

さて、読んで見ます。

 

世界恐慌という仕組みを操るロックフェラー (5次元文庫)世界恐慌という仕組みを操るロックフェラー (5次元文庫)
著者:菊川 征司
販売元:徳間書店
発売日:2009-02
おすすめ度:4.5
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tom_eastwind at 20:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2009年03月19日

ほや

P3180417「すみません、これ何ですか?」そう聞いた僕に不思議そうな顔で「ほやでございます」と答えた新幹線車内販売のお姉さん。

 

「ほや」の話は東京駅から長野駅に向かう新幹線の中での出来事。

 

 

本当は「氷結」が欲しかったのだけどCanchuhaiしかなかったので仕方なくそれを選び、「え〜っとおつまみは?」と思って車内販売の籠を見ると、そこに森永キャラメルサイズのちっちゃな袋があり、そこに「ほや」と書いている。

 

もちろん僕も「ほや」と言う宮城県の食い物の存在は知っていたが、それが乾燥されてするめ状態のおつまみになっているのはつゆ知らず。

 

思わずお姉さんに「これって何ですか?」と聞くと、ええ!って顔で「ほやでございます」と、彼女からすれば生まれて初めて聞かれた質問にびっくりしたように答えてくれた。

 

なるなる。

 

彼女の頭の中では「ほや」は既成事実であり「ほや」である以外の何者でもなく、それはまるで「アナタハニンゲンデスカ?」と質問されたような気持ちだったのだろう。馬鹿にしているわけではないのだけど、何故かそう思われてしまう。

 

例えば鯛のような魚を見ててその種類を聞きたい時に「これは何ですか」と聞いて「これはサカナです」と回答されるようなもの。

 

ほやを知らない人もいると言うことは、彼女の脳内にはあり得ない。あんた日本人でしょ!みたいな感じだ。

 

takasaki 2そういえばこの新幹線に乗るためにホテルからタクシーに乗ったら「どちらにお帰りですか?」と運転手さんにさらっと親しげに聞かれた。

 

「えっと、今から出張なんです」

 

 

 

ホテルから東京駅に向かっていて荷物が軽装だったから、誰でも一仕事終わっておらが村さに帰るって思うだろうね。

 

ところがこっちは普通の日本人の生活パターンから大きく外れている。やばし!

 

それから運転手さん口を噤んでしまった。

 

たぶん雰囲気としては彼は東北のどこかの出身で、こっちもそうだろうと思い込んで親しげに話しかけたとこが、思いっきり肩透かしをくらった、おまけに東京の糞生意気な奴が東京駅から出る新幹線に乗ってまたも田舎の素朴な人々を騙しにいくんだろう、そんな感じである。

 

でもって今度は新幹線で「ほや」だから、あ〜あ、またやっちまったって感じだ。

 

僕が日本人であることは間違いないのだけど、日本ってのは毎日変化しているわけであり、僕のような存在は理解しがたいのは良く分かる。けどさ、自分たちの生活以外にもいろんな生活パターンがあること、知ってくれってのがムリなのか。

 

ほやほや。

 



tom_eastwind at 22:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年03月17日

地上波デジタル

去年くらいからひっきりなしにテレビで放送している「アナログ波の停止と地上波デジタル放送への移行」だけど、これには大きな問題がある。

 

一番最初の問題は、アナログを地上デジタルに移行する必要がないのに巨大な予算を使って移行しようとしているという事。

 

これは総務省がいろいろと「あれが良くてこれが良くて、だからやる」と言ってるけど、あれは嘘。

 

このあたりは元NHKプロデューサーで現在は大学教授兼作家でもある「池田ブログ」に詳しく反論喝破されている。

 

政府からすれば、元は身内であったような人物(東大卒NHK入社)が野に下り政府批判をしているのだから悔しくて仕方がないようだ。

 

主な問題点はデジタルにする事でテレビ局は数億単位の設備投資が必要なのに、それで視聴者が増えるほど画質が良くなるわけではなく広告主も増えず、何の利益にもならないどころか投資をした分だけ損をするってこと。

 

だって今まで見てたのと何が違うのか?テレビとは最終的にコンテンツを売ることで広告主を集めるビジネスモデルだけど、コンテンツが変わらないままに設備が変わっても、どんな広告主もお金を追加では払いませんよ。

 

デジタルになったので追加で広告費を下さいなんて言った日には、じゃあもう広告やめたってなるでしょう。

 

デジタルにするメリットが何もないままに設備投資だけ必要となる無意味な計画である。

 

次に問題なのは、視聴者がテレビを買い換える必要だ。これは音楽媒体のLPCDに変わったのとは違う。LPなら今でも聴けるしどちらでも選択可能。

 

ところが地上デジタルの場合は、導入された時点で視聴者が既存のテレビでは見ることが出来なくなる。したがって国民に買い替えを強制すると言うことになるのだ。

 

要するに地上デジタルにすることの無意味さとそれに係る費用を負担する国民の立場はどうなんだって事。

 

しかし最近の不況で政府は悪乗りしたのか、更に面白いことを思いついた。国民経済を活性化させるために税金を投入するのだけど、その投入先に「国民のテレビを2万円で買い取る作戦」や「デジタル用アンテナの無料配布」を選んだのである。

 

政府は元々不必要な地上デジタルを作りそれを国民に押し付けた挙句に、買えない人には税金で無料提供しましょうってことなんだもんね。

 

こういうのは一般的にマッチポンプと言う。

 

火のないところに火をつけて、そこにさらに石油をぶち込むようなものだ。

 

意味のない技術を作りそこに金を突っ込み、更に周囲を巻き込んでしまう。

 

政府による一番の景気対策とは、税金で日本車を買ってそれを地上に穴を掘って埋めて、これで自動車産業と建設産業を儲けさせるというものだ。全く無意味で生産性ゼロだ。

 

今回の地上デジタルもそれと同じ。

 

勿論景気対策にはいろんな奇策があってよいと思う。

 

ただ、そのカネはどこから来ているのですか?税金でしょ。

 

だったらその再配分は特定の賄賂がもらえる産業に配分するのではなく、将来国家が成長する為のビジネス分野か、または今目の前で苦しんでいる国民に配分すべきではないか?

 

例えばグリーンビジネスとかエネルギー等、21世紀の産業はたくさんある。けど結局そういう産業では票にもカネにもならないから資金が回らない。

 

そしてお金がなくて困っている人にも回らない。賄賂もなければ票にもならないから。

 

今回の地上デジタルで何より頭に来るのは、それだけのカネをデジタルに回すなら目先で生活保護を受けられずにホームレスになっている人々や山手線ダイブをする人を救うほうが国家として本来あるべきではないかという事。

 

勿論ホームレスやダイブへの保護はそれ自体が何の付加価値も生まないので消費税が増えるくらいの利益しかないけど、それでも一部企業を儲けさせたりして社会所得が社会上層部にだけ偏るよりはましではないかと思う。

 

このあたりになると政治的弱者と政治的強者の利益配分の取り合いってところもある。

 

だから政治的弱者がどう転んでも勝つわけはないのだから、今回の地上デジタルでも結局は弱者が負ける。つまり払った税金よりも受け取った税金の割合が少ないって現象になるのだ。

 

僕は自分がビジネスと言う戦争を毎日やっているから思うのだが、ビジネスの世界では弱い奴は生き残れない。そして今の社会構造では、本当に弱い人はビジネスが出来ないから声も発信出来ずに潰されるしかない。理屈は分かる。

 

ただ、何よりも頭に来るのはこの社会の理不尽だ。つまり弱いものが潰されるしかない社会的な再配分のあり方だ。

 

地上デジタルに使うかねがあるなら、そんな不要不急の分野ではなく、目の前で死にかけてる人を助けようって発想にはならないのか?

 

そう思ってニュースを見てたら、たった今、公明党が「テレビ2万円買取政策」を取り下げたようだ。

 

公明党は元々貧しい人たちの助け合い組織みたいな印象があったのが、いつの間にか政権政党になり今に至っている。

 

一体この日本、どうなったのだ?苦しんでいる人を放置したまま、一部の人間だけが私腹を肥やしていく状況は、まさに共産主義や独裁主義国家の再来ではないのか?

 

人は一人では生きていけない。助け合いがない社会に未来はない。

 

なのに社会の下流の人々を洗脳して奴隷化して使えなくなったら殺す(自殺)仕組みって絶対に壊れるぞ。自分が上にいる間はいいけど、一度でも下に行って見ろ、おまえ死ぬぞ。

 

歴史は繰り返すのにな〜。やり過ぎるといかんのにな〜。今住んでる社会を守りたいなら、もちょっと今の社会を安定させることを考えるべきなのにな〜。

 



tom_eastwind at 01:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年03月16日

宇宙に行く日本人飛行士と国直轄事業負担金

そうそう、昨日書いた内容で、「で?どの本?」でした。

そうそう、本は4日前に書いた「女はそれを我慢出来ない」じゃなくて「女は何故突然怒り出すのか」でした。

女はなぜ突然怒り出すのか? (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)女はなぜ突然怒り出すのか? (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)
著者:姫野 友美
販売元:角川グループパブリッシング
発売日:2006-03-10
おすすめ度:4.0
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そうそう、我慢できることは人によって違うから、人によって怒るポイントが違う。

でもって日本人宇宙飛行士が長期にわたって宇宙に飛ぶので「万歳!」と喜ぶ前に、何で日本が航空技術や宇宙技術を独自で持てないのか、そういう事を何故報道しないのか?

戦前の日本ではゼロ戦など航空技術を持っていたが、戦後米国によって一切の航空技術開発を禁じられて、唯一YSだけ作ったけどそれも結局撤退させられた。

制空権と言う戦争における大きなポイントを日本に取らせない為の明確な圧力だけど、戦争に負けたんだからそりゃ仕方ない。

けど宇宙技術にしろ本来は自分の国で作るべき技術を、米国の宇宙船に載せてもらって喜んでるのを見ると、正直悲しくなる。

ガキ大将と喧嘩して負けて頭をゴツンと叩かれた子供が、その後にガキ大将から飴を(それもたいして美味しくない)貰って喜んでいるようなものだ。

独自で開発出来ないようにさせられたのは仕方ないにしても、メディアが両手を広げて「素晴らしい!」なんて喜ぶ話ではないでしょう。

自分で飛行機も作れない、宇宙技術開発も出来ないという現実にまず目を向けるべきではないかな。

三菱がやっとリアジェットを飛ばせるようになったが、奴隷になって時に飴をもらってそれで単純に喜ぶのだけは止めたほうが良い。

けどガキ大将の方が強いんだから、頭を下げておいたほうがいいではないか。戦後彼らに逆らった政治家は見事に潰されたし、負ける喧嘩はしないほうが良い。

そりゃそうだ。勝ち目のない喧嘩をするべきではないのは当然。ただ自分が何故勝てないのかをよく考えて、中国は独自技術で自国民を宇宙に飛ばしている現実を考えれば、いつまでも頭を下げ続けで良いのかと思う。

同じようなことが知事会で議論されたようだ。

政府の事業の地方負担分をやめてくれって、政府に訴えるようだ。

ところがある知事は「おいおい、そんな事言ったらお上から逆に締め付けくらって、本当に欲しい事業まで断られるかもしれないよ」とびびっているんだって。

結局政府が決定的な力を持っている中で知事が逆らっても勝ち目なし、だから長いものには巻かれろって理屈なんだろう。

けどこれは、日本政府が米国の圧力に対して「長いものには巻かれろ」と言ってるのと全く同じ理屈。

日本が戦後60年以上も米国に支配されている一つの要因に、日本人自身が持つ、よく言えば争いを嫌い、悪く言えば逃げ腰の「長いものには」理論があるのだ。

何度もいう事だが、日本がどういう立ち位置にいるのかを決めるのは日本国民である。

だからその決定として米国追従を選ぶのもよし、中国と米国の間でバランス外交を取るもよしである。

しかし大事なのは、今米国に馬鹿にされて奴隷化されている事実だけはしっかり理解して、それでも「Better than nothing」か「Rather than china」と判断するなら良い。

しかし他国のロケットに乗せてもらってはしゃいでるような事実誤認だけは避けたほうが良いと思う。

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 00:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年03月15日

まほろば 男と女の違いについて

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その昔1970年代のさだまさしはニューミュージック旗手の一人であり、よく言えば情熱的だからすぐ余計なことに足を突っ込む。

 

ニューミュージックと言われた音楽は今で言うJ−POPみたいだけど、もっと独創性があって永遠性があって、彼らをビートルズとすれば今のJ−POPはNHK歌合戦で地方の若者が服装と音楽だけ真似をして歌ってるようなもんだ)。

 

関白宣言では女性団体から「女性を侮辱した歌だ!」とやられた。けど、彼くらいに男女の機微を言葉で表せる歌手も少ないのではないか。

 

その彼の佳曲に「まほろば」というのがある。その歌詞の一節に

 

「遠い明日しか見えない僕と 足元の影ばかり気に病む君と」

 

実はこれが今日のテーマ。

 

12月の日本出張でヒラ積みされてたのを何となく購入、オークランドに戻ってきて何故かすぐ手にとって読んだのだけど、これが実に分かりやすく面白く男女の心理を書いている。

 

「そう!そのとおり!何であなたは知ってるの?」と読みながら思わず自分でびっくりしてた。

 

この手の本では「話を聞かない男地図を読めない女」があるけど、あれよりも更に進んだ脳の研究と心理学研究が結び合わさって、男女の行動を「意味不明で理解しがたいもの」から、動物行動、心理分析、脳内構造と言った、全くその個人に責を負わせることが出来ないことまで書いてるのだ。 

 

作者は心療内科という精神カウンセリングを行う病院を経営しており、もちろん脳医学にも詳しい。だから男のバカさ加減を一方的に責めるのは、そりゃ生まれつき足のない身体障害者に向かって「ナニよあんた、歩けないの?なっさけないわね!」と怒鳴るようなもんだと訴えてるように感じる。

 

同時に、だからと言って実際は身体障害ではなく、自分で自覚すればある程度は治癒可能なんだから、逃げないでもっと勉強してね、バカな男たちさん、と言われてるような気もする。

 

男と女は違う生き物である。脳の構造も違えば、体の構造も違う。それにもかかわらず多くの男女は自分たちが同じものを見たら同じように考えていると思い込む、それがそもそもの誤解の始まりである。

 

男と女は同じものを見て全く違うことを感じるのだ。そこを理解しないから「何でお前、オレのいう事がわかんないんだよ!」って事になる。

 

わかるわけないじゃん、君が言葉に出来ないことをどうやって分かれって言うの?

 

だ〜から世の男性さん、相手は自分のいう事を分かっていない、「差」を認めることからすべてが始まるんですよ。

 

子供の偏差値問題にしても、障害者等に対する福祉の問題にしてもそうだが、まずは「差がある」と言う事実をしっかりと受け止めることが肝心になる。その違いを認めてから、「じゃあどうしようか」と言う話がなされるべきだ。

 

おんなのおしゃべりはドーパミンの問題だし、男が道行く女性についつい目がちらっと行くのは原始時代からの本能だ。

 

おんなは相手に共感を求めているが答えは必ずしも必要ではない。なのに男は女の話に答を出そうとしてじたばたして女が話そうとするその口を塞ぐから女が怒る。

 

「あんたに結論なんか求めてない!聞いてもらうだけでいいのよ!」

「だったら聞くな!」

すれ違いですね〜。

 

愛が4年で終わるのは医学的に正しいのか?なんてテーマも楽しいが、思わず、ああ!そうじゃんとうならせてくれる。

 

レストランで男性がメニューを決めてもなかなか女性が決められない。そりゃそうだ、女性は全部食べたいのだ。男はとっとと食べたいのだ。

 

女はミニスカートを履いているのに足を見せたくないという矛盾を普通に抱えていられるのだ。それはすべて女性の持つ本能に原因があるのであり、それを理解出来ないおとこには将来はない。

 

ホルモン、原始時代に植えつけられた本能、脳の発達の仕方、などなど、いろんな角度から男女を比較するのだけど、やっぱりいきつくところは、男はいつまで経っても子供、結婚して最初から100%を期待するほうがムリだってことだし、女はいつまで経ってもそういう男の弱みを分からず(認めたくない?認めると自分の仕事が増えるから?)におとこを傷つけることを平気で言う。

 

だから最初に言ってる「差があることを理解して、そこから近づく努力をしようよ」ってのが結婚の秘訣とでも言えるのだろう。

 

ああよかった、今月読んでおいて。奥さん、ぼく、がんがるね、今からでも遅くないよね、はは。



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2009年03月14日

違法移民って?

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カルデロンファミリー2

 

こんな事を言うとある種のクレーマーがすぐに持ち出すのが「法の下の平等」である。「あの人がOKでなんで私がダメなの!」だ。実はこれが今の日本の経済の足を引っ張る「キチガイ消費者問題」なんだけどね。

 

法の下の平等とは美名の下に誰かの足を引っ張って自分の位置にまで引き摺り下ろすことが目的ではない。あくまでもすべての人間に例えば裁判を受ける権利とかの利益を保証することである。

 

よくある話だけど、スピード違反で捕まった人が「あいつだって違反しているじゃないか、だからあいつも取り締まれ!」と文句を言うようなものだ。

 

もし法律をすべて杓子定規に適用するなら裁判官は必要ない。けど法で救済出来ないケースや法を適用することでかえって人々や社会全体の利益を逸したりするのであれば、これは法を適用することは間違いである。

 

例えば一人で自宅にいる妻から緊急の電話がかかってきて「ねえあなた、早く帰ってきてよ、家の周りを変な人がうろついてるの」となれば、もちろん警察に電話をするだろうけど、同時にもし家が近ければ車をすっ飛ばしてでも帰るだろう。

 

それは違反だろうけど、情状酌量の余地はあるでしょう。そのさじ加減を決めるのが裁判官であり、その判断の中で救われるものとそうでない者が出てくるのは当然ではないか。

 

日本の移民局は、今回のカルデロンファミリーの場合、もし両親に滞在許可を認めた場合、他にも多くの違法移民が同じような申請をしてくるではないか、そうなると歯止めが利かないと言う考えであろう。

 

言いたいことは分かるが、それが移民局のエライサンの判断であれば、彼らの脳みそは前回の雪山でのスキーレンタルの件で困っていた女性マネージャーと同じ程度の法律知識という事になる。

 

カルデロンファミリーがきちんとした家族であれば、全体の状況を見て親子に滞在許可を出すべきだろう。

 

その上で、今回の特例を悪用して法律の穴を狙って騙しに来るような連中は拒否すれば良い。

 

けど結局そうなると移民局は一人ひとりのケースを慎重に審査する必要がある。これが日本の移民局にとっては面倒だと言うのが実態ではないか。

 

所詮は日本人じゃないし少数民族なんで、彼らのいう事なんて無視すればいいや。自分が真面目に審査やったところで、それで上層部から評価されるわけではない。

 

じゃあ「法の下の平等」と言う名目で審査も何もせずに窓口で追い返した方が簡単、むしろその方が「よしよし、日の出づる国の大和民族の純血をよくぞ守ったなり」と、かえって上層部の受けが良いかもしれないし、実際にそうだろう。

 

移民政策は一般市民の生活に直接影響を与えるわけではないが、5年単位で見れば街の景色が大きく変化するのは、外国人労働者を受け入れている街の人々はよく分かるだろう。

 

だから事柄は、日本人はこれからも出来る限り純血を守るのか、それとも他民族の血を受け入れて多民族社会になっていくかの判断である。

 

統治する方からすれば目先の判断では純血主義の方が住民制御をしやすい。同じ価値観を持っているのだから。

 

しかし長期的に見れば何処の国でもそうだが、他国の血を受け入れて多民族化した方が強くなる。

 

例えばお隣の中国。元々中国は漢民族であり、中国の中心部のみを領土としていた。ここにジンギス汗率いるモンゴル族がやってきて支配したり清朝で再度漢民族を支配したように見えたが、いつの間にか満族は中国化、つまり同化してしまった。

 

同じことは今の広州地方でも言える。華南地方は元々漢民族の領土ではなかったが、これも同じようにいつの間にか中国に同化した。

 

もっと言えば米国は世界中から移民を受け入れているが、黄色人種の東洋人であっても二世になるとバナナ、つまり外は黄色だけど中は真っ白な米国人となり、自分の祖先の生まれ育った国よりも自分が生まれた米国の国益を主張するようになる。

 

実際に米国では多くの日系米国人が上院議員や政府の閣僚として働いている。

 

結局民族の中に強い民族意識と規範があれば、そこに入ってくる移民はいずれ同化されるのは歴史が証明していることだ。

 

だからある日突然何万人も移民するってのではなく、毎年一定数を受け入れて彼らが同化するのを待ち、その民族の代表を県議会等に送り込んで少数民族の意見表明の場を作ることで、結局日本という国がその存在を失うことなく発展していけるのではないかと思う。

 

外人がどれだけ来ようと恐れることはない。それでガタガタするような日本人ではないし、むしろ日本で生活をする外国人は日本の道徳心の高さや他人への思いやり等を学び、「あ、そうか、これが本来あるべき社会じゃないか、オレも日本人の真似しよう!」と思わせることが出来るのだ。

 

勿論そう思わない人間は出て行ってもらえば良いだけの事。要するに日本の存在を認めて理解して一緒に住んでくれる仲間を、その国籍や肌の色に関係なく選んでいくべきなのだ。

 

ニュージーランドは人口400万人のちっちゃな国である。大国である日本だとルールで処理しないと収拾がつかなくなるかもしれないが、この国は横浜市とか福岡県サイズの国家なので、まだまだ色んな面でルールの上に担当者の判断が乗っかって「調整」が利く。

 

小国の利点はこういうところにもあるから、移民についても杓子定規ではなく、かなり担当者レベルで交渉が出来るのも事実だ。が、やっぱりそれ以上に「国民が統治している国家」と言う政治意識の高い国だからこのような柔軟政策が出来るのだろう。

 

今回のカルデロンファミリーに関しては、僕が見る限り一応移民局としても踏み込んだ判断(娘だけはOK)をしたと思う。以前のように杓子定規でやってれば家族全員退去!だったろう。

 

これがマスコミに取り上げられたから仕方なく対応したとも言えるが、ならばマスコミに押されましたと言い訳しながら、出来ればもう一歩踏み込んで国益とは何かを考えて家族全員に滞在許可を出してもらいたい。

 

日本の移民政策が曲がり角に来ているのは誰もが知っている。けど、鎖国か開国か、どちらに舵を切るかとなれば、それは日本国内で起こっている事件だけを感情論だけでワーワー言うのではなく、他国の移民の歴史や民族同化を勉強した上で一人ひとりが「日本人とは何か」を考えることだろう。

 

非常に個人的な意見としては、まじめに生活している親子が3人いるなら、日本人の親の子供として生まれたからと言ってくずみたいな生活を送り強盗や殺人等の犯罪を犯すような連中を3人海外に送り出して欲しい。

 

海外って具体的にどこよ?ってなるだろうけど、マグロ漁船で3年とかamazonで10年とか、刑務所に入れるよりも生産性高いと思いますけどね。

 

少なくとも真面目に働いている違法移民の方が社会に害を与える合法国民よりも有益だと思いますぜ。

 

 

 

 



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2009年03月13日

家族の幸せ 1

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イミグレーションと話していると学ぶことがある。

 

人間には法律で与えられた権利と別に自然権と言うものがありこれは法律に優先するみたいな考え。

 

例えば家族と社会であれば家族の成立が先なんだから、社会で作った法律がもし家族の幸せを壊すようならば、この場合は法律を適用させず家族の幸せを優先させるという事だ。

 

具体的に言えば、ニュージーランドの移民法では永住権を持つ成人が自分の両親を呼び寄せて一緒に住む場合、子供の数によって永住権の成否が決まる。

 

子供が二人いて一人が日本、一人がNZにいる場合は、両親の呼びよせが出来る。

 

もし子供が三人いて二人が日本だと、これはダメ。

 

子供が多数を占める国で親はその子と生きるべきと言うことになる。だから11ならOKだけど1対2ならダメってわけ。

 

この大前提にある考え方が、家族は一緒に住むべきだと言う原則だ。子供がNZに住んでいるなら親は当然子供と一緒に過ごすべきだ、だから両親にも永住権を発行しましょうとなる。

 

他にも例えば永住権の主たる申請者(例えば父親)が永住権を取得して、その家族はニュージーランドで生活を始めた。けど主たる申請者、つまり父親は仕事の都合でその後2年間を半年ずつニュージーランドで過ごすことが出来なかった。

 

この場合は母親と子供がすでにニュージーランドの生活に定着しており犯罪も犯さずに生活保護も申請せずに「きちんとした生活」を過ごす為の住宅も購入していたら、母親と子供には「特段の配慮」が払われて、父親の滞在日数が少なかったとしても父親の永住権を認めると言う特例がある。

 

このようにニュージーランドでは法律の規定があってもその上に「人道的措置」や「救済」または「人間としての自然権」が乗っかっており、非常に多くの場合に適用されている。

 

そこで出てくるのが今日本の移民局で問題になっているフィリピン人家族「カルデロンファミリー」である。

 

不法入国をして不法就労を十数年したのだからこの場合両親はまずOUTだろう。だって違法移民だから強制退去されても仕方ない。再度表口から申請してくださいねってことになる。

 

問題は娘だ。娘は両親がフィリピン人とは言いながら日本で生まれて日本で育っている、実態としては日本人である。

 

日本は出生地主義ではないので彼女は日本で生まれたからと言う理由だけでは日本国籍は取れないし居住権も主張出来ない。

 

しかし実態としては日本人として長期にわたって生活をしており、フィリピンに戻しても本人がフィリピン語も話せない状態ではあまりにも酷であるとして、娘にだけは滞在許可を出すようにした。

 

しかしそうなると日本で生まれ育ったと言ってもそこはまだ学生、両親が養育する義務もあり、ここで両親と引き離しはすべきではないと言う議論があった。

 

しかし移民局は結果的に娘にのみ居住許可、両親は退去と判断した。

 

これがニュージーランドであればどうだったろうか、ちょっと考えて見る。

 

まずは不法滞在であるが、実態として長期にわたりNZで生活をしており就労、納税など市民としての義務も果たして犯罪等を犯してないならば、これは一考に価する。

 

NZ生まれの生粋のキーウィと言えど親の代から仕事もせずに毎日だらだらと酒を飲み失業保険を受け取り夜になると盛り場に出てきて泥棒や喧嘩をするような連中に比べれば、余程国家の為になっているではないか。

 

永住権申請の際にはポイント不足で却下されたとしても、その後の生活できちんとNZに馴染んでいるのであれば、これは一種の敗者復活戦ではないか、認めてあげようと言うことにもなる。

 

大体永住権審査も、その目的はビューティコンテストではない。良い大学を出て良い企業で働き英語力があっても人殺しをするような奴はいるわけで、コンテストの目的はあくまでもNZで「善き国民」となってくれるかどうかである。

 

ならば入国の方法に問題があったと言ってもその後の生活に問題がなければ滞在を認めるほうが国益にも繋がるのではないかと言える。

 

次に娘だけど、これは文句なしに人道的に滞在が認められるだろう。

 

何故なら実態としてキーウィとして生活をしている子供を、親が悪いからと言って一蓮托生で送り返すのであれば、例え法律上はそうであっても法律以前の人間としての判断では、「おい、こりゃ特別永住許可を出そうぜ」と言う話になる。

 

でもってその時に両親の問題が出てくる。子供をNZに一人残したまま帰国ですか?

 

子供は両親と一緒に生活せねばならない。その原則でいけば、例え入国は違法でもその後の生活態度と家族は一緒と言う原則を考えれば、これは両親にも子供を養育する為の特別許可が出る可能性が非常に高い。

 

写真はプールで遊ぶおじいさんと孫。じいちゃんはいつNZに移住したんだろうな。

 

長くなるので後半は明日



tom_eastwind at 11:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年03月11日

女はなぜ突然怒り出すのか?

最近は書かないけど、本はあいも変わらずいつも読み込んでいる。

船戸与一にも少しはまってて、ぐろいけど、さてどう飲み込むかを検討中。

そんな中で役に立つ本もある。

「女はなぜ突然怒り出すのか?」と「男はなぜ急に女にふられるのか?」だ。

両方とも、おお、長年の僕の疑問を見事脳医学とか心療内科とか、あまりなじみのない学問から捉えての回答を提供してくれた。

おお、そうなのか。ナンだおれ、長いこと悩んでいたのが実はあまり意味のないことってよく分かった。

要するに、世間の人々は手のない猿に向かって手を使って木に登れなどと要求しているのだな。

詳細は是非ともこの本、読んでください。実に勉強になりました。

女はなぜ突然怒り出すのか? (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)女はなぜ突然怒り出すのか? (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)
著者:姫野 友美
販売元:角川グループパブリッシング
発売日:2006-03-10
おすすめ度:4.0
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2009年03月10日

時は流れて

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たまたま昨日はアリスがテーマだったので、棚の中から古いCDを引っ張り出す。

 

あの頃はLPとかカセットテープだったんだよね。隔世。

 

 

英語で一番じ〜んとする歌っていえば、やっぱりSuper star Time after time かな。

 

カーペンターズの歌うスーパースターは、英語もろくに分からなかった時代だったけど、何てか胸にそのまま突き刺さるkarenの声に“じんじん”きてしまい、その歌詞を何とか辞書を引いて意味を調べて、更に感激した記憶がある。今でもこの歌がバーでかかるとその夜はとても幸せになれる。

 

その正反対にあるのがタイムアフタータイムだ。

 

シンディローパーの古い歌だけど、karenのような柔らかな思い出、シルクスクリーンがかかったような懐かしい1960年代の音ではなく、丁度日本で言えば甲斐バンドが売れない頃に歌ってた「最後の夜汽車」とか系で、暗くて裏道に立ってる「裏切りの街角」みたいな印象。

 

なのだが、でもそこにはかすれた喉から絞り出すように歌う彼女の声が、何ともなく If you lost if you lost なんて、60年代の白人が、白人の一部層だけが幸せに生きてた時代から、time after time 、結局アメリカすべてが墜ちていった時の映画「Deer Hunter」みたいに聴こえてくる・・・・おれ、今日、やばいか?

 

初めて中島みゆきの舞台を見たのは中学か高校の頃。ってか、地方のちっちゃなデパートの入り口の脇、パイプ椅子が20個くらい並ぶ場所で、何となく「えへ!」って感じの中島みゆきが、椅子に座る客の半分は野菜の入った買い物袋を下げている特設ステージ(つまりデパートの待合場所)で、「時代」を歌ってたのは、今でも記憶に残ってる。

 

それから数年して彼女が「時は流れて」と言う名曲を放った。残念なことにそのLPに入ってた曲はどれも素晴らしくて、結局この歌だけが取り上げられることはなかったが、内容はシンディローパーと同じ。

 

“あんたにはもう 会えないと思ったから 私はすっかりやけになって いくつもの 恋を 渡り歩いた ”

 

古来、このテーマはミュージシャンには取り上げやすいネタだった。例えば風の「あの唄はもう歌わないのですか」とか、ちょいと流れは違うけど有名どころでは「イチゴ白書をもう一度」かな〜。

 

音楽をやっていると、いつか別れとは馴染みになる。だから自然、唄歌いの連中はこういうのをテーマにしていくようになる。

 

そうなるとこいつら、強い。誰よりも強い感性を持った弱い連中が振られるのだ、その時の感情の震撼は、そりゃ半端じゃないっしょ。普通の人間なら諦めるとか忘れるとか出来るけど、唄うたいには、そういう器用な真似が出来ない。

 

だからそれを言葉に出して歌にしてしまう。その丸裸さが直接こっちの心に刺さってくるんだから、聴くほうとしては本当に痛い。けど分かる。

 

時は流れて、時は流れて、そして私は変わってしまった 流れの中で今はもう話すこともない

あんたが私を思い出さないように

 



tom_eastwind at 22:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年03月09日

明日への讃歌

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28年ぶりにアリスが還暦ツアーをやったそうだ。全くこの世代、強い。

 

かぐや姫はいくつになっても「おっちゃんパワー」で頑張り、さだまさしは映画で作った借金を何十年も抱えながら歌い、ついには借金を返し終わって今も歌っている。

 

長淵剛、中島みゆき、松山千春、チューリップ、このあたりの年代を上げれば生き残った連中には、皆共通した因子があると思う。ゆーみんなどは苗場で何十年ライブをやっているだろう。

 

そしてなんと言っても小田和正。60歳にもなってコンサートで自転車で走り回るか。

 

ありゃ各ミュージシャン自身の個性であり彼らの音楽の独創性である。

 

70年代の音楽はニューミュージックと呼ばれて、演歌や外国の歌を日本風にアレンジする歌手たちとも一線を引いていた。

 

彼らの当時の生活や音楽に賭ける個性はかぐや姫の「神田川」の生活や甲斐バンドの「最後の夜汽車」にある意味集約されているだろう。

 

どんなに貧しくても自分の好きな歌を歌い続ける。歌の為にはその生活がどん底になってでも歌い続けるその強靭な意志とその意志の結果としての大ヒット。

 

しかし泥沼を知っている彼らは決してアメリカンロックのような華美な生活に走るわけではなく、一生懸命音楽を追求し続けた。

 

ここが70年代のアメリカロックと大きく違うところだろう。アメリカでは多くの優秀な歌手が麻薬と金に流されてしまった。

 

状況が変化しておちゃらけな歌が世の中に80年代に入ると次第に浮かれた歌が流行るようになる。コンピュータを駆使した作曲が「素晴らしい!」と言われ、雑音が社会に広がり始めると、彼らはギターをケースにしまって表舞台から去っていった。

 

しかし21世紀。世の中にどんどん活力がなくなるとまた次第に復活をし始めた。

 

小田和正は今の時代と同世代に憤りを感じる還暦として。

 

さだまさしは苦労をした大人の視点から優しい歌を作り人々に語り掛ける。優しくあろうよって。

 

中島みゆきはあの力強い歌声で活気の無い社会に向かって大きく歌い上げる。仕事人よ、自分を信じようって。

 

長渕は長渕教信者の前で一晩中歌いまくる。(ちなみに長渕だけは他の人たちと一線を越えている気がするのは僕だけか)

 

そしてこのアリスは「明日への讃歌」を引っさげて、また表舞台に現れた。

 

谷村しんじをリーダーとするフォークグループだが、あの当時の若者に与えた影響は大きく、後年には谷村しんじの「昴」がアジア中で大ヒットになり、遂には谷村は中国の大学に招聘されるまでになった。

 

そんな彼らがまた久しぶりにバンドを組んで歌うのだから古くからのファンには嬉しいものだろう。

 

商売としての仕掛けもあると思う。70年代に彼らの音楽を生で聴いていた人々は、今あの歌を聴きながらあの頃の自分を思い出して、古い記憶の中に浸れるのだ。

 

この際に頭から発せられる悦びはセロトニンから来ているのではないかと思うくらい。けど、何よりも特徴的なのは彼らニューミュージック世代の連中の強さだ。

 

60歳になっても歌い続けることが出来るのは、世間に対して何ら恥ずかしくも無くおもねることもないからだ。

 

「おじいさん、もう止めなさいよ」そんな事を身内に言われても「ふざけんな、お前は黙っておけ、オレはいつもまっすぐ生きてきた、他人にどうこう言われるような恥ずかしいことはしてないぞ!」というようなものである。

 

世の中に流されずに生きてきて、自分の立ち居地が中心であれば武道館で歌い、端っこにそれればちっちゃなライブハウスで歌い、それでも彼らは好きなことをやり続けて、周りになんと言われようと自分の道を貫いた。

 

おそらく音楽を始めた当初はそんな難しいことを考えてはいなかっただろう。けど成功するまでの苦しい生活や下積みの苦労が彼らに世間を理解させ、そして生き残る術を身に付けた。

 

けどそれでも嫌なことやおべっかを使って我慢するんじゃなくて、自分の好きな音楽をやりぬいて60歳を迎えたと言う今、彼らの人生は自信で漲って(みなぎって)いるのだと思う。

 

がんばれSixty!



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2009年03月08日

自民党迂回献金の謎

自民党 迂回献金の闇 日歯連事件の真相自民党 迂回献金の闇 日歯連事件の真相
著者:東京新聞取材班
販売元:角川学芸出版
発売日:2005-09-01
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あ、そうか。

 

小沢さんの選挙資金問題を「国策捜査だ」って書いたら「なんでじゃ!」と言うご批判を頂いた。

 

普段ならどうせいつも文句を言われているのであまり気にしないのだけど、あれ?もしかしてこれって?と思って読み返して、「あ、そうか!」と分かった。

 

そう、国策捜査って書いただけで僕が「小沢は無罪なのにはめられた!」と書いてると思われたんだ。

 

そっか〜、文字は怖いよな。

 

これですね、小沢さんは昭和の政治家であり、賄賂は当然もらっているし、その見返りに建設利権を再配分していたのもほぼ公然の事実であるという事を大前提にして書いたんですよね。

 

てか、世間の人でまさか小沢さんが賄賂を受け取ってないなんて思ってる人は小学生くらいしかいないと思ってて、つまり地球のことを書くときにいちいち地動説を説明しないように、今回も書かなかっただけなんですね。

 

だから「彼がカネを受け取っていないのに(彼がきれいなのに)カネを受け取ったような国策捜査である」と考えているわけでは当然なく、

 

「彼は確実に金を受け取りそれが賄賂だとの認識もありそれが政治家として普通だと考えていた」事を大前提に

 

「何故今捜査なのか?このまま選挙に突入すればほぼ間違いなく民主党が勝つ状態で野党側の大将を叩くのはどう見ても国策捜査(てか、政権操作)だ」し、

 

「こんなもん、政治家の殆どは叩けば同じようなホコリが出るのは政界の常識であるのになぜ彼だけを叩くのか」と言う意味での国策捜査なのだ。

 

政治の利権とか賄賂とかは誰でも知っている。池田ブログにも書かれているけど、検察が本気で同じような捜査をすれば自民党議員を100人くらい逮捕出来るのも事実。

 

池田ブログより抜粋:

 

小沢一郎氏の秘書が逮捕された事件は、小沢氏の態度が軟化し、民主党も徹底抗戦という感じではなくなってきた。しかし私の印象では、依然として彼らは問題を逆にとらえているように思う。

 

問題の核心は、今回のような迂回献金は日常茶飯事だということなのだ。それが当たり前だから、大久保秘書も堂々と打ち合わせをしたり、請求書を出したりしたのだろう。

 

つまり小沢氏や民主党の主張とは反対に、迂回献金は日常茶飯事であり、これまでそれを摘発しなかったことが逆国策捜査なのだ。

 

今回はたまたま西松建設の家宅捜索で数人の政治家だけが特定できたために、小型の事件として強制捜査に踏み切ったが、もっと大手のゼネコンだったら日歯連のように収拾がつかず、見送られていたかもしれない。

 

逆にいうと、西松建設のように別件逮捕して家宅捜索するという手法で大手ゼネコンを検察が摘発すれば、迂回献金は山ほど出てくるだろう。

★抜粋終了

 

○小沢が献金を受けていたか? 受け取ってる。

○それが違法かどうか? 法律的には表面的には合法、けど法の精神上は違法。

○では法律は常に正しいか? 常に国民の意識や実態からは乖離している。

 

だが政治家の賄賂を問題にするのであれば、実は一番の問題は国民自身がその賄賂の結末として自分たちが利益を得ていると言う事実を認めた上で、政治献金システム自体をもっと「本来あるべき姿」にするべきなのだ。

 

田舎の人々は政治家を動かして意味のないダムを地元に作ってもらい、そこで雇用が生まれて地元が潤っているのは間違いないしその結果として地域の長老が利益を得ており、その利益は地域に分散されているのは間違いない。

 

だからきれいごとで「いや〜ん、不正って!」とか「きゃいーん、政治家ってきたな〜い」などと済ませるのではなく、その汚れたカネ?で実は自分の父親の仕事が守られてたのだとか、世の中の現実を理解して、その上でどうあるべきかを考えるのが本来我々が取るべき態度なのだ。

 

正義ぶりっこをしても何にも問題は解決しないのだ。

 

ほりえもんブログも最近よく読むが、彼のコメントは↓

 

「小沢さんとこのニュースがテレビで流れるたびに「徹底抗戦」の構えとかテロップが出て、私の本の宣伝をしてくれているのか、と思うくらい(苦笑)。

 

まあ、小沢さんは面倒な人たちに絡まれてしまったね。もう仕方ないから辞任するほうが民主党にとってはいいかもね。無罪だろうが有罪だろうが、正義の検察に睨まれたら終わりだよ。正義の味方なんだから。

 

多くの人はそれを信じてるし。本当に正義の味方かどうか、検証する方法はないんだから。やろうとすると、三井さんみたいになっちゃうしね」

★抜粋終了

 

実際に検察に捕まってむちゃくちゃにされた人だから話が早い。「無罪だろうが有罪だろうが検察は正義の味方」てのは分かりやすい。

 

このあたり、今でも警察が正義の味方とか裁判は正義を実現する場所なんてロマンチックな妄想を描いている人もいるようだ。

 

ほりえもんが警察に捕まればそれだけで「悪い人」と思い込み、白バイがマイクロバスに後ろから突っ込んだマイクロバスの運転手が有罪になるような国で、何を正義のどうのと思い込めるんだろうね。

 

正義とは一人ひとり尺度が違うってのを理解出来ない人に限って「自分の正義」を他人に押し付けてしまうのだから困ったものだ。でもってこんな自分の正義を信じる人たちが集まって検察を構成しているとなると、怖いですぜ。

 

ここにも面白いコメントがあった。

 

内憂外患から抜粋開始

 

麻生政権誕生時に私が予言したことが現実になった。「麻生政権は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露する以外に生き延びる術はない」と言った事がその通りになった。

(中略)

 

検察は悪い人間を捕まえる捜査機関ではない。時の権力者にとって障害となる人間を捕まえるところである。

 

ロッキード事件が端的にそれを物語っている。55億円の賄賂が海外から日本の政治家に流れたとされる事件で、解明されたのは田中角栄元総理に流れた5億円だけである。後は闇の中に消えた。

 

ところがこの事件を「総理大臣の犯罪」に仕立てて大騒ぎし、解明されたと国民に思わせたのは検察とメディアである。

 

「本ボシ」は今でも偉そうな顔をしてご活躍だ。

(中略)

 

アメリカ大統領選挙を見れば分かるが、政治家にとって重要な能力の一つは金を集める事である。オバマがヒラリーに勝ったのも集金能力であった。

 

政治資金は政治家の力量を計る物差しというのが民主主義国家である。ところが日本で「金権政治家」は悪の代名詞だ。

 

なぜなら戦前から官僚機構は力のある政治家を排除する論理として「金権政治」を使ってきた。

 

星亨や原敬など、明治、大正時代に官僚と戦った政治家はみな官僚から「金権政治家」のレッテルを貼られ、新聞に批判されて、憤った国民に暗殺された。

 

官僚機構が権力を脅かされると「カネのスキャンダル」を持ち出すのが昔からの常套手段なのだ。

★抜粋終了

 

だから正義の味方のような顔をして「汚れたカネ?嫌だ〜」などと言う人間に限って実はあんまり社会を理解していないし結果的に権力のお先棒を担いでいるのだと言うことを理解してほしい。

 

今日になってもう一つ大きな事実が出てきた。

 

政府高官が西松建設の巨額献金事件に絡み「自民党に及ぶことは絶対ない。金額が違う」と記者懇談会で発言をしたのだが、この高官が漆間官房副長官であり元警察長官である。

 

だって。

 



tom_eastwind at 13:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年03月07日

真夏の夜の夢

ここ数日のオークランドは湿気も高くてちょいと暑苦しい。とは言っても25度くらいなので、日本の皆さんからすれば「何を言うか!」だろうけど、ここ数ヶ月体内温度が上がったのか、何故か暑さを感じる。

 

最近奥さんが大バーゲンで買った大型ベッド(竜馬と3人で寝れる)は、たぶんお店が現金欲しさに行った店頭商品の5割引だってようで随分安いのだが、何せベッドルームそのものが蒸し暑くて僕にはちょい眠れない。

 

かと言って扇風機を回すと今度は寒いので布団を被るのだが、そうすると今度は湿気が溜まるので暑苦しい。ああ、めんど。

 

だもんでうつらうつらしながら30分寝てはまたうつらうつらとするので、夢と現実の境がdandanなくなってくる。

 

今見てるのが夢なのか現実なのかよく分からない中で、今日の頭の中のテーマは小沢さん。

 

なるほど。

 

今回の小沢さん騒動では色んなブログを読んだけど、ブロガーの期せずしてこれが一番しっくりいった。

 

抜粋開始:

「もう自民党の総裁選なんて見たくないというのが国民の大多数の思いだろう。内閣支持率が回復しないといって解散せず、このままいたずらに時が過ぎていくとすれば、それこそ国民に侮られる政党に成り果てる。 」

抜粋終了:

 

http://ameblo.jp/aratakyo/

 

永田町異聞と言うブログで、政治ネタを良く読ませてもらっている。

 

そう、彼も言うように、今回の一番の目的は、自民党を「国民に侮られる政党」にすることではないか。そして同時に民主党も「カネまみれの政党」にしてしまうこと。

 

今回は国策捜査という話も出ているし、僕もそうだと思っている。どんなに形を取り繕っても、あれは国策でしょう、と夢の中で話が続く。

 

国策捜査ではないと言う人の理屈は、カラスに白いペンキをかけて、「あれは白いから鳩だ」と言うようなものだ。通んねえよ、そんな理屈。

 

もちろんこれが自民党による小沢追い落としであるのは分かっている。けど小沢クラスの大物を落とすなんて、どっかの政党のトップクラスがOKを出さない限り、特捜でも絶対に動けないのはギョーカイの常識。

 

大体小沢さんがやっている献金の経理方法は自民党の方がよっぽど多いのだから法の元の平等と言うなら全員「たい〜ほ」でなければおかしい。彼だけを狙い撃ちする今回の目的は?

 

本音を書けない新聞記事や主観記事を書くブログを読みながら次第に見えてきたのは、僕の夢物語主観。

 

もしかしてこれって、国民を次の選挙でも「選挙嫌い」にさせる方策ではないの?などと夢の中で思う。

 

今回のどたばた劇でますます有権者は自分が一票を入れる党がなくなって、そうなると組織票を持ってる公明党が強くなる。

 

だから普通に考えればこれは自民党の延命策。

 

けどそれを見た国民は、「もういい加減にしろ!お前ら政治家は誰も皆嫌いだ!」となる。

 

そう、そこがポイントではないか。

 

好きでも嫌いでも選挙は行われる。ところが国民は、あんまり馬鹿らしいから選挙に行かない。

 

その結果どこが勝っても構わないが、少なくとも国民は政治に益々興味を失う。

 

なんで小沢さんがクリントンと会った数日後にこんな事件が起きたのか?

 

自民党が勝とうが民主党が勝とうが構わない。要するに国民が政治に目を向けなければ誰が一番得をするか。

 

国家としての利益を語る人がいなければ、その国では個人の利益に終始する人ばかりになる。そうなると個人の利益を主張する人は全体の利益を主張しないから、外国が個人と組むことで結果的に外国から各個撃破される。

 

そうなって一番得をするのは外国である。だって日本の一番美味しいところを食えるんだから。てか、食い続けられるんだから。

 

これ、幕末の黒船から明治維新に繋がる流れと同じジャンか。江戸幕府に付くフランスと官軍(反乱軍)に付く英国みたいなものだ。

 

今の状態で自民党が敗北して民主党を中心とするグループがナショナリズム=愛国主義を持ち出して米国批判を始めたらどうなるか?

 

ならば今のうちに政局を無茶苦茶にしておけ。誰が勝っても愛国なんて言えない状況にしておけ。

 

最近米国は、米国内での暴動を抑える為に緊急出動部隊を米国内に編成した。この目的は今回のような金融危機で万が一反乱が起こった際の「制御」である。

 

考えて見れば何時の時代も、植民地と呼ばれる地域ではある日何かを理由に暴動が発生して、それがいつの間にか革命に繋がることがあった。

 

今の米国の植民地である日本の閉塞状況が地下深くに溜まるマグマであれば、これがいつ爆破してもおかしくない。突然民族主義が出てきて、本気で米国からの独立を目指すかもしれない。

 

そうさせないためにはどうするか?答えは簡単で、各個撃破、つまり徒党を組ませないことだ。

 

それが一番効果を出すのは、国民が政治に無関心になることだ。

 

最大野党の党首が退陣の危機に追い込まれ、それが国策捜査となれば、誰しも呆れるし、もういいや、お前らなんて口も聞きたくないとなるだろう。

 

繰り返すが、そうやって一番儲けるのは誰だ?そう考えると今回の小沢騒動は、全く違った一面を見せてくるのだ。

 

などと夢の中か現実か分からないままに朝を迎えた。

 

まあ現実的には自民党が勝ち残りたい為に小沢に手をだしたし、政治的混乱は支配者にとって都合よい状況なので米国も余計な手出しをしないくらいかもしれない。



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2009年03月06日

日本がまた大変なことになっている

「森法相は6日の参院予算委員会で、民主党の小沢代表の秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕され、同党幹部が「国策捜査」と批判していることに対し、「政治的意図を持って捜査を行うことは、決してありえないものと確信している」と反論した」

 

嘘をつくのもいい加減にしろって感じだ。国策捜査なんて年中やってるじゃないか。外務省の佐藤優だって鈴木ムネオだって植草事件だって、全部国策捜査じゃんか。

 

今回は瀕死の自民党が最後の最後になって仁義なき戦いを仕掛けてきたのだけど、相手方の大将に対して国策捜査でしょ。これだけはやっちゃいかんだろ。

 

国が一部の者の権利を守る為だけに最後の権力を使って相手を叩き潰せば、今後は誰でも政権を取った人間が野党に対して暴力を振るうことを認めることになる。そうなると国が割れるよ。

 

戦後すぐの時期に日本を二つにしようと言う流れがあった。その時にもしかしたら北海道はロシアに取られていたかもしれないし、本州は米国の領土になったかもしれない。

 

操作の相手が元外務省の佐藤優とか経済学者の植草さんとかならばまだ理解出来る部分もある。時に政府は大きな利益の為に小さな犠牲を求めるものだし、その端的な例が国民を兵隊にして戦地に送り込むことだから、ああ、やったなってことになる。

 

だから僕は国策捜査を全面的に否定しているわけではない。時には必要だろう。

 

しかし今回のは違う。政権与党が自分の既得権益を守る為だけに野党党首を追い落とすとなれば、それは一種の政府によるクーデターである。

 

元々民主義のない国ではあるけど、それでもやって良い事と悪いことがある。

 

政治はあくまでも政治で議論すべきだと言う立場があるから、たとえ共産党でも堂々と自分の意見を言えるのが日本だ。

 

ところが今回のような国策捜査をやってしまえば、まず最初に問題になるのが次の選挙で民主党が勝った場合に民主党が国策捜査をやって自民党を叩き潰しても、自民党には何の対抗手段もないという事だ。

 

そして検察や裁判所だって、いつ政権党がどんな国策捜査をやるか分からないから、いつも権力におもねることになる。その結果として政権を取った党が独裁主義となり、そのような独裁主義は確実に抑制が効かなくなってその刃を国民に向けていくと言うことだ。

 

これで将来に向けて政治的核爆弾の使用を誰にでも認めたと言う事になる。

 

これからどのような流れになって、結果的に小沢が退陣するのか残るのかは分からない。しかし今回の国策捜査だけは、今までは喧嘩しながらも何とかお互いに「まあ日本人じゃないか」と言う部分があったのに、それが全部吹っ飛ぶと言うことだ。

 

そういえば先週竹中元大臣と国民新党の亀井さんがテレビで議論をしてた。議論の殆どは亀井さんの無知無理解による一方的負け。

 

ところが亀井さんもいきなり最初から竹中さんに向かって「あんたの事は調査している。検察に訴えるよ」と、その時はぎろりとした目で睨みつけたのだ。

 

まさしく、民主主義がないのは分かっているがそれでも村意識で皆が助け合うと言う部分があったはずだ。

 

それがこのような政治家による脅迫、どころか実際に検察を動かして野党党首の秘書をいきなり逮捕である。

 

経済の落ち込みがどうのこうのという問題を飛び越して、完全に政局になってしまった。

 

誰かが最後に落としどころを準備しているのかもしれないが、毎日倒産する日本の中小企業からすれば、まさに「ふざけんな!」と言う気持ちであろう。

 

こんな事ばかりやってると、今年は日本でも国民による暴動が起こるのではないか?

 

本気でそう思った小沢下ろしである。



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2009年03月05日

萎縮する人々 3

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彼女は、

「いえ、貴方一人を認めると他の全員も認めるようになるでしょ、そしたら今日貸したお客さん全員払い戻ししなくちゃいけないんですか」と、だんだん愚痴のようになってくる。

 

 

なるほど、この人、昔は素朴に商売やってたのが、何時の頃からか都会から来るモンスタークレーマーに悩まされて、たぶんお店も被害を受けたんだろうな。それでこんな契約書作ったんだなと再認識。

 

「いやいや大丈夫、この話のポイントは予見出来るかどうかです。貸した時点で山が開いてればあなたに返金義務はない。借りるほうも山の天気が不安定と言うのはお互いに共有する常識ですからね」

 

「午前中借りたけど雨で使わなかった、午後使おうと思って山に行ったら閉鎖だったので払い戻しをしろってのは通りません。だって借りた時点ですでにリスクは店から客に移動しているのですから」

 

「けど、もし今お客が来て山が閉鎖していることを伝えずに貸してしまえば、あなたは相手が希望することをかなえることが不可能なことを予見できたのに告知しなかったと言うことで問題になりますよ」

 

こんな風に順々と説明をしていった。

 

それでも彼女はやはり他のお客にこんな話が広がってしまえば、それがモンスタークレーマーの耳に入ればどうなるかと不安な様子。

 

一体誰が、何が彼女をここまで不安にさせているのか。それが現代の「オレだけ良けりゃいい」、つまり日本的なお互い様社会が崩壊し始めている証拠なのだ。

 

次に彼女は少し緊張した顔でこっちをじっと見ながら親からもらった大事なものを守るように、

 

「けど、お金の払い戻しはしませんと書いてるのはOKですよね。だからもし明日もリフトが停止したら、あなたはお金を払い戻ししろって言うんですか?」

 

こうなると彼女はもう僕をリピーターにしようなんて考える雰囲気は全くなく、とにかく今のお店の立場を守るのに一生懸命だ。

 

昭和の時代は、みんなもっとおおらかではなかったんかな。

 

しょうもない文句を言う奴には、お店ではなく同じお店にいる客が「お前、ばっかじゃないの」と、社会のバランスを取ってた気がする。電車の車内で騒いでる子供を他人が叱るようなものだ。

 

けど今の時代にはそれは通用しないようだ、悪い意味での「お前には関係ねーよ」と言う個人主義と「お前が悪いんだよ」って顧客神様主義がはびこっている今の日本。

 

「あいつがOKなのになんでオレがだめなんだ!」彼らなりの独自理論である横並び平等、一人に認めたら他の人にも同じようにしないといけない、だから払い戻ししないのは自分を守る最後の砦、そんな感じの雰囲気がびんびんと伝わってくる。

 

一体この田舎の地域社会に何が起こったのだろう。

 

僕は出来るだけ分かりやすく説明した。

「あのですね、他の人と僕を区別する場合は、最初に言ったように貸し出し時間を基準にするんです。」

「貸し出し時点でリフトが開いてれば、その時点でリスクは相手側に渡ったと解釈しても問題ありません」

「あなたが抱えてる束のような伝票の人がもし僕のケースを、僕は他の人にいう事はありえないけど、もし問題になったら、僕が全員に向かって説明しますよ」

とにかく今は彼女の不安を取り除くこと。

 

けど正直言えば、その時点で僕としては家族4人分14240円のレンタル費用よりも、彼女を通して感じる「今の日本」の方に完全に興味が移っていた。

 

色々と説明するうちに彼女は少しは不安を解消したみたいで、それからは少し話が前に進み始めた。

 

「けどね、あなたが明日もスキーを使って、それでもし明日も山が閉鎖だったらお金を返せって言うんですか?」

 

すこし上目使いに聞く彼女の話をすこし寂しく聞きながら

「それは要求しません」と言うと、何故か最後の力なのか彼女が反論した。

 

「ほら、最終日に返金を求めないなら、最初から返金なんてあるわけないでしょ!」

「あのですね、僕は本来この場で板を返して返金を求めても良いんです。けどそれでお互いの間に何が残りますか?」

「これが僕にとってはあなたとの妥協です。明日山が閉鎖されて滑れなくても払い戻しは要求しません。これが僕からあなたに対する気持ちです。明日も山が閉鎖されるかもしれませんが、そこは私がリスクを取ります」

 

それで結局彼女は次第に目を伏せながら、「そうですよね、そうですよね、はい、じゃあこの貸し出し伝票に私がこのこと書きます・・・」と、自分で自分を納得させるように太字のマジックをポケットから取り出して、延長料金は無料と言うことを小奇麗な字で書き始めた。

 

あの太いマジックでよく書けるなと思ったくらい素直な文字で、それが更にこっちの心を痛めた。

 

あああ、日本は何を失ったんだろう?

 

彼女が最後の余白に自分の名前を記入するのを見ると、僕は「ペンを貸してください」と言った。

 

怪訝そうな顔の彼女の前で、彼女が書き込んだ名前の下に僕もサインをした。

 

不思議そうな顔の彼女の前で僕は彼女に言った。

「契約書をもらうんだったら、ここまでした方がいいですよ。だってあなたの書いたことを僕があとで認めないでカネ返せ!って言うかもしれませんからね」

 

木曽路の終わりの白馬八方では古き長き昭和が終わり、ある人々は生き残ろうとし頑張り、ある人は古きよき昔を守ろうとして・・・。

 

彼女は雇われかもしれないし(ちっちゃい子供を遊ばせてるからそうは思えないが)、彼女の親父の時代には心に余裕のある人々が板を借りていたんだろう。

 

その時代には、借りるほうは「お借りしてよいですか?」だし、貸す方は「良ければご利用下さい」のはずだったのではないかと思う。

 

誰だ、こんな古きよき時代を吹っ飛ばしたのは!

 

こんな田舎にまで日本の悪影響が出ている。そんな事を感じたある日の出来事でした。

 

僕が考えすぎなのかもしれないけど、今までの経験で言えば社会が変わるときは末端の無意識の中に変化が出てくる。それを感じたのだ。

 

翌日は晴天で、朝一番にスキーショップに行くと昨日の彼女はまるで何もなかったのように明るい声で「おはよう御座います!」。たぶんこれが彼女の普段の顔なんだろう。

 

子供はお店を走り回り、ショップの店員のお兄ちゃんは子供と遊んだりお客のレンタルスキーのチューンアップをしたり。

 

僕はこの日思いっきり一日滑りまくった。リフトを乗り継ぎ頂上まで行き、そこから一気にダウンヒルやってみたり、昼飯抜きにして他のコースに入ってみたり。とにかくくたくたに疲れた足を引きずって家族4人でレンタルショップに戻ったのは4時過ぎだった。

 

お店に戻り道具を返すときは昨日板をチューニングしてくれた、お店の写真に出てた人だった。

 

それから少し店の中を見て回る。お、スキーパンツがバーゲンになっているぞ。普段なら4万円くらいするのが9800円。今の時期にパンツ買う人もいないだろうし、来期では型落ちなんだろう。それなら今のうちに現金に変えてしまえってことだな。

 

こちらも田舎に来てまで理屈を振り回してお店の人を不快にさせたって気持ちもあるので、だったらいいや、ここでついでに買っていこうと、僕と奥さんのパンツを購入。それから竜馬のサングラスとその他小物。全部で2万5千円くらい。

 

レジがまた偶然に昨日の彼女。今回もにこっと笑って足元にまとわり付く子供を「ほら、お母さん仕事だからね」と言いながらレジを叩く。

 

「袋は一つでよろしいですか〜?」

「はい、大丈夫ですよ」

「どうもありがとうございました」

 

そうやって僕ら家族はホテルに戻った。

 

みゆきとお母さんは昨日僕が話をしていたことをずっと横で聞きながら、彼らなりにいろいろと考えてたようだ。その晩の食事のネタは「貸す責任と借りる責任」についてで話がはずむ。

 

奥さんは香港、てか中国感覚で考えるし、みゆきはNZと香港の感覚で考える。竜馬?むしゃむしゃとステーキにかぶりつくだけ。

 

家族でいろんな経験をする。同じ体験をしてその中で親の考えを子供に伝えて行くってあるよね。萎縮する日本。これからも日本人はますますモンスターになっていくのだろうか。

 

片方では権利ばかり振り回す非常識なバカ連中。

 

その反対側ではマスコミや大衆に振り回されて行き場に迷う企業。

 

実は10年前から地元の日本人向けパッケージツアーではそういう非常識が広がっていた。

 

大手旅行会社のパックツアーでオークランドの市内観光をするとき、当日の道の混み具合で見学地の順番を変更したり、雨が降れば行っても無意味な場所があったりするが、その会社は何があっても校庭変更を許さない。

 

「どうしてですか?お客様の都合を考えれば変更する事が最善だと地元の僕らからすれば分かりきったことではないですか。お客に許可を貰うのもこちらですから、貴方たち机に坐っている人には関係ないでしょう」

 

「いえ、お客に渡した日程表が契約書ですから、それ以外の余計なことは一切しないでください」

 

「それがお客様のためにならなくてもですか?」

 

「そうです、それが契約なんです。嫌ならこの仕事から下りてもらって結構ですよ」

 

世界中で同じようなことが起こり、あいも変わらずお土産屋の手数料で赤字を黒字にする体制だった為にお客様離れを起こしてしまい、結局大手旅行会社はどこも今危機に陥っている。

 

自分で自分の首を絞めるバカが増えてくれば、本当に住みにくい、誰もリスクを取らない衰退する国になっていくぞ。

 

 



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2009年03月04日

頂上にて

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僕は話を始めた。

 

「この契約って何のために締結しているかお互いに了解してますよね?それは大前提がスキーをすると言う目的ですよね。まさか魚釣りに行く為に借りたとか、僕がこのまま板持って長野新幹線で羽田まで出てって北海道に飛んでニセコでスキーするって思ってるんじゃないって、お互いに社会通念として了承してますよね。」

 

「でもってこの契約を交わした時点ですでにリフトは止まっていた。あなた方は地元でサービスを提供する立場なんだから、当然強風を予見出来るどころか、貸し出した時点で確認すればリフトが止まっていたことなんかすぐ分かりますよね。または少なくともリフトが止まることがよくあるような山なら、お客に事前に告知する義務があると思いますよ」

 

するとお兄さんが「ちょっと待ってください」と上司を呼びに行った。

 

1分もかからずに表に出てきた40歳くらいの女性は(近くで耳だんぼしてたと思う)「はい、私が責任者ですけど、彼の言ってるとおり契約ですから」の一本やり。最初は下向いて、そのうち、まるで「何で私がこんなこと言われなきゃいけないんだ」と言う、少し泣きそうな顔つきになってきた。

 

どうして?自分が正しいと思うなら堂々と論理を説明すれば良い。それだけの事なのに、まるで親に叱られた子供が、本当は友達の方が悪いのに僕だけ怒られたのはおかっしい、けどうまく言葉に出して言えないって雰囲気なのだ。

 

なんでよ?不思議な感じを受けたのだ。こりゃ普通のビジネスにおける話し合いって展開にならないかも。

 

こちらは続けて、

「契約とはお互いに誠実に守ることが大前提であり、例え契約があってもそれが虚偽や錯誤の誘導に基づいて作成されたものであればそれは無効ですよ」

 

「告知義務と言うのは情報量の違いが契約当事者にある場合、つまりこの場合で言えば地元のレンタルショップとレンタルショップを使う遠方の客とに圧倒的な情報の違いがあり、それが利用者に不利をもたらす場合、それを説明する義務が貸し出し側にあると言うことです」と、普通に正論を伝える。

 

これは僕が30年位前から叩き込まれた理論だ。旅行業界においては常識で、守っているかどうかは別にしても情報の非対称による告知義務を怠れば、これは情報量の多いほうに責任があるのは社会通念である。

 

例えばオーロラを見に行くツアーで「オーロラ見れます!」と書いてて、現地に行くと大吹雪で全然見えなかった場合は旅行業者の責任である。

 

この場合「オーロラを見れる場所にご案内しますが、見れるかどうかは天候次第です」が正しい表記。

 

そうでなければ、多分吹雪くだろうね、ダメだろうねと分かっている時期にオーロラを見るツアーを売りつけた挙句に「おや?おたく契約しましたよね、何が問題ですか?」と言うことになる。

 

クーリングオフと言う概念もこのあたりから出てきてると思う。契約観念の上ではお互いが平等でなければいけない。

 

このあたりになると責任者さん、実は人の良さそうな女性で、実際にレジの後ろ側では3歳くらいの彼女の子供が二人走り回っているから、たぶんこのセンターのオーナーなんだろうけど、だんだん話しのポイントが「全員の平等がですね〜」にずれてくる。

 

少し悲しくなる。

 

この人はたぶんこの雪山に生まれて毎年冬になると父親と共になじみのスキー客を迎えて、そのうち親のロッジとかセンターを引き継ぎ、地元で幼馴染と結婚して幸せな生活を送っていたのだろう。

 

昭和の後半にスキーレンタルをする人は、レンタルして数時間滑って山が閉鎖になっても「おい、オレは一日料金払ったのに3時間しか滑らなかった!だから時間割で払い戻せ!」なんてキチガイのようなことは言わなかった。そんなきちがい客がいない時代に育ってきたのだろう。

 

「山はすごいよね、この天気。今日借りたけど使えなかったから返すわ。じゃまた明日ね」

「え?今日は使わなかったのかい。だったら御代はいいよ、明日使ってよ」そんな、お互いに相手のことを思いやる文化のあった時代に育った彼女には、最近の変化はついていけないのかもしれない。

 

ところが時代が変化してきて、例えば

 

1・板を借りたのは午前中だけど滑ってない。午後山に行ったら閉鎖だったので払い戻せ。

などはまともなほうか。

2・板が悪くて自分のスキーが出来なかった。払い戻し及び慰謝料を請求する。

これは異常に近い。

3・お前の板が悪くて制限コースに迷い込んで救助費用を請求されたよ!お前が払え!

これくらいが今の平均的東京人か?

 

彼女は自分の商売を守る為に幼馴染に相談したのだろう。そこで契約書というものがあることを知った。

 

よっしゃ、契約書を作れば私の会社は訴訟されない!そう思って彼女は英語と日本語の表記が入った複写式の契約書を作り、これに利用者が署名するようにした。

 

たぶん「契約書がすべて」とどこかの弁護士か誰かに教えられたんだろう。それはそれで一つの事実なんだけどね。

 

けど、告知義務や契約の前提である遂行意思などを持ってこられたら契約書自体が紙切れになることを彼女は知らなかった。今のような時代って、子供の頃から何にも考えずに毎日スキーばかりをしてた人には生き辛いだろうな。本気でこっちが胸が痛くなった。まるでこっちがいじめっ子になってる気がしてしまった。

 

長くなったので、また続きます。

 



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2009年03月03日

萎縮する人々

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今回の旅で官製不況というのをつくづく感じたのが小売業、特に特定の固定客を持たない小売業が思いっきり販売に関して萎縮しているってこと。

 

簡単に言えば、消費者がモンスターになってしまい何かあったらすぐにクレームを付けられる為に、販売する会社側がびびって、とにかく顧客へモノを売るサービスよりも自分の企業を守ることを優先しているってこと。

 

だってあれだけマスコミが罪のない企業を叩き、その結果として販売不振だけでなく、クレーム処理の為の費用をどれだけ払ったことか?中にはマスゴミ攻勢で首を吊った老夫婦もいるってのに、マスゴミは何もなかったように口をぬぐって次の餌を探しに行く。

 

マスコミって一体何だ?やっぱり視聴率や配布数の為に魂を売った悪魔のようなものだ。

 

白馬でちょいとしたことがあってマスコミと役人が作り上げた官製不況を肌で感じた、と思う。日本で毎日仕事をする人には分からないだろう。そんな事で?と思う人も多いと思う。

 

けどぼくは昭和後半の日本を見てきており、それから浦島太郎状態だったのだから、頭の中は昭和が残っている。

 

茹でカエルの法則だろうけど、時々熱いお湯に指を突っ込む立場の僕からすれば、「あれ〜?以前はこうじゃなかったよね」と言う感じだ。

 

日本で毎日仕事をする人たちから見れば何の疑問もないことかもしれないけど、いずれにしても書いてみる。どう思うかは人によって随分違うと思うので色んな意見があって良いと思う。

 

2月のあるスキー場のレンタルショップにて。

 

このショップはスキー場のビジターセンターも兼ねているのでスキー道具販売とかカップラーメン、飲み物、アイスクリームなども豊富に揃っており、天井の高い広い店内で全部で10人くらいの若いスタッフがきびきびと働いていた。

 

この日、午前中はリフトが動いていたものの雨が強くて滑る気になれず部屋でごろごろしてて、雨が抜けて晴れになった12時過ぎに「よっしゃ行こう」という事になった。

 

ホテルの目の前のビジターセンターを訪ねる。靴のサイズは?と聞くお店の人に「6!」と答える竜馬の元気さに呆れながらレンタル開始。そうは言っても世界中の靴のサイズの世界標準がないほうがおかしいから、もしかしたらりょうまの方が正しいかもしれん。

 

お店の人が3人がかりで僕ら4人分のレンタル道具を手際よく準備してもらい15分くらいで片付き、更にホテルから来てる人用の10%割引までこっちが何も言わないのにやってくれた。こっちゃそんな割引があることさえ知らんかったぞ。ありがたいものだ。しかしその理由は後で分かる。

 

レンタルを手伝ってくれた3人のうちの小柄な一人の顔、僕のスキーをチューニングしてくれた人、あとでセンター内に張り出された大きな写真の中のオリンピック参加者に全く同じ顔の人がいたのには驚き。それだけ地元の人が集まって経営されている店なのだろう。うれしいな。

 

問題はその後だった。

 

12:30 センターでレンタル開始

12:45 道具終了、書類の記入開始。4人分の番号から免許証コピーまで取る。一応言えば僕の免許はNZなのだが、彼らはそれでもOKとのこと。

13:00 すべて終了して山の麓のリフトまで歩きだす。「行ってらっしゃい」の声に送られて。

13:05 リフト到着

 

リフト横で板をがちゃがちゃ言わせながら子供たちを待たせてリフト券を買おうとリフト券小屋に行き、アクリル製の仕切りを見ると「この山強風で閉鎖してます」だって。はあ?強風ですか。

 

アクリルの向こう側にあんまり生活の苦労感ないままぽかっとセーターを着込んでいる、いかにも地元のお嬢さんと言う感じの若い女の子に「いつから止まってるんですか?」そう聞くと、もう30分以上止まっているそうだ。

 

そうこうするうちに受付にかかってきた電話を聞いてた係さん、僕の目の前でおもむろにアクリル板に貼ってた紙を剥がして唯一開いてた一番右側のコースも消しこんだ。でもってさらりと、

「あ、これも今閉鎖になりました」

 

他に居あわせたスキーヤーも、「こりゃダメだ」と引き返し始めた。八方は一度風が出るとリフトは殆ど止まるそうだ。その理由も翌日載ってみて分かった。

 

多くのツインリフトにスキー客の前に降りてくるはずのセーフティバーがないのだから背もたれの付いてるブランコ状態。強風が吹けばスキー客が落ちる可能性が非常に高いのだ。セーフティバーのないリフトなんて見たことなかったからびっくりした。

 

りょうまくんはこれを見てけらけら笑って大声で「No Protection !」と叫んでた。

 

そんな事はその時は知らない僕は「今後の見通しは」と聞くと、いかにも地元のお嬢さんって感じの受付係はブースの中からちらっと山を見上げて、「あ、今日はもうムリですね。これからもっと風が強くなります」だって。(これが僕がこの時にこの子地元って思った瞬間)

 

でもって八方の山のリフトはほぼ全部停止状態で、開いてるのは山の一番下にある子供用のソリだけみたいな状態。

 

仕方ないのでこの日は戻ることにしたのだけど、ここから話が始まる。

 

とぼとぼと5分歩いてセンターに戻り受付で「山に行ったらもう閉鎖してましたよ」と声をかけると、その先にいたのは先ほど僕らを担当してくれた人ではない。

 

多分お昼ごはんに行ったのか、他の人がいて、僕はその人にもう一度普通に声をかけると、その真面目そうで長髪な彼、一瞬どきっとしたような雰囲気で下を向いて「ああ、そうですか、返却ですね!」と妙に声を明るくかけてきた。

 

あれ?

 

「いやいや返却じゃなくて、今日は使えないから明日まで預かっててもらえばと思ってるんです。折角板調節とかもしたので、これ返却して明日また新しいのを借りて調節もお互いに面倒ですからね」

 

「なるほど、では延長ですね・・」上向けよ。

 

かちんと来た。

 

「いや、呼び方は何でも良いけど要するに今日は借りたけど滑れなかったからこの板を良ければ明日も使わせてくれってことですよ」だんだん大きくなる僕の声。

 

「では延長ですね、えっと、追加料金がですね・・・」だんだん小さくなる男性の声。

 

「あのですね、使えなかったんですよ、使わなかったんじゃなくて」日本にいながらモンスターなんて言われたくないし、みゆきと奥さんが後ろにいるからますます気を使う。あ〜、肩の力の調節が難しいぞ。

 

「いえ、それはもうお客様のご自由で、使えなくても使わなくても、契約書にありますとおりお支払い義務はございます」

 

何?話し合いの余地もなくいきなり契約持ち出したぞ。ほうほう、こりゃいいや。後ろにいる家族に気を使わなくても理論的な話し合いが出来る良い展開だな。

 

ビジターセンターの元スキーヤーの皆さん、長野の白馬の山の中で契約書を持ち出したんですね、なるほど。午後は長いしこちらもどうせ山が閉鎖ですることもないんだからゆっくり話しましょうね。

 

長くなったので明日に続きます。



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2009年03月02日

Chicken on the Paper !

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日本滞在中の小話。

 

ホテルで横になり手元の日本円を計算していると、りょうまくんが横に来て何気なくお札を眺めて、突然けらけらと笑い出す。

 

Chicken on the paper!」

 

鶏?

 

一体何のことだと思って日本円の一万円札をもう一度良く見ると。

 

なるほど、鶏がいるではないか。

 

そう、これは一万円札に印刷された鳳凰の図柄の事を言ってるのだ。

 

けどりょうまくんは鳳凰なんて知らないし、キーウィなのでどうしても「CHICKEN」となってしまうのだろう。

 

毎日生活をする中で当たり前のようになっていることでも、キーウィの竜馬君から見れば全然違うものに見えるのだな。

 

それにしても鶏と紙かよ。ある意味紙幣の本来の価値を良く理解しているかもしれないな。

 

そう、紙幣とは紙切れであり、そこに鶏を書いて人々に「信用しろよ」って言ってるんだから国家ってのはたいしたもんだなと思う。

 

けどそれにしても紙切れに変わりはない。

 

だから国家としては信用を守る為にお札に関しては厳しくルールを適用している。偽札等を作ったりすると重い罪になるのもそれが理由だ。ちなみにこれ、3年以上って意味は執行猶予しませんよ、確実に実刑ですよって意味。

 

148条(通貨偽造及び行使等)
[1]
行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は3年以上の懲役に処する。
[2]
偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。

 

だからお札は冗談でもチラシに印刷などしたりするとそれだけで違法である。冗談通じねえなとか言ったりしても、はいその通り、お札に関しては冗談では通用しないのです。

 

けどまあ、お札を見たらそれだけですごい!なんて思うんじゃなくて、本当は紙に書いた鶏なんだってことを時々思い出すほうが健全ではありますね。



tom_eastwind at 22:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年03月01日

よく晴れた朝は社会主義

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晴れた日曜日のすがすがしい朝は「資本主義」を考える時間として丁度良い。

 

もちろんこんな事は普通の人が普通の時間に考えることではない。

 

 

そんな事を考えても今晩のおかずがメザシの焼き物から鯛の刺身になるわけではないし、目先の売上が増えるわけでもない。

 

メザシと鯛のどっちが美味しいかは別にしても、それほど「資本主義」なんてことを考えることの無意味さは、まるで階段を降りる時に右足を出しながら何故僕は右足を出すのだろう、左足を出したらどうなるのだろうなんて考えて結局は階段を転ぶようなものだ。

 

平日の昼間に仕事をしながら考えるようなことでもない。平日の昼間、仕事の真っ最中に考えても何の意味もない。

 

平日の昼間ってのは、今目の前にある「状況」をどう処理するかであり、社会の成り立ちなんて考えてたら足がもつれて「おおこけ」する。

 

だから日曜日の朝、ルーティンワークとしての仕事がない時間が、こういうしょうもない事を考える一番の時間となるのだ。

 

だけど、そんな事を時々立ち止まって考える時間が大事だとも思う。

 

誰が資本主義って言葉を最初に使い始めたか?

 

そんな議論が池田ブログでも盛り上がっているが、僕からすればむしろそこから引き起こされた共産主義、そしてロシア革命、文化大革命という現実の人間が引き起こした生の話の方に興味がある。

 

今日の朝食はインスタントラーメン。「も」というべきか。普段は出前一丁やマルタイ棒ラーメンだけど、今日は久しぶりに入手できた「博多美人ラーメン」にしてみた。五木食品という熊本の小さな会社が作っている豚骨ラーメンなのだがこれがかなり旨い。

 

MadeinNipponで一袋3ドル50セント(だったかな?)くらいで買えるのだけど、袋の中の細いラーメンが折れないように型紙を入れたり、豚骨白湯スープが余計なもの(つまりねぎ)が入ってなくて茶漉しで漉す必要がないし、気遣いを感じられる(笑)。

 

ねぎは、中途半端な乾燥ネギを入れるくらいならネギ好きは自宅で新鮮なネギを刻んで入れれば良いではないか、なんて勝手な理屈をつける。そのくせどんべえの「乾燥した揚げ」なんかは万歳!と喜んで食べているのだから自分勝手(笑)。

 

コラーゲンが1000mg入りってのは可愛い。これが博多美人になりますよって意味なのだろう。けど1000mgってのは要するに1グラムだっけ10グラムだっけ、いずれにしても少ないですよね。そこで苦肉の策としてのミリグラム適用ですか、あんまり九州人らしくないぞ。

 

小学生からインスタントラーメンを何十年も食い続けてきた僕としては、舌が麻痺している、じゃなくて味が分からない、じゃなくて化学調味料にやられている、じゃなくて、豚骨系の味がやっぱり一番しっくり来る。

 

だからと言って土曜の朝から豚骨ラーメン食うのか?って話だけど、これが旨いのだ。

 

マルタイ棒ラーメンよりも更に細麺だけど腰がある。時間があるので半熟卵を作ってみたり昨日中国のお店で買った焼き豚(焼肉のほう。豚の三枚肉を皮のほうからこんがり焼くやつ。基本的に塩味。だから甘い味の叉焼ではない)を少し入れてみたら、これがまた良く合う。

 

焼き豚からしみでたほどよい塩が豚骨の甘みの中で時々顔を出して化学調味料に麻痺した舌、じゃなくて、味が分からない舌、じゃなくて、長年ラーメンを食べ続けてきた僕の舌を喜ばせてくれるのだ。

 

美味美味。

 

こうして出来上がったラーメンをパソコンの左側に置き少しずつすすりながらマルクスに関する記述から読み込んでいく。

 

おお、そうか。マルクスも基本的には資本主義を認めていて、その延長として共産主義の提案をしてたんだな、これはうれしいぞ。

 

けど共産主義が結局神の思想であり現実の世界を不合理の感情で生きる人間には決して適用出来ないという事実は何も変わらない。

 

レーニンからスターリンあたりに行くと、共産主義が実は独裁主義と同意義になるという人間の現実。

 

であれば資本主義がいかに人々にとって社会をより良くするための装置とするか、ここが考えどころである。

 

しかしその資本主義が行き過ぎて今の米国のようになると取り返しがつかない。

 

社会が人間の進化と共に更に発展していったその基盤は、人は一人では弱いと言うことがある。虎と素手の人間が戦っても勝ち目はないが、皆が分業をして銃を作れば人間は虎に勝てる。

 

これが社会の基本である。ではその社会を発展させる為に役立つ思想をどうするかという問題になる。

 

そこでまずは資本主義(=人は働けば働くほど豊かになると言う個人の欲望をくすぐる手段)が最初に出てくる。

 

子供が自分の好きなことなら徹夜してでも遊ぶようなものだ。

 

ところがこれをやり過ぎると人が人を潰してでも自分の利益だけを増加させようとして、本来社会が虎と戦う為に持つ「助け合い」と言う機能が働かず結局社会そのものが崩壊して人間は弱くなる。

 

だからやる気とわがままの線引きをするためにキリスト教社会では個人が豊かになればそのお金で他人を助けると言う文化が出てきた。日本では皆が横一列になり、極端な金持ちもいないけど極端な貧乏人もいない村社会を作り出した。

 

ここでラーメンを半分くらい食い終わる。丼の中ほどに沈んでいた半熟卵を取り出して割るときだ。これも快感。とろりとした黄身がじわーっとスープと混じっていく様は、まさに昇る太陽がアフリカの大地を明るく照らすようだ。(たかがラーメンの卵ではしゃぐな)

 

けれど金儲けの味を知り良きキリスト信者でなくなった西洋人は「やっぱり金が一番」とばかりに目先の利益に走る。その先には結局社会を崩壊させる為の時限爆弾が転がっていると言うのに。

 

マルクスはこのあたりも理解しており、だからと言って子供っぽいやる気を取り上げてしまえば社会の成長を止めてしまうこともあるので、段階的に共産主義に近づけようという考えだったようだ。

 

ところが人はいつまでも生き続けることは出来ない。マルクスは1883年にその65年の生涯を閉じることになる。

 

ただマルクスはその中でどうやら一つの真実を見つけていたようだ。誰が20世紀を作り操り、その結果として何が起こったか。偶然にそんな文章を見つけると、どきっとする。

 

書いた人はまさかそんな事と繋がると思いもしなかっただろうな。

 

 

彼の死後、社会主義思想は世界中に広まっていくが、実は彼が一番研究したのは資本主義である。だから彼の発行した本は「資本論」となる。

 

だから資本主義の抱える時限爆弾を理解した上で、社会が熟成すれば共産主義に切り替えるべき、つまり国家による管理と言う考え方を提案したのである。

 

人間って、その内面に元々の大きな矛盾を抱えているんだな。自分が頑張ろうとする気持ちと人を助けようとする気持ちがあるときはそれぞれの力が反対の方向に向いてしまうから困ったものである。

 

けど、正直言えば東洋の世界ではすでにこの問題はクリアーされていると思う。

 

ニュージーランドで生活をしているとここは西洋人社会だからいつも感じるのだけど、この社会の人は基本的に子供っぽい。

 

このあたり、短い文章で表現することが出来ないのだけど、西洋人社会ってのはよく言えば若いけど、悪く言えば子供っぽくて、一段階の理論しか出来ない麺、じゃなかった面がある。

 

例えば鯨の問題なんか子供並みの感覚でしか理解出来てないし、考え方の違う他人と同居すると言うことも理解出来ない。

 

民主主義の発達した立派な国ではあるけど、日本の政治よりは数段程度の高い政治ではあるけど、国民自体が子供っぽいと言うのは、これは教育の問題なのか宗教や文化の問題なのかな。

 

けど少なくとも、この国ではまだ人が人を助けるだけの心の余裕もあるし、人々が優しい。それだけを見ても今の日本に比べればずっとしっかりした社会だなと思う。

 

勿論この国が危機に陥ればこんな余裕なんてなくなるだろうし、それは分かっているけど、今と言う時代を切り出して他国と比較した場合、都内で毎日ダイブで電車が止まってそれが記事にもならなくなる国よりはましかと思う。

 

日曜の朝、社会主義とか民主主義とかをゆっくり考えて見る。立ち止まって考える時間があるだけ、僕は幸せかなとも思ったりする。

 



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