2009年05月

2009年05月30日

大安吉日

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タクシー。

 

仕事で恵比寿から南麻布へ。どうも誰かがアポイントの3時と13時の区別できてなかったみたい。だから24時間制でアポ確認すればよいのに〜。未だ持って12時間制でしか頭が活動していないのか??

 

結局お客様は13:00から僕を1時間30分待って、あまりに来ないからと帰ってしまってた。他のスタッフの方に資料を渡して説明して、ぼくはとっととその会社を退散。次回の日本訪問の際にお会いするってことでこの件終了。

 

まったく〜とか何とか思いながらタクシーで来た道を戻る。三の橋交差点でタクシーを拾って三叉路を左、明治通りを天現寺交差点を右に曲がり〜の。

 

ホテルの名前を告げると30代半ばの運転手さんが「あ、あそこって確か去年オーナーが変わりましたよね」だって。口(良くご存知ですね)、心(株でもやってるのかな?)

 

そういえば去年、それまでのオーナーだったモルガンスタンレーがシンガポール系のファンドに売却したって話を聞いたことがある。

 

そんなこんなを話していると、今度はタクシーの営業時間の話をしてきた。

 

「いやね、ここ最近急に会社から営業時間を守って残業しないようにって指示が来てですね、昔みたいに水揚げが上がらない時はちょっと余分に走るって事も出来なくなって、困ってますよ」

 

どうも国交省がタクシーの営業時間規制をかけてきたようで、大手のタクシー会社は「行政指導」をそのまま受け入れて現場の運転手は大変なようだ。

 

どうもイメージとしては、東京都の初乗り料金値上げをさせた代わりに一台あたりの営業時間を短くすることでタクシー業界に新人運転手が入りやすくする計画ではないか。

 

お客の総量が変わらなければ一人当たりの労働時間が短縮されることで新たに雇用が生まれる。

 

これは経営者にも都合が良いらしい。タクシーの台数が増えると一台当たりの売上は減るものの、現場のタクシー運転手を管理する例えば配車係とか経営者の給料は運転手と言う分母が増えるので良いようだ。

 

けど勿論限界売上ってのがあってあまり増えすぎると今度は運転手自体が飯が食えなくなって「やーめた」となる。だから生かさず殺さずの台数増加と言うことになるんだろう。

 

けどまあ経営者のそのあたりの配慮よりも雇用を考えてタクシー業界に「ワークシェアリング」を導入した国交省の方が更に一枚賢いかな。

 

ホテルに着くとロビーは大変な騒ぎ。今日は大安吉日で壁に飾ってある「本日のイベントご案内」の上から下まで結婚式で埋まりそうな騒ぎである。

 

ホテルのスタッフなのか結婚式にタキシードを着てるお客なのか区別もつかない男性陣、そして花嫁衣裳を着た女性とそれを取り囲む女性予備軍及び経験者軍。

 

つまり美しき誤解の悲劇にまだ気づいてない人々の花嫁に対する賛美するようなうっとりとした微笑と、美しい誤解に気づいた人の「誰も失敗しないと気づかないのよね」という諦めに似た慈愛に富む微笑とが交差する場所。

 

6月はJuneBrideってわけでもないんだろうが、雨降りの季節に屋外結婚式もやばいので必然的にホテル、それも山手線から雨に降られずに移動できる場所ってので、限られるんだろうね。

 

華やかなロビーやバブル期に作られた豪華なゆったりした階段で記念写真を撮る人々を背中に、とりあえず僕は今日一日の仕事を終わらせたことを確認して、少しゆったりする。

 

雨の東京、それもまたよし。美しき誤解、それもよし。人生はそれの繰り返しなんだから。2分の希望と8分の失望。「あ〜あ」なんて思わずに今日を楽しく生きましょう。

 

写真は恵比寿ガーデンプレイスで回っている風車。風力発電の宣伝か?けど、綺麗でした。



tom_eastwind at 20:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月29日

香港 大分 東京 そして魚とソウルフード

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大分では今回の主目的である「魚の加工技術と流通システム改革」についての会議を行い何とか合格点を頂けたようで、オークランドに戻り次第本格的に準備を開始する。

 

 

これから先は価格調整。どんな技術も金にならねば意味はない。だからこそ誰がいくらなら買うのかという点を徹底調査する必要あり。

 

大分空港では13時30分の飛行機の出発直前に大分名物の「とりてん」と「りゅうきゅう」を食べる。

 

どっちも、空港で作っているから贅沢は言えないのだろうけど、とくに「りゅうきゅう」は、今回随分新鮮な魚を食べたせいか、やっぱりちょっとね。君らも新しい流通システムを使ってみれば?思わず言いたくなった。

 

東京に向かう飛行機は予め館内放送で「思いっきり揺れるから乗る前にトイレに行っておけよ、でないと大変なことになるぞ」と脅しがあった。

 

「大変なこと」は座席から立てずに発生する方の意味なのかトイレの中で発生すると言う意味なのか具体的な指摘はなかったから、おそらく両方ともに発生の可能性ありと言うことだろう。

 

今回は香港でも大分でも東京でも見事雨に降られた。てか、雨雲台風?大雨?と一緒に北上しているので、当然と言えば当然。出張日程を先に作って天気予報は後だったので、これは神様のいたずらか。

 

東京でも魚関連の打ち合わせ。築地近くで具体的な流通に関するお話を聞く。

 

それにしても今回はやばい。頭の中で香港と大分と東京が混在してしまってる。何か、今どこを歩いてるんだろうって感じ。

 

だいたいこうなると曜日の感覚がなくなってきて、一番やばいのは国ごとの休日が把握出来なくて変てこな予定を作ってしまうこと。

 

その次にやばいのは、食事をついつい先延ばしにして、結果的に一日何も食べずに夜9時を迎えて、あああ、そうなるともうきちんとした食事をしたくなくなるので体調に影響を与えるという点である。

 

長期的には健康面の注意が必要なんだよな。

 

やっぱりきちんと食事をする事が大事。それも自分に合ったものを食べるのが一番大事だ。

 

だから上品なホテルの朝食で白いご飯を食べても、う〜ん、やっぱり今いちなのである。勿論とても美味しいのだけど、それとソウルフードは別だ。

 

今朝の朝食会場で有難かったのは、いつもは日本式の白粥だったのが今回は中華粥に変わっていたことだ。アレは良い。お粥に滋味がある。けれどけれど、やっぱりソウルフードではないのだ。

 

僕にとってのソウルフード。それはやっぱりラーメンだろう。それもインスタントラーメンとか香港のゴムのような硬い湯麺とか豚骨ラーメンとか。

 

どうしても食べる時間や場所がないときの為に、僕は必ず旅先のコンビニでカップラーメンとどんべえを買って部屋に置くように心がけている。あれだって非常食としては役立つのだ。

 

「お前、馬鹿か!」と言われそうだけど、人類は麺類、とまではいわないけど、やっぱり僕は麺類でしょう。



tom_eastwind at 01:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月28日

大分、そしてインスタントラーメン

インスタントラーメン

 

夕暮れの街に飯を食いに出る。今日の目的地はジャングル公園横の屋台街だ。ここは昨日飲みに行った先で教えてもらった店があり、そこに行こうと計画。

 

けどその店は閉まっており、仕方ないので向かいの店に入る。けど、どこもまるでコピーのように同じなのは気のせいか?

 

店に入ると、お、いきなりマルタイ棒ラーメンがある。黄色いパッケージのオリジナル味の奴だ。それが屋台の惣菜料理の並んでる台の上に乗っかってる。

 

最近東京の秋葉原でインスタントラーメンを作る店が出来たと聞いたが、まさかこんな昭和の時代からやってる屋台街のお店のどう見ても60歳を思いっきり飛び越しているおばあちゃんがそんな斬新なことしているわけないよな。

 

思わず「これ、料理するんですか?」と聞いたら、からっとした顔で「するよ。食べるんかえ?」と聞かれた。なるほど。こっちがインスタントラーメンをメニューとして出すお店の元祖でしたか。失礼しました。

 

けどま、いやいや、今日はまずおでんとか巻貝とかで結構ですわ、ラーメンはシメなので。

 

それにしても時間の止まったような空間である。大分都町のジャングル公園の横の屋台街。全部で10軒くらい並んでいるのだけど、まさに穴場と言うかなんと言うか。

 

日本語が出来なくても飯食えるんじゃないかってくらい優しいおばあちゃんと一時の時間を二人っきりで共有しながら、大なべに入ったおでんと巻貝を食べる。

 

この貝はちっちゃいので穿り出す必要があるんだけど、このお店ではぐわっと素手で掴んだ貝をそのままお皿に入れて安全ピンを一本くれる。これでほじくりだせって事だ。安全ピンとは言っても端っこは尖ってますよね?

 

いいっすね〜、衛生基準とか安全とかを昭和中期で設定しているんだな〜、楽しい。

 

軽く飯食って体調を整えて都町に出て行く。今日は飛び込みだ。ぼくの飛び込みってのは、ビルの4階に入ってるお店のドアをいきなりがらっと開ける系なので、普通の人からすればあり得ないし、ある種の人々からすれば「何と無礼!」と言うことになる。

 

このあたりの間合いが難しいのだけど、そこを何とかうまく説明しながら「俺も人間、仲良くしようよ」とやると、10分もするとすぐに仲良くしてくれる。これが田舎の良いところかな。東京だとどこまでいってもこうはいかないもんな。田舎万歳である。

 

今晩の飛び込みは路面店であり、バーとスナックが混在するようなお店であったが、そこでもやっぱり普通にびっくりされた。

 

「あんた、何しよんのかえ_?」と言われても、え〜っと、酒のみに来ただけですとしかいいようがない。

 

結局10分ほど説明して分かってくれた後は歓待してくれるのだけど、何となく「Dance with the Wolves」状態である。

 

この感覚、分かるかな〜。

 

地域に区切って言えばデラシネ、けど地球レベルで見れば地球人なのである。

 

ふ〜。火星から地球を見ている気分だ。

 

こんな事書くと「どうして田舎をバカにするんです〜か__!!」みたいな書き込みを頂くかもしれない。

 

けど、あのね、田舎を馬鹿にもしてないし、ムシロとても良いところだとおもってる。ただっ自分が住めないと思ってるだけだ。

 

田舎出身の僕がこんな事を言うのも変な話だけど、田舎出身だからこそ言えることではないかと思う。

 

あのさ、皆さん、変化しようよ。



tom_eastwind at 02:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年05月27日

大分 そして全日空ホテル

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大分全日空ホテルに投宿。

 

 

それにしてもバーの服装って、これって何か決まりでもあるのかな。

 

大分県大分市全日空ホテルオアシスタワーと言う随分長い名前のホテルに投宿したのだけど、このホテルのバーが21階にあり、この景色が実に美しい。

 

そこで働く皆さんなんだけど、やっぱりきちっとした黒服に白いYシャツで、髪にはきちんと整髪料を付けてシェーカーを振っている。

 

なんか東京のホテルに来たのか?と錯覚させるほど雰囲気が良く似てる。酒は美味いし雰囲気は良いし。一つ違うのは景色だな。やっぱりこれってバーで働く人々の全国的な制服なのか?

 

見事なまでの別府湾の眺めと、その周囲に連なる山々。

 

目の前のジントニックを飲むのもさておいてしばらく唖然として景色を見てたら「最近は日暮れが7時過ぎなので夜景と言うわけにはいかないですね」と丁寧に話しかけてきた。

 

こっちは一人客で夕方の5時過ぎであり、なおかつパソコンをバーに持ち込んでいるのだから当然宿泊客と判別出来る。

 

「夜景と言っても東京のようなビルのライトじゃなくて住宅街ですけどね」そう言った彼の言葉の中に含まれるもの。

 

東京は大都会。大分は田舎。東京は明るい。大分は暗い。

 

けど最後に残るのは、「やっぱり大分の方がいい」と言う感じ、かな。

 

「あんた、都会の人やろう?」昨日飲みに行ったバーで聞かれた言葉だけど、これがまさに大分を表しているんだろうと思った。

 

田舎だし退屈だし毎日同じ生活が続く。けどやっぱり人が温かくて周りが助け合って生きてて、温かくて温かくて、ついつい今日と同じ生活を明日も続けて見ようと思わせる空気。

 

同じ価値観が延々と続き、人々はそれを疑いもしない。

 

こんなの東京には存在しないよね。

 

都会の何が良いのか?芸能人に会える機会が多いってか?コンビニが多いってか?実は何も良い事はない。ただ心が擦り切れるだけの毎日だ。夢が叶えば泥沼に巻き込まれ、夢が叶わなければ最低の生活に落とされ、どっちにしても良い事はない。

 

それよりは生まれ育った街でおばあちゃんや子供が居る中で、毎日平凡だけど美味しいものを食べて素晴らしい景色を見て生きていく、そのほうがずっと良いんじゃないか。

 

このあたり、まさに価値観の問題だろう。都会と田舎、どっちが良いのかって聴かれれば人によって答えは変わるだろう。

 

ただ、大分は良いところだし、そこに生まれ育った人々は、実は生まれたときから神様の恩恵を受けているんだなと真剣に思った。

 

場所が場所なだけに書けないことも多い(笑)のだが、今年は大分に来る機会が増えそうだ。

 

 



tom_eastwind at 01:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年05月26日

都会の人やろ〜 高崎山の猿

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「都会の人やろ〜」

 

そういわれても困る。生まれは同じ場所なんだから。

 

今回の仕事の始まりは大分県だ。香港から福岡に入りその晩は福岡に宿泊して翌日の朝の電車で大分県に向かった。

 

電車と言っても特急電車ソニック15号なので作りは良い。ゆったりとした座席と小奇麗な社内は実に気持ちよく過ごせる。礼儀正しい車内販売も、まるでこっちの背中を見ているようなタイミングでサービスをしてくれる。

 

子供時代は「国鉄」に乗っていたし、国労や動労のストライキを毎年春に経験して、駅の改札でたらったたと歯ごたえの良い音で切符にはさみを入れる駅員を見てたから、その時から見れば「国鉄」から「JR」への変化の凄さを実感する。

 

国鉄は明治時代に開始された公共サービスであり、エキナカで物販などは考えられない時代があった。精々が駅弁と立ち食いうどんくらいであり、サービスとは一番縁が遠い業種だった。

 

それが今では見事なまでに民間経営を導入して次々と新しいサービスを導入しており、おお、こりゃすごいなと思ってしまう。

 

今週の週刊ダイアモンドではデパート戦争を特集してたが、今強いのは鉄道系だよね。立地と信頼にあぐらをかいてたデパートは、まさに冬の時代に突入している。

 

ソニックで約2時間の旅で大分に着く。

 

やっぱりここに流れるのは大分の空気なんだろうな。

 

ホテルにチェックインしてお客様と待ち合わせ、そのまま中央卸売市場に行く。

 

色んな問題点がありながらも何とか解決しようとする人々。今のままでいいじゃないかと言う人々。

 

農業は大きな転換期に来ているな。食べ物が消費者の為ではなく流通業者や農薬開発会社の為に存在するようになって数十年。その間、食の安全は無視されてきた。

 

今回立ち上げたJBCでは農業や漁業を扱っていく。その中でもキーポイントは「食の安全と安心」である。決して大量に生産は出来ないし安定供給も難しいかもしれないけど、安全と安心にきちんとした費用を払う気持ちがある人を対象にビジネスを展開していく予定。

 

その為の大分訪問であり、現在ある技術をどう広めていくか、これが今の段階である。

 

お客様と会議を行い話を詰めて最後には食事にもご招待頂いて、非常に強い手ごたえを感じる。

 

僕らの得意とする分野は、今ある技術をシステムに導入して、システムのどこに何を当てはめていくかを考えて人間のベルトコンベアを作り上げて生産者から消費者への直結線を組み立てることだ。

 

考えて見ればこれはシステムエンジニアですな。ITで使っている意味も、元々はシステムを組み合わせるのが仕事だった。

 

色んな技術や知識を組み合わせて新しいものを作り上げる。ここに付加価値が生まれる。

 

さて、これから面白くなるぞ。

 

食事が終わり、その日は都町(みやこまち)に飲みに出る。大分随一の繁華街である。けどどうしても田舎なのでシャッターの閉まった店が多い。

 

けどまあそんな事は関係ない。楽しく飲めれば一軒あれば良いのだから。

 

4年ほど前に飛び込みで入ったスナックに、再度飛び込む。古いメンバーは殆ど残ってないから誰もこっちの顔を知らない。

 

ソファに坐って一杯目のウィスキーを飲み始めると、お酒を作ってくれた女の子がいきなり話しかけてきたのがこの一言。

 

「お客さん、都会の人やろ?」

 

ふ〜ん、大分ではそうやって地元とそれ以外を区別するのか。これが宮崎から来たお客だとどうなるんだろうな?

 

けど、別に東京から来たわけでもないし名古屋でも大阪でもなく、思いっきり田舎のニュージーランドからなんだけど、こんな場合に何て言えば良いのか?

 

ニュージーランドから来たというのが正解であっても、それがうざい。だって結局その話題にしかならないから、話の先が見えてしまう。面白くも何ともない。こっちは自分の身元照会の為に飲みに来たのではない。

 

何でこうなるんかな〜。他人のことをネタにしないと話の展開はないのか?一度くらいは「ニュージーランド、あ、そ。ところでこれが〜」で話をそらしてくれないかなと思ったりする。

 

こっちは毎日一生懸命働いて生きてるだけであり、そんな高崎山の猿より珍しいみたいな顔をされても、う〜ん、それどうなんか?

 

 



tom_eastwind at 01:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年05月25日

結納

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香港特有の叩きつけるような土砂降りの雨も夕方には止み、僕は傘なし普段着で食事会場に向かった。

 

今日は奥さんの親戚の結婚式の予備の結納みたいな位置付けで新婦方(つまりうちの親戚)の家族を新郎が招待する食事会。要するに参加するぼくにもあまりよく意味が分かっていない食事会だ。

 

香港や中国では親戚の事を普通に家族と言い、隣に住む同じ姓の人が親戚になり、とにかく地縁血縁が超複雑で、理解するのは十数年前、つまり結婚して1年ほどで諦めたことがある。

 

今回の新婦は子供の頃からよく知ってる可愛い子だ。4人兄弟の末っ子で上3人が実にしっかりした男の子で、皆元気に育ってくれた。うちの奥さんからすれば実の子供と同じくらい可愛がってた4人兄弟である。

 

そんな彼女の結婚と言うので奥さんとりょうまはオークランド、みゆきは東京、ぼくは出張の合間に香港に寄っての参加であるから、日本よりもかなり縁が深いよね。

 

身内だけなので40人程度が3テーブルに分かれて食事をするのだけど、他にもカナダからやってきた親戚もいたりして実に賑やかだ。

 

食事会はペニンシュラホテルの中華料理店で宴会場を借りてたので、みなでわいわいと騒げる。

 

最初奥さんに「ね、結婚式って何時から?」と聞くと、どうも要領を得ない。

 

「午後2時頃かな」とか「6時ころでもいいかな」とか、挙句の果てには「まあとにかくあんたは7時30分頃に来てくれればいいから」と、要するに僕は面子合わせのどうでもよい役立たずの猫状態である。

 

香港の結婚式に参加した人なら分かるけど、ありゃあ基本的に麻雀とブランディーとおしゃべりを楽しむ午餐と賑やかな夕食の合体したものであるから何時に行ってもあまり問題はない。けど8時は一応食事時間の始まりであり、この時間に遅れたりその前の写真撮影に遅れたりするのは「無礼」である。

 

これだけ自由な状態でどこに無礼が存在するのかの線引きがよく分からないけど、まあとにかく奥さんの言うとおりにしてれば間違いないと長い経験で知っているので、ドレスコードだけ確認をしておく。

 

身内の食事会なのでネクタイ不要ではあるが決してバカ騒ぎだけはしないようにとだけ言い残して奥さんは会場に先に行った。女性同士、話すことが山積みなのだろう。ならば日頃電話で喋ってることは山崩しの役目になってないぞ。てか男性と女性は一日に話す量が3倍くらい違うそうで、それが女性の長生きの秘訣になってるなどと聞いたこともある。

 

けど、彼らの話はどう聞いてもバカ話にしか聞こえずに仕方なく無視していると「だから男は退屈なのよ、何の話も出来なくてさ」となる。不公平だと感じてもまあ共産主義政権下で共産党総書記に逆らうようなもので、無駄なことはせずに素直に白旗を揚げていう事を聞くのが一番だと、これも長い人生で覚えた処世術。

 

と言うことで結納だけど、日本のように何かを渡したり貰ったりすることはない。この食事会では新郎が料理手配からお客の出迎え、写真撮影から皆を楽しませて最後に送り出しとお土産を渡すことで、新しく出来た閨閥の中で地位を確定させるのが大事な仕事である。

 

なのでこっちは気軽に飯を食って酒を飲んで皆とおしゃべりをしてれば良いのだけど、あっちからすれば長い人生の中で初めて親戚に日本人が加わったのだから、どの程度の距離を置くべきか近づくべきかを考えていたのだろうと思う。何せ初対面の言葉が日本語で「どうもどうも」である。

 

無理して日本語使わなくても良いのだけどとか思いながら、当たり障りのない話をする。

 

バカ話をするなと言われてもりょうまと僕はすることもないのでそのうちにバカ話を始める。エアギターってのがあって、ギターがないのあるふりをして踊る奴だけど、ぼくとりょうまの場合はそれがエアガンだ。

 

テーブルに隣りあわせで坐って出てくる料理を見ながら、例えば海老の塊が出てくると「Grenade!」と叫んで笑ったりしている。そのうち席が乱れ始めると立ち上がってテーブルを挟んでShotgun!とやる。

 

まあそんなこんなで香港の夜を過ごしたわけだけど、それにしても香港人、てか中国人の層の厚さを感じさせられるのはまさにこのようなパーティだ。

 

日本ではすでに崩壊した三世代同居や若者が老人を敬う習慣とか、家族が一致団結して行動するとことか、とにかく血の繋がりが強いよね。

 

もちろんそいつは窮屈でもあるのだけど、今回の新郎のようにきちんと礼儀をわきまえて挨拶をして仁義を切れば、それで仲間入り出来るのだ。でもってこれがそのままビジネス社会でも通用するんだからたいしたもんだ。

 

21世紀に中国が占める役割が巨大なものになっていくのは間違いないけど、日本も北東アジアの強力な国家と言うだけでなくその国民性で世界の中でも特殊な位置を占めることは間違いない。

 

雨上がりの夜空を見ながら、親が子供に残せるものは美田ではなく教養や知識だな、とりあえず英語、日本語、中国語だけは普通に読み書きできるだけのことはしなくちゃと、横断歩道を渡りながらも「どきゅん!ばんばん!」と騒いでるりょうまくんをみてた。



tom_eastwind at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月24日

粥麺専家

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奥さんが口を押さえてくっくと笑っている。周りの人に失礼にならないように、下を向いてくっくくっくと笑っている。

 

ここは九龍半島の付け根にあたる場所。九龍半島の付け根から北にまっすぐ伸びる一本道が香港のメインストリートとしてよく写真などで出てくるネイザンロードだ。

 

ネイザンロードの東側に隣接しているのが半島酒店、英語ではペニンシュラホテル。香港を代表する超高級ホテルで、最近は東京にも出店している。戦前の豪華な造りの本館とロールスロイスでお出迎えをしてくれるサービス、それにハイティーでも人気がある。

 

ところが香港はそんな高級ホテルの一本裏側に行くと、ほんとに突然裏通りになってしまい、そこは地元の雑多な雰囲気で包まれている。

 

そんな裏通りでは地元民向けの安いお粥と麺を食わせてくれる店が並んでいるのだが、外国人向けにも開かれているから結構広東語以外の言葉も飛び交っている。

 

大雨の降る中で足元を濡らしながらそんな店の一軒に昼前に入ったぼくらは、早速魚の頭のお粥と牛筋肉麺、それにシュウマイなどを注文する。

 

本格的に地元の味とサービスでそのあたりの妥協は一切ないので、料理はすぐ出てくるし美味い。勿論麺の中に親指が突っ込まれているのは標準であり気にするようなことではない(笑)。

 

暫くするとお店が込み合い始めてきた。すると観光地図を片手に大陸中国人中年カップルが入ってきた。勿論彼らは徹頭徹尾中国語を話す。つまりマンダリンである。

 

これに対して最近は大陸中国人を客と認識し始めて中国語を話すようになったお店のスタッフも普通に中国語で「何食うんだ?」と話しかける。

 

大声で態度もでかい大陸中国人は、お店の中で狭い二人掛けのテーブルに坐って何か注文していたのだけど、そんなところに後から入ってきた二人の大陸中国人おじさんが「やあやあ、君らここで飯を食ってるのかい」と大声で話しかけながらちっちゃなテーブルに椅子を引き寄せて4人が額を寄せるように注文を始めた。

 

その時点ですでに満席だったお店だけど、そのすぐ後に4人掛けのテーブルを占領していたグループが食事を終えて立ち上がりお勘定を済ませようとすると、その席が空くのを見計らっていたかのように香港人カップルが入店してそこに座り込んだ。

 

するとお店のウエイトレス、まだ20代の可愛いお姉さん(麺に親指を突っ込んでた人ね)がすかさず飛んできて、香港人カップルに向かって広東語で「あんたの席はここじゃないよ、あっちに坐ってよ」と立たせておいて、すかさず4人組となった大陸中国人に向かっても広東語で「おい、あんたらこっちのテーブルに移りな、そこじゃ狭くておかゆも食えないよ」とやったのだ。

 

するとこの4人組、にこっと笑って自分のおかゆを持って立ち上がり、謝謝などと中国語で言いながら広いテーブルに移っていった。

 

狭い方に坐らされたカップルも、何も気にする様子もなく自分の好きなものを注文している。

 

更に返す刀で一人で入ってきた若いお兄ちゃん客に「はい、ここ坐って」と指差したのはちっちゃな二人掛けのテーブルに一人で坐ってたおばさんと相席。坐らされた方も最初から坐ってるほうも、お互いにけろっとした顔で相手がそこに存在しないかのように注文をする。

 

4人が二人掛けに坐ると注文数が少なくなる。テーブルが大きければ注文も多い。二人掛けのテーブルに一人で坐っても、もう一つの席はお店のものである。どのように使おうと文句は言わせない。

 

そこで奥さんがけらけらくっくと笑い始めたのだ。

 

「あの人たち、広東語で話しかけられて意味も分かってないだろうに、にこにこして中国語で返事してたわね」笑いながら彼女が説明した。

 

「たぶん日本人の中年のおばさんたちと香港人だけが、相手が誰であろうと自分の国の言葉で返すじゃないかな」さらにけらけらと笑いながら楽しそうな顔だった。

 

そういえば確かにニュージーランドを旅行する日本人の観光客でもある種の人々は白人のバスの運転手に車を降りるときに日本語で普通に「はい、お疲れ様でした〜」と話しかける。

 

そんな言葉のやり取りもそうだし、相席をちらっと見ながら「あれをニュージーランドや日本でやったら大変な騒ぎだよね」って、くっくと笑っている。

 

なんつか、猫の額のように狭い香港のちっちゃなお店で売上を出す為に出来る限り効率的な配置を行う。相手が誰であろうと徹頭徹尾合理的ってのか、それを店も客も分かっているってのが楽しい。

 

そりゃあニュージーランドで生活をして娘に会いに東京に行って、要するに「良い人」ばかりの中でずっと過ごしてきて、香港に戻った瞬間に彼女からすれば香港人の無愛想や自分勝手なサービスを見せ付けられたのだから、面白いやらおかしいやらなのだろう。

 

お粥も麺も美味しくて、りょうまくんは8個入りのシュウマイを1皿食べてから牛内臓麺をぺろりと食べて、お母さんから麺を半分くらい分けてもらって更にがつがつと食って、まだ不足そうな顔をしているので「何か食べるの?」と聞くと「うん。シュウマイ食べたい」だって。

 

追加で注文すると、結局結局僕ら3人の注文はお粥が2碗、麺が3碗、シュウマイが2皿となった。お店のおにいちゃん、あれっと言う顔で「おいおい、全部食えるのかい?」と心配してくれた。このあたり、香港人は温かいのだ。

 

こういう香港らしさって、狙って味わえるものじゃない。がさつで無愛想でカネにうるさくて、けど何かおっちょこちょいの優しさが混ざってて、それが何とも言えず楽しい。

 

久しぶりに地元の雰囲気と味とサービスを楽しんだ僕ら、奥さんは店を出る時に「りょうま、ここをちゃんと覚えておいてね」と話しかけてた。楽しい店だったようだ。よかったね。また来よう。

 

写真はホテルの部屋から写した嵐雲。

 

「粥麺専家」は名前の通りお粥と麺を専門にしてるお店って意味です。大体どこの店も見かけは汚いけど美味しいですよ。けど「何で相席じゃ!ふざけんな!」と怒る前にきちんとローカルルールを尊重してくださいね。



tom_eastwind at 00:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月23日

HK hunt for bank-error couple

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大嵐の中で香港に到着した翌朝、「South China Morning Post」 と言う地元の新聞が部屋に届けられた。

 

一面を飾るのがインフルエンザのニュースである。サーズの時も香港は観光業界に大打撃を与えたが、今回は学校での影響がネタになっている。

 

その隣のニュースは香港金融庁長官交代の記事をやってる。

 

でもってそのすぐ下の記事で上記タイトルがあったのだ。

 

最初はてっきり「ほうほう、香港か大陸で誰かが銀行を騙してカネを奪ったネタだな」と思って読んでたら、ナンじゃこれ、ニュージーランドのネタではないか。

 

ロトルアでガソリンスタンドを経営する中国人がウエストパック銀行に10万ドルの借り入れを依頼したところ、銀行側が間違って1千万ドルを振り込んでしまい、受け取った経営者はその金を持ってガールフレンドと高飛びしたんだと。

 

1千万ドルのうち670万ドルはすでにどこかに送金されていたが、残りの金はまだ残っていたので取り返したとの事。

 

振り込むほうもバカだけど、逃げ足の速さもさすが中国人、たいしたものだ。

 

てか、この事件を検索すると、日本語でも英語でも中国語でもネタとなっていた。

 

銀行のミスで一夜にして大金持ちになったのが事件の始まりだから、銀行もあまり大きな声で文句は言えないんだろうけど、いかにもニュージーランドらしいネタだ。

 

この記事を読んだ中国人は、こいつはチャンスとばかりにニュージーランドに大挙してやってくるんではないか?そいでもって中国人パワーで偽札から送金までありとあらゆる可能性に挑戦するんではないか?

 

けど、もしこのカネを受け取ったのが標準的なキーウィだったら、「おいおい、こんなに要らないよ」と言って返金するだろう。

 

もしこれが日本人だったら、どうしていいかわからずにNZdaisukiに書き込むんじゃないか(笑)。「わたし、どうしていいか分からないんです」って。

 

そしたら親切な日本人が「そんなん銀行が悪いじゃん、使ったっていいと思いまーす」なんてことを勿論無記名で書き込み、その1時間後には「そんな、お金を使うなんて日本人として恥ずかしいと思いまーす」なんてのがやっぱり無記名で書かれて、その更に1時間後にはやっぱり無記名で「え〜、けどぉ〜、振り込むほうも悪いんだから少しくらい使ってもいいんじゃないの〜」とか。

 

そして何にも結論がでないままに時間だけ経って、お互いに自分の身分を隠して言いたいことは言うんだけど、誰も何も実行しない間に銀行が間違って振り込んだお金を取り返して、はいそれで終わり。そしてまたいつもと同じ一日が始まる。

 

このカネを受け取ったのが中国人なら。まさに今回の彼が取った行動そのもの、「おりゃ〜、早くずらかれ!」だろう。そしてこの記事を読んだ多くの中国人がにやっと笑いながら思ってるだろう。「こいつ、うまくやったな」って。

 

写真は暴風雨の香港と、・・・あれは芸術か?劇場全面に貼られている大型ポスター。



tom_eastwind at 18:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2009年05月22日

強制終了

パソコンは、20世紀後半に出てきたが、あっと言う間に20世紀の終わりにインフルエンザのように世界に広がり、でもって今僕の目の前にある。

強制終了しなくちゃ。

だんだん漢字を忘れ始めてるし、こりゃやばい。

今は意識的に時間を作って手書きをしている。

やっぱり強制終了しなくちゃね。

PCは手段であって目的ではない。振り回されてはいかん。

人間に馴染む仕組みではないと思うぞ、このパソコンの仕組み。

アジア人がゼロからこういうシステムを開発すればいいのにな。

ということで今日から香港。

 

 



tom_eastwind at 10:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月20日

天国のスプーン

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スウェーデンボルグの本だったか、天国の会食場面と地獄の会食場面の比較がある。

 

天国でも地獄でも食事をする人々の手に縛り付けられているスプーンはすごく長い。

 

 

だからそのままでは絶対に自分の口に料理を入れることは出来ない。

 

地獄ではテーブルに坐った地獄に落ちた連中が、お互いに出来るだけ自分のスプーンにたくさん料理を入れながら隣の人間を押しのけて何とか自分の口に料理を入れようとしているがどうしても届かない。

 

その挙句に皆で怒鳴りあい罵りあいながら誰もが何も食えないままに料理はぼとぼと床に落ちるのである。

 

ところが天国のテーブルでは椅子に座った全員が、スプーンが一番良く届く位置に坐っている人に料理を食べさせているのだ。自分では届かない料理でも他人の口に入れることは出来る。そうして皆がスプーンから料理を取り落とすことなく、皆が笑顔のまま楽しそうに食事をしているのだ。

 

この寓話の意味するところが、他人に奉仕する人は自分も救われるという意味で捉えて良いと思うのだけど、それが現実の世界で起こっているとしたら・・・・???

 

最近の2週間は奥さんがいないので、僕が毎日りょうまくんの学校の送り迎え、地元用語で言えば”I doing Mum“である。

 

朝の8時30分のタカプナからシティへの道と言えば、最近は思い切り改善されたがそれでもまだ交通渋滞の酷いところである。

 

そしてりょうまくんの通う学校はLakeRoad沿いにあるので地元の人はお分かりかと思うが、ここまた一日中混雑している一本道である。他に抜け道がないからどうしようもない。

 

けど何故か香港や東京のような、車が交差点に突っ込んで信号が変わって、対向車線の車が動けないなんてことがない。

 

それとか、右折車があって後続車が止まる時等は対向車がすぐに止まって右折車を通してくれる。

 

このあたり、結果的に交通渋滞が最小レベルで済むので皆が気持ちよく運転出来る。

 

道を譲る人も笑顔で「どうぞ!」とやって、譲られたほうも「ありがと!」とちょっと手を振って笑顔。

 

お互いに気持ちよいままに通り過ぎるのだけど、そんな時の運転手の心が気持ちよいのは誰でも知っていることだ。

 

他にも割り込みに対してもわりかし寛容である。とくにノースショアからハーバーブリッジを渡って左側車線の車がサウスに行く右側車線の車の間に入るときも、誰もクラクションをならさないし、急ブレーキもない。

 

日本なら、自分が橋向こうからきちんと正しい車線で来たのに、橋を渡ってからずるしてこっちの車線に来るなんて許せない!私は正義の味方よ平等が大事よ!みたいな感じで、前の車と車間距離をぎりぎりにしてわざと入れさせない。

 

けどニュージーランドでは、ああ、その人道を間違ったんだろうとか、まあいいじゃん、こっちがこれで何時間も遅刻するわけじゃないしと言う、社会全体がそういう事に対する許容範囲が広いのだ。

 

これは勿論ビジネス社会の仕組み(遅刻もOK、月曜日の釣り休暇もあり)とNZ国民性の「キーウィ、嘘つかない」がうまく組み合わさって出来上がった習慣だけど、これは住んでみると実に気持ちよいものである。

 

日本で皆が先を争い相手が割り込むのを無理やり理屈をつけて押しのけようとしたり、信号のアカになる寸前に交差点に突っ込み他の人に迷惑をかける東京。その結果として逆に交通渋滞がひどくなる。かと言ってそんな割り込みを許すと皆が真似をする東京。

 

少なくとも車の運転と言う面では、NZは人に優しい仕組みとは言える。 



tom_eastwind at 21:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月19日

馬賊戦記

馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
著者:朽木 寒三
販売元:ストーク
発売日:2005-09
おすすめ度:5.0
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今の時代に馬賊と言ってもぴんと来ない人ばかりだろうな。

 

日清日露戦争以降、日本は中国大陸への進出を図り、満州国を作った。

 

ここ一年ぼくの読んだ本の中で満州ものは主なもので下記に関するものがある。

 

関東軍最高の切れ者で満州事変の立役者「石原莞爾」

 

主義者殺しの「甘粕」満映理事

 

満州の麻薬王「里見」

 

けどやっぱり一番の原点は五味川純平の「人間の条件」だ。ぼくにとっての満州や中国大陸や日本の関東軍は、この本からすべて始まったと言って良い。

 

それにしても満州と言う国。まさに国造り、八百万の神がお互いにやりたい事をやって、それが知らない間に絡み合って、一つの大きな叙事詩を作り上げてるという意味では、満州はまさに近代の八百万物語かギリシャ神話である。

 

当時の満州は日本軍とその背後にある日本政府が、片方は覇道で国を統治しようとして片方は王道で統治しようとしながら全く違う考えで中国の大地の上に覆いかぶさっていた。

 

もともとが中国の清王朝とは国を背後につけた暴力団であり、その後辛亥革命で成立した政府も蒋介石の時代に強盗となり、東北地方では張作霖が軍閥を作って実質独立、そこに日本政府が侵入してきたのだから、まさに三つ巴の無法地帯である。

 

中国では昔から政府とは別に各地域ごとに「青幣(チンパン)」と呼ばれる黒社会組織があったが、これが実質的に人民互助会の役目を果たして無謀な政府の暴力行為と対決していた。

 

そして更に中国東北部の農民は無法地帯となった自分たちの土地や食料を守る為に防衛隊を作り、これを「義勇団」と呼んだ。義勇団は青幣の団員ともだぶってる。

 

そして昭和前期、戦前の日本では「ぼくも行くから君も行け、狭い日本にゃ住みあきた」と言う歌も出来て流行るほど、多くの日本人が大陸を目指した。せまい日本、楽しくないのだ。

 

中には一攫千金を狙った児玉誉士夫などの戦後フィクサーとして名を馳せたものもいるが、馬賊戦記の主人公「小日向白朗」は中国農民を守る義勇団の一員として馬賊生活を始め、遂には東北地方で一番の首領となった。

 

彼はその後数々の戦いの後中国で終戦を迎えるのだが、その数奇な運命は、どこまでが事実かを別としても読むものをどきどきさせるのは間違いない。

 

またその作者の文体が丁度良い。ほどほどに昭和の香りがあり、当時の言い回しや「言わなくても分かるだろう」的な読みやすい文章。

 

ただ、読み終わって一番感じたのは中国の奥深さである。あ~あ、日本人が少々こねくり回しても米国人が戦争仕掛けても勝たないわけだ。

 

結局国民の成熟度が違うとしか言いようがないんだろうな。

 

日本の文化の多くは漢字や儒教など中国からやってきている。明治維新以降最初の50年は近くて遠い国、次の50年は征服の対象として捉えられた中国であるが、彼らはそんな短期間でものを考えていない。

 

100年とか200年単位で一つの事をやり遂げる気性があり、これこそ日本人が一番持っていないものであろう。

 

それは国策とか長期政策とか言われるもので、今の香港の一国二制度や台湾への恫喝と柔和政策などを見ていると、本当に彼らの100年単位の思考の長さを感じる。

 

そう言えば中国とは言っても元は漢民族であるが、そこに二度にわたって北方民族が攻め込んで彼らが政権を獲得した。

 

ところがいつのまにか征服した方の清民族が征服されたはずの漢民族に染まってしまい、そのまま中国人となってしまっている。

 

戦時中に小日向は共産党の八路軍を見て「これはこの国古来から起こり続けていた農民運動の一形式に違いない」と言っている。

 

そう、中国はまさに土地に根付いた活動を行い、その活動は平和的ではあるものの、そこに攻撃者が侵入すればすさまじい勢いで相手を叩き潰す。これはもう国民性の中に根付いてるのだろう。

 

そう言えば共産党に支配されている中国でも最近は次々と農民暴動が起こり、政府はこれを抑えるのに一生懸命である。

 

けど考えて見れば共産党のように捕まえたら速攻で留置場、そこで殴るケルでぶっ殺すのが当然のような政権相手に農民が無手勝流でかかっていくんだから、考えて見ればこれはすごいことだ。例え自分が死んでも自分の権利は守る、その意識の強さだろう。

 

日本人など、政府が大したことも出来ないのに逆らうこともしない。

 

義勇軍は基本的に地域の若者がボランティアで参加するものだが、若者が参加する理由が「農民やっても税金取られるだけだ」ったそうだ。

 

つまり、彼ら農民は税金というものを自分たちの支払うみかじめ料と考えており、そのみかじめの割りに面倒見が悪ければ、そんなもん払わないという事である。

 

どっかの国民と随分違うますね。

 

文中に出てくる古くからの中国語、「大義名分」とか「任侠」とか「仁義」とか、日本ではやくざしか使わないような言葉であるが、中国人の社会の中では普通に使われていたのが、この本を読むとよく分かる。

 

人は人の為に死ぬ。「中国人のような自分勝手がそんな事するもんか!」戦前の日本人も中国人に対して同じような感想をもっていた。

 

結局戦前の日本人の器では中国の大きさは量れず、馬賊の親分となった小日向は中国農民と日本軍の間で苦しい対応を迫られる。

 

しかしこれは戦後の今でも同じではないだろうか。目先にいるバスの行列に割り込む中国人だけを見て「ほら、あれが中国人だろう」と思うのは自分の勝手だが、その結果として本当の中国の大きさを見逃してしまえば、これから100年、日本が自主独立の道を歩けるかどうか。

 

本を読みながら色々と日本の先々の事を考えた。これは全く個人的な意見だけど、これからの100年、日本は自主独立の道を歩きながらも、基本は中国と手を組んで「王道」を歩くべきであろう。

 

米国や西洋と近づくのは日本の精神や国家にとって大きな間違いとなる。何故なら所謂西洋の考え方の行き着くところは「覇道」しかないからだ。

 

温故知新と言う中国の古い言葉がある。100年に1度の危機と言われ、それ以上に今は時代そのものが100年に1度の大変革の時期に来ている。こんな時に小手先の知識で何かが出来るものではない。

 

まさに今、僕らは歴史から学ぶ時に来ているのだと思う。



tom_eastwind at 20:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2009年05月18日

ちょっとした気づき 視点を変えてみると

郵便受けの手紙を見てたりょうまが怒ったように「ねえお父さん、この人たち変な人ばっかりだよ!」

 

どうしたのかと見てみると、みゆきのオークランド時代のかかりつけ歯医者さんからの一般案内メールとおくさん宛てのDMだ。

 

「だっておねえちゃんは東京なのにナンでここに送るのかな〜、おかあさんだって今は香港なんだから香港に送らなくちゃ届かないよね〜」

 

たしかにお姉ちゃんは東京の学校で勉強しているしお母さんは親戚の結婚式で里帰りだ。

 

だからりょうまくんの言ってる意味は分かるのだけど、12歳になってもまだこの程度の時間認識ってのか、なるほど、時間ってのは日頃全然意識せずに使っているけど、時間の感覚を持つって実はすんごいことなんだなと思わず考えさせられてしまった。

 

そう言えば高校時代に読んだSFマガジンの中にこんな短編があった。

 

ある国ではとにかく頭が悪い子供が生まれるのを待っていた。その国では長い間賢い子供しか生まれず、世の中が全然進歩しなかったからだ。

 

どういう事かって言うと、頭の良い人は何か問題があればその場で自分でさっさと処理してしまい、問題として認識しない。

 

だからいつまで経っても社会に問題意識が発生しないから何も変化せずに進歩しないんだと。

 

それに対して頭の悪い人がいれば、彼が理解出来ないことや処理出来ないことが出てくるから、それが頭の良い人には「気づき」となる。

 

このSF小説では頭が良いと頭が悪いで表現しているけど、ぼくらも日常生活の中で何も考えずに無意識に処理しているものがたくさんあるのではないだろうか。

 

そう考えると、りょうまくんのような思考回路や視点で世の中を見ると、なるほどこの世の中はまだまだいくらでも改良が出来るんだなって思ってしまった。

 

けど、そういうSF的な夢を潰してしまうのが言葉狩りだ。

 

このSFだって題材として智恵や知識を取り上げたのだけど文章の主題は「気づき」をテーマにしているのであって、その程度の読解能力は持ちましょうねという事を、日頃本を読まない人に期待したい・・。

 

全く筒井康隆の絶筆宣言以来、言葉狩りの時代になったもんな。

 

*後半、修正しました。自分で書きながらも、「どうかな?」と思ってたところにご指摘頂きましたので、やっぱり勢いだけで書き込むとよくないと自己反省です。

 



tom_eastwind at 21:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月17日

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「おまえのように日本語が出来る奴がいて良かったよ」電話で話しているだけなので、おっちょこちょいなんだろうな、このキーウィの彼はぼくのことをすっかりキーウィと思い込んでいるようだ。ま、そのうちアクセントで分かるんだろうけど。

 

電話だとどうしても細かい話が伝わらないしおまけに音声が悪いので彼が誤解してしまうのも仕方ないんだろうけど、不動産屋さんってのはやっぱり忙しい仕事だから、あんまり相手の背景なんて考えてる余裕もないんだろうね。

 

もうちょっと落ち着いて仕事をすれば良いのにとは思いながら、東京の売主さんとの間を繋いでいる。

 

今日は香港に行ってる奥さんの代わりに不動産の仕事だ。日頃あまり携帯電話を使わないのだけど、一度不動産の仕事を始めると、そりゃもうケータイがじゃんじゃん鳴り捲り。業種が変わるだけでこうなるんだから、面白いもんだ。

 

★抜粋開始

現在の住宅販売事情

 ニュージーランド最大の不動産業者であるHarcourtsが、他の地域の住宅価格が下がっている中、オークランド北部の住宅価格は上昇していると発表。

 4月に売買されたオークランド北部物件の平均売値は$536,0003月から6万ドル上昇しているほか、セール中の物件やオークション、入札数も上昇しているという。

 Harcourtsは全国的に見ても売り上げが昨年の4月からの1年間で44%も上昇しており、オークランドとクライストチャーチ市場は特に活発だという。

 Real Estate Instituteも全国的な物件価格の中央値が 5万ドル上昇し、価格、売上高が共に安定してきていると報告している。

社会   2009516

     抜粋終了

      

NZdaisukiに出てた記事。大体ニュージーランドの新聞記事は斜めに読んで丁度良いくらいで、実際の現場の雰囲気を伝えてないのが多い。てか、でっちあげがかなり多い。だからきちんと背景を理解して読まなければどれがでっち上げか分からない。

 

日本の新聞が「お利口さんのボーイスカウト」だとすれば、NZの新聞は「英語の綴りがきちんと書ける野蛮人」だろう。

 

共通しているのはどっちもバカってこと。けどまあ今回の記事の不動産価格については同意見。てか、新聞に書かれなくても知ってるしって感じ。

 

最近急に不動産を売る人が増えて、特にノースショアに行くと「え?この家でこの価格?」ってのが目立つ。

 

要するに今までは冬だった不動産だけど、そろそろ春が来たからちょいと高値で市場に出して見ましょうってことだろう。

 

だから出された金額でまともに買うのは得策ではない。けど駆け引きは上手にしないと相手を怒らせてよい値段が出せない。

 

このあたり、結局は阿吽の呼吸であるが、日本人には難しいだろうな、今の相場。

 

★閑話休題★

 

今読んでる小日向白朗の「馬賊戦記」でもしばしば出てくる記述だが、とにかく日本人は自分の経験と理解の範囲内でしか物事を考えようとしない。

 

例えて言えば地球の周りを宇宙が回っていると信じている状態では、それ以外の事実をどれだけ説明しても聞く耳を持たないし、第一理解出来ない。

 

香港時代もそうだったけど、現場や現地に染まるってのが出来ないのが日本から派遣されてきた連中の特徴だろう。

 

とにかく東京感覚だから何を話しても話が「かまない」。彼らは結局自分の器の中ですべてを処理しようとするんだけど自分の器自体がちっちゃいという事を知らない。

 

これがこわっぱ程度なら良いけど、会社とかである程度の地位の人間がこれをやると、もうその組織は可哀相なものである。せっかくの優秀な若者がどんどん潰されていくんだから。

 

オークランドでも同じである。現場や現地を知らずに理屈ばかりを並べてる連中。あいつらほんとに、それで満足しているんだろうか?自分の無知と馬鹿さ加減の上に座り込んでるだけなのに。

 

今もそういう大きな組織の末端の連中と話をしているのだけど、まさにバカの骨頂である。自分が何をやっているのか分からないままに机にしがみ付いて歯を立ててがりがりやって「俺が仕切ってるんだ〜」みたいな連中。それでいて本人はエリートと思ってるんだからやってられん。

 

ここ、組織の頂点の人間と話をする機会があったので、そのうちかたをつけにいこうと思ってる。

 

それにしてもxx通だとかニュージーランドがdaisukiです!だとか、薄っぺらい話が飛び回る時代になったもんだ。



tom_eastwind at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZの不動産および起業

2009年05月16日

激突!

それはまるで車を使ったチームレースの様相だったと言えば一番近いか。

 

土曜日の午前中にアルバニーのスイミングスクールを終わらせたりょうまくんと僕との二人は、昼ちょっと前にNorthern HighwayからWestern Highwayに入り、St Lukesに向かった。

 

この日は以前から約束していたWarhammerの戦車を買う日だ。戦車と言っても本物ではなく、WarhammerというNZで人気のゲームで使うプラモデルだ。

 

このノーザンハイウェイからウエスタンハイウェイに入る直通の道は以前はなくて、一旦下の道に降りてから再度ハイウェイに入ってた。けどここ数年の高速道路整備のおかげで、今では北のノースショアから西のヘンダーソンまで乗り換えなしでハイウェイを使える。

 

久しぶりに天気も良く、車もあまり多くないので結構すいすいとウエスタンハイウェイに乗れた。

 

僕らの目的地であるセントルークスは(StってのはSaintの略)ウエスタンハイウェイの最初の降り口になる。

 

ハイウェイに入って5分もすると、「あと1.5kmで出口ですよ」ってサインを見て、車を左側の車線に寄せていく。

 

すると普段はそんなに混雑していない出口が、遠くからでも渋滞しているのが見えた。この出口は上り坂になってて、日本と違って高速道路と言っても無料なので出口の支払いで込み合っているわけではない、その先にある信号待ちの車が並んでいるのだ。

 

けどこの日は天気が良かったせいかもしれないけど、渋滞が高速道路まで延びている。

 

へ〜、こんなの珍しいな。

 

けどこの渋滞、実は団子になってどんどん前に進んでいるのだ。要するに全然車間距離なしで時速50kmくらいで前進しているのだ。

 

すると団子状態からまるで弾けるように3台くらいの車が右に飛び出してきた。それはのろのろと運転してて渋滞に疲れた車が他の出口を探す為に出るってんじゃなくて、本当に弾け出された感じ。

 

そうこうするうちにこっちも渋滞の最後の方に近づいて来た。

 

車線を確認して一番左に入ってと、、そこで前方の車を確認してっと。

 

ここまでは何の問題もない普通の作業だった。

 

ところがこの渋滞の行列、一旦入ってしまうと思ってる以上にスピードが出てる。それまで時速100kmの制限速度で走ってたのだけど、この渋滞も実は80kmくらいなのだ!

 

普通なら渋滞だから速度が落ちるんだろうけど、弾け出た車の分だけ車間距離が開いたのか、どの車も速度を落とさない。

 

これって思い切りやばくないか??いつものStLukesと違うぞ、こりゃ車間距離とらなきゃ、そう思った瞬間、やっぱり僕の前を走る車が思いっきり急ブレーキをかけてきた。

 

要するに一番先頭の車の先は信号待ちの車なので止まるしかないのに、全員で高速で突っ走っていたのだから、先頭がブレーキを踏むと後続は次々とブレーキを踏む。

 

それが後ろになるに連れてどんどん車間距離が狭くなり、それが僕の目の前の車の急ブレーキになったのだ。

 

右足でペダルを叩きつけたようなブレーキだから、車の前部が思い切り沈み込む。運転してた白人中年女性の両手がこわばって背中が突っ張るのが座席越しに見える。

 

こっちも何も考えずにブレーキを叩き込む。ぎぎぎ!と音を立てる車、右目で前方の車の動きを見ながら次に右にハンドルを切るか左に切るか考える余裕もないまま、左目でルームミラー越しに後続車を見る。

 

後続車を運転しているのは30代半ばの白人男性。上品そうな黒いサングラスをつけて、カールしてる金髪を小奇麗にまとめて、これまた小奇麗な白いTシャツを着てる。

 

その彼が思わず引きつったような顔でこちらの車を見つめる。助手席で坐ってる若い女性の体が強張って顔が引きつるのが見える。

 

こんな時によくもそんな顔まで見えるものだ、本当に危ないときは逆にすべてがスローモーションになるってのはこれかと思った。

 

ぎぎぎ!後続車も思いっきりブレーキを踏み込む。

 

その間に前方の車はスピン寸前で車を右に振り、すぐその後に左に振りなおしながら何とかスピードを殺して直進する。

 

けどこっちはそんな余裕はない。踏み込んだブレーキを軽く外すと同時にハンドルを左に切って再度ブレーキを踏み込む。ポンピングブレーキの感覚だ。

 

雨が降ってなかったのが幸いで、何とかスリップせずにハンドルを少し右に戻して、要するに逆ハンみたいな状態。

 

後続の車の運転手はまるで映画を見るようなシーンだった。

 

目の前にぐんぐん近づくぼくの車を視野に入れながら首を右に振り左に振り、どっちに飛び出るかを一瞬の間に判断してちらっと首を右に傾けると同時にハンドルを大きく右に切った。それこそ、どびゅーんと言う感じで僕の車の右横をぎりぎりの間隔で飛び越していった。

 

ぼくは車を滑らせながら時々左右にハンドルを振ってスピードを殺す。

 

ところが後続車のすぐ後の車もまた同じようにこっちに突っ込んでくる。

 

おわ!前の車とぎりぎりのところで一緒に横滑りしているのに、また後ろから来るのかよ!

 

ルームミラー越しに運転している白人女性の引きつってる顔を見ながら、おおい、これ以上近づく前にはやいところブレーキ踏めよ〜!と心の中でお願いした。

 

すると願いが通じたのか、女性の車の前方がぐぐっと沈み込む。よっしゃ!ブレーキ踏んでる!

 

最初に渋滞を見てから団子に巻き込まれていくまで恐らく10秒くらい。そして団子に巻き込まれてからここまでは3秒もなかっただろう。

 

その間に右目は前方の車を見て左目は後続車を見て右足は思いっきりブレーキを踏み込んで両手はハンドルをぎりぎりのところで操作してて、ほう、人間って同時にいろんな動きが出来るんだとか脳みそが考えている。

 

左に切った僕の車はぎりぎりのところで右にハンドルを切った前方の車の後ろをすり抜け、僕の右横を弾けるように飛び出した後続車はずっと前方に走りぬけ、後方の車はなんとかスピードを制御して速度を落としていった。

 

そうこうするうちに、とは言っても5秒程度しかなかったのだろうけど、やっと団子状態になった車列が前部同時にスピードを落として、何とかそのまま団子を続けて走り続けていった。

 

ふ〜、こんなの、人生で何度経験するんだ?人は一瞬の間にいろんなことを同時に出来るし見ることが出来るんだなって思い、横にいるりょうまくんをちらっと見ると、ひざの上に広げた模型の本をずっと読んでた。

 

その10秒後には車列は何もなかったようにゆっくりと前方の信号に向かって走っていった。

 

「ねえりょうま、いまお父さんたちの車がすんごいことになってたの見てた?」

思わずそう聞くとりょうまはけろっとした顔で

「うん、知ってたよ、びっくりしたね〜」と、何事もなかったように言う。

 

う〜ん、これってナンじゃ?

 

落ち着いてから思ったのは、もしこの車列の中に一人でも運転の初心者とか全然前を見ない中国人のおばちゃんとかいたら、もう全員団子で終わってただろうなってこと。

 

ほんと、こんな時には白人の運転のうまさを感心するしかない。

 

子供の頃からハンドルを握っているってだけじゃなく、突発事故に対しての瞬発力が優れているってのか、要するに理屈ではなくて体が先に反応しているんだよね。

 

全員が一瞬の間に全部を見渡して一瞬の間に判断して即座に行動する。それが全員揃ってたから何とか無事に事故を免れた。

 

後続の女性の車もその頃は落ち着いてて、しきりにこっちに眼をこらしながら、けど結構ほっとした顔で車を運転している。

 

う〜ん、もともと車間距離を完全に読み違えた団子状態に問題があるんだろうけど、そこでふと気づいた。あ、そういえばさっき前方で見た団子から車が弾かれたように飛び出したのも、こっちと同じ状態だったんではないか?

 

スピードを落としたりょうまと僕はそのまま左折してStlukesに向かい、そこの駐車場で久々に晴れた天気なので車を洗車に預けた。

 

「今日は久々の晴れですんごい込み合っててさ、悪いけど1時間くらい後になるよ」

 

そういうインド系のお兄ちゃんに「大丈夫、今日は時間はたっぷりあるよ」と返して、ぼくとりょうまくんはそのままWarhammerに買い物に行き、たっぷりの手荷物を抱えてフードコートのKFCでお昼ご飯をゆっくりと食べた。

 

いやいや、それにしても人生、一瞬先は何が起こるかわかりませんね。



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2009年05月15日

GAUT !

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痛!またも右の手首に痛みが出始めた。そう、2年前だっけな、生まれて初めて罹った「GAUT!」が再発である。

 

とは言っても去年も今年もそれほど痛くはなく、薬も不要だし手首も曲がる。けどただ、「おお、来たなこの鈍痛」と言う感じ。

 

GAUT=痛風である。

 

ぼくの痛風は珍しく右手首に発症したのだが、その時は「骨折、少なくとも骨にヒビだね」と本気で思ったくらい痛かった。

 

何せ車のハンドルも持てないし、右手でドアを開けることも出来ないのだ。アクション映画で怪我をしながら動く俳優を見ると、たいしたもんだなと思う(笑)。

 

痛風は贅沢病と言われているが、ぼくはあまりワインやビールも飲まない。

 

ビールは、飲む機会がなければ一ヶ月飲まないこともあるし、ワインも同じでレストランで洋食を食う際に合わせるくらいだから、これも月に1〜2回程度。

 

でもってShellFish,つまり海老とかカニとか牡蠣とかもあまり食べない。白ご飯も平均すると一日でお茶碗半分程度。基本、脂身の少ない肉や魚、え〜っと、後はナンだ?あ、インスタントラーメンと酒だ。

 

だから食事療法としては問題ないはずだ(笑)。てか、痛風の原因はプリン体という奴が原因で、ビールやワインにはこいつらがごっつう入っておる。

 

けど僕の主たる飲み物であるウィスキーや焼酎にはプリン体はほぼゼロであるし、脂身のどろどろした霜降りも大嫌いだし甲殻類もあまり食べない。だからだから、ここ2年間は大きな痛みがなくて済んだのだと思ってる。

 

2年前の一発目の痛みは、恐らくそれまでに食ったほんの少量の海老やカニや牡蠣やビールとワインの呪いであろうと思ってる。

 

そこできちんと御免なさいをして、それ以降痛風君のことを気にかけるようになったので、それ以降は大問題になってない、本人はそう解釈している。世間ではこれを「馬鹿につける薬はない」とか言ってる様だ。

 

まあバカで充分、死ぬまで生きていればそれで良いのだ。

 

けどさ、痛風の原因が精神面においては、こんな人がかかりやすいと言われている。

 

 どちらかというと競争心が強い
 いったん始めた事は、最後までやり抜く
 せっかちなほうだ
 いつも全力投球で物事に当たる
 短気だといわれたことがある
 早口である
 ゼスチャーを交えて話す
 マメで気がつくと動いている
 約束の時間には絶対に遅れない
 早食いである

 

やれやれ、ていうことは、じゃあ仕事するなってことかと思ってしまう。

 

このデータ作った人に聞きたい。人は肉体を長生きさせる為に生きているのか、それとも精神を昇華させるために生きているのか?

 

昇華なんてかっこ良い言葉を使っているけど、要するに人生を楽しく生きるために生きているのかって事?

 

ましてや食い物となると、やれ肉はダメ、魚はどうのこうの、焼き方は云々、人生の楽しみを知らないガキが何を偉そうにぬかすか!である。

 

あれこれ言う前に、xxしたりxxしたりxxしたり、とにかく人生を楽しんで見ろ。そしたら長生きよりも大事なものが見えてくるんだ。

 

口先でどうこうと人生を語っても、いつでも死ぬ覚悟がなければ意味はない。肉体をチューブで繋いで生存させるだけの長生きに意味はない。

  

それにしてもやれやれ、人が生きるだけでもいろんな「先生」に命令される時代になりましたか。

 

けど、2年前に調べたときはどこのデータベースでもビールやワインはダメだけどウィスキーや焼酎はOKだった。今回調べると、どこのデータベースでも、アルコール自体がダメだとある。

 

データは時間と共に変化するのか?

 

センセー、あんた本当に真実を知ってるの?

 

野球の途中経過報告を毎年出してるわけじゃないよね。プリン体が問題で、アルコールの中でもプリン体の入ってないものは問題ないって2年前に言ってたよね。

 

ちぇ、これだから先生とか士の付く商売には信用がならんのだ。

 

 



tom_eastwind at 18:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月12日

Belmonte Tomato School

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りょうまくんが通う中学校の名前がぼくの頭の中でBelmonte Tomato School (ベルモンテトマトスクール)と頭に入力されてしまったので、本来の名前であるBelmont Intermediate School がなかなか出てこずに困る。人間の先入観念って怖いものだ。

 

「あの〜、すみません、うちの子供のお昼ご飯のお金(4ドル)を渡すのを忘れたんですけど」

 

この2週間は毎日僕が竜馬君の学校の送り迎えをするので、早寝早起き学校送り、会社早退(スタッフの皆さんすみません・・)で午後3時には学校に迎えに行き、その後空手やWarHammerに送り、彼が遊んでいる間に家の片付けごとをしてと、主夫はなかなか忙しいぞ。

 

今朝もりょうま君を学校に送った際に、お昼ご飯のお金を渡すのを忘れたまま一旦学校を出たけど途中で気づいて教務室に戻る。

 

ニュージーランドの学校は四方を芝生に囲まれた、伸び伸びとしたつくりにはなっている。けど入り口には教務室があり、何かあれば必ずそこを通して話をしないといけない。そしていつも警備会社と繋がっているから、へんな奴が入ってくれば問答無用である。

 

でもってぼくのようなそそっかしい親はどこにでもいるようで、事情を説明したらちっちゃな封筒をくれた。

 

そこに子供のクラスと名前、中身や金額などを書いて教務室に置いておくと後で担任の先生が子供に渡してくれる仕組みだ。けど、教務室からあっち側へは行かせてくれない。

 

ちゃんとした授業参観とか学校訪問なら予めアポを取っておけば全然問題なく大歓迎であるが、そうでない場合は「刑務所の差し入れ」状態である。

 

こりゃいいな、きちんと子供の安全を考えてくれてるな。それも学校の義務とか先生の責任逃れではなく、本当に社会で子供を守るという考えが徹底しているのを感じる。

 

そう言えばどうしても日本の学校と比較してしまうのだけど、日本の場合先生が責任を取りたくないとか校長先生が風見鶏だからって理由で放課後の校庭を使えないとか始業すれすれに門を潜り抜けようとした子供の頭を押しつぶすとか、結局子供や親がそのとばっちりを受ける事も多い。

 

ニュージーランドに住んでる母親が一時帰国で子供をふるさとの学校に入れようとすると、それこそあーだこーだとうるさいらしい。

 

カバンのサイズから色、定規の長さにノートのサイズ、鉛筆までいろいろと指定をしておかないといけないそうだ。誰もが平等じゃないといけないんだと。何が平等なのかを分からない無責任で責任逃れな連中がルールを作るんだから、子供がかわいそうだよね。

 

おれなら確実に1分で切れる。

 

今日もりょうまを3時丁度に学校の前で車で待ち受けて帰宅する途中におしゃべりをする。

 

「今日は楽しかった?何教えてもらったの?」

「楽しかったけど、何教えてもらったか全部忘れた」

「何で_」

「だって先生に授業中にもらったものだから授業が終わったら先生に返すのさ」だって。

 

でもって勿論日本のような教科書はないから、りょうまのカバンはあいも変わらずバナナと水が入った弁当箱とノートが一冊、ボールペンが一本と言う状況は変わらない。

 

それにしてもこいつ、伸び伸びと育ってるな〜と親から観てもそう思う。

 

彼に限らず学校の生徒の目の動き、歩き方、仕草の一つ一つが実に自由闊達なのだ。

 

「自分のことは自分でするよ、大丈夫さ」

 

中学生なのに皆結構好き勝手な格好をしている。もちろん制服なのだけど、それを好きな風に着こなしている。要するに自分の好きなことを自分の責任の範囲内でやってる感じ。

 

今日も朝から雨なのに男子生徒はほとんど傘をささずに、ある子は半そで、ある子は学校指定のセーターを着ている。前髪をしょぼ濡らして、時々鼻の頭に水滴が落ちるが全然気にせずに友達とのんびり歩いて学校に向かっている。

 

女の子は、白人とMAORI系はあまり傘をささない。アジア系は半分くらいが傘さしてたかな。

 

うちのりょうまはカバンに入れてた傘をちらっと見て「濡れたら面倒だからこのままでいいよ!」と車から外に飛び出していった。

 

日本人の若者が白人の真似をしてズボンをずらしたり腰にベルトを巻いたり髪の毛をいじったりするが、それがどこまでも空疎で惨めに見えるのは、その教育の根本において他人と同じ格好をする無意味な猿真似しか学ばなかったからだろうなと思ったりする。

 

何故それが必要なのか、その理由も教えてもらえずに⇒向け右とやらされて、反発したら「連帯責任」としてクラス全員が責任を取る。だからどこまで言っても自分で何かを考えて自発的に行動することが出来ない。そしてオトナになって社会人になって、見事なロボットの出来上がりである。

 

ニュージーランドの子供たちは、世間がどう考えようが我が道を行く、子供からそういう教育を受けているから、どのような服を着てもそれなりに仕草と一致していて、見ていて日本の子供ほどはおかしさを感じない。

 

教育問題。今日本は世界的不況でもめてるけど、10年単位で一番後悔するのは教育だ。こればかりは取り返しのつかないことになる。

 

写真は揃いのトマトたち。安定供給の名の下、味も同じなんだろな。

 

不揃いのトマトたちでも全部合わせて並べればトマトじゃんか。どう転んでもキュウリにはならない。

 

自由なトマトたち、一つ一つ味が違っても、その種はその味を残していくんだから、それが人間の多様性に繋がるのではないかな。

 



tom_eastwind at 23:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年05月11日

入梅

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オークランドは毎年5月後半から6月にかけて梅雨に入る。

 

梅雨と言う呼び名はニュージーランドにはないけど、それでも毎年決まったように雨が降り出すと、おお、今年もそろそろ冬入りですなと感じさせる。

 

何度か書いたけどぼくは基本的に傘を使わない。ニュージーランドの一般的な住宅の駐車場は内ドアで繋がっているし、職場のあるシティで借りてる駐車場は会社から1ブロックも離れてないし、その間ビルの屋根のひさしがあるので、よほど土砂降りでない限り傘は不要である。

 

おまけに土砂降りと言ってもスコールみたいに、10分単位でどか!っと降ってさっと晴れての繰り返しだから、ちょっと軒下に入ってればすぐに晴れ間が来るので問題ない。

 

この時期の一番の問題は道路である。とくに夕方から夜に降る雨は、元々造りの雑なアスファルト舗装の道路に書かれたサインや車線や標識などを見えにくくする。てか、ほんとに見えない。

 

みんな勘で運転しているのかって思わせるくらいにすいすい走ってるんだけど、僕はどうも車線が見えないと不安になる。不安が不安を生み、今日の夕方19時頃もいつの間にか車線の真上を走ってたりした。wairauロードのKFCの近くである。

 

何でそんなとこ夕方に走ってるか?当然、お母さんがいないときの命の洗濯、りょうまくんとKFCのTakeawayDinnernの買い付けである。

 

道路幅は広いんだけどアスファルトの上を何度も車線を書き直したような道路は、削り取った後の古いサインまで雨が溜まって光って見えるから、一体どれが本物か分からなくなることがあるのが困ったちゃんである。

 

それに道路のアスファルトがグリップ力を無くしてつるつるしている坂!シティは坂道が多いんだけど、とくにビクトリアストリートは滑りやすい。雨脚の強いときに下手にアクセルに力入れて坂道発進やると、キュルルkyルkyル!とタイヤが大きな音を出してスリップしたりする。

 

みなさん、もしかしたらこれはぼくの運転が下手なだけかもしれませんがこれから雨季、運転には十分注意しましょうね。

 



tom_eastwind at 21:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2009年05月10日

超絶感性

超絶感性 (竹書房文庫)超絶感性 (竹書房文庫)
著者:桜井 章一
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発売日:2008-12
おすすめ度:3.5
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ぼくが麻雀を始めたのは20歳頃だったと思う。元来賭博に興味がない僕が何故麻雀を始めたかと言えば「運」と言うものの存在を見たかったからだ。

 

古代の中国では戦争の時には必ず占い師を連れていた。そして王様は彼ら占い師の意見を聞きながら戦争をしてたのだ。

 

いくら古代だからって言っても今と過去の戦争の心理面にそんな違いがあるわけはない。

 

と言うことは当時戦争をしてた王様連中からすれば、やっぱり人智を尽くしても天命には勝てないという共通理解があったのだろう。

 

じゃあその天命、「運」ってナンだ?

 

元々カジノにも興味はないしパチンコに至ってはあのじゃらじゃら音や軍艦マーチがあまりにダサすぎて、お店のドアを開けることもなかったくらい賭博に興味はない。

 

けど麻雀だけは、どうもこれは何かあるなと思ったのはそんな中国の古代の歴史を読んでからだ。

 

中国の宮廷を建築するときは東西南北の方位が重視されており、それぞれの門ごとに守りの象徴を配置していた。どうもこの方位とか星の位置とか天の動きとかが人の運命を決定するようだ。

 

それと同じように、麻雀は4人でやるゲームで東西南北が存在してて、通常の確率ではあり得ない偶然がしばしば起こる。

 

例えば西洋のゲームの代表みたいなポーカーは2人でも4人でも出来るし、最終的には計算可能な確率のゲームであると言われている。

 

それに比べて麻雀は、あり得ない確率でたった一枚の上がり牌を引いてくることがしばしば起こる。

 

なんかあるんだろうな、そう思って始めた麻雀だけど、実際に始めて見ると、お〜、これが運なのか、てか「気の流れ」なのかと感じ始めるようになった。

 

要するに西洋で発明された統計などの計算方式やインドで発明されたと言われてるゼロとか1とかの概念ではなく、四人が東西南北を背負って戦うことで発生する「気の場所」なんだなって分かったのが20代前半。

 

この頃は東京に出張に行くと歌舞伎町の雀荘で飛び込みで麻雀してた。いや〜、あの連中は強かった。

 

女モノの寝巻きで寝癖の付いた髪の毛を指で梳きながら煙草をくゆらしてる、如何にもひもですって感じの若い兄ちゃんが実に流暢な麻雀を打つ。

 

かと言えば何かと調子よく喋ってる小太りのおじさん、牌の切り方も調子良さそうに人に振り込んでもけろっとして「なんぼでっかな?」みたいな感じ。

 

彼が顔を出さなくなったその数日後に「あいつ銀行強盗で警察に引っ張られたぜ」と言う話が広まった。

 

他にも、とにかくまともじゃない連中しかいない雀荘で打ってると、何となく空気の流れを感じるようになった。

 

なるほど空気ってこういう事か、それが分かってきてからニュージーランドに移住したので麻雀を打つ機会が思い切り少なくなって、特にオークランドに住み始めてから麻雀をする事もなくなった。

 

麻雀も音楽もある程度まで成長すればそこから先は技術だけではない。むしろ毎日麻雀牌を振り回したりピアノの前で一日10時間も練習するより、全然違うことをして人間力を高めるほうが有効だ。

 

技術だけなら誰でもある程度までいける。けどそこから先、麻雀を楽しんだり「気の流れ」を読もうと思ったら人間を読取る力が必要になる。そしてその技術は雀卓では学べないのだ。

 

桜井章一に対する評価は毀誉褒貶、霊感みたいなことを言って金儲けしてる嘘つきって話もあれば、いやいや、ありゃあ凄いよという評価もある。

 

今回読んだ「超絶感性」は、作品としてはそれほど重くもないし内容も大したことはない。ある意味麻雀の基本的な打ち方と牌の切り出し方を教えてるだけなので読み物として気軽に読める。

 

戦前の甘粕など「満州もの」を続けて読んだ後なのでこのあたりで一息と思って手に取った本だから丁度良い息抜きが出来たという感じ。

 

麻雀を知らない人は食わず嫌いの人も多いと思う。煙草臭いとか博打なんてとかやくざのする事とか、いろんな批判が麻雀にあるとは思う。

 

けど「麻雀」は誰にどう評価されようが全然気にしていない。何故なら麻雀の本質は普通の人間が日頃考える「こっち側の世界」に存在しないし依存していないからだ。

 

 

「感じる力を身に付ける。考えると不安や恐怖が出てくる。それよりも直感で浅く考える」

 

桜井章一の言葉はそれなりに真実であるが、切り取り方で思い切りうそ臭くもなるし本当にも聞こえる。要するに聴き手によって全く評価の分かれる人物なのだ。

 

二十年間無敗かどうか、それは僕にとってどうでも良い。ただ彼が伝えようとしている「気の流れ」と言うのだけは、間違いなくそこに存在すると思う。



tom_eastwind at 20:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2009年05月09日

Pizza Hut

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今日から奥さんが親戚の結婚式の為に香港に行くのでりょうまくんと一緒に空港に送っていった。

 

奥さんは香港のついでに東京で勉強しているみゆきにも会うので、合計で2週間程度の長期旅行である。

 

 

車の中ではりょうまくんがにこにこ顔で「お母さん、I miss you〜〜」と言いながらけらけらと笑う。半分諦めたような苦笑いで「はいはい、ちゃんと学校にだけは行ってね」とだけ言う母親。

 

そう、この母親は実に頭が良いので、今日から約2週間で彼女の城であるオークランドの家で何が起こるかを正確に理解しているのだ。

 

そして子供たちはお母さんがそれが起こるだろう事を知っているけど止めようがないってことも知ってて、だから二人で楽しそうにけらけらと笑っているのだ。

 

お母さんにとっては決して楽しいことではないのだけど、二人の子供はそれを楽しんでいるって事を知ってるお母さんからすれば、苦笑いしかないね。

 

まず今日の夕食は、最近急に体だけ大きくなった子供といつまで経っても子供の二人で企んで、うちのルールでは今まで認めてなかったPizzaHutの宅配サービスを利用するだろうって事だ。

 

そして注文は間違いなくMeatLoverだ。

 

肉がdaisukiな二人だけど「いつまで経っても子供」の方がBBQソースをあまり好きではないので、たぶんりょうまくんが譲歩するだろうって事まで読んでいる。

 

MeatLoverLargeSizeで12ドル。それに鶏肉のトッピングを追加して2ドル。配達料金が8ドルで、合計して22ドル。今はキャンペーン期間中でガーリックブレッドが無料で付いてくる。りょうまとぼくと二人のガキが食うには丁度良い、てか、ちょい少ないか?

 

ごみすてを嫌がるだろうぼくらに対して彼女はとりあえず自宅のゴミ箱を全部片付けて一つだけにして、そこにオレンジ色の大型ゴミ袋を準備してクリップで「水曜日の朝にお父さんの車のトランクに入れること!」とりょうまくんへのメッセージを付けている。こうすればゴミを集めるのがめんどくさかったと言う言い訳を潰すことが出来るからだ。

 

次に予想しているのは、今後2週間はりょうまくんは一切何の勉強もせずに、うちに帰ればプラモデルを作るかテレビゲームをするか飯を食うかのみであり、就寝時間が12時前になることは恐らく一晩もないだろうってこと。

 

これは仕方ないだろう。香港では12歳の子供が夜中の1時頃に廟街あたりで肩から袈裟懸けにしたカバンに小物を入れて酔客相手に物売りをしてたりするんだから、これは許容範囲内。

 

とにかく二人の子供は生きていく力はあるのでそこは心配しなくても良いが、折角作り上げたお母さんのルールがこの2週間は我が家で適用されなくなることに、笑っていいやら怒ればよいのやら、ほとほと苦笑いするしかないって感じだ。

 

PizzaHutを利用するのは初めてだったので、まずはウェブサイトに入り込む。それにしてもUserFriendlyじゃないよね、このサイト。

 

てか、このサイトに限らずプロとしてのサービス業が殆ど発達していないこの国では、SupplyerFriendly、つまり供給する側に都合が良く作られているようで、利用するほうからすれば全然さくさく感がない。

 

ANZのインターネットバンキングシステムとかでもかなり怒りを感じながら使っているぼくだけど、PizzaHutは更に使いにくく、第一説明不足だし、これでぼくら二人がもうちょっと行動力、つまりりょうまが運転できるかお父さんがお酒を飲んでなければ車で直接お店に行きたくなるような「手間取るサイト」である。

 

これって人間の自然な動線に合わせて作ってないからへんてこになるわけで、おいおい、これってわざとネットで注文したくなくなるように作ってるのか?本気でそう思いかけたのがアクセスしてから10分過ぎ。

 

りょうまと二人で画面を見ながらやっと注文の方法が分かりSignInしたのが15分後。欲しいピザを選んで注文できたのは、結局サイトにアクセスしてから30分後だった・・・。

 

これからニュージーランドを目指す皆さんも、自分が今住んでいる日本という国がどれだけ素晴らしいサービスを消費者に提供しているか、それだけはしっかり理解してくださいね。

 

そしてそのサービスを捨てることが出来なければこの国では住めないってことも事実です。誰がどんな事を言ってニュージーランドが素晴らしいと言っても、それは決して日常生活において消費者が享受出来るサービスの話ではないってことも。

 

夕方17:00にピザが配達されるようにインターネットで注文したら竜馬君が「お父さん、17:00じゃダメだよ、ピザ焼くのに15分くらいかかるんだからもっと早く注文しなきゃ」だって。

 

自閉症の特徴なのか、りょうまくんには時間の観念が非常に薄い。

 

配達時間ってのは、こっちが17:00と指定すればお店の人が逆算して16:30に焼き始めて16:45にお店を出て17:00に到着するように配達するって意味だよってのを説明するのに10分ほどかかった。う〜む。

 

結局17:25にドアがピンポンされて、配達されたピザは当然あまり熱くない。たぶん皆が同じ時間に注文して配達に時間がかかったんだろうな、17:00なんて時間を指定したこっちが悪いんだよねと社会主義国家で同胞である労働者を労わる気持ちで「ありがとう!」と言って22ドルを払う。

 

これが高いのか安いのか分からないけど、少なくとも聞いたこともない宅配のヘルピザ(地獄ピザ)の意味不明のウェブサイトよりはPizzaHutの方がいくらか「まし」って事で注文したんだから、これ以上文句の言いようもない。

 

他にもドミノピザが最近オークランドに進出してきたのだけど、どうもトッピングの表現に不安があるのとノースショアでの配達網にもちょいと不安があるので、まずは安全パイのPizzaHutで勝負した今日でした。

 

勝ったか負けたか?

 

結果で言えばMeatLoverの味は冷たくなってたのを除けば悪くはないし、ビーフと呼ばれた肉がミンチ状態だったのもお笑いの許容範囲内だし、追加で注文したトッピングのチキンも、竜馬君は僕に言われるまでこれがチキンと気づかなかったのも笑うしかないし、その後で小腹が空いた竜馬君に棒ラーメンゆで卵入りを作って食べさせたのも事実だ。

 

ついでに言えば今回はCrispの生地で注文したが案の定端っこは硬すぎて冷えてたので家に飛んでくる鳥のえさにするしかない。

 

元々社会主義国のお店でサービスや味を求めるのが贅沢であり、サービスを求めることが労働者の過剰労働に繋がるのだからそんなもんを要求する消費者の方が悪いと言われればそれまでだ。

 

けどさ、やっぱり日本で生まれた僕からすれば「カネは払う、もっと美味いピザ食わせろ!」ってのは、やっぱり贅沢だし資本主義者だし拝金主義者なのかな。

 

りょうまと二人の初日、間もなく夜が始まります。



tom_eastwind at 17:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月08日

Universal Trouble Foreignlanguage

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西ヨーロッパ言語・・・らしい

 

UTFはおまじないの一種か?オークランドで仕事をしていると当然の事ながら相手のパソコンのOSが英語版であるのはしょっちゅうだ。

 

問題は、最近2〜3年なのかな、相手が送ってきたメールにそのままでは返信出来なくなっている。

 

返信しようとすると相手のタイトルの上にUTFってのが出てきて、もう返信出来ない。

 

日本人でもNZのパソコンを買ってそこで日本語環境で日本語でメールを送ってくるのだけど、メールが到着してそれを開くと一回は読める。けどそれを保存すると文字化けして全然読めなくなる。

 

この原因は相手のパソコンのOSが英語設定、細かく言えば「西ヨーロッパ言語」になっているからだ。

 

だから相手にUTFのサインが出た場合は、こっちが相手のメールの文字設定を日本語にしてから返送する必要がある。つまり一度のメールで二回の処理が必要なのだ。

 

これが結構めんどくさい。一番めんどくさいのは、相手が自分の環境を英語にしてて日本語で送ってきた場合だ。何せ保存すると文字化けするので、必要な文章であれば一旦複製を取りそれをワードとかに貼り付けておく必要がある。

 

でもって日本語で返信するんだけど、これもUTFなのでやっぱり日本語環境に戻す必要がある。

 

仕事の8割以上がメールである僕からすると、これが仕事のリズムを壊す一番めんどくさいこととなる。

 

メールには一定のリズムがあり、文章をさくさくと書いてさあ発信となった時に相手がUTFだと、そこで入れ替え作業が発生して、これでリズムが壊されるのだ。

 

そんなもんで壊れるな!と言われるだろうが、やはり自閉症としてはリズムが大事なのだ。

 

何時も同じところに同じものがなければいけない。メールは、文章を書いたら右手の中指でぽんと送信ボタンを押して「はい次!」ってのが良いのだ。

 

ラーメン屋さんでも昼時にちゃっちゃとリズムよくラーメン作ってる途中に「ネギなし!」って注文されてても「ほいほい!」と言いながら手はついネギを掴んでおり「入れるな!」と言う脳細胞の命令に対しても、それより習い性になった反射神経がぐぐぐっと手を動かしてラーメン丼の上にどば!、あの心境だろう。でもって「あ、ちまった、これネギ抜きじゃん!」となる。

 

ネギ抜きを注文した客、じゃなくて英語OSからメールを送った人が悪いわけじゃあない、対応出来ない自分が悪いんだ、そう思いながらも・・・・やっぱりUTFは頭に来る!

 

UTFって、もしかしたら U Trobule Fkr の略語か?

 

それにしても漢字変換と言いUTFと言い、ウィンドウズは変化するたびに機能低下しているのではないか???



tom_eastwind at 00:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年05月07日

子供の日 ちょっと遅いけど

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今年のゴールデンウィークは長い休みが取れた人が多いと思う。

 

ええこっちゃ。日本人もしっかり自発的に休みましょう。

 

 

 

休みってのも立派な無形資産であり、お金の代わりに休みを使って子供と魚釣りに行ったり湖で遊んだりキャンプしたり、自然と子供と両親とが一緒に過ごすことが出来る。

 

お金があっても休みが取れずに子供と遊べなければお金を子供に渡しますか?幸せじゃないよね。

 

キーウィはその点遊び上手で、とにかく機会を見つけては休んで家族で遊びに行く。とにかく家族との生活を大事にする。何度か書いたけど月曜日の朝のシティに向かう高速道路がすいすい走れるのは、「BlueMonday」現象のおかげだ。

 

BlueMonday現象=月曜の朝になると何故かお腹が痛くなったり家族が病気になったりして出社出来なくなる現象。治療方法としては週末を過ごした湖畔の別荘でもう一日釣りをすること。

 

お金がいくら稼げてもその結果として朝の7時に自宅を出て夜の12時に自宅に帰って子供との会話も持てず、気づいたら子供は親が渡した金を使ってマリファナ吸って、挙句の果てには家出して、なんて洒落にもならん本末転倒。

 

家族の幸せの為に働いてた積りが結果的に家族を壊すのであれば意味はない。

 

そういう意味で残業がないとか年休が全部消化出来て毎年5日の病欠が取れて、ついでにBlueMondayまである社会は、本来の意味で幸せと言えるのではないか。

 

現金なんて為替レートが変動すれば減ったり増えたりするわけだけど、家族の絆は積み重ねによって強くなる。だから休みを取って家族と過ごすってのは、実はとても贅沢な行為だと思うのだ。

 

そうそう、貯金って考え方。家族と日頃しっかり仲良く遊んでいれば、それはお父さんにとって信用と言う貯金を積み立ててるようなものだ。万が一お茶目なことをしても日頃の貯金があればこれを取り崩して謝罪出来る、はは。貯金ゼロの状態はきついですぜ。そのまま大喧嘩になりますからね。

閑話休題:

もちろん日本社会が強いのは個人の利益よりも全体の利益を優先することで社会自体を強くして、それから個人が配当を受け取れば良いではないかという考えからだ。

 

けどこれ、日本人はすぐ行き過ぎてしまい、「年休取るやつは会社辞めてしまえ〜!」とか「俺の仕事が終わらんのに部下のお前がもう帰るのか!」となる。

 

その結果として社会全体で家族が壊されていく現象が起こる。オトナはまだ良い。世の中ってこんなもんだと耐えるだけの力がある。けど家族が壊れることに矛盾を感じる子供にとってはどうだろうか。

 

前置きが長くなったけど↓。

 

★こどもの日に関する抜粋開始

<日本の現在の受験勉強は、強度においても規模においても、それに充分匹敵する新型の児童虐待であります。ビクトリア時代のイギリスの少年労働者の肉体が重労働ですっかり破壊されてしまったのと同じように、私たちの子供の精神が、狂気の重勉強で荒廃してしまっているとすれば、恐ろしいことではありませんか>1978年の森嶋氏の予言は、いまもっと極端な形で出ているといわざるをえない。

 

高学歴無教養な人間の大量創出、志望大学に、あるいは大学そのものに行けなかった人の心の傷、三択的頭脳構造と指示待ち症候群、大学まで出たもののやりたいことが見つからない、その結果、社会的不適応をおこし楽しく暮らせていない若者を地域でもみてきた。過保護と過干渉の果て、親を殺したい、子供を殺したいというところまで行った例もひとつやふたつではない。

子供の学歴や成功より「その子にとって何が一番幸せか」を考えよう。よその子と比べるのもやめたい。いい大学に入っていい会社に勤めたって、幸せとは限らない。だいたい「いい大学」って、「いい会社」って何なのだろうか?

 

森まゆみ 作家・編集者

★抜粋終了

 

ロンドン在住の方の文章だ。日経で取り上げられていたのだけど、わっかりやすい。

 

まさにその通り。実はみゆきが4月から学校に行き始めて最初に父親に言った言葉が「お父さん!何で日本人ってこんなに主体性がないのかな〜」である。

 

何の意味だろうと思って聞いてみると、彼女の通っている専門学校に集まった学生たちの半分は何故今自分がここにいるのか理解していないし、あとの半分はとりあえず行くところがないから来た程度らしいのだ。夢を持ってしっかり勉強したいまともな学生は今までのところ発見されてないそうだ。

 

まあもっちょっと領域を広げれば良い学生もいるんだろうけど、いきなり自主性主体性のない社会に飛び込んだニュージーランド育ちからすれば、「なんじゃこりゃ???」と言う感じだろう。

 

授業中の実習でも、先生が手取り足取りして細かいところまで指示しないと何も出来ない。

 

うちの娘からすれば「せんせー、そんなん自分でやるから余計な事に口出さないでよ。大体このコースってクリエーティブ系だよね、クリエーティブを育てる学校で手取り足取りってどういうこと?」と言う感じで、先生に対しても「あ〜あ」だ

 

とにかく主体性もないし自主性もないし何で今ここにいるのかも分からないし将来クリエーティブな仕事をしたいかどうかも分からない、要するに人間の抜け殻が机に坐ってケータイと遊んでいるだけなのだ。

 

今の日本は経済対策という目先の問題に一生懸命だしそれはそれで必要だけど、教育がこのままいくとしたら本当に10年後の日本は何も変わらずに世界から取り残されて衰退した国家になるぞと思った。

 

沈みゆくタイタニックの中で席取り競争をやって良い学校を出て良い会社に就職しても、船が沈むんですよ、どうするの。

 

こどもが大切だとか子供の日とか言いながら結局いつも子供をオトナの都合の良いように洗脳かけてるのが実態ではないか。

 

かと言って一人で今の学校教育に逆らっても勝ち目はない。

 

だから仕方ない、長いものには巻かれろでPTAで下らん「お付き合い」して言いたくもないことを言い、放課後は子供を一人で電車に乗せて隣町の有名な「受験塾」に通わせ、親は学費の為にパートタイムに出掛けて、子供は塾の帰りにコンビニで友達とカップヌードルと菓子パンを齧る生活で、結局出来上がった子供はニッポン政府の大好きな「自分で考えることが出来ない指示待ちロボット」となる。

 

もちろん全員がこうなるのではない。子供100人のうち10人くらいは、どんな貧しい環境からでも這い上がってきて自立心を持って育ち、10人のうち5人は社会主義に燃えて残りの5人は日本国家を動かすために大本営に就職するだろう。

 

共産主義に燃えた若者は30歳前くらいになると理想だけじゃ社会が成立出来ないことに気づいて、そこからは優秀な頭脳を使って民間企業で皆のリーダーとしてぐんぐん成長していくだろう。

 

大本営に入った若者は選民意識(選ばれし者)を持ち日本を変えようとするが、大本営自体が持つ組織維持機能は日本よりも大本営と言う組織生き残りの為に組織力を注入する為に、若者は自分の気持ちを殺しながら次第に磨り減っていく情熱と社会常識に悩むだろう。

 

けど、親がどんなに望んでも結果的に洗脳された残りの90人は自分を失ったまま社会に放り出されて会社から言われたことだけをやって、昼休みは喫茶店で少年ジャンプを読み往復の通勤ではPSPに夢中。

 

最近東京でお会いする経営者の皆さんに聞いても、今の若者、特に男性がどれほど使い物にならないか、呆れるほどだという話をよく聴く。

 

大本営に入れるのは100人のうち5人であるし主体的に生きる力を持った子供が5人である。

 

そうなると親としては自分の子供がこの10人の中に入るように一生懸命頑張る。

 

でもこれって結局は親のエゴである。自分の子供だけ助かれば良いって理屈でしょ。

 

本当の解決策は親が全員で一致団結して子供たち全員、つまり100人いれば100人全員が主体的に生きていく力を持たせるのが本来の教育ではないか。

 

そして日本という環境がどうしても変える事が出来なければ、住む場所を変えるというのも親の選択ではないだろうか。

 

「美味んぼ」の原作者雁屋哲氏も1988年、子供の教育の為に住み慣れた日本を出てシドニーに渡った。詳しくはこちら。

 

今日もお休みを利用して不動産視察にやってきた4人家族。5年ほど前の説明会に参加されたお客様とのことだけど、ニュージーランドのセーフティネットや教育の話をしたら、ずいぶんびっくりされていた。

 

日本の教育に耐えられない子供たちは教育難民になり、その解決方法としてこれからは教育移民も増えてくるだろうな。

 

こどもの日。実は親がもう一度子供の教育を見直す日でもあるのではないか。



tom_eastwind at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年05月06日

移民エージェント ちょっと追記

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先日書いたビザエージェントに関する免許の件でご指摘があったので明確にしておく。

 

今回免許制になったのは移民局に書類を提出する代理人(エージェント)に関する規制である。

 

 

 

ビザを申請した人ならお分かりのように申請書の後半の部分にAGENTを記載する欄がある。移民局が確認や調査をする際の連絡先である。

 

ビザエージェントが代行で記入した場合そこにAGENT名を記入するのだが、今まではこの欄は資格不要だったので誰でも書けた。

 

今回の法律で免許制になったのはこの部分に「AGENT」と書き込む際は予め政府に登録してくださいと言う点だ。

 

今回の法改正は他人に生業としてビザの仕組みや取得方法を説明してはいけないと言うことではなく、書類作成における代行作業は免許を持った人だけですよということ。

 

だから例えば当社のような移住全体の絵を描く仕事を行う会社は今回の免許の範疇ではない。何せ書類を書いてAGENT欄に名前を載せるのは弁護士だからだ。

 

もちろん僕らが書類を作成して提出しようと思えば出来る。申請して免許を取れば良いだけだ。

 

でもそれをすると今まで当社と取引のあった、現在すでに免許を持っている弁護士などとは競合の立場になる。

 

なので当社ではあえて免許を取らず、法律的な部分はすべて弁護士に依頼して手配をしている。

 

このあたり、阿吽の呼吸とも言えるかもしれない。通常の日本ビジネスであれば、まずは自社の体力がなければ他社に依頼をして作業をしてもらうが、ある程度まで知識が身に付けば「いやいや、どうもありがとう。それではこれから僕らは自分でやりますから、さようなら」となる。

 

自社オペレーションに切り替えをするのである。多くの旅行会社が海外でやってきた方法だ。

 

しかし、長い眼で見た場合にそれは本当にその地域にとって良いことだろうかとぼくは考える。ドライに割り切るのが嫌いと言う意味ではない。

 

けどどんなに転んでもこっちは移民一世、あちらはこの国で生まれ育った人間である。何をするにしても地元の人々と手を組んでやった方が信頼を得られるし相手と自分が利益をシェアすることでより良い情報を提供してもらえる。

 

そういう意味で長期的な視点で見れば、うち程度の会社が何もかも自社で抱え込むのはまだ十年早いと考えている。もっとか・・・。

 

今後も皆さんが読んでて「え?何これ?」というのがあればご指摘ください。僕は時々はしょって書くために日本の感覚や常識で僕のブログを読むと、意味不明になるかもしれません。



tom_eastwind at 00:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年05月05日

人生に幸多かれ

今僕の手の中に昔の写本がある。ぼろぼろに擦り切れてページによっては文字も薄れてきている。

 

当時はコピーマシンもファックスも一般には普及しておらず、誰かの歌をコピーする為にはすべて手書きでコードと歌詞を書き写す必要があった。

 

その中にこんな歌詞があった。

 

四季の歌

街は日増しに華やかさを増し 楽しめるムードには事欠かぬが

言葉の巧みさが幅きかせ 信じがたいムードにも事欠かぬ

ひと春ごとに

 

千鳥足

一人の祭りには赤いぶどう酒呑み

全くめでたい、めでたいと呟き

アスファルトの道行く人並みに

おめでとう おめでとうと

ちどりあし ちどりあしで

 

人生に幸多かれ

知らぬことが多すぎて

手探り続ける毎日は

膚の熱さに思わず 思わず眼を閉じる

酒で曇った眼で語る 

人生に幸多かれ

 

すべて古井戸時代の清志郎の歌だ。そっか、忌野清志郎が死んだのか・・・。5月2日58歳、癌で亡くなったのか。

 

ぼくがギターを持って最初に覚えた歌が古井戸だった。1972年発表の「ポスターカラー」を、おたおたしながらコピーしたものだ。

 

古井戸は仲井戸麗市と忌野清志郎のコンビで、あの頃すごい重い音の出るギターで泥臭いブルース、そしてロックを歌ってた。

 

同じ頃にたくさんのシンガーが輩出されたが、実力的に全然格段に違ってたのが古井戸、オフコース、井上陽水、アリスなどだった。

 

例えば井上陽水やオフコースがビートルズとすれば、古井戸はクラプトンだ。一般世間ではあまり人気ないけどギョーカイでは信者数が圧倒的に多い古井戸は高く評価されていた。

 

古井戸の実力が普通のシンガーとは桁違いなのは当然だけど、その実力とは一分間にどれだけたくさんのきれいな音を出せるかではなくて、どれだけ相手の心に直接届く声かどうかという点。

 

勿論オフコースだってアリスだって最高に素晴らしいし、今でも日本の最高級だ。例えば富士山みたいなもので近くにはアリスや井上陽水と言ったアルプスクラスのたくさんの友達もいる。

 

けど、清志郎ってのは孤高の山なのだ。

 

最初から全然違う山にいる自分を分かって、RCサクセション時代には平凡に流れる世間に向かって喧嘩を売りまくった。

 

「海外旅行に行きたければ日本海で待ってな、すぐに北朝鮮の船が迎えに来るぜ」、とか。

 

「君が代」をいじってみたりして歌ったりもした。すべての権力に向かって喧嘩を売っていった。

 

けど彼らの原点は「ポスターカラー」にしても「四季の歌」にしても、人の感情に直接歌いかけるブルースなのだ。どんな格好をしても彼らはブルースなんだ。

 

反対側にいるのがカレンカーペンターかな。彼女の歌う「スーパースター」は明るくて切なくて上品で、まさに表の世界の歌と言える。「私はあなたのために〜」と自分が前に出てる。

 

それに対して古井戸は、暗くて泥臭くて甲高い声で、「目の前に転がってたちっちゃなポスターカラーで君を思い出しました」と、ぼそっとその状況を歌う。

 

古井戸の歌は普通の人には呪文とかうめきとか嘆きにしか聴こえない。

 

だからカラオケなんかで「スローバラード」を歌ってしまうとそれまで元気だった周りが一気に氷水をぶっ掛けられたように冷えていく。これが古井戸の世界。

 

だって表面的に綺麗に取り繕ってステーキをナイフとフォークで食ってる貴族(またはそう思ってる人々)の食事の最中に血だらけの牛の首を放り込むようなもんだ。

 

それだけ清志郎は過激だった。

 

清志郎が人の心の中に直接飛び込んで来るってのは、これはもう言葉じゃない。どうも説明しようがないし、他人に理解してもらうのも不可能だろう。あれは、分からない人には最初から意味不明な世界である。

 

それはまるで、人を差別する人には差別された側の気持ちが分からないのと同じだ。「あらまあ、あの人、なんであんなことで怒ってるのかしら?」である。

 

一番分かり易いのは尾崎豊だろうか。彼は今でも若者の間で人気があるしぼくもdaisukiだ。尾崎が明るく子供たちの心に飛び込んだとすれば、きよしろうは悪魔の呪文のように怒りを胸に抱える若者の心に飛び込んできてそのまま巣食ってしまったという感じ。

 

それだけ世の中には不条理がまかり通り、無理が通れば道理が引っ込むのだ。

 

そして尾崎や清志郎がdandanめんどくさくなってきた時に、人はオトナになったと言われる。

 

ふざけんな。そんなオトナになってたまるか。

 

一生心の中に古井戸を持っておきたい。それが唯一自分が自分らしく生きていると言えるからだ。

 

ジミ・ヘンドリックスが麻薬で死んで、尾崎もジャニスジョプリンも死んで、そういう意味じゃあ病院のベッドの上で死んだってのは、清志郎にとってはどうなんだろう。

 

長く生きた奴が勝ちではない。いかに生きたかが大事だ。「人の人生はHow longではなくHowなんだ」って話を最近友達から聞いた。

 

そうだよな。16歳からきよしろうを聴いてたぼくが今言えるのは「清志郎、ありがとう」だけだ。

 

追記:tomさん、名前違ってますよ、清四郎じゃなくて清志郎ですよって指摘を受けました。あ、ほんとだ!みっともない、すみませんでした。早速訂正しておきました。



tom_eastwind at 00:07|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年05月04日

代書屋

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政府が今日から移民ビザ申請に関する新規制を導入した。

 

てか、正確に言えば法律はすでに一年前に成立しており、今日から施行ということである。

 

 

 

今までは誰でも「ぼく、移民コンサルタントです」と言えたのだけど、これからはきちんと政府の行う試験を受けて政府に資格申請をしてください、そうでなければ資格のないコンサルタントからは受け付けませんよと言うことになった。

 

つまり今まで放置状態だった移民問題のうち、入り口に当たるビザ申請のエージェントに関する規制を開始したわけだ。

 

まさにその通りである。もっと早くやれって感じで、ぼくらも2年位前から言ってた。

 

と言うのはこの業界、とにかく騙しが多いのである。とくに中国人の間ではとんでもない連中ばかりで、金だけ巻き上げて後は知らぬ存ぜぬと言う手口が横行していた。

 

日本人でも「わたしがビザの専門家ですよ」なんていう人もいたが、ぼくが知っている限り移民ビザについてしっかりとした知識を持って、更にそれを戦略的に移住計画を作っていける人は本当に一握りだ。それも江戸前にぎりだから指一本分しかないくらい。

 

けどそんな連中でも雑誌やウェブサイトで堂々と広告したりするから始末に終えない。何せ自由経済ですから誰でも宣伝は出来る。見掛けだけ立派なのを作ってそれをお客が信じてしまえばあとは自己責任原則があるので、「騙された〜」と言っても誰も相手にしてくれない。

 

しかしこのような人々の実態はどうかというと、今回の改正で政府の認可を取らない人が殆どである。

 

現在約1200社が移民エージェントとして移民局に書類提出をしているが、今後移民局はそのようなエージェントからの書類は受け取らない。

 

だったら認可を取ればいいじゃんかと思うかもしれないが、認可を取得する年間費用のNZ1,995ドルが勿体無いという企業、てか個人レベルなのだ。

 

要するに毎年1995ドルのお金さえ払えない、てか払いたくない人がパートタイムで書類作成やっているのが実態。その人たちが「わたしはコンサルタント」なんて言ってたが、実態は代書屋である。

 

僕が考える本当の意味での移住コンサルティングとは、単純にビザを取るだけではなく取った後の経済面や教育面などその人や家族の全生活を創り上げて提案して、それを二人三脚で実行する仕事である。

 

しかし殆ど全ての「コンサルタント」はビザを取るだけで後のことは知らん!で終わり。それのどこがコンサルタントじゃ!

 

今回の法律改正の趣旨は、書類提出が出来るエージェントに関する規制であり、つまり代書屋を免許制にすると言う意味で、この法律にうちの会社でやっているような意味でのコンサルティングは含まれていない。

 

人生相談は誰がやってもいいよ、けど書類を作って提出するのはきちんと免許を持った人だけよということである。

 

だからぼくらがやっている「移住コンサルティング」と言うビジネスは、免許を持った弁護士と二人三脚で行動するようになる。

 

ぼくらが移住の3年分くらいの全体図を描き、その詳細であるビザについては免許を持った専門の弁護士が担当する。

 

これが会社設立などであれば免許を持った会計士と二人三脚、住宅を購入するのであれば不動産免許を持った会社と、と言う風にうちと言う会社が扇の要になり、そこから扇子を広げるように色んな専門チームと動くのがうちのビジネスモデルだ。

 

元々この法律が成立したのは去年で、ある程度の知識さえあれば試験には合格するんだし、一年間の猶予期間があったんだから本気でやる気があれば申請したはずである。

 

1200社のうち今回申請したのは171社だけとのこと。つまり残りの会社は実態としては会社ではなく単なる無届の代書屋で申請不要を良い事にあることない事吹き込んでカネだけ取って、と言うパターンだったのが良く分かる数字である。

 

今月は移民局との会議を予定している。議題は健康で優秀で能力のある家族をニュージーランドに呼び込む政策を日本人向けにどう展開していくかである。

 

他にもジャパンビジネスコンサルティングとしてはMAORIとの関わりを強化して農業への取り組みを開始して、今週から具体的な動きになる。

 

今まで随分ニュージーランドをネタにして日本在住の日本人を食い物にしてきた連中を見てきたが、政府がきちんとそういう部分の穴を埋めてもらうのはお互いの為に良い事だと思う。

 

Hundreds of would-be immigrants are today in limbo as a law comes into effect that could stall their bid to live legally in New Zealand.

The Immigration Advisers Licensing Act requires mandatory licensing of all immigration consultants, but so far just 171 of an estimated 1200 have bothered to get the proper documentation. Many are part-timers who have been put off by the $1995 cost of a licence.

 

The Immigration Advisers Authority had hoped up to 400 would have become licensed in time for today's law change.

Immigration New Zealand has said it will no longer process applications filed by non-licensed agents, meaning migrants part-way through the process could be left thousands of dollars out of pocket.

 

Some applicants have paid unlicensed agents up to $15,000 to work on their submissions, but authority registrar Barry Smedts says it cannot help to get the money back because it was not illegal to provide non-licensed immigration advice before today.

Licensed immigration consultant Tika Ram said clients of the 1000-odd advisers still unlicensed had been left confused about where they stood under the new law.

 

Some clients have paid the full fees upfront, so they can't just switch to a licensed adviser now without losing all their money.

 

"Advisers should have advised their clients that they will not be able to act on their behalf after a particular time-frame, but many did not."

 

David Cooper, operations manager at immigration consultancy firm Malcolm Pacific, said the issue of licensed advisers had been "off the radar" for would-be migrants.

 

However, many were "waking up to the reality only in the last couple of weeks" after Immigration New Zealand printed forms warning that all applications submitted by unlicensed advisers would be returned.

 

   Indian national Raman Balakrishnan paid $9000 to his unlicensed immigration agent, but is now "stuck" after a police certificate from India failed to arrive in time to beat the law change.

"I am in a no-win situation. If I let my agent lodge my application, it will be returned. But if I do it myself, I will still have to state that I received advice from an unlicensed adviser, and that will also mean that my application will be rejected," he said.

"Does it mean I have to lie and say that I did not receive any immigration advice in order to get around it?"

Mr Smedts said the law still allowed would-be immigrants to represent themselves.

The relatively small number of licensed advisers was not necessarily a bad thing for the immigration industry, he said.

"The industry is now smaller, more professional and has a higher standard of overall expertise. I like to think of licensing as a sort of brand protection that supports good operators and punishes bad ones."

 

But a local Chinese immigration agent - who did not apply to be licensed because of the cost - said the new law would drive many advisers underground.

 

Many would-be migrants would continue to seek advice from advisers within their own ethnic communities regardless of whether they were licensed.

 

"The law is just turning honest and respected community leaders into criminals, some of whom genuinely want to help the people in their communities."

 

Overseas-based immigration advisers will have until May 4 next year to get a licence.

 

The authority defines immigration advice as "using, or purporting to use, knowledge of or experience in immigration to advise, direct, assist or represent another person in regard to an immigration matter relating to New Zealand, whether directly or indirectly and whether or not for gain or reward".

 

Some people, such as lawyers and MPs, are exempt from needing licences, but the authority says the exemption "probably doesn't cover many people in the not-for-profit, NGO [non-government] and government services who provide support and assistance".

 

IMMIGRATION ADVISERS LICENSING ACT 2007

* All NZ-based immigration advisers must be licensed from today.
* Just 171 of the estimated 1200 advisers have so far got licences.
* A licence costs $1995.
* Unlicensed agents face fines up to $100,000, seven years' jail and reparations.
* Overseas-based immigration advisers have until May 2010 to get licensed.

 



tom_eastwind at 14:00|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年05月03日

おくりびと

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やっと自宅で週末に観ることが出来た「おくりびと」。

 

なるほどな〜、こういう映画を作るのは日本人の得意技だけど、ここ何年も、こういうきっちりと造りこんだ映画はなかったよな。

 

洋画に押されて邦画が総崩れになり、それまで培ってきた映画技術が無用の長物になり、アニメーションとホラーが何とか邦画を支えてきたけど、やっと本格的に「語り」のある映画が作られるようになったなんだな。

 

映画の内容自体はそれほど興味はなかった。ああこれですね、この路線ですね、そんな感じ。

 

けど、本木と広末の会話や色んな場面で、そこがまるで切り取られた一つの絵のように、すべての、例えば灰皿やそこに置かれた本やちょっとした小道具に語らせているのだ。

 

これって小津ですか。それを思いっきり今の時代に置き換えて創ってみたんですか、そんな質問をしたくなるほど、きっちりと地に足が付いた描写と、何より本木と広末のまるで素のままのような演技もいい。

 

山崎努もいつまで経っても良い役者ですね。何をやらせても実にうまくこなすし、そして主役を食うようなことはしない存在感。

 

僕の中では決して高い評価とは言えない。世界中を見ればもっと素晴らしい映画があるし、何より僕が映画に求めるところの感動がない。

 

要するに、この程度の生活実感ならもう分かってますよと思うのだ。

 

けど、この程度の生活実感さえ感じられない(実際に去年から今年の、特に今年の日本出張で思った、日本は本当にやばいほどに生活が無くなりはじめている)今の日本を切り取った作品として、本当は人間ってこうあるべきじゃないの?夫婦ってこうあるべきじゃないの?家族ってこうあるべきじゃ、社会ってこうあるべきじゃ、死ってこうあるべきじゃ、そんな問いかけが繰り返し語られてくるのだ。

 

良い時に良い場所で発表された作品だ。これで新たな日本映画の流れが出来ると良いのだけど。



tom_eastwind at 18:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近観た映画

2009年05月02日

選書家

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ほう、こんな仕事があったのか。日経ビジネスに紹介されたある本屋さんの話である。

 

とここまで書いて、あれ?これは本来の本屋さんだよね、お客の希望を理解して本を用意するというお客様志向の本屋さんだよねと言うことに気づいた。

 

昔のブログで本屋の役割を書いたことがある。

 

本屋とは忙しい本好きの客に対して「今何が売れているか?」とか「今は何を読むと良いか」とか「この本、お勧めですよ」というアドバイザーであるべきだ。

 

だから常に読者視点で本を仕入れて読者にもう一度足を運ばせる仕組みを作るべきだ。

 

要するにそこに行けば自分で全部の本を手に取らなくても、今はこれがお勧めでっせと言う助言が貰える、それが本屋に通う動機となる。

 

その意味で紀伊国屋はあまり好きではなかった。ありゃ本が羅列されているだけの「倉庫」である。でかいだけでは楽しくないのだ。

 

それに比べてジュンク堂は本好きが楽しめる本の展示をしている。興味をテーマ別に仕切っていて、なおかつフロアの端っこに坐り読み用の椅子も置いてる。

 

あれはうれしいな。僕自身は本を買う前に座り込んで読むことはしない。まず買う。そして家に持って帰って読む。それが本好きが良い本を紹介してもらった本屋に対する返礼と思うからだ。

 

けど同時にビジネスなんだから、あまり本を読まない人に本を手にとって読ませる工夫も必要である。その時に入店した客の顔に本を押し付けて、買いそうもない客は追い返すような客を信用しない仕組みは嫌いである。

 

だからお客を信用して椅子を置くと言う姿勢は共感が持てる。

 

Amazonでよくできた仕組みってのは、「あなたが好みそうな本」を自動分析して提案してくるところだ。つまりこれが選書家の役目を担っているのである。

 

さっすが米国人、仕組みを作らせたら天下一品である。

 

それに対して職人技の日本人は、人間に本を選ばせる。どちらが良いか?

 

短視眼で考えれば当然amazonであろう。人を雇わなくて良いから金がかからない。しかしその仕組みはどうしても雑になる。

 

それに比べて日本式の選書家は手間隙がかかるけど緻密なものになる。

 

どっちが良いかって?そりゃ当然日本式ですよ。

 

問題は選書家の費用をきちんと負担するだけの良識ある読者がいるかどうかである。

 

安ければよいってものじゃないのが文化だ。読書文化が発展する為にも良質の本が世間に出回って欲しいと思う今日この頃に選書家という話を聞いて、少しうれしくなった。



tom_eastwind at 18:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2009年05月01日

マワレメリーゴーランド

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ニュージーランドの公定歩合が2.5%まで下がった。おお、豪州よりも0.5%安くなったぞ。

 

なんて横目で見ながら日本から戻っての一週間は毎日が面談や打ち合わせの連続だ。

 

その中でも大きくて緊急な案件が一つある。

 

この案件は出来る限り今週中に目処を付けたくて関連のところに電話やメールや会議を開いたりして法律的な問題点がないかなどチェック。

 

何とかいけそう。関係者全員が納得出来る落としどころになるかどうかは未だ不明だが、けどこの計画が実行されて成功すれば、今までにない商品になりそうだ。

 

やり方次第ではあるが、2年くらいで投資額の6倍、つまり600%の利回りになる可能性がある。

 

日本で不動産投資の人々に教えてもらったのは、利回り20%は当然ですってこと。

 

今までは普通に銀行預金で8%とか言ってたけど、いやいや、いろんな方法があるものだ。

 

けどやっぱり、農業の打ち合わせをしながら思ったのは、利回りよりも現実としての食い扶持。

 

農業とか工業とか、とにかくモノを作って付加価値を付けて次の人に渡して、それがぐるぐる回る世界が健全だと言うこと。

 

佐藤栄作の時代に「消費は美徳なり」と言われて貧乏な僕はふざけんなと思ったが、「生産は美徳なり」なら、充分に理解出来るな。

 

生産の輪がメリーゴーランドのように回って、世界がスピンアップしていけば、誰でも幸せになれる。

 

世界の幸せと個人の幸せは少し違う。

 

世界の幸せとは感情の問題ではなく貧乏と病気をなくすことだ。だから実現可能だ。そのためには技術と農業とを組み合わせて実業の生産の輪を広げることだと思う。

 

明日、試食会を開催する。新しい農業の世界、どう切り開いていくかだ。

 



tom_eastwind at 22:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌