2009年08月

2009年08月30日

総選挙

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「そうだな、これからは日本よりは中国だな」

 

いくら私的な場所とは言え、現役の大臣にこう言われたのだから現在日本の置かれている地位を思わず実感してしまった。

 

飛行機でも日本路線が間引きされて中国路線に振り向けられている現状である。

 

これはある大臣のセミナーに参加して、その後彼と仲の良い友達少数で食事をした時の話だ。山水の美味しい刺身と魚技術で日本とニュージーランドの交流をネタにしようと思ったが、逆にいきなり守りに立たされた。

 

この大臣はプロの政治家として非常に長く政権の外や内で活動し、ウルグアイラウンドやGATTでも農業国としての立場から様々な発言をしてきた人物でもあるから、農林水産には無茶苦茶強い。

 

話が日本のある大臣のことになった時、「あいつとは個人的にも仲が良いんだ。それにしてもあいつの親父が殺されたのは残念だったな」。

 

要するに日本人よりもある意味日本の政治の流れを理解している。日本国内では事実でさえ語られることがないほど情報操作されているが、海外で情報を得る場合はそのような操作がないのでストレートに情報発信される。

 

それからもいろんな政治談議。

 

この1年、自宅に帰ったのは数えるほどしかないという彼は、うちが日中ハイブリッドファミリーと知ったとき、すかさず「自宅では何語でしゃべってるんだい?」と聞いてきた。疲れてても頭の回転は速い。

 

「自宅では英語、日本語、広東語だよ」

そこで少し間を置いて、相手が聞き違わないようにゆっくりと

「おれは3つ、妻と上の子供は4つしゃべるよ」と言った。

 

こんな時に控えめにするのが日本の流儀であろうが、ここは南太平洋の小島ニュージーランドである。いかにこっちを知ってもらうか、前に出ねばならない。

 

少しびっくりしたように彼は「おお、そうか」と言い、それから俄然、場が熱くなり、彼が大使として東南アジアを歴任した際の言語に関する話題になった。西洋人が単身でアジアに乗り込む時の気概とか考え方とか、どこの国が西洋に近いかとか。

 

その中で彼は「中国は近い。分かる。理屈が通る。けどさ、日本、ありゃナンだ?本当に分からん」と言う話になった。そして更に冒頭の「けどさ、理解しようとする手間よりも今は中国とFTAやって近づく時期だぜ」って話になったのだ。

 

一緒にいた二人は人材派遣会社の社長とNo2で、あまり政治の話は得意ではないようだったので、自然と聞き役に回っていた。

 

日本酒と美味いサシミのせいもあるのだろう、話がどんどん調子に乗り、最初は2時間程度で終わるはずだった会食も結局は3時間近くになり、彼の運転手をスタンフォードホテルに待たせたまま話が続いた。

 

今のニュージーランドが置かれた地位の低さ。今から80年前は世界でもトップクラスの優秀な国だったのに、今ではオーストラリアに抜かれている、なんてこっちゃ。

 

「おれが子供の頃、おれの親は彼らの生まれ育った英国を離れてこの国にやってきた。それは何故か分かるかい?その時世界で最も豊かな国の一つがこの国だったからだよ」

 

人は金のある場所に惹きつけられていく。良いか悪いかなんて関係ない。誰でも冷蔵庫やテレビや車が欲しいんだよ。

 

彼は「おれもいろんな国を回ったが、日本だけはあの思考回路が分からん、どうしても意味不明だ」と言ってた。

 

そうだろうと思う。だって日本では論理的思考が存在しないのだから、彼のように1+1が2になる人間には、1+1が11になったりゼロになったり100になったりする思考回路は意味不明なのだ。

 

「日本はよくも悪くも意味不明な国だと思う。ぼくも本当にそう思う。理論ではなく感情がすべてに優先されて、選挙で選ばれた人ではない人が世の中を運営していき、その行き先が地獄であっても一緒に落ちるのが日本人だ」

 

「日本ではムラが一つの単位であり、そこでは原始共産制度が発達している。個人の所有権が存在しない。漁業権などが良い例だ。そしてムラの上部に位置するのが政治であるが、ここには所有権が存在する。政治家といえどもムラ社会の掟には逆らえない。そしてムラでは理屈ではなく、すべてが長い時間の間に発生した様々な貸し借りで物事が決まる。だから見た目どんな不合理であっても通ってしまう」

 

話しながら、けど、初対面の人にいきなり日本を説明してもムリだとしか思えない、そう感じた。やっぱり日本を理解してもらうには時間がかかる。

 

ところが今、世界は日本を通り越して中国に行っている。日本に残された機会がどれくらいあるのか、正直不明。

 

一番の問題は政府の中に居座って合いも変わらず「日本は日のいづる国でござ〜る」と本気でのぼせあがって考えている連中がいることだろう。

 

結局「話さなくても分かってくれる」なんて常識は国内でしか通用しない。

 

ニュージーランドが小国であるのは事実だ。けどそれはGDPをベースにした場合であり、これから幸福度数が国を測る物差しになってくれば、これは大きく変わっていくだろう。

 

人口の多さやGDPの大きさだけが人の幸せに比例しないのならば、カネが欲しければ日本、幸せが欲しければニュージーランドと言う時代も来るだろう。

 

「そりゃそうと、今週末が総選挙だな。LDPがどうなるかお前の個人的な意見を聞きたい」

 

LDPとはガスではない、自由民主党の英語名である。

 

「デモクラティックの圧勝だよね。けど大きくは変わらない。一部の人間が日本を支配して、他の人は支配されることに盲目的に納得する、そういう意味では日本は何も変わらない」

 

「ふ〜む、やっぱりな」

 

「名刺くれよ」言われるままに食事の最後あたりで名刺を渡した。ざっくばらんな人である。

 

これからどうなるにせよ、とにかく動き続けていこう。

 

 



tom_eastwind at 16:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月27日

雨の可能性

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ニュージーランドの会社には定款がないことは意外と知られていない。

 

こちらで会社を作っても、一応申し込みの際に「だいたいこんな事をやる予定」と言うだけ。実際のビジネスの収益が違ってても問題ない。

 

たぶんあれは政府側で産業分類をする為に聞くのだろうね。

 

けど日本のビジネスマンにはそれが新鮮に映るようだ。「え、変更の際の届出は不要なんですか?」

 

逆に僕は、日本の会社が業務内容をいちいち規定して「お役所」に「お届け」して、それが変更するたびにさらに届け出てなんてのは、現代のようなビジネス社会では本当に企業活動を推進する上で正しいのか?と考えてしまう。

 

商売を知らない役人にそこまで手足を縛られてまで商売をしたいのか?

 

要するに企業とは様々な形で利益を出すのが基本であり、時が変われば商売の内容も変わる。特に現代のようなドッグイヤーでは、企業の業種を決めることにどこまで意味があるのかと考えてしまう。

 

これからは国際会計基準が導入されて伝統的な貸借対照表とか損益計算書もその内容が大幅に変化をするけど、実はこれもどう見ても無駄としか思えない。

 

結局自分たちの仕事を増やしたい税理士や会計士や弁護士などが色々とあの手この手で実業を経営している会社から利益を移転させる為の手段としか思えない。

 

結局こっちはいつまで経ってもゲームのプレイヤーで、肝心の連中はゲームのルールを変える事で自分たちの利益をゼロリスクで最大化しようとしている。

 

なんでこんな連中に付き合わんといかんのか。

 

会社なんてのは元々1600年代にリスクの高い外洋航海貿易で冒険的なリスクを分散する為に始めた方法であり、会計がすべてではない。

 

こっちは冒険をしているのにあいつらは白いシャツ着て「あ、それは違います」と言う。だったらこの船に乗ってみろ、一緒に冒険してから言え。

 

会計はいろんなビジネスモデルがある中での一つであり、そう考えれば何でお前の決めたルールで俺が動かんといかんのかと腹が立つばかり。

 

一番腹が立つのはそのようなルールの変更をまるで神様からのご託宣のように受け取ってバカみたいに遵守する大企業の社員である。彼らは本当の意味でのビジネスリスクを取らずに自分の保身だけを考えているからで、ある意味会計士よりもたちが悪い。

 

けどどのような法律も結局は国内法であり、既存権力の権利を守り市民を国内に縛り付けるだけの規制でしかない。

 

国際会計基準がどうなろうと、だったらこっちは会社を解体してすべての社員と個別請負契約に結びなおすことでお互いにとっての利益を最大化=自分でリスクを取って働かない虚業ビジネスマンの利益を極力減額するってのも可能だ。

 

これは社会のセーフティネットとも密接に絡むが、人々が国境を越えて移動してビジネスをするようになれば、国家を選ぶのはこっちの権利、何か文句言ったら「あ、そ、じゃあもっと治安や教育やセーフティネットがしっかりして税金の安い国に出て行きますわ」と言えるようになる。

 

今はまだ曇り空の世界だけど、いずれこのような大雨が来ると思う。その時になって役人、ルールを作る人間、そのルールにしがみ付いた大企業の社員、泣くなよ。

 

写真は映りが悪いけど雨の朝に学校に通う子供たち。傘、さしてません。



tom_eastwind at 18:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月26日

幸福度

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最近は経済学者の中でGDPに変わって新しい社会の指標を作ろうとする機運がある。

 

それが幸福度である。Happiness Rate と英語で言われているようだが、専門的にはGNHとも言うようだ。

 

要するに人の幸せはカネではない、カネがあっても幸せにならないという、何となく誰でも知っている内容の数値的検証である。

 

幸福度とおカネは直接の関係はないというのは経済学者の間でも通説ではあったし市井で生きる庶民からすれば当然のことだったが、今まではそれを数値化してなかったので、幸福の代わりにお金で、つまり誰もが分かり易いGDPでどこの社会が良いかを計っていた。

 

だから米国のGDPが世界一なら米国が一番幸せなはず、じゃあ米国に移住しようと言う話になる。

 

けど米国に移住しても満足な仕事も見つからず夜遅くまで働いてそれでやっと自宅を買っても、払いきれないローンや失業で自宅を手放して家族でホームレスをするようになったら、これって幸せか?

 

何とかうまく金融関係の実入りの良い仕事を見つけても今度は土日もなく働きづめで他人を出し抜いたり騙したりして、家族には嫌われてしまい友達も出来ない。これって幸せか?

 

日本でも戦後は米国に追いつけ追い越せで企業戦士が当然と言う文化があったが、結果的に日本のGDPが何とか世界20位でも幸福を感じる度合いは90位と言う結果が出ているのは事実だ。

 

これに対して人口400万人の小国家であるニュージーランドの場合、経済は非常に小規模ではあるが幸せを感じている人が多いのも事実である。

 

ただこの相関関係が数値化されなかった為に、日本にいる日本人はあまり働かないキーウィに対して「何が幸せだ!努力もせずにカネもない、悔しかったらカネ作ってみろ!」的な風潮だった。

 

別にキーウィからすれば日本と喧嘩する理由もないので相手にする必要もないが、それでも毎年1千人以上の日本人が「お金では買えない幸せ」を求めてニュージーランドに移住していくる。

 

ところが米国発の同時不況の中で「やっぱりGDPだけじゃないよね」ってことになり、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツのような教授が本格的に幸福度を計算するようになったのだ。

 

ブータンにおいては幸福に重要な9要素として

1・心理的幸福感

2・時間の使い方

3・生活水準

4・文化

5・健康

6・教育

7・環境

8・良い統治

9・地域の活力

を挙げている。

 

ミシガン大学のマイルスキンボール教授は

★幸せを高める主な要素として

1・睡眠

2・遺伝子

3・社会的な地位

4・家族と過ごす時間

5・現状への満足度

 

★幸福感を損なう主な要素

1・配偶者の死

2・心臓発作

3・脳卒中

4・癌

5・失業

6・子供の死

 

     こいつ、少しずれてるんじゃないかって思う。ブータンの方がいいじゃん。

 

ただどっちにしても、お金が生活の第一要素でないのだけは間違いない。

 

 

昔の日本の生命保険の宣伝で「愛はお金で買えないけど、お金で表現出来る愛もある」的な内容が多かったのを覚えている。

 

けどまあ長いこと庶民をやってきた僕としては、お金が一番でないのはよく分かる。その上でお金を追求するってのは矛盾でも何でもなく、要するに状況によって常に変化する優先順位に、ある時はお金も来るだろうしある時は子供の命も来るだろうしと思ってる。

 

幸福度調査がどのような数値化になるのかは分からない。

 

ただ僕の経験で言える主観的なことは、物事にはすべて優先順位が相対的に存在して、その時その時で物事の優先順位が変化していく、その変化を見極めて行動した人間は幸せ感が高くなるってことだ。

 

難しいかもしれないけど、人生にマニュアルなんてない。マニュアルに寄りかかってしか生きていけない人には、時に大きなしっぺ返しが来ますぜと言いたい。

 

もちろんうまく逃げ切った世代には「そんなことないよ」となるのでしょうが。

 

写真はグレノーキーのワカティプ湖。彼ら、本当に幸せそうです。

 



tom_eastwind at 17:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年08月25日

真夏の島に咲く花は

「真夏の島に咲く花は」 垣根涼介

 

最近は移動がむちゃくちゃ多く、新聞やテレビ等全然観ているヒマはないし見る気もないけれど、本だけはあいも変わらず読んでいる。

 

今週読了した作品で「真夏の島に咲く花は」ってのは、こりゃ面白い。何が面白いかって、一般受けするとは思えないけど、テーマが「移住」なのである。

 

フィジーに移住して日本食レストランを経営する日本人の若者と、フィジー経済を実態として握っているインド系フィジアン少女とフィジー生まれのフィジアンの若者の物語。

 

3人の人生が実際にあったフィジーのクーデターをテーマに揺れ動き、更にここに日本から来たワークビザの旅行会社社員と中国人が絡むのだけどこれ、まさに今のニュージーランドでも言える。

 

軒を借りるという感覚のある日本人に対して、それを「甘い」と考えるインド人や中国人。

 

「結局楽園なんてないんだ、楽園ってのはみんなの笑顔の中にだけある」

 

まさにその通り。だから楽園は作るべきものであり守るものであり、決して「そこに行けばどうにかなる」ものではないのだ。

 

垣根涼介って移住したこともないのに、見事に地元民と移住者の気持ちを掴んでいるな。びっくりである。

 

元々彼の作品は「ワイルドソウル」から始まって“はまりっぱなし”!であるが、やっぱり凄い作者だ。

 

ぼくら日本人移住一世は、あくまでも軒を借りているのだ。二世になって初めて地元民と対等に喧嘩も会話も出来ると思う。

 

これを卑屈と思うか不合理と思うか。

 

確かに合理性とか私有権とか法律上で言えば誰もが平等であるべきだ。先住民だから例えばバスに乗るのも彼らが先なんて優先権などないはず。

 

けどさ、世の中はそれだけで出来ているんじゃないって現実を理解することが移住の基本であるってのも事実。

 

沖縄に移住した都会の人々が地元に迷惑をかけて付き合いが悪くなってるって話を聞く。

 

そりゃそうだろう、他人の気持ちを無視して相手の利益を「合法的に」踏みにじって得たものなど、一旦クーデターが起これば引っくり返る。そんなのは歴史が証明している。

 

第一法律ってのはその国の人々の感情に対して理論を後付けしているのだから元々きちんとした理論に基づいているものではない。だから一旦彼らが移住者に対して侵入者と言う認識になれば暴力沙汰になるのは目に見えている。

 

先に来た者が後から来た者を疎外する歴史は古くからある。マイケルチミノ監督の「天国の門」などまさに、白人同士での縄張り争いを描き、あまりに醜すぎて(事実過ぎて)自由を主張する米国人から排斥をされた経緯もある。

 

要するに先取権を主張するのは感情的であり醜いのだけど、人々、特に既得権益者にとっては醜くても守ろうとするものなのだ。

 

だから移住をするときにはどれだけ移住先の人々の気持ちを忖度するか、相手の利益を確保するかが成功する移住の基本である。

 

戦いは剣のみではなく、剣も含めた外交である。そして外交とは利害関係の調整である。そして利害関係は二国間だけではない場合が殆どであり、周辺国すべてを含めて考えたほうが長期的安定に繋がる。

 

これは国家間だけではなく個人の移住も全く同じである。海外に住む日本人が嫌われないのも、常に相手の立場と利益を考える人種だからと思う。

 

「真夏の夜に咲く花は」は、こりゃ良い。移住を考える人には是非とも読んでもらいたい、辛口の一冊である。

 

 真夏の島に咲く花は真夏の島に咲く花は
著者:垣根 涼介
販売元:講談社
発売日:2006-10-13
おすすめ度:4.0
クチコミを見る

 



tom_eastwind at 17:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2009年08月24日

明洞

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まるで小香港だな、これが第一印象。それもモンコックやコーズウェイベイの賑やかさに通じている。

 

ミョンドンと言えば日本人ご用達の一大歓楽街である。地元の人々からすれば「え?みょんどん?高いよあそこ」となるが、高級ホテルの近くでレストランやお土産屋がひしめき合って外国人が安心して入り込める場所だから、今日もミョンドンはソウルの夜を楽しんでる観光客とソウルの夜を楽しませてるソウルボーイズで賑やかだ。

 

ショーが終了してすっかり観光客気分の僕もミョンドンの青天井屋台に飛び込んでみる。ショーではしゃいだせいかお腹も空いており、ビールと豆腐チゲと海鮮ちじみを注文。

 

焼肉だけがソウルじゃないって感じで、皆さんいろんなものを食べてます。

 

一人でプラスティック製の丸いすに腰掛けて同じくプラスティック製のテーブルに料理を並べてがぶがぶと飲み食いしながら周囲を見ると、老若男女が楽しくおしゃべりしている。それにしても賑やかだな〜。

 

韓国と日本の自殺率が急激に上昇している。日本では10万人につき25名くらいが死んでて、世界8位の自殺率だそうだ。

 

韓国も日本並みに自殺者が出ているのだけど、この雰囲気を見ると人生を楽しんでいる人の方が圧倒的に多い。

 

けどまあ10万人のうち25名だから確率からすればすんごい少ないわけで、たぶん自殺するような人はこのあたりに立ち寄らず、楽しいことも知らないままに暗〜く死んでいくんだろうな。

 

思わず「自殺者って献体申し込みしているのかな?」なんて考えてしまう。

 

どうせ死ぬなら何かやってみればと思うのだけど、練炭自殺する人たちの話を聞くと他人の喜びとか楽しみとか、全く見えてないようだ。だから献体もやってないのだろう。

 

真面目に生きてきた人間の方が人生をあまりに真面目に考えすぎて死んでしまうんだろうな。

 

みょんどん、渋谷、香港、どこを見ても活気があるしそんな街しか歩いてないからどうしても「自殺」ってことが「何で?」としか思えない。

 

スーパーポジティブとよく言われるが、その通り。明日の不安を今日考えてどうする?起こるか起こらないか、そんなもん、その時間が来ないと分かるわけない、何故今不安に思う必要がある?

 

もちろん何が来ても生き残れるだけの体力と気力と勉強は必要だ。けど、やるべきことはそこまで。後は酒でも飲んでどんちゃん騒ぎで良いと思うのだ。

 

それにしても韓国人と日本人は相違性もあるけど共通性の方が多いのではないかと思うくらい、街に違和感がない。言葉は通じなくてもやってる事は分かるって感じ。もしかして自殺者が両国ともに多いのは何かの共通性があるかもね。

 

それにしてもみょんどんはパワーのある街でした。今回の企画はすでに日本の会社に持ち込んでるが売れるかどうかは不明。でもソウルは、そこに行くだけでずいぶんと勉強になりました。これで次に何かあれば韓国と日本を絡めたビジネスが出来ます。



tom_eastwind at 00:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月23日

B-Boyに恋したバレリーナ

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ソウルでの仕事は2泊3日で3つのショーを見ることである。

 

3つとも今ソウルで最も有名なダンスショーで、特に最初の二つは常設劇場を持つ、日本人ツアーのオプショナルツアーに組み込まれるほどの超人気である。

 

「ナンタ」乱打と言う意味の韓国語。これはキッチンを舞台にした無言劇。厨房器具のみを使い素晴らしいパフォーマンスを見せる。日本人に一番人気で、観客の5割以上が日本人である。ソウルの夜の楽しみ方も随分変わったものだ。

 

「ジャンプ!」これは韓国武道と体操競技の要素と笑いをセットにして、とにかく90分の間一度も笑いを止めさせずに眼を釘付けにされる素晴らしい活劇ショーである。

 

そして最後が「B−Boyに恋したバレリーナ」である。これは最後発でありながら韓国では非常に人気が高く、前2作とは少し雰囲気が変わって、バレーとヒップホップと軽い恋の融合であるが、笑う場面よりも踊りそのもので勝負をする無言劇である。

 

それにしてもソウルでは一般向けのショーが実に活発である。

 

日本は何かを作るとどうしてもマニアックになってしまい、一般受けしないケースが多い。そして言う事が「世の中の奴は全く何も分かってない!」である。

 

それに比べてこの3つのショーはどれもが観客視点でいかに皆を喜ばせるかを徹底的に追及している。あれは出来ないとかこれは違うとか一切なしで、言葉やせりふに頼らずに誰が観ても楽しめる作り。

 

僕が今回打ち合わせをしたのはB−Boyである。このショーを日本でどうやって売るか、安定した興行となるか。早速東京に戻り、B−Boyをあるプロダクションに持ち込んだ。

 

日本は敷居が高いのでどこまで出来るか分からないけど、やるべし!です。



tom_eastwind at 00:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月22日

羽田

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羽田空港は戦後日本の最大飛行場として発展して、国際線が成田に移転した後も国内線で発展し続けて、最近は悲願の国際線就航も勝ち取った。

 

まあ普通の社会人やビジネス常識からすれば羽田を国際化するのは当然のことで、成田を作るってのは当時の土建や政治の利権発想でしかなく、成田はまず作ることありきだったもんね。

 

だから首都に空港が二つあることの整合性をどうするかとか両方の空港の行き来の利便とか、空港自体の地形や風向き等離発着の使い良さとか何も考えずに、新幹線との乗り継ぎも考えずにただ単に政治利権のみで作られた成田は、遂には空港内で地元産の野菜を売ってるような「国際」空港ですからね。

 

ムリ筋の上に乗っけた空港なだけに、時代がたって羽田の沖合い延長が可能になると次第に「羽田の方が近いじゃん」と言うことになる。

 

実は福岡空港でも同じようなことが起こってた。福岡空港は昔は板付飛行場と呼ばれる米軍も共同利用している飛行場であった。

 

作った時はそれなりに郊外だったのが次第に街の規模が広がり、いつの間にか空港は住宅地帯のど真ん中になった。

 

それでも地元民からすれば近くて利用しやすいし、新幹線ともタクシーなら10分で接続出来る。

 

それがここ暫く「今の空港は地元住民への騒音被害が〜」とか「これ以上の拡張が出来ないから〜」とかの理由で沖合い空港の計画が出てきたことがある。

 

これは本当は利権にしたい人々の策動であり、結局福岡市民、てか彼らを代表する政治家たちは今の場所から移転しないことを決めた。

 

その結果福岡空港の利便性は日本の他の空港を益々追い抜いている。

 

一番酷い政策はやっぱり痛み、関空、神戸だろう。

 

同じ空の上を3つの空港がひしめき合って建設されて、それでいて飛ばせる飛行機の便がばらばらだから乗客からして効率的ではない。

 

空港は少なくとも50年の計である。これをその時その場にいる人だけの利益で決めてしまえば、その付けはこれからその地域で生まれてくる子供に悪影響を出すだけだ。

 

カネが欲しければもうちょっと違うところで稼いでもらえないものか、本当にそう思う。

 

そんな事を考えてたら、ぼくもいよいよ羽田空港を使う機会が出来た。

 

お盆を利用した日本客がひしめいているソウルへの2泊3日の出張である。結局この日程を入れたことで8月7日から21日まで全く休みなしになったが、ソウルはもう20数年訪問しておらず、次の機会がいつになるか分からないので思い切って予定に入れた。

 

でもって使った航空会社がアジアナ航空の羽田発キンポ行きの直行便だ。キンポなんて知らない人も出てくる時代ではないかと思うけど、インチョンが出来るまではせまっくるしいキンポが韓国ソウルの窓口だったのだ。

 

インチョンの半分くらいの30分程度の時間でソウル市内に到着出来る便利さは、こりゃ有難い。

 

もしこれで成田−インチョンだと、それぞれの空港にたどり着くまでの時間だけで2時間以上の無駄になる。

 

キンポも羽田と同じで、首都には思いっきり近いんだけど拡張が難しく、新空港建設に迫られていた。そこで韓国の国際化を検討した韓国政府が音頭を取って作った21世紀対応空港がインチョン国際空港である。

 

インチョンを国際線、キンポを国内線とするって構想だけど、もしかしてキンポを何とか拡張したほうが良かったんではないのかと思ってしまう。

 

そう言えば香港でもカイタック空港とチェプラクコ新空港の関係も同じようなところがある。ただ香港の場合はビジネスとして完全に割り切った結果としてカイタック空港は閉鎖した。そして新空港だけで世界の窓口としての国際線と、中国内に移動する国内線とを一つにした。なのでむっちゃくちゃ使い勝手が良い。

 

羽田は更なる拡張を期待してます。

 

写真は浅間丸。昔の移民って、船で移動してたんですよね。



tom_eastwind at 00:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月21日

オークランドに戻る

ずいぶんとブログ更新のご無沙汰。

 

今回はやたらと忙しい。香港、福岡、東京と会議をこなして毎日夜まで会議があったり、途中でソウル出張を入れてみたり、それから東京に戻って役所を回ってみたり、今までの流れと随分違った出張になった。

 

ニュージーランドで投資を促進させる政府機関がInvestmentNZという組織だけど、ここの方と渋谷の大使館で会議。そこが終了するとすぐに次の会議、会議、会議、結局一番最後は19:00まで仕事。

 

日本なら当然なんだろうけど、それにしても日本人はよく働くなって、ますます感心。。

 

それなのにこの国の成長が止まってしまって「失われた20年」ってのは、こりゃもう個人の努力を超えて社会の仕組み自体が今の時代に合わなくなっているとしか思えません。

 

やっと今日オークランドに戻るが明日からはクイーンズタウン。会社に出社するのは来週火曜日からです。戻ったらまたもミーティングが山積みです。

 

なのでここ数日の出来事については、思い出しながらUpします。

 

 



tom_eastwind at 22:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月16日

お台場 船の科学館

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笹川良一って男がいる。戦前から政治活動を行い、特高に逮捕されたりした右翼であるが、戦後も気合かけて生きてきて、巣鴨の戦争犯罪者が収容されている刑務所にわざわざ犯罪を起こして入り込み、A級戦犯に説教を垂れたという大物だ。

 

その後は競艇の利権を全部押さえて日本最大の右翼の一人となったのだけど、彼は戦後の日本を見事に生き抜いて逃げ切った大物と言える。

 

そんなおじさんが祭られているのがお台場にある「船の科学館」。でもってガンダムのついでにここも見学してきた。

 

「人類は皆兄弟!」、テレビで宣伝するほどのおやじであるが、それなりに根性はあるし言ってる事も間違ってない。きちっと筋の通ったおやじである。

 

最近特に思うのだけど、命を捨ててかかってる連中ってこの世の中にどれくらいいるのだろうか。

 

何かと言えば長生きとか健康とか理屈とかどうのこうのであるが、そいでもって立派なスーツとネクタイは身に付けているけど、命を賭けて仕事をするって感じがしない。

 

ビジネスは騙した方が勝ち、くらいに思ってるのに、騙された方は仕返ししますよって言うと「え?それ、おかしくない?あれってビジネスでしょ、やめてよそんなこと」となる。

 

ざけんなっちゅうの。人はいつも自分の言葉と行動に責任を取る必要があるのです。

 

「あんた、自分の言ったことに責任取りますか?」となると、結局もごもごする人間ばかりの中では、笹川良一なんて立派なもんだなと思う。

 

ただ一個残念だったのが、館内で日本が戦後作り上げた優秀な技術を見ながら、まるで古代の、滅びてしまった民族の歴史を見ているような気持ちになったこと。

 

今では神戸も横浜も世界の港のベスト10にははいっておらず、造船は韓国に抜かれ、過去の栄光にしがみ付いているけど結局は「終わってしまった国」になっている日本。

 

スペインとかポルトガルとか16世紀にぶいぶい言わせた国が今では老人が日なたのソファで両足を広げて赤ワインを飲みながら移り行く世間を見ているような感じ。

 

今の日本は、本当にスペインのようになるかもしれない。正直、笹川良一のような、方向性は別にしても根性のある気合の入った命賭けたような人に出てきて欲しい、そうでないと日本、明日がないぞと思った。



tom_eastwind at 01:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年08月15日

ガンダム

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それにしてもガンダムおたくはたいしたもんだ。夏休みにガンダムの実物大のモデルがお台場に出来ると言うことで、子供の代役として写真を撮りにいった。

 

けどさ、ありゃなんだあの人ごみ。てか、電車に乗るだけで40分待ち!あり得んし。

 

日本人は辛抱強いって言うか、とにかく真夏の炎天下で歩くだけで汗が吹き出るようなかんかん照りの道路を行列作ってとことこ歩いて、それでもってガンダムの足元をくぐって喜んでる。

 

まあおたくや子供には楽しいのだろうけど、こっちゃ事前のチェックでは「駅のすぐ近く」とか聞いてたもんだから一応ジャケットにジーンズで行ったのだけど、たどり着く頃にはすでに汗でびしょ濡れ状態。

 

大勢の中に混ざって写真撮って駅に戻る頃には脱水症状で死ぬんじゃねえかとか結構本気で考えながら、でもって駅に着いたら乗車待ちの客の大行列。

 

おいおい、どうして電車に乗るだけで行列よ?あんまりくたくただったのでタクシーを捜すけど、どれもゲイシャ、迎車、改装、回送、空車がないではないか!

 

結局タクシーを捜すのに30分くらいかかってしまった。乗り込むときには「すいません、今プールから出てきたばかりで体拭いてないんですけど」と謝りたくなるくらい汗だらけ。

 

それにしても新陳代謝が良いのだろうけど、とにかくまあ大変。

 

僕の場合食事は普通の人の半分くらいしか摂らないが、その代わり体に入った食物の昇華率は無茶苦茶良いので問題ない。でもって汗も、汗っぽい顔ではないのだけどしょっちゅう汗かいている。

 

お酒を飲んだ翌朝等は、普通に冷たいおそばを食べても汗が出るくらい。

 

そんな僕ですからこのガンダムは堪えた。正直、日本人の我慢強さには脱帽だけど、僕にはこの行列や電車待ちは結構ですって感じ。

 

日本人の特徴はやっぱり我慢強いってところではないか。

 

不快だから快適にしようとする努力、例えば水洗トイレなどの技術を磨くのは凄いんだけど、生活そのものは恐ろしく不快であるのに、何故か皆当たり前のようにぎゅうぎゅう詰めの電車に乗るんだから、やっぱり日本人はたいしたものだと改めて感心した次第。



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2009年08月14日

とっとっと 博多弁

「ここにあるよ」

昨日書いたケータイ電話の件だけど、案の定マスターが持ってた。

てか、普通に電話に出て「あ、あんた誰?」って、笑うしかない。

良い人たちである。人の電話に出る積極的な優しい気持ちと相手のプライバシーに踏み込む気持ち。

今日の郵便で東京に送ってもらうことでOK。来月も飲みに行かなくてはね。

博多の優しさってのは、東京にはないよね。



tom_eastwind at 01:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月13日

どこいっとったと?携帯電話

2年もご無沙汰していた店なので、「あんたくさ、死んだと思っとったばい!」

いきなりそう言われても、福岡に来る機会がそうしょっちゅうあるわけではないし、いちおうニュージーランドベースなので、2年に1回来るだけでもよくなくない?

などとお店のマスターとおしゃべりを楽しむ。

何も知らないガキの頃に中洲で飲み方を教えてもらい、それからずっとお世話になった店である。

昨日は久しぶりに時間が出来て顔を出したけど、やっぱりいいよね、30年の歴史。

20数年前に働いていた、そして交通事故で亡くなった元スタッフの話や最近の話を伺う。

いろいろあるよな。ん〜。

働いてるスタッフも、昔と同じではないけれど昔と同じような元気な奴らばかり。

ん〜。

お店の窓の明かりから中洲の川を眺めながら、ちょっと感傷にひたれる年になったかと、自分で自分にびっくり。

問題は携帯電話をお店に忘れたこと。あそこ、マスターが気づいてくれればよいのだけど・・・。

ということで本題。今日からの日本、もしご連絡必要な方は携帯電話はNZの番号にお願いします。

日本からだと国際電話になるけど

64−27−220−5230 です。

tom



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2009年08月11日

今日から香港だ

さてっと。

今日は香港に移動する。夜は行きつけのお店で新しいビジネスの話を聞く予定。

お前は一体何やだ?と言われても「ビジネスマンです」としか言いようがない。

勝手に君らの産業別分類に当てはめないで欲しいとしか言いようがない。

所詮は供給側の都合で作った企業の定款、ニュージーランドには企業の定款は存在しません。つまり何をやっても良いのです。

そりゃそうでしょ、企業とは資金を集めて儲かることに資金を投じて利益を出す仕組みなんだから、旬のビジネスに投資をするのみ。

それなのに、「当社はxxですから〜」なんて言ってたらビジネスチャンスなんて失ってしまう。

日本の速度を相手にしてられない。香港では、今回はまず聞き込みである。市場調査。いけそうなら一気に仕組み作りになる。

さ、今年は当たり年だ。いくぞ!

 



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2009年08月10日

今日は一日外出

今日は一日外出、いろんな取引先との会議だ。

 

基本英語でやり取りであり、通訳に徹する部分とこちらの意向を伝える部分と、出来る限り混ざらないように話をする。こりゃ脳みそ使う。

 

結局一日終わって自宅に帰ってみたら、脳みそが右耳から溶け出していた、、、なんてことはないけど、間違いなく脳みそのしわが思いっきり増えた気がする。

 

仕事をするってのは収入を得る手段であるが、同時に自分の勉強になるってのは、こりゃぜいたくだと言える。

 

英語の勉強、思考方法の勉強、相手方の背景の勉強、次々と知識が入ってくる。

 

それにしても思うのは、世界中に色んな美味しいビジネスがあるのに、何故日本人は日本だけにこだわっているのかって事。

 

政府による利回り保証がある融資で利回り20%が確保出来れば、これは実に美味しいビジネスと言える。

 

これは企画次第で可能である。今日の会議で参加者が案を出し合って、「お、こりゃいけるかも」と言う流れになった。

 

勿論実現するかどうかはこれからの交渉に掛かっている。けど、成功確率60%くらいあるのでは?駄目でも損をする話ではない。OKなら進めましょってことだもん。

 

海外で仕事をすること事態に恐怖を感じている民間ビジネスマン(大手商社や大手銀行は除く、彼らはすでに海外投資においては政府の一員として動いており民間ビジネスマンとは呼べない)はたくさんいるだろう。

 

けどその恐怖心そのものが、海外で取引をさせたくない政府の仕掛けだとしたら、実に腹立たしいと思わないか?



tom_eastwind at 22:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月09日

無知の知 

眼からうろこ

 

なるほど、そういう観点があるのか。

 

今回同行させていただいたお客様への正直な感想。

 

仕事柄業種や年齢に関係なく様々な人とお会いするがこれほどモノの見方=観点の違いを感じることはなかった。

 

理詰めでありながらシステムを構築する際の桁がいくつか違う。

 

それはお金をたくさん持ってるとか立派な大学を出たとかではなく、発想の問題だ。「出来ない」ってのが前提に「ない」から何でも出来る発想。

 

そしてもう一つが、「出来る」とは所詮自分の器のサイズを理解しているだけで、それ以上に大きな器の事は想像も空想も出来ない。

 

だから多くの人間は自分が「出来る」と考えてるのだけど、それ以上に大きな器が出てくるともう理解出来ない。

 

とにかく言える事は、「無知の知」である。一番大事なのは、自分が知っていることは所詮限界があり、常に自分が馬鹿だと認識することが学びの第一歩であるという事。

 

自分なりに学ぶことばかりであったが、よっしゃ、絶対これを機会に発想の転換をしてみよう。



tom_eastwind at 22:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月08日

久しぶり、戦争記念博物館に行く

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久しぶりに戦争記念博物館に行く。ニュージーランドを初めて訪問するお客様の付き添いで、一体何年ぶりだ?この博物館に行くのは。

 

全面的に改装された博物館では土地勘がずれてしまってたが、何となく「あ、ここはあのコーナーが引っ越してきたんだな」と分かって、少しづつ勘を取り戻しながらゆっくりと博物館を回る。

 

ガイドをやってた時代はここを30分で片付けてたので本当に面白い説明は出来なかったのだけど、今回は時間が自由なので2時間ほどかけてゆっくりと案内出来て、こちらとしても気持ちよい。

 

同時に「あれ?腕が鈍ったか?」と思う。やっぱり10年ぶりくらいだろうから、どうしても展示物に関する記憶を取り戻すのに0.1秒かかる。良くないな〜。説明はノリが大事なのにと思いながら、1階から3階まで案内する。

 

特に3階の戦死者の名前を刻んでる壁を見れば、どれだけたくさんの移民や人種が自分たちの新天地であるニュージーランドの為にその命を投げ出していったか良く分かるのだが、自分の思うような説明が出来ずにカミカミになってしまった。

 

それでもお客様は喜んでいただいたようでほっとする。

 

ニュージーランドの歴史を簡略に理解しようとすれば、実はこの戦争記念博物館、非常に素晴らしい資料を備えている。

 

2時間程度の見学でニュージーランドがこの地上にゴンドワナ大陸の一部の土地として現れてそれが生命を生み、そして鳥の天国としてうっそうとした自然の天国になり、1000年くらい前にMAORIがやってきて彼らの土地となり、1800年代に白人(パケハ)がやってきて漁人種が共同生活をするようになり、時には争いながら一緒に国家を作り、肩を並べて武器を取って宗主国家である英国の為に戦いに出て、そして今の平和国家ニュージーランドがある。

 

歴史が短い特典ってのは、説明が2時間で済むからかなと、ちょっと笑ってしまったりもする。

 

けど、第一次世界大戦では日本の駆逐艦がニュージーランドの兵隊輸送船を守って欧州まで送り届けた歴史や、飾ってある日本のゼロ戦、そして戦国時代の日本の武士が使っていた斬馬刀と鎧などを見ていくと、この国の日本に対する視点が良く分かる。

 

「俺たちと同じようなちっちゃな島国でありながら、おまけに1800年代後半まで鎖国していながら、一旦その門戸を開くとあっと言う間に世界のトップクラスの技術を持つ国家となり、ならず者国家の米国を相手に4年も戦ったのだから、こりゃすごい」となる。

 

結局閉館寸前まで見て回り楽しんでいただいた。

 

ニュージーランドをいろんな形で日本人に説明する旅行会社とかがいる。まるで自分が何でも知っているように、ビザがああだ国民性がこうだ、どうのこうの。

 

嘘つくな。まずはニュージーランドの基本的な歴史や教育姿勢、キリスト教に対する最低限の知識、そのようなものがなくてどうやってこの国の成り立ちが説明出来るものか。

 

大体大手が発行しているガイドブックも嘘が目立つ。分かってない連中が適当にその辺の古いガイドブックの日本語版の資料を集めて刷りなおしたものばかり。

 

例えばニュージーランドはMAORIのクペという人が始めて訪れたと書いている。嘘をつくな。そこにあるかどうかも分からない島を探しに3千キロの船旅を海図もコンパスもないままに家族を連れて移住するか?一つ間違えば次は南極だぞ。

 

所詮は自分が感じた自分の経験則の中だけの主観でしかないのが殆どである。

 

まあ彼らは歴史の事実や夢を説明するのが商売ではないし無責任なのだから人の口に戸は立てられない。けどさ、最低限の知識と常識を持って日本から来た人に話をしてもらわないと、相手にとって思い切り迷惑ですよ。

 

久しぶりに戦争記念博物館を回りながら、ここをツアーで30分しか時間取らないとか、ひどいのになると5ドルかかるからってだけで観光コースから外したりする旅行会社がある。

 

全く何の為の旅行なのか、そんな事やってるから益々旅行会社離れが起こるのだ。

 

そんな事を思いながら、けど心の半分では久しぶりのガイドを楽しんだ。



tom_eastwind at 20:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月07日

水質汚染?

オークランド近郊の海で魚が水質汚染なのか原因不明だけど次々に死んでいる。浜を散歩してた犬が死んだとか。

 

どれも原因は未確認であるが、とりあえず子供は海で遊ぶなと言う通達が出される。

 

おかげでここ数日、オークランドの市場で魚の流通が激減している。赤潮か?それとも他の何か?いずれにしても困るのは漁業関係者だけではなく、魚を食べる我々だ。

 

あ〜あ、13日に山水でお客様を招いてのパーティを企画していたが、美味しい刺身が入手出来ないとなると、こりゃ問題だ。

 

けど、犬が死んだとか魚が死んだとか言うのが本当に水質汚染なのかどうか、一番の問題は肝心の調査をする当局が調査能力があるかどうかってこと。

 

これもまた、適当に時間稼ぎをしてそのうちに何もなかったように終わってしまうような気がするな。

 

 

 



tom_eastwind at 20:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月06日

新聞とか

「新聞・雑誌メディアは公共性、信頼性に優れ、高い知識・教養レベルを持つ大人のメディア」だとさ。

 

こんな事を東海大学文学部広報メディア学科教授である小泉真人氏が書いている。

 

日経ビジネスの広告欄で書いているのだから当然これは広告であり、自分が信じているかどうかは別にして商売として書くのだから気にする必要もない。

 

けど、なんかな〜。

 

例えば鉄道が蒸気機関車から電動ディーゼル車に変わったのに、あいも変わらず手持ち無沙汰でディーゼル車に乗り続ける釜焚き職人のような気がする。

 

可哀相な気がするけど、商売だから仕方ないのだろう。下手にメディア学科なんてコースを選んで既存メディアと仲良くなってしまったもんだから、自分の思っていないことを言わないといけなくなる。

 

公共性がなく政府の御用メディアに成り下がり、信頼性も全くない。教科書の嘘を暗記するのみで、自分で考えるという知識のかけらもないコピーマシンが道徳も教養も持ち合わせていない学生時代を経てやっと就職した先で何とか首を切られないようにしがみ付いてるだけの人々の塊が現在の日刊新聞やテレビ局の実態である。

 

「環境に優しく」ってんなら、下らん雑誌など印刷するな。印刷会社は一体どれだけ資源を無駄にしているのか考えたことがあるのだろうか。

 

要するに自分たちが印刷しているものはとても賢くて立派で社会の役に立つのだから、インドネシアやカナダの森林を丸裸にしてしまっても良いと本気で考えているのだ。

 

テレビ局は電波を使っているが、その電波の使用料の殆どは携帯電話会社が負担しており、テレビ局はほぼただ乗りである。そいつらが国民の共有財産である電波にただ乗りして自分たちだけ高い給料を取っておきながら一般国民や企業を叩くのだから、一体どんな存在価値があるのか。

 

しかしまあ、大学のセンセーを使ってこんな事を宣伝しないといけないって事自体が、すでに終わりの始まりだなと思う。

 

まあ絞首刑の台の上に立ってて足元の椅子が蹴飛ばされるまで、残された時間は決して長くない。それまで頑張って砂場に頭を突っ込んで周囲を見ずに「大丈夫、何もない〜」と自分を安心させてろ。



tom_eastwind at 20:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年08月05日

After midnight

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Midnight12時までとAftermidnight12時から。

 

二つの時間帯の長さが違う。

 

例えば夕食を終えてパソコンに向ったり本を読んだりする時の午後10時から12時の2時間と、その後の12時から午前2時までの長さが違う。

 

僕的には圧倒的に前者の方が長く後者の方が短い。

 

この理由は明確で、時計の針を見れば分かる。10時から12時までは針が一生懸命ぜんまいを巻きながら登っているから時間がかかるのだけど、12時から2時ってのはくだりだから、普通より早く下りてしまうのだ。

 

「こんな簡単な理屈、何で皆は分からないのだろう?」はは、そしたらデジタル時計はどうなのって話になる。やっぱり僕は馬鹿だ。

 

そこでぼくの傑作的あふぉ的時計理論は残念ながら破壊崩壊されるのだが、やっぱり時間の流れって違うと思う。

 

どっかの人が言ってたけど、見つめてるやかんのお湯は沸騰しないって理屈がある。

 

何かしながらお湯を沸かすと、いつの間にかぼこぼこ!って煮えたぎって「え!もう沸騰?!」となるけど、カップヌードルの口を開けてお箸を片手に持ってやかんが沸騰するのを待っているときは「なんじゃこのポット!役立たず!全然沸騰しないじゃんか!」なんて怒ってしまった経験、皆さんありませんか。

 

結局時間の流れって一定と思っている人は、それって12時になったらお昼ご飯を食べる人と同じで、あんまり人生を楽しんでいないのではないかと思ってしまう。

 

お昼ごはんとか名前は別にして、お腹が空けば飯を食うわけで、それに時間は関係ない。

 

だからぼくにとって夜中の12時前と言うのはまだまだ集中力が不足してるわけで、12時過ぎれば映画とか本とかに集中するからあっと言う間に時間が経つのだと思う。人によっては「そりゃ単なる飲みすぎでしょ」とも言われる。はは。

 

けど、そんな僕にここ一ヶ月ほど大きな変化!

 

それは、自宅に居る時は9時過ぎにベッドに入るようになったという事です。

 

これってコペ転(コペルニクス的転回)ですかって感じだけど、24時間をどう使うかって考えてた矢先にうちの奥さんが竜馬君の学校に呼び出され、「オタクの子供、授業中にしょっちゅう寝てるんですけど、一体お宅は何時に子供を寝かせてるんですか?」ときついご指摘。

 

思い切り恥ずかしい思いをして自宅に帰ってきた奥さん、その日から早速、「竜馬!今日から9時就寝!」となった。

 

それにつきあってお父さんも「あんたもよ!大体あんたが駄目だから竜馬が!」と怒鳴られる始末。

 

まあ仕方ない、人生は前向きに生きよう。9時に寝ることで違う人生もあるはず。

 

そう思って9時過ぎにベッドに入るようになると、これはこれで楽しい。こうなると朝の5時過ぎには眼が覚めるのだが、この、「朝のスッキリ感」が違う。

 

そうなのよ、人生は、変化を楽しむものなのだ。

 

夜に2時間かけてやってた作業が、朝なら30分で終わる。

 

ベッドの中で眼が覚めて、30分ほど色んなビジネスネタをまとめて見る。

 

おうおう、するするとまとまっていくではないか。

 

なるほど、馬鹿と頭は使いようとはよく言ったものだ。あれ?はさみか?まあいいや、いずれにしても夜思考よりも朝思考の方が前向きだし、尚且つたっぷりの睡眠の後ってのは実に脳みその組み立てが良い。

 

そういえば陰山さんって言う教師も、早寝早起きを言ってたな。ありゃ正解かも。

 

普通こんな年になってこんなしょっちゅう生活スタイルを変えるのもどうかとは思うけど、何よりも与えられた環境の中で常に前向きに生きることが大事。

 

当分は早寝早起きでやってみます。



tom_eastwind at 19:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年08月04日

街の空気

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クイーンズタウンでスキーをした後にオークランドに戻るってのは、まさに天国から人間世界に戻る感覚。

 

あのままクイーンタウンにいられたら、スキーも出来て友達と飯も食えて、、、なんて考えても仕方ない。人は飯を食って生きていかねばならないのだ。

 

と言うことで山を降りて飛行機に乗ってオークランドへ戻る。

 

けどま、これほど空気、てか気が違うのは面白い。やっぱり街ってのは、特に都会になるとそれぞれの場所ごとに独特の気を放っていると思う。

 

大使館の役人や大企業の人間には理解しづらいかもしれないが、どんな街にも現場があり、そこの空気はその街の風土、まさに風や土が生み出したものだと思う。

 

クイーンズタウンに流れている空気とオークランドとは全く違う。今のところこれを客観的に計る物差し、僕はもっていない。けど確実に違うし、それは感覚としては説明可能だ。

 

ニューヨーク、バンクーバー、香港、北京、上海、シドニー、ゴールドコースト、オークランド、東京、どこも空気が違う。

 

その空気を作る要素としては、当然その街を含む政治形態などの人為的要素があるけど、同時にやっぱり、馬鹿にしちゃいけないのは風水だと思うな。

 

「流れに棹差せば流される」との諺?通りで、その街の流れを理解してその街の流れに合わせて動けばうまくいく。

 

けど、その街の流れや気が自分に合うかどうかは別問題。これが合わなければ、いくら商売がうまくいっても自分自身の中の気が乱れてしまい、生活に変調を来たす。

 

僕にとって一番合っているのはクイーンズタウンかなと思う。自然と、余計な干渉をしない人々。誰もが笑顔で、倒産寸前の人々でも楽しそうに酒を飲んで、倒産した人でも楽しく酒を飲み、サラリーマンと肩を並べておしゃべりを楽しむ。

 

その喜び方は成功しているビジネスマンと何の違いもない。誰もが明日を見ている。それでいながら他人のビジネスに無理して食い込もうとしない。

 

皆が狙っている市場は世界であり、隣にあるレストランの客をこっちが獲ってやろうというより、お互いに外国の客を獲って行こうよって雰囲気があるのが特徴だろう。

 

そしてその上に、国家による社会保障=セーフティネットと、人々が持つ「誰しも失敗する。挑戦して失敗しても恥ずかしくない」と言う文化。だから失敗しても食っていける。

 

これにクイーンズタウンと言う風土+水が混ざってこの街の雰囲気がかもし出されているのだろうな。

 

日本で生活している人は、日本国内では自分の合う街に住むことが出来る。けど多くの人は就職をした街で生活をする事になる。

 

けど、その街って自分の気に合っているのか?これって、生活を楽しむって意味では結構大きいと思う。

 

東京が合っているのか?食えるだろうけど、好きか?

 

「じゃあお前、オークランド好きなの?」いいえ、それほど好きではありません。ここに住んでいるのは偶然の産物。

 

ぼくが今オークランドに住んでいる理由。それは12年前に香港からニュージーランドに戻るとなった時に、奥さんの街選びの条件が「中国食材があって香港に直行便が飛んでる街」だったからだ。

 

そうなるとニュージーランドはオークランドしかない。仕方なく選んだ街である。個人的にはクイーンズタウンに住みたかった。

 

人は妥協しなければ生きていけない。てか、何かを大事にすれば何かを捨てるしかない。全部を得ることなんて出来ないのだ。

 

皆さん、風水よりも街の雰囲気よりも仕事の内容よりも、もっと大事なものがあることがこれでご理解いただけたか?



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2009年08月03日

One Down

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昨日一人、コロネットピークで人が死んだ。てか、おれが滑ってた時間帯だよね。

 

スキーをしている時に雪崩れに巻き込まれしまったようで、詳細は不明なものの「山から帰ってこない」と言う通報を受けてパトロールが捜索してオフピステで意識不明状態のスキーヤーを発見、しかし意識は戻らず死亡。

 

同じ山で同じ時間にスキーをしてて、ある人は死んである人はスキーを思いっきり楽しんで帰ってきてる。

 

これって人生と同じだよね。

 

スキーなんてのはかなり危険なスポーツだから怪我人が出るのは当然だ。だからこそスキーヤーは怪我しないように滑ってる。

 

昨晩はスキーを商売としているプロのスキーヤーの方と馴染みの店のバーカウンターでスキービデオを見ながら三々五々飯を食ってた。

 

当然派手なスキービデオで、中には大きくこける場面もあるのだが、ビデオを観てる彼らの口から思わずだろうけど出てくる「あ、ありゃ危ないぞ」と言う言葉がすごく印象的。

 

こらこら、君らのやってる事がもっと危なくないのか、そう思った時にふと気づいた。そうだな、結局彼らは自分たちのスポーツがどれだけ危ないか理解した上で思いっきり危ないことをしているから、だから危ないってことが理解出来てる。

 

普通のスキーヤーってのは危ないことを知らずにスキーをして事故を起こす。こけてから初めて「痛い!」と気づく。

 

人生もこれと同じで、普通に生きてれば何も危険はないなんて思ってる人はたくさんいるけど、実は毎日が危機の連続だと思う。

 

たまたま今日は交通事故に遭わず、たまたま今日はリストラに遭わず、たまたま今日は奥さんの機嫌が良くて、要するに毎日が危険の連続なんだけど、なんにしても人生ってのは危機の連続であるのは間違いない。

 

僕に宗教心は全くゼロだけど、人によっては宗教によって救われる人がいるのも良い事だと思っている。

 

その宗教の中でキリスト教があって、子供の頃は彼らが飯を食う前とかに「今日も無事に過ごさせてもらって有難う御座います」って祈っているのを見て「変なの」って思ってたが、今はあの意味が良く分かる。

 

人生は常に危機と隣り合わせであり、何もない事が実は最高に幸運なんだってことがよく分かる。だから何もない事を神様に感謝する。

 

今日は何もなくて面白くないなんて言う人もいるけど、それって根本的に人生を分かってない証拠だと思う。

 

面白くなければ面白くすれば良い。その過程においてどれほどの危機が訪れるか、自分で経験してみれば良い。

 

そうしたら人生が退屈とか面白くないとか毎日何もなくて退屈とか、そんな言葉は絶対に出てこない。何もなくて一日過ごせたことがどれほど幸せかよく分かると思う。

 

要するに人生をぎりぎりまで引っ張って楽しんでないから「退屈」なんて言葉が出てくるのだと思う。ほんとの人生を知ってしまえば、こんな楽しいものはないってのが良く分かるし、同時に人生を楽しむってのがどれほど怖いことかも良く分かる。

 

これがまさにスキーと同じで、いかに事故らないように、けど思いっきりぎりぎりの瞬間をスピードとバランスの中で保ちながら楽しむか、ここが人生そのものだと思う。

 

人が作った道を百年毎日同じように何の進歩もせずに歩きたい人はそうすれば良いと思う。その結果として本人が楽しければ、それで良いと思う。

 

ただ、そうでない人にとってはやっぱり誰も滑ったことがない斜面をどきどきはらはらしながらなんとかこけずに滑り降りてきて、そしてふっとその斜面を一瞬だけ振り返って「お、出来たじゃん」と思ってまた次の斜面に突っ込んでいく、それが喜びなのではないかと思う。

 

無謀と冒険は違う。無謀ってのは何も分からずに準備もせずに突っ込むバカのする事で、これはぼくの若い頃よくやってたことだ。

 

今はきちんと準備をしてから突っ込んでいるので、一応自分なりに冒険だとは思っている。僕をよく知っている多くの人は「前と同じじゃん」と思っているようだが、それは他人の評価。本人はちゃんと成長しながら冒険してるつもりなのだ。

 

今日は同じ山で一人死んだ。日本では毎年3万人が自殺してる。今年は更に増えてるようで、最高記録が出るのではないか。

 

自殺する人に言ってみたい。死にたいなら、とりあえずリフト券買ってスキーしてみて崖から飛び降りて見たらって。

 

なんかまた三々五々な話になった。けど思うのは、スキーの危険さと楽しさってのは隣り合わせで、これと人生も全く同じで、安定を求めればこんな退屈なものはないし、危険さが増すに連れ楽しさは増える、けど危険が度を超すとほんとに事故ってしまうってこと。

 

けど思った。人生って肉体が滅びるまで老いさらばえるまで生きてるのが絶対の真実か?ぼくは決してそうは思わない。やんなきゃ!楽しまないと!その結果でこけても、次に立ち上がればいいんだもん。

 

こけることを恐れて滑らないより、出来るだけこけないように、けどこけたらどう立ち上がろうかと考える人生の方が、ぼくは楽しいと思う。

 

気をつけて生きてても死ぬときは死ぬ。だったら楽しんだもん勝ちでしょう。

 

写真はコロネットピークの雪降る中で教えてるコーチさん。

 



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2009年08月02日

本音と建前を学ぶ場所

僕は口が悪いと言われる。よく知ってる。そのおかげでこれまでの人生で数えることが出来ないほど問題を起こしていて「余計な事を言うものではない」と分かっているが、どうしても言ってしまう。

 

その理由の一番は、不合理に対する怒りだ。

 

ぼくに説明出来るだけの能力もない小学校教師が、小学校3年のぼく相手に怒りだすんだから、ふざけんなぼけ!給料貰って働いてるお前に説明義務があるだろうがよ〜!と本気で腹を立てていた。

 

その後も小学校時代は喧嘩の相手と言えば先生だった。馬鹿ばっかりの学校だったのか、当時の日教組が悪かったのか、今だもってよく分からない。

 

けど、片方では教師は聖職と言いながら片方ではすぐに職場ずるけて公務員なのにストライキに参加したり、挙句の果てには政府、つまり国民からカネを貰って自分たちの利益のためだけに労働組合活動をしているって、一体どうなのか?

 

今、いろんな役所でヤミ専従問題が出ている。

 

けど、こんなの1970年代の日本を知っていれば、何も秘密でもなんでもなかった。誰でも公認の黙認であった。ちなみにヤミ専従問題は僕も直接知っているのではっきり書けるけど、あれは管理職公認であった。

 

今更知らない振りをするんではないですよ、現役の省庁の局長クラスさん。あなた達の時代にあなた達が認めて作ったシステムですよね、忘れたとでも言うのですか?

 

しかしシステム上はどう見ても不合理である。学校の先生は政府から給料を貰っているので、雇用主は政府、つまり一般国民である。

 

その一般国民によって採用されたにも関わらず一般国民の利益ではなく自分たち組合の利益や、挙句の果ては外国の戦争にまで口を出すわ、ところが自国の国民が誘拐されてきた朝鮮につれていかれてもそれは知らんふり。

 

子供からすれば世の中の矛盾をもろに見てしまうわな。

 

そんな子供に「教師は聖職ではない」と言い切ることが出来る先生がどれだけいたか。

 

つまりよく考えて欲しい。当時の僕らは先生にとっては顧客だったのだ。まあ顧客とまで言えばきついから、教える対象であり、対象が学ぶことが出来なければそれは先生の問題であったということだ。

 

 

**

ここでいつも義務教育に関する親や子供の勘違い(というか教師による騙し)が出てくるのだけど、子供を学校に通わせる義務は、親と教師にあるのです。

 

元々義務教育を始めた明治時代には貧しい子供は家族の労働力とされていた。そんな子供を学校に通わせなさいと、親と教師に命令をしていたのだ。

 

ところがいつの間にか、子供が学校に行かないのは子供の問題とされるようになり、その子の学習能力や知識の低下については自己責任とされ、親も教師も放置になっているのが現在である。

 

一体誰がこのような論理のすり替えを行ったのか?

 **

 

 

けど肝心の先生が生徒に自習をさせて自分が近くの公園に行って日教組の旗振ってたら、子供はどう思う?

 

自分が労働者であることを認めるなら自分の職責を果たして子供に教育を施してほしい。

 

自分が聖職者であれば団体の利益を追求する労働組合活動はしないでほしい。

 

けど、そんな事をガキが言っても誰も相手にするわけもないし周囲の子供たちも「こいつ何いってんの?」としかならない。

 

ましてやこっちはガキなのできちんとした論理立てが出来ないから、どうしても周囲から「お前さ、なにを先生に逆らってんだよ」となる。くそ、今なら負けないのに。

 

他にも小学生の頃からいろんな疑問があったな〜。

 

けど、僕の質問にまともに答えてくれた先生は、あるたった一人の数学教師だった。

 

「世の中ってそんなもんだ」

 

ほうなるほど。世の中は本音と建前を使い分けるところであり、合理性なんて追求するぼくがバカなんですな。よく分かりました。ではどっちがバカなのか、比べてみましょう。

 

それから思い切りぼくの性格が攻撃的になった気がする。本音と建前の違いを狙い撃ちする性格になってきたような気がする。

 

学校にて

A先生「いや〜、オタクのお子さん、本当に可愛いですね」

バカ親「いえいえ、どうしようもないわがままで(笑顔)〜」

俺「そうですよね、本当に親に似てますよね」

 

会社にて

A「あれ、髪切ったんだ、素敵だよね〜」

俺「なるほど、切らねば素敵ではないのですね、ありがと」

 

個人的にこのあたりで、最近見た映画の中で一番考えさせられた場面がある。

 

生まれつき健康ではあるが眼が見えない夫婦が子供を産んだ。すると産婆は「いや〜、健康な男の子ですよ、ちゃんと眼が見えてますよ!」

 



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2009年08月01日

不安と安心の間で

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不安と思えば何でも不安になるし、だからと言って全く不安を感じないのは危機感喪失している状態で最も危険である。

 

だから不安と安心が交互にやってくるのが、ある意味まともな人間ではないか。

 

それがそのうち修行が出来てくると中村天風みたいに常に平常心で前向きにいられるようになる。

 

開き直ったと言っても良いかと思うけど、平常と言うのは安心ではない。あくまでも不安材料を抱えながらもそこに囚われずに希望に常に目を向ける姿勢だ。

 

今日は土曜日と言うこともありクイーンズタウンは賑やか。けど僕の心はいろんな問題があって不安な状態でクライストチャーチから来てる友達と滑る。

 

けどその不安がたまたまどさっと重なったもんで、スキーしながらもついつい色んな考え事をしてしまった。

 

そしてそのネタごとに何が問題なのかを滑りながら分析。一本滑るたびに「あ〜こうじゃん」とか問題分析するのだ。

 

実は一昨日までいろんなネタと他の仕事がかぶさってしまい、かなりUPUPしてた。

 

それが整理出来てないもんで、整理出来てないこと事態が不安になる。もしかしてこのまま時間切れになってしまうのではないか?

 

それとかちっちゃいネタでいけば、

 

「今目の前の新雪の深さは30cmくらいだけど、この角度で突っ込んで行ってメディケアのお世話にならないか?」

 

「昨日の鮫はまだ生きているか?」

 

「今晩の食事に呼びたい彼の飛行機は予定通り到着するのか?」

 

などなど、イメージで言えばデスクトップに未処理のワードやエクセルがそのまま残っている状態。それに加えてフォルダーになった大きなネタ5個がど〜んと鎮座しているのだ。

 

「それの何が問題?」

 

そう思う人が殆どだろう。スクリーンのデスクトップ一杯にファイルやフォルダーを置いてる人からすれば、その方が分かり易いじゃんとなる。

 

けどぼくはこれが駄目なのだ。

 

昔、パソコンがなかった時代の仕事の処理方法は常に決まっていた。

 

入力⇒演算⇒記憶⇒出力、である。

 

入力=問題を発見して未処理状態からそれを明確な問題点とその解決点を見つけて次に送る。

 

演算=問題と解決をここで数字に落として、または論理に落として処理をする。

 

記憶=データ保存

 

出力=担当者を呼びつけて怒鳴る()

 

この作業がそれぞれいつまでが処理期限で現在何処まで進んでいるか、頭の中で把握出来てないと思いっきり不安になってしまい、ついつい夜中でもパソコンを立ち上げたくなるのだ。

 

ある人からすれば「そんなもんたかが仕事、何の不安でもないジャン」と言うかもしれない。

 

そう、その通り。あなたにとっては不安ではないけど、僕にとっては不安なのだ。

 

つまり人によって不安の種類は全然違うってこと。ある人にとっては全然気にならない事でも、ある人にとってはとっても気になる。

 

つまり人間の不安ってのは自分の主観の中から出てきたお化けのようなものだと思えば良い。

 

そう考えれば、あまり不安に悩む必要もない。だって、自分で自分に悩んでも無意味でしょ。

 

そして他人が不安になっていれば、「そんなもん大したことないじゃん」と言ってあげればよい。

 

だいたいにおいて不安な人は、世の中で自分が一番不幸だと思い込んでる。けど大丈夫、世の中には大抵の人よりも苦しい思いをした人がたくさんいる。

 

アウシュビッツ、文化大革命、ポルポト、ルワンダ、ネタを探せばつい最近の歴史でもいくらでも出て来ます。

 

死ぬこと以上に不安なことはありますか?

 

けど人はいずれ死ぬのです。

 

どうせ死ぬものを、何故不安に思う必要があるか。

 

むしろ、その日が来るまでにやれることを出来るだけ実現して、その日までの人生を楽しむことこそ、やるべき事ではないか。何故出来ないかの理由を探すよりも、どうやったら出来るかを考えたほうがよっぽど前向きではないか。

 

ただ僕としては、その日が今日来るかもしれないのに未処理のファイルを残しておきたいくない。

 

そんなのは恥ずかしいではないか。例えば自分が布団もきちんと片付けずに外に出ておっちんでしまい、警察が後で部屋を調べたら、「こいつ、自分の後片付けもまともに出来てねーじゃん」と言われはしないかと言う不安。

 

なので、新雪の中でせっせと脳内整理していきます。スキーって、事故ったら怖いのですよ。

 

 



tom_eastwind at 23:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌