2009年11月

2009年11月29日

「同期」今野敏

名前が「コンノビン」とは受け狙いか本名か?wikiでちらっと見るも特に書き込みなし。

 

それにして1978年からずっと本を書いてきてるんだから古株ですね。その彼がここ数年の警察小説でずいぶんと名前が売れて、ぼくもここ1年で3冊読んだか

な。

 

同期同期
著者:今野 敏
販売元:講談社
発売日:2009-07-17
おすすめ度:4.0
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今回の「同期」が4冊め。勿論最初の3冊の警察小説も出来が良いのでここしばらくはお世話になるだろう。特にキャリア官僚を主人公にしながら、今までの切り口とは全く違う視点で「普通の人々」を描いている。

 

けど、最近の警察小説で挙げるとすれば、個人的に一番好きなのは堂場瞬一の鳴沢シリーズ。

 

孤狼―刑事・鳴沢了 (中公文庫)孤狼―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
著者:堂場 瞬一
販売元:中央公論新社
発売日:2005-10
おすすめ度:5.0
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ややこしい警察組織や社会の裏面とかは書かずに、単純に主人公の成長物語を中心にしているから何だか青春警察小説、とでも言うかな。それが成長してきて段々一人前になっていくのを読むのは楽しい。

 

 

 

でもって読み応えがあるのは佐々木譲。

 

制服捜査 (新潮文庫)制服捜査 (新潮文庫)
著者:佐々木 譲
販売元:新潮社
発売日:2009-01-28
おすすめ度:3.5
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組織の重さがよく書かれている。北海道警の裏金事件から始まり、実際に起こった事件をネタにして現役の現場の警察官が「正しいと思うこと」を組織の中で出来る限り推し進めていく。風景の書き方もうまいし人の心の書き方も、よく練れた文章。これも暫くは読み続くだろうな。

 

 

 

苦手なのが横山秀夫。どうしてもこの人の作品は好きになれない。「クライマーズハイ」も「陰の季節」も、う〜ん、あなたの生き方が好きになれません。

 

今現在21世紀の日本でサラリーマンをやっている中年男性には共感を得られるのだろうけど、結局突き詰めていけば既存権力を是認してその中で自分の置き場所を考えてるくせに、文章は斜め向いてるって感じ。

 

矛盾している話を書くから直感的に嫌悪感を覚えるのだろう。だったら読むなであるから、ここ数年は全く読んでない。

 

ガリレオで人気の東野圭吾も苦手。この人の文体は既成権力の中にいながらそこにある人間のどろどろとした部分を描いたりもするのだけど、白夜行にしても、何でそうなるの?的な部分が目立つ。要するに「知らんことを書くな」なのだ。そして何より文章力が弱い。ヘビーな読者を満足させる筆力とは言えないのだ。

 

要するに横山さんも東野さんも人生の一番多感な時代を受験や競争ですり減らして、感情的な筆力が不足している。人間を深く分析しているわけでもないのに分析出来たと思い込んで文章にしているから、違うでしょと言いたくなるのだ。

 

当時のエリートコースを歩いて作家になって、実力のせいであまり売れなかったのだけどたまたま彼らの文体がバブル崩壊後の疲れた読者にすっぽり嵌ったもんだから、そこから「同じ程度」の固定客が付いたのだろう。

 

「同期」は基本的に今までの今野敏の流れと同じで楽に読める。

 

実は今日はこの点を書きたかった。

 

そう。今野敏は「楽に読める」のだ。

 

700ページの単行本でありながら、午後3時頃から夕食の支度、夕食と映画(WILDGEESE)を観てお皿洗ってそれから引き続き読んだら、結局真夜中前には読み終わっていた。

 

竜馬君が映画とWarHammer作成に没頭していたせいもあるけど、ちょっと静かな環境なら一晩で読み終えられる。

 

そこで他の作品と比較してみた。あれ?やっぱりこの一冊は軽いぞ。「隠蔽捜査」はじっくり書き込んだのだろう、それほど重くはなかったけど違和感なく読めた。よく書き込んでいたってのは、周囲の状況や心情の動きとか、要するに本筋には関係ないけど物語の肉になる部分がちゃんと付いてる。

 

それに比べれば今回の作品はずいぶんあっさりである。ほぼ速読可能な内容。テンポも早いし余計なところに話が流れないから、さら〜っといける。

 

ある意味、これは読みやすい。歯ごたえのあるステーキの後でさらっとかけうどんを出されたようなもので、納まりも良い。

 

忙しいビジネスマンがちょっと気分転換に読んでみるには手頃であるし、これはこれで一つの書き方であろう。

 

昔で言えば赤川次郎が国民大衆に受けてた時代もあったし、それに比べればこの本はきちんと高い場所で書かれているから問題なし。警察にちょっと興味が出てくるかもしれない。

 

ただ、本当の本はまだ先の長い道がある。

 

読んで行けば行くほど次に出てくる本はどんどん思い切り濃密に書かれているからその圧倒間は半端ではないが、それは読者にも厳しい忍耐と読書力が要求される。ゲームで一つの場面をクリアーしたら次はもっと難しいってあれだ。

 

欧州の本で言えば今の時代に超大作である「レ・ミゼラブル」をじっくり読めるだけの時間が取れる人間がどれだけいるか。

 

レ・ミゼラブル 全4冊 (岩波文庫)レ・ミゼラブル 全4冊 (岩波文庫)
著者:ヴィクトル ユーゴー
販売元:岩波書店
発売日:1995-07
おすすめ度:5.0
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また短い作品であっても「自由論」や「人間不平等起原論」をきちんと読みこなし出来るか。

 

 

 

 

日本の作品でも長編の「人間の条件」を全部読める人(時間的制約、読力)がどれだけいるか。短編でも重い本はたくさんある。

 

人間の條件〈上〉 (岩波現代文庫)人間の條件〈上〉 (岩波現代文庫)
著者:五味川 純平
販売元:岩波書店
発売日:2005-01
おすすめ度:5.0
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間違いなく言えることは上記のような「重い本」は、今の初心者読者が入っていくには重すぎて、それだけで読書離れを起こしてしまうってことだ。

 

だから岩波書店は全然本が売れなくて困ってる。

 

だから今野敏のような「入りやすい」作品が売れて、それで本を好きになってくれて次の段階に進んでくれるとうれしいのだが。

 

あ、そう言えば最近は、世界の古典を漫画で読もうって流行がある。これもまさにそうだ。全然読まれなくなった古典を再度一般の人々の手に取ってもらうために出版社側が仕掛けた「バーダウン」であろう。

 

罪と罰 (まんがで読破)罪と罰 (まんがで読破)
著者:ドストエフスキー
販売元:イーストプレス
発売日:2007-10
おすすめ度:3.5
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出版物の売上が急激に落ちてきて、新聞社と出版社はどちらも大変な構造不況に追い込まれている。その中で人々の本離れが出てきているのだから、入り口を下げていくのも大事な仕事だと思う。

 

それにしても今野敏。結局本の中身に触れる事ないままだけど、内容も柔らかすぎてはいないし、かといって抵抗を感じるような書き方でもなく、お勧めの一冊です。



tom_eastwind at 11:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2009年11月27日

ノーベル賞の重みと科学技術信仰と税金の使い方について

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政府が行っている事業仕分けで無駄な予算を削減する為にスパコンの予算を削るってことになり、それに対して「科学技術は神聖不可侵である」みたいな話が出てきている。

 

 

こんな下らない話は2〜3日で収まるだろうと思ってたら、何とノーベル賞もらったおじいちゃんまで出てきて大騒ぎになっている。

 

時事ネタやるときりがないしスパコンネタはすでにあちこちで冷静に語られているので放置と思ったが、なんだか終わる気配なしなので、海外から見た印象を書いてみる。

 

事の発端は本来300億円くらいで出来るスパコンを1200億円で富士通が作ると言う話だった。つまり価格に整合性があるのかという議論。

 

そしてスパコン自体が本当に今の時代に必要かという議論がある。

 

つまり元々が「価格がおかしいから安く調達すべき」と言う話と「スパコンは時代遅れ、それより他の技術を伸ばすべき」と言う二つの議論が重なっている話だからあふぉには分かりにくくて両方をごっちゃにして議論されているから話がかみ合わない。

 

スパコンはよく戦艦大和と比較される。第二次世界大戦、飛行機が時代の趨勢を担っている時代に大艦巨砲主義がすべてと思い込んで「でかい船」を作って結局はハエのようなちっちゃい飛行機に撃沈された。

 

最近グーグルがクラウド技術を商売につなげているが、スパコンとクラウドはまさに戦艦大和と戦闘機集団である。

 

一つ一つを取ればそりゃもう戦艦大和が強い。けど集団で戦ったときには大和は飛行機に絶対に敵わない。

 

今回のスパコンも同じで、そんなもん作って何に使うのか?である。処理速度の速い機械が欲しければパソコンを並列させれば良い。そしたらどこまでも処理能力は拡大出来る。

 

そしてそれはすでに長崎大学などで開発されており、これは何と3千万円でスパコン並みの能力が発揮出来るのである。

 

つまりスパコン自体がすでに「時代遅れ」なのである。そこに「だって僕の先輩、前の担当者が決めたんだもん」と役人が事なかれ主義で無理押ししようとするから話がおかしくなる。

 

でもこんな事言うと、「それではスパコン開発技術が遅れるではないか!それで良いのか日本国は!」と言う「科学技術信仰」の問題となる。こんなの宗教であり何も考えていない証拠だ。

 

こんなのは「天皇陛下は神聖で犯すべからざる存在でありその存在を議論する事が不敬である」と戦前の天皇機関説みたいなものだ。

 

まさに無意味で非合理で科学でも何でもない。サル山のサルが無意味に吼えているだけである。

 

日本国が自前の技術としてスパコン開発能力を必要としているのならそれは「技術開発の話」として考えるべきである。

 

そしてスパコンを作る過程で1200億円使って日本(軍)が技術を磨いていくと言うのなら、では東京都大田区や大阪市の町工場で戦後の日本を支えてきた現場技術が現在継承者もなく滅びようとしているのは放置してよいのか?と言う議論になるべきであろう。

 

1200億円もあるのなら、どれだけの現場技術が継承されていくか。それとも中小企業の金型技術などはどうでもよい、とにかくおっきなモノを作りたいのだと言うつもりか?

 

それともノーベル賞を取った人が言うのだから絶対である、町工場の親父なんて相手にするな、てことか??ふざけんな、何の権威もありゃしないものに権威付けをすることでサル共に勘違いさせて偉ぶらせてるだけの賞ではないか。

 

スパコンは元々宇宙開発だとかの為の「手段」でありスパコンを作るのが目的ではないはずだ。

 

ならば宇宙開発予算として3千万円で出来る技術になんで1200億円も払わないといけないのかという単純な話である。

 

どんな開発にもお金はかかる。ダムを作るにしてもスパコンを作るにしても、やってるほうからすれば彼らなりに自分が正当、自分だけが正しいと思う100の理由がある。

 

けど国民の税金は限られている。限られている予算の中でどこにその限られた資源を配分するかの話である。

 

だからどう見ても社会保障とスパコンではスパコンが不要不急であるのが分かるし、はっきり言えばスパコンなどいつでも追いつけるが、国民を無視した政府のもとでは、誰もまともに納税しなくなるよ。

 

米国が月ロケットを作りNASAが世界一の技術でどうのこうの、けどその足元では多くの米国人が生活苦に悩んでいる。

 

どっちを取るか?どこに限られた資源を配分するか?そんな話をしている時に「科学は特別だ、絶対に予算が必要だ」と力説されても、そんなの学者のわがままでしかない。

 

もちろん科学予算をゼロにしろと言ってるのではない。けど物事の優先順位の上に機械が来て一番下が生活苦に悩んでいる国民と言うのなら、これは明らかに順番が違うでしょう。

 

今、日本が凄まじいデフレに追い込まれて国民生活がマイナススパイラルになっている現状でやるべきことは、何よりも国民生活の安定でしょ。

 

写真はオークランドのバスターミナル。隣ではノースショア公立病院労働組合が賃上げ要求の団体行動をしてました。

 

病院側が今年は8%賃上げするって言ったら組合側が13%じゃないと納得出来ない!とストライキに入るそうです。

 

先日もバス会社組合がストライキやって賃上げ獲得しています。賃上げですよ、賃上げ。今の日本では想像もつかない言葉ですよね。

 

宇宙ロケットもスパコン作る技術もないし技術立国でもないけれど、この国では人々は楽しそうに生活しています。

 



tom_eastwind at 14:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月26日

ランボー3

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ランボー3

 

最近はすっかり映画三昧である。りょうまくんが映画大好きだし一日中何本見ても疲れない体質のようで、毎週10本くらいレンタルして見てる。

 

今日はランボー3。アフガニスタンに侵攻したソ連、現在のロシアをランボーがやっつける話。あまりに簡単すぎる説明か?

 

もちょっと難しい説明は2007年7月2日頃に書かれたブログにあります。

 

1980年代に発表された当時は世界の平和を守るアメリカが悪の帝国ソ連に侵攻されたアフガニスタンを自由にするために英雄ランボーが送り込まれると言う筋書きで超人気映画となった。

 

ところが1990年代になると、この映画は表舞台からすっかり姿を消した。何故なら正義と自由の味方のはずのアメリカがアフガニスタンに侵攻したからだ。

 

こうなるともうお笑いで、いかにハリウッドが政治と近いかよく分かるというものだ。

 

映画自体は活劇と考えれば面白いが、映画を作る人々は自分たちが政治に加担しており、いずれ政治の牙がアフガニスタンに向いた時にこの映画がどういう運命を辿るかは、あまり考えてなかったようですね。

 

最後の場面で少年ムハジャディンがランボーに聞く。

「行かなくちゃ行けないの?」

 

待ってろ、アメリカ軍はすぐ帰ってくるから、もっと大量の武器を持ってね。

 

それにしてもこの表紙写真面白いですね。ランボー怒りのアフガンですか、ははは。

 

もっと面白いのは同じ映画を2年後に見て同じ感想を抱くほうか?進歩ねーな。

 

 



tom_eastwind at 07:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月25日

サンタ その2

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サンタの続きです。

 

今年の顔は北風を吹くおじいさんって感じでした。そして今年は更に!トナカイが追加で来てますね。おお、段々進歩するニュージーランド。

 

 

それでも北半球やシドニーから比べればまだまだ田舎ですが、その田舎に世界の大都市であるロンドンや東京やニューヨークからお金持ちが移住してきたりするんだから、それほど悪くはないですね。

 

オークランドのクリスマス名物のサンタも「これでは国際化に乗り遅れる、トナカイに乗らなきゃ」と思ったのかもしれません。

 

そう言えば先週もシティのレストラン街(Viaduct)で食事をしていると、おお、レストランの入り口でスタッフがメニューを手に持ってお客に声をかけているではないか。

 

以前のオークランドでは考えられなかったようなサービスである。以前なら客が入り口に立ってもスタッフはキッチンやカウンターでスタッフ同士のおしゃべりしてて、こっちに気づいたら「また後でね」と仲間に言い残しててくてくとお盆を回しながらこちらに来たもんだ。

 

他にも全体的にサービス業の程度が「以前と比較すれば」進歩していると感じる。ここ数年ホスピタリティ業界向けの学校がどんどん出来ているし、そこの卒業生が社会に出てきているからだろう。

 

世界では二番底が来るぞと言ってるし、1米ドルが50円になるとかアメリカ国債暴落とかいろんな筋書きが描かれているけど、南太平洋の小島で働く人々にはあまり大きな影響はないようです。

 

以前も書いたけど、ニュージーランドは元々遅れている国。だからこそ最新鋭の装備で戦ってる北半球のように派手じゃないし儲からないけど、けど、けど人々は幸せって国なんだよね。

 

田舎でも少しづつは変化している。田舎だから駄目ってならその田舎にロンドンやニューヨークから移住してきた人間はもっと駄目なのか?

 

若い頃から世界に飛び出して金融業界で頭角を表して最後にはメリルリンチ本社副社長まで上り詰めたキーウィでも、やっぱり人間らしい生活はニュージーランドと帰ってきた。その後首相になったってのが本人からすれば計算違いかもしれないけど。

 

 

サンタさん、今年も年末までよろしくね!



tom_eastwind at 00:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月24日

やった!また一つ年を獲れたぜ!

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――人は窮地に立たされると想像以上のパワーを発揮するものですね

 

ストレスってマイナスイメージにとらえられがちだけど、私は心のバネになる。人が成長していく上で大きな力を引き出してくれる大切なものです。

 

――でも、多くの人はストレスに参っている

 

たぶん、ストレスに甘えているんじゃないかな。極端に言えば、ちゃんと生きていないというか。自分との闘いを避けている。だから、余計にストレスがマイナスに作用してしまうのでは。

 

元ネタ↓

 

http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/img/070205_img_1.jpg&imgrefurl=http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/070205.html&h=270&w=220&sz=23&tbnid=n28pktHo7zmJLM:&tbnh=113&tbnw=92&prev=/images%3Fq%3D%25E9%25A2%25A8%25E5%2590%25B9%25E3%2582%25B8%25E3%2583%25A5%25E3%2583%25B3&hl=ja&usg=__QvVpIDm7-utnweFInCtV68U88e4=&ei=ULUIS93yIIzuswO9v8XACQ&sa=X&oi=image_result&resnum=6&ct=image&ved=0CBcQ9QEwBQ

 

最近のグーグルの良い点は、こちらから積極的にテーマを絞って調べなくても、今どんな話題があるかを「あちら側」から見せてくれると言うところだろう。

 

風吹ジュンは1952年生まれの女優。「寺内貫太郎一家2」でデビューしてからだから、もう30年以上も役者をやっている計算になる。

 

その彼女が「どらく」の最近のインタビューで答えてたのが上記の引用。

 

どらくは朝日新聞系列だからそれなりに偏向がかかってはいるものの、インタビューされるほうはそれなりにまともな人が多い。

 

それにしてもきちんと年を取るってのは実に楽しいものだ。まさに彼女のインタビューとおりである。

 

きれい、てか、きちんと年を取ればそれはすべて体験と知識になり、それが昇華されて人間に丸みを与えてくれる。そしてそれが内面から本人の輝きとして現れてくる。

 

他にもそういう人はたくさんいる。俳優でも一般人でも、外面も内面もずいぶんかっこいい人が増えたなって感じがする。外面についてはやっぱり医学の発展と生活の質の向上があるのだろう。

 

もちろん生まれっぱなしでムダに年を取っただけのおやじは駄目ですよ。ありゃ、若者以下にバカである。

 

若者より先に生まれたからって言うだけで理由もなく威張ってて、けど年を取る間に自分では何の努力もせずに自分で考える事もせずに運動もせずにぶくぶくになって脳みそからっぽでやることと言えば飲み屋で上司の愚痴をこぼして、会社ではその上司にぺこぺこしてビルの喫煙室で自動販売機の缶コーヒーをちょびちょび飲みながらぶつぶつ言って体中をヤニだらけにしてオフィスに戻るような「xx」になってしまっては、せっかくの人生がもったいないし誰も相手にしてくれませんよ。

 

けれど与えれた人生と時間を思いっきり積極的に利用して自分を磨くために使えば、これはもう鬼に金棒です。そうして年輪を重ねてきた人は、男でも女でも実に美しい。だから今の40代は実に磨かれた人が多い。

 

そんな人たちはなにせ社会経験は豊富だし知識は多く持ってるし、どこで引いてどこで押してと言う現場経験があるし、なによりも今まで社会の現場で叩かれながら生きてきた自信があるから、その辺の道端に転がってるガキや学歴だけを振り回しておしゃれなスーツをぎこちなく着こなしているような若者には所詮勝ち目はない。

 

どんな状況になろうと、そういう「錬れた連中」はどうしても今の20代や30代の連中と戦って負ける気がしないはずだ。

 

会社の立場とかに関係なく、体力的にも気力的にも精神的にも知識的にも、絶対に負けないだろうなって自信がある。強く生きてきた、だから風吹ジュンも明確に「甘えるなよ、バカ」っていえるんだと思う。

 

それに比べれば、厚化粧のノータリンがバカかましてバカ男相手に愛想振りまいてバカ同士が引っ付いて美しき誤解の上に惨憺たる結婚人生を送ることの惨めさ。

 

なんか、もっと綺麗に楽しくしっかり生きようよって言いたいな。

 

社会経験のないドロップアウトしたようなお前らさ、社会に背中を向けてすねてるような格好しても、みっともないよ。所詮は似たモノ同士が集まって傷の舐めあいするんだろ。

 

かと言って立派な大学でた君、大手企業に入っただけで、キャバクラで名刺見せるだけでもてると思ってるんか?女はお前の中身を見てるんだぞ。

 

どっちもばーか、そんなの、あり得んし。

 

そう、彼女の言うとおり、ちゃんと生きてないからわけのわからんことばかりで悩んだりするしストレスを抱え込んだりするけど、結局ソレは「ぼくちゃんってかわいい、かわいそう」の延長に過ぎないのだ。

 

目の前に爆弾落とされたり攻撃してきた軍隊に機関銃を撃ち込まれてみろ、そんなお上品な「自己憐憫愛」なんて一発で吹っ飛ぶぞ。

 

要するに毎日の飯が食える、コンビニで弁当を買える、何とかアパート代くらいはある、つまり贅沢な状況にいて悲劇を弄んでるだけの連中。

 

あ、なんか今日は攻撃的な文章になってしまったが、けど若者でも頑張っている人はいるし親父でもどうしようもないのもいるし、そう考えるとこれは、年代の差ではなく「気づいた人」と「気づかない人」が同世代にいるだけで、いつの時代でも同じ問題なのだろう。

 

う〜ん、けど、ほんと、今の時代にばかものに迎合するような親父連中を見ていると本当に腹が立つのも事実。もっと中身磨けって言いたい。

 

何で今日はこんなに攻撃的なのかよく分からないけど、たぶんこれは風吹ジュンがあの爽やかな笑顔でばさっと切った文章に思いっきり刺激を受けたからだろうな。

 

けど間違いなく確実に言えること、それはきちんと年を取るってのは実に楽しいってことだ。

 

一つ一つ、人生の疑問が解けてきて最後に「お、これが人生なんか」って気づいた時の喜びと、それ以降の生活の楽しさって、超難しいパズルを解いたときの到達感がある。

 

それでいてしばらくすると更に高い山が見えてきて、「お、まだまだいろいろあるじゃん!」と気づく。

 

楽しいですね、こりゃ、はまりますぜ、人生!



tom_eastwind at 00:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月23日

今年もサンタがやってきた

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今年もサンタがやってきた。この場所でサンタを眺めるのがこんなに長くなるとは感慨深い。

 

10年前に移転して来た時はワーホリ全盛時代で、オフィスの床が抜けるのではないかと冗談で言うくらい若者の情報発信基地として活動していた。

 

けど、そんな市場もたった数年で急激な変化が起こり、以前は街を歩いてれば必ずどこかで日本語が聞こえたものだが、今ではさっぱりである。

 

最近では空港に行っても起業移住や留学移住を希望する日本人が目立つ。

 

こんな風にビジネスモデルは急激にシフトしていき、現在ではワーホリ市場は70%近く落ち込んでいる。ほんとに激減である。

 

当社が5年ほど前にキチガイみたいにワーホリ市場から移住起業市場にシフトしていった時は、周囲の人々は「何やってんの?」と思ったようだ。

 

けど、やっぱり時代は変わるんだよね。

 

とくに最近は市内に他の無料情報センターも立ち上がるようになり当社もいよいよ正式に情報センターの掲示板を撤去して事業会社として社内レイアウトを変更する。

 

これで一つの時代と正式に区切りをつけることになるんだなと思うと、やっぱり感慨深しです。

 

それにしても時代の変化は早い。あまりにも早い。多くの人がこの波についていけずに次々とスピンオフしていってるのが現実だ。

 

けどな〜、そういう人に限って「おれは悪くない、悪いのは他の会社だ、あの会社は悪い奴だ」みたいなことを言って陰口を叩くのだから全く困ったものである。

 

そんな事を思いながら今日メールを開くと、久しぶりに懐かしい日本の元仕事仲間から。お、懐かしいね、どうしたんだろと思って開くと「留学会社、退職します」だって。

 

ここもかい。一時期は隆盛を誇っていたのにな〜。初代社長の頃は一緒になってにぎやかに仕事をしてたんだけど、あの頃のようには日本の若者が海外に出ない時代になったんだよな。

 

今日と同じ明日は来ない。これを言葉で理解してても、それで何かを実行したか?

 

変化する事はとても苦しいけど変化しなかった時のことを考えれば、やるべきだろう。

 

けれど多くの人は安定を求めて変化を嫌う。変な話だ。長生きをしたいと言いながら不摂生な生活を「安定しているから」と続けるようなものだ。

 

それにしてもサンタ。ご尊顔はまもなくご開帳とのこと。けど、まるでミイラみたいに顔にぐるぐる包帯巻くセンスはいかがなものですかね。



tom_eastwind at 00:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月22日

小切手帳

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日本では個人が使うことがほとんどないのが小切手だろう。会社だったら小切手も発行するけど、それでも個人が小切手を持ち歩く事はほとんどない。

 

だが西洋諸国、そしてニュージーランドでも小切手は日常生活に溶け込んでいる支払い方法の一つである。

 

最近はインターネットバンキングが急増して以前に比べて小切手を使う機会は減ったが、それでもやっぱり日常生活には浸透している。

 

そんな中での冗談話にこんなのがある。ある銀行の支店長室で有閑マダムが支店長に文句を言ってる場面。

 

マダム「おたくの銀行は一体どういうことよ!私の小切手帳にはまだこれだけたくさん小切手が残っているのに、何で使えないのよ!」

 

支店長「マダム、小切手と言うのは口座にお金があって初めて使えるものなんですよ・・・」

 

マダム「そんな事知らないわよ、わたしは小切手を使いたいの!」

 

まさに小切手の特徴を良く表したものである。お金がなければ小切手は発行出来ない、けど人はいつの間にか小切手があればお金があると思い込むのだ。

 

この奥さんと今の日本がやっているのが同じことだろう。つまり財源がないのに政府による様々な景気刺激対策、一般的にはばら撒きと呼ばれる政策を実行しようとしている点だ。(ぼくはこの政策自体を批判しているわけではない)

 

そしてもう一つ、大きな問題がある。

 

最近政府は「日本経済はデフレである」と公式に認める発言をした。

 

この二つを掛け合わせると自ずと政府が目指す一つの方向性が見えてくる。

 

一時的なばら撒きで国民に安心を与えて来年の参議院選挙で単独与党になり、財務省と組んでハイパーインフレーションを起こして国家が抱える百数十兆円の国家負債の解消である。

 

その結果として日本円の価値は長期的に大幅に下落する。

 

それでも有閑マダムが言う。「お金がなければもっと国債を発行すればいいでしょ!」

 

ではその国債の担保とは何か?国が保証するという意味は、要するに満期になったら国が保証してお金を返しますよってことだ。だから満期になったらお札を印刷して渡せば良いではないかという理屈になる。

 

これが最近の「政府は倒産しない」の理論的根拠である。ではそのお札に価値がなくなったら?

 

お札に価値がなくなると言う意味は、これはなかなか理解し難いけど、ではあなたがアフリカの聞いたこともないような国の紙幣を渡されて「これは1万円の価値があります、あなたの5千円とこのお札を交換してください」と言われれば、殆どの人間は苦笑いしながら去っていくだろう。

 

それと同じで、人は見知らぬ紙幣に価値を感じないし、ましてやばら撒きで印刷された国の、これから確実に通貨価値が下がるであろうお札には両替しようと思わない。

 

お札をたくさん印刷するとインフレが起こる。この理屈は経済学者に任せるとして、歴史的にも理屈的にもこれは事実である。そしてインフレが起こると通貨の価値が下がる。

 

今の日本はデフレ状態なのでデフレの解消と同時に国民の安心感と安定した生活を確保するためにインフレを起こすのも、つまりお札のばら撒きもありかもしれない。これはそれなりにきちんと政府に覚悟が出来ていれば、ぼくはやっても構わないと思う。

 

しかしそうなると通貨の価値が下がるので食料や資源を外国からの輸入に頼っている日本では輸入価格が急激に跳ね上がって手の付けられないハイパーインフレーションになる。

 

それが有閑マダムの目標であれば、それはそれなりに良いのではないかと思う。

 

通貨が下がれば輸入価格が上昇するものの、そんなもんお札を印刷すれば問題解決、ゼロが多くなりすぎて計算が難しくなれば通貨の切り下げ、つまり今日の100円は明日から1円にしますと言えば良い。

 

何度も言うけど、この政策自体はぼくはそれほど否定的ではない。

 

このまま長期的に、泥沼にはまった状態で政府と国民がお互いに自縄自縛で沼の底に沈んでいくよりは、ハイパーインフレーションでも起こして一気に問題を解決、つまり経済がらがらポンをやってもよい。

 

経済学者は「そんな事やったら大変だ!」と言うが、彼らは経済の安定を求めて常識の範囲内での解決策を探そうとしている。けどそんな理屈で解決するような事態でないのが今の日本だ。

 

ただ、これをやると国や政府を信じて盲目的に日本国内に貯金していたカネは、あっと言う間に紙切れになる。

 

国民が信じて預けたお金は銀行にある。その銀行は預かったお金の多くを遣って国債を購入している。国債は10年後に償還される、現在の通貨額で。その結果として日本国内に置いてある日本円預金は完璧なまでに紙切れになる。

 

国は絶対に倒産しないが、国民は確実に倒産する。

 

しかし、政治が国を継続発展させる道具であり多くの国民を救う為ならば、これも政治的には一つの判断と言える。

 

銀行にお金を預けているお金持ちの皆さん、今まで稼いだお金は政府が利用させてもらいます、安定した老後なんて期待しないでもう一度死ぬまで働いてくださいってことになる。

 

これはこれで問題はない。なにせ本当にお金に困っている人は銀行の貯金さえないのだからインフレが起ころうが関係ない。インフレが起これば給料が上がるのだから生活には困らない。

 

しかしこの政策には一つだけ大きな欠陥がある。それは、日本円貯金を持っている国民が政府の方針に気づいてお金を外貨建てにしたり外国の銀行にお金を預けてしまうことだ。

 

外国にお金が流出してしまうと政府は取り返しようがない、さあどうするか?

 

答えは簡単で、税務署を通じてすべての外国で取引をしたり口座を持っている人の資産調査をやって「何で外国なんだ!怪しいぞ!徹底的に調査するぞ!」と脅かして、資産を日本に戻させる事だ。

 

資産を日本に戻させて更にそれを日本円にして銀行に入金させてしまえば、後はもう政府のものである。

 

実際にここ数ヶ月、日本の税務署の動きが非常に活発になっている。直接お客様からそのような話を、あちこちから聞くようになっている。

 

日本国内にいる国民は、のりピーや押尾がどうしたとか鳥取の連続殺人とか札幌の路上殺人事件からイチローがどうしたサッカーがどうしたまでのいろんな出来事で忙しくて、ゆっくりと全体を眺めるヒマがない。

 

国民に高い空を見せている間に、国民の足元に置いてあるかばんからお金をカッパラうと言う、昔から政府がやってきた常套手段である。

 

ちなみに天を見させて足元からカッパラうと言う言い方は日本だけの話ではなく、ニュージーランドにやってきたイギリス政府がマオリから土地をカッパラう為にキリスト教を持ち込んだときと同じ巻き上げ方である。

 

写真はオークランド空港でボランティアで働くおじいさん。来し方を思い出しているんでしょう、遠い目をしていました。



tom_eastwind at 00:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月21日

お母さんと一緒

「お母さん、今日はお父さんはお客さんと食事だから竜馬君を見ておいてね」とパソコンの画面を通じて奥さんに竜馬君の面倒をお願いした。

 

ニュージーランドでは子供を一人で家庭に放置するとそれだけで虐待となるし、これが冗談ではないくらい厳しく適用されるので大変だ。

 

日本だったら、子供を持つ殆どの親は逮捕されるよねとか思いながら、けどこれは子供を社会全体が守っていくって発想でいいよなって思う。

 

それから、良いか悪いか分からないけどこちらは密告制度が発達している。何かあっても直接相手には言わずに役所や警察に電話する仕組みだ。

 

何せ警察も「大丈夫、あなたの身元は守りますから何でもちくってください、無料電話番号はxxxxです!」みたいな宣伝をしょっちゅうやってる。

 

奥さんが自宅を去ってからすでに一週間、これがさらにあと2ヶ月続くんだから大変ですぜ。

 

学校の送り迎えから食事の支度、学校の用意、掃除に洗濯、やることだんぼ。おまけに学校の行事が途中に入ったりすると夜の9時くらいまで引っ張られる。

 

まあ親の義務と言うよりは権利と思って楽しもうと考えているけど、今日のようにお客様との食事となると「竜馬は誰が見るの?」と言うことになる。

 

20世紀の世界ではここでナニー、つまり子守りというビジネスが成立したのだけど、21世紀の今日、当家ではちょっと違った子守り形態を考えた。

 

まずは奥さんをインターネットビデオで呼び出して、リビングルームに置いてある大型パソコン画面にカメラを取り付けて、リビングルームが全部見えるようにして竜馬君を見守ってもらうのだ。

 

この装置はスカイプやMSNメッセンジャー、それにビデオを組み合わせているので双方向で会話も出来る。だから感覚的には奥さんが居間にいて竜馬君と一緒に坐っているようなものだ。

 

実はすでに数ヶ月前から東京にいる娘はこの状態で夜は繋がっている。今回はその逆のパターンである。

 

別に意識して画面を見てなくても普通に相手のリビングルームのほぼ全部が見えるので、目の隅で竜馬君がいたずらするのが見えたら「こら!」って言える。まさにバーチャルリビングだ。

 

これに携帯電話を持たせておけば、彼はケータイの操作も問題なく出来るのでまず心配はない。

 

それにしても昨日のI−PHONEに続いてスカイプネタ、て訳ではないが、ますますインターネットの進化を感じる。

 

本当に画面を通じて今そこにいるように居間にでんと坐っているのだから、なんか臨場感たっぷり。

 

てな事を思いながら、これを日本で児童保護の観点からするとまたいつものようにずれた議論になるんだろうな。

 

「画面は対面ではない」とかね。けど、やれるっちゅうのに。

 

そのくせ一番大事な趣旨である「子供を守る」と言う姿勢はなく、夜遅くまで塾に一人で通わせるんだから、本末転倒ですぜ。



tom_eastwind at 00:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月20日

Shierra

大体においてブログに数日の「空き」が出るのは書く事がないのではなくその反対で、書く事が多すぎて消化不良のまま次のネタが転がり込んできて、例えば自宅に帰る車の中でささっと全体の文章は出来上がるんだど、車から降りた瞬間に全部忘れてしまい、それから料理にかかったり食事したりお皿洗ったりで、その数時間後には次の文章が浮かび上がっているけどそれはベッドに入ってから思いつくようなことで、朝になったら忘れてることなんだけどだからと言って保存の為にいちいち録音するのも、そこまでするのもなって感じなので結局放置しておくとこんなに「空き」が出てしまうのだ。

 

特にひどいのが日本にいるときで、とにかく周囲はネタ満載なのだけど、情報が多すぎておまけに移動が多すぎて、ゆっくり坐って何かをするって時間が一日の中で1時間も取れない。

 

そんな時間ってのは溜まったメールを処理するだけで一生懸命で、結果的にネタが全部「賞味期限切れ」になったりする。

 

花王のエコナのトクホ却下とか亀井さんの政策とか面白ネタは山積みだし、今日の記事では小沢さんをいよいよ検察が突っ込みするのかよ、おいおい、黙って民主党に2年くらいやらせればいいじゃんかと思ったり。

 

小沢さんの政治献金なんて、あの人は元々田中角栄の子分であり金権政治の代表みたいなもので、けど今の日本で誰かに何かをお願いしてその後で菓子折りなどの付け届けをしなかったら「あいつは礼儀を知らん」となる文化を持つこの日本で、まずは選挙民が自分から襟を正せと言いたいくらいだけど、

 

今日はそのネタではない。

 

それは数日前のオークランドでの事なんだけど、実は今ある不動産の名義の案件があり、これを何とか進めようと弁護士と打ち合わせ。

 

彼は白人で親もしっかりした経営者なのだが、いつまでたっても子供っぽいと言うのか、こっちが指定の時間にオフィスに行くと、そこから30秒ほど離れた場所にあるいつものカフェ(てか、そのカフェはうちの会社のすぐ裏)でコーヒー飲んでる。「こっちおいでよ〜」だって。

 

彼はスモーカーなのでオフィスでもビルでも吸えないのでいつもこのカフェの外側テーブルでタバコ吸いながら仕事をしているのだが、おいおい、だったら最初からそういえよ、そしたらこっちは30秒節約して直接カフェに行けるのに。

 

ぶつぶつ言いながら椅子に座ると「ま、緑茶でも飲んでくれや」とにやっと笑うのでそれ以上いう事もない。

 

でもってこいつの手元を見ると、あれら?おお、あれ、I−PHONEではないですか!

 

ぼくが気づいた事に気づいた彼は思いっきりの笑顔で「ほら!見ろよ、コンパスとか計算機とかあるんだぞ、日本でも売ってるのか?」だって。

 

昔誰かの冗談話で、オーストラリアのエアーズロックの警備員が乗ってる車が三菱パジェロで、ツアーでやってきた日本人に「ほら、この車いいだろ、日本にはないだろ!」みたいな笑い話があった。

 

日本の携帯電話って技術だけでは物凄い進んでいるんだよね、ただ売り方を失敗したから世界標準を獲れずに、どの会社も実質赤字で大変なことになっている。

 

世界でも日本の携帯電話のシェアは全部合わせてもノキアやサムソンに敵わないほどの少量市場。

 

けどまあ日本の東京の新宿でケータイ使っていると、世界なんてどうでもよくなるんだろうな。

 

実際に日本ではI−PHONEはあまり売れてないようだ。「だって普通のケータイで充分だもん」と言うことらしい。

 

つまり、ケータイ世代は親指族として成長しているから既存のケータイが良いわけで、両手でかちゃかちゃが前提のI−PHONEはパソコン世代にとっては実に使いやすいがケータイ世代にとっては「意味フメイ!」となるようだ。

 

けど、実際に世界を見てみると、ブルーベリーかI−PHONEかって言うくらい、ビジネスマンの中ではこの二つのスマートフォンが定着している。

 

彼らが使っているのは携帯のパソコンであり、これはビジネスツールである、だからお遊びの延長の携帯電話とは根本的に使い方が違う。

 

弁護士くんは楽しそうにコンパスをいじったりキーボードを左右に振り回したり(これ、見たことがある人は分かりますよね)して楽しんでた。

 

おいおい、おれとの話はどうなるんだ、とか思いながら5分もすると、けどまあこの弁護士くんはカフェの前の道を歩いてるビジネスマンを次々と捕まえてはぼくらの椅子に座らせて「おい、この不動産の案件だけどさ、お前ただで情報よこせや」とか「おい、この契約だと何がどこまで出来るんだ?銀行の部長と言う立場を忘れて正直に答えろ」みたいな脅しをやっている。

 

こいつ、椅子に座らせてコーヒー一杯で随分と高級な情報カッパラッテイルナと、結構感心。それなりに使えるよね。

 

このあたりがニュージーランドの俗人ビジネスってか、本当にサークルの内側にいる人しか出来ない芸当があるんだよね。

 

実はこのカフェの位置、良い場所にある。金融関係をやっているとこのあたりは結構歩く道なのだ。一ヶ月前などは、彼が呼び止めた相手はクライストチャーチの元市長だから、コーヒー一杯の費用を考えたら安いものだ。

 

I―PHONEをもて遊びながら道行くビジネスマンに声をかけて坐らせて尋問するってのが、何となくニュージーランドらしいなって感じ。

 

要するにこの国は田舎である。だから電化製品も新型携帯も珍しい。けどビジネスの根幹は人と人、信頼で繋がっているのだってのがとてもよく分かる。

 

このあたり、何とも説明のしようがない空気があるんだよね。日本の流儀では絶対に理解出来ないし仕組み自体がありえないんだもんな。

 

カフェで1時間ほどいろんな道行く連中を巻き込んであーでもないこーでもないとやって、よっしゃこれでブレーンストーミングは終了、次は本ちゃんいきますかってことで一旦解散。

 

なんかな〜、I−PHONEと田舎ビジネス、う〜ん、良い意味で、自分を持ってると言う意味で身の丈のずれがまた何とも言えず心地よいな。



tom_eastwind at 00:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月15日

マイナス金利の発想

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最近経済学者の間で一つの仮説としてマイナス金利と言う発想が出てきている。

 

要するに銀行預金に対して課税しますって事。普通は銀行にお金を預ければ年0.1%でも利息が付いて、ほんのちょびっとではあるけど増える。

 

けどこの場合は、銀行預金を継続すればするほど預金額が減少すると言う話です。あなたがもし銀行に100万円の預金があれば、100万円に対して毎年2%、つまり2万円の課税をするのです。

 

なんて事を書くと一般的な日本人は「え!そんな事だめでしょ!」とかSEだと「どんなシステムで作るか難しすぎる」とか政治家なら「不平等である」とか、それぞれ細部にわたった議論を思いつくだろう。

 

けれど考えて欲しい。あなたがお金を儲ければそこから税金を払うのは当然だ。ならばデフレで現金の価値が10%上がればそれは利益と看做せるから課税するのもスジが通る。

 

つまり、今までは100円で2個買えてたりんごが、今は100円で4個買えるとなればこれは実質的に紙幣の価値が200円になったようなものだ。りんごの値段が下がると言うのは通貨の上昇を示すからだ。

 

であるならデフレの現状で見れば預金を持っている人は100円儲かったのだから、それに対して2%払いなさいってのは、それなりに整合性がある。

 

システムについては既存のソフトがあるので殆ど変更の必要はない。

 

平等かどうか。これはもう言い出したらきりがない。100人いれば100の平等がある。それを調整するのが政治だ。

 

タダ少なくとも、1万円しか貯金がない人が払うのが200円であるのに対して、100万円の貯金がある人は2万円払う。金持ちが余分に払う仕組みと言えば満足する人もいるだろう。

 

 

けどこの発想の基本は「持ってるけど使わない」人に「税金かかりますよ」と言って、そのお金で車を買ったり食事に行ったり、または株式や債券に投資をしてもらったり、要するに銀行から出してもらう事が目的だから細部はどうでも良いのだってこと。

 

なんでこんな事を経済学者が言い出したかって言うと、最近有名な勝間さんって女性が菅副首相にご進講した際に現在の日本のデフレを解決する方法として「日銀がバンバンお札を印刷して市場にばらまけば良い、国債を買い込めば良い」と言ったことに端を発する。

 

もちろん一般論としては市場にお札をばらまけばインフレが起こる。そして日銀はインフレが制御出来ないからという事で反対している。

 

しかしある経済学者が指摘しているのは、今の日本でお札を刷っても結局誰も使わない、それは社会全体に漂う閉塞感と将来への不安からであるという点である。

 

少子化が分かり易い例で、女性が子供を産まないのは将来が不安だからだ。難しい事を考える必要は何もない。

 

それと同じで、今の日本は実に様々な複合的要素で問題が発生しているので、どこか一つを手直しすればすべてが治るという状態ではないからだ。

 

それこそがらがらポン、すべてを同時に一気に動かさなければ日本は治らない状態である。

 

お札を刷れば問題が解決するってわけではないところに今の日本の問題がある。

 

けどそれでも政府としては何かをする必要がある。景気対策として何が良いか?公共事業なんて今時無理だし、だったらお札を刷るかなって流れになっているのだ。

 

だから経済学者も特効薬はないとした上で、とりあえず景気を浮上させるには個人消費を増やす事、そのためには個人の手元に現金を持たせる事と言ってるのだ。

 

面白い例として消費者金融を挙げているが、10万円借りに来た人に50万円貸すと、大体全部使ってしまうそうだ。

 

これと同じで、銀行にあれば皆さん使わないが、銀行に置いてるとお金が減ると分かれば現金にする。そこで手元に現金があれば使ってしまうと言う算段である。

 

もちろん賢い皆さんは「現金にしたって使わないぞ」と思うかもしれないけど、はい、あなたはそれでOKですが、統計的には間違いなくお金を遣う人の方が多いから結果的に消費は伸びるのです。

 

な〜るほどな、こういう発想もあるのかって感じ。

 

もちろん経済学者の皆さんは「まあ、マイナス金利なんて実際には政治的に不可能でしょうね」とは言ってるものの、日本国民として国全体を考えるなら、お札をじゃんじゃん印刷するよりも理論的には「まし」なはずだからマイナス金利ってものを一度は考えてみればどうでしょうかと言うこと。

 

ちなみにこの発想は今の日本だから出来る事です。つまり国民の資産の約50%が銀行預金になっている状態だから、そこから出しましょうって事になる。

 

けど今のニュージーランドには不要な政策。何故ならこの国の人は、入ったお金はすぐ遣うし将来の事はあまり考えないので貯金をするって発想がないのです。さすがに南太平洋です。

 

勝間さんも経済学者も何が問題かは分かっている。現在の日本社会の閉塞感、将来が見えない不安である。

 

ならばそれを取り除く、てか、最初からそうならないようにきちんとした設計図を描くことが政治の仕事ではないか。

 

その意味で世界に先駆けて今から100年近く前に老齢年金を導入し、労働組合法を整備して権利を保護し、女性の参政権を導入し、その後もセーフティネットを徹底することで国民に安心を与えたニュージーランドの政治はたいしたものだと思う。

 

以前一緒に飯を食った60代の政治家が言ってた。「おれの親父は50年前にイングランドからやってきた大道芸人だよ。何で移住してきたかって?英国じゃ食えないけどニュージーランドなら食えるからさ」

 

こう書くと「ちっちゃい国だから出来たんだよ」なんて言う政治家もいるけど、それはイソップの酸っぱいぶどう。

 

国民が自分が主権者であると認識し、政治家は自分の仕事は人生の一時期を国民や社会の為に捧げる事だと理解していれば、それほど難しくなく実現出来るのだ。

 

その代償として国家としてのハングリーさはないしいつも豪州の後ろを歩いてるけど、それでも出生率が2.0を超しているし人々の顔にストレスはない。

 

どっちを選ぶかは本人の自由だ。ハングリー精神か?セーフティネットか?どっちも一長一短である。

 

しかしハングリー精神で突き進んできた日本は1970年代から毎年のインフレーション、そして1980年代後半の弾けるようなバブル好景気、そして1990年代に入って一転地獄へ真っ逆さま。2000年代に入っても歯車の逆転は止まらずにデフレの嵐。

 

その結果として新宿中央公園には青テントが並ぶようになり、河川敷に住む哀れな浮浪者にキレた若者が襲撃をするようになった。

 

所得倍増計画から土地バブル、そしてバブル崩壊、終身雇用と年功序列の崩壊、こんなジェットコースターみたいな人生を普通の人間は耐えられるのか?

 

マイナス金利発想も日銀券大発行も荒療治であるが、問題はどちらも小手先の治療であり本質的な治療ではないから、どちらの政策を取り入れても日本は治らないということが多くの学者が指摘している点だ。

 

それよりはニュージーランドのようになんの変化もないけどそれが楽しい、そんな生活を「知足」として過ごすほうがよい、そう考える人が増えているのも事実である。

 

そうそう、最近の有名なブログでも「海外移住」と言う言葉が出てくるようになったのは興味深い。つい1年前までは殆ど出てこなかったのだから、それだけ現実感を帯びてきていると言うことだろう。



tom_eastwind at 10:34|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月14日

後悔を最小化する方法

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いつもの池田ブログからの転載。

 

★抜粋開始

目先の判断では人々は失敗を恐れるが、そういうリスク回避的な人生を続けていると、年をとってから後悔する事になる。

 

マークトウェインもこう言ってます。「20年たてば、したことよりもしなかったことを嘆くようになる」

 

★上記ブログに対するコメントの一つ

仕事だけじゃなく人生は全てそうなんですかね。
初恋の女性に振られたのは悲しかったけど、好きなことを伝えられてなかったら、もっと切なかったと思います

 

つまり60歳までサラリーマンで得られる生涯賃金と40歳で独立した場合に失う賃金差を5千万円として、それでもサラリーマンを辞めて独立する方が、長期的にはプラスだと述べている。

 

経済学とは数字の積み重ねだけど、それよりも大事なものがあるでしょ、夢とか思い出とか、長期的人生戦略になればその方が大事ですよって、ナンと経済学者が言ってるのだ。

 

けど、まさにその通りなんだよな。人生は金ではないのだ。カネは手段であり目的ではない。

 

人生でやらなかった事を後悔するよりも、間違いなく、やって後悔するほうが納得出来る。だって他人や親に言われたレールを歩かずに自分で自分の人生を決定したんだから。

 

年を取って自分の人生を振り返ってみて、人生の三分の一を過ごした場所が実は何の思い出も喜びもなかったとしたら、人生の三分の一を捨てたようなものだ。金の為に自分の時間を捨てて、それが人生か?

 

これに対していろんな意見がコメントに飛び交ってます。

 

ところで日本人が失敗を恐れるのは後天性日本社会病(政府による洗脳)でありすべての人類に共通のDNAではない。

 

まずは失敗は悪い事と位置づけ、そして実際に失敗すれば罰則があるとして若者に失敗を恐れさせて若者の夢を摘み取り、誰もがサラリーマンとなって一生を過ごす、つまり社会の歯車としてロボット化するための仕組み=統治システムである。

 

ニュージーランドでは子供の頃からどんどん前向きに失敗させて、そしてTry&Errorを学んで、自分の人生に自信を持って生きれるようになっている。

 

社会も人々の失敗を寛容しているから誰も失敗を恐れないのだ。だからバスも道を間違うし銀行の窓口での入金もしょっちゅうミスを起こす。けど、それを許す理論がニュージーランドにはあるのだ。

 

日本では、偉そうな連中が聖人君子みたいな顔をして子供に向って「みんな頑張れ!」と言いながら、誰かが本当に頑張って自分に出来ないことに挑戦して失敗すると、厳しく批判する。「ナンだお前、出来もしないのに!」となる。

 

これって矛盾してないか?失敗を恐れずに挑戦するためには失敗を許す環境が必要である。

 

ところが今の日本には失敗を絶対に許さないと言う環境であるから、誰もが自己責任での冒険が出来ない仕組みになっている。

 

まあ20世紀の時代は日本式「⇒向け⇒」教育でOKで、それで国も成長した。しかしこれからの21世紀は覚醒の時代である。情報が自由になり国境がなくなり人々の移動が自由になると、次に出てくるのは個人がどれだけたくましく生きていけるかである。

 

「戦え!前に進め!いつの時代も、どれだけ苦しくて負けそうになっても、それでも勝つまで戦った人間が生き残れるのだ!」

 

そんな風に子供に教育出来る親が日本に出てくるのはいつになるのであろうか。

 

まあいずれにしても経済学者が生きがいについて書いたブログとその反応、面白いですよ。

 

書きながらふと思い出した。ちょっと今回のブログとテーマはずれてますが、「かもめのジョナサン」と言う有名な本があります。

 

ちょっとお笑い(これも古いコピーです)

 

問・カモメが百羽います。一羽はカモメのジョナサン、では残りは?

答・カモメのミナサン。

 

コピーはお笑いですが内容はかなりシリアスです。1970年代にコレにはまった人も多いのでは?ちなみに私はあまり好きになれませんでした。

 

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tom_eastwind at 15:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月13日

砦に拠る

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多忙な日本から帰ってきてその足でオークランド視察のお客様と同行で数日過ごし、やっと昨日の夜時間が取れたので、amazonで購入しながら自宅の棚で数ヶ月「積ん読」してた本の一冊を手に取る。

 

松下竜一と言う大分中津の作家が熊本県阿蘇郡の小国村にあるしもうけ・松原ダム反対闘争の13年間を描いたドキュメンタリーである。

 

一気に467ページを読了。

 

昭和の半ば、日本は国土をすべてひっくり返して改造計画を行った。そのうちの一つが筑後川流域の総合開発計画であり、その中心に来るのが人里はなれた山の中に作るダムであった。

 

河川管理、治水と言いながら本当の目的は九州電力の電力供給確保であったが、そんな事を表に出して地元住民を立ち退かせるわけにはいかないから、その前年に久留米で起こった筑後川氾濫で死者が出た事件をネタにしてこの話は始まる。

 

今年になって政府から熊本県にある川辺ダムの見直しが発表されたのだが、工事に反対しながら結局は立ち退きをした住民は「一体これは何だったのだ!」と怒りが収まらないと言うが、そりゃそうだろう。

 

元々無理スジで作ったダムであり、途中から電力消費よりも「前任者が決定した事だから」継続するしかないとなったような話である。

 

このドキュメンタリーで描かれているのは、国家と言う巨大な暴力装置に対して13年間戦い続けたある男の話である。

 

もちろん、だからその男が英雄と言うわけではなく、むしろ作者はこの男を「単純で戦略もなくて周りも見えないお山の大将」と見ている。

 

しかし同時に、民主主義とは何か、お山の大将が直接国家と戦う事でそれ以降の「環境権」と言う考え方が大きく進み、結果的に「がんこじじい」が当時の象徴的な存在となったのは事実である。

 

そっか〜、それにしてもしもうけダムや松原ダムとか久留米や日田なんて普通に地名として知ってたけど、その背景にこんな事があったなんてね。

 

昭和34年には藁葺き屋根の部落しかないような山の中でダム闘争が行われていたとか久留米市を中心として昭和28年に大水害が起こって147名の死者を出したとか、全然知らなかったぞ。

 

当時はインターネットもなかったし子供だったから知る由もなかったと言えば事実だけど、実際には地元の問題はあまりに熱過ぎて地元の新聞で取り上げるのも限界があったのではないだろうか。

 

直接の利害関係者がたくさん残っている中でそういう歴史を小学生に教えるような環境でもなかったのだろう。

 

この本の紹介をと考えていろいろと検索してみたら、2006年7月30日付けの西日本新聞の「九州の100冊」と言うコラムで紹介されていた。

 

その文章がかなり秀逸であり、う〜ん、このままこれをコピーしてもいかんでしょ、けど、これ以上にこの本をよく表している文章もないし、現場を知らないぼくが偉そうにどうこうと書くよりは、原典を明確にした上であえてコピーさせてもらう。興味のある方は全文をお読み下さい。

 

★抜粋開始

赤茶けた土をむき出した湖底に、トンビが一羽、黒い影を描く。所々に残る石垣の残骸(ざんがい)が、ここに集落があったことを、かろうじて想起させる。


 大分、熊本県にまたがる下筌(しもうけ)ダムの湖底を歩いた。梅雨に備えて水が落とされ、湖畔に太公望の姿もない。掛け合いで鳴くカラスの声が、山峡に響くばかりだ。

 ほぼ半世紀前、ここに483世帯が暮らしていた。男は山仕事、女はこんにゃく作りなどに精を出す。山の恵みにはぐくまれる生活だった。

 「砦(とりで)に拠(よ)る」は、下筌ダムの建設反対を掲げ、国を相手に13年に及ぶ闘争を繰り広げた山林地主・室原知幸(1899−1970年)の半生を追ったノンフィクションである。

 

作者の松下竜一は、室原のことを「ただ1人で国家と拮抗(きっこう)してついに屈することなかった老人」と記す。高台に室原の墓があった。孤独の墓標は、ダムを真っ正面からにらんで、屹立(きつりつ)していた。

 

 ダム建設は、死者147人を出した53年の筑後川大洪水が発端。国は57年、建設計画を打ち出す。反旗を翻したのが室原だった。長男の基樹さん(65)=大分県日田市=は「村人の生活(いのちき)を守ってやれるのは自分しかおらん、という思いだった」と振り返る。
 

室原は、子どもの入学・卒業式はおろか、隣家の葬式にも出席したことがない偏屈者であった。ところが59年春、東京の大学に合格した基樹さんの入学式に出る。ダム計画にどう対処するか悩んでいた室原は、入学式にかこつけて利根川水系のダムを視察した。「おやじは自分の目で確かめたかったのです。ダムを実際に見て、移転した人々に補償や今の生活ぶりを聞いて回り、反対の意志を固めたのです」


 「公共工事は、法に叶(かな)い、理に叶い、情に叶うものでなければならない。暴には暴を、法には法を」
 室原の闘争が幕を開けた。事業認定無効の訴訟を起こす一方で、ダム建設予定地の山肌に「蜂(はち)の巣城」と名付けた堅固な砦を築き、住民と籠城(ろうじょう)した。

 

ハイライトは1960年夏。室原らは、津江川を挟んで国を相手に、水掛けやバリケード戦法で仮橋の設置を阻止し、全国の耳目を集めた。だが4年後、蜂の巣城は強制代執行で撤去され、住民は次々と村を去る。室原は、80件近い訴訟を乱発し続け、一世帯になってもダム底にとどまった。


 「1人で13年も闘い抜き、死ぬまでダムに水をためさせなかったのは、おやじの『土性っ骨』としか言いようがない」と基樹さんは述懐する。

 

抜粋終了

 

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2006/07/post_32.shtml

 

いずれにしても昭和の日本の列島改造計画の結果として今の日本の繁栄もあり、その反面で公害もあり家庭が崩壊され、人々の奴隷化が進んだのは事実である。

 

政府は元々暴力装置を持っており立法機能を持っており、要するに法律も暴力もすべて政府が握っているのだから個人が戦っても勝ち目はないのだ。

 

このような凄まじいまでの戦いだったのだが、その後ぼくたちはここから何を学んだのだろうか?

 

「やっぱり政府には敵わない、長いものには巻かれろ」ですかね。

 

それとも「三十六計逃げるに如かず」ですかね。

 

下記サイトは「決戦迫る蜂の巣城」と言うタイトルの当時のテレビニュースです。

 

http://j-footage.vox.com/library/post/%E6%B1%BA%E6%88%A6%E8%BF%AB%E3%82%8B%E8%9C%82%E3%81%AE%E5%B7%A3%E5%9F%8E-%E6%98%AD%E5%92%8C39%E5%B9%B4-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9no988.html

 

 

砦に拠る (1977年)
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tom_eastwind at 11:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2009年11月12日

乱調文学大辞典

実は今週は仕事がてんこ盛りで、おまけに明日から奥さんが里帰りってことでその準備もあり、かなりばたばた。

と言うわけでもないんだけど、昨日の森首相のコピーはちょいと説明なしでまずかったかなと言う感じ。

と言うのも、あれからすぐコメントが入ってきて「これは森さんがクリントンと話した時のことですよ」って突込み。

この偽メール?、最初の発信者はウェリントンにいる国会議員。

このおじさんがうちの取引先の弁護士事務所の所長にメールを送り、彼がそれを更にぼくに送ってきたと言う話。

こういうパロディはいろんなパターンがあるので「都市伝説」と同じで手を変え品を変えていろいろなパターンで世界中を流れるのだ。

もちろん「森首相」となっているので、この時点でおかしいと気づく。

さらに森首相はオバマと会ってない事実もすぐ分かる。

だから最初にメールを開いた時も「あ、こりゃパロディですね」と大笑いしたんだけど、そういう背景なしにそのまま英語版を貼り付けたものだから一部の方の誤解を招いてしまい、すみませんです。

このジョークのポイントは、日本の首相は英語が出来ないってのを笑うとこなんだけど、「森首相はオバマと会ってません」とマジ受けされてしまうのもやばし。

こういうのは、今後は元ネタ含めて書きますね。

それにしてもニュージーランドの国会議員も、楽しい奴が多いですね。

一応彼のアドレス付きで送ってきたのだけど、次回の選挙で落選したら恨まれそうなので、アドレスは非公開にしておきます(笑)。



tom_eastwind at 21:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月10日

True Story about MR MORI

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笑ってやってください。これ、英語だけど簡単なので是非とも読んで下さい。オフィスで開いてしまい、そのまま笑い転げてしまいました。

 

This is a true story from the Japanese Embassy in US !!! 


    

A few days ago, Prime Minister Mori was given some Basic English conversation training before he visits Washington and meets president Barack Obama... 

The instructor told Mori Prime Minister, when you shake hand with President Obama, please say 'how r u'. 
Then Mr. Obama should say, 'I am fine, and you?' Now, you should say 'me too'.    Afterwards we, translators, will do the work for you.' 

It looks quite simple, but the truth is... 

When Mori met Obama , he mistakenly said 'who r u?' (Instead of 'How r u?'.) 

Mr. Obama was a bit shocked but still managed to react with humor: 
'Well, I'm Michelle's husband, ha-ha...' 

Then Mori replied 'me too, ha-ha.. .'. 

Then there was a long silence in the meeting room.

 



tom_eastwind at 18:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月08日

Air Newzealand

今回は久しぶり、たぶん2年ぶりくらいにニュージーランド航空の直行便を利用した。kれは仕事の都合でどうしても「ある時間」に東京に着く必要があったため。

 

機体は綺麗だしトイレの使用状況もさすが乗客が日本人中心という事もあり快適。第一乗客が皆さん静かでお上品。これだけはキャセイ航空がどう頑張っても彼らの乗客の多くが中国人である限り機体、トイレ、大騒ぎ、どんちゃん騒ぎ、機内歩き回り、勝ち目なし。

 

今回は機内食は結局全然食べずじまいでした。日本人向けなのかキャセイに比べて少量ですが造りが上品な感じ。悪くはないのですがね〜。

 

オークランドから東京へは空港の葉山でうどんを食べて、ジャパンマートで買ったお菓子を機内で食べて、これも空港で買ったペットボトルの水で流し込んだだけ。お菓子でも空腹で食えばそれなりに栄養になってる気がする。

 

東京からオークランドに戻るときは成田空港の搭乗口近くの売店でおにぎり4個と氷結レモン3本を買い込んでぱくぱくごくごく。これで充分だ。翌朝も残ったおにぎり一個をウーロン茶で流し込む。

 

機内では出来るだけ客室乗務員と目を合わせない様に口を聞かないようにしてひたすら黙って本を読んでたのでわりかし快適に過ごせたのはなにより。(どうせぼくの座席の機内ビデオ装置壊れてたし)

 

日本人乗務員の質が以前より格段によくなっているってのは、以前の乗務員がどうしようもないほどひどかったと言うのもあるが、やはり日本人がきちんとサービスをすれば、これはもうたいしたもんだ。やっぱり日本ちゃちゃちゃだ。

 

キーウィの乗務員は、これはあいも変わらず極楽トンボで上から目線なので無視するに限る。最低の会話のみで充分。

 

皆さんが航空会社を選ぶときにはどうしても値段で比較するし、どこでもサービスに大きな違いはないと思うだろうしそれはそれで当然なのだけど、ぼくの場合はどうしても機内サービスが重要になってくる。

 

周囲の客が騒げば怒鳴り返せばこちらの主権が確保出来るキャセイ航空は、ぼくにとってはやりやすいけど、普通の日本人が中国人相手に怒鳴り上げたり彼らの理屈で喧嘩を売ったりした挙句にうまいタイミングで鞘を収めて何もなかったように落ち着いて、また本を開いて読むなんて出来ないよな。

 

やっぱり日本人は争うを嫌う人種であり、ただし争うとなったら理屈も何もない、徹底的にやってしまうってところがある。

 

争うってのは中国人や西洋人にとっては陣取りゲームみたいなもので、それこそビジネスの一種である。お互いの利害調整に「口論」と言う手段を使って相手を言い負かせてしまえば勝ち、みたいなところがある。

 

ソレに対して日本人は陣取りゲームならお互いに譲り合って分け合うって話になる。それよりは陣地自体を大きくしてお互いの取り分を増やそうよ、そのためにはお互いに信用しようよって話になる。だから争って取り分を増やすより争わずに取り分を増やすほうを選ぶのが日本人の国民性だと思う。

 

ところがこれは、信用が前提なのにそこで相手が信義違反をすれば、これはもう面子の問題となり争いとなる。

 

こうなると日本人は理屈は一切通用しない。殴り合ってぼこぼこにして、お互いに失うものが多くなってしまうのだけど、これはビジネスではないのだから構わないのだとなる。

 

このあたりが西洋人や香港人が日本人のやり方を理解出来ない理由であろうと思う。

 

ニュージーランド航空の機体に流れる空気は、微妙にその両方が、つまり西洋的なビジネスライクさと日本的な争いを好まない空気がうまいこと一致して、結果的にとても静かなフライトになっているんだなって思う。

 

つまり、日本を訪問したキーウィも何となく「日本人って、おれらに近いな」って空気を感じてて、NZを訪れようとする日本人は勿論日本的感覚で座席に坐っているからお互いの空気が合うのだと思う。

 

お互い、草食民族とでも言えばいいのかな。

 

けど一旦喧嘩となればキーウィが第一次世界大戦の欧州ガリポリで徹底的に負け戦を最後まで戦い抜いたように、日本軍が第二次世界大戦で徹底的に戦ったように、近いんだろうな。

 

次回はキャセイかニュージーランド航空か分からないけど、機内を流れる空気だけは何となくわかった気がする今回のフライトでした。



tom_eastwind at 18:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月07日

ほんとにもう

東京と言う街はいそがしすぎる。

人々の気と空気の流れが速いし、それを追っかけていると大きな視線でものが見えないからすぐに大きな道を間違う。

かと言って空気を追っかけてちっちゃいことでも一生懸命やらないと東京では生き残れない。

結果として今の日本があるんだろうなって思う。

だから日本に来れば日本の形式で仕事をせねばならない。けどそれは少なくともニュージーランドでは通用しない。

このあたりの溝をどう埋めるか?てか、埋めようないからどっちかが妥協するしかないんだけど。う〜ん、考える。

もういいや、あんまり考えても夜の1時過ぎてるし、今日は寝ましょ。zzzzzzzz。



tom_eastwind at 00:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年11月05日

現在福岡

東京で仕事を終了させてばたばたと福岡へ移動。ネタはたくさんあるのだけど文章化する時間なし。それにしても忙しいぞ、今年最後の日本出張。

tom_eastwind at 20:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年11月01日

タバコ税

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厚生労働省は29日、政府税制調査会へ30日に提出する2010年度の税制改正要望で、健康対策や社会保障費の財源確保のため、たばこ税を1本当たり10円引き上げるよう求める方針を固めた。

 

実現した場合、たばこ1箱(20本)の値段は主力商品で現在の300円から500円に大幅値上げとなる。

 

 消費量の減少につながる販売店や葉タバコ農家のほか、喫煙者の反発は必至。要望通り実現するかどうかは微妙だが、鳩山由紀夫首相は政府税調に対し、健康への悪影響を踏まえ、たばこ税の見直しを検討するよう指示しており、税制改正で焦点の一つになりそうだ。

 

 増税が実現した場合、1本当たり85銭引き上げた06年度以来、4年ぶりとなる。厚労省は07年度の税制改正要望から毎回、たばこ増税を盛り込んでいるが、金額まで示すのは初めて。

 

 たばこ税をめぐっては、麻生政権下の前回09年度の税制改正でも、社会保障費の財源捻出のため増税が浮上したが、業界への悪影響を懸念する自民、公明両党の反対で見送られた経緯がある。

 

 たばこ税には国税と地方税があり、09年度の税収見込み額は計2兆795億円。1箱500円に値上げした場合の税収増については、厚労省の研究班が08年に「最初の1年間は4400億円の増収」との試算を発表している。

2009/10/30 02:04   【共同通信】

 

 

要するに今まではタバコ税が大事な税源だったから国民にどんどん煙草を吸ってもらったが、今回の税制改正で利権を地方税に回したため、財務省からしても魅力が薄れていた。

 

さらに世界的な禁煙の流れで今後この利権が大きく回復する事もない。だったらここで民主党政権に貸しを作っておけと言うことだろうか。

 

なにせ今回は政府から「煙草増税」を発案したのではなく厚労省から来たのであるから、政府としても乗りやすい。国民にも説明しやすい増税である。

 

自民党時代は政治家と役人とJTが長年にわたって「タバコのやに」のようにべたべた利権でひっつきまわって動けなかったのだが、しがらみのない民主党なら、そんなタバコのやには吹っ飛ばせる。

 

ニュージーランドでは2000年代に入ってから何度もたばこを増税している。現在は20本入りのタバコで10ドル、感覚で言えば一箱1千円、今の為替で計算しても700円である。

 

当時たばこの増税をすると翌年の議会で議員がパネルを持ち出して「ほら、去年に比べてタバコからの税金がこれだけ増えた、その上高いからとタバコを吸わなくなったことで禁煙率が上がった。これはいい事だ、今年も値上げしよう」てな感じであった。

 

国家全体から見れば医療費とタバコ税のバランスを考えれば死亡原因のNO2である肺がんを減らすべきなのだろうが、タバコ税は国税として国庫収入である。

 

ところが医療に使うのは国民から別途健康保険の名目でカネを巻き上げているので国庫が直接痛むわけではないし、医療費が不足すれば患者の負担を増やせばよいのだ。

 

だから昭和半ばは普通の会社員ならほぼ全額が国や会社の保険でカバーされたが現在では個人負担最高3割となっている。

 

こういう記事を読むたびに、政府には本当に頭の良い、てかずるがしこい奴がごろごろいるなって思う。

 

まあこれだけ頭が良いのだから使い方さえうまくすれば、つまり政府が主導して官僚を使いこなせばすんごい仕事が出来ると思う。

 

それにしても今回のタバコ増税、表面的に考えれば増税が良いかとか喫煙者の権利がなどの議論になるが、そうではなく、国民の健康と国家予算とを絡めて考えれば、今までいかに政府が国民を食い物にしてバカにしていたかよく分かる話である。



tom_eastwind at 00:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌