2009年12月
2009年12月31日
博多 花山 2009
雪のちらつく博多の街、800年の歴史があるお宮の前に60年の歴史を持つ屋台「花山」に2年ぶりに家族で顔を出す。冷たい風や小雪が降りこむ屋台で、備長炭で焼かれた焼鳥を楽しむ。
子供たちは皆メニューを覚えており、牛タン、サガリ、勿論シロ、四つ身、とにかく立て続けに焼き鳥を注文する。
日本語の出来ない竜馬くんも「すみまっせん、こっれ、ちょだい!」と一生懸命注文している。
それにしてもここの大将はたいしたものだ。日本を支えているのは結局このような人々なのだろうと思う。こればかりは、店に行かないと説明しようがないほどだ。
仕事に一生懸命で、儲かるよりも客を喜ばせて世の中を幸せにさせて、客からの「美味しい!ありがと、また来ます」って言葉を一番の報酬として受け取り、幸せがぐるぐると回っている感じ。
実際に花山の場合は地域社会の中の一つの集会場となっている。いまだにウェブサイトもないし電話もないし広告もしないけど、その店に集まる人は皆が何十年単位の付き合いだ。
父親に連れてこられたちっちゃな子供がラーメンを食ってその美味しさにびっくりして、焼鳥を食べてその味の純粋さにびっくりして、そんな子供がそのうちオトナになって彼女を恐る恐る連れてくる。
これから一緒に生きていきたい彼女は、ぼくの原体験を理解してもらえるかな、そんな感じ。整地してない地面に風の吹き込む屋台が乗っかる。けどそこで焼かれる食い物はすべて本物。本当に海水から取った塩を使って一切の余計なものがない焼鳥を焼く。
そして彼女にOKを貰って結婚、その後は自分の子供をつれてくる。「大将、この子にラーメン作ってやってください」となる。
こうやって何代も続く屋台でありながら、新入りを排除するような厭らしさはない。常に新しいお客に対して明るい笑顔で「にいちゃん、何食べる?!」って聞く明るさは、やっぱり今の大将の個性であろう。
このような人々はファイナンスビジネスを学ぶ機会もないけど学びたくもないだろな。だってカネを儲けることよりも楽しい事を知っているんだから。
2年前も家族でこの屋台にやってきた。今年もここに来れたのが幸せ。すでに2晩通っているけど、たぶん明日の昼もここで食べるだろうな。
雪のちらつく博多の街で家族と過ごす幸せ。花山を知っていると言う幸せ。そして、独身時代に酔っ払って店にかよいずいぶん迷惑をかけたこの大将のところに、自分の奥さんと子供を連れて行ける喜び。
博多。
いいな〜。うれしいな〜、なんか繋がっている喜び。
2009年も今日で終わり。今年もお世話になりました。
2009年12月29日
roppngi
道行く人に声かけてキャッチをする人が客引きなら、その客引きを捕まえて「おい、どっか連れてけ、飲ませろ」と言う客は、客引き引きなのか。
年末に懐かしい連中と東京で飲む事になり、六本木に出る。けど日曜日だしどこの店が開いてるか分からないので昔のアマンド前で客引きをしている人に声をかけて店を紹介してもらう。
六本木に出るのは年に2〜3回くらいだけど、ここも東京経済の数字を具体的に見ることが出来る場所のひとつだ。
マクドナルド指数ってのが現実的な物価指数になったりするけれど、大体において飲み屋の売上を見れば経済も見えてくる。
年末にも関わらずあまり売上が良くないのか、3つくらいのお店を一つにまとめて開店しているお店があったので仲間と飛び込んでみた。
たしかに客の飲み方もしけてるし、だいいち客が少ない。
以前の六本木と言えばIT関連の客と090金融の客で賑わっていたけど、今はどっちも崩壊しているので普通のリーマン狙いしかない。けどそのリーマンが飲みに出ないんだからどうしようもない。
難しい指数を見るよりも客の飲み方を見るほうが経済がよく分かるのは事実。ふ〜ん、今の日本円が強くなっているのは外国との関連であり、実態経済はあんまりよくないって感じがひしひしと伝わる年末。
けど一緒に飲んでた19歳の男子は明るいもので、ケラケラと笑いながらお店を楽しんでた。「いや〜、仕事大変っすよ、けど頑張ってますよ!」って感じで、こっちも思いっきり若者言葉の勉強になった。
日本経済が沈んでるけど、頑張ってる若者がいる限りまだまだどうにかなるかなって思った六本木の夜。
2009年12月28日
苗場3日目
スキーヤーは「安全に滑る」ことを学ぶ。何故ならスキーは危険だからだ。危険を楽しむんだけど、本当に怪我をしたら意味がないので、ぎりぎりを楽しませる。
けどそんな程度じゃ納得出来ない、てか、世間に足かせ嵌められてるような感じがする連中がボードに乗るのだろう。
ここまでは分かる。枠が嫌いな連中が枠を突破しようとするのは。
ただそれが結果的にスーパー超みっともないたこ踊りになっている現実は、やはりボーダーも理解するべきではないかと思う。
日本で特徴的なのは西洋人とちょっと違うボードの方法だ。
日本人の場合はビギナー用のなだらかな斜面でちっちゃな子供の横をすっ飛ばして周囲のビギナーにかっこよく見せたい、汚い格好をすることで他人の眼を引きたい、同じような知的レベルの仲間で固まって擬似友情体験を得る、などであり、基本的に寂しがりの低知能集団となる。
けど白人は、自主独立を学校で学んでいるので最初から他人の存在は大きくなく、むしろ彼らは人の入ってこない山の中で崖から飛び降りたりして喜ぶ。別に白人を褒めてるわけじゃないよ、ただ気合の入り方が違うなって感じ。
白人の場合、ボードの持っている本質的な乱暴さがそのまま表に出てる。崖から飛び降りたりジャンプして回転したり、それまでのスキーでは考えられなかった「ルール破り」的な要素をそのまま最大限に表現している。
つまりボードがジャンプや回転を前面に押し出す事で、それまでお上品なスキーヤーが「やってはいけない危険な遊び」として禁止されてきたことが出来る、この喜びが大きいのであろう。
結果的にスキーヤーもボーダーと同じようにフリースタイルでジャンプや回転をするようになったのはボーダーに刺激を受けたからだと言える。
もちろんその結果として「ルール破り」をする彼らは粗雑な行動を取るようになる。
例えて言えば戦争中の特攻隊が戦後に命知らずになったように、崖を飛び降りたことで何か他人と違った人間になったような気がするのだろう、あえて他人を無視したり道端に転がったりする。
「へ、おれはお前ら世間の枠にはまってる人間と違うんだよ」って粋がってみせて喜ぶバカさ加減と言うのは結局洋の東西を問わず同じ。
ここまではいいんだけど、中途半端なボーダーが格好だけで「おれ、いけてるもんね」と思うのが頭に来る。地獄、見たことないよな、お前らって感じ。
スキー対スノーボードってのは「上品で危ない事をしないスキーヤー」対「下品で危険な事を楽しむボーダー」と言う対立軸ではない人々の対立ってことだろう。
ただ結局平和ぼけした連中がほんのちょっと危機をかじっただけでまるで人生すべてを知っているように世間を「斜視」するってのが、実に子供っぽい。
がきが本当の地獄を見たこともないくせに突っ張るわけであり、そりゃもう笑うしかない。戦時中の特攻隊の若者が命を捨てたような気概もない。ただ単にお釈迦様の手のひらの上でかっこつけてるだけである。
以前も書いたけど、渋谷の路上で寝そべってる奴らって、誰もオレをひき殺さないって安全策があることを前提に生きてる。それがずるいと思う。
死んでいいくらいに人生を突っ切れば、ルールを守る事の大事だが分かる。中途半端なガキに限ってルールの大事さが分からない。
スノーボードは結局スキーの反対軸として出てきた。今後どんなスノースポーツが出てくるのか分からない。
ただ思うことは、今までスノーボードやったり渋谷でうんこ坐りしてた奴が社会人になって髪を切ったからって、それで許されると思うなよってこと。
そんなのは日本政府とつるんで金儲けしたおやじ連中と同じであり、結局ずるいのである。
ぼくがなにより嫌いなのは、こういうずるい奴。子供であれオトナであれ関係ない。そういう連中には容赦なく喧嘩を売っていきたい。
おやじ狩りがOKなら、ガキ狩りをやってみようかと思う今日この頃である。とりあえずゲレンデのど真ん中に座り込んでるボーダーをポールに見立てて、彼らのジャケットぎりぎりのところでターンしてる。
かっこ付けてるんなら責任も取らせようぜって感じかな。
2009年12月27日
苗場 礼儀知らず
それにしても「すみません」と言う日本人が少なくなったな。以前なら100人が100人、きちんと礼儀をわきまえていた。
今は100人のうち90人くらいしか礼儀をわきまえない、つまり10%が礼儀知らずであるってこと。
うちの奥さんがかなり怒ってて「何よ、日本人って礼儀をわきまえてるんじゃないのあ?!これだったら中国人と同じじゃん!」。
朝食会場でテーブル券をもらって空いてる席に券を置いて、バフェット料理を取ってテーブルに戻ると中年のふてぶてしい顔のおじさんがデーんと坐っている。
「すみません、ここ?」って聞くと、かえるのつらのおやじ、「あ、ここ、わたしが坐ってますから」だって。
とりあえずその場で味噌汁ぶっ掛ける方法もあったけど家族がいるので「あの、テーブル券もらってますか?」と聞くと、「え?なにそれ?」って感じで引いた。
でもって、本人もやっと自分の失敗に気づいたようで、何も言わずに立ち上がってテーブル券をもらいにいった。
おいおい、すみませんくらい言えよ、大の大人だろうがよ。
その後見たら、そのおやじは家族と他のテーブルで飯食い始めたんだけど、おいおい、その子の教育を君がするのかと思ったら、あ〜あ、やっぱり日本沈没じゃんかよ。
かなりがっくりした苗場の最終日でした。
2009年12月26日
ほら来たぞ
★日経新聞より↓
仙谷行刷相、高齢者資産に課税の検討を
仙谷由人行政刷新相は26日、読売テレビ番組で「相続税を相続税という名前でなく、残した財産に(税金が)かかることも考えないといけない」と述べ、高齢者資産に課税する仕組みを検討すべきだとの認識を示した。25日に閣議決定した2010年度予算案での歳入確保に特別会計の剰余金などの「霞が関埋蔵金」に依存したことについては「もう逆さまに振っても出てこない感じになっているのではないか」と指摘した。
埋蔵金での歳入確保が難しくなった場合には「(国民の)皆さん方に負担をお願いしなければ仕方ないのではないか」と言及。「消費税だけでなく、その他の税目も議論をしたほうがいい」と強調した。行刷相は現役世代の負担のもとに高齢者の生活が支えられている問題点を示したうえで「高齢者がどうやって社会にお返しをしていくか考えてもいい」と語り、資産への課税を検討すべきだとの考えを明らかにした。 (11:31)
★記事終了
もちろんカネがないところから取れるわけではないので、当然この「高齢者資産」とは団塊世代やそれ以上の年齢で現在日本の個人資産の多くを持っている人々を対象としている事はみえみえである。つまり高齢者と言いながら実際は資産家だけが対象になる。
大臣は死んだ後にお金持っていく必要ないでしょみたいな書き方をしているけど、これは現在健康な60歳以上の人々でもその資産を対象として税金をとるわけで、もっと言えばこの次に出てくるのは高額所得者向け課税である。
つまり資産家が持つ1400兆円の個人資産を奪う方向に明確に舵を切りますよって言ってるのだ。
この層は持ってるお金のわりには対象となる人口は500万人くらいだから、残りの1億1千5百万人からすれば「いよ!政府!かっこいいね、やっちゃいなよ!」となるので、参院選前でも法制化可能かもね。
そして彼らが資産を海外に移そうとすれば一罰百戒で政治的に力のない金持ちに「この非常になんと言うことをするか非国民!」とののしって税務署が「脱税犯人」として起訴するようにすれば、もう普通の資産家は何も抵抗出来ないし、国民はやんややんやの拍手喝采である。
こうすれば1400兆円の個人資産を政府が抱える1400兆円くらいの累積負債の穴埋めに使える。どうするのって?簡単だ、資産を持っている人はその資産の一部を必ず国債で保有することって法律にすれば良い。
国債を購入させれば個人資産は自動的に政府が吸い上げて国民には紙切れを証文として渡して「じゃあ10年後に返すね」で終わりである。
これで参院選で勝利を勝ち取って民主党単独政権になれば、次は返す刀で消費税増税が来る。現在の5%を西洋諸国並みに10%〜15%くらいに引き上げれば政府の歳入は充分に潤い、単年度黒字化が可能になる。
こうやれば累積赤字を解消して単年度も黒字化出来るので国家財政としては一気に健全になり世界に向けて自信を持った国家として訴求効果が高まる。「うちは借金もない黒字ですぜ!」と。
しかしこれだけではまだ完全と言えない。国債といえど10年後には満期を迎えるのだ。そこで最後の究極の手段が緩やかなインフレーションである。
毎年5%程度のインフレーションを起こせば10年後に返済する国債など半額になってしまうのだし、これが20年ものなら更に楽勝、返済するときにはまさに紙切れになっている。
ぼくはこの国家運営自体が悪いとは思わない。世界の中で戦っていく為に国家が強くならねばならないし、その為には財政の健全化も必要である。そしていずれは「普通の国家」として自前で武装して米国や中国の間でうまい舵取りをしながら21世紀を一流国家として生き残る戦略ってのは、それはそれで、ありである。
この戦略の問題点があるとすれば、今までの借金を作った奴は何も知らぬ顔でくちをぬぐっておいて、何も知らずに真面目に働いた国民からカネを巻き上げる国家的な詐欺だと言う点だ。
これで詐欺をやった人間および今まで利権でただ飯を食ってきた連中をたい=〜ほしてくれるならよいけれど、それはないんでしょ。やったもの勝ちなんでしょ。
けどまあこの点もぼくがどうこう言う立場ではない。なぜなら僕はすでに日本を捨ててニュージーランドで納税をする立場にいるからだ。
税金の獲り方についてニュージーランド政府が何かするなら当然その時はコミットしていくが、日本はぼくが当事者ではないのでコミットをすることもない。
ただまあ、隣の芝生から見れば「日本政府め、あいつらうまくやってんな〜」ってところだろう。例えて言えば隣の会社が要領よく稼ぐのを見て「やるじゃん」と思うくらいだ。
はっきり言えば国家のこの戦略を許すのも個人が犠牲になるのを許すのも日本人の特性であろう。個人が強くて国家が滅びてしまっては意味がない、その意味で日本国家の強みはここにあると思う。
国民が国の為にいつでも死ねる、集団の生き残りの方が個人の生き残りよりも優先すると言うDNAがあるからこそ日本は明治維新以降も東洋各国が植民地になる中で何とか独立国を貫いたし第二次世界大戦で負けた後も奇跡の復活を遂げたのも、すべては集団を優先して個人を犠牲にするその国民性にある。
何度も言うけどこの戦略は悪くない。小沢さんってのはやっぱり稀代の政治家であり、今の日本を引っ張る最高の人物の一人であろう。
タダ問題はその方針がどっち向きなのか、である。国家のためには個人が犠牲になると言う国民性を利用して自分だけが利益を得るようであればこれは問題だ。そして今、国民が問題にしているのもまさにその点だと思う。
う〜ん、ぼくは同じ政治家でも小泉さんの方向性の方がやはり好きだ。個人に痛みを要求し自己責任を求めながら経済の自由化を図る事で国を発展する、つまり現在のニュージーランドが採っている政策である。
ぼくは自己責任を理解するほうが、小沢さんのように「お前は黙ってついてこい」よりも好きだな。
ほんっと、これは好き嫌いの問題だ。だからどっちが良いとは言えない。ただ言えることは、自分が選んだ後で文句は言うなってこと、くらいかな。
2009年12月25日
今日の苗場と生麦事件
まだシーズンが始まったばかりで開いてないコースも筍やリーゼンなどいくつかあるけど、大斜面はガンガン滑れるしホテル正面のゲレンデも全く問題なし。
ところどころ草が飛び出てるコースもあるけど、暖冬と言われて先週まで雪がなかったことを考えると、こりゃ幸運ですぜ。
それにしても今朝の朝食会場でも外国人家族の姿が目立つ。ざっと数えてみると、4割近くが日本語以外をしゃべってた。あ・・・うちもそうだ・・・。これってニセコや白馬と良く似ている。けどニセコの方が圧倒的にガイジンが多いけどね。
外国人客の特徴はやっぱり長期滞在でスキー場をリゾートと考えている点だろう。日本人みたいにせわしなく車で夜中にやってきて朝からまるで宗教団体の訓練のようにつるんで滑って夕方にせかせかと帰るってこともない。
ホテルでゆっくり過ごして天気が良くなればスキーをして、日本独特のオンセンを楽しんでラウンジでゆっくり腰掛けてコーヒーやビールを楽しみながらおしゃべりも楽しむ。スキーとリゾートと両方を楽しむのである。
とにかく日本人の求道者的なスキーとは全く違う。僕は日本人ではあるけどスキーはニュージーランドで覚えたので、NZ的な、つまり長期滞在してゆっくりと食事、お風呂、スキーを楽しむスタイルの方が好きだな。
もちろん日本の場合は休みが長期で取れないってのも問題だけど、じゃあ長い休みが取れたらスキーをするのか?
まあライフスタイルそのものが違うからどっちが良いとはなんとも言いようがないけど、1980年代に世界で一番金持ちになった日本人は世界中の土地を買い占めたけど、それでもスキー場は芋洗い状態だった。あの頃苗場で滑ってた人はご存知ですよね。
カネがあるかないかだけでなく、人生のメリハリってかONとOFFの使い分けが下手、てか、そういう考え方自体を日本人が持ってないってのは日本人の特徴だろうな。
これは良いか悪いかではなく、そういう人種であるって事だけ。
だから良い意味でも悪い意味でも真面目だしよく働くしその合間を縫うようにスキーしてるし、う〜ん、けど西洋人はよく休んで時々働くだけでかなり稼いで要領よく日本人をこき使っているのも事実。
日本の会社が利益を出してもその配当の半分近くは外国人投資家に流れるわけで、つまり一生懸命休みも取らずに働いた人々の賃金はどんどん下がっているのに、株主は何もせずにじっと坐って配当を受け取るわけだから、こりゃもうキーウィもよく言う「カネに働かせる」思想ですね。
そうやって他人に働かせておいて自分はスキーリゾートでのんびり過ごしているんだから、普通の日本人だったら「働きもせずに何やってんだ!」となるところだろう。
けどまあ、これはとにかく考え方の違いなので仕方ないとしか言いようがない。
けど、この苗場プリンスリゾートホテルに泊まると、ええ!って感じがするのはぼくだけか?
このホテルの建築思想はまさに西洋人スタイルのスキーリゾートなのだ。宿泊施設はさすがに古くなっているものの、レストラン、ラウンジ、オンセン、温水プール、すべてが長期滞在を基本に作られている。
とくに今ぼくが坐っている3号館2階のラウンジなどは、床から天井までが一枚ガラスになってて、スキー場の景色を真正面に見ながら革張りの椅子にゆったりと腰掛けてコーヒーやケーキ、お酒も飲める。流れる音楽はクラシックだし後ろの壁沿いには本物の木を使った暖炉が備え付けてあって、こんな革張りの椅子が全部で100席くらいあるのか?とにかく贅沢に作っている。
こんな贅沢スペースに、夕方になるとスキーが終わった外国人が三々五々集まり、「お、君はどこから来たの?ぼくはシドニーだよ、ほう、君は香港から来たのかい」と会話が弾んでいる。もちろんその輪の中に日本人はいない。
なんてかまあ、国際線飛行機でやってきて長期で滞在するのだから、それだけ余裕のある人ばかりが集まっているし、その余裕ってのは日頃の厳しいビジネスをクリアーした証拠ってのも言えるけど、朝食会場でも感じたのだけど、彼ら外国人の堂々とした態度に比べて日本人の印象の薄さってかな、下を向いてもくもくと飯を口に運んでいるだけの日本人家族はどうしても体格の問題ではなく精神力の問題で引けてるな。
朝食会場で感じた気持ち、夕方のラウンジで感じた気持ち、そいつを総合してみると、多くの日本人はもう外国と戦う事を放棄しているのか、または最初から外国人と没交渉、自分たちだけで良いですって思ってるのか、なんか複雑な気持ちにさせられた。
昨日はくずボーダーに対して腹立ってたけど、今日は幕末の日本を見るような気分。なんだかガイジンに対して引いてる日本人って感じがする。
おいおい、いこうぜ!がんがん前に進んでいこうぜ!相手が喧嘩のルールを作るならその土俵の上で喧嘩しようぜ、少なくともここは日本なんだから負けることはない。最初から引いててどうするよ。
まあお休みの取り方でどうこう言っても仕方ないけど、生麦事件で外国人を切りつけた薩摩藩士の気持ちを日本人同士でもっと共有して、「どうせだめぼ・・・」なんて思わずに、前に進んでいこうぜ。
戦って堂々とこっちが主張するから初めて彼らはこっちの話を聞く。最初から引いてたらなめられるだけだ、そんな事を考えてしまったバータイムでした。
2009年12月24日
クリスマスin苗場
今日から苗場。クリスマスイブの苗場はそれほど混んでおらず、てか日本人少ない。まわりで聞こえるのは広東語や英語である。
今から20年前はこの時期になると坐る場所もないくらいに日本人だらけだったんだけど、今はもうすっかり様変わりである。
それでもホテルで流れる音楽は山下達郎の「雨は夜更け過ぎに〜雪へと変わるだろう}とかユーミンやオフコース。
スキー場には20年前は考えもつかなかったようなごろつきのようなボーダーがコースを横一列に並んで他人の迷惑をかえりみずに広がっている。
コースだけではなくホテル内でも階段にうんこ坐りしたり荷物を広げて周囲の邪魔をしている。
あ〜あ、それほどさびしくて誰にも相手にされないんだろね、ばか丸出しの顔や髪の毛のさきっぽから白痴の空気が放出されている。
けどばかを相手にまともに同情する気持ちもないので積極的に無視して、こっちの前に立ちふさがるときは睨みつけていつでも来い光線を発射。
それにしても死ぬ事を理解しないままで適度に抑えてくれると思ってるんだろね、この連中。
人生が嫌なら人の見えないところで雪に頭突っ込んで死んでくれればいいのに、なぜだかこっちにちょっかい出すからうざい。
さびしいんならビルの片隅で泣いていろ。誰かに相手してもらいたいならレストランで皿でも洗ってろ。ごきぶりみたいに隅っこからこっちに出てくるから踏み潰されるんだろぁ。
なんでクリスマスイブに自分の人生をしっかり考えたり、他人の眼線を気にして生きるのではなくて自分の為に生きようとしないんだかね。
ほんっと、日本という社会の生んだごみのような連中が他人に見てもらいたいがために薄汚い格好と薄汚い言動と行動で周囲の眼を引こうとしているんだけど、はっきり言って疲れるんだよね、そんなばか。
クリスマスイブを家族と過ごしながら昼間にこんなごみを見てると、思わず大掃除をしたくなる。
最近はボーダー立ち入り禁止の山が増えてきた。良い傾向である。
けどそれ以上にごきぶりがごきぶりの格好でスキー場に来ることが出来なくなるくらい日本の不況もひどいことになっているから、スキー場としてもゴキブリを客として扱う必要もなくなったと言うべきか。
ここでバランスを取るために書けば、ぼくの知り合いでもボーダーはいる。けど、そりゃごくまともな連中である。
コースに横一杯に広がることもないし、他人には気を使うし、ボードを通路に広げてうんこ座りもしないし、他人を下から睨むような目つきもしないし薄汚くつるむこともない。
苗場で今日見かけたような、群れにならないと声も出せないようなゴキブリ連中はこれからますます淘汰されていくんだろうけど、ぼくの人生の時間が限られている以上、淘汰の速度を速める方法がないかって思わず考えてしまう。
あ、健全なボーダーの皆さん、このブログは健全な人向けに書いているわけではなく、一部あふぉボーダー向けに書いているので、自分が健全なボーダーだと思っている方はここに書いている内容には当てはまらないのでお気になさらないでください。
2009年12月21日
2009年12月20日
通りすがりさん、ありがとうございます
テレビを見ることは出来てもテレビの裏を開いて修理出来る人は、普通はいない。けどリモコンだけ操作できればそれでOK。
パソコンも同じでキーボードの操作が出来ればやっていけるが、今回のようにフォント、サイズとなるともうお手上げである。
今までならこれでお客様センターに電話してあ〜でもないこ=でもないとなるところだけど、このようなお互いに見知らぬ使用者側同士の情報交換が出来るってのは、ほんとこりゃすごいことだ。
まさに21世紀。
チャップリンが言ってた言葉。機械は正しく使えば人類の発展に繋がる。しかし欲望の為に使えば人類の尊厳を失わせて社会を崩壊させる。
インターネットはどうやら正しい方向に動いているようです。
2009年12月19日
23
12月19日からクリスマス休暇に入り、次はお正月休暇に入り、来年の営業開始は1月11日から。
金曜日は12時で仕事納め、その後は山水の寿司とおつまみ、それにコーラで軽く打ち上げだ。コーラと寿司を合わせてる僕を見て「初めてお酒を飲まずに食事してるところを見ました」って、そりゃそうだろう。
けど年末の一番最後になってたった一杯の酒で身柄を塀の向うに持っていこうと思えるほどには酒の魅力はない。
てなことで皆と「クリスマス休暇はどうするの?」って話に盛り上がったのだけど、今年はカレンダーの日合わせがよくて?ここ数年で一番休みが長いことに気づいた。
そうか、23日か。殆ど一ヶ月ジャン。
これだけ長い休みを取るNZの日系企業はあるのかな〜とか思いながら、けどキーウィに話をしても「べつに〜、普通ジャン」が反応である。
この国では毎年12月15日から翌年1月15日くらいまでの一ヶ月が丸々休みになるのは、それほど不思議な事ではない。
なにせ首相も閣僚もまるまる一ヶ月休むわけだし大工も庭師も一ヶ月休むわけだし、だから誰も気にする人はいない。これが気になるのは日本人くらいかもしれない。
もちろん外国との取引をしたりしてる会社は、会社はお休みでも部門は開いているのが普通だ。銀行だって窓口は開いている。現場の仕事や公共部門は当然やっているのだけど、国としては動きがないのがこの一ヶ月。
それにしてもジョンキー首相もうまくやってるよね。ついこの前はCOPに参加してあーでもないこーでもないと言った挙句にひゅーんとNZに戻り、いくつか政策を通して来年のワイタンギデーの旗をどうするかなんて話したら、そのまますぐ休暇に入るんだから。
時間管理がうまいってのか、国自体が構造的にお休みできる環境だから誰も気にしない。
だから当社も23日間の休みってことになった。もちろんお客様の予定に合わせて1年365日24時間開いてる部門もあるしお正月に合わせてお客様が来る場合は担当者が対応している。けど会社としては休業。
この期間にお客様がいないわけではない。もちろんオープンしていれば仕事は取れるだろう。
けどこれだけの期間があれば皆ゆっくりと休みが取れる。長期的に考えた時にどっちが良いのか?疲れた社員が何時来るか分からないメールを待って休みも取らずにいらいらして、それが退社後にレストランのウエイトレスのサービスに文句を付けて、ウエイトレスは仕事の後に乗った電車で駅員に文句を言って、駅員は仕事の後に飲みに行った店で文句を言って、そうやってストレスの循環をするのが良いのか?
うちの会社の場合、2年程度働くと里帰り航空券の支給をしているのでこの制度を利用して皆さん日本に帰ったり南の海に旅行に行ったり、友達を日本から呼んだり、三々五々楽しんでいる。
ふと思った。うちの給与を日本円で今の為替で戻せば本当に微々たるものだけど、残業が基本的になくて土日が休みで年休が4週間あって、この国できれいなビーチなんかの自然を無料で楽しめて、年末は長期旅行が出来て、そう考えればかなり楽しいではないか。
以前ある日本の開業医と話をしたことがある。
「ぼくらは充分に収入があるけど、使う機会がないよ、君みたいに年中旅行出来てるほうがよっぽど楽しいよね、君らは今若いうちに人生を楽しんでいる、ぼくは今一生懸命休みもなしに働いて溜めた金で、それを使えるのは引退した20年以上先ってんだから、どっちが良いのか分からんよ。これが親から引き継いだ病院でなければ、なんて時々思うよ」と言ってた。
これだけお金があるのに彼に出来るのは夜遅く仕事が終わって病院から歩いて5分くらいのところにある屋台で焼鳥をむしゃむしゃ食いながら焼酎を飲むくらいだ。
あの頃はそれでも僕は「だって先生、いいじゃないですか、地位も社会的名誉もあって、それにお金だってたくさんあって」と思ってたし、そう言ってた。
けど先生からすれば、つまり上に昇りつめた人からすれば、そこから先に何があるのかって考えてしまうんだろう。
23日。
誰も来年の人生の事は分からない。一生懸命お金をためても、たまった時には体調を壊して旅行にもいけないしお酒も飲めないかもしれないし美味しい食事も摂れないかもしれない。
若いときに貯金して年をとってど〜んと使うか、若いときにその日に作ったお金で人生をちょびっと楽しむか。
蟻とキリギリスの寓話になるのかもしれないけど、冬の為に休みも取らずに働く蟻も間違ってはいないし、キリギリスみたいに遊びまくるのもどうかと思うけど、その真ん中あたり、週に5日働いて残業なし、土日休み、年休一ヶ月、年末年始に一ヶ月休みってのは、自分の人生にとってけっこう公平ではないかって気がする。
23日。
今日以降当社にメールを頂いたお客様へは、下記のような自動返信メールが送られます。
お客様各位
御連絡いただきまして有難うございました。
このメールは自動返信サービスで返信しております。
弊社は、2009年12月19日(土)〜2010年1月10日(日)まで
クリスマス及びお正月休暇となっております。
この期間中にいただきましたお問い合わせメールのお返事は
2010年1月11日以降となります。
休業期間中、皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、
ご理解のほどよろしくお願い致します。
2010年も皆様にとって、よき一年となりますように。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
2009年12月18日
シリピン
英語に100点はない。学校のテストの時だけ100点があるけど現実世界では「これが100点の英語」なんて存在しない。
移住を目指す人は一般的な日本人よりもリスクを取って行動する人々であると言うのは、これは分かり易い。つまり変化を嫌う一般的な日本人よりは危機感が高いという証拠であろう。
でもって危機感を持って生きる人ってのはそれなりに勉強もしているから優秀であるのも当然。
けど、その優秀な人々でも必ず口に出すのが「英語、難しいですね〜、あの人、何て言ってるのかさっぱり分かりません」とあきらめ顔で言う。
でもってその話(状況)を聞いてみるとけっこう「そんな事ありませんって、悪いのは相手です」ってケースが目立つ。
例えばスーパーでの買い物。レジのおばさんに何か言われて、言った本人はけらけら笑ってる状況。これ、彼らは本当に俗語で話しますし、何よりおしゃべりがdaisukiで、もっと言えばそのおしゃべりには99%くらい無意味で無理論で現状とは全然関係ない話だったりする。
だからいくらこっちがその状況下(普通に買い物してレジにいる)で起こりえるさまざまなテーマを考えても、どうしても今このおばさんが話している単語と繋がらない。
さらに発音。中国系はある程度聞き取れてもインド系の発音は、ありゃほんとに分からん。でもって「インド人様の発音を聞き取れないのはお前が英語を分からないのだ」見下すような態度で同じ発音で同じ文章を繰り返すから、やっぱり分からん。
これはキーウィでさえ同じ。人種に関係なく一般的に知能の低い人になればなるほど、言葉とはコミュニケーション、意思疎通の手段であって英語が話せる事だけでは何の意味もないと言うことに気づかない。
だから相手が英語が下手だと妙に優越感を持って上から目線で偉そうに話をする。
ほら、そんなのは日本でもいくらでもいるでしょ。外国から来た語学留学生に対して偉そうにどーのこーのと日本語で話す奴。
それとか相手があなたの話を理解していないのを理解出来ずに一生懸命同じ文章で同じ内容を繰り返す奴。
何処の国でもばかは付き物で、まあ国家のゴミとでも言うか仕方のない存在なのだけど、そのような低層人種が使ってる英語をまともに理解しようとするから疲れるのだ。
この国でまともに生きていこうと思ったら、やはり基本はテレビや新聞で使っている単語をきちんと学ぶ事だし、ちゃんとした家庭で育った人々ときちんとした話をする事だ。そしたら、びっくりするほど彼らの言ってる事が分かる。
だって彼らは言葉がツールであることを理解しているから一つの言い方で相手が理解しなければ他の言い方で使い分ける事が出来るからだ。
また、発音をするにしてもAをエーと発音して、決してAをアイとは言わない。標準語とべらんめーの違いだ。
東京でも下町に行けばおじさんやおばさんが「いやさ、この前、シリピンに行ったのよ〜」と言うけど、標準語ではフィリピンである。
下町の友達同士ならシリピンでも良いが中国から来た留学生がシリピンなんて聞いても意味不明である。なので相手にあわせて使い分けるだけで意思疎通が出来るようになるのだ。
まあ何にしても、相手の言ってることが分からないのは日本人同士でもよくあることです。ましてや国も宗教も違うんだから、100人のうち5人くらいの言ってることが分からなくても、いちいち真剣に考える必要なしってことです。
★写真の付け方は分かったけど文字サイズはまだ変更できません。やばし、です。
2009年12月17日
オッド・トーマスの霊感
本の「面白さ」と食事の「美味しさ」の共通点は、どっちも基準が人によって異なり全員が同じ答えを持つ事はないってことだろう。
そんな事は分かりきっていながらグルメ番組で評価されたレストランに行って後悔することもあれば「おお!やっぱりすごい!」と思うこともある。
だから本とか食事の評価については出来るだけ自分の趣味と同じような人の評価を見つけることだろう。
その意味でビジネス本の場合はぼくは日経ビジネスの本評価欄を見ている。この週刊誌で評価されてる本は内容がわりかし自分の趣味に近いので外れがない。
けど通常の小説の場合はあまり他人の批評を読むことはなく、自分で本をぱらっと見てから決める。小説等の「本」はぱらっと見た瞬間にある程度内容が分かる。これは一種の肌感覚なんだろう。
本によっては棚に並んでいるのを見ただけで「あ、だめだこりゃ」ってのがある。でも、ある種の人にとってはそんな本でも「面白い」と思うことがあるので、まさにこりゃもう嗜好の世界。
そこで「おまえはオッドトーマスかい?」っとなる。
ここまで書いて「こいつは分かりきったことをまるで初めて見つけたように偉そうなこと書きやがって」と思う人もいるんだろうね。そういう人が読んで面白くないのがこのオッドトーマスである。
そう、普通に分かりきったことを普通に書きながらあっと言う間に別世界に送り込むのがディーン・クーンツの特徴である。
世の中にはあり得ないことがあるってのを理解して受け入れる心の余裕がなければ、何を書いているのか何が面白いのか理解出来ないのもディーン・クーンツの特徴。
こういう本はクライブカッスラーのような大当たりはない。カッスラーは猿でも笑えてどきどきするように書かれているから一般大衆にぴったり、特に標準的な米国人にぴったりなのだ。
イランとイラクの場所を地図で見ても分からないだろうし(ニュージーランドはニュージャージーの隣くらいに思い込んで)英語以外の言語を理解しようとしないし(出来ないし)キリスト教だけが正しいと無批判に信用して自分の言ってることだけが正しいと本気で思い込んでて、その場傘加減を思いっきり皮肉に指摘するとその意味が分からず本気で口をぽか〜んとあけたまま黙り込んでしまうような人々にはクライブカッスラーが良いのだ。
リビングルームでポテトチップスとビール缶の1ダースくらいを並べて野球やアメフトを見てきゃーきゃー叫んで、時にはチャンネルを切り替えると猿向けのアクションをどきどきはらはらしながら見続けている、そう、そういう人にはカッスラーが丁度良いのだ。
野坂昭如の「四畳半ふすまのした張り」を見て「エロ本だ発禁だ!あいつは変態だ!」と騒いだ連中は「蛍の墓」を読んで何を考えただろう。
ジョージ秋山の「アシュラ」を発行停止に追い込んだどっかの教育委員会やPTAのくそばか連中は、その後彼の「はぐれ雲」が大学の教材として使われるようになってどう思っただろう。
たぶん何も考えてないだろう、てか、自分が過去に彼らを批難して叩き潰した事さえ忘れているだろう。なにせばかなのだ、そんな古いことや難しい事を覚えているわけがない。
覚えていれば今頃恥ずかしくて「人生は意味不明」とか言いながら華厳の滝にでも飛び込んでいるだろう。
でもってその正反対に位置するのがディーンクーンツのような作家だろう。
ぼくはカッスラーも読む。よく出来た話だし、頭をリラックスして何も考えたくないときには丁度良い。
例えて言えばいつもは自宅で手間隙かけて作った鶏肉クリームシチューを食べてても、時にはめんどくさくないKFCのホットロッドを食べるようなものだ。(あんまりまともな例えではないな)
どうでもいいけどKFCは値段表示が上手と言うか、ホットロッドを高値でつかまされている気がするのはぼくだけか。けどこれがキャンペーン商品で期間限定なので今では食べられなくなってりょうまくんは寂しい思いをしている。
でもってディーンクーンツの話。
だいたいこのあたりで@結局こいつ何を言いたいんだ?あふぉじゃないか@と思う人はディーンクーンツ向きではないので更に最初にお断りをしておくけど、この本は面白い。
だから自然とクーンツのファンは限定されてくる。誰でも楽しいってわけではないからだ。冗談が好きで皮肉をそれなりに楽しめて長い文章を読んでも疲れずに内容が理解出来る読解力が必要とされるからだ。
と、こんな風にクーンツ風に書いてみた。
なぜか写真とか貼り付け出来ないぞ。文字サイズ調整も出来ない。今日からライブドアブログの書式が変更になったのか???
2009年12月16日
世界で一番平和な国、たしかにね
今日もここ三日と同じような天気。夜のうちにどざ〜っと雨が降って、ベランダの床もしっかり濡れているのだけど朝になると青空が出てくる。なので今日もスーツで出社。
午前中のアポでHSBCに行くと、相手側担当者は二人ともカジュアルノーネクタイ。まあNZですからね、ネクタイが仕事をするわけではないし。
担当者の一人がこちらの姿を見て「あ、ごめん、今日はカジュアルなんだよね」と言ってくれた。これもNZでは珍しいかも。
つまりニュージーランドと言うのんびりした農夫のお国柄と、紳士の国である英国で最高、つまり世界最高の銀行であるHSBCがぶつかった結果、カジュアルだけど相手の格好によっては一言お断りをするってバランスだろう。
豪州のシンクタンク「経済と平和の為の研究所」の発表によると、お隣と言う粉薬もあるのかもしれないけど、担当者が実はニュージーランド出身だったかもしれないけど、その可能性は人口400万人のシドニーに住んでいるキーウィが40万人いるって事実からも可能性は充分ありそうだけど、世界144カ国を比べてみるとニュージーランドは世界で一番平和な国だそうだ。
ちなみにこの調査では日本は7位、豪州19位(このあたり、担当者がNZ出身である可能性がますます強まった、笑)英国35位、米国83位だって。
記事は月刊NZの2009年12月号「総まくり」から頂いたのだけど、でもまあ肌感覚で言えばYESだよね。
ニュージーランドで生まれ育った人でニュージーランドの文句を言う人は、大体他の国に住んだ事がないってのが多い。
要するに過去のNZと現在のNZを比較して語るから懐古趣味で「昔は良かったわ」なんだけど、現在の世界と現在のNZを比較して語れば、そりゃNZの方がよっぽどいいでしょう。
治安、政治の安定、ビジネスのやりやすさ、人々の優しさ、人種差別の少なさ、テロ問題、こういうのを組み合わせれば平和な国ってイメージは充分に想像出来る。
そして今の日本を見れば、たしかに安全な地域もあるだろうけど国自体が沈みかけているんだから、その恐怖は財布の紐を閉めあげて全財産を銀行に入れて守りに走るに値する国家となっている。
同じページには「楽天家キーウィ」の実態。現状の仕事と生活に満足している人が8割以上だって。
これも納得出来る。無理しないで働いて仕事に飽きたら3年に1回くらいは転職してストレス溜めないようにして、過程では家族を大事にしてジョークを言って周囲と楽しく会話して、金曜日の午後ともなると仕事は半分以上忘れてオフィスでビールを飲み始める人種は、こりゃ幸せでしょ。
それでいて世界からは一応「西洋国家、白人国家、法治国家」であると認識されているのだから、こりゃ幸せだわ。
要するにちょっとしたカネで買える幸せ(ビールとかちょっとかっこいい中古車とか時々の外食とか、そして少しおしゃれな中古木造自宅とか)を先進国の中では比較的低価格で購入出来て、お金で買えない幸せ(子供と毎日夕食を一緒にするとか週末はヨットしたりゴルフに行ったり家族と友人で楽しくBBQするとか毎年4週間の有給休暇を使って親の残した別荘に行って子供と釣りを楽しんだりするとか)も楽しんでいるってことだ。
日本で仕事に満足しているのは43%って事だけどこの数字から公務員と55歳以上の逃げ切り世代を外したらどれくらい高くなるんだろう。
まあ21世紀になれば国別比較自体が意味を成さなくなるだろう。長距離飛行機が物理的に世界を小さくしてインターネットがバーチャルで世界を一つにしてしまっている。
こんな時代になれば生活の場所としてはNZを選び、子供は安心して学校に通い、お父さんは日本で仕事を獲得して日本並みの収入を得る、てな生活が出来るようになる。
これからも元気の良いキーウィは世界に飛び出していくだろうし家族や将来を考える日本人はニュージーランドを目指すだろう。その中で国際化、つまり一つの地域にいろんな民族が当然のように混ざってしまう。
その先、50年後くらいにはEUのような世界政府が出来て、各国政府は現在の自治体くらいになってそれぞれが自治を行い、地域性と個性を生かして政策を作り、その政策に同感できる同じような価値観を持つ人々の集まりになるのかもしれない。つまり今までは地域=民族だったのが、50年後は地域=価値観となるのかもしれない。
写真はバスターミナル前の広場のバブル。白黒黄色、ちっちゃな子供たちが集まって楽しんでます。
2009年12月15日
夏が来た
昨晩から激しい雨で朝7時20分の時点でもけっこーざーざー降ってたが昨日の経験でちょっと10分ほど待ってみる。すると、おお、またも青空が広がったではないか!
それにしても南洋のスコールですね、この降り方。と言うことで今日は久しぶりにスーツで出勤。
ニュージーランドで夏が来たといえば、青い空と透き通った空気、そしてサーフィン姿のサンタクロースのイメージがある。
けどサンタクロースがサーフィンボードってのは、ありゃどちらかっていうと豪州のイメージなんだよね。だって当社の前にある大きなサンタクロースもトナカイが一緒だし、サーフィンならやはり豪州の方が盛んである。
ところで面白い事にサーフィンをやる人々とウインドサーフィンをやる人は、全くと言って良いほど性格が違う。同じようにスノーボードとスキーをする人が違うのもよく知られたことだ。
サーフィンやスノボはどちらかと言えばやんちゃで反社会的。ウインドサーフィンとスキーは真面目でルールをきちんと守って社会貢献型ってかな。
意外と知られていないがニュージーランドはヨットだけでなくウインドサーフィンの本場でもある。バーバラ・ケンドールとかオリンピックメダリストを輩出している。
この点、オージーはウインドサーフィンに興味がないのですかと思うくらい皆サーフィンである。
そう、何が言いたいかこれでお分かりかと思うけど、オージーとキーウィってのは同じ英国人を先祖に持ちながらも、その出身階層が全く違う為に隣国でありながら国民性に違いがある。
違いの程度を説明するのは抽象的で難しいのだけど、少なくとも北半球の一般社会人が考えているような同質性はない。
かと言ってもパブもあるしビールとワインはdaisukiだし英語を話すし同じ英国の常識法だし、日本と韓国ほどの違いもない。
だもんで思わずサーフボードに乗るサンタの話を例えに出したのだけど、豪州がNZを上回るのはある意味経済学的必然かと思う。
それは「悪貨は良貨を駆逐する」と言う経済学者の言葉に凝縮されている。
これはあくまでもほんのちっちゃな違いでしかないですよ、もちろん。同じ先祖を持つであろう中国人と日本人ほどの違いもないし。
ただ、オージーとキーウィを国として比較してみると、やはりどうしてもオージーの方は奔放(自分勝手)であり細かいことにこだわらず(粗雑)、いつも若々しくて(反社会的で)、ビジネスをやると英国風よりも米国風のボッタクリを目指すって言う点だけは間違いないと思う。
何度も書くけどこれは比較論でありその差は北半球の隣国同士に比べれば非常に少ないが、しかしその差が現在の豪州とNZの位置付けの一つになったのは間違いない。
簡単に言えば豪州は人間性悪説、NZは人間性善説なのだ。なのでビジネスの社会においてはどうしても対等にならないのだ。
豪州では人は嘘をつくもの騙すものとして法律で縛るし騙されないように賢くなるがNZでは人は嘘をつかない事が前提となった法律だし騙した方が社会的制裁が大きいと言う環境を最初に作っているから、両者を並べて比較すると豪州が東京のこすっからい金融業界連中だとすればNZは帯広とか沖縄市とか、かな。
これはもちろん僕の個人的な主観なので、人によっては「クリスマス=サーフィンサンタ!」と思っている人もいるだろう。だし、今日書いてることもつらつらと個人的な感覚で書いてるだけなので、何かの文献を参考にしたってわけではない。
オージーのブラックジョーク好きは英国人のブラックユーモア、主に皮肉から来たのだろうか。ただ、ここがぼくとしてはどうしても豪州とニュージーランドの違いを感じる点である。
ひとつオージージョークを紹介します。
ある時シドニーのビジネスマンがオークランドに出張してきた。そこでオークランドのビジネスマンが明るく聞いた。
“How is
するとシドニーのビジネスマンはにやっと笑って一言、
“Still there “
2009年12月14日
月曜日の朝 ポフツカワ
月曜日の朝から土砂降りですかい。朝起きたら外は真っ暗で屋根を叩く雨音もすごくて、あ〜あ、今日はこりゃジーンズにレインコートだな、今日は社内会議2件だけなのでまあいいかと思って、着替えて車に乗ってガレージを開けてみっれば、なんとそこは抜けるような青空。
やられたね、こりゃ参った。とは言っても今更着替える時間もないのでりょうまくん乗せてそのまま出発。
ラジオでは今朝の土砂降りで渋滞がひどくなってるって言ってるけど、彼らも「やられた」口ですな。
それにしてもオークランドの空は青い。とくに雨上がりの夏の空はまぶしいほどに明るくて青い。
そして雨にしてもイギリスや梅雨時の日本のようなじめじめしたものではなく、ざざっと降ってさっと晴れると言うとっても気持ちの良いものだ。こりゃいいよね、まるで南洋のスコールではないか。
そうか、イギリス人が外国に侵略してでも奪いたかったのは美味しいベルギービールとフランスの食事だけではなく、綺麗な青空も欲しかったのだなと痛感する。
まあその「悪い癖」のおかげと言うべきか、最近はマオリ議員とパケハ(白人)議員の間で昔話で盛り上がっている。
オークランドスーパーシティ構想で140万単一の街にするさいに今まで認められてきたマオリシートはなくすと白人が言えばマオリが「後から来た奴がふざけんな!」と大反発し、マオリ国会議員が交通費の過請求でマスコミに叩かれると「くそったれ白人め!オレラの土地を勝手に奪いやがって何を偉そうなこと言ってるんだ」とテキストを誰かに送ったらこれが表に出てしまい、大騒動を引き起こしている。
まあたしかにマオリだってしょせんは移民だ。白人が後から来たからマオリは先住権を主張しているが、白人はニュージーランドではマオリと共同社会を作ろうとしたのも事実。
先住権を認める代わりにあーしろこーしろと言って結果的に法律によってマオリの土地が白人に移ったのも事実。けど米国、豪州などで行われた先住民族の大虐殺に比べれば非常に「紳士的であった」のは事実。
白人もそのあたりが分かっているから今やって来てるアジア人移民に対してもあんまり極端なことは言わない。これも人種差別が少ない一つの理由だろう。
同じイギリス人を根っことしてても、そのイギリスのどこの階級からやってきたかでその後の国造りが大きく変化していく。
ニュージーランドの場合は道徳心の高いまともな連中が集団でやってきて移住したから結局は国民性に加えて性善説階級の人々がこの国を造ったようなものだ。
ジョージ・グレイ第三代総督はマオリと白人の融合に努めたしリチャード・セドンは近代社会主義国としての土台つくりと法整備を行い、ウイリアム・マッセイは近代農業経営を導入してその後50年にわたる幸せな国を作り上げたが、彼らはいずれも非常に真面目な人々であった。
こういう人たちが作った国で、それがこの空気や大地と見事に一致しているのは、まったく神様の巡り会わせと言うべきか。
それにしても太平洋諸国の島はどこも海と空がきれいだ。日本が同じ海と空で繋がってるなんておかしな感じがするくらい。
写真はポフツカワ。この時期にオークランドを真っ赤に染める木である。他にも緑の草や堂々とした茶色の大木や美しい芝生など、ほんっと、ここは自然が豊かな国だなと実感する月曜日の朝でした。
2009年12月13日
日曜日の午後
米国調査会社ギャロップによると移住したい国の三番目に選ばれたのがニュージーランド。
一番はシンガポール、二番目がサウジアラビアなので、この二つはビジネス目的なのが分かる。
でもってニュージーランドが選ばれるのはライフスタイルだろうと推測出来る。
このライフスタイルってのは日本語では何と訳せば良いのだろう。生活態度?生活姿勢?
違うな〜、なんかもっと人生を楽しむって意味になるんだけど日本語ではそんな「人生を楽しむ」みたいな考え方が「ふざけんな!」になるもんだからあえてそんな日本語が作られてないのか?と思ったりもする。
ただ実際に日曜日の朝にりょうまくんにご飯を作って二人で一緒に「Buffy」を見てけらけら笑うってのは悪くないぞ。お昼ごはんはKFCかな、午後はどっかドライブでも行こうか、そんなのんびりした事が考えられるんは、やっぱり一種幸せでしょ。
人生が仕事だけって人には実に退屈な国だろうし、「ニュージーランド?どんなビジネスがあるんだよ」と思う人には何もすることがなくていらいらするくらいだろう。
けど、人生の三分の一が寝てる時間で三分の一が個人的な時間と考えている人には、実にゆっくりと時間が流れてる国であり、日本のようなストレスもなく生活出来る国であるのも事実だ。
魚釣り師にとっては天国のような国(ぼくはしない)、
ヨットは世界で一番強い(ぼくはしない)、
トライアスロンには最高の国(ぼくはしない)、
世界でおそらく最高のトレッキング王国(ぼくはしない)、
オールブラックスに代表されるラグビー王国(ぼくはしない)、
考えてみれば僕がこの国で一番の変人かもしれませんね。
けどまあ、「人生が成長のみであると言う考え方、これって正解なのか?」そう考えてみる日本人は少数であることは間違いない。
そして成長ではなく楽しむものだと理解して移住するなんてのは絶滅寸前の危惧人種なのかもしれない。
けど世界全体で見ると、家族を犠牲にして朝一番の電車で一時間も揺られて会社に行き帰りは夜の10時過ぎなんて生活をしている日本人の方が少数であるのは間違いないと思う。
商売人の代表みたいに言われているユダヤ人も中国人も、実は皆さんが思うような残業や休日出勤はしてない。
彼らが一番大事にするのは家族であり、その家族を守る為に一生懸命働く。時には遅くまで仕事をするけど、日頃は家族を大事にしているので「家族貯金」があるので文句を言われる事もない。
彼ら商売人は金儲けを考えるけど、その為にだらだらと会社に居残って人に言われた事をだらだらとやるふりだけして自分の頭では何も考えず、自分が出来るだけ長く会社にいることが会社の為になってます的な見せびらかしをするようなあふぉではない。
商売人は出来るだけ短時間で効率的にたくさん稼ぐかを考える。長い時間をだらだらと過ごしてたいした利益も出せないなら、それは無能である証拠だと理解出来る。
だからキーウィの一番得意とするビジネスは平日の昼間にカフェに坐って自分の投資した不動産の値上がりや銀行金利の動きを、ゆっくりとカプチーノでも飲みながら眺める事なのだ。
日本人からすれば「そんな時間があれば働けばいいじゃまいか」となるけど、ビジネスが忙しい金儲けであれば出来るだけ忙しくなく稼ぐ方が正解に決まっている。
もし何らかの活動が社会貢献であれば、それならキーウィはよく働いている。日本人なんか比べ物にならないくらい社会貢献という考え方は強く、社会を皆で守ると言う姿勢は徹底している。
だから日本人の問題は社会貢献としての活動とビジネスとしての活動をごっちゃごちゃにして自分の脳みそで考える事しないって点だろう。
家族との夕食もまともに取れないままに一生けんまい朝から晩まで外に出てそのへんの雑誌で身に付けたと思い込んでる知識で着飾って、それで世間で起こる様々な事件を批評家みたいにあーでもないこーでもないと言って自己満足している、そんな生活がどれだけひどいのかは周囲が皆同じような事をしているから気づかない。
けど、日本を一歩出て本気で自分で仕事や生活をしてみると、実は人間らしい生活ってのはちゃんとあるんだな、ニュージーランドはそれがかなりの確率で実現出来るんだなって事に気づく。
もうすぐ一年が終わるってことで、来週は仕事整理です。頭の中も一年分のデータを整理中。
しかしまあ、今年一年は良く働いた。一ヶ月のうち半分も自宅にいなかったってのは一年で6ヶ月以下しか自宅にいなかったって事であり、そう考えるとまるで遠洋漁船の船乗り並みじゃん。
ん?結局おれって日本人じゃん、世界で一番要領悪いビジネスマンかもって思ったりもした日曜日の午後でした。
2009年12月12日
昭和のイメージ
昨日は会社のクリスマスパーティ。今回はスタッフとパートナーのパーティなので30人程度と少人数。一年ごとにお客様や取引先を招待するパーティとスタッフ専用のパーティを繰り返している。
けど、スタッフとその家族が集まっておしゃべりしているのを見ると、何故かこりゃ昭和の日本の会社だなって思ってしまった。
そういえば昭和後期は日本の大きな会社は社員を集めて運動会とかしてた。
お母さんはお弁当を作り子供はこの日に向けて練習し、お父さんは社内の位置付けを確認しながら運動会のグランドで自分の坐るべき席を考えていたものだ。
あの頃は皆若くて元気が良くて必然的に子供がたくさんいて同じ世代で、だから運動会と言う社内行事が成立した。
今のような時代では到底考えられない話だけど、あの頃はそういう空気が社会の中に存在した。
そういえばJTBが運動会企画を企業向けに売り込んでいるという話を聞いたことがある。昔は企業の総務課がやってた仕事だから旅行屋がやるのはそれほどおかしな話でもないな。
慰安旅行とか運動会とかノミニケーションってのは、あれって結構連帯感をうむ仕組みなんだろうな。
自閉症であるぼくはどうしてもあーいう場所に馴染めないのだけど、けどけど、そういう場所は実は殆どの人々にとっては楽しい場所なんだよね。
ちっちゃな子供が走り回り、若いお母さんたちがおしゃべりを楽しみ、お父さんたちは日頃話をする機会のない仲間とお酒を飲みながら情報交換したり。
20代の人に昭和の日本の話をしても分かるわけがないし、中には「え?昔の会社って、会社で運動会してたんですか?」とびっくりされることもある。
けど戦後の日本という国の強みってのは会社が中心となってそこを囲むように社会が出来上がり、あまり相手の事を知らなくても同じ社会にいるってだけで応ある程度の同じような価値観の共有や事前の選別が出来てるからで安心感がある。
そして平成になってバブルが弾けてそれまでの日本的価値観が破壊されて、それまで企業が中心となった社会が一旦崩壊されたにも係わらず、それに代わる新しい組織が出来ないまま現在に至っているから日本人の不安がますます駆り立てられるようになったのかと感じたりする。
そういえば昔は、社員の引越しと言えば会社の同僚たちが週末にお手伝いをして行うものであり引っ越し会社は存在しなかった。引越しをする家族は当日までに荷物を箱詰めしておいて、当日は同僚が荷物を担いで新居に届けて、新居では御寿司やビールでご馳走をしてくれる奥さんがいたものだ。
生活が便利になるって意味で引越し会社と言うサービスが出来たり宅配便で自宅にお刺身が届く時代になったのは、こりゃ便利。けど、隣に誰が住んでいるのか分からないマンションでの生活ってのは、どうなのか。
その点ニュージーランドは良い意味で田舎である。地域社会もあるし会社内の付き合いもある。同時に他人にあまり干渉しない気軽さもある。だから長く住めるんだろうな。
そろそろ年末。クリスマスより年末年始が重みのあった時代に生まれたから今だもってこの国のクリスマス重視は馴染まないけど、キリスト教も仏教も神道も全部まとめて多神教で納得出来る日本人だからクリスマスパーティって口実で集まる事も出来る。
そういえば米国ではクリスマスの日に当直があたったクリスチャンの警官が同僚のユダヤ教の警官に「おい、休みを代わってくれないか」って頼んだりするそうだ。
でもって12月19日から1月10日まで当社は年末年始休暇で合計3週間くらいのお休みです。日本では「なんじゃそりゃ!」もんでしょうが、ニュージーランドではごく普通です。
何せ首相が自ら一ヶ月まるまる休んでハワイの別荘で過ごしたり野党の元党首は欧州でスキーを楽しんだりするお国柄。
クリスチャンもジューイッシュもモスリムも仏教も、皆まとめてクリスマスからお正月までお休みですね。
2009年12月11日
外務省スキャンダル
沖縄の普天間基地移設問題でおおもめにもめて、皆それぞれあーでもないこーでもないとやっている。
僕はある時期沖縄と付き合いが深かったことがあり、米軍基地問題や沖縄戦問題が何時のまにか仕事になってた頃もある。
なので基地が沖縄に与える良い面も悪い面も見て、戦争の悲惨さも見て、沖縄の置かれた地位も見て、結局これって日本という一つの暴力的なシステムが左翼であれ右翼であれ自分たちの都合のいいように沖縄を使っているだけという現実が見えてくるにつれ、システムに対してかなりの怒りを感じたことを覚えている。
ところがそんな事を思いながらもこっちは所詮やまとんちゅー、安全な高みから心配そうな顔で見つめて自己満足すんなよって言う自分自身からの無言の視線を感じることでいつの間にか冷えてしまった自分を思い出したりする。
今回の普天間基地問題も結局右も左も沖縄を食い物にして、同じようなものだと感じていた。
だから普天間基地問題についてはあまり書く気もせずにいたのだけど、今日の田中宇のメルマガにはさすがに驚いた。
★抜粋開始
▼外務省が捏造した1万人の幽霊隊員
外務省発表や大手マスコミ報道によると、沖縄には1万8000人の海兵隊員がおり、グアムに移るのはそのうち8000人だけで、グアム移転後も沖縄に1万人残る話になっている。私もその線で記事を書いてきた。しかし、在日米軍の司令部によると、1万8000人というのは「定数」であり、実際にいる数(実数)は1万2500人である。しかも、沖縄タイムスの06年5月17日の記事「グアム移転人数の『怪』」によると、沖縄にいる海兵隊の家族の人数は8000人で、発表どおり9000人の家族がグアムに移るとなると、残る人数が「マイナス」になってしまう。
http://www.awcjapan.org/data/okinawa/okinawa090223.htm
「在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定」の署名に抗議する
沖縄海兵隊の「実数」は、軍人1万2500人、家族8000人の計2万0500人だ。これに対してグアムが受け入れる人数は軍人8000人、家族9000人の計1万7000人である。家族数の「マイナス」に目をつぶり、総数として引き算すると、沖縄に残るのは3500人のみだ。米軍再編の一環としての「省力化」を考えれば、米本土に戻される要員も多いだろうから、沖縄残存人数はもっと減る。今回の宜野湾市の資料は「沖縄に残るとされる海兵隊員定数は、今のところ空(から)定数であり、実働部隊ではない」としている。空定数とは、実際はいないのに、いることになっている人数(幽霊隊員)のことだろう。
★抜粋終了
詳細はウェブサイトの無料版で読むことが出来る。
つまり沖縄海兵隊のほとんどがグアムに移転する計画が4年前から進んでいるのに外務省はそれを隠したまま思いやり予算や新しい基地建設をしようとしていたのだ。つまり新しい基地を作っても誰もいない状態なのに、その事をわざと一般国民には知らせずにいたわけだ。
これは一体なんなのだ?
つまり、基地建設やグアム移転費用で作られる住宅などで利益を得る建設業界連中と、安保条約によって様々な利権で莫大な利益を挙げている「安保マフィア」と、米軍を味方に、つまり日本国民が治めた税金を「思いやり予算」と言う名目の賄賂として米軍に渡す事で米軍の傀儡として日本の政治家や政府に対して「あれ?うちに逆らうのですか?うちは米軍や米政府の意見代表ですよ、逆らったら田中角栄のようになりますよ」と恫喝する外務省の3者によって作られた壮大な騙しなのだ。
詳しくは田中宇の無料メルマガを読んでみればよいが、これが結局インターネットの強みである。一般市民がそれまでは知る事の出来なかった情報を入手できる時代になった。そして既存マスコミが政府や一部官僚の手先になって動いていることを見事に表している。
こんな事実なんてインターネットのなかった時代には絶対に表には出てこなかっただろう。それが今こうやって事実として発表されてしまったのだから、さあこれから外務省はどうする積りだろうか。
それにしてもこれは、国民の税金を使った壮大なスキャンダルである。国民を無視して省益だけを守ろうとした外務省に対して、どのように責任を取らせていくのか?
てか、こんな自分の利益だけのために国民を欺いて税金をつぎ込んでおきながら片方では税収不足、増税、富裕層狙い撃ちなんてやるから誰も税金を払わないと言ってるのだ。何でこんな簡単な理屈が霞ヶ関の連中には分からないのだろうか?
これが自民党時代には、政治家の中の安保マフィア系列がいたからいつの間にかもみ消されてしまったのだろうが、民主党になればそう簡単にはいかないだろう。
いずれにしてもこれで、今まで普天間について様々な意見が出てきたが、その殆どが根底からひっくり返されたことに多くの人は気づくだろう。
要するに数日前に書いた「古代の歴史は嘘ですよ」ってのと同じで、最初から事実となる土台が間違っているのだからそこをベースにして「国際公約は守るべき」とか言ってた連中は、今頃恥ずかしい思いをしているだろうね。
まあとにかくこれから税金を納める予定の人々はまず税務署職員に聞いてほしい。
「私の税金は米軍と一部利権団体の為に使われるのですか?」
「私の税金の使途明細を下さい。こんなの民間企業なら当然ですよね、会社の経費を使って明細も領収書も出さずってのが社会常識で通らないってのは分かってますよね」
「もし私の税金が一部でも外務省を通じて今回の詐欺事件に使われているのなら、税金は払いませんからね」
こうやって税金不払い運動を国民全体が行えばよいのだ。
2009年12月10日
遺産申告漏れ
遺産申告漏れ、海外関連が過去最多 08事務年度、353億円
今年6月までの1年間(2008事務年度)で相続税の税務調査で見つかった申告漏れのうち、海外資産が絡む申告漏れ額が前年度比14.5%増の353億円と過去最悪を更新したことが10日、国税庁のまとめで分かった。統計開始の01事務年度以降毎年増加。国税庁は「富裕層の資産運用多様化に伴い海外の保有資産が増えている」と分析している。
08事務年度の海外関連の調査件数は前年度比16.7%増の475件。申告漏れは同12.9%増の377件で、うち仮装・隠ぺいを伴う遺産隠しは同50.0%増の63件だった。1件当たりの申告漏れ額も1.5%増の9362万円と2年連続で増えた。
ある男性会社役員の遺産のケースでは、生前に「日本に取り寄せない限り税務署にはばれない」と発言していたことなどから、相続人が海外の遺産を申告から除外。約2億円が遺産隠しと認定され、計約1億円を追徴課税されたという。(00:38)
政府税調、相続税の強化検討 租税特別措置で査定案
政府税制調査会は17日から2010年度税制改正に向けた本格討議に入る。租税特別措置の見直しは財務省が各省庁に提示する査定案をもとに議論する。地球温暖化対策税などの主要課題に加え、相続税の課税強化も議題にする。富裕層の税負担を増やし、所得再分配の機能を強化する狙いがある。
(07:00)
★ここまで本日の日経新聞より転載。
やっぱり始まりましたね、富裕層狩り。
政府は税制全体を見直す中で富裕層向けの課税を強化しようとしている。これは分かりやすくいえば「取れるところから獲る」という事だ。
税金は国家運営にとって最も重要なものであり、社会政策を実現する為に誰からいくら徴収するのか、その公平感が最も重要である。
この公平感とは、徴収される側から見ても「そうだよな、これなら払ってもいいよな」と思わせ、さらに払った金の使い道が「あ、これに使うんだったらOKだよな」と思わせないといけない。
ところが今までは払うほうは「何でおれが?」と言う気持ちがあり、使い道に至っては全く意味不明、車が通らない高速道路や観光名所にしかならないダムとか、要するに政府と役人が勝手に流用していたから、国民の間で不公平感があったのだ。
それでも昭和後期の経済成長期であれば「明日は今日よりよくなる」と思えたからそれほど文句も言わなかった。
けど今の時代になって社会保障が次々と切り捨てられる中で給料が上がらない年金はもらえないと分かってしまえば「明日は今日より悪くなる」としか思えない。
そうなると税金を払う意味が分からなくなるのだ。
だからこのあたりで税金を全て見直していこうねと言うのが元々の税制改正のはず。
ところが今は政府の税収が急激に落ち込んでいるから何とかして取れるところから獲るしかない。そうなると今現在カネを持っている人が目標となるのは当然だ。
なおかつ遺産相続税であれば、本人はすでに死んでいるから文句も言わない。受取人だって自分で稼いだ金ではないからそれほど文句も言えない。お、獲りやすいではないかとなる。
だもんでここで50%課税させてもらいますよって事になる。新聞も政治の味方だからこんなときには「仮装、隠蔽」と言う言葉を使うが、世間ではそれは「節税」と呼ばれた合法的な処理である。けどこれになんだかんだといちゃもんを付けて「仮装、隠蔽」にしてしまうのがプロの税務署集団である。
ほんっと、この手の話は尽きる事がないけど、こうやって富裕層狩りをやるってのは問題の根本をおろそかにしたまま表面だけ処理をするようなものであり、根本的な税に対する議論と国民の理解を得ないままに「民には言うな、知らせるな」って感じで勝手に役人が法律を作るからいかん。
税金は国家運営で必要かつ欠くべからざるものであるのは当然であることを前提にして、その上で税の公平感を持たせるにはどうするか?
例えばニュージーランドを見てみれば、人口400万人のちっちゃな国家だけどここ十数年国家経営は黒字である(今年だけは金融危機で赤字になる)。
国民も税金の負担は当然だと理解している。(もちろんどこの国に言ってもクレーマーはいるけどね、NZの場合はそれが日本人だったりするから困る)。
国民は一般的に税金をきちんと払う。企業経営者もその意識を持っている。何故ならそのお金の8割は社会保障や教育医療に使われており、非常に透明度が高いからだ。
払う金額も使い方も納得出来るから税金を払う。その結果として国家が安全に運営される。ほら、これが普通でしょう。
僕自身も会社で税金を払い個人で税金を払いしているけど、不満は全くない。これで治安、教育、医療、全部国が代行してくれてるから、払うのが当然ではないかと思える。
じゃあ何で日本が普通でないのか?それは政府が国民を国家の資源(領民)であると考えて、資源をいかに有効活用するかと考えるから、国家が作るダムの方が医療保険や教育よりも大事となるのだ。
だってそうだろう、領民なんてほっとけば子供を産むんだしいちいち教育なんて身に付けさせる必要はない、賢くなって困るのは政府ですからね。
そうやってごく一部のエリート集団がこの国を運営してきたのだけど、すでに制度自体にガタが来ている現在、人々にやる気を出させて安心感を与える政策に転換すべきであり、その為の税制見直しとなるべきだ。
でもって民主党の動きはもちろん基本的に「良い方向」に見直しをしていると思うが、現実として財源がない。それなら1400兆円の個人資産を戴きましょうとなるのは、これもある意味当然の帰結である。
という事はこれから個人資産を持っている人は、それを黙って政府に差し出して死ぬまで一生懸命働くか、思い切って政府相手に「納税拒否」をするかである。でもって海外移住。
政府もバカではない。だからこのニュースにもあるように「海外資産の監視強化」となったのだ。
今までは政府側に海外資産についての把握方法が明確でなかったが、これからは厳しくなるぞ。案の定の流れである。
ただ、日本政府に対しては「その税制、本当に平等ですか?」と聞くべきではなかろうか?
父親の資産は父親が頑張って働いて納税して、そして残したお金、つまりすでに高い税金を払っているのである。そのお金は政府に差し上げる為に貯金したのではない。自分の子供たちのためである。
なのにその資産の半分を国家が持っていくってのはどういう事だ?何もせずに税金ばかり取っておいて、更に死んだ後も税金獲るのか?だったら使い道をもっと明確にしろ。役人が自分たちだけ高いボーナスや天下りを保証された中で、一体何処が公平なのだ?
要するに多くの資産家は税金を払う事の意味は分かっているし払う事も納得している。けど今のような使い方では納得出来ないと言ってるだけなのだ。
ニュージーランドでは家族信託会社が作れてそこに父親が入れた資産についてはすべて無税で家族が受け取る事が出来る仕組みがある。
これは、家族の財産は財布が一つであるという考え方に基づく。また、すでに父親が資産を作る際に納税しており、それに再度税金をかけるのはおかしいという考え方がある。
つまり、国家にとって家族とは何か、税法の平等とは何か?そういう点をきっちりと議論する必要があるのだ。
それなしに今の日本のように「取れるところから獲る」をやっているからいつまでたっても不満が収まらないのだ。
例えば法の下の平等と言うのなら、政治家はどうなるのだ?父親が子供に譲る政治資金、地盤、後援会組織には一切課税されてないではないか。あれなんて一体どれだけの価値があるか分かっているのか?
一般市民からは鬼のように取り立てるくせに、政治家はうるさいから課税しないってのは、完璧な二重標準でしょ。要するにそんな安易な姿勢だから国民が反発するのだ。
だったらいっその事、国民全員が納税拒否してみればどうだろう。その上で役人に自分たちがやってた事をきっちりと総括させるのだ。
一人二人ならケーサツが逮捕ってことになるだろうけど、ある日突然、すべての国民が納税を停止したら、さすがに全員を逮捕なんてことは出来ない。
それくらいの騒ぎを一回くらい起こしてみないかな、にほんっじん。
写真はクイーンストリートのクリスマス。空は明るいし道行く人は上向いてて楽しそうです。今日より明日の方がもっと幸せになれる、そう信じる事が出来る国なんですね。
2009年12月08日
週末は古代史
週末、久しぶりに時間が取れたので日本でまとめ買いしてた本を引っ張り出してたら関裕二という作家の「古代日本史」の解説本が出てきたので、ざ〜っと読んでみた。
聖徳太子は蘇我入鹿である (ワニ文庫)
著者:関 裕二
販売元:ベストセラーズ
発売日:1999-10
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けど、この手の本って面白いよね。何故だか分からないけど、本の外装や外見や帯に書いてる事見ただけで大体どの程度の本か分かる。
でもってこの本も案の定、思ったところにぴったりと着地。面白い!実に面白い!この人、SF作家やれば受けますよ。
日本古代史はあまり興味がなかったので立ち入る事もなかった分野であるが、それでも大化の改新や藤原鎌足程度は高校生の頃に勉強したのである程度は頭に入ってる。
その、高校生程度の知識で彼の作品を読むことになったのだけど、いや〜、高校生程度の知識がなければ速攻で引き込まれて信じ込ませられますよ。
ぼくがなんで日本古代史と言うか歴史の、例えば「日本書紀」などや中国の「正史」に興味がなかったか。
それはあの手の本って基本的に戦争して「勝った方」が自分の存在価値と理由に理屈を付けるためにプロの作家に書かせたものであり、だから史実と言うのが実は嘘であったなんてのはしょっちゅう。
だもんで、古代史の話をするにしても議論の土台となる基本的事実がどこにあるか分からないから、何を議論しても砂上の楼閣である。
例えば大化の改新とは本当に存在したのか?日本書紀が正しい事を前提に誰かと「中大兄皇子はこうあるべきだった」とか議論しても、彼が実際には存在しない人物であり大化の改新が実際には「なかった」場合、どれほど無駄な議論に時間をつぶす事になるか。
第一たった60年ほど前に起こった南京大虐殺でさえ思いっきり戦勝国側、てか、戦勝国に乗っかった国で政治プロパガンダとして改ざんされて今の時代に「南京の真実」として語られているのだ。
同じ議論の土台が存在しない中では真実も何もあったものではない。幸いぼくの世代は父親が第二次世界大戦に参加した世代なので、まだしも直接に戦争で行われた事を学ぶ機会があった。
捕虜虐待を禁止しているのにマレー半島で捕虜になったイギリス軍やオーストラリア軍の兵隊に木の根っこを食わせたとして戦犯になった日本軍人がいるかと思えば(実はごぼうであった)、片方では東京大空襲で民間人を数万人単位で焼き殺し、戦闘地でもない広島と長崎の非戦闘員の頭の上に原爆を落として戦争の英雄になったものがいるくらいで、歴史の正史に真実がないことなどは分かりきったことだ。
だから歴史的に不明な部分はあまり立ち入らずに、具体的な資料とか理論的にスジの通った場合にのみ歴史学の視点から考えるのではなくその上部にある物理学とか要するに試金石として使えるものを引っ張り出して考えるようにしてた。
そうやってみると古代史ってのは冒険科学小説であり恋愛小説であり人間のどろどろした面を描くミステリー小説だったりするけど、ほとんどの場合は歴史的事実という点からは大きく外れている。
けど、いくら外れているからと言ってあなたまで外しちゃ駄目でしょ、関さんって感じ。
けど、そのガラクタの資料の中にも時々面白いネタが転がっている事がある。
伊勢神宮の暗号
著者:関 裕二
販売元:講談社
発売日:2009-07-22
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縄文人、ながすねひこ、天皇の出自、こういうのはそれなりに想像が掻き立てられて面白い。
縄文人はやっぱりムー大陸の子孫なんだろな。でもって縄文人は八百万の神を信じて私有制度を持たずムラごとに生活を送り、つまりマオリと全く同じ生活文化を持ってたという事とか。
でもまあ関さんの書いている事で彼自身が全く説明をしていないことがある。他の「古い本」にもよくあるのだけど、日本書紀で「655年の夏に龍に乗った人間のようなものが葛城山から生駒山に向って飛んでいった」と言う記載があるのだけど、これの説明はないのかな?
蘇我入鹿が実はその人間だったとかじゃなくて空飛ぶ物体が何だったのかってこと。これだけいろんなこと書いておいて、空飛ぶ物体だけは「あれはもののたとえです」なんて言わないでね。
実は面白い事に聖書の内容を100%信じるキリスト教原理主義者がたくさんいる米国でさえ旧約聖書に書かれていた宇宙船については触れていない。
神々の指紋 (上) (小学館文庫)
著者:グラハム・ハンコック
販売元:小学館
発売日:1999-04
おすすめ度:
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どうせSFチックにするなら、やっぱり人間は空から降りてきた宇宙人でした、猿が進化して人間になったなんて間違いでした、くらいのことを命がけで書いてくれれば僕だってこの本を途中で放棄することもなかったのだけど。
まあ、創造力の乏しい人が精一杯の知恵でその辺に散らばっている欠片を集めて自分なりに組み立ててみたら古代の歴史はとても面白かった、はいはいよかったですねという程度、ですね。
しかしまあ、本は好き嫌いがあるので、こういうトンデモ本を楽しめる人には読書の入り口としては良いのかもしれない。あ、そうだ、東大の受験でこの本を使ってみるのもよいかも。彼ら、素直にこの本を信じるかもしれないぞ。
2009年12月07日
1991年 香港
1991年香港に家族で移住した時は、ぼくにとってはまさに落下傘降下であった。日本人の知り合いはたった一人もおらず家族は全員香港人であり日本人とのコネクションはない。
当時の香港ビジネスは生き馬の眼を射抜くと言われていたくらいスピードと大胆さが要求されており、普通の日本人ビジネスマンが成功するのは10件に1件もないと言われてたくらいだ。
事実、当時香港に店を構えていた日本の証券会社は20数社あったがほとんどすべて赤字であった。香港人のディールの速さと判断の早さに日本人がついていけなかったからだ。
何せ日本のバブル崩壊後でも香港は返還前景気でハンセン指数はぐんぐん上昇して、まさに日本のバブルをコピーしたかのようだったから、ビジネスの速度はますます加速するばかりであった。
そんなところで全然広東語が出来なかったぼくが何とか仕事を得る事が出来たのは、それまでに身に付けていた旅行業の知識があったからだ。
そして日系旅行会社で一年目から実績を上げる事が出来たのは、実はある一つの偶然から始まっている。あ、二つか。
一つは日本から派遣されてきた直属の上司が現場指揮官として非常に優秀でぼくに思い切りフリーハンドを与えてくれた事だ。
そしてもう一つがお客様に恵まれた事。その中でも初年度に営業をして顧客となってくれた方が当時の日本銀行香港支店支店長兼日本銀行本店理事であった東郷氏であった。
たまたまぼくがオフィスにいるときに取った一本の電話が日銀担当者からであり、「そちらでは手配をしっかりやってくれますか」と丁寧に聞いてくるので「もちろん!」と答えたところから日銀との取引が始まった。
支店長は当時中近東を担当しており、パキスタンやアフガニスタン出張が多く、その手配だけはぼくがすべて担当した。出張先の会議場所を確認して、往復の飛行機とホテルを予算内で選び、なおかつすべてに送迎車を付けて、彼の仕事については確認に確認を重ねて対応した。
その結果としてだろう、暫くすると都銀や地銀の方から電話がかかってきて「御宅、日銀さんを担当しているんだよね、だったらうちの支店長の仕事をお願いします」てな感じ。
それから香港を離れるまでの6年間、どんけつだったこの旅行会社は他の大手を追い抜いて日系市場では常に上位を維持することが出来た。
だからぼくにとっては日銀の東郷理事という名前にはひとしおの思い出と感謝の気持ちがある。
1990年代のバブル崩壊は日本の金融界に大激震を与えたのは周知の通り。そして日銀の若手エリートであった東郷氏が本店に戻り、そして日本債権信用銀行の最後の頭取として派遣されたのはそれから数年も経たずしてだった。
★今日のニュースから★抜粋開始
旧日債銀の粉飾事件 最高裁が差し戻し
旧日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の粉飾決算事件で、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の罪に問われた元会長、窪田弘被告(78)ら旧経営陣3人の上告審判決で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は7日、3人を執行猶予付き有罪とする一審判決を支持した二審・東京高裁判決を破棄、審理を同高裁に差し戻した。
ほかの2人は元頭取、東郷重興被告(66)と元副頭取、岩城忠男被告(71)。有罪か無罪かについて、同高裁で改めて審理する。
一、二審判決は、旧日債銀が不良債権を実際より約1592億円少なく見せかけた虚偽の有価証券報告書を提出したとする検察側の構図に従い、旧経営陣3人を懲役1年4月〜1年、執行猶予3年としていた。(12月7日15:15)
★抜粋終了★
当時の事を知っている人ならだれでも分かっているが、これはバブル崩壊後の責任の押し付け合いの中で運悪くスケープゴートになってしまった事件である。
あの頃からだろう、裁判が「誰が悪いか」ではなくて「誰を悪者にするか」を決めるようになったのは。つまりそれまではかろうじて法治国家だった日本が、ついに無法国家になった時期である。
そんな時期に巻き込まれた東郷氏はそれでも自分たちの無罪を訴えて裁判を継続してきた。
本来なら執行猶予で控えておけばそれ以上は悪いことはしませんよ、逆に言えばあまり逆らうと実刑にしますよと言う体制側からの圧力があったのだけど、彼らはそれでも上訴した。
★抜粋開始★
旧日債銀粉飾、元会長ら無罪主張 上告審弁論
旧日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の粉飾決算事件で、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)罪に問われた元会長、窪田弘被告(78)ら旧経営陣3人の上告審弁論が9日、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)であった。弁護側は「当時の会計処理は適法で無罪を言い渡されるべきだ」と主張した。判決期日は後日指定される。
ほかの2人は元頭取、東郷重興被告(66)と元副頭取、岩城忠男被告(71)。二審の結論変更に必要な弁論が開かれたため、3人を有罪とした一、二審判決が見直される見通しで、逆転無罪となる可能性がある。
裁判では、1998年3月期決算で、旧大蔵省が97年に出し、貸出金の査定厳格化が規定された「資産査定通達」を用いず、従来基準で会計処理したことが適法だったかが争われている。(11月09日 22:01)
★抜粋終了★
ずっと気になっていた事件だったけど、どうやらこれで長かった人民裁判も終わりになりそうだ。
写真はシティの裏通り、ランチタイムになると賑やかになる場所である。
2009年12月06日
Travel Vision News
日本の旅行業の情報をウェブ版のTravelVisionで時々見ている。
このウェブサイトでは日本の観光産業、主に旅行会社の記事を読むことが出来る。
どこの旅行会社も軒並み赤字で、冬のボーナスは0.1ヶ月だとか、対前年売上が30%減少とか、そんな記事。
営業面では各社が様々な手段で送客、特に海外送客を増やそうとしていろんな仕掛けが発表されるのだけど、どれもこれもなんかずれてる。顧客視点に立ってない。
今日見た記事はニュージーランドのことだった。けどさ・・・その記事とインタビューの内容、違うんだよね、問題が。ここから先は旅行業界ネタなので興味がない人は無視して下さい。
★抜粋開始
クオニイジャパンは、ニュージーランドの手配業務を開始する。このほどサザントラベルネット・リミテッドと業務提携した。クオニイジャパンでは6年ほど前からヨーロッパだけでなくインド、アフリカ、中近東など世界展開を拡大してきたが、これまで取り扱ってこなかったニュージーランドを加えることでさらなる事業拡大をはかる。また、サザントラベルネットは、今回の業務提携により販路を広げることで、減少傾向にある日本からニュージーランドへの送客にてこ入れする考えだ。クオニイジャパン代表取締役社長のフランソワ・ロカ氏は、「旅行業界は厳しい時期。今回の業務提携で新たな商品やビジネスモデルを作り出し、新たな息吹を吹き込むことでビジネスを拡大したい」と意気込みを述べた。
具体的には、12月14日から約6ヶ月間の移行期間を設けて、サザントラベルネットの社員が2名クオニイジャパンに出向してノウハウを提供しながら営業活動を展開する。旅行会社はこれまで通りクオニイジャパンの営業担当を通じてニュージーランドの手配を依頼でき、その手配をサザントラベルが受託手配する流れとなる。ロカ氏は、「ゼロからではなく、能力のあるスタッフが入り込んで営業を開始できるため、スタートのレベルが高い」と話し、業務提携の効果が早く表れると期待を示す。「サザントラベルネットの能力をクオニイジャパンの販路で活用していく」ことで、初年度は1万人以上の手配をめざす。
★抜粋終了
何が問題・原因でどう解決するかってのが普通の人間の考える事なら、何故ニュージーランドへの送客が減少しているのかを考えるのがテーマとなる。
それなしに小手先で何をやっても意味はない。なのに、それをやっているのが上記の記事である。どっかと提携して日本での営業網を強めて??販路を拡大して??
はあ?何言ってんの?そんなじゃないでしょ、今の旅行業が抱えてる問題ってさ。
構造的に旅行業を利用するパイが激減しているのに、そのパイを増やす努力ではなく既存の旅行会社を相手に営業かけるって、それは激減しているパイの自分の取り分を増やすって話だけでしょ。そんなんじゃ死ぬ速度を速めるだけで何の意味もない、てか、更なる過当競争で業界自体が亡んでしまうよ。
今の旅行業は何が問題か?それは顧客と旅行会社の情報が同質になっており、旅行会社を利用する意味が存在しなくなっていると言う構造的な問題である。
昔ならハワイに行くのも旅券を取るのも一般市民には難しかった。第一旅先がどんな状況かも分からない。だから旅行会社が情報を収集して、「そこに行けばすべてが揃う」と言う旅行ビジネスモデルが成立したのだ。
アゴアシマクラと言う言葉は、あご=食事、あし=移動手段、まくら=旅館の略語。
この3つをセットにして販売出来る仕組みは旅行会社にしかない為に、必然的に旅行会社がサプライヤー(レストラン、売店、交通機関、宿泊施設)と旅行客の間に立って、両方に対して優位な立場で仕事が進められたのである。
つまり旅行会社と一般市民の間に「情報の非対称」があってこそ旅行の商売が成立するってのに、仕入れ力とか社内派閥で商売が成立するなんて思い込んでたのが業界のトップを占めてるからいつまで経っても世間の実情が理解出来ない。
JTBは国策で外国人の受け入れをやる為に作られた会社であり元々は交通公社だ。だから政府や運輸省と繋がっている。
日本旅行は国鉄時代から国鉄職員の天下り先の指定席だった。
近畿日本ツーリストはその名の如く近畿日本鉄道の子会社。今はなき東急観光もしかりである。
ようするにぽっぽ屋とか役人が幅を利かせており、彼らに旅行業のセンスはない。そして親会社がしっかりしているから子会社は理屈ばかり並べてればよく、上に優しく下に厳しくする人間が出世出来たのだ。
おまけに旅行業なんて見かけが格好良いもんだから文系のおしゃれな連中の集まりになって、でもってそういう場所では田んぼに手を突っ込んで苗を植える連中は下班であり上班は田んぼの畦で両手を袋手にしてあ^でもないこーでもないと言い合ってる。
旅行会社は客を送ると言うその優位的立場を利用して旅館やホテルから金をせびりまくり、「おれたちが送ってやってるんだ、頭を下げろ」的な態度で旅館やホテルに接して、当時から旅館の人々には顰蹙をかってたものだ。
旅館も確かに旅行会社の送客がないと食っていけないから、仕方なく頭を下げてた時代があった。けどこれだけインターネットが発達してくれば、旅行会社に依存する理由はなくなる。直販できる時代に何でくそ生意気な旅行屋に頭を下げる必要があるか。
これに明確な答を出したのが航空会社だ。もともと航空会社は座席販売の60%以上を旅行会社に依存していた時期があった。
ジャンボなどの大型機を飛ばすには、100名単位で座席を埋めてくれる旅行会社に集客依頼をするしかなかった。だから国内線では4%、国際線では9%の販売手数料を払っていた。そして更に座席数販売に応じて報奨金を出していた。
けど今のようにインターネットですべてが出来る時代に何で旅行会社を使う必要があるか?顧客が直接アクセスしてクレジットカードで精算してくれるのだから旅行会社を利用する意味は全くなくなった。
そこで出てきたのが販売手数料をゼロにすると言う施策。
すでに国際線では「キャップ」と言う方法で販売手数料を思いっきり引き下げて、欧州線の座席一つ売ってもせいぜいが5千円程度の利益しかないような状態である。
国内線でも旅行会社に依存する必要はないから販売手数料は一気にゼロにするという。
つまりサプライヤーが(ぼくは業者と言う言い方がどうしても、いつまでたっても馴染めない。だって共存共栄にある関係でしょ、何で目下みたいな言い方になるのか傲岸不遜である)旅行会社に対して「あなたはもう不要です、今までありがとね、ばいばい」と言い出したのだ。
商社が一時期「不要である」と言われた時期があった。それまでの商社は世界中に販売網と情報網を持つ事でメーカーと組んで口銭を取る事が出来た。しかしメーカーが力を付けるにつれて口銭ビジネスでは将来性がないと、開発型ビジネスモデルに転換したのだ。
これが今の商社の大きな収入源になっている。例えばオーストラリアの資源ビジネスではある大手商社の利益の半分以上を稼ぎ出してたなんて話があるくらいだ。
つまりビジネスモデルの転換に成功して商社は新しい世界を開発した。
ところが旅行業界ではそのような危機感を持つ人間はいない。何故なら彼らは天下りだったりサラリーマン社長だから、自分の任期だけ全うすれば後は偉そうにOBとしてふんぞり返っていられるのだ。
まあこんなバカはどんな業界にもいるけど、旅行業界にとって不幸だったのは誰でも参入出来る業態であり親会社が自社の出張支援の為に子会社を作ったりと、要するに自分で責任を取る必要がない業界になってしまった点である。
とくに既存旅行業に最大の影響を与えたのがインターネットであり、早い時期からインターネットに取組んでおれば対応出来たものを、それを全く怠ってきたというのは致命的失敗である。
実際に10年前に旅行業が本格的にインターネット販売に参入していれば、旅の窓口(現在の楽天)も一休も存在しなかっただろう。
今でも覚えているのが20年ほど前にHISが業界に参入してきたとき、当時の大手旅行業全てが口を揃えて「あんなのは旅行会社じゃない、相手にする必要もない、業界の集まりにも参加させない」ってバカにしてたことだ。
その「旅行会社じゃない」のが現在ではすでにJTBを追い抜いている現実を、当時の業界の連中がどう語っているか知りたいものだ。
そしてニュージーランドで言えば1990年代の16万人の渡航者市場が適正規模であったかどうか、もしかして旅行ブームで一時的に膨れ上がってただけではないかと誰も考えないのだろうか?
要するに「今まで16万人来てたんだから、8万人に減少した旅行客をもう一度16万人に戻そう」と言う発想自体が間違いではないかってこと。
そうじゃなくて、元々NZは確信犯しか来ない市場として年間5万人くらいがコア市場であり、5万人を前提にしてNZのインバウンド市場がどうあるべきかという発想が必要なのかもしれないとは誰も思わないのか。
わざわざ高い飛行機代を払ってまでニュージーランドに来たいという人は、夏場にスキーが出来るとか冬場に世界トップクラスのトレッキングコースを楽しめるとか、自然がdaisukiだとか友達や親戚がニュージーランドにいるから、くらいである。
そうやって考えていけば、既存の「何でもやります」総合旅行会社ではなく、ある一定の商品に特化して絞り込んでいくのが生き残る道であろう。
その為にはどれだけニュージーランド現地の人々から情報を収集してリスクを取って商品化するか、である。
札幌の雪祭りに、雪を見るためにわざわざ香港から観光客がやってくるのは何故か?雪なんて江戸時代には公害以外の何ものでもなかった。
それが今ではスキーになり祭りになり、流氷を見に来る人もいるくらいだ。
要するに視点を変えればニュージーランドも宝の山である。ところがその視点を変えようとせずに既存のビジネスモデルでどうこうするから、ますます業界が過当競争に陥っていくのだ。
旅行業の命は情報。そしてインターネットでは取れないたび情報が、現場にはたくさんある。つまり、角度を変えてやり方を考えればいくらでも成長する余地はある。
ニュージーランドと言う宝を活かせるかどうか。それはすべてのリスクを取って自分で行動できるかどうかだ。
2009年12月05日
大雨オークランド後晴天
オークランドは大雨だ。
数日前からずっと冬の終わりに戻ったような冷たい雨で、金曜日はさすがにこれ以上日本で買ったスーツ(高品質で低価格、NZの正反対の意味)を濡らしてクリーニングに出してぼろぼろにされて戻ってくれのをドキドキしながら待つよりは(高価格でアイロンのかけ方も知らずにボタンを溶かして返されるの意味)、カジュアルフライデーであり外部との約束もないのでと久しぶりにジーンズで出勤した。
それにしてもよく降るな、この雨・・・おまけに冷たいし。いくら一日に10度の気温変化があるったって、下方硬直型の気温変化なので、鼻ぐずぐず。
12月だぜ、本来なら夏の天気でスカッとした青空にカラッとした25度くらいの空気なのに、今日はなんじゃこりゃ、真っ黒な空に14度の寒さで、こんな天気じゃイギリス人もロンドンに帰るぞってくらい。
それでもって土曜日もまた大雨ですぜなんて予報を聞いてると、どこが温暖化だよなんて思ってしまう。
そんな時に見かけたのがこの記事。
★抜粋開始
とは言え、たばこ増税は1998年以降で3回行われたが、いずれも上げ幅は1本1円だった。1本2円以上の値上げは過去に例がなく、財務省は「実際に税収がどうなるか、影響は読めない」としている。
また、たばこ事業法の廃止方針は、「大幅増税→喫煙率低下→たばこ産業への打撃」という流れを容認することにつながる。同法の代わりに国民の健康増進を目的とした新法が制定されれば、さらなる増税の大義名分となりうる。
ただ、喫煙率低下は税収減を招く可能性もあり、バランスをどうとるかが課題となりそうだ。
◇
JTに打撃
たばこ税の増税は、営業利益の約半分を国内たばこ販売に依存する日本たばこ産業(JT)にとって業績の下押し圧力となる。
2009年のJTのたばこ販売数量は前年比4・6%減の1525億本と、ピークだった1996年(2706億本)の6割以下に落ち込む見込みだ。
JTは「増税となれば産業全体への影響は大きく、慎重な議論をお願いしたい」としている。さらに、たばこ事業法の廃止によって将来的に大幅増税が行われれば、販売数量の一段の減少を招き、JTの経営自体を揺るがしかねない。
ただ、同法廃止に伴って小売価格の政府認可制度もなくなるため、欧米と同様にメーカーが価格を自由に設定できる可能性があり、現在と比べて適正な利益を確保しやすくなるとの見方もある。
(2009年12月4日 読売新聞)
★ 抜粋完了
おうおう、値上げの議論をやってますな。高額納税者(酒税)であるぼくからすれば、酒一本あたりの税金がいくらであろうが量でこなすのであまり関係ない税率ではある。
安かろうが高かろうがいずれにしても飲むのだし、税金を払うのは国民の義務である。だって誰かが税金を払わないと政府の再配分による社会保障が維持出来ないのだから。
だからタバコのような嗜好品の税金を上げるのは基本的に賛成だし、それで吸う人が減る、つまり日和見喫煙者が禁煙にシフトするのは肺がん医療費の削減に繋がるからこれも賛成。
けどタバコを作るのがJTだけの特権と言う必要はないのでは?この記事にも出てるけど、タバコ事業法を廃止してたばこ製造の自由化をすれば、面白いビジネスに繋がるのではないか?
今は実質政府管理だから「新しいたばこ」を作る発想はないだろうけど、もしとんでもない化学者がベンチャーと組んで全く新しいタバコを作ればどうだろう?
まずはたばこの臭いがしないタバコなんてどうだ?これだと服や部屋に染み付くにおいがなくなる。地方のホテルや旅館に行くと、今でも喫煙が普通だから、禁煙部屋が大好きなぼくにはとても辛い。
それからタバコの代わりにニコチンを注射するビジネスも良いかも。スーツのポケットに注射器を入れてるビジネスマン、かっこいいです(笑)。なにせ点滴ビジネスが東京で流行っているくらいだから、針を打つのに抵抗はないでしょうし。
臭いを変えてみれば?桃タバコとかみかんタバコとかどうだろう。桃の葉でタバコを作り、そこに桃の香りを合成してタバコを吸うと出てくる煙がピンク色。なんともよろしいですね〜(笑)。
そんな事を思って土曜日を迎えたら、なんと午前中はピーカン快晴!
ひさしぶりに車を洗ってすっきり。ついでにりょうま君のWarhammerのスプレー作業も進んだ。
写真はベランダでスプレーした模型です。
2009年12月04日
民主党+コミュニケーション=革命?
ぼくがよく読むブログにsatonaoがある。
元々は食べ物ブログだったのだけど、食べ物本になり旅日記になり日常生活に入り込んできて、最近では日本のコミュニケーションをテーマにした本が売れてる(明日の広告、ぼくも買いました)。
その彼が全く個人的な繋がりで鳩山首相と二回食事をした。
一回目は本当に偶然らしく、たまたま首相の夕食の予定がドタキャンになったので周辺に「誰か民間で面白い人いないかな」みたいなノリで食事となったらしい。
突然ながらも居酒屋での会食、satonaoさんが自分の得意とするコミュニケーションデザインやインターネットが示す未来や世界のコミュニケーションの劇的変化を予測したりして、手元に何の資料もないままに「国民と政治家の距離感」の話等をしたらしい。
またその食事会の様子をツイッターでやったものだからあっと言う間に話が広がって、この時期のツイッターではすごいことになっていた。
その後、鳩山さんはけっこう彼(コミュニケーションデザインのプロです)の話が理解出来たようで、ツイッターでこんなに集客できるのかとびっくり、本気でインターネット世代の国民とのコミュニケーションの取り方を考えたのだろう、もいっかい食事と言うことになった。
そこで先日第二回目の食事会が開かれた。内容はsatonaoを読んで頂ければ、その時の雰囲気がお分かりだと思う。
けど、これ、すごくないか。一般市民ですぜ。政治のことも知らなければ役人の仕事も何も知らない、ある意味政治家から最も遠いところにいる一個人を引っ張り出してきて「食事しませんか?」とは、これは政治家としてすごい判断だ。
これが一昔前ならこのような立場の人間と言えば大新聞の政治部記者の定席であった。戦前の石橋湛山にしても渡辺恒雄にしても、元々は新聞記者で政治家と太いパイプで繋がり、彼らの手足となって情報を収集して報告したものである。
それが今の時代はネットを駆使するブロガーなのだから、これまたマスコミからしたら恥ずかしくて書けないような内容である。記者からすれば「ぼく、首相に役立たずって言われちゃいました」なのだから。
しかしまあ、政治家とインターネットですぜ。それもペーペーの陣笠議員ではなく現役の首相が直接国民との対話を考えて、その道の最高のプロから直接ツイッターやSNSなどの「道具」を使って、それぞれの道具の使い方も説明を受けて、鳩山さんが「やろう、やる」って言ったことだ。
政治が密室から外に出てきて、国民が政治を身近なものに感じれば、これは革命ですよ。戦後どころか江戸時代から続いて来た「国民は依らしむべし、知らしむべかざり」政策が、根本から引っくり返るのだ。
民はお上の言うことだけを聞いてお上を頼りにして、お上は民に何も教えずに「黙ってついてこい、そしたら問題ないから」とやってきた統治体制が、400年続いた統治体制が、これからは「国民に知らしむべし、お互いに直接情報発信をするべし」と言ってるのだ。
これがどんなことになるかって言えば、日本に初めて開かれた民主主義が表れてくるってことだ。
政治家と国民が直接結びつき、痛みも喜びも共有して、彼らの中間でお互いをバカ扱いして既得権益でうごめいてた人たちを排除しようとしているのだから、ほんとに実現したら大変なことになる。
今までは政治家の発言だって結局はマスコミの都合で思いっきり偏向されて報道されてたから国民には何が本当か分からなかった。それに政治家を潰す為に官僚が偽情報を流す事もしょっちゅう。けど政治家はソレに対して反論する場所を持たなかったし、国民は知る機会もなかった。
だから国民は「天下のxx新聞が書くのだから、まさか嘘はないだろう」ってのが当たり前になっていたけど、これからインターネットを使って直接政治家が国民に向って説明をするとなったら、今までのマスコミと官僚のバイアスが一切かからない、政治家の声が直接聞こえるようになる。
そんなん、テレビで政治家が出てやってるじゃんと言うが、あれでも殆どの番組は編集された後の報道であり偏向されている。唯一変更がないのは生番組だけど、この場合は必ず反論する人や司会が止めに入って問題をはぐらかせてた。
国民と政治家の直接会話、これが実現するようになれば、国民は政治家の本音が聞けるし、政治家は国民の本音が聞ける。そうなれば途中にあった「中間業者」が既得権益を振るう事も出来なくなる。
記事の一部を抜粋します。
★抜粋開始
提言というのは、昨日も書いたが、国民と政治の距離を近くするためのソーシャルメディアの活用について、である。
ブログ、ユーチューブ、SNS、ツイッターなどのソーシャルメディアを活用して、いかに国民とコミュニケーションをとっていくべきか。その延長線上に政治不信や政治への無気力感などの払拭の可能性があるのではないか。そんな話をさせていただいた。
忙しい首相の時間をいただいたので、単なる飲み会だった前回とは異なり、昨日はかなりちゃんと準備をしていった。企画書にして25枚、別添資料50枚超。食事の席なのでカジュアルな形ではあるが、きちんとお伝えできたと思う。特にここ10年の生活者(特に20代30代40代)の変化やネットの普及による「トップダウンからボトムアップへの変化」「to People から with People への変化」を丁寧に。ここが今回特にお伝えしたかったところ。
★ 抜粋終了
ただそうなると大変なのは国民ですよ。
一般国民に「お前もここ坐ってみろ、どれだけ大変か分かるから」みたいなノリで始めた裁判員制度であるが、これで国民も今まで「政府にお任せ」だったのが、じぶんデモ社会の治安を担当する裁判と言う場所で判決責任の一端を抱えることになったのだから、自己責任が発生するわけだ。
これと同じで今後政治家がコミュニケーションを取ろうとして個人に意見を求めてきたら、国民は自己責任と自己の知識の中で何らかの回答をしなければならない。今までのようにぼけ〜っとして「ぼく、知らないもん」では通らなくなるのだ。
時代は益々加速していく。意識して付いていかないと、本当にあっと言う間に追い抜かれてしまう。
民主党の動きにはまだまだ不明な点も多いし、振り子の針が反対側に飛び出していく可能性もあるから手放しでは見てられないけど、それにしても“to People から with People へ”、今年から来年は政治が面白くなりそうだ。
2009年12月03日
地球温暖化とか
今日の田中宇ニュースで地球温暖化のトリックについて書かれていたので、これはお上の言うことなら何でも無条件に信じるお人よしの皆さんに是非とも読んでもらいたい。
地球温暖化についてはかなり以前から「そんな事ね〜よ、ちゃんとデータ取ってみたら寒冷化じゃんか」と言う学者の意見や、「またも環境ビジネスで一儲けしようとしてる欧州の連中の詐欺でっせ」と言う人々も多くいた。
けど1990年代当時はインターネットも発達しておらず、多くの人々は溶けていく氷山に乗っかった白熊とゴアの演説にすっかり巻き込まれてしまい、少数の意見は結果的に全体の方向性に影響を与える事は出来ず、いや、簡単に言えば「潰された」のだ。
しかし21世紀になってからのインターネットの発達で起こったのは情報の発信側と受信側の壁がなくなり、その気になれば誰でも「情報の非対称」を乗り越える事が出来るようになったという事だ。
そして更に最近のグーグルの活躍で、こっちが何もしなくても「向こう側」から積極的に情報が提供されるようになったと言うこと。
この2点がこれからの社会をひっくり返すのは間違いない。
だって、地球温暖化詐欺なんてのは政府レベルで仕掛けてきたことだから、なまじの人間が対抗しようのない話である。
しかし政府にとって不幸と言うか国民にとって幸運だったのは、政府が自由陣営と言う名の下に民主主義を広めてきて、選挙というシステムを導入させたことだ。
だからあんまりバカなことを政府がやれば、いくら隠し通そうとしてもすぐにインターネットを通じて情報が公開されて、バカがばれるという事態である。
民衆が賢くなれば選挙で嘘つきを落選させる事が出来るようになったという事実である。
政府に都合の悪い情報流出を防ごうとすればインターネットが使えないように検閲機能を付ければよいし、実際に中国では検閲をやっているから特定のサイトにはアクセス出来ない。
これは中国が一党独裁という「共産陣営」だから出来ることで、自由陣営の政治家は悔しい思いをしているでしょうね。ちぇ、おれもあっちにしておけば良かったってね。
しかし地球の温暖化の嘘は今回の事件でばれたわけだから、ビジネスモデルの方向転換をする必要があるだろう。
地球は温暖化している、ではなくて、今は寒いけど、今後地球が温暖化すると大変だよ、だからCo2排出権取引をしようなんてね。
要するに元手がゼロでカネが確実に儲かるビジネスとしての排出権取引であるから、主に儲かるのは欧州である。カネを払うのはくそ真面目で国際協調がdaisukiな日本であろう。
しかし米国はすでに「ば〜か、付き合ってられんよ」と言っており、中国だって無視の状況である。当然だ、誰が他所の国にカネを熨斗付けて渡すような事をするものか、日本以外に。
でもこれが温暖化なんてネタだと、詐欺とは言ってもまだ可愛いものだ。
最近の政府による大型詐欺、あれはやっぱり911だろうな。けどこれもケネディ暗殺と同じで、最終的には闇に葬られてしまうだろう。
そして結局当事者が全員死んだ頃に誰かが本格的に911の詐欺、みたいに映画作ったりするんだろうね。
そういえば一つ印象的だったのが、ニュージーランドのラジオニュースで聴いた話。
NZTALKと言うトーク専門のラジオ番組があるんだけど、そこのアナウンサーが政治ネタや経済ネタを次々と取り上げて視聴者と話をする内容。
ある時視聴者からの電話を取った彼の声を車の中で聴いたのだけど、
「あの、911ってのはあれは世界的なサイズで行われた騙しだという話があるんですけど」とおずおずと話し出したおじさんに対してアナウンサーは突然怒ったような口調で「え?そんな事あるわけないだろ。大体それだけの大型な騙しであれば今まで何故誰も一言もそんなことを言わないんだ。こんな大きな嘘がばれないわけはない。だから911は騙しではないのです、わかりましたか!」と、叩きこむように話してたアナウンサーの口調がすごく印象に残った。
アナウンサーの話はかなりおかしいのはすぐ分かる。すでに多くの雑誌やデータで911が仕組まれた事件であったと発表されている。
ビルの崩壊の映像を見てプロの建設関係者が皆「ああ、あれは内部に仕掛けたビル破壊用の爆弾ですね」と言ってたのも有名な話。
つまりすでに世間では何度も「公表」されているわけで「誰も言ってない」なんてのは通らない。第一、誰も言わないから存在しない」なんて理屈があるものか。
けどニュージーランドにはエシュロンがあることは周知の事実です。英米を中心として世界中の情報を集めているこのシステム、まさに世界中の情報が入手出来ます。
なんでこのアナウンサーがあそこまできつく言うのか、分かる気がします。
まあ911はネタとしては熱すぎるしでか過ぎるしだけど、少なくとも地球温暖化だったら、今からでも遅くはない、訂正が出来る。
昨日まで、まるで自分が正義の使いであるかのような顔で「地球温暖化は大変な問題だわ、わたしでも出来る事を気をつけましょ」と、一時期はやったMyはし運動みたいなことをやってた人も、少しはxxを見直す機会になるのではないかと思います。あ、今日のxxは「現実」です。