2010年01月

2010年01月31日

RAIN OR FINE !

dbf621a4.jpgオークランドで毎年夏に開催されるシーフードショーに行って見た。入場料15ドル、駐車場は近くの空き地に適当に止めて、桟橋の上に作られた数十軒のシーフードテイクアウェイ、ワイン、名産物などの販売をやっている。

主催はサンフォード株式会社で、ここの社長の付き合いで去年はスチュワート島の養殖サーモンを視察にも行った。

天候はあいにくの曇りと時々のスコールと、その合間に見える晴れ間であり、要するに10分ごとに天気が変わるいつものオークランドである。

それにしてもSimple is Best を代表するようなショーである。難しい仕掛けは何もない。入場券売り場は魚を海から引き上げて一時的に保存するような倉庫で、端っこに氷を1mくらいに盛り上げてそこに様々な魚を置いてるのだが、氷が溶けるに連れて魚が転げ落ちてくるのは、笑える。

15ドルの入場料金を払い、まるで車検証のような立派なチケットを受け取ると、その10m先で回収される。じゃあ印刷するなよ。

波止場をそのまま使っているから普通に大型漁船が停泊しているその横では、バイオリンとギターとコーラスで元気の良いバンドが演奏をしている。どっちかってっと古いアイルランド系の音楽。リバーバンド、みたいな感じかな。

波止場沿いに歩くと最初にあるのが仮設トイレ群。う〜ん。

そしてコーストガードの寄付テント、その次は何かの抽選に当たりますよって書いたテント、その次はStJohnから来ている救急車。用意が良いですね。

でもってやっと主会場に到達すると、あとはもう何の脈絡もなく、オイスター、サーモン、マッスル、いろんな生ものや焼き物や料理が次々と出てくる屋台群。関連性は?

けど、人々の顔は明るくうきうきしており、時には土砂降りの雨の中で立ちっぱなしでワインを飲みながら、、皆が楽しそうにおしゃべりをして食べている雰囲気は「ああ、ニュージーランドだよな」って感じ。

楽しみも知らずに毎日一生懸命働いて、年に一度の盆踊りに踊り騒いだ江戸時代の日本か。

皆それぞれ夏の昼下がりの気軽な服装でやってきて楽しそうにおしゃべりをして、漁船の先に突き出したグリースを塗ったマストの上を滑らないように歩いたり(もちろん皆全部、結局マストの先端にある旗を獲るまでに海上に落ちてしまうのだが)、アトラクションを見て楽しんだり。

Simple is Best ってこんな事なんだろうって思ったりする夏の日曜の午後。

誰の顔にも屈託がなく、雨が降ればキャーキャー、誰かが海上に落ちればキャーキャー、美味しいマッスルをほうばればキャーキャー、とにかく一時が万事、皆楽しいのだ。

日本でこの程度の出し物だと、小学生でも「け!」とか言って後ろ足で砂かけて帰るだろうな素朴なお祭りではあるが、オークランド市長もスポンサーとなりすでにこれで4回目?(かな)を迎えているお祭りは、ただいま絶好調。

この街を見るたびにいつも思うこと。それは足るを知る=知足だなって事。世の中、いろんな楽しみ方があると思う。

ただ、満足してもっと次が欲しいと思うような、麻薬やタバコのような上方志向性の高い遊びに慣れている日本人からすれば理解しがたいけど、この国の多くの人々は、今あるものと、それを更に高める為に捨てねばならない自分の自由な時間の比較が出来ていると思う。

何かを捨てなければ何かを得る事は出来ない。その意味でこの国は人生にとってあまり大事でないものを捨てて、その代わりに心の自由を得ているような気がする。

RAIN OR FINE! 雨でも晴れでも!

ほんとにある意味、良い意味での南太平洋の「ブラ!」って幸せさと西洋社会の「収益的幸福」のバランスが取れているんだなと感じた日曜の午後でした。

追記
ほんとは今日の小沢記事の「建設業者からの賄賂」ねたを書こうと思ったのだけど、ぼくは間違いなく小沢側が賄賂を受けていると思うけど、じゃあ他に船頭がいるのか、ニュージーランドでJohnKeyが首相で成功しているように、てなことを書こうと思ったけど、今日こうやって真夏のオークランドで人々の笑顔に囲まれていると、まあいいか今日はって気持ちになってしまいます。

それほど住みやすい街、それがオークランドなんだろうな。(ただし移民一世には厳しいですよ。移住を考えているなら自分の労働力を労働市場でいくらで売れるか、その価値を知らなければせっかくフェスティバルに来ても子供にオイスターを買ってあげることは出来ません)


tom_eastwind at 21:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月30日

マグロの消える日?

マグロが食卓から消える?

2010年1月25日号の日経ビジネス記事「敗軍の将、兵を語る」で大西洋マグロの漁獲高が4割削減となったことが書かれている。

大西洋黒マグロは「本マグロ」と呼ばれており、これが絶滅の危機だから「救うため」に日本及び地中海沿岸諸国に対して4割削減と言うことになった。

具体的には2009年に2万1千トンだった漁獲高を1万3500トンにまで減らして、日本の割り当ては1871トンから1148トンに減らされた。

問題はこれからで、日本の船は農水省が管轄して漁獲高を厳しく管理しているが、その他の諸国はやりたい放題にマグロを獲っているというのだ。彼らのお国ではマグロを食べる人は殆どいないからマグロがどうなっても構わん、と言うことか。

2008年にはマルタに割り当てられた漁獲枠は343トン、ところがそのマルタから日本の商社経由で日本に輸入されているマグロは6028トン。トルコは887トンの枠に対して3143トンを日本に「輸出」している。

「敗軍の将が出したデータなんて、あてになりませんよ」なのかもしれない。

けれど鯨問題から始まり、世界の食料は米国メジャーに握られているのは明確であり、米国は20世紀をエネルギーと食料資源を一括支配することで世界を経済支配していた。これだけは事実であり間違いない。

今回のマグロ問題も、いつものように「自然保護!」と言いながら狙いは日本の食料自給率を下げることなのは明白である。

日本人は米と魚、じゃなくてパンと肉を食え、である。

こんな事を書くと「理想的にお利口な日本人」は「そんなこと、あるわけない、米国人は優しい隣人だ」とか「あなたは陰謀派に騙されている」なんて本気で言うお人よしがいるけど、現実に世界中の通信を傍受するシステムを持った国に住んでて日本語の偏向がかかってない英語の記事を読んでれば、「弱肉強食」など当然と思わざるを得ない。騙されたほうが負け、のルールなのだ。


そのへんの図式は見えているからもうあまり腹も立たないが、この敗軍の将、宮城県北部鰹鮪漁業組合・組合長の態度には、あまりに内向きで世界を見ようとしないって点で、ほんとに「敗軍の将」だなと思う。

問題の根本が何であるかも考えずに「他国からの不正鮪の侵入を防げ「とか「先祖代々の家業を守りたい」とか言ってる。

あのね、ダムが壊されようとしている時にダムのちっちゃな穴に指を突っ込んでもムダって事が分からないのか?

山賊が農村に狙いをつけて周囲を包囲して山の上から攻め込もうとするときに村で団結して戦うべきときに、村はずれにある「先祖代々の家」を守ると言って結局分散させられて山賊にやられた農民って、映画で観なかったのか?

大西洋の鮪がやられれば、次は太平洋である。世界中どこでもやられる。明確な食糧自給政策を持たない対米追従の結果がこうなのである。

ぼくは今、南太平洋の独立した島の人々と漁業権契約を結んで鮪が獲れないかと考えている。去年後半にはそのような島の人々とも話をした。

今年はニュージーランドで農産物を中心に対日本輸出が出来ないかと具体的な話を進めていく予定である。まあ、ニュージーランドも日本もお互いにどでかい利権だけに、ぼくのような発想でビジネスを提案してもなかなか相手にしてくれないのが現実だ。

けど、日本はまず鯨でやられた。次はマグロでやられる。その次は?そうやって各個撃破される前に、本当に国家として米国以外のルートで食料安全保障を考えていかないと、そのうち日経ビジネスは「敗軍の将」で埋まってしまうだろう。


tom_eastwind at 11:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月29日

金利据え置き

[ウェリントン 28日 ロイター] ニュージーランド準備銀行(中央銀行)は28日、政策金利のオフィシャル・キャッシュレートを予想通り過去最低の2.5%に据え置いた。据え置きは6回連続。

 ロイターの調査では、エコノミスト20人全員が据え置きを予想していた。

 中銀はまた、年央あたりの利上げを視野に入れていることを再確認した。

 景気回復の勢いが増す中、インフレは抑制されているとしつつ、家計は慎重で、世界経済の見通しは依然としてまだら模様だと指摘。ボラード総裁は「経済がわれわれの12月の予測に沿って引き続き回復した場合、2010年半ばごろに刺激策を解除し始めると予期するだろう」と述べた。

 金利据え置きに対する金融市場の反応は限定的で、ニュージーランドドルは中銀の声明発表直後に対米ドルでいったん上昇した後、10ポイント程度下落。その後、ほぼ変わらずの0.7050米ドル近辺に落ち着いている。

 ニュージーランドの最近の経済指標は、比較的緩やかなインフレ圧力、住宅市場のゆっくりとした回復、小売売上高の増加、消費者信頼感の改善など、すべてが同国経済の段階的な回復を示唆している。

ロイターより。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-13568420100127

これで何が分かるかって事もないけど、ニュージーランドは今回の金融危機ではあまり大きな被害を受けてない。

以前も書いたが英米金融界が金融工学を駆使してジェット機で空に向って飛び立ったとき、ニュージーランド金融界は馬車で旅をしていたのだ。

その後ジェット機は空高く舞い上がりそのまま大爆発、北半球では大変な騒ぎになったが、南半球では
「なんだから北半球で飛行機、墜ちたみたいよ」
「あらま大変。おっと、うちの庭のお花の手入れしなくちゃね」
てな感じだった。

今年半ばには金利上昇が始まる。そうするとまた不動産売買が動きだす。実はすでに去年後半から不動産現場では水面下の動きが出ている。不動産価格の下落が止まり、地域によっては上昇を始めたのだ。

オークランドは現在140万人が住んでいる。あと10年くらいで200万人に増加する。この60万人は確実に住宅が必要となる。

つまり今でも割高と思われている不動産価格だが、これからは更に上昇していくって事だ。

10年後に向けた長期投資として不動産投資を考えてる人が多い。とくにキャピタルゲインタックスがないのがポイント。だから数日前も書いたけど、JohKey首相がキャピタルゲインタックスを採用する予定は当分ないだろう。

だってニュージーランドの投資対象は基本的に定期預金か不動産であり、それ以外の投資対象はあまりない。そんな中で不動産課税してしまうと、投資対象が銀行などに偏るか、それとも海外投資家からすれば「魅力ないからやめた」ってことになる。

ニュージーランドにとって一番良い方法は、今までとおり「うまくいってるときは政府は口を出さない」であろう。

法治社会で治安が良くて食料が豊富で人々が優しければ、21世紀は自然と世界から人々が集まってくる。世の中の自然の流れを壊すな、それは政治家の皆さんはよく理解しているようです。


tom_eastwind at 09:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月28日

最低賃金上昇

4月1日より最低賃金が12.75セントになる。

現行の最低賃金が12.50セントだから25セント上昇ですね。

大体そんなものでしょう。賃上げは労働者にとって必要だし、僕は経営者としても「そりゃ出すべきでしょう」と思ってる。

夫婦で5年一生懸命働いたら住宅購入の頭金が溜まる、それくらいが正しい賃上げだと考えている。

レストラン経営者からすれば「またかよ、払っていけねえよ」と言いたいだろうけど、そこは経営者が腹を括って、従業員に12.75ドル払ってでも成り立つような原価計算をすべきだろう。

「オレだって大変なんだ」と経営者は言いたいだろうけど、いずれ誰かが最初にリスクを取ってビジネスをやる以上、経営者がリスクを取っていくしかない。

まず従業員に給料を払う。その上で利益が出るような価格設定を行う。これが経営者の取るべきリスクである。

最低時給15ドルって話もあったけど、やっぱりあれはお流れですね。

これからも毎年賃上げが行われていくのだから、最初から原価に組み込んでおいて、物価上昇に耐えられる原価計算をして商品に高い付加価値を付けていくのが経営者の役目です。



tom_eastwind at 01:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月27日

「ハズバンド」 ディーン・クーンツ

71fb355a.jpg外出もあまり出来ないので必然的に読書の時間が増える。今日もまたディーン・クーンツである。

読者に評判の良い作品と言うことで買い溜めしてた一冊だけど、なるほど、分かり易い作品ですね。

その上にいろんな仕掛けが乗っかってるから次々と引っ張り込まれて結局昼過ぎから夜中過ぎまで読んで完読。

ストーリーはamazonに任せるとして、読みやすく入りやすくクーンツの入門書として、超宇宙的な内容を信じない人向けにはお勧め。


ふつうにハズバンドが奥さんを守ろうと一生懸命頑張る「愛の物語」です。

どうやって守るの?こうやってピストルを持って守るのです。

ハズバンド (ハヤカワ文庫NV)ハズバンド (ハヤカワ文庫NV)
著者:ディーン クーンツ
販売元:早川書房
発売日:2007-04
おすすめ度:4.0
クチコミを見る


tom_eastwind at 01:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2010年01月26日

オッド・トーマスの受難

「足の怪我って、もしかしたらその痛み、痛風も入ってませんか?通常の捻挫の際に副作用で突起が出ることもあるようですよ」スタッフに聞かれて、ああ、そうかもしれないなって思い始めた。それほど、まだ痛い。

昨晩もベッドに入ったのが夜の10時過ぎ。「オッドトーマスの受難」をちょうど良い時間で読み終わったのでとっととベッドにもぐりこんだのだが、そこからがやばい。

足の痛みはかなり引いたとは言え、まだ腫れており急に動かすと物凄く痛くて冷や汗が出る。

でもってぼくは、あまり飲まずに寝ると、すぐに夢を見る癖がある。いろんな夢だけど、最近頭の中にある事がテーマとなり、大体活動的な?内容である。

昨日の第一回の夢等は、笑うしかない。ぼくがオークランドらしき森林の多い街で二階建ての家にいて、他の若い秘書数人と小沢氏から直接「秘密書類」を受け取り「きちんと捨てておけよ、にやり」とされるのだ。

その後、他の秘書と手分けして火にかけたり、何故か隣を流れる森林の中の泥のような沼に押し込んだりしているんだけど、スーツを着てて手が汚れるのがいやな僕は、泥の上をまたがっている枝の上に爪先立ちになって書類を放り込もうとする。

えいやっと右手を挙げた瞬間、体のバランスを壊してしまい、おおっと後ろにのけぞりかえりそうになり、お腹を中心にして、えいやって元に戻ろうとする。夢の中の行動がそのまま現実の僕の体を動かして、ベッドに上向けに寝てた僕は両手両足を一気に空中に向って突き出す!

ずっき〜ん!左足に激痛!ぶん殴られた痛み!これで完全に目が覚めて、それから10分くらいは冷や汗が出っぱなし。もちろん小沢さんも秘書も完全に姿を消している。

それから30分以上うとうとずきずきしてて、やっと次の眠気に襲われたとき、僕の体はロンドンに飛んでた。

その夢は切り裂きジャック。

来月にロンドン出張を予定しており、去年の秋にロンドンに行った時の古くて暗い街並みを思い出しながら、どんな風に仕事を進めていこうかなんて考えていたときだった。

僕の手元には小型ナイフ一本。薄暗いロンドンの街灯の下で、ぼんやりと前方から迫ってくる人影。

よく観ると一つではない。5人か?10人か?影の薄そうな人々がふらふらとしながら、その手には三々五々、出刃包丁だったり切り裂きようのナイフだったり細身のアーミーナイフだったり。

振り向いて反対の方向に逃げればよいのだけど、何故かそのナイフ集団に向って突っかかっていく。

手元のナイフは細く、正面の一人に刺している間に他の連中に後ろに回りこまれ、背中の腰のあたりからナイフがずぶりと差し込まれる。くそ!いってえ!すごい鈍痛が体を襲い、背中を回そうと腰をぐっとひねる、その瞬間!

ずっきーん!緊張して主軸になってた左足が思い切りベッドを蹴飛ばしていて、その痛みでまたも「がば〜っと!」目が覚めたのだ。

結局こんなのが朝まで続き、またも寝不足。

一昨日までは脳みそだけはしっかりしてたのだけど、寝不足が来ると疲れとダブルパンチで、こりゃ脳みそが止まってしまい結構きつい。

これはまあ、その理由の多くを週末の二日(実際には8時間程度か)で読み切った「オッドトーマスの受難」にあると指摘すれば、ディーン・クーンツを知らない人は「tomも遂に焼きが回ったかな、脳みその溶ける時期だな」と確信するだろうし、ディーン・クーンツをよく知っている人なら「え?そんな楽しみ方があるの?おれもやってみよ!」って思うだろう。

いずれにしてもぼくの真夏の夜の夢はこうやってオッドトーマスと共にあった。

オッドトーマスシリーズは後2冊あるそうだ。元々一冊で終わりの予定だったのが、読者の反応が良くて連作になったらしい。

4冊のうち2冊終了ってのが微妙だな。

テーブルについて最初の一杯のカクテルをびっくりしながら楽しみ、前菜で出てきた料理が途方もよらない、それも大皿ではない、スプーン料理の連続であるかのような美味しさの読み応え。

一つ一つの文章ごとに「付いてきてるかい(笑)?」って振り向いて笑いかけるオッドトーマス。「無理しなくてもいいよ、霊が見えるなんて、僕の方が変なんだもんね」

まさに彼はディーン・クーンツが創作した人物と言うよりも、オッドが彼のところにやってきて「僕のこと、本にしてもらっていいですか」って言ったような感じ。

昔、人間より大きな石を削っているある彫刻家に尋ねた人がいる。
「あなた、何をしているんですか?」
「石の中にいる美女を救い出してるのさ」

ある人には、他の人に見えないものが見える、その事実を認めるところからオッド・トーマスが始まります。

オッド・トーマスの受難 (ハヤカワ文庫 NV )オッド・トーマスの受難 (ハヤカワ文庫 NV )
著者:ディーン・クーンツ
販売元:早川書房
発売日:2009-10-30
おすすめ度:4.0
クチコミを見る


tom_eastwind at 14:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2010年01月25日

ニュージーランドの税制改革

税金システムの見直し変更

 ニュージーランド国内の税金システムに関する見直し変更でTax Working Groupが20日に提案したレポートに対し、John Key首相は、土地税の導入は困難であること、賃貸不動産の税金構成問題は考慮していく必要があるが、土地税の導入は解決策だとは考えていないと話した。

 更に家族所有の住宅に対するキャピタルゲイン課税についても否定した。

 この提案レポートは税金のシステムを根本的に変更するものであり、個人や法人課税率のカット、消費税の引き上げや、土地税の導入などが含まれている。

 Key首相は、過去の税率が低かった時期の国民の状態を基に、個人課税率を引き下げることにより、脱税を試みる人達を減らし、更に国民が貯蓄する意欲を掻き立てるものだと話している。

社会 2010年1月22日

NZdaisukiからの転載。

これだけだと分かりにくいので整理すると、日本で言う政府税制調査会のような組織が税制の全般的な見直し提案を政府に行った内容の抜粋である。

1・消費税を現在の12.5%から15%に上げる。
2・所得税を現行から下げる。
3・土地取引に対する課税を行う(現在は土地取引は無税)。
4・最低賃金を1時間15ドルにする。

1と2はセットで提案されており、消費財を上げる事で国民全体から薄く広く税金を取る仕組みだ。所得税を下げるのは中所得層(年収6万ドル以下)及び高所得層に労働意欲が出てくる。

つまり見方を変えれば低所得者もきちんと最低の社会負担はしてね、潜在的な高収入層である中所得層の皆さん、社会を牽引してね、お金持ちの皆さん、ガイコクに逃げないでね、と言う解釈で大体合ってると思う。

3は土地取引で儲けるデベロッパーや不動産業者を見た一般市民が「おれたちの所得では住宅買えないのに、あいつらだけうまいことやりやがって」の部分を排除するのが目的。主に南島牧場主、労働組合のあたりから出てくる意見である。

内容はそのままジョン・キー首相が回答したとおり、頑張ろうとする人の意欲を奪う事はしませんよ、と言うメッセージである。

表面的には安定したニュージーランド政治である。先住民族であるマオリとも共生を図り、強力なセーフティネットを構築し、同時に就職支援制度を国家として持っており、北欧国家と同等の政治システムが出来上がっていると言って良い。

しかし政治の内側に入れば、日本ほどではないものの、利権団体が動き回っているのも事実である。

伝統的な利権団体と言えばマオリであり、最近もマオリ議員が白人に対して「ずいぶんと失礼な批難」を行ったことで記事になった。

働かなくても食っていける国から1000年ほど昔に移住して来て「蓄える」と言う発想がほぼゼロであり、なおかつ「君のものはぼくのもの」と言う原始共産制度を持つMAORIやアイランダーの人々は、たかだか200年以下の移住の歴史しか持たない、後から来た白人が所有する土地に柵を立てて「僕のモノは僕のもの」とする私有制度に対して本能的に「嫌だ」と感じている。

なので何か白人がやれば必ずマオリがケチをつけて、両者が納まるようにマオリ省やマオリ裁判所がその時代に応じて「資源の再配分」を行ってきた。

ちなみにマオリは土地取引課税には反対だ。何故なら彼らこそ先住民として土地を貸し付けて一番儲けているのだから。

今もこの図は基本的に変わらないが、最近このチキンレースに加わったのが「帰ってきた労働組合」とアジアからの新移住者である。

労働組合は元々この国では絶大な権力を持っており、もちろん義務はないからやり放題で、結局1970年代の大不況を招く大きな原因の一つとなった。これが1980年代の労働党による構造改革で労働組合の権利が次々と剥奪され、その後の国民党時代に完璧に息の根を止められて、組合役員の職場立ち入り禁止となったのだが、2000年代に入って労働党が復活すると、ヘレン・クラーク首相は元々労組が支持団体であり自分自身も労組に近かった為、組合が復権してきた。

この人々は国民全体の賃金引き上げを狙っており、伝統的に「資本対労働の対決」と言う視点でモノを考える。21世紀のように「共生」と言う発想は、あまりない。

だからとにかく4のように最低賃金を上げろとなるわけだ。でもってこの国では人々は非常に真面目であるから、一旦上げればほんとにきちんと払うし、貰うほうもきちんと要求する。日本のように「なあなあ」で終わる事がない。

だから結果として最低賃金引き上げは不況時には労働者の採用手控えと言うマイナス現象が発生するのだが、「労組の壁」の内側にいる人にはそのような現実の声は届かない。

John・Key首相は「現実としてそんな事やったら失業増えるよ」と言ってる。これに対して労組側は「いやいや、それは経営努力不足である、ちゃんと雇いなさい」と反論する。

けどこれにはちゃんと裏がある。労組の利益は既存組合員であり、彼らが儲かれば良いのだから未加入の組合員のことなんて考えてない。そして一旦企業が無理して雇うと、今度は彼らを組合員に加入させようとする。

なんのことはない、他人のふんどしで相撲を取ってるようなものだが、こういう「左翼系知識人」はテレビに出ると立派な事を言うから、ついつい平均的キーウィは「そうよね〜」と納得してしまう。

ここに加わったのがアジア人議員を含む新興勢力だ。国会でも着実に議席を増やしつつある中国系は、今は物静かに大人しく国民党政権と意見を一つにしている。

けれどすでに表面下ではウェリントンでは優秀な中国系議員(北京と直接のパイプを持つと言われている)が中国の利益代表として動いている。ニュージーランドと中国はすでにFTA協定を結んでおり、これから取引量の増加が予想される。日本?Nothingです。

こんな、いろんな人の利益がぶつかり合う税制改革であり、結論は見えない。

けどこの一年のJohn・Keyや他の議員を見ていると、政権側は自分の意思を貫いていきそうだ。つまり
土地取引課税は導入しない、
最低賃金はせいぜい1ドル前後の上昇、
消費税UPは比較的賛成、
個人所得税を下げる事はもちろん賛成。

この1年、野党側は次々と敵失(批難メール、違法出張費問題など)、国民党は自軍の適切な運営による得点(銀行預金保護、経済の迅速な回復、住宅ローン保護、国連路線遵守など)でその差が開いている。

なんだ、ニュージーランドも日本も同じようなことやってるじゃんか。うん、そうですね。この部分を見ると、社会に選挙民が参加して政治による再配分をやろうとなると、どうしても声の大きな人、恥を知らない人に余分に配分してしまったりもするのが現実だ。

幸運なのは、余分に配分するだけの資産と、他の、受け取れなかった国民にも心の余裕があるからこれが政治闘争にならないってことだろう。

政治は毎日激しく動いてますが、夏の昼下がりのクイーンストリートではビジネスマンがあいも変わらず昼間からにこにこして街を歩いてます。

★なお、ここに書いたのはぼくの個人的な見解です。

なんちゃらデータとかどこそこ分析とかを引っ張りだしたのではなく、国民党政権の立ち上げから現状まで見てきて、上の人から下の人まで毎日話を聞いていると、自然と「ああ、この辺だな」と思える感覚の範囲で書いています。

詳細に興味のある方は政府のウェブサイト、要約版ならNZHeraldを検索すれば元ねたが出て来ます。



tom_eastwind at 11:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月24日

足を挫くなんて何年ぶりか?てか、今回のは正確には「挫いて」はいない。関節を逆方向に押し曲げたまま3時間放置してたからだ。

事の起こりは日曜の夜。さ、明日から仕事だ、とっとと寝ようと思ってベッドに入ったのが、このアパートはホテル仕様なのでベッドの端っこまで白いシーツが巻き込まれている。

ベッドに入ってみてちょっと体を下にずらすと、白いシーツがぎゅーっとベッドに巻き込まれてるのが分かり、ついつい面白いからそこに足を突っ込む。おお、ぎゅーっと曲がるぞ足首。こういうのも寝る前のマッサージで楽しいじゃんかとか思いながら、上向きでまっすぐ姿勢のまま左足だけシーツの端に突っ込んで、そのまま寝てしまった。

目が覚めたのは3時間後、それも変な痛みからだ。

てて!ずきっとするな〜と思ってたら、結局3時間の間左足を押し曲げてた事に気付くが、もう遅い。

仕方ないから今度は海老のように体を丸めて寝たのだけど、覆水盆に返らず、ですね。

月曜日は数件の外出予定もあり、痛い足を引きずって仕事をしたのだけど、これが思いっきり効いた。堅い革靴でクイーンストリートをかっかっと歩くんだから、夕方自宅に戻った時は、もう靴が脱げないくらいに足首が腫れ上がっていた。

まずは冷や汗をシャワーで流してから、近くで買った氷を砕いて、空港検査で使う化粧品入れ用ビニールの子袋に氷を押し込んでジップして足に乗せる。

けど野球ボール並みに膨れた足では「ないよりまし」状態で、思い切り熱を持っているのですぐに氷が溶けてしまう。かと言って冷やし続けると錐で刺されたような凍傷になりそうだし、うむむ。

結局そんなのを繰り返すんだけど、何せ寝れない。ベッドに横になっても、くるぶしとベッドとの接触面が強烈に痛い。また、くるぶしを通る血液が一秒ごとに「どくん!どくん!」と音を立てて流れて、これが一秒ごとに心臓をどきん!どきん!とさせる。

まさに針を突き刺されたままベッドに横たわっている状態なのだ。

これって、まさか痛風?だってあれは手に出るもんな、オレの場合は、なんとか思いながらも、とにかく痛くて一睡も出来ない。

こりゃ病院送りかな、一瞬そんな事も考えたけど、怪我した後に病院に行ってもどうしようもないし、とにかく安静にするしかないなと、火曜日からは自宅勤務。

とにかく睡眠不足と定期的に「どくん!どくん!」と来る痛みなので、どう対処のしようもない。ひたすら氷で冷やすのみ。

運が良いってか、この週は月曜日以外はアポイントがなかったので自宅勤務が可能だったんだけど、これが出張の前とかだったら大変な騒ぎである。

結局は金曜の夕方頃になって腫れも引いてきて何とか徒歩移動可能にはなったが、やっぱり人間、自分の体は大事にしないといけませんね。バカな寝方してる場合じゃないでしょと自己反省。


tom_eastwind at 13:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月23日

やっぱ、年じゃないよね。

数日前から足を挫いてしまい、在宅勤務を続けている。脳みそはまともなのだが、左足のくるぶしから下が何もない感覚で、もうがくがく。

まっすぐ歩くどころか、立つのも大変なので自宅内ではもっぱら匍匐前進である。

そんな状態も3日過ぎるとかなり回復して、どうやら金曜日の夜は復活。ぴょこぴょこしながらも歩ける状態となった。

この日はOver30の集まりで食事会。選んだ店もオークランド和食の老舗だ。つまり参加者も店も古い?ってこと、ではない。良い意味で「しっかりしている」のである。

僕は最近「わかい(若い)」ってのは殆ど「ばかい(バカい)」と同義語ではないかと本気で思っている。それほどに周囲にいる20代の人々に覇気がない。

昔であれば、分別のつくオトナなら最初からやらないような事でも、若者は前後を無視して飛び込んでいくって意味で「若さ」が語られたが、最近はここ20年にわたる不況のせいだろう、若者の方が小利口、小真面目、夢なしになってる感じがする。

そういう意味で30歳ってのは、社会も理解しているし自分の実力もある程度わきまえた状態でいながら、よっしゃやってやろうかって気合があるから楽しい。

まあ昨日のメンバーが偶然そういう集まりだったし、そのお店で出されるメニューが「お、いいじゃん」とか「気合、入ってるね」とか、お客の8割はキーウィなんだけど、彼らに対してきちんとした日本食を斬新なアイデアで提供していたからだとも思う。

ところがこの店を仕切っているのは若干20歳、ついこの前成人式を迎えましたってばかりの2代目なんだから、こりゃたいしたものだ。

こうなると、若いのも気合が入ってるなってなる。

そうなると最初に書いたような「年齢別区別」があまり意味を成さなくなる。

なんだ、やっぱり個人の実力の違いじゃないか。

そんなこんなを考えながら、久しぶりに外で飲むお酒をたのしむ。

tom_eastwind at 12:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 移住相談 

2010年01月22日

無防備都市

b36d3174.無防備都市

ロベルト・ロッセリーニ監督で、助監督にフェデリコ・フェリーニ。今から見れば充分に贅沢なメンバーだけど、映画が作られた1945年当時はムッソリーニのファッショから何とか逃れた人々がその後にやってきたドイツ軍に弾圧されてた時代だから、そりゃもうこんな映画を作るだけで一苦労だったろう。

イタリアンリアリズムの最高傑作のひとつと言われており、今回の日本で「買い溜め」したDVDの一つ。

ただ、実際にはドイツからの解放後に作られた映画であり、戦時中に作られた映画でない。

作品としてはどうなのか?周囲の評価が高すぎるせいか、期待して見すぎたせいか、うーん、この程度か?と感じてしまった。

映画を「人に見せるもの」だとすれば、この映画は何を見せたいのだろう?人間ドラマ?それならもっと良い作品がイタリア映画にはたくさんある。「ひまわり」のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニなどはその最高作の一つだろう。

「あの時代」に「あれほどの」作品を作ったと言う評価で言えば「よく頑張ったで賞」をあげるという発想か?「あの時代」を共有できる人々が評価したのか?

ただ、同じ時代を大陸の反対側の日本という島国で過ごし、その後「人間の条件」と言う小説と映画を作り上げてきた日本から見ると、もっと掘り起こしようがなかったのかと感じる。

もちろんローマには素晴らしい歴史と人々がいるわけであり、これは日本人がどれだけ時間をかけても彼らのようなおしゃれで楽しい人間にはなれっこない。けど、映画を作るとか何かを「作りこむ」となった場合の日本人のレベルの高さ、だろうな。

ほんっと、他国の映画を観て批評するのに「自国が一番」なんてやってしまうとバカの見本みたいだけど、やっぱり日本のレベルの高さを思わず思い返してしまった。

次はフェデリコ・フェリーニの「道」だ。これも期待して観たい一本だ。



無防備都市 [DVD]無防備都市 [DVD]
出演:アルド・ファブリーツィ
販売元:アイ・ヴィ・シー
発売日:2003-05-25
おすすめ度:3.5
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tom_eastwind at 15:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近観た映画 

2010年01月21日

野菜サラダ

新鮮なトマトと切りたてのレタスにドレッシングとマヨネーズをかけてもらい、これを野菜サラダとして食べる。

これはぼくが唯一まともに食える野菜料理であり、ここ数週間一人暮らしをしている立場からすると非常に有難い食材でもある。ほっとくと野菜なんて絶対に食べないものだから。

「何で野菜を食わないのだあんなに美味しいのに」、とか、「野菜は体に良いから食べなくっちゃ」とか言われるが、まず第一に美味しいかどうかは人の味覚の問題。第二に野菜は体に良いと言いながら、その野菜が農薬まみれで痺れるような味だった場合でも野菜は体に良いのか?

要するに自分に良いから他人に押し付けるってのは単なる「驕り」であるとしか思えない。

だったらこっちだって山ほど押し付けネタがありますぜ。ただ普通に常識的に考えて僕のやってる食事法が普通ではないと分かっているのであえて押し付けないだけ。

まず一日三食の基本を無視する。どっかの栄養学の先生がどんな事を書こうと、それはその人が統計的に人間を分析した資料であり、それが僕にそのまま適用されるわけではない。

ましてやそのセンセーがある一部分の「科学」に詳しくても、人間全体の神秘を知っているわけではない。

そうなればこのぼろぼろの肉体と50年付き合っている僕の方が、よほど僕の体の事は分かっているという事になる。

だから結論として殆ど野菜を食わなくても生きていける、一日一食でも生きていける、むしろそのほうが余計な肉が付かなくて健康だ、くらいに考えている僕だ。

じゃあ何でこのサラダ?

馴染みの日本食料理店に久しぶりに足を運び、そこで「何か食わせて」とお任せにしたら最初に出てきた一品がこれだ。

こういう、押し付けではなくて、「あの人ならこんなもんが食えるやろうね」と考えてくれてる献立がうれしい。

今日もまたツイッター的な書き込みになったが、美味しいサラダの話でした。それにしてもニュージーランドの野菜は美味いな。




tom_eastwind at 13:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月20日

世界で最も厄介な隣人

中国人が「世界で最も厄介な隣人」であるってのは面白い表現である。

それ、なにせ事実だもんね。だって香港人の奥さんと20数年一緒に生活していると、ほんとによく分かる。日本人は個人では絶対に中国人に勝てない、ははは(笑)。

「はは、オタクだけですよ、それはオタクの家庭内の力関係だけですよ」と言われそうだけど、実際に思う、うちの奥さんがもし敵側に回ったらって。

それこそ、ほんとに大変だよ、あの人怒らせたら。勘のよさ、芯の強さ、いつまで経っても絶対に忘れない記憶力、反撃力、どこを取っても日本人の僕に勝ち目はない。

けど幸運なことに彼女はぼくの奥さんになってくれて、子供が二人できて幸せな家庭で毎日楽しく過ごせてるのは、こりゃやっぱり彼女の力である。

僕が大変だったとき、彼女がいつも一緒にいて一緒に考えて悩んでくれたから今の僕がある。

そんな風に中国と日本が一衣帯水で生きていけないものか。

逆に考えて欲しい。中国と日本が地理的に離れる事が出来るのか?ユーラシア大陸で大地震でも起きて日本が沈まないままにそのまま東に流されてハワイくらいまで行けば縁も切れるだろうが、どう考えてもその前に日本が沈むだろう。

つまり、物理的に日本と中国の距離が変わらない以上、彼らといかに友好的に付き合っていくかの方が大事だってこと。

人口が10倍で人々が下品で野蛮でうるさくて嘘つきでずるくて、そりゃ文句を言えばきりがない。けどその彼らが21世紀は間違いなく世界のトップに躍り出るのだ。

10億人の消費人口があり毎年10%近い経済成長をしており、同じ漢字文化を共有しており同じ肌をしている隣人が隣にいるのだ。何故積極的に出て行って彼らと手を組もうとしないか。

てか、逆に考えて彼らを敵に回して何か良い事があるのか?米国が日本を永遠に救ってくれるってか?あり得んし。

米国は間違いなくキリスト教的発想であり欧州的発想であり、そこに「東洋の島国を何の見返りもなしに助ける騎士道精神」なんてこれっぽちもないってこと。

そう考えれば超大国の狭間にある日本が採るべき立場は、二つの国家と同時に仲良くしてくことではないんか。

はっきり言えば戦後の日本は60年以上、米国と言う吸血鬼に一方的に血を吸い続けられてきたようなものである。

米国と言う吸血鬼に首にかみつかれて毎年「思いやり予算」だけでなく様々な形で米軍を負担している日本。

米国産の牛肉や小麦を買わされて米や魚を食べなくなった日本人は、自らその食体系変化を選んだと思いますか?

食料メジャーが日本を消費大国と位置づけていかにたくさんのMadeinAmericaを買わせてきたかは、元メジャーの暴露本を見ればすぐ分かるとおりだ。

彼らは世界中に自国の食料を売るために様々な政治工作を行う。その相手が、叩き潰したばかりの日本なら、そんなもん簡単に押し付け出来る。

敗戦後、日本は航空技術を米軍から奪い取られた。制空権を最も重要とする米国からすれば日本にその技術を残す事はご法度だったからだ。

最近やっと三菱がMRJと言うジェット機を作る事が出来たのは、制空権がすでに最先端でなくなったからだ。

最先端は常に米国が押さえる、二番目の技術は日本が開発してくれれば、それを米国が生かしてボーイング社に提供してください、これが現実である。

上品な顔で日本の根元から吸血をする米国がいる中、そこに中国と言う最近強くなった隣人が来た。

ならばここで日本が自立する為には、中国との距離を近くするのが当然だ。その為に小沢さんが中国に行くのも当然だろう。逆に言えば、今の日本の政治家で中国と対等に張り合える人は小沢さん以外にいるのか?

去年の総選挙で民主党が勝った。これは本当に大変なことだ。しかしこれは戦後60年の決着を付けるべき千載一遇の機会である。


今彼ら民主党がやっているのは米国一辺倒であった日本を中立に戻す為の「揺り戻し」である。もちろん行き過ぎれば問題だ。けどそれは4年に1回の選挙で国民が訂正すれば良い。数日前にも書いたが、次はまた河野太郎総裁率いる自民党にやらせれば良い。

そうやって国家に2大政党が出来上がり安定して政治が動くようになれば、それこそ国民の一番希望するところである。

そして国民の期待と信頼を受けた政治家が、官僚に対して「事務作業」を指示すれば良いだけだ。これが本来の国家の姿である。

世界で最も厄介な隣人、それは中国人である。しかし、だからこそ逆に言えば日本にとって大きな機会となるのだ。彼らと手を組んで世界の中心になっていけば良いのだ。

今ならまだ中国と対等に組める。10年後は、誰にも分からないが間違いなく今より立場は悪くなっていく。

だからここで開国するのか、それとも他国との取引をやめて鎖国するのか?国民自らが今考えるときなのだ。


tom_eastwind at 19:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月19日

外国人選挙権の問題

小沢ネタでいろいろ見ていくと、どうも今回は「永住外国人の日本での選挙権付与」に砲火が集中しているようだ。

これ、このネタだけで10冊以上の本が出るくらいのネタである。短い文章のブログで表せるものではない。

けどまあ、突き詰めて言えば、日本が鎖国をするのか開国をするのか、この選択である。

開国はするけど選挙権は与えませんと言うのは公平な社会とはいえない。鎖国なら選挙権なくても文句もない。

こういう、国家とは何かって問題を戦後一度もきちんと整理しないままに来た今の日本で、永住外国人の選挙権って、まるで黒船なんだろな。

今になってこの問題を議論している人に聞きたい。あなた達は日本が開国してすでに100年以上経つのに国家とは何かと一度でも考えた事がなかったのか?

そして世界を回っていろんな国を見てその国の法制度や社会制度を見たのか?

そういう基礎的な知識なしにいきなり黒船が来てびっくりしているってのは、日頃の勉強不足の表れである。

日本は鎖国をするのかしないのか?すべてはここだ。苦しくても鎖国をする、そういう国民が半数以上いるなら外国人選挙権など不要である。

ただ、都合の良いところだけはガイコクから貰っておいて都合の悪いところは「うちは別ですから」なんて、今の世界では通りませんぜ。

すべての問題に権利と義務はある。

ぼくは海外で20年ちょっと生活をして香港、NZの永住権を持ち、NZでは国政、地方選挙に参加している。

つまり、あなたたちの言う「永住外国人」であるが、この国では誰が国民かと言えば、実態としてそこに住んでいる個人である。

肌の色でも生まれでもなく、個人なのだ。

そしてうちの子供は国籍を3つ持っている。誰か教えて欲しい、うちの子供は何人だ?日本の国籍があれば日本人なのか?

よく考えて欲しい、すでに時代は変わっているのだ、人を肌の色や親の出身地で決めること自体が時代遅れだと何故分からない?

実はあなたたちがやっている事が人種差別なのだ。

では聞きたい。北海道のニセコのオーストラリア人村は外国人誘致として評価されるけど、対馬の土地を韓国人が買ったら侵略ですか?

悪いけどはっきり言えば、あなた達は今まで何の勉強もせずに怠惰を楽しみ、いきなり現実が目の前に来てびっくりしているだけだ。冷静に世界を眺めれば、実は一番大事なのはその国で一生懸命働いて国造りに協力してくれる「個人」なんだってこと。

では聞きたい。日本がバブルの頃、労働者不足でブラジルから多くの労働者が「日本人だから」って事でやってきた。彼らは真面目に働いてきた。ところが日本側の都合で首切り。

彼らは使い捨ての労働者なのか、それともニホンジンなのか?呼び寄せるときは「ニホンジンだから」と言っておいて、都合が悪くなれば「短期労働者」ですか。彼らのニホンジンとしての権利は守られらないのか?それこそご都合主義である。

では聞きたい。もしブラジル人が静岡のある地域に集中してそこで自分たちの利益代表を市議会に送り込んだとすれば、それは怖いか?

では聞きたい。在日とか言いながら、では創価学会が本気を出してどこか一つの地域に集中して住んで、その町を創価学会信者にして、彼らの好きな法案を作った場合、これは「日本人だから」OKなのか?

要するに発想が一段階なのだ。選挙権を与えると侵略される⇒怖い⇒反対、である。

そうやって多くの東南アジア諸国が結果的に白人に侵略されたのを忘れたのか?

むしろ外国人がどこか一箇所の街に集中してすみそうになれば、そこにニホンジンが更に追加して住めば良いではないか。

また、永住権発給許可数のバランスを調整すれば、どこか一つの都市で外国人が政治を乗っ取れることなんてあり得ない。

まあ、絶対にないとは言えないな、日本人が何も考えなかったらそういうことも起こるかもしれない。けどそれは結局民度の問題である。

ほんと、この話をすれば長いのだけど、ぼくがこの法案に賛成なのは、すでにニュージーランドや香港で「ガイジン」側として経験してて、こんなもん、永住権許可とか永住権剥奪とかDiversity法案とかを入れることでいくらでも調整は可能である事を知っているからだ。

例えば人口10万人の市で5万人が外国人になったとして議席が10ある場合、最初から10議席のうち7までは日本国籍専用にするとか、一票の重さを調整する方法である。

選挙権反対派に言いたい、そんなに心配するなって。今、日本は開国か鎖国かの瀬戸際にいる。けど日本は結局いつの時代も生き残ってきた。


普通に考えて欲しい、なぜ有史以来この国が常に勝ち組でい続けたかを。こんなもんを偶然と言うなら言ってみろ。

世の中に偶然などありはしない。それは日本がどれだけガイコクからいろんなものが流れ込んできても、それを吸収して自分のものにする力があったからであり、外敵が来れば団結して戦うDNAがあるからだ。

無条件に他人を信じる国民性、とでも言うか。

ここでびびる人に二つ言いたい。

一つは、選挙権だけではたいした問題にならない、問題は永住権発給などの実務であり、ここを間違えない限り失敗はしないってこと。

もう一つは、あなたたち、自分の方が数が多いのに、少数の人々に入ってこられそうだってだけでびびってるの?嫌ならたたき出せ。または相手をこっちのペースに引き込め。

そんなことも出来ずにまるで江戸時代のお公家のようにきゃーきゃー言ってるだけでは、それこそ外国人になめられるだけだ。

毅然と隣人を迎え入れようではないか。公平の姿勢で彼らと協同してよい街をつくろうではないか。こちらはホーム、相手はアウェーである。大丈夫、ニホンジンの逞しさを信じて欲しい。

それよりは今の日本に必要なのは、何よりも国際化である。この法律を通す事で日本と中国の関係が良くなり、日本・中国・米国のバランスが取れるようになれば、それが一番ではないか。

1985年、ニュージーランドでロジャーズ号事件ってのがあった。

当時、豪州NZ米国はANZUSという安保協定を結んでいたが、NZは非核三原則の国である。

そこにしゃあしゃあと米国のロジャース号と言う核搭載艦がやってきた。NZは聞いた。「核は積んでますか?」アメリカは答えた「No Comment」 OK,それなら出て行ってくれと追い出したのだ。

それ以降約6年にわたって実質的にNZと米国の外交関係は途絶えた。しかし国民はNZ政府を支持した。それが国家でしょ、国民でしょ。

隣人との付き合いは仲良く、しかし相手が嘘を言うようなら自分の庭から毅然とたたき出す。それだけの勇気があれば良いだけのことだ。

ほんとはもっと書く事があるけど、これで簡単な答えになってればと思います。何の推敲もなしにそのまま思いついたことを書き込んでるだけなので、乱文失礼。

tom_eastwind at 20:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月18日

小沢ねた

f1650d86.jpg成田と羽田の問題は何度も書いた。日本航空のことも書いた。特に何も反応なし。

ところが小沢さんの事書くと、突然いろんな批判メールが舞い込む。日本の愛国心と愛政府をごっちゃにした人々が「小沢悪人説」を唱えるのである。

だ〜から、ちゃんと読めよ。いつどこで僕が小沢さんを「善人」と書いたか?悪人でも彼しか出来ないなら今は任せるべきだと言ってるのだ。

もう一度書くけど、第一に法律はすべての者に平等であるべきだ。こりゃ誰でも分かるよね。スピード違反をした人に限って「だってあいつも違反じゃん!おまわりさんよ!」と文句をつける。

つまり平等に扱われるなら仕方ないけど、不平等、不公平は嫌だってことでしょ。

だからこそ西洋の法の女神だって目隠ししているのは、見てしまえば私情が入るからって事だ。

その意味で今回の小沢さんのやった事(てか、hadhadの大過去)で取り締まるなら、もっと捕まえる人がいやしませんか?民間だって大手銀行が悪事を働いても罰金なのに堀江がやれば実刑。

とにかく法の公正が守られてない中で検察が自分の恣意で公人を逮捕し、国民を政治的に制御しようとするのであれば、これこそ検察独裁である。

そりゃ検察の言いたい事も分かる。今小沢を潰さないと官僚が潰される。だから全面闘争ってわけだ。

しかし、片方は国民の為に新しい日本を提案しようと頑張っているのに、片方は自分の組織の生き残りだけを考えてるんでしょ、どう考えてもずるい。

「たまたまそこに小沢がいたから捕まえます」なんてガキみたいな理屈はまともな人間には通らないでしょ。

小沢を潰す。その為に事件を作る。それは国家のためだ、そういう理屈で動いてる検察は実は自分の組織を守りたいだけである。

じゃあ検察諸君に聞きたい。今小沢を潰して、誰が次の政権を担当出来るのだ?悪人小沢以上に今の混乱した日本を引っ張れる人はいるのか?悪人にも得意分野はあるのだ。

ニュージーランドでこんな事件があった。この国ではマリファナはバーなどに行けば結構簡単に入手できる。

オークランドで手広くビジネスをしている人がたまたまマリファナ使用容疑で逮捕された。

その時にビジネスマンはこう言った。「わたしを刑務所に入れるよりも今の会社でビジネスをさせてください、私がシャバにいれば納税します、けど刑務所に入れば納税も出来ず国民の税金で飯を食う事になります。私を外に出してください、その方が国民の税金を有効に使えます。」

法廷では彼の主張が認められ、「今度吸ったら実刑だぞ」と言う脅し付きで釈放された。ただし毎週1回、PDと呼ばれる社会奉仕を半年くらいやりなさいって事になった。

世の中に生まれて一度も悪い事をした事がないなんて人はいるのか?

誰しも何かをやっている。そういう罪びとが集まって運営されているのが社会である。人間は完璧ではないのだ。

ましてや政治資金などと言う超微妙などうでも解釈出来る法律を検察が一方的に自分の都合の良いように解釈してそれで小沢を潰して、全体として日本国民は何を得られるのだ?

もちろん彼の犯罪が殺人だとか本当に反社会的な行動であれば、これは別だ。そりゃ逮捕だ。

しかし政治資金は払うほうがいるのだ。それも東証一部上場の、普通の市井の人々からすれば雲の上にいるようなxx建設の社長とか会長とかである。日頃あなたたちが憧れている、上場企業のしゃっちょさん、ですよ。

もしあなたがxx建設のエリートでもうすぐ部長になれるって時に「田中くん、このカネを小沢さんに届けてくれ」と言われてNOと言えるか?

自分が欲しいダム建設の仕事を取るために小沢に5千万円渡せば取れる。けど、渡さなければ確実に取れない。出世は目前だ。さあどうする。

それがもしあなたの旦那ならどうする?旦那が成功する為には小沢にカネを渡す事。渡しても仕事が取れるかどうか分からない。けど渡さなかったら確実に取れない。つまり出世の道はなくなるのだ。

そんな時あなたは旦那に何と言いますか?

彼らが自分の会社の生き残りを賭けて賄賂を出した。小沢はそれを受け取った。

どっちが犯罪者でどっちが被害者だ?

ここで普通の、ダムに関係ない人々は「だって国民の税金をムダ使いしたもん」と言うだろう。

じゃあそのダムが国策として本当に必要なら、なぜ論理的でなく非論理的な巨額の保証金が立ち退き住民に支払われたのか?想定以上のカネをもらった多くの田舎の人々は、結局持ちなれない金で失敗をした。けど、そのカネは税金なのだ。カネを政府からせしめた立ち退き住民の行動は倫理的と言えるのか?

このあたり、以前の書評にも書いたが九州熊本のダム立ち退き問題に非常に良く出てる。その通り。ダムでは大きな賄賂が動くのだ。けどそのカネを吸い取ってるのは、最終的にはあなたの反対側にいる日本人なのだ。

だいいち他の税金はどうなのだ?今までムダ使いされた税金を一切補填していない社会保険庁はなぜ誰も逮捕されないのか?あれなんて完璧に公金横領である。

お金のムダ使いと言うことであれば社会保険庁の方がよほどひどい。これで国民は今後の生活の糧である年金を断ち切られたのだ。

じゃあ学校の先生が給料貰いながら労働組合活動するのはどうなのか?誰が逮捕されたのか?

そういう事は放置しておいて、小沢の賄賂だけが問題にされるのは、一般的に片手落ちという。

だから小沢を憎くて逮捕したいなら、あと5年待って欲しい。5年間彼が国政を運営すれば、先日も書いたけど、経済的に無茶苦茶になっても国家の方針は明確になるだろう。

一番だめなのが国内の政争で時間を使い国が割れ、そこに分け入って入ってくるガイコク人に支配されると言う非植民地化である。

今は幕末と言うが、京都の町で同じニホンジンが殺しあってる場合ではない。誰か一人、そいつを信じて政権を任せて国の統一性を出す、これが最善なのだ。

だから5年小沢にやらせて、次は河野太郎にやらせて、そうやって数年ごとに与野党を入れ替えれば良いではないか。

なぜそれだけの器量も持たずにいたずらに目先のちっちゃな事でギャースカ言うのか。

まあ結局まともに頭も使ったことのない連中がどっかの連中に踊らされてやってるんだろうけど、おいおいそこのお馬鹿さん、あなたの吐いた唾はすべて自分の顔にかかってくるんですよ。

本気で日本を大事にするってんなら、もいちど味噌汁で頭洗って来い(あ、これはそのままの意味ではなく比喩であり、要するにもっと本を読み政治を勉強しろってことです)。



tom_eastwind at 18:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月17日

住む場所

cd510c51.jpg自分の好きな夜景の一つがオークランドだ。この街は朝も昼も綺麗だけど、とくに月の出てる晴れた夜にノースショアから見るシティの夜景と、同じく晴れた日の夜のシティから見たノースショアの夜景がとても好き。

30年ほど前に生まれて初めてニュージーランドに来た時、真夜中のフライトで機内の窓から眺めると、オークランドの街はまるで黒と緑のベルベットの上に宝石を散りばめたような美しさだったことを覚えてる。

それも東京のように宝石が固まっているのではない。宝石一つ一つが適度な距離を取りながら打ち広げた波打つビロードの柔らかな布の上に散らばっており、まさに宝石を見るような感じなのだ。

夜、シティのアパートから眺める30年後の今日もその美しさは変わらない。街は広がりを見せてビルは増えたけど、基本的に街の空間が守られている。

仕事の都合で一ヶ月だけ住むようにした久しぶりのシティだけど、坐っているソファからはスカイタワーが真正面に見えるし、その向うにはハーバーブリッジの灯りも見える。

遥か25階下の地上では、今晩も若者が楽しそうにどんちゃん騒ぎをしている。そんな音も街の背景に溶け込んでいる。

こういう美しさを感じるのは、もう一箇所ある。それは香港時代に住んでたアパートだ。

電車で官糖(ちょっと綴りは違うけどクントン)を降りてミニバスで10分、小高い山の中腹にある秀茂坪と言う街だ。1960年代に多くの難民が香港に流れ込んだ時に作られた住宅団地である。

初期のアパートは7階建てでエレベーターなし部屋にキッチンなしトイレなしシャワーなし、まさに寝るだけのスペースしかなかった。それでも避難民からすれば屋根のある場所に住めるだけで幸せだった。

じゃあ飯はどうするのか?答えは簡単、すべてのアパートの1階が朝食から夕食まで食べられるレストランが数軒入っているのだ。レストランが自分の食卓、ある意味ぜいたく。

それが人口増加によってどんどん新しいアパートが建てられるようになり、ぼくの住んでた頃は自宅にトイレシャワー(水洗トイレではない。トイレの上にシャワーの蛇口があるやつ)もキッチンもあった。

その後90年代に入って住宅公団から前面建て替えの要請とともに新築のアパートに移ったのだが、これはお風呂とトイレが別(つまりホテルのユニットバス)になると言う最新型。そんなアパートで3年ほど過ごしたのだが、これが最高の眺めである。

秀茂坪という場所自体が切り立った山の中腹にあり、崖を削った場所に乗っかってるアパートだから目の前をさえぎるものが何もない状態で、ちょうどカイタック空港を数キロ先に眺める事が出来る。

その当時の航空会社の宣伝で、空港から飛び立った飛行機が右下から左上に向けて斜め一直線に飛び上がっていく場面がある。もちろん背景は満月。

大きな月を背中にしながら飛び立っていく飛行機を、毎晩ライブで楽しんだものだ。

そういう時は部屋の電気を暗くして窓際に水割りのグラスを置いて、満足するまで飛行機が夜空に向って飛んでいくのを楽しんだものだ。お金がなくてもあの景色だけで楽しかった。

誰にも自分にしっくりくる土地があると思う。東京も綺麗だけど、流れる空気の違いかな、香港やオークランドとはちょっと違う。

東京の定宿ホテルも正面左に東京タワーが見えるし大都会であるけど、う〜ん、何か流れる空気が違う。もちろんシドニーもニューヨークもバンクーバーも綺麗だし福岡だってきれい。けど、このオークランドや香港のようなしっくりさがない。

風水の世界では1月に生まれた人は暖色を選び8月に生まれた人は寒い色を選ぶと良いといわれてる。

それ以外にも風水には様々な決まりがある。

ぼくがあるとき奥さんに「風水って中国の崑崙山脈から始まるんでしょ。だったら南半球はどうなるの?」って聞くと、思わず詰まってた。

オークランドにいる香港人でも、風水の本はよく読むけどあまり考えてない人の方が多いのではないかな。

結局人は旅をしていると、「あ、ここだ!」と感じることがある。これは旅行屋をやっているとよく分かるが、人には合う合わないって、本当にあるんだと思う。

それが風水って言っていいのか、たぶんこれから何十年もすれば自由電子が科学的に分析されたりしていくんだろう。

けどそれまで待ってられない人は、やっぱり旅をする事ではないかな。いろんな街を渡り歩いてみて自分の風水に合った街に行けば、実に仕事は円滑だし疲れないし調子が良い。

そうでない街に行けば家族が病気になったり仕事でトラブルがあったりするだろう。

まあもちろん自分の運気で働く場所が自由に選べる人は少ないだろうけど、就職する前ならそれが可能である。

いろんな本を読んでると、どこかの街や田舎を選ぶ人って、大体最初の直感で決めているようだ。

風水も科学も難しくて解明できてないんなら、人間に残った最後の機能である「直感」を信じるのも、ありではないか。

その意味で学生の頃にバックパッカーもって旅をするのは良い事だと思う。世界中あちこち見て回り、日本国内を観て回り、それこそ「自分の住みたい場所探し」をしてみれば良いと思う。

シティの街中の青を中心とした光とノースショアのオレンジを中心とした光の対称が実に素晴らしい。

今年もまた始まったぞ。一年なんてあっと言う間に経つのだから、毎日どんどん進んでいかねば。その為には自分をベストのポジションに置く事だ。その一番基本となるのが住む場所だ。

さ、ねよっと。


tom_eastwind at 22:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月16日

小沢問題

15cd8800.jpg河野太郎を個人的に評価する。

小沢幹事長問題で検察が動いている。民主党が野党だった時代にも小沢さんは叩かれた。

どう見てもこれは検察による政治への圧力である。

まず法律は誰にでも平等であるべきだ。つまり小沢が裁かれるなら他のもっと悪い事をした人間は裁かれねばならない。

ところが今回の検察がやっているのは、実質的には非常に小さな微罪を出来るだけ大きくして民主党の小沢を叩くという手法である。

小沢が賄賂を貰ってた?当然でしょ、自民党時代から政権の中枢にいて田中角栄の下でやってたんだから。

しかし政治家が一般民間人のように金儲けをしているのか?小沢の豪邸はあるのか?彼が民間でビジネスをしてればもっと大きな家を買えただろう。

お歳暮やお中元の習慣があるこの国で、「付け届け」をしないとそれだけで「礼儀知らず」と言われるこの国で、一体誰が小沢を攻めることが出来るのか?

誰しもお世話になった人に何がしかの「付け届け」をするのが常識の国で、何を一部だけ取り上げてどうのこうの言ってるのか?

この問題は目先のちっちゃな賄賂やどうこうの問題ではなく、日本の政治が現実的にどうあるべきかというところだ。

今小沢の首を取れば自民党や民主党の反小沢は目先で勝つかもしれない。しかし日本が抱える大きな根本的な問題は、これでまた先送りされるのだ。

日本の問題は根深い。400年の時間をかけて作られた「民衆はばかのままで放置、お上を単純に信じさせる」仕組みがつい最近までは無事に稼働していた。

しかしもうその仕組みは通用しない。その中で何かを壊しながら改革していくしかない。そして残念と言うべきか、それは体制を非常によく理解している小沢にしか出来ない。

彼を今ここで切れば反小沢や表面だけ飾りたがる一般国民は幸せだろう。しかし、法律自体が間違っている時に法律に違反したからって小沢の首を切るのは、今の日本にとって最悪の選択である。

生きるってのは清濁併せ呑むことだ。小沢がいなくなってハトカンや岡田、前原でやれるのか?やれるだろ、間違いなく。けどその為にまた数年日本が時代から遅れるのだ。

今のこの遅れは痛いよ。あとになって取り返しがつかない事になるよ。

ニュージーランドでは国民党がジョン・キーを党首として選挙で戦い勝利した。

その時の国民の気分としては「ジョン・キーは今回の金融危機を引き起こした時の一番の悪人だ。だから彼ならどうすれば金融危機をどう切り抜けられるか分かっているのだ」的なところもあった。

小沢に善人格的な要求をするのであれば、国民は自分の胸に手を当てて考えるべきだ。自分は一度でも付け届けをしたことがないのか?

そう思いながら河野太郎のブログを読むと、せっかくの政敵の小沢に対してあまり批判的なことを書いてない。

そうだよな、敵失で点を取る事を嫌うニホンジンである。これが王道だよな。

ここで変な批判をしないで欲しい。小沢が法律違反をしたのにかばうのは、まるで泥棒にも三分の利があるのはおかしいでしょ、とか。

泥棒にも三分の利がある。法律が間違っている場合だ。そして今の日本は間違いなく小沢がいることで少しでも政治的には良い方向に向っている。(経済的には無茶苦茶だけど)

ここであと数年、小沢に任せてみようという国民の判断が欲しい。それから河野太郎に任せていけば、国としてのバランスが取れるのではないかと思う。


tom_eastwind at 13:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月15日

大作家”ろくでなし”列伝  福田和也



小説とは何か?一体その伝達手段である文字を用いた表現方法は他の表現方法と比べて何が違うのか。

ここで作者の福田和也はこう言う。

「青い花があるとする。映画においてはその花の色は誰が観ても共通しているし絵画に於いても視覚で吸収するという意味では同じであり、視聴者は作者の色を押し付けられる。これに対して小説は「青い花」と言っても一人一人の中で色が違う。つまりそこに小説の自由性があるのだ」

「小説に時間は限られていない。映画や演劇も素晴らしいが時間が限られている」

つまり時間と自由性という点に小説は大きな特徴を持つのだと言いたいのだろう。

けどここまで小難しく書かなくても、一言、「追体験の面白さ」と書けば良いのにそこに文字をこねくり回しているのは、その後に続く内容で偉大なる大作家をこきおろす作業をするので、そのためのバランスを取っているのかもしれない。

小説は他の芸術と比べる必要もないし、だいいち気持ちを表現する手段として文字を使うとなればブログだって小説だ。そして小説は芸術じゃないかもしれないのだ、だいいち芸術って何だ?

だから難しい事は言わずに、人間は考えていることを文字に落としていく作業や文字を読む作業をやっていくだけで明らかに、それをやらないよりも賢くなるって言えば良いだけだ。

それ以上の小説、バルザックとか志賀直哉とかドストエフスキーとかを本気で読むレベルになって、初めて「小説とは何か?」って書いても良いけど、一般の人に入り口でここまで書く必要もないかな。

まあ、追体験が楽しくて本にはまって、自分が名探偵になったり江戸時代の武士になったり火星を旅してみたり、その中で文字に慣れてくる。

これが更に進めば書道が出てきて、それから絵画が出てきて、技術が発達すれば映画になって、そんな発展系で良いのではないか。

けどまあそこは稀代のひねくれものであり稀代の作家、評論家でもある福田和也のする事だから、奇人が奇人の事を書いているとするのがこの本の位置付けなのかもしれない。

ちなみにこの人の戦時ものはすごい。資料調べから入りここまで臨場感を湧かせながらその時代に生きている人のすぐ横で立ってみてたような文章力は、まさにキチガイである。

お互いにキチガイだからこそ分かり合える共通の納得感をせちがらいゲンダイに生きるきちがい福田和也が好き放題に書いた作者評。

良いのではないか、こんな本があっても。ある種の人々には何の糧にもならないし、ある種の人々を激怒させるのは間違いないだろうが、ぼくのような小説に何の利害もない市井の人からすれば、つまり単なる本好きからすれば「ある一つのネタ」として楽しめる内容になっている。


「ニヒリズムに落ちないで生きる工夫はある。よいおんな、よき友、よい思い出、よい本、よい酒。その五点を揃えられれば、人生は満更でもない」

ヘミングウェイの言葉。戦争を渡り歩き次々と素晴らしい作品を手掛けた彼ならでの言葉である。いいね、前向き。けど、女性の場合には、よいおとこ、となるのか?

よいおとこってカサブランカの二人のうちのどっちだ?よいおとこが一緒に飛行機で米国に旅立った彼氏であれば、よい想い出はボガードでよい友はフランス人警察官か。


けど中には怖い話もある。これが偉大なる作家の書いたことか?

切れ味の鋭くならない剃刀に不機嫌が生じた床屋が、切れない剃刀でそられながら平気な客の無神経さにかんしゃくを起こし、徹底的に剃ることに執着する。

「苛苛して怒りたかった気分は泣きたいような気分に変わって今は身も気も全く疲れてきた。目の中は熱で溶けそうにうるんでいる。喉から頬、頤(おとがい)、額等を添った後、喉の柔らかい部分がどうしてもうまくいかぬ。こだわり尽くした彼はその部分を河ごとそぎ取りたいような気がした。キメの荒い一つ一つの毛穴に油が溜まっているような顔を見ていると彼は真ンからそんな気がしたのである。」

ついに床屋は、若者の喉を抉ってしまう。

おお、気持ちわる。志賀直哉の作品だ。こいつ、どういう心情でこんな事書けるんだろ?


他にも色川武大が取り上げられている。

人生はどうしようもない
人間はどうしようもない
余りにも分かりきったことだ

戦前の浅草最盛期の最下辺の芸人を描く「あちゃらかぱい」では、天才的な芸能を持ちながらも家庭崩壊を描く林葉三が描かれる。

林葉三は戦前の浅草で即興の「スネークダンス」と言う踊りだけで食っていたがいつも乱酔しており、あるとき泥酔の余り溺愛していた娘をまで「――こんなもの、いらねえ!――」と窓から放り出し、それが元で亡くしてしまい、いよいよ奇行がはなはだしくなって、ついには娘の骨壺を持ち歩き、酔うと骨を齧るという陰惨さを見せて、ついにどこの劇場からも排除されてしまった。

・・・・子供の骨を齧りながら酒を飲んでた。この時点で地獄を見るようで、もう駄目だ。人間の最下辺を見せ付けられたようです。



大作家と言いながら奇行を行う人は多かったらしく、いずれにしても世界レベルの本を書く人ってのは普通じゃないわけで、他にもそんな人が紹介されてます。

え?この作家にこんな背景があったの?びっくり本としてもネタ満載です。ただし最初に言っておいたとおり、この作者、本当に一筋縄ではいきません。

普通にきれいなまともな本を読みたい方にはお勧めできません。初心者にもお勧めできません。どちらも本を嫌いになること請け合いですから。




大作家“ろくでなし”列伝~名作99篇で読む大人の痛みと歓び~ (ワニブックスPLUS新書)大作家“ろくでなし”列伝~名作99篇で読む大人の痛みと歓び~ (ワニブックスPLUS新書)
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tom_eastwind at 17:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2010年01月14日

EFTPOS

ca82f705.jpg
堀江ブログより

最近彼のブログ内容が過激になっている。どんどん言いたいこと、言い出してる。そろそろ次の裁判だし、大人しくしてるのにバカらしくなったのかもしれない。

どっちにしてもその時の検察の気分で実刑か執行猶予かが決まるのに本人が大人しくしてても違いはない、そう腹を括ったのかな。

今日のテーマで出てきてたのがスーパー等のキャッシャーで現金を引き出す方法だ。もちろん先の尖った堅いものをだすわけではない、あくまでも合法的に自分の口座からキャッシャーを通じて現金を引き出すのだ。

彼も指摘するように西洋では小切手が発達しており、電気代から家賃、社員の給与まで小切手である。

西洋の有名なジョークで社員が社長に聞く。
「社長、私の給料はどうなってますか?」
「あ、あれね、もう先週小切手で送ったよ」

日本では小切手の習慣があまりないまま電子化が進んだから支払いは銀行やATMとなる。

小切手のクリアランスフィーは契約によって様々だが、最大でも50セント程度だし小切手口座は金利がつかないので一定の金額(5千ドル程度)があれば無料と言うのもたくさんある。

つまり送金手数料がかからないのだ。その分郵便が届くまでに2日、手形決済所で5営業日かかるので、決して「素早い」とはいえない。これが日本と違う点。

でもってニュージーランドではもう一つの支払い方、EFTPOSという電子決済システムがここ20年で非常に発達した。いまやコーラ一本でもEFTPOSで買えるのは当然としても、スーパーのレジで自分の口座から現金を取れる。

これはEFTPOSの手数料を利用者側が支払う決まりだからだ。

けどそう言えば日本では今だコンビニのレジでお金をおろすことは出来ない。そのことを取って柿のように書いている。

★抜粋開始
すると例えば毎月積み立て型の投信なんかも振り込み手数料分利回りをよく出来るとか、もっと小口化できるなんて話もあった。他にも沢山メリットは出てくるだろう。この仕組みを利用してレジキャッシングができればいいのかなと思ったりもする。お店の携帯に10円振り込みをしてレジからお金を貰うという引き出し方など。
★ 抜粋終了

全文はこちら
http://ameblo.jp/takapon-jp/

日本の場合は様々な公共サービスは結局利用者よりもサービス提供者の利便に重点が置かれている。けど一般の人々はそんな事知らないしどんなサービスが出来るか考えない、単純に言えば外国に行かない人はガイコクと比較しないから、今受けてるサービスが良いのか悪いのか、高いのか安いのかが分からない。

またニホンジンの人の良さで「まあお上はうまいことやってくれるだろう」と考えている節がある。

これに比べてニュージーランドでは、ことビジネスにおいては性悪説である。ほっておくとビジネスパーソンは悪い事をする、何故ならビジネスの根源にその要素があるからだと考える。

だから性悪説に基づいてビジネスを厳しく管理する雰囲気がある。

そこで自然に国民の声を聞いてそれを事業者に「こうやれば?」とか言うし、事業者に営業許可を出す時でも国民視点で条件をつける。

例えばインターネットの電話回線が無料なのはその例である。テレコムを民営化した際に新経営陣との契約で「将来にわたってインターネットは無料にしなさい」とやったのである。

ことこのようにニュージーランドでは政府が国民視点で動くことが多い。何故ならこの国では政治家の最終目標は金儲けではなく国民からの賞賛だからだ。

こんなちっちゃな国である、政治家の給料よりも辞めた後の賞賛の方が良い。つまり政治が国民に向くように仕組みが出来ているのが特徴なのだ。

まあEFTPOSによるキャッシュアウトが便利かどうかは、少なくとも最近はちっちゃなお店ではキャッシュアウトを嫌がるところも増えたし、一概に良いともいえない面もある。治安の問題もあるのであまりたくさん現金置いておきたくないもんね。

しかし国民の利便を考えれば、日本はまだまだ改良の余地、おおありです。


tom_eastwind at 21:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月13日

生命保険は誰のものか

生命保険は誰のものか

出口治明さんというライフネット生命保険社長が書いた本。数日前に書いた「体制側の硬い本」である。

頭が良くて理論的で、日本のセイホを世界に広めた人でもある。独立系の生命保険会社を設立して保険の原価を一般大衆に広めようとしてる。

その道具として本の出版もしたわけで、あれれ、おれ、この人の事、好きになれないかも。

いやさ、悪い人ってんじゃなくて、すんごいエリートで賢くて立派なんだろうけど、だからこそ根本的な問題を感じてる。

今までの保険会社が営業女性を使って組織的に企業に売り込みをかけてそれで日本のセイホが成立してたわけで、その時代をまさにど真ん中で生き抜いてきたわけで、今になって「今までの保険業界は変わるべきだ」って、ううううんんんん、どうなんだ。

彼が書いている事はまさに正論であり業界内部にいながら難しい言葉ではなく簡単に保険の仕組みを説明しようってのは有難いし勉強になるし、けどさ、だったら何で最初からそうしなかったのか?

つまりセイホのカラクリに問題を感じたらその時点で飛び出すべきであり、その時点でセイフのキセイが厳しいから保険を売れませんってんなら、違う商売をするなり、自分で納得する生活手段を選ぶべきではなかったか。

過去に鯨を、その油だけ取って肉を捨ててた米国人が今になって捕鯨を「ありゃ過去の私が間違ってました、けどやっぱり捕鯨はだめです、だからニホンジン、捕鯨は駄目です」と言ってるようなものだ。

理論的には非常に良くできた本だけど、感情的に納得出来ないぞ。それでも本としてはきちんと価値がある。お金を払っただけのことはある。

副社長の本と合わせて読んだので生命保険については非常に勉強になりました。たしかに普通のニホンジンとして生きていくなら一度は読んでおくべきでしょう。


生命保険はだれのものか―消費者が知るべきこと、業界が正すべきこと生命保険はだれのものか―消費者が知るべきこと、業界が正すべきこと
著者:出口 治明
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2008-11-29
おすすめ度:4.5
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tom_eastwind at 00:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  | 諸行無常のビジネス日誌

2010年01月12日

いのしし

http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/H20100112101.htm

猪。いのしし。

金沢で路上に出てきたいのししが殺された。

警察が射殺したのだけど、うむむむ。

ぼくに宗教はないけど、人間が動物より偉いなんて思ったことは一度もない。だからこっちが危機に陥らない限りあえて相手を殺すなんて発想はない。

いのししが出てきて、それも子連れで、だったら犬や猫なみに扱って可愛がるって発想はないんかな。

抵抗して殺すんなら分かるけど、相手は単純に逃げてるだけでしょ。なんかな〜。

tom_eastwind at 12:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月11日

引越し

今日から一ヶ月ほどシティに引越し。

自宅はノースショアなんだけど、家族もいないし面倒なので会社の近くに一ヶ月だけ住む事にした。

このアパートは10年前も住んだことがあり、何よりも景色が良いので好き。

けど、久しぶりなのだから当然なんだけど、このアパートと海の間に大きな建物が出来て、以前に比べて景色は三分の一くらい少なくなった。

それでもノースショアが見えて実にきれい。角部屋なのでスカイタワーも見える。

治安も良いし景色も良いし、久しぶりにシティ生活を楽しむ予定。

あ、このアパートの名前はメトロポリス。

tom_eastwind at 16:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月10日

生命保険のカラクリ

インターネットで保険を販売しているライフネット生命副社長の本。

生命保険会社を設立しておきながら既存のセイホの販売方法をひっくり返してしまうような事を書いてる。

保険会社は元々相互補助の会社であり、利益を出すと言うこと自体が?なんだけど、現実は違ってて、保険会社は大儲けしている。

国にしっかり守られて既存権益に守られてぬくぬくと何十年もやってきたけど、世界から見れば非常識なのは当然。

そこに日本生命出身の社長とスーパー若者の岩瀬さんとのコンビで風穴を開けたのだから、こりゃたいしたもんだ。

本も分かりやすくて良い。文章が合理的に書かれており、社長の出した本よりも読みやすい。社長の本はまだぺらぺらってめくってだけだが、最初からもう「堅い」ので、ああ、そっち系ですね、要するに体制側の本って感じ。

良いか悪いかはまだ中身を読んでないのでなんともいいようがないけど、岩瀬さんの方が食いつきやすいのは事実。

この本を読んでやっぱりなって思ったのは、自助が出来る人にとって相互扶助は不要、相互扶助という名目で多額の手数料を払う必要があるんかって事。

ニュージーランドのように国がしっかりと国民を守る「公助」システムがあれば民間保険は不要である。


日本の保険会社に毎年払われる金額は28兆円である。これは契約者が払っているお金。

コレに対して契約者に支払われる保険金は19兆円。つまり9兆円が事務手続き?利益?として保険会社が取っているわけだ。

ぼろい商売である。つまり契約者は100払って70しか返してもらってない。さらに賭け続ける期間中の利益も保険会社が持ってってるのだ。

いや〜、やっぱり一番儲かるのは政府と組んで金儲けすることですな。

ぼくが一番苦手とする商売でもある。役人と組んで「おたくも悪代官ですな〜うわ=はは」と言うやつだ。

生命保険のカラクリ、一度読んでみると自分が払ってきた保険料がなんなのか、あぜんとするだろう。

少なくとも民間の保険会社頼りになるばからしさと国家による公助システムの必要性または相互扶助による助け合いの必要を理解出来る。












生命保険のカラクリ (文春新書)生命保険のカラクリ (文春新書)
著者:岩瀬 大輔
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tom_eastwind at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2010年01月09日

映画のことを書こう

アイルランドライジング

光州5・18

実録日本赤軍


こんなの家族と一緒で見ることは出来ませんぜ。

アイルランドライジングは奥さんとりょうまくんが1分で寝るのは間違いなし。イングランドによる国家侵略を中国によるチベット侵略と比較するなんて、そんなの人間の問題の基本を分かってないじゃん、sssssssって感じで寝るだろう。

光州5・18は、竜馬君が涙をこぼすだろうね。シルミドの時もそうだったけど、竜馬君はこういうのに弱い。お母さんに似ているのだろう。

実録日本赤軍は、これは彼らガイジンからすれば「何これ?」って感じの作品だろうけど、同時代を生きた僕からすれば「若松監督、よく作ってくれた!」と言いたい、それくらい力のこもった素晴らしい作品だった。

1970年代の日本を知っている人があの時代をもう一度伝えなければ、そんな空気がひしひしと伝わってきた。


自宅で引き篭もって約8時間、とくに日本赤軍なんて3時間+1時間のメイキング。

どれもすごいとしかいいようがない。映画としての造りの良さは、あえて言えば時代背景もあるのだろうけどアイルランドライジングは他の二つに比べて負ける。

けどそれは決して悪いのではなく、他の二つのレベルが高すぎるからだ。

日本人だからって言うわけじゃないけど、あ、けどやっぱり日本人だから、あの時代を知っているから映画の出来としては若松さんの「日本赤軍」が一番良いと感じた。

それはぼくがあの時代を知っているからであり、もしぼくが韓国人だったら間違いなく光州5・18を一番にするだろう。それほどこの2本の映画の完成度が高い。

けど・・・・う〜ん、・・・やっぱり僕的には日本赤軍だな。俳優の演技のレベルが、あの時代と現場を知っている人間しか出来ない、要するに映画ではなくドキュメンタリーになっているからだ。映画はどこまでいっても映画、本当の画面には勝たない。そこの部分において日本赤軍の凄さがある。

その意味で光州5.18はもう一回くらい作り直しがあってもいいかなっておもう。もちろんこの映画はすごくレベルが高い。

例えて言えば米国がベトナム戦争で負けた後に作られた「DeerHunter」みたいなもので、いいんだけど次が出てくる可能性がある。

けど、日本赤軍には、次がないような気がする。あれは実写であり映画ではない、だからそれ以上のものを作りようがない、そんな感じ。

けど、何度も書くけど光州5.18も本当に素晴らしい作品である。

あの事件が起こった時にぼくは同時進行で新聞記事を読んでた。なんだこりゃ?って思ったものだ。韓国ってナンだ?なんで政府が国民を殺すんだ?ほんとに分からなかった。


1980年代に釜山によく行ってた。売春ツアーではなく小学校高学年とか中学生の子供たちを連れた親善交流だ。だから泊まるところもユースホステルだったりするわけだが、子供たちを寝かしつけた後に飲みに出た。

チョースンビーチってところがあって、そこ、本当に浜辺沿いなんだけど、屋台があって、たいしたつまみもないけど、長い髪の青年店主がギターを弾きながら韓国焼酎を飲ませてくれたものだ。

「どこから来たの?」
「日本、福岡だよ」
「あ、そうか、ぼくは光州からなんだ、あまりいえないけどね」

実話である。悲しい、悲しい、隣の国で起こった実話である。

ほんと、こんなのは一人ではないと見ることは出来ないです。

愛国者とか偽善を語る人間は多い。けど、きちんと世界の歴史を勉強して、こんな映画を観て、それから話をしようよ。

頭の悪い人間に限ってグリーンピースだとか愛国なんちゃらとかで話を誤魔化してるけど、あんなの卑怯極まりない話である。

もんくあるならオレの前に出てこい。徹底的に議論して潰してやる。卑怯者に限って自分を表に出す事がない。団体の影に隠れて、壁の向うからキャーキャー言うだけだ。

この3本の映画。


もっと詳しく書きたいけど、まだ頭の中で消化出来てないので、政治とは何か民主主義とは何か、そのあたりが整理出来たら紙に落として(古い言い方)みたいと思います。

tom_eastwind at 12:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月08日

統計と例外について オークランドスカイ

8d9822e6.JPGお、地震か? 13:10頃。
なんか少しぐらっとしたぞ。
地震独特の、地面全体が下から突きあがってくる、ぐらってする感覚。立って歩いてて少し体が押されたように右や左に動くあれ、ではない。

あれ、は酔ったという。そしてぼくはまだ酒を飲んでないので、これは千鳥足現象ではない。


少なくとも僕はその時ソファの一番好きな場所に腰掛けて膝の上にパソコン乗せていろんな事してたらぐらっときたのだから歩いてないので、千鳥足ではないぞ。

早速ニュージーランドヘラルドのサイトを見るが何も出てないので、もしかしたら家が建ってる場所の地すべりかな?あれ、けど家は台の上に乗っかっているのでそんなこともないよなって思ったり。

今日はそとは強い風と殴りつけるような大雨で、13;00には街の電気が全部消えた。

電気がすーっと引くように消えたので、おお、また停電ですかいと思ってたそのすぐ後だから、地震と雷が一緒に来て丁度火事はセントルークスで発生して親父はおれだから、お、日本の標語は全部そろったじゃんとか思わず一人でにやにやしながら、それでもパソコンは優秀なレッツノートなので作動環境に問題なく、バッテリーはあと5時間は持つので、まあこのまま仕事でもいいや。

電気はそれから30分ほどで回復した。家全体がウイーンと低い音を発生して自宅備え付けのデスクトップを見ると点灯したので気付いた。

それから1時間もするとまたも晴天のオークランドスカイ。ほんっと、ここは南国ですか?

自然に一番近い都会、それがオークランド、なんて言ってしまえば格好いいけど、要するにインフラ整備は日本ほどに整ってなく、ある意味自然に任せて生きている街ってのか。

まあいいや、いずれにしても今日も朝7時に起きてばりばり仕事モードである。一人暮らしの良さってのはいろいろあるんだろうけど、ぼくからすれば家族といないから起きてすぐ仕事モードに入れることだ。

もちろんこれには欠点がある。家族がいないから寂しくて、時々日本に電話したりする。けどそういう時に限って奥さんも娘もケータイに出ない。自宅へビデオコールしても返事なし。

連絡しなければいいのに連絡したもんだから、ついつい気になる。これが少しいらいらする理由、かな。

けど純粋に仕事だけ見れば、ぼくの好きな仕事のスタイルってのは朝型である。

ぼくにとって一番仕事が進むのは、朝、目が覚めてベッドの中にいる時間だ。まったく体を動かさずに目を閉じて脳みそだけで頭の中にある情報を一つづつ整理していく。そのときは極力メモを取らない。なぜならかなり記憶に残るからだ。

でもって昨晩はいくら考えても分からなかったようなことが、今朝になって考えてみると実にどんどんアイデアが出てきて頭の中で解決してたりするから、こりゃ良い。

でもってベッドを出るとすぐにお湯を沸かしてパソコンのスイッチを入れて「今日やることリスト」の作成と処理についてポイントを整理しておく。

湧いたお湯でウーロン茶を作り(お茶葉はいつも香港で買っている)、熱いお茶を片手に今度はそれぞの案件を具体的に詳細を入れて時系列に組み立てていく。紅茶でも良いのだけど砂糖もミルクも合わないのでまっすぐ。

こうすると朝の2時間、つまり普段は6時00分に起きて8時30分に自宅を出るまでの時間が貴重だと言うのが分かる。

最後の30分くらいで軽く空腹を抑えるための朝ごはん食べてもいいし、調子の良い時は朝飯抜きでも良い。その時はそのまま紅茶をまっすぐで何杯も飲みながらお昼まで仕事して朝食兼昼食となる。

こうなると栄養研究家とかからすれば「不健康!」とかなるのだけど、実際問題として夜に物事を考えても良い結論は出ない。考え事や問題解決は朝に限る。午後だってもう遅い。

そして現実にこうやって健康に生きているのだから、多くの人間の統計結果である医療や栄養バランスの常識をぼくに適用する事自体がすでに間違っていることに気付いてほしい(笑)(笑)(もちろん冗談ですよ)。統計には、そこに出てこない例外が常に存在する。

明治時代の超能力者は食事をせず排泄をせず留置所の中でも常に身奇麗でさっぱりであり、法廷では空っぽのガラス瓶に周囲の水を一気に送り込み満タンにさせたという。これを医学で証明出来ますか?

そう考えると、たかが一生の間ほとんど野菜を食べないとか大体食事自体殆ど食べないし酒は毎晩飲んでるとか朝飯はインスタントラーメンネギ抜きとか時には一日一食とか、先週成田から戻ってくるときは約24時間まったく食事を摂らなかったとか、そんなの常識の範囲内ではないですか(笑)?

要するに結果論として自分の体に何が合っているかを自分自身で把握しているかって事だと思う。

他人がやってる健康法だから自分が健康になるなんてあり得ない非科学的理論だし、誰よりも自分の体は自分が一番分かってて、それで自分の体の内なる声に常に耳を傾けながら生活をすれば、それこそ体内に宿る魂と肉体が共鳴して素晴らしい健康体になるのだし、だから死ぬまで生きていられる(当然か、あははは?)

半分冗談みたいな話は、ここで閑話休題。

はっきり言えば考え事をする時の最大の敵は眠気とネガティブである。

飯を食えば眠くなるのは誰でも知っている。胃袋が体の中心となって脳みそが酸欠状態で眠くなるからどしようもない。

眠気に襲われた午後であり、午前中に理論的に考える脳を使用して休憩が必要なときってのはダブル脳みそが疲れているんだから、あまり考え事をしても選択肢が出てこない。

更に夜ってのは、その空気が作り出してしまうのか、とにかく考えることが負の方向に向いてしまう。

だから結果的に朝、それも午前中に一気に仕事を処理してしまうのがぼくにとっては一番良い仕事方法である。

そんな自己満足的理論で本を読んでたら、外山滋比古という大学の先生が1983年に出した本に「思考の整理学」と言うのを見つけた。

読んでみると面白い。HeyBaby!って感じで、ぼくと同じような朝の過ごし方をしているではないか、この人。

同じ事を大学のセンセーがやれば本にもなるのに、おれがやったら異端者だもんね、全く。

まあいいや、今日も朝から頑張って仕事して、午後からは雑務や作業をやって、夜は読書したり映画観たりの世界に浸ります。

てか、この映画、絶対に家族と一緒に観れないので(??)、一人暮らししている今月のうちに見ておかなくちゃ。





tom_eastwind at 17:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月07日

仕事再開!

7cab5960.JPG長かった日本の旅(19日間!)を終えて帰国の途に着く。そう、僕の立ち居地はNZに帰国するってことになるのだ。

何故なら旅券は日本だけど居住地はNZであり、実際の生活ベースがNZだからだ。

皆さんは例えば東京に20年住んでて例えば福岡のふるさとに帰る時は「帰省客」になるし福岡に「ちょっと帰ってきます」となる。でもって東京に戻るときは「東京に帰ります」または「戻ります」かな。

いずれにしても二つの祖国を持つことになるわけだ。

けどもし、あなたが家族ともども福岡から東京に随分昔に移住してしまい、すでに福岡の自宅も手放して、残っているのは学校時代の友達くらいってなると、さすがに「帰る」と言う語感には少しどうかなって感じがあるのではないだろうか。

ぼくもそれと同じで、ただ日本に生活ベースがないからどうしても感覚的に「日本に行く」もおかしいけどそれしかないし、となってしまい、ついついNZにも「戻る」ではなく「帰る」となってしまう。

それでもまあ、雪あり鳥居あり焼鳥あり居酒屋ありと、とにかく今回は本当に長期休暇だったな。ずいぶん素晴らしい日本を堪能できて、最後には今後の日本の観光政策の具体的なアイデアも飛び出てきたので、うんうん、楽しかった。

けど、そんな休暇も今日で終わり。

実は旅行中もずっと仕事はしてたんだけど、それはあくまでも旅の途中の一瞬を利用してって感じ。

オークランドに戻ってみると、日本が丁度休み明けってせいもあり本格的な仕事の話じゃんじゃん舞い込んできた。

初日から飛ばしモード。

よく言われるのが「日本から帰ってきてそのまま仕事って疲れませんか?」ってことだけど、あまり疲れない。

てか今回は家に帰っても家族もいないし仕方ないからって、自宅に帰って荷物を置いてメール処理したら、そのまま一睡もせずに街に出て、行きつけのお店を回る。

オークランドの街はまだ「始まってない」ので道路はすいすいであり、言い換えれば客が少ないから運転手のキースも「30年ぶりのヒマだ〜」って言ってたくらい。

約3週間ぶりだから、ハローって顔出すと、どこの店もヒマそう。とにかくキースだけでなく殆どのレストランも開店休業か、または閉店中。

友達のやってる店に顔を出して「どうよ〜」って聞くけど、「ぼちぼちイカでんな」って感じである。

けどこっちは何か中途半端に寝てないし飛行機で18時間のたびをした後なので、なんだか体内時計が壊れてしまったみたいで、全然眠くない。同時に、いくら飲んでも酔わない。

元々は普通に、酒を飲むと酔っ払う人なんですね、ぼくは。けど今日はいくら飲んでも酔いが回らない。「こんな時」ってのが最近増えたな〜。年かな、飲んでも酔わなくなるってのは、、、はは。

でもって結局のみおわったのは朝の4時。キースに迎えに来てもらい自宅に帰ると、それでも眠れなくてふとんの中でもそもそしてたら朝7時に目が覚めた。

でもってこれが面白いことに、まだ頭が回転しているから、朝の熱いウーロン茶を飲みながら早速仕事開始。

人間の体って面白い。てか、去年からの仕事の流れも面白い。世の中、まだまだ分からないことだらけで、だから面白い。

さて、今年も本格的に仕事開始!

写真は晴天ピーカンのオークランドに戻っていきなり「あ、やっぱりここはオークランドなんだ」って感じた、空港長期駐車場の写真です。

よく見てください、左の車のバンパーに右の車がバンパーをぶつけたまま長期用駐車場で車停めてます。やっぱりこの国は(苦笑)・・・である。


tom_eastwind at 16:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月06日

世界の秘境、日本を歩く

5b1a25b7.jpg今回、ぼくがガイジンの視点で旅行してみて思ったことがある。

日本がこれから少子化高齢に入ることは誰でも知っている。じゃあそれをどう対応していくのか?その中の選択肢として移民受け入れが出てきている。けどこれは純血主義を守ってきた日本人としては非常に辛い選択枝であるのも事実。

そんな時、宮島、博多、金沢と回って感じたのが、やはり日本が持つ文化は世界に誇れるものがすごくたくさんあるのに、それが外国にはきちんと紹介されていないって事。つまり日本はその持てる観光資産の割には非常に訪れる人が少ない、世界の秘境であるって事だ。

何?日本が秘境だと!ふざけるな、おれはどこそこにも行って〜、などと言う勘違い連中もいるだろうが、日本人が知ってても世界で知られているってのにはならないのだ。

その証拠に多くの方はご存知の通り、日本から海外に行く日本人に比べれば、外国から日本に来る観光客が圧倒的に少ない。

同じ外国人でも、短期滞在で労働も犯罪もせずにそれでいながら大金を落としてくれる層であれば誰にも文句がないままに今すぐにでも取り込みが出来るではないかってこと。

移民政策の議論を数年かけてやるとは思うけど、そんなもんは10年政策である。ソレに対して観光政策であれば、これは最初の1年の投資で2年目から金になる。

それも最初の一年は少なくても、それからどんどん増やしていける。そして10年は確実に続く。いや、たぶんもっと行くだろう。

その成長限界はどこかって言えば日本人観光業者が互いに食い合いを始める、つまり市場が飽和するまでだ。もちろん日本人同士が価格競争に陥らなければまだまだ続く。

観光客として狙った目標は60億人である。国内市場と比べれば圧倒的にでかいのだから、当面は観光業に参加する人々がこれで食っていける。

「ふざけんなよ、旅行業が駄目だって書いたのはお前だろ」って感じだろうが、そう、既存の「野菜の叩き売り」的なアウトバウンド旅行業は伸びない。

しかし、新規観光地を開発してそれを世界に発信してインバウンドビジネスを作り上げる技術は、現在でも日本の旅行業はノウハウとして持っている。

元々インバウンドビジネスは新しい観光地(Distination)を作り上げれば、そこが価格競争になるまでの5年程度は食えてた。

そういう感覚で日本の観光地を一つ一つ世界に紹介していけば、最低でも10年は食えると感じたわけだ。

今まで何故日本のインバウンドが伸びなかったかって言えば答えは簡単で、政府がいちいち邪魔をしてたからだ。ビザの問題から始まり空港での検査、国内に入っても外国人に優しくない街造り、とにかくどれを取っても国際化されてなかった日本は、ある意味秘境である。

「けど日本は観光政策として取組んできたじゃないか」と言うかもしれないが、あれは全部お上が運輸省の天下りの為に作ったシステムであり本気で観光客の取り組みなんて考えていない。

第一良く考えてみればよい。ガイコク人になった事もない、外国人の視点を理解出来ない霞が関の役人や新橋の屋台で飲んでる旅行業のおやじ連中が商品を売れるわけがないではないか。

商品を外国人に売ることが出来るのは外国人と直接触れて直接話をして自分のビジネスを広げようと頑張っている、例えば一昔前で言えば秋葉原の電気街の営業マンであり、もっと古くから言えば日本の商社マンであり、実は年間1000万人が海外旅行に行くようになって外国に客を送ってた旅行業連中の視点は「その国に金を落とす上客」でしかなかった。

卑近な例で言えばバーの上客がバーを経営できるかどうかの問題である。

これはぼくも20数年前にガイコクでの生活を始めて真っ先に気付いたことだ。今まではカネを落とす側だったから彼らが僕の英語を一生懸命理解しようとしてた。

けど彼らに売り込む立場になると、ぼくが彼らの英語を一生懸命理解しないと物が売れないって事に気づいた。

けど旅行業が一番儲かるのはアウトバウンド、わざわざ政府に嫌われる面倒なインバウンドなんていやだもんねってことで長い間旅行業はインバウンドを放置していた。

逆に言えば、だからこそここに宝の山があるのだ。

これから国内観光客を見れば数は減少するし苗場で感じたように消費金額が圧倒的に少ない。つまり数と金額のダブルパンチで売上は減少していくのである。

それに比較して海外から来た人は数は少なくても「せっかくの海外旅行だから」とたくさん使ってくれる。苗場の例が良いように、スキー場に来てスキーをせずにそりに乗って5歳くらいの子供に1500円のランチを食わせれば、それだけでリフト券より大きな売り上げだ。

ましてや夜になれば一人7500円のしゃぶしゃぶ定食が「すみません、今日はもう予約で一杯なんです」となる。見ると客の殆どは華僑系中国人や西洋人。

日本国内を見れば1億2千万人の市場しかなく、更にそれは少子化と老齢化が同時に進んでいる。一つの街が伸びていこうとすれば、これはもう60億人の世界人口をどう取り込むかが必須であるし、その為にどのような戦略を作るのかが大事なのである。

20年前ならガイジン不要論ってのもあっただろう。標識だって全部日本語、読めない外国人が悪いんだくらいの勢いだった。

けど時代は変わった。JRでも地域によっては日本語、英語、韓国語、中国語のアナウンスが入るようになった。街角の標識でも福岡では普通に4ヶ国語で書かれている。

これが「変化」と言うものだ。

新幹線でも最近の車両は大きなスーツケースを入れる場所が用意されている。エレベーターも整備されてる、新大阪駅の博多から来た車両が停まるホームの複雑怪奇な位置にあるたった一基の超ちっちゃいエレベーターはあいも変わらずどうしようもないが。

話はそれたが、観光は実は政府予算の投資先としてすぐにリターンが見込めて大きな収入源となる可能性がある。

まずはハード面で外国人が旅行しやすい「長期間旅行者が安心して移動出来る街や交通機関造り」を行い、外国人受け入れをする宿泊施設や観光施設は一定の税控除を受けられるように法整備を行って、各都道府県観光協会がそれぞれの観光キャンペーンを行い、その費用を政府や地方自治体が負担する。

ただしホスピタリティビジネスに政府や役人は口を出すな、金だけ出せ。何故なら観光と言う非常に扱いの難しいホスピタリティビジネスでは、ちょっとした事がお客様の不愉快に繋がり、結局ハードをどれだけ揃えても行政の介入でソフト部分で失敗してしまうからだ。

そしてこのちょっとした不愉快と言うのは役人には理解出来ない。「決まりですから」と書類を出して良い相手と、そうではない相手がいるのだ。

こうやって各都道府県が各自の観光政策を実施するのだが、この時更に大事なことがある。

それは価格面では国内のほかの地域と競争するなと言うことだ。

何十年も価格破壊をやってきた日本人が陥る一番悪い点は、何でも値段をぎりぎりまで下げるという点だ。そして結局次の開発に使うお金を作れずにジリ貧となり、他国との競争に負けると言う愚を繰り返す。

けど、観光と言う商品はテレビや冷蔵庫ではない、感動を売る商品である。感動に価格はない。

だから、あえて競争するなら付加価値を狙い、同じような外国の観光地の価格やサービスを比較対象とするべきである。とくに西洋諸国は比較しやすい。

何故なら西洋では赤字ならそんなビジネスやらんとなるから、常に利益を出せるモデルを構築している。ある意味それをコピーすればあまり考えなくても利益を出せるのだ。

例えば京都の生八橋は香港人に人気があるけど堅いのは駄目。ならば外国人を人種ごとに味を含めてお土産の作りかえをすれば良いではないか。

米国人に受けたいなら、広げると星条旗になる生八橋とか。欧州人に人気が出そうなのは、ブッシュの顔をしたひよこ饅頭。頭からかぶりついてください。

漁港のお店でカニやイカを目の前で焼いて食える店は外国人の視点では「フィッシャーマンズワーフ」である。ならばそこでビール瓶立てに坐らせるのではなく、港側にオープンデッキでビールやワインをおしゃれに置いてみればよい、絶対に売れるから。

要するに観光業もその裾野は広いのだ。一番てっぺんに来る旅行業が全体のコントロールをしながら、本当の意味での「旅」を顧客に提供していけば、旅行業で働く3万人(くらいかな、僕の時代の数字)だけでなく航空会社、ホテル、レストラン、バス会社、タクシー会社、お土産屋さん、更にその先にあるサプライヤーと、外国人向けビジネスで大きく成長することが可能だ。

そしてこれならば今まで日本人が生活の中で普通にやってきたおもてなしの心であるから、タクシーの2種免許や建築士の免許は必要ない。今すぐに転職出来る。

外国人に人気が出たお菓子工場は増産体制で人員が必要となるし、レストランはウエイターやウエイトレスが必要となる。ここは世界からワーホリで帰ってきた日本人若者の就職先として使える。

ホテルや観光地はもう少し高級な能力が求められるが、ここには40代でリストラされたサービス業の人々に入ってもらえば良い。

そういえば日本政府も去年末の経済政策で旅行を挙げてた。最初は「どうかな」と思ってたし、多くのブログ識者も「旅行がどこまで市場があるのか?」と疑問だった。

けど、今回の旅で気付いた。

これはいけるよ。日本の識者は頭が良くても旅行の現場を知らない。日本の役人は外国人を知らない。外国人に至っては日本をどう旅行していいか分からないからパリやローマに行く。

けどぼくからすればその視点をまとめてみることが出来る。その立場からすれば、日本政府のインバウンドツーリストを成長戦略にいれるのは、非常に面白いと思う。

あとはとにかく出来るだけ政府の関与を排除して民間に任せることだろう。それさえできれば、これは国家戦略として重要な位置付けになる政策だといえる。

写真は白川郷。日本人にとってもあまり訪れる機会のない場所だろう。




tom_eastwind at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月05日

金沢 五郎八と日本の将来

44baf09c.金沢3日目 五郎八

昨日の夜はホテルの人に居酒屋を案内してもらった。これも居酒屋と言いながらタクシーの運転手さんにお店の名前「五郎八へお願いします」と言っただけで「あ、あそこですね、はい」と一発だ。

金沢の地名は通称と実際の名称が違うのかな、カタマチですよねといわれたが僕の手元の紙には違う住所が書いてあった。「あ、だいじょうぶです、わかりますから」って、ふーん。そういえば街の案内で金沢は最近古い住所を使うようになりましたみたいな事を書いてた気がする。

最初は大通りだったのが、途中から古い裏通りに入り、車の離合が出来ない細い道に積もった雪をタクシーが掻き分けていく。そうやって細い路地にタクシーを横付けしてくれたお店(当然後ろの車は待つしかない)は、いつの時代から営業しているんですか?と思うほど、良い意味の古い造り。

1階51席2階36席とちっちゃなお店でありながらぼくらが到着した6時には満席で、それでもお店の人に「お煙草すわれないんですよね、申し訳ないです、うちは禁煙席はないんですけど、1階の一番奥の仕切りのあるお席ですから、ゆっくりしていってください」と一見のぼくらを丁寧に扱ってくれる。

これだけ流行っている店なら別に金沢ANAホテルから紹介された個人客をいちいち相手にしなくてもと思うのだけど、そこがやっぱり金沢なのか。

こういうのって、本当に両刃の剣。観光客は民間大使ってよく言うけれど、こういうちょっとしたサービスが外国から来たお客を喜ばせてくれて、彼らが自分の故郷に帰ると「おい、あそこ、すんごくよかったぞ」と口コミで広がってくる。

そしてもし逆にこのお店が観光客を粗雑に扱えば・・・。

勿論お店の人はそんな事考えてないだろう。昔から旅人を大事にするおもてなしの気持ちが自然に出てくるのだろうと思う。外国人だからとかじゃない、だって僕は日本語名で予約をしたんだから。

そういえばこういう言葉がある。「あなたのような常連には無理言えるけど、一見さんには楽しんでもらいたいものね」

21世紀の最大の広告ツールは口コミであるし、観光客を増やしていこうとすればこの長い歴史を持つ金沢ってのは他の街よりも一歩先を行ってるのではないかって思わせた。

同じような日本海沿いの江戸時代から続く古い街でも、2年前にやはり家族で訪れた函館は本当に昼間から人がいなかった。明治時代は東京を抜く文明開化の街だったと言われているし昭和初期も北方漁業の中心地として栄えた。

たくさんの観光要素を持ちながらもそれを活かしきれず、函館で一番歴史のあるホテルが全館喫煙でありいまだもって老人が支配している街であり、あれじゃ外国人来ないでしょって印象だったのを覚えている。

この晩に食べた料理、はっきり言って驚異的。何故ならこっちは全くの素人でありメニューのどれが美味しいかなんて分からないから適当に好きな食材を注文しただけなんだけど、出てくる料理すべてがもう見事。ありえないくらいに見事。

一体なんでこんなことが出来るのか?てことは、すべてのメニューが美味いってことか?そういうことじゃんか!すごいな〜。ただただ感激。

今までの店も花山も含めてすべてよかったけど、とくに今日のこの店、奥さんが「来年もここに食べにくるよ」って言わせるほどだった。

彼女は東京からここまでJRで6時間かかることを理解した上で、ただこの店で食う為だけに来ても良いと言ってるのだからその評価の高さが分かるというものだ。

子供二人も、普段はこういう「上品系」はあまり食べないのだが、りょうまくんなんか全然そんなの関係ねーって顔つきで「香箱かに」に齧りついて、食べ終わったかにの足の一本一本を更に口に入れてチューチューしてたくらいだ。

素晴らしいな、金沢。

でもって、ここ金沢で過ごしながら一つヒントが浮かんだ。日本の将来に明るい光が見えたのである。

それは政府が今後重点的に観光産業を伸ばしていこうと言う話である。

続きは明日。



tom_eastwind at 16:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月04日

金沢2日目 思えば遠くに来たもんだ

a9328b41.jpg思えば遠くに来たもんだ

今回の旅では雪に継ぐ雪である。苗場の雪はOKだけど、博多でも珍しく雪が降り、新幹線で金沢に着いたときにも綺麗な真っ白な雪が曇り空から燦々と降りてくる。

きれいだよね、この街。初日のお寿司やさん、紹介してくれたホテルのコンシェルジェ、そしてみちゆく人の優しい顔。

おお、これが古都なんですね。古くからの伝統ときっちりとした信念と上品さと、なんか空気そのものが上品だ。なんでか、お辞儀一つにしてもゆったりときっちりと嫌味なくってかな。

コンシェルジェの若い女性は和服姿でいろいろと説明してくれるんだけど、何よりびっくりしたのはお店の住所を書くときに机の引き出しからさらりと筆ペンを取り出して、その筆ペンで見事に綺麗な字でさらさらっと書き記してくれたのだ。

あとで部屋に戻って奥さんにその紙を見せると、奥さんも当然中国文化出身だから「うわ〜、きれいな字だよね」とびっくりしてた。

もしかして金沢のホテルでは綺麗な字を書くのも採用条件の一つなのか、それとも金沢の女性はちっちゃい頃から筆で字を書く教育を受けているのか、それくらい何の気取りもない綺麗な文字だった。

二日目は初日に行きそびれた兼六園に行こうか、それとも東尋坊と永平寺に行こうか、それとも五箇山に行こうかなんて家族で話してたんだけど、結局雪がしんしんと降っているので、じゃあいいや、今日は何もしない一日でいよ、ホテルでのんびりとお昼ごはん食べて後は雪でも見ながら部屋でゆっくり過ごそうってことになる。

でもって昼飯の後にまたもコンシェルジェに寄って「今晩もまた美味しいお店を紹介してください」とお願いする。

昨日とは違った担当者なんだけどきちんとこっちの名前を覚えてくれてて、緑色の和服をきちんと着こなした彼女が「それではこんなお店はいかがでしょう」と紹介してくれる。

奥さんと子供、とくに超うるさい竜馬くんが傍にいたので世間話になった時に「ニュージーランドからカニを食いに来たんですよ」と言うとこの女性、「ええ、今日は何もしないんですか、せっかくニュージーランドから金沢まで来てもったいない〜」みたいな感じの顔。

「ええ、まあ雪も降ってるし今日は何もしない一日にしよってことになったんですよ」と言うと、彼女は「ふ〜ん、やっぱりnihonjinじゃないんですよね、日本人だったら雪が降ろうが雨が降ろうが短い旅行の中で思いっきり決めたとおりの日程を消化しますからね」的なことを非常に上品な言い方で話してくれた。

うんうん、あれ?おれは日本人なのだが・。けどまあこれだけ長い休みを取る会社は、それだけでもう日本の会社とは言えないかもね。

けどその分普段はかなりハードに働いてますよ。だからこそ休みはたっぷり取るし雪が降ってる時に外に出掛けて寒い思いなんてする気持ちもない。むしろ「何もしないぜいたく」を楽しみたい。

その代わり「普通の日本人」のように昼間にだべって「昼休みは当然の権利」みたいに喫茶店に入り込む事もしないし、意味もなく仕事中にタバコ吸いに外に出て、タバコ吸っててお喋りをするのが秘密の共有みたいなこともしないし、第一残業もしないし。

だから勤務時間、てか基本的に仕事をする時は一気に集中して最高に効率の上がる方法で仕事を片付ける。昼間がそれだけ集中しているから、OFFになればさらっと頭を切り替えてバカ騒ぎ?をする。

日本人の仕事のやりかたを見ると、最初から「一日は24時間あるからその中で目一杯仕事を引き伸ばして長く働く事がよいこと」みたいな感じを受ける。

仕事そのものよりも、知り合いとだべってそれで薄っぺらい仲間作りをして傷を舐めあってそこにいない人間の文句を言う事で一日をだらだらと過ごして最終電車で帰ることがいいことだと思ってるような気がする。

海外旅行の添乗員としてお客様を連れてリゾートにいくと、ほんとに何もせずに一日ぼや〜っとビーチフロントのリクライニングチェアにゆっくりと坐って本を読みながら、近くにいるウエイターにジントニックを注文する外国人、主に西洋人を見かけたものだ。

あの頃は「彼らって、せっかく旅行に来ているのにどこにも行かないなんて勿体無いな」と思ってた。

けど今、自分が海外に住むようになってみると、彼らのONとOFFの使い分けの仕方が非常によく分かるようになった。

ONで働く時間を7時間と限定して一生懸命働くからこそ効率を求めるようになるし、だらだらと働く事でその効率を下げる事は、それは結果的に「わたし無能です、だから普通の人が7時間で終わるところを10時間かけているんです」ってなる。

日本人は効率的に仕事をして短い時間で処理するよりも、ぼんくらの仲間や上司と一緒にだらだらとつるんで長く働くことの方がすきなのか?なんて思わず考えてしまったりする。

自分が海外に住んでみて分かる事はたくさんあるが、その一つがTime is Money だろうな。

例えば100の仕事があるのを7時間で終わらせるのと、だらだらと引っ張って10時間かけるのとどっちが良いか?

これだけなら誰でも「7時間の方が効率的!」と言うだろう。けど仕事が100なのか90なのか110なのか、誰も査定のしようがないから結局分かり易い判断基準として出来るだけ長くオフィスに残るのがいいって発想になる。

その分休みが短くなるから、久々に休みを取るとあれもこれもと詰め込んで、結局休みが休みでなくなって休日疲れなんてことになるのだ。

金沢の二日目、真っ白な雪がしんしんと空から舞い降りてきます。う〜ん、思えば遠くに来たもんだ。


tom_eastwind at 03:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月03日

金沢初日

1cc3d027.jpg早朝6時30分に博多ウエストでうどんを食ってから金沢に向けて出発。それにしてもチェーン店でありながらウエストのうどんはやっぱり美味しい。

ホテルに泊まっていながらホテルの朝ごはん食べずに結局3日間続けてウエストでうどんの朝食を食ったくらいだから。

それも初日は僕が連れて行ったのだけど残りの二日間は家族が「朝ごはんはここ!」って決めてしまったのだ。海老肉うどんにおでんのスジを追加していなりやかしわご飯も注文して、それにしてもよく食べた。

こんな朝早くにチェーン店でうどん食ってから旅立った先は北陸の金沢。目的はカニ食い。

これがジャパンレールパスの良い点で、日本中何処でも乗り放題なので、博多の屋台を楽しんだ翌日は金沢で兼六園や冬の名物カニを楽しむ事が出来る。

約5時間の旅で金沢に着くとホテルにチェックインして早速カニ探し。なにせ1月2日なのでどこにカニが食えるか分からない。そこでホテルの人に聞くと、正月三が日に和服を着てサービスしてくれるコンシェルジェに地元の店を紹介してもらった。

最初は遠慮がちに紹介してて「タクシーで25分くらいかかりますが・・・」とか言ってたので、つまりかなり美味しいけど観光客が行くと「あれ?ここ、ジモティ向けジャン」と思われることを気にしたのかな、もっと上品な御茶屋とか割烹を期待していかれると、そりゃ違いますよってことなのだろうけど、じゃあ何でそんな紹介をするかって言うとやっぱり美味しいからってループなんでないか。

お、穴場じゃん、行かなきゃ、失敗したらその時と思いながらお店の場所を聞く。通常の座席は一杯でカウンターしか開いてなくて、カウンターは予約制ではないって言われて、さらに「普通の夕方だとまず座れませんよ」みたいなことを言われたので、遅い昼ごはんを終わらせたばかりなんだけど、そのままお店に向けて出発。

タクシーはお店の名前を言うと一発で「あ、あそこですね」。かなり有名なんだ。港に向けて走り、本当に港の中にまで車を乗り入れて、ちょっとどきどきしてたら港の反対側の古い通り、車がやっと離合できるかどうかってくらいのとこに古いたたずまいのお店があった。

時計は午後5時になってて、日が落ちたお店のガラスの引き戸をがらがらって開けて土間に入り、さらにもう一回ガラスの引き戸をがらがらってやって、これでやっと大きなカウンターのあるお店に入店。

「らっしゃい!」威勢の良い声でカウンターの料理人さんからあいさつ。お、気持ちよいですね、それにしても高い天井と言い古い木造と言い、そして先客の楽しく飲み食いしている姿を見ると、おお、良い感じである。

うちの家族は高級な雰囲気よりもむしろ家庭的でプロのサービスを好むので、こういう店だと着たい出来るかも。

博多の花山は常連だらけのお店であるが、ここ金沢のお寿司屋さん「宝生寿し」も同じような状況。てか、日本の田舎ってのはこうやって社会が作られているのではないかと思う。

1月2日の夕方の5時だってのに次々と常連さんが家族でやってきてお店の人に向ってにこっと笑い軽く腰を曲げて「今年もよろしくお願いします」から「今年もよろしゅう!」まで、それぞれの社会的地位、てかそのお店の中での階級に応じて挨拶し、お店の人も返礼をしながら「はい!何番テーブルへどうぞ!」とか「おう!今年もよろしくね!」とか、これって地域社会の世代を超えた繋がりだな。

地域社会の集会場、ではあるが、食い物が非常にうまい。博多花山も素晴らしく美味しい焼鳥やたいではあるが、ここは料理屋でありサシミ魚を食わせてくれるが、どれも「ほんとに1月2日?どこで魚獲って来たの?」と思わせるほどだ。

聞いてみると元々漁師のお店であり漁船を持ってたそうで、お店は魚を直販するための場所として作ったそうだ。昭和中期、いい時代ですね。

お店の大将に「どっから来たの?え?ニュージーランド?そうかい、最近は観光のお客さんもガイドブック片手に来るようになってんだよね」と話してくれた。

怖そうな顔だし何となく態度もぶきっちょだけど、田舎の人独特の「あれくいなこれくいな」ってちょっと押し付けるくらいの親切さが素直に伝わる。

いいよな、こうやって生まれた街で地元の友達とずっと過ごして生まれた街で料理屋をやって、食事に来るのも地元の人間で、一つの完全循環している社会の中で自分の立ち位置を持って自信を持って生きてる人。

彼からすればこの港以外の世界はせいぜい金沢市内くらいだろうし、東京なんて興味もない、ましてや海外なんて想像もつかない、そんな感じなんだろな。

こういう人は都会の人がぼくら家族に向って「ええ!海外に住んでるんですか、いいですよね〜、ええ!英語も出来るんですか、すごいですね!」みたいなことは一切言わない。

だって自分の住む地域社会で充分満足して生活をしているんだし、他人の生活を尊重することはあっても羨ましがる必要はない。

博多の花山の大将もそうだったけど、ここの大将もからっとした自信を持ってて堂々としている。彼らにとっては為替がどうなのか、米国や中国がどうするか、政府がどう仕掛けてくるのか、なんてのはどうでも良い。

毎日一生懸命働いていれば間違いはない、そう信じて生きてるんだと思う。

だよね、どんな時代でも真面目に一生懸命地元社会の中で自分の立ち位置をきっちりと理解して生活をしていれば、いつの時代でも生きていけるんだよね。

「博多花山」についでこの「宝生寿し」、新鮮な料理ときっちりとした職人さんの腕で、これでお父さん、家族にまたちょっとクレジットポイント取れたかも。



tom_eastwind at 02:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月02日

フランクシナトラ

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スーザンボイルよりもフランクシナトラ

年末という事で奥さんはチャンネルをかちゃかちゃやってたらスーザンボイルが歌ってた。

去年後半にずいぶんと人気が出てCDも売れてよかったねとは思うけど、ちょっと日本人、盛り上がりすぎではないかと思う。

まともに聴いたのはこれが初めてだったのだが、ちらっと歌を聴いてたうちの娘、さらっと一言「フランクシナトラの方がずっとうまいじゃん」って言い捨ててゲームを再開してた。

僕としても似たような感想である。

もちろん下手ではないけれど、今回の人気は歌がうまいって事よりも「あんな女性がこれだけ素晴らしい声を出せるとは思わなかった」と言う「びっくり感」が人気を底支えしているんだろうし、もっと言えば「あいつ、ぶすだよね」と言う優越感が先にあり、歌がうまい彼女を評価することで自分が「弱者にも優しい良い人」と勘違いしているんじゃないかと思ったりもする。

つまり歌そのものに対する評価と言う感じがしないから嫌なのだ。

ニュージーランドではある程度実力がある歌手は大体英国に移って世界に向けて羽ばたいてる。古い歌手ならばキリテカナワだし最近ならウエスティンラだろう。

この二人はCDだけで売れた。とくにウエスティンラなんてどんな顔かどんな姿かなんて関係ない、テレビ広告で聴いた人がびっくりして「あれは誰だ!」と言う形の評価を受けたである。

つまり純粋にその「声」が評価されたのだ。そして同じくらいの実力があってもなかなか評価されずにちっちゃな喫茶店で歌をを歌い続けている歌手もいる。

そんな中でスーザンボイル程度の実力であれだけの評価をされてしまっては、個人的に「ふざけるな」と言う気持ちになる。さらにそれを日本のテレビ局が「上乗せ」して電波に乗せ、電波信仰人種がさらに喜んで最初に書いたような「わたし、良い人〜」と思い込むことを知っている番組制作側のずるさが頭に来る。

まあ元旦からお笑い芸人の顔に泥をひっかけてお茶の間を笑わせようとしているバカ番組が働いている業界なんだから、笑うほうもバカだけど笑わせようとするほうもバカであるので何もいう事はないけど、スーザンボイルを下手と言うわけではないけれど、売れて良かったねとは言いたいけど、う〜ん、なんかこんな流れになってしまうと好きになれない。

そんな時はフランクシナトラでも聴いて古きよき時代を思い出してみたい。あ、もちろんフランクシナトラだってマフィアに支えられた部分はあるのは知ってますよ。それでも彼はエルビスプレスリー並みの実力があり、びっくり感でスターになったのではないのは間違いない事です。





tom_eastwind at 04:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年01月01日

元旦

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いろんな雑誌で2010年の経済や政治の行く先を予測している。週刊ダイヤモンドや週刊東洋経済などは特集を組んで様々な問題を取り上げている。

今年の参院選挙がどうなるのか、民主党がどう動くのか、世界では二番底が来るのか、日本経済は復活するのか、などなど。

ちょー大変だったリーマンショックで大きく振り回された2009年が終わったけど、2010年は安全かって言うと全然そんな事はない。

むしろ2009年が転回点としてこれから数年の間、すごい事になるのではないかと言う気がする。

日本が世界との関わり、特に中国と米国との関係を中心として大きく激動しようとしているのに肝心の日本人は鎖国状態を希望していると言う状態である。

こんな時ってのは本当に激変であり大嵐の中で太平洋のど真ん中で振り回されている小枝のような個人にとっては、とにかくこの大嵐を生き残るしかない。

その為にはかなり冷静に周囲を見渡して次に何をするのか今までの常識に囚われずとにかく次々と技を繰り出していくしかない。そして技を繰り出すためには常に目を開いて新しいものを学び実務にまで落とし込んで技にするしかない。

既存の技術が通用しない時代なのだ。

けどこれはいつも言われることだけど、ピンチはチャンスであるのも間違いない。

日本語でチャンスって好機と一般的に言われているけど、英語ではチャンスは「偶然」でしかない。だからチャンスは危機にもなり好機にもなる。

偶然は、「何もないかもしれないけど、ムダになるかもしれないけどそれでも毎日一生懸命努力している人間」が偶然通りと幸運通りの交差点で本当に幸運に出会ってそれをモノにして得る為の機会である。

幸運は何も努力してない、期待もしてない人には決して降りてこない。何故なら何もしない人は幸運が目の前に来ても見えないからだ。また幸運が来ても掴む事が出来ないからだ。

2010年をどう生きるか。機会をどう生かせるか?活かせるためには何を学ぶのか?今ならまだ遅くはない。けど、一年後に「まだ遅くない」と言えるかどうかは分からない。「その時」になって後悔しても遅いのだけは明確である。

ほんっと、今年はやばいっすよ。激動します。

写真は箱崎宮。花山さんのあるお宮です。正面にかかっているのは「敵国退散」。元寇の時代の代物です。あの時代も祈っているだけでは誰も救ってくれませんでした。自分で前に出て戦った人だけが「大風」と言う幸運をつかめたのです。


tom_eastwind at 04:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌