2010年07月

2010年07月31日

英語が上手と言われたら

「あなたは英語が上手だといわれたら、内容は乏しいといわれているのと同じだ!」

河野太郎自民党議員のブログ「ごまめのはぎしり」にあった言葉だけど、結構納得のいく言葉。そうなんだよね、英語はあくまでも自分の気持ちを伝える為の手段なんだけど、伝える中身が空っぽであればどれだけ綺麗な発音でも無意味である。

ましてや、発音デタラメ内容空っぽでは、誰も話を聞かないだろう。

国際会議で議長が一番悩むのは、どうやってインド人を黙らせてどうやって日本人に話をさせるかだそうだ(笑)。

ジョークとして言われているのだけど、日常生活をしていても確かにインド人を黙らせるのは大変だとよく思う。

同時に日本人が国際会議であまり話をしないのも事実である。けどそれは英語が出来ないからってよりも話す内容がないからの場合が多いような気がする。

どこかの省庁から国際会議に出席した役人でも、自分たちのやっている事が世界標準で考えればどう見ても意味不明であり、それを黙って仕事としてこなして疑問を持たずに会議に参加してみれば、確かに会議の間中に喋る事が出来ないのも当然であろう、だって他人に説明出来ないバカな事ばかりやっているのだから。

「もっと英語が出来ればな〜」と悔しい思いをする人は英語の勉強をすれば良いのだが、英語以前の問題で会話そのものが出来ないとなれば、これはもう日本語からやり直す以前、てか、人格形成の問題になっていく。

自民党の中でも河野太郎はかなり変わった人材でありながらも家柄は一流である。つまり優秀な血を引き継いでいてスタートラインからすでに他の議員より優位に立ちながら、更に個人としての能力も非常に高いわけだから、今後の政局によっては総理大臣になってもおかしくないだけの器だ。

様々な国際会議に参加して是々非々できちんと会話をしていく新しいタイプの政治家である。

その彼がある国際会議で日本政府の国際支援について他国からの参加者(つまり日本の支援を受けている国)に対して「日本の国際支援は一部独裁国家の支配者のポケットを潤わせたり日本の一部政治家が利権を漁る為にどこかの国に橋を作ったりする事ではない。これからは皆さんが自分の国を成長させようとしたら自分でどうにか考えていくような仕組み作りが必要です」と話をしたのだ。

彼の英語がどれほどの実力か知らないが話の内容はまさに爆弾並みの強烈な趣旨であり、これを聞かされた方は彼の英語力よりもその実行力の方に自然と向くだろう。

民主党が目玉政策としてやっている「事業仕分け」も元々は河野太郎が自民党政権時代に始めた事業である。

ことさらに英語に拘って中身のない発音を学ぶよりも、世界の中で自分が日本人としてどのような意見を持っているか、今世界で起こっていることに対して何をどう語れるか、彼のブログを読みながら再度考えてみた土曜日だった。




tom_eastwind at 14:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月30日

逃げられるものなら逃げてみろ

★抜粋開始★
海外に逃げられると思うのなら、どうぞお逃げください
どうやら、税率が高いとお金持ち(個人だけでなく法人も含めて)は海外に逃げると本気で思っている方が多いようです。金融日記の藤沢数希氏が「人や会社が日本を捨てて税金の安い国に出ていくのは真に愛国的な行動である」というエントリーで「人口が減ってマーケットが縮小し、圧倒的に高い法人税、懲罰的な高額所得者に対する所得税を科している日本からは遅かれ早かれ優秀な人材や会社は出ていくだろう。」と述べられています。しかし、海外に出ていくというのは容易なことではありません。
以前も同様のことをエイベックスの松浦社長が海外に逃げるとつぶやいた件で「エイベックスの松浦社長は所得税の累進性が強化されれば海外に行くらしい」というエントリーを書いたのですが、海外に逃げるというのは簡単じゃないのです。正直、いくら高税率でも税金をまじめに払った方が安上がり(もっと頭の良い人は租税回避をしますが・・・)ではないかと思えるくらいです。以下、企業や個人は本当に海外に逃げるのか、そして海外に逃げる方法を検討してみましょう。
http://d.hatena.ne.jp/Galileo2010/20100722/1279754816
★ 抜粋終了★

ガリレオと言う方の7月22日付けブログで書かれていた。興味があったので全部読んでみてそれに対する賛成反対のコメントも読む。

ふむふむ、面白いな、けどちょっと移住の現場を知らない人の話だなと感じた。いや、言ってることはそれなりに日本の意見の中でも中心部分を占めていて間違いはないと思う。

実際に海外に行って仕事はあるのか、現在の日本の税制では海外に出ても逃れられない部分がある、ふむふむ、それもごく真っ当な推測である。

実際に海外に移住する人は日本人全体から見れば圧倒的に少ないのだから、このような意見は霞ヶ関でも普通に語られているのだろう、「日本人が日本から出て行けるわけないじゃん」。

ただ問題は、日本人が海外に出るだけの英語力も能力もない状態に追い込んだのは一体誰なのだってことだ。

お隣の韓国では多くの人々が積極的に英語を学び海外に出てサムソン製品を世界中で売りまくり、いまやニュージーランドでもテレビ売り場の一番良い場所を占めるのは常にサムソンである。

2009年のサムソン電子一社の純損益は7,300億円、ところが日本の電機業界すべてをひっくるめても1,000億円もない。

そのサムソンを支えるのは優秀な韓国の若者でありやる気でありそれを育てる国家体制があったからだ。

1990年代後半まで韓国映画を日本人が観る事は殆どなかったが金大中政権の時代に映画産業を国家として育成して現在では「韓流」としてアジアでも人気なのは誰でも知っている。

同じ時間をお隣で過ごしながらこの体たらくな日本にしたのは一体誰なのだ?医療、教育、治安、社会保障、どれを取っても自分の省益だけを考えて全体を考えない霞ヶ関の連中と、彼らを使いこなせない目先の選挙しか見てない政治家ではないか。

韓国や中国からは多くの移民が世界中に飛び出して異国の地で独立して頑張っている。そんな彼らの「谷底から這い上がる」ような努力する気持ちと「海外でも通用する精神的強さ」は、日本人だけ何故持っていないのだ?

答は簡単で、日本人をそのような腑抜けにしたのは日本の政治であり霞ヶ関である。腑抜けの方が政府としては制御しやすいからだ。賢い連中が増えれば自分たちの生活を脅かすと考えている一部支配階級の企んだことである。今はそのツケがそのまま日本と言う国に大きな影響を与えているのだ。

まあそんな事を言うよりも、折角なのでもうちょっと現場の意見を伝えておくと(法人の移住は別の場で書くとして)個人であればその気になれば移住はそれほど難しくない。移住の方法はたくさんあるのだが、一般的な日本人は言語や習慣の壁を乗り越えてまで移住は不要と考えるだけだ。

じゃあ具体的にどんなのがあるのかと聞かれても100人いれば100通りの移住方法がありますとしか答えようがないが、もしあなたが若くて真面目で健康できちんと働くのが好きで家族がdaisukiで周囲や親戚の理解が得られる状況にいるなら、ほぼ間違いなく移住出来る。

移住の場合の一番のポイントは英語力だが現地企業で2年ほどワークビザで働けば英語テストは免除される可能性が非常に高い。現地企業でワークビザを取得して仕事を得る方法は、あなたにそれなりの能力があれば、これもある。

勿論企業の表のドアを叩いても開いてはくれないが、実はどこの企業でも優秀な人間なら欲しい。けど労働法の問題で簡単に募集広告を出せないので経営者同士が水面下で情報を交換しているのだから、その環の情報さえ取れればいける。

難しいのは移住して最初の2年程度を凌ぐだけの資金を用意出来るかである。4人家族で一年目は400万円程度、2年目は300万円程度、合計して700万円程度の資金は必要となる。

この資金は実際には給料が入るけど、どうしても最初の年は貯金を切り崩していくしかない。賃金が生活費をカバー出来るような損益分岐点に戻れるのは、仕事を始めてから大体3年くらいして生活が落ち着いてからである。

夫婦二人だけで子供がいなければ、二人で働けばこの国の最低賃金は1時間12.75ドルで1年間2000労働時間と計算すれば一人が税込みで25,500ドル、税引き後は20,400ドルなので二人で40,800ドル。これだけあれば夫婦二人なら生活出来るので4人家族のような大金は不要である。

また支出の半分くらいは家賃なので、もし出来るならあなたが両親や親戚に「お父さん、あなたのお金を年利3%で運用しますので貸してください、担保は私が買う家です」とお願いすれば良い。

その資金でベッドルームが5つある一軒家を買って、3部屋を学生に貸す。こうすれば家賃収入が一週間で約350ドル程度になり、52週間回せば年収18,200ドルになる。これを原資として両親に利息を払えば良い。これで生活費は賃貸生活の半額で収まるようになる。そうすればお父さんの給料だけでも何とか初年度からやっていける。

今の団塊世代はお金を結構持ってる。将来が不安だからと使わないだけであり、子供が腹を括って移住を決心すれば後押しする為にも資金を出すだろう。出さなければあなたと親族の関係はその程度ってことだ。

移住の方法が「ない」わけではない。これもさっきと同じで「知らない」だけであり「ない」のではないのだ。

またある程度資産があり相続税は日本で納税する必要があるって話でも、そこまでは正しい。けど海外で相続手続きをしてしまえば無税である。親子が揃って海外で5年以上生活をすれば海外資産については無税で相続出来る。

ただ両親揃って海外に5年も生活出来るかどうかであり、そこまでの手間をかけてでも守りたいだけの資産額かどうかの問題だ。相続税については資産額によるが海外相続と言う手続きを取ればかなりの確率で合法的に無税となる。なぜ「かなりの確率」と書くか、それはあなたの得た収入の源泉によるからだ。

これ以外にも日本を源泉とする収入と言う話もいかようにでも対応の方法はある。何故日本にある外資が大儲けをしても殆ど税金を払わずに海外に利益を移転させているかを考えてみても分かる事だ。各国の税務に関する法律をしっかりと勉強すれば合法的に出来る方法はある、けど普通の日本人は知らないだけだ。「知らない事」と「ない事」は違う。

ただし、移住の理由を税金だけに求めるなら、そして自分の収入が会社から貰う給料だけなら確かに移住する必要もない。日本国内にいる限り少なくとも飢え死にすることはない。

何故なら一般サラリーパーソンが餓死するような税制にしてしまうと餓死した人間から税金を取り立てることが出来なくなるから「苦しいけど何とか生きていけるぎりぎりの税制」を構築するのだ。

そして多くの日本人は、ぎりぎりだけど何とか食っていける生活ならそれでいいや、日本の方が過ごしやすいもんねと考えている。それも一つの生き方である。

もう一つの生き方は最高に楽である。今の若者向けであるが、どうせならネットカフェ難民なんて止めてコンビニで弁当を毎日かっぱらいながら日本中のホテル(クレジットカード提示不要ね)を泊まり歩き、これを逮捕されるまで繰り返せばよい。

軽い犯罪を何度も犯せばいずれどこかで逮捕されて、それからは苦労せずに毎日三食+清潔なベッド付き酒なしの健康的な生活が死ぬまで保障される、おまけに夜は見張りまでしてくれる。ほら、一度も働かなくても納税しなくても食っていけるじゃんか。まったく有難い国だ。


「逃げられるものなら逃げてみろ」はい、では逃げます。

tom_eastwind at 16:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月25日

アジアの隼 黒木亮

この本は「トップレフト」とは違う意味で更に“はまって”読んでしまった。この本の主な舞台は1990年代の香港とベトナムのハノイ、そしてパキスタン。

そして主な主人公はアジアの隼と呼ばれた「ペレグリン証券」(1998年に倒産)のアンドレ・リー、同じく1998年に倒産した長期信用銀行ハノイ支店のプロジェクトファイナンスマネージャー。

勿論そのストーリーの進み方は実に良く出来ており取材だけでなく実際に自分の足で回った時の記録を付けていたのだろう、時代背景や街の雰囲気、街の裏道のどぶ板、その一つ一つがかなり明確に書き込まれていて、東南アジアの旅行記録としても充分に読み応えがある。

しかし僕が個人的に“はまってしまった”のは、実はこの場所と時代設定。

1991年から1996年まで僕は香港で昼間は日通旅行のセールスマネージャーとして日本人の中でどっぷりと、そして夜は一切日本人を見ることのない香港人の中で生活をしていた。

朝会社に行くときは穴の空いたぼろいジーンズに運動靴、夏はTシャツで冬は迷彩模様のジャンパーと言う、いかにも香港人らしい格好。冷房もないぼろぼろの2階建てバスの中では座席で足を突っ張り出している香港人の足を蹴っ飛ばして広東語でバカヤローと怒鳴る。

会社に着くとロッカーの中にいつも入れてるスーツとネクタイ、それに革靴を引っ張りだして日本人ビジネスマンの出来上がりである。この格好で社用車に乗り取引先に営業に行き、「いや〜、香港の生活は大変ですな〜」などとお客様と話を合わせて、夕方仕事が終わればまたロッカーでジーンズに着替えてスターフェリー桟橋へ。ここで目つきがまた香港人系になる。

フェリー桟橋の船着場の右側にあるテイクアウェイ中心のお店、美心(マキシム)で鶏腿肉を一本とサンミゲルビールを2本買ってフェリーに乗り、地元民に混じってビールと鶏肉をぱくつきながら、夕陽の沈むビクトリア湾の美しさを眺め、その後はまた汚い2階建てバスの2階の一番前に腰掛けてネオンの輝くネイザンロードを楽しんだものだ。

日本語を使うのは取引先にいる時とオフィス内で日本人と打ち合わせをする時のみ、後は香港人として生活をしていたので両方の人々の考えていることがよく分かった。

駐在員は僕の事を日通の社員として見ているから思いっきり彼のオフィスの香港人スタッフの悪口や香港の愚痴を言う、そしてにやっと笑ってお互いに大変ですな〜と仲間意識を確認しようとする。

香港に住む日本人の殆どは駐在員であり常に東京を見ながら将来の出世だけを考えて仕事をしていた。

つまり目先の売上よりも東京で作られたルールを守ることが第一であり現地事情なんて関係ない。折角香港まで来れたのだ(当時の香港は優秀な社員が送り込まれていた)、下手にリスクを取って仕事をして失敗すれば減点主義の人事部でバッテンを出されてそれ以上の出世が出来なくなる。

だから香港人スタッフには日本ルールを押し付けて無意味な書類を作らせて手間ばかりかけて結局そんな書類もムダになるのがしょっちゅう。そんな日系企業に愛想を尽かせた真面目で成長思考の香港人スタッフはすぐ欧米系の企業に転職してそこでばりばりと働く。

または日系企業を「こりゃ美味しい!」と思って上司が英語もろくに出来ず広東語は全く出来ずに現場の仕事を見ていないのを良い事に取引先と組んで思いっきり会社の金を横領しまくる。そうやって倒産した会社の一つがヤオハン香港である。あそこの香港人バイヤーは皆ベンツを運転していた、上司が地下鉄で会社に通っているときに。

そんな日系企業だから実はあまり会社の利益など考えずに保身に走り何かあればすぐに東京にお伺いを立ててたから香港人ビジネスのスピードに勝つわけがなく次々と不良債権を掴まされたり大損させられたりしていた。

大京観光が香港の不動産を高値で掴まされて安値で売却せざるを得なくなり、そこを買い戻した香港の企業はその不動産を更に他の日系に押し付けて何度も美味しい思いをしていたものだ。

本書は日本企業の社員が東京でなくて現地を見つめてベトナムの発電所計画に取り組み、時には本社の指示を無視したり社内規定を違反しながらシンジケートローンを構築していく過程を描いている。

個人的になるが、実は本書の主人公である長期信用銀行の出張の手配は殆ど全て当社で行っており担当者も支店次長もよく知っている。更に副主人公格となる住友商事の入居しているビルなど、日通旅行もまさにその住友商事のオフィスの一角を2年ほど借りて住友商事の手配もやっていたので当時の統一中心の場所を描く場面も懐かしい。

本書のもう一つの舞台であるパキスタンに出張する日銀理事の出張の手配もうちで取り仕切っていたが、当時はインターネットが今ほど発達しておらず、パキスタンのような都市への出張はカラチ空港へ迎えの車を時間通りに到着させるだけで至難の業であった。

1990年代前半の香港と長期信用銀行。ベトナム直行便、パキスタン、どれを取っても当時の景色や街の匂いやあの頃が思い出される。

ぼくが住み始めた当時、香港は返還前景気と呼ばれてハンセン指数は毎日ぐんぐん伸びて従業員の給料は毎年10%以上賃上げで日本の証券会社や銀行も進出して、香港で利益を稼ぎ出そうとしていた。

しかし当時の証券会社でまともに香港で利益を出せたところはなく、それから数年のうちに30数社あった証券会社は数社にまで縮小した。所詮判断の遅い日系企業は地元証券会社の敵ではなかった。

日系銀行は主に外国に進出する日系企業のお手伝いとして活動して中国やベトナム、パキスタンに進出する企業の応援を行い、どこもそこそこに頑張っていたが、銀行も遂にバブル崩壊による不良債権処理という問題を抱えて本社の土台骨が揺るぎ始め、銀行も次々と香港から撤退していった。

僕が香港を離れたのは1996年。香港はまだ元気があって、「来年はもっと稼ぐぜ!」そんな雰囲気が満ちていた。日通旅行アウトバウンド部門の売上もアジア景気に合わせて右肩上がりに急成長しており、仲間からは「何でこんな絶好調の時に辞めるんだ、来年はもっと給料が上がるのに」とも言われた。

その頃は誰もが、明日は今日より儲かる、来年は今年よりも良い年になる、そう信じて疑わなかった。長期信用銀行の人々はまさか2年後に自分の勤める銀行が倒産するなんて思いもよらなかったし、そして日銀の理事は、自分がまさかそれから数年後に逮捕されるなど思いもよらなかったのは当然だ。

そんな時期ではあったが、そうは言ってもうちの奥さんが決めたことだから一切の反論はあり得ないわけで、ぼくは1996年7月にオークランドに渡った。

そして1997年5月14日、タイ最大の金融会社「ファイナンスワン」の倒産によりアジア危機が始まった。バーツの大幅切り下げ、インドネシアリンギの切り下げと通貨危機はアジアを飛び火しながらペレグリン証券を焼き尽くした。

1997年に三洋証券、拓銀、山一證券と次々に倒産して日本の長期にわたるデフレ不況が始まったその翌年、長期信用銀行も国有化された。

あの頃お付き合いのあった人たちは、今頃どこに散らばっているのだろう?世界の外銀で頑張っているのか、それとも日本で「もう金融はいいや」って全然違う業種で働いているのだろうか?




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tom_eastwind at 14:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2010年07月24日

トップレフト 黒木亮

実はこの本と、これに続く「アジアの隼」がしばらくブログを書けなかった理由。もろにはまってしまい、読み終わるまで他の事が手につかなかった。

日本人が持つ構造的な限界と同時に日本人が持つ無限の強さ優しさの両方を、日本人が西洋の視点から小説として作り上げている。

舞台は英国を中心として中近東に広がる国際的プロジェクトファイナンスビジネスの話だ。

日本では大手銀行でありながら世界のプロジェクトファイナンスでは鼻にもかけられない一流都銀ロンドン支店のファイナンスマネージャーが活躍をするのだが、どこまで行っても日本の壁を抜ける事は出来ない。

結果的に海外で外国人相手に活躍しようとする日本人の足を、日本国内で上司のゴマすりばかりしている連中が引っ張るという図式になっているのが今の日本である。

例えば米系投資銀行が狙いをつけて主幹事行になる為にありとあらゆる策略を練っている間に邦銀のロンドン支店では数ヶ月先にやってくるであろう頭取の、泊まるホテルの部屋のタイプから始まり料理の好き嫌いを考えて毎晩のレストラン選択を3つくらい準備、予約しておき、頭取が麻雀をするとなると同じホテルに麻雀部屋を用意して日本から持ってきた麻雀卓を並べて支店で麻雀が出来る社員を夜遅くまで待機させる。

邦銀と外銀にこれだけの差が出たのは護送船団方式という事もあるだろうが、やっぱり最後は所詮頭取になれる人間は社内のゴマすりが上手くて、自分が頭取になったらこうしてもらいたいと言う事を実際にやってもらって喜び、自分の眼に叶った人間が次の頭取になれるという、つまりバカの系譜である。

日本も1980年代までは皆が一丸となって戦ってきたのだが、その果実の上に座り込んで手放そうとせずに、しかし自分では何の責任も取ろうとしなかった金融界の罪は重い。

しかしそれはある意味日本の縮図であり、ここで金融界だけをせめても意味がない。日本が全体として総論賛成各論反対、無責任意見続出の挙句に長老の一言ですべてが決まってしまう、そのシステムが日本全体に染み込んでいるのだから。

だからこそこの金融マンはそこに日本人としてどう解決のしようもない悲哀を感じてしまう。

しかし同時に、米国系の相手を食い潰すビジネスモデルは根本的に間違っている事は小説を読む中で感じていく。そして日本人が持つ「お互いに成長しよう」「相手の笑顔がこちらの報酬だ」と言う、本当の意味でこれからの国際社会を成長させる一番の源泉を持っているのが日本人だとも描いている。

金融が舞台で難しい言葉も多いが、巻末に英語と日本語訳を入れてもらってるので、英語の勉強にも役立つ。これから海外で生きようとする人には必須の一冊であろう。

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tom_eastwind at 14:35|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 最近読んだ本  

2010年07月23日

自分の市場価値

ここ数日書いてきた事は世界から見ればごく普通の事である。人はさすがに自分が生まれてくる時期を選ぶことは出来ないが、どこで生きるか?どうやって生きるか?何を武器とするか?は自分で決められることだ。

日経ビジネスオンラインで河合薫という人が実に興味深いことを書いている。長くなるけど抜粋してみる。

★抜粋開始★
世の中で最も怖いことの1つに、自分を知る、ことがある。自分の市場価値、と言い換えてもいい。
 「長いこと1つの組織でずっと過ごしてくるとね、だんだんと自分の市場価値みたいなものが分かってくる。まぁ40代後半から何となくそれは分かってくるんですけど、まだね、その時はかすかな光みたいなものが見えるわけ。でもね、さすがに50代になるとそれが全く見えなくなる」

 「可能性がなくなるっていうのは、結構しんどい。気がつくと組織にしがみついている自分がいてね。若い時にはそういう上司たちを見て、格好悪いなぁと思っていたのに。トホホですね」

 先日、経営者層を対象に「生きる力の強い部下の育て方」なるテーマで講演した後の懇親会で、大手広告代理店の部長という男性が苦笑しながら、こう漏らした。
 「可能性がなくなるっていうのは、結構しんどい」とは、どうやら出世も含めた自分への可能性を言っているようだった。「ひょっとしたら部長くらいで終わってしまうかも」というのと、「これ以上は到底無理。部長止まり。役員にはなれない」というのとでは明らかに違う。限りなくクロに近いグレーが、完全なるクロだったと悟る年齢。それが50代、ということなのか。

 「40代の頃にはね、全く感じることのなかった感覚ですよ。50代になるとね、どういうわけか自分に自信が持てないことが多くなる。何ですかね、これって。こういうことって普通なんですか? 部下に“お前ならできる!”って言葉をかける前に、僕が誰かからかけてもらいたいよね〜。“お前ならできる!”ってね」

 「人間の働きのメカニズムの中で、自分を信じることほど、大きな力はない。“お前ならできる!”と、自信を持てない部下の背中を押してやってください」。私が講演で話したことに対して、その男性はこう言った。

 私はまだ40代だし、1つの組織にずっといたことはないので、彼の気持ちの真理をまだうまく理解することができない。でも、「自分の市場価値はたいしたことがない」と気がついた時の、やるせなさ、だけはよく分かる。
★抜粋終了★

やるせなさ、ね。

今回の日本出張でもいろんなところで言われたのは「そりゃtomさんだから強くいえるんですよ、日本ではそんな事言ったらビジネスになりませんよ」

しかしその結果として会社人間になって会社内の価値観しか理解出来なくなって、それでその人は幸せなのだろうか?たぶん幸せなのだろう、その会社にい続ける限り。しかしそれはビジネスの論理でない事は明白だ。

韓国のサムソンが強い会社になった理由の一つに、徹底した公平人事、学閥や派閥を一切認めないし作らせない企業文化がある。

その理由の裏側に興味深い話があった。それは韓国では儒教が徹底しており年齢での上下関係が厳格に守られている。つまり徹底した能力人事の為に、年上の社員が部下になり年下の上司に仕えねばならなくなる。

ところが韓国ではそのような事は恥ずかしくて耐えられないから、自然と能力のない年上は辞めていくのだそうだ。

こうして能力のない者、時代についていけない者は自然と振り落とされていき、残るのは年齢に応じた優秀な能力を持っている人々と言うことになる。

サムソンにはすでに終身雇用制度はないから会社にしがみついて何とか年下の上司に頭を下げて定年まで給料を貰おうという発想は出てこない。

つまり自分を強く持ち、どこの会社でも自分の労働価値を認めてもらえるように社会の常識で行動をする、決して会社の常識では行動しない。こうする事で自然と「能力と可能性のある労働価値の高い社員」が出来上がるのだ。

実はオークランドの日本人社会にも労働価値のない悲哀な連中がわんさかいる。

外国であり注意を出来る立場の人(両親や兄弟とか恩ある人とか)もいない彼らは、自分たちが蛸壺にはまったタコである事に気付かず、一生懸命「おれさ、あの時さ、実はこうだったんだよ」などと古い仲間と昔話をしてへらへらとしているが、決して何かを学ぼうともしないし時代が変わったことを認めようともしない。

結局自分が何の価値も作れないままに人生をムダに過ごしてしまった結果は、やっぱり自己責任でしょう。ここで「お前の気持ちは分かる」とか甘やかす必要はないし事実を指摘するしかない。

オークランドである銀行のプライベートバンカー担当者と話す機会があった。そこでの雑談でぼくは「日本には自己責任という考え方がないんです」と言ったらその人、びっくりして「こいつ一体何を言ってるんだ?」みたいな眼でこっちを見返していた。

「自己責任が世界の標準なんですけどね、実際には日本では皆が内に篭って仲間内で慰めあってるだけで誰も責任を取ろうとはしないんですよ」

過労死と無責任、自殺と家庭崩壊が両立する、世にも不思議な国の話である。



tom_eastwind at 14:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月22日

食料⇒安全保障として

どこの国に住むかは本人の自由である。しかし現実的に生きていくうえで必要な物がある。それは食料と水である。

あふぉかそんなもん当然だろって思うだろうけど、食料自給率40%の国がもし食糧輸入出来なくなればどうなるか?

いろんなシュミレーションが出ているけど、本当にそうなったら一日一回の茶碗一杯のご飯と芋が一個だそうだ。

それほどに今の日本では食料を輸入に頼っている。ところが同時にコンビニで売れ残った弁当を捨ててみたり随分とたくさんの食料を廃棄しているのも現実だ。

食料の送り元は米国と中国だが、両国とも食料を安全保障政策の一つとして捉えている。つまり自分に敵対する国には食料を売らないよって言えるのだ。

現実にそんな事、起こるわけないじゃん!多くの人はそう思うだろうが、現実には日本は60年前に米国と戦争をして食糧危機に陥ったわけで、海外に出た日本軍の死者の多くは飢え死にである。まあこれは戦争を率いた連中がバカばかりだったのも理由ではあるが。

ところが戦争真っ最中でも米国軍は毎日ビーフステーキを食べてアイスクリームをデザートにしていた。

戦後の日本では鯨を普通に食べていた。ところが鯨はでかいし栄養もあるし日本の伝統的漁法で適正数も確保されている。

そこで米国は困った。ありゃま、これじゃあ米国で作っている牛肉と穀物を日本に売れないじゃないか。

そこで米国は食料メジャーを使って仕掛けてきた。まず日本の動物に与える飼料を米国産の穀物に切り替えさせた。そして日本人が米ではなくパンを食うように仕向けた。

次に日本人に、魚ではなく牛肉を食わせるようにする為に米国の映画やテレビを通じて普通の米国人がでかいステーキを食う場面を見せ付けた。

そして最後に鯨を食わせないようにする為に仕掛けてきたのがグリーンピースである。

米国メジャーの名前はカーギル。世界一の非上場企業であり従業員は4万8千人と言われているがその実態は米国の食料安全保障と密接に結びついており、ブッシュ家もこの会社の取締役になっている。

この会社がグリーンピースを裏で操り資金を提供して鯨を食えないようにしており、彼らのキャンペーンに乗せられたバカどもが「鯨を食べるな〜」とやっているのだが、同じ日本人でさえもそのキャンペーンの欺瞞に気付かずに本気で「鯨がかわいそ〜」とやっているのだからどうしようもない。

食料と水が大事である事は当然だが、その食料を安全保障戦略として日本を輸入国家にさせた米国の手口は凄いが、結果的に日本が輸入なしでは食っていけない国になったのも事実である。

全くどこまで他人に騙されたら気が済むのかって思うくらいだけど、更に問題なのが為替である。今は日本円が一時的に強くなっているが国家財政はすでに破綻しており一番の問題は今後の為替と日本国債である。

日本国債と言ういつ弾けるか分からない恐ろしい時限爆弾を抱えているのだが、これが爆発すると一気に日本経済が崩壊して日本円が異常に弱くなり1ドル500円くらいになると、今まで100グラム200円だった輸入牛肉が1000円になり、輸入牛肉さえも食えなくなる。

食料だけでなく原油価格にも影響が出てくるわけで、要するに輸入国家の一番の弱点である為替が外国人投資家によって振り回されるわけであり、こんな不安定な要素を抱えたまま日本はまっしぐらに食糧自給率を減らして鯨まで食べないようになって自分で自分の首を絞めているのだ。

つまり食料安保と言う米国の戦略に上手い事嵌められた現状は決して安定していると言いがたい。食料を自前で調達する国への移行が大事だけど、それを今からやって米国が「はい、どうぞ、ご自由に」と言ってくれるわけもない。

もちろんこのまま一生自給率が低いままに米国に頭を下げて白人崇拝をして彼らに貢いでいる限り、彼らだって金の卵を生む鶏を絞め殺すこともない。

自分の子供が米国の為に卵を産むだけの動物に成り下がってしまってもよい、眼をつぶって何も考えなければ良い、それならこのままでも充分だろう。





tom_eastwind at 14:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月21日

言語 何を学ぶか?

どこに住むか何をするかはゆっくり考えて良いのだが、言葉は早いうちに学んだほうが良い。そのほうが苦痛が少ないからだ。

けど、じゃあ何語を学ぶのかとなればアフリカの少数民族の言葉を苦労して覚えてもビジネス的にはあまりプラスにならないのは、これはちょっと考えれば分かる。

「そんなひどいことを言わないでください、アフリカの言葉だって大事なんです」と少女趣味的に眼を潤ませて語られてもどうしようもない。だってこれは純粋に21世紀に子供が生き残る為にビジネスとして何語を学べば良いかと話であり人道主義を語っているわけではないからだ。

時間のある時に共感出来る言語を言語学者として学ぶのであれば何も言う必要はないが、最初に覚えるべき外国語ではないってことだ。

では21世紀のビジネス社会において何語を勉強すればプラスになるか?言葉を変えれば世界の共通語は何語になっているか、である。

その意味では間違いなく21世紀も共通語は英語である。これは昨日も書いたけどエネルギーとか世界戦略を考えるときにアングロサクソンがやる手口は、OS、つまり世界標準を構築してその上で全てを動かす、マイクロソフトのOSのような方法だ。

最初に世界標準を作り、すべての人間がその上で動くようにする、実にうまい手口であるが、言語もその一つであり今の世界共通語が英語になっているのは偶然でも何でもない、彼らがそう仕向けただけなのだ。

そして英語が標準語と言う現実は簡単に変更出来るものではない。ある日突然、「はい、今日から中国語が標準語になります」なんて事は世界戦争でも起こって中国が世界を支配して強制的に言語切り替えをしたとしても、やはり人々は慣れた英語を暫くは使うだろう。

だから22世紀に何語が標準語になっているかは読めないが、21世紀末頃までは英語が標準語である現実は変わらないだろう。

だからであろう、最近の中国では小学生の頃から英語を学んでいる。それも米国人教師等を雇い入れてきちんと本格的に発音からやっている。

名古屋で会った中国人はまだ学生だが、瀋陽から名古屋にやって来て最初に日本語を学び今は大学で英語を専門に学んでいる。すでに英語は充分に出来るのだが、その程度ではビジネスに通用しないと分かっているからだ。

そうであれば僕らの子供が学ぶべき第一外国語が英語であり、英語で外国人とビジネス交渉を出来るくらいの能力がなければビジネスの本流には出て行けないと理解出来る。

ならば早いうちから子供に英語を学ばせることの必要性がわかる。「ざけんな、うちは代々味噌作りなんだよ、英語なんて必要ないんだよ!」と言いたい伝統系の人々の言い分も分かるが、味噌を売るにしても日本だけではなく世界で需要が出ればビジネスは増えるでしょ、国内だけでこれからやっていけるのか、それよりは海外に出てビジネスの機会を掴もうよと言いたい。

そして英語を学ばせるにしても、日本の公立学校の教育システムではまず役立たない英語しか学べない。日本国内の英語の勉強ではどうしても限界がある。なのでやはり子供の頃から海外留学を数年経験させて現地学校に通わせてきちんとした英語を学ばせるべきであろう。

韓国から多くの親子がやってくるが、これは永住権だけでなく子供の英語教育という面も大きい。

今の韓国ではアメリカのビジネススクール帰りの英語バリバリな若い連中がビジネス社会を引っ張っており、ここ10年の韓国の成長の原動力となっている。

ここで、何で日本での英語教育では駄目かって点。それは、どれだけ英語の発音を身に付けてもそれだけではビジネスの世界では通用しないからだ。

大事なのは英語を使って考える訓練、そして相手と交渉をする技術を磨くことであり、日本にいる限り元々が議論のない国と文化なのでいくら英語を覚えても使い方が分からないという事になる。

ところが日本の現実は、今年のハーバード大学に入学した日本人が一人だけと言う状態だ。米国の大学では中国からの留学生が爆発的に増えており韓国からも常に多くの学生が来ているが、日本だけはどんどん減っている。

やはり日本の方が居心地が良いのだろうが、そんな事で21世紀を乗り越えていけるのかと本気で疑問に思う。

人の人生が80年とすれば、そのうちの2年間程度を自分の将来の為に投資してみようと思わないのだろうか?

いずれにしても親が子供に出来るのは、どれだけたくさん持っていても絶対に盗まれない技術、英語力を教えることだ。金だけ残してもバカな子供は使いきってしまって終わりだ。

ただし、もし時間があれば中国語も学ぶべきだろう。それも北京語。世界は今後ますます小さくなっていくが、アジア圏では一番力のある言語は今後中国語になる。世界標準としての英語は必須だが、それ以外にも中国語を学んでおけばアジアにおけるビジネスはかなり円滑になる。

自分が住む国が将来的にドイツやフランスであれば中国語はあまり意味もないけど、日本で生活をする可能性の方が高ければアジアの中心となる中国語は、出来ると非常に有利になるのは間違いない。

言葉が出来ると言うだけでビジネス交渉の場に引っ張り出されて、それが機会となって出世するのもよくある話である。

正しい場所に正しい時間にいる事が基本。その基本の上に言語を乗せてみよう、子供の為に。


tom_eastwind at 11:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月20日

Right time, Right Place,

こういう風に、つまり世界がこれからの100年でどうなるかと考えれば、自分の子供が将来就職する時にどこの会社が良いのかどこの地域が良いのかというのが何となく見えてくるのではないか。

例えば大昔に日本郵船に入社した若者は超エリートであり、石炭を掘ってる三井も優秀な連中が入社した。ところがエネルギー政策の変化や輸送方法の急激な変化により、そのような会社に働いていた人々は将来の芽を失った。

ところがその当時にやくざか不良と思われていた電通などの広告代理店に入社した人々は、今では日本でトップクラスの給料を取っている。

トヨタだって一昔前までは日産と同等の技術力はあった、けど田舎企業ってことで東京の一流社員は日産を選んだ。そして今から20年前に日立とマイクロソフト、どっちに入社するのがエリートコースだったか?

シドニーに行った人は分かるだろうが、あの土地で生まれ育ったお芋さん白人連中が今では立派なスーツにネクタイして、おらがむらの地下に眠ってる資源で何の努力もせずに大儲けして「おれ、びじねすま〜ん」みたいな顔して一流ホテルのバーで100ドル札を振り回して酒飲んでるけど、おい芋さん、あんたは“Good time, Good Place”だけのLuckymenなんだよって感じ。

けどそれはそれで良いのだ。道徳や理屈を語る積りはない。ただ単純に、自分の子供が餓える事がないようにしたい、ある程度の生活を自活出来るだけの場所と時間を選びたい、ただそれだけだ。

偶然そこに生まれた結果として威張ることが倫理的に正しいかどうかなんてどうでもよい、バカが偉そうにネクタイをしてても良い、けど少なくとも自分の子供が、食べるものがないアフリカで生まれて飢え死にするような子供の悲しい思いをさせたくない、ただそれだけだ。

ちょっと問題がそれたけど、要するに親がそういう“良い場所と時間”に子供を置いておけるか、だけである。これは間違いなく親の義務である。

そんなこんなで、今は景気のよい会社でも10年後は分からない。てか分かっているのは、大きな時代の流れを見れば必然的に次の時代に何が来るかが見えてくるという事だ。

衰退する産業や地域の中でどれだけ頑張っても未来はない。逆に言えば今はたいした事なくても成長産業の中にいれば、少々とろくてもある程度の出世は出来るし給料も上がる、その結果として家族の生活も守れると言うことになる。

それは同時に、沈み行く船で穴の空いた場所に自分の足を突っ込んで浸水する水を止めても、結局他の場所でまた穴が空いてしまいどんなに頑張っても沈む船にそれ以上乗っておく必要があるのかってこと。

日本人が日本にしか住んではいけないって誰も決めてないし、日本人が外国に住んだからって肌の色が変わるわけではない。

今、日本人が世界で高い評価を受けているうちに優秀な人々は海外に出て日本の素晴らしさを伝える伝道師になってもらいたいものだ。


tom_eastwind at 10:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月19日

エネルギーと食料

21世紀は石油の時代ではなくなる。これは実は100年に1度の大変化なのだが、世間では「エコな電気自動車!」程度の認識のようである。

実は“エコ”とか“CO2削減”なんて、ちょっとはにかみながら「わたし、Myはし使ってます」とカバンの中から取り出す、そういう騙され世代がまさに引っ掛かりやすい詐欺である。

これこそまさに砂糖をまぶした猛毒なんだけど、でもって西洋社会では騙されるほうがバカと言われるが、じゃあ誰が騙しているかと言えば米国や欧州の支配層、とくに今は米国の支配層である。(ここで注意してもらいたいのは、米国に住む人々のうち90%くらいはまともな立派な人々だってこと)

20世紀は米国の時代であったが、その基礎を支えたのは石油と食料である。

産業革命の英国で19世紀に栄華を誇っていた資本家たちが、自分たちの次の100年の計としてエネルギーと食料支配を考えた時に、広大な土地と豊富な石油が採れる米国に目を付けて移住してきて、ニューヨークを中心に株の取引所や穀物取引市場を作りだした。

そして彼らは自動車に使うエネルギーを石油と定めて全ての車が石油を使って走るようにした。そこには当然戦車も戦闘機も入る。覚えている人もいるだろうが、当初の車を走らせるエネルギーはいろんなもの、例えば石炭自動車などもあったが、米国で採れる石油を基礎とさせるために政策的に石油以外のエネルギーを利用出来ないように仕向けた。

(簡単に言えばどんな戦闘機をどんな国が発明しようと、それは石油がなければ飛ばないし、どんな立派な戦車でも石油がなければ動かない。その石油を押さえたのが米国なんだから、あいつらと喧嘩しても勝つわけがないって、非常に簡単な理屈だ)。

その結果として「クルマはガソリン」と言うイメージがすっかり定着したが、これによって米国は世界に送り出す車を石油自動車として販売する事が出来て、石油による世界支配が完成した。

その後も石油を支配する為に世界中で石油を採掘できる場所を見つけてはメジャーと呼ばれる石油資本会社が次々と開発、言葉を変えればその国を間接または直接支配していった。

勿論相手の国家の事なんかどうでも良いわけで、その為に中東や南米では政府をクーデターで倒して米国寄りの傀儡政権を作り上げた。

これは食料も同じで、南米で作られる作物は食料メジャーがエージェントを送り込んで自国の食料を購入するかまたはその国の食料をすべて支配する体制を作り上げた。実際に食料メジャーはいくつかの国を倒して自社の食い物=米国支配層の食い物にしている。

ところが1970年代から米国のあまりの強引なやり口に各国の民族主義者が気付いて反対するようになり、イランのホメイニによる革命を代表として世界中で米国に対する反感が高まった。

民主主義とか自由と言う名目を使っては民族主義政府を不平等選挙でひっくり返したりクーデーターを起こしたりという嘘つき手口はそろそろ通用しなくなったので、次は軍事行動によるイラクへの侵略やアフガニスタン、そして今はイランを相手に喧嘩しようとしているのが現在。

米国は口を開けば人権とか民主主義とか言うが、ありゃ嘘だ。自分だけが金儲けをしたいために思いついた言い訳でしかない事は、彼らがやってきた事を見ればよく分かる。アフガンやイランでどれだけ多くの民間人が殺されたかを考えれば分かる話だ。

ところが21世紀になっていよいよ中東はイスラムを中心として強固な塊になり、米国の軍事支配ではやっていけなくなった。そして米国内部からも「米国の若者が何故異国の地で死なねばならないのだ」と言う当然の批判が出てくるようになった。

今の中東はまさにベトナムの悪夢の再来である。ベトナムと言う東南アジアのちっちゃな国で米国は5万人の若者の命を失った、それも全く意味のない戦争で。

もし機会があればディアハンターを観て貰うと良い、あれは奥深い。表面的にはロシアンルーレットがどうこうって言ってるけど、最後に歌った歌が全てを物語っている。米国の現場レベルでは今でも素晴らしい愛国精神と自由の大事さを理解している人がたくさんいる。

歴代政権も戦争やるたびに次の選挙の事を考えなくてはいけない。けど、元を返せば中東に攻め入ったのはそこに石油があるからで、エネルギーを石油以外のものにしてしまえば中東のターバン巻いたヤバスジなんて相手にする必要もない。

そこで米国の政府の更に上にいる連中は決めた。「よっしゃ、21世紀は石油や〜めた、他のエネルギーにし〜よっと」

そうでなければなんで電気自動車など出てくるものか。米国が一番大事な利権を手放すにはそれなりの理由がある。

しかし手放すにしても次のエネルギーを何にするか。ここで21世紀のエネルギー、資源と言うテーマになる。

続く


tom_eastwind at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月18日

21世紀の子供

説明会無事終了。皆さんは自分の将来を賭けて移住を考えているから本当に真剣だ。参加者の皆さんは今の日本に対して無責任な批判をするわけではなくちゃんと自分の問題だと理解しているからこそ政治の乱れや経済の乱れ、そして日本的道徳の乱れが結果的に日本の社会を破壊している事を肌で感じる。

なので説明する際には参加者に分かる言葉で話すようにするのだけど、それでもどうしても時々は一言では説明不可能な部分がある。なので一人一人の顔を見ながらどこまで理解しているかなって考えて話を組み立てる。

少人数(12名限定)の説明会に切り替えたのもこれが理由だ。大人数だとどうしても理解度にばらつきが出てきて、いざNZに来てみると「話、違うじゃん。おれはこう聞いてたぞ」となるからだ。

ぼくらのやっている仕事はお客様とこれから十数年にわたってお隣さんとしてお付き合いをすることなので、何一つ間違いは出来ない。観光旅行ならまだしも移住してきてお隣さんとして生活をするのだから正確な情報を提供することが何より大事である。

その後は個人面談で話をして、説明会で不足した部分を補充したりお客様の移住目的をお伺いして移住工程表を作成する作業に入るのだが、ここも非常に大事。相手の言ってることではなく言いたいことを聞き出さない限り工程表を作ってもうまくいかない。

それにしても今年に入って参加者が増えたな、説明会も個人面談も常に満席で、それだけ日本の危機感が高まっているのを感じる。

そんなこんなの説明会なのでこちらも神経をびんびんに尖らして午後1時から午後7時まで全く休み無しでしゃべりまくり。ふ〜、さて、これで今回の出張も終了だ。

説明会の中でも皆さんが一番考えているのが子供の将来。

色々とお話しながら、ああなるほど皆さんは今の日本は理解しているが、その先つまり21世紀はどうなるのかってことでは“日本の21世紀がどうなるのか”を理解しようとしているのだが、それよりも世界の21世紀全体を見渡して、それが日本にどう影響を与えるかを考えてみる必要があると思う。

そこでちょっと思いついた。海外から見た21世紀ねたを明日から少し書いてみる積り。


tom_eastwind at 23:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月17日

東京、恵比寿

東京に戻ってからはほんとに自分のやってる事に「ナンじゃこりゃ?」と言う感じ。

朝壱番のアポでは移住の話。この時に頭の中で開いているファイルは日本の相続税法とニュージーランドのGiftDuty。

日本には日本の法律が、NZにはNZの法律があってどちらも相手の国境内で効力はない。つまりこの二つの法律はどちらも国内法であり、それぞれの国で合法であれば双方で合法と言う当然の結果になる。

しかしその為にはこの二つの法律を条文だけでなく現場の適用例や解釈の範囲、最近の判例などを読みながら理解していく必要がある。

そして世間の人々の99%はこのような法律など関係のない世界で生きているから、自分が移住するとなった場合の税法対策を知っているはずもない、当然である。ところがその当然を突き詰めていくとその先は両国でたっぷりとした税金の支払いと言うことになる。

なのでそうならないように事前にお客様の相談に乗り現実的な処理解決策を提案していくのだが、これは節税でさえない。自分に主権を持っている一個の人間としてどっちの国家にいくら払うかを決めるだけだ。

税法ってのは本当に面白い、てか、これが国家の権力の大きな源泉であると言うのがよく分かる。だからどこの国家も国をまたがる税法については慎重でありながら一円でも多く自分のところで取ろうとする。

けどそれは突き詰めて言えば一つの国家で合法な納税システムが他国では非合法となり、要するに税法なんて、普遍的な真実の前では何の正当性もない妥協の産物、または弱いものから収奪するシステムなんだとよく分かる。

この国家間の駆け引きを見ていると面白い。ぼくはこういう時にはあえて両方の国の税務署に下手(したで)に問い合わせをする。

「こういうケースはいかがでしょうか?」
「いや、それは当税務署としては〜」
「ほ〜、そうなりますと相手国の主張している事が間違いとなりますね」
「いえ、他国の税法は当国の預かり知らぬことでして〜」
「しかしそうなりますと税法が禁止している二重課税になりますが、わたしはどうすれば良いのでしょうか?」(腹の中では笑っている)

それから丸の内に飛んでいって今度はファイナンスビジネスの話である。当社で扱っているシステム決済はシステム構築は日本、納品をNZで行い、会社はNZで設立して実際のサーバーはニューヨークに置くという、これも数カ国をまたいだシステムである。

ファイナンスの法律もたくさんあるから全部覚えていられるわけもない。ぼくがやるのは、ある事態を想定してその時に誰に聞けば良いかを知っているだけだ。例えば法律家もすべての法律を暗記しているわけではなく、どの法律ならどのへんを調べれば良いかを知っているだけなのが殆どだ。

だから色んな事態を想定してそれぞれの国の弁護士にこちらが欲しい回答を出してもらうような形の質問をする。

丸の内での会議が終了した後に恵比寿に戻り、最後の会議は夕食を挟んで海外の物販ビジネス展開である。

日本にある銘品を世界に個人輸出する仕組みだが、これは今度は各国のMAF、農林水産省などが窓口になる。国によって規制が違うので、どこで作った何をどこの国にどうやって送るか、またその商品が法令をクリアーしない場合は類似商品で対応出来ないのか、などなど。

恵比寿の夜は更けて結局夜の11時過ぎまでいろんな話をするが、場所が何より良い。ニュージーランド料理のラムやマッスルを出す美味しい店であるから、周りも雰囲気はNZだしワインもNZ、食事を楽しみながら様々なビジネスプランを話す。

日本ではラムとホゲットの区別はされていないようで、これじゃあラム肉を臭いって言われても仕方ないな、ANZCO(NZ肉輸入商社)も宣伝がんがれって言いたい。

終わったときにはさすがにくたくたで部屋に帰ってもしばらく眠れず、かと言って文字も目に入らず本も読めずで仕方ないから偶然テレビでやってたイチローの野球を観る。

気付いたら朝の4時だ〜。アイマスクして無理やりベッドに入るんだけど、右になったりヒダリになったりとしばらくバタンバタン。結局気付いたら少し寝てたみたいで朝の10時。

少し睡眠不足の頭で温かい紅茶を飲み、部屋に在庫で置いてた最後の一個、どんべえてんぷらそばを食べる。関東なのでスープは液体。関西とは違う。

ホテルに泊まってるんだし朝食込みなんだから、ちょっとくらい早起きしてまともなメシ食えばと自分で思うが、やっぱりカップ麺になってしまう。

これでやっと少し頭の回転が始まり、今日が始まる。白飯よりもカップ麺ってのは確かにおかしいのだろうが、適応障害人からするとこの方が胃袋に優しいのだ。

さあ、土曜日の今日も重いぞ、引き締めていこう。

tom_eastwind at 23:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月13日

大阪

東京のホテルの朝食会場でIpadを持ってた人は一人、それも日本人だけだった。

朝ごはん食べてガーデンプレイス内の散髪やさんに行く。ここは昔ながらの雰囲気だけど外人のお客さんも多いようで、なんかな、時代は変わるけど散髪屋のスタイルは変えないぞ、けどサービスはちゃんと時代についていくぞって感じの店。

しかし散髪代金はどれだけ値上がりしていないのか、てかどれくらい値下がりしたのだろう。ぼくが高校生の頃も3千円近くしてて、今も3千円くらいだから、競争大変ですなって感じ。

かと言ってサービス業は海外進出が難しいから、どうなんかなとか思いながら数少ない髪を切ってもらう。

それから久しぶりの大阪。ここは何の変化もないな、建物だけはどんどん増えても、住んでる人間が現在を満足納得しているから、一切の変化が不要である。

肉うどんを注文した。古臭いおばさんに「ねぎなしでお願いします」と言うとちゃんと伝票にネギ無しと書いてくれて、それは良い。

けど出てきた肉うどんには確かにネギは入ってないけど玉葱だらけ。

結局こういう事なんだろうな、こちらの言いたい意味ではなく言った言葉だけ理解して、ネギは玉葱の上に生えた草だってことは考えないのだろう。

新大阪駅にタクシーで向う。駅のホームに”ひさし”はあっても雨が降ってれば結局濡れる。トランクからカバンを出す時点ですでにびしょ濡れ。

エキナカとか言う前に、駅のあり方、構造を顧客利便と言う視点で見てみればどうなのか。これは東京駅も博多駅も同じだ。

それにしても大阪。お客は神様だとばかりに、レストランの料理の食べ残しのお皿にタバコをぎゅっと押し付けて火を消して「わしゃ客じゃ」には参るな。

次にくるのはいつかな、たぶん次はないかな、もういいかなって本気で思った。


tom_eastwind at 19:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月12日

勝つカレー

3b2dcd1e.jpg勝つカレー

昨晩は参院選の結果に興味があって久しぶりに夜9時くらいからテレビにしがみ付いてみてた。ホテルはNHKの受信料金はどういう計算で支払っているんだろうなとかしようもない事を考えながらも、ナンじゃ今回の選挙結果は!

みんなが大きく議席数を伸ばして民主党が過半数を大幅に割ってしまったではないか。

過半数を割るまでは良いが、割れすぎるとねじれ現象が起こってしまい、ますます政治が止まってしまい、その間に他国がどんどん成長して置いてけぼりになる。

これは民主党の二人候補の悪影響なのか?ではないな、だって一人区でボロ負けしてるんだから。

なんて事を考えながら部屋の机を見ると、サッカーの決勝戦を見るためのルームサービスメニューが置かれていた。

さすが、いろんなビジネスチャンスを狙ってますね。夜中の3時?に開始するサッカーを部屋で見ている人は多いはず、そこで彼らを狙ってチップスやバーガー、様々な種類のビールを売るって発想は良いですね、やる気を感じる。

その中の一つにあったメニューが「勝つカレー」誰が思いついたのだこのネーミング(笑)?

てか、夜中の3時過ぎにカレー食うか普通?食うんだろうな、だからメニューに載せているんだろうな。恐るべしサッカーの魅力である。

選挙速報を12時過ぎまで見て大勢が判明した頃にベッドインしてバタンと寝る。

月曜日の朝は選挙報道一色で始まった。レストランで朝ごはんを食べてると周囲は皆部屋から持ってきた新聞を広げながら見入ってる。そんな大きなもん、レストランで広げたらメシ食いづらくないか?などとしょうもない疑問を感じながら、ぼくはお粥片手にIphoneでニュースを読む。

Ipadの現物を見てないので今一サイズのイメージが掴めないが、ぼくとしてはレストランのテーブルに料理を広げてその右上端っこに載ってくれれば丁度良い感じ。どうかな?

今日の時点ではテーブルでIpadを広げている人はいなかった。ちなみにケータイ持ってる人でもメールチェックしている人はいたけどサイトにアクセスはしていないようだ。

月曜日の朝食をホテルで食べるってのは日曜日に泊まったお客様って事なので当然西洋人ビジネスマンは少ない。てか、殆どいない。彼らの生活パターンでいけば日曜は自宅のベッドで寝ているはずだもんな。

そう言えばこのホテルでも毎日宿泊料金が少しづつ違うんだけど、壱番高いのが土曜日でこれは狭い東京に住むアベック用ですな。

でもって次に高いのが火曜日と水曜日。これは外国から来たビジネスマンが利用する壱番多いパターンだからだろう。ほんっと、国によってホテルの利用方法は大きく異なります。

明日の朝食でも、もいっぺんチェックしてみよ、誰かIpad使ってないかなって。てか、新聞広げるのはもう時代的に無理があるんじゃないか。

なんて事を考えながら今日の打ち合わせ。偶然なんだけど今日のお客様はメディアとジャーナリズムのプロフェッショナルでありいつも色んな事を教えて頂いている。

その方がこれまた偶然なんだけど、「これからのメディアは王子製紙や大日本製紙と大喧嘩してお別れして販売店を無くしてIpadで情報を直接自宅に送る方法しか生き残る道はないのではないか」と言われてた。

ビジネスとしても同感だし、利用者としても同感。レストランの朝食で皆がIpadを広げる時代は間もなくだろう。

それにしても勝つカレー、どっちを応援しているのだ?


tom_eastwind at 19:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月11日

CoCo壱番

日曜日:名古屋での仕事を終わらせて、やっと日曜のお昼に名古屋駅地下のCoCo壱番でとんかつカレーを食う事が出来た、ほ。これで暫くは胃袋が安定しそうだ。

それにしてもCoCo壱番が特別美味しいわけではない。狭くてちっちゃい丸椅子でカウンターに坐らされてカツカレーにコーラ一杯で1千円だ。

東京のホテルのレストランで食べるステーキカレーの方が味の完成度はずっと上であるし値段だってCoCo壱番の2倍程度の2千円。サービスや雰囲気を考えれば“アリ”である。

それでも街角のカレーチェーンに行くのは、やはりその場所が持つ独特の空気、女子高生が行列待ちしながら「ねえねえ、何食べる?」とか、ぶすっとした中年男性がアルバイトの女の子にメニューを渡されて「おれは何でも知っている、トッピングとご飯の量と辛さと福神付けの黄金率を知っているのだ、君、アルバイトだろ、いつからCoCo壱で働いているのだ?」みたいな眼でじろっと睨む。

地下街では日曜と言うこともあり、店の前にはたくさんの人々がベビーカーを押し合ったりおばあちゃんの手を取って歩いてたり、とにかく賑やかである。

結局こういう猥雑さがいかにも人間が生きてます、生きて活動していますって空気を感じさせる。これはどんな立派なホテルの美味しいカレーのスパイスにも勝る最高のスパイスである。

そういえば昨晩もまた禁断の「真夜中に肉うどんネギなし生卵入り」を食べてしまった。昨日は時間が不規則だったので昼過ぎのひつまぶしを頂いてから一旦ホテルに戻って部屋に入った瞬間、ほんとに頭がくらくらし出してそのままベッドイン。

またも浅くて楽しい夢を繰り返したり、恐怖のゾンビー追っかけごっこをやったりしながら眼が覚めたら体中びっしょりで夜の9時過ぎ。

すでにオークランドを出て14日間、この間立て続けに面談とか説明会とかを繰り返したり、今やっている新しい企画「スカイハイ」を進めてみたり、要するに脳みそがぎゃーって言ってるんだなってのがよく分かる。

耳から垂れた脳みそを押し戻して夜の10時から錦3丁目に出て、数杯水割りを飲んだらもうどこも閉店時間。全然酔ってはないがそれほど飲みたいって気持ちではなくお腹が空いてて、これじゃ眠れんなと思い24時間やってるカウンターだけのうどんやに飛び込んで上記のうどんを食べたのだ。

けどさ、ここでも何と言うか、猥雑ナンだけど何となく温かい空気が流れていた。店の中というよりも、土曜の夜に街に繰り出してきた少し赤ら顔の若者が楽しそうに3人、5人、8人とかで固まっていて、ちょっとその中で空気を共有しているんだけど、近くを他の同じようなグループが通り過ぎると一瞬眼が合ったりする、軽い酔っ払い同士の緊張感(笑)。

あったよな〜、そんなこと。

真夜中過ぎの錦では客引きもそれほどうるさくはない。これ以上は客も来ねーかな、今日はそろそろ上がりかな、そんな雰囲気で道端に立っており、横をのんびりと通り過ぎる僕に声をかけようともしない(相手にされてないしけた親父?)。

名古屋に住んでいる人は名古屋の景気が悪いというけど、土曜の夜にこれだけ人が街を歩いてて、何を贅沢おっしゃいますかと言う感じ。

人が歩き人が空気を吸って人が人とつるんで店に入って真夜中に熱い湯気の出る肉うどんをすすって、おお、このてんぷら、バカウマっすとか。うーん、こういうのがいいんだよな。

さあ東京に行こう。仕事だ。


tom_eastwind at 22:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月10日

名古屋の本音

a23cb3ae.jpg土曜日:みんなの党に勢いがある。蓬莱軒という有名なひつまぶし専門店でお客様から昼食をご馳走になる。

そこで仕事の話の後の雑談で、
「ところでオタクはどこに入れたの?」とお客様同士の会話。
「ええ、私も父親もみんなに入れました」
ほー、彼らは一昨年までは自民党大嫌いで去年は民主党に期待していた人々だが、民主党の激しい左翼化に対して怒りに近い感情が出てしまい、ならば一番ましなみんなにしようと考えている。

その日は仕事も終わったので夜遅くに錦3丁目にちょこっと顔を出す。そこで軽く話題を選挙に振って「明日は選挙、行くの?」と聞くと明るい声で「はい、行きますよ!今回はみんなです」と語尾は結構真面目である。

このブログを書いている時点では日曜日の午前中なので選挙結果は全く読めないが、どうやらみんなが躍進しそうである。

そうなると民主、自民とも過半数を取れずにみんながキャスティングボードを持つ可能性が非常に高くなる。親父の出来なかったことを子供のおれが必ずやってやるんだ、渡部ヨシミを見ていると何だかそんな空気が伝わってくる。

50年前に存在価値を失った社民党はいずれ議席を全部なくして解党、一部社民党の票は共産党に流れるだろうが、社会全体の流れとしては自民党若手右派、民主党若手右派、みんな、このあたりが合併して大連立を作って衆参両院で過半数を獲得すれば面白いことになりそうだ。

ただし名古屋には一つ問題がある。それがかわむら市長だ。彼は名古屋市民の民意で選ばれた市長だ。その彼が住民税減税、市議会議員の報酬半減などと打ち出している。

ぼくはそれをねたにお店のママさんに聞いてみた。すると彼女は「そうねえ、住民税減税は有難いけど、それ以外はあんまりよくね〜、ごにょごにょ」と言葉を濁す。

けど、議員ってのはニュージーランドでは元々ボランティアベースである。一般人が国民や国家の為に一定期間、NobleOblige(貴族の義務)として労働を提供するのであるから、金儲けが目的なのではない。

議員として活動する為の費用と、その期間民間の仕事が出来ないから政府から補助を出しましょうという発想であり、それで金を儲けようという発想はない。

いくら日本の物価が高いと言っても何でそれが1千万円以上なのか?彼らは報酬以外にも活動費を貰ってるでしょ。NZの首相や議員でも年収は10万ドル、大体600万円前後である。

だから普通に考えれば名古屋市民は議員報酬削減に対して賛成するべきなのに、現実はこのお店のように複雑な利害が絡み合っている。

総論賛成各論反対、要するにかわむらさんの言ってることが立派ならパチパチ!けどそれが議員報酬を減らす事であり私がかわむらさんを支持したら、この議員は次はうちの店にのみに来なくなる、これは困るから態度は明快にしないってことだ。

日本人が江戸時代から学んだ「長いものには巻かれろ」とか「優柔不断」などの生き残り戦術であるのは分かる。

けどな〜、それじゃ市民ではなく民衆でしかないですぜ。全体を綺麗にするためには自分の懐が一時的に苦しくなっても正しい道を選ぶべきだろう。

自分の店にのみに来てる議員が「おいママ、おれの給料半減だぞ!どう思う!」と言われて「仕方ないっしょ、あんたの脳みその程度は800万円でも多すぎるくらいなんだから」と言える人がどれだけいるだろうか。


これが日本の田舎の難しいところである。どうしても300年以上”お上”の顔色を伺って来た民は、決して市民ではないのである。

ふと思い出した。

クロサワの「七人の侍」でよわっちい百姓が「おら、どうすりゃいいだ?」的な顔をしてるが、ある時「今武器を取らずしていつ取るか!」と言われて、へっぴり腰ながら立ち上がった場面だ。

まさにこうなんだろうな、今の日本。誰も彼もへっぴり腰で、総論を話すときは立派な事を言うが、建設会社はあいも変わらず政治家に頭が上がらずどこも政治とカネが複雑に絡みついてしまい、誰も本当に思っていることがいえなくなっている。

ニュージーランドがどんな田舎でださくても、何よりも素晴らしいのは言いたいことが言える国だってことだ。

自分のビジネスに関係のある場合でも、間違っていればNOである。これがいえる、その一言が言える自由さ、その、ほんのちょっとした事だけど自由を感じるその瞬間、その時こそ人々は自分の事を市民と呼べるのではないだろうか。

tom_eastwind at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月09日

宋文州さんのお引越し

e52a604d.jpg金曜日:東京の仕事を終わらせて名古屋に入る。ちょうど宋文州さんのメルマガが届く。彼は元々ビジネスの世界で日本人に対して「あなた、間違った営業しているよ」と本を出して有名になったのが、今では普通の人も知られるようになった中国人である。

その彼が定期的に発行しているメルマガで取り上げた今回の記事が「一年は長い」と言うタイトル。

彼は多くの方がご存知の通り文化大革命を経験して北海道に留学、そのまま日本に定住した中国人である。

その彼がちょうど1年ほど前に家族揃って北京に移住して、最初は「にーはお」しかいえなかった子供が今ではたどたどしいながら学校の友達と北京語でやり取りしていると書いている。

親からすればこういうのが一番誇らしい時間であろう。文化大革命の中国からバブルの日本にやってきてみるもの聞くもの全てが珍しく、人々は優しく接してくれて、電気も水も豊富な国で彼は生活を始めた。

独立起業してビジネスを成功させてからは第一線から退いて評論等をするようになったのだが、どこまでいっても彼は中国人である。それは僕が何十年西洋社会に住んだって日本人であることに変わりがないのと同じだ。

だから彼が日本を見る視点は、日本で生まれた日本人の視点とは随分違っていて、それを「新鮮!」と感じる人もいれば「黙れ中国人!帰れ!」と激怒する人もいる。

眼の見えない人にとっては眼の見える人に何かを指摘されると、それは決して彼個人に対する指摘ではないにも係わらず、彼はそれだけでまるで自分の存在価値を否定されたように思い、もんのすごい感情的に反論する。

彼は今までの何十年と言う人生を、親や学校の先生に言われた通りに生きてきて周囲の子供を蹴落としながら優秀な大学に入り、どのような事にも一応カッコウ付けて理屈は言うんだけど所詮は週刊誌の受け売り、でもって大企業に入り良い地位に就いたのだけど、実はどこかに虚しさとか、時々心の奥底から出てくる「これってちょっとおかしくないか」と言う疑問を押さえ込みながら生きている。

だから中国人に自分の根源的な疑問の部分を呼び起こされるとそれだけで感情的になり猛烈に無意味な反論をするのだ。でもって最後は「中国人出て行け!」である。民度の低さとはこういう事を口に発する人々の数で決まるのだろう。

そんな宋さん、まさかそのような民度の低い連中を相手にするのに嫌気が差して北京に移住したわけではない。

もっと積極的に、子供に新しい人生を見せてあげたいとか生活の場所を2箇所にする事で選択の幅を広げてやりたいとかが主な目的であろうが、ただここがポイントなのだが、彼は北京に移住したからと言ってずっと北京に住み続けるかと言えば、それは別問題ってことだ。

明治時代の行きっぱなしの移民じゃああるまいし、二度と見られない故郷に別れを惜しみながらってのもない、だって飛行機に乗れば一っ飛びの距離だし両方の国の滞在査証を持っているわけだから、いつでもどちらでも気の向いた時に気の向いた場所に住めば良いだけの話なのだ。

このあたり、殆どの日本人は移住と言えば行きっぱなしというナンだか暗いイメージを持つが、実際は世界に住む家が二軒あるってだけのこと、大したことではない。てか、大した事だ、子供の将来を考えれば。

一体どれだけ多くの親が子供にこのような選択肢を提供出来るだろうか。物理的に可能でも心情的に出来ない人もたくさんいるだろう。それはよく分かる。

ただここで宋さんが言いたいだろう事は、初めて彼が文化大革命の中国から日本にやってきた時に感じたであろう、「何て日本は素晴らしいんだ、何て日本人は素晴らしいんだ、何でも出来るじゃないか」である。

つまり今日本に住んでいて満足している人はそれでよし、ただ疑問を持ちながら行動に移さないのであれば、これは贅沢でしょう、一度文化大革命の中国を経験してみて下さいって気持ちではなかろうか。

“親孝行、したい時には親はなし”と言う諺がある。逆の意味も真である。子供の為に何かをしようと考えた時、そこにすでに子供はおらず「おやっじ〜、うっぜえんだよ」とケータイにしがみ付いている若者がいるだけである。


tom_eastwind at 21:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月08日

平成2・26

大事件勃発!

長い間リフレ政策(お札をどんどん刷って景気回復させる方法)を批判してきた池田氏がここに来てコペルニクス的転換!それも思いっきり皮肉が効いて強烈な内容になっている。

などと抽象的に書いても意味が分からないだろうから内容は彼のアゴラブログをお読みいただくとして、要するに彼は今の日本に明治維新クラスの大革命を起こせと言ってるのだ。
http://agora-web.jp/archives/1052119.html

生きている価値のない企業でも大企業は雇用問題があるから簡単に潰せない。だから構造改革をやるのだが既得権益者が存在する限り変化出来ない。そういう構造を根こそぎ変化させるには何十年かかるか。その間に世界はもっと進んでおり、結果的に日本は後進国が定位置になってしまう。

だから一気にリフレ政策を取り国家財政を破綻させてゾンビー企業を生き残らせる体力を国から奪えという、ある意味「革命を起こせ!」なのだ。

更に所得移転。個人資産はその70%が60歳以上の資産であり、そこから若者世代に所得移転をさせるためにはハイパーインフレを起こして彼らの資産を紙切れにしてしまえ。700兆円の資産を100%のインフレで実質7兆円にしてしまうのだ。

それでも若者世代はインフレに伴って給料が増えるので実質手取りが増大するからこれで所得移転が可能である、などなど。

リフレ政策を支持する人は基本的に「お金をばら撒けば皆が使うようになって景気は浮上する」だった。

これに対して池田氏は「お金をばら撒いても今の不安社会では皆貯金するだけだし第一インフレが起こってしまったらそれを制御することなど出来るわけがないから結果的に日本の財政が崩壊するではないか」だった。

ところが今池田氏は「崩壊させてしまえ、その為の戦略としてリフレを使え」と言ってるのだ。そうしないと日本の長期戦略を見たときに確実に世界から遅れを取る、だから今、まだ一応世界的に観て体力のあるうちにやってしまえ、なのだ。

極論ではあるが正論である。今の日本を改革するなんて無理だ。あまりに多くの既得権益者が自分の利益ばかり主張して、改革は総論賛成各論反対の状況である。

そんな中で構造改革なんて、今の日本で自分の既得権益を返上するだけの気持ちを持った人がどれだけいるか。例え官僚でも今の給料と地位で家族を養っている。それを捨てろというのは家族を路頭に迷わせろと言ってるわけだから、彼らに出来るわけがない。

それよりは革命である。外から大きな力で一気に国家の体制をひっくり返すのだ。

ただ問題は、それを誰がするか、である。

僕は個人的には、これはもう自衛隊が国会と霞ヶ関とNHKを軍事占拠してクーデターを起こして現在の政党をすべて解散させて米軍が介入する前に(ここが大事)新しい軍事政権を世界に宣言し、自衛隊幕僚長が知識人や学者の意見を取り入れながら2年ほど舵取りをする。

日本は優秀な学者も腹の据わった官僚も政治家もいる。ただそのような人は優秀なだけに正論を語り、結果的に主流から外されている。そのような人間を新政権に登用すれば日本は劇的に生まれ変われる。

その間に不要な官庁をすべて廃止して政府が政治を主導するようにして、必要な事務作業は出来るだけ民間に委託する(エージェント制度)。

そして日本のすべての膿を搾り出したら速やかに文民政権に戻して総選挙を行い自衛隊は市谷に戻り、そこからすべての政党を再開させればよい。

極論かもしれないけど、ではこれ以上に現実可能な緊急構造改革案があるだろうか?


★抜粋開始
いろいろ考えたけどやっぱりリフレを支持します 池田信夫

大インフレによって一時的には大規模な倒産が起こり、失業率は数十%に達するでしょうが、日本には生きている意味のないゾンビ企業が多すぎるので、この際それを一挙に清算すれば、政府が「構造改革」なんかするより、はるかに速く問題が片づきます。このような一時的ショックによる失業は、価格調整がすみやかに進めば、産業構造の調整で吸収できます。金融資産は大幅に減価するが、それは海外に逃避すればよい。

最終的には、亀井総裁を更迭して「新円」に切り替えれば、インフレは止まります。それには数ヶ月から数年かかり、物価がオーバーシュートして数百倍のハイパーインフレになって日本経済が壊滅するリスクもありますが、今のようにゆるやかに衰退するよりましです。終戦後の焼け跡から、日本は世界史上最高の成長を実現したのです。
★抜粋終了


tom_eastwind at 15:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月07日

本日のお笑い

本日のお笑い

消費税増税については10年前と違い国民に危機感が広がり、使用用途さえ間違わなければ増税も理解出来る方向に向っている。

ところが今日のニュースでは菅首相が実に笑わせてくれた。

1・消費税を増税すると低所得者の負担増になる。
2・だから高所得者に対する所得税を増税する。

1・法人税は減税の方向で考える。
2・けど今まで企業から盗らなかったところまで捕捉して実質増税する。

ナンだ、要するに全部増税じゃんか(笑)。

こんな子供だましの事を首相が平気で言うんだから国家財政によっぽど危機感を持っているのだろう。まあそれは良い事だ。財政を安定させようとする気概だけは(笑)よく分かる。

けどさ、だったら最初から何度も言うように、今までムダ使いしてた分の責任はどうなるのかって事。国民の金を自分のポケットに平気で突っ込んでた戦犯を裁かずに、一般市民だけが増税ですかい。

民主党が「自民党時代にムダ使いされた国民の皆様のお金を〜」と言えば自民党はすかさず「その時に自民党で大臣やってたのはアンタでしょ!」とやり返す。

要するに両方とも国民のポケットに手を突っ込んでた連中であり、泥棒が泥棒に向って泥棒って叫んだら泥棒がお前だって泥棒だろうが!と叫び返したようなお笑いだ。

これもまあ関係ない人から見れば漫才だが、当事者である日本国民からすればどうなのか?他の国ならとっくにクーデターか政治家総懺悔でしょ。

1980年代までの日本は良い国だった。その理由の一番は政治を司る政治家や政府官僚が殆ど戦争の悲惨さと日本の敗戦を肌で理解して、二度とああはなるまいと国家のために活動したからだ。

ところがそのような危機感を持った人々は殆どが1980年代で引退、残ったのは二世と呼ばれる甘やかされた連中ばかりとなり、ここから危機感のない政治家と官僚が生まれて、彼らは「おらが村の春」は永遠に続くと思い込むようになった。

その結果として第二の敗戦であるバブル崩壊と戦後処理である不良債権処理の大失敗。これで日本は決定的に三流国と成り下がってしまった。

1980年代までの日本は、政治三流経済一流と欧米から皮肉を言われたものだったが、政治三流は変化のないまま経済も三流となったものだから、海外の人々から哀れみを持って「JapanNothing」と言われるようになった。

過去の清算をしないまま「さあ皆さん、過去を忘れて未来に!」なんて、まるでどっかの浮気亭主が奥さんに向ってにこやかに微笑んでんじゃねーんだからさ。あいつとは別れたって、はっきりと言ってからでしょ、未来を見るのは。

それにしてもおめでたい七夕の朝に聞くような話じゃなかったお笑いだった。


tom_eastwind at 14:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月06日

Voice & Exit

インターネットによってIT産業は根底から変わったのに、日本で「クラウド」と称してデータセンターを作っているのは、戦前からある総合電機メーカー。その研究所に行くと、シリコンバレーなら数人でやっているようなシステム開発を大プロジェクトでやっている。グーグルは、日本ではソフトウェア・エンジニアを採用できない。大学で使えるソフトウェアを教えていないからだ。もう日本のソフトウェアは、世界では使い物にならない。

役所も外の世界を知らないから、自分たちが取り残されていることに気づかない。JETROがシリコンバレーの事務所で日系ベンチャーに補助金を出し始めたが、その審査はなんと霞ヶ関でやるという。IPAの補助事業であるソフトウェア開発は、ARMではなく日立のCPUでやらないと補助金が下りない。

「日本はどうすればいいのか」という私の質問に、小池さんは「自分はやれると思う日本人は、シリコンバレーに来たほうがいい。そうでない人は日本に残ればいい」といった。日本がどうすればいいかという問いには答がない。ここまで来ても官民ともに危機感がなく、格差是正とか「強い社会保障」とか内向きの話ばかりしている国にいるメリットは、企業にも個人にもない。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51451544.html

7月6日付けの池田信夫ブログから抜粋。

「前文略 〜そうでない人は日本に残ればいい」この人、おれより口悪いな(笑)。“そうでない人”ってどういう意味かいな。

けど、それは笑えない現実でもある。ぼくの説明会にご参加頂く方で30代前半の場合、結構な確率でIT関連である。

と言うのも彼らの業界では35歳定年説というのがあり、現場の技術者は35歳までに次の選択肢を選ばねばならない。

ところが例えばニュージーランドでは50歳過ぎても現場で仕事をしているSEはたくさんいる。他国でも似たような状況だ。SEをやりながら社長の仕事をこなしている人もいる。

IT関連の方は当然英語も出来るので外国の情報を入手しやすい。だから自分の将来を真面目に考えれば考えるほど日本に残るという選択肢が薄くなっていく。

上記はアゴラ企業塾が主催するセミナー「シリコンバレーの最新ベンチャー事情」と言う講演会で実際に話されたことである。

詳細は池田ブログを読んで頂ければお分かりになると思うが、外に打って出る自信のある人は出たほうがいいって明確に言ってるのだ。

もちろんそれぞれの家庭に介護とか親戚とかの事情があるわけなので打って出るなど簡単ではないのはよく分かる。しかし人生は一度である。そして子供に対する責任は親しか取れない。

外に打って出る。日本人の凄さを世界で見せ付けてやる。内に篭って内部で派閥争いをしている時代じゃないでしょって本気で思う。


tom_eastwind at 13:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月05日

企業戦士博物館 2000年5月のコラムより

たまたま用事があって以前当社で発行していた紙媒体に掲載していた自分のコラムを読み返すことになった。

それにしても2000年5月でっせ!あれからもう10年も経ってるのに、そしてこれだけ世の中が厳しくなっていってると言うのに、企業戦士の行動パターンは全く変わってないな。

てか10年前よりも人の心が更に荒んでしまってる気がする。名古屋から東京に移動する新幹線の中でもお一人様リーマンは土足を平気で対面に回した座席にどーんとかけるし、こっちは降りるために乗車口に立ってるだけなのに、ガンガンとケータイ話しながらこっちに近寄っていかにも「オマエ邪魔!」みたいな顔つき。

どれもこれも学校で「知らない人は無視しなさい」と習って、それをオトナになっても実行しているのだろうな。にこっと笑うくらいの心の余裕はないのか。

彼らも出世階段で忙しいのだろうが、その先にあるものが何なのか分かっているのかい?それよりも大事なものがあるのではないかい?

草食動物は集団で移動して一番最後の一匹がライオンに襲われて食われるけど他の連中は生き残る。けどいつか自分が最後の一匹になるって事を知ろうとしない。

かと言って自分がライオンになろうともしないまま、新幹線でスポーツ新聞広げてエロ広告堂々と観てる。ひまなんじゃないの、君?

2000年5月のコラムから抜粋。全文だとすんごい長いので一番最後の部分だけです。

****抜粋開始****
今日本で起こっている現象は、血の流れない革命である事を認識しているだろうか?維持しながら刷新していく作業では、人の血が流される事はないが、今まであった多くのものが抹殺されて「過去の遺物」となって博物館に飾られていく。

「昔はサラリーマン企業戦士という階級があって、日本人の80%はそう言う人だったのよ。見て、この疲れた顔でよれたネクタイして、居酒屋では上司の悪口言いながら昼間は部下いじめをしてた人たち。」そう入館客に指差される日も遠くないであろう。

明治維新では45年の間に多くの既存階級(武士・公家)が時のかなたに流されていった。平成維新では昭和にすがり付いて終身雇用と年功序列を信じていた企業戦士階級(サラリーマン)が流されていくのである。

そんな時に君はマニュアルなしで生きていける自分を、この国で見つける事が出来るだろうか?それは君次第だ。

tom_eastwind at 14:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月04日

きしめんな夜

名古屋に夜遅く入りホテルに着いたらもう11時。眠いな〜、けどお腹は空いたしな〜、今更着替えて外に出るのは面倒だしって事で、あまりお願いしたくないルームサービスと夜中の食事。特に夜9時以降の食事は罪悪感がある(笑)。

11時過ぎから考え始めて、「きしめんを食べたいけどカレーもいいな、結局東南アジア回ったのに山頭火もCoco壱も行けてないし」と言うことで11時15分に最初にきしめんを注文して、これを食い終わってすぐに真夜中過ぎにカレーを注文。真夜中に2食もルームサービスをするなんてどれくらいぶりか、もしかして生まれて初めてか。

けれどやっぱり人類は麺類でカレーが日本食だけあって翌日は爽快に起きられる。ラーメン、うどん、カレー、やっぱりソウルフードは大事ですね(笑)。

そして迎えた今日は今回の出張の一番大事な説明会だ。

日本ではいよいよ菅民主党がその左翼的方向性を明確にし出してそこに労働組合の悪のりで、まさにプロレタリアート独裁の方向性が見えてきた。

参院選でも民主党が僅差で勝つだろう、何せ95%の国民が喜ぶ政策を取っているのだから。

その結果として経済が崩壊して集団で崖から落ちるような事になっても組合役員と官公庁の役人は生き残るのだ、集団が崖から落ちて人口が少々減っても気にするな、元々日本国内に1億2千万人もいる事が多すぎるのだ、おれだけが助かれば良いのだって事だろう。

少子化は問題ではあるが、おそらく官僚と一般市民の少子化に対する認識は違うのだろう。

一般の人々は今の経済が縮小する事を問題にしている。けどそれは既存利益の減少と言う意味であり適正人口と言う考え方ではない。

例えばニュージーランドでは本州サイズの土地に400万人で楽しく過ごせているのだ。

(日本は人がひしめきあって住みながら、尚且つ土地の価格が下がるってのはナンだろうね)

日本の国土の適正人口は何人なんだろうな。

インフラ整備を効率的に進めながら適正人口と考えるなら、都会に人口を集中させて田舎の人々は不自由だけど自然を楽しんでくださいって事になる。こういう風にもっていければもしかして都会なら地価も上層するのかな。

民主党の政策で明確なのは富裕層への課税であり、それは所得税よりも相続税や資産税狙いだ。こうして団塊の世代の資産を巻き上げた後にその団塊の世代が20年後に消え去ったあとの日本国家の人口分布がきれいになればよいってのではないか。

もしかして政府が日本の人口の殆どを中核都市と地方都市に集中させてしまい都市機能を効率化させ、郊外や山中の離れ村をすべてレクリエーション村みたいにして“週末の快適な生活”を実現する事もあるのではないか。

とにかく衆院ではすでに過半数を押さえておりこれで参院を押さえ込めばどんな政策でも通せる。国民がどれだけ反対をしようとこれから3年程度は民主党独裁である。

その民主党が組み合い寄りになり左翼が実権を握ったら・・・。

そういう事を本気で考えている人々の集まりでの説明会なので、こちらもきちんと理論武装してニュージーランドの実態をきちんと説明しながら移住の利点と欠点を説明していく。

何せ参加者は皆さん日本の昭和を生き抜いて勝ち残った超プロフェッショナルであり、下手な説明では絶対に納得しない。

ちょっと長くなるけど例えば:

「NZの銀行はリーマンショックの影響を受けませんでした。何故ならNZは米国の投資銀行が販売する危険な債権を買わなかったからです。NZ国内の不動産投資への貸しつけに特化していたからです」

こう説明をするといかにもそれらしいが、けど彼らはそんな説明では納得しない。何故NZの銀行はあの時点で儲かると言われていたデリバティブ証券を買わなかったのか?

答は「NZの銀行は保守的でありそのような“自分に分からない商品を買わなかった”からです」となる。

しかし彼らは考える。いやいや銀行の目的は利益を出す事だ、考えてみればあの時点で証券を買う事は不動産より儲かる事だったのになぜあのような商品を理解出来なかったのか?

そこで僕の答

「いやいや、証券を買うだけの知識がある銀行マンはすでに全員が豪州や欧州や米国の銀行にスカウトされて、NZの銀行に残っているのは土地を担保にカネを貸すだけの質屋みたいなノウハウしかない銀行マンばかりだったからです」

皆さん、大笑い。

まあ一事が万事こんな感じで、物事の現象の裏にあるものをきちんと説明出来なければ相手にされない世界であるから緊張する。

途中でひつまぶしのお弁当を頂きながら、最初にNZの経済構造と現状、次に現在の不動産価格とその価格決定メカニズムと今後の不動産価格予想、そして最後に投資家ビザを取得する為の具体的な方法と費用の説明。

何とかかんとか説明会も終了して皆さんそれなりに今後どうするかをお考えになるという。終了後はホテルに置いてた荷物をもらって新幹線で品川へ移動。

ふい〜。もうこの時点で脳みそは耳からとろけ出しているので座席に坐った瞬間に眠気が襲ってくる。おかげで文章も支離滅裂。

適正人口ってのをもっとしっかり考えたいけど、ちょい無理。英国作家の世界史とか読みたいけど、“何とか一日が終わったぞ。今日はどんべえ買い忘れたのでこのまま寝よう”って気持ち。夜9時以降にご飯を食べると太るのです(笑)。


tom_eastwind at 13:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月03日

MBA

引き続き英語ネタ。

日本にいると皆さんの口から出るのは「英語が苦手で〜」であるが、それはぼくも全く同じだ。

ネイティブでもないし同じ英語でも国によって言い回しは違うし、だいいちキリスト教もシェークスピアも学んでないのだから同じレベルでの会話が出来ない。

けど、それでもこれからは出来れば英語を身に付けるようにするのが大事だというのは、海外から日本を見ているからより一層感じる。

とくに英語力と一言で括るよりも英語を使って何を話せるか、どう相手と議論するかが重要だろう。英語を使って映画を観ようとか恋を語ろうと言ってるわけではない。

とくに最近日本のサイトでも、日本国内でMBAが学べるという講座があるようだ。

MBAは西洋人と喧嘩する時の武器として非常に有効であり、これがあると日本有数の一流企業でも重宝される。

何故なら一流企業といえどまともな英語を使える人材は限られており尚且つ外人、とくに白人やインド人と交渉する能力を持っている日本人は日本の大手企業には殆ど存在しないからだ。

なので「日本にいながらMBAが取れる!」と言うのも悪くはない仕組みだと思っている。勿論本当は世界喧嘩の本場である英米で取得するのが一番だろう。

あそこの学生の中に飛び込んで毎日マシンガンみたいに英語を喋り捲りながら相手を押し込んでこっちのペースに巻き込んでいくのは学びが多い。

日本的な「言わなくても分かるだろう、腕を見てくれ」は世界ではそのままでは通用しない。やっぱりそこには広報や交渉が必要だ。

先週はニュージーランドの地方銀行の支店長と会議を持ったのだが、こいつらおそらく地元の大学さえ出てないんじゃないか、あ、違うな、地元の大学は出てるけど一応会計とか足し算とか、とにかく普通のキーウィが苦手とする実務の部分で強いのだろう。

若くて元気が良いのだが、いつも話すポイントがずれている。その事に気づきもしないままに威勢の良い声といかにも「おれは銀行のプロだ、バンカーだ」ってな感じで仕切ろうとするのだが、どれもこれもある意味かわいそうになるくらい的を外している。つまりきちんと議論の勉強をしていないのである。事実関係をどう認識するかも理解出来ていないのである。

(日本人は最近殆どいないそうだが)米国などの優秀な大卒は一旦地元の投資銀行に下っ端として入行して数年働き、それから一旦退社してMBAを数年かけて取得して能力に磨きをかけて現場に戻ってくる。こうなると鬼(狩猟民族精神)に金棒(法律と金融知識武装)であり、ものすごい強力な戦闘兵器となる。

こういう連中はネイティブの英語に大学での会計資格や弁護士資格などを引っさげているし、更にMBA時代の友達と言うサークルを持っているから、金融の世界ではどんどん成長して年俸数億円のプレーヤーとして活躍することになる。

年俸数億円!だからこそ時には禿鷹などと呼ばれるのだが、彼らは自分たちの事を禿鷹とは呼ばない。熊の尻を食いちぎる連中と呼んでいる。禿鷹ごときでは生き残れないのだ。

その意味で日本の邦銀で年収数億円貰い熊野ケツを食いちぎるような域に達しているバンカーは殆ど存在しない。

まずは英語力。ネイティブ並みの能力が要求される。
次に交渉力。相手を力でねじ伏せて絶対に妥協しない姿勢。
理論構成力。相手が納得するような筋書きと理屈を作り出す能力。
生存本能。単純に生き残る為の本能。

こういうものすべてを整理して一個の頭の中の引き出しに詰め込んでおいて、臨機応変に戦闘手段として使いこなすのを教えるのがMBAである。

だから日本人がMBAの勉強をする事はこれからの時代に必要な条件だと思う。

ただ一つだけ言いたいのは、すべての戦いが終わった後に何が残るのか?である。実はこれが今日のテーマであり、目先の戦いに勝ったとしても自分が欲しかった家庭の幸せや日本人の平和をそれで守れるか、である。

MBAは戦いの手段として有効である。しかしそれはどこまでいっても手段であり、目的に崇高さがない限り単なる野獣だ。

おもしろい事に現在の資本主義を作り上げた西洋人も全く同じ事を言っている。

資本主義は人間としての倫理を持っているからこそ使える技術であり、神の教えに逆らうような倫理なき(彼らはクリスチャンなので)資本主義は暴走する。

そうなんだよね、まさにその通り。そしてそれは実際に暴走して日本の失われた20年の後押しをしたし今回のリーマンショックを生んだ。

(日本の不況がこれだけ長引いたのも投資銀行が日系企業に赤字隠し商品を売りつけたからだ)

幸運な事に日本人は会社の社会的使命という事をDNAの中に徹底的に叩き込まれて理屈ではなく肌感覚として理解している。

だからこそ資本主義の世の中でも決して社会的倫理にもとることをしない。出来るけどしないってを分かっている。(バブル期以降はかなり変化したのも事実だが)

ただそれがいつの間にか手段である「しない」ってのだけが一人歩きして目的の部分を忘れてしまったから西洋の「出来るからやる」って言う倫理のない連中にぼこぼこにされてしまったのだ。

社会の平和を守る為には「しない」だけではなく「やれるけどしない」、けど誰かにやられそうになれば即時全面的に反撃をする、それだけの力がないと意味がない。

その意味でのMBA取得、今の日本人に一番学んでもらいたい部分である。

「おい、オマエそんな事言ってMBAあんのかよ?」と聞かれそうだが、ぼくは持っていない。けれど幸運なことに社会人生活と奥さんの教育によりおそらくMBAの教えている部分の現場で使用されている部分らいはなんとか学んだと思う。

けど、だからこそ思う、こんなのを現場で学ぶのはすんごい大変だから(本当に血と汗が出る)学校で勉強出来るなら学校で学んでから社会に出て欲しいってこと。

戦闘の現場に行って誰かに自動小銃の引き金の引き方を教えてくださいって言っても誰も教えてくれない。

社会は勉強する場所ではない、戦う場所なのだ。


tom_eastwind at 19:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月02日

昼下がりのレストラン

昼下がりのレストラン

香港でも忙しくて、さすがにお腹が空いたけど外に出る気にもなれずにホテル1階のレストランで昼食をとる。メニューを見ても何が美味しいのかよく分からないので適当にスタッフの方と相談して選ぶ。

結局イセエビのスープと牛肉ステーキと言う非常にお手頃価格の「ランチメニュー」になったのだが、味はとても良い。けど、てか、何で昼下がりの高級フレンチレストランで男性お一人様がパソコンたたきながら片手でスプーン使ってイセエビスープ飲んでるんだろ?

朝食兼用のレストランなので天井が高くて外の景色も見えて良い中で偶然隣り合わせた(隣のテーブルって意味)のがどうやら日本から派遣されてきた企業の奥さん連中のようだ。

旦那が会社に行ってる間にお友達同士でお昼ご飯を楽しんでいるのだろう、日本の話や子供の学校の話や、とにかく会話が尽きる事がない。3人ともメインは魚注文してたな。けどシャンパン一本のご注文は昼間から勇気ある行動です。

何せ好きでやってきた外国ってわけじゃない、旦那が海外派遣されたからそれで付いて来ているだけだ、昼過ぎの時間くらい自由にさせてくれって事なんだろうな。

海外赴任する駐在員も国によって随分と毛色が違う。例えばロンドンやニューヨークに派遣されるのは一流ばりばりで仕事一筋って人が多いだろうし、シドニーやオークランドに派遣される人々ってのはどっちかと言うとのんびりした人が多い。

そしてアジアに派遣される人は伝統的に地元を見下した眼で見ている。

でもって!この奥さんたちが偶然だけどニュージーランドの話をしていた。「ニュージーランドってすごくいいんですって」

知ってるから。良い国だから。ただし24時間のコンビニもないしお客様は友達思想だし、銀行のカウンターでは入金額の失敗はしょっちゅうだし、たぶん皆さんがリッチに生活をしようと思うのだったら最低の国ですよ、香港のようなサービスってないですよ、思わず喉から出そうになった。

どんな国も天国ではない、天国にするかどうかは本人次第です。てか価値観ですよね。移住先としてはもちろんオーストラリアとかイギリスとか、もっと賑やかでインフラの整った国はたくさんある。

彼女たちはインフラの整ったレストランで涼しいクーラーの下でよく冷えたシャンペンを飲みながらニュージーランドの話をしているんだけど、一年に三回くらい停電するし自宅にクーラーがないし(冷えたシャンペンだけはある)、フレンドリーだけどしょっちゅうミスする国民と楽しく付き合えるのかな?

そしてキーウィはお客を神様と思ってないし友達扱いをされても丁寧な扱いはされない。あなた方が日本人駐在員の妻として地元の人々を見下す事は出来てもオークランドでは不可能ですよ。

そういえば昨日見てた日本食居酒屋でも日本人サラリーマンがつるんでおしゃべりしながら現地の人にかなり傲慢な物言いをしていた。

あああ、ナンだろうか、結局今も世界中に日本人が昔のスタイル(英語出来ない、群ると強いけど一人じゃゴミ、いつも東京ばかり見てる、現地をバカにするetcetc)で散らばっているんだろうかな。

1980年代に比べれば日本人の国際的地位はかなり低下しているので、いずれ昨日行った居酒屋も中国人がわいわいしながら飲むようになるんだろうな。

これから出てくる中国人は逞しいよ。一人でもどんどんと前に出てものおじせずに堂々と英語で発言するようになる。

そうなった時には、群れると強いが一匹では無能力な日本人は戦っていけるのか?てか日本人である以外にどんな能力があるのだ?今君たちが働いている職場だってもう少し国際化すれば、中国人が君の席に座る事になるだろう。

楽天は社内公用語を英語に切り替えた。外に打って出て行く気迫だ。そして少しづつだが日本の大手企業も英語を使い始めている。君の席を守るのは君しかいないんだ。

結局出てきた150gのステーキもすんごい美味しかったんだけどぼくの胃袋のちっちゃいせいもあり100gくらいしか食えず。美味しいだけど、もったいないな。

揺れる飛行機の中でアジアの思い出その1を書いています。


tom_eastwind at 19:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年07月01日

ツッパリ

先日NZdaisukiの掲示板を見ていたらテレコムの電話料金の請求について数件の書き込みがあった。

0161とかければ日本まで1分7セント(約5円)と安い料金になるのだけど間違って0160とかけてしまい、これが料金通知サービスの番号だったもので普通料金の1分88セント(約60円)に通知料金4ドルで合計61ドル(約4200円)の通話費用を取られたとの事。

これ自体は番号のかけ間違えだしかけた本人も仕方ないと思っているようだが、その後の書き込みの一つに「戦ってください」というタイトルの無名の書き込みがあった。

「私も同じように間違ってかけてしまったけど紛らわしい番号にする事自体がよくないって戦って安いレートにさせました、頑張ってみてください」と言う趣意のようだ。

ニュージーランドから日本に電話をするというのは、やっぱり外国に住む日本人にとって数少ない楽しみの一つだ。

この国は移民が多いので、週末は英国まで掛け放題10ドル!とか、電話会社がよくキャンペーンをやっている。

電話会社からすれば設備産業なので利用してもらえば貰うほど儲かる。ホテルと同じで誰も使わずに「その時間」が過ぎてしまえば丸損なのである。

だもんでこの0161と言うサービスも安い通話方法として利用されているのだけど、「戦ってください」さんが言ってるのは自分が間違ったことは棚に上げておいて相手の弱みを徹底的に責める方法だろう。

普通に考えれば番号が一つ違っただけで違うところに電話がかかるのは当然だろうし通話方法によって料金が変わるのは当然であろう。

それを交渉して相手を根負けさせるんだろうけど、何かな〜、この国でそれだけの事をするくらいならもっと生産性の良いことをしてみたらどうだろう。

交渉相手の時間と自分の時間との合計は費用にすればいくらなのか?いくらの費用をかけていくらの値切りをやっているのか?

自分が商売をしているからどうしてもそういう視線で見てしまう。

だって、それだけの時間とヒマがあれば新しいビジネスを思いついて新しい誰かと新しいビジネスをして1万ドル儲ければいいでしょうと思う。

だからこの「戦士」がどのような生活手段を持っているかしれないしもしかしたらすんごい大きなビジネスをしているのかもしれないが、それ以上に感じるのは「あたしはなめられたら怒るわよ」と言う非常に単純な「ツッパリ」しか感じられないのである。

突っ張ることは常に大事であるがそれは手段であり目標がどこにあるのか、そしてその目標が今突っ張るほどの価値があるのか、そのあたりの原価計算がどの程度出来ているのか。

自分自身がガキの頃から突っ張って生きてきたので、出来ればそんな生き方は他の人にしてはもらいたくないと思う。だってあれは本当に疲れるんだもん。

けど、それでも突っ張って生きるってのはその先に見える目標があっての事だと思う。それなら仕方ないけど分かる。

けど人間の持つエネルギーを自分が掛け間違えた電話番号を自分の非を認めずに相手をねじ伏せたとしても、そこにどれだけの生産性があるのか。

もちろんこんな短い書き込みですべてが分かるわけではないのでこの場でどうこうと断定は出来ない。あくまでも推測の範囲なのでもし間違っていればお詫びをしたい。

ただこの書き込みの範囲内で読めることは「ツッパリってのはそんな場所で使うもんじゃないのでは?」という素朴な疑問だけである。

日本人の一番悪い性格として、目的と手段を間違える事がある。突っ張るのは手段でありその先の目的を得るための戦闘行為である。

戦闘行為においては日本人は非常に強い。しかし何故戦っているかと言う事を認識する面では非常に弱い。これが第二次世界大戦(大東亜戦争)で日本が負けた大きな理由の一つでもある。

喧嘩しようぜ、けど喧嘩の目的も常に考えようぜ、そんな事を感じたこの書き込みでした。




tom_eastwind at 22:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌