2011年03月

2011年03月28日

渚にて

AKB48が沖縄映画祭でライブを開催して寄付金を集めている。浜ちゃんも飛び込み出演で寄付金が増えたそうだ。

 

沖縄ばっかりじゃなくて少しづつ北上して鹿児島、宮崎、福岡あたりでもガンガンやってもらいたいものだ。

 

そして同時に「不謹慎派」がこのようなチャリティをどう思うか、是非とも聞いてみたいものだ。

 

「渚にて」はネヴィルシュートによって書かれた、おそらく世界で初めて世界レベルの原発被害について書かれたSF小説だ。

 

http://homepage1.nifty.com/Woodnote/books/science%20fiction/on_the_beach.htm

 

普通はamazonの紹介を入れるのだけど、「渚にて」を検索して偶然このサイトを見つけてその出来のよさに、ああこれならamazonよりもっと良い書評だなと思ったので乗せる。紹介については作者の許可は取っていないので何かあれば僕の責任である。

 

1960年代、北半球の冷戦で原発攻撃が始まった。そして北半球のすべての大都市は崩壊した。その放射能は北半球を覆い大気を駆け巡り北半球のすべての人類は死滅した。

 

この小説はそこから始まる。奇跡的に生き残った米軍原子力潜水艦がオーストラリアのメルボルンに行き普通に生活しているオージーたちと会う、そこからオーストラリア北部など各地を回るのだが、今年は気流が北半球だけでも来年になれば南半球に流れてくる。

 

そうすれば今ここで植えている作物を収穫する間もなくオーストラリアの人々も死んでしまう。自分で何かをしたわけではないのに、他国のやった事なのに自分の国が脅かされて最後にはオーストラリア国民全部が死滅してしまう。

 

ぼくがこの本を読んだのは15歳のころだったと覚えている。最初は物凄くショックだった。一生懸命毎日を生きようとしている人に上にも降り注ぐ放射能。地球上どこにも逃げようがないという現実。

 

そのような状況の中でもオーストラリアの人々はおとなしく運命を受け入れて「明日はこの花、咲くよね」と種を植えて、その花が咲く前に体中から血を流して死んだ。生まれたばかりの子供もちっちゃなベッドの中で真っ青な顔で息絶えている。

 

通常兵器の殺し合いでも家族が虐殺されることはある。交通事故で人が死ぬこともある。日本政府の使えない人減らし策略で山手線に自分から身を投じる人がいる。

 

けれど、原発だけはそのような限定的武器と決定的に違うのだ。自分が制御出来る武器で戦うのは分かる。しかし原発は制御不能だ。地球を破壊するのだ。

 

「戦争の目的は政治的目的を達成するための一つの手段である」とはクラウゼウィッツの言葉であるが、相手の土地を破壊して更に自分の領土を破壊して政治的目的を達成することが出来ない原爆や水爆は、すでに戦争の手段としては使えないのだ。

 

だから小型核兵器と言うものを米軍が開発して限定的な被害に留まるようにしている。

 

しかし民生用の原子力発電については限定的な効果と言う発想がないからどこまでも電気利用と言う発想で広がっていく。そこでプルサーマル、核再利用、廃棄物処理って事で六ヶ所村になるのだ。

 

再度書いておくが六ヶ所村しか世界の電力を守る方法がないしそれで日本国民が納得しているのならぼくは何も言う事はない。制御よろしくっていうしかない。

 

原始時代の人間は火を制御する時に何度も痛い目に遭ったと思う。密林の中で火を残したまま寝込んでしまい山火事になり死んだ人々もいるだろう。

 

けど、それでも山火事であり限定的である。地球全体を吹っ飛ばすという事ではなかった。

 

しかし今の原発、とくに六ヶ所村は確実に地球全体を吹っ飛ばす可能性がある。「何を言うか、今回はこれだけ漏れただけだし誰も死んではいないではないか」

 

そりゃその通り、今はね。問題は、では原発が本当に爆発した場合に地球に及ぼす最悪のケースはどうなのだという事だ。

 

今回は30km以内の人は「ただちに健康被害はない」と言いながら自主退避を求める。次は80kmだろう。「大丈夫だけど食糧とかの配達が大変なので避難して欲しい」

 

そうこう言ってる間に霞が関の連中は次々と政治機能を名古屋、大阪、福岡方面に移す。最上層部の人間だけは「日本全体の為に自分が生き残らねばいけない」と言う理屈で東京から今も避難しているのだ。

 

これは第二次世界大戦末期の関東軍の活動と全く同じである。

 

1945年8月に攻め込んできたロシア軍に対して、無敵関東軍は一般市民に最初は「心配するな大丈夫だ、何もないから」と言いその場から疎開させなかった。その間にせっせと自分の家族や財産は朝鮮向けの列車に乗せて安全地帯に運んで行った。

 

ロシア軍の大砲の音が近づくと「まだ大丈夫だ、あいつらは脅かしているけど、おれら無敵関東軍がすぐに追い払ってやるよ、ははは!」と豪語して民衆に留まるように指示した。そして自分たちが軍隊の糧秣庫からくすねた食糧を列車に乗せて朝鮮に送った。

 

ただそれでも兵隊の数が不足するので、補充兵として民間人を集めて一度も銃を持ったこともないような15歳の子供まで兵士の頭数に揃えようとした、その時も「大丈夫大丈夫、俺たちが守るから」と言った。彼らに渡したのは古い銃と10数発の弾丸、そして2発の手りゅう弾。

 

運命の日、ロシア軍が怒涛のように北満国境になだれ込んできた。その時関東軍は最後の食糧と武器と自分たちを列車に乗せて真っ先に朝鮮に向けて逃げたのだ。

 

残された民間人は何の情報もないまま右往左往して、ここで戦後知られるようになった残留孤児問題が発生した。これはすべてにおいて政府及び軍部の責任である。これ以上はあまりに酷い歴史的事実でありぼくが語るよりも戦後引揚者の人々の話を聞いてもらえばと思う。

 

今回の原発問題も範囲は東北及び関東に広がっているが、すでに京都や名古屋に「一時避難」した政府関係者がいるだろう。

 

ぼくは世界が一定の進歩をする為に原子力技術を生かすってのもありだと思ってる。その意味で感情的な反対派ではない。制御された空間で限定的に運用して、何かがあっても許容範囲内の被害であれば許せると思う。

 

ただ、今すべきことは政府関係者全員を福島原発の前に1時間づつ並ばせた上で今後の原子力政策を語ってもらう事だと思ってる。



tom_eastwind at 21:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月27日

原子力の技術は全然確立していなかった

経済合理性があるかないかってのは足し算引き算であるが、決定する際には最終的にはその地域の価値観の問題である。もしかしてある国では太陽は神様と扱われており、太陽エネルギーが採取出来ることが分かっていても神のものを奪うことなど出来ない、なんて議論が成立して原子力を採用するかもしれないからだ。

 

原子力の受け入れをするかってのはいずれにしてもその地域漁民が魚が食えなくなっても補償金で食えるから良いとか農民が野菜売れなくても補償金で食えるから良いとか、そうやって自分たちで決定することである。ただ原発が事故を起こした場合、その恩恵を蒙らない地域にまで放射線が飛び散るってことは今回明確になった。

 

つまり今までは東電と地元漁民と役所が利害関係者だったのがここに来て東電から電気をもらってないし補償費をもらってない地域の人々が補償費を貰っている地域の人々と同じ危険に曝されている事が発覚したのだ。

 

なので知っている人も多いだろうが現在東電及び政府発表の殆どの「安全性」が嘘であるという、危険性の部分だけを取り出してみる。

 

これは放射能が東日本を飛散しているが目に見えないし今すぐ何かが起こるわけではないので「そんな事ないじゃん」とか「煽るなよ」と言う人向けに知っておいてほしい情報だ。

 

三号炉で使っている燃料がMOXと言うプルトニウムを含んだ物質であり、これはウランよりも強力であり、もっと分かりやすく言えば原爆の原料であるのはよく知られた事実である。

 

プルトニウムの場合は金属もコンクリートも貫通して、屋内に退避している人も屋外に退避している人も同様に被曝する。だから屋内退避に意味はない。その意味で30km圏内の自主退避を求めるって話になったのは当然だろう。

 

ここから先は原発反対派の講演会で発表された、元GE技術者菊地洋一さんの2003年の公演である。合理性とは別に原発現場の危険性と言う視点から考えてみてほしい。本文が非常に長いのでかなり編集、抜粋する。ご興味のある方は下記が全文掲載。

 

http://www.stop-hamaoka.com/kikuchi/kikuchi2.html

 

原子力の技術は全然確立していなかった

 

私が原子力の世界に足を踏み入れたのは平和利用という言葉にだまされて、ちょうど第1次オイルショックの頃ですね。どういう縁か広島出身の先輩で僕に仕事をたたき込んでくれた6歳ほど先輩がいるのですけれども、その人が10年ぶりに尋ねてきて、 原子力の平和利用にどうしても力を貸してくれということで、無理やりGEに引っ張って入社させられたんですね。

 

ですから、エネルギーもない国なんだから、とにかく中東のその湾岸諸国の横暴に日本が振り回されてはいかんということで、原子力でやっていかなければいかんということで、あまり原子力のことを深く考えないで、その先輩の言葉を信じて入社したわけです。

 

 実際に働いてみますと、原子力の技術というのは全然確立していなかった。とにかくハチャメチャなんですね、原発を造っていく工事の段階で。工事のミスが出るということは人間のやっていることですから、よく起こることですけれども、問題なのは設計そのものも十分検討されていない、いいかげんな感じで工事が進められていました。

 

ですから建設中にしょっちゅう変更がある、そのことにもびっくりしましたけれども、送られてくる図面があちこちぶつかっていたり、そういうことにもびっくりしました。自分でチェックしてみて余りにもぶつかっているので、びっくりしましたけれども、とにかく確立された技術じゃないということです。

 

それは何故かというと溶接技術だとか、金属のことを扱う学問として冶金工学といういい方をしていますけれども、そういう冶金工学上の現代技術の限界というものもあるんですね。そういうものを隠したまま、もう技術は大丈夫だというような事をいいながら原発を造っております。

 

 それはいくら安全だといっても、運転してみればわかることで、絶対こんなことがあっちゃいかんというような、炉の中の大事な部分を支えている大きな部品が 360°、1周にわたってヒビ割れだらけになって、それを何とか補修したら、今度は下の方にまた 360°ヒビ割れして、それをまた補修して。そんなことではどうしようもないということで、その部品を大がかりに交換したりもしております。

 

東京電力に交渉したりいろいろしましたけれども、とにかく起きないといいはるわけです。でも実際、電力会社は自分の原発のことを知りません。僕がいろいろ説明をしますと、「へえっ! そんなことあったんですか」 といってびっくりするわけですけれど、調べてみると僕が言った通りになっている。とにかく電力会社は現実を知りません。

 

それはそうですよ。原発の工事現場では、電力会社が一番上にいて管理しているわけですけれども、実際に工事するのは東芝や日立や日立プラントや、IHI(石川島播磨重工業)や三菱や三菱重工、そういった原発メーカーの人達が管理してやっておりますし、いろんな不具合が出てきたときには、自分たちに不利な 事は当然お客さんの電力会社には隠しておくようにします。

 

今回(柏崎)現場に行って(原子炉の)屋根を見ますと、そういう大きな山形じゃなくて、何かお風呂のすのこ板みたいな形をした鉄板が、鉄板といってもブリキみたいなものですけれど、それが張ってあるんですね。その上にやっぱり薄いコンクリートが打ってあって、強度はまったく無いです。おもちゃのロケット弾みたいなものぶちこんでも穴は開けられます。

 

でも、穴が開いただけじゃ原発の大事故にはならんだろうと、こうみな思うかもしれないんですけれど、上から何かものを落として燃料プールというのの中で爆発されたら、もう大変なんです。燃料プールというやつは、蓋がしてないんですね。最上階の床に大きなプールがありまして、そこに使用済燃料というものがぎっしりつまっていて。それはプルトニウムという毒物をいっぱい含んでおりますので、そこが 爆発して大気中にそういうものが飛び散ったら、どれだけ大きな災害になるかと、予想もつかないくらい大きい災害になるのですね。そういうことが簡単に起こるのです。

 

ですから原発は事故もそうですし、テロに対してもそうですし、危険性という点からいけば、まったく割に合わない発電方法です。先程もちょっといいましたけれど、お湯を沸かすだけなのですよ。原子力発電所といったらですね、原子力で特殊な方法で電気を作っていると思ったら大間違いなんです。お湯を沸かして、その蒸気でタービンを回している点では火力発電と何にも変わらない。ですから「原子力やかん」といった方がいいのです。

 

出来た後になったら、これずーっと事故の心配せないかんですよ。いつ事故が起きるかわからんですから。

 

発電が終わった後、どうするかという問題も残ります。まず、撤去することは不可能です。国は更地にして次の原発をまた造るような計画で、30 年前ぐらいは一生懸命いっていましたけれど、一つ壊してみればわかります。商業用の大きなプラントを壊すということは、経済的に不可能です。物凄くお金が掛かりますから。今新しいもの造るより、古いもの壊す方が高い時代です。まして放射性廃棄物ですから、安全にそれを処分しようと思ったら、とんでもないお金が掛かります。その間にも公害がでます。

 

原発を肯定する人は被曝労働の実態を知りません。電力会社が見せる管理手帳だとか、放管といいますが放射線管理がいかに徹底していて安全かということしかいいません。だけど僕の知り合いでも、身内が被曝して死んだということを告白した推進派の建設会社の社長もいます。

 

 推進する側の人は本当の原発の実態を知らなさすぎます。僕は原子炉の中の、配管と原子炉のつけ根、ノズル部分が折れそうになるようなヒビ割れが 360°入って、その補修工事をしました。まず炉内の洗浄をするわけなんですが、もちろん、そこに人間がいたら大変な被曝をするから、ちょっと離れたところから、長いノズルという棒の先から水がものすごい勢いで吹き出すようにしてやる。でも人間が放射能まみれの炉の中に入っていくことは確かです。

 

ですから燃料交換する炉の中に、鉄のゴンドラに人間を乗せて、それをクレーンで天井から吊って炉の中に下ろしてやります。そうして炉を洗いますが、水の反動でゴンドラが揺れるわけです。そうすると原子炉は直径6mもありませんから、半径3mもないわけです。非常に怖いんですね。だからどうやるかというと、上の方で人間が4人で四方からゴンドラを引っ張ってやるのです、フラフラしないように。そうやって原子炉についている放射能だらけの水垢を削り落とすような勢いで洗って下りていくのですけでど、そんな仕事やってみた人いますか、怖いですよ。

 

とにかく原発があったら被曝作業は避けられないのです。電力会社なんかは常に安全だと、管理しているから安全だということをいいまくります。だけどそれは僕のように原発の中で働いてきた人間、まして原子炉の中でも働いたことのある人間として、そんなきれいごとでは絶対に済まないということがはっきりいえます。

 

 僕も白血球が急に倍くらいに増えて、子供がいるから非常に不安だったことがあります。まあ幸い10 日くらいで白血球が元に戻ってくれたので、また現場に入って仕事を続けましたけれども。それは僕は統括安全管理者として作業員の被曝線量を管理したり、安全性をちゃんと保つための責任者でしたから、入らないわけにはいかないから続けたんですけど、本当に苦しいもんですよ。家族がいたりして、そういう仕事せにゃいかんというのは。それやらなかったら他の人達が被曝がどんどん増えるわけですから。マイナス面さえ隠しておいたら、原発って非常にいいように思えるんですよ。

 

●電力会社にも国にも隠される極秘情報

 本当に原発ぐらいウソだらけのことはないのです。GEの僕はトップシークレット(極秘) を見れる立場でやっていましたから、赤いトップシークレットの判を押したそういうテレックスをよく見ましたけれど、電力会社にも国にも隠しているトップシークレットってあるんです。そういうものはみんな隠されたまま安全だと宣伝されているんです。

 

  だからアメリカのGEの、一番原子炉に詳しい開発者達が、僕が辞める1年くらい前に3人揃って辞めました。定年退職前の高級技術者たちです。もう博士号持って、日本のGEの原子力の開発をずっと担ってきた有力なメンバーです。そういう3人がですね、必ず事故ると、

 

  話はそれましたけど、原発のそういう所で仕事やる時はですね、3点セットというのがあって、フィルムバッチとアラームメーターとポケット線量計。この3つを付けるという話がある。その3点セットをはずして記録が残らないように、それ付けているともう仕事にならないですよ。そういう話は現場でよーく聞きました。何度も。ですから浜岡で嶋橋青年が死んで、中部電力がこんな低い被曝線量で死ぬわけがないと。でもその急性白血病とかは原発特有のものですから労災では認めるわけですよ。だけど電力会社は記録みたらそんなに被曝していないと、ちゃんと管理していてこうだという。だけどそういう3点セットを全部はずして仕事しているということはしょっちゅう耳にしていますから。そういうことで死んでいく人もいると思います。

 

今の話に関して特別僕が言いたいことはですね。僕等は事故といいますけども、推進側は決して使いません。よっぽどのことがなければ、死人でも出たら別でしょう。何人か。なかったら事故といいません。みんな事象という言葉を使います。それは事故ではありません、事象ですと。そういう事象が起きただけですと。だけど福島2−3のポンプ事故の前、試運転でも起きていたのです。試運転で機能試験やったらポンプの羽根がぶっとんで、モーターも燃えて、これが世界で一番巨大な原発。



tom_eastwind at 19:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月26日

原子力の経済性

 

★抜粋開始

東京電力福島原発を造った大手重電の元技術者たちが事故発生以来、インターネット放送などで自己批判と原発政策の告発を続けている。

 

 「もっと声を大にして言い続けるべきだった」。東芝で放射能を閉じこめる原子炉格納容器の耐性研究グループ長だった後藤政志さん(61)は話す。1979年の米国スリーマイル原発事故などで、格納容器内が異常に高圧になるとわかり、放射能物質ごと大気に放出する弁を付ける事になった。

 

 「フランスは、内圧が上がりにくく、放射能物質が漏れにくい巨大なフィルター付き格納容器を造った。われわれも必要、と議論したが、会社は不採用。コストだなと思った」と後藤さんは言う。

 

 「高台に建てたり、防水構造にしたりしていれば。想像力が足りなかった」。60年代、国内に技術がなく、津波を想定しない米国の設計図をコピーして第1原発を設計した元東芝社員小倉志郎さん(69)は悔やむ。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html

★北海道新聞より抜粋終了

 

池田ブログでは池田氏が過激な発言でコメントが盛り上がっている。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html

 

原子力の経済性について「“絶対に安全”ではない」と言う現実を口に出せない推進派と感情的に原爆は怖いからという反対派の妥協策が「原発は安全である」だった。

 

「命は何よりも尊いという反対派の論理に対して、推進派は「少しくらい死ぬリスクはしようがないとは口が裂けても言えないので議論がかみ合わない」池田ブログより。

 

どんな技術にも危険はつきまとう。ナイフを作れば手を切るだろう。ライフルを作れば鳥だけではなく人間を撃つかもしれない。

 

だからと言って何もしなければ文明は進歩しない。火を発明した人間はその時点から火傷するリスクと同居してきたのだ。その意味で池田氏は「原発の被害がこの程度であればトレードオフ」つまり経済性があると書いたのだ。

 

ぼくは彼の合理的な考え方が十分に理解出来る。ただ被害評価は彼と全く違う視点で計算する為に結果的に彼と違う答えが出てくる、つまり原子力はどう見ても不合理になるのだ。

 

彼の場合は日本の本流のど真ん中で、東大を卒業してNHKでプロデューサー、その後は大学教授を勤めながら経済的視点から見た時事ブログを書いている。

 

だから彼からすれば電力は必要だ、たくさん必要だ、経済は発展せねばならない事を前提に、経済視点から原子力を評価している。

 

工場が安定して第二次産業製品がどんどん海外に送り出されるから日本は豊かになった、その根本であるエネルギー政策の中心に原子力を据えているのだから、原子力を無くすという議論よりも原子力をどう安全に制御していくかを考えるべきだとなる。

 

そして、こう言っては失礼だが彼のような日本の本流を歩いてきた人々は、自分が放射能に遭う危険性を現実のものとは思えないだろうし実際に皇居の周辺で生活をしている限り、何かが起これば日本のどこよりも最初に政府が守ってくれる地域である。

 

そのような立場にいる人は、放射能の危険性よりも安定した電気の利便性の方に手が挙がるのだろう。

 

ぼくが住んでいるニュージーランドでは商都であるオークランドでも暴風雨の後の停電など普通であり、ぼくの住んでる地域では一年に3〜4回は停電する。だからどこの家でもキャンプをするような道具を一通り揃えており、電気が切れれば蝋燭とランタンを持ち出して家庭内キャンプである。

 

シティでも停電が起こる。1998年の停電の際には街全体の電機がすべて止まってしまい、完全復旧するまでに5週間かかった。

 

それでも人々は暴風雨の後の停電は「自然災害」だしシティの大停電だって「まあ仕方ないな、ありゃ1950年代に作った古い電線を使ってたもんな」くらいである。

 

街中の大停電で交通信号もすべて消えたが、交通整理の警察もいないのに交通渋滞も起こらずに互いに道を譲りあってた。

 

そういう環境で長いこと生活をしていると電気が時々止まる事を前提に生活を考えるから停電してもあまり気にならない。

 

つまり電気が安定しない事で不便さはあるものの、それでも生活が困るわけではない、安定した電気を得る為だけに核爆弾を抱えるって発想はどうしても出てこない。

 

ニュージーランドは非核三原則を貫いてる国であり原則を順守する為に米国の核爆弾搭載艦のオークランド寄港禁止を命令して米国と5年くらい実質的に国交断絶していたこともある。それほどに核に対する反発は強い。

 

生活を豊かにすることは大事だが、生活を豊かにする為に受け入れた核が結果的に生活を滅ぼしてしまうようでは主客転倒である。

 

これが津波や地震なら諦めもつく。自然災害は仕方ない。しかし核は危険だしその被害は甚大なものになると最初から分かっているのに、目先の電機の安定供給だけの為に受け入れる事は、ニュージーランドではあり得ない。

 

電力が安定しない事で発生する少々の不自由も、放射能が飛び散って人が住めなくなるよりはよほどましであると考える。

 

前置きがちょっと長くなったが、原発を選ぶかどうかは国民の判断である。選んだ結果として何が起こるかも事前に知らされている、てか知ることは出来る。

 

その結果としてニュージーランドは退屈な国ではあるが原発を選ばなかった。そして今、停電は時々起るけど原発の不安を考えずに自然を楽しみ生活を楽しむことが出来る。

 

ニュージーランドでキャンプをすれば携帯用コンロを間違って使って火傷するかもしれない。キャンプの料理で使うナイフで手を切るかもしれない。これはキーウィにとっては許容範囲内のリスクである。許容範囲外のリスクなのは原発である。

 

日本では工場の安定操業や24時間開店しているカラオケ、賑やかな電飾のパチンコ、いつでも買い物が出来るコンビニ、ほんの10秒でも停電すると「誰が責任取るんだ!」と発狂したように怒る市民がいる。

 

そのような社会で生活をするには安定した電気が必要であり1億2千万人が安心して乱用出来る電気を提供するには原子力と言う選択肢になってしまう。

そして1億2千万人いても自分がまさか原発の放射能被害になるとは確率的に考えられない人々が霞が関にたくさんいる。霞が関やその周辺で生きる人々からすれば原発は効率的であり「原子力の経済性」が存在するのである。

 

 

 



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2011年03月24日

病院に行かないキャンペーン

「難航必至の復興財源確保=所得増税案も浮上−政府・与党」

 

政府がまたこんなわけの分からん理由で増税しようとしているが、そんなもん増税する必要なんかない。既存の年間予算80兆円の中で賄える。

 

震災復興として10兆円程度と言う数字が出てきている。80兆円あるのだ、そこから絞って10兆円出せばよい。

 

けど、どうやって?ここで発想の転換をすればよいだけだ。

今国民は東北の人々の為に何かしたいとか国民が一致団結して頑張ろうというこぶしを振り上げているが、多くの人はその足で「あ、今日は病院の予約が入ってるから行かなきゃ、薬もたくさんもらわなきゃ」と、いそいそと病院に行く。

 

例えば薬代と診察代が合わせて自己負担が1500円としよう。けどこの時国や健康保険組合はいくら負担しているのだ?いろんなケースがあるので一概に言えないだろうが、自己負担3割とすれば3500円は国や健康保険組合から払われている。

 

これは当社でも看護婦さんが働いているのでよく聞くが、病院に来る人の3割は不要不急、もっと言えば来なくても何も問題ないケースである。それなのに保険があるからと「安心を買いに来る」のだ。

 

「すみません、ちょっと風邪気味なので医者に行って薬貰ってきます」、これを止めれば良いのだ。風邪をひいたら自宅で暖かいレモン茶でも飲んで寝てろ。それで5000円が払われずに済む。

 

自分の不安を解消したい、安心になりたいだけに医者と薬と自分の時間と政府の金を使う無駄を止めれば良い。

 

医療費ってのは困ったことに、どこでいくら払われているか正確な数字が公表されていない。しかし見る限り医者と薬で10兆円くらいではないかと推測出来る。

 

10兆円のうち3兆3千億円が無駄に支払われている。ちょっとした怪我や病気は自分で治す。東北で人が死んでる時に風邪や切り傷でどうこう言う必要はない。そして自分で払うつもりだった3割、4千億円は寄付に回す。これで3兆7千億円が捻出出来た。

 

そして次にやるのは民主党の公約である公務員の給与の即時一律2割削減だ。国家の非常時なのだ、日頃国民に食わせてもらっているのだ、一年くらい我慢して当然だろうが。

 

公務員の総数は約400万人。一人当たり年間給与がボーナス込みで600万円として24兆円だ。これを2割削減すれば4兆8千億円。

 

この二つだけで8兆5千億円の節約ができる。残りの1兆5千億円だってこんな感じでゼロベースから見直して政府と国民全体が東北復興の為に協力すればよいのだ。実は具体的に削減できる部分があるのだけど、あんまり過激だから書かない(笑)。

 

ただ、これを機会に国民には、増税の時はワーワー文句言うけど自分が税金遣う側になったら無駄使いってのをやめるべきだ。

自分たちが病院で使っているお金は、実は自分たちの税金なのだという事を意識しよう。

 

大震災以来国民は一致団結とか寄付とかどうこう言ってるが、もう一歩踏み込んでみんなの税金を無駄に使わずに東北復興に回そうよと考えてみればどうだろう。



tom_eastwind at 17:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月23日

大丈夫、ただちに健康に影響は出ないから

昨日のニュージーランドの夕方6時のTVONEで陸前高田の様子が映し出された。地震と津波が起こった時に、地元の小学生の子供たちは高台の学校にいて難を逃れたとの事。

 

しかしその直後に彼らが見たのは、今朝学校に来るまで自分たちの住んでいた街が泥に埋まりすべてのものが流された痕だけだった。

 

隣の家の何かと面倒見の良かったおじいちゃんも流された。「おお、お前のお母さん今出かけてるぞ、うちで焼きそばも食っておけや、おいばあさん、やきそば一人前!」

 

近所の、よく勉強を教えてくれたおにいちゃんも「ほら、ここはこうやれば簡単に解ける数式なんだよね」そのお兄さんの消息も分からない。

 

そして親も兄弟も親戚も・・・・ついさっきまでそこにいた人たちがすべてまぼろしのように消えてしまい、どこに行ったか分からないのだ。すべてが津波に巻き込まれた。すべてを亡くしたのだ・・・。

 

10歳くらいの女の子が救助隊に守られながら自宅の跡から何とか泥をかぶった自分のカバンと、カメラを見つめて真面目に映ってる家族の写真を見つけて避難所に持って帰ることが出来た。

 

その子供の友達は一緒に泣きながらも「写真、あってよかったね」と喜ぶ・・・・どうすりゃいいんだ・・・。

 

彼らはこれからバスで避難所から次の避難所に向かう事になるが、突然の事態をどこまで理解して対応出来るのだろうか。まさにこの天災の中でそれでも人々は助け合おうとする。

 

こんなニュースを毎日のようにニュージーランドのTVONEでやられるものだから日頃仕事帰りに寄るノースコートの韓国の食材店では日本語で「日本頑張れ!」と張り紙されてるし、お店の人に「君の家族は大丈夫だったかい?」と心配してくれる。アジアから遠く離れたオークランドでアジア人同士が思いやれるのはうれしいことだ。

 

ここまではすでに起こった天災の話だ。あとは人々がどうやって経済を復活させていくかの問題だ。ぼくらがやるべきことは出来るだけ早く経済復興するために一生懸命働くだけだ。下らん「不謹慎派」や「私ってなんて優しいんだろう症」の、何もせずに他人の足を引っ張るだけの連中は無視して前に進むのみだ。

 

しかし怒りはこれからだ。

 

新聞はいたずらに不安を煽らないようにという書き方で「放水再開」とか「電源再開」とか書くけど、今までに大気に放出した放射線はすでに東日本の空に立ち込めているのだ。それがまずは問題なのだ。

 

第四プールなんて底に亀裂が入って水漏れしているのは明らかである。全然データがないから正確な計算のしようもないが、少なくとも1時間数トンあたりの水を注入しているのだ、だったら例えば最初の1トンが水蒸気となったとすれば、それは放射能を含んだ水蒸気でありそれが大気中に放出されたって事だ。

 

更に次の数トンが100度以下になったプールに溜まったのならそのうち連続放水で水は溢れるはずだ。溢れた水も、もちろん放射能を含んでいる。

 

その水をいくら注入しても溢れないってのは、底が割れているからでしかない。割れた場所から大地に流れ込む放射能を含んだ水は大地に大きな影響を与える。割れた場所を特定して塞ぐしかないが、それまでは放射能が漏れ続ける。

 

そして今は東京の空に降る放射能が基準の10倍と言う。それを「東京からニューヨークに飛行機で飛ぶくらいの放射線より少ない」から「ただちに健康に影響が出る量ではない」と東電の学者に数字でいかにも何でもないような書き方をする。

 

じゃあ基準値って何だ?要するにその場その場で都合の良い基準と数字を並べておいて安全だ安全だといっても信じられないのが問題なのだ。なぜなら今まで政府は今までも危機の時に本当のことを言わなかったからだ。

 

はっきり言うが日本のエネルギー政策は当時の金儲けしたい連中と自分の技術を自慢したい科学者と役人の天下り先が欲しい談合の結果である。彼らの視点には日本国民や地域住民の健康は全くと言っていいほどない。

 

原子力が他の自然エネルギーよりも利用価値が高かったのではない、関係者一同にとって利用価値が高かっただけだ。彼らにとっては将来起こるかもしれない原発事故よりもとりあえずの出世が大事だったのだ。

 

所詮中央官庁にとって大事なのは自分たちエリートが作る国家であり、皇居のお濠から50km圏内が無事であれば、あとは放射能のために死ぬ田舎の連中などは捨石なのだ。

 

だから1990年代に風力や太陽電池などの自然利用エネルギーが出てきても経産省は何のサポートもなく一切無視、原子力だけを推進してきた経緯がある。

 

役人が地域住民の健康や生活など全く無視しているって歴史的事実がある。

 

多くの日本人は忘れているだろうが、九州熊本の水俣イタイタイ事件と言う公害が発生したのは40年近く前だ。チッソと言う会社の水俣工場が垂れ流した水銀を魚が食べて、その魚を食べた村人が水銀中毒に罹ったのだ。

 

体はやせ細り手足はまるで骨折したように歪み、歩くことも出来ずにうーうーとうなるだけで、最後は苦しみながら水銀の為に脳に異常を起こして死に至る病気である。

 

そしてそれまでは魚の宝庫として有名だった水俣は、水銀事件を契機に魚は売れない食えない野菜は食えない牛乳は飲めない、つまり死の街になったのだ。

 

水俣被害はチッソが水銀を垂れ流した時点でわかっており、それでも経産省(当時は名称は違う)幹部は「今はこの問題を表に出すな、日本全体が成長しているときに足踏みをするわけにはいかない」って事で事件は一年以上放置され人々は知らずに汚染された魚を食べて被害は拡大した。官僚の出世の為に多くの人々が悲惨な死に遭遇したのだ。

 

今回の原発も同じである。すでに放射線は空気に乗って周辺地域に広がり海は汚染された、だれがこれから野菜や肉を東北地方から買うだろうか?

 

ここではっきりさせておきたいのは、ぼくは単純な感情論としての原発反対主義者ではないって事だ。

 

他にエネルギーがなければ原発もありだ、きちんと制御出来れば原発もありだと思ってる。だから他の自然エネルギーと比較してもよい。発電コスト比較があっても良い。

 

けれど大草原の風力発電の塔が一本倒れても、だれも死なないよ。要するに原発推進派の言う発電コストは、100年に1回のメルトダウンが発生した場合に周辺住民が死亡するという人間のコストを計算していないのだ。

 

これからも東北や関東に放射線が降り続ける。いつ終わるか誰にも分からない。「ただちに健康に影響が出ることはない」ってのは、ただちでなければいつか健康に影響が出る、つまり原爆症に罹るってことだよね。

 

実際に広島や長崎で被曝した人が全員その場で発病したわけではない。原爆の放射線を浴びて数年後に発病した人もいるし子供が原爆症になったケースもある。

 

このように「ただちに健康に影響はない」と言うのが官僚、霞が関文学と言うやつだ。言葉のごまかしに引っかかった人々は何も知らずに「おいおい、不安を煽るなよ」とか「政府がそんな事をするわけがないだろう!」と言う。

 

けど、後日健康に影響が出てもその時は「この方は元々体の弱い方で今回の原発事故とは関係なく白血病でガンになり死にました」となるのだ。

 

「へ、大丈夫さ、あいつら下々の連中は事故から一年も経てば原発のことなんてすぐ忘れてしまうさ、無視無視」って笑ってる声が聞こえそうだ。

繰り返すがこれは人災であり、経産省と電力会社とそこで働く霞が関エリートが作り上げた、自分では絶対に放射能を浴びる事のない場所で作り上げた虚構である。こいつらだけは絶対に許せない、こいつらと家族を今放射線を振りまいている原発の前に連れ出して1時間くらい立たせたいと本気で思う。

 

そして言ってやる。「大丈夫、ただちに健康に影響は出ないから」



tom_eastwind at 15:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月22日

戦の仕方

★記事開始

首相官邸に怒鳴り込んだ。21日午後、石原都知事は菅首相に会談を求めた。理由は福島第1原発3号機で、英雄的な放水活動を展開した東京消防庁の隊員に「速やかにやらないと処分する」と脅した閣僚がいたからだ。

 

 「現場の事情を無視して、(放水作業を)速やかにやれ、やらなければ処分すると…。みんな命がけで行い、許容以上の放射能を浴びた。担当大臣か何か知らないが、恐らく上から来るのだろう。そんなバカなことを言うのがいたら戦(いくさ)にならない。そんなことを絶対に言わさないでくれと言ったんだ」

 

 会談後、石原氏は首相に厳重抗議したことを明らかにした。これに首相は「大変申し訳ない」と謝罪、「恫喝まがい」の発言があったことを認めた。21日夜、会見した枝野幸男官房長官(46)も「事実関係を調査し、善処する必要があれば対応する」と述べた。

 

 また、都関係者は21日夜、問題の発言を行ったのは海江田経済産業相だったと述べた。「処分する」といった人間が「処分される」可能性が出て来た。

 

 石原氏は記者団に「処分するという言葉が出て、隊員はみんなガク然とした。指揮官は、それが一番不本意だったと言っていた」と不快感を示した。石原氏は「処分」と発言した閣僚が誰かは触れなかった。言った人間よりも、その上にいる“言わせた人間”に怒っているのだろう。

 

 また、同隊が使用した放水車の連続放水能力は4時間が限度だったが、政府側の指示で7時間連続で放水したため、石原氏は「完全に壊れた」と説明した。

 

 一方、東京消防庁ハイパーレスキュー隊など帰京した隊員の活動報告会が21日午前、東京都内の消防学校で行われ、ここにも石原氏は出席。参加した115人の「勇士」を前に号泣、言葉を詰まらせながら感謝を述べた。

 

 「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…もう、言葉にできません。本当にありがとうございました。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」 石原氏は、この報告会で「恫喝まがい」の発言を知り、すぐさま首相官邸に突撃したとみられる。活動報告会に参加した隊員の1人は、「あの強気の知事が涙をながして礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。

http://www.sanspo.com/shakai/news/110322/sha1103220507015-n2.htm

★記事終了

 

まさしく第二次世界大戦末期、南太平洋の多くの島で起こった事と同じだ。

 

戦争末期、南太平洋に取り残された兵隊は食べるものは木の根もなく飲む水もなくそれでも自分の陣地を守り最後は日本万歳と死地に向かって突撃を行って散っていった。

 

彼らは自分たちが特攻しても勝てるとは思ってなかった、ただまさに少しでも自分たちが食い止める事で家族や友達のいる日本本土を一日でも長く守れると思って特攻したのだ。

 

逃げることも出来た。捕虜になることも出来た。負傷兵のふりをして戦いを拒否することも出来た。それでも多くの兵士は自分から志願して戦いに出たのだ。

 

そういう若い兵隊たちに向かって当時の東京の大本営やシンガポールの南方軍司令部は馴染みの料亭に通い酒を飲み女をはべらして大言壮語!「なんだあ、南方はなっちょらんのあ〜!わしが行けば鬼畜米英など一発じゃ〜!」「兵隊はびびっちょるんじゃないか、突撃せん時は軍法裁判だぞと言っておけ!かかか!」などと豪言をまき散らしていた。

 

★当時の戦争中のシンガポールに料亭があったの?と単純な疑問を持つ人に説明すれば、日本の司令部が海外に出ていくときは必ず司令官馴染みの東京の料亭に「おい、わしが今度シンガポールに行くので料亭を用意しちょけ、あ、もちろん女もな」と言うのが常識であった。つまり戦地に行っても自分たち高級将校だけは常に酒池肉林だったのだ。もちろんこのような施設?は一般の兵隊は利用できない★

 

多くの若者が南太平洋に散り、当時の大本営や南方軍司令部で大言壮語を吐いていた連中は戦後もぬくぬくと日本で生活をして老後を過ごして「おれは正しかったのだ!」とほざく。太平洋戦中インパールなどあちこちの方面で若い兵隊を殺した高級将校、代表が牟田口だろう。

 

今回の消防隊の任務はまさに命がけであるが隊員たちは「自分に行かせて下さい!」と手を挙げた。放射線と爆発と言う二重の敵を相手に命を捨てて戦いに行った。

 

そんな若い隊員を守る総司令官にあたるレスキュー隊の隊長も自ら最前線に出て指揮を取り、ホースを準備してさあ戦いに行こうとするまさにその時「早く行かんと処罰するぞ〜!」だと!!

 

ふざけるのもいい加減にしろ!お前らのような後方の安全なところでぬくぬくしている連中が現場も知らずにエラそうな物言いをしやがって、そういう発言が戦いの現場でどれだけ指揮に影響が出るか分かっているのか?

 

分かっていない官僚だから、現場の放射線にまみれてない連中だから、どうせ最後は自分たちは官僚同士で固まって逃げ切ったりするような連中だから、第二次世界大戦では多くの若者が捨てなくても良い命を捨ててしまい、挙句の果てに戦争に負けた。それもすべて現場を知らないばかな東京の連中のせいだが彼らは何の責任も取ろうとしなかった。

 

結局この日本では自分たちで現場を踏もうとしない官僚だけが出世して、そういう連中が戦時の指揮を取るからこんなバカなことが起こる。

 

石原氏は毀誉褒貶の多い人物であるしぼく自身彼の評価は定まっていない。ただ、戦時の大将としてはとても優秀であることを認める。今回のレスキュー隊員送り込みでも、それが何を意味しているか一番よくわかっているからこそ報告会で号泣したのだ。

 

福島原発で命がけの戦いをしてきた兵隊たちが戦地から戻ってきたその時、兵隊たちに命令を出した内閣はどこにいたのだ?兵隊たちをねぎらうべき総理大臣や内閣の大臣は、どこにいたのだ?

 

天気が悪いと言って視察を取り消したような総理大臣、そして「はやくやらんと処罰するぞ!」とほざいた海江田大臣、現場のやることにそこまで文句があるのなら今すぐぬくぬくとした安全な場所から出てきて、自分たちで福島原発3号炉の正面に来てホースを構えてみろ!



tom_eastwind at 12:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月21日

笑い

 

デイブスペクターのついったーで笑えたのがこれ。

 

「震災後に略奪が起こらないことが海外で称賛されています。日本で略奪があるのは愛だけですからね、山路さん。」

 

はは、さっきまでハイパーレスキューの活動や米軍ヘリの(どうやら上官の許可なし)食糧援助ニュースとかで重くなってた心が、ふっとこういう軽い冗談で救われた。

 

被災者に必要なのは「つながってる」って気持ちだってのを聞いたことがある。それと同時に、笑いが人間を元気付けてくれるのも分かる。

 

この際よしもとは「不謹慎」なんて無責任な批判を無視して被災者の集まる場所で東北巡業をすればどうだろうか?日頃は大嫌いなよしもとだが、それで皆が笑えるならよいと思う。

 

しかしデーブスペクターのついったーひとつにしても「不謹慎」発言が出ている。日本人はどこまで行っても非合理を愛して無理を押し通して結果的に不幸になる道を選びたがるのだろうか?

 

笑いは必要でしょ。許せる範囲内であればむしろ積極的に受け入れていくべきだと思うのだけどな、これだけは日本人、変わりようがないのかな。

 

週末は当社のスタッフと日本の家族が電話で話したようで月曜日の朝出社するとみな口々に「え?やっぱりあんたんとこも同じかい」となってた。

 

彼らは週末に日本の実家に電話して

「そこって一応危険な地域だから、しばらくの間でもこっちに来れば?」

「大丈夫よ、そんな事ないし、第一そんなことがあったら東京に行くわよ」

みたいな会話がだんだんエスカレートしてきて

「てゆ〜か、危ないんだしこっちきなよ、一時的なんだからさ!」

「何言ってんのよ、みんなが大変な時に外国に行くなんて出来るわけないでしょ!」

となる。

 

あるスタッフが父親に電話すると「お前は何もわかっとらん!」と怒られたそうだ。「今は日本全体が大変なことになっていることをわかっているのか!」

 

うんうん、そこはよく分かる。けどだからと言って一時避難するってのは別の次元の話ですよね、そういうと、「お前は外国かぶれだ!」となってしまう。

 

この非合理さは結局個人で徹底的に理論追求をするという学習をせずに、とにかく周囲と同じ事さえしていればそれで間違いないのだって生き方をしてきた日本人の持つ特色でもある。

 

日頃は「海外で生活しているんですか、おー、」みたいなことを言われるけど、腹の中では「この外国かぶれ」になってしまうんだろうな。

 

これは言葉を変えていえば、例えば在日韓国人が努力してビジネスを成長させて、日頃は皆が「社長、すごいっすね!」とか言いながら、裏に回って「あの在日野郎〜」ってのと同じだ。

 

日本人の美徳と言う考え方が語られるとき、それは何も考えずに滅私奉公みたいなところがあるが、それはとにかく右に倣えのステレオタイプの美徳であり、他人に気を遣ったら更に相手に気を遣われて、お互いに結局本音は何も言い出せなくなってきれいごとばかり言って最後はどぼんの美徳だ。

 

日本人が個人で、例えば倭寇で中国に攻め入った事や山田長政がシャムに日本人町を作る事は、表面はどのような事を言っても所詮は「外国かぶれ」にしか過ぎないのだろう。

 

個人がその力量だけで強く生きていこうとしても、それは日本人らしくないのだ。おらが村が一致団結した時だけ中国に攻め入って全員で口を揃えて「ちゃんころ」などと現地人をバカにして、それで自分たちの団結心を確認しあう。

 

そこには個人の思想も理屈もない、おいっちに、右へ倣え!であり、それもその場の空気で何となく醸成された結論でありそれが周囲と整合性があるかどうかなんて考えようともしない。

 

原発事故はまだ終わっていない。予断を許さない状況であるが、燃料棒が全部溶けてしまえばそれ以上の問題はない、それが30kmか80kmなのかは不明だが。

 

しかし今回の問題で浮き上がったように、問題は日本人の多くが何かあった時に「右へ倣え」をすることで、その方向性が正しければとてつもない力を生み出すが、その方向性が間違っていた場合、集団で崖に向かって前も見ずに突っ走っていくという事だ。

 

常に集団の中にいてその温かみを楽しんで、死ぬときは一緒よって人ならそのような村は住み心地が良いのだろうな。ただどうしてもぼくはそういう場所で何も考えずに生きていくなんて事が出来ない。

 

被災者を笑わす事で一息つかせてあげることを不謹慎と言い、自分の頭で考えることを外国かぶれと言い、外国人が日本で努力しても所詮は二級市民扱いでありながら、けれど自分の頭では何も考えようとしないし努力もしない人々には、ただ単純に息苦しさを感じるだけである。



tom_eastwind at 18:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月20日

Q+A

 

ポールホルムズはニュージーランドでは有名な司会者で、日本で言えば田原総一郎みたいな地位にいる。

 

彼が司会者として日曜の朝にQ+Aという時事番組をやっている。今朝のネタはクライストチャーチの復興についてだ。

 

最初にまずジョンキー首相に対するインタビューが単独で行われ、そこでクライストチャーチ復興費用をどのように選出するかと言う質問がされた。

 

「まずは各大臣が自分の予算の中で使われてないものや無駄なものがないかを調べて閣議にかける予定だ、その後もどのように費用を捻出するかを考えていきたい」と、やはりというか当初の予定通りと言うか、予算は効率的にということだ。

 

 

例えば復興費用の為に老齢年金を削るか?経済発展の為に必要な経費を削るか?それとも教育予算?それとも政府のファンドで借金するのか?

 

教育には力を入れなければ知的レベルの低下は将来的にニュージーランドの大きなマイナス要因になる。老齢者は一定のお金を貰えることを前提に生活をしている。ファンドで借金すると言ってもその支払いは誰がするのか?

 

金をどこから用意するのか?ニュージーランドはちっちゃな国だ。日本のように東北大地震でも何かを揺さぶれば金が出る仕組みではない。

 

「被災に遭った人々への直接給付は当然行うべきだ。しかし復興となると話は別である。国民の税金を使うのだから国民全体の理解を得られるような内容にすべきだろう」というのがテーマだ。

 

この番組では参加者は

ジョンジョハンソン:政治学者

マイケル・バーネット:オークランド商工会議所

ヴィッキ・バック:クライストチャーチ元市長

 

オークランド商工会議所のマイケル・バーネット氏が「シティ機能をいくつかに分散すればどうだろう?(大聖堂を中心とした」中心地は観光地として再開発すれば良いと思う」と発言。

 

これはまさに僕が数日前に書いてたことと同じ内容だ。

 

それに対して元クライストチャーチ市長は椅子の肘掛けに寄りかかりながら「あ〜ら、街中は緑が豊富なのよ、だからやっぱりシティ機能は街の中がいいのよ」と意味不明な発言。

 

復興に使うお金は国民全体の税金から支払われる。災害救助の費用は相互扶助の精神であるから当然全額を政府が負担するとしても、その後のクライストチャーチという場所のグランドデザインはゼロから見直すべきであろう。

 

今まで大聖堂を中心として広がってきた街そのものを、次の100年続く街にする為にどのような形の街つくりが良いかを国民全体の意見を集約して話し合うべきであろう。

 

もちろん地震がなければ再開発と言う話もなかったが、地震はすでに発生したのだ。ならばこれを機会に次の100年を考えた街づくりとなるし、そうなれば「今の場所」にしがみつく理由は感情論以外に何もない。

 

これを感情論で「冷たい!」とか言っても意味はない。どうしても今の場所に今までと同じようなビルを建てたいというならそれはどうぞ、土地は彼らの私有地であればそこに何を建てるかは彼らの自由であるが、それは自分のお金でやってくれって事だ。

 

今東北では多くの被災者が埼玉、千葉、東京に避難している。大阪府も受け入れを表明した。電力確保の意味で言えば関西以西に移住する方が良いだろう。

 

被災者向けの新幹線無料切符や無料宿舎、食糧と学校を手配するようだ。1年と言う期間なのでそれなりに安定した生活が出来るし、自分たちの生活を再構築する為にどうしよかと考えることも出来る。

 

ところがここ東北でもクライストチャーチと同じような話が出ている。

 

★抜粋開始

81:名無しさん@十一周年:2011/03/16() 23:34:16.88 ID:LkaNXKhB0

残った人が懸命に復興頑張って何とか成りそうにようやくなった時点で

のこのこ関西で楽して疎開生活した連中が帰ってきて住民まとまるのか?

 

248:名無しさん@十一周年:2011/03/16() 23:42:30.75 ID:locPUJw3O

>>81

死ぬよりいいだろ

田舎は親戚だらけだし、爺ちゃん婆ちゃん病人抱えて復興は無理だよ。持病抱えてる人や、足の悪い人とかは、医療施設やライフラインがまともに機能していないところでは家族にとって、かなりの負担になる

★抜粋終了

 

クライストチャーチで被災して自宅もオフィスも店も入れなくなり日本に避難したら「クライストチャーチを捨てるのか!」発言である。

 

「緑が多いのよ」なんてのんきな事を言ってるのが元市長であり、「チャーチを捨てるのか!」と言ってるのが市民である。

 

足の引っ張り合いや他人の懐を期待して自助努力を忘れてしまうそのような街で誰が住みたいビジネスをしたいと思うだろうか?

 

ぼくは地震と言う天災があってもそれを逆に利用して、今まで既存住宅や様々な利権で実行出来ずに縛られていたアイデア、例えば100年続く街づくり、市民を集中させる事で行政などの効率化を図るなどを実行すればよいと思う。これはクライストチャーチも東北も同じだ。

 

そして街を復興させてから避難していた人たちに「クライストチャーチは無事に復興しました、安心して帰ってきてください」と言って人々を再集合させるのが本来の街づくりであろう。

次の100年を楽しめる街にする、そして世界中から「この街に住みたい!」と言わせて人口増加を図る、それでこそ魅力的な街と言えるのではないか?





tom_eastwind at 13:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2011年03月19日

広瀬隆氏のダイヤモンドオンライン記事が秀逸

広瀬隆氏のダイヤモンドオンライン記事からメルトダウン=チャイナ・シンドロームについて、以下の記述を示している。

 

 ★抜粋開始

「電気出力100kW原子炉では、熱出力がその3倍の330kWある。この原子炉では、原子炉自動停止しても、その後に核分裂生成物が出し続ける崩壊熱は、1日後にも、15560kWもある。またその発熱量がどれほど小さくなっても、永遠に熱を出し続けるので、燃料棒が原子炉にある限り、それを除去し続けなければならない。なぜなら、原子炉という閉じ込められた容器内では、熱がどんどんたまってゆくからである。

 

 それを除去できなければ、水は100℃で沸騰するから、水がなくなり、燃料棒がむき出しになる。そうなれば、超危険な放射性物質が溶け出し、燃料棒の集合体が溶け落ちる。

 

それが炉心熔融であり、メルトダウンと呼ばれる。燃料棒の集合体が次々に溶け落ちると、炉の底にたまって、ますます高温になり、灼熱状態になる。やがて原子炉圧力容器の鋼鉄を溶かし、お釜の底が抜けると、すべての放射性物質が、外に出て行く。これが「チャイナ・シンドローム」と呼ばれる現象である。」

 

一方、燃料棒被覆管のジルコニウムが水と反応して酸化されるので、水素ガスを発生する。水素ガスの爆発限界は、最小値が4.2%であるから、この濃度になれば爆発する。


http://diamond.jp/articles/-/11514

 

★抜粋終了

 

今日は民主党と自民党の大連立の話や節電で東京のネオンを消そうという話が出ているが、メルトダウンは終わったのか?いまだ持って燃料棒は燃え続けており、死の灰は降り続けているのだ。

 

福島第1原発の事故がレベル5と暫定評価されたことについて東京電力の清水正孝社長は19日未明、「極めて重く受け止める。広く社会の皆様に大変なご迷惑をおかけし、心よりおわび申し上げる。自然の脅威によるものとはいえ、痛恨の極み」との談話を発表したとの事。

 

このうそつき野郎め。原子力発電所の事故による放射能汚染は、自然の脅威ではなくあくまでも人災である。

 

地震と津波は天災であるが、放射能汚染については原子力をエネルギーとするという国策を決定した1970年代の時点でわかっていた。人間の責任を自然に転嫁するなんて、どういうバカだ。

 

原子力推進派は「原子力は危険であると言い出したらなんだって危険じゃないか」と言う。いや、まさにその通りその通り。違いは、原子力は桁違いに危険だってだけだ。

 

それは水力発電所のダムが決壊したら下流の人々は巻き込まれて死ぬかもしれないが、翌日には生き残った人々が土地を耕すことは出来るけど、死の灰が降ったらずっと土地が使えなくなるだけではなく人々も子供の代までずっと原爆症の恐怖に怯えながら生きるしかなくなり、汚染された土地では一切の食糧を作る事が出来なくなるってしまうって、ただそれだけだ。

 

問題は、それほど桁違いに危険なものでありながら原子力推進派が金儲けの為に「安全だ〜」と言い張って、反対派も補償金もらえるならいいやって事で「そうか、お前が安全って言うんだな、、だったらまあいいや」という馴れ合いであった。


「おらさ田舎に原発くりゃ、あんた、なーもせんでお金が入るだがよ、こで先祖代々の田んぼも、なーもせんでも守れるぜよ」

しかし原発はおらが村の田んぼだけでなく、おらが村そのものを吹っ飛ばしてしまうものだった。いつもと同じだ、目先の利益に目がくらみ、先祖の土地をきちっと耕すって努力を怠った結果がこれだ。
 

2007年にNHKの討論番組「原発」についてぼくが書いたブログの中にこんなセリフがあった。

 

★(推進派の発言で)「電気代は毎月払うものですよ、それは出来るだけ安いほうがいいでしょ?」そりゃそうだ、その部分だけを見ればそういう事。でもさ、その代わりに受け取るものが核爆弾じゃ、あんた、情報の片手落ちでしょ。★

 

http://tom.livedoor.biz/archives/50783260.html

 

多くの人々が原子力の危険性を訴え続けてきた。しかし同じ人々が「こんな最悪の予想は外れてくれ」とも本気で思っていた。

 

本気で国民の事を考えなかったのはいつもと同じ、役人と大企業である。

広瀬氏も書くように、これから何か月も死の灰は降り続ける。風に乗って東北地方に流される。子供たちは汚染された空気を吸って生活をする。その責任は地震でも津波でもない。



tom_eastwind at 11:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月18日

明るいニュース

 

今朝のラジオでは震災時に仙台にいた最後のキーウィと連絡を取れたとの事。久しぶりの明るいニュースだ。そして同時に、米国は米国人の為に大型機を仕立てて米国本土に戻す計画を進行中との事。

 

成田空港は出国をする外国人と再入国許可を取る窓口が通常の10倍くらい込み合っており大変な状態になっているとの事。

 

成田空港のインタビューでは「日本政府は本当の事を言ってない。とにかく今は危険から逃げるだけだ」と答えていた。

 

フランス政府は「日本政府がメディアに発表している原発に関する話は“Different Story”だ、違う筋書きだ」と発表した。フランス政府は今回の事態を非常に悲観的に見ており、原子炉事故発生後、日本政府が事態を掌握して炉心の制御を出来たことは一度もないとも伝えた。

 

それに対して日本から発信される今朝のニュースはどうやら日本政府からの報道規制がかかったようだ。原発に関する記事は「空から水まいたら一定の効果があった」で終わりだ。バラに水撒きしてるんじゃないんだから、一定とは冷却が始まったのかそれとも一定の効果しかなくてまだまだ熱が発生しているのか?

 

いずれにしても明確なのは水素爆発が起こった時点で放射線が空中に飛び散ったって事で、その後もむき出しの制御棒に水をかけているが、その水が水蒸気になるたびに空に放射線が舞い上がっているという事実だ。

 

それにしても一体どちらの話を信じれば良いのか?日本政府は「デマに振り回されるな、厳しい状態だが制御は出来ている」と言う。

 

では米国、フランス、ニュージーランド、豪州、韓国、などなどの諸外国政府がデマに振り回されてフランスと米国政府がチャーター機を飛ばして自国民を避難させているのはデマに振り回されているのだな。

 

そして一般的な日本国民の感覚は「今は日本が大変な時だ、そんな時に避難するなんてダメだ、国民全体が一致団結して対応すべきだ」だろう。阪神大震災のイメージなのであろう。

 

けれど今問題になっているのは愛国心ではない。通常の地震ではまず震災直後の救助、それから復興と言う作業がある。ここまでの話では日本国民団結となるだろう、それは良い。

 

“デマに振り回されている諸外国”の言ってることは、「地震国から避難しろ」ではない、今これから空から降ってくるかもしれない放射線から逃げろと言ってるのだ。

 

例えて言えば、たった今地震が起こった!さあどうする!当然誰もが高台に避難するだろう。津波が来るかどうか分からない、けれど津波が襲ってきた時に巻き込まれて死なないように一時的に避難をするのだ。その時には助け合いで老若男女が手をつないで一緒に逃げていくべきだろう。

 

原発事故ってのは要するにこの津波と同じで、放射線が降ってくるかもしれないぜって話である。だから自分の街に降ってくるかどうか分からないけど、もし出来る人は避難しましょうというのが諸外国の考え方だ。

 

放射線が降らなければ日常生活に戻ればよいだけの事だ。国民がいくら一致団結しても精神論では空から降る放射線を止めることは出来ないのだ。

 

ところがそういう話を美味しんぼの原作者が訴えると「おれの住んでいる街にいちゃもんつけるのかよ!」とか「お前なんて外国から高みの見物だろうが、非国民め黙ってろ!」となる。

 

もちろん判断するのは個人である。ただ出来ればいろんな角度から情報要素を並べて検討してみればどうだろうか。



tom_eastwind at 14:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2011年03月17日

4号機に水はあるか?

★記事開始

東京電力によると、自衛隊のヘリが16日に3、4号機の上空から観察したところ、4号機は核燃料棒が見えないほど燃料プールに水が残っていることが確認された。

 

 3号機には水蒸気が立ちこめ、水位低下が進んでいることが予想されたため、緊迫性が高い3号機からの放水となった。

 

 3号機のプールには、514本の燃料棒が保管されているが、放射性物質が漏れ出す危険性が高まっている。東電、経済産業省原子力安全・保安院などによると、プールの水位は不明。

 

 隣接する4号機のプールには783本の燃料棒が保管されているが、この中には定期検査で一時的に原子炉から移した燃料も含まれている。熱が高いため、水がなくなると、3号機より深刻な状態になるとみられる。

★記事終了

 

けれどほぼ同時刻の米国議会からの情報によれば、4号機のプールには全く水がない状態だと証言された。

 

米国の場合は軍事衛星による独自のデータ収集が可能なのでこのように「歯に衣着せぬ発言」になるのだろう。

 

記事にもあるように「4号機に水がなくなると3号機より深刻な状態になる」と判断した米国が「80km避難勧告」を出したのだ。

 

一体どっちの話が本当なのだ?日本政府は早い時期から「がせねたに惑わされるな!」と訴えてきたが、どっちが「ガセネタ」なのだ??ぜひとも知りたい。

 

「美味しんぼ」と言う漫画は大変有名であり、その原作者は1990年代からシドニーで子育てをして現在もシドニー在住である。

 

彼は自分のマンガのテーマでも何度も原発問題を取り上げている。その彼は原発の怖さを非常によく知っており、今回の事件が起こった際に毎日狂ったように原発の問題点を具体的に指摘して「とにかく早く逃げろ!」と訴えてた。

 

そのブログは昨日で一時閉鎖された。「安全なところから高みの見物みたいなエラそうな事言うな、お前なんて非国民だ!逃げやがって!」的な書き込みをされて、彼からすればもうこれ以上続けていられない、もうやめたっとなったのである。

 

彼は彼なりに日本を愛しており、だからこそ普通の日本人が持たない視点から日本を眺めて短所良所を取り上げてマンガの題材にしてきた。

 

彼なりに熱い思いがあり彼なりに日本にいる日本人に対して「逃げろ!」とメッセージを送った。そしてその結果として村八分のような状態になったと感じた彼は撤退したのだ。

 

ぼくは彼とはちょっと視点が違う。人々がどのような生活を送るかはその人が決めればよい事だと思っているし今回のような原発事故が起こった際も誰がどのように行動するかは彼らの判断で決めれば良いと思う。

 

つまり民族であれば民族自決、個人であれば個人自決である。それは他人の口出しすることではないし、ぼくがぼくの生き方を他人に口出しされるのが大嫌いなように。

 

今日18:00のニュースTVONEでは「日本政府は正確な情報を発表していない。水はもうない!日本政府が発表するよりも状況はもっと危険である」と報道していた。米議会の様子をニュースで流しながら、ニュージーランド政府も日本に住むキーウィに対して避難勧告、日本への渡航自粛を呼びかけた。

4号機に水があるかどうか。水があるとして次にどのような行動をとるか?水がなければどのような行動をとるか?自決するしかない。



tom_eastwind at 18:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月16日

日本とANZ(オーストラリア及びニュージーランド)の報道の違い

ニュージーランドのテレビではメルトダウンと表示されており、すでに福島と仙台と東京の距離が表示され、どこまで放射能が広がるのか分からないという。つまり出来るだけ早く東京からも逃げろと言ってのだ。


実際に今晩のテレビでは、昨日放映されていた仙台に住むキーウィ家族がニュージーランド航空に乗って無事にオークランドに到着した場面を報道していた。
 

オーストラリア政府はどちらかと言うと「日本政府の情報提供は少なすぎる」として、これでは万一の際の市民の行動に問題を起こすという立場だ。その上で危険を最小化するためにも「東京から逃げろ」と言う報道になる。

 

このあたりが日本的な危機管理とANZ(オーストラリア+ニュージーランド)の危機管理の違いだが、これはもう国民性である。

 

ANZでは一般的に国民に情報を正確に伝えてそのうえで国民に正しい行動を求める。それはANZ国民が子供のころから自分で考える勉強をしているからだ。

 

そして彼らは自分たちと同じ基準で日本の報道を見て「情報不足」と言うが、彼らは日本で安易に危険報道をすることで起こることのパニックを理解していない。

 

日本人は今回の報道ではお互いに助け合いながら行動しており、その素晴らしさは世界でも評価されている。

 

けれどそれがパニックになれば、まさにこれが裏返しの状態で発生して、別に誰かを引きずり倒すわけではないが都心の駅や空港に数十万人が集合して道路は車で溢れて、起こらなくてもよいはずの無駄な犠牲を作ってしまう。

 

ただでさえ人間過密の東京でそんな事態を引き起こす事と放射能が東京に降る可能性を比較した場合、日本政府は「当事者」として「落ち着いた行動をしてください」と判断した。


このあたりが人口の希薄な国家との判断基準の違いとなる。
 

けれど日本に来ている外国人からすれば日本政府が対象とする「国民=当事者」ではないのだからそんな安心させる記事なんて関係ない、とにかく一番早い飛行機に乗って自国に戻るのが当然の判断である。

 

これから福島原発で起こることは誰にも予測不能である。その結果も不明だ。ただ、これだけの被害が出た後に必要なのは復興であることは間違いない。

 

★記事開始

葉加瀬太郎さん 被災地支援コンサート< 2011315 14:01 >

 

イギリス・ロンドンで14日、バイオリニスト・葉加瀬太郎さんが東日本大地震の被災地支援のチャリティーコンサートを開いた。

 

 ロンドンを拠点にする葉加瀬さんは「ここにいる日本人として何ができるだろうか」と考え、デパートで即席のコンサートを行った。400人が集まった会場では、家族が宮城県と福島県で被災した女性も寄付を募っていた。

 

 寄せられた義援金は、イギリスの赤十字を通じて被災地に届けられる。

★記事終了

 

はかせ太郎氏に「こんな時に不謹慎だ〜!売名行為だ!」なんて匿名のネットで冒涜することは出来る。しかし冒涜する人は自分の正体さえ出さすに相手を侮辱する以外に何をするのだろうか。



tom_eastwind at 21:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2011年03月15日

人間失格と社会人失格の間で生きるということ

昨日のブログでJapanDay開催の件で「不謹慎だ!精神を疑う!」と書き込んでた人たちは下記のブログを読んでみるとよい。問題点を整理しているし、コメント欄を読めば何が不謹慎で何がやるべきことかも推測できる。

 

http://agora-web.jp/archives/1278351.html#comments

 

ただぼくが世間に流れる不謹慎に対して最も恐れるのは、このような現象は結果的に国民が誰も疑問を持たず異議を差し入れず、不謹慎と言われた瞬間に発言停止してしまいついでに思考停止、その結果として起こった第二次世界大戦を生み出す原因の一つであったという事だ。

 

「天皇陛下!」と言えば誰もが逆らえない状況で軍内部の派閥争いで政敵を潰したいときは天皇陛下と言う王冠をかぶって相手を理論でなく権力で押しつぶし、一切の発言をさせなくなる。

 

例えば2.26事件の時でも天皇陛下が直接何かを言ってるのではないのに、周囲の連中が天皇の気持ちを「忖度(そんたく)」して反乱部隊に「お前ら、恐れ多くも天皇陛下は〜」とやって結果的に反乱部隊を鎮圧した。

 

その後は誰もが理論的な発言を出来ない中で、なんとなくその場の雰囲気で言っちゃいけないって中で、軍部の中でも自分たちの意見を通したい派閥が「忖度」と「不謹慎」と「恐れ多くも天皇陛下」を連発して周囲を黙らせて「それでは、全会一致ですね、戦争します」となった。

 

この「不謹慎」発言に関して何よりも怖いのは、それがいつの間にか世間の主流になってしまい、大本営発表以外の事を言えば「非国民」となり、天皇機関説を主張すれば「不敬罪」となり、言論弾圧の手段として使われてしまったという事だ。

 

自由な発言と自由な議論こそが人々の生活を豊かにするのは自明の理であるが、一部の感情論者にはそれが分からないまま、結果的に自分たちの社会を貧しくしているのだ。

 

だからこそぼくはそのような「不謹慎論者」を敢えて偽善者と呼びたいのだ。もちろん非常に微妙な問題である。理屈では絶対に割り切れない部分が多い。

 

上記ブログのコメントの中にもあるが自衛隊員は被災者の前では食事をしないそうだ。救助活動をするのだから飯を食わねばならないのは誰でも分かる。

 

けれどそれを「おれは理論的に正しい」と言って被災者の前でむしゃむしゃ食うようであればそいつは人間失格である。

 

だからと言って思考停止状態で「何もかも不謹慎」として止めてしまえば、それは社会人失格なのである。

 

人間失格は生きる権利はない。社会人失格は生きる能力がない。



tom_eastwind at 18:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月14日

他人の足を引っ張る偽善者

日曜日の午後のドラゴン航空で香港へ飛び、同日の夜21:05発のキャセイ航空107便に乗り継いで月曜日の13:00にオークランドに戻る。

 

今回は14日間の間に香港、大阪、東京、名古屋、福岡と、5都市を回った。東京は説明会を含めて一週間滞在して、他の街は一日づつ仕事をした計算になる。

 

それにしても去年までは福岡出発のフライトが朝10時30分だったのに今は14:30になったので非常に助かる。香港での乗継も3時間に短縮されるからだ。

 

東北大地震は最初は名古屋から福岡に向かう新幹線の中で少しづつ実態を知るようになり、ホテルに入るころには日本観測史上最大の地震であるとのこと。

 

ニュージーランドから大きなお土産を持ってきてくれてありがとうございますなんてメールもあった。皮肉ではなく偶然の巡り合わせを指摘しているだけなのだが、クライストチャーチの地震で被災して日本に一時帰国していた人も多いだろうが、彼らの戻った街が北日本でない事を祈るばかりである。

 

移動しながらもいろんな情報が入ってくるのだが、今回の地震をクライストチャーチの大地震と結びつける記事もあった。

 

★抜粋開始

先日のNZ地震は日本列島から約1万キロの南半球で起きたので、他人事と受け止めた読者も多いはずだ。しかし広大な太平洋のスケールからみれば、プレートの南端と北端、同じ条件下で起きた地殻変動にすぎない。NZ地震で太平洋プレート南部の圧力が解放された結果、バランスをとるために、今度は北部のプレート境界で地殻が大規模に割れた。それが今回、起きるべくして起きた「東北地方太平洋沖地震」の正体なのだ。そして、何よりも問題なのは「この先に起きること」である。

★抜粋終了

 

地震学の勉強をした事がないので「バランス」がどうなのか分からないが、太平洋プレートはGoogleで検索するとすぐに出てきて、日本からニュージーランドまでプレートが伸びているのが分かる。でもってプレートの南がウェリントンからクライストチャーチだ。

 

オークランドは太平洋プレートの西側に大きく離れているので大きな地震がないって言うと「神戸だって地震がないって言われてたわよ!」と感情的に言い返されるし、今まではなかったと言ってるだけなんだけど、地震なんてどこで起こるか分からないのは事実だろう。てか現在の科学では予測不可能な部分が多すぎるのだろう。

 

ただ、クライストチャーチで被災して住む家はレッドカード、オフィスは閉鎖、お店もレッドカード状態で東京に戻るしかなかった状態の当社のスタッフからすれば、「またかよ・・・」と言う感じである。

 

そんな彼女は自分のブログでクライストチャーチの地震や東京の地震の様子を描いていたのだが、「クライストチャーチから逃げるのか、卑怯者!」みたいな書き込みがあって落胆したようである。

 

クライストチャーチから逃げるのか?って、じゃああなたが住宅と食糧と給料を保障してくれるのですか?大地震と言う非日常の世界で感情的になるのは分かるが、よく考えてほしいものだ。

 

オークランドで開催されたJapanDay(日本を紹介する年に一度の祭り)についても「こんな時に不謹慎な!」と言う書き込みがNZ大好きにたくさん掲載された。(今は削除されているみたい)

 

「なぜこんな時に開催するのか主催者の精神を疑う」みたいな感情的な書き込みが続いた。じゃあなんだ、オークランドに居住する日本人は全員喪章を付けて黒服を着て自宅に籠ってろでも言うのか?

 

主催は領事館で運営は日本人会が行う。この祭り自体に行ったこともないし行く気もないが、だからと言って彼らに「やめろ!」とまで言うつもりもない。それは彼らの判断だ。匿名で書き込みをして相手の人格を傷つけるような真似をする人間にこそ「やめろ!」と言いたい。

 

人は状況に応じて喪に服すこともあるだろうし、逆に鼓舞する為にお祭りを開催することもあるだろう。それは主催者の責任で判断することだ。主催者は今回のお祭りで集まった売り上げを寄付することにしている。

 

お祭りを行う事でお金が集まりそれで寄付出来れば、それもありでしょう。

 

それが結果的に非難を浴びるかもしれないしよくやったと言われるかもしれないが、いずれにしても匿名で書き込む連中には関係のない事であり最終的な責任は主催者にあるのだ。

 

自分が責任を取るわけでもないのにえらそうに書き込みをする人は自分が興奮して理性を失ってわけのわからん事を書いているのに気付かないのだろうか?

 

自分は匿名のくせに正義の主人公みたいに威張りかえって主催者に「精神を疑う」とか、かなりひどい事を書いている。

 

書き込みをしていた人たちも反対派はお祭りの準備については無知識のようだ。ところが「あんたたち主催者はそんなに金儲けしたいのか?金に目がくらんでいるのか?」とまで書き込んでいる。

 

てか、君らニュージーランドで生活をして多様な価値観を身に付けているのではなかったのか?ここに来てまで目先の感情論で他人の足を引っ張るだけで自分は何もしない、そういう腐れた卑怯者根性を恥ずかしいと思わないのか?

 

http://prayforjapan.jp/tweet.html

 

先ほど日本のお客様から送られてきたついったーである。低俗で卑怯な書き込みをする前に、ぜひとも読んでほしい。そして自分のバカげた行動を反省してほしい。



tom_eastwind at 14:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月11日

大地震

3月10日の木曜日に東京を出発して名古屋へ移動、福井からのお客様と名古屋駅のホテルでミーティングを行う。彼の話はまさに今後の日本のエネルギー行政を示すような話である。

 

3月11日の金曜日は長くお付き合い頂いている名古屋のお客様とひつまぶしの昼食を頂きながらよもやま話をする。ただこのよもやま話は「あらま〜、素敵なお洋服、どちらで買われたんですか〜?」ではない。

 

今の日本はどうあるべきか、そのために名古屋市議会選挙をどう位置付けるか、日本を復活させるとしても当面の障害物である官僚機構をどのように解体すれば良いか、いつ頃を目標に日本を成長路線に乗せて、そのために逆算して今何をすべきか、日本の強みは何か、などなど、まるで維新前夜の京都の料亭で話すような内容だ(笑)。

 

それでも誰もが危機意識を持っている。問題はどっちに進めば良いか分からない、って点だが、このお客様はその点も明確であり「当面は海外でしょうな」。

その後名古屋駅まで送っていただき、時刻表を見たら14:53ののぞみがある。

そのまますぐに予約をしてプラットフォームで待ってると、昼食にビールを飲んだのでもないのになぜか足元がぐらぐら。

なんじゃこりゃ?横にふーらふーらと揺れるのですが、だれもあんまり気にしていない。そうこうするうちにアナウンス。

「東北大地震!」

のぼりの新幹線は全部停止、博多行きの新幹線も私が乗ったのぞみが、最後にまともに走った電車で、それ以降は大幅間引き。

今は福岡で地震中継を見てますが、一番気になるのは福島原発で冷却水が注入できないという話。問題の大きさにこれ以上書きようがない。つい昨日原発の話をしたとこでこうなるか。

それにしても当初の予定では今日は東京にいたはずで、途中から急ぎのアポが入り急きょ日程変更したのですが、そうでなければ今日は東京にいたわけで、う〜ん・・・。



tom_eastwind at 01:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月09日

沖縄はゆすりたかりの名人????

 

アメリカ国務省メア日本部長の発言に対して沖縄及び日本政府は発言撤回と謝罪を求めている。それに対してキャンベル国務次官補は「誤解について謝罪したい」と述べた。

 

この「誤解」とは、メア日本部長が本当に言いたかったのは「日本政府は沖縄を使って日本国民の税金をゆすりたかりして米国のせいにしたりする名人だ」だ。

 

ゆすりたかりと言っても誰の金の話をしているのか?それは米国から金をゆすったって話ではないよね。米国が金だすわけないじゃん。

 

沖縄の人がお金を欲しがっているという名目で政府が国民の税金を吸い上げて沖縄対策と言う名目で自分たちの天下り先や時には自分たちのポケットに直接入れてるのが現状でしょ。

 

そんなのは沖縄海洋博の時代から全く変わってない。沖縄のためと言うおためごかしで本土の土建業者が沖縄の自然をぶち壊して金儲けして沖縄の自立にも成長にも役立たず、海洋博が終わった後の沖縄は崩れたホテルやレストランなどの残骸が立ち並ぶ58号線がその悲惨さを表していた。

 

ぼくは1980年代に沖縄には2か月に1回くらい出張していたので、屋根が壊れて傾いた元レストランやまるで幽霊屋敷のような薄汚れたホテルの入口に大きな材木をバッテン式に打ち付けてた現場を見てた。

 

つまり押し付けやゆすりたかりの名人は実は日本政府。危ない基地はほとんど全部沖縄に押し付けて横田基地に置いてる米軍基地は東京でクーデターが起こった時の政府保護のためだけ。

 

沖縄には適当に補助金(国民から取り立てた税金)渡してわざと自立出来ないようにしておいて(補助金を貰う地方やビジネスは自立出来ない)基地を押し付けた。

 

日本国民には政府が使いまくった借金の押し付け。さあ皆さん、年金財源がありませんよ、年金減らすか増税するか、どうしますか?だってさ。

 

地方自治体には政府が作ったルールを押し付けて自治体が自治出来ないようにして長い間痴呆状態にしておいて「自治体は能力ないからね〜やっぱり中央がやらなきゃね」となる。

 

米国からすれば意味不明な日本政府の対応である。沖縄の海兵隊移転についてはすでにグアムと方針が出ており、グアムに移したくない、もう少し普天間で金を儲けたい、つまり国民の税金で私腹を肥やしたい人々が「抵抗」しているだけだ。

 

ところがアメリカでもペンタゴンを中心とする軍産複合体と日本の一部利権者の関係は戦後60年以上続きその関係はずぶずぶであり、昨日今日政権を取った民主党では全然歯が立たない。

 

第二次世界大戦の最後、沖縄は日本最後の砦として戦った。その記録はあまりにも悲惨であり、当時摩文仁の丘のふもとにあった資料館では、何度見ても涙が止まらなかった。

 

つまり日本政府は戦争の捨て駒として沖縄を使い、所詮は大和民族ではない連中だ、牛島司令官率いる沖縄守備隊と共に民間も盾にしてしまえという考えだった。

 

沖縄に関しては個人的な思い入れがあるためこのような事を書いたが、ぼくは沖縄の人々と風土が好きだ。

 

初めて沖縄に行った時、那覇市内の裏道を歩いていると広い中庭のある風通しのよさそうな平屋建ての家があった。

 

腰ほどの高さの低い塀を通ると、そこにはのんびり座って団扇を使っているおばあちゃんがいた。ぼくは最初この場所がなんだかよく分からず、「あの、すみません、ここはなんですか?」とあふぉみたいに聞いてしまった。

 

おばあちゃんはあおぐ団扇を止めて左手で家の中の座敷にあるちゃぶ台を示して、にこっと笑って何か言った。ゆっくり立ち上がるとメニューを見せてくれた。

 

そーきそば.

 

自分の店をそば屋と言うわけでもない、暖簾を出すわけでもない、ただそこにあるだけ。沖縄の熱い夏空の下、風通しの良い座敷に座っておばあちゃんがそーきそばを作ってくれる間、何とも言えない空気に触れた。

 

それから沖縄との付き合いは10年近く続いたが、いつまで経っても彼らの中には入れなかった。しょせんぼくらはやまとんちゅーなのだ。

 

今回のゆすりたかり発言については、メア部長は本当の事を言うべきである。ゆすりたかりの名人は日本政府であるって事を。



tom_eastwind at 00:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月08日

お笑い国会 

法律は誰のもの?

答=役人のもの。

理由=法律は細部に宿るというが、その細部である通達は役人が決めている。つまり政治家が国会で決めてる法律なんてのも裏方である役人が決めて政治家が表に出てぼこぼこにされながら決めさせて、またも裏方の役人がその法律を自分たちの有利になるように判断しているのが現実だ。

 

だからどっかの大臣が知らないままに課長が法律を決めて日本全国に通達するという現実が出てくる。これはいかにも日本的だ。戦前もそうだった、だれもが責任を取らず何も知らないまま物事はいつの間にか進んでいく。

 

午後から部屋で仕事していたらちょうどNHKで国会中継をやるというのでテレビを付けながら仕事を続けた。

 

ところがあんまり面白いものだから5分に1回くらい笑いながらメール書いたり書類作ったりしたので誤字脱字だらけ。

 

それにしても管政権、ここまで来るとあわれですな。野党にぼこぼこにされて笑いものにされて、質問に対してまともに答えも出来ずにいる。

 

その中で一つ興味があったのが介護問題である。共産党の質問時間に「特別養護」問題が提起された。48歳の男性が父親の介護の為に会社を辞めて父親と同居、生活費は父親が受け取る年金10万円だけである、この現実を政府はどう考えるか。

 

介護問題はまさに日本人自身の政治への他人事意識てか当事者意識の薄さ、日常生活では他人に対しては「子供は親の面倒を見るものよ」と格好良い事を言って自分がその立場になった途端に自縄自縛で「あらま、大変だわ」ってことになる。

 

ニュージーランドでは日本のような介護問題はない。何故ならリタイアメントビレッジと言う仕組みと教会を中心としたボランティアが発達しているからだ。そして何よりも大きな違いは国民自身が当事者意識を持って介護を考えている。

 

勤労世代は働いて社会の生産性を上げる。体の弱った老人はリタイアメントビレッジに入居して同じ世代の人たちと助け合いながら共同生活を送る。

 

ビレッジは元々教会が運営していたが政府の方針で民営化されて大小さまざまなビレッジが自由競争の中で高品質のサービスを常識的な費用で提供している。

 

入居は日本のような数千万円なんてのはなく、基本的に年金があれば生活出来るようになっている。

 

大きなビレッジなら中心に病院を配置してビレッジ内はバリアフリー、銀行、郵便局、コンビニ、教会がその周囲に集まっている。

 

日本では親の面倒は子供が見るという古くからの教えを変える事が出来ないまま、他人には「親を見るのは子供の義務でしょう!」と言うが、その前提である三世代同居がすでに崩壊しているのだから、そんなの出来るわけないじゃんか。

 

と言う事で父親が病気になった瞬間から子供の義務が始まるが、その介護はどれほど生産性があるのか?それよりも介護は専門のビレッジに任せて勤労世代は労働した方がプラスでしょう。

 

元々ニュージーランドでは子供は学校を卒業すると親元を離れて一人暮らしをする習慣がある。この点個人主義が徹底している。だから三世代同居と言う発想がない。

 

だからいずれ両親は病気になり体も弱る。その時子供は一緒にいない、だから親も体が弱ればリタイアメントビレッジと言う発想があるのでどちらの負担にもならない。ビレッジ運営で民間ビジネスも成長する。体が弱って死期が近づけばホスピスがある。

 

このリタイアメントビレッジ、訪問すると分かるが日本のような養護施設とか老人ホームのような姥捨て山ではない。むしろ残された人生をもっと積極的に楽しもうとする人々の笑いで溢れている。

 

日本では三世代同居から核家族に変わったのにいつまでも過去の文言だけを取り上げて自分の頭で何も考えずに子供による介護を要求する、そこに今の日本の問題がある。

 

その上に乗っかってるもう一つの問題が政府による「見て見ぬふり」である。介護が問題になるだろうことは1980年代からわかっていた。核家族化が進むことでこの問題が発生するのにその対応を取らなかった。なぜか?金がかかるし国民意識を変化させるのが面倒だったからだ。

 

介護問題は日本社会全体の問題でありこれからさらに大きな問題になっていく。今何よりも大事なのは時代に合わせた発想の転換である。労働者世代を巻き込んで老齢者と共に討死するのが美徳なのか?

 

医療も介護もどれだけ国会で話し合っても結論が出ない。出るわけがない、だって国民自身が「老いと死」と言う事実に対して当事者意識を持って向かい合っていないからだ。



tom_eastwind at 23:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月07日

自縄自縛

「私が外相になってから、あなたは6人目の日本の外相だ」。前原氏は6日の記者会見で、他国の外相からこう揶揄(やゆ)されたことを明らかにした。外相就任直後の昨年9月には、国連総会の場で別の国の関係者から「せっかくミスター岡田(元外相の岡田克也民主党幹事長)と知り合いになったと思ったら、また代わったのか」と残念がられたという。前原氏は「国益を損ねることを自らしてしまった」と肩を落とした。

前原外務大臣の辞職。ガイジンを恐れる純血主義者が自分らで意味のない法律を作っておいてそこにはまってしまった。これでまた政治が遅れる。

 

これで喜ぶのは官僚である。政治家が弱ければ弱いほど本来はサポート機能である官僚が「お殿様、わたくしどもがやっておりますのでご心配なく。国会ではこのようにお答え下さい」となり、母屋の国会では政治家がぼこぼこにされている間、彼らは離れの次官会議で“すき焼き”を楽しんでいけるからだ。

 

外務省内では、「戦略的なバランス感覚に優れ、安心感があった」(幹部)などと評判は上々だった。一方、突然の外相辞任でも幹部同士が「誰が大臣でも、プロとして支えなければならない」と確認し合うなど、動揺は少ない。

 

要するに政治家などお飾り、実務、つまり政治はおれたちがやるって事ですな。たいしたもんだ、選挙によって選ばれたわけでもないのに、何の責任も取らないのに権力だけは全部自分たちが押さえてしまう官僚たち。

 

問題点は明確である。みんなの党の渡辺さんがいつも言ってるように官僚制度の改革でしか今の日本の方向を訂正することは出来ない。

 

たぶん役人でも若い人々はこのままではだめだと感じていると思う。しかしそんな事を上司に言えば出世出来ず、出世出来ねば自分の思いも発揮出来ず、出世する為にいつの間にか上司の真似をして役人天国を作り上げる。

 

こんな問題は誰でもわかっている。問題は、どう解決するかだ。解決方法はある。かなり究極的でありブログで書けるような話ではない事も含めていくつかある。

 

けれど、どのような手段を取るにせよ一番の問題は、それが一時的にせよ国民の個人に大きな負担を強いるという事だ。今はまさに、国民一人一人がその負担を支えるだけの気持ちがあるか、だ。

 

けど、多くの人々は毎日飢え死にもせずに生きていける“茹でカエル状態”が結局気持ち良いのだろうと思う。日本が変化するのは、まだまだ先の事だなって思う。



tom_eastwind at 16:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月04日

お受験

大学受験でネットを使って答案書いたって学生がいた。無邪気ってか、すぐばれるでしょって手口であるが、なぜかこれが今の日本でクライストチャーチ地震並みのニュースとして取り上げられている。

 

今回の事件ではマスコミは「公正であるはずの“お受験”でカンニングをするなんてどういう事だ、第一ネットがあるからこんなカンニングが起こるのだ、ネットが悪いんだ」なんて、あふぉ丸出しでネット叩きをしている。

 

バカと言うか未熟と言うか、いや、この受験生の事ではなくマスコミの姿勢である。

 

バカとは受験が公正である事を前提としているくらい社会常識がないって意味だ。マスコミで働くなら受験は「それほど」公正ではないってくらい知ってるでしょ。

 

例えば慶応大学の幼稚園から始まるお受験競争はコネが必要だし金も必要だ。東大や京大の場合は成績だけで決まると言ってもそれは非常に賢くて成績の良い一部の学生だけであり、多くの受験生は親にすがって塾に行き夜遅くまで勉強出来る環境を親が用意してくれるのだから親が貧乏であれば「かなり不利」な競争になるのだ。

 

未熟と言うのはここでネット悪人論を書くけど、そんなもん簡単に看破されるのはわかりきってるでしょ物書きなら。こういけばああなる、そうするとこうやって叩き返されるってのが分からないほど物書きとして未熟なのだ。

 

ネットと包丁を比較してみれば分かる事で、包丁で刺される事件が起こって「包丁が悪い、あんなもんがあるから人が刺されるのだ〜」なんて言ってるようなもんだ。

 

受験生と同い年のうちの娘にこの話をすると、なんだかいかにも「あ〜あ」って感じでこういった。「日本の学生は今頃そんなことやってんの?だいいちケータイを受験会場に持ち込みさせてる先生ってのが時代遅れでしょ」

 

受験が「大学が受験生を試すシステム」であれば、つまり上が作った政策であれば、受験生だって大学相手に対策を持つのが当然だ。上に政策あれば下に対策ありだ。だからこそ受験勉強では本を買って今年の受験の傾向と対策を考えるわけで、その究極的な対策がカンニングである。

 

ぼくは別にカンニングが良いと言ってるわけではない。ただ同じ日の新聞でクライストチャーチの地震被害者の遺族が本人を見つけられずに帰国する記事が一番後ろに載っていたが、要するに今の時期の記事ネタとしては遠いクライストチャーチで亡くなった人々よりも受験会場でネットを使ったカンニング事件の方が大きく取り上げられるという事実が、今の日本、どうなんだ?と言う感じなのだ。

 

はっきり言えばたかが受験ではないか。大学受験のカンニングは悪いなんて言ってるけど、じゃあ中学や高校の中間テストや人生における様々なテストの機会でカンニングをするのは良いのか?水泳の授業の時に痛くもない腹で病欠するのは良いのか?

 

ニュージーランドにも学校ではテストがある。しかし他人を蹴落として大学に受かるという受験競争は存在しない。大学は、行きたければ中学と高校でNCEAと言うシステムの中で必要な単位を取れば誰でも行ける。

 

大学は学びたいことがある人が行くところであるのが本来なのに、日本ではいつの間にか大学が就職予備校になっているし大学に入学した時点で「おれ、苦しい受験勉強に耐えて日本式の金太郎飴にもなれることを証明しましたよ」というシグナリングを企業に発信するだけなのだ。

 

そんな低レベルの話にしか過ぎないのに警察が出てきて「逮捕」だろ、ここまで大きく取り扱う必要があるのか?どうしてもネットを叩きたいのか?全く意味不明の事件である。



tom_eastwind at 22:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2011年03月03日

税と寄付、続き

最近はなぜかブログを読む方が増えてきており有難いのだが、そうなると中には当然おかしなのも混じってくる。

Posted by 法律は遡及効を認めないのが原則

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あなたは遡及効という言葉をご存知ないのですか?法律は遡及効を認めないのが原則

 

いや(笑)、だからぼくが法律は遡及効を認めないのが原則って書いてるのに、ぼくは法の不遡及があるからこそ人々は予見性を確保できるって書いたのに、この人いったい僕の文章のどこを読んで書いているのだろう?この人は何を言いたいのだろう?飲みすぎか(笑)?

 

まあいいや、昨日書いたネタの続きだが、あなたは今リビアで政府によって殺されている人の為に寄付をするだろうか?または自腹でリビアに飛んで会ったこともない人を救う為に自分の命を賭けるだろうか?

 

要するに問題は自分にどれほど近いか、である。近くなければ興味もないし愛情もない。リビアで生活をする人々の為に命は賭けない、けれど一緒に住んでいる家族には命を賭けてでも助けようとする。

 

お金を渡す行為は「なんである?愛である?」という保険会社の宣伝文句に代表されるように、愛なのだ。そして愛はお金に換えられないけど、お金に愛を込めることは出来る。

 

だから本来自分に近い場所にいる人に対して提供するのであり、距離が離れれば離れるほどお金を渡す行為は行われにくいのだ。

 

しかし世界全体を考えればやはり助け合いは必要であり、そのために税金という形で僕らから徴収して政府から国連経由で貧しい国への寄付と言う形で行われる。

 

ところがこの寄付がくせもので、大体の場合アフリカの寄付はその国の独裁者やその配下の人間に奪われるようになっている。

 

ぼくはブログをかなり“はしょって”書くので「迷惑な善人」で誤解を受けたようだが、古いブログを読んでもらえばわかると思うが、もともと寄付は直接行われるべきだと考えている。

 

途中に何らかの組織を通した場合、たとえそれが国連であってでも中抜きされる。だからぼくは飛行機に乗って毎回もらうUNICEF募金にも一切寄付しない。

 

じゃあ今回のニュージーランドはどうかっていうと、これはありだと思う。何故ならNZの仕組みは簡潔であり清潔なので中抜きって発想はない。だから自分が支払ったお金がほとんど間違いなく被災者の人々に渡る。

 

会ったこともない人であるが、それでもいつか自分が困った時に助けてもらえる、社会で生きるというのは、今は自分が調子よくてもいずれけがをする、そのために今怪我をした人を皆で助け合おう、その結果として自分がけがをしたときは誰かが助けてくれるだろうという予測期待値の高さに投資をするのだ。

 

だから少ない給料の中から高い社会保障費用をやりくりして支払っているのだ、いつの日か自分がお世話になると思ってるから。

 

今回の大地震では多くの方が亡くなり当社もオフィス閉鎖になった。しかしスタッフの給料は国が負担してくれる。申請すれば数週間は政府が払ってくれるのだ。真面目な国である。うそをつかないことを前提にしてこのような制度があるのだ。



tom_eastwind at 02:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2011年03月02日

寄付について

クライストチャーチの寄付についてコメントを頂いた。多くの場合寄付は中間搾取が発生しており、本来の意味とは違う使われ方(寄付ビジネス))をしているという事だ。これはまさにその通りであり、だからぼくはキャセイ航空に乗るたびにUNICEFの袋を渡されるが一度も寄付したことはない。

 

ただ、ニュージーランドにおいては寄付は本当に寄付だと思っている。この国は本当に真面目なのだ。よく言えば真面目、悪く言えば単純となるのだが、それにしても真面目なのである。

 

クライストチャーチで多くの人が災害に遭った、だから助ける、相互扶助のごく基本的な発想だけで活動している。

 

そこでは「中抜きしよう」とか言う発想はない。ぼくのような北半球の人間からすれば「いくらでも抜けるようなシステムだな」と思うが、主体であるキーウィはそういう発想がないのだ。

 

もちろん今回の寄付を行っている団体全部の帳簿を見ているわけではないので何とも証明は出来ないが、自分がこの国で十数年ビジネスをしてその経験で言えば、キーウィは基本的に中抜きするような人種ではないってことだ。



tom_eastwind at 02:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2011年03月01日

クライストチャーチ、税金と寄付という再配分方法について

 

NZ政府はクライストチャーチ大地震の対応策として緊急援助策を打ち出した。大地震によって仕事を失った人は一週間最大で400ドルの補助、企業向けには従業員の給与を支払うのであれば一週間500ドルの補助、賃貸住宅向けには家賃の3週間支払い免除などである。

 

もちろんニュージーランドでは失業手当や医療保険などのセーフティネットは徹底しており、今回の地震で人々が直接飢え死にしたり路頭に迷うことはない。

 

ニュージーランドの各街では寄付を募るボランティアが活動しており、クライストチャーチでも比較的安全な地域では道路に溢れた泥片付け作業のボランティアも始まっている。

 

せっかくなのでこういう時に「都市の分業」と言う問題を考えてもらいたい。

 

肉食動物が世界を支配していた時代、体の小さな人間の生き残る道は共同で体の大きな恐竜を倒すことであった。

 

それから時代は進歩して力の強い者の下に人々が集まるようになり、これが社会を形成した。社会が出来ると今までは一人で全部やってた作業が分業できるようになった。簡単に言えばアダムスミスだっけな、ヘアピンを一人で作ると一日何本、けど数人で分業すれば一日数百本、というやつだ。本数は忘れたが。

 

この分業の発達により社会に参加する人々はそれぞれ自分の得意な分野を担当として社会に提供し、他人の得意とする作業で提供されるものを受け取った。このような交換作業の媒体として使われたのがお金である。

 

そしていろんな価値観を持った人々が参加する社会を運営する為に彼らの相互利益や利害調整の為に出来たのが政府であり、とくに所得調整を担うのが税である。

 

税は国家であるというが、これはまさに正解であり、税は法よりも強い影響力を持っている。法律は理屈を並べてぐちゃぐちゃと終わらない議論をしていれば良いが、税金はそんな余裕はない。財布の中に手を突っ込んでがさっと持っていくのだ。

 

そして強制的に徴収された税金はその使用用途について国民が直接口を出すことは出来ない。役人の飲み食いに使われても「適正な支出」と言われればそれが通るのだ。

 

使用用途と言う意味でこの反対に位置するのが人々による寄付である。税金は誰に使われるか分からないが寄付は確実に自分が望む場所や人々に直接届く。それも途中で搾取する中間組織(政府)の人件費などの費用がない。

 

世界トップクラスのお金持ちであるビル・ゲーツは自分の財産のほとんどを寄付することで財団も設立している。これも無税である。さらに自分の望む人々に自分が直接寄付出来るので満足感も大きい。

 

このような行為に対して米国では課税しない。ビルゲーツは「ぼくはたまたま運が良くてお金持ちになったけど、これはお世話になった社会に貢献するよ」となる。

 

金を稼げる奴は稼げばよいのだ、それは魚を釣るのが上手な漁師が美味しい魚を市民の食卓に提供するのと同じことだ、みんなは自分の得意とすることをすればよい。

 

人々はいろんな形で社会に貢献できる。今回のクライストチャーチの大地震では、実は一番大きな形で貢献しているのはNZすべての市民である。なぜならこの国の税収の4割近くは消費税であり次の3割は所得税であり、その税金が政府を通じて被災者に届けられているからだ。

 

彼ら日頃真面目に働いて生活をする人びとから得た収入を、政府は今緊急手段として被災者に提供している。これが政府の役割である再配分だ。

 

しかしそれだけではこのような緊急事態には追いつかない。そこで出てくるのが市民による寄付である。

 

モノは使えない人がいてもカネならモノに換えられる。だから政府も市民による寄付を推進しているのだ。

 

このような寄付は無税であり、企業が寄付すれば利益から経費控除出来るし個人でも確定申告の際には収入から控除出来る。

 

ところが日本ではこの「寄付」と言う行為は政府によって思いっきり制限されている。寄付をするなら税金払えというのだ。

 

どういう事か?それは、政府は再配分と言う一番おいしい部分を握っているのに、個人が直接個人に再配分してしまえば政府のうまみがなくなる、だからそんな事をさせない為に「へ、寄付ね、へーへー、寄付したかったらどーぞ、けど税金はちゃんと払ってよ」と言うことになる。

 

個人が自分の金をどう使おうと政府に関係ないはずなのに日本では政府が個人的な寄付にまで口を出して税金を取っていく、自分のうまみを守るためだけに。

 

りょうまくんは昨日、学校で行われた大地震の寄付の為に「お父さん、お金ちょうだい、寄付するから」と言って20ドル持って行った。今日は校外活動の集まりでもう一回寄付をするようで、「今日は5ドルでいいや」と財布から持って行った。彼なりに寄付する先を選択しているようだ。

 

あなたの税金が何に使われているか、そしてなぜ人々は税金を払うのか、寄付とは何か、そういう事をこの大地震を機会に考えてもらえばと思う。



tom_eastwind at 08:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース