2011年06月
2011年06月28日
貧しき者どもの平等
★記事開始
宮城県石巻市の門脇中学校の避難所で26日、慰問で訪れた人気アイドルグループ「SMAP」の中居正広さんがボランティアで来ていた市内のバレエ教室の子どもにゲーム機12台をプレゼントしたところ、避難所の市臨時職員がそれをいったん回収していたことがわかった。
保護者から抗議を受け、市は「中居さんの好意で配られたのに回収したことは申し訳なかった」としてバレエ教室を通して子どもたちに返却する意向だ。
市によると、中居さんはゲーム機や人形などを避難している子どもと、バレエを披露しに来ていた教室の子どもに配布した。ところが避難所の保護者から「ボランティアの子が受け取るのはおかしい」との抗議を受け、避難所の市臨時職員が回収した。
しかし、今度は教室の子どもの保護者から「一度手にしたものを回収するのか」と市に苦情の電話が3件あり、返却することにした。市の担当者は「バレエ教室の子どもにも被災者はいる。返却したい」と話している。
(2011年6月28日09時53分 読売新聞)
★記事終了
避難所の人々は全員に同時かつ公平に行き渡らなければ不平等であるとでも言い出すのだろうか?現実にそんなことは出来はしないしあり得ない。
現実問題として人助けには限界がある。人の好意はその人の手を伸ばせる範囲内でしかないのだ、例えばアフリカで死にかけている子供を救う事が出来ないように。避難所でゲームを受け取れる子は運が良かった、避難所に逃げ込めることさえ出来ずに死んだ子供は運がなかった、アフリカで今も死に続けている子供たちはこれからも当分は運がない、そのような運命だった、ただそれだけと割り切るしかない。
不平等であると言われれば堂々と「そうだ!人生なんてそんなもんだ!」と言い返せばよい、それが現実なのだから。
ゲーム機がそれほど気に食わないなら文句を言った人間の目の前で叩き壊してしまえ。ぼくなら確実にそうする。一人でもいいから先に幸せになり残りはついていきながら幸せになり最終的に皆が幸せになる、それが社会の発展だろう、同時に全員が平等になるなんて事をやってたらいつまで経っても発展なんてあり得ないのだ。
そんなにあなたのような平等が好きなら、子供たちがせっかくもらったゲーム機を床に叩きつけてぶっ壊せ、壊れたゲーム機を避難所の入り口にぶら下げて「これがおれたち大人の平等だ!」とでも看板を付けておけばよい。
そうして誰かが何かを持ってくるたびに「皆に平等に配れないから」と捨てれば良い。毛布も食糧も暖房具も、そうやって全部捨てて寒くてひもじい思いをすればいい。
生まれた時から銀のスプーンくわえて生まれた来た子供もいればそうでない子供もいる。人生はどうやっても全員同時に平等何てあり得ないし、だいいちどこまで同時平等の幅を広げるのだ?
東北が苦労したら九州は風呂に入るなと言うのか?東北が大変だったら北海道は暖房使うなと言うのか?だったら避難所で今生き残った子供たちに東北の海で死んだ子供たちと肩を並べて死んでしまえとでも言うのか、バカの能無しもほどほどにしろ!
生きているからこそ今こうやってゲームで遊べもするのだ、子供たちがゲーム機を受け取ったらその子のそばにいる子供たちが遊べば良いではないか。そして今日ゲームが出来ない子供がいても親が知恵を出し合って自分たちが電気のなかった時代に遊んでた他のゲームを教えればいいではないか。被災地の子供がゲームで心がなごむなら明日にでも大量のゲーム機を東京から送るようにすればいいではないか。
何故人の足を引っ張ることしか出来ないのか、バカどもが!そんな事をしているから日本がどんどん落ちぶれていくのだ。
少なくとも君らは日本に生まれて幸せだ。アフリカの子供の命と自分の子供の命を比較する必要もない、それだけで十分に幸せだ、それなのになぜ他人の足を引っ張るような事をしなければいけないのか?
この世の中には誰にも生まれ持った機会の平等もなければ結果の平等もあり得ない。それは自分で作り出すしかない。しかしその時には誰かがまず先に一歩踏み出していくしかないでしょ、それを許さずに誰しもが同時平等に何も持ってないという「貧しい機会の平等」と誰もが何も受け取ることが出来ないという、いつまでも誰も浮かび上がれない「貧しい結果の平等」で良いのか?
一人でもゲーム機を受け取れば皆が「良かったね」と言ってあげる優しさ、それから大人たちが智慧を使ってどうやればもっとたくさんのゲーム機が手に入るかを考える、それが大人の知恵だろう、それが社会の進歩と言うものだろう。それとも今の日本社会では喜ぶ子供の足を引っ張るような事をするのが大人の知恵とでも言うのか?
2011年06月27日
コクサイ先生と利回りに敏感な40代の買い手・・・
国内売れ行き不振、個人向け国債てこ入れ 7月から利率引き上げ
2011.6.27 20:55
販売低迷に悩む個人向け国債をてこ入れしようと、財務省は変動10年債の利率の算定方式を変更し、7月発行分の金利を引き上げる。イメージキャラクターの「コクサイ先生」も、短文投稿サイトのツイッターでつぶやきPRを開始するなど、投資家への売り込みに懸命だ。低金利でうまみの少ない個人向け国債のイメージを払拭し、東日本大震災の復興財源確保に向けた増発が避けられない国債の安定消化につなげる。
「個人向け国債は元本や利子の支払いを国が責任を持って行う金融商品です。満期償還の来る10年後までにはインフレーションを起こして国家財政を黒字化させる予定ですので国債は元本割れすることは非常に高い確率で発生する、つまりほぼ間違いなく投資家が損をする商品ですが、10年後なんて皆さん思いもつかないし日本大好きでしょ、政府に投資しましょうよ、大丈夫、10年も経てば昔の事も忘れている、だから気にせずにじゃんじゃん個人国債を買いましょ〜う」
このような内容をツイッターで毎日律義に宣伝するコクサイ先生とは「政府に洗脳されてインフレが起こったらどうなるかとか自分では健全な疑問を持つ事もない、毎日健康!とか原発反対!とか言いながらタバコ吸ってるメタボ気味の、東京の丸の内に行けばどこでもいるような40代男性」の設定だ。財務省は「コクサイ先生と同世代の連中がツイッターにに引っ掛ってホームページに目を通してもらえるきっかけになればオレオレ詐欺もびっくりだ!」と期待する。
元記事に興味のある方はこちらにどうぞ↓
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110627/fnc11062720580006-n1.htm
普通に世界中の国債の利率を考えれば日本の国債の利率の低さに「買う価値なし」と判断するのは当然だろう。しかしここにカントリーリスクが加わると、ギリシア国債の利率が高くても買った債権が紙くずになる可能性が非常に高いので誰も買わないだろう。だからそう見ると日本はデフォルトはしないかもしれないので「買い」の要素はある。
つまり国債番付の利率の高さで最高の国はカントリーリスクが高く、利率の低い国はカントリーリスクが低いと考えるべきだ。が、今の日本は利率も低くカントリーリスクが高いという異常な状態になっているのを多くの人は考慮の際の要素に入れていない。このカントリーリスクとは政府が実行を検討中のインフレーションである。
金利が一年でたった1%でインフレーションが年間5%超せば日本円で生活をしている人からすると価値が下落するわけで、そんなものを一般国民、つまり政府がいつも金融機関に言う「金融商品販売については十分な説明が必要とされるプロでない一般投資家」に対して「政府が保証します」だけでリスクの説明もなく売りつけようとするのはいかがなものか。
ところ変わってニュージーランド。先週はオークランドの銀行やファイナンスカンパニーのプライベートバンカー達とのミーティングがあった。今まで日本市場はそれほど重視してなかったでしょおたくって感じの銀行が今回はアジア向けのプライベートバンキングチームを作り日本を視野に入れ始めているのだ。
この背景は二つある。一つはもちろんクライストチャーチの大地震で復興資金が必要となった事、もう一つはNZの銀行界も中国人とやり取りしながらあまりの不正の多さにいくら有望市場とは言ってもね〜と言う厭戦気分が出始めており、だったら他にどこの市場があるのよとなった。
復興資金については政府が復興国債を発行して投資家に買ってもらうわけだが、金利は4年物で4%だ。通常の国債でも3%の金利である。ところが実質的に国家保護下にある銀行の定期預金は5〜6%なので、どっちも政府保証なら当然銀行に預けるだろう。
ファイナンスカンパニーでは更に良い年利7%〜9%なので少しくらいのリスクなら取れるのであれば当然国内資金はファイナンスカンパニーに資金は流れる。
そうなると国債を購入する相手として次に狙うべき市場が「ニュージーランドに移住を考えている外国人」である。
ニュージーランドのようなちっちゃな国は国策として外国人優遇政策を取り優秀な外国人を受け入れて国力増強をしている。優秀な外国人にはお金を持った投資家も含まれる。150万ドル(約9千万円)あれば永住権を発給しますよ、その代わり投資先はNZ国内でActiveFundにしてね、である。このActiveFundは移民局も具体的な条件を明確にしていないが、国や自治体が発行する債券、民間企業への投資や株式購入、不動産投資が含まれている。
ところが今年、いざふたを開けてみると投資家移民の集客が悪い。つまり金の集まりが悪い。政府は下部機関である移民局に対して「お叱り」を出した。「何やっとんのじゃヴォケー、もっとしっかり仕事せんかい!」
これに対して移民局は「いやいや、そうは言ってもうちは役所ですし中国マネーは好きでも中国移民は嫌いでしょ、だから彼らが入りにくいような規制をかけてますよね、だから営業するなら他の国でって、金融機関に言ってくださいよ」となった。
そこで金融界上がりのプロであり1980年代のジャパンマネーの凄さを知っているジョン・キー首相は「おらー、銀行界はもっと営業せんかい!アジア市場と言っても中国だけではない、日本には個人資産があるのだ、投資移民の取り込みをやれ〜!」とでもはっぱをかけたのだろう。
その結果としてぼくは地元銀行からの日本人投資家向けの提案を待っている状態になったのだがちっちゃい国ではありながら国債も含めたポートフォリオでは7%〜9%の商品が並んでおり投資家ルールも緩和されるようなので、投資家ビザ申請については少し期待出来る状態である。
ちっちゃな国はそれなりに生き残るために一生懸命である。移民でさえもビジネスとして理解出来る狩猟民族と、自分の生まれた土地を先祖代々守り続けて何度津波が来ても手放さない農耕民族との違いであろう。これは仕方ないにしても国家間の利率の違いは普通に自分の眼で見れば確認出来ると思うのだが。
★記事抜粋
コクサイ先生がアピールするのは、利回りに敏感な40代の買い手が多い10年債の新しい利率。従来の算定方法は、直近の長期金利(7月発行分は1・17%)から0・8を引いた水準だったが、7月からは長期金利に0・66を掛ける方式に改める。
★記事終了
利回りに敏感な40代の買い手・・・・どんな人なんだろうね。
2011年06月26日
チャイナシンドローム
チャイナシンドローム
週末に日本から届いた「チャイナシンドローム」を観る。DVDはAmazonで購入しても直接海外に送ることは出来ないので国内で一旦受け取り再度パッキングして送ってもらってる。リージョナルとか売る側の都合だけで世界を区分けしているけど、そんな時代なのかな〜、顧客視点が結局いつの時代も正解なのに、わからん業界だなとか思いながら送られてきたDVD、パッケージには1,480円と書かれておりオークランドで映画館に行く(16ドルくらい)のと同じくらいの値段だ。
けど自宅のソファに座ってお茶飲んだり途中で一時停止したりとか、分からん部分は再度見直しが出来るって意味ではかなりお値打ちである。映画館のゴールドシートに座る事を考えれば(30ドルくらい)安いものだ。
1979年3月16日に初放映されたこの映画は、その12日後の3月28日にスリーマイル島原発事故が起こった事もあり「チャイナシンドローム」と言う言葉が原発反対の代名詞のようになって現在に至る。
映画を観て最初に驚いたのは不謹慎ながら「あれ?マイケル・ダグラスじゃんか!」である。そうか、こいつこんな映画にも出演して演技力を磨いて来たんだなとか本筋と関係なくちょっとうれしくなる。考えてみればジェーンフォンダのお父さんはヘンリーフォンダ、マイケルダグラスのお父さんはカークダグラスなわけでお父さんたちの映画も大好きな僕としてはハリウッド2世役者の共演は十分に見ものであった。
ただこの映画の内容は原発に対する強い批判ではなく、現在の原発反対派の主張の土台になったり反対派をサポートするものではない。偶然にSF映画の放映時期と現実の原発事故がくっついて出て来た話なので、この映画を見ただけで「私も原発嫌いになりました!」と言う人は中国人が作った南京事件を読んで「あたしは日本人を嫌いになりました!」みたいな話になるので注意が必要。
当時は他にも自然災害の「大地震」や人災の「タワーリングインフェルノ」などが人気を博してたが、そういう系の延長の一つと思ってもらえばよい。自然災害と人的災害が重なり人智を超えた大惨事が起きる、それがチャイナシンドロームであり、だからいきなり原発反対などとは言ってないのだ。
何を議論するにしてもまずはしっかりと事実を押さえて確認してからでないと、どんな話もとんでもない方向にそれてしまうのは自明の理である。原発映画一つ観るにしても理解するだけの事前学習や日頃の思考訓練が必要だ。
ぼく自身は現在の原発に関しては好意をもっておらず国家のエネルギー政策と言う大きな問題を個人的な賄賂や目先の利益だけで原発に結びつけた中央政府の連中のバカさ加減に呆れるしこいつらが東大出て世間じゃお利口さんと言われているんだからどうしようもないな程度の認識である。つまり彼らを吊し上げてどうにかしてやろうなんて発想はない。それより現実問題としてどうするのかに目がいく。
エネルギー政策の中で原発を選択するか自然エネルギーを選択するかって時点で原発を選んだおえらい連中は、戦前までの帝国大学で教えていた中国の古い哲学や歴史や文学を全く学ばずに、つまり人間として最初に持つべき土台を受験教育の中で失い、表面的な数字の組み合わせだけで社会に出たから自然と人間の基本的な関係が理解出来なくなっていた。
本来日本人が子供の頃から親に学ぶべき持つ道徳心とか人間はなぜこの地球に存在するのかとか、もっと言えば人間の体には魂も存在するのか、など等をしっかり勉強した上で更に科学の進歩で少しづつ自然のことを理解していくべきだ。そして人間と地球が共存するにはどのような方法があるのか、そう考えれば原子力、てか原子の世界に入っていくには人間はまだ十分な準備が出来てないことが分かるはずだ。
しかし問題はこれが東洋的人智として理解しているだけであり西洋人の操る科学的証明が出来ない事だ。つまり西洋科学はこちらに対して「俺たちの土俵で議論して勝ってみろ」と言うがその土俵自体が「人間が地球上で一番偉くて賢い」ってのが前提の傲慢主義なのだから乗りようがないのだ。出来るのは「お前ら西洋人が傲慢さを捨てて東洋科学を素直に学んでみろ、そしたら分かるから」と言うだけだ。
だからまず最初に考えるべきは科学が絶対ではないという事実を認めるかどうか。次に原子力はお金になるから導入したという「ほんとの話」をしっかり理解すること。彼らからすれば金になるのなら原子力でも牛のげっぷでも何でも良かったのだ、ついでに言えば地球温暖化は科学者と一部欧州ビジネスマンたちの最新の金儲けだという事。
原子は現在の科学が解明出来ていない世界の話であり更に言えば科学が自然のすべてを理解出来て地球のことが分かるなどと考えるべきではない。西洋科学一本やりで何でも科学で解決できるなんて思い込まない方が良い。
なので本来なら原子力よりも自然エネルギーを中心にして持続できるエネルギー政策を作るべきだったが、目先のことしか理解出来ない官僚体制を作ったのも政治体制を作ったのも僕ら日本人であるし当時の田舎のおらが村で金儲けをしたのも日本人であるから、今さら過去をすべて無視して「自分だけが知っている、正義の味方だ!」なんて言えるわけもないのも事実。
そのような歴史的事実と自然との共存を考えながら現在の日本が置かれている立場を見ていけば原子力絶対反対!すぐに廃止しろ!と言う感情論は通用しないと分かるはずだ。
原子力推進派の主張する「理屈」に対して反対派は相手の土俵に乗っかって主に「感情論」で反対するから相手にバカにされるのだ。最初にすべき事は相手の土俵で喧嘩するのではなく相手の土俵である「科学は絶対真実」が間違いだということを認めさせて「絶対真実でないなら間違いもあり得る。その間違いのボタンの代償が高すぎるから当分はやめておこう」という事だ。
もちろんこれには代償がある。電気に慣れ親しんだ生活を節約する必要があるし高い電気代を払う必要が出てくるだろう。しかし反対派も自らの主張を貫くには自らも便利さを捨て去る気持ちが必要だ。
2011年06月25日
ドメスティックエリート 士業の行方
日本の会計士は現在約2万人。これを政府は2018年までに5万人に増やすとしたため会計士の試験を合格しても仕事が見つからない就職浪人が生まれるとの日経ビジネス記事。
・・・最初はよく意味が分からなかった。就職浪人ってどういう事?会計士の資格とは一定の会計知識を持つ人に対して発行される国家資格ではないのか?
つまり会計士の需要があるかどうかではなく会計を処理する能力があるかどうかの試験であり、雇用需要には関係のない、自動車の運転免許と同じであると思っていた。
自動車の免許を取っても運転しない人もいるだろうし免許を取って就職出来なかったと問題になる事もない。だれしもが社会で生活をする際に公道で車を運転するなら運転ルールを身に付けましょうっていう能力試験なのだからそれで車の販売台数が増えるとかどうのと言う話にはならない。
ところがなぜか公認会計士となると「資格保有者が増えると仕事が減るだべさ、だから数を増やしちゃいかんべや」となるのか?
これは実は弁護士業界でも同様であり、法科大学院が急増することで弁護士が粗製濫造されるとか言ってた弁護士の寄り合い(正確には法曹協会)もその発言目的は「新規参入の締め出し」であり「自分たち少人数の既得権益の山分けに政府の力を借りている団体」である(でしかないと書くと真面目にやってる弁護士さんに悪いので少し遠慮して書く)。
自分の仕事に自信があれば競争相手が何百人いようと負けるわけはない、常に誰よりも良いサービスを提供していれば顧客は自然とついてくる、そういう「普通の人々」の「普通の感覚」で仕事をすれば良い事なのに、なぜだろう、自分の提供するサービスに自信がなくて顧客がいつ逃げるか不安だから法律で政府に守ってもらおうという発想なのだろうか?
会計士は政府の決めた数字を組み合わせて「ごーほーです」とか言ってるがそれは政府が認めたかどうかが問題であり合理的であるか法的に正しいかどうか、ましてや包括的に解釈した事実かどうかは問題ではない。
ライブドア事件の前後に発生した大手証券会社の不正事件や銀行の粉飾決算などは確実に法律違反でありながら政府が認めているから犯罪とならないのが良い例だ。
法律上は合法でも政府がダメと言えば違法になり、違法合法の判断を政府の代わりに下すのが政府に「免許」を貰った人々であり彼らは見返りとして既得権益を政府に守ってもらった。
ところが長年この規制で守られていた業界は世界が標準化する中で次第にその分厚い壁を壊されかかっている。会計制度で言えば世界標準のIFRSが導入されて「日本だけ特別です」はもう通用しなくなった。法律でも外国人弁護士が日本で営業出来るようになった。
もともとこのような「士」業はサービス業であり実業を行うモノを作り出すビジネスをサポートするのが目的であったにもかかわらずいつの時代からか免許持ちの方が真面目に額に汗して働く人々よりもエライような雰囲気が出てきて、それがさらに法律で守られているものだから肝心のお客様向けサービスが低下してしまい「どこを使っても同じ」業界になってしまったのだ。
ただ世の中は変わってきている。最近は政府に縛られる保険医療を使わない開業医も出てきてまさに自分の腕一本で食っているし税理士にしても弁護士にしても政府の免許に守ってもらうのではなく自分たちで切り開いていこうとしている。
いつも思う事だが政府に守ってもらおう、そう思った時点で人間は守りに入っているのではないか?税理士、弁護士、多くの人が政府に逆らう意見を出そうとしていない。
けれど政府はあくまでぼくら市民の使用人であり彼らが主人ではない。例えて言え主人が家事の手抜きをした結果として使用人に付け上がられて挙句の果てに免許を「与える」なんてえらそーな言い方をされているのだ。そんなの、腹が立たないか?腹が立つなら政府に頼らない事だ。苦しくても自分の二本足で立ち続ける事だ。
昔の日本には武士と言う階級がありその階級に生まれさえすれば飯が食えていた時代もあった。しかしいつの間にか武士業は成り立たなくなり明治時代になって一部の武士だけが新しい時代に適応するように自分を変化させていった。変われなかった武士は滅びるしかなかった。
士業の未来がどうなるにせよ、そこには常に需要が存在するのだ、外国人に乗り込まれて仕事を座して仕事を失うような真似をするのではなく、もっと自分に自信を持って自国政府に堂々と意見を言えるようになり、外国にもどんどん出て行って苦手な英語の壁を乗り越えてインド人みたいに喋りまくって中国人みたいに商機を見逃さずに世界に出ていけば勝ち目はある。
2011年06月24日
ネットリテラシー ちょっと一息
★
「官費で海外旅行ですかい!」にコメントがありました。
Posted by XX
email:
URL :
IP :XXX.XX.XXX.XXX
>政府民主党は自分たちを支える自治労や日教組を喜ばせるために今回は何と全額公費で半年の海外旅行をご招待ですか
研修の詳しい内容もしらないくせに、なぜこのような批判的なことかけるんですか??
ネットだからって、言いたい放題ですね。
**************************
★
これは311前に民主党が発表した官費旅行に対するぼくからの批判に対して昨日書き込みがあった内容である。
http://tom.livedoor.biz/archives/51969142.html#comments
上記のような書き込みはよく来るし中にはもっとひどい個人中傷もある。“はげ”とか“ちび”とか身体的欠陥を指摘するのは感情指数が激辛であり興奮してなくても日本語の語彙が乏しい人が興奮した時に唯一思い出して発することが出来る数少ない単語、子供の頃に学んだ「xxちゃんのxxとか〜!」の大人的発展系なのだとよく分かる。
適切な単語が出ない程度の脳みその書き込みでもネットに乗ればきちんと表現できるってのは、ネットはある意味脳みその弱った人向けの歩行補助器みたいなものか(笑)?
どうせ攻撃するなら肉体的欠陥ではなく精神的欠陥を指摘すれば少しでも書き込みをした人の知性が光ると思うのだが、なかなかそのようなのを見かけない(笑)。
この書き込みについては、お名前とIPは伏せておいたがメイルアドレスは空白のままでした。また書き込みには返信出来ないLivedoorの仕組み。なのでせっかくなのでこの場でぼくの追加意見を捕捉しておく。これをネットリテラシーの一つの例として読んでもらうと良い。
僕の書き込み
<政府民主党は自分たちを支える自治労や日教組を喜ばせるために今回は何と全額公費で半年の海外旅行をご招待ですか>に対して
<<研修の詳しい内容もしらないくせに、なぜこのような批判的なことかけるんですか??ネットだからって、言いたい放題ですね。>>
ではこの批判を少しばらしてみよう。
<<研修の詳しい内容もしらないくせに>>
そう、詳しくないからこの程度で抑えたんですよ、知ってればもっと直接的に事実を羅列して批判的な事を書きますよ。その時はこの程度の抽象的な書き方では済みませんよ、こっちは旅行の本職ですからほんとの領収書出せって言いますよ(笑)。
<<なぜこのような批判的なことかけるんですか??>>
なんだ、好意的に書いて欲しいならそういえばいい、「日教組は〜りっぱで〜す!教師が公金で海外旅行に行くなんて素晴らしい組織力ですね=うちの子供にも末は学校の先生になれって教えますね、何も作らず何も考えずひたすら他人のカネで楽をするなんて望むべき最高の生活ではないですか〜!」これでいいですか?
<<ネットだからって、言いたい放題ですね。>>
冗談でしょ、ネットだからこの程度で収まっているんですよ(笑)。直接会って言う時はこんなもんじゃないですよ、放送禁止用語からネット禁止用語までバリバリと具体的直接的に言いたい放題してますよ。知り合いからは「お願いだから人のたくさんいる場所では言わないでほしい」とよく注意されますが(笑)。
それにこのブログは匿名で掲載していないので「ネットだから言いたい放題」ではなく「ネットでも言いたい放題」なのです、匿名性を利用した書き込みではありませんのでお間違えないように。
事このようにネット上でのやり取りは公開されることを前提に書き込む必要があります。それがネットリテラシーであり他人に自分の意見を公開する以上常に発言責任が発生します。
その責任を取らずに匿名で書き込みをするのであればネット自体が社会的に低い地位(便所の落書き)に留まる事を容認しているわけで、その意味ではあなたの書き込み自体がリテラシーの低さを物語っている。自分がリテラシーを向上させてネットの地位を向上させる気持ちがあるのだったらあなたが実名で「研修の詳しい内容」をウェブ上ですべて公開してみてはいかがでしょうか?そしたら私が研修内容をしっかりと精査しますから。
次回の書き込みに期待します。
2011年06月23日
ネットリテラシー
★記事開始 2011年6月23日朝日新聞より
ブログに「保安院長の親族殺せ」 書き込み容疑で男逮捕2011年6月23日1時2分
. インターネット上で経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長の親族に危害を加えるよう書き込みをしたとして、警視庁は22日、愛知県一宮市宮地2丁目、自称システムエンジニア木野村洋世(ようせい)容疑者(33)を脅迫容疑で逮捕し、発表した。
捜査1課によると、木野村容疑者は4月15日午後10時10分ごろ、自身のブログに、寺坂院長の名前を挙げ「親族一同を探して殺せ」などと170回以上にわたり書き込んだ疑いがある。同月19日には「殺すことがボランティアだと思う」とも記していた。調べに対し「冗談半分で書いた。非常に申し訳ない」と供述しているという。同課が詳しい動機を調べている。
.★記事終了
当然だろう、こういうのはしっかり逮捕して世間に公表して、ネットで意見表明をする事にも自己責任があるのだという事を周知徹底すべきだろう。(ぼくは体制側ではないのでこの文章の趣旨を読み違えないで欲しい、体制側がこのような逮捕と公表を行う事で逆説的にネット市民が強くなっていくことを期待しているから賛成しているのだ)
今回の事件は自分の意見を社会に向けて発信するということの重みを理解出来ていない幼い脳みそがネットと言う過激な爆弾を使って殺人テロを行ったようなものだ。実弾の入ってる銃を他人に向けて引き金に手をかけておいて33歳の大人が「冗談でした」では済まない。
社会の中で活動する以上、人間の行為は言動も含めて常に一定の制約がある。思想信条の自由は、考える事や信じることは自由だよって事であり結社の自由は同じような思想信条を持っている人が集まる事も認めるって事だ。
けれどそれはあくまでも釈迦?秩序の中で認められた権利であり「誰もが平等な権利を持てる社会」では自分の意見を発表し行動する自由を保有するという事は必然的に他人の意見を尊重し他人の行動を束縛する権利を持たない事だと分かるはずだ。
だからこそ自分の意見表明の場として一般市民にはネットが存在するし自治労や日教組にはリアルの場所としては街頭デモと言う手段があり政治家にはマスコミがある。
それぞれが自分の意見表明をする中で多くの意見を得た者が必然的に意見の代表者となりそれが市民の要求する政策として政治に反映されて社会に反映されるようになるのが正しい民主主義である。
それなのに自分の意見だけを善しとして他の意見を感情的に攻撃したりましてや他人の生命財産を脅かしてしまえばそれは同時に自分の意見を他人が感情的に攻撃して他人があなたの生命と財産を脅迫する権利を認めたことになる。
つまりネットと言えど人を殺すという書き込みはそれほどに他人の生命財産を脅かす行為になったのだ。
原発について自分の意見を持つ事は自由である。そして自分の脳内で誰をどう殺そうがそれは個人の自由であり制限することは出来ない。ただそれをネットを通じて社会に公表するという事は実弾の入った拳銃を振り回しているのと同じなのだ。
そうなれば当然社会の秩序を守るべき警察はあなたを「逮捕!」となる。そんなもん当然だろう、日曜の昼下がりの秋葉原の歩行者天国でダガーナイフ振り回しながら「ぼくは、じゆうでえ〜す、ぼくはきょうはくなんて、してませ〜ん」なんて言っても通用しない。何故なら他人が脅迫されたと思う事実を持って脅迫の要件の一つは成立するからなのだ。
自由と無責任をはき違えたバカネットユーザーが逮捕されたということは、ある意味ネット市民が成長することを意味する。書いて良い事と悪い事の区別がつき、社会と自分の間の違いが理解でき、自分が持っている武器がどれほど強力化を認識する事が出来る。
だからこれからはネット市民は無責任にバカなことは書かなくなる。書く前に考えるようになる。これが結果的に思考能力を高めて、思考能力を持たない“あちら側”の人々と確実に世間の認識能力に対して格差が付く。これが大きくボディブローとなって世の中を変える源泉になる。
「ペンは剣よりも強し」と言うことわざは古くからある。たった一枚の写真が世の中に大きな衝撃や感動を与えることがある。しかしそれはすべて媒体が存在するから可能でありここに20世紀のメディア=媒体には限界があった。
メディアに取材と印刷と配布と言う作業が存在する限りそこにはビジネスがなければ成立せずビジネスである限り上位のメディアやビジネスを凌駕する力を持つ政府に潰されるのは当然のこととなる。だからどこまで反体制が戦っても一定の限度を超えることは出来なかった。
ところが21世紀の媒体であるインターネットは現世利益を獲得する必要はなく誰に頭を下げる必要もない。自分らしく自分の意見をほぼゼロコストで堂々と発表出来るのだ。(勿論たとえネットがあっても社会的な立場があって意見を発表出来ない人はいるがそれはネット特性を否定するものではない)
実はこれから将来の政治的な意味でのネットの方向性のいくつかの選択肢は見えている。そのどれが現実化するか今は不明である、何故ならそれを決めるのはまさにその社会に生きている人々が決定することだからだ。
ただインターネットと言う不可逆的な技術革新を根っこから停止させて人々を18世紀の電気のなかった時代に逆行させるだけの政治的蛮勇もそのような政治の継続性も現実問題としてはあり得ないだろう。
そしてネットを使った社会全体の情報共有を前提とする限り、つまり言葉を変えて言えば今日の記事のような「ネットに社会性を持たせた」事件が増えていくたびに社会は進歩していくだろうしより一層本当の意味の民主主義=自己責任と自由の理解に近づくだろう。
その意味でこのニュースを「自由な言論の取り締まり」と評価してはならないのだ。ネットが社会的地位を得る為の必要な成長を警察が後押ししてくれたのだ、ありがとう警察よ!これからもよろしく!そういって歓迎しようではないか。
そしてネットで情報が共有される時代があと何年先に政治的に受け入れられるか分からないが、「その時」に社会のど真ん中で生きている40歳世代がでっぷり太った腹に煙草の灰をぽろぽろと落としながら「おれ、ネットってよくわかんねー」とか「自分の意見?あんまり考えたこともないなー」とか「え?何コレ?こんな事書いていいの〜?」なとどネットリテラシーのない状態でいれば確実に世間から取り残されて「歴史博物館送り」になることは覚悟しておいた方が良い。時代は手抜きの人生を見逃すほど甘くはないのだから。
2011年06月22日
撞突きの玉
★記事開始
普天間移設先送り 日米閣僚会合 辺野古はV字案に絞る
(2011年6月22日朝日新聞より)
日米両政府は21日午前(日本時間同日夜)、米ワシントンの国務省で外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)を開き、共同発表をまとめた。沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題は、同県名護市辺野古に「V字」の滑走路を持つ代替施設をつくることで合意し、自公政権時代の案に戻った。移設目標は日米で合意していた2014年を先送りした。
松本剛明外相と北沢俊美防衛相、クリントン国務長官とゲーツ国防長官が出席し、日米同盟の深化、拡大を確認した。V字滑走路は自公時代の06年の2プラス2で合意したが、09年に「県外移設」を掲げる鳩山政権が発足し迷走。10年5月に辺野古へ回帰し、8月末の日米合意で「V字」「I字」両案が併記されたが、今回は「V字」に絞り込んだ。
★記事終了
2プラス2は学校では4となる。しかし政治の世界では2プラス2=茶番となる。
米国は最初からグアムに太平洋の拠点を移動させることを21世紀の世界戦略の基本にしている。これは既定方針であり、米国は永遠です〜とかV字とか県外とかなんとか言ってるのは日本で沖縄を飯のタネにしている日本国防族だけである。
国防族の上層部はすでに米軍の意向を理解しておりグアムの移転を前提に日本側が日本の税金で米軍基地をグアムに作るという建設利権もしっかり押さえている。 その上で更に沖縄を出来るだけ長く現状維持させて利権で利益を得る為にVだの県外だの出来もしない事を時の政府や外務省を使ってマスコミに情報提供、国民をかく乱させて結果的に「現状維持」を継続させている。
その分かりやすい例が今回の「2014年までに作ると言ったのはなしね、もちっと延びるからね」である。これで普天間は2014年以降更に数年引っ張れるわけで、そんなのはペンタゴンと国防族の間で水面下で決まっていることだがそれを政治家責任にする為に防衛相に米国に飛んで行ってもらったわけで、こういうのを茶番と呼ぶ。
ただこれで米国が損をするわけではなく、2日前の記事でも少し触れたが財政危機に陥っている米国連邦議会としては自分のカネで何かをしなくちゃいけないグアム移転よりも当面追加費用の不要な現状維持が良いので現在は日本の国防族の片棒を担いでいる。
しかし国家戦略としてはいずれグアムなのでその時の移転費用から基地移設費用まで全額日本が出しますとなればすぐに移転時期は決定するだろう。
日本は沖縄の米軍基地がどうなるかと言う事を国民視点から見ている。県外移転とかV字滑走路とか嘉手納との合併などわいわいやっている。けれどなぜ米軍がグアムに行くという話が出て来たのか?そこを突っ込むマスコミはあまりない。
日本人の弱い点は物事を考える時に大きな絵から細部に入る事を苦手とするところだろう。日本人は重箱の隅を突っつくのは得意だが、なぜそこに重箱があるのかとかなぜ重箱でないといけないのかとか、そういう大きな絵については考える事を得意としない。国民性なのだろう。
たぶんこれが純粋に国内問題ならそれで良いのだろうが、国政に関わる部分で言えば純粋な国内問題などない。
日本の国防。これは実は日本の問題と言うよりも米国の世界戦略の中の一つの玉として見られており、地理的には世界の中のアジアの中の日本として認識されており21世紀の米中の国境線をどこに引くか、その国境線のどちら側に日本が位置するのかによって日本の国防は大きく変わるのであり言葉を変えれば独自の国防なんて存在し得ないのだ。
ちなみに米国はイラク、アフガニスタン、パキスタンなど中国の西側にある諸国を中露主導の上海協力機構に任せて自分たちは太平洋まで引っ込む計画が現在進行中である。インド洋は中国が中心となり沿岸各国をアジア経済協力圏とする。
つまり中国を中心とするアジア圏の西の端はイラク、イランまでであり(トルコがどうなるか、イスラエルをどうするかは未定のようだ)、反対側に目を向けると太平洋の国境は日本列島の東側、小笠原諸島あたりから南に線を引いてインドネシアまで続く国境線になる。
米中の考える新しい国境線は現時点では太平洋のグアム島までが米国、そこから西は中国と言う認識、つまり日本は大きな意味で中国をリーダーとするアジア圏に包括される。
これは日本が「やだやだ、ぼくちゃんアメリカさんが好きなんだよ〜」なんて言ってもどうしようもない。大東亜戦争で壊滅的に敗北して戦勝国である米国と中国(戦勝国と言えるかどうか疑問ではあるが)に挟まれた日本は自国で独自の国防と外交を展開することは実質的に不可能になっている。
それは戦後の日本が米中によって真っ二つに裂かれてしまい、さらに金儲けの為に外国と手を組んで活動する学者や政治家や文化人や評論家やメディアが国論をいつまで経っても一つにまとめさせないようにしているからだ。
国家の統治の基本は分散統治である。民を一か所に集めてはいけない。ばらしておいて意見を集約させずに個別に利害関係を作り出して民が互いに喧嘩するような仕組みにすることだ。その国家を米中どちらが取るにせよどちらにとっても不利な事は日本人が一か所に集まり日本人としての独自意見を持つ事だ。
そうさせない為に右翼をコントロールして愛国心を駆り立てたり適度に労組に基地反対のデモを起こさせたりしながらテレビでは文化人や評論家が「米国なしの日本なんてあり得ないだろう!東北大震災でも米軍さまの強さがよく分かったろう!」と全然関係ない事を我田引水して、いつまで経っても日本の意見をまとめさせない戦略だ。
今の沖縄問題を考える時に「あいや〜、沖縄の人が可哀そうだよ、基地を県外にしようよ〜」なんて言っても意味はない。世界レベルの国境策定の中で日本がどうあるべきかを日本抜きの世界が決めているのだ、そして日本の支配層はそれに対して「いないふり」をしている。日本国内の一部お涙ちょうだい連中が自分だけは傷付かない損しない一時的な感情論で何を言っても沖縄問題が変わることはあり得ない。
世界戦略の中で二大強大国に挟まれた日本は撞突きの玉のように振り回されている。それはパキスタンやアフガニスタンも同様である。どこの国も内部でもめている限り独立国としての主権は守れないし、いつまで経っても撞突きのプレイヤーにはなれない。
じゃあいつになればプレイヤーに参加出来るのだ?戦前の日本のように白人優勢社会の中で一定の発言力を確保しようとしたプレイヤーのようになれるのだ?
答はあるのだがその答を得る為の努力よりも、やっぱり日本人は思考停止だけど毎日食い物を与えてくれる仕事がありコンビニがありエロ朝刊紙がありゲームがある、何も考えなくても良い今の生活が好きなのだろうし、「そう」であって欲しい日本の支配層が「そう」なるようにコントロールしているから、今の状況が続く限り、残念だが何も変わる事はないだろうし「そういう状態」の方が多くの日本人にとっては幸せなのかもしれない。
2011年06月21日
正解のない人生、そうだ宗教しよう!
震災後に多くの人々が初めて原発問題を目の前にしてどうしていいか分からずに「正直今まで原発のことなんてあまり考えずに普通に生きていました。けど今放射線が人間に与える影響を見ると、怖くて怖くてどうしていいか分かりません。お願いです、私を安心させてください」と書き込んでいるのを見かける。
安心なんて商品はこの世に宗教以外には存在せず、宗教の基本は信じ切る事だから結局疑問を持ちながらそれを解決して合理的に安心を得る事は出来ない。
こういう書き込みが増えている事で今の日本で生活をする人々がどれほど危機意識を持っていなかったかが分かるし何でいつも時代が末世になると宗教が流行するのかよく分かる、要するに心が弱いのだ。
日頃は何も考えずに蝶よ花よと生きてきて、哀しい少女の話をテレビを見て少し泣いて政府を批判する記事を読んで少し怒って今年は節電だと言われて節電グッズを買いそろえている自分、ところが政府がニュースを通じて沈静化しようとする中で“東京の空にまでHOTSPOTがある!”なんて情報が流れると「そんな事、聞いてない〜!」とヒステリックに叫ぶ。
こうなるとパニックでありどうしようもない。理性よりも感情が先だってしまい、何を見ても聞いても信用出来ず、テレビのニュースを見てもそれが本当かどうか分からない。
今までの人生と生活の指針であった「だってテレビでこういってるんだもん」が通用しなくなった。今まではテレビさえつければ誰か偉い人がいろいろ言ってたじゃん、政府の人が説明してたじゃん、あれって、全部嘘だったの????一度思いついた疑惑は旦那のケータイに見つけた女の名前の番号みたいに膨れ上がり止まるところを知らない。
かと言ってこのHOTSPOTの話も信用できない。人々は原発反対のデモをやっているから参加すれば安心出来るのか?それとも自分の部屋に籠っていれば安心なのか?
不安にかられてネットで調べると、どうも福島に置いてあった燃料棒の一部は中性子を発生させるようでこれは分厚い壁も透過して人間の内部を溶かしてしまううううううう、なんて情報を見て、壁に付いてた片手を振り放したりするけどもう遅いいいいいいいい。
と、そんなこんなに嘘情報や関係ない情報までいきなり何のフィルターも付けずに吸収してしまいどこまでヒステリックになるかってのは今までどこまで自分できちんと勉強してきたかによる。
このような人々の気持ちは理解出来るが同感は出来ない。これは言葉を変えて言えば今までアリとキリギリスではないが夏の間歌ばかり歌って何もしなかった人に神様が与えた試練であり、それは誰か他の人が肩代わり出来るわけではない。
では迷える子羊はどうすればいいのか???答えは簡単、宗教にはまればよい。どうせ今まで勉強しなかったんだから今さら少しくらい勉強したからと言って心が強くなるわけもない、地域ごとひっくるめて新しい宗教を作るのだ。
例えば品川地区は品川教を創る。彼らは品川だけが良ければ良いのであって政府の予算がどうのこうのなんて関係ない、今から政府に言って自分たちの土地をすべて掘り返させて南太平洋あたりのきれいな土と入れ替えなさいとでも言えばよい。
え?そんな事で問題解決するのか?そんな事したら東京中全部の土地を入れ替える必要があるぞ。それにかかる費用も大問題だが実際にそこまで放射能の影響があるのか?人間がこの世で生きる限り常にリスクはあるわけで、原発問題だけをわーわー言っても仕方ないでしょ、なんて理屈は宗教には関係ない。
同じ宗教仲間で人々の中に混ざって彼らと同じ呪文を唱えていれば心が「落ち着く」わけで、それが「安心」に繋がるのだから理屈とか正しいとかどうでも良い、集団心理なんだからきもち良ければよいのである。
結果的に品川教は港教との間で土地入れ替え騒動で負けてしまい合併されるかもしれないが、それでも一信者としては品川教よりも大きな人数に合併されるのだから更に気持ち良い。
そうだ、こうやって宗教にすがろう。そうやって各地の宗教が戦いながら一つにまとまっていき、最終的にそのもっとも大きな組織が日本教になるという皮肉と言うか矛盾なんてのはずっと後になって分かるわけであるし、その時になれば教団の教育宣伝部長がうまい事理屈を思いついて「だ〜から日本教がいいのだよ、えっへん」である。
今回の原発も方向性としては、
1・今年の夏は暑くなり末世
2・ほーら、関西も節電でっせ。
3・暑いでしょ、大変でしょ、やっぱり電気欲しいでしょ。
4・工場でアイスクリームも作れない、冷蔵庫も使えない、ほーら冷たい水が欲しいでしょ。
だったらやっぱり原発動かすしかないでしょ、ほらほら311から3か月も経ったんだからそろそろ大人になって、黙って原発受け入れましょう、政府だって安全だって言ってるんだから。こうやって迷える羊たちは、またも官僚主導のいつか来た道を歩く。
けど考えてみれば結局それが彼らにとって一番幸せなのかもしれない。
だって何もない時は難しいことは考えずに明日着る服とか友達とのささやかな飲み会とか何にも勉強をせずに毎日を過ごして、何かあったら一過性で宗教がかりになって振り回されて、数か月もすれば元の生活(みたいなもの)に戻れるのだ。考えるとか勉強するとか、そんなこと面倒だし頭痛いじゃん。
どっちが正解なのか?覚醒して少数派として生きるのか、多数派の一員として心の安心を得て自分の住んでる土地の土を入れ替え運動をしながら生きるのか?幸せが自己満足と定義すれば、覚醒しない方が幸せである。何故なら覚醒してしまえば他の社会問題が次々と見えてきてしまうからだ。
2011年06月20日
普天間移設 「日米合意変えぬ」 北沢大臣訪沖 仲井真知事に伝える
この記事、日米ではこうなる。
日本では↓
北沢防衛相は6月12、13の両日、沖縄県を訪れ、13日に県庁で仲井真県知事と会談、同21日に米ワシントンで開催予定の日米外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(SCC)では、名護市辺野古に建設予定の普天間飛行場代替施設の滑走路の形状を「V字型」に配置することや、2014年までの移設計画を「できる限り早い実現を図る」ことで日米で合意したいとする政府方針を伝えた。
米国では↓
米上院軍事委員会のレビン委員長は17日に会見し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に関し、同県名護市辺野古に代替施設をつくる現行計画について「(日本政府によるたかりが)非常に費用がかかり、米軍の達成不可能で、愚かだ」と強く批判。自らが提案した米軍嘉手納基地への統合案などの代替案を検討するよう米政府に改めて求めた。
日本では↓
さらにグアムへの訓練移転や海兵隊員8000人とその家族9000人のグアム移転について、「構成がはっきりしていないので、できる限り早く(米側に)示してもらう」との考えを示した。
米国では↓
同委員会は17日、2012会計年度(11年10月〜12年9月)の国防権限法案で、在沖縄海兵隊のグアム移転費として、政府が要求した全額の約1億5600万ドル(約125億円)を却下することで合意した。 さらに、普天間飛行場を嘉手納基地に統合する案について実現可能性を調査するなど、同委員会が示した条件が満たされなければ、今後もグアム移転費の支出を認めない方針を示した。
日本では↓
これに対し仲井真知事は、「私の選挙公約でも県外と言って当選した。両政府で決めても地域の県民、住民の納得がないと、事実上進行させることはできないのではないか。誠に残念で遺憾だと申し上げるしかない」などと述べた。
結論
要するに日本の言ってる話と米国の言ってる話が最初から全然かみ合っていない。全然違っている。てか、米国が米国内で提出してきた書類は日本では翻訳も公表もされずに来たということだ。バカにされた話である。
沖縄基地返還問題は「米国にたかられてます〜」と弱気な声を出しながら実は裏で思い切り私腹を肥やしている日本政府内の米軍族とその米軍族がたかりをする限り兵器が売れるペンタゴンの出来レースであったのが、最近の米国の巨額財政赤字によりついに米国債デフォルト?の可能性も出て来た米国政府がいよいよ本格的にペンタゴンと喧嘩しようと、今回の沖縄問題で大ナタを振るい始めたということだ。
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そこで日本の意見は?独立国家としての方向性は?地域住民は?地域住民に押し付けるだけの他県民は?・・・・全く無視である。
2011年06月19日
地元酋長ら 経産相に「おカネを!」 (2011年6月19日 読売新聞)
海江田経済産業相が18日、水素爆発などの過酷事故(シビアアクシデント)対策が紙の上で書かれたことだけを見て適切として、実際は何のチェックもせずに停止中の原発の運転再開を要請したのを機に、再開の了承を取り付けるため、国から地元自治体への働きかけ(=カネあげる、駅作る、地元対策費をもっと払う〜)が本格化しそうだ。
ただ、全6基が「30年超運転」の古ぼけた仕組みの福島第一原発の事故と長期運転の因果関係など難しい事が経産省に説明できるはずもなく、県が説明を求めた「カネ寄越せ」課題への回答は不十分=カネ不足なままどちらも後手後手になっている。国が県や立地市町の野蛮でハングリーな酋長どもの理解を得るのは安くない。(藤戸健志、畑本明義、青木さやか)
県内の商業用原発13基のうち、30年超運転の〈古い型の原発〉が8基を占めるており県は古い原発が壊れたら今まで「原発は安全ですよ〜」と住民を騙してきたことがばれるために「俺の時には壊れるなよ〜、先送りで壊れてくれよ」と安全性に神経をとがらせている。
満田誉副知事は「高経年化原発の安全確保に絶対などないと分かりきっているが少なくとも私の時代に壊れることがないように期間限定で良いから安全基準の策定を国に求めていく」と語る。県原子力安全対策課の岩永幹夫課長は「県としての判断はいつもいつの時代も自治省命経産省命綱であり中央にぶらさがっていく方針は現時点で何も変わらない」と副知事の逃げを突き放した。
福島第一の事故を踏まえた全国の原発の安全対策に、国が一度は「お墨付き」を与えながら、一転して浜岡原発だけ停止を要請したことへの不信感も根強い。「浜岡原発と他の原発との違いは明確で東京に近いかどうかだけだ、高経年化対策についての説明は聞いても意味がない、しょせん不明確だ、そんなのは問題ではない、大事なのは浜岡を止める時に金を持ってこなかった中央のバカ政治家どもが地元に不信感を植え付けたことなのだ」。ある県幹部は中央のバカ政治家の子供じみたヒロイズムの非現実さを強調した。
記者会見で原発村推進局の海江田広報局長兼経産相は、運転再開への理解を得るため、自らカネを握りしめて実弾射撃!地元自治体を訪れる意向を表明したが、県内の立地市町は浜岡で手土産を持ってこなかった中央に対して「今回も紙鉄砲(音はするけど中身空っぽ)じゃないか?」と慎重な姿勢を崩していない。
関西電力の高浜原発(4基)が立地する高浜町の野瀬豊町長は「事故の知見を反映させた新たな安全基準策定が作りようがないのはお互いに裏で了解済み、しょせん原発に絶対安全はない、大事なのは地元対策であり避難道路の整備についていくらカネをくれるのか一定の方向性を示してほしい」と要望。「半端なカネで計算相に来ていただいても意味がない」とくぎを刺した。
関電の美浜原発(3基)がある美浜町の山口治太郎町長も「酋長として納得(=カネ、地盤、時期の選挙公認、世襲など」を中央政府が約束できなければ再稼働は認められない」とした。
いずれの村も酋長が納得できる回答がなければ原発再稼働は出来ず、かと言って原発が稼働しないと地元に仕事が回ってこなくて次の選挙で血祭りになる。どこの酋長も政府の再開の焦りと地元の兵糧を見比べつつ自分の再選と言う最終目標に向けたチキンレースの真っ最中だ。
2011年06月17日
人種のるつぼになりかけのオークランドについて
(現地生活記録なのでショートランドストリートなどに興味がない方は飛ばしてください。)
そろそろ季節の変わり目だ。毎年5月になると天気予報は「今朝は空が真っ黒になるほどの大雨、その後太陽が出てから強烈な晴天、その後強い風が吹いてから強烈なスコールが降りそのすぐ後には晴天となるでしょう。夕方から夜にかけて強い風が吹いて雨が降ります。気温は17度前後でしょう」
そして6月になると本格的な冬の気候になり安定した冷たい空気が南から入ってきて気温が15度前後になる。とは言っても朝方は霧が発生することも多く10度前後、太陽が昇ってから17度くらい、夜になると9度くらいに下がる感覚だから肌が刺激されて気持ち良い。
オークランドの季節は二季と言われる。夏と冬の繰り返しって意味だ。その代わり一日で寒暖の差が激しく今日も一日で四季があるオークランド、傘なんて要らない、てかこんな天気で傘さしても吹っ飛ばされるだけだし雨が降れば雨宿りすればいいだけだ。仕事はこの雨降り、少々遅刻してても誰も気にしない。
冗談抜きにビジネスの面談予定でも、雨が夕方に降ると「あ、ごめん、今日は雨きついしこのまま帰るわ、じゃあまた明日にでも!」なんてのが平気で言えることもあるくらいだ。
5月から6月にオークランドのダムはたっぷりと雨を溜めて上水道に提供したり水力発電に回されることになるので「今年も安い電気代で生活出来るし水なんてただみたいなものだからほんと、いい街で生活出来てるね、らっきー!となる。
ところが同じことを違う書き方をすると「今朝はどしゃぶりの大雨でうざし、ちらっと見えた太陽もすぐ雨雲にかき消されてさ、とんでもない大風が吹いてまたも土砂降りで気分は暗くて、日が沈むころからまた土砂降り、料理作っててもいつ停電するか分からない、まったくうんざりするような季節だな、これが9月後半まで続くとなるのだから全くもうやってられないよ、文句たらたら」となる。
どっちも同じ自然現象を見ているのだが、見る角度が違う。人生をどの角度から見るか。自分を幸せにしたいのか?だったら自分を幸せにするように考えてみればよい。何かあればすぐに暗い面だけに目を向けて悲観的になり明日はもっと暗くなるだろうと落ち込み、けれどそれに対する準備をしようとは考えもしない。
毎日だらだらと生きながら文句ばかり言って自分では何も変えようとしないのなら、そんな人が幸せになれるわけがない。
「ショートランドストリート」と言う超退屈で超長長寿番組がある。最初から最後まで何を言ってるのか何を言いたいのか全く意味不明で、あんなのをまともに見てたら退屈病で死んでしまうのではないかと思うのだが、どうやらイギリス気質のキーウィにはこれが大人気のようである。
底抜けに明るいキーウィでもこんな番組を見るのかと思えば、やっぱりファンの多くはキーウィを含む英国白人移民であり彼ら英国からの移民は元々が英国の一年中憂鬱な曇り空と雨雲とうす寒い天気と北海の黒い海を見て育って、おまけに食い物と言えば芋とくそまずいふにゃくれたローストビーフ(それでもあればまし、通常は豚肉のみ)と言う生活を何百年も送ってきたから、こんな薄暗い退屈な番組でも楽しめるのだろう、てかこの番組には彼らの薄暗い心情を駆り立てる何かがあるのだろう、まさに国民性と言うべきか。
薄暗い天気に嫌気がさしてニュージーランドに移住する英国人は毎年約2万5千人。彼らは心の中では「おれっち宗主国出身だもんね」というのがあるが地元キーウィの前では絶対に言わない。けどぼくら移民同士でおしゃべりをする時は結構気楽に「バカキーウィがさー、約束も時間も守らない、それでいてけろっとしてる、全くだっさいんだよね〜」と平気で言ってる。
そんな連中でも夜になるとソファに横になりながら枕を抱えてダークビールを飲みながら「ショートランドストリート」を見て「おお、すばらっしい」とか涙流したりはらはらしながらなんだから、何てか笑える。
ある意味英国人は先の先まで見通す訓練を1700年代のパックスブリタニカ時代から続けて来たから人の人生は浮き沈みを知っており、現実の重みを背負って生きているからキーウィの底抜けのバカ陽気さにはさすがについていけず夜は「ショートランドストリート」を見ながら故郷を思い出しているのかもしれない。やっぱり根暗か(笑)と思ったりする。
ニュージーランドの人口における白人率は75%。これが十数年のうちに65%にまで落ちてアジア人が増えるだろうというのがニュージーランド政府の見通しである。そしてこれをどう捉えるか、つまりガイジンに対する恐怖とみるか、人口が増えてビジネスチャンスが増えるとみるのかで全く答えは変わる。
国民戦線と言うバカ右翼がアジア人台頭にびびっているが政府は慎重に受け入れ増加をしようとしている(もちろん、できれば中国人少な目・笑)。国家の将来を理性で考えれば世界の国際化は避けられず、世界と強調しながら平和と繁栄を呼び込むには今の時代はアジア人と組むのが正解、そう理解しているのが現在の政府である。
移民法が今年の7月でまたも大きく変更される。細かい変更を入れれば3か月に1度は変更されている移民法だが今回は投資家枠の部分に大きく変更が加えられている。ただ当然の事ながら6月末までに申請すれば6月までの法律、7月に申請すれば新しい法律の適用となるので日本のように遡って法律無視!なんてのはないのでそれは大丈夫だ。
理性と知識でアジア人と手を組んで21世紀を生き残っていこうとするキーウィ、けどその中にある心情ではやっぱりダークビールを飲みながら「ショートランドストリート」を見てどきどきして、最近は番組内にアジア人俳優とかも出てきて、おおお、どうしよ〜なんて悩み考えしているんだろうな。
彼らの心情に対してぼくらアジア人が取るべき態度は礼節と笑顔であろう。この二つがあれば彼らとも楽しくやっていける。最近やってくる大陸中国人を見ていると礼節の言葉が生まれた国から来たのか?と思わせるほど態度が悪い。インド人は自分のことを1.5級市民とでも思っているのかアジア人に対して横柄な口のきき方をする。これじゃ仏教がインド人に呆れてお釈迦様と一緒にアジアに移住したのがよく分かる。
そう考えると、日本人は自分自身気づいていないだろうが実は世界で一番まともで礼節を心得た人種である。仏教精神が一番根付いている先進国は実は日本ではないかと本気で思う。
朝8時30分、みゆきを学校に送ってちょっと時間があるので会社の一階のスターバックスの大通りに面したソファに座ってイングリッシュブレックファーストティー(Venti)を飲みながら、カフェの入り口で寒そうに厚着をして新聞を売るインド人、土砂降りの雨の中を傘もささずにうひゃひゃと笑って信号を渡るスーツ姿の中年キーウィ、フーディをかぶってラップ踊りながら歩いてるマオリの若者、襟を立てて傘をさす中国人を見ていると思わずこの人種多様性に「昼は勤王飲めば佐幕」と言われた山口容堂を思い出す。
アジア移民を受け入れるキーウィも英国人系も、毎日の現実生活と言う理性とマオリから奪った土地と言う認識を持たないまま自分たちがこの国の主人公なんだぞって感情のはざまでいろんな事考えながら、昼間はビジネスとしてアジア人をにこやかに受け入れ、夜になると「何だ周りを見たら黒い頭のアジア人ばかりじゃねえか、昔が懐かしいな!」とか思い出しているんだろうな。
2011年06月16日
スカイシティカフェにて
昨日に引き続きのネタになるが、オークランドにスカイタワーとその隣にスカイシティカジノがあるのはこの街を訪れた人ならだれでも知っていることだ。
日本では「カジノ〜!!!ダメダメ!そんなのだめ〜!」って怒りを振り回す人がいる中、オークランドカジノでは1000人以上の雇用を常に抱えホテルやレストラン事業も含めればおそらく純民間としてはトップクラスの雇用を創出する、さらに近隣の建物を再建して次々と街づくりをしている優秀な企業であるのも現実だ。
そして日本でカジノ反対と言ってる人も、では現在日本で行われている政府主催のばくち(競馬、競輪、競艇)や警察の子会社的なばくちであるパチンコを撤廃と言う話にならないのは面白いものだ。文句あるならまずはパチンコ屋に旗ふってみればどうか?
ところが旗ふる人間だって日頃の生活があり旦那がコンビニで働いててパチンコ屋の客がいつもそのコンビニを利用していたら言いたい事も言えない、そこは日頃のお付き合いがあるからパチンコ屋反対とはならない、これが結局現実なのだ。今そこに存在しないカジノは自分と利害関係がないからエラそうに反対出来るけど、目先の自分の利益と生活をネタにされた時にどうするか???世の中はきれいごとでは何一つ片付かないのが現実なのだ。
そんな今日、まさにスカイシティカジノが入ってるホテルのカフェでこの地域の再開発を考えている連中とお茶会議になったのだが、こいつら地元生まれの地元育ち、思いっきり言いたい放題である。
「カジノなんてのはxxから金を吸い上げる仕組みだよ、おれたちはあいつらが低賃金で稼いだなけなしの金をこの場所で使い切って、そこで吸い上げた金でこうやってカフェでのんびりするんだよ、たばこと同じ、xxに吸わせておきゃ俺たちの懐に金が入るんだよ」てな勢いであるから思わずこちらが「おいおい、声が大きくないか、ここはカジノの入り口で皆タバコ吸ってるんだぜ」と言うと、そいつはにやっと笑って「がはは!誰が文句あるんだ、言ってみろ〜!」だからこれ以上いう事もない。
でもってこの親父が「おいTomよ、日本はカジノは合法なんだっけ?」と聞かれて思わず「政府のやってるカジノは合法だけど民間でやってるのは違法だ」と言うと彼はけらけらと笑いだし「日本政府もうまくやってるな、自分だけぼろもうけかい〜」だって。
でもって来年あたりの日本でのカジノ解禁の状況を聞かれて石原東京都政などの一般論を話したのだが、この間中とにかく出てくる話はスカイシティを中心としたシティ再開発の話であり、一件が100億円単位である。
隣のバーのブースではテレビでクライストチャーチの最近また起こった地震についてアナウンサーが深刻な顔で「この街の再建には更に長い年月と費用がかかるでしょう、けれど誰もがクライストチャーチの復興を願ってます」としゃべっている。
けれどこのテーブルの現実は液状化して沈んでしまった街の話ではなく今ある金になる再開発の話なのだ。ちらっとテレビニュースに目を向けた一人の親父は興味なさそうにまたこちらの会話に戻って「ところでさ、このブロック(30m四方くらいの一画)、誰かがまとめて買えば10年後は大儲けだぜ」と笑ってた。
まあ荒っぽいというか「俺だけ儲ければいいんだよ」てか、近江商人の三方一両得なんて彼らには理解不能な世界であるが、そんな彼ら西洋人がこの世を支配しているのも事実。
彼らは同じ白人でさえ機会があれば狙って食う。ましてやすでにビジネスネタのないクライストチャーチの話など過去の事になっているのだ。
白人社会はほんとに食うか食われるかだなって思う。日本のように皆が無条件に信じ合って肩を寄せて一緒に成長しようよなんてのはない。
これからやってくる日本人も、この街に来るだけで幸せになれるなんてことは絶対に考えないでほしい。生きている限り戦い続けるしかない、とくに男は外に出て戦うしかない、それが男の仕事だ。
日本を出たらどうにかなるなんてあり得ないわけで、そんな甘い考えは「熱いフライパンに熱されて飛び出したらぐつぐつ煮える鍋に落ちちゃいました」となるのが落ちである。
ただ少なくとも今どうしようもない「日本」と言う国よりも、オークランドと言うこの街を新たな土俵として仕切りなおして戦うだけだ。
ひとつだけ希望があるとすれば、今の日本で価値観が合わない人、何となく日本っておかしいな、そう思ってる人にはこの街の方が戦いやすいということだ。少なくともこの国ではまともな理屈が通じる。
それから追加すればもう一つかな、この国は基本的に子供に対して優しい。どのような子供に対しても社会全体が守ろうとしてくれる。今日もあるお客様からうれしい話があった。日本にいる時は不登校だった子供がこちらに行き始めたら学校大好きになったというのだ、もちろん殆ど英語が分からない状態なのに。
ビジネスの社会では乱暴で子供っぽくて段取りも下手で行き当たりばったりの連中ばかりだが社会の底辺はきっちりと社会保障で守り社会の宝である子供は学校と地域で守られている、さあお父さん、あとはあなたが外に打ち出ていくだけですよ!
2011年06月15日
英国人の土地で
今日も山水レストランの店内はそれなりに高級そうなビジネスマンばかりがいかにもランチミーティングと言った感じで寿司刺身定食を注文して白ワインをボトルで注文して深刻そうな顔で話し込んでたり大笑いしてたりにぎやかだ。
今日はニュージーランドに移住してすでに5年ほど経っている日本人ビジネスマンと昼食を山水で食べることになった。
オークランドのビジネスでは夜の接待が存在しないので、純粋に簡単な一方通行の情報提供的な話をする時はパワーブレックファースト、両方通行のビジネスの話の時はランチミーティングとなる。
この店はテーブルすべてに背の高い衝立があるので周りに気にせず食事が出来るのが売りの一つである。本日出て来た日替わり定食は「さんまの甘露煮」で13ドル。和風野菜に刺身に小鉢があり日本円で780円だからワンコインからは随分高いがオークランドのビジネスランチとしてはかなり安い方だ。ただしキーウィにはまだなじみがなく、彼らの注文は多くが25ドル以上の寿司刺身定食である。健康志向で魚を食べましょって事だ。
最近のランチはどこも食事だけで20ドルが一つのラインでありこれ以下だと仲間との昼飯、この価格以上だとビジネスランチ、飲み物を入れると30ドルを超すのもしょっちゅう。ちなみにビジネスマンが昼食の約束がない時はオフィスビルの一階に入ってる持ち帰り専用の寿司で10ドル以下で済ませてる。飲み物がコークと言うのが最後のダイエットへの抵抗か(笑)。
この街の物価は毎年上昇しており給料も上昇している。レストランも客の好みに合わせてそれなりにメニューを変化させて価格や店内サービスなどを上昇させている。
これは最近流行のレストラン番組が影響を与えているようで「ヘルズキッチン」の亜流番組がニュージーランドでも制作されて地元レストランも参加、料理業界に大きな変化と賑やかさを与えているのも事実だ。
今の日本からすれば「あり得ない」ような毎年給料5〜10%値上げが続き物価が5%程度上昇し、頑張って働く人には楽しい街だが失業手当だけで一生食ってやろうと思う人には苦しいだろう。ただし景気は良い。街は確実に景気の波に乗り、お隣の豪州ほどではないがビジネスマンの顔が明るい。
数日前に日本から戻ってきたばかりの彼は東京の東側から千葉のあたりを仕事の関係で見て回ったそうだが、仙台を襲った津波とその後の自衛隊の活動、千葉の液状化で泥が地面から水の様に噴き出す様子を語ってくれた。
彼は家族と生活の場をオークランドに置きビジネスは日本で展開しているスペースシャトル族(家族はオークランドで生活、お父さんは月に一回シャトルに乗って北半球と言う宇宙(笑)滞在、宇宙で金を稼いで帰ってくるとオークランドで暫くのんびりする)である。オークランドにいる時は特になにもせずに子供と毎日遊んでご飯を一緒に食べて生活を楽しんでいる。
そんな彼がこんな事を言った。
「Tomさんさ、結局この街も英国人支配だよね、英国人の土地に地代を払ってお店を作って稼ぐのが中国人で、そこで一生懸命働いてこき使われるのが日本人なんだよね」
実際にそうであるからうなずくしかない。1840年、英国から派遣されてきたホブソン総督は誰のものでもなかったニュージーランドの土地を、無理やり法律を作り合法としておいてマオリが空を向いてキリスト教を拝んでいるときに足元の土地をかっぱらっていった。
そしてこの土地に魅力を感じてやってくる英国一般移民や欧州移民に土地を与えて働いてもらい納税してもらい、これで立派な領土ビジネス、黙って座ってるだけで金が入ってくる英国植民地の出来上がりである。
香港時代も土地登記書類を見ると面白い言葉があって「持ち主はCROWN」とか要するに女王陛下の大英帝国の持ち物だってなっている。ニュージーランドも同じで、普通に無期限の土地所有者になれる場合もあるがモノによっては100年くらいの定期借地権になっててほんとのオーナーはCROWNだとか何チャラ団体だとかになってる。
日本人がニュージーランドにやってくることだけを目的とすると結局現地で雇われになる。誰もリスクを取ってビジネスを興そうとしてないから英国人の土地に家賃を払う中国人の経営する日本食店でこき使われてしまう。
次の百年をまたも小作人として搾取される事を甘んじるのかそれとも小さくても社会に発言権を持った立場となるのかは自分を「使われる側」と思い込んでかどうかだ
英国人の土地で中国人が日本食レストランを経営して日本人が下働きと言う現実はカナダのバンクーバーで見て来たのでよく分かる。
バンクーバーに一時期仕事で行ってたが、あの町の日本食レストランと呼ばれるお店の8割くらいは中国人経営、後の2割は地元日本人ワーホリ向けのちっちゃな居酒屋とかラーメン屋、結局日本発祥のビジネスなのに一番美味しいところを食われていた。
少なくともこのオークランドでは、家賃は仕方がないものの、日本人が経営する日本食レストランに地元キーウィが食事に来てもらえるようにしたいものだしこれからも次々とアジア人がこの土地を目指してやってくるが、一人でも多くの日本人起業家が日本発祥のビジネスをネタにして出てくることを期待したいものだ。
2011年06月14日
チェルノブイリネックレス
三国同盟再びか?福島原発事故を受けてドイツが脱原発に方向を切り替えたことは周知の事実。そしてイタリアでも国民投票で原発反対となった。そして今の日本の方向性も反原発派が日本中を席巻しているので、こりゃまたも三国同盟かな、イタリアなんて入れてると勝ち目ないぞと思わず笑った。
★記事開始
自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、イタリアの国民投票で原発反対派が多数だったことについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは、心情としては分かる」と語った。福島第一原発事故を念頭に置いた発言で、表現が不適切との批判が出そうだ。
石原氏は「反原発と言うのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返ったとき、国民投票で9割が原発反対だから、やめましょうという簡単な問題ではない」とも述べた。
★記事終了.
親父の背中を見ながらなんとか前進しているけど基本的な情熱や能力が不足しているから国政レベルでは誤魔化しようのない政治家としての勘の悪さ+状況判断ミスが目立つお兄ちゃんが、今回は「集団ヒステリー」で親父の真似をしている、言わんでもいいことを(笑)。
記者受けする大向こうを狙ったにしては落としどころが悪いし狙わずに言ったのなら安保単。全体の趣旨はまともなんだから大向こうを狙わずに言葉を選んで一つ一つ石を拾っていけば親の名前があるんだから自民党総裁程度なら勝ち目があるものを、やっぱりこれも「親父症候群」か。
何とか「石原の息子」ではなく「おれ、石原」と言いたいのだろうがな〜甘ちゃん(笑)、トヨタの家系見てみろよ、個人ではなく家名を守っているのだぜよ、こういうのも「能力ないけど名前ありにはOKかも」だくらいに考えてみればどうだ、どうせ本人だけでは先がないのだから。
今回もどうせ指摘するなら「イタリアは原発を停止してもお隣の陸続きのフランスの原発から電気を買える。ドイツもフランスから電気を買える。つまり自国で原発を停止するってだけで実態はフランス原発で今まで通りにドイツの工場でベンツが作られてイタリアのレストランで美味しいパスタが食えるのだ」
そして「フランス原発が吹っ飛べば狭い欧州どこにも死の灰は降る、結果は同じなのだ、こういう状態の欧州と他国から電気を引っ張ってくることのできない日本を同列に語ることは出来ない。三国同盟では前回も負けたし今回も勝ち目はないのだ、今回は独自のエネルギー政策を考えないといけないのだ」くらいに言えばかっこ良いものを、学生の頃にきちんと歴史や政治を勉強して基礎知識を積んでいないから記者の前でこういう言葉がさらりと出てこない。さらりと出てくるのは自分の脳みそで思いつく女性をイメージした差別用語的な「集団ヒステリー」であるから語彙の少なさがばれる。
それから「集団ヒステリー状態」と呼ぶのは結構だが、それを政治家に言われちゃ終わりよって笑ってしまうのもこの記事の面白いところだ。
政治家は本来地方や東京から志を持って優秀な大学を卒業して社会の木鐸として一生懸命市民のために働くはずであり、まさに公僕、公(おおやけ)の僕(しもべ)のはずの政治家が国民そっちのけで「管おろせ〜!」「次はおれだ〜!」「ざけんな自民党に政権戻せ!」と、まるで満月の夜に盛りの付いた雌犬の様に吠えまくり、その合間を縫って女衒の官僚はちょろちょとと法案を通して自分たちの権益確保、まったく311地震以降の政治家の皆さんのヒステリーには負けますぜって感じがするのは僕だけではないだろう。
要するに「ヒステリー」と騒いでる政治家がやってるのが「オステリー」であり猿山の合戦なのだから本来は記事にするほどの事もない話である。なのに各社が記事にしてくれた、石原息子よ、親父に感謝しろよ。
まあヒステリーと言われたのでついでに書いておくと、だったら政治家さん、誰もがヒステリーを起こさなくても済むような正しい情報を提供してくださいよ。
あんたらがきちんと情報発信しないから個人が仕方なく情報収集して、その情報が時には過激すぎて政治家からすれば「ヒステリー!」と言うかもしれないがその責任は正確な情報のとれない個人か正確な情報を出さない政治家か?考えたら分かるよね。
ぼくが今回東京で多くの人間と話したら誰もが「え?東京では皆普通に生活してますよ〜」だ。実際にそのようだ。
ところが説明会にご参加いただいたお客様の危機意識は非常に高い。この違いは何か?それは知識格差である。もちろん放射能が将来的にどこまで子供に影響を与えるか分からない、何もないかもしれない。
だから何もしなくても良いかもしれないし何をしても意味ないかもしれない。ある意味交通事故にどれだけ注意しても、遭う時は遭うっての同じだ。もっとレベルを落として書けば自宅の掃除と同じで、どうせ汚れるんだ気にするなってレベルだ=人はどうせ死ぬんだ気にするな、ぶくぶく太り肝硬変になり体ぼろぼろになっても好きなことしている方がましって、または今日の飯があればいいってレベル。
けれどチェルノブイリ付近の子供たちが甲状腺ガン手術の痕として首の周りに肉が抉られた、一生消えないチェルノブイリネックレスと言う傷を持っているのも事実なのが忘れられない親がいるのも事実なのだ。
飛行機でニューヨークに行くのと同じなんて議論がしょっちゅう出てくるが、では子供を持つ親として今までニューヨーク行きの飛行機に乗ってた乗客のがん発生率が異常に高いという数字を見たことはないし逆にそんなにニューヨークに出張があるような仕事に子供が付ければ(職種がどうこうではなく)それなりに子供を育てた達成感もあるだろ。
けど今「この程度は安全」と言われながらもそれ以下の数値でさえチェルノブイリ付近の子供が発病したことを考えれば、そのような放射能が子供の頭に降りかかっているとすれば誰でも普通に「ヒステリック」になるのではないか?
つまりもう少し突っ込んで考えれば、子供をどんなに危険から守っててもふとした瞬間に子供が交通事故や火災に巻き込まれて死ぬかもしれない、それに比べて数千分の一でしかない危険をそこまで問題にするかどうか、である。
じゃじゃーん、ではここで質問。今東京で生活して「大丈夫じゃん〜」と言う、例えば石原息子世代の人々、あなたたちは毎日週刊誌やエロ新聞をにやにや読みながら「おお、赤ワインは体に良いのだ」とか「まかが効くんだって」とか「サバに含まれるなんちゃらは〜」とか言ってませんか?
それも原発も、体の健康を維持するって意味では全く同じであり、あなたが毎朝駅のキオスクでエロ新聞に払ってる100円?だっけ(東スポっていくらだ?)で得られる男性の腰回り情報より、もう少し上の方、つまり脳みそで得られる放射能に関する情報を基礎にして行動しているだけなのだ。
ところが腰回り情報だと同調する親父は多いのに放射能だと同調してくれる人が少ない、だから腰回りよりも当然に大きな行動を起こすことになり、それが結果的に世間から見れば「やり過ぎ、ヒステリー」となるのだろう。
これは教育ママ対それ以外の喧嘩でも同じである。共産党対創価学会でも同じである。要するに片方から反対側を見たらどう見えるかだけの問題なのだ。
原発事故はこれから長年付き合っていく問題でありそれをどう認識するかは人によって違うだろう。ただ思うのは自分の意見と違うからと言うだけで相手の考えを検証しようともせずに過激な言葉使いをする人もある意味思考停止状態のヒステリーであり、これじゃお互いに成長ないぜ、そんなんじゃ日本全体がますます沈むだけだぜって言いたい。
10年後に自分の子供から「ねえお母さん、なんでぼくの首にチェルノブイリネックレスがあるの?」って聞かれた時にきちんと答えられるだけの母親でいられるかどうかだと思う。
2011年06月11日
勇気も気概もない左翼ポチのあふぉさ加減について
まだやってんのかこれ。国民の税金遣って働いている教師が一体何十年これやったら気が済むんだ、給料返せと、あふぉばか勘違いやろう、教師やめろと言いたい。
★記事開始
君が代起立、条例違反直ちに懲戒せず…大阪
知事と意見交換 府教委が方針決定
大阪府内の公立学校の教職員に対し、国歌の起立斉唱を義務付けた「君が代起立条例」の運用方針を巡り、橋下知事と府教育委員や府教委幹部との意見交換が8日行われた。
教育委員からは、条例の運用や処分について慎重な意見が相次いだ。この後開かれた教育委員会会議で、府教委は職務命令に基づく指導・処分を継続するとし、「条例違反者を直ちに懲戒処分としない」との方針を決めた。
意見交換は、3日に条例が府議会で成立したことを受けて開催。中西正人教育長ら府教委幹部と府教育委員計6人が橋下知事と意見を交わした。
条例には罰則規定がないことから、橋下知事は、不起立を繰り返す教職員らに対して免職を含む処分基準を定めた条例案を9月定例府議会に提出する方針を改めて説明。
委員からは「国旗国歌を尊ぶ趣旨に異論はないが、処分条例案については検討に時間をかけるべきだ」「厳しい処分は学校現場で無用の反発を招くのではないか」と慎重な意見が相次いだ。
終了後、橋下知事は報道陣に対し、「公務員組織の中で命令に従わない職員をどうするかの問題であり、時間をかけて議論する話ではない」と突き放した。
府教委は、これまで不起立の教職員に対し、個別に起立斉唱を求める職務命令を出してきたが、来春の卒業式からは、教育長名で府立学校の全教職員に一律に出す方針。職務命令に違反した者を処分対象とする従来の姿勢を確認した。
(2011年6月9日 読売新聞)
自分たちの思想良心に従って国旗と君が代に反対しているって、お前ら戦争に行った事あるのか?歴史教育まともに受けているのか?バカが頭に赤チン塗られたのがまだ取れないのか?いい加減に進歩しろよ。
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橋下知事と府教育委員や府教委幹部との意見交換が8日行われた。
「君が代起立、条例違反直ちに懲戒せず…大阪」と言う見出しはいつものごとき嘘記事で実際は橋下知事が「違反したら懲罰やで、考える事なんかあらへん」と言いきっただけ。
それに対して烏合の衆は「お殿様、し、暫くお待ちを、このような一大事をそのように軽々しく決められては〜」と訴えた。
さらに烏合の衆はお殿様のいない場所で密談を行い「教育委員会と府教委は罰しません、わたしたちはやりません」と反旗を翻した。
殿様が乱心した場合は「押し込み」と言うクーデターがあるそうで、役人がすべて協力してお殿様をひっくくって座敷牢に放り込み、自分たちの言うことを聞くお殿様の血縁を立てる。なんかそんなクーデターが起こりそうな雰囲気の大阪である。
★
たださ、今日本が世界の中でどんどん地位低下して国際競争力を失いつつあり国家の未来が子供たちの手にかかっているってのに、子供たちを一日何時間も拘束してベンキョーを教え込む立場の教師が「キミガヨハンターイ!」とか「コッキ、ムシー!」とかやってるこんなバカレベルでは、大阪の将来ないぞ。
一応裁判所の見解を添付しておくと、
東京高裁は「法規によりあることを教えることとされている場合に、公教育に携わる公務員がその個人的な思想や良心に反するからといってそのことを教えないというわけにはいかないのである。このような意味での思想・良心の自由の制約は、公共の福祉にかなうものとしてやむを得ないものであって、公教育に携わる公務員として受忍せざるを得ず、このような受忍を強いられたからといって憲法19条に違反するとはいえない。」
ぼくと君が代国旗問題はどれくらい続いているのか、ふと考えてみた。1980年代からの付き合いだな。長いもんだ、こっちはこれだけ成長したのに君が代連中、何の進歩もしてねえ、てかあいつらはいつの間にか主義主張ではなく金儲けの道に走った社会主義者だ。
金儲け目的の社会主義者や社会主義を理解しようともせずに金儲けだけする連中を以前は「スフ入りの赤」って言ってたが今は何て呼ぶんだろうか。
労働運動や社会主義運動は戦前から非常に複雑な流れを辿ってきており、ほんっと一括りに語ることは出来ない。戦前からの労農運動、宮本率いる共産党、戦後の社会党誕生、共産党排除、原水禁と原水協の分裂、総評と同盟の駆け引き、そして労働争議としては戦後有名な九州の三井三池炭鉱ストがある。
三井三池炭鉱ストの時は経営者側に雇われたやくざが日本刀を持ち出してピケを張る組合員に切りかかり、組合員も腹に分厚い電話帳を巻いて棍棒で抵抗したものだ。
ところが人々が豊かになるにつれ労働運動も変化していった。つまり労働組合の要求する社会的地位の向上が次々と実現し始めたのだ。
時短と週休二日制の導入、毎年給料が昇給するベア制度、安定した仕事と明日に期待できる生活、日本が豊かになる中でいつの間にか労働組合も会社側も「一枚のパイ(ほんとは“ピザ”の方が分かりやすいのだが当時は庶民生活にピザは浸透しておらず英語の直訳したので“パイ”となった、今の時代にこの言葉が出てくるとすればピザの方が分かりやすいだろう)を食い合う立場」にいる事を認識して、労働争議ではなく話し合いでパイを拡大することでお互いの取り分が増えるではないか、だったら労働者代表と会社代表が話し合ってお互いに良い会社=良い労働条件になるように考えていこうとなった。
その結果として一部企業では労働者の代表=組合役員は、その統率力や経営側と早い時期から経営について学ぶ機会を得られて結果的に会社役員に引き立てら得るようになった、変な話であるが事実である。
民間企業ではすでに総評のような闘争部隊を必要とせず1980年代に総評は解散、それ以降労働組合活動は完全に会社と二人三脚の様子を見せるようになった。当時の総評幹部が事務所の鉢植えのアロエをナイフで削ってかじりふふと笑いながら「老兵は死なず、ただ去るのみですよ」と言ってたのを今でも思い出す。
ところが国家公務員とか教師とかで作られている組合は自分たちが首にならないことを知っているから社会が変化したのにいつまで経ってもトーソー闘争と吠えている。これは彼らの中に1970年代の「すでに終わった」革命闘士が入り込んで、労働組織を中国共産党に同化させようとか本気で考えているからだ。
つまり組織のトップは日本大嫌い、だって1970年代の闘争で負けたんだもん、一生ウランでやる〜ってなねじれた感じで日本政府を安定させて普通の大国にさせたくない中国と組んでいるのだが下っ端はそんなこと知りもしない能天気連中で、旗を振ってコッキを無視してキミガヨを歌わなければカネがもらえると聞いて喜んでる単細胞である。
ぼくは個人的に「君が代」と言う歌はダサいと思ってる。あれが国歌かよ、やる気なくすな〜もっと景気好い歌持ってこい、そんなんじゃ戦闘の真っ最中に歌えねえぞ“きーみーがーよーはー”とか歌ってる間に脳天に鉄砲玉撃ち込まれるぞって感じのトロイ音楽ではあるし国旗に至っては「梅干し弁当ですか??」と思ってはいる。
しかしそれでも国には一つの象徴として国旗が必要であり国歌が必要であり、今の旗や歌を新しくしましょうって議論ならいくらでも乗るが、少なくともこれしかない状態で国旗と国歌を無視する国家公務員は「おまえ、クビ!」って言われて当然だろうと個人的には思っている。
上2つの文節はぼくの個人的な意見でありどっかの安保単とまともに国旗君が代論争なんてやるつもりはないのであしからず、、人生は短い恋せよ乙女、無駄な事に時間は使いたくないのだ。
ただここからは個人的な意見でありながらいつでもどこでも喧嘩買いましょうって思ってるが、組織上部の連中が中国寄りに自分の身を売って売春やってるのだけは気に食わない。
日本国家が気に食わないなら国内で議論しろ、1980年代のように腹に電話帳巻いて喧嘩してみろ、戦い方はいくらでもあるだろうが、少なくとも他国にバカにされてつけ込まれるような国旗無視とか国歌無視とか、そんなことはやめろ。
第一お前らエラそうに「日本軍が侵略したどうのこうの」って言ってその代表が国旗や国歌みたいな事言ってるが、お前らの何人が戦争知っているのだ?歴史から何を学んだのだ?歴史は勝者が作るのは仕方がないとしても本当に何が起こったのかは自分なりにしっかり学んで理解すべきだろう。
当時の日本帝国陸軍軍人の生き残りは、戦後自分たちの信じていたものを失ってしまいしばらくの間沈黙状態だった。その隙をついて薄汚い連中が歴史をねつ造したのだ。
僕自身が戦時に南方の戦地に赴いて軽爆撃機の機関銃手として搭乗中に撃墜されて逃げ回ってた軍人を父親として持っているから、そしてその父親が戦争の話を数少なく語り共産党に入党し戦後に拳銃を持って共産党幹部のボディガードをしてその後は労務屋に乗り換えて組合つぶしをやっていた過去を見ているから、要するにいつの時代も自分個人の命を賭けて来たあふぉおを見ているから、今の時代に表面的にエラそうな事や生意気なガキ理論を並べる頭でっかちの労組連中だけは役人以上に頭に来るのだ。
お前ら、腹に電話帳巻いて戦争する気があるのか?国旗が気に食わないなら国会議事堂に突っ込むだけの迫力はあるのか??自分の信じることに命を賭ける気概も何もないくせに組織に守ってもらってる時だけぴーひゃらとエラそうに理屈並べやがって卑怯者め!
今すでに日本は戦争に負けた米国に寄りかかっているアメリカンスクールと、中国に思想洗脳されたチャイナスクールが日本を真の意味で独立させないように足の引っ張り合いをしている。それをだけで大変な騒ぎなのに、更にそれを日本人が推し進めて日本を弱体化させることに何の意味があるのか?労働運動とか組合活動とかエラそうなことばかり言って目先のカネだけの為に自分の国家を売るような真似はするな、ばかったれ組合めと言いたい。
2011年06月10日
21世紀型爆弾
県民はバカである。だからいつもうろたえたり間違った情報で振り回されたりする。その結果治安が乱れてしまうので情報は出来るだけ統制して県庁だけが知っていれば良いのだ。
★記事開始
放射性物質検出、静岡県が公表を制止 食品通販業者に
静岡県が、自主検査で国の基準を超える放射性物質が検出されたとホームページ(HP)で公表しようとした東京都内の食品通販業者に、公表を控えるよう求めていたことが分かった。
有機野菜などの会員制宅配サービスを行う「らでぃっしゅぼーや」(東京都港区)。同社は自主検査で基準を超えたと6日に県に報告。この際、HPでの公表を県が控えるよう求めたという。同社は商品を購入した会員に、経緯と商品回収の意向を伝える手紙を郵送したという。
県経済産業部は「消費者への連絡など最低限のことはやっている。HPで出すとかえって不安を広げかねない」と説明している。
★記事終了
こういう記事を読むたびに腹が立つ。一体政府は国民をどこまでバカにしているのか?民主主義国家において情報公開は基本である。何故なら「権力は腐敗する、長く権力の座にあれば確実に腐敗する」と言う英国の政治学者の言うとおり、権力は人間を迷わせて少しでも長くその力を保持しようと情報操作をするからだ。
だから政府は内部情報を出来るだけ公開して国民にも一緒に考えて貰って合意の上で物事を進めていく方が結果的に国民は政府を信頼するしそれが国民の為になるのだが、いつの時代もお上は「下々はバカじゃ、教えても分からん、民は依らしむべし教えるべからず」と信じ込んでて、てか情報公開をすることで自分の既得権益が崩壊するのを常に恐れいるから絶対に情報を公開しない。要するに目先の利益だけに走る怖がりチキンなのだ。
ふざけんな、国民がバカと言うならそのバカを作ったのはお前らの教育システムだろうが!と言いたい。バカを作っておいて「教えても分からん」と言うその自己矛盾に気づかないのか?政府による懐柔と恫喝の「飴鞭政策」でいつまでも国民がついてくると思ってるのか?
江戸時代から続く「民は依らしむべし、知らしむべからず」が今も続いている日本の政治と言うのは、まさに民主主義の正反対を走っている。情報操作をして国民を騙しながらミンシュギ!と繰り返して言う事で多くの日本人はこれが民主主義と思い込んでいる。選挙にいかない民主主義を作りお上からしても下々が政治に関心を持ってもらうと困る、ぼろが出るから「選挙に行こう!」なんて表面的に言っても実際には投票しずらい仕組みにしたり投票しても何も変わらないという空気を変えようとせずに「現状維持」に走る。
そして選挙で一応形だけ選ばれた政治家を表に立たせて選挙で選ばれたわけでもない官僚と言う「権利はあれど責任なし、国民に信任されずに国家を動かす」人々が政策を作り政治システムを何百年も運営してきたのだ。
しかしその情報操作は21世紀の革命と言えるインターネットですべての壁を破壊して国民に生の情報が直接届くようになった。
こうなれば政治家は今までの様に知らぬ存ぜぬでは通用しないし官僚は自分たちの作ってきた情報の壁が破壊されて今までの非行歴が表に出る。
つい最近もウィキリークスで沖縄基地問題が取り上げられて米国が日本政府の無為無策無政府状態に対して「あきれてものも言えない」とバカにした秘密公電が暴露されたばかりである。
お上の考えていることは立派とかすごいとか言える部分はある。彼らは決まった事を実行する時には素晴らしい能力を発揮する。しかし決まってない事を決める際や誰かがいずれ責任を取らないといけないような状況になった場合完ぺきに思考停止する。これは今までの歴史が物語っている。その結果として常に先送り最悪の選択が行われてしまい国民はその被害を数十年にわたって蒙り続けるのだ。
情報公開はどうしてもできないような項目があるのもよく分かる。ここから先はさすがに一般国民には言えないね、そういう判断もあるだろう。50年後にしか公表出来ない話もあるだろう。
しかし彼らあふぉどもが扱っている情報の殆どはその場で公表して国民と情報共有をする方がよっぽど正解が出る可能性が高くまた国民と共有することで役人も責任逃れが出来るという事を役人は理解しようとしない。てか、ほんとに怖がっているのだ、国民が情報を共有することの結果として自分たちの既得権益が失われることを。
しっかしまあ、そんなちっぽけな権益なんてどうーでもいいでしょ役人さん、あんたらだって家に帰れば家族があるんでしょ、子供と一緒にお風呂に入って「今日はこんなことがあったんだよ」って言う子供の頭をなでてるんでしょ、同じ人間じゃんか。
自分が運よく得られた役人と言う仕事にしがみついて人間らしさを捨てたり子供に言えない事をしたり、そんなのって誰に指摘されなくても一生心に残るよ。今回の「おい黙ってろ」だって役人の誰かが民間企業に脅しをかけたわけだ。
たぶんもうすぐすれば日本版ウィキリークスがだれかによって立ち上がるだろう。そこでは今まで政治家の陰に隠れていた官僚や役人の名前を実名で出して「こいつが厚生省で血友病の責任者だった、こいつの家族はここに住んでるぞ」とか「静岡県の名前で脅しをかけた奴はxx課のxx係長だ、自宅はここだ!」とか。
そうなってから役人が自分たちの判断を後悔しても間に合わない。自分がやった事、やらなかった事の責任はすべて自分にあるのだ、21世紀の革命、受けてみろ。
2011年06月09日
グリコもびっくり一粒で何度も美味しい増税案
★記事開始
菅首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」(議長・五百旗頭(いおきべ)真防衛大学校長)が6月末にまとめる第1次提言のうち、復興財源に関する骨格案が8日、明らかになった。
10兆円を超えると見込まれる被災地の復興費用を賄うため、期間限定の国債「復興債」を発行したうえで、臨時増税によって償還財源を確保するよう政府に求めている。
骨格案では、臨時増税の具体的な税目については政治判断に委ねるとして明示せず、消費税や法人税、所得税などの基幹税に加え、相続税や固定資産税など、課税対象として「幅広く、あらゆる税目を排除しない」との方針を示す。ただ、増税の時期や引き上げ幅にも踏み込まない方向だ。
菅首相は被災地の復興に当たり、原状回復にとらわれない「創造的復興」を掲げており、復興費用の総額が正確に見込めないことから、増税により確保する歳入の総額の明記も見送る予定だ。
(2011年6月9日03時03分 読売新聞)
★記事終了
この記事はこう読む。
財務省は復興を理由に様々な増税がフリーハンドで出来るような仕組みを作った。国債=将来へのつけ回しから臨時増税まで「10兆円を超えると見込まれる」費用は「復興費用の総額が正確に見込めない」から、いつでもどこからでもいくらでも取れるように相続税や固定資産税まで何でも臨時増税出来る仕組みを先に作っておいて国民の個人資産に手を付けることにした。ちなみにこの臨時とは役人の都合によって何十年も延長することが出来るので実際には恒久税となる。
骨格案ではすでに納税済みの資産に対して更に課税を行いグリコもびっくり一粒で何度も美味しい思いをするのが狙いだ。現在住んでいる住宅があれば「震災です復興です」と言う理屈で追加徴税をする。誰かが死んだら「震災です復興です」と言って死んだ人のお金を巻き上げる。しかし政治家や既得権益を持っている人が増税になって困らないように税目については政治家と役人に任せる。
被災地復興に当たり原状回復だけだと取れる税金も限定されるので「復興」を建前旗頭にして税金を集められるようにしておいて、金が欲しければ「東北復興」の名目で「創造的」に穴の開いてないトンネル作ったり「独創的」に鹿しか走らない道路を作ったり、理由は何でもよい、要するに国民の個人資産に手を付けるための仕組みを作ることを「東日本大震災復興構想会議」なんて長ったらしい名前で誤魔化していく予定だ。なお増税の時期や上げ幅については役人が勝手に決められるように会議では決めないでおく(と財務省に言われました)。
★
助け合いは社会の基本であり富める者から貧しい者への所得の再配分を行うのが政府の仕事ではあるが、それはあくまでも国民の合意の上でなければならない。
ところが今回も姿の見えない役人がルールを作り「復興会議の合意で〜す」とほっかむりをして私有財産への課税強化に走っている。それにしても焼け太りとはまさにこの事で役人の頭のよさってか小利口ってか、その脳みそ、他に使う事はないのかと聞きたいくらいだ。
だいたい復興政策が決まってないのにカネの取り方だけ先に決めておくってのはどういう事なんだろう?それも役人が自分たちの利権と給料を守った上で国民から巻き上げるってんだから大した腹だわ。
だったら当面の被災者への生活援助は別枠にして即時支給、東北復興プランはこれから3か月くらいかけて民間からプレゼンテーション募集してそれを国民全体にインターネットとyoutubeで見せて、どれが良いかはネットで国民投票させればどうだろうか。
東北復興に財源が必要なのは当然だ。自然災害はいつどこで起こるか分からない。したがって国民全体で助け合う保険のような考え方が必要だ。だから国民としても東北復興のための資金なら嫌とは言うまい。ただし取り方がずるい。私有財産って言ってもそれはすでに課税された後のお金である。一回の収入に対して何回税金を取ろうって考えているのだろうか?
いずれにしても国民のお金を集めるのであればお金を出す人々の意見を聞いてもらう事も当然であろう。金だけ取っておいて使うのは俺たちの勝手と言うのではずいぶんおかしな話だ。
2011年06月08日
その日そこにいること
8年ほど前になるだろうか、当社でワークビザで働いてた女性がいた。短大卒でワーホリ3か国制覇(豪州・カナダ・NZ)で日本の職歴もなく、海外に長いこといながら英語力もなく特技はおしゃべり(笑)、ポイント制度からすれば箸にも棒にもかからないケースである。
しかし人間力としては普通の人間十人を束にしても敵わないほどであり、ありゃもう天賦の才としか言いようがない、何せ東京の優秀な大学を卒業した連中を理論でねじふせて「おら、あれせーこれせー」とこき使ってたくらいだし相手が誰でも物おじせずに下手な英語で突撃するのは傍で見ていて気持ち良いくらいだった。あれはもう一種何というか英語力以前のコミュニケーション能力が異常に発達しているから相手が英語で話しかけてきても日本語で返答してお互いに会話が成立するって、独特の世界である。
永住権は世界中から来る人間を一定の枠にはめ込む必要があるわけで、そういう視点(ポイント)からすれば型にも枠にもはまらない人は永住権申請資格がないとなるのだから仕方ない、「こりゃあたしにゃ永住権は無理でんな、あははは」とか笑ってたが、ある日そんな彼女の元に手紙が舞い込んだ。移民局からである。
「ねえねえ、何て書いとります〜?なんかやばいんちゃう〜?」とか笑いながら開いてみたら、その手紙は何と永住権への招待状!
「こちらは移民局ですが、あなたは現在NZで労働ビザを持って働いており、もし今永住権を申請すれば永住権を発給しますよ」だった。
あれ?英語テストは?学歴は?職歴は?身長は?体重は?(後ろの二つは冗談です・・)てなくらいびっくりしたのだが、何度読み返しても”現在の能力と資格”で「永住権あげるよ」って書いている。
むむむ、冗談じゃなさそうだし、いちよ弁護士に聞いてみよって事になって問い合わせてみると、何と今年は永住権申請者の絶対数が不足してしまい目標の約5万人に全然満たない2万5千人程度(ちょい不正確だけどそんなもんだったと思う)で政府から移民局にお叱りがいった「働かんかい、ヴォケー!」。
この国に限らず国家の基本は国民であり数が多い方が世界的に発言権が強くなるのは現在の世界を見ていればよく分かる。ニュージーランドは平和な国ではあるが人口400万人はあまりに小さい、為替は北半球のファンドにしょっちゅう振り回されるし消費経済は豪州の9番目の州となっている。
なのである程度の国際的発言力や経済力をつける為には人口の適正な増加は必要であり、それが移民を受け入れる一つの理由となっている。
ところがその年は移住希望者の募集箱を開いてみるとすーかすか、移民ルールのポイント制度の変更が影響を与えたようで申し込み後半になっても数は増えず。そこで移民局としてはとにかく今申し込みしている人はどんどんOK出すしかない、誰もかれもが入れ食い、箱に申請書放り込んだら永住権もらえますってことになる。
それでも不足しているものだから「その日そこにいる人」にも永住権をばら撒くことになった。これがワークビザ保持者がポイント不足にもかかわらずいきなり永住権を取得出来た理由である。
「ほえ〜、ほんとに永住権、取れましたわな〜」そうやって喜ぶ彼女ではあるが、こういう人って世の中に常に存在する。「良い時に良い場所にいる」ただこれだけなのだが、ほんとにそういう運命の人ってのは、昨日まで生活してた街が今日は爆弾騒ぎだとか去年まで住んでた景気の良い街が今年は大不況で失業者激増とか、そういう「悪い場所に悪い時」からはするりとすり抜けていつも「良い時に良い場所」にいるのである。
これがなぜかなんて考えても仕方ない、そういう人はそういう運命にいるのだ。彼女の永住権取得の前年は弁護士に数千ドル払っても永住権取れずに日本に帰った人もいるし彼女の翌年からはまた永住権が厳しくなって弁護士に金払って苦労して取得出来れば幸運、そうでなければ帰国となった。
日本人が外国で生活する限りビザは一生付きまとうものであり、避けて通る事は出来ない。ところがこのビザと言うやつはとっても水物で、政府が一般公表する時はとっても難しい単語を並べてあーでもないこーでもないというけれど、突き詰めて言えば「はないちもんめ」である。
「あーの娘欲しいや花一もんめ」そうやってNZ政府と移民局は世界中の「あの娘」に向けて声をかけるのだが、その基準は自国を成長させてくれるかどうかだ。しかしそこは現実問題があり、どうしても「あの娘」が来なければ仕方ない「この娘」で手を打っておくか今年は、となる。
来年はもっと良い条件付けてシンガポールやオーストラリアに負けないように優秀な人材募集するぞ、そう考えて移民局は新しいルール作りに邁進する。とは言っても「優秀」と言う基準は非常に難しい、そこであんまりとんでもない人々や勘違いの人々を合法的に排除する為に世界的には高水準な人材と見做される「4年制大学卒」「就労経験8年以上」「英語力あり」「犯罪歴なし」「病歴なし」「30歳ちょい杉」と言う目に見える壁を作るのだ。
こうすることでNZからすれば望まない移住希望者に「あなたはポイントが不足しています。文句あるなら3週間以内にアピールしてね」と手紙を送って合法的に決着をつけることが出来る。
「え?だって四大卒で就職8年で犯罪歴なし、そんなの普通じゃん」と思うかもしれないが世界標準で言えばこれはとっても優秀な人々と見做されるのだ。そうでないと思うなら問題は日本の教育制度にある(笑)。
しかしこの目的はあくまでも足切を合法的に行うことであり、実際には優秀であれば採用、じゃなかった永住権は発給したい。そう考えるとすでにニュージーランドでワークビザで4年も働いているってのは優秀である。
何故なら彼らはこの4年間毎月きちんと納税して消費税も払い、犯罪も犯さず病気にもならずにこの国に貢献してきたのだ。英語出来ないかもしれないが少なくとも4年間生きてきたのだ、たくましさはあるだろう、英語力免除!となる。
日本人はほんとにくそまじめに移住のための点数、ポイントを一生懸命計算して移民局の細かいルールを見つけては自分に適用されないかどうかを一生懸命考えるのだが、けどなかなか一歩踏み出して渡航しようとしない。
そりゃそうだ、ビザが取れるかどうか分からないのに行けるわけないじゃん!そう思うし言いたい人の気持ちはよく分かる。しかし現実はそうやってルールが緩んで誰でもビザが取れる時に「そこにいなかった」だけで翌年の申請になり結果的にビザが取れないとなる。
ポイント制でいけばずっと優秀でも永住権が取れず、ポイントは永住権申請に全然不足してても永住権が取れる、そういう現実の世界があるのも事実である。
要するに「その日そこにいるか」である。優秀でも一歩踏み出せなければ次はないしポイントが不足してても一歩踏み出した人には神様が微笑んでくれる。
2011年06月07日
NOTHING TOO LATE
りょうまくんと話してて楽しいのは、彼が意識せずに仕込まれているニュージーランドの学校教育がかいま見えるからだ。
以前りょうまくんが言ったのは”Nothing Safety” だが、今日話してて新しく出て来た言葉が”Nothing too late ”だ。英語が26文字しかないからワンフレーズにしやすいのかどうか分からないが「何をするにも遅すぎることはない」という言葉にも実にうなずける。
てか学校でそうやって先生が子供に教えて子供がそれを信じて実行しているところが良い。子供を本当の意味でのびのびと育てようとしているのがよく分かる。
この子たちは建前と本音がない。言われたことを素直に受け取り素直に信じて行動する。日本でそんな事やったらバカって言われそうだが、子供を素直に成長させる教育において裏表を教え込むようなことに比べればどっちがバカだかと思う。
日本では「こういう事はxx歳から教えなくちゃいけない」とか「xx才になってこんなのやってるなんておかしい」とか「xx才から始めるなんてみっともない」とか、とにかく年齢で相手の行動を縛る。周囲と同じ行動をとらせようとする。
けどニュージーランドではそんな事、誰も考えない。いくつになっても何でも出来る、人々は心の底からそう信じているし実行している。
ニュージーランドは様々なモノがない。あっても日本と比べると3倍くらい高い。持って帰って使うとすぐ壊れる。壊れたものを店に持っていくと「あ、そ、じゃそこにあるから他の持ってっていいわよ」で終わり。
今の日本で生活をしている人からすれば信じられない事ばかりであるが現実である。家具とかだと買っても商品届くまで2カ月待ちとか普通だし届いたら色が指定したのと違う。また送りなおして数か月と言うのがざらである。
それでも人々は何の問題もなく生活をしているし、幸せとか満足度で言えば間違いなくニュージーランドの方が日本より豊かである。
「なんでよ!なんでコンビニない生活が豊かなのよ!」と怒る人には耐えきれない生活かもしれないが、実はコンビニって生活の根本的なところには何の影響も与えない些末事なんだよね。
朝から晩まで働いて家族のためとか会社のためとかお為ごかし、結局誰もかれもが物質は豊かになったけど心は貧しく人々がいがみ合い礼儀知らずになり(これは今回の東京でしみじみ感じました、人の心がどんどん狭くなってます)、結局いつのまにか幸せになるための手段が目標になってしまった。
モノが揃ってしまった今、ふと気づくと「最近家族全員で一緒に食卓囲んだのはいつかしら?」とか「あ、明日もまたあの会議とあそこで打ち合わせ、それにあれとこれとだから自宅に帰れるのは何時かな、子供の料理だけ作っておいてチン出来るようにしなくちゃ」となり、結局子供の寝顔を見ながら「何だか最近、あんまり幸せじゃないよね」って思ったりする。
結局これも日本の政策として常に前進前進、対前年何割増収、とにかく成長しないといけないという神話に取りつかれてしまい、今自分に必要なものは何かってのを失ってしまった結果だと思う。
国家が方向性を作り民間企業はその方向に従い人々は上司の命令に従い行動する。そして彼らにサービスを提供する人々も同じような方向性で「成長ありき!」「増収ありき!」「負けられません、勝つまでは!」と言う社会の方向性に抵抗出来ず、成長と言う錦の御旗を掲げられると誰もが「はは〜、失礼いたしました〜!」となる。
そりゃそうだ、そうしないと今の日本では「あの人、ちょっとおかしい?」と言われるのだ。
その意味でニュージーランドは「足るを知る」がまさに現実として毎日の生活の中に普通に存在する。だから誰もがモノがなくても気にしない。うちの自宅も年に3回くらい停電するが誰も気にしない。そんな夜は蝋燭をつけて「今日はキャンドルナイトだ!」と笑って楽しめる心の余裕がある。そして同時に、いくつになっても挑戦する気持ちを持っている。
けれど多くの日本人は「え〜?そんな国があるの〜?ふーん、けど私には無理だな、xxだから、xxだから」となる。
ところがキーウィにはxxがない。行きたいと思ったら行く。足るを知る国民性ではあるがやりたいと思ったらすぐ実行に移すのもこちらの人々の特徴だ。
アノソニー・ホプキンスが老主人公を演じる「世界最速のインディアン」と言う映画がある。
1960年代、ニュージーランドの南端に位置する田舎町インバーカーギル。独り小屋に住む67歳の男バート・マンローは、オートバイ1920年型インディアン・スカウトの改造に日々勤しんでいた。彼の夢は、ユタ州ボンネビル・ソルトフラッツへ渡米し、その愛車で世界最速記録に挑むことになる。
この映画を観た普通の日本人は「ほー、すげえなあ、こんなじいさんでもまだ試合に出るのか?」と思うが、やってる本人は年齢なんて関係ないのだ。気にしているのは周囲だけで本人は無関係。
何をするにしても遅すぎるという事はない。それはやらない事の言い訳でしかない。
2011年06月06日
移民法改正
今日はニュージーランドのビザについてです、興味がない方は無視してください。
週末にオークランドの専門学校業界で移民法改正予定の骨子が発表された。今まで認められていた専門学校卒業後のオープンワークパーミット取得が出来なくなったり家族ビザの扱いが大幅に変わる予定との移民局からの通達があったからだ。
実施は7月末からだがこれから細部について移民局と弁護士と政府とで詰めていくことになるのだろう。
ただこのニュース、移民局のルール変更なんてのは別に珍しいことではない。移民局のルール変更なんて梅雨時の雨、降られて文句を言ってたらきりがないくらいに変更される。
ただまあ遡って適用と言う事はないので現在コースに参加している人は良いのだがこれから参加する人には大変な問題である。
実は以前もっと大きな変更がありその時はも〜っともっと大変な騒ぎだったがその時のコースは中国人が中心で日本人社会では殆ど話題にならなかっただけなので(内容は長くなるので割愛するが)ぼくにとっては今回のも、ああそう来ましたかと言う感じ。
移民局の移民受け入れ政策と言うのは水道の蛇口と同じで、水槽にたくさん水が溜まれば蛇口は閉めるし水が不足すれば蛇口を開く。
水はあるのだがそこに栄養分がなければ起業家ビザ部門を緩和して現地でビジネスを起こす人を優先させて雇用を発生させる。移民局からすれば起業家ビザ部門で受け入れをすればそれだけ地元の雇用に貢献したことになるのでこのビザは比較的取りやすい。
水はあるのだがそこに浄化装置付けたりとかインフラが必要になれば投資家ビザ部門を緩和して海外から資金を呼び込み、その金で橋を作ったり道路を作ったりする。
そういう意味で一番蛇口がきついのが技能移民である。技能移民は地元民の就職機会を奪うわけであり人口増加と言う錦の御旗と先住民優先と言う選挙対策のはざまで常にHOTとCOLDがくるくると回るわけだ。(HOT&COLDって蛇口は今の日本では見ることないですよね)
今回の蛇口の背景は増えすぎたサービス産業労働者、とでも言えばよいだろうか。もともとは専門学校を卒業すれば労働ビザが一定期間発給されるなんて仕組みはなく、移住したければ大学に行け、くらいだった。
ところが2000年頃から留学ビジネスがニュージーランドの産業別売り上げでも上位に出てきてそれを支えるように英語学校が作られたが、英語を学ぶだけだと他国(豪州、カナダ、英国)などに比べて魅力がない。いくら物価が安いからって言っても中国人のお金持ちからすればそんなのどーでも良い、他人に威張れる学校となれば英国となってしまう。
そこで移民政策と教育ビジネスの成長を掛け合わせて、同時に今ニュージーランドで不足している業種を考えていくとその最大公約数として出て来たのが「専門学校で技術を学びワークビザ取得、永住権につなげる」と言うコースだった。
クライストチャーチで亡くなった英語学校の校長のことも書いたが彼がやってたのもまさにこれで、彼は看護婦養成学校に力を入れ多くのフィリピン移民を移住させることに成功した。
他の学校もそれを見て「おれたちも続け!」とばかりに様々なコースが発表されたがその中に例えばバリスター、パティセリーなどがある。
何でこんなコースが?と日本人からすれば不思議だろうが、実はニュージーランドは英国圏内で言えば一番賃金が安い国である。そしてNZ国籍があれば豪州で仕事が出来る。その為大学を卒業して数年現場で働いて実務能力を身に付けた人々(医者、看護婦、金融etc)は次々と賃金5割増しの豪州に移住してしまうのだ。(ついでに言えばNZの賃金が1だとするとシドニーの賃金は1.5、アジアで働けば2、米国は3、英国は4くらいだ)
30代の優秀な現場技術者不足はレストランやカフェにも影響を与え、少し腕の良いシェフやバリスターは皆シドニーに行くからその不足分を埋めるために外国から移住を希望する人々に「こんなコースはどうでっか?」とコースを作ったのだ。
しかしこのコースは最初にも書いたように景気や失業率に影響されやすい職種で真っ先に蛇口の影響が出る。コースを開始して2年程度経過して移民局が見直しを行い、
「どうよ、アジア人のバリスター増えて美味しいコーヒー飲めるようになったね」
「そうね、彼らアジア人の若者は英語力もあって会話も楽しめるしいいわよね」
「おいおい、そういうけどオークランドのカフェスタッフが黒頭ばかりってのは抵抗ないか?」
「そうねー、かなり数も増えたし今時カフェで黒頭見ないことはないしね」
「そっか、じゃあそろそろ数の調整をして様子を見てみるかな」
「そうね、2年もやったしそろそろかな、それにしてもだらしないのは地元キーウィよね、アジア人が納税したお金で失業保険貰ってアジア人に作ってもらったフラットホワイトで満足してるんだから」
「まあそれはいずれ、次の機会にやろうじゃないか、けどあいつら先住民は慎重にやらないとな〜・・・じゃカフェに行こうか、最近出来た良いカフェがあるんだ、アジア人のバリスタが作るフラットホワイトが美味いんだ!」
こういう感じの会話がオークランドの坂の上のつたに絡まる建物の中でキーウィが作った美味しいフラットホワイトを飲みながら語られたのだろう。それがそのまま法律に反映されて今回の改正につながった。
急な法改正と言う意味では数年前にある日本人アナウンサーが子供の国籍欲しさにNZで出産しようとした。ところが病院で死産となり彼女はその医者=政府を訴えた。訴えられた政府はびっくりした、おいおいそんなずるをしている連中がこの国で出産していたのかよ?
何せこの国では出産費用は無料だった。そして出生地主義なので子供が生まれれば国籍が取れた。つまりこの女性は出産費用は自分とは何の関係もない納税した事もないニュージーランド政府に払わせおいて生まれた子供に二重国籍を与えておいて将来は自分がファミリーカテゴリーでついてこようとでも思っていたのだろう。
そういう法律の穴はニュージーランドにはたくさんある、何故ならNZの法律は「人は嘘をつかない」が原則だからだ。NZで生活された方ならこの国の本人認証の甘さにびっくりするだろうが、人が嘘をつかないことが原則なのだから認証すること自体が「変化に対応している」証拠である。
この女性の裁判では裁判所がすぐに女性の訴えを却下してその翌週には国会で新しい法律が発布された。「NZで生まれた子供でも親のどちらかに永住権または市民権がなければ国籍は与えません」。
日本だと国籍法を変更するわけだから何年も議論を〜なんてなりそうだがNZでは速攻である。当然だろう人の善意を逆手に取って騙すような日本人がおまけに裁判にまで訴えたのだ、ふざけるのもいい加減にしろってなる。
この事件の時はぼくら随分と恥ずかしい思いをした。
「おい、日本人ってこんな事する奴もいるのか?」
「ああ、あれね、日本には日本人と違う人種がいて彼らが恥知らずなことするんだよ、彼らはメディア人ってんだ」
「ああ、あれね、あれならNZだって同じだよ、ははは」
ふー、笑ってくれてるうちは良いが、一つ間違ったらほんとやばいぞって事件だった。
事これほどに移民法はしょっちゅう変わるしその背景も明快である。移民法あれば対策あり、対策あれば政策訂正ありの繰り返しだ。
こういうのは真面目な日本人には理解しづらいと思うが、とにっかくこの国の法律はしょっちゅう変わる。だから今ルールがあるってんで準備を始めて半年後、なんて言ったらルールが変わってたなんてのはしょっちゅう。
なのでぼくが常にお客様に説明しているのは「ビザは取れる時に取りましょう、シール一枚重いものじゃないし、次はないかもしれませにょ」だ。
けれど同時に理解して欲しい。1年で変わる法律は来年また変わる。2年で変わる法律は再来年変わる。その変化がプラスかマイナスかはその人次第だが、とにかく変わる。だから大事なのは常に身軽にいつでも動けるように準備しておくことだ。
2011年06月05日
若年性くれない病
「くれない病」というのをお客様から教えてもらった。もともとは曽野綾子が作った言葉だが、何かにつれて「あれ、やっといてくれない?」とか「誰それさんがしてくれない」とかとか。
老人が年を取るにつれて使い始める言葉、何かと他人を頼り自分で何もせず、他人が何もしてくれなければ文句を言う。見ていて決して気持ちの良いものではない。
今日見かけた記事でこんなのがあった。
★記事抜粋開始
「子供たちの生活は学校だけではない。1ミリシーベルトを目標としたからには、具体的に何をしてくれるのかを明確にしてほしい」。3日、年間20ミリシーベルトの上限値撤回を求める保護者らが東京・霞が関の文科省で担当職員と向き合った。1歳の長男を連れて参加した福島県須賀川市の主婦(31)は、1ミリシーベルトの目標設定を歓迎しながらも、学校外での低減策も訴えた。
★記事抜粋終了
政府を非難しながら政府に何かを求める。言葉を変えて言えばぐうたら亭主がまたもや競馬やパチンコで金使ってしまい奥さんは文句を言いながら「どうしてくれるのよ?」と言ってもどうしようもないだろう、そういうぐうたらを選んだ自己責任だ。
最近の女性は50年前と比較すればまさに雲泥の差、能力とやる気さえあれば子供を抱えてでも生きていける、だからまともな女性ならギャンブル狂いの旦那を見て「あ、こいつはあかん、病気や。やめとこ。ここで捨てましょ」となるはずだ。
「子供たちの生活が〜」と言う前に、自分たちが住んでいる街に原発があることを知っていたのだろうか?放射能が人間に与える影響と言うのを少しでも原発事故以前に勉強したのだろうか?
年間20ミリシーベルトがどれほど「危険」なのか、交通事故やいじめによる自殺や不登校、大人になっても引きこもり、などの健康被害と比較してどちらが重大なのか、考えてみた事があるだろうか。
放射能であろうがいじめによる自殺であろうが死ぬことに変わりはない。親は目先のお受験やお付き合いで子供たちの心をすりつぶしていると考えてみたことはないだろうか?
くれない病患者の特徴はとにかく自分では何もせずに他人に頼って文句を言ってそれで終わり、次にまた同じようなことが起きたら同じように自分ではなにもせずに他人に頼って文句を言って、はいそれで終わり。時に週刊誌に「赤ワインはぽりふぇどうのこうの〜が〜」と書いているとまるで自分が世界で最初に発明したように周囲に言いふらして買い込むがぽりふぇなんちゃらなんて3カ月もすれば忘れてしまう程度の親。
池田氏も指摘するように原発は石炭や石油と比較してずっと安全なエネルギーであり長期にわたり使用可能だという事実。その反対にある、石炭や石油は人間のDNAを変化させないが放射能は確実に人間の体の染色体を破壊してその影響は計り知れないという意見。
本来はこの原発合理主義と安全性をぶつけながら落としどころを考えていくべきなのに自分では考えようともせずにぐーたら政府に泣き言を言う。むだっちゅうの。彼らはあなたたち「使い捨て可能な材料」としてしか見ていない。経産省に行って何を話しても所詮はガス抜きの一発芸だ。
それよりも今大事なのは、この原発事故で東北がすべて変わったのに、これからも今までと同じような生活をしようとするのかって点だ。つまり原発が突きつけたのは「あなたの人生、どうリセットしますか?」ということだ。
復興と復旧は根本的に違う。壊れた建物を作り直すのが復旧だが町全体が崩壊した今必要なのは復興である。関東大震災では復興を旗印にそれまで入り乱れていた街の区分を整理し大都市としてのインフラ整備を行った。
ならば市民も自分の生活をリセットしてもう一度ゼロベースで見直すことが必要ではないか?住居とは?学校とは?勉強とは?家族とは?生活とは?人生とは?そういう事をゆっくりと考える時間が今あなた方の目の前にある、それをどう利用できるか。
★記事抜粋開始
福島市内でも空間放射線量値が高い渡利地区の学校に3人の子を通わせる女性(38)は「長女が高校受験を控え、簡単には避難できない。1ミリシーベルトが目標になれば、学校や自治体に対策を求めやすくなるだろうが、既に浴びてしまった放射線量をどう考えればいいのか。国に説明してほしい」と不安を口にする。
★記事抜粋終了
これなどぼくからすれば全く意味不明である。危険なら逃げろ、幽霊に受験枠はないんだから生き残ってなんぼでしょ。反対にそれほど危険でないと思ってるなら「国に説明してほしい」などと言わずに黙って勉強していればよい。
だいたい今まで全く原子力や放射能の勉強をしてなかった人がいきなり国から「こうなってますから安全です」と言われてどう検証のしようがあるだろうか?説明を受けてどうしたいの?わたしを安心させて〜と言われても、そりゃ無理だ。安全の証明なら可能だが安心は本人の心の問題だ。
付け焼刃でしかない説明を聞くくらいなら「あのさ、悪いけどあたしと子供3人は大阪に引っ越してあっちで受験勉強するわ、費用は東電に請求しておいてね」とすればよっぽどさっぱりしている。
「この場所から動きたくない、受験はここで勉強したい、けど原発不安、話聞いても分からない、お願い私を安心させて頂戴」って、おいおい、それではくれない族以下ではないか。
人が前向きに生きている限り常に乗り越える壁は出てくる。その壁を超えるたびに人生の真実を一つづつ知って心が強くなっていく。けれどそういう準備をしていない人がある日突然現実を突きつけられると突然おたおたと「くれない病」になる。
この震災は多くの日本人に立ち止って考える時間を与えた。東北の母親は、今日と同じ明日が来ると思い子供に勉強をさせている。けれど本当に今日と同じ明日が来るのだろうか。その答えは2万数千名の尊い命が立証してくれた。だれも明日自分が死ぬとは思っていなかったのだ。
ならば母親も立ち止って自分はだれのために生きているのか、子供にとっての幸せが受験だけでないってのを今こそゆっくり考えてみたらどうだろうか。
2011年06月04日
管けり
子供の頃は神社の境内でよくやったものだが、今の子供はまずこのような遊びは知らないだろう。遊びの高機能化と言う意味では今の子供のPSPの方が圧倒的に上だが、では子供同士がしーんと静まり返って神社の中で息をひそめながら相手の出方を伺い、隙を見つけて管に突撃して蹴っ飛ばすその寸前に敵が出てきてどっかーんと肌でぶつかりあって、あたた、痛みを感じながらみんなで笑い転げる、あの臨場感は人生そのものでありゲームからは絶対に学ぶことは出来ない。
政治はうざいのでしばらく書かなかったが、国会で管けりが始まったので外国から見た管けりのポイントを書いておくと、これは311寸前に前原外相追い落としがありそれに続いて管首相追い落としと続くはずだったのが大震災によって一時的に保留になっていただけだ。今突然現れた話ではない、既定の路線である。
既定の路線とは管仙谷の率いるグループ対小沢グループの戦いである。彼らの主張の違いは何かと言うと明確で、管仙谷は今の左翼的幸せが続けば従属する相手が米国でも中国でも良い、国を売る相手が韓国でも良いという現実路線派閥、昭和時代の自民党の現実路線と決定的に違うのは、二人とも青春の挫折を今取り戻そうとしていることだ。
これに対して小沢は純粋に政治家であり原理主義者である。自分の政治思想があり、戦国大将のように気を見て敏に行動するが原理原則だけは曲げない。小沢の原理原則は日本国家の実質的独立と普通の大国になることである。
いつの時代もこの手の二元論はある。目先の飯か十年後の飯か、だ。ただ小沢から見れば今なら米国主導の日本と決別できる数少ない機会であり民主党が政権を持っている間に日本を立て直したい、米中の間で独立を保持したいと考えている。
実は今政府で行われている政権争いは大事な問題であり今だからこそやれるのだが、これをマスコミは「復興の忙しい時に何をやるのだ、政治がますます〜」とやるが、お前らもしかして「今が良ければすべてよし」の官僚と管仙谷にべったりでいくつもりか?
ぼくが好きな政治家の一人にチャーチルがいる。彼は政治家として決断をする際に程度の低い感情論に流されずに大所高所で判断して英国を勝利に導いた。
ぼくは政治家とは国民の望む国家を作り上げる人のことだと考えている。その意味で国民が管仙石が良いならそれはそれで突っ張ればよし。いつも書くことだが一番いかんのは右往左往している間にどんどん他国から取り残されていくことだ。
もし人々が今までの「あなた任せ」が大好きで「お上大好き」なら既定方針でいけばいい、ぶれるなと言いたい。
ただぼくは今は小沢に政権を任せるべきだと思っている。人相は悪いが能力はある。それほどに今の日本は崖っぷちであり21世紀の入り口で大所高所の判断が必要な時期に来ているのだと思っているから。
オークランドはクイーンズバースデイ三連休初日、朝から慈雨で人々はモールでカフェを楽しみ買い物を楽しんでいる。気温は17度くらいか、雨の割に湿気が少ないのがオークランドの特徴だ。今月から南島ではスキー場がオープンする。
2011年06月03日
離れですき焼き
★記事開始
政府は3日午前、東日本大震災の復興財源捻出に向けた国家公務員給与削減法案と、国家公務員に労働協約締結権を与えることを柱とした国家公務員制度改革関連法案を閣議決定した。
政府・与党は今通常国会での両法案の成立を目指すが、野党の協力を得られるかどうかは不透明だ。
今回の給与削減は、人事院の給与勧告に基づかない初めての措置となる。一般職の国家公務員を役職で3段階に分け、2013年度末までの俸給月額について、課・室長相当職員以上は10%減、本省課長補佐・係長相当職員は8%減、係員は5%減とする。また、ボーナスは、一律に10%減らす。政府は当初、一律10%減を目指したが、若年層に配慮した。これにより、人件費は全体で7・8%減となり、毎年2900億円を復興財源に充てることができる。
(2011年6月3日12時10分 読売新聞)
★記事終了
この記事はこう読む。
★日本最大の労働組合である官公労は管+仙谷が政権にいる間に長年の悲願である「労働協約締結権」を勝ち取るために2年間の給与引き下げと言う交換を提案した。2年間5%削減と言いながら物価下落に伴う国家公務員の実質賃金はここ数年「上昇」しており5%の2年等たいしたことはない、3年後に自発的に賃上げすれば良いのだ。それより「一生もの」の労働協約締結権の方が数百倍の価値があるのでこの取引による官公労の利益は計り知れない★
この記事には伏線があり、「ついでに人事院を廃止すれば?」と提案したらこれまたOKが出たようだ。戦後60年以上にわたって政府と人事院のくびきに縛られていた最大かつ強力な労働組合がこれで完全に解放されていく。
じゃあ組合が時限賃金引き下げをしてでも欲しかった労働協約締結権とは何か?これは昔から言われている言葉で簡単に言えば「スト権付与」である。つまり役所も民間労働組合と同じようにストライキ打ったり団体交渉する権利が出来るということだ。
ではこれで具体的に何が起こるか?非常にかいつまんで言えば
1・今まで違法に闇専従として市役所職員や学校教員でありながら仕事をせずに組合活動ばかりをしていた人々の活動が合法にできる。
2・入学式や卒業式での君が代日の丸集団ボイコットが可能になる。
3・36協定により残業拒否が出来て仕事を遅らせるサボタージュが可能になる(結果市民サービスが大幅に低下する、今もどうだかだが今以下になるって事)。
4・官僚決定事項に対して労組が発言権を持つ事が出来る(民間組合が経営者と話し合いをするようなもの)
5・組合員(組織率)の増加
そして彼らがストを打てば
1・戸籍謄本も転入届も失業保険申請も受け取りもこの期間はすべて不可能になる。
2・市役所がごみ回収をしている街ではストライキの期間中ごみが表に出っぱなしになって街がくさくなる(イタリアで昔よくあった)
他にもたくさんあるが、やはりとくに大きいのがやはり「4」である。日本政府と言えど実動部隊は自治労である。霞が関が何を決めても「いや、出来ません」と言われれば経営者である政府は困ったちゃんになるので仕方なしに国家レベルの決定事項に労働組合の意向を汲むようになる。
さて、ではその労働組合、特に仙谷さんの出身である自治労21世紀宣言を読むと
自治労21世紀宣言
1. わたしたちは、「自由・公正・連帯」の社会の創造にむけ、国内外の民主的な諸団体と連携して労働運動の前進を期す。
1. わたしたちは公共サービスを担うすべての労働者・労働組合を結集し、対等な労使関係を確立して組合員の生活と権利の向上をはかる。
1. わたしたちは市民と労使の協働で、有効で信頼される政府を確立し、市民の生活の質を保障する公共サービスを擁護・充実する。
1. わたしたちは、自治・分権改革の進展にたゆまず努め、参加と自己決定による自立した市民社会、生活と労働の調和する男女平等参画社会を実現する。
自治労の2番目の方針を見ると明確だが、対等な労使関係とは使用者である政府と対等の立場を確立する、つまり影の政府にでもなれると言ってるのだ。同時に「組合員」の生活と権利の向上をはかるのだが、これ簡単に言えばもっと休みを増やして給料を増やすことである、それも「組合員だけ」である。
これを見ても分かるように自治労の視野にはその間接的雇用者である市民が全くない。
株式会社に例えて言えば市民は最初にリスクを取って投資をしている資本家である。そうだろう、何せこの政府が役に立つか、役人が金を払った分だけ働くかも分からないうちから先行投資をしているのだ。
そのお金を預かって運用しているのが社長や役員にあたる日本政府である。そして自治労は会社に雇われた社員だ。
ところが今話されていることは雇われ社員が社長と同じ権限を持って株主配当前に利益を山分けしようぜってことである。自治労の綱領に株主である一般市民は存在しないのである。
今回閣議決定された「交渉権」はどこの新聞も小さくしか報道しておらず中には全く触れてない新聞もある。その新聞しかとってない人は今回の事件が起こったことさえ知らないだろう。どこの新聞もまるでたいした事がないように書いているが、この権利を勝ち取るためだけに昭和後期には「スト権スト」を打つほどの一大事であった。
社長と従業員は誰しもが知っているが株主には教えないままに、こそーっと自分たちの取り分を増やそうとしている。またも、国民が母屋でひもじい思いをしているときに組合と政治家が離れですき焼きである。
2011年06月02日
名刺を持って自己紹介されるのを待つ
【茨城】 休日に業務外で救命行為をした消防指令を処分、退職 2011年6月2日
茨城県石岡市消防本部は5月31日、休日に自分の業務ではない救急救命行為をしたとして、救急救命士で石岡消防署の男性消防司令(54)を停職6カ月の懲戒処分にした。消防司令は即日、辞表を提出し受理された。このほか、監督責任を問い、消防長ら上司5人を訓告処分にした。
同消防本部によると、消防司令は4月14日午後0時半ごろ、静岡県内の東名高速道路で自家用車を運転中、追突事故に遭遇。医師の指示を受けないまま、不当に所持していた同消防本部の医薬品を使い、けがをした運転手に静脈路を確保するための救命処置を行ったという。
本人からの申し出や、静岡の消防本部からの報告で発覚した。消防司令は「法律(救急救命士法)に触れることはわかっていたが、助けたい一心でやってしまった。(石岡市消防本部の医薬品は)東日本大震災の後、もしもの時のために持っていた」と話したという。
★記事終了
あれ?今日は4月1日だっけ?それにしても質の悪い嘘だなとか思いながら読み終わって今日が6月2日であることを思い出してエイプリルフールでもないのにこの冗談は何だろうと思った。
人間が目の前でけがをした人間を救う。当然の行為だろう。その時偶然助けた人が救命知識があれば使っただろうし止血帯としてネクタイを使い鉛筆で縛るくらいの事は、最近の医療ドラマを見ていれば出来る事である。医療品って、まさか包帯の事じゃないだろうな。
もちろんこの記事をそのまま真に受けるつもりはない。メディアが書いているのだ、実はもっと裏があると思っている。例えば今回の消防司令は実は大震災の時に上司を無視して現場で人助けをして、それが表面化すると消防全体の問題になる、まずい、その前に別件で懲戒、本人に退職届を出させて自主退職とすれば年金その他は貰える、けど新聞発表では別件で、ということだったり。
この記事が100%真実だとしても実は裏があるとしても両方に共通のメッセージがある。それは、「普通の人間が普通の感覚で人助けをするにもお上の決めたルールに従え」ってことだ。このメッセージは政府とメディアが提携して様々な場面で流して国民の頭に刷り込む。
「君が勤務中に救命行為をするのは当然、それは上司、ひいては国家の指示を受けているから何をやってもよい、個人の住宅をぶっ壊しても個人責任は問われない。なにせ国家の指示なのだ」
「しかし君が個人の資格で判断して行動を起こすことは一切認めないし許さないしましてやお上の作った(無意味な)法律に逆らうなんてあり得ない」
交通事故でどの程度の怪我をしたのかどのような救急具を使ったのかは分からないがそんなのはどうでも良い、要するに自分で判断することがダメなのだ。
これがメディアトリックであり、間違ったことでも何百回も記事で書かれているうちにだんだん「あ、そうか、目の前で人が死にかけても上司の命令がないと放置が正解なんだな」と読者の脳に刷り込みを行うのだ。
こういう記事を読んだ日本の青少年は普通に「あ、そうか、上司の指示がないと勝手にやっちゃいけないんだ、目の前で苦しんでいる人がいても放置するのが正しいのだ、だって法律にそう書いているんだもん」と言うメッセージを理解する。
その代わり一旦上司が命令すればその時は法律を無視してでも組織を守り他者を攻撃しそれが普通と思ってしまうようになる。まさに「ぽちの告白」だ。
「最近の若い奴はいつも指示待ちばかりでさ〜」なんてくそったれ中年上司がいくら何を言おうとも、そういう若者しか生き残れないように組織の中で作られてるのだから「指示待ち立派!」と褒めてあげなければ。
「よしよし、君は目の前で交通事故が起こり人が死にかけても何もせずに指示があるまで動かなかった、立派だわんわん」
まさに動物牧場の世界であるがこれは今の日本の現実である。日本の内部にいる限り見えてこないが、香港、韓国、中国、英国、米国、カナダ、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどの国で仕事をしてきて彼らの人間性に触れてきたぼくは、日本がどれほど異質な国なのかよく分かる。
一体どこの国の人間であっても、目の前で苦しんでいる人を救おうとする気持ちを持たない人がいるか??たとえ中国でも現場では助け合いがあるのだ。いや、ルールのない中国だからこそ人の優しさと言う人類古代から続く助け合いの行為が行われるのだ。
こうなるともう、普通の人々から見たら「一体どんな人が自分の子供をこの国で育てて指示待ち若者にしてお上の奴隷にしたいのか意味不明」となる。しかし政府側から見たら意味明瞭、政府のいう事だけ聞く国民、政府のいう事だけ盲信する国民、こんな操りやすい国民はないよとなる。
ルール大好き指示待ち人間にこういうジョークがある。
ある時旦那が自宅に帰ったら奥さんが裸で他の男とベッドにいた。
米国人:怒り狂ってその場で銃で撃ち殺す
ドイツ人:冷静に「君らに法的措置を取らせてもらう」と言う。
フランス人:自分も服を脱いでベッドに飛び込む。
日本人:名刺を持って二人の行為が終わるのを待ち相手に自己紹介されるのを待つ。
2011年06月01日
安全野菜?
福島原子力発電所の爆発が起こる可能性はほぼなくなり、これで政府も安全宣言、野菜も美味いし肉も美味いぞ〜とマスコミを使って宣伝している。「風評被害」で発生した海外での買い控えを政府が率先して営業していきます、行きます日中韓会議!
けれど中国の餃子事件の時にどれだけの日本人が中国商品を買い控えただろうか?餃子事件などはたった一つの餃子から出た毒物で単発の問題なのに中国からの輸入が数か月も停止をした。
その時日本政府は何と言っただろうか?「コックミンノヲ〜、アンゼンハ〜!ナニヨリモダイジデ〜ス!」と理屈抜きに中国産のすべての輸入製品の安全確認が出来るまで輸入停止を行ったのはどこの国の政府だ?あの時中国の抗議に対しても「アンゼンヲ〜」とやって一切無視した。
それがいざ自分の番になると「福島の野菜は安全です!買い控えは風評被害です!」としきりに世界に向けて訴える。
しかし、普通に考えれば分かる事だが中国の餃子は偶発的であり継続性のない事件であり工場出荷手続きを厳しくすることで安全確認が明確に出来る。
それに対して放射能はどうであろうか?今も放射能は空から毎日降っているのだ。「xxシーベルトなら体に影響はない」とか、「すぐに被害は出ない」などの言葉を繰り返して時間稼ぎをしている政府は、その言葉をそのまま海外に向けて福島の野菜と一緒に出荷してみてはどうだろうか?
そしてこんなシールを貼ってみる。
「福島の野菜は安全です!どれだけ食べても今すぐに被害は出ません!」
「福島の野菜は安全です!xxシーベルト以下しか放射能は測定されてません!」
「ほーら見てください、出荷寸前まで放射能を浴びていた野菜、つやつやしてますね〜」」
あのさ、今までMADE IN JAPANの野菜や果物を買っていたのは世界のお金持ち、特に中国人だ。彼らは自国の野菜の汚さをよく知っているから地元の野菜より10倍高くても安全で美味しい日本産を買ってたのだ。
ところがいまその安全神話がぶっ壊れた。世界中で安全や野菜が買えるのに何で日本から今買わなくちゃいけないの?日本の農産物の神話は「安全で美味しい」である。ところがその安全神話がぶっ壊れたのだ。どうせ危険な野菜なら10分の1の価格で買える中国野菜で十分、市場で買って自宅で洗えば美味しく食べられるしね。
なのに日本政府はこの状況を「風評被害〜」と呼んでいるが風評とはありもない噂の話の事でしょ、けど実際には放射能は噂ではない政府認定の事実でありそこで発生した汚染であるから風評と呼ぶのはおかしい、普通に「事実汚染」となる。
こんな事書くと政府は「いやいや、ちゃんとガイガーカウンターを使って放射線を測定して安全なものだけを〜」って、じゃあ他の国でガイガーカウンター測定して野菜を出荷している国があるのか?(笑)
こういう事を書くとまた「お前は福島の方の気持ちが分かるのか!」と言われるのだろうが、分かるけど現実は現実でしょ、眼をそらして政府にしがみついて売れない野菜を政府に売ってもらっているのはアンタでしょ、今はそういう対応をすべきじゃないでしょ!自分をしっかり持ちましょうよ!」と言いたい。いい加減政府の言いなりになるのはやめてほしい。
だからもしぼくが福島の農家なら今すぐ同志を集めて大型トラックを手配してこうするだろう。
まず同志が作った野菜を大型トラックに乗せて朝8時30分ごろに東電本社前に運ぶ。そしてマイクで「東電の皆さん、出勤お疲れ様です〜!朝採れの福島産政府認定の安全野菜を農協を通さずに直接会社までお届けに上がりました!直販なのでなんと3割引きでお得!さあ買った買った!」
こうなれば東電本社では総務課が出て来てその場で全量買い取りするしかなくなる、各農家は作った分だけの請求書をその場で総務係長に手渡しニヤリ、「毎度ありい!明日も来ますね」
東電だって困ることはない、何せ安全なのだ(笑)、それを一生懸命働く社員に減給対策として無料配布すればよい、社員と家族が自宅で食べてもらえばよいだけだ。とくに部長以上はメタボ対策で野菜多めですね(笑)。
残った野菜やお肉は霞が関職員向けに東電が無料配布をすればよい。配布先を農水省にするか経産省にするかは彼らの持ち回り会議で決めてもらえばよい(笑)。
こうやることを本当の直訴、アピール、訴えるという。それくらいのことを自力でしないでどうするか、生きるのは甘くはないのだ、お上や他人に食わせてもらってる限り自立はあり得ない、今回の震災は目覚めの薬だ、いい加減に日本人も自我に目覚めるべきなのだ。
付け加えておくと政府の今回の海外向け安全宣伝であるが、ぼくは日本人として恥ずかしい。何が恥ずかしいかって言うとニュージーランドで普通の良識のある人間に「ねえ、なんで日本はあんなものを売ろうとするの?」と聞かれて「選挙対策・・・」としか答えるしかないからだ。
だがここまでならまだいい、「だったら政府が買いとればいいだけじゃん」と聞かれたら「いや、実は政府が無能でまともに機能してないものだから・・・」と身内の恥をさらすことになるからだ。海外で生活してみれば分かるが、いくらバカな政府とは言え同じ日本人、外人にバカと思われるほど悔しいことはないのだ。