2011年07月

2011年07月31日

蒼茫の大地、立つ


★記事開始

被災地首長「泥かぶらない」 民主安住氏が批判

民主党の安住淳国会対策委員長は30日のテレビ東京の番組で、東日本大震災で被災した自治体の首長について「国からお金をもらって自分は言いたいことを言い、できなかったら国のせいにすればいい」などと批判した。今月上旬には被災地での言動をめぐって松本龍復興担当相(当時)が辞任したばかりで、安住氏の発言は被災自治体の反発を招きそうだ。

 

 安住氏は「『知事は頑張っている』と言うが、仕組みが違う。自治体の首長は都合がいい。増税しないんですから。国からお金をもらって自分は言いたいことを言い、できなかったら国のせいにすればいい。『増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と、立派なことは言うけど泥はかぶらないという仕組みを何とかしないといけない」と語った。

 

 安住氏は被災地の有権者に対しても「家、財産、家族がなくなった人は不満は持っているが、だからといって『全部国会議員が悪い』というのは感情的な話だ」と述べた。

★記事終了

 

この記事、ぼくならこう書く。

「泥をかぶれない被災地首長」

被災地首長が「泥をかぶれない」のは中央政府が地域を食い物にして放置した結果」 民主安住氏が批判

 

民主党の安住淳国会対策委員長は自分でも知らないうちに日本の中央集権問題を厳しく批判した。

30日のテレビ東京の番組で、東日本大震災で被災した自治体の首長について「国からお金をもらって生きるしかない税制を構築した中央政府、地域には補助金漬けで言いたい事も言えないようにしておいて沖縄などが基地問題、福島が首長の判断でほんとに言いたいことを言うとすぐに補助金カットや知事追い落とし、地方自治が出来ない能力に落とし込んで自治ができなかったらすぐ能力不足と言って更に自治力を削減させた中央政府。そのすべての目的は霞が関だけが日本を支配する知識層となりそれ以外をバカのまま放置させたい江戸時代からの「民は依らしむべし知らしむべからず」思想なんだから今回も出来なかったら国のせいにすればいい」などと応援した。

今月上旬には被災地での言動をめぐって同和の松本龍復興担当相(当時)が辞任したばかりで、安住氏の発言は結果的に地方自治問題をニュースにされたくない総務省の反発を招きそうだ。

 

 安住氏は「『知事は頑張っている』と言うが増税も法改正も強制執行も出来る中央政府と仕組みが違うから知事が頑張ってもどうしようもない。自治体の首長は中央の操り人形なら都合がいい。地方では自由に増税出来ない仕組みないんですから。国からお金をもらうしかない仕組みで国は地方に命令し、できなかったら自治体のせいにすればいい。『増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と立派なことは言うけど官僚が協力しないと出来ない事を官僚が一番よく知ってるから表に政治家を立たせて官僚は陰に隠れて泥はかぶらないという江戸時代から続く「権利はあれど責任なし支配」の法則を何とかしないといけない」と語った。

 

 安住氏は被災地の有権者に対しても「家、財産、家族がなくなった人は不満は持っているが、だからといって『全部国会議員が悪い』というのは感情的な話だ、悪いのはお上を無批判に頼って信じて何かしてくれると思い込んでる人々であり政府なんて頼らずにその代わりに納税もせずに自分の地域は自分で守ると覚悟を決めてほしい」と述べた。

★記事終了

 

安住氏の意見は結果的に地方の自治と独立を推し進めるものである。地方がお上に頼らざるを得ないのはそのような仕組みを作ったのが国家だからであり国の意思決定機関が「何でもかんでも国に頼るな」と言うのだったら堂々と「よっしゃ分かった!東北は独立する。自分たちで法律を作り自分たちで納税して自分たちの自治体警察を持ち自分たち雪の降る地域に合った国作りをする」と宣言すれば良いのだ。

 

そして今後は国家資本で作ったすべてのインフラ事業を没収して東北政府の所有とし東京に住む人々に東北で作った電気や食糧を売り豊かな東北の自然で観光を活性化させ東北に合った生活をすれば良いのだ。東北は全県合わせれば1千万人、人口400万人ニュージーランドの2倍以上だし香港やシンガポールより大きいのだから十分な独立採算人口である。仙台空港は中国東北部への窓口だしロシアに向けた海の窓口である。米国など無視して東北アジアビジネス圏を構築すればよいのだ。

 

考えてみてほしい、なぜ東京に合わせて生活をしなければいけないのか?なぜ東京の決まりが全国の決まりにならねばならないのだ。なぜ東京から派遣された地方を知らない数年でいなくなる連中がエラそうに税務署長とか県課長とかやってるのだ?なぜ東京の建設会社が誰も使わない橋やトンネルを掘って利益を東京に持っていってるのだ?

 

江戸時代から長い間支配されてきたお上頼り体制を吹っ飛ばせば良い。

 

独立などそれほど難しいものではない。まずは既存の自治体が独立賛成の全員投票を行い過半数が賛成すれば日本からの独立を宣言する。国境を作り東北政府を樹立させて独自の旅券を作り世界に承認を求める。中国やロシアは東北と提携することで太平洋に直接出られる塩釜港や仙台港が使える。経済圏が広がるので承認するだろう。

 

そうなるとほんとに困るのは東京政府である。今までは収奪の場所として東北を位置付けていたのが突然隣国となり収奪が出来なくなる。何より東北独自の外交を展開されたら自分たちの間抜けさがばれてしまう。東北政府が独自外交を始めて数年もすれば「あれ?外交ってこんなに簡単だったの?だったら東京政府の外交であれだけ失敗したのは何だったの?」となる(笑)。

 

地域住民の意思によって独立されて他国に承認までされてしまえば軍隊を持たない東京政府が暴力で取り返すことは不可能だ。国民を守るための自衛隊を「外国」に派遣することも出来ないし第一自衛隊だって動かないだろう。日本駐留米軍も他国に侵攻することは出来ない。

 

もしかして今回の東北大地震は東北再興の稀有の機会かもしれない。一千年に一度の津波であれば一千年に一度の機会である。すべての既存の規制やルールを捨てて全くゼロから考えてみればよい。自分の事は自分でする、お上は不要、その代わりお上に納税もしない。

 

いままでは地方が何かしたくても中央が法律で禁止しているから何も出来ない。そして法律LOVE!な人々は「あらま!法律!まっもらなくちゃ!法の精神とか民主主義とかどうでもいいのよ、紙に書いている法律なんだからお上さまの言う通りにお守りしましょ!」となるから結局全員がお互いの足を引っ張り合いながら沈んでいくしかなかった。

 

しかしこれを機会に独立して東北地域に合った納税システムと社会福祉を導入し中国とロシアを視野に入れた東北アジア外交を展開し東京と隣国として食糧やエネルギー輸出国として対等に話し合えばよいのだ。

 

実はこのアイデア、もともとは西村寿行1980年代の作品「蒼茫の大地、滅ぶ」からだ。ネットも携帯電話もない時代には単なる夢でしかなかったが、21世紀の現代なら実現可能である。

 

今回はせっかく政府の代表が堂々とテレビで「俺たちばかり頼りにするな」と言ったのだ、堂々と独立宣言すればよい、ある意味沈みゆく古い日本政府から縁を切る良い機会である。それにもしかしたら次の機会はないかもしれないのだ。



tom_eastwind at 14:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月30日

誘拐!

★記事開始

米、子供連れ去り「最重要」 日本に働き掛け強化

 【ワシントン共同】キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は28日、下院外交委員会小委員会の公聴会で、国際結婚の破綻後に日本人配偶者が米国から子供を連れ去る問題は「日米関係で最も重要な問題の一つ」と指摘。子供の返還手続きなどを定めた「ハーグ条約」加盟方針を決めた日本政府に、早期加盟と関連法案整備を求める考えを示した。

 

 キャンベル氏は、子供連れ去りの原因は米国人の配偶者による虐待だという「根深い誤解」が日本側に広がっていると言明。日本の世論に問題の実情を伝える「教育運動」が欠かせないと述べた。

 

2011/07/29 10:15   【共同通信】

★記事終了

 

この問題、日本国内で日本人と結婚して普通に生活している人からすれば「なんのこっちゃ_?」と思われるだろう。ところが海外、とくに西洋的価値観のニュージーランドで生活している僕らからすればまさに生活に直結する大きな問題である。

 

この国でも日本人の奥さんとキーウィの旦那さんと言う国際結婚がよくあるが、これがまた国内結婚よりも離婚をしやすい環境にある。日本人同士でも誤解の上に成り立った愛情であり結婚してから現実を知って後悔する連中も多いが一旦結婚したからにはお互いの家族のメンツもあり簡単に離婚出来ない。

 

ところが英語もろくに出来ない日本人女性が白人男目当てにニュージーランドにやって来て通じない言葉と誤解の上に特急便で結婚してしまい、一年も経つと実は旦那は離婚歴ありで前妻に養育費を払う義務があるうえにまともに仕事もせずに昼間から酒ばっかり飲んで奥さんの日本人女友達に手を出してる事に気づき、乳呑児を抱えて家を飛び出してしまうという事になる。

 

この場合もともと両方の親も国際結婚なんて、と思ってたら家族のメンツなんてどうでもよい、すぐに日本に帰ってきなさいとなる。

 

ところがこの「日本に帰ってきなさい」の一言が親は誘拐ほう助にあたり日本の親の援助を頼りに本人が子供を連れて日本に戻ってしまうとこれで本人の国外移送目的誘拐罪が成立する。懲役2年だ。

 

今まで日本はハーグ条約を承認していなかったので日本国内では誘拐罪は成立しなかったが連れ出した国、つまりニュージーランドでは誘拐罪が成立していた。それがこの条約を日本が承認すれば日本国内に自分の子供を連れ帰った場合、日本国内でも誘拐罪が成立することになる。

 

何でこんなことになるのかって言うと旦那の側にも子供に対する権利があり、子供の親権は国内で二人で、または弁護士を入れて話し合って決めましょうって決まりがあるのに勝手に子供を連れて帰ったことに対する罰則である。要するに子供は社会の宝と考える国と子供は自分の所有品と考える人々の価値観の違いだ。

 

ところが多くの日本人母親の場合は結婚そのものに目がくらんでいるしましてや相手が白人となればますます舞い上がり、緑の芝生に白亜の豪邸、絵に描いたような家庭が出来て素敵なダーリンとどうのこうのなんて思ってるだけで、自分が一年後に子供を誘拐して日本に連れ帰って日本国警察に逮捕されて懲役刑を食らうなんて考える事もないから法律問題なんて考えもしない。

 

国際結婚が増加するにつれてこの問題が米国で取り上げられるようになったのはよく分かる。米国白人のキリスト教的な価値観からすればあり得ないような日本人女性の無知非常識行動に対して怒った彼らが米国政府を動かしたのだろう。お前が出ていくのはいい、次はいくらでもある、けれど子供は米国で育てるのだとなるのだろう。もしかしたら米政府の中に日本人女性との離婚経験者がいるのかもしれない(笑)。

 

恋愛は美しきゴカイであり結婚は恐ろしい現実を直視することである。それも自分がどれほどバカだったかを気づかされることになる。普通はそれで学んで次の結婚の際には「技」も覚えていくのだがいきなりの国際結婚で出産、離婚!と来ればそれだけで大変な騒ぎである。ましてや自分のやってる事が誘拐なんて認識を全く持たない母親からすれば青天の霹靂であろう。「私が誘拐犯ですって〜!」

 

しかし現実にはあなたはニュージーランドではすでに誘拐犯であり日本がハーグ条約を承認すれば日本でも誘拐罪が成立してあなたは監獄行きだ。

 

現実は甘くない。お前も国際結婚のくせにと言われそうだが、出来れば国際結婚は避けた方が良いと思う。まじめに考えて結婚するなら理解も出来るが最初から白人崇拝が前提で「愛した人がたまたま白人だった」と下手な言い訳をするよりも「白人だから愛したのだ」という事実を素直に認めて一時の気まぐれでお遊びで終わりにしてしまい、子供が出来る前に別れる事だ。



tom_eastwind at 10:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月29日

「日本沈没」作者、没する

小松左京氏が肺炎で死亡。80才なら往生だ。それにしてもこの人にはお世話になったものだ。「日本沈没」は当時の日本の文学の範疇ではサイエンスフィクション(SF)として純文学よりも数段低い読み物として扱われていた。この風潮は今も変わらないが、それでも日本沈没が発表された時は凄まじい勢いで日本の文学界を変化させていった。

 

文明批評をする時や社会を取り扱う時に彼と彼女がどうしたこうしたなんて純文学で語るよりも科学的に地震や地質学やプレートを取り扱いながら実際に日本を沈没させてみる事で日本とは何ぞやと語る方がよっぽど誰の心にも届きやすい。

 

ところが未来を語る小説は現在の知識を基本にしていると言っても当時の社会では「しょせんSFでしょ」的だった。それが小松左京の「日本沈没」によって世間の評価が変わり、SFもたいしたものじゃんと言う空気を作り上げた。

 

その頃には早川文庫からSFマガジンが発行されて、少額背の僕は少ない小遣いをやりくりして毎月雑誌を購入したものだ。当時このSFマガジンに投稿していた若い作家は現在では大御所になったりしているが当時は過激な連中であった。彼らはSFを純文学並みに扱い実際にその内容は非常にレベルの高いものにした功績は当初のSFマガジンを支えた若い作家だったのは間違いない。

 

SFとアニメは非常に相性が良く、実写では表現できない内容はアニメとして宇宙戦艦や地球外生物になりぼくの子供時代の心をわくわくさせてくれたものだ。

 

ほんとに思うんだけど、あの時SFと会わなかったらぼくの今の発想はあり得なかっただろう。ぼくが今何かを考える時に普通の人より比較的自由に幅広く考える事が出来るのは小学生の当時に目をつぶって頭の中で思うだけで世界中どこでも行けて宇宙に飛び出していけて他の星の人々と会話出来て更に時代を遡って過去の恐竜時代に行ったり未来戦争の現場に飛び込んでみたり出来たからだ。

 

「日本沈没」だけでなく「日本アパッチ族」や「復活の日」とか、ほんとに壮大なスケールで考えられた作品には目を見張ったものだ。素晴らしい発想と同時にその中に含んでいる文明批評の視点が「ああ、なるほど、世界ってこうなんだ」と教えてくれた。

 

ぼくが小学生の時に本気で思ってた事がある。それは地球を平和にすることだ。その手段は僕自身がまず火星に行き火星で宇宙船を組み立てて火星人と共に地球に攻め込む事だ。そうすることで地球では国ごとに戦争なんてなくなり国家が皆で一致団結して協力して地球軍を作り火星人と戦う中でお互いに共同体の一員として認識して、火星人を排撃した後も世界の平和が続くという筋書きだ。もちろんその結果として僕は死ぬだろうけど、僕一人の命なら世界平和と交換してもおつりがくるって真剣に思ってた。

 

小学生の頃に思ってたことは今もそれほど変わらない。もうちょっと現実的に同じ価値観を持てる人々にニュージーランドに集まってもらい平和な社会を作る事と小粒化したが基本は平和の追及である。お前のような戦好きが平和かよなんて笑う人もいるだろうが、ぼくは平和のための戦争はありだと思っているので気にしない。

 

それにしても小松左京氏が逝きましたか。一つの時代の締めくくりですね。



tom_eastwind at 16:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月27日

移民の扉が閉まる時

ニュージーランドで新しい移民法が発表されて、主に投資家部門でのビザ申請が緩和された。日本人が永住権取得可能性が高い国としてニュージーランドを目指す人が多いわけだが、欧州で起こったような過激な自民族主義が台頭してくると移住受け入れに対して厳しいルールが適用されるようになる。

 

元々ニュージーランドは誰の国でもなかった。先住民族であるマオリは土地所有の概念を持たない原始共産主義でありそこに個人所有と言う概念を持ち込んだ英国人によって土地は一旦マオリのものとされて更にそれを1840年に英国植民地として売買を可能にしてそれ以降は白人が要領よく土地をマオリから奪っていきそれが結果的に1860年代のマオリ土地戦争を発生させた。

 

当時のニュージーランドは1860年代に南島のダニーデンからクイーンズタウンにかけてゴールドラッシュが始まり多くの人々が世界中から集まってきてその中には清朝時代の中国人も多くいた。彼ら中国人はゴールドラッシュが終わった後もダニーデンで商売を始めて住み着き、1890年代からは当時の流れで中国人排斥が強まり新規に中国人が入ってくることはなくなった。ダニーデンに古い中国人が多いのは当時のゴールドラッシュが理由である。

 

移住は欧州移民を中心にしてキリスト教価値観を共有出来る人々の社会が構築され、戦後の労働者不足の際はパシフィックアイランダーが働き手として近くの島から移民としてやってきた(これが結局今の働かない連中の起源であるが)。

 

中国人を含むアジア人に移住の門戸が再開されるようになったのは1980年代後半の至上主義導入からでありそれもまずは留学生の受け入れやワーホリの受け入れからである。1990年代には多くの香港人(香港の中国返還を嫌った人々)を含むアジア人がやってきたが当時はまだ経済が現在ほど発達しておらず奥さんと子供だけをオークランドに残して旦那はまた香港に戻って働く「大空人」が多く表れた。

 

結果的にアジア人の増加でニュージーランドの景気は急激に発達してこれが現在のペンシルマンション開発に繋がったが普通の人々からすればあまり土地開発の恩恵は受けられずに街中を大手を振って歩く中国人に対して批判が集中した。

 

移民政策は国家にとって大事な問題である。他国の人々をあまり増やすと自分たちの価値観に影響が出るのではないか、古き良きキーウィスピリッツがなくなるのではないかと考える人々と、常に世界の変化を受け入れながら積極的に世界と関与していこうとする人々の間で移民政策の細かい部分の「調節弁」が開いたり閉じたりする。

 

今はニュージーランドの受け入れ窓口は英国圏5カ国の中では最も緩いものとなっているがこれもいつまでも同じ政策が続くわけではない。ノルウェーのような事件が起これば政策に変更も出てくるだろう。

 

それはぼくら日本人にとってはもしかして受け入れが出来なくなるって事になるかもしれない。だからぼくはいつも「永住権は、取れる時に取っておきましょう、数年後に滞在日数が不足して永住権が消失するにしても、数年後に今と同じルールがあるとは限りませんから」と話す。

 

移住と言うドアが閉まれば日本から出ることは出来なくなる、つまり日本政府の言うがままに従うしかないのだ。これから先日本の向かう方向がどうなるにせよ、それは消費全増税と資産家向けに資産税導入及び相続税増税が前提となる。つまりどれだけ日本で稼いでも結局は政府に全部吸い取られてしまい政府のしりぬぐいに使われてしまうのだが相手が法律を決める権利を持っている限り抵抗しようもないのだ。

 

ぼくが1980年代に永住権を取得してからも様々な変化はあったが今考えてみると結果的に良い国の良い街で生活基盤を作り、人種差別に困る事もなく、てか日本とニュージーランドと香港の国籍を持っていつでもどこでも動ける選択肢を持つ事で日本政府相手にも言いたい事が言えるようになった。

 

政治が嫌ならその国から出てけばよい、ただそれだけであるし仕事は世界中どこにいても出来る。ぼくの世代ではそんな自由を自分で確保出来たし子供は更に進んで三か国の国籍を持ち四か国語を話すようになった。それも最初に永住権取得をしたからだ。

 

子供に何を残せるかは常に考えておく必要があるが西郷隆盛は「子孫のために美田を残さず」と言った。事実である。結局金は誰かに盗まれる。しかし市民権や語学力や知識は盗まれる事はない。出来る時に出来る事をする、後回しにしない、ただそれだけだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 16:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月26日

キリスト教原理主義

日本でも移民問題が取り上げられているがこんなドイツの記事があった。

FKKのフィッシャー会長は、(公共の場で裸になる人が減少した事について)一番の問題は人口の減少にあると指摘。いわゆる「ドイツ人」の数は過去30年間で320万人以上減少しており、ドイツは移民を受け入れることによって約8200万人の人口を維持しているという」

「会長は、ドイツに住む移民はドイツ人ほどには公共の場で裸になるという習慣に関心を持たないと説明する。「人口を維持するためにドイツは移民への依存を強めているが、移民の多くは宗教的信条を持つ国の出身者で、FKKの活動に関心を示さない」と語った」

 

移民問題は人口政策の根本にあるしもっと言えばすべての国家が抱える問題だ。ドイツでは公共の場で裸になるという土着的な習慣が移民の増加によって変化してきた。裸程度ならお笑いでも済むがノルウェーの銃撃事件ではイスラム移民反対を主張する男によって100人近くの人々が撃ち殺された。

 

移民問題は大きく分ければ歴史的な国境のくくり方、肌の色による人種、宗教による人種、同じルーツを持つ民族による人種をどう仕分けて共同生活させるかである。

 

欧州では歴史的に戦争が繰り返されて現在の国境線が作られた。お互いに同じ価値観を持つ人々によって国家が運営されているので内戦が起こる可能性は少ない。ところが東欧、とくにバルカン半島では数百年にわたって民族同士の抗争が続いた。宗教の違う人々が同じ地域に住むことで違う価値観がぶつかり合いそれが人間の弱さから生まれる差別意識を増長させて最近では1992年のボスニア対セルビアの戦争に繋がった。数十万人の人々が殺されて今でも多くの人々は戦争のいまわしい記憶を消し去れていない。

 

移民問題の根本にあるのは価値観の違いである。同じ価値観を持っていれば肌の色が違っていても一緒に生活出来る。逆に言えば価値観が違ってしまえば同じ肌の色でも一緒に生活することは苦難を伴う。結婚と同じだ、価値観の違う夫婦がお互いに自己主張していれば幸せになれるはずがない、または相手の価値観が理解出来なければ一緒に生活なんて出来ない。

 

その土地に最初に住んでいる先住民族からすれば自分たちの街に住むなら自分たちの習慣を守れとなるが移民はそんなのお構いなしに自分たちの習慣を押し通す。その結果として争いが始まるわけだ。

 

その国が景気が良ければ移民問題はあまり多く取り上げられない。食べるものがあるのだ、争うことなどないってなる。けれど景気が悪くなったり一部の人々の貧困が固定化すると必ず移民問題が取り上げられて移民排斥につながる。ところが今回の事件は貧困や景気以前の問題でキリスト教が作ってきた社会にイスラム教を持ち込むなと言うもっと過激な主張である。


周囲では白人たちが新聞を見ながら困ったような顔をしていた、「なぜこんなことになるんだろう、おれたちキリスト教だけどこんな過激派じゃないぜ」。けどそれと同じことを言ってる平和なイスラム教国家に爆弾を落としたのもキリスト教国家であるのは間違いない。
 

ノルウェーの銃撃事件ではイスラムと言う宗教をキリスト教国家に持ちこむなと言うメッセージである。ノルウェーには大きな意味での貧困はないから今回の事件は単発で終わるだろうが、キリスト教原理主義者はイスラム原理主義者と同じく暴力で物事を解決する集団だとレッテルを貼られるだろう。じゃあお前らと俺ら、何が違うんだ?



tom_eastwind at 16:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月25日

銀のスプーン

欧州からの家族旅行、スキーツアー80年代は日本人が半分以上だったクイーンズタウンでも今はアジア人の姿を見かけることは殆どなくクライストチャーチの地震も影響したのだろうがツアー客は次々とキャンセルになっている。「次のツアー?11月からね」と諦めたようなレストランオーナーの発言だ。

 

ところがその穴を埋めるように西洋人が急激に増えており彼らが主役となり彼らが喜ぶようなレストランやサービスが提供されている。てゆうーか、彼ら欧州のお金持ちの納得できるサービスがクウイーンズタウンで提供できるようになったことを知ってやってきたという感じだ。

 

クイーンズタウンのルチアーノ(Luciano)イタリアンレストランに来た老フランス人家族は最初片言の英語で不自由そうにメニューを聞いていたがウェイターがフランス語を喋ると知った瞬間に「おい店長、こいつはおれのテーブル担当だ!おれたちゃ英語が不自由なんだからいいだろ!」当然のようににこにこと笑いながら申し付けている。注文は赤ワイン、はは、個性の強い人々ですな。

 

街中にはカラフルなジャケットを着た家族連れが楽しそうに買い物や食事を楽しんでいる。欧州の長い夏休みを利用して一週間単位で滞在している彼らからすれば、山の天気が少し曇っていれば「あら、じゃあ今日は街でお買い物とゆっくりランチね」と言う感じだ。日本人のように夜行バスでやってきて吹雪の中でも朝から滑って昼間はさっさとラーメン食って夕方になるとまた夜行バスで帰るようなスキーツアーとは根本的に休みの感覚が違っている。

 

欧州から来る場合、家族4人で2週間程度の旅行なら往復の飛行機代とホテル代にリフトパスや食事を入れれば400万円程度の支出である。おお、なんてお金持ち!となるが、彼らの生活水準からすれば「今年の夏はどこに行こうかしら?あら、クイーンズタウン、よさそうね、ねえお父さん、うちのジェット機ってニュージーランドまでノンストップで飛べたかしら?たしかお友達がクイーンズタウンに別荘を持ってたはずよ〜」程度である。

 

クイーンズタウン空港で自家用ジェット機から降り立った奥さまは上等なミンクのコートを羽織りご主人様は仕立てコート、子供たちも随分と品のよさそうな教育を受けた顔つき。

 

このような奥さまはおそらくだが代々の欧州の貴族とか大資産家の血を引く人たちだろうし物腰から全然違うのでいかにも世界の支配層ですわよって匂いをぷんぷんさせてる。それも自分から見せびらかすのではなく自然とあふれ出てるのだから大したもんだ。しょせん日本の金持ちとか上流階級とか言っても全然ケタが違うよねって肌で感じる。

 

そんな家庭に生まれ育った子供はまさに銀のスプーンをくわえて生まれた子供であり、日本のお金持ちやなんちゃら財閥の御曹司がどうのこうのと言っても格が違う。

 

日本では子供を海外留学させたりインターナショナルスクールに通わせたりして何とか子供を世界で通用出来るようにしたいと考えている家庭がある。しかし現実問題として欧州の銀のスプーンをくわえて生まれてきた子供たちと対等に渡り合えることなどありえない。なにせ相手は何十代も続く貴族の家庭だったりするわけで生まれ落ちた時から貴族教育を受けている。日本の病院で普通に生まれてご飯とみそ汁を食べて3歳までに日本人的な性格を身に付けてしまった子供がどうやっても生まれつきの貴族には敵わない。

 

残る道は同じ学校に通って友達になり彼らの社会に何とか入り込もうとすることだが現実的には難しい。肌も宗教も価値観も違うのだからその壁を乗り越えて「人類みな兄弟!」って笹川さんみたいになれる子供は少ない。

 

じゃあどうすりゃいいのよ?って話であるが、自分が二人の子供を持つ親として海外生活を何十年も続けて一番感じるのは、勝ちようのない相手の土俵で相手の価値観で行動するよりは、こちらの土俵と価値観をしっかり持ってお互いに相手を認め合う事だろうと思う。エリート教育を無理に詰め込むよりも人間力を身に付けた方がずっと良いと思う。

 

人間力を身に付けるとは簡単に言えば自己思考が出来て自己主張が出来て相手の価値観を理解出来て共有せずとも認め合う心の余裕を持たせることだ。古い日本語で「和すれど同ぜず」である。少なくとも暗記教育や詰め込み受験教育からは絶対に身に付かない教育内容だ。

 

ただし英語は必須だなって思う。これだけはもちろん通訳を入れて対応も出来るが、やはり自分で直接相手に話しかけて自分の価値観を英語で説明出来る強さ、そして相手のいう事を理解して認めてあげる余裕は英語が出来なければ辛いものがある。

 

山に閉じ込められて数日経つが周囲は銀のスプーン組ばっかりって感じだ。オークランドからも多くのスキー家族がやってきているが彼らも地元ではそこそこお金もあるんだろうが、もともと貴族の存在しないニュージーランドで生活をしているから同じ白人でも随分違うものがある。キーウィだって地元英語で家族で喋りながらも時々隣のテーブルに欧州白人が来ると少し空気が変わるのがわかる。

 

つまり白人の中でさえそれなりに地域差があるわけで、ましてアジア人となればさらに話は違うわけだ。相手に合せて相手の環境の中でどうこうするよりも、最初から「おれ、アジア人だし、アジア人の価値観だし〜けど英語は普通に出来るしあなたたちの考え方もよく理解出来るよ」そういうのが気軽でいいなって思う。



tom_eastwind at 16:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月24日

かきの種

書きたいこと山積みの今週だけど山の中のクイーンズタウンから出ることも出来ず電波もしょっちょう途切れるこの街ではブログひとつUpするのも大変。都会の便利さを感じる一瞬。なにせ標高1500m級の峻嶮な山の根元にある街なので携帯電話さえつながらない場所がある。

原発と東北震災をごっちゃにして国民に増税を仕掛けて自分たちの天下りを確保する官僚の手口が見え見えである法案、2兆円程度なら米軍様への支払いを猶予してもらえばどうなのだ?人災である原発の責任は役人であるのだから一律20%の賃金カット、ボーナスゼロ、退職金ゼロで対応すれば金は作れる。

税金は本来国民が相互扶助システムとして作った供託金であるのに何で政府が自分たちだけ儲かるようにしているのだ、どうしようもない仕組みになっている。

米国ではいよいよ米国債を吹っ飛ばそうとする動きも出ている。しかし現実に起こったらもしかしてリーマンショック以上の大暴風雨が世界中を吹き飛ばしてしまうぞ。表面だけではなく裏でだれが何を画策しているか理解しておかないと自分の生活まで吹っ飛ばされる。

中国の高速鉄道事故は想定の範囲内でありちょっと言葉は悪いがユダヤ人ジョーク的に言えば
鉄道事故を聞いた人々は↓
日本の技術者は中国の安全性について嘆いた
日本の右翼は死亡者数の少なさに嘆いた
日本の左翼は「嘆くな、あれは中国さまの誇る高速鉄道ではない」とほえた。
中国政府は「大丈夫、気にするな、自国の国民は12億人いるのだ」と笑った。

ニュージーランドの一番の記事はぼくが今閉じ込められているクイーンズタウンから南島全体の大雪である。飛行機が全部キャンセルになった、車が道路からスリップして牧場に落ちた、羊が小屋に戻って雪のない牧草の上に座り込んでる、北島でも今日は40年ぶりの寒さです・・・それにしても平和な国である

tom_eastwind at 11:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年07月23日

オバマとジョンキー会談

バラク・オバマとジョン・キー

 

ほー、ニュージーランド現役首相が米国現役大統領と会見しましたか〜。個人的には世界で起こる乱射事件や鉄道がひっくりかえって両方でたくさんの人が死んだ事件よりも重みがある。

 

NZと米国は元々あんまり仲良くない。核問題に対する基本的な考え方の違いだけでなくキーウィからすればアメリカンのくそったれな生意気さと下品さが耐えられない臭さであり、そのような国民感情が爆発したのが1985年に起こった「ロジャーズ号事件」である。核爆弾を搭載した米軍艦船ロジャーズ号が強硬に入港しようとしたのを政府から国民に至るまで徹底的に反対して追い出した。その結果としてニュージーランドと米国の国交は約10年間も断絶していたのだ。

 

今時アメリカさんと縁を切って堂々と自分の主張を出来る国家がどれだけあるだろうか?オーストラリアでさえも米国と協力しているがNZだけは明確に一線を引いて付き合っている。NONOです、今回のジョンキー首相の訪問でも「アメリカから軍艦が来るのは良い、けど核はダメよ」と明確なメッセージを伝えている。

 

今回の訪問でも会談の様子を見る限りジョンキーは世界政策の一つとして米国でオバマに会ったけどそれは特別な意味はないよって感じがある。お互いに白人同士仲良くしようね、けどNONOだよ、って、あれ?オバマ、あんた白人じゃないのかい、てな感じだろう。

 

アメリカとしてはNZの位置づけは「どうでもいいような南太平洋の小島」と考える時もあれば「世界に数少ない英語を話す英国系国家であり仲良くしなきゃ」とも思っている、難しい判断なのだろう。

 

ただ世界中の情報をすべて英国圏で傍受してその情報を最大限に生かしている国の一つがNZであるのも事実だ。これはエシュロンと呼ばれている。だからある意味白人の団結力は強いっていうべきだろう。

 

ただキーウィ全体に通じているのは彼らからすれば本当は日本人のような正直で勤勉な連中と付き合いたい、米国人のようなどうしようもない連中とは今でも個人的には好きじゃないって気持ちだ。

 

もちろんこれはあくまでも気持ちだけであり金が絡めば金持ちの米国客を取るのだが。オバマは個人的にはニュージーランドの発想に近い人物だと思う。もしかして今回の会談でオバマが「おい、2年くらい交代しないか?」って提案があっても不思議ではなかろう(笑)。



tom_eastwind at 20:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月22日

なごり雪

雪のクイーンズタウン

 

クイーンズタウンの街中に降る雪は一年のうち2〜3回くらいだ。スキーシーズンの始まりである6月後半と8月後半、8月の雪がその年のシーズンの長さを決める。そしてシーズン途中にも一回くらい降るのだが、それが今日の雪だ。白い粉のような雪が降り始めたかと思うと、あっと言う間に町全体を雪で包んでしまいクイーンズタウンを静けさの中に閉じ込めてしまう。

 

オークランドに戻る日に大雪にぶつかりクイーンズタウン空港閉鎖、ぼくは日曜のフライトのはずが水曜日に変更になった。多くの人はキーウィスピリッツと言うか、あまり気にしている人はいない。「おお、そうか、じゃあもう一日スキーが出来る言い訳が立つね」くらいの発想で生きているからで、一生懸命ケータイで電話しまくってる人はシドニーのタッグを付けている。ギリギリの日程で遊びに来たんだろうな。

 

それにしてもよく雪が降るな、こんな雪を見ていると1980年代後半のクイーンズタウンを思い出す。ぼくは本当に偶然なのだろうがいつの時代も景気の良い街にいた。1980年代後半までの日本は超好景気でありそこから外国に行ったぼくは知り合いからも「なんだよ、こんな景気の良い日本を離れてさ〜」と言われた。

 

しかしそれから3年後の1991年、バブルが崩壊して世の中が変わった。

 

当時のクイーンズタウンと言えば日本からのスキーヤーが毎日毎日続々と送り込まれて、山で滑っているスキーヤーの半分以上が日本人だった。

 

強い為替を背景に海外に進出する企業、強い円でお得な海外旅行をする人々、クイーンズタウンもその波に乗って多くの日本人スキーヤーが来て、アジア人と言えば日本人しかいなかった。

 

その後ぼくは1991年に香港に移住した。ちょどその頃だ、日本からのスキーヤーが激減して市場が欧米に変化した。ぼくの移住した香港ではちょうど返還前の好景気で盛り上がっており不動産や商業ビルの売買から日系企業の中国進出まで様々なビジネスが次々と現れてきては、手の遅い判断力のない日系証券会社が次々と騙されて負け組になったのは有名な話である。

 

それでも日系証券会社は本社の指示を受けて動いたのだから赤字になっても責任を取ることはなくオフィスだけ畳んで「やっぱり外国は大変だわ」と言いながら日本に帰ったものだ。その後1997年に香港が中国に返還されて急激に経済が悪化した。その頃ぼくはオークランドでゼロから仕事を立ち上げていた。

 

今のクイーンズタウンには日本人の跡形さえなく欧米顧客を中心として景気が良い。夕食はワイン込で一人平均で150ドルだ。日本人はどんどん内にこもりスキーもしなくなりお酒も飲まなくなりその先はどのような人生が待っているのだろうか?

 

世界の中ではまだまだ日本人に対する信頼は厚い。今ならどうにかなるんだけどね。

 

降り続ける雪ってのは人の思い出を過去に引っ張っていくのだろうか、1980年代を思い出してしまった。



tom_eastwind at 20:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月21日

ダブル否定

英語で仕事をしているわけだからある程度の英語は出来る。けれどそれはしょせんが「背に腹は代えられない状態」で「なんとかやっとか」覚えた英語であり、文法はでたらめだし発音は悪い。

 

唯一相手の質問に対して「文章」で返すことが出来るので一つ一つの単語の発音が悪くても文章全体を聞き取ってもらい何とか相手に意味が分かってもらえるくらいで、一つ一つの単語を切り出して発音すると知り合いでも「今何て言ったの?」ってまじで聞かれる。

 

けれど国が変わっても頭の構造は変わらないのでたとえ相手が英語で話しかけたとしても内容が気に入らないときは速攻で無視したり怒鳴り返したりする。気が短いわけではないと思うが、どうも理不尽な話には洋の東西に関わらず腹が立つ。

 

会社口座で銀行取引をする時は当然代表としてぼくがサインするわけだが、実際に現場の入出金すべてに小切手を作ったりサインしているわけではない。そんな事やってたら本業のDirector、つまり取締役と言う仕事をやってる時間なんて取れるわけがない。

 

だいいち一か月のうち半分は出張しているのだ。なので当社では各部門ごとで口座管理と入出金管理をしているから具体的な金額などについてはすべて担当者が把握している。

 

ところが脳みそすかすかの銀行の連中は、最近の銀行ルールの改正であろうがとにかく確認電話が多い。「この小切手、あなたが発行しましたか?金額は覚えてますか?」とか「この口座にこれだけの入金がありましたが分かってますか?」みたいな事を聞いてくる。要するに保身行為である。自分の客は客ではなく上司なのだ。

 

聞くだけならよいのだがそれをいちいち全部ぼくに電話確認をしてくる。おいおい、そんな毎日の細かい出金の内容なんて把握しているわけはないだろ、聞かれたって分かるわけはない。いつも思うのだが彼ら銀行の連中はいちいち電話で「Directorを出せ、Directorじゃなきゃ話にならん」とエラそうに言うが聞いてくる内容はしょうもない入金確認とかである。

 

ところがうちのスタッフが人が良いのかガイジン恐怖症なのか、とにかくすぐに電話を回してくる。よほど重要な電話なのかと思って取ると「この口座のこのお金がさ〜」だって、「そんなん知るかよ!」である。

 

銀行からすれば上司から「毎回きちんと確認するんだぞ」と言われてやってるのだろうしその上司は財務省から言われてるんだろうから抵抗も出来ないのだろうが、じゃあ聞きたい、Director出せって言っても電話の向こうのぼくがぼくであることをどのように身元確認出来るのか?「あなたですか?」「はいそうです」と言ってしまえばおしまいではないか、そんな程度の低い認証のくせに電話ではまるで神様が下々の人々に語りかけるように大事そうに言うんだからバカにはつきあいきれん。

 

先日もしょうもない事で電話がありそれを誰がどう勘違いしたかぼくまで取りついできて内容を聞いたらお客のクレジットカード口座からの引き落としについての確認。おいおい、うちはカード引き落としなんて月に何百件やってると思うんだ、各部門に分かれているのにいちいちそんな細かい事をDirectorが把握なんてしているわけないだろうがよ。

 

それもまた電話で早口でぐちゃぐちゃとしゃべるもんだからこっちもだんだんいらいらとしてきた。そして最後には「お前さ、間違った場所に電話しているよ、お前の相手はおれじゃないんだよ、下らんことでもいちいちダイレクターに確認するってがじゃあお前らの取引先のボーダフォンのプリペイ電話の使用料金の引き落としの金額の確認まで、お前らはボーダフォンの社長に直接電話して確認取るのかよ?常識で考えろ、どんな会社でもな、ダイレクターは何も知らないんだよ、そんなことは!」と怒鳴りつけて電話を叩き切った。

 

ちなみにこのような確認は本人がいない場合はそのまま実行されるので現場作業には何の問題も起こらない。

 

頭に来る点は二つあるが、一つは日本人の英語礼賛姿勢、相手が英語で話しかけてきたらそれだけで「はいはい、なんでございますか?どうすればよろしいでしょうか?」と弱腰、同じことを日本語で聞いて来たらどう返す?普通は門前払いでしょ、このような、英語に弱いひいては白人に弱い態度ってのはむちゃくちゃ腹が立つ。

 

もう一つは電話してくる相手が自分の頭の悪さを理解せずにこちらの時間を無駄に潰させようとする姿勢だ。とにかく押しが強いのだけど中身は空っぽであり聞いているだけで何も生み出さないからむかむかとしてくる。

 

その結果として電話をかけてきた相手に怒鳴りつけて電話を叩き切るという事になるのだが、これだけでもお互いに不愉快な時間であり人生が有限であるからこんな不愉快な思いを生み出している事自体に怒りを感じてしまう。

 

これからニュージーランドで生活を始める人々も現地のバカげたシステムと無意味な内容の電話に不愉快な思いをすることが出てくると思う。けど正直、真面目に答える必要はない。英語で意味不明の事をしゃべるから最初は相手が何を言ってるか分からず我慢強く聞いてると最後はどうでも良い話や営業電話だったりする。

 

なのであまり意味の分からない電話が長引くようだったら「I don’t speak English!」と英語で言ってみればよい。相手も???だろうが。中国人でほんとに英語の出来ないおばあちゃんなどは英語の電話がかかってきたら「NO!」と一言で電話を切ってしまう。簡単なものだ。

 

だから英語の電話がかかってきたからと言っていちいち神様の御宣託を聞くようにあがめ奉る必要はない。しょうもない物売りの電話だったりもするのだからちょっと聞いて意味が分からなければ「手紙でください」とか「二度と電話しないでください」とか強気で言い返してよい。でないと大事な時間の無駄使いになる。

 

ぼくは本当に大した英語は話せないがそれでも喧嘩の方法だけは理解している。相手がだれであろうとそれがルール違反であれば怒るべきだ。それが文化の違いなら怒ってはいけないが。

 

ちなみにその英語で最後に一つ。今回の銀行の電話でだんだん頭に来た僕は「ふざけんな、ダイレクターなんてそんな毎日の事を知ってるわけがないだろ!ダイレクターは何も知らないんだよ!分かったか!」と言うと相手はためらいがちに「あ、はい、えっと、はい・・・」

 

そりゃそうだ、ぼくが彼女に言った英語は

“Director never knows nothing! Am I clear !

だったからだ。



tom_eastwind at 17:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月20日

Fragile の価値観

オークランド空港で荷物を預ける時にどん兵衛を入れたキャリーバッグに「壊れ物」のシールを付けてくれと言ったら受付の彼女、ぼくの顔とバッグを交互に見ながら「壊れ物??」と聞いてきた。

 いちいち聞くな、何が壊れ物かは顧客の判断でしょうがと思ったが「大事なものが入ってるんだよ」と言ってシールを付けてもらった。中身がどん兵衛でありクイーンズタウンでは緑のたぬきと赤いきつねしか置いてないなんてのは彼女には関係のないことだろうが繊細な(笑)アジア人にとってカップめんの種類も大事なのだ。 てか、君が口を出すことではないよね。

なにせ出張の多い体としては体調管理が常に重要であるからどこの国に行ってもどん兵衛やカップヌードルの存在は大きい。例えお休みで旅行に行くとしても渡航先にどん兵衛がなければカバンに入れていく。 旅のお供にどん兵衛なんて日本じゃ考えられない価値観だろう、だって日本に住んでいる限り欲しいものはいつでも手に入る、ほとんどユビキタス状態である。しかし海外ではそうはいかないのが実態。

日本は世界で最も生活しやすい国なのは間違いない事実なのである。 彼女からすれば何の変哲もないカバンでありどこか壊れ物?と思うかもしれないがこれはもう価値観の違いとしか言いようがない。カバンの中身を説明出来ないがおそらくマオリ系の彼女にも大事なものはあると思う(どん兵衛ではないと思うが)、ぼくらから見たら理解出来なくても。

 まあこういう問題は結局ニュージーランドが田舎であり日本のようにモノが揃わないから起こる事だが、出来れば次回はあまりじろじろ見ないで欲しい(笑)と思う。世界は広いのだ、どん兵衛くらいは容赦してもらいたいものだ。

tom_eastwind at 20:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年07月19日

怒りの葡萄

怒りの葡萄

 

東京から戻った翌日にクイーンズタウンに移動する。気温差35度くらいか。オークランドからクイーンズタウンは飛行機で1時間45分だが、薄着で歩ける気温14度のオークランドから冬の防寒具が必要な気温マイナス2度のクイーンズタウンはいろんな意味で対照的だ。

 

クイーンズタウンは人口がたったの1万5千人であるが不動産も諸物価もオークランドより2割程度高く地元の人々は南島で最も発達した観光都市として自信と誇りを持っている。この街はぼくが24年前にニュージーランド生活の第一歩を踏み出した街であり引退したらここに住みたいと思っているくらい好きだ。

 

人口の少なさが良い意味で地元一部の人々の独裁政治を生み彼ら一部の人々が自分の持つ土地の最大活用をする為に世界中から観光客を呼び込めるシステムを作った。スキー場、湖とヨット、ゴルフ場、リゾートホテル、高級レストラン、様々な観光要素がここに集中することで夏も冬も楽しめる。つまり町おこしの基本のようなものだ。

 

とくに世界からの裕福な観光客はこの「女王の街」に自家用ジェット機で飛んできて丘の上に豪華な別荘を建てて世界中から友達を呼びスキーやゴルフを楽しみ、それぞれの国に戻る。彼らの年間ほんの数週間の滞在の為に使われるお金は想像に任せるが、一つの逸話がある。

 

ある時大型の自家用ジェット機で到着した富豪が、自分の飛行機を入れる格納庫が小さすぎて外に駐機するしかないと言われた時、「仕方ないな、では私がクイーンズタウンを出発するまでに格納庫を拡張しておいてくれ、あ、請求書はうちに回してくれ」どこまで本当の話か分からないがどこまでも本当の話としか思えない出来事である。

 

この街では1万5千人の人口のうち固定しているのは1万人程度、残りの5千人は世界中からバックパックを担いでやってきた若者や長期滞在者である。つまりこのちっちゃな街では若者5千人分の仕事が常に存在しており、とくにホスピタリティ産業(旅行、ホテル、レストラン、観光産業)経験者の需要が高い。これだけ様々な人種が世界中から集まり働き観光客も世界中から来ていると人種差別なんてしようがないのでクライストチャーチとの大きな違いの一つである。

 

オークランドは人口140万人の街で政策論争がしょっちゅうあるという意味で民主化されており必要とされている人々が様々な業種でありネクタイをする人々が多いし勿論人種差別が存在するって意味では存在する。

 

けれど観光ではなくNZ全体の様々な産業の基礎となっている街なのでそれこそ様々なビジネスがありどれも競争は厳しい。人種差別はすくないがそれ以上に金種差別はあるし英語差別もある。

 

しかしどちらの街にも共通しているのは常に一般労働者や優秀な労働者が不足している点である。ニュージーランド全体の失業率は現在6%程度であるが、この失業率は非常に偏っている点でも特徴的だ。

 

おとといのテレビでロトルア近くの人口7千人の街が「失業率30%の町」として取り上げられた。地元に仕事がないので失業手当など様々な生活保護を受けるわけであるが、仕事は本当にないのか?取材が入ると結局そこには「働きたくない、金は欲しい、外には出ていきたくない」と言う怠け者の正体が見えてくる。

 

ニュージーランドの職安(WINZ)は手当支給だけでなく仕事に就けるように様々な職業訓練を行っている。ところがそういうのにも手当をもらう為に参加するだけで本気で自分の生活を変えてみようという気持ちがない。

 

オークランドでもクイーンズタウンでも仕事はある。同じ国内だ。外に出て仕事をすればよいのに、出ようとせずに政府の補助金に頼っている。外に追い出す権利は国にはないが本人は移動の自由がある。生き残るために積極的に活動するのが当然ではないか。

 

ぼくらが払う税金は、困った人が必要とする時に提供するためのおカネだ。クイーンズタウンに来てここで働き手が不足しているレストランを見ながらそう思う。ロトルアの近くの田舎街の若者は何故ここに来ないのだろうか?

 

たぶんその一番の理由は、何もせずにお金がもらえる生活を耽溺(たんでき)しているからだろうな。

 

そしてこれが問題になるのは、オークランドやクイーンズタウンで一生懸命働いて勉強して最新技術を身に付けようとする人々が、それだけ苦労して何とか金を稼いだら税金を払う、その税金がだらしない連中に回るって事への怒りであろう。「だったら働けよ、仕事はあるんだらかさ」そう思うだろう。

 

そう考えると日本でも、やる気のある人間は「住みやすい」とか「友達が多い」という理由で田舎にしがみつくことはない。やる気のない人間は言い訳ばかり並べて国から金を貰って理屈を並べて何もしない。

 

いろんな考え方があるだろう。ただぼくの考え方は自己責任が基本だ。政府に助けてもらおうなんて絶対に考えないが税金はきちんと払うしそれが子供の教育に回るのはOKだ、寄付が必要なら払う。

 

ただ、ぼくの払うお金がだらしない連中の生存の為に使われるのであれば堂々と言いたいな、死になさいと。

 

1930年代の米国の大不況では多くの農園労働者が仕事を無くして西部へ移動した。移動した先の農場でも仕事を探すのは大変で、そのような時代に作られた映画がヘンリーフォンダの「怒りの葡萄」である。

 

米国人は1930年代の不況を自分の力で何とか切り抜けようとした。今の日本人はお上のカネで生きていこうとしているのだろうか、それとも自力で生き抜こうとしているのだろうか?



tom_eastwind at 22:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月18日

Gateway to the world ??

世界のゲートウェイ?け、笑わせるんじゃないよ。

 

今回はフライトの都合で成田空港から出国する。それにしても都内から遠いし。空港に近づくと政府失業者対策小屋、別名空港検問所がある。

 

てかこの失業対策小屋、あんたら政府が1970年代に何も知らない地元農家の土地を無理やり奪い取って空港作って、つまり政府による強盗みたいな事をしたから地元過激派の反撃を恐れて検問所を作ったのが始まりだろ。ところが今の時代、誰がターミナルで野菜売ってるような田舎空港に爆弾仕掛けますか?こんなとこで爆弾持ち込んでも田舎のにゅーすにしかならない。

 

今の時代、どうせやるなら中東か欧州か、いずれにしても本気でやるならこんな穴ぬけの検問など一発で通過して飛行機に爆弾放り込んでるよ。だから検査する方も適当なやらせだしまさに千葉県失業対策室が喜ぶだけの地域利権話だ。

 

今では失業者対策としてしか効果のない検問で30度を超す炎天下で働いている人々を見ると「どうせ失業者対策ならもっと生産性の高い仕事を与えればいいのにな」と思う。無駄な金を税金で賄っているのだから下らん話である。

 

おまけに空港入り口には”Gateway to the World !” だと?おいおい世界への関門ですか?シンガポール、香港、シドニー、ロンドン、ニューヨーク、どこでも良い、まともな国際空港到着口でホウレンソウやニンジン売ってるような国際空港がどこにあるんかいな? ”Gateway to End of the World”にでもしておけって感じだ。

 

ほんとにまあ日本のでたらめなシステムもここに極まれりって成田空港だ。都内からこんなに遠い空港を作ったのも自民党議員とおらが村の金稼ぎしか考えていない連中でありその為に自分の土地を奪われたのもおらが村の農民であり土地を取り返すために戦って怪我をしたのも日本国民。

 

そんないわくつきの空港で地元の反対で滑走路の拡張も出来ずに使い勝手が悪くアジアの空港に次々と遅れを取ってしまい、今ではインチョン、香港、シンガポール、上海等がはるかに利用効率の高い空港でアジアのハブとなり世界ではすでに成田はアジアのローカル空港に成り下がっている。

 

地元利権発想で作られた空港で地元対策で地元民と中途半端な妥協で滑走路も広げられず規制だらけで世界一高い発着料を取り意味のない仕事ばかりしている失業者対策空港。

 

それでも国の後押しがあるからってふんぞり返っていたら羽田が国際化するってなって急に「成田は大事な国際空港です!羽田を使うんなら千葉の空を飛ばせませんよ」って、ぼけもいい加減にしろって事だ。

 

そんな、世界を見ることも出来ないし目先の穴に頭だけ突っ込んだタコツボ空港でありながらフライトの関係で使うしかないってのはすんごい頭に来るけど、そうは言っても背に腹は代えられないので空港に入る。

 

けれど空港に入ったら入ったで今度は暑い!ここ何度の設定だ?まさか28度か?バスを降りてチェックインゲートに移動するだけで汗をかいてしまう。電力節約は分かるがそれを外国人乗客にまで適用するのか??

 

汗が出ると同時にむかむかって怒りもこみあげてくる。成田しか知らない世代や地域の人々には「へ〜、空港ってこんなもんでしょ。都内から2時間かかってゲートで野菜売ってて検問で失業者対策してて=」としか思わないだろう。皆さん、30分の時間を作ってネットで成田闘争を検索してみてください、いかに当時の政府が強制収容なんて究極の国策を一部の代議士とおらが村の連中の金儲けの為にやったかがよく分かります。

 

けれど世界の他の国際空港、とくにアジアの空港の成長を見てみれば成田がどれほど時代遅れかよく分かる。東京には羽田と言う使い勝手の良い空港があるのにいまだもって役人や地元議員やおらが村の利権で凝り固まった、自分の事しか考えずに日本全体がどうあるべきかなんて全く興味のない連中が成田に固執した結果として現在のアジアの中で落ちぶれた空港がある。

 

シンガポール航空の出発する46番ゲートまで移動するだけで汗だくになりながらそんな事を考えるとますます腹が立ってくる。全く日本の航空行政もどうしようもねえな。国家を支えていく度胸もないし腹も座ってないし責任逃れと上司にぺこぺこするだけの連中がこれからも日本を支配していくのか、あと何十年もいるのかって考えると、うんざりする。



tom_eastwind at 23:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月17日

世界は、広い

個人面談も終了して明日の飛行機でオークランドに戻る。オークランドに到着した翌日からりょうまくんを連れて4日間のスキー休暇、これで少し頭を冷やせればなって思う。それにしても東京、暑かったな。

 

ニュージーランドの良いところはたくさんあるが、やっぱりストレスなしでのんびりと生活が出来る事だろう。実際に当社のお客様で移住された方の話を聞くとうれしい。お子様の生活が激変して元気になった事。日本のストレスがなくなった事。家族で毎日ごはんが食べられるようになった事。

 

けど、そんな生活をどうやって構築するの?

 

やり方はある。あとは実行するだけの気持ちを持って実行するかどうかだ。子供の事を本気で心配しているのかな?結局びびって逃げてるだけじゃないかな?自分の生活ってこれしかないって思い込んでないかな?

 

自分の主観的個人的体験がすべてでありそれが一般的な事である何て勘違いしてないかな?世界は本当に広い。本当に、広いんだ。



tom_eastwind at 23:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年07月16日

東京

説明会無事終了

 

それにしても東京は暑いな、シンガポールでさえ30度切るくらいで冷房が効いているのに東京は30度を軽く越しているしおまけに電気節約でホテルでさえ28度に設定されている。電気節約は分かるけど、ほんとに日本人ってのは何かやるとすぐ行き過ぎになるし現実的に「暑いじゃん」と言う感覚は無視される。

 

そんな暑い東京で説明会を開催したのだが、今回も若いご夫婦が目立つ。30代半ばでお子さんがちっちゃい、今ならまだニュージーランドに移住して新しい生活を構築出来る人々だ。

 

移住と言っても実態は二か国生活である。戦前の移民ではないのだし、行けば行ったきりで一生会えないなんてこともない。飛行機に乗って寝てれば翌朝はオークランドに到着するわけで現実的には東京から帯広あたりに引越しをしたくらいだ。

 

永住権を取得したと言っても日本のパスポートはそのまま使えるし要するに二つの国で住む権利がありそれぞれの国で社会保障が受けられるから、その時の家族構成や社会状況に合わせて住む場所を決めれば良い。

 

中国人からすれば彼らは世界を自分の庭くらいに考えているから家族が世界中に散らばって生活をするなんていうのもごく普通の感覚だ。その時に生活しやすい場所に住む。

 

要するに選択肢を増やすという事だ。どういう道を歩くかはその人の決断だがどういう道があるかってのは選択肢の問題。日本にいて日本語しか出来ない人の選択肢はどうしても狭い。子供の教育を考えるにしても日本国内では限界がある。子供の為に何が出来るか?考えてみるのも良いと思う。



tom_eastwind at 23:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月15日

日本到着

タバコ

 

成田空港に到着すると真っ先に感じるのが「タバコ」だ。

 

日本人の喫煙率が下がっていると言っても、それでもあっちこっちで口先にぶらぶらと煙草を咥えているあんぽんたん連中を見かける。少なくともあなた方は原発問題を語ることはないよね、原発推進派または自己崩壊型だよねとか思いながら東京に向かう。

 

それにしてもあれって、吸ってる本人は「おれって、格好いい!」と思ってるのか「これさ、心が落ち着くんだよね」と思ってるんだかどっちでもいいけど要するに他人に迷惑をかけて生きているばかである。

 

ぼくのタバコ嫌いネタは今日に始まったことではなくいつもぼろくそに書くのだが、原発の放射能で寿命がちじむよりも煙草の方がもっとやっばいのは事実である。そしてたばこを吸う連中は病になると健康保険を使って治療を受ける。一応聞いておきたい、煙草を吸いながら原発反対なんていう人なんていいないよね?って。

 

でもって、おいおい、何で煙草を吸わない人がお前のタバコの為に健康保険を毎月払ってるんだよ????と言う疑問は日本国民から出てきても当然だと思う。

 

肺がんの死亡とか見てると本気で思う、「お前らさ、別の保険に加入してよ、おれたちの互助会である健康保険を使わないでよ」と言いたくなる。

 

そんな日本で今日から仕事開始。たぶんお客様の中には喫煙者もいるのだろうが、ニューj-ランドに移住するんだったらタバコは止めましょうねと言いたい。



tom_eastwind at 01:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月14日

シンガポール二日目


弁護士との会議を終わらせて会計士を入れた契約を済ませシンガポールでの主だった仕事は終了。真夜中の飛行機で成田に飛ぶので夕食をどうしようって話になり、最初はホテル近くのお寿司屋さんと思ったのだが、地元でアテンドして頂いた方に「いやいや、いい店ありまっせ=」と言われて、正直半信半疑でタクシーに乗り込む。

 

このタクシーもやっぱりシングイッシュであり頭痛以外の何物でもない短い移動をして到着したお店が地元の「お寿司やさん」。最初は「どうなん?」と思ってたが、並んでる寿司ネタを見てまずびっくり、そして突出しや前菜で出される料理の手の入れ方にびっくり、すんごいよね、うっまー。

 

お伺いするとネタは当然築地から空輸なのだが、それにしても夕方6時過ぎの時点で満席であり7時過ぎのお客はお断りするくらい繁盛している。そして客層が良い。カジュアルでゆったりとした雰囲気の中華系のお客は時計の自慢話をしているし日系企業は景気のよさそうな話をしている。

 

ほうほう、こりゃ大したもんだ、同じ地球と言いながら大不況の日本とは全然違いますなって感じ。片やコンビニで500円の弁当を高い!と言う日本人、方や値段も聞かずに大トロを注文する中国人。まったくな〜。

 

ぼくらは大体の値段を最初に聞いてたので着地点も見えた上で美味しいものを食わせてもらい、伝票を見た時には「おー、一人お酒込でこの値段なら安い罠」と思わせる価格。4人で腹いっぱい飲んで食って一人14千円なら、ありですよね。銀座なら3万円だわ。

 

シンガポールは日本以上に教育熱心で、うわー、おれはこの国では絶対に子育て出来ないなって思うけど、こうやって仕事でやってきてみれば生活自体は日本よりにぎやかだし楽しいし、この国の移住もありだよね、って思った。

 

結局大事なのはどこの国にずーっと住むかではなく、「いつ、どこに居住するか」だと思う。今はシンガポールは景気が良いのだからシンガポールもありだろう。30年前はあり得んかった。30年後は誰も分からない。

 

人間は自由なんだからどこの国に住むかなんてのはその時の景気で決めれば良い事。大事なことはその国に受け入れてもらえるだけの個人能力を持っているかどうかだ。残念ながら多くの日本人は学校教育にすり潰されて個人能力を失っている。そういう人はシンガポールで美味しい寿司を食う事は出来ない。現実は現実だ、



tom_eastwind at 01:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月13日

頭に来てんだよ!HEADCOMECOME!

へっどかむかむ!

 

シングイッシュは強烈な言語である。シンガポールでホテルや空港などでは普通の英語が使われているが、現地の人々の出入りするような場所では完ぺきにシングイッシュを話し、通常の英語は全く通用しない。

 

シンガポールと言う小さな国家が経済的には中国人により運営され地域的にはマレーシア人が優先されて、更にそのちっちゃな国家の中にインド人やフィリピン人がそれぞれの社会を構築して生活しており、まさに人種のるつぼである。

 

彼らがシンガポール人であるという意識を持つとすれば彼ら独自の言語を持つという事もアイデンティティを守る一つの理由となる。他人に理解出来ない言語で仲間意識を持てるからだ(笑?)。

 

まあ色んな考え方があるのだろうが、あれは間違いなく独自の言語だ。英語でもなければ中国語でもない。てか、それを言い出したら日本語は中国語だっていうのと同じことだ。

 

同じ漢字を使い似たような発音を持つが日本語を中国語と言う人はいないだろう、第一両者の間に会話が成立しないのだから別の言語と言うしかない。英語だって同じもので、英語の中にPro-rataなんてラテン語が出てきても英語がラテン語ですなんて人はいない。

 

だからシングイッシュと言うのは一つの独立した言語と考えるべきである。シングイッシュと言う言語の基礎に英語と中国語の単語を加え、現在形や過去形を無視した文法を使い、そこにカレーやラクサを突っ込んで作り上げた独自の言語である。

 

と、ここまでは普通に考えれば良いのだが現在の問題はシンガポール人が自分たちの言葉を英語と思い込んでいることだ。タクシーに乗って住所を伝えても伝わらない。そして伝えれない僕らの英語が「間違いだ!」と言う。さらにせせら笑う、英語も出来ない田舎もんめって感じで・・・ばかもんが!お前の発音がおかしいんだろうが!本気で腹が立つ。

 

発音が伝わらないのはそれはそれで仕方ない。おれだってネイティブじゃないし現地の発音が分からない部分もある。けど自分の泊まってるホテルの名前くらいはきちんと発音出来る。分からんのはお前の方だろうが!

 

そんな事を考えながら日本から来られたお客様と同行して弁護士事務所に向かう。今回の仕事は日本にある会社の株式をシンガポールの会社に譲渡することだ。弁護士事務所はシンガポール金融庁ビルの中にあってセキュリティが厳しいが、ビルの中に入ってしまえばあとは一直線、シンガポール生まれのエリート階級に位置する弁護士とのやり取りだ。

 

シンガポールでは地元の中国系の人々はむちゃくちゃプライドが高くサービス業には従事せずにこのような弁護士とか格好良い仕事をするわけだが、だからと言って特別に脳みそが優れているわけではない。たまたま銀のスプーンを咥えて生まれただけの人間なので特別に尊敬する必要もなければいつものようにこっちの言いたい事を伝えて相手の反応を見てのやり取りとなる。

 

今回のスキームは中小企業のオーナーが利用している。オーナー企業の創業者である父親が子供に仕事を譲る際に問題となるのが株の相続問題だ。父親が実質的に創業して大きくなった会社は、業績や会社資産などを計算すると結構大きな金額になる。

 

これが数千万の価値であれば良いが数億円となると株譲渡の際の相続税が発生する。これが50%かかる。会社は順調に回っていても現金は投資に回しており相続税を払おうにも現金がない。ところが税務署は「税金払え」と言ってくる。

 

そこでどこのオーナー会社も会社承継に頭を悩ませることになる。しかしこれって考えてみれば相続を発生させるから相続税が発生するわけであり相続しなければ税金は発生しない。創業者オーナーが株を第三者に売却してその時点で売却益が出たらその分だけ納税すれば良いのだ。

 

売却益にかかる税金は相続税よりもかなり低い。株を売却することはオーナーが判断すれば実行出来る。これで相続にかかる莫大な現金を用意する必要もなくなる。

 

このスキームは日本を含むすべての国において合法でありながらビジネスを継承できる点で大変有利である。実務的にはもっと細目を詰めてオーダーメイドでスキームを作る必要があるが、日本のオーナー企業のほぼどこでも利用できるスキームだ。

 

スキーム自体はそれほど難しくはない、オーナーの希望を聞き会社の全体像を説明してもらえば何が出来るかを伝える事が出来る。問題はただオーナー社長が「海外」に対してどの程度の理解力を持つかだけである。

 

会議の中で面白かったのは、こっちが説明していると最初は少し戸惑っていた弁護士も途中からこっちの意図を理解出来たようで「あ、だったらこうやって譲渡すれば有利だね〜」と言ってきた。よかった、シングイッシュを話す連中じゃなくて。

 

事務所で会議を終了させてホテルに戻り次の戦略を軽く打ち合わせてから夕食。シンガポール名物のチリクラブを地元の人の集まる海辺のレストランで楽しむ。ふーい、今日も無事終了。

 

それにしてもタクシーの運転手、あったまに来るな。次回こんなシングイッシュ使われたらこっちも日本語英語で返してやろうかいと本気で思う。

 

どうやって返すか?「ふざけんな、頭に来てんだよ!」と怒る場面で「@@you! Head COMECOME”!」とでも言ってみるかな(笑)。



tom_eastwind at 00:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年07月12日

大雪、大風、大雨、晴天

昨日の夜から南島は大雪で北島のスキー場でも雪がどんどん積り、おお、冬になりましたねって感じのニュージーランド。

オークランドは青空がすぐそこに見えてるのに頭の上では土砂降りの雨で、体感気温は10度くらいか?これから荷物を車に放り込んで空港に向かい、気温差20度以上の北半球、シンガポールへ移動。

それにしてもオークランド、空が青いな。東京の冬のようだ。そう言えば冬場の東京のホテルから富士山が見えたことがある。田舎者だから最初は分らずに思わず受付に電話して「この部屋からずっと向こうの方に山が見えるんですが、あれって富士山ですかね?」とばかな質問をした。

すると受付の人もしばらく口こもってから「ええ、たぶん、はい・・・」

その話を東京の知り合いにしたら「そんなもんよ東京で生活するってのは。遠い空なんて眺めてる暇はだれにもないよ、足元をじっと見ながら地下鉄に潜るだけだよ。そのかわりそいつらに地下鉄の乗り方を聞いてみな、乗り降りする駅のどの車両が階段に近いかまで教えてくれるよ」だって。



tom_eastwind at 08:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年07月11日

年金は、払うな 「日本中枢の崩壊」

日本中枢の崩壊
クチコミを見る



 

「日本中枢の崩壊」読了。「これからは国に頼ってもダメだ、自分で何とかしよう」と言う言葉が現役キャリア官僚から出てくる時代になった。年金は、払うなと役人が言う時代になった。

 

この本では今若者が支払っている年金は今の老人世代の為に消費されている。政府はあなたの預けたお金を貯金などしていない、すべて今消費されているのだと明確に説明している。

 

ところが年金が自分の老後のための貯金だと思って払うから、自分が老人になったら年金がもらえると思い込んでいる。

 

これは二つの意味で間違っている。一つは今あなたが払った年金は現在の年金受給者によって消費されており政府はあなたのお金を運用などしていないという点だ。もう一つは「そんな事言っても今払っているんだから老人になったらもらう権利あるでしょ」と言う甘い空想だ。

 

甘い空想の第一点は老人とは何歳をさすのか?である。昔は60才から年金がもらえたが今は65才だ。例えば35歳のあなたが年金をもらう30年後には老人は90才であり支給年齢は95才になっているかもしれない。

 

甘い空想の第二点は「いくらもらえるのか?」だ。自分が生涯払い続けた年金が1千万円としよう。それに毎年の金利を2%と計算しても、いつからもらえるか分からない年金でその金額が「すみません、あなたを支えるはずの若者は少子化でして、支払いできるのは毎月2万円です」となったらどうする?

 

「そんな事あるわけないじゃん、政府との約束だよ〜」と思うだろうが、政府がどのような約束をあなたと交わしたか?彼らはあなたからもらう金額は決定しているがいくらあなたに払うかは約束などしていない。

 

これが保険や預金なら満期にいくらと分かるが年金には満期配当がいくらと言う決まりがない。その時の年金支払者が何人いるかで決まるのだ。いくら払ったらいくらもらえるのか?あなたは知っていますか?そしてその約束が今までどれだけ政府によって破られてきたか知っていますよね?

 

だったら年金支払いは一度やめてみよう。どうせもらえないのだ、全員で年金支払いを拒否してみよう。そして年金分で中国やインドの国債を買って老後に備えようではないか。

 

上記のようなネタがたくさんあって非常に勉強になる内容だ。驚愕の真実ってのはないけどずべてが政府側の真実なので、自分が騙されない為にぜひとも一度読んでおくことをお勧めする。



tom_eastwind at 14:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2011年07月10日

子供に誇りを

“子供に「将来の夢は?」と聞いたら「正社員」と返ってきたという笑えない話もあるくらいだ。”

 

この文章は古賀茂明氏の「日本中枢の崩壊」330pに出てくる話だ。「笑えない」か?笑えるわいな、ここニュージーランドから見れば。そしてNZに住む日本人としては最初に笑ってそして思い切り腹が立ってきて、腹が立つほどに日本を憎んでしまう、一体なんで日本の子供をこんなにダメにしてしまったのかと。

 

だって正社員って何だ?所詮は日本と言う思い切り変てこな国で戦後の一時期に労働現場を知らない法律家が使えない脳みそをこねくりながら経団連や労働組合や政治家がそれぞれの利権を守るために作った線引きであり全く意味のない差別である。

 

人間が作った一時的な線引きでありながらその線引きを神様の様に大事にしているぼんくらが子供を産んだら、その子は輪をかけてどぼんくらになったって感じだ。バカも休み休み言えって感じだが、それが今の日本だろうか?そしたら日本って確実に世界の中で沈んでしまうぞ。

 

バカが作ってる社会でまともな子供が成長しようと思っても出来るものじゃない。ぼんくらに合わせて発言したりぼんくらの真似をして生活をしないと村八分にされるからと彼らと同じような事をしているうちに本当にぼんくらになってしまい、気づいたら日本奴隷社会の一員となってしまい、奴隷社会の上層に位置する「正社員」になる事で競争に勝ったような気がする。

 

まさにバカの極みである。子供が可哀想である。せっかくの子供の成長の芽を摘んでしまい、米国様の奴隷であるだけでなく近い将来には中国様の手先として働かされるようになっても、それでもまだ「ぼ、ぼく、正社員なんですよね!」と喜ぶあふぉ。

 

いい加減に奴隷根性から抜け出して自分で自分を律する能力を身に付けようよと言いたいが、そういう能力を身に付ける事をきょひってるのが現代日本教育システムであるからどうしようもない。

 

ある時移住されたお客様と子供の弁当の話になった。8歳の子供の弁当を作るのに教師から「お母さん、お弁当の彩はこうやって下さいね、他の子供たちもこうやってますからね」だとさ。

 

ほんとにびっくりしたものだが、学校に持ち込むノートなどの教材のサイズから始まってついには弁当の中身までチェックされて「貧しい心の平等と平和」を求められるようになったのか。

 

けど、そんな社会で育って何を学べるのか?子供の感受性はむちゃくちゃ強い。弁当の彩を話している母親と教師の会話を理解した途端、子供は自己防衛の為に「こいつはやべえな、この社会で生きるんだったら俺以外の奴を早いうちに蹴落として負け組にして苛め対象にして自分の身分を守らなくちゃな」と思う。

 

そしてそんな頭の良い子は自由で楽しく生きている子供を捕まえては「お前さ、弁当おかしくない?それってさ、周りと合ってないよね〜」と苛めの対象にする。

 

まさにバカの泥沼である。そうやって苛められた子供は傷つき、苛めた子供はそれがこの社会の生き残り方だと思い込んで大人になっても同じことをやってしまい、結果的に日本企業は外向きの成長や戦いが出来なくなる。

 

内部抗争でどんどん体力が落ちていき、最後には強力な大国に骨の髄までしゃぶられて日本は世界の下請け工場となる。

 

毎日毎日先進国が要求する最新技術開発に追い込まれて帰宅は毎晩11時過ぎで子供と話す時間もなく翌朝は子供が寝てる間に出勤のための早朝電車に乗り込み、土日の残業なんて当たり前、年休?そんなもん見たことも使ったこともないってなる。だったら一体なぜ子供なんて産んだんだ?外国様のための次の世代の労働力確保の為だけか?

 

けどそれって結局一番儲かるのは外国様、何もせずに毎日5時に帰宅して奥さんと一緒に夕ご飯を作り子供たちと今日何があったの?とおしゃべりしながら食事を楽しみ、翌朝は子供と朝ごはんを食べて送り出して何もなさげに出社して、週末の土日は家族や友達と自宅でBBQを楽しみ時には釣りやヨットを楽しみ、毎年一か月の年休を利用して冬はスキーを楽しみ夏はビーチで過ごす、外国に住んでいる株主企業の社員たちだ。

 

自分の子供が北朝鮮の強制労働キャンプで飢え死にしそうな子供や東欧のマンホールの下の地下水道で飢えをしのぐ子供より少しましなだけの生活条件だからって満足してそれにあぐらをかいて「正社員様」なんて言ってるから子供まで「正社員様、大首領!まんせーまんせー!」となるんだ。

 

人は自らを奴隷扱いする限り他人に奴隷呼ばわりされても反論することは出来ない。

今どれだけ不安定な生活でもお金がなくても自分で自分を律することを知り未来の夢を持ちそのために前進する、自分が一人の独立した人間であり、その権利のためには時に命を捨てることさえも出来る人間こそが自分の権利に目覚めた人間であり、それを誇りある人々と呼ぶ。

 



tom_eastwind at 16:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月09日

丸山真男の示す日本

池田ブログで取り上げられていた下記の文章は昭和の政治学者丸山真男の論文集「忠誠と反逆」からの切り抜きだ。

 

「経験的な人間行動・社会関係を律する見えざる「道理の感覚」が拘束力を著しく喪失したとき、もともと歴史的相対主義の繁茂に有利なわれわれの土壌は、「なりゆき」の流動性と「つぎつぎ」の推移との底知れない泥沼に化するかもしれない」

 

ややこしい文章だが平易に書けば

「今までの経験や先輩後輩上司部下とかとの距離感と力関係さえ分かっていれば生きていけた、そんな時代の「為さぬものはなさぬ(ダメなものはダメ、理屈じゃないのよ)」と言うルールがなくなった時、キリスト教のような「絶対」を持たない日本人は自分の判断基準がないから基準に則った思考をすることが出来ずにその場の「なりゆき」に「つぎつぎ」と身を任せるしかなくそれは底知れない泥沼となっていく」

 

まさに今の日本であろう。海江田計算?大臣が九州電力玄海原子力発電所を「安全」だとして再開するとわざわざ根回しまでして発表した途端に今度は管首相が「すべての原発でストレステストをやる」と反対意見を出して、それで大臣が「辞めてやる!」と言い出すと「いやいや、誤解があった、よく話し合おう」となって再度方針変更。

 

歴史を紐解けばこのような無作為や無法や誰がボスか分からず誰が責任を取るか分からないような無政府状態に陥ったのは大東亜戦争以来ではないか。

 

当時も様々な力を持つ人々が、しかし決定的な力を持ちえないままにその場その場の感情で“おまえのかーさん、でーべそ!”程度の議論をして閣議決定とか言って全然統率の取れない戦争に突っ込んでいって結果的に国家は壊滅した。その後続く米国支配は当時の国家権力者全体の責任であることは間違いない。

 

ところがそのような連中が戦災で焼きだされて住むところもない日本人が右往左往しながら何とか今日の飯を漁っているときに大磯や大船でエラそうな事ぬかしたりした挙句にいつの間にか政治の中枢に戻って美味い汁を吸ったりしている。誰もがすぐ忘れるのだ、過去のなりゆきはつぎつぎと変化していき誰も覚えていないのだ。

 

大臣のなんのと言っても結局日本人の本質的な弱さから逃げることは出来ず、その意味では九州の水飲み百姓や被差別部落の村おさと何も変わることはない。結局自分で確固たる絶対的な信念のない人間は究極の状態に追い詰められた時にぼろを表すわけで、問題はそういうぼろが上は大臣から下はヒステリックに騒ぐだけの一般人まで殆ど皆同じであるってことだ。簡単に言えば腹が据わってない。上から下まで腹が据わってないから流されるし振り回されるしおかしいと思ってもついつい周囲に合わせて旗を振ってしまう。

 

今回の原発事故の様に、事柄を理論的に考えたうえでどう対応するかではなく周囲がどう反応するかで自分の反応が決まってしまう。周囲の声が自分の声のように思えてしまい自分でも気づかないうちに空気に染まって洗脳されて他の人間と同じように感情論だけで大騒ぎをすることになる。

 

ある意味これは江戸時代以来の長い平和を過ごしてきたからではないか、本当に究極に追い詰められて理論的思考回路を使って自分の寄って立つところを理解してそれを自分の声として発するようになって初めて「絶対」が出てくるが、長い間そのような究極がなかった人種だから突き詰めて考える訓練が出来ていない。

 

ただ外国からそのような日本を見ると実に情けないとしか言いようがない。海外で蝶よ花よ原発よなんて意味不明にヒステリックなんて起こしてたら絶対に食っていけない。海外で日本人が生きていくってのは、誰にも守られてない中で自分ひとりで判断していくしかないわけでそんな時に感情論や思い付きや雰囲気で流されている日本を見ると同じ日本人として非常に腹が立つのだ。

 

日本に戦争が起これとは言わない。しかし国家を支える人々は常に危機意識を持って理路整然と考える能力が要求されるしその結果を国民にきちんと伝えて国家の方向性を明確に指示することが必要だ。

 

そういう事が出来なければ国会解散!となるのだが、問題は国会が解散しても次に政権を取るべき人物がいないし選挙になれば国民はまたも目先の、おらが村に銭っこ回してくれる代議士に一票を入れてしまう。つまり国家が上から下まで政治的にどうしようもない無能力な状態なのだ。

 

そして冒頭の丸山真男の言葉ではないが、それが日本人が持つ土壌なのであれば今回の原発騒動が収束しても次にまた同じような問題が起こり、その度に日本人の地位が低下していき、いずれ日本はポルトガルやスペインのような忘れられた過去の大国となってしまう。

 

ではこのような日本的土壌を根本的に入れ替えて新しい土地の上に現代的な日本人を構築することは出来るか?答えはある。出来る。国民全体の教育を江戸時代から続けてきた「民は依らしむべし知らしむべからず」から「お前が日本人でありお前がどうすれば日本が良くなるのかお前の頭で考えてみろ」と言う教育に切り替える事だ。

 

自発的に考えて自発的に行動する。他人と群れない事を恐れない。和すれど同せず。そして和魂洋才で世界に出ていくことだ。

 

日本人が持つ能力の殆どは世界でもトップクラスである。自然を感じることが出来る感性、社会の相互扶助を普通に理解出来る能力、ほっておけば必ず平和的に良いものを創造出来る能力、どれをとっても日本にいる日本人からすれば「なんで?この程度で_?」と思うかもしれないが、海外に出て生活をしてみればよい、いかに日本人のレベルが高いかすぐ分かる。

 

丸山の時代は本格的な国際化の入口であり人々は彼の本を読んで悠長な事を考える時間もあった。しかし今は多くの国境が熱波の前のチョコレートのように溶け出しておりお互いに境がなくなってきている。今のうちに日本人の優秀な種を保護しながら世界に対応出来る体制に作り替えるべき時である。



tom_eastwind at 17:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月08日

極めて日本的百家争鳴


「百家争鳴」の意味はいろいろな立場にある人が自由に議論をたたかわせること。多くの学者や専門家が何の遠慮もなく、自由に自説を発表し、活発に論争し合うこと。

 

ただこの中国の古い言葉が日本に伝達されるとその本来の意味が変化する。日本的百家争鳴とは、首相とか大臣とかいろんな立場にある人が無責任かつ自分勝手に放言して自由な議論どころか話し合いもないし、研究費欲しさの御用学者も金欲しさの原子力の専門家も何の遠慮もなく嘘を並べて国民を騙し国家組織がばらばらになる事だ。

 

今の日本の政治がまさに日本的百家争鳴状態である。ところがまさにこの親にしてこの子ありで、政治家や専門家が上でバカをやっている時に同和団体や日教組や避難所が下で無責任に自分の権利ばかり主張してバカ行動をやって人心は乱れ結局自分勝手に大声出して言ったモノ勝ち、他人の事など知ったことか、後がどうなろうと関係ないとばかりに無責任に権利ばかり主張している現在の日本は、本家中国でも想像がつかない程の百家争鳴状態となっている。

 

とにかく頭の悪い連中が多いから議論が成立しない。相手の論点のポイントではなく、相手が何歳だとかどこの生まれだとかを聞いてはおれが年上だと威張りお前の街は誰それがいるな、俺の後輩だ、挙句の果てにハゲだスケベお前の浮気はばれているなどガキの罵り合いに終始しているからまともな答えが出るはずもなく、松本龍のような暴言大将がその場を支配してしまい、その結果としては日本はまた他国から遅れを取ることになる。

 

管首相のストレステストなど3月の時点で河野太郎議員より提案のあった話であり今頃何を言うかだし、梯子を外された海江田大臣は「おれ、や〜めた」だし、民主党が潰れても小沢だけは起訴有罪に持ち込もうと蠢いてる国家を見ない検察連中だし官僚はこれを国家の危機ではなく自分の属する省の好機と捉えて次々と好き勝手な法案を作り上げる。

 

戦後の日本の歴史の中でここまで政治がメルトダウンしてしまったのは安保以来ではないかと思うくらいだが、安保の時はそれでも自民党には後藤田がいた。今は民主党に誰がいるのだ?

 

そして組織がここまでぐちゃぐちゃになると総選挙でガラガラポン、大連立や組み換え、民主党と自民党が解体して再度あたらしい党になるかもしれないが、そのような事をやっている間にも時間は刻一刻と過ぎていき、何も決められない政治と省益だけ考える官僚とおらが村の利益だけ考える利権圧力団体とが三つ巴で日本全国を荒廃させていく。

 

こういう時に一番得をするのは外国である。今まで通せなかった自国の意見を日本の三つ巴のうちどこかの陣営を自国の味方につけて日本に利権のくさびを打ち込めるのだから。

 

政治家は票が欲しい、官僚は省益が欲しい、おらが村は現ナマが欲しい、外国はそのような日本の弱みに付け込んで確実に日本の実効支配を狙ってくる。

 

そういう外国の中で最も強い欲望を持っているのは中国である。米国はすでに強固な足場を官僚と政治家の中に作り上げているが長期的にはこれ以上の支配は望んでいない。中国はそれに比べれば影響力はマスコミや学者連中までであるから、ここで政治中枢に食い込めれば強い。そして民主党左派である元社会党は中国ダイスキだから今なら政治中枢に問題なく食い込める。

 

中国がなぜ日本に食い込みたいか。それは中国が21世紀の世界地図と自国の領土地図を描く際に日本はすでに中国領に含むと考えているからだ。すでに自国領と考えてはいるが現実としては別の国、だからと言って日本に戦争仕掛けて土地を侵略することは21世紀の国際社会の中では出来ない(これが台湾なら理由も付けられるが)。

 

そうなると経済支配と言う方法があるが、それよりもずっと安い費用で支配するのは政治支配である。政権中枢を親中派にして教科書の書き換えで日本は中国の属国であったと日本の子供たちに教えれば良い。

 

共産主義などを日本に導入する必要はない、日本はすでにどこの国よりも立派な共産主義国、むしろ中国が学ぶべきなくらいだ。それよりも中国が一番望むのは日本が今のままでいて少しづつ中国と文化交流を開始して(ビザなし渡航自由)お互いが共通の言語を持つようになり(つまり公教育での中国語導入)日中人民が親しく混じり仲良く働き(ビザ不要労働)気が付いてみれば日本が中国の為の高技術開発工場となってくれる事である。

 

国が割れるとはこういう事である。自分の利益だけ考えるという事は結果的に自分の属する組織さえ滅ぼしてしまう。20世紀初頭のアジア諸国は目先の利益しか考えない派閥競争に明け暮れ、それが結果的に西洋に食い散らかされて中国さえもばらばらに解体された。そして当時唯一実質的な独立を保った日本による間接的なアジア解放までどこの国も国民に塗炭の思いをさせたのだ、それも自分の利益だけを考える連中によって。

 

今の日本はまさに20世紀初頭の清王朝崩壊後の軍閥に分断された中国でありさらに言えば朝貢外交に明け暮れて日本と中国に統治された韓国であり、つまり日頃日本人が見下したような考え方をするような国家の100年前の姿に実は今の日本が落ち込もうとしているってことだ。

 

ほんの10年先の日本が中国実効支配の国になっていないと誰が保証出来るだろうか?自分の子供が学校で日本軍の戦争犯罪を学ばされ中国語を学ばされ挙句の果てに「お父さん、何でぼくを日本人に生んだの?」と聞かれる事にならないと、誰が保証出来るだろうか?ほんの10年前に誰がここまで日中貿易が増加すると予測しただろうか?

 

僕の持論は大東亜共栄圏であり中国と日本が長期的に兄弟国として良好な関係を作り上げるべきだと思っている。しかしそれはあくまでも日本主導であり「高く売る」ことが出来なければ中国の足元にひれ伏されることになる。今の状態で中国に弱みを見せてしまえば日本は大損をする。中国は米国ほどにお人好しではないのだ。



tom_eastwind at 14:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月07日

リタ?

東京で仕事をしていると、立派なスーツにネクタイを着けたビジネスマンが「私はまずですね、お客様の利益を考えてですね〜」とか「いやー、まずは御社が儲けてください」みたいな事を言う人がいる。

 

本人は自分を「利他主義」と呼ぶ。他人に利益を出してもらってから自分が儲けるというのだけど、言ってる本人は最近どこかのセミナーで「利他主義」を初めて聞いたのかってくらい新鮮そうな感じで口に出す。

 

う〜ん、日本のど真ん中で現役でビジネスやってる働き盛りの人が今更この程度の感覚ですか?と考えてしまう。ビジネスの歴史とかは勉強しなかったんですか?日本では江戸の昔から商人のあり方として三方一両得があったし英語で言えばWinWinの関係もある(実際には英語社会ではあまり見かけることはないが)。

 

なのに今になって利他なんて言うのは、要するにビジネスの基本歴史を学ばないままに社会に出て誰もそういう基本を教えないままに育ってしまって今の地位にいるってことだ。

 

普通の日本の現役ビジネスマンの発言を聞いていると、彼らはもしかして学校教育に根本的な原因があって道徳ってのを学ぶクラスがなかった、または道徳の時間も先生のいう事を聞かずに足し算や引き算の計算をしていたのではないかと思われる。

 

とにかく自分だけが儲ければ良い、毎年の決算の数字だけを追いかけて決算ルールが変われば変わったで四半期ごとの利益、そんな事ばかり言って、てかそんな事を言う人間の方が評価されるのが日本の一般的な企業なのだろう。

 

もちろんまともな人もいる。しかしそのような人は滅多に出世できないし発言する機会もないから利己主義が企業の中にはびこってしまっている。

 

「ビジネスは利益を出すことが企業継続の要件である」と言うと利益だけを考える。反対に「ビジネスは社会の為に存在する」というと利益を全く無視してバカな社会福祉などを企業として考えてそれだけで一日中時間を潰して会社を潰してしまう。

 

どっちもバカである。今年の利益と会社の継続を同時に考える事が出来ない能無しである。考えてほしい、あなたの会社がこの世界で唯一存在する、あなたの取引先も顧客も利益が出せずにあなただけ利益が出た場合は、取引先も顧客も消滅してしまう。

 

あなただけがこの世界に存在してそれで生きていけるだろうか?こんな風に書くとややこしいが簡単に言えば地球上の餌を食い尽くした動物は滅びるしかないという事だ。

 

自分が生きていくためにも他者の存在が必要であるし共存共栄することで人生の選択肢が広がっていく。だからこそ利害関係者全員が儲かる仕組みが必要なのである。

 

自社の利益を得ることも大事だが同時に取引相手も利益を出せるのか顧客にとっても良いものを売っているのか、そういう事を基本としてビジネスをする必要がある。

 

そしてこの取引先の利益を「取引先が死なない程度」なのか、「取引先の社員が5年程度一生懸命に働けば家を買う頭金が貯金出来る程度の給料をもらえる程度」なのか?を考えることが大事である。

 

なのに実際の社会ではそのような事を誰も考えないから日本では毎年毎年不景気を言い訳にして給料を下げて株主だけが儲かる仕組みになってしまった。

 

そして今になって「ああそうなんだ、他社があってこそ当社も存在出来るのだ」なんて言い出すので、おいおいお前さん、学校に行きなおせばと言いたくなる。こどもがある晩突然空を見上げて「ほら、お月様だよ、ぼくが知ってるんだ、あれはお月様って言うんだよ」みたいなもの。

 

ニュージーランドの良い点はこのあたりがビジネス的にドライに理解されている点だろう。利他と言う言葉は使わないが共存共栄の大事さをよく理解している。なんでかな、最近はとくに感じるのが「この国って島国なのか、何となく昔の日本の商売のやり方に似てるな」って感じる。

 

ビジネス参加者が少数であり長期的に固定されたちっちゃな社会では目先の利益よりも長期的利益が優先される。一時的に仲間を裏切って得られる利益よりも長期的に仲間と安定した関係で得る利益の方が大きい事が理解されている。それにちっちゃな社会で一度トラブルを起こしたらいられなくなるが、だからと言ってシドニーでゼロからやるなんて耐えられない、第一それなら最初からシドニーに行ってるし。

 

例えば見積もりを作るにしても最初から相見積もり!みたいな発想はあんまりない。日頃付き合いのあるところに「お願い」して料金を出してもらい、そこに自分の会社の適正利益を乗せて定価で販売する。この適正利益と言う考え方が大事であり、儲かればいくらで売っても良いとはならない社会の暗黙の合意がある。

 

たくさん買ってくれたら大幅割引って発想もないし他社がこの値段だからお前んとこはもっと安くしろ!みたいなのがない。もちろん僕が取引している相手はすべてが長期の取引でお互いに安定的に儲けようとしているから、目先の細かい話よりもお互いにどうやったら仕事を円滑に進めることが出来るかを考えるからでもあるが、勿論契約社会であるから契約は非常に重要だが、同時に島国社会でありけっこういろんな場面で「じゃあこれでいこう」と大きな事を決めるけど契約書がないなんてケースがある。お互いに相手がいないと困るような仕事だと契約書の細目を詰めるよりも見積もりの細かい数字をぎちぎちと言うよりも「とっととやってしまおうぜ」って感じがある。

 

なのでこの街では日本的な言い回しの「業者を呼びますから」などと言う言葉はなくサプライヤー、供給者となる。個人的に僕はこの「業者を呼ぶ」と言う日本人の言い回しは大嫌いだ、いかにもエラそうでカネさえあればバカでも神様になれるんかいと感じるからだ。

 

サプライヤーは自社の利益を確保するしそうでなければビジネスはしない。このあたり、日本では利他ではないくせに自社の利益を吐き出してでもビジネスを成立させようとする。

 

日本では昔は契約書なんてあまり重要ではなかったし取引先があれば相見積もりなどせずにそこに依頼して終わりだった。彼らがそれでぼったくることもない。一時的な利益で長期的な利益を失う事の損失の大きさをちっちゃな島国だから理解出来ているわけだ。

 

このことはこれから起業家ビザ部門で永住権申請を考えている人はぜひとも理解してもらいたい点である。日本人だけで固まって日本語だけでビジネスをするのであれば違うかもしれないが、キーウィ社会に足を踏み込んでビジネスをする限りこの国のビジネス習慣を理解しておく必要がある。

 

少し散漫な書き方になったがこれからニュージーランド社会でビジネスを考える人は日本のビジネス常識が少なくともニュージーランドビジネスでは常識ではないという事を理解してもらえればと思う。



tom_eastwind at 10:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月06日

まっちゃんと同和について 

 

まっちゃん、あっさりと辞めましたね。もしかしたら同和団体の大御所に「馬鹿もん、お前が騒ぐと同和が叩かれる、すぐ引っ込め!」と言われたのかもしれない。

 

同和問題は関東ではあまり話されないが関西では大きな問題であり同和団体と言えば京都市役所も大阪市役所も泣く子も黙る組織である。

 

まっちゃんが宮城県知事相手にあれだけ傲慢で強気で最後には「オフレコ!」と怒鳴ってたのも、彼にとってみればいつも役人相手にやってたことであの日だけ特別に吠えたわけではない。

 

けど同和を知らない人からすれば「何じゃ?意味不明だぜこのおっさん」となるだろう。

 

同和問題は突き詰めて言えば江戸時代以前の国の支配者が民を分断統治する為に作った人間による人間の差別制度である。だから時代の変化と共に人間が進化する中で「これっておかしくないか?」となって「こんなもん廃止しろ」って言ったのが明治時代。

 

ところが肝心の民が差別する方もされる方も差別慣れしているからいつまで経っても実態としての差別がなくならない。これに怒った普通の人々である被差別民が始めた戦いが部落解放運動である。

 

このあたり詳しく知りたければ「橋のない川」を読むことだろう。日本人として近代の歴史を理解するためには部落問題は避けて通れない、むしろこの問題を通じて労働者同志が団結して支配者と戦う事を学ぶべきだろう、差別などと言う下らない支配者層ののひっかけに騙されないためにも。

 

現在の「同和」と呼ばれる団体は元をたどれば水平社運動に繋がる。部落解放をどのような形で行うか、被差別部落名の中でも様々な考えがあった中で自分の身分を完全に隠してしまい部落出身と言う事を秘密にする人々もいる中で水平社は自分たちを差別した方が間違っているのだ、堂々と人間として部落出身であることを主張しようとなった。

 

島崎藤村の本を読んでみるのも良い、江戸から明治の部落問題がどれほど一部の人々に大きな影響を与えていたかよく分かる。部落問題自体を消滅させて歴史のかなたに消し去る事でなくしてしまおうと考える人々と、部落問題をきちっと学んで歴史の中の「間違いの一ページ」として人々の啓蒙に使おうとする人々である。

 

ところが水平社運動が次第に社会に認められ戦後日本が左翼化する中で部落解放運動は「同和」と言う名称で役所に対する圧力団体として活動をするようになった。どこの国でもそうだが、それまで差別されていた人が権利を勝ち取ると異常なまでにその権利に執着して、すでに問題は解決したにも関わらず問題を作り出しては金を奪い取る集団となった。

 

つまり本来の被差別集団の解放活動が金になると分かった連中や選挙の票になると分かった社会党がしゃしゃり出てきて現在のような歪んだ組織暴力集団になっているのだ。

 

その集団の親玉が松本龍一家であり政治家に対する恫喝や役所に対する脅迫などは日常茶飯事、今回の事件も東北放送がニュースにしてyoutubeが拡大したから人々が知ることになったが、しょせん日本民主党と言っても寄せ集め集団、以前の社会党のチンピラも現役の大臣になれるという日本政治のバカさ加減をよく表している。

 

ちなみにマスコミも第一報はどこも抑えめの記事であった。同和に殴り込みをかけられたら困るマスコミであるがyoutubeで一気に広がったので「みんなで渡れば怖くない」って事でマスコミはどこも一斉に叩き始めた。これも日本的な無責任マスコミの姿をよく表している。



tom_eastwind at 10:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月05日

コンビニの不幸

ニュージーランドにコンビニビジネスが入ってきたのはここ数年である。それもシティ中心地だけにしかないので日本のように日本中どこに行ってもベンリなコンビニってわけにはいかない。


その代わりにニュージーランドは古くからガソリンスタンド(こちらではぺトロールステーションと言う)が生活に必要な基本的な食料を売っている。パンも牛乳もバターも缶詰も入手出来る。これは車で移動する社会が構築されているからガソリンスタンドが有効活用されているのだが、働いているのはあくまでもガソリンスタンドのお兄ちゃん店員さんであり日本人コンビニ店員のような行き届いたサービスや充実した商品は期待できない。


そして今まで僕は東京の説明会や個人面談などでもニュージーランドの日本と比べて不便な点として「コンビニがないですよね」と話していた。


しかし最近ふと考えてみた。「コンビニがあることが実は不幸なのではないか?」


人間の体は本来太陽が昇ってから目を覚まして太陽が沈んでから寝る生活を送っている。


ニュージーランドはまさに太陽と共に過ごす生活であり1800年代からこの国の主要産業で働く農業従事者に限らず街で生活をする人々も含めて、朝5時ころには目を覚まして家族で揃って食事、子供は学校に行きお父さんは農場に出かけて夕方の5時過ぎには皆がまた家庭に戻って食卓でおかあさんの作った暖かい食事を食べて、夜の9時過ぎにはもう寝てた。


この生活は今も続いており多くのまともなキーウィ家庭では、小学生の子供は夕食が終わって夜8時ころには太陽が沈まなくてもベッドに入るしお父さんとお母さんも10時前には就寝している。


ニュージーランド人が日本に行ってびっくりするのは夜の9時過ぎて小学生が一人でランドセルに教科書を入れて電車に乗って勉強している光景であり(あれは塾通いで日本では普通ですよと言うとNZではこんな時間に子供を一人で外出させるなんて養育義務放棄で両親が即逮捕ですねと言われる)、香港に行ってびっくりするのは夜の11時過ぎてもちっちゃな子供が街を出歩き屋台で夜食を買い食いしてる景色であり、時にはその子がお父さんのやってる屋台で教科書を広げて勉強してたりお父さんの代わりにカバンを担いで物売りをしている姿だ。


結局香港のような競争社会では夜中も時間の一つであり利用価値がある。24時間開いている市場でビジネスをする方が利益が取れる。その結果として夜働く人が増え、彼らビジネスマンにサービスを提供する為に夜中に開店している美容室、レストラン、花屋、映画館が派生するのだ。そしてそのような派生産業で働いている人が仕事帰りの夜中に買い物が必要だからコンビニが必要になる。


ところがそのようなお店で売るパンやお弁当などの食品はビジネスの要請上どうしても添加物だらけになるしカップ麺やレジで売ってる置きっぱなしになっている鶏のから揚げが美味しいはずも栄養があるはずもない。


だいいち真夜中に食べる食事やジュースが体に良いわけでもない。ほんとうの人間の体に必要な栄養分は「競争社会の24時間稼働化」の波に押されて次々と摂取する機会を失っていく。


その結果としていつの間にか本物の味覚を忘れてしまい母親が作るごはんを食べる機会がなくなりコンビニと言う24時間稼働している「人間ロボット」維持装置が社会の中で働く人々の(不)健康管理をするようになった。


考えてみればニュージーランドはすんごい田舎でありサプライチェーンマネージメントなんて難しい話はなく「そこになけりゃ売り切れだよ、次の入荷を待ってね〜」である分、つまりサービスが徹底化されなかった分だけ健全でいられたのかもしれない。


それに輪をかけるように社会主義構造の中で誰もが競争をせずに社会を構築する仲間としてお互いに相手を平等として扱ってきたから、夜に働くなんてことが導入されなかった。だからコンビニの存在理由が存在しない社会構造になったのだ。


今だ社会全体が早朝型であり仕事は生活の中心ではなく、あくまでも家庭が生活の中心だ。夕方5時になればシティで働くビジネスパーソンが自宅に向けて大移動する。てか、午後3時ころになるとシティで働く両親が子供の迎えの為に退社するからラッシュが始まる。


このラッシュは午後6時ころになると終了してしまい、市街地に広がる住宅の暖かい光が街全体を包んでいく。子供たちは早い夕食を食べて少しテレビを見てすぐ寝る。ゲームで遊ぶ時間も少ないし遅くまでテレビを見ることも出来ないが、けれど家族がいつも一緒にいる。


夜中まで働くから人はだんだん不幸になる。

人工保存食やコンビニがあるから食品添加剤が必要になる。
料理を作る手間を捨てて便利に走るから結果的に味覚がおかしくなる。
(キーウィの味覚が良いとは言わないが・・・)


次回からはコンビニがない社会の方がもしかしたら幸せなのかもしれないと話してみよう。



tom_eastwind at 14:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月04日

週末のオークランド

週末のオークランドはきりっとした快晴で空気が冷たく、陽のあたる場所でもオープンカフェではガスヒーターの近くのテーブルが心地よい。考えてみれば南島ではそろそろスキー場がオープンする時期なので南緯37度のこの街が寒くなっても当然。

 

なんでか白人はオープンカフェが好きで真冬の寒い時でも太陽がハーバーの光を反射しながらさんさんと輝いているお店でコートを着てデッキチェアに腰かけてガスヒーターの下でランチを楽しみビールやワインを飲みながらおしゃべりを楽しんでいる。

 

とくにViaductと呼ばれるヨットハーバーは岸壁沿いにお洒落なレストランが並び、どこの店のオープンデッキも満席である。ここは午後の日差しが大型ヨットの間から差し込み夕方になるとだんだん夕陽が赤みを帯びてくる。

 

最近のローカルワインは質の向上とともに値段も向上しておりスーパーで主流の一本25ドルのワイン(安い箱ワインは最近は棚の端っこだ)がレストランで80ドル近いがあちこちで乾杯の音が聞こえる。ビールにしても酒屋で買えば一本1ドルなのがバーやレストランでは8ドルがふつう。まったくこの国では日本のような価格競争が逆に働いていてよそが値上げしたらうちも値上げとなる。

 

こちらの人はビールやワインはアルコールではないと思っているのか(もちろんアルコールです、大人はワイン3倍くらいが飲酒運転の境目ですね)、昼間からよく飲んでるな。まあ週末の午後に取締りをする警察官もいないだろうし飲酒運転による交通事故は25歳以下がほとんどの国なので、家族連れで午後の日差しを楽しんでいるキーウィファミリーの適度の飲酒はOKなんだろう。

 

ちなみにこの国で一番標準的なビールと言えばスタインラガー(Steinlager) .昔のキリンビールのようにホップの効いたすっきり味のビールだ。ギネスも人気があるけど一般的によく出るのはスタインラガーの方だろう。

 

でもってキーウィの皆さんはこのビールやこのビールを製造するライオンネイザンをニュージーランドの有名ブランドの一つ!として喜んでいるのだが、実はこの会社、1998年にキリンビールに買収提携されており現在ではキリングループの中核事業の一つでもある。

 

ほら、今君が飲んだビール代のうち数%は日本の本社に配当として支払われるんだよ、なんて無粋な事を言ってもしょうがない。だって僕らが日本で楽しむディズニーランドの売り上げの5%は米国のオリエンタルランドに払われているんだしマクドナルドも同様に米国本社に契約料を払っている。

 

そう考えると上海の中国人がローソンで弁当とコーラを買うたびに弁当代の多くは日本のローソンの利益となりコーラは米国コーラ社の利益となる。

 

今から数百年前、世の中がまだ自給自足だった時代には考えられないような現象であるが世界中のビジネスは国境を越えて売ったり買ったりしながら複雑かつ密接につながっている。

 

そしてぼくが毎週一本くらいニューワールドスーパーで買ってるチャーリーオレンジジュースも、今後ぼくが一本買って飲むたびに日本のアサヒビールにチャリンとお金が落ちるようになった。

 

★記事抜粋開始

[ウェリントン/東京 4日 ロイター] アサヒグループホールディングス(2502.T: 株価, ニュース, レポート)は4日、ニュージーランドの飲料会社チャーリーズ・グループCHA.NZの全株式に対し公開買い付けを行うと発表した。

 全株式を取得した場合の買収金額は約1億3000万ニュージーランドドル(約87億円)。海外事業の拡大を目指す長期戦略の一環で、ニュージーランド飲料市場での拠点確保とオーストラリアの飲料事業とのシナジー効果によりアジア・オセアニア地域の成長を加速するのが狙い。

★記事抜粋終了

 

これから少子化していく日本ではビールも消費量が減るわけで、アサヒとしては今のうちに海外に打って出る作戦であろう。これはある意味当然であり、座して日本国内で値段の叩き合いをやって利益なき激戦に巻き込まれて疲弊するよりは、モノをまともに定価で買ってくれる国で売った方が良いのは当然だ。

 

以前もある日本の経営者がこちらの「のんびりしたビジネス」を見ながら「ほら、こんなところに機会があるじゃないか、何でここでこういう事をしないんだ〜」と言ってたが、皆が厳しい競争をし始めて最初に押し付けやしわ寄せが来るのは現場であり労働強化になり賃金低下に繋がる。

 

だったら無理して競争するよりも高値で皆が利益を出しながら共存共栄出来れば良いではないか。結局労働者が無理を押し付けられて消費者は会社の売りたいものを押し付けられて、結果的に儲けるのはこの国に住んでいない外国のお金持ち株主投資家と言うことになる。

 

だから日本人の発想は短期的に見れば自分だけが儲かるビジネスモデルではあるが長期的視点で社会全体が潤うかと言えば決してそうではない。どのような働き方=社会貢献が正解なのか、これも21世紀の日本がこれから真剣に考えるべきときだろう。てか、労働や利益を生み出すことが結果的に社会貢献であるべきだという考えが日本ではまだまだ一般的でない。

 

日曜日の午後に家族でヨットを見ながらお昼ご飯を食べているとそんな事を考えてしまう。競争原理はある程度働いているものの誰もが落ちこぼれなく楽しく生活出来て、そうだそうだ、この国ではデパートが朝9時に開店して夕方5時には閉店する、労働者も買い物に来る消費者も同じ立場で生活しているってのがよく分かる。

 

この楽ちんさと言うか誰もが幸せそうな顔で生きていける国は良いよね、子供たちが注文した超大型のニュージーランド産ステーキを見ながらスタインラガービールを飲み奥さんは英国製のお茶を飲んでる。さて月曜日からまた仕事開始。お父さん、頑張らねばである。

 

★記事追記

 アサヒは09年にシュウェップス・オーストラリアを買収し、オーストラリアで飲料事業を展開しているが、4日には、豪州飲料3位のピー・アンド・エヌ・ビバレッジズ・オーストラリア(P&N)のミネラルウォーター事業と果汁飲料事業を約163億円で買収すると発表した。

 ニュージーランドのチャーリーズ買収と合わせ、既存の豪州飲料事業との間でシナジー効果を高め、アジア・オセアニア地域での飲料事業を成長させる方針。

★記事終了



tom_eastwind at 10:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月03日

松本組

★記事開始

「知恵出さないと助けない」=松本復興相、岩手、宮城で発言

 松本龍復興担当相は3日、東日本大震災の被災地の岩手、宮城両県を就任後初めて訪問し、両県知事と会談したが、配慮に欠けるとの指摘を受けかねない発言を相次いで行った。

 達増拓也岩手県知事に同相は、「(国は)知恵を出したところは助け、知恵を出さないところは助けない、そのくらいの気持ちを持って(ほしい)」と話し、復興に向け、被災地側が具体的な提案を行うよう注文した。

 このほか、「九州の人間だから東北の何市がどこの県か分からん」とも述べ、政府の事務方が「しょっちゅう(被災地に)入っているのに、何をおっしゃる」とフォローする場面も。

 その後の村井嘉浩宮城県知事との会談で同相は、宮城県が漁港の集約化を国に要望していることについて、「3分の1とか5分の1に集約すると言っているけど、県の中でコンセンサス得ろよ。そうしないとわれわれ何もしないぞ」と述べ、県内での合意形成を急ぐよう求めた。会談の場に知事が同相より遅れて入ったことについても、「お客さんが来る時は自分が入ってから呼べ」と話した。(2011/07/04-01:28

★記事終了

 

最初に時事の記事で名前を見てそれから「九州出身」と言ってるのを聞いて、「こいつ福岡一区の松本一家じゃんか」と思い出した。

 

でもって次のネタ↓

その後東北放送 ニュースキャスターは「宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります」や「数分後、笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとしますが、これを拒否。応接室に緊張が走ります」という解説とともに、松本氏のブチギレシーンを放送。

 

ブチギレシーンを報じられたくなかったのか、松本氏は取材陣に向かって「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」と発言したのである。

 

 しかし、あっさりと東北放送(TBC)がニュースで「松本龍復興担当大臣が就任後はじめて、今日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました」と報道。そのニュースでは、宮城県庁を訪れて話し合った内容よりも、松本氏がブチギレしたことをメインに報じたのである。

 

松本氏が「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」や「(水産特区)は県でコンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。ちゃんとやれ」、「いまあとから入ってきたけど、お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか? 長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。わかった? しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」と言っているシーンをまるごと報じた。

http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokka/e/c3597c1f3cc1933ae829bda9d16c551a

★抜粋終了

 

いやいや松本さんちのバカ息子、ここにいましたか〜。部落解放同盟運動の父と呼ばれる松本冶一郎と言う爺さんを持つ福岡の名門左翼であり一家はほんとに「松本組」と言う名前のゼネコンであり現役の政治家でありながらその実態は北九州の裏表すべてにおいての実力者の一人と言える。

 

この地域は元々日本有数の炭鉱街であり麻生一家や松本一家は荒くれ者(川筋者)を取りまとめて名前を売り、爺さんの世代では部落解放運動に走ったが、やってることは警察や荒くれ者と肩を並べて腕力と知力で街を仕切っていた連中だ。

 

ただ松本龍は麻生太郎のような知恵も人柄もないので全国的には無名であったが、311以降急激に存在感(笑)を増している。

 

「おれは九州だから東北の何市がどこにあるかわからん!」と言うのは別に格好付けでも何でもなく本当に「わからん」だけである(笑)。

 

「お客が来るときは〜自衛隊なら〜」って、お前さん元々自衛隊大反対の社会党だよね、例えがすごいよな、本当なら「うちの街じゃな〜おれより先に座って待ってるもんだよ!」って言いたかったんだろうね、けどそれは通用しないからってんで少ない語彙から他の一般名詞を引っ張りだしたら、それがいつもハンタイハンタイ!を叫んでいる自衛隊だったってわけだ。

 

もちろんお叱りを頂いている当の県知事が防衛大学卒業後自衛隊のヘリパイロットであったことも分かっているので二重の意味で調子良かったのだろう。まるで思いっきり年下の新人をバカにするように笑いながら言ってるが、腹の中では全く笑ってないのがよく分かる。

 

「知恵出さないと助けない」と言うのは自分に知恵がない事をよく知っているからであり他人の使い方がうまい(笑)。

 

このあたり仙谷さんがおぼっちゃんばかりの民主党でドスを効かせているのと同じで、人間として必要な知識や政治家としての定見があるわけではないが常に表と裏の権力を使い分けながら時には笑い時には恫喝して自分の思う事を通させる世渡り技術である。

 

古い言葉では優秀な子供の行く末に「末は博士か大臣か」ってのがあったが、現実の世の中で代議士とか国会議員というのはかなり大変な人種の集まりであることは今の民主党左翼を見ると本当によく分かる。

 

ただしこの男、先見の明があるわけでもなく一般的に賢いわけでもなくじいさんの代から松本組当主がどう振る舞うかを見て来て覚えた「門前の小僧」である。お経を読んでも意味は分からない。今後も似たような事を繰り返すだろうな。


日本国全体から見たら松本龍大臣と言えばよほどエライ人と思ってから批評を考えるのかもしれないが、元々が社会党の攻撃部隊であり今も看板を替えたとはいえ人格は何も変わっていない。中小企業のワンマン社長が下請け先の社長を苛めて喜んでいる程度の話と考えてもらえばよい。





tom_eastwind at 13:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年07月01日

アクサ調査

★記事抜粋開始

震災後の日本を任せたい有名人のトップに映画監督、タレントの北野武(ビートたけし)さんが推された。2位は小泉純一郎元首相、3位は石原慎太郎・東京都知事だった。

 

 国籍を問わず、自由回答で答えてもらったアンケートの結果だ。アクサ生命保険が2050代の生活者1万人を対象に、震災後の人生観や価値観の変化を調べた。

 

 東日本大震災を機に、働き方に関する意識も変化したようだ。震災前に比べて、「高収入を得たい」と考える人の割合は10.1ポイント減り、「出世したい・社内で認められたい」という答も5.2ポイント減った。一方、「家族の近くで働きたい」は5.1ポイント増えた。「仕事と家族なら、家族が優先である」も2.8ポイント増えていて、仕事観の変化を映し出している。

 

 この調査は6月1013日にインターネット上で実施した。1都3県(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県)の男女1万人(男性5000人、女性5000人)から意見を聞いた。

★記事抜粋終了

 

ネタ元はこちら↓

http://www2.axa.co.jp/info/news/2011/pdf/110627.pdf

 

20歳から59歳の男女の意見でありネット環境にいる事が前提だからその意味では現在社会で毎日活動している中間層と考えてよいだろう。ほんとに今回の大震災が戦後の日本人の常識を少しでも変化させたのかもしれないと感じている。

 

家族の近くで働きたいってのは昭和の日本企業ではあり得ない考えであり国賊と言われてもおかしくなかった。仕事が忙しくて午前中に結婚式して午後から会社に戻るなんてのもありだった。

 

平成に入って日本が右肩下がりになりながらも中間層の人々はそれでも将来があると考えて高収入と出世を考えて60才からの楽な生活を夢見てたが「死んだら終わりジャン」と言う普通のことがやっと「普通の人々」の間でも理解されるようになったのだろう。

 

震災後の日本を任せるのがビートたけしってのはちょいと理解が難しい。日本に住んでいないのでテレビで彼を見る機会もないし週刊誌で彼が持ってるコラムを読んだりしても日本を任せるような人物にはどうしても見えないので、選んだ人々が世間知らずのお人好しなのか選ばないぼくが情報不足のバカなのか不明である。

 

日本人の一番得意な技とでも言うか、日本人は目的と手段をすぐに逆転させる。昭和後期は「家族の為に働いてるんだ!」と言うサラリーマンが残業と接待とで家庭の時間を作れずに結果的に家庭を壊しているのだが周囲もみな同じなので自分の矛盾に気づかずにいられた。特に右肩上がりで毎年給料が上がりボーナスで新しい車やテレビを買えるから家族も旦那の過剰労働を受け入れてきた背景もある。

 

しかしバブルが崩壊して昭和が終わり平成になると状況が変わった。仕事の目的が家庭の幸せであるのに手段を追求して残業しても昔のようには給料が上がらす週末に接待しても会社の評価には結びつかない。バブル期に購入したマンションのローンが家計を直撃する上にボーナスは減らされて新しい車も買えずに「あれ?これっておかしくないか?こんなに働いても家族が幸せにならないじゃんか」と気づくようになった。

 

そんな時に東北で大地震が起こり普通の人々が普通に生活をしていてもある日突然死んでしまう現実を目の当たりにして「これってもしかしておれだったかもしれないんだよね」となり、やっと目的と手段の違いが肌で感じるようになったのだろう。

 

この点、良くも悪くもキーウィは最初から60才での安定した人生はあまり考えていない。今日を楽しむ、今日を大事にする、今目の前にある家族を大事にする、将来的にどうするかも少しは考えているだろうが、基本は今日を楽しむである。

 

楽しみ過ぎて進歩がない国ではあるが(笑)、それでも彼らは1840年の植民地として開闢以来、あまり悩むこともなく楽しんで生きてきた。

 

「人生の成功者」などとものの本に書かれたりする人が果たして人生すべての分野で成功するかと言うとそんなことはないのは誰でも知っていることだ。

 

お金があっても他人を信じられずに精神的に貧しい生活を送っている人もいる。政治家として名を成しても子供が森さんちのバカ息子のようではどうしようもない。

 

けれどお金を作り立派な家族を作ったら作ったで今度はそこに至るまでに人生哲学をかなり学んでいるわけで、そんなもん学んだ日には毎日「人生とは?」なんて悩んでしまうから、結局どのような道を選んでも普通の人々が想像するような「成功者」なんてのは存在しないことに気付く。

 

そう考えたらモノに溢れているけどあまり幸せでない日本よりも、モノは少ないしシティでもよく停電するけど、毎日あんまり難しい事を考えずに楽しく仕事して、明日の事は明日考えようって感じで自宅でビールを飲みながらラグビーに興じるキーウィってのは銀行残高がゼロに近くてもとっても幸せなのだ。

 

けれどそんな事を言っても日本人はキーウィみたいに毎日をお気軽に楽しむ生き方には慣れてないしお気軽に考えることも出来ない。お気軽ではないけれど、でも今までの日本の生き方もどこか納得出来なくなっている、だからとても難しい状況になっているのだろう。

 

今日今すぐ判断する必要はないけれど、今を逃したらまたいつもの「311以前の生活」に戻ってしまい、次に行動を起こすことは出来ないだろう、そう漠然と理解している自分がいる。

 

日本人は外圧を食らうと確実に変化するが今回の地震は外圧でなかった、しかし破壊効果は外圧並みであった、だから皆が「さあ、どうしよう、どうすればいいんだろ??」と悩んでいるのかもしれない。

 

このまま自分だけが「人間らしい生活」や「家族を大事にする生活」に入ることは出来る、けどそれで世の中が変わらなかったら自分が落ちこぼれになるのではないか?そんな不安もある。けれど考えていても時間が過ぎていくだけ。今回だけは「先送り」がまずいんじゃないか、そんな気持ちもある。

 

アクサ生命保険のアンケート結果をみながら、これってほんとに難しい選択だよな、けど選択するしかないんだよな、うわ、大変な時代になってしまったなとつい思ってしまった。

 



tom_eastwind at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース