2011年09月

2011年09月30日

もいっかい、日韓

日韓問題

 

昨日少し教科書問題を書いたが、世界の中で日本と韓国と言う位置づけを見るとまさに依りそう(笑)良き隣人であるという気持ちしかしない。まさに兄弟の関係である。

 

どっちも西洋や中国から差別されながら一生懸命頑張って世界の中で上位に行こうとして、日本のトヨタやパナソニックが韓国のヒュンダイや・・としのぎ合う、その結果としてそれ以外の国の電気製品は殆ど存在していない状態だ。

 

これって世界の中では「ぜいたく」っていうんだよね。だって勿論価格競争で利益出しづらい問題はあるけど、じゃあアフリカのソマリアがこんな電気製品作れるか?米国でテレビ作ってる会社あるか?要するに世界の中で国家として数少なく立派に活動しているから世界でトップに立てる商品を作っていけるのだ。

 

日韓問題では国境とか教科書とか問題が取り上げられて日本と韓国の違いを問題にされる。けれどニュージーランドに住む僕から遠い目で見れば「は〜?」って感じだ。同じ人種じゃん。

 

重箱の隅をつつくような違いよりも重箱そのものの類似性をどれだけ見えているのか?まさに木を見て森を見ずのような感覚だ。

 

在日韓国人の問題がよく取り上げられて差別の対象となる。ばああっかじゃないかと思う。いいかい、今から1500年くらい前に朝鮮半島の人々が日本を侵略して朝鮮半島の人々の支配する国を作り、それを彼らは日本と呼んだんですよ。つまり今の日本は朝鮮半島の延長、だからこの国の象徴である天皇でさえ自分の出自は朝鮮半島ですって言ってる。

 

それまで日本に住んでいた先住民族である縄文人は分断されて支配されるようになった。ところが面白い事に日本を支配した半島人はいつの間にか自分の事を日本人と呼ぶようになり、自分の出自である朝鮮半島の人々を「朝鮮人」として差別するようになった。

 

ぼくはこの考えを10歳くらいの頃から頭の中に持っていた。うまく理屈では説明できないけど、在日韓国人問題は常に疑問に思っていた。20歳過ぎてやっとうまく言葉がつかえるようになって自分の気持ちを説明できるようになった。でもって今は海外で20数年生活する中で日韓問題が良く見えてきた。

 

結局日韓問題は兄弟げんかにしか過ぎないし兄弟なんだから本気で殺し合いをするなんてあり得ないと思う。北朝鮮は今は別だが一皮むければ同胞だ。しかし韓国と日本は本当に柔らかに良い関係を作っているし、これからも政府がバカをやらない限り良い関係が続くと思う。これはトルコ対ギリシャとか東欧の、とくに旧ユーゴスラビアのセルビアボスニアと比較すればどれだけ幸せだろうかと思う。あの町で殺し合いをした人々が今どんな顔をして生きているか。

 

多くの日本国籍保持者が韓国や朝鮮国籍保持者と結婚している。うちのかぞくも三つの国籍保持者だ。けど国の違いって何だ??くだらん目先の重箱の隅を突っついて喜んで連中がたくさんいるけど、それって何の為?

 

もう少し人間の為、地球の為にどうあるべきかを考えてみれば人種とか、どうでもえーやって思えるはずだ。

 

うちの子供が三カ国の国籍を持ち四か国の言葉を普通に話し、アジアと白人社会の中で生きてきた経験からすれば、日韓問題なんて子供の遊びであり兄弟げんかであり、楽しくがちゃがちゃやっておけって感じ。白人と本気で喧嘩してみるか、あいつらも戦いとなったら半端じゃなく強いぜ、喧嘩してみたら分かるぞ。

 

兄弟ゲンカなのだ、笑って楽しくやればよい。あはは、うちの娘とりょうまくんのようなものだ。りょうまくんの場合は本当に体力あるからお姉ちゃんに少々殴られても絶対にお姉ちゃんには手は出さない。当然だろう、男の子なんだ。日韓関係は少しぐれたお姉ちゃんと元気で真面目な弟、中国は厳しい父親、そういう位置関係で良いのではないかと思う。

 

日本を大好きな人にあえて言いたい、君らのような日本フェチが結果的に日本を孤立させて日本を滅ぼすんだって。韓国と言う素敵な兄弟と仲良くしようや。



tom_eastwind at 21:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月29日

日韓

昨晩も全日本ラグビーチームの方が山水に食事に来て頂いた。三々五々にご利用頂いたのだが、これって団体じゃないよね、けど皆さんご利用頂いたよねって感じ。当店の日本的な味をご評価いただいたのだろう、ありがとうございます。

 

自分でこんな事を言うのはみっともないと思うが、当店の小川シェフの作る和食は確実に美味しい。オークランドでもトップだという自信はある。派手ではないけど創作料理とかのように格好よくないけど、味はまさに日本で食べる和食である。全日本ラグビーチームの方がこの食事で一息ついて頂ければうれしい。

 

それからブログの文字化け?の対処策もコメント頂き有難うございます、ちょいとやってみます。

 

けれど「韓国の学生が日本の教科書問題?」ですか?届いてないような気がしますそのコメント?てかぼくはあまり教科書問題を取り上げていないのでそれ自体がぼくのブログネタとなるのかな??と言う気持ちもあります。

 

教科書問題についてぼくの立場は「まずは歴史認識の共有をしましょう、それまではお互いに相手を煽るような子供っぽい対応はやめましょう」である。

 

教科書問題は歴史認識の麺と他国への干渉と言う二面的な問題があり、これをきちんと分けて語る必要がある。しかし多くの意見は片方が歴史認識の話をすると片方が他国へ干渉するなと言う、ポイントのずれた回答をする。そこで両方が感情論になって訳の分からん場外乱闘になるのだ。

 

世界中様々な国家があるが、大体において隣同士の国家は常に歴史問題を抱えている。トルコとギリシアは第二次大戦以降の近代でありながら戦争やってるしタイとカンボジアなんてヒンズー教寺院遺跡の奪い合いで兵隊が出動して戦闘が行われた。

 

その意味で言えば日韓関係はずっとましだと思うべきではないか?殺し合いをするわけでもなく外交断絶するわけでもない。

 

ただこのような韓国からの一方的な喧嘩を売るような態度を日本人が国民性として嫌うのも事実であり、この点韓国はもう少し大人の対応をしてもらいたいと思う。

 

オークランドの韓国学生が教科書問題を取り上げていたという事だが、もし彼がこちらの言い分を感情的になって聞き耳を持たないなら無視する事だろう。彼がそれでアジテーションをするなら公開議論をすれば良い。

 

両者に利害関係のない、大学で世界の歴史をきちんと学んだ白人を視聴者として両方の意見を聞いてもらい彼らから見た「状況判断」をしてもらえばよい。今の状況ではまず確実に日本の意見が通る。ただ、だからと言ってそれで韓国を煽るような行動を取ればそれは子供じみた行動であり無意味な不調和を産むだけだ。

 

なので最初の話に戻るが僕の個人的な意見は「この件は一旦棚に上げて問題点を歴史認識と他国への干渉と言う二つのテーマに切り離して両国の識者で議論整理してもらう事」だと考えている。

 

感情論は結果的に破壊行動しか生まない。やるべき時はやる、しかし毎日喧嘩をしているようではそれまた何も生産的行動とは言えない。この件、書き出すと長くなるので明日にします。



tom_eastwind at 21:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月28日

ぼっちゃんたちのお喧嘩

自民党河井議員と民主党平岡法相の可愛らしい「ぼっちゃん喧嘩」


あれ_色が黄色になってるぞ。どうしてだ?意味が分からんがとにかく文明についていこう(苦笑)。」

http://www.youtube.com/watch?v=9hcvvM8xJgc&feature=colike

 

いっや〜、可愛らしいな、昭和の時代の殺し合いのような迫力もないままにお互いに上体を反らしながら手を出してぽこぽこやってる、ほんっとかわいいな〜。子供の遊びじゃん。ぼくらの時代と本気度がぜんぜん違うな。

 

けど問題は、そんな可愛らしい子供たちが国政を制御しているって事であり、この状態に一番近いのはアフガニスタンがロシアを追い出した後に英雄割拠で中央政権が成立しなかった時にタリバンと言う神学校の生徒がいきなり中央政府を作ったような印象を受ける。

 

タリバンの中心メンバーはまさに学生であり理屈を振り回し武器を振り回し群がる地方の豪族を排除していったが、政治的にはまさに子供。そこをうまい事アルカイーダに突っ込まれて自分の権益を渡してしまい、それが911に続くことになる。

 

今の民主党のにいちゃんたちを見るとまさにその感がある。にいちゃんたちさ、子供の頃に物理的に人を殴るって喧嘩した事ある(笑)?世の中は東大だけで出来てるわけではないのですよ、どこまでいっても最後は「手に職」の部分があるわけで、殺し合いの怖さを知らない人が国歌を運営して自衛隊の出動に指示を出せないわでは、話は前にいかないのですよ。

 

今回の平岡法相の、言ってることはよく分かるけど、それってバカ晒してるだけでしょって発言は、うーん、って感じだ。

 

何故小沢さんのような連中が生き残っているのか_?それは現実が彼を必要としているわけでありその駆け引きを理解した上で喧嘩しないとさ、今回の国会のようなぼっちゃん喧嘩は、犬も食わないよ。ばーか、て感じ。



tom_eastwind at 19:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年09月27日

「ハイパーインフレの悪夢」アダム・ファーガソン


「ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する」と言う副題が付いた歴史ノンフィクションだがテーマはインフレーションが社会に引き起こす恐ろしいまでの崩壊である。1975年に出版された当時はそれほど注目されなかったが2008年のリーマンショック時に米国の伝統的投資家ウォーレンバフェット氏が「金融危機を考える上で必読」と述べたと伝えられて評判になった。氏は否定するものの2010年に復刊された本である。


★上記は本書に寄せられた池上彰氏の文章抜粋です★



この本は第一次世界大戦で巨額賠償を背負わされたドイツがいかにインフレーションに陥ったかを歴史と時系列を突き合わせながら様々な角度から立体的に描いていくのだけど、まるで今の日本を見ているようで途中から怖くなった。



日本が長期負債を抱えていながらも他国の金融危機が先に起こりその度に安全資金と見做された日本円へ投機資金が移動して日本円は70円台に張り付いたままであるが、では日本円はいつまで強いのか?



通貨は二人以上の人間が信じ合うから存在価値があるわけでその信頼を失ったら紙切れになるというのは経済の世界では当然の帰結であるが多くの一般市民は通貨に対して紙切れと言う認識を持ってない。



では円は今のレートが適切なのか?これにはたくさんの経済学者が様々な意見を述べている。適正と言う学者もいれば高過ぎと言う学者もいる。しかし両者に共通しているのは、日本は莫大な政府の赤字を抱えているという事だ。



その赤字を800兆円と言う人もいれば1300兆円と言う言う人もいる。どちらにしても年間収入である歳入約40兆円の最低でも20倍、最高で見れば30倍以上である。



日本をバランスシートで見れば負債は多いが対外資産もあるし国内でも国債を使って新幹線や高速道路を作っているから財産が残っていると言える。いろんな見方が出来るのでなかなか正確な日本の画像が見えない。



ただ、一つだけ言えるのは財務省は赤字体質の国家を好きではないし国際会議の度に日本の赤字を指摘されるのは全然うれしくないし早急に国家を筋肉体質にしようとしているのは事実だ。



ぼくは野田政権に移ってから暫く政治ネタは控えていた。松下政経塾出身者がどのような国家運営をするかも個人的に興味があるし現時点で何か批評するのは時期尚早だと思ったからだ。しかしここ数日の増税論議で、おお、やっぱりこの人の方針は増税政権なんだなってのが理解出来た。



増税そのものは国家が必要とする限り行うべきである。しかしそれは常に公正であり透明であるべきだ。一部の連中がぼろ儲けをする中で多くの真面目な人々が到底払えない程の税金を課すのであれば、それは間違いなく国家の崩壊を招く。



今の日本がまさにその状態である。群馬県のダム建設は民主党政権の下で中止することになっていたのがいつの間にか既存既得権益連中の画策で再開されようとしている。不要なダムを作り車が走らない道路を作り国民の税金でぼろ儲けをする連中がいる一方で真面目に働いている人に重税を課せば、それは確実にデモや愛国心と言う名前の下で過激な行動が発生することになる。



そして何よりも怖いのは、普通の日本人が怒りだしたら思考停止状態に陥り、理屈では止まらず徹底的に行き着くところまでやってしまうという国民性だ。



今の日本で増税をするにしても、その前にやることがたくさんあるだろう。まずは無駄な公務員の削減、国会議員の削減、同時に公務員給与体系を民間に準拠させて賃下げをする事である。人事院見直しで0.2%?ふざけんなっちゅうの!日本のデフレは何年続いているのか?その間公務員給与はどれだけ「見直し」で賃下げされたか?全然バランス取れてないでしょ!



そのような目に見える不公平を放置しながら国民に「もっとカネ頂戴〜」だと?通るわけがないでしょうが!



ところが民主党では労組が母体になった議員が多いから公労協の利権には手を出せず、片方では経済界から支援を受けている議員もいるから結果的に撮りやすい処から取る、つまり一般労働者にすべてのしわ寄せが来ることになる、政府からすれば彼らが絶対に反対しない隷属のヒツジと思っているからだ。



しかし僕が一番怖いのはこのような増税と不公平とそれによるデモではない。デモはどれだけやっても所詮は示威行動であり政治的な影響を与える事は出来るが経済的な影響を与えることは少ない。



ところが財務省には経済的な影響、つまり政府が抱える800兆円〜1300兆円の借金を帳消しにする打ち出の小づちがある。それがハイパーインフレーションである。政府はその気になればいつでもハイパーインフレーションを起こすことが出来る。時期だけ決めたら後は役人が個人資産を外貨建てに切り替えてからインフレを起こす。



そしておとなしく国債を個人で買った人や銀行が持つ国債はすべて紙切れとなる。昨日まで1万円で何とか貧しくても夕食が食べられたのに今日は1万円でトイレットペーパー1ダースしか買えなくなる。



国債を購入した時の1万円の価値が、あっと言う間に100円になる。そうすれば国が抱える800兆円の借金は100分の1、つまり8兆円と同じになる。そうなれば国庫収入が40兆円あるから数年で国家の借金は返済できる。



ドイツで起こったハイパーインフレーションはアドルフヒットラーの台頭を招き欧州は戦渦に巻き込まれそれは世界に拡大して第二次世界大戦を招いた。



しかし今の財務省にそこまで先を読んで「だからハイパーインフレーションはダメだ」と考える勢力がどれだけいるのだろうか?または「国民なんてどれだけ絞っても我慢する奴隷羊なんだからやっちまえ!」と言う“イケイケ派閥”もいるのかもしれない。



もし皆さんも時間があればこういう本を読んでみてはいかがだろうか、長年のデフレに慣れてしまって「インフレもいいかも」と思う気持ちを一発で吹っ飛ばすこと間違いない、真夏のお化け屋敷並みの本である。 


 


ハイパーインフレの悪夢
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tom_eastwind at 18:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2011年09月26日

パラレルワールド

日本。真っ黒な、まるでタールを流し込んだような日本海が見えてきた。

 

この夢の話は本当に夢の話だ。ブログで書くには少しやばすぎるかもしれないとも思ったが決して煽りではない。こんな事書くから本気で実行しようと思うやつが出てくるんだ、そう言われるかも知れないなとも思った。けれどぼくが夢で見られる程度の内容である、誰でも思いつくことが出来るだろう。だからあえて書いておく。

 

ぼくはパラレルワールドと言うのを結構信じてて、今この同じ時間にほんのちょっと違う世界が隣に存在しているって思うくちだ。だからぼくが見た夢は実は夢ではなく今の日本とほんのちょっとだけ違う、けれど間違いなく存在する隣の世界の話なのかもしれない。

 

事の始まりはほんのちっちゃなデモだった。フジテレビの韓国ドラマの放映の多さにうんざりした若者がお台場で嫌韓デモを行ったのだ。標的となったフジテレビでさえデモのニュースは流さず多くの日本人は「テレビに出てないからデモはない」となりデモはリアル世界では抹消された。

 

しかしネット世界ではお台場のデモは大きな反響を呼んだ。やれば出来るじゃん。この事件を見ていたのが米国である。何だ、今の日本には見えないところで若者の強烈なエネルギーが渦巻いているぞ、だったらこれを愛国ってテーマで煽ってみればいけるんじゃないか??

 

米国(英米と言うべきだろう)には大きく分けて二つのグループがある。オバマとクリントン政権が訴える「軍縮と世界の多極化」グループ対「米軍や兵器産業と白人至上主義者」グループである。

 

どちらもそれなりに世界平和を考えている。多極化グループは武器を捨ててビジネスをグローバル化させて白人優位の状態でたくさんの人々をゲームに参加させて多くの利益を得ようとするものだ。

 

これに対して白人至上主義者は、アジア人やアフリカ人に世界観なんてない、あいつらに教育を与えても無意味だ、あいつらには適当に餌をばら撒いておいて放置で十分、世界の資源と平和を守るのは貴族の義務を理解している英米系白人で独占すべきだと考えている。

 

どちらも自分が正しいと考えているし実行する力がある。彼らは数世紀の間にわたり時にはロシアを舞台に、時には中国を舞台に、時には日本に移して戦ってきた。

 

白人至上主義者は戦いを好む。相手に強制を強いて自分の支配下に入れるのが好きだ、時にはそれを暴力的に行う、その方が兵器が売れるし米軍の軍縮をしなくて良いからいつまでも世界の警察でいられる。だから米国が太平洋の第二国境まで撤退する戦略、つまり米軍のグアム移転と中国の空母建設容認は至上主義者としては好ましいことではない。

 

米国の軍事優位性を保ちながら中国と取引しようとすれば空母建設は困ったものである。空母自体の性能はすでに把握している。問題は中国が自国の近海に空母を浮かべて制空権及び制海権を支配して軍事的に東アジアの盟主となる事だ。そうなると米国の利権である日本や韓国で美味しい思いが出来なくなる。

 

ならば米国の存在価値を高めるために戦争が必要となる。イラクやイランは遠すぎるし自国の兵士が死ぬのは世論が許してくれない。中国と直接戦闘をやるのは無意味だし危険だ。彼らの自国領土は広く侵攻は出来ないし中国とは経済的にうまくやっていきたい。

 

ならば仕掛ける相手はならず者国家の北朝鮮だ。そして兵隊を出すのは日本だ。米国は沖縄を中心に後方支援を行うのみにして日本軍に兵器や最新戦闘機を供与するのだ。沖縄を補給基地にする事でグアム移転なんて話は吹っ飛ぶからだ。辺野古がどうのと沖縄県の連中に振り回されて細かい話をする必要もない。

 

福岡から平壌まで750km、日本空軍のF15は増漕付けて4630kmの航続距離を持つ。福岡から発進させてマッハ2。5で平壌の上空まで15分程度で到達して爆撃出来る。北朝鮮の持っている戦闘機はどれも時代遅れのミグでありF15相手に戦うのは不可能。

 

北朝鮮が持っている対日本で有効な武器は唯一ノドン中距離ミサイルであるがこれは米国本土には届かない、届く可能性があるのはテポドンだがこれは撃墜可能だし目標までまともに飛ぶかどうかも分からないのでそれほど心配する必要はない。つまり米国は自国の兵も領土も傷めずに自国の存在価値を東北アジアで保持する事が出来るのだ。

 

ならば今必要とされるのは何らかの引きがねである。日本人が本気で腹を立てて北朝鮮に侵攻する「理由」だ。若者の閉塞感がデモを生み出すほどに今の日本には若年貧困層に不満が溜まっている。そしてFukushimaは日本人の心に大きな傷をつけた。核は日本人にとって特別に苦い思いを持っているのだ。

 

ならばここでやるべきことは?まずは北朝鮮の核疑惑を徹底的に情報操作して彼らが核を持っている事にする。次に拉致問題を大きく取り上げて北朝鮮に対して「返還要求」を行い、北朝鮮をいらいらさせて反発したくなるような状況を作る。

 

それから日本国内で北朝鮮国籍の人々を狙い撃ちにする日本人若者集団を作り上げる。不満の溜まった若者が誰か(実は米国)に金を貰って特定の人々を狙い撃ちしても日本人は被害者にそれほど同情もしないだろう、むしろ「嫌なら帰れ!」となるように世論を仕向けてしまえ、このあたりは週刊誌がいくらでも動いてくれる。

 

ここまで来れば北朝鮮は「自国の人々を日帝の理不尽な暴力から守るために」何らかの反撃を行うだろう。北朝鮮国籍の人が日本で一人被害を受ければ、世界に散らばっている日本人を一人誘拐して北朝鮮で拘留する。ここのミソは実際に誘拐するのが北朝鮮のスパイでなくても良い、つまり米国の手先が誘拐しておいて北朝鮮がやったように見せかけるのである。

 

ここまで来ると日本政府も本気で怒る。自国民を解放せよとなる。解放しなければ北朝鮮の国土へ直接攻撃を仕掛けるぞとなる。このあたりで国民を扇動して興奮させて愛国心を盛り上がらせるための作戦を発動する。

 

テレビや新聞やネットで拘留された日本人が拷問を受けているような映像を流す。これで決まりだ。日本政府は交渉で解決したいが国民がすでに発狂してしまい、即時全員釈放を要求して国会前で1万人くらいのデモが開催される。このデモに北朝鮮国籍の人々が反発してデモ隊が殴り合いになる。その力がちょっと強すぎてお互いに死亡者を出してしまう。(これも実は米国のやらせである)

 

これに怒った北朝鮮は遂に軍事行動に出る。中距離ミサイルを日本に向けて発射準備させるのだ。日本政府はぎりぎりの時点まで交渉をしようとするが、ミサイル燃料を注入する映像を見せられた国民はそんな事では収まりがつかない。すぐにジェット戦闘機でミサイル基地を叩けとなる。

 

福岡から平壌まで750km、日本空軍のF15は増漕付けて4630kmの航続距離を持つ。福岡から発進させてマッハ2。5で平壌の上空まで15分程度で到達して爆撃出来る。北朝鮮の持っている戦闘機はどれも時代遅れのミグでありF15相手に戦うのは不可能。ミサイル基地の爆撃に成功した日本のジェット戦闘機パイロットは国民の英雄として迎えられる。

 

そしてその数日後、北朝鮮による報復軍事行動が発動された。敦賀の原子力発電所を襲撃して爆破させるのだ。平和ボケしている日本人は原発の警備に軍隊を使っていない。武装した兵士もいないような建物など訓練を受けた兵士からすれば豆腐の中に箸を突っ込むようなものだ。

 

北朝鮮の兵士は小型船で敦賀近くに上陸して原子力発電所まで一気に駆け抜ける。警備員を射殺して施設内に侵入、核燃料の入った原子炉に爆弾を仕掛ける。急報を受けた自衛隊は急いで駆け付けるが北朝鮮特殊部隊に阻まれる。そして時間は刻一刻と過ぎ、ついに爆弾は・・・。

 

まさに「そんなんあるかいーだ!」であるが、絶対にないと言えるだろうか?もしぼくが米国人で白人至上主義者でオウムのような狂信的な信念を持ってればすべてが実行可能なプランである。

 

★なんて事を一晩中夢見てたんだから、こらやばいっしょ。平壌の空を飛ぶF15、テレビの前で発狂する民衆、一方的に差別と虐待を受ける北朝鮮国籍の人々・・・。

 

ボスニアでは戦争が起こる半年前まで誰もがセルビアによる侵攻があるなんて思わなかった。昨日まで仲良く過ごしていた隣人が、人種の違いと言うだけで兵士によって虐殺されるなんて思ってもいなかった。けれど人種差別は一度始まれば留まる事を知らない。一度始まれば常にどこかで不信が生まれて、殺される前に殺してしまえ、そういう心理が働き、人々は狂気に陥る。

 

旧ユーゴスラビアで起こった戦争は誰もが予想しない方向に進み誰もが望まない虐殺の戦争となった。昨日まで友達だった連中が今日は武器を取って自分の前に立ち向かい銃口を向ける、そんな事が本当に起こったのだ。

 

それがなぜ今の日本と北朝鮮の間で起こらないと言えるか?

 

安倍政権の時もぼくは不安を感じた事がある。一般のニュースから見るだけでも十分に一触即発の感じがした。当時の非公開資料はまさにそうだったと書かれている。

 

何故こんな事を書くのか?それは今の民主党政権があまりに真面目すぎて原理原則を大事にしているからである。やれる、間違いなく北朝鮮と戦争出来る状態にある、国家として譲れない事がある、その通り。しかしその結果として何が起こるか??

 

今の日本には多くの構造的な問題が横たわっており今までの思考回路の延長では絶対に解決出来ない状態にある。そこを自国の利益だけの為に日本と北朝鮮を噛み合わせる連中が出てきたら・・・今の日本は確実に引っ掛るであろう。

 

これが別世界の事であればと本気で思う、夢物語でした。



tom_eastwind at 18:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月25日

サマータイム

サマータイムが始まった。今日は昨日までの今日なら8時なのに実際の今日は9時と言うやつだ。毎年この現象を見て「うわ、一時間損した〜」と言う人々がいる。では聞きたい、あなたはその1時間で何をしたかったのか?寝たかっただけだろ。

 

自分を磨くために早起きして勉強するとか運動するとかそういうプラス思考は全くなくて、とにかくなまける為だけに損した得したとか言ってるけど、それって結局政府に振り回されてるだけでしょ。

 

だって政府がどう決めようとサマータイムであろうがウィンタータイムであろうが一日の24時間ってのは変わらないわけだしその時間をどう有効活用するかは本人次第だ。なまけて過ごすもよし勉強して過ごすもよし、けれど大事なのは他人の決めた事に振り回されるなって事だ。

 

ましてや他人の決めたことに一喜一憂してるなんて馬鹿みたいと思わないか?それよりも自分で出来る事を自分で作った24時間予定表の中で消化していくことの方がよほど大事と思わないか?

 

そういう自分で自分を磨く努力、自助努力と言うのが今の世の中には決定的に欠けている感じがするのはぼくだけではなかろう。

 

自助努力が不足してきて最近言われるのが「くれない病」だ。〜してくれない、とか、自分でやれよ、ぼけ。手がなければ足が、足がなくても脳みそがあるんだろ、やれることやろうよ。

 

要するに甘えているのだ。政府や組織や会社や、周囲がどうにかしてくれる、ぼくの安全は誰かによって保護されているはずだ、だって原発は安全です、社会は安全です、リスクなんてありませんって教え込まれてきたのだから、だから何かあれば何かにすがればよい、そう思ってるからサマータイムになれば文句を言いつつ自分では何もしない。

 

そのような政府や組織や会社を支えているのが実は自分であるという認識を全く持たないからいつもぶら下がりで「くれない病」になる。

 

くれない病ってのは最近の老人を指して作られた曽野綾子の造語であるが、これは何も老人に限った事ではなく若年層にも広がっている。その原因はいろいろあるが、まずは世の中が安全であると教え込んだ政府の教育に第一義の責任があると思う。

 

世の中に絶対の安全なんてあり得ない。人生なんて常にリスクとリターンの比較衡量でしかない。リスクを取ってリターンを狙うか、リスクを取らずにリターンも不要とするか、それは本人が判断すれば良い。しかしリターンを狙わないからと言ってリスクがゼロになるわけではないって事がどうしても理解出来ない人々が若年層も含めて多くいるのが今の日本の現実だろう。

 

そのような現実をきちっと教えてないから、立派な大学卒業して一流企業に就職して普段はエラそうな事言ってる課長さんクラスで嫁も子供もいるのにいつまで経っても世の中の現実を理解せずに組織の中で甘い事ばかり言ってそのくせ何かあれば辛い現実から目をそらして「だってxxさんがやってくれないんだもの〜」と自助努力をしないままに誰かに頼ろうとする。君の国際労働市場での価値がいくらか、一度でも計算してみたことがあるか?

 

相互扶助とはお互いに助け合う事だが、社会に参加する全員が自助努力をせずに誰かに助けてもらう事だけが当然と思うようになれば、そんな社会は当然のことだが崩壊してしまう。

 

それなのに今の日本を見ていると扶助のみを望み自助をしない人々が増え、またそのような環境を「心地よく民衆を制御できる」とバカ喜びしている政府がいる。政府は自分が創り出したバカが結局は国を滅ぼすって事に、いつになったら気づくのだろうか?

 

てか、今ならまだ間に合う気がする。政府が今気づいて国民にリスクを説明して国民に判断を委ねる方向に切り替えれば、今の政府と言う形態は崩壊するが日本はまた世界のトップに立てると思うしその時の政府は世界のトップクラスの政府として世界から評価をされると思う。

 

サマータイム初日、バカの「損した」書き込みに思わずイラっとなり、「夢の話」は明日。



tom_eastwind at 11:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月24日

想定内の事象?

★記事開始

東京電力は23日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋1階にある格納容器に通じる配管2か所から10000ppm(1ppmは100万分の1)以上の濃度の水素を検出したと発表した。

 

 東電は予想以上の濃度としている。量は分からないが、現在も格納容器内に想定を超える濃度の水素が残っている可能性があるとした。

 

 10000ppmは1%に相当する。水素は4%以上、酸素は5%以上が同時に存在すると爆発の危険性が高まる。東電は、4月から格納容器への窒素を注入しており爆発に不可欠な酸素がほとんどないと思われることから、直ちに爆発の心配はないとしている。

 

 水素は、格納容器内の放射性ガス浄化装置の設置工事に先立った配管点検で判明した。東電は、詳しい濃度を調べた上で、配管に窒素を注入して中の水素を追い出すとしている。

 

 東電は、格納容器内の水素残留そのものは想定内であり、放射性ガス浄化装置の設置工事への影響もないとしている。

★記事終了:読売新聞9月23日付

 

毎回これだよね。一応事実はそれとなく発表しておいて、後になって「隠してた!」と言われないように責任逃れの逃げ道を作っておく。でもって水素と酸素が混ざると爆発する可能性があると言った上で「けど直ちに爆発の心配はない」と言う「ただち」はいつまでを示すのかは明確にしない。けど爆発があっても「ちゃんと言ったよね、爆発って言ったよね」と逃げる。これだけの短い文章でこれだけの責任逃れの言葉を並べるけど、じゃあこれってどうなのか?

 

雁屋哲のブログ「今日もまだ」より引用

★抜粋開始

福島第一原発では、原子炉を冷却するために炉内に注水している。その水は全部熱によって蒸発しきる訳ではなく、汚染水としてたまっていく。それが限界に近づいて、このままでは海に捨てなければならなくなるので、汚染水処理施設を作った。その汚染水処理施設を見て、私は震え上がったのだ。

 

汚染水が貯蔵されるタンクに、汚染水処理施設まで、何本ものホースが繋がれている。しかし、そのホースは、なんと地面にごろりと転がっているだけなのだ。ホースは、原発敷地の中を一周4キロに渡って巡らされている。その途中で、ホースは何本も繋がれている。

しかし、その繋いだ個所は白い土嚢で覆われているだけである。そのホースは特殊で頑丈で、家庭で使うホースよりは丈夫だそうだが、所詮はホース。そのような、ホースが、何の耐震装置も、大水対策もされず、地面に転がっているのである。それも、全長4キロも。

もし、台風12号がもたらしたような洪水に、福島第一原発が襲われたら、こんなホースはたちまちぶち切れてしまうだろう。中略

台風15号が、太平洋側に接近している。雨雲の予報では、どうも、福島県全域に雨が降るようだ。あの、ずさんな配管が、どうか無事でありますように。

★抜粋終了

http://kariyatetsu.com/

 

雁屋哲氏は偶然にも自作「美味しんぼ」で原発問題を取り上げたばかりで単行本化されたそのすぐ後に福島原発が吹っ飛んでしまった。彼は自分のブログで原発の危険性を再度訴えたが、あっと言う間にものすごい反対意見で炎上してしまい遂に彼は一時ブログを閉鎖した。そして最近やっと再開したのだが今回は上記のような汚染水ホースの問題を指摘している。

 

豪州に原発はなく唯一研究施設としてアイソトープを扱っているが実質的に原発に頼らないエネルギー政策である。だから日本在住の人からすれば「お前だけ逃げやがって、高みの見物かよ」と言う気持ちもあったのだろう。

 

彼の書き方も良くない。彼は自分のみが正しくて自分のみがすべての真実を知ってて政府や大企業は常に嘘をつく、だから国民の皆さん、すぐに逃げなさいと言う。しかし彼は逃げない国民も同じ人間だし他人の決めた事をどうこう口出しする権利はないって事を考えようとしない。

 

雁屋哲氏が「福島は危ない!皆逃げろ」と言う権利を認めてしまえば逆に「雁屋哲は危ない!あいつは基地外だ!」と他人が叫ぶ権利を認めるのと同じ事だ。

 

だから福島にいてどのような判断をするかは最終的には個人の問題であり、雁屋判断を聞かなければ間違い、なんて書き方をするのは良くない。

 

しかし現実的にこのようなホースの問題を聞くと、やはりぞっとするのは事実である。汚染水が蒸発するってだけで、汚染水に含まれる放射能が今も北日本を漂ってるって事だし、汚染水のホースが破れたら地面や海に垂れ流しになるってのも事実だ。

 

なのに東電発表はあいも変わらず「安全です、問題ありません」の繰り返しだ。これで水素と酸素がぶつかって水素爆発を起こしたら「ただいま水素と酸素が化合されまして焔硝の事象を起こしましたが問題はありません。炎は地上100mに上り周囲数キロは焼け野原、立ち入り禁止となりましたが想定内の事象です、問題ありません」とでも言うのだろう。

 

それにしても土曜日の朝から楽しくない記事だった。けれど実は金曜日の夜から今朝にかけてみた夢の方がかなりやばかった。僕は何もない日は夜の9時過ぎには就寝する。でもって朝の3時ころに半分うつら状態で目が覚める。そのまま体を動かさずに脳みそだけ動かして仕事を開始するのだ。

 

例えば一昨日から昨日の朝にかけては今までずーっと悩んでいた山水レストランの内装やサービスマニュアルが一気に夢の中から出て来た。あ、これじゃん!まさに天から降ってきたとしか思えないアイデアが続出して、それがすべて具体的な形になって色と共に降りてきたもんだから片っ端から記憶に突っ込んで、朝6時にベッドを出るとすぐにパソコンを立ち上げてデータに落とした。そしてそれを金曜日のミーティングで話をすると聞いてる側も「なるほど」と納得してくれた。

 

こういう、夢と言うか空想と言うか、とにかく何とも言葉で説明出来ないんだけど、今は形もなく存在しないけど、確実に「そこにあるもの」が見えてくることがよくある。ほんとに理由は分からないが今までの思考の延長線上に存在し得ないものが出てくるのだから「跳躍」とでも呼ぶか。

 

その跳躍で昨日の夜から今朝にかけての内容が少しやばかったものだから、まだ頭の中の整理が出来てないけど、出来次第まとめてみたいと思う。いずれにしても原発どころの騒ぎではない、原発が懐かしくなるような「事象」だ。



tom_eastwind at 08:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月23日

「捕食者なき世界」ウィリアム・ソウルゼンバーグ

食物連鎖と言う冷徹な言葉がある。同時に「まあ、鹿がオオカミに襲われて食われて可哀想〜」ってお涙ちょうだいの感情論もある。

 

この本は動植物、つまり世界の地上で生き続けるいけとし生けるものすべての連鎖をテーマにして、森が滅びるのは人間が目先の感情に流された時だ、とか、海が滅びるのは森に栄養がなくなった時だと訴えている。

 

つまり簡単に言えば人間がその場の思い付きと感情論だけで自然に手を加えた瞬間に自然は思いっきり人間に懲罰を与えるという事だ。

 

物語はアリューシャン列島のラッコの話からイエローストーン国立公園の鹿の話まで、世界中の様々な事象を取り上げながら最高捕食者(Top Predetor)がいなくなることで結果的に食物連鎖が破壊されて自然が崩壊する様子、そして最高捕食者を戻すことで元の自然を取り戻す様子が描かれる。

 

例えばオオカミが最高捕食者として存在していたイエローストーン国立公園で1920年代に最後のオオカミを「自然と動物保護の為」と撃ち殺した結果、鹿が異常繁殖して彼らが木の若芽を食べつくし森は赤土の焦土と化し川辺のハコ柳は絶滅して岸辺が崩壊して川と陸地が泥沼となり、それが岸辺に住む鳥を追い出す事になり、岸辺に本来住んでるはずの自然の生き物が生存出来ない状態になった。

 

この本を読んでて一番感じたのは無知の感情論の怖さである。人間は現時点では世界の動植物の最高峰に位置して彼らの生息権を握っている。しかしそれは冷静さを欠き感情の身に流され自分が正しい事をしていると信じ切っているオカルト集団とまさに同じなのである。

 

人々はオウム真理教を狂信的集団と呼んだ。しかし日頃勉強しない人々は多くの場合騙される。地球温暖化とかCo2問題なんてまさにその骨頂であり、ありもしないとは言わないが科学的に証明されていない事を信じ切って彼ら「地球温暖化軍団」に膝まづき彼らにお金を渡して自分は地球の為に戦っていると本気で信じている。そしてCo2を広告に謳い「当社は地球にやさしい企業でございます」とバカを晒している。

 

この本はそのようなバカに一冊献上して、自分の持っている信心がどれほど馬鹿げているかを考える機会になるのではないか。

 

ちなみにこの本では西大西洋のマグロの問題も取り上げているがクジラはそれほどではない。白人が書いた本としては常識の範囲内で収まっている。てか、作者のように実際に自然の現場を自分の足で回ってきた人からしたら白人寄りでありながらもバランスの取れた結論となっているのが良い。

 

出来れば次回は日本が数百年の昔から自然と共生してきた民族であり食糧となる魚や肉を常にバランスを取りながら、更に食料となった動物や植物に感謝を捧げる習慣を本にしてもらいたいものだ。



tom_eastwind at 18:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2011年09月22日

社長元気で留守がいい


日本は台風が襲って大変な事になっている。台風14号で関西方面に大きな被害が出たかと思えば立て続けに台風15号が日本本土を北上して、東京では311以来の帰宅難民も発生したとの事。

 

この台風は予め予測されており大きな被害を出しながら都内を直撃したのだから台風を受ける方もそれなりに準備は出来ていたと思う。しかしそれでも帰宅難民が発生するのは東京の人口が多すぎるし業務によっては大雨の中でも出社しないといけない事もある。

 

そんな中BLOGSで「弊社東京オフィスの完璧な危機管理対策について」と言う記事を見かけた。内容は社長が海外出張中で取締役2名も不在の状態で現場の社員だけの判断で「本日は解散!」と決めて昼過ぎには全員退社した顛末である。

 

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/09/post-c810.html

 

勿論業種によっては「解散!」と言うわけにはいかないだろう。しかし多くの仕事がネットなどで処理出来る企業や部門であれば「解散!」ありだ。どこで仕事やっても同じなのにあえて都内まで出勤して台風のど真ん中で帰宅難民になるのはどう見ても馬鹿げている。

 

この企業は大企業でないからこんな判断が出来たと言えるかもしれない。しかし大企業であることが台風の中を出社させて帰宅難民を産むのであれば中小企業でも小回りと現場の判断能力のある企業の方が仕事をしてて楽しいでしょ。

 

ツイッターからの引用

「引用」今までウダウダしてて、今から帰宅指示とかいう会社は早めに止めたほうが良いよ。状況把握能力と判断力に欠ける=経営もヤバいでしょ

 

「ウダウダ」と言う言葉に代表されるように、要するに誰も責任を取りたくないから誰かが言い出すのを待っているうちに「ウダウダ」としてしまい、船が沈み始めてから現実の事態に目が覚めるとなるのだ。リーダーがいなければ二番手が責任を持って判断するが、その責任を取るのはリーダーであるという仕組みがしっかりと二番手及びそれ以下に浸透しているかどうかである。

 

これは話が大きく飛ぶが実は戦争と同じだ。戦場では現場の指揮官が狙い撃ちにされることがしょっちゅうである。指揮官が倒れた瞬間に二番手が指揮官に自動的に昇格してすべての判断を行うのは戦場の鉄則である。そうでなければ指揮官を失った兵隊はどう戦えばよいかも分からずに各個撃破されてしまう。誰かが指揮を取らねばならない、だから二番手が一時的にその部隊の指揮を執るがしかし最終責任は必ず最高責任者が取る、途中の一時的指揮者に責任をかぶせてはならない。その仕組みが完ぺきに出来上がっているのが軍隊であり、だからこそ組織として戦う事が可能なのだ。

 

ぼくは個人的には現場の判断を常に優先するようにしている。仕事がうまくいってる時は出来るだけ現場に口を出さず現場で判断させる。判断能力が鈍ってきたり方向性が間違っているときだけ現場を指揮する。

 

第一ぼくは月のうち半分近くが海外出張である。東京でばたばた仕事しているときにニュージーランドからわざわざ連絡が来て「すみません、午後から暴風雨なんですがどうすればいいでしょうか?」なんて聞かれたら「そのまま自宅に帰って一生出社に及ばず」って言ってしまうだろうな。

 

しかしオークランドの日本人社会でもそうだが、シャチョウと言う肩書き大好きな連中は自分の事を「社長!」と呼ばせて喜んだり、何に付けても口を出して自分が話を聞いてなければ「聞いてない」事を理由に現場の判断を否定したりする連中が多い。

 

昼飯を食うのにも大名行列。スタッフ連れて、アヒルの行列かと思うくらいのボスもいる。ましてや例え海外出張中でも「社長、暴風雨が来ます」と連絡が来ても「仕事とどっちが大事なのだ!」と怒り飛ばす奴。

 

誰がどこで働くにしても本人の自由意思であるからどうのこうのは言わないし「シャチョサン」が自分で作った会社で威張りたいならそれもよし。しかしその結果として自分のバカさ加減を世間にふりまいているとしたらそれは笑いものである。

 

かといって、いやさ、この「解散命令」をスタッフが自分で発動出来る事だけが会社を計る基準ではないし利益が出なければ言いづらいのも事実であろう。先にも書いたように例え台風でも出社せねばならない職種もあるわけで、解散命令がすべてではない。実際に解散命令に対して「そんな簡単じゃないよ」って書いてるブログもある。

 

しかし社員が非常事態に自分たちで対応出来るってのはリーダーにとって心強いのは事実だと思う、だってリーダーがいなくても会社が能動的に正しく判断して活動できるって事だから。

ただこれはリーダーが会社をしっかり掌握していればの話であり、そうでなければ彼または彼女にとっては社内クーデターを起こされたようでフランス革命時の王様のように恐怖に怯えるであろう。まあしかしそれも社長の能力の問題。バカがリーダーやって人心掌握出来なければそれこそ自己責任である。



tom_eastwind at 18:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月21日

りょうま君の朝食会

今日はりょうまくんの学校の朝食会だ。これは学校が主催する自主参加型の親子参加食事会なんだけど、今回はお父さんと男の子限定の参加。テーマも「男の子の健康」だ。

 

2週間ほど前にりょうま君が学校からもらって帰って来た申込書には「先着120名、同伴はお父さんでもおじいちゃんでもおじさんでもいいよ、講演はグレアム医師とAllBlacksBenson Stanley、参加費は一人25ドル」って書いてた。

 

女性禁止だし年齢が14歳から17歳までっていう事で、なるほど朝飯食いながら少年たちの性教育ですかいとか奥さんと話しながらりょうま君と二人で参加する事にした。

 

当日はタカプナにあるスペンサーホテルに朝6時45分までに集合、それにしても朝はっやいね、けど学校の開始時間を考えればそうだよなとか思いながらぴったり6時45分に行くとすでにホテル周囲の道路脇駐車場はほぼ一杯。駐車場は朝の8時までは無料なので適当に場所を見つけて駐車してから会場に行く。

 

会場は8人掛けの丸テーブルがずらっと並んでたがすでにほぼ満席で、ぼくが行った時は講演台の目の前の席しか空いてない。てか、キーウィも日本人と同じく内気ですな、高いかね払って来てるのに講演台の一番遠い処から座ってる。

 

それよりもびっくりしたのは、集まった120人の中でアジア人の子供はりょうま君一人だけ。アジア人の親は僕以外はもう一人だけ、日本人っぽい顔つきの人だけだった。これだけたくさん集まっててWestLakesBoysSchool はアジア人の子供もたくさんいるってのに、誰一人として来ないのはどういう事だ?

 

アジア人の親からすれば「一人25ドルの朝食〜?ふざけんな、中華レストランなら夕食でも一人15ドルだぜ!」って怒りの表明か?それとも「なんだよ所詮白人の集まりで英語なんだろ、わけの分からん医療英語なんて聞いても意味不明〜」なのか分からないが、それにしても白人専用って書いてあるわけでもないのに不思議なものだ。

 

さて朝食。これはごく普通のキーウィブレックファーストで、ビーンズ、ソーセージ、ベーコン、卵、オレンジジュースにコーヒーか紅茶。テーブルごとに順番で取りに行くので込み合う事もない。このあたりキーウィは中国人と違い、おしあいへしあいなんてことはないので気分よく並んで料理が取れた。

 

テーブルについた親子は隣席の人とは全く面識がなく子供たちのクラスが違ってしまえば会話もなかなか成立せず状態で、おーおー、このぎこちなさ、まるで日本みたいですなとか思いながら周囲を見回した。

 

面白かったのはここからで、朝食も大体終わった頃にグレアム医師がノーネクタイで10分程度の短い話をしてくれた。

 

最初はまずニュージーランドの少年の死亡の一番の原因って事で、これは「交通事故」。子供の頃から自信を持たせる教育は良いのだが、アクセルを踏み過ぎてそこにアルコールが入ってしまえば死ぬよな。その次が何と水死。最初はdrownって単語を「それって水死?けどまさか」と思ったけど、間違いなくキーウィの男の子の死亡理由の二番目は水死。たしかにこっちの子供はヨットや釣りに頻繁に出かけるのでそれもありなのですな。

 

話はそこらあたりから本題に入る。男性は女性と比較すると10歳早く死ぬと言われている。そこで煙草を吸う習慣を持つと更に10年早く死亡する。そして子供の頃にドラッグを覚えると、例えば「P」を使用すると一気にすぐ死ぬって意味の死亡率は高まり、更にその場で死ななくても続く3年間は精神病院で麻薬治療を受ける事になる、つまりせっかくの人生を一時のバカで棒に振る事になる。

 

こんな内容を医師らしく抑揚をつけながらいろんな例を出して冷静に語るものだから最初は和やかだった会場もだんだん意思をのみ込んだように重くなり大人の顔色まで悪くなり始める。

 

それから今度は話を一転させてSEXの話になる。お医者さんは「SEXってのはね、君らのトマトソースだって思えばよいよ。君らは目の前の食べ物全部にトマトソースをかけるかい?大事なもの、美味しいものにトマトソースをかけるだろ、セックスも同じ、大事な人とだけするんだよ」と和やかに話してくれた。これまた語り口が軽く楽しく、けれどエイズなど性病になったらどれだけ将来に影響を与えるかを医師の立場から語り、これはもう大人も子供も青くなったり赤くなったり。

 

次に講演に立ったのはAllBlacksのメンバーでもあるBensonStanley選手。何でラグビーやってる白人ってこんなハンサムが多いのかって思うくらい彼も彫りの深い顔立ちである。選手にしては小柄な部類に入るがラグビー一家の生まれであり兄弟には全国的に有名な選手が続々と輩出されている。

 

彼の語り口は医師とは全然違い、大人になった若者がこれから大人の社会に入ろうとする若者に向けて「HeyFolks!」と呼びかける感じだ。彼の10分程度の短いスピーチは専門的な話と言うよりも自分の子供時代の友達が病気で死んだりした話。それも少し注意していれば死ななくて済んだのにさって語りになると彼自身も声を詰まらせてしまい会場に集まった人々全員の胸の痛みを共有した瞬間。

 

とにかく自分を大事にしろよ、”To lookafter yourself” そう何度も繰り返しているのがとても印象的だった。普段はにこにこするだけのりょうま君もこの時はさすがにぐっときたようだ。

 

集まった子供たちは誰もが「良い顔」をしていた。ちゃんとした両親にちゃんとした愛情と何が正しくて何が間違いかをきちんと教えてもらって素直に育った顔だった。父親は自分の息子がきちんと育った事に誇りを持ち皆が胸を張っていた。

 

こういう集まりって日本ではあるのだろうかとふと思った。父親が出勤前に息子と一緒に学校主催の朝食会に出かけて皆で朝食を食べて話を聞いて、会場を出ながら親子で今朝の感想をいろいろ語る。

 

芝生さえない学校でおまけに電車通学なんてしている日本ではちょっと難しいだろうな、けれどこういうのがきちんと定期的に開催されていれば学校の問題もずっと円滑に解決するんだろうけどな。

 

自分の子供が通ってる学校の他の子供を見ることは出来る。けれど彼の親を見る機会はめったにない。その意味でも会話がなくても経験が出来たことはうれしかった。

 

朝食会場のホテルから学校まで車で10分程度。りょうま君を送りながらどこにでもあるような父親と男の子の話をする。周囲を見渡すとぼくと同じようにホテルを出て学校まで子供を車で送る父親たち。彼らの車の中でも少し真面目に少し和やかにおしゃべりをしていた。

 

何となく朝から楽しくなる朝食会でした。アジア人もこういうのにもっと積極的に参加すればいいのにな。



tom_eastwind at 15:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月20日

もしかして先天性崩壊症?

明治維新以来の歴史を振り返ると、日本人ってのはもしかして振り子の右端と左端を常に移動し続けている人種なのかと思ってしまう。

 

明治維新で過去の多くを否定して天皇の下にある疑似民主主義みたいなものを作り上げ何もない処から製糸工場を作り軍隊を作り軍艦を作りからゆきさんを送り出し移民を送り出し、日清戦争で清を破り遂には対ロシア戦争で西洋の大国であるロシア艦隊を破り勝利に持ち込んだ。

 

そこに至るまでの過程はもちろん様々な幸運に恵まれてはいたが、何よりも明治維新で世界を見た人々が坂の上の雲に追いつこうとする超人的な努力を行ったと思われる。毎日の個人生活よりも国家を大きくすることが結果的に自分たちの生活を豊かにするのだ、だから目先のお休みなんて不要だしましてや家族と年休取って旅行なんてあり得ない、今は国家の非常時だって看板を背負って生きたのだろうと思う。

 

振り子の左側が江戸時代の終わりだったとすると、世界を見た日本人は振り子を思いっきり右側に向けて凄い勢いで振った。右側に行く過程では他の西洋諸国からすれば信じられない程の速度で生活や文化が向上した。

 

ところが右側にたどり着いた瞬間にそこから先はないからすべてのものが停止した。そして今の状態を作り出した先達の残した「言葉」だけにしがみ付き教条主義的になり結果的に先人が何もないところからそれこそ命がけで築き上げた資産を、次の世代である甘ちゃん坊や連中は過去の決まりのみにしがみ付きそれだけが正しいとしてそこからは先例主義に陥り一切の訂正も新しい考えも認めない世の中になった。

 

そして明治維新の志士が「出来るかできないかではなくやらねばならないのだ!」と訴えて世の中を新しい時代に持ち込んだという「歴史的雰囲気」の「言葉」のみを教条主義のように取り上げるのみで、実は高杉晋作の奇兵隊はきちんと戦略的で合理的な理由があって勝ったのだとか西郷隆盛が出兵する際には兵站をきちんと作り上げた、勝てる状態で戦ったのだとかそういう合理的な面を一顧だにしようとしなかった。

 

むしろそのような合理的な考えに基づいて事実を認識した上で「戦って勝てるのか?敵の兵はこうであるが当方の兵はこうである」と比較することが先人」を否定する事、つまり「勝てるか勝てないかではないのだ、戦わなくてはいけないのだ!」となって事実を語る人間は戦列から除外されるようになった。一番わかりやすい軍人で言えば石原莞爾であろう。

 

何をするにしても科学的事実を無視して「やらねばならないのだ」となり、これが科学的に考えて勝ち目のない第二次世界大戦に突入する国民的合意となった。一部マスコミが煽ったのも事実であるが、それ以上に物事の是非と物理的に可能かどうかの判断の境が理解出来ない国民性の問題である。

 

結局戦争に突入したのも国民の同意があったからこそ出来たからでありそうでなければ徴兵制度と言っても徴兵拒否が続出したであろう。ところがなぜ彼ら若者が戦争に行ったか?それは家族が「天皇万歳!」と言って送り出したからだ。

 

そしてその時代は誰もが天皇万歳と言えばすべて認められてしまい、天皇が戦争に反対しなければそれは賛成であり天皇の決定した事に逆らうのは国賊となり事実を語る、例えば天皇機関説を発表した美濃部氏は反対派勢力によって潰される、まさに無理が通れば道理が引っ込む時代となったのである。

 

そして日本は戦争に突入、長い戦いで300万人以上の死者を出して戦争が終了、残ったものは焼け野原だけとなった。

 

しかし振り子の一番右側に振りきれていた針は外圧により解放され、今度は一気に左側に跳ね返って行った。それが日本の1980年代までの経済的復興である。これも朝鮮戦争など外的要因はあるものの、やはり復興の本質は国民性にある。日本国民は何もなくなればそこからまた数十年かけてそれ以上のものを作り出す能力を持っている。

 

ただし問題は、針が片方に吹っ切れたら自分で修復することが出来ずに、外圧による変化(黒船)か暴力による変化(敗戦)がなければ動きが取れなくなるって日本的性格だ。

 

つまり今の日本は敗戦後に先例なしでゼロから再構築した社会遺産の上に乗っかってそれを食い潰しているだけだが、その遺産も残り少なくなり国民の個人資産を全部差し出してやっと政府の負債を帳消しにできる程度、つまりこれから発生する様々な政府負債はもろに国民全体に増税と言う形でかぶさっていくのだ。

 

ましてや今の様に福島原発問題が発生すると、どのような科学的事実を言っても言葉狩りに遭ってしまうから、事実であっても言えない環境が結果的に国家を滅ぼす事になるが、それが国民的合意の上にあるのだからどうしようもない。

 

増税だって東日本復興の為なら仕方ない、当然ではないかと言われれば「はいそうです」と自分の頭で考えずに脊髄反射的に周囲と同じ反応を起こして、それが結果的に自分の首を絞めることはゆっくり考えれば分かる事なのだが分かろうとしない。その結果が日本崩壊である。

 

目先では野田政権が増税路線を打ち出しているしその先に見える選択肢の一つはハイパーインフレーションによる国家負債の帳消しである。しかし何よりも怖いのは、今まで自分が作り上げてきた資産がすべて吹っ飛び、どんがらがっちゃんされてすべては帳消しにされてゼロになり、「国民の皆さん、回れ右!」の大号令のもとに人々はまたもいつか来た道を歩くことになるのだ。

 

こうなるとこれはもう先天性の病気としか言いようがない気がする。その日その時その場所にいる日本人全部を巻き込んで嵐のようにすべてを奪ってしまう病気。毎日毎日コツコツと積み上げてきた資産を、ある一瞬で全部失ってしまう。

 

日本が崩壊の方向に向かっているのは多くの人々が指摘するところだが、それが具体的に何を示すのかは誰にもまだ答えは出ていない。しかしほぼ間違いないのは今までの「歴史は繰り返す」理論でいけば、ここ数年で日本円が紙くずになるか北朝鮮との問題で原発がテロ攻撃を受けて日本が焦土となるか両方とも同時に発生するかである。

 

そして日本人は自らでその崩壊を止める能力が欠如している。本当の事実を言うと周囲に「お前には思いやりがないのか!」と全く関係ない理屈で潰される、そして空気の流れの中でいつの間にかもっとも最悪の国家崩壊と言う状況まで流されてから、つまり過去の遺産すべてを失ってから、またゼロから再開することになる。

 

国民性の中に自浄能力がない場合、ではめくらの世界では目明きはどうやって生きていくべきか?日本人である事と日本政府の支配にある事がイコールでないことが理解出来る人だけが、来るべき崩壊と言う大洪水を生き延びることが出来るのだろう。



tom_eastwind at 15:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月19日

それがフクシマで起こったことだ

★抜粋開始

それが福島で起こったことだ。日本人は小さな失敗をきびしく罰するので、人々は小さくてよく起こる失敗を減らし、大きくてまれな失敗を無視する。アメリカは小さな失敗にも大きな失敗にも寛容だ。

 

私は大きな失敗はよくないと思うが、小さな失敗はむしろ好ましいと思う。イノベーションは、小さな失敗の積み重ねだ。イギリスの産業革命は、試行錯誤と失敗から生まれたのだ。これは「ブリコラージュ」と呼ばれる発見的な過程だ。あなたは小さな失敗を積み重ねることによって新しいことを発見するのだ。

 

だから日本人は、小さな失敗を許すべきだ。カリフォルニアには“fail fast”という言葉がある。いかに失敗するかを知っていることが、ハイテク企業が生まれる理由だ。日本人は既存のフレームの中では問題を受け入れるが、そのフレームを変えようとすると、失敗を恐れる。

 

私の本の中で二つのペイオフを論じた:一つは、日常的に小さな利益を得て、大事故ですべてを失う――これが福島事故だ。もう一つは、普段からボラティリティが大きいが、破滅的な事故は起こらない。

★抜粋終了

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51742840.html

 

ブラックスワンで有名な経済学者のタレブがインタビューで語った言葉を池田信夫氏が簡単に翻訳している。ちなみにタレブはナタリー・ポートマンのお父さんではない。

 

福島の失敗と言うよりも、この「小さな失敗を許さない性格」は日本全体を覆う歴史的な問題であるのに、いくら指摘しても誰も聞こうとしない。何でかな、こんな風に文章で書くと人々はそうだそうだというのだが実生活の上でぼくが「それくらい、いいじゃん、誰でも失敗はあるしさ」なんて言うと目を吊り上げて「そんな事が良いわけないでしょ!」と怒り出す。

 

人間は失敗をする動物である。最初から完璧に何かを行うなんてあり得ない。だから失敗することを前提に失敗を最小化させることが現実的であり大事なのだ。

 

そうしてちっちゃな失敗を繰り返しながら「あ、こうやったらダメなんだ」って事を覚えて大きな失敗を起こさないようにする。

 

例えば車の運転でも同じである。事故を起こすことを前提にして車庫入れで車の端っこを数回こすればそれからは要領よく車庫入れが出来る。スピードの出し過ぎで前方の車にぶつかるにしても渋滞の中で前の車にこつんとすれば距離感が理解出来る。酒飲んで運転するとどれほど判断力が狂うか分かるがいきなり高速道路で事故ったら即死である。最初に少し飲んでおいて田舎のあぜ道を運転して車を田圃に落とせば痛みも分かる。

 

つまり経営的に言えば日頃発生するちっちゃな事故=ミスはそれに対する引当金=「失敗しても罰しないルール」を積んでおき、入社したての頃にちっちゃなミスを経験させて大きな事件が起こった際に失敗しないように「場数」を踏ませておくべきなのだ。


ところが日本では失敗をしないことが人生のすべてだから細かいことに失敗せずにふんぞり返ってるエリートと呼ばれる連中は福島のような大きな失敗が起こった時にどうすればよいかわからないのだ。
 

ここが大事な点だが、失敗をすると罰点を付けるから誰も失敗しないように冒険も挑戦もしない。その結果世の中が停滞して新しいビジネスが出てこずにそのうち冒険をする他国に追い抜かれて自国は衰退して最後に経済悪化で失業率が高まり給料は下がり国民のガス抜きの為に手当をばら撒き最終的に経済が崩壊する。

 

このような状況の問題は何も政府の責任だけとは言い難い。国民自身が日頃からちっちゃなミスを許さずにいつもピリピリしてごみ出し日をちょっと間違っただけで怒鳴り込むような、電車が10分程度遅れただけで駅員を怒鳴りつけるような環境では誰も冒険など出来ない。新しい事が生まれるわけもない。

 

つまり国家がどうだこうだと文句を言う前に、まず国民自身が隣人のちっちゃな失敗を「大丈夫、きにするなよ、明日があるじゃんか」って笑っていられるかどうかがこれからの日本の方向性を決めるのではないかと思う。



tom_eastwind at 15:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月16日

世界の傭兵ニュージーランド

ニュージーランドは特殊出生率が2.0を越しており、その理由は思いっきり端折って言えば子供を産んで育てやすい環境があるって事だ。妊娠した時点から出産にかかる費用はすべて無料。助産婦が出産前から出産後数か月まで面倒をみてくれる。また子供の医療はすべて無料でありオークランドには子供専用の病院もある。

 

シングルマザーの場合は国から手当てが出る。子供がいて仕事が出来ない場合は(この国では子供が13歳になるまで一人で放置する事は法律違反=子供の虐待となり逮捕される)シングルマザー手当が支給される。ほかにも移動のために車が必要であれば購入の際の補助とか住宅が必要であれば補助とか、いろんな形で政府が子育てに協力をしてくれるから安心して子供が埋める環境がある。

 

この国では子供は社会の宝と言う考え方をするので子育てしてくれてありがとう、お金は政府から出すねって感覚である。日本のような「なに?働けない?失業保険の申請?ふざけんな、もっと頑張れ、いちいちお上に頼るな」的な発想は全くない。

 

だいいち政府の持ってるお金って国民の税金ではないか。その税金は助け合いの為に使われるべきだし子供が社会の宝であり社会が持続する為に必要なのは当然のこと。ならば子供の為にお金を使うのは納税者の希望であるのだから政府が余計な口出しせずにとっとと払えってことだ。

 

自分のカネでもないものを自分のようにエラそうに国民に配るなんて発想をする事自体が僭越だ、世間的簡単に言えばくそ勘違いの発想である。

 

まあ今日は日本ネタではないので政府に対する文句はこの程度にしておいてニュージーランドの子育てはとにかく手当が厚いし、それはこの国の永住権を取れれば国民と同じように権利を受けることが出来る。

 

そしてまた個人レベルでも子供を大切にするという意識が強い。今時の日本では他人の家庭に口は出さない、その結果子供が虐待で死亡したなんて事件がよく起こる。けれどこの国では昔のお節介じいさんやばあさんがたくさんいて近所の子供を常に見守って子供の虐待に関して常に注意を払っている。

 

だからこの国では制度面では政府が、日常生活は女性が安心して子供を生める環境にあるから自然と出生率が高まる。日本も小難しい会議とか政府が無駄なカネ使って少子化対策なんてしなくても、女性が子育てしやすい環境を作れば良いだけだ。

 

またそれた・・。日本の事は今日のテーマではない。実はニュージーランドって人口の割に海外に住む人が多い。

 

この国の人口や約400万人であるがシドニーに住むキーウィは40万人。シドニーの人口が400万人なので10人に1人はキーウィである。ジョン・キー首相も20年近く海外で出稼ぎ生活をしていた。

 

NZから日本に行くワーホリが少ないが、実際には教職員としてビザを取得するジェットプログラムなどでキーウィは日本にたくさん住んでいる。

 

ここでタイトルに「世界の傭兵ニュージーランド」と書いたのは、世界の中ではちっちゃな島国であるから子供たちは成長するに従って世界が広い事を知り、元気でやる気がある若者は世界を目指す。ニュージーランドは感覚的に言えば北海道の帯広の近くの襟裳(えりも)みたいな地域である。自然が素晴らしい村ではあるがいつまでも同じことの繰り返しでは若者は当然退屈する。だから見知らぬ世界に出ようとする。

 

世界に出ていって有名になった人はたくさんいるが、とくに有名なのは世界で初めてエベレスト登頂に成功したエドモンド・ヒラリーだ。彼が加わる英国隊がエベレスト登頂したが彼自身はキーウィである。

 

 

ヨットの世界最高峰の試合であるアメリカズカップでも、海のない国スイスが優勝した時もチームを率いたのはキーウィのラッセル・クーツ。その後も挑戦艇やチャンピオン艇の区別はあれど実際にヨットを動かしているのは両方ともキーウィと言う状況が続いている。

 

国は小さいのだがちっちゃな子供の頃から大自然の中でスポーツを楽しみながら学んでいるから、子供の頃からカネをかけて英才教育を受けて嫌な思いをしながら学んだ人たちよりもずっと強い。てか、笑いながら楽しみながらスポーツをしているのが特徴だろう。


小さな国だけど世界に飛び出して頑張る若者がいる国。出来ないことはないって信じている若者のいる国。世界中に傭兵を派遣している国。
 

今回の全日本ラグビーもキーウィ選手が外人だけど参加しているし、何より監督もキーウィ。今日はオールブラックス対全日本だ。キーウィ同士がぶつかる場面も出てくるわけで傭兵が祖国の兵隊と戦うわけだが、どっちも頑張れ!

 

ところで前回書いた老人と子供と馬の話はイソップ童話です。



tom_eastwind at 15:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月15日

無知の知

★抜粋開始

蕎麦を食べて育った人がちょっと上海に行ってくると蕎麦を知らないふりをし、中途半端な上海語を話して村人の目を引く行為は実話でした。父親が何度も私にそれを聞かせた理由は人に嫌われないようにするためではないと思います。それで無知になり、進歩不能になるからです。

★抜粋終了

 

宋さんのメールは楽しみの一つだ。日本に住む中国人が日本人とは全く違う視点から日本と言う国を批評する。時にはその辛辣さゆえにしょっちゅう「だったら帰れ」コール炎上でも有名な人でもある。

 

けど彼の書いていることの殆どは僕から見ても納得出来る事であるし、日本人が自分の手抜きや論理的思考をしない事を棚に上げてどれだけ宋さんに帰れコールをしたところで現実は何も変わらない。日本人の問題点を彼が指摘したからと言って彼は日本人を嫌いなわけではない。むしろ日本人によくなってもらいたいから同じ日本人では指摘しずら「痛いところ」でも指摘をするのだ。

 

今回は形は自国中国をネタにしているがテーマは全世界普遍である。中国の山東省が舞台でありこの街の人が中国最大にして先進都市である上海に行くと皆が「上海かぶれ」になり、故郷でも上海語を使ったり蕎麦を知らない=都会人の真似をする。

 

これは日本でも同じであり、地方出身の人間が東京で生活をしてたまに故郷に帰ると東京弁で喋ったりと言う感じだろうか。

 

たぶん地方の人にとっては「東京は大都会、ましてや米国帰りはもう理解不能なくらいにカッコイイ、ましてや白人が英語なんてしゃべると、キャー、おしっこ洩らしちゃう」くらいの話であろうと認識している地方出身の人間は自分の生まれた地方に戻ると自分の都会生活を自慢して周りに羨ましく思ってもらって自分が誇りにまみれた(笑い)気がするのだろう。

 

「それで無知になり、進歩不能になるからです」とはまさにその通り。ほんとに人間って慢心した瞬間に進歩は止まり時代に取り残される。学ばなくなった瞬間に無知が始まる。自分が無知である事を常に理解してそこに危機感を覚えて新しい事を焦るほどに学ぶ気持ちを持つ事の大事さはソクラテスの時代から「無知の知」として学習者には常識の発想である。

 

都会に住むことの一体どこが自慢になるのか?外国に住むことのどこが素晴らしいのか?外国に住んでみろ、すんごい大変だぞ。言葉は通じないし文化は違うしかといってこっちはよそ者だし。なのにそんな事で「すっごーい!」なんて言われた日には、もう疲れてしまうわいって感じ。

 

宋さんメールは無料だしコピーも出来る。是非とも今の時代の日本人に読んでもらい学んでもらいたいメールマガジンだ。



tom_eastwind at 18:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月14日

ALL JAPAN

昨晩はラグビー全日本チームが山水にご来店、貸切夕食会を楽しんでもらった。ラガーマンはみな紳士的であり、ニュージーランドに来て久しぶりにしっかりと美味しい和食を食べさせてくれてありがとうって言ってくれてうれしかった。

 

山水は元々ちっちゃなレストランで通常は座席が38席しかないので30人近いチームの方が来て頂くと当然貸切になる。またマスコミ対策もあり一般客を入れる事も出来ない。

 

今回はお店から声をかけた。「良かったら日本味の和食をゆっくり皆さんの貸切で食べてください、日本から8,000キロ離れたアウェイで戦う皆さんに和食を食べてもらい日本語でリラックスしてもらい、少しでも協力出来ればと思います」と提案した。

 

オークランドと言う田舎街の和食レストランでもあり遠慮されるかと思ったが協会の方が快諾して頂き、後は店のダイレクターが走り回りあちこち大変な調整(マスコミの関係があるので当日まで絶対にばらせない)をしながら結果的にチームの皆さんに楽しい夜を過ごしてもらう事が出来たのはうれしかった。

 

それにしてもALLJAPANのメンバーの品の良さって何だろう?やはり英国直接仕込みなのかな、とにかく他のスポーツ選手にはない品がある。料理を食べる時、ありがとうと言う時、挨拶をする時。最近のスポーツが個人技術であり薄汚い恰好で中指を立てるのが格好良いと思ってるような連中からすれば月とすっぽんである。ALLJAPANの監督はキーウィであり選手にもキーウィが入っているが、彼らが本場仕込みのラグビー技術だけでなくラガーマンとしての姿勢も教えているのかなって思ったり。

 

個人的にはフジヤマのトビウオが頭の中にあった。戦後すぐの疲弊した日本から全米選手権に日本チームが参加した時、米国西海岸に移民していた日系ビジネスマンたちが彼ら日本チームのサポートを行い、宿が高くて手配に苦労していた時に自分の家のベッドルームを提供し、食べるものがない時に日本食を準備した日系移民が日本料理を作り彼らの健康管理をした。和田勇氏と言うロサンゼルスで野菜商店を営む人が中心となって活動して、これが後の東京オリンピックに繋がる。

 

ぼくら海外に住む日本人が自分の町にやってきたスポーツチームを応援する。それは、食べ物がある人は食べ物を提供し、宿がある人は宿を提供し、通訳が出来る人は通訳する、そうする事で日本にいる人々とぼくら海外にいる人々の心が繋がる。こういうのが海外に住む日本人の礼儀となって本国との良いつながりを作っていければと思う。

 

いつの日かぼくらの子供が日本に留学した時に「お、君はニュージーランドから来たのか。あそこでは俺たちのチームが君らのお父さんたちにお世話になったんだよ。さあ、何をしたいんだ、言いなよ」と言うようなつながりを作りたい。

 

何せ今の日本、1980年代にはメッセなどと立派な事を言って企業が金を出したが今はすっかり手のひらを返したように、頑張っている若者を応援しようとせずに自分の懐具合ばかりを考えている。けれど次世代の日本を作るのは今目の前でスポーツで頑張っている若者なのだ。彼らに出来ることで協力をしなくてどうするかと思う。

 

素晴らしい若者をサポートする事で彼らは喜んでくれるし、ぼくらもうれしくなる。それが社会の助け合い、お互いにあるものを出し合ってより良い社会を作る、そういう事ではないだろうか。

 

日本国内でもたくさんの企業がALLJAPANをサポートしていると思う。企業は健全な社会が存在しなければ継続できない。その為にもビジネスと同じ感覚で、次世代の社会を支えていく人を自分たちなりに出来る範囲で相互扶助出来ればと思う。

 

それにしてもALLJAPAN、勝ち負けの世界ではない、日本人にとって一番大事な礼儀の場面で彼らが礼儀を見せてくれて、それだけでオークランドの日本人に喜びを与えてくれました。そしてフランス戦ではキーウィも「日本人、やるじゃん!」と言ってくれました。日本人やっててよかった、ALLJAPANの皆さん、ありがとうございました。



tom_eastwind at 20:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月13日

石原伸晃氏の911


石原伸晃自民党幹事長の911に対する「歴史的必然発言」が問題視されていない。鉢呂事件が忙しいからだろうが、それにしても石原さんちの伸ちゃんはよく頑張って発言したものだ。昔は意味不明発言が多かったが、最近は親父の薫陶を受けるようになったのか、発言がしっかりしている。

 

今回のイスラム教とキリスト教の問題を捉えての発言も、一番やばい911の真実には触れずに、しかしキリスト教の持つ一神教としての問題点をアジアの視点から見て発言しているので、これなら米国を完全に怒らせる事もなく日本国内右派もOKであろう。

 

<米同時多発テロ>自民・石原幹事長 講演で「歴史の必然」

 

「 自民党の石原伸晃幹事長は10日、青森県弘前市で講演し、11日で10年を迎える米同時多発テロについて「歴史の必然として起こった出来事ではないか」と述べた。鉢呂吉雄経済産業相の「死の町」発言などが問題化した中、野党幹部として同時テロの犠牲者への配慮を欠くとの批判を浴びそうだ。

 

 講演で石原氏は、01年の同時テロ発生時に閣僚として首相官邸に駆けつけた経験を紹介した。その際に「あのテロは産業革命から続いた西洋文明の支配、ピューリタニズムに象徴されるキリスト教支配へのイスラム圏の反逆、そして歴史の必然として起こった出来事ではないか」と指摘した。 石原氏は講演後、記者団に対し「歴史の解釈への持論を述べただけで、決してテロ行為を肯定したわけではない」と釈明した。」


 

まず第一に同時テロ犠牲者への配慮をどう欠くという言うのか?政治家として信を持って意見表明をするなって事か?犠牲者への配慮であるならば尚更なぜ一般市民がある日突然殺されるようなテロが発生したのか、その原因を追究すべきだろう。

 

もっと言えばテロとは実は戦争である。国家対集団の戦争である。ところが戦争と書くと何となく相手にも正当性があるように見えるからテロと言う言葉で誤魔化しているだけで、実はこれは戦争である。原理主義者側はこの戦闘をきっちりと「聖戦」と呼んで位置づけしている。テロと言う言葉で誤魔化しているぶんだけ米国側がずるいのである。米国はハチの巣に手を突っ込んだ。その結果としてハチが自己防衛の戦いを始めた、どちらが悪いかは明確である。

 

それにしても本当の事を言えば「配慮を欠く」と言い嘘を言えば「ほんとの事を言え!」と言い、全くバカなマスコミほど始末に負えないものはない。片方では言論の自由と言いながら片方では他人の言論を規制するって、要するに自分たちだけの言論の自由を守りたいわがままが見え見えジャン、あふぉめ。まさに白痴とはこういう連中を言うのだろう。

 

911について書き出したら止まらないし書けない事が多い。実はNZは世界的電子情報収集網エシュロンの一員であり、ある時生ラジオ番組で視聴者が電話で911の事に触れた瞬間に司会者がすごい早口で発言を遮り電話を切ったのは今でも覚えている。さすがにこの国でもこの事件については下手はうてない。

 

しかし石原氏の言ってることは正解である。キリスト教は一神教であるが元々イスラム教とは兄弟宗教である。同じ神を信仰している。ついでに言えばユダヤ教も同じ神様を信じている。

 

だったら皆で仲良くやればいいじゃんとアジアから見れば思うのだが、要するに違いを際立たせて自分だけが良いってのを訴えるのはキリスト教の特徴、極端に言えば世界の中で自分だけが正しいってのを平気で信じることが出来る宗教だからこそ、相手が兄弟であればあるほど許されないのだろう。

 

ただここで気を付けねばならないのは、表面は宗教戦争に見せかけているが実は経済戦争であったり政治闘争であったりするのが1970年以降の宗教戦争である。

 

宗教抗争に見せかけてはいるが、実は産軍複合体も一枚噛んでて軍縮の話が出るたびに世界のどこかでテロや宗教戦争が発生しているのは何故だ?

 

911の首謀者と言われたアルカイーダとタリバンの区別がつく日本人はどれだけいるだろうか?アルカイーダは1980年代はアフガニスタンで当時のソビエトと戦う為に米軍特殊部隊による軍事訓練を受けてスティンガーミサイルなどの武器供与を受けて戦っていた外人部隊ムジャヒディーン(聖なる戦士)である。タリバンはソビエト撤退後に自然発生的に作られた神学校生徒の集まりである。

 

このあたり高木徹の「大仏崩壊」を読めば前後関係がよく分かる、日本人には関係ない世界の戦いと無視するのではなく、ぜひとも一度は読んでなぜ911が起こったかを日本人がしっかり考えるべきだと思う。それこそが同じような事が日本で起こらないようする為の一番大事な作業であるからだ。

 

911をどう語るかは人によって違うだろう。けれどそれは知識の多少で語るのではなく同じような情報を学んだ上で右か左かで語るべきである。つまり学びもせずに理解もせずにその場のお涙ちょうだいで話を流してしまえば、または誰かが意見を語ったら「不謹慎」とか「配慮を欠く」などと意見を議論もせずに潰してしまうようであれば、それこそ言論弾圧である。

 

石原さんちの伸晃さん、これを機会に親父と同じようにモノを言える政治家として一線を越さないけれどぎりぎりの発言で自分の政治家としての経験を磨いてほしいものだ。けれど決して一線を超すなよ、落ちるなよ、まだ若いんだから無理はせずにと、あえて応援したい。



tom_eastwind at 19:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月12日

「説明しろって言ってんだよ!」


鉢呂経産大臣が辞任した事件でマスコミ対応が問題になっている。マスコミとは本来は社会の木鐸、問題を見つけて社会に警鐘を鳴らすのがその仕事である。

 

ところがそのマスコミが本来はオフレコの話を公表して辞任の記者会見では「何やったんだか、ちゃんと説明しろって言ってんだよ!」とまるで脅迫するような言葉使い。けどこのような言葉使いをどこのマスコミが公表しているだろうか?

 

要するに今のマスコミがやってるのは自分たちの都合が良い記事を載せて政府に恩を売ってみたり政府に脅かされて本当の事を書かないという生き残り戦略である。

 

と言う事は新聞紙に書かれた記事やテレビニュースは彼らの伝えたい事だけを伝える道具だけであり全く公平性のない、社会全体の問題を伝えない新聞社やテレビ局の広告宣伝でしかない。

 

では一般市民は何故彼らの広告宣伝の為にお金を払って新聞を購入する必要があるか?なぜテレビを見る必要があるか?娯楽として見るならそれも有りだろうが娯楽にしては程度が低すぎるので結果的に既存の新聞社やテレビ局は不要な組織となる。

 

ぼくは情報伝達手段としてのマスコミそのものを否定しているわけではない。ただ現在のマスコミが完ぺきに大本営発表の垂れ流し、国民を知らないままに誘導する手段となっているからダメだと言ってるのだ。

 

この事件をメディアの内容を無視して時系列で見てみよう。今回の鉢呂事件でも発端は「死の街」発言とされている。これが問題視されて更に「放射能」発言となり発言の責任を取って辞任となった。しかしこれ、少し角度を変えて見れば随分と違うものが見える。

 

最初に組閣した時に野田首相が行ったのは党内融和人事、つまり各派閥から文句が出ないように大臣を選出したが、なぜかそこには枝野氏の名前はなかった。官房長官時代の実力からすれば知名度も高く人気もある人だ。しかし枝野氏は東電の経営責任と銀行などの貸し手責任を強調していた。つまりいきなり枝野氏の名前を出すには「党内融和」が取れない。

 

野田氏はとりあえず党内バランスを取るために鉢呂氏を入閣させた。ところが彼がすぐに脱原発を言い出した。経済界からすれば「おいおい、脱原発はまずいっしょ、既存原発の再稼働、出来れば新規原発建設をやりたいよね」となるので当然経済界や東電関連の政治家が反発する。

 

鉢呂氏がそういう発言をすることを見越した一部の人々が「よっしゃ、これで鉢呂氏を入閣させたんだから党内融和は守られた、その上で彼が失言をして辞任すればそこのポジションに枝野氏をはめることが出来る」と読んだ。

 

枝野氏は極端な脱原発ではないが東電及び貸し手責任を訴えている。枝野を最初から出してしまうと銀行や東電からの反対が強い。東電を税金で救済するのには財務省あたりは非常に反感を持つだろう。ただでさえ税金が不足しているのに何で東電や貸し手を救済するのか?しかし財務省は原発そのものに反対はしていない。

 

そうなれば辞任した経産大臣の代わりに新しい大臣が出てきて東電と貸し手責任を問わない現在の賠償法に不満を抱く国民が枝野の「東電と貸し手銀行を助けることはしないよ」発言で「そーだそーだ」と納得してくれる。同時に原発は進めることが出来る。

 

つまり最初からどこかの大臣を党内バランスで一人選んでおくが組閣後すぐに辞任させてそこに枝野を入れよう、その穴に最初に落ちたのが鉢呂氏であったと考えれば分かりやすいのではないか?その為にマスコミを使いわざと鉢呂氏を挑発させたりオフレコ記事を表面化させたりした。

 

鉢呂氏も穴にはまった事を知りこれ以上じたばたしてもかえって政治生命を失うだけ、ならばここで清く引いておこうとなったのだろう。

 

枝野氏就任後の発言ではまさに貸し手責任発言を行った。同時に国民への賠償はきちっとするとあの真面目な顔で言った。これで内閣に対する信頼感は強まるので当面はやっていける。

 

そういう裏の政治運営者とマスコミの裏取引があった上での今回の辞任劇を見ると、いろんなつじつまが合うような気がするのは僕だけか?

 

いずれにしてもマスコミが政治と癒着して自己保存の為だけに紙に印刷したりテレビで流したりするのであれば僕ら一般大衆はネットを使いマスコミ記事とそれ以外のネット記事を比較しながら自分の頭でどれが本当かを判断する必要がある。

 

このような情報操作は政治の基本であり、お上に政策があれば下々は対策を持つのが基本だ。20世紀にはネットと言う武器がなくて一方的にお上の政策にやられっぱなしだったが21世紀にはネットが出現して情報社会がいきなりあらわれてきた。

 

今後はとにかく自分で情報を収集して自分なりに答えを出していく人々が生き残れる時代となっていく、今回の鉢呂事件では事件そのものよりもマスコミとネットの動きを比較する中でその印象を受けた。

 

 



tom_eastwind at 18:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月11日

他人に優しいキーウィ

「最近、中東からイスラエル、英国で発生している市民デモや中国で高まっている民衆の怒りはすべて同じ問題が原因だ。つまり、不平等、貧困、失業が拡大する一方で、希望がないという点だ。世界中の中産階級の市民ですら、所得の減少や雇用機会の低下圧力を感じている」

日経ビジネス829日号世界鳥瞰・ノリエリ・ルービニ氏の寄稿抜粋。

 

これ、最近日本のある企業が年収200万円以下の労働者を調査した結果とよく似てて、思わず「そっか・・・」とため息が出た。低い給料と格差と不平等、そして希望がない・・・。

 

年収200万円であれば中国ではお金持ちの部類に入る。しかし日本では高い家賃、一人暮らし、公共交通機関の運賃の高さやガス水道電力の高さなど、社会の仕組みが低所得者に大きな負担を強いている。つまりインフラを押さえた企業の実質的支配者層や社会の仕組み自体を作る官僚や生まれた時から銀のスプーンをくわえた一部の支配者が貧しい労働者の少ない給料から様々な名目で支配者へ「再配分」させているのだ。

 

これこそまさに「カールマルクスは、グローバリゼーションや金融機関による信用をてこにした行き過ぎた貸し出しは暴走するものであり、所得と富を労働階級から資本家に再配分することは資本主義を自壊に至らせる、と主張した」と言う同寄稿の一文に繋がる。

 

つまり再配分の極端化とそれが動かせない格差となり希望を失った若者は失うものがない為にちょっとした理由で暴動を起こす。それが社会を自壊させるのである。フランス革命がその端的な例である。

 

低所得労働者の給料の低さを能力が低いとかやる気がないとかを理由にして正当化する事の一番の怖さは、まさにマルクスが主張する「資本主義の自壊」に繋がる。フランス革命以前は王様にとって国民とは領民であり自分の所有物と考えていた。彼らが貧しいのは当然、だから施しを与えてやるって感覚で政治を行っていた。彼らを同じ人間として扱わずにいた結果として革命が起こり王様は絞首台の露と消えた。

 

何故なら社会とは全員が参加してお互いに助け合う事で成長するものなのに、自らのみを努力した成功者として報酬を多分に取り低所得労働者を失敗した者として差別すればその格差は確実に相互不信を生み助け合い社会が成立しなくなる。そうなれば社会の底辺に追いやられた人々はこのままでは希望も未来もないから武器を持って不公平と戦う事になる。

 

つまり一部の成功者が多くの失敗者を差別する事が理論的に正しいかどうか以前の問題で、格差を作り出すこと自体が社会を崩壊させる一因となるのだ。これが人生の勝者と思い込んでる人間には理解出来ずに「今」だけを見て失敗者に向かって「お前が悪い」と言う。では聞きたい、あなたは生まれつきの身体障碍者に向かっても「お前が悪い」と言えるか?自分の子供が障害を抱えて生まれたら子供に向かって「お前が悪い」と言えるのか?運の悪い人が運の悪い場所に居合わせただけで差別することが正しいのか?考えてみれば同じことなのに考えてみようとしない浅はかさ。

 

大事なのは社会の構成員全員がそれぞれ必要とされる役割を適材適所で配置して行う事である。仕事によって給料の違いはあるものの、それが理由となって暴動が起こるような格差ではないし、その気になればいつでも仕事を変える事が出来る自由。

 

タクシーの運転手の助手席に大企業の社長が座り「最近仕事はどうだい?」と聞き運転手が「悪くはないね、けどさ、あんたんとこで作ってるビールがもうちょっと安けりゃもう一本余分に買えてもっと楽しくなるんだけどね、ははは」なんて会話が出来る事が社会の融和を生む。

 

実際にニュージーランドではタクシーに乗るとき地元ビジネスマンは助手席に乗るのが普通だ。白人で後部座席に座るのは高い確率で米国人か欧州人である。そしてお互い友達の様に話をする。

 

運転手は自宅に帰れば自家用車のフォードがある。社長が自宅に帰れば少し高級なフォードがある。運転手の自宅は郊外の持ち家で3ベッド。社長の自宅は高台にある高級邸宅持家で4ベッド。つまりお互いにそれなりの所有物があるときに運転手が相手の車を盗もうとするだろうか?

 

犯罪はこちらが車を買うカネもないしこれからもお金を得ることが出来ないのに相手が高級車を乗り回しているときに発生する。そして今世界のあちこちで暴動が起きているのはそれぞれの国で固有の理由があるだろうが、一番の原因は不平等と希望のなさである。

 

ぼくはその意味でニュージーランドは今だ世界では幸せな国の一つだと思っている。機会の平等と結果の平等がしっかり守られており誰にも希望が持てるからだ。

 

機会の平等とは教育と医療の無料である。お金持ちの子供は高い教育を受けて更にお金持ちになる?貧乏人は金がないから医療をうけられずに死んでしまう?そんなのは子供の責任ではないのだから格差を固定化させないためにも大事なのは社会の入り口である機会の平等を政府が保証する事である。

 

結果の平等とは生活保障と年金である。誰しも働きたくても働けないときがある。そのようなときでも飯を食い住居が必要となりそれを支えるお金が必要となる。年を取って仕事を辞めれば収入がなくなる。そのような人々が安心して生活が出来るように失業保険、老齢年金、シングルマザー手当などで生活の安定を生み出す。そのようなシステムがあるからこそ社会が安定して人々が他人を助ける余裕が出てくる。

 

キーウィが他人に優しいのは決してその遺伝子だけではない事は理解しておくべきだ。




tom_eastwind at 13:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月10日

クイーンズタウンの最新オプショナルツアー


クイーンズタウンは世界中のお金持ちが集まる、日本で言えば軽井沢のようなものである。軽井沢が東京のお金持ちを対象にしているのに対してクイーンズタウンは世界中のお金持ちを対象にしており、北半球の暑い夏はクイーンズタウンでスキーを楽しむ人々で溢れ、北半球の寒い冬には涼しいクイーンズタウンをベースにしてトレッキングやヨット、夜10時まで日が沈まない街の丘の上の別荘で友達を集めて楽しむ。

 

もちろん世界で最初に始まったAJハケットのバンジージャンプ、松田聖子が真夏のイブで一躍日本人の人気になったショットオーバージェット、毎年数人のけが人を出すグレード5のカワラウラフティングなど様々なオプショナルツアーも目白押しでありニュージーランドで最も国際的な街と言って良いだろう。

 

そのクイーンズタウンに最近新しいオプショナルツアーが加わった。先月りょうま君を連れて二人でスキーに行った時のことだが、街をぶらぶらして観光案内所に立ち寄ってみたら、そこのパンフレット棚の中に乗馬ツアー、蒸気船ツアーの間に挟まるように「Immigration」と言うパンフレットがあった。・・・?あれ、移住がある・・・、なるほどな、発行していたのがオークランドをベースとするマルコムと言う有名な弁護士事務所であるが、そうかそうか、世界中のお金持ちからすればオプションで乗馬したり蒸気船に乗ったりするかたわら「お、そうか、永住権が取れるんなら取っておこうか」と言うことになるのだ。

 

最近は米国からの移民も増えており年間500人くらいが申請していると弁護士から聞いた。話によると米国から自家用ジェット機でやってきてクイーンズタウンで休暇を楽しみ、そこで見つけたパンフレットで弁護士に連絡を取り自国に戻る途中にオークランドに立ち寄り「じゃあこれも一つ買っておくよ」って感じで永住権の申請をするのだそうだ。

 

彼ら世界的なお金持ちからすればニュージーランドが要求する投資移民の1千万ドル、約7億円と言うのはいつでも問題なく動かせるおカネであり、それでいざと言う時に米国以外で住む場所が確保出来れば安いものである。永住権と言っても一年に滞在する日数が長期休暇程度であればこれもまた問題ない。

 

彼らの思考回路を考えれば当然であろう。どんなにお金持ちになって10億円のニューヨークの高級マンションに住んだとしても、ある日突然そこがアルカイーダに襲撃されれば、どんなお金持ちでも逃げようがない。

 

けれどニュージーランドでテロが起こる可能性は現時点ではゼロに限りなく近く、英語が通じて治安が良くて自然環境が素晴らしくて人々が温和であれば、じゃあ英国系西洋人としては安全の為にビザの一つも取っておこうとなっても当然であろう。

 

クイーンズタウンの笑い話の一つにこんなのがある。ある日大型のプライベートジェットで飛んできたお金持ちがクイーンズタウン空港は彼の飛行機が入る格納庫がなかった事に対して「そうか、じゃあ俺が出発するまでに一つ作っておいてくれ。請求書は会社に回してくれ」。

 

安全もオプショナルツアーの一つになる。そう言えば今日のニュースでは911テロが発生する可能性が高いという事でワシントンとニューヨークで厳戒態勢に入ったとの事。20世紀の様に米国人である事、米国でお金持ちであることが平和や幸せを意味しない時代に入ったという事だろう。



tom_eastwind at 19:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月09日

ラグビーワールドカップ、キックオフ!


会社を休みにした金曜日の午後、ノースショアのタカプナから帰ってきた奥さんと娘が「何だかもうハイウェイは上りも下りもすごい交通渋滞で大変だったー」と言ってた。そりゃそうだろう、だからカウンシルも避難勧告を出したわけだし午後になればどこもかしこも渋滞になるのは目に見えている。

 

おまけにシティでは海沿いの道を道路封鎖をして一般車が入れなくなり公共交通手段であるバスや電車は夕方から混雑を通り越してマヒしてしまい、シティの開幕式を楽しんでからイーデンパークのラグビー場に移動するはずの人々を運びきれず、大会初日のニュージーランド対トンガ戦を見ることが出来なかった人が続出。今朝のニュースではレンブラウン市長が「さっそく調査して対策考えます、チケットの払い戻しも検討します」なんて言ってた。

 

けどさ、元々キーウィにこんな大規模な国際大会を仕切らせるって時点で日本の新幹線を「電車でGO!」しか知らない小学生に運転させるようなもので、テレビゲームと現実を一緒にするなっちゅう話。

 

だからこんなのは最初から海外の国際イベントのプロに全面委託して兵站予測を作らせるべきだが、どうも今回はカウンシル側がかなり仕切ったようで、チケット販売を開始したあたりから暗雲が漂っていたのも事実。

 

チケットは記名式にして他人に転売出来ないようするって話だったのが販売時点ではそれが保留されなかなか答えが出ないまま、開催日が近づいてチケットの売れ行きがかんばしくないってなると転売OKになったり。

 

サッカー試合でチケット転売が横行したって北半球の問題を自分たちに降りかかるかもって思ったのだろうが、サッカーとラグビー人口は随分ちがうし会場も余裕をもって選んであるし第一南半球の小島までわざわざ見に来るのがどれくらいかの販売予測がきちんとできてないからそんな始末である。

 

もちろんチケットだけなら「最初は売り切れで転売であくどい儲けをする奴が出てくると思ったけど売れ行きよくないからやり方変えました」って理屈なんだろうけど、受け入れ側であるホテルは半年前は通常料金の3倍くらいを吹っかけてたりシティのアパートもこの時期思い切り高い料金を付けたりして「取らぬ狸の皮算用」をやってたが、じゃあ何だ?チケットは定価で売ってホテルがぼったくりをするのはOKなのかい(笑)?この点一つをとっても政府の対応はやはり素人の場当たりって感じがする。

 

まあ「何でもOK!問題なし!」のキーウィと常に心配し続けるシュミレーションダイスキの日本人を足して二で割ったらちょうど良い人種になるのだろうから今後はキーウィ男性と日本女性の国際結婚を推進した方がお互いの国家の為に良いのかもしれない(笑)。

 

ぼくは金曜日の朝から自宅で仕事をして夕方クラブ活動から帰ってきたりょうま君を迎えて夕食、その後はシティで打ち上がる花火を自宅の窓越しに楽しみテレビでラグビー観戦をして「おお、やっぱりAllBlacks、すんごいね!」とラガーマンの表情や試合のかぶりつきをまさに砂被りで見て楽しんだ。

 

スポーツを好きな人には競技場で参加して旗を振る事に意義があるのだろうが僕のようにあまり興味のない人間にとってはテレビで十分、むしろ渋滞に巻き込まれて試合に参加出来なかった人の方が可哀想である。

 

さあ金曜日から始まったラグビーワールドカップ。日本チームも参加した20か国地域、皆試合は一生懸命戦って、他の時間はニュージーランドの素晴らしい自然とキーウィの素人ホスピタリティを楽しんでもらいたいものだ。



tom_eastwind at 19:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月08日

ラグビー祝日


9月9日はラグビーワールドカップの開幕パレードが行われる。昨日2週間ぶりにオークランドに戻りオフィスのあるシティに出ると街を歩く人が多い。当社オフィスはクイーンストリートとビクトリアストリートの交差点にあるからおそらくシティの中でも一番人通りの多い場所であるが、そこがいつもの1.5倍近い人が歩いてるし時間帯によっては交差点で信号待ちをする人が2倍くらいになってる。

 

もちろん4年に1回の世界的なお祭りでありまさに世界中から人が集まるわけだから当然であるが、それにしても出張から戻ってきていきなりこれですかいって感じで人が多い。

 

今日は朝から社内で会議を行い今回の日本出張報告と今後の対応について話し合う。会議が好きなわけではないが状況認識の統一と案件に対する方向性だけしっかり全員で決めておけばその後はいちいち指示を受けずとも誰もが同じ温度で対応できる。なので無駄なほうれんそうと会議を削減するためにも出張直後の会議は移住チーム全員参加で行っている。

 

会議終了後にシティカウンシルから「金曜日の避難警告」が出ていたので、「金曜は基本的に自宅で仕事をしましょう」と言う通知をスタッフ全員にメールする。

 

どういう事かと言うと、もともと人口100万人程度のサイズに作られているオークランドはすでに150万人に膨れ上がり新都心を北に広げているのだが、今回のワールドカップ開幕式ではシティだけで10万人以上の人が一気に集中して午後4時から真夜中までお祝いをする。

 

そうなると日頃の交通規制や公衆トイレの数や駐車場や走る車の数を想定したシステムは全く役に立たず、かなりのインフラシステムが崩壊する可能性が高い。なのでレストランやカフェなど稼ぎ時の商売は別にして、シティにオフィスを持つ会社は社員を13時ころを目途に退社させてくださいってのだ。すでに道路閉鎖の地域は発表されているが

 

ビル管理会社に聞くとビル自体は通常の営業つまり夕方の18時までは誰でも入れるようにするってんだが、そうなると社員が退社したオフィスの階に外来者が入り込んでトイレを勝手に使ったり果てはオフィスの安全管理はどうなるのって話になる。

 

まあ夕方の18時までの営業なので酔っ払いが暴れることはないだろうが、それにしても泥棒管理とか大丈夫か?って思わず考えてしまう。シティカウンシルが避難勧告しているんだからここは素直に避難してビルも閉鎖する方が安全と思うけどね。

 

それでもニュージーランド全体からすれば今回のワールドカップはNZを宣伝する良い機会である。とくに今日のような青空を見れば誰もが「これが一国の商都の人口140万人の街の空の青さか?!」とびっくりするだろう。

 

その意味ではぼくらも出来るだけ外国から来た人たちに親切にして、米国人が地図を広げて頭をかしげてたらキーウィ英語で「何かお探しですか?」とでも声をかけたい気分だ。

 

つまりシティのど真ん中にオフィスを持つ立場としてはちょい気になるけどニュージーランド住民としては歓迎って感じ。

 

もともとホスピタリティ精神の高い、けれどプロフェッショナル精神のない国民性だから世界から訪れた人々はある意味新鮮な(笑)経験をしながらラグビーゲームを楽しむのだろう。

 

昨日はスタンフォードプラザホテルのロビーバーでトンガ王室の方と見受けられる上品なおばさまとお茶をしているホテルGMを見かけて手を振ったら、にやっと笑って「おい、今忙しいんだよ」って笑顔サインを送り返してきた。

 

さて、明日はぼくも自宅で仕事だ。現代のネット社会環境を十分に利用して自宅勤務を楽しむ予定。

 

けれど気になるのは前原さんが米国で行った自衛隊武器行使基準の背景だ。言ってることは基本的に理解しているし賛成なのだが、彼がこの発言をすることに、いよいよ米国が海外派遣を撤退してその穴を日本自衛隊で埋めようとしているのを感じる事だ。

 

日本が戦後「軽武装といないふり」で国際社会に「金は出すけど血は出さない」評判が立ってもそれでいいじゃんとやってたのが、ここらあたりから変化してくるのかもしれない。

 

ぼくは基本的に国連支持派閥であり国境を越えた戦争は国連によって為されるべきだが、一旦その決定が出れば日本も自衛隊を戦争地帯に派遣して一戦交えるべき覚悟もするべきなのが世界の一員としての義務だと考えている。タダ乗りはいかんでしょと思う。

 

このことは後日書きたいと思うが、国連主導で世界中に陸軍部隊や海軍輸送船を派遣しており戦闘で毎年数人の軍人を失っているニュージーランド軍の活動方針は、原爆は持たないが世界の平和のためには国民の血を流す覚悟がある事をよく示しているし日本防衛相の今後の活動方針を検討する上で学ぶべきものがあると思う。



tom_eastwind at 22:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月07日

正解のない世界

正解のない世界で生きているのに人々はいつまで経っても学生気分が抜けず、正解があるものと思い込んで正解に対して一番の近道を探す。そしてそこには「間違うかもしれないリスク」を取るという発想が出てこないから実社会ではいつまで経っても答は出てこない。

 

それでも俺は間違ってないと思い込み僕に対して反発する。けどさ、ないものはないのだ。

 

何の話かと言えば移住の話である。問い合わせの中に時々どうしても意味が理解出来ない質問があるのだが、どうやらそれは彼らの学校教育とその後就職した企業に問題があるようだ。

 

現在の日本の学校教育は受験勉強用のコースである。受験勉強の目的は試験に受かる事だから時間内に出来るだけ早く問題を理解して解く能力が必要となる。そこには常に正解が用意されているから正解を探す能力があれば高い点が取れる。

 

無事優秀な大学に入学出来てそのままところてん式に社会に押し出されて会社員となるのだが企業の方でもやることは同じ。仕事の内容は同じことの繰り返しだし書類も書式が決まっているからそこに正確に書き込めば終わり。

 

何のリスクもない生活で常に正解のある世界で生きていると次第にそれが世界のすべてであると思いだす。先日も書いたが大阪で恵方巻きがあれば世界中で恵方巻きがあると思うようなものだ。

 

ところが今回の原発事故が起こってしまうとそれまでの社会観が劇的に変化してしまう。「あれ?おいおい話が違うじゃないか、社会は安全でありリスクはなくてどうすればよいかの答えが常に用意されているはずじゃないか?」

 

ところが現実は放射能に関するあまりにも多すぎる情報、原発の今後に関する様々な正反対の意見、果ては日本経済そのものへの不安な状況が表に出てくると「おいおい、何が本当なんだ?正しい道はどちらなのか?」と言う事になる。

 

ところが正解が存在しない。そんなはずはないと思いながら探す。やはり答えはない。そんな人が問い合わせをしてくると、いろいろと様々な質問を思いつく限り並べる。

 

「ニュージーランドに将来原発は絶対に出来ないですか?」未来の答えを求められてもどうしようもない。だから一般論として「キーウィは自然を大切にする人々ですし原子力に関しては一切持たないし持ち込みもさせないという原則を守っています」としか説明しようがない。

 

「じゃあ安全なんですね?」と聞かれても原発がないから安全だとは言えない。ニュージーランドだって年に数件は殺人事件があるし交通事故で死ぬ人もいる。原発がないのと安全はイコールではない。

 

世の中に絶対の安全など存在しない、比較安全のみであり最後は本人の運と選択肢の多さが生き残る人々を決める。選択肢の多さの一つに言語能力がある。何か国語話せるのか?それはビジネスレベルなのか?同時にその言語を使って何を表現出来るかである。

 

資金も大事だ。多ければ多いほど良い、ただ資金を得る為に家庭を犠牲にするようでは本末転倒である。どこに住むかも大事なポイントだ。お金があってもイラクの首都では殺される可能性は高い。もちろん健康も大切だしいざとなったらすぐに動ける身の軽さを社会的にも個人肉体的にも持っておくことも大事だ。

 

しかし、それだけ揃えても運がなければ死ぬことになる。こうなるとじゃあ何を用意して選択肢を広めてもどうせ死ぬんだから無意味じゃないかって言い出す単細胞がいる。

 

しかしあなたが第二次世界大戦末期の満州のロシア国境で塹壕を掘ってみれば分かるが、無差別に落ちてくる砲弾を生き延びるために誰もが1センチでも深く塹壕を掘るだろう、実際には1センチの違いなどで砲弾をよける事は出来ないが、それでも兵隊は1センチでも深く掘ってしまうのだ。

 

人間は死への恐怖から逃れるためにそういう行動をとる。本人にとって一番いやなのは自分が死に直面して初めて今まで何の努力もしてこなかった事に気づいた時だろう。

 

そして最後に大事なのは「人生はしょせん有限だ、どれだけ長く生きたかではなくいかに納得しながら生きたかである。今自分は自分の人生に納得している。やることはやった。最後は天命を待つのみ」と満足の境地に入る覚悟を持つ事だ。

 

まずは自分の脳みそを鍛えて「人事を尽くして天命を待つ」心構えを持ち、適度の運動で健康を保持して社会のどこに位置するか(どの国に住むか)を決めて常に危機管理をしながら好きな事をして過ごし生活を満足いくように過ごすことだ。

 

だから震災と原発で日本に不安を感じた事はまずは危機管理の第一歩である。問題は次の一歩だ。果たして自分の環境の中で精一杯やれることをやっているか?忙しさにかまけてやり残したことはないか?子供の為に今出来ることはすべてやったか?今から準備して何か出来ることはないか?頭を一生懸命使って出来る事を出来るうちにやってしまう。

 

そうしてその夜、子供と一緒に夕ご飯を食べながら「今日も何事もなく無事に一日終わった、神様ありがとう」と思うようにしよう。

 

そうする事で少なくとも人生の満足度は高まるはずだ。世の中に絶対安全なんて存在しない、それが分かるだけで学校と企業の安全伝説と言う洗脳が解けるはずだ。

 



tom_eastwind at 14:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月06日

病気

「大阪府の橋下徹知事は6日、未成年者に対する性犯罪の服役者が刑務所から出所した際、居住地や名前などの登録を求める条例の制定を検討していることを明らかにした。有識者の会議で是非を検討し、来年の2月定例府議会への提出を目指すという。

 

 橋下知事は「子供に対する性犯罪の再犯率が高いというデータが出ている以上、プライバシーや人権という言葉だけで思考停止し、何も手を打たないのは行政の任務放棄だ」と強調した。

 

 警察庁の統計によると、大阪府の街頭での強姦事件の件数は29件(2010年)で全国ワースト2位。強制わいせつ事件は702件(同)で全国最悪だった。」

 

と言う事は大阪では猥褻をするのが流行りか(笑)?は冗談にしても子供を守りたい親からすればすぐにでも導入してもらいたい法律であろう。

 

人権と言うが人権は一定状況下にあっては制限されるべきだ。そうでなければ個人の共同体である社会で秩序が守れるわけがない。

 

橋下知事も言うように小児性愛者は再犯率が高い、てか一種の病気であり本人も止めようがない場合が多い。例えば統合失調症、簡単に言えば重度の精神病者に包丁を買い自由に使わせることを人権擁護と呼ぶべきか。

 

子供を性犯罪から守るのは親と社会の役目である。もし小児性愛者に移動の自由を認めるのであればその代償として常に居場所を社会に公開するというのは正しい社会バランスだと思う。

 

こういう問題を考える時は人権と言う発想を一旦止めて、小児性愛者が病気であり完治出来ない可能性が高いかを医学的に理解すべきだろう。

 

次に事実の積み重ねである再犯罪発生率が高いかどうかを統計的に理解すべきだ。そして最後に「自分の子供の隣にそのような犯罪者を住まわせたいか?」と考えてみればよい、変態の人権よりも自分の子供を守りたくなるのが親としての自然の気持ちになることが分かる。

 

その上で社会バランスを考えて、同じ社会の構成員である小児性愛犯罪を起こした変態も刑務所を出たら自由にさせたいってんなら、少なくともその犯罪者の居場所だけは明確にするべきでないかと考えるのも当然であろう。

 

この問題は米国を含む世界中の西洋社会で常に問題にされている。もちろんニュージーランドも同じだ。

 

いずれ世界中の西洋社会及び日本で何らかの基準が出来てくるだろうが、誰もが自由に参加出来る社会つくりは同時にその社会での法律を守ることが前提となる。法律を守ることが出来ない可能性が非常に高い人々を参加させるのであればそれなりの犯罪防止策を事前に行うのが公平と言うものである。

 

人権擁護派はきれいごとを言いつつ社会がどうあるべきかについては思考停止している。自分の子供たちが犯罪被害者になった時にどのような言い訳をするのか、ぜひとも聞きたいものだ。



tom_eastwind at 14:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月05日

でこでん


95日の羽田発午後便のキャセイ航空でオークランドに向かう。羽田になってずいぶん便利になった。午前中十分に仕事が出来る。羽田から香港は約4時間で読書、香港で1時間の乗継で夜9時発のオークランド行きCX107は完全に眠るのみ。

 

飯食えだのどうのこうの言ってくるから「不要。水のボトルだけ置いてくれればよい」と言って毛布をばさっとかぶって就寝姿勢に入る。11時間程度は飯食わなくても死なないし。

 

オークランドまでの約11時間はひたすら寝るだけ。羽田から合計すれば17時間程度であり成田からオークランドの直行便約11時間に比較すれば余計にかかるが、いずれにしても香港で仕事があるので直行便と比較してもあまり意味はない。

 

オークランド=東京間を比較するならばむしろシンガポール航空とキャセイ航空を比較した方が面白い。

 

実はオークランドからシンガポール、香港、東京はどれもみな約11時間のフライトである。シンガポールが近いように見えて全然近くない。シンガポールから東京は7時間なので乗り継ぎを含めると約20時間。シンガポールの方がずっと長いな。

 

けどこれもシンガポールに用事のある人ならどうこう考えても仕方ない、行くのみである。直行便であるニュージーランド航空のサービスはひどいし一番サービスの良いシンガポール航空は一番時間がかかる。料理もサービスも悪くないキャセイ航空は真ん中。世の中よくできたものだ。

 

恵比寿を出る前に買っておこうと思ったのがIphone4のケースだ。オークランドでもいくつか見て回ったがどうもぴんと来ない、今はIphone3のケースを代用しているが、東京に行けばすぐ見つかるでしょと思ってて放置していた。

 

でもって恵比寿の三越に行っていつも買い物している洋服屋さんにケース売ってるお洒落そうなお店を教えてもらったのだが、その時にこっと言われたのが「でこでんするんですか?」だ。

 

お店を見つけたのだがなんかどうもケースやとチョイ違う。ビーズやなんやら、得体のしれないきらきらした「光り物」の破片があちらこちらに子供のお菓子箱みたいに並んでる。店全体がきらきらしている。

 

若い派手そうな女性の売り子さんが立ったままこっちを見ている。「場違いだな〜この親父」な目つき。御嬢さん気を付けなさい「眼は口ほどにものを言い」だよ。お店の中をよく見ると分かった、これって透明のケースにビーズ玉をべたべた貼り付けて自分だけの電話ケースを作るサービスなんだ。

 

その時やっとさっきの言葉の意味が分かった、でこでん=「Decoration 電話」

 

それにしても日本語の融通むげにはいつも驚かされる。ニューヨークに行った時も「いま、ごあべにいます」って言われて、それが五番街とFifth Avenueの組み合わせ、五アヴェニューなんだから。

 

じゃあ今度からキャセイ航空は「きゃせこー」、シンガポール航空は「しんこう」、ニュージーランド航空は「らんこー」とでも呼んでみるか(笑)。そうなるとJALは日本航空だから「にっこー」?お、合ってるじゃん、歴史は事実を表しているのか?ANAだけはアナが略称だからエーエヌエーと呼ぶ人は少ない、歴史的にハンデを背負ってますな(笑)。

 

ぼくらも旅行や時代には近畿日本ツーリストは略して「キンツリ」と言ってたしJTBは「じっと立ってるバカ」と言って笑ってた。

 

そう言えば香港時代は広東語でこういう略をよく使ってた。日本人の事は「がーちゃい」と言う。チャイとは人偏に子とかく。がーは、日本人がいつも「それが〜」とか「xxbが^」って言うからだ。8916(パッガウヤッロ)はそのままバカ野郎の意味。単身赴任の駐在員は太空人(たいほんやん)、スペースシャトルの様に家族を残して空に旅立ちまた空から戻ってくるからだ、、、おれじゃん。

 

なんか出張も最終日になって頭が壊れ始めた。やば、早く寝よっと。



tom_eastwind at 15:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年09月04日

節電のセンス

9月の説明会終了。今回も品川のインターシティビルで行ったのだが、あっづーい!暑い暑い!なんで会議室に普通に座ってるだけで蒸し暑くて汗が出てくるほどなのだ??

 

節電って言うけどこれだけ人を不愉快にさせて何をしたいのか?文明とは人々を幸せにする事でしょ、28度じゃ人が不愉快になるだけでしょ。てか、これ28度じゃないよね。

 

電気が不足って言うけど何もかも節電って美名の下に何も考えずにいたずらにどこもここもセツデンやってる感じ。場所と時間を考えようよ。トイレもセツデンで照明電気を止めてるんだけど、人が入ったら自動的にスイッチオンになる。てーことはセンサー動かしてるわけだ。

 

だったら普通にドアの入り口に張り紙して「トイレの証明は手動です」にすればと思うしそういう意見もあったと思う。けどおそらくそういう意見には「けどさ、点けたままトイレ使って出る時にスイッチ切らなかったら付けっぱなしになるでしょ、それじゃ節電にならないでしょ、スイッチを切らずに節電できなかった場合の責任は誰が取るんですか?」みたいな責任論になるんだろうな。

 

結局最後は誰も責任取らず、じゃあセンサーを取り付けましょう、それにかかる費用は節電とは関係ないし節電と言う美名があるから予算が取れる、センサー動かしているから大した節約にもならないけどこれで「やったこと」になる、みたいな。

 

これが嫌なのは節電そのものよりもセツデンと言う美名の下に都内住民全員に強制的にセツデンを押し付ける、まるで戦時中の「欲しがりません勝つまでは」とか「竹槍訓練で高空を飛ぶB29爆撃機を墜落させようと指導する町内会指導員」みたいな雰囲気を感じるからだ。

 

あんまり暑いので管理人室に電話して「暑いんですけど」と言うと「そうですか〜、24度にしているんですけどね〜」って、24度で汗かくか!

 

今の東京に漂う空気の中に「もう、何も考えない、考えたくない」ってのがある。誰もが「もういいじゃん、仕方ないじゃん、どうでもいいじゃん」って雰囲気なのである。

 

今の日本、節約するものはいくらでもある。コンビニで薬品たっぷりの弁当作って売ってるが賞味期限が来たらまだ食えるのに捨てるしかない。かと言って吉兆のように使える食材を他の料理に混ぜたら「あり得ん!」と言って店を潰される。ある時は捨てるなんて勿体ないと言いある時は賞味期限だから売るなんてあり得んと言い、何もかもあり得ん話。

 

そう言えば昔の童話にこんなのがあった。老人と子供と馬の話だ。老人と子供が歩いて馬を引っ張っていたら通りすがりの人に「勿体ない、何で馬に乗らないんだ?」と言われて老人が乗った。次に来た人は「何で子供を乗せないのだ?子供が可哀想だ」と言われて子供が馬に乗った。次に来た人は子供に「何でおじいちゃんを乗せないのだ?老人を敬うべきだろう」と言われて困った二人は老人と子供の二人で馬に乗った。最後に来た人は「馬に二人で乗るなんて動物虐待だ」と言った。他人の無責任な責任論に振り回されて自分で考える力を失っている。全くバカな話である。

 

セツデン!と言われれば何故必要なのかどうすれば効率的に節電出来るのか他に手段はないのかなんて何も考えずに、とにかく他人に言われたことを唯々諾々と守って汗だくになってる。

 

説明会では皆さんの様々な意見をお伺いする。あまり暑いので上着を脱いで話をするがそれでも汗が出る。2時間立ちっぱなし、こんなんで熱中症になったら笑いものだ。今の東京はあまりの暑さに魚を冷やすための冷凍剤が売れているようだ。冷凍剤を作るための電気は使って構わないのか?全くバカな話である。

 

人々は扇子を持ち歩いてぱたぱたやってる。まるで冷房がなかった大正時代の日本のようである。世界トップクラスの技術で作ったインテリジェンスビルで電気を止めて最高技術が使えなくなってる。全く、時代は技術とともに進化しているのに人々は時間と共に自立精神が退化している。ほんとにバカな話である。




tom_eastwind at 15:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月03日

未来予想図

クライストチャーチの復興計画が出来上がった。未来予想図だ。十年以上かけてクライストチャーチを新しい街に作り替える計画だ。

 

2月に発生した地震の際にぼくはあえて「クライストチャーチをゼロから見直して都市機能を移転させるべきだ」と書いたら批判ごうごう、大変な騒ぎになり日頃ぼくのブログをバカ扱いしている無記名の連中までが「そこまで書いたらダメでっしょ」と心配されるくらいに言われた。

 

なんなのかな、この意識の違いは。

 

ぼくは今生きている。いつか死ぬ。けれどたぶん僕の子供はぼくより長生きする。その子供たちの為により良い社会を作ってあげたい。だからぼくの個人的な「気分」よりも冷静に将来を考えた街創りと言う発想は必要だと思う。

 

だってぼくが死ねばぼくの「気分」はそこで終わりだが、子供たちの人生は終わらない。だから彼らが生きやすいように、楽しく過ごせるように、地震の影響や津波の影響のない街づくりをしたいと思う。

 

そんな時に自分の目先の感情に流されてどうする?

 

だれの為に生きているのだ?人類がこの地球上に発生して今も絶滅せずに生き残っているのは、やっぱり種の保存って本能があるわけだし子供たちの笑顔を見ると何故か分からないけどうれしくなるわけだし、その為には自分や家族の生活を守る、つまり安全を求めるというのは当然な作業である。

 

だからこそクライストチャーチの地震が起こった時に敢えて「何故そこにいる必要があるのか?」と疑問提起をした。「地震」はすでに起こった事だ、それよりもこれからをどうするべきかを考えることが大事だろ、この震災をどうやって積極的に理解して自分たちに取り込むかを考えるべきだろって提起した。

 

けれど答えは「そんな事言ってもわたしは今いる場所に住みたいんです」って言われた。今、未来予想図が発表されても「そんな事より今目の前の道路が歪んでるし、仮設トイレがあるほうが問題でしょ」と言われる。

 

どうもポイントがずれている。何か話のポイントがずれている。今クライストチャーチの震災復興は政府の費用で進めている。つまりニュージーランド全体で毎日働いている我々の払った税金で復興をしようとしているのだ。なのになんか「あ、そこ壊れてるから治しといてね」感覚である。

 

じゃあ自分たちは復興の為に何をするのか?政府の役目が云々以前に自分はどう貢献するのか?社会って皆で助け合ってお互いに困った時に助け合いましょう、だからクライストチャーチで地震があれば日頃ぼくらが納めているお金=税金を使う事をぼくは何ら厭わない。

 

しかしそれはまずクライストチャーチの住民が「街づくりとはどうあるべきか?」を真剣に考えるべきではないか?そして最終目標=ゴールを作ってそこから逆算して今は何をすべきか次は何をすべきかを考えるべきではなかろうか?

 

「未来予想図なんてよりも目の前の道路を早く治してよ、仮設トイレなんてまだあるなんておかしいい」と言う事は果たして街づくりから見て正解だろうか?地震が被害であると思うだけでなくこれを機会と捉えて今まで地主の権利などで整理出来てなかった都市つくりを未来に向けてゼロから構築する、これこそまさに政治の主導することである。

 

もちろん道路整備も必要だし住宅整備も重要だ。もしかして市役所も修理の優先順位の判断を間違う事もあるだろう。しかしそのような部分のみを取り上げて文句を言うだけでは仕方ないだろう、少なくとも未来予想図を作ることは道路整備よりも優先すべき、少なくとも役所の企画部門は彼らの仕事、つまり予想図創りをすることが仕事だし建設局が手が遅いってのは別問題だ。違う問題を一緒くたにするから話が進まなくなるのだ。

 

たぶんこんな事を書けばまたも反発を買うのだろうが、ぼくはどうも自分が自分の人生に責任を持ち自己責任を常に考えているし、だいいち他人に助けてもらうのは当然と言う発想がないから、自然災害が襲ってきても何とかまずは自分で生き残ろうとするし自分で自分の家を立て直そうと思う。今までの人生をそうやって生きて来たし自分の意志で3回も移住したし何もないところからゼロから出発して何かを作り上げる生活を繰り返してきた。だからこそ敢えて言いたい、人間に必要なのは今日の米よりも明日の夢である、未来予想図頑張れ!と。



tom_eastwind at 14:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月02日

澱の深さ

香港から福岡、そして沖縄を回って大阪とやってきたわけだが、本当に原発の凄まじさを感じる。逃げられる人はとにかく逃げて日本の最南端である沖縄まで来た。福岡に会社を移した東京の会社も多い。

 

311のすぐ後は関西に大量に移動すると言われていたが結局ふたを開けてみると関西を通り越して福岡と沖縄の圧勝?のようだ。沖縄では毎月1000人以上の大和民族が移住してきてるとの事。

 

それでは何故大阪を選ばなかったか?その一つの原因には橋下知事の節電発言にあるのではないかと思う。東京じゃ仕事にならないけど大阪ならオフィス賃貸料も安いし人口も多いし工場もたくさんあるし、ところがここも東京と同じように節電と言い出したら、なんかガクっと来た、みたいな感じではないだろうか?

 

出張は疲れるが短期でこれだけの街を見て回ると同時進行の街の違いがよく分かるから面白い。香港から福岡に行く香港人は激減した。福岡と沖縄では多くの関東人が避難した。大阪では東京人がスキップした。そしてこの東京では街中の人々がすっかり下を向いて歩いている。

 

ほんっと、地域性てか、その地方の人々の考え方が良く見える。日頃は表に出さないけどこういう想定外の大震災が起こり人々が移動すると皆が結構本音で話をする。それを同時多発的にあちこちの街で聞けるのだから、そう考えると出張も社会勉強と言う意味では役に立つ。あまり文章には書けないがほんっと、その町の人々の本音がよく分かる。

 

アグネスチャンが発言した「香港でも韓国でも皆が上を向いて楽しそうにしている、日本も頑張らなくちゃ」と言ってネットで炎上した。「おまえ、日本が嫌なら帰れば?」から「中国人に言われたくねーよ」まで人種差別と金持ち批判の嵐だ。

 

しかしぼくのようにガイコクに生きて日本人として一生懸命働いている立場からすれば彼女と同意見だ。ソウルも見て来た。香港も見て来た。ついでに言えばシンガポールも見たし何よりニュージーランドと言う陽気で誰もが生活を楽しんでる街で、街を活性化させるために働いている。同じ日本人ではあるがアグネスチャンを批判する人々の心情は、ある意味もう「可哀想」でしかない。

 

実際に書き込みをした人々の年代は分からない。けれど考えてみればぼくは日本の絶好調の時代をぎりぎりで見て来た。1980年代、ジャパンマネーは世界を席巻して日本人は世界中に飛び回り、国内でも札束が飛び回り、明日は今日より絶対幸せだ、そう思える時代を生きてきた。そういう時代を知っているからこそ、つまり自分の頭の中に具体的な目標が見えているからこそ頑張る気持ちにもなる。

 

けれど現在の40歳以下の人々はそのような生活を知らない。彼ら彼女らが大学生になった時にはBMWのお迎えで豪華なお食事に行く事もなく毎晩のパーティを楽しみクリスマスイブの東京の一流ホテルで豪華な食事と素晴らしい夜を過ごすことなどなくなり、そんなおバカでも就職出来た先輩を見ながら自分は大学を卒業しても就職先がなく派遣やフリーターになる氷河期に入った。

 

つまり生まれた時から一度も「豪華」とか「贅沢」とか「社会が上昇して成長して明日は今日より絶対に楽しくなる」と言う高揚感が持てないままに社会人に突入して、就職後はそれまでの社会価値観が急激に変化して功績主義とか派遣社員とか父親のリストラとかばかり見てきて、要するに一度も「美味しい思い」をしていないのだ。

 

そのような彼らからすればアグネスチャンから「お前も頑張れ!」と言われても、まさに「要らん世話!」になるのだろう。見たことも聞いたこともない世界の話をされても今の現実は下を向いて歩くしかない。

 

なぜ生まれて来たんだろう、そう考える力さえ学校教育の中で奪われてしまった子供たちはただ毎日を何も考えずに過ごすだけだ。そんな若者にとっては大人が余計な小言を言うのがむしょうに腹が立つ。さらにそれが外国人から言われてしまえば「だったら帰れ」と言うことになるのだろう。

 

アグネスチャンの発言は世界の常識と言えるが日本では非常識となる、そこにも日本全体に沈殿する澱の深さを感じた。



tom_eastwind at 13:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2011年09月01日

大阪で生まれた女

大阪で生まれた女

 

「大阪で生まれた女」は恵方巻きが日本のどこでも伝統的に行われる儀式と思っていた(笑)。「あのね、大阪で生まれた文化ではあるけどコンビニが全国宣伝をするまでは関西から中四国までの地域限定文化だったのですぜ」ぼくがそう言うと「ええ?そうなん?」とびっくりしていた。

 

恵方巻きに限らずだが、例えば昔の福岡では小型タクシーしか存在せず東京に行くと「東京は中型タクシーがある!」とびっくりしたり。

 

要するに誰もが自分の周囲にあるものが日本中どこにでもあると思い誰もが同じ価値観を持つと思い込む。

 

沖縄から伊丹空港に到着して今さらながらこの空港の便利さを感じる。空港から梅田までタクシーで20分もかからず。関西空港から梅田まで1時間以上かかるし伊丹から神戸までは目と鼻の先。大阪は伊丹空港があるのに何で空港が三つも必要なのか?それは空港が必要なのではなく政府の金が欲しいだけだ。

 

つまり全国から集めた税金を関空につぎ込み大赤字になってさらに税金をつぎ込み、そんな中で神戸にも空港を作り、本来は地元住民の「騒音反対、空港廃止!」の要望に応えて廃止予定だった伊丹はいざ廃止となったら今度は地元場「空港なくすな!」と継続要望、どんなバカかと思う。

 

やるなら全額自分たちのカネでバカやれば良いものを、空港作るとかなるとすぐに政府から金を要求する。それは彼ら地域住民からすれば常識であり空港を作れば政府がお金を出すと思っている。

 

けれどそんな事を日本全体がやればどうなるか?赤字空港ばかりが日本全国に作られてその費用は国民の税金で賄われて国家が赤字になる。ところがこれで儲かる連中がいる。そういう一部の連中が自分だけの金儲けの為に他人の税金を奪い取っているわけだ。

 

それだけならまだしも、空港も港湾もばら撒きで作ってしまうものだから国家戦略が存在せず、1980年代は世界でトップクラスだった神戸港や横浜港は今では取り扱いを上海やシンガポール、香港に抜かれてすっかり日本抜きになっている。

 

アジアのハブ空港の地位はすでにシンガポールや香港に取って替わられ、だいいち国交省の幹部でさえ「ハブ空港なんて意味ない」発言をする。要するに誰もが自分の事だけを考えて国家は考えず、それが日本中誰でもそうでしょと思い込み自分のやっていることが結果的に国家を衰退に追い込みそれが最終的には自分の首を絞めるという事を創造も出来ない。

 

勿論誰しも自分がかわいいのは分かる。しかしそこには常に社会全体と個人のバランス感覚が必要だ。やれるけどやらない、泥棒と同じで誰でもやろうと思えばやれるが、そんな事みんながやったら社会が崩壊するでしょ、そういうバランス感覚がないままに個人が行動をすれば自然とそのような街は衰退する。

 

大阪で生まれた女は「1980年代に大阪からたくさんの人々が東京に移住した。東京に移住した大阪人は世の中が大阪だけでない事を知ってびっくりしたが価値観の多様化に繋がり同時に自分たちの持つ大阪文化の良さも理解した」と言ってた。

 

「だからこそ大阪を出た人は大阪の良さを他都市と比較して理解出来るが大阪を出たことがない人は大阪の良さを比較評価して判断することが出来ない、だから出る方がええんやけどね」

 

「何言ってまんねん、大阪の良さは出らんでもわかりまっせ」と言うのはキーウィが一度も自分の生まれた人口5千人の村を出ずに自分の町が世界で最高と言うようなものだ。主観の問題なので間違ってはいないが客観的判断ではない。

 

伊丹空港からタクシーに乗り片道車線の自動車専用道路を走る。それにしてもタクシーの運転手さん、こっちがしゃべりたくないのに話しかけてくるのはめんどくさい。

 

今日の運転手さんも独り言というか、聞いてて思わず苦笑した。

前を走る車を追い抜くときは「なにとろとろ走っとんねん」とつぶやき、他の車が自分の車を追い越すときは「なんやこら、危ないやんけ」
結局どっちやねん(笑)?



tom_eastwind at 13:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌