2012年04月

2012年04月30日

夜行バス

★記事抜粋開始

今回事故を起こした「貸し切りバス」は、2000年から規制緩和で参入する業者が増えて競争が激しくなり、2007年には大阪・吹田市で、スキー客を乗せたバスが運転手の過労による居眠り運転でバスが橋脚に衝突して27人が死傷したほか、2010年にも三重県から東京ディズニーランドに向かっていた夜行バスが、静岡県富士市で大型トレーラーに追突して27人がけがをしています。

 

この事故を受けて、バスの運行距離が670キロを超える場合は原則として交代の運転手を乗せるという指針を国土交通省が定めています。今回の事故では運行距離は670キロ未満であり、法的には運転士1人で問題はありません。

 

2010年、総務省が貸し切りバスの運転手にアンケートしたところ、78%が基準を超える長時間運転をするなど過酷な勤務を余儀なくされ、90%の運転手が居眠り運転や事故につながるおそれを感じる「ヒヤリ・ハット」を経験していたということです。

★抜粋終了

 

この事件を昨日のニュースで聞いて「やっぱりやったか!」という気持ちと、「乗客45名のうち、7人が死亡、39人がけがという事故が発生しました」という内容にもびっくりした。単独事故で大型バスでそんなに死者が出るはずないだろ??

 

今朝のTVONEのニュースで日本の事故の現場を報道してて、何故こんなに死人が出たのかやっと分かった。バスが真っ二つに切断されている。これはもうあまりに悪い偶然が重なりすぎたとしか言いようがない。

 

けれど不思議なのはニュースではこれがバス会社の過酷乗務によるものだと報道されていて運転手まで逮捕の見込みとの事。おいおい、それじゃいつものように表面だけ見て問題の本質を報道しようとしてないじゃないか、って、あ、そうか、これはニュージーランドの地元テレビだから事実報道はするけど調査報道をするわけじゃないから仕方ないか。

そんな時に下記のようなコメントを読んだ。

 

★コメントの抜粋開始

バスに限らず、価格競争と言うのはどんな業界にでもあると思うんですが、バス会社や旅行会社がどんな仕組みになっているのか理解が及びませんので、自分でははっきりこうと答えが言えません。ただ、どこの業界でも人件費が最も削りやすい部分であるのは確かです。消費者が何処の金額を削っているのか確り判断出来ないのであれば、自分の身を守るためにそのバスを使わないのが得策ですね…

★抜粋終了

 

そうです、現状の貸切バスは、どれが事故を起こしてもおかしくない状況です。例えば都内の新宿から一晩のうちに福岡まで13時間かけて走るなんてのは業界の常識を知っていればまさに死の行進です。今回の事件はバス運転手個人にだけ問題を転嫁するのではなく、業界のシステムとして変えていかないとこれからも何度も起こるって事です。

 

そして旅行においては決して値段だけに釣られていはいけません。そこには常に原価計算があり業界の人間が見ればどれが異常なのかすぐわかりますから、自分の命をバーゲンにかけるような真似は止めましょう。皆さんが乗らなければ自然とそのような安売りバスは淘汰されて安全な運行基準で旅が出来るのです。

 

最安値情報!夜行バス比較ナビ。ほんの数千円安いとかであなたは自分の命を賭けますか?だったら普通電車を乗り継いで東京から博多に行くことだって出来ますから、そのほうがずっと安全です。

 

そして価格競争について。そう、価格競争はどこにもあるものですし多くの人々がその社会に消費者として参加して何かあれば「ボッタクリだ!高い!」と言い、自分の命がかかっている事をあまり認識せずに消費者としてひたすら価格を追求した結果としてこのようなバスが仕立てられるのです。

 

しかし自分が労働者となった場合、つまりバスの運転手になった場合はその激務の為に事故を起こす。じゃあそんなブラック職場で働くな?それでは家族を食わせられないでしょ。失業保険は数ヶ月で切れるし自宅のローンは残ってるし子供の学校にも金はかかる、今ここで首になったり退職することは出来ないんですよ。

 

「それはお前の能力がないからだ、自己責任だ!」それで解決する問題ですか?じゃあ会社辞めて家族全員殺して最後に自宅に放火して自分も死ねばいいのですか?そんな事件になって初めて「そうなる前に相談出来なかったのか」などと偉そうな事を言う連中は多いが、世の中にいる間は誰も救ってくれず、仕方ないから何とかバスの運転手をしているのですよ。

 

だから本来は社会全体がもっと目先のお金ではなく社会全体の安全を考えて、きちんと原価を払っていくべきなのです。それがいのちを守るという事です。

 

ではこの業界の仕組みとは?少し長くなりますがぼくの経験した範囲で書いていきます。

 

ぼくは日本や海外で旅行の仕事をしてきて30年以上になるが日本国内の旅行会社とバス会社の関係がどのようなものかは分かっている。僕自身が日本にいる頃はしょっちゅうバス会社と取引をしていたからだ。

 

貸切バス会社にとっては一般個人が貸切バスを発注することはまずあり得ないので旅行会社からの注文がすべてであるから自然とバス会社の営業マンがいかに旅行会社に良いバスを安い価格で提供するかが勝負になる。

 

GWにダブルデッカーを配車出来れば立派だし一日のチャーター料金をドライバーとガイドを入れて20万円くらいで手配出来れば上出来だった。

 

1980年代ころのバス手配は、まだ時代に余裕があったし一日で700km近く回るって事は北海道の一部くらいしかなかった。夜行であれば二人乗務は普通でありバス料金もしっかりと払われていた。正確に計算してはいないが旅行会社から聞く話によればぼくらが1980年代にバス会社に払っていたバス代が、今は半額くらいになっているようだ。

 

バス会社にとっては営業マンが旅行会社との接点であり運転手とバスガイドは添乗員との接点であり40歳過ぎのバス運転手さんが20代なかばの日帰りバス添乗員に頭を下げるのがこの業界の常識となった。

 

旅行業は当時は旅行業界の頂点に立ち、偶然旅行会社に入ればガキでも天下のJTB社員となり田舎旅館の営業マンなどいちいち会いもしないくらいお高くなる時代だった。

 

つまり業界の頂点に立つJTB社員添乗員からすれば「たかが貸切バス会社の」「何百人もいるたかが運転手の一人」であり「俺の言うこと、分かったか?こっちの道を行け〜!」と間違った方向を示されても運転手は逆らえないので「はは〜、どこまで行きましょうか」となる。

 

当然だ、JTB社員からすれば気に食わないバス会社のバス運転手など下の下である。会社に戻ってバス会社の営業に電話して「あいつ気にくわねーんだよ、首にしろよ!」と言えばすぐに営業担当者が責任者と一緒に菓子折り持ってお詫びに来るような時代だった。

 

そしてそのあたりからいつの間にか旅行業界が情報を提供するビジネスから野菜のたたき売りをするビジネスモデルに大きく変化した。その理由はB-747、通称ジャンボが日本の空を飛ぶようになってからである。

 

当時はまだインターネットがなくて航空券を買うのは旅行会社からというのが一般的で、飛行機の全座席の7割くらいは旅行会社経由で予約が入っていた。だから航空会社も下手に旅行会社大手には逆らえない。

 

その代わり航空会社が導入したB-747を有効活用するために旅行会社に香港チャーターを特別運賃で持ちかけてきた。そこで今度は旅行会社が競うように座席を買い、何席売れるかが勝負になりどこもが安売りを仕掛けるようになった。

 

航空会社がどこであっても空を飛んでくれるなら一円でも安いほうがよい、そういうたたき売り市場を作ったのは実はお客ではなく航空会社と旅行業界自身だった。

 

そして香港3泊4日39,800円!なんてチャーターツアーが出るようになった。おいおい、ホテルに飛行機に食事、どう計算しても無理でしょっては明確。当然ツアー出発時点では一人当たり1万円程度の赤字なのでこれを当時は「赤字発進」と呼んでいた。

 

そのかわり現地に到着すれば日本語ガイドがニコニコしながら観光など殆どせずに一日におみやげ屋を3軒くらい回り翌日からはそれこそボッタクリの高値でオプショナルツアーを売り、夜景を見に行けば帰りのバスの中で写真を売りつけ、初めてのお客には「こんなもんなんかな〜」と思わせるくらいだったが、これが次第にお客にもバレるようになり(当然だ)旅行会社の安売り香港ツアーはおもいっきり顰蹙を買うことになった。

 

それほどに当時の旅行会社は目先の売上しか考えず安全とか他社の利益などは全く無視した結果として旅行業の大衰退を迎えたわけだ。21世紀の今になってもバスの座席のたたき売りをやって現場では運転手のみに責任を押し付け旅行会社は知らんふりか?

 

「え?なに?この料金じゃ出来ない?そうか残念ね〜来期のこの路線はオタクに頼もうと思ってたんだけどね〜」とやって毎年毎年料金を下げる旅行会社とそれに従わざるをえない貸切バス会社。そのしわ寄せはバス運転手に来る。無理とわかっててもおもいっきり注意して運転するしかない。どう考えてもいびつでありその構造が今回のような事故を招いた。

 

旅行会社の本業とはお客様に「まだ見たことのない場所」を見せて旅先で美味しい物を食べてもらいホテルを満足してもらい十分に楽しい経験をしていただくのが醍醐味である。だからお客様ともしっかり付き合いがなければ彼ら家族がネギ嫌いなのか去年どこに旅行に行ったかなど分かるはずもない。逆に言えば顧客の嗜好が分かるから良い旅を作れる。

 

その代わりそのためには費用がかかる。美味しい物はお金がかかるし静かなホテルはバックパッカーではないのだから寝ている間の治安を守ってもらうという意味でも当然費用がかかる。

 

そういう費用を積み上げて最後に旅行会社の手配料金を戴く。こうすれば現地の受け入れ旅行会社も利益が出せるしホテルもレストランも日本人旅行客と仲良くなれてきちんと費用も払ってくれて、最後に旅行客がホテルを出る際には心からの笑顔で「また来てくださいね」といえる。お客はまだ見ぬ世界を満喫し関係者も利益が確保出来てビジネスとして継続性も出てくる。僕の中ではこれが本来の旅行業だと考えている。

 

ところが現場で起こっているのはネットで募集して一円でも安いバスを仕立てて、お客の顔も知らずに700km近くを高速で移動させる仕事だ。これこそまさにデスマーチ、腐った野菜のたたき売りである。

 

今からでも遅くはないので、どれだけ安いと言っても貸切バス、ありゃ危険な乗り物である事を認識して下さい。JRなら13,440円で東京から博多まで普通電車を乗り継ぐって方法(約20時間、旅を楽しんで下さい)があります。確かに東京から博多まで5,300円ってバスチケットもあるけど、安全と費用は常に比較の問題です。



tom_eastwind at 20:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月29日

BOSCH

冷蔵庫は去年買い換えたのだがうちの奥さんは冷蔵庫と倉庫の区別が付かないのは今も変わらない。

 

香港人の性格と言うのか自分の冷蔵庫をいっぱいにしておかないと気が済まないようだ。彼らには「食べること」が大事なのはわかる。香港人の日常の挨拶が「おはようございます」ではなく「御飯食べましたか〜?」なのだから「武士は食わねど高楊枝」なんてのは全く理解されない。

 

しかしぼくは日本で生まれ育ち「畑→配達→調理場→スーパーマーケット→冷蔵庫」と順番がある流通を信じてているし、自宅の冷蔵庫を食料で満杯にするのはどうしても好きになれない。何となくだけどみっともないって気がするのだ。

 

奥さんは買い換える前は「うちの冷蔵庫はちっちゃいのよ、だから大きなのにしないと余裕も出なくてダメなのよ」と言ってたが大きな冷蔵庫にしても結局は満杯にしてしまい同じ事である。だから買い換える前にも「お母さん、結局同じ事だよ、またいっぱいにするだけだよ」と言ったのだが全然聞く耳を持たず。我が家で一番発言権がないのは僕。

 

Boschはドイツのメーカーで車の部品から家電まで作っており娘は「ドイツ製ならOK」と言ってたのだが現物が届いてみると韓国のBoschで作ってる冷蔵庫であり娘は少しお冠だ。中国人からすれば韓国は一段階低い地位の国家であり中国の属国であるから属国で作られた製品など、どうよ?って感じなのだろう(笑)。

 

このBoschは優秀で冷蔵庫のドアを開けなくても氷が取り出せるのだけど、出来る氷の量が少ない。奥さんは「買うときにはね〜、これだけの時間でこれだけの氷が出来るって書いてたんだけどね〜」と言ってる。

 

でもってぼくは大量に氷を消費するので結局氷不足になり何のためにこんな冷蔵庫を買ったのかわからんって話である。

 

本題は氷ではない。冷蔵庫があればモノをいっぱい入れておかないと満足出来ない中国人の性格だ。香港に旅行に行った人なら分かるだろうが、中国料理の場合は小さなお椀になみなみと料理を盛るのが大好きだ。ぼくはどうもこれが好きになれず、いつも大きめのお皿に程々に盛るようにしているが、気づいたら奥さんは必ずちっちゃいお椀に料理を山盛りにしてる。

 

お互いの子供時代の生活体験が全く違うのでなんとも言えないが、ぼくが生まれた頃の日本はすでに豊かであり平和でありぼけてても生きていける時代だった。だからスーパーに行けば食べるものがあるのになんで自宅の冷蔵庫を一杯にするのよ、みっともないって思える時代だった。

 

けれど奥さんが生まれた当時の香港と言えばまだ生活は厳しく奥さんのお母さんは共産党から逃げてきた難民だから生活の苦労とか他人が何かしてくれるとか甘い事は全く考えずに自分で出来ることは全部自分でやる、それが冷蔵庫を常に一杯にしておいて食べるものを確保するってのが当然の行為だった。

 

奥さんが小学生の頃住んでいた団地のアパートの窓から見る景色は、香港の素晴らしい夜景をバックにアパートの隣にある公園でヤクザ同士がしょっちゅう殴りあったりする景色だったらしい。奥さんが住んでた街の若者は背中にモンモンしょって繁華街に出かけて集金したり喧嘩したりが普通で、おじさんたちはモンモンを消そうともせずに昼間からアパートの庭で麻雀してた。これはぼくが1990年代に自分の目で直接見た景色なので間違いない。

 

とにかくあの当時ぼくら夫婦が住んでた街は、住民の半分が元ヤクザで残り半分は現役ヤクザって感じの、ある意味すごいところだった。もちろん普通に働いている人もたくさんいるのだけど、そういう人の影が霞むほどに昼間から楽しい景色を見ることが出来る。ある意味彼らが普通の人に見えてきて、たまたまそういう職業を選んだんですねって感覚になる。彼らも社会を支える人々だったのだ(多分今でも同じではないかと思う)。

 

確かにな〜、こういう世の中で生きてたらとにかく自分の食べ物を確保することが何より大事ってなるんだろうな、実感として思った。共産党の圧政から逃れて難民としてやって来た母親、街では普通に喧嘩があり警察はその権力を自分の利益のためにだけ使い(これも本当の話。香港では警察になることは金儲けをすることだと1970年代には考えれていた)、一般市民は自分の身は自分で守るしかなかった。

 

その頃ぼくらは日本のグループサウンズとかサイモン&ガーファンクルとか聴いてて、スーパーに行けばインスタントラーメンが売ってて誰もが学校を卒業したら就職できて、ある意味すべてが平和で「予定調和」の中で動いていた。生意気な事を言っても責任を取る根性がないままに言いっぱなしでOKで平和なところから自分に災難が降りかからない距離を取って「ベトナムに平和を〜」とかやってた。

 

同じ頃うちの奥さんは冷蔵庫を常に食べ物で一杯にするように、道で警察に会ったら目を伏せてすぐに通り過ぎること、ヤクザの喧嘩が始まったらすぐ逃げることってお母さんに教えられてた。

 

21世紀のオークランドの日曜日の午後、りょうまくんに「ねえお父さん、なんで遊戯王のしずかちゃんが英語ではSerenityになるのかな〜?」と聞かれた。日本語のアニメに英語字幕なのでそういう事がよく起こる。「平和だな〜、やっぱり平和っていいよね」りょうまくんと二人で遊戯王を見ながらそう思った日曜日の午後でした。



tom_eastwind at 18:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月28日

糊を食らう

4月25日はアンザックデー(AnzacDay)と呼ばれる祝日だ。第一次世界大戦当時にトルコで行った上陸作戦でキーウィは豪州と手を組んでAustralia NewZealand Allied Company という部隊を作り英国軍の指揮下で戦った。頭文字を取ってANZACとなる。

 

結果的にボロ負けでありNZだけで約8千人の死傷者を出したのだが、当時の敵国であったドイツやトルコが果敢に攻めてくるキーウィとオージーに対して呆れて「お前らいい加減にしろよ、もういいじゃんか、お前らの親分の英国軍は後ろに引っ込んでるじゃないか、終わったんだよ、もう自分の街に帰れよ」と同情するようなメッセージを送ってきたほどだ。

 

この戦いは豪州でもNZでも幾度も映画化されている。最近の豪州映画では元々炭鉱夫だった連中を使って敵軍の地下に穴を掘るってのがあったしNZでは旦那が戦争に出征している間にあれれ?なんてのがあった。戦闘には負けたけど北半球の人々にオージーとキーウィの勇敢さを見せたという意味で祝日になっているのだと思う。

 

今年のアンザックデーではかなり高齢のおばあちゃんがテレビに出演して彼女が第二次世界大戦当時に日本軍の捕虜になり内地に送られた話をしていたそうだ。ぼくは直接見てないがテレビを見てたキーウィがその話をしてた。

 

おばあちゃんは随分寒いところに送られたようで冬場になると水が凍ってしまい午前中は全く水が飲めないようだった。内地にそこまで寒い場所あったか?てか満州だって井戸水は凍らないしな〜とか思いながら話を聞いてたらそのおばあちゃん、「わたしは日本でGlue(糊)を食わされてました」と言い出した。

 

聞いてて思わずきんぴらごぼうの話を思い出した。日本軍の捕虜になった白人兵士が「ぼくは戦争捕虜として虐待を受けた〜」と訴えたのだ。その理由を聞くと「日本軍はぼくに木の根っこを食わせたのだ〜虐待だ〜」だって。

 

それ、きんぴらごぼうです。日本軍でさえ食べるものがなかった時に捕虜に対して食料を提供したって事実が逆に明らかになったわけだ。

 

このおばあちゃんの「糊を食わされた」のも同じ事で、彼女が言ってるのは「お粥」である。日本人の主食を食うことが出来て健康食、良かったですねとは言えないがもう少し相手の文化を知ってもらいたいものである。

 

西洋人はどうしても自分の理解の範囲内でしか物事を理解しようとしない。常に自分が一番偉いと思ってるからそれ以外のものが出現した場合、思考停止になるか否定するかのどちらかである。

 

これは宗教的な影響だと思うが八百万の神から仏教まで何でも受け入れる日本人は常に外部の情報を吸収して学ぼうとするし自分が知らないという事を知っているから人に対して頭を下げることが出来る。

 

これに対して白人というのは何でも知っているような顔で話すからあまり外人慣れしていない日本人はすぐに「はは〜っ」って頭を下げるけど実は彼らってそれほど賢くないケースの方が多い。平均的に言えば日本人の方が知的水準は高いと思う。

 

けど平均的な日本人は「知らないという事を知っている」からいろんな知識を身につければつけるほど「頭を垂れる稲穂かな」となり、白人のような知ったかぶりが出てくると「もしかしてこの人は本当にたくさんいろんな事を知っているのかもしれない」と本気で「はは〜っ」ってやる。

 

けれどぼくの外国生活でぼくの個人的な経験の範囲内で言えば大体において一般的な白人は「糊やゴボウ」の程度である。良い奴ではあるのだが想定の範囲内でしか行動出来ず「次の動き」が見えてしまう。

 

これは歴史を学ばないという学校教育に大きな問題があると思う。白人にとって歴史は「高等学校で学ぶ専門的な知識」と考えているのかもしれない。おれたちゃキリストを知ってるんだ、それ以上に何かを学ぶ必要なんてないくらいに思ってるのかもしれない。

 

りょうまくんの学校でもあまりまともな歴史は教えていないしたまに教える歴史でも「白人から見た歴史」であるから第二次世界大戦で民間人を無差別に虐殺した東京大空襲は「正しい行動」であり原爆2発は「戦争を終わらせるために必要だった」となる。おいおい、戦争では民間人を殺さないってお前らが決めた原則だよね、自分で作っておいて都合の悪い時は破り都合の良い時は「戦争捕虜の虐待〜」と言ってごぼうや糊の話をする。

 

「あふぉ?」と言いたくなるのだが彼らの想定出来る範囲がその程度なのでどうしようもない。目の見えない人に色を説明しても分かってくれないようなものだ。(最近の学説では色に温度があり目が見えなくても温度で色を分かるって話もある。これ何となく説得性がある)。


白人は基本的にお人よしだし愛すべき人々である。夢を信じて生きてるから話してても楽しい。けれど歴史とか物理とかの「知識」という点から見ると残念!

 

テレビのインタビューの最後に司会者が「日本での捕虜生活は大変でしたね」というとおばあちゃん最後に「けどね、日本人はみな良い人でしたよ」と話したらしい。バカ話の最後に少し心が救われたAnzacDayだった。

 



tom_eastwind at 17:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月27日

国境のない時代

シンガポールでもグローバリゼーション?

 

シンガポール出身の中国系弁護士と打ち合わせをした。今回の出張ではシンガポールで弁護士や会計士との会議が入ってるのでその下準備。

 

彼は温厚な人でいつもニコニコしているのだが今回の打ち合わせの最後に雑談でシンガポールの就職事情の話になった時に少し暗い顔をして「考えても見ろよ、隣国のマレーシアやインドあたりはシンガポール人の半額の給料で喜んで働いてくれる、能力はシンガポール人と同じとなれば普通のシンガポール人じゃ勝ち目ないじゃん」と嘆いてた。

 

シンガポールは世界でもトップクラスのスピードで発展している国の一つだが人口は500万人程度であり経済規模は17兆円、日本の福岡県と同程度、隣国との付き合いは人的交流を含めて必要だ。毎朝マレーシア側から越境してくるトラックの荷台に乗ったマレーシア人出稼ぎ人を見ると「お、シンガポールに来たな」って気になるのは僕だけではないだろう。

 

シンガポール生まれの女性は無茶苦茶自分勝手でろくに働きもせずに偉そうにして文句ばかり言って生産性ゼロなのにシンガポールで中国系の政府に繋がる家庭に生まれたからってだけでそんなに偉そうにしてていいのか?てか足太いし服のセンス無茶苦茶悪いしってのは僕の言ってることではありません(笑)。

 

結局平等ってのは誰にも平等に存在するものではない。何時の時代にどこの国で生まれたかってだけでも十分に差別であるのに同じ時代に同じ地球に生まれて何の努力もしないxx(ぼくは言ってませんよ、ある人の受け売りです“笑”)が威張り腐りやがってさ、普通にまともに勉強している俺たちなんてどうなるんだよってのは、これも地元の人のご意見です。ぼくの意見ではないので最初にお断りしておきますね。

 

シンガポールの海辺のスターバックスに入った時でも学生が分厚い本を分厚い眼鏡越しに読みながら冷たいコーヒーを飲んでるのを見かけた。ほんとにシンガポールの教育熱心なのには頭がさがるが、ここまで勉強しても結局は生まれ育ちの時点で負けているって現実はひっくり返しようがない。

 

だもんで最初に出てきたシンガポール出身の弁護はまだ幸運な方だろう、英国の大学で法律を学びシンガポールとニュージーランドの両国で弁護士資格を持ち現在はのんびりとしたニュージーランドでキーウィペースで仕事をしてるからだ。

 

ちなみに1NZドルは1SINドルと大体同じ価値でありNZの弁護士の年収が10万ドルとすればニュージーランドでは幸せな部類に入るしストレスなく仕事をして毎日自宅で家族と食事が出来る。

 

けれどその彼からしてもお隣のインドやマレーシアは脅威に映るわけで、インドあたりの学生の頭の良さってのは他の人種とは違った一種違ったものがあるしシンガポールにはすでに多くのインド人が住んでいるので彼らを通じてインドがビジネスパートナーとなる場合はシンガポールに生まれ育った若者がインドで生まれ育った若者と直接競争にさらされる。

 

シンガポール人は外食が中心なので美味しい料理を作る料理人ならシンガポールで楽しく生活も出来るだろう。けれど普通にシンガポール大学を卒業した普通に頭の良い子では自分の給料が高いというだけで隣の国に仕事が流れていき、今のシンガポールで起こっているグローバリズムはまさにこの中流階級を狙い撃ちにした現象である。

 

1990年代までは国境という壁に守られて国内需要である程度良い生活が出来てた中流の人々が国境の消滅により直接海外との競争にさらされてしまい、すべての先進国の中間層が開発途上国?であるインドや中国の人々と競争にさらされている。

 

その結果は経済合理性からいって両国の賃金格差がゼロになるまで続くわけで、それは日本でもシンガポールでも関係なく発生している「経済現象」である。シンガポールでも日本でも、両親からすれば子供が優秀な大学、東大やシンガポール大学に入学できたらそれで一安心していた時代はもう終わった。

 

「おっかしいな、おれたちの時代はこれで良かったんだけど、何が間違いだったのかな〜」そうやって頭をひねっている両親もいるだろう。ぼくが話をした弁護士も友達の子供の就職事情を聞いて「どうしてかな〜、おれたちの時代はこれで良かったのにな〜」と考えている。

 

そう、あなたたちの時代であれば大卒というだけで良かった。時代のせいにして問題が解決出来るのならそれも問題ない。リー・シェンロンに縁のないのを親の生まれのせいにして問題が解決するならそれも良しだ。周囲を気にせず美味しい海南鶏飯を作ることに集中するのも楽しいと思う。どのような人生を選ぶのも本人の選択である。

 

シンガポールの普通の家庭に生まれ賢くて英国で勉強して行動的だからニュージーランドにやってきてキーウィペースで弁護士として働く彼は幸せな人生を送っているように思う。他人に見えない苦しみもあると思うがそれでもいろんな国を渡り歩くだけの技術を身に着けている状態はグローバリズムの大波のなかでも有利だと言える。

 

パーネルの彼の事務所を出てシティに戻るとクイーンストリートにいつものように暇つぶし乞食が道端に座って「金くれ」とダンボール紙にマジックで書いて俯き加減に道行く人を見ている。キーウィである限り金がなくて死ぬなんて事はないが、自宅では退屈してやることもないし人と話す機会もないから街に出てきてバカな事をやっているのだが、それもその人の人生。

 

ぼくは彼らの選んだ人生も否定はしないが、けれどぼくには近寄るなと気を送りながらオフィスに戻った。



tom_eastwind at 16:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月26日

対岸の火事か?

スマイリーキクチという芸人がインターネットで中傷されていたのは聞いてたが実際に書き込みをした犯人を警察が特定して書類送検されたのは知らなかった。あるブログで「突然、僕は殺人犯にされた」というスマイリーキクチの本の評価コメントを読んだだけなので詳細は分からない。本文からコメントで抜粋された内容を少し抜粋する。

 

★抜粋開始

・今までは生活安全課に向かっていたが、良い噂を聞き、刑事課に直接話をすることにした。そこで事件解決まで付き添ってくれるO警部補に出会う。

20089月。最初の犯人が分かった。有名大学に勤める公務員だった。他にも鉄筋工の男性などの身元が判明した。

・警察が鉄筋工の男性の事情聴取をしたところ、「二度としない」と反省していたが、なんとその男性は再びスマイリー氏のブログに中傷コメントを書き込んだ。これで捜査方針が変わった。

20091月、18人の人間が特定された。妊婦、ディーラー社員、家電メーカー下請け社員、プログラマーなど。誰一人面識は無かった。「謝罪したい」と警察に泣きながら語る犯人は多数いたが、実際に謝罪に来た人はいなかった。

20101月、摘発した犯人たちのうち、7名が書類送検され、結果的に不起訴処分となった。しかし「嫌疑なし」の不起訴処分は誰もいなかった。「ブログのコメント欄に誹謗中傷や脅迫のコメントを投稿することは刑罰に値する」という判断が認められた。

 

★ここから先はウィキから抜粋

中傷犯たちは関東だけでなく宮城県や滋賀県や大阪府にもおり、北は北海道から南は大分県まで全国幅広くに存在し、警視庁の刑事が実際に出向いて摘発した[36]。年齢は半数近くが30代後半だったが上は47[35]から下は17[37]までいた[38]

男性だけでなく女性も含まれており、女性の中には妊娠している者もいた[38]。精神の病にかかっている者が4分の1近くいたが、それ以外には仕事や家庭を持つ社会人がおり、大手企業のサラリーマン・会社セキュリティ部門の責任者・会社の通信機を利用して中傷コメントを書き込んだ者もいた[38]

中傷犯たちは実際に起きた殺人事件とは何の関係もなく、他の中傷犯たちや被害者のキクチとは実生活で一切面識がなかった[38]

2009327日までに、起訴できる見込みがあると警察が判断した7人の中傷犯が検察に書類送検された[49]

神奈川県川崎市の29歳の女性派遣社員(脅迫容疑)[50][35]

大阪府高槻市の45歳の国立大学男性職員(名誉棄損容疑)[51][35]

東京都東村山市の46歳の会社員(名誉棄損容疑)[51]

埼玉県戸田市の36歳の会社員(名誉棄損容疑) [51][49]

神奈川県横浜市の46歳の左官業経営者(名誉棄損容疑) [51][49]

埼玉県入間市の36歳の男性鉄筋工(脅迫容疑) [51]

東京都練馬区の23歳の元パート女性事務員(脅迫容疑) [51]

 

★本文から抜粋

考えてみてください。パソコンや携帯電話の画面とにらめっこしながら、素性を隠して、人のことを「キモイw」と書き込んで優越感に浸っている人間の方が、よっぽど気持ち悪いと思いませんか?

(中略)

人でも仕事でも趣味でも何でもいいから「生き甲斐」を見つけると気持ちも和らぎますし、人前で言える趣味を持てば、ちゃんとした人脈も広がって人生を何倍も楽しめると思います。

 

インターネットで中傷している者は人前で「私の趣味は、匿名でインターネットに誹謗中傷の書き込みをすることです」なんて言えません。履歴書にも書けません。それは自分のやっていることがみっともない行為だと自覚しているからです。

★抜粋終了

 

「みっともない行為」であり「履歴書にも書けません」と言うことが誹謗中傷している本人は理解できていない。ましてや自分のやっている行為が犯罪であるという事は全く理解できていない。だから警察が来たらおたおたして泣きながら「もうやりません」とか言いながらまたも繰り返す。

 

こういうのを「ネットリテラシーがないバカ」と言うのだがバカは自分がどうバカであるかが分からないから警察に逮捕されて初めて自分の馬鹿さ加減に気づく。

 

そういえば最近まで日本の警察はネット被害について殆ど犯罪捜査をやってなかった。だからネット被害が広がり以前であれば考えられないようなネットを使った犯罪が出現した。そこで警察もネット社会も実社会も同様と判断して行動したのだろう。

 

ネットが強力な伝播力を持つ媒体である事は間違いない。それは広告売上を見ればすぐ分かる事で、テレビや新聞が広告売上を落とす中でネットだけは売上を急速に伸ばし、とくにグーグルを見れば新参企業でありながら会社のブランド評価を高めて多くの企業が利用している。

 

だからインターネットとは大人の付き合いをしなければいけないのだがそこに気づいてない。つまりネットリテラシーのない人々はそういう事が理解出来ず、例えば無免許で車を運転して通学途中の子供の列に突っ込んで人を殺しておいてから初めて「あ、ごめんなさい」というようなバカである。

 

世の中が発展すればするほど覚えることが増える。ネットがなかった時代はネットリテラシーは不要だったし自動車がなかった時代は運転免許も不要だった。けれどりょうまくんは現在14歳でもう普通にインターネットで検索をして使いこなしているし学校からの通知もメールで届いたりする。

 

だからこそ親が子供にネットの利用方法をしっかり教えないとダメなのだが親が使いこなしてなければどうしようもない。時代はどんどん複雑になっていき、いつの時代も技術を覚えなければ前に進んで生きてくことは出来ない。ましてやこれから社会に出る若者はネットとの付き合いは必須である。

 

車を運転出来れば仕事が見つかるって発展途上国ではよく聞く話だしインターネットも使える方が何かと有利である。しかし自分の持っているものが実はとてつもなく危険な道具であることは同時に理解しておく必要がある。

 

「そんな事知りませんでした〜」では世間で通用しないのだ。人を殺しておいて「だって、殺したら悪いなんて聞いてなかったもん」では済まない。社会で生きる限り守るべきルールがあるのは厳然たる事実だ。

 

もちろん世間から全く隔離されて生きる生き方もある。米国ではベトナム戦争の帰還兵が適応障害になり山の中に住んでいるとかあるし食料と着るものがあれば最低限生きていける。

 

そのような生き方を選ぶのであれば社会とも殆ど関わりを持たないから問題はない。ネットを使う必要もないし運転免許も不要だ。時々社会保険事務所に行って傷病兵手当を受け取ったらまた山に篭ればよい。

 

しかし、片方で文明の利器であるネットや車の便利さを享受しておきながら片方では無責任に「知りませんでした、分かりませんでした、え〜んえ〜ん!」では通らないのだ。

 

同時に僕らがこれから考えるべきなのはネットリテラシーのないあふぉーが何かを書いて捕まる問題ではない。これで警察がいよいよネット犯罪取締をするようになると反対側に針が振れて一般意見に対する「言論弾圧」がおもいっきり派手に可能になるし政府の批判をカキコすればソッコータイーホ「光る風」となる可能性もあるって事だ。

 

実際に今年になってネット書き込みを脅迫罪として逮捕されているケースが増えている。飛行機の爆破予告とか小学校を吹っ飛ばすなどは明らかにバカだが政府の一部機関では去年の原発事故以来ネット監視を続けており一部有名人が原発反対意見を書いて政府の要注意人物リストに入れらりたりしている。

 

今まではスパイ映画の中だけだった「この電話じゃ話せない」なんてのがこれからは「これはメールじゃ送れない」とかになっていくだろう。携帯電話のデータはすべて警察に通報されるしインターネットに繋がったパソコンにデータは残せないし、どのように自分にセキュリティをかけていくか、これからのネットリテラシーはもしかしたらネットを使わないって事になるのかもしれない。

 

「私の趣味は、匿名でインターネットに誹謗中傷の書き込みをすることです」なんてバカが逮捕されて「あー、これでやっとネットも正常化されるな」とか対岸の火事とするのではなく強い風に煽られてこちら岸に飛び火して来る可能性は常にある事をしっかり理解しよう。ネット発言には十分気をつけましょう、良い子は真似しないでね、ですね。



tom_eastwind at 16:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月25日

逆淘汰

淘汰といえば変化出来るものが生き残り変化出来ないものは滅びることを指すが今の日本ではそれと正反対の逆淘汰が起こり始めている。

 

ぼくの仕事はニュージーランド移住や企業の移転・買収であるが、日本を出ていく人々を見ると皆実にごく普通で昭和の世代であれば社会のど真ん中で一生懸命働いて、盆踊り実行委員会の委員長やったり会社の中でまとめ役になったりするような人々である。

 

資産家にしても同じで、自分で資産を作ってきた人は昭和の世代なら地域の名士として様々な機会に自分の住む地域のためにお金を含めて貢献していただろう。

 

そのような「普通に良い人」が海外に出れば日本に残るのは誰なのか?それはおそらく昭和の時代を楽しんだ団塊の世代や古さから抜け切れない企業であろう。

 

もちろんそのような人ばかりではないだろうが少なくとも彼ら退職した団塊世代がこれからの票田であり彼らはこれから20年は生きるだろうから日本の政治は組織票ではなく地域に散らばった団塊世代の票を拾っていく必要がある。

 

そうなると薄く広く日本全体に散らばる団塊世代が喜ぶ政策を導入することになり、それは老人介護施設の充実とか70歳でも楽しめる社会つくりである。それは当然税金で賄われるし70歳でなくても税金を払うことになる。

 

つまり簡単に言えば今の若者がただでさえ不公平感のある年金だけでなく更に団塊世代を支えるために税金を払うことになる。それでも財源が不足する場合は国債を発行する。

 

実はここに問題がある。国債は例えば30年かけて償還する場合、今5歳の、政治的に全く発言力のない立場やまだ生まれていない世代が30年後に国債を償還するためだけにお金を作り税金を負担することになる。

 

「代表なきところに課税なし」という米国独立戦争時の有名な言葉がある。当時の英国議会に米国の意見を代表する議員は送られておらず、それなのに米国で作った製品に税金をかけるとなった。この時米国人は「そりゃおかっしい、政治的に発言出来ないのに納税をしろってどういう事だ!」として英国に反発、これが独立戦争の引き金となった。

 

この理屈でも分かるように今の日本政府がやっていることは子供の世代や生まれてない赤ちゃんたちに税金を負担させようとしているのだ。

 

つまりいまの日本のやばい点は大地震でもデフレでもなくこれから育ってくる若者が普通に生活しても親の世代の借金返済のためだけに働くしかなくなるって点だ。学校に行きたくても教育費は削減されて高くて行けない。病院に行きたくても自己負担が多すぎるので行けない。

 

まるで江戸時代の女郎である。親が貧困のために子供を売り飛ばす、子供は親のために吉原で客を引く、病気になったらそのまま捨てられる。それがこれからの子供世代となるのだ。

 

これはすでに現在の日本でも一部発生している。親が突然のリストラに遭い次の仕事が見つからないまま健康保険も払えず給食費も払えず次第に学校に行かなくなる子供が増えている。将来はこれが普通になっていく可能性があるのだ。

 

厚生労働省は最近世代間格差を調査した資料を公表したそうだが、それは既得権益を守りたい世代の人々の為の「公益」でありまだ生まれてこない世代も含めた持続する社会作りと到底思えないのは僕だけだろうか。

 

今の日本で起こっていることはほんの少数ではあるが変化出来る人が海外に出ていき大多数の変化出来ない人が国内に残るという逆淘汰である。

 

いや、国内に残ってても良いのだ、その人々が変化を恐れずに日本の雇用の流動化を制度化し起業家が出やすいように規制緩和を行い同時に起業家の失敗を許して再挑戦の機会を与え、団塊の世代が国家の借金を自分の世代で返すような制度にして生まれくる子供たちの為に素晴らしい日本を残してくれれば良いのだ。

 

変化、出来るか?



tom_eastwind at 13:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月24日

昭和の夢

6千億円の援助について反対意見が多い。当然だが

「まずは自国の震災復興でしょ」

「全部減税に回す」

「自分の家がボロボロになっているのに他人の家を助ける余裕があるのか?」

などなど。

 

日頃政府批判の多いぼくが今回は政府を好意的に見ているのはこのブログを読んで頂いている方からすれば奇異に見えるかもしれない。でも政府を自分に当てはめてみたらどうだろう?いつも失敗ばかりじゃなくて時には良いこともするだろう。

 

そういう時にはきちんと評価すべきだ。単純に「政府だから全て悪い」と言い出せば二元論にしかならないし二元論では思考停止にしかならないし思考停止は結局自分がバカになるって事だ。4万人もいる霞が関だ。いろんな考え方があるだろう。財務省と外務省が全く同じであるわけもない。日本にとって良いことをするなら誰であってもぼくの友達だ。

 

ただし今後の舵の切り方には十分注意してみたい。時間が取れれば今年中に南アジアを回ってみて現場がどうなのかを知りたいと思う。日本は最初は良いのだが途中で調子に乗っておべっか組がせっかくの理想をぶっ壊す傾向があるから、そこは注意すべきだと思う。

 

さて反対意見。これはこれで発言者はその視点で見ている限り間違っているとは思わない。べつに誰かに書けと言われて書いているわけではないと思う。だから傾聴に値すると思う。但し世の中にはいろんな視点があり日本の将来を見た時にこの6千億円という大型投資が10倍になって返ってきたらどうだろう?

 

経済援助と言っても実質的には日本の商社が相手国の必要とするインフラをプロジェクトファイナンスなどで整えて日本の大手建設会社が進出常駐すれば、そこにまず日本人技術者の雇用が生まれる。

 

大型建設工事を外国で作れば立派な投資ビジネスだ。税金投入というがそれは国民の資産であり国民が間接的に海外投資をしていることになるのだ。高速道路や橋を作りその利用料を20年くらいかけて回収するプロジェクトファイナンスは日本なら出来る。

 

今ならまだ日本円も強く技術も残っており南アジアは物価が安いから日本の6千億円の感覚は現地では数十倍にもなるだろう。建設業は日本国内では耕すものはなくて食っていけないから無駄と分かっててもダムを作ったりしている。

 

けれど日本で今更使わないダムを作るより同じお金で数十倍の効果がある海外投資=ダムや橋を作ったりする方がずっと効果的ではないか。ちなみに日本では英語を使って「ダム」という。「ムダ」って言えないからだ。

 

ムダな金を群馬の山の中に投資して回収の見通しもつかないってならその金を海外投資に振り向けばもっと大きな投資効果があると思う。また投資効果だけではなく、実はこちらの方がもっと重要なのだがこのようなインフラ投資は日本人主導の日本人街作りに繋がる。

 

このような大事業は数年に渡り続くわけでそのあいだ日本人建設労働者や駐在員が現地に滞在する。そうなるとそこには必ず日本人向けの料理屋が出来る。そこでも日本人に安い費用で起業の機会がある。

 

現地のインフラが整えば日本の工場が進出出来る。日本人が増えれば次は散髪屋も開業の機会があるだろう。そうやって日本人が増えれば日本食材販売店も進出出来る。ちっちゃなスーパーだけど現地の若い人材を使って展開すれば利益は出せるだろう。

 

このあたりかなり端折るけど、そうやって日本人が増えれば自然と地元の人々も日本人と関わりを持ち地元日系企業に就職するために日本語を学びいずれは日本に出張する機会も出来て東京に行けばその発展に魅了されて、自分の生まれ育った街をいつか日本のようにしたいと思うだろう。

 

「課長島耕作」は女性によくもてるバツイチ男の出世漫画だが実際の女性読者からはあまり評判がよろしくないらしい、島耕作がフィリピン駐在になった時に地元採用の優秀な女性を連れて東京の本社出張に行く。優秀な彼女はプライドも高く自信があり日本人なんかに負けるものかって気負いがある。

 

その彼女が島耕作に東京の街を案内される。そして「何てすごい・・・わたしだけがこんな経験をしてていいのか、早くフィリピンを日本のようにしたい」と語る場面がある(セリフは正確でないので文意だけ汲み取ってください)。

 

戦前の日本では台湾や中国から多くの人々が日本に留学して日本を目標にして勉強に励んだ。魯迅、孫文などは清朝末期の中国を立て直すために日本にやってきて玄洋社の頭山満の経済的援助を受けたりもした。台湾の李登輝は日本で学び軍隊にも入り、今も実に堂々とした立派な日本語を話す。インドのチャンドラ・ボースも英国植民地からの脱却を図るために日本と手を組んだ。

 

結果的にチャンドラ・ボースや孫文などとあまりうまい提携が出来ず(そのころ日本はおらが大将になってしまい、いつの間にか本来の意味である大東亜共栄圏を忘れてしまっていた)日本に残ったものは神戸中華街と新宿中村屋のカレーだけになったが、それでも日本は明治から昭和初期にかけてアジアの星でありアンチ欧米支配の本拠地だったのは事実だ。

 

米百俵は幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事だ。

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

 

今なら日本人はまだ飢え死にしない。350円の弁当が食える。年収200万円でもなんとかやっていける。その日本人全体を底上げするための6千億円であれば、出すべきだ。

 

5千億円が正解なのか7千億円が正解なのかそのへんは僕ら素人には分からないから専門家に任せるしかない。当然商社から政治家に金が動きどろどろしたものもあるだろう。けれど大局という視点から見れば日本に残された数少ない「今」という貴重な機会を精一杯利用して外に打って出るべきであろう。



tom_eastwind at 09:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月23日

地開く

朝日新聞4月21日記事抜粋

「日本と東南アジアのメコン川流域5カ国による日メコン首脳会議が21日午前、東京都内の迎賓館であり、共同文書「東京戦略2012」を採択した。来年度から3年間で約6千億円の途上国援助(ODA)を日本政府が行うなどの支援策が盛り込まれた。

 日本が支援する対象事業の総額は2兆3千億円。高速道路や橋などの交通インフラ整備によって域内の「連結性」を高めて経済成長を後押しし、日本企業の進出を促すねらいがある。」

★抜粋終了

 

久しぶりにまともな日本の記事を読めてよかった。

 

最近開催された天皇陛下主催のお茶会(正式には別名があるようだ)に台湾の実質的な日本大使館の大使が初めて呼ばれた。このような動きは大東亜共栄圏の再来である。(最初は今回のタイトルを「再来する大東亜共栄圏」にしようかと思ったがそうなると略されて再来軒になりそうなのでやめた)

 

これは主体的な外交であり良い事だと思う。今までチャイナ・スクールは対米従属派に主導権を握られていたが肝心の米国が第二国境まで引くことに決めたので日本は独自外交を行えるようになった。その最初が対アジア外交である。

 

中国が利己的に自国権益を拡大しようとして進出国から嫌われるのに対し日本はその他アジア地域ではお互いに成長しようとする本能的なものがあり、もちろん主導権は日本が取るのだろうが南アジアの人々は日本に好意的である。

 

第二次世界大戦で日本がやった事は細かいことを挙げれば戦時中だからきりがないが全体的には彼らは「アジア解放の仲間」という認識が強く日本人が自虐的日本悪人教育を植え付けたのと実態は違う。

 

台湾はもちろん親日だしマレーシア、インドネシアではすでに日本企業が進出して現地企業と共同でビジネスを展開して信頼関係を築いている。今のところ中国だけが反日教育の為に日本とうまくいってない。

 

台湾が今後独立していくのか中国に併合されるのかは分からないしそれは台湾人自身が決定することだろう。しかし今までは中国に遠慮して台湾大使館さえ作らせずに国家として承認していなかった日本が正式に台湾を認めていくとなれば中国も「おや?」と思うだろう。

 

今までの日本と違うぞ、なんか独自の動きをしているぞって理解した中国は当然対日政策を見直すことになるだろう。米国がグアムまで撤退して中国からすれば「しめしめ、これで日本と台湾は頂きだ!」くらいに考えていたのだろうが、日本が対中包囲網を作り上げれば中国もわがままばかりは言ってられなくなる。それでこそやっと中国と対等の外交ができる。

 

戦前も米国さえいなければ日本はこの地域で一定の地位を保持していた。日本が負けたのは米国にであって中国ではない。

 

「ムルデカ17805」という映画がある。インドネシアで敗戦を迎えた日本兵たちが大東亜共栄圏の理想の下にインドネシア独立戦争に参加してインドネシア兵と共に銃を取りオランダから独立を勝ち取る内容だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB17805

 

1958年に訪日したスカルノ大統領は、日本へ感謝の意を表し、独立戦争で特に貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送った。

「市来龍夫君と吉住留五郎君へ。独立は一民族のものならず全人類のものなり。」1958815日東京にて。スカルノ

 

こういう事ができるのが日本人の本来の良さである。インドネシア独立戦争当時の日本兵の戦いに日本政府は「白人支配に逆らう跳ね返り者」に対して苦慮したそうだ(笑)。

 

日本人もそろそろ社会党的自虐歴史観から本当にアジアで起こったことをしっかり見なおして、もう一度大東亜共栄圏思想をしっかり勉強してみればどうだろう。福田和也の「地開く 石原莞爾と昭和の夢」などはわかりやすく勉強になると思う。

 

http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F%E2%80%95%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE%E3%81%A8%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E7%A6%8F%E7%94%B0-%E5%92%8C%E4%B9%9F/dp/4163577807

 

日本は中国を除くアジア全体と連帯して対中包囲網を作りながら同時に中国と対等の付き合いをする、そういう外交は今なら出来る。米国がアジアから手を引き中国がまだそれほど力を蓄えていない今ならアジアの小国全体がひとつになり大東亜共栄圏を再建することが出来ると思う。

 

あ、最後に付け加えておくと、ぼくは日本という故郷が大好きだ。その故郷で頑張っている奴がいれば応援もしたいと思う。それが例え政府内部の人間であっても日本のために頑張ってるならエールを送りたいと思う。日本という国を伸ばしてくれる人なら誰でも友達だ。



tom_eastwind at 09:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年04月22日

日曜の小ネタ、不正受給と歩きタバコ

「疑問ですが不正受給はないのですか?」というコメントを頂いた。昨日書いた中の失業手当の話だと思う、まさか年齢をごまかして老齢年金をもらう(笑)ってのはあまり一般的ではないので。

 

さて不正受給という考え方の反対は公正受給、つまり公明正大に受け取っているという意味なので言葉だけを取れば不正受給はない。なにせ働かずに政府の手当にぶら下がっているのだから失業者手当の受給資格としては不正ではない。

 

不正となるのは例えば建設現場労働者が怪我をして全治3ヶ月と診断されると3ヶ月分の生活費を政府に請求出来る。しかしキーウィは元々ガタイが良いので1ヶ月程度で職場に復帰して給料を受け取りならが生活費を政府からもらえば、これは不正受給だ。

 

但し質問された方の意味はおそらく「働けるのに仕事に行かない連中」の事であろう。その意味ではニュージーランドだって天国ではないので悪い奴もいて不正受給もするだろう。

 

しかし人口の比率からすれば悪い事をする人は限られており、悪いことをする一部の連中の為に本当に必要な人に失業手当が払われない方が問題だとこの国では考える。

 

例えばいま働いている仕事は面白いけどそろそろ新しい仕事に挑戦したい、けれどそのポジションは現在募集中でない。だから募集枠が出るまでしばらく失業手当をもらって自分で何か勉強してみようって考える人もいる。それを違法として「おまえはとにかく何でもいいからすぐ仕事をしろ」と強制する、または生活費を支給しないことが果たして国民全体のために良いことであろうか?

 

現在は赤字財政が続いているとは言えそれは偶発的事件(リーマン・ショックと地震)のせいであり国民生活は安定しているし経済も順調である。不正受給を公平の原則に照らしあわせて無理して失業者問題を取り上げるなんてのはこの国のやり方ではない。この国は法律よりも秩序を優先する。つまり失業手当を払うことで泥棒が減ってると考えれば犯罪防止とも言える(かな?)。

 

そしてもう一つ知っておくと良いのが、この国は人間性善説であるって点だ。日常生活でも身元チェックが日本に比べるとずっと“ゆるい”のはこの国で生活をした人なら分かるだろう。日本のような人間性悪説から見るとこの“ゆるさ”はそれで良いの?と思うだけで中国人はこの“ゆるさ”を利用して最大限にアクドイ事をする。ホーウィックの豪邸に住み本国の父親から送金してもらいながら生活保護を受けてる中国人もいる。

 

この国では人は嘘をつかないと考える。てか、人を欺けても自分の心に嘘は付けないし神様も見ているって考えたりする。だからふだんは“ゆるい”が、何かあったら法律を平気で無視して人民裁判をやるのも特徴だ。だから中国人があんまりアクドイことをするとすでにNZ国籍を取得していても中国に強制送還させる。

 

裁判官は互選制度であり彼らは社会主義者で構成されているから悪いことをするのは政府や制度が悪いと考える。だから犯罪者に甘い。このあたり普通にこの国で生活をしている日本人が空き巣や車上荒らしなどの犯罪に遭遇すると気づくだろう。

 

しかしそれはこの国の良い点を支えるための陰の部分といえる。今の裁判官が現実に合わせて「世の中には悪い奴がいる」と考えて取締を強化すれば、それは自然と表の部分で不自由が出てくるようになる。性悪説にするのが良いのか性善説のままが良いのか、それは外国から来たばかりの僕らが判断するものではないと思う。

 

外国から来ていきなり「日本のやり方が正しい!NZはおかしい!」なんて言い出したらアメリカ!って言われるぞ。

 

あ、今日書こうと思ったのはゆるい話ではなかった。タバコの話を書きたかったのだ。東京の歩きタバコ禁止区域から来てクイーンストリートを歩くと、歩きタバコが目立つかもしれない。これには理由があり喫煙者が多いのでなく道路でしか喫煙出来ないからだ。

 

NZの喫煙率は20%程度であり一般的にタバコを吸うのは頭の悪い自己制御出来ない人種と見られる。実際に喫煙する人種はかなり人種的に偏っており、クイーンストリートを昼間から薄汚いボロをまとって物乞いしたり英語学校の前でたむろう中国のガキや最近増えた中東(脳みそは下等)の金持ちの息子かオークランド南部のギャングかめちゃくちゃに肥満していて朝からコーラを飲むような薄汚い体格のおばさんとか、要するに自己制御の出来ない人種に限定される。

 

だからまともな人で占められる一般住民はタバコに反対して政府がタバコの税金を上げて喫煙率が落ちる度に拍手をしてニュージーランドのすべての公共施設やビルは禁煙にした結果としてクイーンストリートに出現した限定人種は仕方なく道端で吸う事になる。

 

しかしそれも今年までだろう。今年中にはオークランド議会で歩きタバコ禁止法案が可決される予定だしクイーンストリートはすでに週末の路上での飲酒は禁止されており、そうなれば公共の道路であるクイーンストリートでは酒もタバコも見かけることはなくなるだろう。

 

これからニュージーランドへの移住をお考えで現在喫煙中の人がいれば強くお勧めする、今のうちに禁煙にした方が良いですよって。今日は日曜、小ネタでした。



tom_eastwind at 16:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月21日

タクシー

鈴木雅之と聖美のタクシーって、いつ聴いてもいい歌だよね。「タクシーに手を上げて ジョニーの店までと 」最近のカバーCDブームで古い名曲が聴けるようになってありがたい。それがまた、カバーが上手い。さすが日本。ばかアメリカのように目先の売上だけで何もかんもラップするような低レベルではなく、しっかり歌い手と原曲のバランスを考えている。

 

鈴木雅之のカバーも聴き応えがある。しかしまあ流通方法は本当に変化したよね。昔はお店でLP買って聴いてたのがカセットテープ主流になり次にはCD,そして現在はインターネットのダウンロード。音楽業界もふんぞり返って著作権だけで飯を食ってるようじゃ時代遅れだ。

 

ほんとはダウンロードで買いたいのだがItuneでは基本的に英語の歌しか買えない。日本語の歌は殆ど売っていない。でもって日本版サイトに行くと今度は海外発行のクレジットカードが使えない。まさに「つっかえねーな」である。

 

なので仕方ないから今はとりあえず東京のAmazonで購入して東京のホテルに送ってもらい出張の度に受け取るようにしている。国境がないはずのAmazonでさえ本は輸出出来てもCDDVDは海外に送れないのだ。音楽業界も早いとこ国境取り除いて日本の歌を英語版にして世界に売り出すくらいの覇気を見せてもらいたいものだ。

 

でもって今日の本題。

 

説明会でよく使うネタの一つに「タクシー」がある。ニュージーランドでは一般的に乗客はタクシーの助手席に座る。日本で横に座ったら変態と思われる。中国で横に座ったら強盗だと思われて運転手が逃げる。けれどニュージーランドでは乗客は助手席に座る。

 

ニュージーランドで生活をする時にいくつか理解しておくべき点があるが、タクシーの助手席乗りもそのひとつだ。10年以上もニュージーランドに住んでる日本人に「なぜキーウィは助手席に乗るのか?」と聞いてもほとんどの人は明快な答えが出てこない。何故なら自分の周囲で起こっている事に関心がないからだ。

 

本題のタクシーの助手席乗りだが、これをキーウィに質問しても彼らも答えられない。日本人が自宅で靴を脱いだり畳で正座したり、頂きますとご馳走様をうまく英語で説明出来ないようなものだ。

 

けれどその動作の語源?にはきちんと意味がある。場所を置き換えてみよう。あなたが友達の車に乗るときに後部座席に座るか?座らないよね?普通は横に座っておしゃべりするよね。

 

キーウィの助手席座りも実はこれと同じで、タクシーの運転手も乗客も社会を構成する一員でありその意味で仲間であり見知らぬ友達だ、だから当然のように横に座るのである。金を払うから神様とか金をもらうから奴隷とかそんな発想は全くない。

 

互いに人間なのだ、お互いに社会にとって必要なことをしているのだ、例えば彼はタクシーの運転手をすることで僕を空港まで送ってくれるし僕は飛行機に乗って中東にガソリン(LPG?)の買い付けに行く、それでお互いの商売が成立しているって考え方だ。

 

非常に簡単な話で職業に貴賎なし人間に上下なし、あるのは仕事処理能力の上下だけなのだ。テレコムの社長がタクシーに乗っても助手席に座って普通に運転手とおしゃべりをする「おい、テレコムの使い勝手どうだい?」とか。

 

給料が高ければ偉いのか?金を払えば偉いのか?そんな事ないでしょ、誰もが社会の中で必要な位置で必要な仕事をしている。むしろ高い給料を得てリーマン・ショックを引き起こした挙句に退職金をがっぽり貰った連中のほうがよほど社会の害悪である。

 

これは僕の持論だが、人間はその気になればなんでも出来るけどやっちゃいけない事がある。それは反社会的行為だ。社会に参加する以上その社会に害悪を与えるような仕事はやるべきではない。

 

その代わり社会を成長させる仕事であれば現場が無理と言おうが世間の実態がどうだろうが他人がどうだろうがガンガンやればいいと思う。ちなみに僕の反社会的行為には今世間で言われている「反社」は含まれていない。権力を持った暴力が正当で権力を持たない暴力が不当だなんて、臍が茶を沸かすぞ。反社と呼ばれる人たちを使って一番金儲けしているのは世間の特権階級なくせにさ。

 

まあいい、それは置いておいて、ニュージーランドは原始的社会主義が今でも残っている。皆は社会に参加して社会のために働きそれで正当な報酬を得て生活をする。仕事が出来ない状況だったり病気だったりする人は報酬が得られないので社会全体で守る、それがセーフティネットだ。

 

例えば江戸時代のクジラ漁をしている漁村を考えてみよう。鯨を見張るのは遠くまで見える子供たちの仕事だ。鯨が来れば元気の良い若者が船に乗って鯨を獲る。鯨を浜まで運んでくれば次は老人たちの仕事だ。鯨を解体して全員に配りおばあちゃんたちは様々に料理をする。

 

それでも全員の取り分は平等でありお互いに与えられた仕事をしている。子供はいつか若者になり若者はいつか老人になる。中には近視の子供もいるだろう。前回の漁で怪我をして今回ので漁に出られない若者もいるだろう。足腰が動かなくなった老人もいるだろう。そのような人たちは村で助けて守り彼らの出来ることを与える。そして寿命の来るまで面倒を見る。

 

寿命が姥捨て山なのか畳の上なのかはそのムラの習慣であろうが、いずれにしても村という共同体はお互いを助けあいながら出来るだけ落ちこぼれがないようにして社会を守る。でなければ弱いものから順々に死んでいって最後は若者が老人になって漁に出られなくなり村は滅びる。

 

ニュージーランドの失業保険は半年とか1年とかの区切りがなく、誰でも65歳まで支給される。65歳からは老齢年金が支給される、生まれて一度も年金を払わなくても失業保険を払わなくても、である。

 

考えてみれば当然である。もし人間に上下があって金がある奴だけが偉くてそうでない人々は能力がないのだからセーフティネットなんて必要ない、死ねと言うのならいつか人類は全部滅びるぞ。

 

人類は一人では弱い。生まれたばかりの子供は歩くまでに半年以上かかるが羊の子供は生まれて数時間で歩くようになる。人間を山の中に一人で放り出せば餌も見つけられずに飢え死にするか肉食動物に食われて終わりだ。

 

人間が何故これほど地球上で繁栄出来たか?その理由の一つ都市化して生きることが出来たからだ。固まってもその中には落ちこぼれもいるだろう。しかしそのような人間でも守っていく、その保証が社会に参加する人々に安心感を与え女性は子供を生むことが出来るのだ。

 

そのような発想からいけばタクシーの運転手もジョン・キー首相も同じ社会の構成人であり仲間なのだ、仲間だから隣に座って話をする、当然の事なのだ。

 

無論そのようなことを今更日本でやれと言うわけではないし僕も習慣としてタクシーは後ろに乗る。今更高邁な理屈を鼻の先に付けて助手席に乗るのは社民党みたいで自分に嘘を付いているだけなのでやらないが、少なくとも何故キーウィが助手席に座るのか、その理由が分かればそれだけこの国に対する理解力が高まりニュージーランド生活の許容力が身に付くと思う。

 



tom_eastwind at 16:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2012年04月20日

English man in NewYork

ゴードン・ラムゼイ

 

「あいつは英国人だ、英語がわからねーんだ!」 中南米辺りから移住してきてレストランを経営する兄弟があまりの店の不振にゴードン・ラムゼイに店舗改革を依頼した。

 

ヘルズキッチンの話である。うちの家族はこの番組は結構好きで夕食の時間にやってればチャンネルを合わせて一緒に見てる。半分くらいは演技の入った番組ではあると推察出来るが下手な番組(コロネーション・ストリートとか)に比較すると非常に面白い。

 

とくに娘は料理が大好きで最近はいつもキッチンに立っている。奥さんの料理を家庭料理とすれば娘の料理はレストラン料理、お金を貰って提供するレベルなのでゴードン・ラムゼイの番組を見ながら「へ〜、こんなのあり?」とか喜んでる。りょうまくんはいつものようにぽけーっとして大口開けてお姉ちゃんが作った料理をひときれでも多く食べようとお皿に向かって突撃している。

 

ぼくが興味があるのは、英国人であるゴードン・ラムゼイが米国に行った際に起こる英語と米語の違いを聞くことだ。巻き舌でアクセントの強い米語は英国人からすれば超下品に聞こえるし米国人からすれば糞生意気で偉そうな意味不明な言い回しをする英国人など糞生意気で偉そうで意味不明な連中である。

 

昨日の番組ではバリバリのFワードを使ってべらんめえ口調で騒ぐ兄弟が経営する店でゴードン・ラムゼイと大げんかする場面が受けた。「あいつはブリティッシュだ、英語なんてわかりもしねえ!」と怒る兄と、まあまあと慰めに入る弟の場面はどこまで演技か分からないがとても臨場感がある(笑)。

 

実はうちのオフィスでも英語派と米語派がある。てか殆どは米系かな。だから彼らスタッフが初めてオークランドで仕事を始めた時、電話の向こうで話している相手の英語が全然分からずに「パードン?」を繰り返した挙句に電話を切ったあとに「こいつらのは英語じゃねー!」と発狂する。

 

お母さんってのはニュージーランド英語ではMumだが米語ではMom、お互いに自分が正しいと一歩も引かない。そんな単語の違いを通り越してついには発音の違いまでが社内でネタになる。誰かが「ねー、ここ、宇宙?」みたいなことを言い出すと他の米語派も「そうなのよ〜、一体あの発音って、本人分かって使ってるのかしらね〜?」と、もうけちょんけちょん。

 

ぼくはキーウィ英語をベースにしているが仕事柄相手に合わせてアクセントを強くしたりして相手に通じるようにしている。数カ月前のブログでも米軍パイロットと東京のホテルのバーで偶然飲む機会があったが、その時の彼のアクセントはかなり控えめなものだった。まさに世界中を飛び回って色んな国の基地で働いているので自然に言葉を押さえることを身に着けたのだろうと思う。生き残り術、とでも言うか。

 

スティングの歌で”English man in New York” がある。合法的な異邦人ってのもきつい言い方だが、確かに英国人がニューヨークに行けばエイリアンだよね〜。

 

去年から随分たくさんのご家族が移住を実現されて、お子様の数を数えると就学年齢の子供だけで一学級出来るほどだ。この子たちはキーウィ英語を覚えることになるな〜、それにしても人間って近ければ近いほど、ほんのちょっとした違いを大きな問題にして差別化しようとするな〜。

 

英国と米国なんて同じ発祥じゃないか、更に豪州とNZも遠縁である。カナダ人が海外旅行するときのスーツケースにカナダ国旗を貼り付けるのは、あれは何もお洒落じゃなくて米国人じゃないよって意見表明らしい。

 

「カナダの人って絶対に米国人と一緒と思われたくないんですよ〜、だから意識して違いを強調するんですよね〜」とはカナダ生活経験者の意見。

 

うちの会社は日本ではまず出会うことのないような日本連合軍である。北は北海道から南は鹿児島まで普通に仕事をしてれば同僚になる可能性が少ない人々が集まっている。その時点ですでにお互いの方言が分からない。

 

同じ職場なので殴り合いの喧嘩になることはないが(笑)、食べるものからお祭りまで全然違う。ソースカツ丼の生息地域を調査すると北陸から琵琶湖を経由して大阪から岡山あたりまで続いている。うどんにしても大阪は元々ふにゃりうどんだったのが最近は固めの讃岐うどんが支配力を持っている。東京は元々うどん文化がない。

 

40年くらい前の話だが沖縄から集団就職で大阪にやってきた子供たちが、会社の寮で出されるみそ汁の味の薄さにたまらずバターを入れてたら寮母が「なんや、沖縄の子は汚い食べ方するな〜」と言ってたという話がある。味噌汁飲むだけ近い文化じゃんか、パンとコーヒーを出せと言ってるわけじゃないし。

 

これは日本人に限らずだが人間というのはどうも近隣の同じような人々とは違いを強調して差別をして遠方の人々とは共通点を見出して喜ぶようなところがある。日本人が米国に留学して米国人の優しさに触れて「何だ、同じ人間じゃんか!」とすっかりファンになるがおとなりの韓国や中国とは見えもしない細かい点で差別を強調する。

 

海外に住む一番の、本当の利点とは「人はみな違う価値観で生きている、相手の価値観を理解して尊重することこそが楽しく生きるコツだ」と言うことが分かる点だ。しかし多くの人々は移住先でも自分と似たような相手の些細なミスを見つけては鬼の首を取ったように吠えまくり、次の機会に相手がこっちの些細なミスを見つけて鬼の首を取ったように吠えまくられて感情的になる。

 

米国人が英国人に怒り英国人が米国人を馬鹿にしてキーウィ英語を笑うオージーがいてカナダ人は米国と一緒にするなと主張して、同じようなことをアジアでもやるのか(笑)?やめとこうよ、馬鹿な手本が目の前にあるのだから、少なくとも海外に出たアジア人は助けあおうよ、お互いの違いを強調するのではなく共通点を見つけ出してみようよ。



tom_eastwind at 18:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月19日

ピンポンダッシュ ある韓国人家族経営の酒屋にて

ぼくが会社から帰宅途中によく寄るショッピングセンターに韓国人家族が経営する酒屋がある。たぶんフランチャイズだろうと思うけど韓国人家族経営の酒屋はオークランドに多い。

 

そして彼らに特徴的なのは、お父さんやお母さんは殆ど英語が出来ずに店番はしているけどいつもニコニコしているって点だ。

 

これは酒屋さんだけではなく、やはり自宅から車で7〜8分程度のところにある韓国人マーケットに入ってる肉屋さんも同じ。マーケットに入るとニコニコと「ヨボセオー」と声をかけてくれるが、ぼくは韓国語は「メッチュウハナチョセオ」しか知らないのでこっちもニコニコするしかない。

 

でもってマーケット内の肉屋さんに行くとガラス冷蔵庫の中に並んでいる美味しそうな肉なんだけどすべて韓国語表示のみ。一切英語なし。これがカルビだろうなと思うんだけど同じような肉が隣に並んでて、こっちがマリネでこっちがマリネしてないって事かな?

 

いくら見つめても肉は話しかけてくれないのでお店の人(まだ30代半ばの女性)に英語で「すみません、この肉はカルビですか?」と聞くと、ニコニコしながら韓国語でばばばば!と話しかけてくる、、out!勝ち目なし。仕方ないので肉を指さして「ワン、ワンケージー!」何とか通じた。

 

けどこれは何も韓国人だけではなく中国人も同じで、彼らはもっと大胆であり英語が全く出来ない人が多い。英語できないふりをしているのではなく、最初から英語を学ぼうとも話そうともしていない、完全に「おらが大将!」なのである。

 

韓国人と中国人の目立つ違いと言えば、お店で働いている中国人は数字だけは英語で言えるってことくらいか(笑)、このあたりやっぱり中国人の方が商魂たくましいのかもしれない。

 

当社の入居しているビルは1960年代に建設されたビルであり、経済成長していた時代に作られたしっかりしたビルである。しかし当時の設計者は白人がお昼にサンドイッチとお茶を飲むくらいの給湯室しか想像していなかった。21世紀になってアジア人がこれほど入居してくるとは予想出来なかったのだろう、給湯室にラーメンの食べ残しを捨てる場所がない。あの、三角網がないのだ。

 

彼らテナントの中国人は近くのコンビニで買ってきたカップ麺をオフィス内を歩きながら客の前でぱくついて、食い終わるとそのスープをそのままトイレに流すのだが、彼らのことだからハネがあっても拭き取ろうなんて考えもしない、だから昼過ぎになると彼らの入居している階のトイレは結構大変なことになっている。

 

幸いな事にうちのフロアは日系とキーウィとうちだけなのでトイレはきれいだ。女性用トイレはうちの経費負担でウォシュレットを導入している。だからビル側からしてもうちの入ってる階だけは安心しているようだ。

 

そしてここでも中国人は派手にやってくれる。あるときなどエレベーターに乗ったら壁に10cm四方の紙切れが貼り付けてある。何と近くの食堂の配達用メニューと電話番号である。速攻で全部剥がされたが、中国人にとって世界は自分の庭なのだろう、自分の街で通用することが世界でそのまま通用すると本気で信じ込んでいる。

 

でもって最近はビル管理会社がトイレに張り紙をした。トイレも元々ゴミ箱がなく、あるのはお手ふき用のハンドペーパーを入れる箱だけ。ところがそこは昼過ぎになるとカップ麺の空箱の山になる。中には汁を捨てないまま放り込む大胆な行動も見かける。

 

そこでビル管理会社が「ここはペーパータオルだけ捨ててください。それ以外のゴミはオフィス内のゴミ袋を使ってゴミ出しをしてください」と張り紙をだしたのだが、これが英語の張り紙。管理会社の人に一度聞いてみたいと思う、ゴミは減りましたかと(笑)。

 

今日の話のポイントは英語力だ。日本人は海外に出ると英語で話さなくちゃとか、英語が出来ないから海外で生活なんて出来ないよとか言うのが一般的だ。そりゃまあ英語が出来る方が良いのは間違いない。けれど中国人も韓国人も堂々と自国語だけで通しているのも事実だ。てか彼らは自国語で生きててストレス感じてないようだ。

 

もちろん技能移民や起業家部門で申請する際に申請者本人に英語能力は要求される。アイエルツ(IELTS)というテストでそれぞれの部門ごとに要求される点数を取らないと申請出来ない。だから日本人にとっては申請するだけで非常に高いハードルとなる。

 

では中国人はここをどうクリアーしているのか?答えは簡単、上に政策あれば下に対策ありで代理受験だ。最近では代理受験がバレるようになったので証明書には指紋を導入している。次はどんな対策を考えるのかな、中国人(笑)。

 

話はそれるが技能移民の場合は大学の卒業証明書が必要となるが、これも中国では本物の卒業証明書や職歴証明書を買うことが出来る。だから偽物ではない、おかげで最近は中国人については技能移民のポイント部分で学歴と職歴が削除された(大笑)。

 

ニュージーランドでは中国人が一人入るとそこから家族と称する人々がずるずると芋づる式に入ってくるのが特徴だ。だから誰か一人、何とか技能移民や起業家部門で取得出来る人間がいれば、そのあとから入ってくるのは英語力がなくても永住権は取得出来る。おじいちゃんおばあちゃんや兄弟達は誰かの家族という事で入ってきたのだろう。中国語の発音を英語にすると一文字くらい綴りが違っててもわからないので本当に同じ芋づるなのかどうか分からないってのが味噌だ(笑)。

 

それに比べて日本人はある意味おとなしすぎるというか、英語が出来ないから移住出来ないとか思ったりする。移住しても大変だと言う。そりゃそうだ、それは日本がそれだけ住みやすいからだ。

 

中国人からすればいつ共産党の怒りに触れて殺されるか分からない。要するにどれだけ頑張ってでも永住権を取得したい理由があるのだ。だから一旦ニュージーランドに渡り永住権さえ取れてしまえばあとはこっちのもの!間違いなく母国よりも幸せな生活が待っているのだ。

 

日本人の生活する環境が今後どう変化するか分からないが、少なくともこれから10年は成長することは考えられない。そしてその後に現れる日本がどのような環境になっているかも分からない。多分多くの日本人は昨日までと同じ生活が明日もやってくると思っているだろう。そうかもしれない、そうではないかも知れない。不確かな未来だ。

 

中国人や韓国人の強い点は、現時点でどう比較してみても自国よりはニュージーランドのほうがましだと理解したらすぐに行動に移せる点だ。英語?そんなもん、なくても生きていけるさ。「ケンチャナヨ精神」や「地球は僕の庭精神」である。

 

日本人は国家が安定しているし飢え死にする人も少ないし国策捜査で逮捕されるのはトップばかりだし給料は安くても物価が下がってるし結婚出来なくても不自由しないし、そのうち親の遺産が入れば後半の人生楽勝じゃん、あえて海外に出る必要なんてない。

 

実はこの状態こそ日本政府が江戸時代から一番得意としていた「百姓は生かさず殺さず」政策の骨子でありお上に逆らわずにいれば何とか食える「民は依らしむべし知らしむべからず」の醍醐味である。

 

いつも言うことだが、どのような人生を生きるかは自己責任だし自己判断だ。ただその判断をするための知識と必要に応じた敏捷な行動力=ピンポンダッシュ能力だけは持っておいた方が自分の満足できる人生のために良いと思う。

 

今日も会社の帰りに酒屋のおじちゃんとこに寄ってきた。ピンポーンってブザーが鳴るお店に入るとおじちゃんは僕の顔を覚えてくれて、うれしそうに指を二本立てて「ツー!」と言って店の奥からお酒を持ってきてくれる。

 

韓国の人独特の右手の肘に左手を載せる仕草でエフトポスカードを受け取って、ぺたっとした鼻の上にちょこっと載せたメガネを上にしたり下にしたりしながら右手の人差指一本でかちゃかちゃとボタンキーを押して、正しいキーを押せて正しい数字が出てきてほっとしたように「ぷりーず」。

 

日本の田舎のおじいちゃんも優しくて微笑ましいが、こうやって海外に出て頑張ってるおじいちゃんも微笑ましい。長生きしてくださいね、ほんとにそう思った。



tom_eastwind at 17:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月18日

DEATH MARCH システムが止まる日

★日経ビジネス4月16日号より抜粋

3月29日東京地裁でひとつの判決が下った。「日本IBMはスルガ銀行に74億1366万6128円を支払うこと」

 

地銀の勘定系システムを作ると500億円くらいかかるらしい。出来合いのソフトウェアであれば100億円くらいで作れる。2004年、スルガ銀行は自行の勘定系を再構築するためにIBMと「じゃあま95億円くらいでやりましょか」と基本合意を交わしてから要件定義にかかった。

 

出来合いのソフトウェアでは当然出来ることに限界がある。ある程度はソフトの仕様に業務を合わせる必要がある。ところが銀行は出来合いのソフトを買ってから「業務内容は変更しない、ソフトをうちのやり方に合わせろ」と言ってきた。IBMとしては「だったら出来合いのソフトに追加機能を加えるので金もかかるし時間もかかるよ」となった。

 

そこでお互いの関係が悪化して最終的には裁判沙汰になり今年判決が出たというわけだ。この件では別にIBMに肩入れするわけではないが、日本では本当に発注側のトップがシステムを知らないままに勝手なことを言うから現場でとんでもない、起こさなくても良い無用な騒ぎを起こして、挙句に裁判沙汰になる。しかし一番迷惑を被るのは現場で働くSE(システムエンジニア)である。

 

東京証券取引所では2月2日にシステム障害が発生して終日市場は混乱に陥った。この時は富士通が請け負っていたが担当者は真夜中に連絡をもらいサーバーを確認したが「いけそう」だったので翌朝に処理をすることにした。そしてその翌朝、システム障害が発生して取引が大混乱に陥った。

 

上記2件の記事は日経ビジネス4月16日号の特集から抜粋した内容である。緊迫感のあるよくできた特集だが、この記事ってシステム開発会社(日本IB<とか富士通とか)とITを知らない発注側企業の話に特化している。

 

けれどぼくのような移住屋からすると全然違う状況、つまり現場のSEが発注側と受注側の間に挟まれて24時間体制でこき使われ「システムは止まらない神話」と「発注側は金は払いたくないし元請けはがさっと中抜きしたいし下請けは安くても断れないし結局孫受けの現場SEは最低の給料で使われ、出来ないことを押し付ける」という企業の論理と倫理のなさが現場のSEをすりつぶしているという現状だ。

 

統計的に言えば当社の説明会に参加されるお客様にシステムエンジニアは多い。彼らは日頃からネットを使いこなしているしリテラシーが高いので当社のような海外の情報でも情報精度が判断出来るので気軽に問い合わせを入れてくる。

 

その彼らが何故か大体30代なかば。最初の頃は分からなかったが次第に親しくなると業界事情を説明してくれた。

 

「tomさんね、SEは日本では35歳になると管理職になって現場を離れるか下請けに転職して現場で仕事をするしかないんですよ。でもって管理職になると新しい技術を勉強する時間は全くない。発注側である大手企業と下請けや孫受けのSEを繋ぐブリッジSEになるんですけど、現場の最新知識がないからいつまでも古臭い枯れた技術でやろうとして無理が出るんです」

 

かと言って現場が好きで下請けに行けばそこから給料は殆ど上がらず元請けの奴隷状態、このままシステム開発を進めても絶対に失敗しますよって分かっててもやるしかない。こういうのを業界ではデスマーチ、死の行進と呼ぶそうだ。

 

まさに戦時中の日本軍を想像させる。技術も現場も知らない大本営(大企業)の将校(技術を知らない技術担当部長)が机上の空論で作った作戦を発動させる。現場の司令官(つまり元請け)は命令を受け取ったら絶対に逆らえない。だから部下に向かって「突撃〜!」と叫ぶのみ。

 

部下は聞く。「失礼ではありますがこの部隊が移動して敵陣に攻めこむためには距離や難度から見てこれこれの戦略でなければ実現不可能です。またその間の兵站(食料や武器)はどうされるのでありますか?」

 

司令官は「そんなこと、俺が知るか!決まったことなのだ、食料が欲しければ敵陣に行けばある、武器は敵のものを奪って戦え、それでも不足するときは竹槍を作って戦え!」

「失礼ではありますがここはブナの林であり竹は生えておりません。ブナでは人を刺せる程の強度はありませんが」

「ここにブナしかないのが俺の責任か!」

そして誰も失敗するとわかっていながら死の行進が始まる。

 

なぜ日本では当然の事が当然とならないのか?人が作ったものはいつかは壊れる。システムは障害を起こす。ミスは起こる。それを前提にしてシステムを構築しなければ大敗するのはわかりきったことだ。

 

しかし日本では「絶対安全神話」や「システムは止まらない神話」があり、事実を指摘する部下は遠ざけられる。何故か?それはボス、つまり企業で言えば社長や会長が戦争やシステムについて全く知識のないままに「システムは止めるな」とだけ言い、それに逆らうこと自体が反逆であり出来ないという事が弱気であるとなるのだ。

 

現場がどれだけ頑張っても出来ないものは出来ない。竹槍でB29は落とせない。その事実を指摘すると「それは気合が足りないのだ!」となる。そのすべての原因は馬鹿な上層部にあり、そこを突き詰めれば結局は社長や会長が現場知らずのバカなのだ。

 

なぜバカが社長になれるか?それは本当のことを言うまともな部下は先代バカ社長によって遠ざけられ、へこへこ虫のバカだけが生き残って先代の覚えよろしくバカを引き継ぐからだ。

 

ニュージーランドなどの国では一般的にSEが現場の仕事をしながら経営まで上り詰めるから常に最新の現場の知識を持った人間が判断する。だから出来ること出来ないことがわかる。

 

説明会に来る人々と面談をしていると「外国から来たSEさんと打ち合わせをしていると本当にびっくりします。あちらでは社長や副社長クラスが現場の技術を知っていてその場でどんどん判断出来るんですね。けどコチラ側ではあいも変わらず稟議書を上げて印鑑10個くらい貰ってやっと次の話でしょ、その頃には相手のほうが白けきってますね、痛いっすよ」なんて話を聞く。

 

彼らは日本ですり潰される前に何とか海外に出て新しい生活を構築しようとしている。30なかばならまだ間に合う、そう考えてニュージーランドに移住して現地のIT関連学校に入りなおして資格を取り直して現地で採用、その後2年程度で永住権申請という道を選ぶ。

 

今の日本がおかしいのではない。日本がおかしいのだ。それでも何とかやっていけてるのはすべてにおいて現場の努力である。一週間で40時間残業してますなんてしょっちゅう聞く。死ぬことが分かっていても突撃して散っていった兵隊がいる。

 

日本の構造は本当に不公平に出来上がっている。バカが出世する仕組みだ。これは平時では良い。しかし現在のような激動期でそんな事をやっていたら通用しない。戦時の司令官は現場を知って自分で判断出来る人間であるべきだ。

 

今が激動期であることも考えずに自分が社長の間だけは何もなく終われば良い、そうやって先送りばかりして最後は撃沈される。バカが自爆するのは良いけれど、現場で死ぬほど働いている連中を一人でも多く救って欲しい、そのためにこそ社長自ら現場に降りていって何が起きているかを理解すべきである。

 

そんな当たり前の対応が出来ない日本、システムが止まる日。それを敗戦と呼ぶ。



tom_eastwind at 12:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月17日

Sandbagging

サンドバッギング

 

キーウィ英語の俗語になるのかな、Sandbaggingという言葉がある。辞書で調べても出てこないが、ぼこぼこにされるという時に使う。”I’ve got sandbagged”だと「ぼこぼこにされた」。 先週から週末、そして今朝までがほぼサンドバッギング状態だった。

 

先週はかなり忙しくて脳みそが擦り切れそうになり自宅に帰る時間や自宅に帰ってやる家事ができそうにもないので「レストラン山水」の入ってるスタンフォードプラザホテルに3日間泊まった。一般的には家出とも言える(笑)。

 

ホテルの受付で住所を書き込んでいると「シドニーからですか?」と聞かれた。キャリーケースにガーメントバッグなのでそう見えたのだろう、住所の最後にAuckland, NewZealand と書くとびっくりされた。

 

週末には自宅に帰ったのだが両手に抱えている案件がどれも即座に答えを出さないといけないし一つでも間違ったボタンを押したらそれで終わりってことばかりなのですべての案件を四方八方からチェックして落とし穴はないか水漏れはないかと再度頭の中で引っ掻き回す。こうなると脳みそはまさに周囲からぼっこぼこにされているサンドバッグ状態。

 

こんなの久しぶりで戦争で言えば接近遭遇戦である。2つの部隊が戦場で偶然に遭遇して互いにびびりながらも「おりゃー!」って叩き合いをするだ。銃を撃ってる暇もない、ライフルの先に付けた銃剣で殺しあう感覚。

 

ただこういう戦いは決して嫌いではないので(笑)一歩も引かずに進んだ。一歩づつぐいぐいと前に進む、絶対に引かない。一気に片付ける。それにしても先週は、なんでこんなに案件が固まってくるんかなって思うくらい、一気に固まってやってきたな。足元に地雷、頭から空爆、正面にバズーカ砲を持った敵、けどなんとか火曜日で戦いもだいたい終了、無事勝利。

 

その代わり終わった後の疲れが半端ではなく、本当に吐き気がするくらいきつい。「ニュージー良いとこ一度はおいで♫」なんて日本で宣伝してるが、やってる本人がこれでは笑いものだ(笑)。

 

基本的にニュージーランドはのんびりしたストレスのない国であるがぼくだけはまだ日本の東京にリンクしている感じ。そんな状態であるが5月もまた日本出張。5月上旬に日本に入り5月12日(土曜日)の午後には東京で移住セミナーを開催する。

 

その後シンガポールに移動して現地で弁護士、税理士と会議。会議の目的はまさに今が旬の「資産の海外移動」である。ポイントはとにかく実際の個別スキームと両国の法律のすり合わせだ。一つでも穴のないようにすべてのポイントを埋めていく。

 

シンガポールの弁護士や税理士は自分の領域においては強いがそれが海外を絡んだスキームとなると分からないので「ほ〜、そんなこと、出来るんだ〜」彼らからすれば何だか魔術を聞いてるような感じがするが、一つ一つの取引はすべて合法であり両国できちんと納税もするし何らかの商行為は行為の時点で両国に存在する法律を順守していれば合法であるしすでに武富士事件で最高裁の合法判断が出ているので問題ない。

 

彼らからすれば帽子からうさぎが飛び出すような感じだろうが仕組み(手品のネタ)がわかってしまえばなんの事はない、あ、そういうことかってかんじでさくさくっと進む。

 

ぼくの海外相続スキームは移住から入るので海外の投資銀行や日本国内の税理士が作る節税スキームとは基本的に違う。彼らは金融のプロであるが移住やそのサポートについては顧客が満足できるレベルの十分な知識がない。

 

そこで彼らは飛行機リースとかいろんなスキームを作るのだが、海外に住むという選択肢を取れるなら方法はたくさんある。相続税とは相続が発生するから税金がかかるのだ。相続が発生しなければ良い。手本にある資産を売却すれば売却時の税金のみで済むし至って合法である。

 

他にもいろんな打ち合わせが各地で入ってるがとにかくSandbaggingな毎日だ。



tom_eastwind at 11:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月16日

都市間競争

★抜粋開始 池田信夫ブログより

生協のような民主的なNPOは、単純再生産にはいいのだが、成長するためには利潤を最大化する資本家が必要だ。株式会社では資本家がすべての決定権をもち、労働者はそれに従うか辞めるかの選択しかない。これは独裁だが、労働者にはexitオプションがあるので問題はない。他方、exitできない国家では民主制によってvoiceで異議を申し立てる必要がある。

 

・・・というのがこれまでの常識だったが、Dysonのいうように21世紀の都市が企業に近づいてゆくと、両者の違いはなくなる。都市がNPOのように単純再生産するのではなく、世界の他の都市と競争して人口を引きつけ、成長しなければならない時代には、そのガバナンスも企業に近づく。つまり都市のインフラに投資する資本家が市長(独裁官)を任命し、市民は多くの都市の中から好きな都市を選んで住む。いやなら出ていけばいい。

 

都市国家が合併してできた主権国家は、高コストで非効率になった。先進国の国民負担率は50%を超え、公的部門が経済の重荷になりつつある。他方、都市国家や小国が高い効率を上げている。世界の一人当たりGDPの上位はルクセンブルクやカタールなどの小国ばかりで、アジアでも香港やシンガポールは日本とほぼ同じだ。こうした国(地域)の共通点は、民主的な政府がないことだ。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51784457.html

★抜粋終了

 

池田氏のような発想は多くの日本人には受け入れられないだろう。「日本を出るだと!国を捨てるのか〜!」と、今だもって国家と故郷の区別も出来ない思考停止組が日本の各都市でわーわー言ってるのだからどーしよーもない。

 

思考停止は年齢に関係なく子供の頃に刷り込まれた国家に対する幻想を抱いたまま日頃何も考えずによく言えば無頓着、悪く言えば思考停止している人々に現れる現象だ。年を取れば取るほど脳が硬直化して他人の意見が全く耳に入ってこなくなる。

 

21世紀はまさに都市間競争でありどこの都市も優秀な人材を集めようと必死である。ニュージーランドの移民政策も同様であり移住希望者が誰でも来られるわけではない。当然の如く優秀な人材に絞って移住政策を作っており、それは香港でもシンガポールでも同様だ。ここでは民主主義が良いかどうかではなく都市間競争の厳しさを書きたい。

 

21世紀は人類の多くが都市に住むようになる。そこでは様々な地域で生まれた人が集まって競争をしながらよりよい仕事を得ようと働く。都市そのものに魅力がなければ遠慮なくその都市を捨てて次の都市に移る。

 

20世紀のような「この街に生まれてこの街で生活して家族を作って老後を迎えればそれで幸せ」という生活体系が変化している。香港に生まれた香港人でも中国大陸からやってきた大陸人と競争をして負ければ首になるのだ。以前のように移動出来ない時代であればそういう事はなかったが、21世紀は移動の高速化とネットの発達により全く変わった。

 

つまり都市そのものが変化を始めているのに自分たちはその場所で生まれたというだけで既得権益を主張して権利(=給料)は要求するが義務(=指示に従い労働)は果たさない、それどころか「何でこんな仕事をするんですか。これって違うと思います」と経営者に反発して仕事をしないくせに給料をもらう時だけは当然のような顔をして全額一日の遅れもなくもらう。

 

そんな都市=会社が継続できるわけもなく働かない労働者に乗っ取られた企業が倒産するのは自明の理であり、これが21世紀は都市間で起こると言うことなのだ。これはすでに企業が発注する業務が外国企業という事態がよく表している。あなた達が発展途上国の若者とそのまま競争して負けているのだ、だらだらと働きながら給料だけは途上国の数倍受け取ろうとする無理が企業の外国発注となっているのだ。

 

そしてこれは更に企業が都市から出ていくという次の舞台に来ている。世界が平準化する中では企業は高いコストのかかる都市で経営していては他都市の競争相手に負けて淘汰してしまう。だから出ていくのは必然となる。これはトヨタでも避けられない運命なのだ。

 

つまり今起こっている社会現象は貯蓄を持つ地方都市に生まれた人間が何もせずにひたすら禄を食み働かず文句ばかり言って貯蓄を食いつぶしている状態なのだ。

 

都市から企業が出ていき税金や労働力など条件の良い都市で活動するようになれば、出ていかれた都市では若者の働く場所がなくなり税金が取れなくなり遂には都市が崩壊して人が流出するようになる。

 

どうしても流出出来ない人々、高齢化した人々は細々とした生活を送るしかなく、それもいつまで政府が負担してくれるか、支給の原資となるなる納税が不足した時点で終わりである。

 

働かない代表のような大阪市役所労働組合員と生活保護にたかる人々(ほんとうに必要な人ではなく、もらえるからもらっておこうという連中)が大阪を地盤沈下させたのは当然であり、同じ日本でも都市とその司令官によっては大きな違いが出る。

 

わかり易い例が東京の発展と大阪の地盤沈下である。1970年代までは大阪の方が東京よりも賑やかでありビジネスが発達しており大阪の工業地帯は東洋のマンチェスターと呼ばれた。しかしその後経済的繁栄の内容が変化して東京が一極集中となった。

 

九州でも明治時代は熊本県が九州経済の中心であったが(九州逓信局は当時熊本にあった)後半になると福岡県が力を付けていつの間にか九州の中心を福岡に持ってくることに成功した。負けた熊本はやっと今になって新幹線が走るような状態である。

 

「株式会社では資本家がすべての決定権をもち、労働者はそれに従うか辞めるかの選択しかない。これは独裁だが、労働者にはexitオプションがあるので問題はない。他方、exitできない国家では民主制によってvoiceで異議を申し立てる必要がある」

 

今まではexit出来ないと考えられていた人民が21世紀はexit出来るようになった。その時点で都市にとって生活者はお客様になったのにその事実に気付こうとしない。いつまでも自分の支配下にいる奴隷、くらいに思っていては都市間競争に確実に負ける。

 

その代わり市民も出ていくだけの実力を持つ必要がある。英語力などの語学力から始まりどこでも生きていける生活耐性能力、経済的に自由を保証する労働能力、そのような能力を子供の頃からしっかり身に付けておかねば、大人になっても働く先はない。

 

都市間競争では指導者の独裁的能力が大事だと書かれているが、その意味では今のニュージーランドの政治体制とジョン・キー首相についてはキーウィにとって幸運と言えるだろう。嵐のようなリーマンブラザース危機を切り抜けてクライストチャーチの地震を機会に街造りの見直しを行いオークランドをそれまでの市の集合体からグレーターオークランドという1つの行政体にしていく力はまさに都市間競争で必要とされるものだ。

 

都市間競争が始まりますます個人が自分の能力に頼るしかない時代になってきた。他人にぶら下がってのうのうと偉そうな事ばかり言うような連中は都市間競争から自分たちが逃げ切れると思っているのだろうか?



tom_eastwind at 15:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月15日

国家が対等であるべきか?

国際社会はすべての国家が対等であると定義している。国家を超える権力は存在しないが国連という組織で議論をして全世界的な問題を解決していこうと言うことだ。だからアフリカの小国でも国連で一票を持っている。

 

もし経済規模で投票数を調整するとなれば米国や日本は相当の発言権を得るだろうが国際社会の建前ではそのような事を認めるわけにはいかないので国連の下では誰もが平等となる。

 

これは19世紀の欧州がやった総当たり戦的な暴力を防ぐという意味では正しい選択であったが20世紀に作られた国連は実質的に米国に仕切られてしまい国連に実質的な行動権を持たされる事はなかった。

 

21世紀は米国が世界の警察から撤退して世界が欧州、アジア、米国と3つの体制になる。この時にアジアの中心となるのは当然中国である。そこにインドとロシアが台頭してきて日本の発言権は比較的に低下する。

 

そんな事は外務省だって当然理解しているわけでありその為に今は米国追従からアジアシフトをしている。鳩山元首相個人が大した能力があるわきゃないというご指摘を頂いたが、外務省が主導して彼がイランに派遣されたと考えれば個人の能力など関係ないわけだ。

 

そこで思うのは、米国の撤退に合わせて国連を本当に国家以上の組織にしてしまうという考えだ。世界が三極体制になってもその上部組織として国連を置き、各国の軍隊は国連直轄として国連の命令にのみ従うようにする。そして徴税権を国連に移管する。

 

その時日本が主導権を取って国連を世界政府に押し上げて自らが率先して自衛隊を世界政府の最初の軍隊として提供し徴税権も引き渡す。こうすれば中国とかロシア、米国などは地方の一議会にしか過ぎなくなる。それで米国がどうこう逆らうなら一地方の反乱と見做して世界政府が攻撃を加えれば良い。

 

各国家には地方議会として十分な地域性を持たせて独立した法律を作れるようにするが世界政府の基本方針から外れた法律は認めない。世界政府の基本方針はすべての人類の基本的人権の保護である。

 

アフリカの小国で飢えた子供たちがいれば世界政府の責任で守る。その時に抵抗する地方政府の独裁者は世界政府から派遣された国連軍によって排除される。その後小国が自立出来るように世界政府の依頼を受けて日本政府が技術援助を行えばよい。そして世界をできる限り経済的に均質化していく。この方法であれば中国が中華帝国を再建することは出来ないし現在のような人権無視の政治を続けることも出来ない。

 

この人権擁護は同時にイスラム教に対しても適用される。イスラムの名の下に女性が差別される社会はなくなる。なんちゃらスタンが付く名前の地域で行われている人種差別も撤廃される、てか強制的に排除する。

 

実はこういう事が出来るのは世界の中でも限られた国家だけである。核爆弾を持たず特定の宗教に偏らず八百万であり、同時に科学的にモノを考えることが出来て「おれだけがエライ!」なんて思い込みをせずに他人と共同生活が出来る日本は、日本人が気づいてないだけで実は世界でも珍しく平等で平和な国なのだ。

 

面白いのはこれをやれば日本が大義を得ることが出来るって点だ。世界政府を作る、この基本方針に正面から逆らうのはかなり厳しい。逆らえば大義がこちらにあるのだから錦の御旗を振って戦うことが出来るし、日本と中国が正面切って戦争したら今の日本に相手を潰すだけの力はないが

 

これからの100年は世界が三極体制に進んでいく。ならば日本が主導してもっと進めていって国連を世界政府にしてしまう、それくらいの夢を持って行動をすれば世界の多くの人々の支持を得ることが出来る。

 

ニュージーランドは小国であるが常に国連軍に兵士を派遣して毎年2〜3名の兵士が活動中に死亡している。それでも国連中心主義でありこれからもソマリアや東ティモールに派遣する。死亡した兵士を追悼する行事は行われるが兵士が死亡したからと言って撤退することはない。何故なら国連中心主義という大義があるからだ。

 

しかしいくらニュージーランドの方が日本より多くの死者を出していても国力では日本に敵わない。そこで日本やニュージーランドのような中道国家が集まって世界政府を構築する運動を起こせば面白いと思う。

 

実際に出来るかどうか?あんまり現実的に考えたら前に進まないが夢くらいはいつも持っていない。てか大国に対抗する手段は小国が集まり大義を持つことだ。現実的に日本が生き残り世界に対して大義を主張していけば夢も夢でなくなるかもしれない。

 

国家の定義は曖昧だ。例えば太平洋の小島を買って「ここ、おれんち。今度国家にしたのでよろしく」と言って周囲が認めてくれれば国家として承認される。明確な定義がないのだから誰でも国家を作ろうと思えば作れる。だったらその上の組織である世界政府があってもいいじゃないかって思う。

 

旅は道連れが良い、女はアバズレが程よい、世界は1つになった方が良い。日曜日の午後、オークランドの美しい青空の下でそんな事を考えてみた。

 

 



tom_eastwind at 16:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月14日

おおい原発

おおい原発の再稼働が問題になっている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120414-OYO1T00165.htm?from=main1

 

ぼくはなにも社民党のような環境第一、人間なんて死んでしまえのような考えではないが原発を必要とする考えもない。今の日本が原発がなくてもやっていけるのはほぼ間違いないし、もっと言えば原発なしでやっていける国造りを目指すべきだと思っている。

 

電気と水を垂れ流しのように使う水準の工業技術が果たして日本の目指す道なのか?そのような技術は、言葉は悪いが後進国に譲りぼくらはもっと優れた技術開発をすべきではないだろうか?

 

311以前は何度も原発の記事を書いてた。とくに浜岡は即時停止がぼくの持論であった。ただ実際に原発事故が起こってしまうと僕のような「移住屋」が何か書くと「商売!」と思われるのであまり書けなかった。

 

原発の一番の危険性は問題の先送りである。放射線を閉じ込める技術が確立されない中で原発を稼働させるのは極度に乾燥させた森の中で煙草の吸殻を捨てるようなものだ。

 

やってる本人からすればたかが一本のタバコだろうが、それが山火事を起こせばとんでもない事故になる。問題を起こした後に取り返しのつかない事態になってから誰に謝罪するのか?

 

2050年の日本の人口がどうなるかなどと議論している連中がいるが、もし本当に原発が吹っ飛べば来年日本人の住む場所がなくなるって事をどれくらい真剣に考えているのだろうか?

 

ネヴィル・シュートと言う作家が1957年に書いた「渚にて(On the Beach)」では第三次世界大戦が起こり北半球が全滅、メルボルンにいた人々も一年後に気流の中に含まれる強度の放射線により死滅する筋書きだ。メルボルンより南に逃げようとせずに自宅で死を迎える人々。

 

もちろん放射線被害がまだ科学的研究の終わらなかった時期に書かれたので内容に科学的事実と異なる部分はあるが、根本的な部分は何も変わらない。

 

大自然のなかで人が制御できる事は限られている。自分一人だけがこの世で生きている分だけ飲み食いして楽しんで、後は野となれ山となれと考えるのであればそれはそれでありだ。しかし自分の子供の顔を見てそんな事を言えるか?人類を持続させたくないならそれはそれで結構、しかしそれを本当に覚悟してやっているのか?

 

現時点で福島原発で死者は出てないという池田氏の意見に反対はしない。事実は事実である。しかし放射線が人を殺すのも間違い無く事実であり、結局は量の問題だ。人はいつか死ぬのだしその原因を放射線に限定することも出来ないのは事実だ。

 

しかし、だからって原発で良いのか?ぼくがそこから感じるのは将来の夢も子供の事も考えない薄汚い大人たちの目先の利益にしか見えない。エネルギーが原発しかないのであれば選択肢もないのだろうが他に選択肢があるのに目先の金ほしさで無理やり原発ってのは筋が悪いよ。原発が必要ないのに持ち続ける意味はない。今原発があるから使わねばという発想は百姓の貧乏根性だ。

 

おおい原発の地元では原発関連の税金が財政の半分を占めていて早いとこ原発が再開してくれないと旅館もタクシーもレストランもあがったりだと。街には立派な保養施設があり毎年数千万円の赤字を出しても原発の税金で賄えるし、そこで働く人には大事な働き口だと。

 

何か根本がずれてないか?タクシー?旅館?ずれてないか?もう一度根本に返って考えなおしてみないか?人生を博打と考えるならおおい原発もありだろう。しかし得るものがタクシー代や宿泊費であり失うものが人生でありこれからずっと住めなくなる故郷だとすれば、あまりにリスクばかりが高いリターンが少ない博打ではないか?

 

原発がなかった時代に戻って、もう一度農業なり漁業なり地道にやっていこうって考えれば、今でも遅くはないと思う。

 

100年前、ぼくらは原発を持っていなかった。その時に「原発は絶対に必要です」とは誰も言わなかった。なくてもやっていけた、人々がちょっと我慢すれば。夏になると電力が7%不足するとか言ってる。我慢すれば?それだけの事でしょ。自宅のクーラーを切ってオフィスの電気を夕方6時に止めて、それでも仕事したければバケツに水を汲んで足を突っ込んで仕事すりゃいい。

 

実際に1960年代にオフィスで仕事をしてた連中はバケツに足を突っ込んで働いていた。やり方しだいでどうにでもなる。あえて原発という時限爆弾を抱える必要がどこにあるのか?電気を人質にする政府のやり方も頭に来るが国民もそんなのに巻き込まれずに自分の頭で考えよう、原発のリスクと利益を比較してみれば長期的には原発は今の日本には合わない勘定だ。

 



tom_eastwind at 14:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月13日

薄熙来

「まったくもー、あのうんこ座りの格好ってまるで百姓じゃんか!」すぐに長いものに巻かれるだらしねー奴だなって感じでぼくは百姓という言葉を使う。

 

母親がよく使ってた言葉であるがうちは本家も山と海に挟まれた場所で百姓と漁師をやっているので決して百姓だからって人種差別でも学問がないからダメって意味ではない。海で魚を釣れて畑で野菜を作る自給自足のしっかりした家庭だ。ただ、人を使う時に「使われる方」が長いものに巻かれたりみっともない格好をするのがどうしても嫌いだったようで、いつもこの言葉を使っていた。それは、きりっとして生きようよって言いたかったのだと思う。

 

誰かの下で働くのは当然の事であり大きく言えば人は国家の為に命を提供することがある。けど自分がしっかり独立して自分の意志で生きてるって事は、毅然として生きるって意味である。それは決して誰かの下にいるからもう安心とか言ってウンコ座りしてタバコを吸うってことにはならない。

 

その意味で中国からニュージーランドに留学に来た学生の態度のひどさには呆れるしかない。自分たちが逃げ切り世代とでも思っているのか親がどんな教育をしたのか分からないが、とにかく態度が横柄である。

 

「おいこらどん百姓ども!おめーらの親父は中国大陸の山の中で共産党として戦って何とか生き残って何とか地方でどーにか書記のしごとを得ただけのどん百姓だ!それを分かってんのか!」と言いたくなる。運の良いことにうちの奥様も同じ気持ちを持ってくれる。

 

ぼくはあまり気の長い方ではないので糞ガキが横柄な態度を見せるとすぐに手を出す悪い癖がある(笑)、奥さんによく笑って怒られるが、法律に引っかからないギリギリのところで相手を引っ掛ける。技は書かない(笑)。やられた方は思いっきり腹がたってこっちを睨みつけるが法律的にどうしようもないところなのでどうしようもない(大笑)。

 

そんな時に僕の心のなかで“にこ”って浮かぶ言葉は「くそどん百姓め!」である。何度も言うが百姓というモノを作り出す仕事は尊敬している。しかしその仕事に甘えて自分をぬるま湯に放り込んでだらだらとした生活をするのは「くそったれどん百姓」だ。

 

中国では文化大革命当時に本当の文化人が皆殺しにされてしまい4千年の文化が失われてしまった。しかし少しの人々は台湾や香港に逃れて今でも繁体字を使って中国文化を伝えている。彼らは中国文化を大切にして誇りを持って守ろうとしている。

 

ところが大陸中国で共産党員として薄汚い真似をして地方都市で金儲けをしたような連中の子供たちの態度は見るに堪えない。例えば子供が道端で車に轢かれて瀕死の状態でいるのに無視して通り過ぎるような連中を見るとうちの奥様は本気で怒る。

 

自分の身内(中国人)に対する怒りなので他人(つまり僕=日本人)に対してどうも八つ当たりも出来ないのだがぼくが中国人に対する批判を一言でも言えば「あんたに関係ないでしょ!」と百倍になって仕返しがくる。

 

今日も街ではくそったれどん百姓中国人がバスの列を守らずに割り込んだり道端に座り込んでプーカーってタバコ吸って道端に吸殻を捨ててる。本当の中国人からすれば実に恥ずかしい行為である。

 

薄熙来という重慶の中国共産党書記が失脚した。父親の世代から叩き上げの共産主義者であり、父親や国民党政権時代に逮捕されて死刑宣告されたが何とか出獄、その後も文革で逮捕されて息子である薄熙来も不遇の時期を送った。

 

中国の歴史を見れば共産主義とかなんちゃら主義以前に、常に闘争の歴史である。中国を共産主義と考えるから問題がずれるのだが、ありゃ共産主義ではなくひたすらに王様争いである。誰かが出てくれば誰かが叩き、叩きそこねた連中が這い上がりトップに就く。そしてまた下から這い上がってくる連中を蹴落とそうとする。

 

薄熙来の改革は良かったと思う。良すぎたから潰されたのだろう、権力闘争に敗れた彼とその一党の今後は再度の復活があるのだろうか?いずれにしても中国はいつの時代も日本の戦国時代のような、食うか食われるかのくり返しな国である。12億人が食うか食われるかの戦いをしている。薄汚い糞ガキから12億人のトップにまで上り詰める人間までであふれている。

 

ぼくらは対岸の火事として放置するのではなく国際社会の中の日本人として隣国である中国人の戦いを見てみると学ぶものが多いと思う。もちろん薄汚い割り込み連中にはしっかりと教育(笑)を躾けるが。

 



tom_eastwind at 14:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年04月11日

鳩山氏「二元外交」 最高顧問を解任すべきだ?

2012.4.11 03:23 (1/2ページ)正論

 日本の元首相が政府の承諾を取らず、核兵器開発の疑いが濃厚なイラン首脳と勝手に会談した。あってはならない「二元外交」が鳩山由紀夫元首相のテヘラン訪問(7〜8日)だった。

 危惧された通り、鳩山氏はアフマディネジャド大統領との会談で、国際原子力機関(IAEA)はイランなどに「二重基準を適用し不公平だ」などと述べた、とイラン大統領府が発表した。核問題で重要な役割を担うIAEAに関して日本政府の立場に反するメッセージを発信した形となった。

 帰国後、鳩山氏は「捏造(ねつぞう)だ」と在日イラン大使館に抗議したが、日本外交が受けた打撃は修復できない。鳩山氏は2月、民主党最高顧問として外交担当に任じられた。与党・民主党はこの肩書を取り上げるべきだ。安易な議員外交を許した野田佳彦首相の責任も極めて重大である。

 鳩山事務所の発表文書によれば、テヘラン訪問は「イランとのパイプを利用し、国際社会と協調する重要性を訴える」のが目的とある。であれば、政府との事前のすり合わせが必須だ。

 しかし、玄葉光一郎外相は鳩山氏の出発2日前に「政府の要請に基づくものではない」と不快感を表明し、帰国後も再度、政府・党とは無関係と強調した。しかし、鳩山氏とイラン側要人との会談には、駐イラン日本大使が同席していたという。日本外交の信頼性が揺らぐちぐはぐぶりだ。
★抜粋終了

こういう記事を読んで真に受ける人はお人好しか単純な愛国の士であろう。まあそれが政府の狙いだからそれでも良いのだが、もし少しでも考える人であれば裏を読んで欲しい。

今国際舞台で起こっているのはイランの核問題であるが、イランは核爆弾を持っていないし開発する事も考えていない。嘘つくな、アメリカが「イランは核持ってるって言ってるじゃないか〜!」って思う人。10年前にイラクで大量兵器問題が起こった時に事実はどうだったか?大量兵器は存在せず米国は油田の為に戦争を仕掛けて更にその裏にある狙いが米国の世界的地位の低下だ。

イラン問題はもうすぐ片付く、それは去年僕が「沖縄問題が終わった」と書いた時に「嘘つくな、沖縄ではまだ〜!」と反論を頂いたが事実は最近の流れを見れば分かる。外交なんて裏でとっくに片付けて半年くらいしてから当事者に都合の良いように発表されるだけだ。

イラン問題が片付いた後に出てくるのが日本の石油利権である。これを守るために鳩山さんが送り込まれたがそれを公にしてしまうと米国としても制裁しろと言ってる手前、日本に対して何らかの罰則を与えるしかない。だから外交どうしの騙し合いでありその騙し合いに騙されたふりをしているのが一部の政治家であり本当に騙されているのが多くのマスコミと一般市民である。

鳩山さんの訪問はむしろ今後の中露との等距離外交にも役立つ実践型外交であり、これはむしろ得点と理解したほうが良い。何にせよ政治も外交も表だけ見て感情論に走らないようになりたいものだ。



tom_eastwind at 17:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月10日

セブ島4月9日

49()1215分配信

 【マニラ時事】フィリピンにある日本の在セブ出張駐在官事務所は9日、中部セブ州サンレミジオで日本人男性が5日未明に射殺されたことを明らかにした。地元メディアによると、この男性はホンダ・マコトさん(57)で、2人組により自宅で殺害された。

 

 警察は2人組のうちホンダさんの元使用人の男を殺人容疑で逮捕した。残る1人は逃走中だという。ホンダさんのバッグが奪われたことから、警察は強盗目的と怨恨(えんこん)の両面で捜査している。ホンダさんは約3年前からサンレミジオに住み、財宝探しをしていたと伝えられている。 

 

326 2151

フィリピン中部のリゾート地セブで、26日、東京都出身の32歳の女性がフィリピン人の夫に刃物で刺されて殺害され、地元の警察が夫を逮捕して詳しく調べています。

現地の警察によりますと、中部セブ州のマクタン島のラプラプ市で、26日午前3時ごろ、東京都出身の梶井琴香さん(32)が、自宅で胸などを刃物で刺されて倒れているのが見つかりました。梶井さんは、病院に運ばれましたが、まもなく死亡しました。

 

警察の調べによりますと、梶井さんは、酒に酔って未明に帰宅した夫を注意したところ、夫に複数回にわたって刃物で刺されたということで、警察は、夫で無職のデクスター・デニラ容疑者(27)を殺人の疑いで逮捕して、詳しく調べています。梶井さんは、去年1月にデニラ容疑者と結婚し、娘と3人で現地で暮らしていたということです。

★記事終了

 

それにしてもフィリピンは昔から片道切符の多い土地であった。特にバブル期後半には日本の銀行の不良債権清算の為に利用された。「とりあえず暫く姿を隠して欲しい、時期が来たら日本に戻ってきてもらうが今はまだ警察が調査中なのだ」と言われてマニラ空港に送り込まれた銀行員は出迎えに来たアロハ姿の地元組織に手配された市内のアパートに入る。

 

それから数週間して生活が落ち着くと(日本側の準備が整うと)今度はもっと山の中の安全な場所に移動するからと言われて車に乗せられて山の中に入りそのまま行方不明になった。当時のマニラと言えば日航ホテルでさえもホテルの周辺にバリケードを張り自動小銃を持った警察が治安維持に当たっていたくらいだ。

 

課長島耕作でもフィリピンが舞台になり日本人が現地で揉め事を起こして拳銃で指を吹っ飛ばられる場面などがあった。銃社会でもあるフィリピンでは銃が手軽に入手出来て男があまり働かず女性に働かせる習慣があるため、女性を日本人独身男性に美人局させておいて男の財産を奪い尽くすケースがある。

 

セブ島と言えばその中では比較的治安の良い島であったが2000年代になって今度現れて来たのが日本の年金生活者集団である。日本を定年退職してのんびりとした生活を考えながらフィリピンに来てみると生活費は安く現地女性は綺麗で優しくて年金で十分にやっていけるとなると多くの独身男性退職者がやってきた。

 

すると今度は彼らを狙った不動産詐欺が現れてこのあたりからセブ島が以前のようなのんびりした田舎でなくなった。地元の人々は日本からやってくる彼ら退職者を相手に地元のフィリピンパブ(まさにフィリピンパブだ)で接待して自分の親戚の若い女をあてがい男にアパートを買わせて生活の拠点をセブ島に移すと、そこから本格的に日本人男性から金をせびりとるようになった。

 

色んな名目を付けてはとにかく小銭を巻き上げ次に親戚がタクシーを始めるからと車を買わせて親戚に住む場所がないからとアパートを買わせて、それまで優しかった女の子までがいつの間にか相手側に付いて「何で私の家族の為にお金が出せないのよ!あなたはお金があるじゃないのよ!私を愛してないの!」となった。

 

それでも金を出さないと何だかんだと理由を付けて銀行からお金を勝手に引き出す。それに文句を言うとなぜかその後強盗に遭ったり警察に逮捕されたり裁判所に呼び出されたりすることになる。

 

これがフィリピンの現状でありその実態はあまり表に出てないが内部を知っている関係者からすれば有名な話である。ぼくもフィリピンではなくタイのバンコクだが直接の知り合いがタイ人女性とバンコクに里帰りした際に刺殺されたケースである。

 

とにかく外国で生活をするというのは自分の身は自分で守るって事を徹底する必要がある。海外に出てしまえばある日突然いなくなっても余程日本の家族が注意を払ってくれるか現地での仲間が助けあう仕組みを作っているかしない限りまさに行方不明のままで一生姿をくらましてしまう。

 

他にもイラクで日本の若者が日本人が巻き込まれた例としては044月、ボランティアの高遠菜穂子(34)さんら3人が武装グループに誘拐され1週間後に解放された。さらに同年10月には旅行中に誘拐されたKさん(24)の遺体がバグダッド市内で発見された。(肩書き・名称、年齢はいずれも当時)

 

このKさん、実はイラクに行く前にニュージーランドに留学しておりその時は当社にも問い合わせがあった。なぜ彼がイラクに行ったのか?いろいろと説はあるが過去の話なので内容は別にして、自分の身をイラクに置けば何が起こるかくらいは想像してみるべきだっただろう。

 

これからニュージーランドに来る方は殺される心配はないと思う。しかし軽犯罪は多い。車上荒し、留守宅狙いの泥棒、ひったくりなど、地域によってはしょっちゅうである。それは地元に住んでいれば危険な地域は自然と分かるので立ち入らなければよい。そこを「だってニュージーランドは平和なんでしょ、人が人を襲うなんて間違ってるでしょ〜」的な発想で来られてはやばい。

 

どんな国でも常に危険はある。絶対安全なんて存在しない。できる事はいかに危険のリスク度を減少させるかだ。その意味において日本人は甘い。安全神話を学校や社会で叩きこまれてしまったからその延長で海外に出るのだろうが、まずは自分の身を守るために行動パターンには十分注意をすべきである。

 

ついでに言っておけば、ぼくがこんな事を書くのもおかしいかもしれないが、海外に出て話しかけてくる日本人は大体においてあなたの利益にならない、または損失を与える話しかしない。見ぬくポイントは自分の組織を持っているかどうかである。少なくともニュージーランドでは現地に溶け込んで仕事をしている人は日本人と付き合わない、ばかが移ると知っているからだ。だからあなたと会う機会は非常に低い。

 

では話しかけてくるのは誰か?大体において日本社会で通用せずに親の金で1990年代に移住して永住権は取れたものの、英語能力がないから地元社会に溶け込めず業務処理能力がないから一般企業に採用されず、仕方なく自分で社長ごっこをしているような連中である。

 

新しく来た日本人を相手に暇つぶしにお茶をしたり他人の悪口を言ったりしてひがな一日過ごしているような連中は新人相手には威張りたがって「おれさー、前はさー、こんな事しててさー」と威張ることに一生懸命。寂しいものである。

 

これは何もニュージーランドに限った現象ではない。欧州でもパリに行くと画家崩れが現地ガイドをしながら日本人相手に美術館で絵を説明するのだが、ろくな金にもならずにヒモに付きまとわれて今更みっともなくて日本に帰れず、仕方なく現地でガイドでもしているって連中だ。イタリアにも芸術家崩れは多い。ロスなども暇人の集まる街だしニューヨークになると崩れた連中が働く先は日本人相手の飲み屋となる。

 

一般論ではあるが、とにかく海外で生活をする時は現地の人には十分注意すべきだが、それは見た目である程度分かる。わからないのは日本人であり、日本人には十分注意することである。



tom_eastwind at 17:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月09日

大学の有料化

イースター期間中は殆どネットも開かずにいたのでここ数日で橋下市長と池田氏がネット上で盛んに議論しているのに気づかなかった。

 

事の起こりは池田氏が「橋下+小沢政権」をネタにしたからだ。橋下市長からすればそれまでは池田氏を敵に回す積りはなかったのだろうが、小沢ネタを持って来られたらガチ反論しておかないと周囲にまずい。

 

だって後でほんとに小沢と連立したら「ほ〜ら、やっぱり」と言われそうで、言われるだけならいいけれどその次の「だ〜から連立しても霞が関には勝たないよ」に言い返せないのが問題ってこと。

http://blogos.com/article/36084/?axis=p:0

 

彼らの議論のポイントは主に消費税であるが客観的に読めば池田氏がきちんと対応している。そして何よりも池田氏のほうが「橋下市長が本気で霞が関と戦って勝つと思っているのか?」と現実的に語っている。

 

今の橋下市長がどれだけ頑張って民意などと言っても霞が関は全く相手にしていない。霞が関は元々民意で作られた組織ではなく日本トップクラスの優秀な頭脳を持ち更に国家に忠誠を誓う事が出来る人間のみが集まった超内向的な組織である。

 

霞が関は最初から選挙で選ばれた組織ではないので民意とかの人気取りを考慮する必要がない。だからブログも発信しないし表にも出てこない。彼ら霞が関からすれば橋下市長などいつでも潰せるのだからほっときゃいい、そのうち使い道があれば使ってやるしそうでなければうざくなれば潰そうって気持ちが見え見えである。

 

橋下市長人気と言っても霞が関が本気になったら勝負にならないので、彼らが本気になる前に橋下陣営がどれだけ地方政治で確固とした地盤を作り上げて霞が関の改革派をどれだけ味方に付けられるかが勝負どころだ。なので政策を発表するにしても霞が関の改革派がどうしても納豆、じゃなかった納得出来る内容でないと潰される。

 

さて消費税であるがニュージーランドは昨年値上げを行なっている。12.5%の消費税を15%にして同時に所得税を下げることで「働く人に優しい、働かない人に優しくない」税改革を行った。消費税は泥棒からも取れる税金であり働かない人には確実に負担増になるが働いている人からすれば所得税の減額の方が消費税の増税よりも大きいので結果的に得になる。

 

ニュージーランドは2006年度まではずっと黒字経済を続けていた、日本の感覚で言えば地方の中小企業であるがしっかりと利益を出す優秀な経営であった。しかし2008年のリーマンショックではさすがに耐えられず国債を発行して対応した。

 

2010年度はリーマンショックもそろそろ終了、健全化に目処が付いたところでクライストチャーチの大地震。この為再度国債の発行を行い赤字財政をあと2年程度続ける必要がある。その為ジョン・キー首相は経済の緊縮と復興増税を検討している。逆に言えばたった2年の赤字でジョン・キー首相は本格的に経済の復興を行おうとしている。

 

それがどうして国民に受け入れられているか?それはそれはニュージーランドが1980年に経済危機に陥り1984年の聖域のない経済改革を行なっても黒字化に戻すために10年かかったという記憶が国民にとってまだ新しいからだ。

 

本当に経済が吹っ飛んだら何が起こるのか?そんな事が起こるはずはない、1900年代初頭からずっと世界のトップクラスの安定した経済を運営してきたニュージーランドが吹っ飛ぶはずはない、多くのキーウィがそう思っていた。しかし吹っ飛んだ。

 

日本では失われた10年を過ぎて更に10年を失い2020年には遂にデフォルト宣言をするのではないかと言われているが今だ根本的な解決策を誰も提案できていない。税改革を行うべき日本であり方法論で様々な議論が交されているが時間がかかっている。その理由は「まさかそんな事が起こるはずはない」という思いがどこかにあるからだ。

 

このあたり橋下市長は「識者は言うばっかり、現実論がない」というしこれに対しては「理論を実践するのが政治家ではないのか?」と反論が出ているがどちらにも共通するのが危機感のなさだ。時間があると思っているのか?

 

問題は消費税だけではない。財務省からすればすべての支出が削減対象である。赤字財政をだらだらと続けたくないエリート集団である財務省はそのプライドにかけて黒字化したい。だから財務省が本気で削減をするとなったら民意を問うような消費税など時間のかかる分は目くらましみたいなものかもしれない。

 

ニュージーランドに住んで1980年代後半のドラスティックな改革を見てきたし1990年代後半の経済活性化を見てきた立場からすれば、今だもって自分の権益だけは聖域化して手放さず他人の権益だけを剥ぎ取ろうとしている人々は「けど自分たちの時代にはまさかそんな事ない筈だ」と思い込み時間的危機感がないのだと思う。

 

船が沈む時はすべて沈む。それまで既得権益を守ってきたから自分だけ助かると思っているのだろうが船が沈んでしまう時はそんな半端な事はない、誰もが同時に沈む。それを知っている政府が動く時は一気に動く。議論の時間などかけずに行う。

 

民意を測る必要などない霞が関がまず今やろうとしていることは年金の支給開始年齢を70歳に引き上げて企業の定年退職年齢を65歳に引き上げるが同時に60歳以降の賃金を三分の二程度に切り下げる。

 

これにより日本の企業は企業内に老齢人員を抱えることになるが余剰人員とせずに実務作業を行わせる。そうすると総人件費は増えずにベテラン社員を安い給料で雇える計算になる。会社は全体的にやる気のない安定志向の社員ばかりになるが、社会主義的性向の強い官僚からすればそんな事はどうでも良い、100年の計なのだ、ここ10年程度日本の企業が弱っても大した事はない。

 

その結果として大卒若者の新規正規雇用はますます減少するがコンビニや居酒屋など老人向けのサービス産業がその受け皿となる。もちろんそんな事をやったら若者層の殆どは大学を出ても外国の若者とは勝負にもならず一生が単純労働と下請け作業で終わってしまう。

 

けれど霞が関からすれば日本の100年の大計を考えればここ数年の若者が不幸にも一生フリーターで終わり給料が安くて結婚できなくてもそれは仕方ない、東大法学部に行く機会は誰にもあったのに狙わなかった本人の責任であると考える。

 

そして次に出てくるのが教育費の削減だ。大学を出ても就職先がコンビニしかないのならあえて大学を卒業する必要などない、中卒で十分。だとすれば高校は義務教育ではないのだから年間授業料を100万円程度に有料化する。地方の、一つの県にいくつもある国公立大学を民営化して学校数を削減すると同時に定員を削減することで教育費を削減する。

 

その代わり旧帝大は無料化して優秀な人間を受け入れる窓口とする。ここが唯一支配層に上がれる階段となる。この階段を登るためには組織に忠誠を誓う必要がある。そしてこの組織は永遠に続く。

 

消費税がどうとか政治家がどうあるべきかとか橋下市長の人気などと言ってメディアが盛り上がりネットでも議論が行われているが、ぼくらが個人生活を守る時に見るべき点はそこにはないと思う。

 

今小学校の子供を抱える親は子供を東大法学部に入れるために今から特訓をする。当然入試は苛烈になるが支配層に残れるかどうかの分かれ道だ。今高校の子供を持つ親は子供が東大法学部に入れるならよし、そうでなければ今から次の道を考えるべきか。それとも子供に自由を与えて自己判断をさせるべきか。いずれにしても子供にとっては受難の時代である。



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2012年04月08日

HUNTERHUNTER

3日ほど天国に行っておりました(笑)。久しぶりにゆっくりと映画や本やアニメにはまって生活をしてました。

 

イースターは毎年日付が違うので覚えるのがややこしいのだが今年は4月6日(金曜日)から始まり4月9日(月曜日)まで続く。日本では盆と正月が一番賑やかなお休みだがキリスト教国でそれに匹敵するのがクリスマスとイースターである。

 

金曜日はキリストが死んだ日とされているがそれが毎年変わる。ユダヤ教の過ぎ越しの祭が始まりって話もあるしイスラム教だって元々は同じ神様を信じてるわけで、彼らが毎年休みを変えたり戦争したり忙しいものだ。

 

クリスチャンでない僕としては他人の権利に乗っかってお休みをもらっているようでちょっと申し訳ないなって思うのだが、お盆がない分だけこのイースターを利用しようと今年は日頃できないことを楽しむ事にした。

 

1959年に制作された「刑事」はイタリア映画がイタリア映画として世界に誇っていた時代に作られたピエトロ・ジェルミの名作。白黒映画で子供たちが退屈するので普段は観ることが出来無いが名曲「死ぬほど愛して」の旋律に乗せられてローマを舞台にした素晴らしい映画をゆっくりと楽しむ。

 

いいよな〜イタリア映画。アメリカのような大きな音とてっぽうを撃ちまくるがさつな映画ではなく、ゆっくりと心の中に染みこんで来るこの感じは平日の夜にばたばたと観ていては感じることが出来無い。

 

「顔をなくした男」はブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィンシリーズ最新作。冷戦時代の1997年から続くイギリスのスパイ作品だが今では冷戦という言葉がすでに死語になっている。東ドイツと西ドイツがまだ壁によって遮られていた時代、チャーリー・マフィンは英国のスパイとして東側に送り込まれてソビエトのKGBの大物を西側に連れ出す仕事を引き受けるところから始まる。

 

考えてみれば30年近く読んでおり毎回期待を裏切らない作品だが、マフィンシリーズの底辺を常に流れる意識はいつも変わらず読み応えがある。毎回上下2冊で発行されるので長い休みの間でないと読めない。

 

「久々に夢を見たいさ」、HUNTERHUNTERからの一言。友情、努力、勝利、そして仲間、勇気、成長、少年ジャンプを支え貫いている根源的なポリシーでそのポリシーの王道を行くのがこのハンターハンターだ。少年ジャンプとも付き合いが長いぞ、1968年の発刊当時からの付き合いで当時は「男一匹ガキ大将」なんかがあり、主人公は遂に海を越えてサウジアラビアから紅海へと話は広がっていく。

 

当時はこういう硬派な漫画も流行ったし永井豪が人気を博したのも少年ジャンプからだ。永井豪のSF漫画で親子の縁が完全に切れてしまい学校から逃げ帰った子供を台所で料理していた母親がにこっと笑って包丁で叩き切る場面は結構本質的な怖さがあったりするけど学ぶものも多い。一体親子のつながりって何だろう?

 

原発もベトナム戦争も中東石油問題も漫画から学んだものが多い。人間が動物よりも少し優れている点があるとすれば本を読んだり映画を見たり夢を見たりできる事だろう。

 

少年ジャンプはあの当時も今も少年に夢を与えようとしていて楽しい。HUNTERHUNTERとかONEPIECEとか、人は年を取り大人になるに連れ夢を失い現実的になるけど、もしそれが成長するって事で動物に近づくって事ならずっとHUNTERHUNTERを観てるほうがよほどましだ。



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2012年04月05日

戦う場所

昨日メールソフトをBeckyからThunderbirdに変えた。あのサンダーバードのアイコンが「ヅラ」に見えるのは僕だけか(笑)?

 

パソコンはしっかりしているのだがどうもBeckyと相性が悪いみたいでここ2ヶ月ほど急激に動作速度が遅くなった。ウィンドウズのOS3を知ってる人は少ないだろうがあんな感じ。あの頃はマイクロソフトが動作説明で「スイッチを入れてからコーヒーを作りに行きましょう、大丈夫、おいしいコーヒーを作って机の前に座ってもウィンドウズはまだ開始されませんから」と言ってたくらいだが、まさに20世紀に戻った感じ。

 

キーボードに文字入力しても画面はフリーズしたまま全然動かず、トイレに行って戻ってくると文字がやっと表示され始めるってくらいだ。だもんでBeckyやめたのだがこれで問題解決してくれると良いがまだ分からない。もう暫くヅラを使ってみて様子見である。どうしてもダメなら次回はMacAirにする予定。

 

うちの娘はMac派で、ちらっと僕のパソコンの調子悪いのを見て憐れみ深い声で一言「ウィンドウズだもんね、仕方ないよね」だって。慰めてくれてるのだろうが腹が立つ(笑)。Mac派からすればウィンドウズなんてのは「どうしても使わなければ仕事が出来なくなる時」だけ使うものであり、普通の人間の感覚とプライドがあればウィンドウズを使うなどあり得ないと考えているようだ。

 

昨日のコメントで日本のクリーニング業界のお話を頂いた。競争が厳しいようだ。だったら是非とも起業家ビザでニュージーランドで起業してくださいよ、しっかりサポートしますからって本気で思った。

 

ほんっと日本って国内で激戦を繰り広げるのは大好きだが結果的に誰もが赤字になり苦労する。消費者からすれば愛すべき国であり労働者からすれば地獄のような国である。変なの、だったら海外出ればいいのにと思うが、それを言い出すと様々な「出来ない理由」を並べる。

 

確かに「出来ない経営者」がいるのも事実だがじゃあレッドオーシャンで潰れても良いのか?一生懸命働いても殆ど利益は出ずに納税だけはしっかり取られてたまったものではない。

 

ニュージーランドのようなサービス後進国ならば十分に通用する経営者も多いのも事実。早い者勝ちである。昔米国に渡った白人は東海岸で生活をしていた。彼らからすれば西海岸など「あることは知ってるけどね〜」程度でありまさか自分が行くなんて思いもしなかった。

 

荒野を見た彼らはこう思った。「なんて何もない荒野なんだ、こんなところでは何もできないじゃないか」。けれど少数の人々はこう思った「なんて何もない荒野なんだ、素晴らしい、何でも出来るじゃないか!」同じ景色を見て正反対の気持ちを持てる。

 

バグジーという映画がある。ニューヨークのギャング「バグジー」がネバダ州の砂漠の何もないところにフラミンゴホテルを建てた。まさに何もない砂漠のどまんなかだ。周囲は彼をキチガイと言った。挙句の果てに彼は仲間によって撃ち殺された。

 

それから40年後、その場所はラスベガスと呼ばれて世界中から家族や会議を集める場所になった。バグジーの目の中には何もない砂漠が何でも出来る豊穣の土地に見えたのだ。

 

だから日本のような苦しいレッドオーシャンでバトルロワイヤルなんかせずにブルーオーシャンで優雅に人生を楽しめばと思うのだが、どうなんかな。

 

ぼくは経営者であるがオークランドにいる時は午後3時前には仕事を終わらせてるし土日はしっかり休んでいる(ただし頭の中は24時間仕事をしている)。それが通用する国である。日本では夜の11時から会議なんてざらであるが、それってどうなんかと思う。

 

日本に生まれたからって日本で生活をしないといけないなんて決まりはない。憲法によって移動の自由は保障されているのだからどこでも住みやすい場所に移動すれば良い。仕事は大変だけど古くからの家なので出ることが出来ないなら、それはご本人の判断であるから仕方ない。

 

戦う場所を選ぶのも大事な戦い方の一つである。孫氏は敵と戦うときには左手に山を置き右手に川を置けと言ったそうだ。多くの人間は右利きであるから右手を振り回しやすい場所に置き左手を敵に攻められにくい山に置く。兵法である。

 

戦う場所を選ぶのも兵法ではないのか?



tom_eastwind at 10:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月04日

夢のお告げ2

夢のお告げ その2

★記事開始

ソウル=門間順平】韓国各紙は4日、外交消息筋の話として、中国政府の出国許可が得られずに3年近く中国内の韓国公館に留め置かれていた脱北者数人が今月に入って許可を得て韓国に入国したと伝えた。 「人工衛星」と称し長距離弾道ミサイル発射を強行する構えを見せる北朝鮮に対する、中国の不快感の表れとみられ、注目されている。

 

 今回、韓国に入国した脱北者の数について、朝鮮日報は5人、東亜日報は4人としている。このうち3人は朝鮮戦争で捕虜になった韓国兵の娘と孫で、北京の韓国大使館で3年近く「事実上の監獄生活」(東亜日報)を送っていた。残りは瀋陽や上海の総領事館で保護されていたという。

 

 朝鮮日報によると、今回の北朝鮮によるミサイル発射予告にあたり、「中国は北朝鮮に中止を求めたものの拒絶されたため、(北朝鮮が嫌がる)韓国行きの許可を決断した」という。同紙は、この決定が金正恩キムジョンウン体制への「中国の不快感の表明だ」と指摘した。

2012441933  読売新聞)

★記事終了

 

北朝鮮が中国の支配下にあることをよく表した記事である。中国は金正男を自分の手のうちに置いているしからもし正恩が中国に逆らえば速攻で正恩は「病死」して正男が次の首席になる。さすが中国、手回しが良いと言える。逆に言えば北朝鮮が日本に向けて動く時は中国のOKが出た時である。

 

でもって中国は1992年に首席に就いた(形式は1993年)江沢民が反日教育を行なって現在のデタラメ歴史観が世界を支配しているが、中国からすれば己の国の内部にトラブルが起こりそうなら平気で他の国を攻撃して自己保存に走る本能を持っている。この時は第二次天安門広場事件のすぐ後で国内が動揺しており、それを抑えるために日本を仮想敵国に仕立てた。全くもって日本からすればいい迷惑である。

 

★ウィキ抜粋

日本に対しては歴史認識で執拗に批判しているが、ベトナムからの中越戦争の謝罪要求については「ベトナムのカンボジア侵攻によるものだ」として、謝罪はしていない。20022月末にベトナムを訪問した際、謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と一方的に通告し、中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。

1995年9月3日に北京で開催された「首都各界による抗日戦争記念ならびに世界反ファシスト戦争勝利50周年大会」で江は演説し、日中戦争の被害者数をそれまでの軍民死亡2100万(抗日勝利40周年の1985年に中国共産党が発表した数値)から死傷者数を含めた上で3500万とした。19988月には、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなくてはならない」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出した。江沢民の対日政策によって中国では反日感情が高まり、同時に日本でも嫌中意識が強まっていった。

★ウィキ終了

 

日本が米国の傘から離れて独り立ちしようとすれば多くの日本人は当然の如く中立を選び中国寄りは選ばない。しかし中国からすれば日本を自分の足元にしっかりと押さえつけて太平洋の盾にしたいわけだから、言うことを聞かなければ北朝鮮の兵隊送り込むぞって話になる。実はこれが戦争の発端になり得る。21世紀の100年の計を考えれば一回や二回の戦争など大した事ではない、それで日本が中国に対して朝貢するならば。

 

実は昨日の夢の土台は村上龍の「半島を出よ」がベースにあるのだと思う。福岡を舞台にして北朝鮮秘密部隊が上陸侵略して、突然の事態に全く対応出来ない日本中央政府と現場の役人、いかに日本に危機感がないかを描き出している。

 

当時の原発には自衛隊さえ配置せずに銃を持たない警備員のみで、もし武装した敵特殊部隊兵士が来たらどうするのかと米国からその危険性は指摘されてきた事だが未だ持って日本の原発警備は銃を持っていない一般警備である。

 

米国の傘から離れても平和ボケは変わらないから北朝鮮から福岡の百道浜(ももちはま)に侵攻されて県知事から戦車の出動を要求されても「あ、自衛隊の戦車?あれはですね〜、公道を走れないのでそちらに送ることが出来ないんですよ〜、すみません、決まりなんです〜」。

 

現場では侵攻してくる敵部隊を浜辺で防ぐための塹壕を掘る事を現場の指揮官が報告すると「え、浜辺で部隊が塹壕を掘るのはダメですよ、そこは個人の土地ですから勝手に使用することできないんですよ、ましてや個人の民家を盾にして戦うなんて個人の権利を蹂躙することは民主国家としてユルセマセン!」みたいな事を言い出す。

 

中国としてはそういう日本の弱腰をよく分かっているから北朝鮮をうまく使ってけしかける事など何でもない。なにせ自国の部隊を出すわけではないから国連安保理で問題になっても「あれは日本が悪い」と言っておけば良い。

 

朝鮮戦争も金日成による侵攻が行われるその時まで一般市民はそのような事は全く知らず日常生活をしていた。そして突然の砲火に晒されて初めて自分たちが地獄と隣り合わせの平和な生活をしていた事に気づいた。

 

日本は原発で大変だと言ってるが世の中は実は危険な事ばかりでぼくらの生きてる時代ってのはたまたまこの日本の中だけが平和であったが、イスラエルを中心とした中東では1960年代から戦争が続きイランイラク戦争がありその後はイラン革命、そして国連軍のイラクへの侵攻から米軍のアフガニスタン侵攻、アフリカを見渡せば新聞記事にもならずに毎年数百万人の人々が殺されている。

 

そんな中第二次大戦以降大きな戦争に巻き込まれずにここまで来たというのはある意味大した事だが、それが同時に今の平和ボケを作った。

 

平和ボケの一番の問題は今回の原発と同じように何か起こるまでは何も考えずに学ぼうともしないが何か起こればパニックになりどうしてよいか分からず誰の意見が正しいかも分からずに振り回されて、結果的にマスコミに振り回されてしまう。

 

戦争やっても日本は軍備において勝っていても指揮系統が文民統制だから戦争の現場の事を政治家が東京で判断するという、原発という科学的事故を政治的に判断するようなおかしな話になる。

 

そこで中国が出てきて日本と北朝鮮の手打ちをしてあげれば、どちらも中国に対して頭が上がらなくなる。こうすれば日本は独立国でありながら実質的に中華帝国の傘下に収まることになる。

 

なぜこんな事を思いつくのか?それはもしぼくが中国の指導者であれば日本という科学的に進んだ国を是非とも自分の支配下に取り込みたいからその為の戦略を作る、その為に有効なのが北朝鮮による日本への攻撃だと考えるからだ。

 

ただし戦い方についてはかなり注意をせねばならない。昨日も書いたが日本は中国のような論理性を持たない国民であり、普段は大人しくてお人好しなのだがいざ本気で戦争となると戦争の目的を忘れて勝つことのみに着目して平壌に攻め入るまで止めない可能性が高いということだ。中国の指導者がこのあたり、日本の特殊性を理解してもらえば戦争もほどほどで終わると思う。

 

「独り身なら最前線に行きます。家庭があるので逃げます」というコメントを頂いた。他にもいろんなご意見を頂いた。ただいずれにしても、どのような答えを出すにせよいざ戦争が始まってからでは遅い。今、平和な時期にこそ時間をかけて考えて答えを出しておき、仮想が現実になればすぐに対応する、そういう心構えを持つことが必要だと思う。



tom_eastwind at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月03日

夢のお告げ

昨日も古い友だちと飲みに出たのだが珍しく一次会で終わらせて9時過ぎには自宅に戻った。と言うのも今日は朝から大事な会議があり頭をしっかり開店?回転?させておく必要があったからだ。


自宅に帰り「あらま、早いわね」という奥さんに「俺だって出来るんだもん」って顔でにこっと笑ってシャワーを浴びてすぐ寝たら、なんだか嫌な夢を見た。それは3〜5年を目処に北朝鮮と日本が戦争になる夢だ。


ぼくは予知能力はないけど足し算と引き算と集団心理というのは普通に分かる。まともに書けば10ページくらいのレポートになるが思い切り端折って書くと、それは現在の北東アジアが置かれている情勢から予測されることだ。


今年2012年はプーチンがロシアの大統領に返り咲きこれから豪腕を振るうのは目に見えている。彼らは南下して不凍港が欲しい。北朝鮮では金正恩が周囲の助けを得て指導者になったがまだ完全に軍を押さえていない。韓国ではイミョンパク後の大統領選がある。中国では習近平が首席となることはほぼ確定している。


つまり東北アジアの中露韓北朝鮮と日本を囲むすべての国が今年せーのどん!で指導者が変わったのだ。日本に彼らの国家で言うような指導者は存在しない、その代わり集団無責任短期交代型会議が長期間にわたって日本を支配している。


そして今年一番の役者が米国である。今年の大統領選で民主党共和党のどちらが勝つにしても米国が日本と韓国から撤退して第二国境まで下がりモンロー主義(米国単独孤立主義)が復活するのは明確であり、それは去年末の米軍の沖縄政策の大変化によって確認された。


つまり今までは対米従属主義で米国の不沈空母として中露に睨みを利かせていた日本が米国の後ろ盾を失い自立を迫られる事になった。そうなると日本で出てくる世論が「普通の大国になろう、軍備を持とう」だ。それはすでに海外派兵という形で進んでおり防衛庁は防衛省に格上げされて災害救助の自衛隊という形で国民に信頼を得る方針を取っておりそれは成功を収めている。


南進して北海道を欲しいロシアは最初は二島返還で平和的にいこうとしたがこれに対して積極的に受け入れなかった日本に対しては次は強硬策である。日本を太平洋の盾として使いたい中国。両国との貿易で国を豊かにしながらも国民と軍隊の不満を向ける先を考える金正恩。


彼はあるとき閃く。「そうだ!ロシアが北海道の不凍港を使えるようにして日本が独立国でありながら中国に朝貢するようになれば、ぼくちゃんの覚えは目出度くなるじゃん!」と考えて日本挑発を行う。


中国だって北朝鮮は自分の東北の属領くらいに考えているから米国の傘を失った日本を北朝鮮が挑発するのは今後100年の計を組むためにも役立つのであえて止めないしロシアも同様である。


そうなれば日本民族の個性として今まで米国という右側に振れまくっていた針がまずは真ん中、つまり愛国精神に一気に戻る。一旦日本に対して挑発行為が行われたら日本は理論的に計算した対応が出来ない。スピードメーターを振り切ったオートバイのようにものすごい勢いで突き進む。


ここで中国もロシアも常に誤解するのだが、日本人の一番の得意技は目的と手段をすぐ逆転させる事だ。つまり戦争とは本来自国の意志を他国に強制するための最後の手段であり、その手段でさえ結果的に他国を完璧に破壊したり国民を殲滅させてしまえば本来目的を果たせなくなるのだが、日本はそれが分からない。熱くなると目的を忘れて相手を叩き潰すまでやってしまい戦争という手段にのみ固執してしまう。


ここで思い切り端折るがこれはもう日本民族の持つどうしようもない個性としか言いようがないが、日頃は何の勉強もせずに不満は一人前にこぼして、そんな時に税金が上がったり仕事を失ったりでも政府に対してデモも打たないが他国が攻めてきたら我も我もと愛国精神満ちコさんになって武器をとって最前線で戦い後備では竹槍でB29を落とす訓練をするようになる。「高度1万メートルを飛ぶ爆撃機を竹槍で落とせるかどうか、それはキミらの愛国精神次第なのであ〜る!」


世界では国境を挟む両国の戦争は常に起こっている。最近ではタイとカンボジアがプレアビヒア寺院付近の国境紛争で軍隊が出動して発砲騒ぎになったのは新しい話だ。キプロス紛争では今だギリシアとトルコがお互いを不倶戴天の敵としている。


そんな中、戦後60年以上も平和が続いたこの北東アジアは、ある意味ではかなり高度な政治的中立が出来ていたと言える。しかしこの地域の指導者が一斉に交代して皆が自国民に対して影響力を行使したく、金正恩が自国の軍隊を抑えきれなくなった時にどうなるか?


これが日本が北朝鮮と戦争行為に及ぶ直接的理由であるがその後押しをするのが中国とロシアであり本来抑止役となる米国がいない場合、戦争が拡大する恐れがある。今までの北東アジアの均衡が崩れてそこに国内問題を北朝鮮が持ち込んで来たら何が起こるか?


ニュージーランドのような南太平洋の小島で他国が数千キロの海路を侵攻して戦っても得られるものは羊肉くらいしかないとすればまず現在の世界情勢でニュージーランドが戦争に巻き込まれることはない。


夢の中で韓国が見えなかったのは、この時点ですでに北朝鮮政策に同化しているからなのかもしれない。同化はしているが国境は今だ閉鎖している。今ここを開けてしまえば金正日がどれだけ嘘を言って国民を騙していたかが暴露されて民衆の怒りを生み出してしまう。もっと経済発展しない限り開放は出来ない。


1989年ルーマニアのチャウシェスク政権が冷戦終了後その北朝鮮を真似た独裁体制に怒った民衆によって反乱を起こされ国外逃亡寸前に逮捕投獄され妻と共に公開銃殺された事件が金一家の脳裏から今だ離れないから外国を見せるわけにはいかないのだ。


日本はまさに東北アジアで米国の「不沈空母」となり得るし逆に言えば中国の「太平洋の盾」となり得るしロシアの「不凍港」にもなる、まさに戦争銀座みたいな位置にある。北朝鮮は支配者が何もせずに国民の反乱で座して命以外に失うものがないならく外国に戦争仕掛けてひとりでも多くの道連れを選ぶだろう。


その時自立する道を選ばされた日本は愛国主義に走り北朝鮮相手に戦うのか、それはどこまで戦火が広がるのか?どうなるだろうか?ぼくらはどうすべきだろうか?夢のお告げは朝6時30分の目覚ましIphoneで一気に霧消してそこで終わり。



tom_eastwind at 09:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月02日

美人税

東京での話。雨のそぼ降る虎の門のビルを出て恵比寿のホテルに戻る時に感じた事。あは、ここから先は馬鹿話ですので興味のない方は無視して下さい。

 

東京は西高東低。ふつうこれは天気予報に使われるが、東京の場合は銀座、新橋、品川から新宿までの西側に美人が集中して東京駅から上野駅、とくに神田神保町あたりは、かなり残念(笑)な結果になっている。きついって言われても事実は事実なのだから仕方ないが、誰かその理由を御存知の方はいらっしゃらないだろうか?

 

最近聞いた話で個人的に一番ウケタのは「美人税」である。これこそ真実、人生の真実じゃんって大笑いした。美人はカフェのオープンエリアでも一番目立つ席に案内されるがよれよれのコートとくたびれた靴を履いたハゲのおっさんはカフェの奥のトイレの隣の薄暗い席にか案内されない。「あそこ空いてるじゃんか?」と聞くと慇懃丁寧に「ご予約でございます」。

 

そのくせ美人が来ると予約もしていないのに「お待ちしておりました〜」的な顔でウエイターが一番良い席に案内する。どっかの親父に買ってもらったような高級そうなコートを「お預かり」してハンガーの目立つところにかけてくれる。おっさんのコートは膝の上である。これこそ最大の差別であり夜の中の真実である。

 

障害者に手当があるようにおっさんに差別手当があるとすればその原資は当然美人に課税して資源の再配分をすべきだ〜(笑)。

 

この課税についてはいくらが適正かを算出するのは難しいので美人コンテスト選定委員会を作って美人度に応じて課税額を設定することになる。ランクを10段階くらいにしておけば面白いだろう。

 

ここで徴税のコツとなるのが、選定委員会の評価とは別にこの税金は自己申告で払えるようにするって事だ(笑)。つまり10段階の10,満点の美人は強制的に10の税金を払うのだが評価が3の美人でも自己申告で「あの、わたし、10です。税金払います」とすれば徴税に苦労はしない。

 

そしてこの税金を支払った女性は胸にちっちゃなバッジを付けることが出来る。10段階の10ならプラチナカラー、9ならゴールド、8ならシルバー、〜☺。誰もが競って納税をしてくたびれた靴のおっさんたちに資源が再配分されて新品の靴が買える。これこそ世の中の平等だ〜(☺)

 

そうすれば港区は相当に税金が集まるから神田神保町で一生懸命働くけどあまり世間の陽の当たらない人々と平等になる、こんな税金なら楽しくて払いたくなるんだけどな〜、政府もたまにはこういう楽しい税金を作ればいいのにな〜、って思ったそぼ降る雨の東京でした、ちゃんちゃん。

 



tom_eastwind at 16:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年04月01日

サマータイム終了

朝起きると空気がひんやりしてた。顔を洗う水が少しだけ冷たくなっていた。そっか〜、今日でサマータイムも終わり。日本との時差は4時間から3時間になりニュージーランドも冬の支度にかかる。この国は二季だ。春と秋がなく日本のような四季がない。夏から冬に一気に飛んで行く。

 

日曜の朝に読むメールは一種おまじないのようなものだ。出来れば日曜の朝くらいは一通目のメールは気持ち良いのが読みたい。

 

そんな気持ちで涼しい空気の中、居間のソファに座ってパソコンを開くと、何とらっきい!今朝の一通目のメールはいつもお世話になってる東京恵比寿の洋服屋さんからだった。「ご希望の手配可能です、じゃあね〜」的なメール。

 

うっれしいな、日本に住んでいる人からすれば理解不能だろうがニュージーランドで洋服を買うというのは「素人にぼったくり強盗のような真似をされる」って事だ。あり得んくらいの高い値段で買った服は、最初からよれよれで糸はほつれて一回洗濯すると色落ちしてぼろぼろになり、まさに拷問のような胸の痛みを感じる。

 

スーツをクリーニングに出すとズボンの横にアイロンを当てられた状態で戻ってくるだけで幸せ、ボタンが溶けるとか割れるとかが普通であり、彼らもそれが普通であると思ってるから(つまりクリーニングに出すなどとは贅沢な金持ちの趣味)あまり問題としない。うちの奥さんがお気に入りのコートをクリーニングに出したら翌日電話が来て「あ、ごめんね、あなたのコート、ぼろぼろになっちゃたのよ〜、どうする?」だって。

 

これは結局どの視点からモノを見るかってことだが、ビジネスマンが靴も履かずに昼飯は道端に転がって食ってるニュージーランドからすればネクタイを付けるだけで立派であり、ましてやスーツを着るなんてのはオークランドのクイーンストリートの一部だけの事であるような環境では、品質が良くて値段が安くて手入れが行き届いてサービスも満点な、そういうきちんとした洋服を着るなんてのは夢のまた夢、想像もつかない世界なのだ。

 

きちんとした洋服を買うべき立場にあるビジネスマンが想像もつかないのだから売る側であるお店では更にレベルが低く、働く店員さんも昨日までマックで仕事してて今日からアルバイトで入りましたレベルだから、服のサイズが一周り違うとか色が少し違うとか全然気にしない。

 

そんな環境に慣れるってのは北朝鮮で金ちゃんの独裁下で満足して生活をするようなもので、そこで生まれて他の生活を知らない人には我慢できるだろうが、日本の品質と価格とサービスを理解している僕らには我慢出来ない。

 

この点、これからニュージーランドに来る人には是非とも理解してもらいたいのだが、この国には素晴らしい自然はあるが日本のような高い品質と価格とサービスは存在しない。だから少なくとも服や文房具等は日本で購入して郵送する事をお勧めする。

 

もちろん最近はこの国も資本主義が導入されていくらかましな洋服屋とかクリーニング屋とかも出てきたが、世界で最高の品質を持つ日本から見ればやはりまだ「相当遅れてる」のが正直な感想だ。

 

日本企業は最近になってやっと海外に目を向けて一時的な円高を利用して海外進出している。その際に自分たちの強みが何なのかをしっかり理解してもらいたいと思う。それは製品そのものよりも品質管理だ。良い品物を最高技術の物流で移動させて正確なタイミングで消費者に届ける仕組みそのものだ。

 

金ちゃんとこにいると他国の事が理解出来ないように、日本にいると日本がどれほど素晴らしい品質管理をしている国なのか分からなくなりどんどん贅沢になる。そんな状態でニュージーランドに来ると「あれ?あれもないこれもない、どういうこっちゃ??」となる。

 

電球が3個必要な時は5個買う。2個くらいはだいたい買った時点で壊れているからだ。日本ではあり得ないレベルというが、逆に考えれば日本があり得ないほどレベルが高いのだ。

 

今日は涼しい風が吹いている。オークランドは夏でも一般家庭は冷房が不要なくらい気持ち良い風が吹くが、今日はそれがひんやりとして自然の冷房のような感じで気持ち良い。時には南極の風がそのままオークランドまで流れこんで国全体を冷蔵庫に放り込んだようになったりもする。

 

日本で買ってきたカバーCDを聞きながらせっせと仕事をする。「男が女を歌うとき」と「女が男を歌うとき」の2枚は、白組の勝ちって感じ。このCD,日本に着いてから偶然知ってすぐ通販で手配して宿泊先に送ってもらうようにしたらホテルにチェックインした翌日にきちんと丁寧に梱包されて届いてた。さすが日本!元ネタと意味は違うけど「故郷は遠きにありて思うもの」だと思った。



tom_eastwind at 13:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌