2012年09月

2012年09月30日

海外で財産を守る 家族信託という制度について

2012年度税制改正で個人の海外資産(5000万円超)の報告が法律により義務づけられるというニュースが報道されてから海外で法人を設立する人が急増してきた。

 

ニュージーランドでも同様に、最近は家族信託設立の問い合わせが増えている。なのでここで簡単に説明しておく。

 

日本には存在しない制度なので理解しづらい人が多いのだが家族信託とは元々が英国から来た制度であり英国圏諸国ではごく一般的である。

 

国によりその形式は少しづつ違っているがニュージーランドではこの制度の目的は親が子供の世代に資産を残す事と同時に家族の誰かが何かの事件で裁判で訴えられて敗訴してもその人が家族信託に入れている資産については法的強制力が届かないという点が挙げられる。

 

家族信託は位置づけで言えば株式会社のような法人と思ってもらったら良い。法人とは法的に認められた人格でありニュージーランドの法律によって人間と同様に守られている。

 

家族信託は一つの大きなツボであり家族は自分たちがそれぞれで作った資産を一つのツボに入れる事で家族全員の資産を守ることになる。ツボの中身に手を付けられるのは家族のみである。

 

じゃあこの制度を外国人である日本人がどう利用出来るのか?ここではひとつの例として事業継承を考えてみる。日本の中小企業はオーナーが自分でゼロから立ち上げたケースが多い。この場合株式は家族で持ち合ったり父親と母親が全部持ってたりする。

 

父親が存命中は問題ないが亡くなった場合は株式が相続財産として時価評価されるが、取得原価がほぼゼロの株が時価にすると数億円になる場合、子供は相続税を払う現金がないから銀行から借りるか会社をたたむという事になる。

 

しかし父親が存命中に父親が株を第三者に売却すれば会社は相続財産ではなくなる、だって他人の物ですからってことだ。けれど第三者って誰が?そんな人間に会社を支配されたくない、当然そう思う。

 

けど売却先が海外にある家族信託会社であれば?株は毎年評価額が変わるから、父親は税理士と相談しながら株価が一番低くなった時点で手持ちの株をすべて海外にある家族信託会社に売却するのだ。

 

もちろんこの時でも売却益は発生するが税率は10〜20%程度だ。相続税の場合は最高税率50%(もうすぐ55%になる)と比べるとずっと少ない。こうやって海外に持ち株会社を作り、その会社に自社を支配してもらえば実質的に家族経営が継続出来る。

 

この方法は最近ではユニクロの柳井会長がオランダで海外持ち株会社を設立したってニュースがあったがこれも同様で相続税対策である。

 

ニュージーランドの家族信託の場合、設立は税法弁護士と税理士がワンセットで作ってくれる。彼らが希望者の要望を聞き入れる資産内容を確認しながら最も良い方法を提案してくれる。設立にかかる期間は内容によるが大体半年程度だ。

 

設立後は弁護士が会社の代表としてニュージーランド側の法的な手続きを行い毎年の決算や消費税払込などの作業は税理士が行う。設立にかかる費用は約5千ドル、毎年の維持費が約3千ドル程度。

 

手続きに時間がかかるのは財産が法的に誰のものかをきちんと整理してひとりひとりから署名をもらいそれを法的に有効にするための手続きをするからで、ペーパーワークが非常に多く煩雑なためだ。

 

それでも今のうちにやっておかないと、いざとなった時にとんでもない税金を支払うことになり、結果的に会社を廃業するしかないとか銀行に借金をするって事になる。

 

海外という不確実なリスクを恐れて何もしないともっと多くの確実な目に見えるリスクを生むことになる。縁起でもない、おれの目の黒いうちはなんて言っても結果的に家族に迷惑をかけてしまうのであればそれは単なる老人がいずれ来る死を恐れるわがままにしか過ぎなくなる。

 

日本はこれからの10年で大変革が起こる。それは日本が敗戦後に預金封鎖を強行して財産を失った人ほど国家の変化の激しさを知っている。それは城山三郎の「小説日本銀行」でも語られている。日本のこれからを考える時に歴史を振り返ってみるのは大事だ、それも他人ごとではなく「自分はどうすべきか」と考える上で。


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tom_eastwind at 14:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月29日

尊厳死法制化

「尊厳死法制化」は医療格差の拡大を招きかねない―川口有美子氏インタビュー回答編

http://blogos.com/article/47441/?axis=p:0

 

ブロゴスは玉石混交だが色んなテーマについて「今現在の普通の人々の気持ち」がよく分かるので楽しく読んでいる。

 

でもって今日はこの「尊厳死」ネタ。現在進んでいる尊厳死法制化問題に対して反対する人の代表がいろいろとインタビューに答えているが、正直相当に浮世離れした、社会に出て自分で働いた事も自分の実力で稼いだことも同僚や他人に批判された事もないような立場の人の意見だなと感じた。

 

社民党のような無責任な感情論と思い込みで、現実の医療現場での苦悩とか社会資産はどこに再配分するのが最適なのかという議論を全く理解しないままに自分の主体験のみにしがみついてキャーキャー言ってるだけである。

 

自発呼吸も出来ず体中にチューブを巻きつけて家族に介護の負担をかぶせて公的医療費を使うのは奇跡的復活を狙っているのか?そうではない、誰もがチューブ外しを言い出せないからだ。

 

家族からすれば他人に批判される恐怖、医者からすれば告訴される恐怖、誰もが結局無理に介護を続けている現状を少しでも改善するために「もう大丈夫ですよ、チューブを外してもあなたを人殺しとは呼びませんよ」という法的保証を確保するものが尊厳死法制化である。

 

さらにこれは副次的作用として医療費の削減を伴うわけで、これはこれで良い作用だ。もちろん医療費を削減する目的が主体化してしまえば本末転倒であることは当然である。

 

日本国内では様々な議論が行われておりその中で多くの主張は上記サイトを読んで頂ければ良いと思うが、ぼくはニュージーランドで行われている医療の現場の話を付け加えておきたい。

 

ニュージーランドはまず予防医療という考え方が少ない。定期健診を受けるという習慣がない。それは予防治療にかかる費用が実際に病気になった場合の治療費よりも高いからだ。この点、国民皆保険制度でありながらドライに計算された部分がある。

 

定期健康診断をしてもらいたいと医者に言うと「病気になってからね」と言われて診断書を書いてくれない。診断書がないと健康診断さえ受けることが出来ない。だもんでどうしても定期健康診断をしたければ外国、例えばぼくらの場合で言えば日本に一時帰国して自費で健康診断を受けることになる。

 

ぼくが今年オークランドでMRIを受けた時は保険が適用されない自費診療ですべて自腹で1,400ドル払った。けど結果的に「あんたの脳みそはまだ大丈夫」と言われて安心したわけで、これでまた仕事が出来ると思えば安いものだ。

 

けれど政府からすればそれは「贅沢な悩み」であり美容整形や歯のホワイトニングと同様で自己負担である。

 

この国では基本的にピンピンコロリの死に方が普通である。昨日まで元気だった人が脳血栓で倒れて無意識になり数日後に亡くなる。最初の数日は人工呼吸器を付けるがこの場合無意識状態からずっと延命治療をすることは基本的にない。それは殺すという意味ではなく「この人は寿命が来て神様のもとに戻るのだ」と考えるからだ。

 

同時にただ単に魂の受け入れ場所である肉体を、すでに魂が出ていった状態で残すことが必要か?このあたりキーウィは非常にドライである。肉体は以前の形を留めていてもすでに本来のその人ではないからだ。

 

ニュージーランドでは老人が健康で生き生きとしており更にリタイアメントビレッジが発達して老人が主体となる生活が確保されている。つまり死ぬ寸前まで彼らは楽しい生活をおくることが出来るのだ。

 

翻って日本。尊厳死を認めない結果として莫大で負担不能な医療費を抱え込み家族に負担を強いることが正解なのか?自分の目先だけの感情的な気持ちよさだけを追求して社会全体を不安に陥れる構造が結果的に日本を悪くさせている。てか、社民党系ってほんとに分かってて日本を悪い方向に導こうとしているんじゃないかって思う今日この頃。



tom_eastwind at 13:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月28日

24時間マラソン

日本のテレビ番組の話ではなく、りょうまくんの通う学校で今日の夕方4時から明日の夕方4時まで24時間マラソンの話。

 

りょうまくんは長距離走のクラブにも入っており今日の授業が3時に終わって4時から長距離走倶楽部のメンバーは泊まり込みでマラソンを開始している。別にテレビで放映されるわけでもなく新聞に載るわけでもない。

 

普通に考えれば「飯はどうするの?」「いつ寝るの?」とか思うが、学校はいつもの行事の一つなので自分の持分を走った選手が帰ってきたらシャワーと簡単な食い物と寝袋程度を用意している。めんどくせー、大体塾行く時間ないじゃん、日本の学生からすればそんなに言われそうだが、それでも彼らは真夜中を突っ走る、

 

これって何か昔の軍隊みたいな感じもするが、14歳って年でこのような経験をすれば参加した皆は強い仲間意識を持つことが出来る。それは何かを成し遂げたという成功体験でもあり将来ニュージーランド社会で仕事や生活をする際にも何かと「お、お前あの時の長距離選手か、俺も参加したんだよ〜、よし、まずはいっぱい飲もうぜ!」と、それだけで無条件に信頼関係が出来る。

 

誰か一人だけが一番になるとかではなく皆が協力して一致団結して目標に向かって突き進む、これって一生の思い出になるよね。

 

ニュージーランドはボートも強い。今回の宗主国ロンドンでのオリンピックでもいくつかメダルを取った。ボートも少数の団体競技だ。そう考えるとラグビーも強い。人口400万人の小国でありながらラグビーは1800年代後半から現代まで世界のトップクラスを維持し続けている。

 

言葉はなくても信頼出来る仲間作り、それが子供の頃からの学校教育にしっかりと組み込まれており、こういうのって英国式なのかと思う。普段は一人ひとりが自分の考えで動いているが、何かあれば団結することが出来る。

 

日本は東洋の中では珍しく団体戦に強い。お互いに日本人同士で無条件に信じるという文化があるからだ。だから外国で日本人が日本人に騙されるという事がよく起こるのだがそれでも日本人は結構一枚岩になれる。

 

これは、日本国内にずっと住んでる人からすれば「いやあそうでもないぜ」というだろう。それはぼくも分かる。完璧な一枚岩ではない。けれどそれでも他国、例えば中国や韓国と比較すれば確実に分厚い一枚岩になれる。

 

日本の事って日本国内にいるとなかなか見えてこないし比較対象するものがないから客観的な秤を持つことが出来ないが、海外に出てから日本を振り向けば比較対照する国家が多いから客観的に測ることが出来る。

 

りょうまくんは翌日の夕方自宅に帰ってきたが、なかなか楽しい経験だったようだ。他人を無条件に信じて仲間として一緒にやっていける友達が増えるのは良いことだ。こういう経験を見てると、スポーツは参加することに意義がある、目先の勝ち負けに一喜一憂するのではなくというのがよく分かる。 

 



tom_eastwind at 13:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月27日

水滸伝と日本人

奥さんは最近中国の古典にはまっているようで水滸伝を読んでいたかと思うと今日は三国志演義を読んでる。

 

りょうまくんの朝ごはん作りは僕の仕事でお弁当は奥さんが作ってる。りょうまくんのお弁当(ふりかけを混ぜた俵おにぎりだったりベーグルサンドだったり)を作った奥さんは子供を送り出してから自分用にトーストを焼いてアボカドとハムなんかを一緒にして、キッチンテーブルに乗せてハイチェアに座って水滸伝を読書ラックに掛けて朝食と読書を楽しんでる。

 

日本人は識字率ほぼ100%だし読書daisukiだからあまり実感が湧かないだろうが、海外では読書とは生活に余裕のある一部知識層の趣味という面が強い。とくに中国では現在でも15歳以上で字を読めない人が5千万人以上いる。人口差があるので日本の感覚で言えば5百万人としても、福岡県民全員が文字を読めないと言えばその状況が何となくイメージ出来るのでは。

 

10年前に75歳で亡くなるまで同居していた奥さんのお母さんは自分の名前は何とか書けたが普通の本を読むことは出来ず新聞も読めず、誰かに手紙を出す時は集合住宅に必ずある代書屋に行って手紙を出してたものだ。

 

それはおばあちゃんの時代ではごく普通であり文字を書ける人々はおばあちゃんが15歳の頃には20%しかいなかった。日本が繁栄を極めていた1980年代でも中国で文字を読める人は75%、つまり10億人のうち2億5千万人が字を書けなかったのだ。今も15歳以上の中国人のうち5千万人が文字を書けない状況である。

 

文化大革命が起こった1970年代、人々は毛沢東思想に染まり知識層を狙い撃ちにして追放した結果それまでの中国を支えていた知識人や歴史や過去を知る多くの道徳ある人々は滅びて、多くの中国人は中国人でありながら自分たちの過去を忘れて前を見る(看前)のではなく金を見る(看銭)ようになり、どんな資本主義国よりも強烈なルール無しの看銭社会となった。

 

同じ頃香港では幸運というか英国植民地だった為に英語は公用語で使われ日常生活は広東語を使う二重言語と学校義務教育のおかげで子供たちは中国の文化を守りながら西洋社会で仕事をする要領を覚えた。

 

つまり黄大仙(ウォンタイシン)寺院で自分の占いをしてもらい風水でビルの建て方や方向を決めセントラルで西洋式金融を行いコーズウェイベイで西洋式貿易を行い、夜は家族で食卓を囲み中華料理を食べて自宅の祭壇に食べ物を供える、そんな二重生活を構築した。

 

文化大革命、つまり1965年ころから1975年頃までに学生だった中国の若者は紅衛兵と呼ばれて中国文化と知識人を滅ぼす仕事を国家による崇高な命令と考えて実行してきた。その彼らは現在50歳前後である。

 

そして彼らの子供たち、一人っ子政策で甘えんぼで脳みそ不足の子供は中国の文化を知らず義理も人情も道徳も知らない人間として育ってきた。

 

ところが同じ時代、日本では古くからの識字率の高さもあり中国の道徳や文化から多くのものを学んできた。四書五経、孫氏の兵法、むしろ日本の方が古代中国の正しい歴史を学んできたと言える。

 

皮肉な話ではあるが古代中国の歴史が日本人に道徳を与えそれを基礎として日本文化を混合させて武士道が出来上がり明治維新を断行して西洋と肩を並べるようになり、明治以降に中国の近代化を図る中国人(魯迅、孫文など)が日本に留学に来て古代中国文化を基礎とした日本文化を知るという事になった。

 

そして今、中国と日本が尖閣諸島を挟んで新しい時代を作ろうとしている。

 

もちろん両国にそれぞれお家事情はある。しかし常に念頭に置くべきは、日本と中国は2千年の一衣帯水の歴史を持った隣国であり、お互いに何度も攻めたり攻められたりしている関係でありながら、その文化の源泉は多くを古代中国文化に発するという点である。

 

ぼくが水滸伝を最初に読んだのは小学生の頃だ。胸がときめきまだ見ぬ中国の英雄、その武術に精神に道徳に憧れたものだ。三国志を読んだ時は戦国の戦いの規模の大きさと戦いのあり方と人はどう生きるべきか、まるで自分が地面に向かってぐっと引っ張られる気持ちになったものだ。

 

今このニュージーランドで奥さんは繁体字中国語の水滸伝や三国志を読んでいる。ぼくは日本語で読んだ。子供たち、お姉ちゃんはおそらく両方の文字で読むだろう。りょうまくんは、あは、英語版しかないかな。

 

尖閣諸島。その規模や期間、日中2千年の歴史の流れでは、まさに長江に投げ込んだ小石のようなものである。冷静に、たくさんの視点から、世界の歴史の流れの中で同じような事がなかったかをしっかり勉強してお互いの為に何が一番なのかを考えるべき良い機会だと思う。



tom_eastwind at 15:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月26日

消費税の行方

ロンブーの淳とみんなの党の江田けんじ氏の対談があった。

 

★抜粋開始

私が見るところ今の自民党は、派閥のボスがどんどん力を得ています。「国土強靭」みたいな夢をもう一度見ましょうとか、公共事業をばらまきましょうとか。どんどん新幹線を作りましょうとか。10年間で200兆円使いましょうとか……。先日消費税を5%上げて、13,5兆円に増収しますと決まりましたが、自民党の野田毅さんは国会答弁で堂々と「使い道は公共事業だ」と宣言している。「消費税の税収は全部社会保障に使いましょう」と言っていたのに、自民党の重鎮は早速「そのうち5兆円は公共事業に使わせてもらいまっせ」と。

http://blogos.com/article/47251/

★抜粋終了

 

消費税増税が元々財務省の財布を厚くするのが目的でありお金がどう使われるかは財務省のさじ加減次第というのは分かっていた事だ。国土強靱化計画が出た時も「あ、その財源が消費税増税だな」とは感じてた。

 

しかしここまで明確に国会で発言して、結局は土建屋復活で地域に箱モノや車の走らない高速道路、出口のないトンネルとかを再開するって言い切った自民党、さすがに今回の選挙で勝てると思って強気ですね。

 

ぼくは消費増税に反対ではない。皆が社会を構築して助けあう為にお金を出し合うのだから、必要なお金は皆が負担すべきだ。ニュージーランドの消費税は現在15%である。去年までは12.5%だったのを法改正で「税金を国民全員が平等に負担する」って事で15%に上げた。その代わり働くことで支払う源泉徴収(PAYE)をそれまでの平均19%から15%に下げた。

 

この意味は、国民がお金のあるなしに関係なく平等に支給額を負担しようということだ。人によっては消費税一率増税ではお金がない人には負担増になるって言うけど、はいそのとおりなんです、だから皆さん一生懸命働きましょうってことなのです。

 

ニュージーランドでは働く気があれば職場はあるし能力がなければ国家の負担で職業訓練学校にも大学にも通える。そこまで制度は整えているのにそれでも働かない人は負担してもらって当然でしょってなる。

 

ニュージーランドでは働いた事で負担する税金は源泉徴収と呼ぶほうが正解である。所得税と言うと「へえ所得税で15%は高いね〜」と思うかもしれないが、この税は老齢年金、失業保険、医療保険、学資手当、地方税などすべての税金を含んでの15%(中間所得層〜累進課税あり)だから日本と比較しても決して高くはない。

 

だいいち日本では老齢年金を積み立てても現行方式では現在30代の人が現在並の金額をもらえることはまず有り得ないのだからある意味詐欺みたいなものだ。

 

ニュージーランドが良い点は、政治家が社会的+理論的に正しい事を堂々と発言出来る点である。政治家は基本的に世襲ではないので二世議員がいないし票田などの利権もないから国民全体を見て社会がどうあるべきかを堂々と議論する。

 

その結果として国民全体が平等に負担すべき消費税の導入は良いことであり、それで失業保険もらって何十年も生活しているような人の負担が増えたって当然でしょ、だったら働けって明確に言える政治的環境がある。

 

その代わり余計なことに金を使わないし財政の使途についても70%以上が社会保障に使われており歳入と歳出の透明度が高いから国民は税金を払うことを当然と考える。そして自分たちをタックスペイヤーと意識して国家に対して常に自分の意見を述べて民主主義を守る姿勢を貫いている。

 

日本だと選挙で勝つために地元に利益誘導をして選挙に勝つために出来もしない事を言って選挙に勝つために地元民の嫌がる税負担はNO!って言う、とにかく政治がおかしくなる選挙制度と村文化によって結果的に合成の誤謬、つまり国家が誤った道を歩くことになるシステムがある。

 

ニュージーランドでは国会議員は国全体の利益を考える。自分の選挙区の利益を優先させることはない。何故ならそれが国会議員の仕事だと分かっているからだ。地元誘導などすればそれだけで立派な汚職事件である。

 

国民が嫌がる税負担でも、今やっておかないと将来に禍根を残すので今のうちにやるという論理意識が明確である。国会議員はそれで国民に嫌われても国会議員を辞めれば良いだけであり、元々政治で飯を食っている人間などがいないからまた元の仕事に戻ればよいことだと考える。

 

つまり選挙制度と政治環境がシステムとして国家を良い方向に導くように出来上がっているのだ。だから政治家はシロウトでも問題ない。技術的に難しい時はプロである官僚が専門知識を駆使して答を出してくれる。政治家の仕事は決断でありごますりで選挙に勝つことではない。

 

もちろんどんな制度もいつかは制度疲労が来る。ニュージーランドの場合は1840年から1984年まで約140年間社会主義経済であり政治制度であり成功していたが時代の変化によりその制度疲労が1970年代に一気に吹き出て国家破産を起こして1984年に市場経済に大きく舵を切り替えた。

 

だからどのような良いシステムであってもいずれは疲労を起こすと理解して制度を作っているから変化しやすいし政治家も国民も変化に対して日本のような抵抗があまりないのだ。

 

日本の場合はすでに社会制度に疲労が来ているが官僚神話が「良い制度は永遠に続く」のが前提になっているから始末に終えない。自分たちで自分の首を絞められない制度になっているからいつまでも続ける為に政治を省益誘導する。

 

だからその官僚神話を継続出来るように消費増税して増えた収入を財務省が土建屋利権として配分することで政治家を操り自分たちの官僚制度が永遠に続くように計画している。その為の消費税増税である。

 

消費税増税を通すまでは社会保障に使いますなんて言ってたけど腹の中ではそんなのちっとも考えてない。社会保障は今後削減する。

 

1・老齢年金の支給はどんどん先送りして最終的には70歳くらいにする→定年制の強制延長。

2・失業保険は金額を引き下げ支給対象を限定する→マスコミ誘導で受給者叩き

3・医療保険は自己負担を基本として無駄な医療は受けさせない→尊厳死の導入。

4・学費は当然個人負担。貧乏人の子供は貧乏なままで結構→官僚の息子が優秀な大学に行く、支配層は永遠なのだ。

 

“それでいいのだ〜♪”と天才バカボンが出てきて歌い出しそうだが、霞が関4万人官僚と世襲政治家たちは本当に自分たちを世襲制の支配者と信じておりそれ以外の1億2千万人は支配層のために奴隷のように働く下層民と位置づけているから、当初は社会保障の為に消費税増税と言いながら蓋を開けてしまえば土木予算となっても気にしない。どうせあいつらすぐ忘れるからなって事だ。

 

日本ではタックスペイヤーが国家の主人公という考え方がないから、取られる方も文句を言わないし下手に文句を言えば税務署や警察が出てきて商売潰される。

 

消費増税分は財務省が握り、権力の源泉となる金が財務省に渡る。その金は全国の国民から広く集めたものだが配分するのは青木さんちの地元島根県で車の走らない道路を作ったり森さんちに空港作ったりする利権となる。

 

森さんちや青木さんちは財務省のご進講を政府内で根回しして自分の村にお金が落ちる仕組みを作る。これで皆さん全員ハッピーである。まさに彼らにとっては「これでいいのだ〜」なのだ。

 

今日は自民党の総裁選で安倍氏が総裁に選ばれたが、自民党では結局誰がやってもシステムを壊すことは出来ない。次の衆院選挙も任期満了の来年になるかもしれない。当分はこの日本、泥沼から抜けられそうにない。



tom_eastwind at 20:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月25日

雇用環境

日本は教育が盛んであり多くの親は子供のためと思い幼稚園の頃からレールを敷いて塾に通わせ小学校から受験教育を押し付け子どもと一緒に夕食を食べる時間さえなく子供にお弁当を持たせて塾で食わせているような教育現場の状況だ。

 

けれど本当にその方法が子供を幸せにするのだろうか?と基本的な事を考えてみる。

 

結局親が期待しているものは「失敗のない人生」である。その為に生活収入を確保する。だから大企業や政府に就職するという発想になる。そのような倒産しそうにない就職先を得るために良い大学に行く。良い大学に行くために高校受験が大事って話になる。

 

けど、失敗のない人生なんてあるのか?誰も失敗して強くなる。本当に必要なのは失敗しても生き残る熱意と能力ではないだろうか?

 

ところが現実的には学校で子供たちを型に押し込み他人と同じ行動をすることを強制されて失敗する事は許されないと洗脳されて、いつも失敗する恐怖に怯えながら何故自分がこんな事してるんだろうなんて理論的に考えることもさせずに、型がすっかりハマった時は失敗に怯え生きる意味を失った若者になるだけだ。

 

そして生き残る能力と言えば通常は出来る限り多くのキャリアを積み重ねてどのような状況でも能力を生かせるようにすることだが、社会に出てしまうと日本の場合は「その会社でしか通用しないルール」のみを教えこまれて肝心の労働市場で通用するキャリアが身につかない。

 

簡単に言えば郵便局で就職が決まっても世界がメールの時代になって配達するものがなくなれば配達員の仕事はなくなる。ところがその時に決まったルートの配達だけしかキャリアを積んでなかったらそれは使い物にならない。

 

長い人生を無駄で転用不能な知識しか身に付けてないからいざ転職となった場合にまったく潰しが効かなくなる。

 

履歴書に「xx銀行で15年働いてます」と書かれていても世界の一般的な銀行での再就職は非常に難しい。何故なら銀行で働いてますと言っても労働市場で必要とされる銀行業務は何一つ身に付いてないからだ。知っていることはxx銀行の稟議書の書き方と上司のごますりと接待と、時に自転車に乗って取引先の八百屋や魚屋の親父からお金を回収するくらいだ。

 

しかし世界で要求される銀行での就職と言うのは例えばM&Aやファイナンシャルシンジケートを作る能力などであり、ほとんどの日本の銀行員が全くやったことのない技術・経験である。

 

日本の銀行は簡単に言えば財務省の下請け機関で金を集めるだけの機械にしか過ぎない。集まったお金をどう運用するかとか世界の金融機関クラスの判断は結局ほんの一握りの人々だけがやっている業務であり殆どの銀行員は何十年働いても単なる機械にしか過ぎないのだから、そんな経歴が世界で通用するはずもない。

 

もちろん世界に通用しようとか思ってません、私は日本の田舎で銀行マンとして自転車で集金してればいいんですと言っても、これからの時代はネットの発達で中途半端な事務作業が次々と失われていく。郵便配達も同様であり、この道一本で来ましたと言っても企業再編や市場の変化により自分の職場はあっという間に失われていく。その時に問われるのは個人としてどのような能力を持っているかだ。

 

絶対倒産しないのは役人だから役所に入るといっても、それはめしを食うために生き残る手段とはなるが、一日のうち3分の1を、つまり人生で一番元気な20代から60歳までの40年間の人生の3分の1を無意味な役所業務で費やすのか?人はパンのみにて生きるにあらずだと思うぼくからすれば想像もつかない。

 

出来るだけたくさんの自由を持つということはできる限りたくさんの選択肢を持つという事だ。その意味で日本で企業に就職するということは、その会社が大きければ大きいほど選択肢は少なくなり働いている部門が削減されるとか解雇されるとかしたら個人としての能力がないから再雇用されず結果的に「失敗」することになり、失敗経験を持ってないからそこで人生が挫折してしまうのだ。

 

今はシャープやソニーでさえ厳しい雇用環境であり銀行から大幅な人員削減を要求されている。5千人単位で首を切られるってなれば手に職を持った技術者しか再雇用は難しい。社内の根回しとか人事ばかりやってた人はまず生き残れない。

 

だから子供に学ばせるべきは、まずは失敗から始めてたくさんの経験を積み、自分が本当は何をやりたいかをはっきりさせて好きな道を追求することだ。安全神話など考えずに楽しく人生を満足して生きる、失敗しても笑って次に挑戦出来る熱意と能力を身につける、その為の勉学である。

 

キーウィの顔が明るく陽気なのは、何も脳みそが少ないからではない。子供の頃からのびのびと生活して自己責任で失敗しながらも楽しく勉学をして生きてきたからだ。年を取ったキーウィの人々は皆明るく満足そうな顔をしている。

 

ほんとに人は40歳過ぎたら顔に責任を持てって言われるけど、キーウィの顔を見てたら立派に自己責任とって良い顔になってる。同じオークランドに住んでる中国から移民した家族の親の顔なんてもう猜疑心だらけの顔で醜くて、これでこれからどんな老後を過ごすんだろうって思ったりする。

 

人はいつかは死ぬ。ならば安全とか守りとかばかり考えて猜疑心満タンの顔で毎日ドキドキしながら年を取ったら中国人みたいな顔になって生きてても仕方ないでしょ、などと、日本からオークランドに戻ってそろそろ頭が次のことに向き始めた時に感じたことでした。」



tom_eastwind at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月24日

オークランドの自宅で奥さんに尖閣問題を説明する。

9月4日から香港、東京、福岡、沖縄と巡り、12日間のノンストップ出張から戻って来たのが9月16日でその翌日から出社してオークランドオフィスであんまり得意でないペーパーワークや社内会議、弁護士との会議、今回お会いしたお客様との今後の進め方を整理して担当者と打ち合わせして、そんな事してる間にもう一週間経ってしまった。

 

その間にも習近平は尖閣問題で一定の妥協を見せて現実路線に戻ろうとしているが、どうもこの習近平と言う人物、まだ本音が見えない。一体どこと組んでるんだ?今は軍部と組んでるようだが以前は太子党とも共青団とも言われてたし。それとも特定の政治派閥は持たずその時のバランスで行動しているのかも。

 

考えてみれば彼は子供の頃に文化大革命で下放された経験がありその苦しさは子供心に染み付いてるに違いないからどこか特定のチームと組むのではなく一匹狼であり、彼にとっては日本の存在はその時に応じて反日になったり親日になったりするのかもしれないな。

 

彼が次期共産党主席になるってのを隣国の日本が良い悪いと評価する立場にはいないが、この一週間で奥さんと話して感じたことは、実は中国人自身もあまり習近平の事をわかってないのだなってこと。

 

オークランドに戻った2〜3日後、奥さんのお姉さんから電話があり今中国で起こっている反日デモについて「そっちは大丈夫?」みたいな内容だったらしい。そこで僕に「ねえお父さん、今中国で何やってるの?」と聞いてきた。

考えてみれば随分国際的だな、オークランドで日本人の旦那が中国人の奥さん相手に日中問題を説明するのだからと思いながら
今回のポーシーライ失脚事件から時系列でこの半年の中国の動きを説明すると「ほお、そんな事だったのね、この習近平って全然分からなかったけど、何となく人相悪いな〜って思ってたら、やっぱりそんな事だったのね、関係ない国を巻き込んでさ〜」と言いながら「いかにも中国らしい話だわね」と似が笑う。けど僕に謝る気持ちはない。

 

当然だ、彼女は生粋の中国人ではあるが共産党員ではなくましてや大陸中国人でさえない英国式教育を受けた香港人である。彼女は自分に責任のないことまで自分が直接被害を受けたわけでもない人間、つまり僕に何かお詫びをすることもない。

 

つまり責任もない人間が被害を受けたわけでもないのでここで日本風にごめんなんて言ってしまえば今週買う予定の美味しいオーガニック豚肉さえ旦那に文句言われて買えなくなる、だったら立場は明確にしようね、あたしにゃ関係ないからねって話にするのが一番だ。そうすれば中国と日本がどれほど領土で争いになっても今週の美味しいオーガニック豚肉は確保出来るのである。

 

この点が日本人の弱い点である。過去の、自分と関係のない人間の責任までかぶってゴメンナサイと言い続けて約60年、何かあれば金を渡してゴメンナサイ、性癖になっているのかって言いたくなるくらいだが、謝ってそれで済むのは日本くらいのものである。

 

中国人は基本謝らない。中国人がやった事でも自分は関係ないと言うし中国国家がやった事でもあれは政府の事、おれは関係ないと言うし、ましてや「お前も中国人なんだから謝れ」なんて言うと「お前バカか?何でおれが他人のやった事で謝るんだ?お前は国際常識があるのか?」と突っ込まれて笑われて終わりだろう。

 

なのに他人に対しては謝れという。過去の話であり現在の日本人に全く関係ないことでも国家として謝れ個人としても反省しろってなる。そして謝れば「じゃあ金よこせ」である。元々自分が言ってる事が間違っていることを知っていながら相手が謝るなら取れるところから取ってしまえという発想になる。

 

そんな人種を相手に日本人道徳を持ちだして考えようとするから「熱く」なるがそれは間違いだってのが今回の事件で理解出来た人も増えただろう。中国人と付き合うのはこっちも彼らの発想を理解する必要があるから大変なのだ。

 

それにしても中国は国際社会に認知されるためには今回のようなバカげた無法なデモが許されることではないとどうやら考え始めたようだ。デモで焼き討ちやった連中の逮捕を始めたがそろそろ習近平と胡錦濤の間で何らかの手打ちが行われたのか?

 

日中40周年記念行事をドタキャンしたけどその代わりに鳩山元首相や田中真紀子氏などを招待するとかで「段階的に」まとめに入ってるような今日だ。

 

上記のような流れを見れば結局中国にとっては日本も外交の中の「相手の一人」にすぎない。国内事情を進展させるためにとりあえず「そこにいた、叩きやすい相手」を叩いただけだ。このような時は冷静かつ毅然と対応して相手の国内事情を配慮した上で「貸しを作る」くらいの対応をするのが良い。

 

今回の尖閣諸島問題では米国の安保条約も効果があった。今後長期的に見て安保条約がいつまで続くか分からない。安保なき後は独自の軍隊を持つ必要が出てくる。安保がなくなってから軍隊の準備を進めても間に合わない。尖閣諸島問題を機に軍備強化について現実的に考える必要が出てきた。

 

それと同時に南アジア共栄圏も進めていくべきだろう。今回の事件で日本が引かなかったのは東南アジア諸国からしても喜ばしい事だ。今のうちに南アジア諸国と強い有効及び経済関係強化を進めるべきだ。その時こそ中国も「お、日本もやるな、次は注意しよう」くらいの気持ちになる。



tom_eastwind at 12:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月23日

非核三原則の意味

日本では非核三原則と言いながらその中身は実態として穴抜けであり復帰後の沖縄嘉手納基地の弾薬庫に核弾頭が置かれて佐世保や横須賀基地には核武装した米国海軍軍艦が出入りていした。

 

けどニュージーランドは白人国家でありながら米国に対して堂々と非核三原則を主張して、米国がいつもの手口で「核兵器?ノーコメント」でオークランド港に軍艦を入稿させようとした時に拒否、1980年代後半はNZと米国の国交がほぼ停止状態に陥ったがそれでも国民は政府を支持した経緯がある。

 

今回ニュージーランドを訪問していた米国のレオン・パネッタ国防長官(この人、先だっての中国訪問で尖閣諸島は日本領土であり米国は毅然と中立的に対応するって言った人です)は、新聞取材に対して「米国はニュージーランドの非核三原則の変化を期待している」と述べた。

 

この人達、まだ分かってないんだね〜、ニュージーランドは米国と共に英国圏5カ国のチームを組んでおり(英米カナダ、豪州とNZ)世界のすべての通信を傍受するエシュロンも共有しているのに、未だキーウィの原発反対自然志向を理解出来てない。

 

ニュージーランドの防衛大臣はジョナサン・コールマン、彼は僕の住むグレンフィールド地区出身の国民党国会議員でもある。今回のパネッタ訪問でも核兵器に関するキーウィの考え方に変化はなく明確に「NO」と返した。

 

パネッタ訪問の一つの目的は中国包囲網の整備である。お隣の豪州ではすでに沖縄から配備される米軍の受入基地構想にGOサインを出しておりフィリピンも同様だ。もしNZが希望するならNZへの米軍配備も出来ますよと話を持ちかけてきたのだが、NZ政府はこれも明確に「仲良くすることはよいけどそれは核を受け入れることではありませんよ」と拒否した。

 

そりゃそうだ、ニュージーランドのような地政学的に領土紛争の起こり得ない地域であえて火種となる米国基地の提供やましてや国民の一番嫌がってる核爆弾装備なんて全く必要ないわけで、そのあたりを理解出来ない米国のNZ外交担当者の知識に疑問符が付く内容だ。

 

米国はそれでも「一歩づつ進歩していこう」とニュージーランドに呼びかけているが、NZからすれば現状で何も必要ないものを有難がって押し付けられても嫌なものは嫌だ。

 

ちなみに米国CIAは世界中にスパイを送り込んでいる。米国の仲間であるイスラエルにでさえ諜報組織を送り込んでいる。米国が諜報組織を送り込んでいないのは世界で4カ国、英国、カナダ、豪州、ニュージーランドのみでありこの4カ国には送り込まないと言う米国議会の決定がある。

 

これから移住を考える人にとって原発や核兵器があるかどうかは結構大きな決定要素の一つになると思う。下記の英語記事は今回のパネッタ訪問についての記事である。英語なのでややこしいが、興味のある方は読んでもらいニュージーランドが核に対してどのような考えを、国民から政府までが共有しているかを理解する材料にしてもらえばと思う。

 

ニュージーランドヘラルドより転載。2012年9月23日付け
 

American Defence Secretary Leon Panetta has signalled the US would still like to see New Zealand alter its nuclear-free policy, despite the agreement to put the issue to one side, saying changing it would strengthen the relationship between the two countries.

 

Mr Panetta's comments follow an agreement to work around that roadblock, and a renewed commitment to co-operate more in the region, which has led the US to soften its policy on New Zealand ships.

 

Mr Panetta has left New Zealand after the first visit by a US Defence Secretary since 1982 - before New Zealand's anti-nuclear policy led to a breakdown in defence relations.

 

Mr Panetta announced the US would allow New Zealand navy vessels into American military ports for the first time since the policy was put in place, and remove restrictions on defence talks and exercises.

 

Despite describing that on TV One's Q+A programme as "a new era" in New Zealand-US defence relations, Mr Panetta made it clear the US was still hopeful New Zealand would change its nuclear-free stance.

 

He said that would be required if New Zealand was to return to an Anzus-style relationship of formal alliance with the US.

 

 

asked if that was a goal for the US, Mr Panetta said it was a step-by-step process, "but ultimately if New Zealand is prepared to make revisions for the future, that would help strengthen our relationship. We will work together to help achieve that goal".

 

Under the "one fleet" policy, the US does not declare whether its vessels have nuclear capabilities - and New Zealand's non-nuclear policy means it will not allow a visit by any military vessel without confirmation it has no nuclear arms or power system.

 

Mr Panetta said: "I get a sense we're both headed in the same direction, and that's a good thing."

 

Defence Minister Jonathan Coleman made it clear during Mr Panetta's visit that that the anti-nuclear policy would not change.

 

Mr Panetta also said the US was "more than ready" to set up a base for the Marines in New Zealand, as it had in Australia and the Philippines. However, it was up to New Zealand to decide if it wanted that.

 

Prime Minister John Key has asked for a visit by a US Coastguard vessel, but Mr Panetta first brushed off the question, saying it was a matter for the President and Secretary of State. When asked again, he said the relationship was progressing one step at a time.

 

Asked whether the US had any expectations from New Zealand to reciprocate for removing restrictions on New Zealand vessels, Mr Panetta indicated it was a reward for New Zealand's deployment to Afghanistan.

 

New Zealand had deployed troops to that troubled country, and had fought alongside the United States in wars since World War I.

 

"Every relationship that is close is one that is based on trust," he said.

 

The US began to take a softer line on the anti-nuclear law in 2007, when the Prime Minister at the time, Helen Clark, met President George Bush in Washington and was given the message that Washington had begun to accept the policy and would look for ways to work around it.

 

The thaw has reached new heights under National and Barack Obama's Administration, including a formal agreement in the Washington Declaration to co-operate on defence.

 



tom_eastwind at 17:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月22日

偽造写真

奥さんが週末パスポート用の写真を撮るためにカメラ屋さんに行った。そこにはNZ政府が作成した「指定された写真のサイズや容貌の規定」が書かれている。

 

そこでごく普通に「写真撮って下さい」と言うと、ずいぶん荒っぽい雰囲気のカメラ屋の入り口に白い布をかけてその前に立たされたと思ったら、あっという間に撮影終了。

 

「あ、今ちょっと髪の毛が額にかかりすぎてませんか?」出来上がったばかりのデジカメ画像を指さして言うと「あ、大丈夫、すぐトリミングするから」だって。

 

はあ?パスポート写真は公用書類だよ、写真のトリミングなんてやったら公文書偽造じゃんか、そう思って聞くと笑いながら中国人カメラマン「全然問題ないよ!」だって。

 

呆れてものも言えない話だが中国人は写真を撮ったらトリミングして整形して綺麗に見せるのは何の抵抗もなくごく普通の事・・・だめっしょ!公文書偽造って意味わかってんのか?

 

けど文化の違いというか一事が万事、今の中国人にとって書類は偽造するのがごく普通になっている。永住権申請でも英語テストは代理人に受験させるし運転免許証も同様、大学の卒業証明書は正真正銘のホンモンを販売している始末だ。

 

その度にNZ政府は英語テストを受験する場合は写真付き身分証明書を提出させるのだが、そうなれば今度は同姓同名で年格好の近い代役を見つけてきたりする。

 

尖閣諸島問題で日本国内で様々な議論があるが、とにかくその議論はぼくから見たら如何にも日本的って言うか、平和ボケした感情論が多い。ぼくらの隣国に住んでいる人間を僕ら日本人の道徳基準で捉えようとするから話が合わない。

 

ニュージーランドはそのあたりかなり現実的に対応するから移民書類にしても中国人が作成したものは基本的に虚偽であると心構えて対応している。技能移民部門ではポイント制度になっており140点が要求されるが、このうち職歴と学歴はポイントが高い。

 

日本人が提出する場合は大学の卒業証明や以前の会社からの紹介状があれば点数がもらえるが中国人の場合はどれだけ書類が揃っても点数をもらえない、それは偽造されていることが前提だからだ。

 

なので最近の中国人の申請は起業家部門や投資家部門で申請するケースが増えてきた。ところがここでも資金証明が問題になっている。

 

投資資金ロンダリングというか、例えばAさんが投資家で申請してビザが取得出来るとそのお金をBさんに貸してBさんが投資家ビザを申請、BさんはAさんに金利を払って投資資金を返済する。すると今度はAさんがCさんにお金を貸して、と資金ロンダリングをやるのだ。

 

これに頭にきた移民局は資金を塩漬けさせる意味で投資期間を3〜4年と設定して投資先もNZ国債などに限定してその間にお金が流出する事の無いようにした。

 

けどそれでも中国人は何でもやってしまう。今度は投資資金を長期貸付するビジネスが現れた。中国国内のお金は基本的に年間5万ドルしか海外に送金出来ない。けれど中国国内移動であれば問題ない。

 

そこで中国内に金はあるが海外に持ち出せない資産家を対象に中国内で中国元を受け取りNZNZドルを渡すビジネスが発生した。

 

その次は、資金がないけど移住したい層を対象に4年間資金を貸しつけてその担保に投資したNZ国債やAA格付け社債を押さえる方法。受取利息や手数料を合わせれば4年で毎年利回り10%程度になる。

 

こんな事ばかりやってるものだから今度は移民局、資金の出処を明確にしてそれが納税された資金であり合法的に得た利益であり確実に申請者本人の居住国からNZの銀行に送金された金であることを証明するように義務付けた。

 

資金証明の厳格化は移民局の新ルールとなり、そうなるとこれはすべての申請者に対して適用されるから当然日本人もその枠内で資金証明をする必要が出てきた。

 

日本人の場合はわざわざニュージーランドに移住しようとする人には違法に収益を得るという発想がないから資金出処証明と言ってもピンとこない。いや、普通に数十年働いたり投資をして得た利益ですよ、けど日本の税務記録は6年程度しか遡って記録が残ってないから全部を証明するのは無理ですよねとなる。

 

ところが移民局の規定では過去にさかのぼって資金の全額証明を出せとなる。この矛盾はすべて中国人が創りだした竜巻の後のゴミみたいなもので、お前らが汚いことをしなかったら俺達がこんなにトラブルになることもないのに!って頭にくる話だ。

 

この規程、真面目な日本人であればあるほど腹が立つし、お客によく文句を言われる規定である。

 

ぼくはその度にこの規定の出来た経緯を説明して法の精神は違法中国人の排除にあるが条文となった状態では日本人にも適用される、但し法の精神は移民局は理解しているので、日本人の場合は適宜にやれば大丈夫と説明するのだが、それが真面目な日本人にとっては更に火に油を注ぐようなことになり怒りを買ってしまう。

 

あ〜あ、悪いのはあなたでもキーウィでもないのに、何で一番悪い中国人がそしりを受けずにNZ移民局が文句言われるのかね〜と思う、これも日本人が真面目であり国際化の意味を理解しずらい生活を送ってきたからだというのは分かるのだが。

 

こういうのが木曜日の弁護士との会議でやり取りされる一部であり毎日の移住の現場で起こっている実態です(苦笑)。



tom_eastwind at 16:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月21日

Kazuya再び

事の始まりは一個のパンだった。「ねえお父さん、この前持って帰ったパン、あれどこで買ったの?」パン?ああ、そう言えばオークランドにお客が来た時にKazuyaにご案内して帰りにパンをもらった、あれの事だなと気づく。

 

「パンって言っても売り物じゃないよ。レストランで帰りにお土産に貰っただけでさ」というと「じゃあ連れてけ」という。つまりおみやげで持った帰ったパンが何だかとても美味しかったそうで、それを食いたいからレストランに連れてけと言う意味だ。

 

パンが美味いからレストランに連れてけってのも本末転倒な気がするがそれでも家族に対して日本人がオークランドのような田舎でこれだけきちんとしたレストランを運営しているのを知ってもらうだけで価値があるので、よっしゃという事で予約を入れた。

 

そして週末に家族で訪問する。やはり美味しい。しかし味だけではない、レストランは味、サービス、雰囲気、そのすべてがバランス良くなければいけない。そして味といっても毎回同じ味ではいずれ飽きも来る。

 

グランドメニューは変わっていないようで常に旬の食材を用意してお客様を迎えるから何度行っても飽きが来ない。始めての人はグランドメニューを楽しみ二度目の人は旬の料理を楽しめる。

 

ところがうちの家族は、とくに子供二人にはとても変わった癖があり、グランドメニューだろうが旬のメニューであろうが美味しければ親の料理でも奪って食うと言うくせだ(苦笑)。

 

今回はこれが、ぼくが注文したDiamondClam、はまぐりのような貝の酒蒸しだ。最初彼らは全然興味を示さなかった。「蛤の酒蒸し〜?何それ?食い物?」みたいな顔だったのが、料理が出てきてその薫りにびっくりして「一個頂戴」と言って食わせたら急に無口になりいきなり皿に顔を付けるようにバクバク食い始めて、ぼくが一個食い終わる頃には皿にあったすべての蛤は子供たちの胃袋へ。

 

奥さんもかろうじて一個だけ食えたのだが全員の顔がとても不満そうで「何でこれだけしかないのか?」だって(笑)。仕方ないのでもう一皿お願いすると「すみません。今日はこれで売り切れです」と残念な話。

 

いつもこうなんだよな、食べ物はたくさんあるのにバランスよく食べようなんて発想が全然なくて、とにかく美味しい一皿に集中して食べるから、残り物をお父さんとお母さんが食べることになる。親として嬉しい悲鳴であるが財布にとって決して楽しい話ではないのも事実、はは。

 

しかし今晩については幸運なことに彼らが頼んだ料理はすべて彼らがぺろっと食べてくれて親の残飯処理は不要(苦笑)。

 

この店は完璧に大人向けに作っているからちっちゃな子供を連れて行って良い店とは言えない。せっかくの雰囲気が壊れるからだしもともとメニューに子供向けがない。また一つ一つの料理がまさに手を凝らして作っているから子供が食べても何が良いのか理解不能だ。

 

とくにキーウィの子供からすれば一皿あたりの量の少なさにびっくりするだろう。全部食べ終わった後に「ところでメインコースはいつ来るの?」って感じだ。

 

そしてりょうまくんもまさにキーウィキッズなのでメインの上質なスロークックステーキが出てきた時は「ステーキの前菜?」って寂しそうな顔をしてた(笑)。けれど食べ始めるとその味の上品さと肉の柔らかさにびっくりして「お父さん、アンガスステーキとは全然違うけど美味しいね〜」と喜んでた。

 

アンガスステーキハウスとは龍馬くんの大好きな直火焼きステーキで彼の注文するTボーンステーキはしっかりと焼き目の付いた1キロステーキである。

 

けどさ龍馬くん、おいしいものってのはバカ食いするものじゃないんだよ、美味しい物はじっくりと味わって、それでお腹がすくなら家に帰ってラーメン作ってあげるよ。

 

ぼくはメインに金目鯛を注文したが素晴らしく魚の旨味のある油ののった美味しい魚が、隣に先ほどの酒蒸しのスープを使って作ったパスタと共に出てきた。娘がちらっと見て「お父さん、そのパスタちょっと頂戴」と言ってほんのちょっと渡したのが運の尽き、ぼくが食えたパスタは一口サイズになってしまった(笑)。

 

それにしてもこのパスタ、美味いな〜、蛤と酒の旨みをそのまま染み込ませて他に余計なものが何もないから純粋に美味い。こういうパスタを食べた後に具たくさんのパスタを見ると何だか下品な感じになるのは悪いと思うけど事実。

 

娘は味に妥協がないのでまずければ一切口にしない代わりに美味しければ最後の一片まで妥協せずに食う、それが誰のものであれ、ははは。今回は蛤の酒蒸しの旨みを理解して貰ったようで後日談だがその翌日彼女は魚市場でさっそく蛤を買い込んで自分で料理してた。

 

この店を訪問してぼくが一番うれしく思うのは、まさにこのような店は日本人にしか経営できない領域でありオーナーが直接料理をするお店だからこそその品質とサービスが維持されると言うことだ。

 

このようなサービスこそ日本人が一番得意とする「品質管理」である。このような店はNZに住む中国人には作れない。彼らはレストランに対する感性が根本的に違うから、どれだけ最初に立派な箱を作ろうが結果的に中国人の飯屋になってしまう。成長することはあり得ず必ずどこかでダメになる。

 

そしてキーウィのプロフェッショナルにもこのようなサービスは難しい。彼らが提供するサービスはどんなに素晴らしいレストランでも基本が自己責任であり子供の頃からの教育である失敗を認める文化であり、それは日本のような常に最高品質を提供して絶対に間違いのない文化とは根本的に異質だからだ。

 

お店の帰りにパンを一本売ってくれた。最初は「今日は数が足りないから無理かも」と言われてたが結局最後には用意してくれた。最初に難しいかもと言った上で頑張って用意する日本文化。これがキーウィなら最初に「いいよ!」って言っておいて最後に「あ、やっぱりなかったわ、また次回ね」で終わる所だろう。

 

まだ暖かいパンを抱えて奥さんの運転する車で自宅に戻る途中「さっきの店、良かったね」と家族が言ってくれる。そうだろう、日本人の一番良い部分を持ってるのだから。

 

これからもニュージーランドに移住して人生を楽しみながら仕事をしたいと思うなら、日本人の一番の特質である品質管理と完璧を追求するビジネスを考えてみてほしい。

 

 



tom_eastwind at 19:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月20日

象の形

木曜日は一日中喋り過ぎで喉が痛くなった。この日は午前と午後にそれぞれ別の弁護士事務所との会議。一つの事務所で3件くらいの案件を話すのだが、どれもこれも重厚な案件で、ほんとに脳みそが痛くなってきた。

 

6個の案件はそれぞれに内容が全く異なっており、投資家、起業家、どの案件を取ってもどういう風に相手に説明するかで全く話が異なる、まるで目の見えない人に象を説明するようなものだ。

 

こういう時は相手の理解度をこちらが理解して相手の理解出来る単語を選んでこちらが伝えたい部分だけを余計なことを省いて説明する必要がある。どこの国でもそうだが弁護士は自分が賢いと思ってるし何でも知っていると思いこめる素養がある。

 

自分が住んだ事もない東洋の島国で1億2千万人が生きて様々な生活様式を築き上げており、それは人口400万人の南太平洋の小島では思いもつかないビジネスがあるのだが、それを理解出来ないって事を認めようとしない。

 

とくにこれは男性弁護士に理解不能傾向があり女性弁護士の方が受け入れ幅が広くて柔軟に理解しようとする。洋の東西を問わず賢きものは・・・というところだろうか。

 

しかしそのような彼らを怒らせずぼくらの意思を正確に伝えていくのが仕事だから堅い話の最中にも軽い冗談を入れるのは大事だ。

 

例えば顧客の家族構成を伝える際に「えーと、この顧客男性には現在小学校に通ってる子供が二人、奥さんが一人、」とさらっと言うと白人は100人のうち90人はくすくすと笑って場が和やかになる。ちなみにここで「笑わない残りの10人はアイルランド人だね」みたいな事言うとますます笑いが進み場が和む。

 

ちょっと話はそれるが冗談と言うことで一つ。ある時送迎ビジネスで成功している地元の白人ビジネスマンが自宅を新築して僕らを招いてくれた。

 

新築で湖の見える立派な豪邸で、にこにこしながら「ここがリビングルーム、ここがダイニング」そして「こちらがマスターベッドルーム、僕の部屋だ。隣が奥さんのベッドルームだ!」と言って一人で大笑いした。僕ら招かれた日本人は笑っていいのやらかなり迷ったものだ。

 

これが文化の違いである。文化の違いを否定したり自分の文化を優秀と自慢するだけでなくお互いの文化の違いを認めてそれを笑いながら受け入れて2つの文化を理解して使い分ければ楽しく共存出来る。

 

話は戻って弁護士との会議はどんどん続く。弁護士はキーウィ白人もいれば香港系キーウィもフィリピンキーウィもいるわけで、これも相手に応じて話の切り口を使い分けるのが相手の理解度を高めるポイントになる。

 

象を説明するのにでかい足から話を始めるか長い鼻から話を始めるか、それによって相手の印象は全く変わる。ぼくにとって最も重要な会議だから力が入るし相手の目を見ながら理解度を一つ一つ確認していく作業でこと細かい点まで適切な単語を選んでいくので相当に神経を使う。

 

これは日本での説明会やその後の個人面談でも同様だ。初対面の人からどこまで相手の状況を読み取るかは目をつぶって象を触ってその全体像を理解しようとするようなものだ。これは弁護士とのやり取りと正反対の作業になる。

 

殆どの日本人は初対面の相手にありのままの話をすることはない。だから最初の話し合いで僕が一番気をつけるのは相手が何を話したかではなく相手が何を話さなかったかである。どんな人間でもある程度の共通する部分はある。

 

その、誰でも共通する部分のうち相手が言わなかった点がこちらが一番理解すべき点である。移住とは単なる引越しではなく人生の一大転機であるが一番大事なのはその人の価値観を把握してその希望する生活をできうる限り構築することである。

 

キーウィにとっては国をまたいだ引越しなどごく普通のことなので一所懸命の日本人が一所でなく二所を選ぶという重さが理解出来ない。そこをいかに説明するか、弁護士と最初の会議が非常に重要になる。かなり重くて長い一日だったけど、いずれにしても日本人5万人移住計画はまだ始まったばかりである。



tom_eastwind at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 

2012年09月19日

尖閣諸島私案 2

尖閣諸島 日本官僚

 

日本の官僚が今一番気になっているのが橋下氏率いる維新の会の増長である。明治から続く官僚支配を破壊しようとする行動は許せるものではないが自民党や民主党が票を取れない状態で維新が増長する状態は止めようがない。そこで日本国民が米国追従外交を求める状況にすれば、選挙で勝ったり負けたりする政治家は米国との歴史的外交経緯を知らないので官僚に頼るしかない。

 

今回の中国内部抗争で尖閣諸島がエサにされたが、これを逆に利用して米国の存在の大きさを日本国民が理解すれば自然と嫌中親米になる。親米になれば官僚が必要になる。そうすれば維新がどれだけ議席を取ろうと実際の歴史を知っている官僚を無視することは出来ない。そこで官僚体制の維持が可能になる。

 

このような見立てをすれば官僚としても中国が尖閣諸島で騒いでもらった方が都合が良い。現地で海上保安庁と中国の監視船が銃撃戦でもやってもらえば日本国民は「やっぱり米軍が一番頼りになるね」という事になる。

 

*国民を守る政治家として度胸と戦略

 

こうして見ていくと中国、米国、日本官僚と、尖閣諸島を先鋭化させた方が都合の良い状況がある。いずれにしても彼ら支配層が直接鉄砲を持って戦うわけではないし中国に駐在する日本人が頭にラーメンを引っ掛けられようが蹴飛ばされようが工場を焼かれようが官僚体制が困ることはない。

 

では日本の政治家はどうするのだろうか?彼らは誰のために働いているのだろうか?もちろん日本国民の為である。ならば彼らは日本国民の身体と財産を守る義務がある。具体的に何をすべきか?

 

それはこの茶番劇が中国の内紛であることを理解した上で日本人を守るために行動を起こすことだろう。それも国際社会に理解されるような行動だ。

 

まず最初に行うのは現在中国にいる日本人家族を直ちに日本に帰国させる事を国際社会に発表することだ。日本からチャーター便を手配して北京、上海、広州に飛ばしてまずは家族の安全を守ることで中国および国際社会に「中国は法治国家ではない、女子供を危険なめに遭わせる野蛮人国家である、中国進出には危険が伴う」と知らしめる事だ。

 

この時点では駐在員は避難勧告は出すが現地に留める。それが日本が冷静な行動を段階的に取っていることを示せる。駐在員まで攻撃対象になれば各企業に対してすべての駐在員を強制帰国させるように促す。

 

次に取るべき行動は日本企業に対して攻撃を行った個人を特定して中国内で告訴を行い中国政府に「こっちは黙っちゃおらんぞ」と見せることだ。中国政府が訴えを受けるかどうかは問題ではない、日本がそこまで本気であるというメッセージを伝えれば良いのだ。

 

そして世界中のメディアを日本国として招待して那覇をベースにして自由に行動させ更に尖閣諸島に保安庁の船やヘリで自由に行動させる。大事なポイントは常に国際社会に対して今日本がどのような行動を取っているかを見せることだ。

 

出口とは?

 

国境を挟んだ2つの国家に領土問題は尽きることはない。これは日中や日韓だけではなく世界中で日常的に行われている。ここで感情的に動くのではなく冷静かつ毅然として行動すべきである。

 

そう、つまり喧嘩の時は最初から落とし所を考えておくことだ。

 

日本国内からの視点ではなかなか見えないだろうが、この国境問題は世界を味方に付けたほうが勝つ。つまり相手に無理をさせて国際社会に知らしむべきだ。女子供が中国から逃げ出す、中国の船が日本の船に対して襲撃をかける、そのような無法な行動を国際社会に知らしむべきである。

 

中国が10月の大会を乗り切るまではとにかく冷静に対応することだ。誰か特定の中国高官を非難したりすることは危険だ。もしその人物が大会を無事乗り切った時、自分の足を引っ張った相手のことはこれから10年間絶対に忘れない。

 

だからと言って何もしなければ結果的に領土を取られてしまうのだから上記の段階的行動を粛々と進めるよと相手に通告することだ。

 

中国内デモは公安の指示で一旦停止したが尖閣諸島では了解侵犯が続いている。相手の作戦が何を意味しているかをよく考えてこちらの作戦を段階的に発動しつつ大会の終了を待ちそして大会が終了してこれからの10年を受け継ぐものが決定した時点で新しい指導者とゆっくりと話し合いを持って今後のエネルギー戦略の一つとして尖閣諸島付近のガス田などの共同開発などの話を進めていけば良いと思う。

 



tom_eastwind at 12:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 

2012年09月18日

尖閣諸島私案

出張中にずいぶんあちこちで尖閣諸島に関する断片情報が入ってきたが、まとめて考える時間が取れず情報はすべて脳みその尖閣フォルダーに詰めておき出張帰りの整理が終わった火曜日の晩、とっとと9時過ぎにベッドに入り目を閉じてフォルダーの中の断片ファイルを開いてそれぞれをパズルのように当てはめてみた。

 

すると様々な情報が少しづつパズルの位置にハマりだして、断片情報だけでは信用度が低かった情報もパズルの中に入れてみると整合性が出てきて、おお、なるほど、こんな構図になっているのだなと見えてきた。

 

今から書くことは一応ダブルチェックした断片情報(信用度の高いものも低いものもある)で、そこに中国の政権争いの際の行動様式、米国(英国外交含む)の基本的外交姿勢と21世紀の方向性と日本国内問題で日本官僚が取る政策、日本が置かれた状況を当てはめてみた私案である。

 

これがどこまで事実かは計画進行中の現時点では全く不明である。またぼくの脳みその中の各国の古い情報をベースにしているからかなりの部分、つまり事実ではないかと想定に至る推理は省略している。

 

なのでかなり雑であり細部には違いがあるかもしれないが、今回の反日運動の裏はこうではないかと思う私案を書いてみる。非常に長いのでポイントごとに分けています。

 

*********

魚釣島 中国

今回の事件の遠因は2011年に重慶のホテルで死亡した英国人ニール・ヘイウッドに始まる。当時重慶市市委書記だった薄熙来(ポーチーライ)は飛ぶ鳥を落す勢いでなおかつ上海派閥(経済成長派閥)であり父親の名声を受けて2012年の次期中央委員の有力候補でもあった。

 

ニールの死亡に疑問を抱いた英国政府は厳正な調査を要求し簿は自分の腹心である王立軍公安局長に調査をさせたところ、何と自分の妻が殺人を起こした事が分かり逆に調査にあたっていた公安警察調査官5名を逮捕して拷問の挙句に全員殺して、更に彼らのボスである王立軍も口封じのために狙われることになった。

 

王立軍は自分が狙われたことに気付きすぐに車で逃亡、重慶市の影響の届かない成都まで逃げてから当地の米国領事館に駆け込んで亡命を申請した。ところがその翌日、自発的に領事館から出てきて公共の場から姿を消したのだ。

 

この背景にいて米領事館内の王立軍に接触したのが上海派閥のライバルである中国軍部および次期中国主席候補の最右翼であった習近平の手先である。

 

軍部及び習近平は2012年10月に開催される党大会で上海派閥を追い出して自分たちが中央委員の席を奪おうと考えており、その為にまずは上海派閥の有力候補者であるポーシーライを妻の殺人事件の隠蔽工作と王立軍及びその部下の殺人及び殺人未遂で失脚させることを狙った。

 

この計画は成功して妻は殺人犯として有罪、妻は終身刑を言い渡され重慶のボスであったポーシーライは2012年4月10日にすべての公職から追放された。なお王立軍は9月18日の裁判で「当局の捜査に協力したので死刑や無期懲役ではなく有期刑となる可能性が出てきた」とニュースで報道された。

 

その後も上海派閥は次々とスキャンダルや降格で候補から落とされていよいよ習近平と軍部体制が勝利を得ようとしていたまさにその時、クーデターが起きた。9月04日、北京市内を車で移動中の習近平副主席に何者かが襲撃を仕掛けたのだ。同時に狙われた幹部も重傷で二人はすぐに北京にある解放軍の病院に送り込まれた。

 

習近平がこの大事な次期に9月5日に行われる予定であったクリントン長官との会議も突然キャンセルして公共の場に2週間も不在で行方不明だったのは、この期間にクーデターを仕組んだ連中が誰でその背景に誰がいて相手をやり返すためにどうするかの情報を収集して軍艦部と対応を練るためだった。

 

そして9月15日北京市内の中国農業大学のイベントに出席して今月1日以来始めて姿を表した。9月10日頃の日本のニュースを見てみると当時は中国外務省が国有化に対して抗議をする政府間レベルであり、通常の反日デモは行われていたが殆どの人はむしろ韓国との関係を気にしていた。

 

それがその数日後に急激に反日デモが過激化する。中国内の商店焼き討ちなどでそれまでのデモでは500人からせいぜい1000人程度の行動だったのが一気に1万人単位のデモに拡大した。その背景にいるのは軍部に指示された公安警察でありすべてのデモは公安警察によって組織されており、つまり今デモを仕掛けているのは実質的には軍部と習近平だ。

 

では何故彼らはここまで大型のデモを仕掛け更に尖閣諸島に1千隻の漁船を送り込むなんて情報を流したのか?それは現在の主席である胡錦濤の追い落としとその背後にいる上海閥の徹底した排除である。

 

反日行動を抑えられなければ現役の主席の責任となる。ましてや中国で日系工場が焼き討ちされ日本人死者が出るようになれば、これは完全に中国が不法国家であることを世界に告知するようなものである。

 

習近平にとって更に良いのは尖閣諸島に送り込んだ船団が日本側によって拿捕、逮捕、そして怪我をすることである。そうなれば中国は主権を守るという理由で軍隊を送り込み戦争を仕掛ける事が出来る。

 

単なる反日デモでは世界の支持は得られないが戦争となればお互いに責任があると見做される。そして地域限定戦争となれば米国が乗り出してくるからそこで手打ち、つまり中国軍が撤退という事になる。ここで中国一般大衆の怒りを胡錦濤率いる腰抜け中央政府に向ければ彼ら上海派閥は壊滅状態になる。

 

これこそ中国が得意とする陰謀と政権奪取の方法だ。

 

******************

Disputed Island   米国

 

米国政府の裏には常に外交問題評議会(CFR)と軍産複合体の暗闘がある。外交問題評議会は主に世界経済を拡大させその利益を得ることで白人の利益を拡大させるという方針を取っているから戦争よりも平和を好む。軍産複合体は白人至上主義で世界を白人覇権にしたい軍部と戦争の為の武器を売りたい軍事産業が手を組んで世界中で戦争を仕掛けたいと考えている。

 

米国政府の大統領は実質的には民衆の票ではなくこの両組織の綱の引き合いの結果として選出される。現在のオバマ大統領はCFRの方針に従い在外米軍を撤退縮小させ世界の警察の立場から降りて世界を三極化させようとしている。

 

つまり軍事予算を縮小して米中欧の主要国がそれぞれの地域の主権を取り安定した経済発展をさせてそこで貿易を拡大して最終的に金融すべてを押さえる白人(ユダヤ人含む)が利益を拡大出来れば良いと考えている。

 

軍備費が削減出来ればその予算を製造業復活に回せるし雇用を生み出すことが出来る。元々米国は物作りの国であり1920年代は自動車や工業製品で、1950年代はラジオやテレビ技術で世界を席巻してきた。

 

ところが日本の安売りラジオやテレビや車が米国製造業を根っこから崩壊させて米国経済は危機に瀕することになった。1980年代に米国は金融資本に姿を変えて金融大国として肥大化したがそれも21世紀になって金融が崩壊してしまったので製造業回帰を目指して米ドルの価値を下げて輸出競争力を取り戻し中国の工場を米国に戻すことに成功し始めた。

 

これに対して不満を抱えているのが米軍部である。自分たちの予算を削られては困るので世界のあちこちで戦争状態を引き起こし武器を売り軍部の重要性を主張している。

 

そんなところに中国での政変の情報が入ってきた。中国の指導者同士が次の政権奪取のために尖閣諸島を利用して日本相手に派手な行動を起こしている。

 

CFRとしては中国がアジアの核となって安定させてもらいたいが日本と中国があまり接近しすぎると強くなりすぎる、適度に日中に嫌悪感や領土問題を残すことで常に対立させて分断させることが米国の国益に繋がる。

 

軍部としては日本が中国に脅威を感じてくれればそれは自動的に米軍の傘の下に戻ることを意味するし米国政府が軍事予算を削減してもその分日本政府が国防予算を拡大して米国から兵器を買ってくれれば全く問題はない。金がどこから出ようが、それは金なのだ。

 

そこで米国はまず尖閣諸島については中立であると宣言した上で裏では軍部関係者が「日本と中国が尖閣付近で海戦やったら日本が勝つよ」と唆す。安保保障条約を発動するかどうかは名言せずに中国が手を出しやすい状況を作り出す。

 

そこで中国が戦争を開始して日本海上自衛隊と何度か戦った後に安保条約を発動させて米海軍を軍事地域に送り込み停戦交渉を米軍主導で行う。こうすれば日本人は米国から離れられなくなるし米軍の最新兵器を買ってくれるし何かあれば中国ではなく米国を頼りにするようになる。中国としても世話になった米国にあまり強くは出ていけない。米国は両国に対して今までのように政治を裏で操ったり軍備で脅かす必要はなくなるのだ。まさに漁夫の利である。

 

明日に続く



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2012年09月17日

フィッシャー&パイカル

この会社はNZの歴史ある大手電機メーカーだが最近のNZのドル高で輸出で苦労をしてたところに中国のハイアールが株の買い付けにやってきた。

 

これに対して早速テレビなどで政治家やコメンテーターが批判をしている。フィッシャー&パイカルと言えば日本で松下電器にあたるような古くからの伝統企業である。そのような企業を金の為に中国企業に売り渡すとは何事か!という趣旨である。

 

このニュージーランドでも中国人は嫌われている。中国企業の進出に対して市場原理社会でありながら何とか理由をつけて目に見えない壁を作り国民感情を代表して様々な形で中国企業の排除を仕掛けている。

 

最近では中国企業がニュージーランドの牧場や農場を大量に買い付けしようとして国民の反対にあい、現在もまだ買い付けに成功していない。これは政治家の反対というよりも農場経営者や一般市民の当然の感情である。

 

何故なら同時期に全く同じような牧場の買い付けがフランス企業から申請されたがこれは問題なく通っているからなのだ。

 

中国企業の問題は明確で、中国系企業は嘘をつく、商品を誤魔化す、民度が低い、自分たちだけで金を回そうとする、一旦買い付けしたらそれからは王様気取りで威張りまくって地元と馴染もうとしない、などなど多くの問題を抱えているからだ。

 

中国の経済規模からすればニュージーランドの民間企業を買い取る事は簡単であるがNZからすればまさに国難であり何としても食い止める必要がある。中国の企業が1年ほど前だかミルクのヒ素事件を起こしたが、あの会社は実はNZの大手食品企業が株主であった。事件後NZ企業は保証金を支払い株を売却して撤退した。

 

人の命に直結する食品でさえ平気で毒を売るような連中がNZに来て農産品やミルクを作ったらどんな事になるか?農業国家であるNZの評判は地に墜ちNZの農産物は輸出の5割近くを占めるが世界の信用を失ってしまい購入する国がなくなる。

 

今回は電機メーカーであるが、国民感情として「中国人にだけは売りたくない」という気持ちがあるのは当然だろう。今まで朴訥と気付き上げた信頼をたった一回の中国人の詐欺で失ってしまうのだから。

 

NZは現在は移民に対して開かれた国であるがそれは1980年代からの話であり、この国の中興の祖であるリチャード・セドン首相(在任期間1893年〜1906年)はその在任中に中国からの移民を「Yellow Peril」(黄禍)と呼んで移住禁止策を取ったほどだ。

 

実は中国からNZに来た移民の歴史は古く初期の移民は1850年代に遡る。当時世界中でブームになっていたゴールドラッシュがNZでも発生した。最初はダニーデンの郊外の川で砂金が採れた事から世界中から多くの砂金堀がやってきた。

 

そのうちの一部が清朝時代の中国人であり彼らはまさに尖閣一金、じゃなくて先獲一金を狙って家族から金を集めて船に乗ってダニーデンにやってきた。ダニーデンは1860年代には砂金堀が集まりゴールドラッシュの結果NZはで一番人口の多い街となった。当時の人口は25万人を越えた。

 

ところがそこに現れた中国人は、金を掘る博打で当てるとその金で家族を呼び寄せて砂金堀相手にもっと確実に儲かる商売を始めたのだ。それは薬局だったりレストランだったり散髪屋だったり、とにかく手先が器用な彼らは小型のしっかりした小屋を建てて砂金堀に住まわせて金を儲けた。

 

当時の白人は家を作る技術を持たずテント生活をしていたのだがそこに手頃な値段の雨漏りのしない家を提供したので商売は繁盛した。怪我をしたら薬、腹が減れば食堂、髪がぼさぼさになれば散髪屋と、とにかく中国人がダニーデンで台頭してきて経済を仕切るようになりいつの間にか安定した金持ちは中国人ばかりになりそれが白人の不満をかった。

 

もちろん自由主義社会であったから中国人が違法行為をやってるわけではない。しかし中国人は結局自分たちの事しか考えずに儲けた金で親戚を呼び寄せていつの間にか中国人社会を作り経済を牛耳り本家である白人をこき使うようになったのだから白人からすれば「ふざけんな!」である。

 

そのような状況を見たリチャード・セドンは子供心にも中国人の社会に与える影響の大きさを肌で感じていた。そこで彼が首相になってから中国人追い出しにかかりこの政策は1970年代まで続くことになる。

 

NZの中国移民は明確に2つに別れる。一つはダニーデンに1860年代に移住して完全に現地社会に根づいて医者や弁護士や会計士になった南島キーウィチャイニーズと、1980年代の経済自由化で中国人を受け入れるようになってやってきた香港人だ。だからオークランドに中国人が多くてもシドニーやバンクーバーのような古いチャイナタウンがないのは黄禍政策が原因である。

 

第二次移民である彼らは香港の中国返還後を恐れてやってきた香港人グループで当時の香港では600万人の人口のうち60万人が海外に流出した。この60万人は英語も出来る香港社会の中核層を担う40代の元気な家族であり、彼らはそれなりに英語圏の白人と付き合う要領も心得てたのでそれほど大きな問題もなく受け入れることが出来た。

 

しかしその後に大きな問題が起こった。1990年代後半に入り大陸中国で共産党幹部などをして賄賂で稼いだ大陸中国人がNZにやってくるようになったのだ。当時のNZの移民システムは性善説で穴だらけだったので大陸中国人は穴をほじくってはやってきた。

 

英語テストはすべて代筆、運転免許証も代理テスト、学歴もすべて偽造、一旦NZにやってきたらすぐに失業手当を申請して夜はカジノで遊びまわる大陸中国人は地元の人の怒りをかった。

 

バスに乗るときも列を作らず道に唾を吐きまくり他人をきにせずに大声で喋りどう見てもバカとしか見えない薄汚い顔で街を歩き英語は全く話さずに地元キーウィ社会と共存しようともせず。

 

1980年代にやってきた香港人は香港では知識層に当たるが1990年代にやってきた大陸中国人は英語も学歴も礼節もなく他人を騙して金を儲けることしかしないまさに黄禍でありこれこそ100年前にリチャードセドンが恐れていた状況だった。

 

それでも一応NZは自由な社会であり彼らが合法的に入ってくるのを認めたのは移民局であるから白人も何とか付きあおうとしたが、一旦彼らと仕事を始めてみると嘘ばかり。とにかく誤魔化して金を稼ごうとするその姿勢はキーウィとは全く一致せず問題は多発した。

 

そこで最近になってまた中国人排斥がNZでも目立つようになり、中国からの移民は実質的に殆ど不可能になった。ビジネスにしても中国人が絡む場合は極度に注意して出来るだけ共同事業はやらないようにした。まさに軒を貸して母屋を取られるのを防ぐ為の予防策である。

 

現在問題になっているフィッシャー&パイカル買収も株主が株を売るのは自由であり法的に止める事は出来ない。しかし国民としては納得出来ない話であり政府も何らかの対抗策を取らざるを得ない。

 

一応書いておくとキーウィから見ればアジアで一番高い地位にいて一番付き合いやすい人種は日本人である。街でチンピラに絡まれそうになれば「私は日本人です!」と言えば「なんだそうか、早く言えよ、帰る時は気をつけなよ」と言ってくれる、そんな冗談のような現実がある。

 

ぼくは昔暗闇でも光るJバッジを作って売ろうかと思ったくらいだ。結局やめた、何故ならすぐに中国人が買うのは目に見えてたからだ。

 

これはNZに限らずだが、基本的に中国人は嫌われている。ぼくら日本人は今まで日本で生活をしてきた態度をそのまま守っておけば世界で評価を受ける人種として受け入れてくれる。

 

今は尖閣諸島の問題で熱くなっているが、世界から見れば日本に利がある。その利を失わない為にも日本人らしくあるべきだろう。



tom_eastwind at 20:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月16日

東洋倫理概念

9月15日の沖縄発16:30のドラゴン航空で香港に向かう。沖縄に到着した最初の2日はピーカンで夏の沖縄だったが、この日は朝から台風16号が近づいてきててこれが暴風雨になりそうで、実際に大型台風になり那覇市内でも道路や住宅が水につかったりだった。

 

前日から台風情報を聞いていると、大型台風が円をまっすぐ北上させて次第に大きくなるのが分かる。9月15日の午後から暴風圏に入りますよって案内が流れて15日の航空会社の運行状況をチェックしてみると、国内線は15:00以降は全便欠航の可能性ありとか台北行きや上海行きのフライトも次々と欠航決定。

 

その中で香港行きドラゴン航空だけは何故か予定通り運行。実際には空港で土砂降りの雨の中、今では珍しくなったターミナルからバスで移動してタラップで乗り込む式のエアバスに登場。

 

けど風はますます強くなるし雨も激しくなるばかり。機内に乗り込んで予定時刻になっても動く気配なし。あ〜あ、やっぱりこれも欠航かなと思ってたら白人の機長からアナウンスがあり「預け荷物の数と実際の荷物の数が合わないからもいっかい調べなおしてます」だって。

 

素人目にはそんなんどうでもいいじゃん、とっとと飛べるうちに飛ぼうよって思うのだが航空会社のルールでそういう訳にはいかない。しかも機長、かなり怒りっぽくアナウンスしてたので、こりゃ人的ミスかなと思ってたらグランドスタッフがびしょ濡れになりながら機内に入ってきてあーでもないこーでもないと言ってる。

 

そういえばこの飛行機の乗客は三分の二以上が中国人であり山ほどの荷物をそれぞれ持ってて「お引越しですか?」と聞きたくなるくらいだった。おそらく荷物カウンターで日本人スタッフが荷物にタッグを付けてる時に誰かが何も言わずこそっと追加荷物を乗せて、それに気づかないスタッフがそのまま荷物をコンベアに乗せたのだろう。

 

それも一個や二個の雰囲気ではないので機長オオイカリ。いかにも言外に「中国人相手してるんだから、あいつら何でもありだってわかってるだろーが、甘い事するんじゃねーよ」と日本人グランドスタッフ相手にやり取りしてた。

 

それでも30分遅れで飛行機は無事に出発したのだが、日が暮れてしまえば本当に欠航の可能性おおありだった。なにせ翌日も午前中のフライトは国内線、国際線とも殆ど欠航で、台風が抜けた午後になってやっと復活したくらいの台風である、荷物の数相違ごときで欠航になったら減点ものだ。

 

飛行機がやっと飛びたってふと思い出した。そう言えば考えてみれば米国の9・11の時はまさにテロが起きた瞬間を成田空港のホテルの部屋のテレビで見ていた。それからすぐ成田に行きキャセイ航空の搭乗手続きをしていると、案内板がすごい勢いでバタバタと回り始めて次々と欠航のサイン。

 

僕が乗ったキャセイ航空が成田発最後の便となりそれ以降の便はすべての方面でキャンセルになり、まさにぎりぎりで逃げ切った感じだった。

 

日本の3・11の時は前日まで東京におり当日は名古屋で仕事を終わらせて新幹線で福岡に移動しようと名古屋駅新幹線ホームで次の新幹線を待ってた時に地震が来た。ホームが急にぐらぐらと揺れ始めたので「あれ?酔ってるか?けどお昼は酒飲んでないぞ、もしかして地震か?」と周囲を見渡したが誰もがけろっとした顔で立っている。

 

何なんださっきの揺れは?と思ってたらホームでアナウンス。「只今入りました情報によりますと北関東を中心に強い地震があり電車の運行に支障が出るようです。新幹線上りは静岡までしか行けません」何じゃそりゃ、やっぱり地震だったのかと思ってたが、その時はまさかあんな大地震だとは思わなかった。

 

今日の夜は福岡でお客様と食事なんで、遅くなるわけにはいかないんだよねと思ってたら15分程度の遅れで新幹線がやってきたが、その時にまたもホームでアナウンスが。「この新幹線がおそらく本日最後の新幹線になりそうです。これ以降の新幹線の指定席を持っている方でもこの新幹線にお乗りください」

 

そして僕が乗った新幹線が出発すると、本当にこれが最後の一本となって何とか福岡に到着。その途中に次々と地震発生に関するニュースを聞きながら、もしこれでいつもの出張のように東京にいたら大変な騒ぎになってただろうなとどきどきしたものだ。

 

閑話休題、それから無事に香港に着く頃は快適なフライトで機内食に出てきたカレーが、本当の日本式の唐揚げチキンカレーだったのには笑えたくらい余裕だった。

 

香港空港では乗り換え手続きをしてビジネスバッグをX線検査に通したら、普段は絶対鳴らないのにこの時だけもいっかいX線された。ああ、中身出さなきゃねと思ってるとかちんと来る事件発生。

 

空港係員の中国人の30代のいかにも知的レベルの低そうなおばさんが回りの連中と下らん雑談(今晩何食うかとかです、彼らは食うことだけしか考えてませんから(笑))しながらこっちのカバンを見ていきなり「HEY,OPEN!BAG!」と超薄汚い英語、その態度も横柄でこっちは頭に来たので「I KNOW!!!」と大声で怒鳴りつけて相手を睨みつけた。すると一瞬で周囲が激沈黙状態。本人も下をむいたまま黙って荷物を一つづつだすのだが、どれだけ出しても引っかかるものがない。

 

パソコンの充電器、携帯電話、書類数枚、NZドル現金が出てきたが、どれも問題なし。唯一それらしいのは10cmの長さもない金属製の耳かき。まさかこれでえハイジャックはできませんぜ。

 

結局何も出てこなかったので、おばさんは僕の見てる前で黙り込んだまま荷物を元に戻してた。こいつら何も言わなかったら「お前が荷物を戻せ」くらいの事を言っただろう。

 

とにかく中国人とまともに性善説で会話が成立すると思うのは大甘の日本人だけである。彼らは蚤の脳みそで自分が世界で一番偉いと思ってるし少しでも反撃されると発狂したように汚い言葉を投げつけて喧嘩になる。

 

だから彼らと付き合う時はどっちが立場が上か有理かをはっきり分からせる必要がある。それは理論に基づいた恫喝であり、恫喝しながら相手にどっちが悪いかを分からせるしかない。言わなくても雰囲気で相手が分かってくれるだろうなんてのは中国人には通らない。

 

ぼくの今回の場合は「係員の英語の汚さと失礼な態度は国際空港においてあるべきではない」という国際常識が味方してくれる。そこにいる外国人がこの話を聞けば100%ぼくの勝ちである。

 

こんな事書くとぼくが嫌中派かと思うかも知れないが、ぼくは嫌中でも親中でもない。ただ日本をニュージーランドのような地政学的に超平和な地域に移動出来ない以上、現実的に隣の国にいる連中と付き合うしかないのだから現実的に対応しようと言ってるだけだ。

 

現実問題としてこちらは元寇以来中国に対しては負け知らずである。日清戦争でも勝ったし日中戦争だって負けた相手は米国であり中国ではない。漢字や四書五経などの道徳は中国から学んだがそれは2千年前の中国人であり今目の前にいる礼儀知らずの文革バカではない。

 

日本は地政学的に米中露に挟まれており、何もしない平和なままでは生きていけないのだしお隣にいつも火種を抱えた中国を抱えている以上、彼らに対する基本的姿勢は明確にすべきである。

 

ぼくが6年間の香港生活で半分は現地人として香港人と付き合い半分は日系企業の日本人として香港人と付き合う中で学んだものはたくさんあるが、一番大きかったのは中国人との応対=対応=交渉である。

 

常にお互いどっちが有利か優位かを確認しながら必要であれば冷静な論理を並べて毅然と対応する。決して自分の状況以上に引いてはいけないが、だからと言って感情論になって相手のメンツを潰してしまえばこれは交渉でなくなりそこから先はお互いに殴り合いの喧嘩になる。

 

人生は長いし日中の歴史も長い。毎回勝った負けたと感情論で騒いでも長期的に得るものは少ない。外交とは交渉であり交渉とは議論と行動の掛け合わせである。あいつら嫌いと言ってそれから付き合わなくて済むならそれでも良いだろうが隣国の住人相手には出てけと言いようもない。

 

今回の尖閣諸島問題でも日本は一歩もひいてはいけない。これは日中問題ではなく台頭する中国に対して日本がどう毅然と対応するかを東アジアのすべての中国と国境を接する国が見ているのだ。利はこちらにあり、長引いたり凶暴化して犯罪を起こせば世界が「あ、やっぱり中国とは付き合えないな」と分かる。

 

中国は今までゴリ押しすれば引っ込んでた日本が今回毅然と対応するようになれば彼らも国際社会の一員としてあまりバカも出来ないなと理解する。愛国無罪とほざいてる低能中国人民は相手にする必要はない。彼らは国家を愛してる思考能力停止状態の連中だから、明日から政府が日本に拍手!と言えば喜んで拍手する連中だ。

 

今回相手にしているのは中国共産党中央委員会である。彼らに「日本が変わった、俺達も変わらなきゃ」と思わせる事が大事だ。彼らは今回の立場は弱い、その弱みに気付かれないように大声を出してるだけだ。これから国際社会に入ろうとする国が不法行為をすれば国際社会での評価が落ちるのは分かりきった事だ。

 

尖閣諸島問題では確実にこちらに利があるのだ。下手な手段に出て相手に利を与えるような事はしてはならない。



tom_eastwind at 18:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月15日

琉球料理山本彩香

以前から一度行きたいと思ってた沖縄料理の店がある。その名は「山本彩香」。やまもとあやかと読む、沖縄にしては随分と本土っぽい名前だがれっきとした琉球女性で琉球舞踊家でもある。

 

沖縄料理店は数あれど、本当に古くからの料理法で一切調味料を使わずそして美味しいとなればこの店がまっさきに上がってくる。

 

すでにご高齢でお店は現在他の方が中心に経営されているが今でも普通にお店に出てお客様に挨拶をしながら料理の説明をしてくれる。

 

今回は取引先の方お二人と訪問したのだが彼らもこの店は初めてで、「てか、何で沖縄に住んでる俺たちがニュージーランドから来る人に店を決めてもらってるんかね」と笑ってた。

 

てかこの二人も2011年の震災前後で横浜から移住してきたビジネスマンであり彼らも沖縄生活の日は浅い。横浜ではいつも一緒に飲み歩いてたメンバーなので横浜なら彼らの方が店を知っているが来たばかりの沖縄ではそういう訳にもいかない。

 

夕方お店に向かう途中、旭橋を渡って裏道に入ると何だか見覚えのある景色・・・思い出した!ここ「ジャッキーステーキハウス」じゃんか!細い通り沿いの向かい側には20数年前に良く行ってたちっちゃな飲み屋が立ち並び、おー、あの頃の猥雑さがなくなってるけど古臭さはあいも変わらずだな〜と、ちょっと懐古気分。

 

当時はパスポート無しで入国出来たと言ってもまだまだ米軍があちこち出まわっており辻や波の上と言えば当時一番の遊び場所だった。沖縄の夜は遅くから始まる。最初に食事してから飲み始めるなんてのもありで、ジャッキーでステーキ食ってから近くの飲み屋で当時高級だったジョニ黒で夜更け過ぎまで飲んでたものだ。

 

車をもう少し走らせると久米の街に入りすぐの角っこにある「山本彩香」はつい最近店の名前を「琉音(りゅうね)」と変えて営業しているがこのあたりも古くからの街である。お店はまさに街のお蕎麦屋さんのような佇まいでぱっと見ではこれが有名店か?と思う方も多いと思う。

 

だがぼくのように1980年代初頭から沖縄に行ってる身からすれば昔からの沖縄は皆ざっけなく、ソーキそばを食べるにしてもまるで民家の軒先の縁側から座敷に上がって料理を出していただくような感じだった。

 

東京のようにいつも流行を取り入れたり派手なサービスをしたりしない。料理屋と言いながら敷居が低くまるで過程の食卓に招いてもらう感覚であり、本土から来たお客は少し肩透かしを食らうかもしれない。実際ある本では沖縄には元々料理人という職種がなくそれぞれの家庭で女性が作るもので彼女らが沖縄料理の伝統を引き継いで来たといわれている。

 

だから東京のような発想でレストランを考えてもその概念が全く異なるから本土のようなサービスを期待するほうが間違いであり、まさに「他人の文化を理解しようよ」って事だ。

 

店内も外見と同じくざっけないテーブルで焼き物が床に並んでたりマーロン・ブランドの写真が壁に飾ってあったりで、これまた本土から来た人には疑問符が出てくる内装だろう。

 

テーブルは予め予約をしておいたのでゆったりと座れて(てか予約ないと飛び込みでは多分座れない)いかにも店員さんという女性の方が店の前まで出てきて「あ、車ならあそこの先の駐車場に駐めてくださいね、無料駐車券がありますからね」と教えてくれる。

 

料理は最初に豆腐ようで始まるが、こりゃ確かに凄い。こんな豆腐よう食った事ないし。何だこの味?初めて食べる食感で今までの豆腐ようと全く違うのにこれが一番美味しく感じてこれが本当に昔から伝わる味なんだなって感じさせる。

 

本当の味を知らないのに本当の味というのも理論的におかしいとは思うのだが、何だか本物を食べた時に直感的に感じる、例えば絵画や芸術は本物にはシロウトでも分かる迫力があり、創造性、本物だけが持つ力を感じるのと同じだ。

 

豆腐ようは沖縄料理で有名だが、はっきり言って東京の沖縄料理は東京風にアレンジした雑食である。珍しさをネタにしているが食材も雑だし料理法も雑で、そりゃ歯の裏をやにで真っ黒にして煙草臭い店で子供の頃から化学調味料べったりで生きてきた人からすれば「これが、何?」と思うかもしれない。

 

けれど沖縄料理は元々中国の薬膳料理から発達しており食べる事で体と命を守るという考えだから、歯の裏くろんぼさんたちからすれば、単なる薄味で訳の分からんパンチのない食い物という事になる。

 

実際に東京あたりで出される沖縄料理だと醤油でどっぷり漬けたラフティとかじゃないと満足しないだろうし何にでも島らっきょうと唐辛子を打ち込まないと味を感じないのだろう。

 

沖縄料理も今でこそ東京でもブームと言われているがぼくが通ってた頃は東京の人が来ても「美味しくもない琉球料理よりもステーキハウス」だったしお昼に食べるソーキそばにしても「何だこのぼそぼそとした薄味は〜?」と言って「だから沖縄はダメなんだよ〜」と文句ばかり言ってた。

 

話はそれるが同じく1980年代に東京から仕事で来た人と酒を飲んでから博多名物のラーメン屋に行きましょうって元祖長浜らーめんに連れてったら、その人それまで賑やかにしゃべってたのに入り口近くで急に足を止めて「く、臭い、これ、何ですか?」と言い出して結局店には入らずしまいだった。今の東京のラーメンブームを考えるたびにその人の顔を思い出す。

 

沖縄料理の食材として豚肉がある。ラフティ、足ティビチ、ミミガーなどが有名であるが、沖縄の豚肉料理は中国から発達したのだろう、とにかく料理法がたくさんありゼラチンや良質のタンパク源が体全体に広がっていく感じがする。

 

生まれて初めてミミガーを食べたのは30年前。今もはっきり覚えているが那覇の裏町の住宅街にある古くからの民家の庭から縁側に入り、風通しの良い畳の大部屋に座ったらしわくちゃのおばあちゃんがにこにこしながら出てきて何か話しかけてくる。けど全く何を話しているか分からない。

 

そのうちメニューを持ってきて「ソーキそば」とあったので多分これが麺だろうと思って注文して、ついでに「ミミガー」と書いているのがあって「これは何ですか?」と聞いて見たがやはり会話不能、仕方ないのでとりあえず頼んで見たら出てきたのが豚の耳の薄切り。これがぼくとミミガーの最初の出会いだった。

 

琉球料理は一つ一つが体に優しく日頃殆ど食事をしない僕が豆腐ようを2つも食ったのを見て相方がびっくりしていた。他にも実にたくさんの、決して豪華ではないが心のこもった素晴らしい料理でほんとにその晩は体の調子も良く泡盛と合わせて楽しめた。

 

夜はコース料理のみでお一人様7千円+飲み物。クレジットカードは使えないのでご注意。はっきり言って好き嫌いの別れる料理だ。タバコを吸って化学調味料大好きの人には合わないだろう。煙草の煙と調味料が好きな人ならば沖縄の郷土居酒屋に行くと良いだろう、まさに望みのものが食える。



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2012年09月14日

沖縄 燃えるサンゴ礁

「あ、このIphone,NTTさ〜、どうして?」ぼくの携帯電話を見てた沖縄の子がびっくりしたような顔をしていた。そう、ぼくのIphoneケータイは日本でスイッチを入れるとNTT-DOKOMOの電波を受信したりする。

 

「したりする」という意味は、ぼくの契約している電話会社はニュージーランドのVodafoneVodafoneは日本ではNTT、ソフトバンクなどと複数提携をしており、スイッチを入れた時に一番繋がりのよい電波を拾うようになる。

 

だもんでケータイの画面を観てると左上にNTTDOKOMOの表示が出るわけだが、日本ではそれは珍しいって話になる。

 

沖縄到着の翌日はピーカンで今回は久々に昼間に時間が取れたので首里城見学。ここ、ぼくが20歳代の頃はほぼ毎月のように訪れていた場所だ。1970年代のこのあたりはちょっと森の方に行くと防空壕が残ってたりした。南部の戦跡では防空壕に使われた鍾乳洞で普通に人骨があった。

 

今は首里城も完璧に復元されて中国文化と日本文化と沖縄独特の文化の混合を感じることが出来る。首里城では中国からの使者を迎える建物は中国風であり、しかし内部にはあちこちに畳部屋があり、お城の城壁の横には沖縄独特の亀甲墓があったりと、猛暑の中で汗をかきながらでも見る価値あった。

 

沖縄戦は日本本土の人にとって本来恥ずかしい話である。薩摩時代に侵略支配しておき明治時代には日本に併合しておきながらその扱いはB級県民であり、強制的に日本語を勉強させて名前も本土風の発音にさせたりしても本土に来れば「お前ら沖縄人は〜」と偉そうに話す。

 

ところがいざ戦争となると日本大本営居は本土が少しでも長く生き残るために沖縄とその人々を捨石に使い沖縄に送り込まれた日本兵と共に玉砕してその土地は殆どすべて焦土と化した。

 

戦後は米国支配が続き当時の沖縄は日本領土でありながら旅券がないと渡航出来なかった。沖縄に基地を作り本土と切り離して統治する米国の政策に反対して沖縄住民は「日本返還!」を強く主張してデモが繰り返された。

 

ところがいざ本土復帰をしても結局基地は残り嘉手納基地に核爆弾は残り本土からやってくる日本人は沖縄をだしにして儲けばかり考えていた。例えば海洋博などは経産省が進めた沖縄振興策と言いながら工事の殆どは本土企業が行い海洋博終了後の本部地方はまるで廃墟のような掘っ建て小屋が取り壊しもされずに林立していた。

 

結果的に沖縄は日本政府からの補助金漬け状態になり失業率が日本で一番高い県になり産業が育たず観光旅行で来るお客が落す旅行費用が唯一の収入となった。

 

補助金漬けならいいじゃないかと思うかもしれないが補助金漬けとは自立出来ない廃人政策である。古くは米国で先住民インディアンを居留区に追い込み酒ばかり飲んで暮らす生活を強いた。補助金さえも実際には本土の懐に戻るように防衛庁(現防衛省)が画策して基地利権を作った。

 

そういう状況の中で沖縄の人々は日本政府と交渉しながら自立出来るように経済発展を行い現在の沖縄が出来上がった。

 

沖縄には現在多くの中国人団体客が訪れている。上海、台北、香港にも直行便が飛んでおり観光客が国際通りで買い物をしたりして賑やかだ。夜になると民謡居酒屋では人々が沖縄料理をつまみながら踊りを楽しんでいる。

 

今でも失業率は高いがそれでも人々の顔は明るい。家族は一つの財布で生活をして仲間同士の助けあいのきずなは相互互助組織である「もあい」があり、仕事をするにしても日常生活の中でも助け合い、とくに身内の不幸や葬式などの際に活用される。つまり沖縄は誰もが安心して生きていける仕組みがあるから本土のような「金があっても不安な生活」が存在しない。

 

沖縄の離婚率は全国第一位。失業率も全国第一。ところがぼくが訪れていた1980年代の人口は100万人ちょっとだったが現在約140万人。普通離婚率や失業率が高ければ不安定な社会になるはずだが沖縄では全体の助け合いがあるから日本でも珍しく人口増加している県だというのが分かる。

 

沖縄の歴史は古く、日本の鎌倉時代あたりにはすでに沖縄各地に王国が出来上がっていた。その後も琉球王朝が貿易文化を発展させて中国と日本の間の取引が盛んであった。沖縄は日本でもトップクラスで昆布の消費量が多い。ところが昆布は沖縄で取れない。

 

実は北海道で採れた昆布が日本海を貿易船で渡り沖縄に届けていたのだ。それ以外にも日本海を利用してたくさんの物品が北はロシア、樺太、北海道から始まり十三湊、新潟、福井、博多、沖縄、福州、そして上海から北京と送られていた。

 

沖縄では最近次々と特区申請が行われており、アジアのハブ拠点としても見直されている。日本国内でありながら柔軟にルールを適用して活発にビジネスが広がっている。那覇を中心に円を広げていけばこの王国が東京からいかに遠いかがよく分かる。

 

いつも思うことだが、沖縄がもし独立宣言をしたらどうなるだろう?琉球民族として単一の価値観を持ちウチナンチュとしてまとまりがあり、長い間の中国との朝貢政治を経験して日本統治も経験して米国統治も経験しており、その意味では外交交渉も上手である。

 

日本及び米国と安全保障条約を結び外交は独自路線、経済を自由化していけば、今の日本の窮屈さに嫌気がさしている日本人本土起業家も沖縄に集まるだろう。

 

炎天下の中、守礼の門をくぐり首里城を見学しながら、ついついそんな事を考えてしまった。



tom_eastwind at 12:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月13日

機内にて 厳しくなる保安

「あなたの冗談を私はまじで受け取りますよ」“I’ll take your joke seriously

 

オークランド空港の荷物預けをする場所などにシールが貼られている。最近の安全運行に関する管理規定は実際に冗談で通じなくなっている。

 

これはキーウィがジョークdaisukiだとかオージーのジョークがあまりにブラックすぎるってのもあるが、基本的に世界的な風潮である。

 

たしかにキーウィは空港の超過荷物預けで「中に何が入ってるの?」と質問されるとにこっと笑って「羊!」とか言ってる。これがオージーだとにこっともせずに「サダム・フセインの遺品」とか全然笑えないブラックジョークを放つ。

 

これも1990年代ならばジョークで済んだ話であるが、国際テロが頻発して世界がきな臭くなり、それに更にネットで爆破予告が出てくるようになると昔のように「ジョークでした〜わっはっは」では通用しない。最近でも国際線航空機の爆破予告をネットで書き込み飛行機が緊急で戻ってきて書き込み者が逮捕されたりしてる。

 

ぼくは仕事柄いつも飛行機に乗っているが今回オークランドから香港に向かう飛行機の中でも冷っとしたことがある。それは機内で出されたお酒。

 

基本的にぼくは人の言うことを真に受ける癖がある。だもんで飛行機に乗り込んだ時にいつものようにCA(キャビンアテンダント、つまりスチュワーデス)が「どうぞご自由に」と飲み物を勧めてくれる。そこでぼくはウイスキーの水割りを注文する。

 

最初の一杯はにこにこ、食事中の一杯もニコニコだが、食後もグラスを手放さずにお酒を注文していると、最初はだんだん苦い顔だったのがそのうちCAの女親分が出てきて「あんたさ、いい加減にしてよね、もうボトル半分飲んでるよ」というものだから「おお、まだそれくらいか、早く飲まなきゃね」と笑って言うと女親分本気で怒りだして「あんたちょっとこっち来なさい」とCA用座席に呼び出しを喰らってしまった。

 

ぼくも苦笑いしながら「けどさ、飲んでいいって言ったのはそっちだよね、それに人によってお酒の消費量は違うわけで、ぼくはボトル半分ならまず酔わないから例え機内と言えど問題ないのは今までの経験で知っている。ぼくはすでに何度も実証済の酒量以内にしており、初めて会ったあなたに理解出来ないのはわかるが、それはあなたが知ってる世界が狭いのが問題であり僕の問題ではないよね」と返した。

 

それからも何度かこのようなしょうもない言い争いを続けたのだがこっちは終始笑顔、本気で怒るようなこともない、長時間のフライトで時間つぶしにちょうど良い「英語で議論の他流試合」くらいの感覚で相手にしてた。要するに相手を言い負かす議論ではなく長期化させることにポイントを置いた戦略である。

 

すると彼女、からかわれてるのに気づいたのかよほど腹がたってしまったのだろう、遂にチーフパイロットを呼び出して来て「ねえ、この乗客を怒ってよ!」みたいな、まるで子供の喧嘩に親を呼び出すような話になった。

 

国際線航空機の中では機長に最高権限が与えられておりその判断は強制力があり必要があれば到着空港で警察を呼ぶことが出来る。まさに「冗談では済まない」話になる。

 

ガタイの良い白人パイロット、ぼくの顔を見るなりいきなり「おいおい、ここはバーじゃないんだ、いい加減にせんかい!」と言ってきた。言葉は少しきつかったが顔はけっこう笑っており、CAの親分の見えないところでは僕に向かって喉を人差し指でカットする仕草で、どうやらこのCAの女親分、随分うるさ型なのだろうな、キャプテンの「世の中で一番始末に終えないのは女さ」って態度には思わずこちらまで笑ってしまった。

 

けどそうは言ってもこちらはパイロットを立てなければまさに「あなたの冗談を私はまじで受け取りますよ」って話になる。だもんで僕も「はいはい、もう飲みませんよ、コーシー頂戴な〜」ってところで席に戻った。

 

飛行機一つをとっても冗談の通じない世界になったと言うべきか、いつの時代もウルサイのはこーいう人種というべきか、残りの飛行時間はコーヒーを飲んで過ごすことになった。よいこの皆さんは飛行機の中で喧嘩を売る際は勝ち目のある時に限定しましょう(苦笑)。



tom_eastwind at 17:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月12日

公案

 

仏教の禅宗に「公案」というのがある。有名なところでは「隻手音声」と言って、これは「両手を打ち合わせれば音がするがでは片手ではどんな音がするか?」と問うものである。常識で考えれば片手で音などするわけがないが禅の修行として修行者を常識から解き放つ目的がある。By島田裕巳

 

この考え方は移住を検討する際にも利用される。というのが移住は出発までの様々な条件があり現地では日本の常識が通用せず、一体どこからどうやって取り組めばよいか皆目検討がつかないからだ。

 

ぼくらの仕事の一番のキーポイントとなるのもそこで、お客様の置かれた状況を様々な角度(日本側から、NZ側から、また両国の法的問題点、NZ移民局の視点、、移住後の経済生活をどう成立させるか、小学校、将来の大学進学、日常生活の問題点、本人たちの希望する生活の質などなど)から検討してはプランを作るのだが、だいたいの場合は途中まで作ったプランが上記問題点から見てダメなのでまた元に戻してゼロから組み立て直す、まるでルービックキューブの繰り返しのような作業を行う。

 

このような作業を行う中で会員向けに一人ひとりの状況に合致した移住工程表を時間軸と作業軸を使って提案していくのだが、この時はいくつもの選択肢を用意しておく。この点は妥協できますか?これは希望に対して満額回答した場合は高くつきますよ、方向性を全く反対側から見て計画を作る方法もありますよ等など。

 

この作業時に一番問題となるのが「常識を捨てる」という事だ。常識とか憶測とか思い込みは人間の選択肢の可能性を非常に狭めることになる。こんな事聞いていいのか?とかどうせダメだろうなんて「常識」とか絶対失敗しないように「安全策を」なんて条件をまともに追求していけば移住など到底不可能である。

 

社内の移住チームでは毎朝の打ち合わせで昨日に届いた問い合わせを皆で検討してまずは担当者を決める。そして担当者と大体の方向性を決めてから担当者がメールを送り返すのだが、送られて来た短い問い合わせメールから何を読み取るか?また無料診断で送られてきたデータから何を読み取りどこを膨らませてどこを削っていくかも大事な作業だ。

 

この時は無料診断書に書かれた内容について皆がそれぞれに印象や意見を述べて集約していくのだが、大体において一番突拍子もない事を言うのは僕である。それは何も社長だから言いたい事を言うってのではなく、ぼくが誰よりも突拍子もないことを思いつくからだ。

例えばある時など、お客様がペットを送ることになったのだが、ペットの場合は航空貨物として送るようになるが輸送のための飛行機代が高い。担当者が「この輸送費用、どうにかならないですかね〜」とつぶやくと、ぼくは「だったらバラバラにして送ればどうだろう?最初は足一本だけとかさ」。

 

周囲は一気に無言でドン引き、背中に冷たい汗が流れるような雰囲気になる。あらま、またやっちゃったって感じだが、その時の議論のポイントが輸送費用であれば輸送費用を低減するための選択肢は出来るだけ多いほうが良い、ならば「バラ積み」という発想もあるのだ。

 

もちろんその上位にある「生き物をばらして送ったら死ぬよ」って命題はあるのだが、そんな上位の命題が先に出てくるようでは何も新しい事は思いつかない。

 

一つ一つの問題を、まずその部分的解決方法を見つけてそれを組み立てて総合的に問題がないかを検証して全体解決手段を見出すのだがこのペットの場合は部分解決が出来ても総合的に「生きてるペットと暮らしたい」という解決策にはならないので結果的に却下となる。

 

ただし自分の頭をできる限り柔軟にするって意味では公案のような考え方を持つ必要があるのが事実だ。

 

世間で言われる頭の良い人ってのは部分的解決をすべき時点で全体解決の要件を適用しようとするから最初の時点で答が限定されており全体を常識に従ってうまくまとめようとするからいつまで経っても答えが出ないという事になる。

 

その点ぼくのようなバカは頭の良い人のような常識がないから目前の問題を解決することに集中出来る。その結果として普通の頭の良い人が思いもしないような結論を導き出すことになる。

 

とかく頭の良い人は常識で判断するからかえって常識の壁に阻まれてしまう。人生という移ろい易いものでさえ学校の試験対策のような方法を取るからうまくいかない。移住の工程表作りもまさにそうで、頭の良い人に限って全体と細部のバランスがうまく取れずに前進出来ない。

 

公案もまさに常識を離れたところで徹底的に考え抜く作業であるが、ぼくは今までなぜこんなに普通の人では思いもつかない発想をするのかなと自分でも疑問に思ってたが、先日のように自分の祖先が禅宗臨済宗のお坊さんであった事を考えればこりゃDNAなのかなと思った。

 

とにかく移住のプラン作りはいかに自由な発想を持つか、いかにたくさんの視点から見る事が出来るか、いかに今の自分の状況を把握するかが大事である。その意味で移住を戦争として捉えて「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と考えればプランは作りやすくなる。

 

移住の相談を受ける時にぼくが公案のようなアイデアを出すのだが、これに対して一番理解力が高いのがIT系技術者であり理解力が低くなるのは公務員、邦銀系である。

 

公案はいきなり最初から出来るものではなく常日頃からの訓練が欠かせない。片手では音がするわけがないと最初から否定するのではなく、何故相手がそのような質問をするのか、その質問の趣旨を読み取り考えてみれば答は必ず出てくる。

 

公案事例:

1・白馬とはどのようなものか?美味しいウイスキーである。

2・愛読者とは何か?読者を愛する作家である。

3・愛国者とは何か?国家に操られて喜んでる思考停止型のバカである。



tom_eastwind at 13:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月11日

ルーツ

東京での説明会と個人面談終了翌日からロードショーで福岡と沖縄を回る。移動の繰り返しでなかなかブログ更新出来ずと言い訳。

 

福岡ではお客様に地元の寿司屋さんにご招待頂き楽しい時間を過ごす。その時のネタは仏教。お客様は仏教に精通しておられ楽しい話を聞くことが出来た。

 

ぼくはすでに国籍は日本ではないがいわゆる菩提寺は禅宗のお寺である。

 

自分自身が興味がないままで菩提寺も数十年行ってないのだが、たまたま島田裕巳の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」を通読した後だったのでいろいろと検索してみたら、結構家系のルーツが発見できて興味深かった。

 

それによるとぼくの家系には古いお寺が2つあり南北朝の頃から続く歴史があるようだ。でもって直接の血縁でいくと出身は尾張地方で武士の系列、そこから関ヶ原の戦いの後に所領を得て現在の土地に一族で移住。

 

でもって江戸時代はどこにも城に繋がるお寺があり武士の系列だったので仏教の宗派の中でも自然と禅寺になった。爾来ずっとお寺の僧を続けており先祖のお墓も寺にある。

 

そっか、ぼくの先祖も今から400年昔に移住体験してたんだな、何となく感慨がわく。今のような飛行機もインターネットもなかった時代に瀬戸内海を渡ってやってきたってんだから大したものだ。じぶんがこんな仕事をやっているのも祖先の血のせいかと思ったり。

 

ぼくは両手の肘から5cm程度手首の方に向かったところに薄い横線がある。小学校の頃に「そこに線があるのが南方民族だ」って言われてた。つまり縄文人ですな。確かに先祖は瀬戸内水軍もあり九州なのでそれも繋がる。

 

ほんの偶然だけど島田裕巳の本に刺激されてちょっと調べてみただけでこれだけの事がわかり、いやー、インターネットの威力は凄まじいなと改めて感心する。てかその結果として過去の一族大移住のことも分かり、オークランドに戻ったらもうちょっと本格的に調べてみようかなと検討中。

 

うちのお客様は日本全体で見ると、東京神奈川に次いで福岡が多い。地理的に見ても福岡から上海に行くほうが東京に行くより近いわけで、大陸との交易は2千年以上続いてるわけで、地域性としても移住に抵抗のない人々なのだろう。

 

今ぼくがニュージーランドで創りあげようとしているバーチャル日本人社会もまだ始まったばかりだが、これが50年先に「ニュージーランドに住む日系人社会」のような形になるのだろう。日本人は基本的に現地社会に入ると現地に染まる傾向がある。郷に入っては郷に従え精神だろう、中国や韓国人との決定的な違いを感じる。

 

ただし集団で移住する場合はブラジルやハワイなど比較的に日系人社会が継続されるケースが多い。今回のニュージーランド移住も10年単位で見れば集団移住の傾向がある。

 

これから50年後にニュージーランドで生まれ育った日系人がある日ふと自分の過去を振り返ってみて「そっか〜、うちのじいさんの時代の日本ってこうだったのか〜、でもってこんな理由で家族で移住したんだな〜。それにしても今のような時空移動装置もユビキタスもなく現地情報だって文字と写真でしか知ることの出来なかった時代に、よくやったよね〜」と思うのだろう。

 

いつの時代も移住は大変な出来事である。時代の変化に応じて科学技術は発達しても人間の精神だけは積み重ねる発達というものがない。びびっては進めず、かと言って何もしなければ時代に取り残されてしまう。

 

九州博多には鎌倉時代に禅宗の栄西が開いた聖福寺がある。栄西にしても中国と日本を往復しつつ禅宗を日本に輸入した人物で自分の信じるものに情熱をかけた旅人である。千年前も今の時代もこれから先100年後の時代も人は生き続けて悩むだろう、その時に「何事も先達のあらまほしき事なり」とは徒然草の兼好法師の言葉だが「まだ見ぬ世の人と語る」ことで人生の指針となるものは人間が作り上げた過去の歴史であると気づくことが出来る。



tom_eastwind at 19:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月09日

等価交換

昨日は土地の等価交換について書いたが「それで何が出来るの?」と聞かれた。そうだ、肝心なことを書き忘れてた。

 

実はこれ、都内に土地や建物を持つ人にとって「財産の海外転出」相続対策の一つになるのだ。

 

海外の土地との等価交換が法的には可能であるとは先日書いた通りだが、具体的には相続税や贈与税のない国、例えばニュージーランドで自分の不動産と同額の物件を探す。

 

次にその物件と自分の物件を等価交換する。これで自分が所有する土地と建物は相手の所有になった。そして相手と賃貸契約を提携することで自分は今の土地にずっと住むことが出来る。

 

さてここで自分は日本国内の不動産をなくして新たに同額の資産をニュージーランドに持つ事になる。つまりこれで自分の不動産資産を海外に転出することに成功したわけだ。

 

次に行うのは自分が海外に新たに持つ不動産を日本国籍を持たず日本に在住していない第三者に贈与すること。

 

現在の相続税法では海外にある資産を日本国籍を持たず日本に居住していない人または組織に贈与した場合は、海外資産については非課税である。

 

1・海外にある物件と国内の自己所有物件の等価交換する。

2・新しい所有者と自分の間の借地契約を行う。

3・海外に得た物件を第三者(家族信託会社)に贈与を行う。

 

そうなると誰しも疑問に思うのが「そんな等価交換を引き受ける人がいるのか?」だろう。実は上記はこのスキームのキーポイントを法的に整理しただけであり実行にあたってはたくさんの手続きを時間を十分にかけて合法的に行う必要がある。

 

等価交換を引き受ける人探し、後日問題とならないように日本国内で税理士や税務署との事前打ち合わせ、現地の法律で確実に自分の海外資産の所有権を確認、現地で設立する家族信託会社の法的問題点の解決、等などやることはたくさんある。

 

なので実際には最初にまず税理士に相談して等価交換の条件を確認して受け皿となる国で不動産を探しながら家族信託会社を設立する必要がある。そしてこの会社がまず不動産を取得することになる。

 

しかしこのような手続きを行わずに、つまり相続対策をせずに相続が発生した場合は、これより更に面倒な手続きが必要になり結果的に親が残した不動産を失いさらに税金を収める必要が出てくる。そして最も面倒なのが事前対策をせずに事後相談で処理する場合、ほとんどのケースにおいて争族=相続をめぐる家族内の争いが起こるという事だ。

 

等価交換はどこまで実用可能かは人によって全く異なるし現実的にそれぞれのケースに当てはめてみないとどれほどの効果が出るかは分からない。人によっては意味のない案件になるだろう。けど何にしてもまずは「出来るか出来ないか」ではなく「どうやれば出来るか?」と発想を転換する機会でもあるだろう。



tom_eastwind at 19:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月08日

9月の説明会および東京個人面談終了

今回の説明会も満席でその後の個人面談もおかげさまで満席。やはり客足は非常に早くなっているのを感じる。以前なら説明会に参加してから「さてどうしようか?」となってたが最近はすっかり「行く事にしていますのでどうすれば良いですか?」である。

 

説明会参加者でも半数は「一度もニュージーランドに行ったことがない」のだが、移住説明会を始めた約8年前から見れば隔世の感がある。

 

説明会や個人面談での質問事項は様々であるが、全員に共通しているのは良い意味でも悪い意味でも情報不足である。だからこそ説明会や個人面談の意義があるのだが、ある意味あり過ぎ。

 

まだニュージーランドに来たことがない人は自分なりに情報収集して「これはこうなってるんでしょ、だから僕の場合はこうなりますよね」と言われるのだが、ぼくから見れば「ちゃいまんねん」だ。

 

あるケースでは自分の持つ職歴と資格を利用して現地で採用してもらえる考えが出てきた。日本側の状況だけ見ればそれは正解である。

 

しかしその職種は現在のニュージーランドでは供給過多となっておりポジション自体は非常に少なく「美味しい」仕事はすべて現地人に押さえられており今更外国人が英語のネイティブでもない状態で雇用されることは非常に難しい。

 

また運良く雇用が見つかったとしてもライバルはたくさんいるので入社してから給料が上る可能性は非常に低く将来的にも賃上げは期待出来ない。つまり永住権を取得出来ても肝心の生活の向上は出来ないのだ。

 

それならばむしろ最初から独立して自分が得意とする「日本語による顧客への説明」を売りとしてビジネスを展開すべきである。これなら自分で頑張った分だけ稼げる。もちろんニュージーランドのようなちっちゃな国では顧客数も少なく大儲けは出来ないが、家族で移住してイメージする生活を維持することは出来る。

 

日本では起業は大変なことと思われているし実際に大変ではあるが、日本に比べれば非常にハードルは低い。手に技術があるのなら起業を選択肢に入れるのもありだ。今まで経験したことないからね〜と言うのなら移住だって今まで経験したことがないわけで「経験したことないから」を理由でやらないと言うのはおかしな話だ。

 

NZに移住を考えている人はお金儲けを目的としてはいないが、それでも生活出来るだけの稼ぎは得たいと思うのがほとんどだ。その為にみなさんは自己診断をするのだがその自己診断をする際の判断基準が「現在の日本の常識」なので結果的に間違った答が出てしまう。

 

この際の大事な点は「現在のニュージーランドの常識」を把握していくことである。ところがNZの常識を理解しようとする際もやはり日本の基準で判断する。

 

例えば自分の考える分野が現在どのようになっているのかを分析するのに各種資料を揃えるのだが結局それは机上の理論でしかなく、なぜそういう数字になったかを読み解くことが出来ない。

 

ぼくの仕事は何故そうなのか、何故そうなったのか、これからどうなるかをお客様に理解出来るように説明することだ。なので説明を始めると最初は??みたいな顔をされるがそのうち「あ、そうか」となり、当初ご本人が考えてた道と全然違う方向性が見えてくることがよくある。

 

説明会と個人面談終了後、スタッフと面談内容を確認してそれぞれの方向性を確認。その後次の説明会の予定を決める。次回は10月20日(土曜日)13:00から開催を予定。ふーい、今日もよくしゃべった。



tom_eastwind at 19:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月07日

僕の前に道はない

国際税務の打ち合わせで虎ノ門に向かう。昨日も書いたが国をまたいだ法律や条約はしっかりと理解した上でそれが実際にどう運用されてるのかは、やはり現場でないと分からない。

 

常に法律及び通達、こちらの希望するビジネスモデルに問題がないかを付きあわせて必要であれば税務署に直接問い合わせして確認を取る。

 

ぼくらの作業はまさにこの確認の繰り返しであるが、これをやっておかないと将来的に問題になった時の反論の根拠が作れないしそうでなければプロと言えない。

 

ぼくが現在構築しようとしているモデルは、もしこれが完成すれば東京都内に一戸建て住宅を持つ人々には朗報となる手段だ。

 

日本では土地の等価交換という制度があり「あなたの土地」と「わたしの土地」の価格が同額又は少額の違いであれば売買契約と見做さず交換とされて譲渡利益税が発生しないという利点がある。

 

そしてこの法律は現時点では海外の不動産との交換も法律的には可能である。正確に言えば法律上海外の不動産はダメという規定がないのだ。だから出来る。理論的には可能である。

 

しかし今までそのような実例は問い合わせした税務署でもないようで彼らも「法的には可能ですね〜」という回答になる。

 

日本国で法的に可能であれば次の問題はニュージーランドの国内法であるがこれNZ側では不動産関連に税金がかからないので等価交換という手法を使わなくてもいける。

 

実際にこの国では4〜5人の古い友だちがお互いの家を日にちを決めて引越し交換するってのも珍しくない。昨日の我が家が今日は友達の住処になり昨日の友達の家が今日の当家の新居となる。

 

なので日本側さえクリアーすればあとはこの行為が税務対策であっても合法であれば問題ないと日本当局に認識してもらうだけだ。

 

問題はまさにここで、ぼくのやってる事は常に「僕の前に道はない、ぼくの後ろに道は出来る」という高村光太郎モデルなので理論的に可能であっても実績がない時点では、多くの場合ぼくらではなくお客様自身が「これ大丈夫なんか?」と思ってしまう。

 

つまりモデルが法的にOKであっても税務署が「否認」すればOUTなのだ。そして今の日本では税務署に逆らう手段は殆どない。誰もが聞くのは「それって誰か前例ありますか?」なのだが、まだ僕の聞く限り前例はない。

 

なのでこの等価交換はこれから実際に挑戦してみることになる。法的には可能だ。実例はない。実務的には闇夜の地雷原だ。

ぼくの前に道はない。けれど、どんなに踏み固められた道も最初の一歩は誰かが足跡を付けているのだと考えて進んでいく予定。



tom_eastwind at 14:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月06日

月に雁、手には職

週刊東洋経済の今週号の特集で日本人の食事内容が貧食になっているとのこと。栄養価、防腐剤、コンビニ、様々な問題を提起しているが、その記事の中でぼくが一番気になったのが「塾食」だ。

 

ぼくの小学生の頃は塾に通った記憶もないし学校が終わればひたすら外で遊ぶものだと思っていたから、現代の子供は学校の授業が終了すると午後5時頃から塾に通い午後7時頃にお母さんが作ってくれたお弁当を20分程度で食べるとのこと。

 

お母さんは子供と一緒に食事ができない分、朝早く丹精を込めたお弁当を作ってレンジに入れておいて出勤、学校から帰ってきた子供はそのお弁当をチンして塾に持っていく。塾側では給食サービスも検討したらしいが多くの母親は自分の作ったお弁当を食べさせたいとの事でなかなか給食サービスも定着しないそうだ。

 

そう聞くと「お母さんも大変だな、朝早くからお弁当を作って自分は仕事に出掛けるけど子供のことを考えているんだな」って思う。

 

けどその前に、家族が毎日いっしょに夕食を食べられないってのはどうなんだろうと思った。子供が学校終わって更に次の学校に行って自宅に帰るのが夜の9時過ぎでしょ。じゃあ今日一日何があったかなんて、どうやって家族で会話するのだろうか?

 

そして、そうやって一生懸命勉強漬けになって中学生から高校生、そして良い大学に入学した時点でやっと第一の人生の競争は終了するが、その時点ですでに子供は人生の何が正しいのかとか、一番感受性の強い時期に親と一緒のご飯も食べられずに親子の会話がないとか、うーん、どうなんだ??

 

そして第二の関門は実際に就職してからだ。親に言われたとおりに一生懸命勉強して就職したのに、初任給は20万円前後で仕事は理屈の分からない内容ばかり、上司はこれが世間だ!みたいなことを言うけど全然意味不明じゃんか。これがぼくの子供時代からの勉強の結果なのか?

 

ぼくがもし日本でずっと生活をしていたらそんな疑問も考えずに社会に順応しようとしただろう。けれどニュージーランドという国で毎日家族と一緒にご飯を食べる生活をしてみると、子供が塾に行かないでも大学まで行って普通に社会に就職できる状況を見ているからどうしても疑問がわく。

 

母さんが朝早くからお弁当を作る労力、子供と一緒にご飯を食べられない時間、もちろん塾にかかる費用、それに対して約10年後に得られる社会的地位が普通の一兵卒でご無理ごもっともを聞くだけという環境であれば、これって本当に「投資効果はどうなの?」とかんがえてしまうのだ。

 

もちろん今の日本社会で生きていくには塾が必須なのだろうと考える親の気持も分かるし周囲の子供が誰もが塾に通う中、自分の子供だけ塾に通わせないという選択肢を選ぶのは親のわがままかもしれない。

 

言葉を変えて言えば子供を塾に通わせて免罪符としてのお弁当を持たせることが一番波風の立たない利口な生き方なのだろうと思う。けどなー、それはもしかして引き潮の砂浜の上に作った砂上の楼閣の上で一生懸命細かな砂細工を作るようなものではないか。

 

一旦大波が来ればすべて消失するのは、最初の選択が誤っているからだ。建ててはいけない場所に楼閣を作った結果ではないかな。

 

けれど現実問題としてすでに生まれて育っているのだから、残された選択肢はあまり多くない。そんな時にぼくがいつも感じるのは、そろそろ日本のホワイトカラー選民意識を捨てて「手に職」を持つ人々を育てていくべきではないかという事だ。

 

つまり料理人であり理容師であり建設現場で働く技師であり、自分の手を使って実際にモノを作る専門の職人を就職先として考えるという事だ。

 

自分の子供の為に朝早くからお弁当を作っても隣の家の子供だって同じようにお母さんの弁当を持っているしほぼ全員が塾に行くような時代には「塾に行く」だけでは差別化は出来ないし、サラリーマンなんて結局は社長というたったひとつの席に向かって競争していつかは追い落とされる人生ゲームである。

 

もし自分の子供が東大までいけそうならそれでも良いと思う。滅多なことでは東大に行ける子供は作れないから、それくらいの利口な子供なら親が協力して塾に通わせてお弁当持たせてもありだろう。

 

ただ世の中はそんな子供ばかりではないし統計的に見ても95%の子供は東大に入れない。それならば最初から子供の好き嫌いを見抜きながら13歳くらいで一度子供の就職の方向性をかんがえて、例えば操縦士になりたいならそれに合った教育を開始するとか、日本はものづくりの国なのだからトヨタ学校に入るために勉強するとか、要するに子供が望む方向で背中を押していくことは出来ないかって事だ。

 

 

月に雁が似合うように、人には分があると思う。もちろん上を目指すことは良いことだが、けどその土俵って将来性はどうなのよ?無理してサラリーマンになって一旦会社を辞めると社会的価値ゼロ、つまりサラリーマン時代に学んだものはすべてその会社内でしか通用しない技術であり、それが労働市場に晒された瞬間に無価値になるような職種を選ぶのが正解なのだろうか?

 

片隅のいぶし銀という古い言葉があるが、日本のような大きな国では様々なビジネスがある。ホワイトカラー信仰さえ捨ててしまえば子供の未来は随分と楽しいものになる。恵比寿で働く理容師とその店に来る大手投資銀行の社員とどっちが偉いかなんてないでしょ。

 

社会に対する視点を少し変えてみれば、子供には早いうちから自分の頭で考える訓練を積ませて自分が何をしたいかを分からせて、それに合った職業訓練をたくさん経験させることの方が選択肢が増えて良いのではないかと思う。



tom_eastwind at 00:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月05日

移住したい国6年連続NO1??

「移住したい国6年連続NO1!」って、マレーシアってそうなのか?ぼくのブログの広告によく乗っかってくるのだが、これって実際にどうなのかな?

 

マレーシアが移住先とされるようになったのはここ数年であり、それも元を辿れば1980年代に日本人をオーストラリアに集団移住させようとして大失敗した経産省+不動産会社主導のシルバーコロンビア計画の残党たちが集まって作った新しい天下り先「ロングステイ財団」の宣伝からである。

 

それも最初はロングステイ財団と言っても天下り先を作った役所と大手旅行会社から派遣された職員が「さて何をしましょうかね〜」だったところにハワイのコンドミニアムを販売していた旅行会社が合流して「じゃあ土地の安いマレーシアを売ろう」という事になった。

 

そこにマレーシア政府観光局も乗っかって投資家向けビザとかで「安くて気候が良くてのんびり生活できます」って売りで定年退職者向けにセミナーを行い参加者を送り込んだのだから、これが財団法人のやり口かい(苦笑)って感じだ。

 

しかし実際に移住の現場で仕事をしていると、ロングステイという意味ではなく移住の視点で移住先を考えた場合は、どうかんがえてもマレーシアには無理がある。やはり英語圏5カ国が上位に来る。マレーシアで小学生の子供の教育をどう考える?両親にはどんな仕事がある?イスラム文化と同居出来るか?

 

なので実際に移住したい国のトップクラスに来るのは米国を始めとして英国、カナダ、豪州、NZがその範疇だ。シンガポールも検討先に入るがこれは主に相続対策で利用される国である。

 

ただ現実的にビザの取得の容易さや現地生活にかかる費用や、別に移住じゃなくて長期滞在でいいやって人にはマレーシアも視野に入るというだけで、移住したい国6年連続NO1ってのはちょいと誇大広告ではないですかって感じがするのは僕だけではないだろう。

 

その潮流に最近乗っかったのがイスカンダル計画である。ジョホールバルを再開発してシンガポールのベッドタウンとしようと仕掛けている。壮大な計画であるがここに目を付けた日本人不動産筋が活動しているのが現状だ。

 

シンガポールの土地がすでに暴騰しており人々はマレーシアに住居を構えてシンガポールに通勤するだろうとか、ジョホールバルで職住学が一体化されたコンパクトシティで!とかやってるが、じゃあ誰がそこに住むのか?

 

日本人不動産デベロッパーは投資機会として宣伝しているが、これは数年前に中国本土広州の南部に広がる広大な土地を開発して投資させ、実際に誰もすまないままにゴーストタウンを作って大損させたのと同じ仕組である。

 

開発終了までに十数年かかるわけであり開発終了までは学校も病院も出来ておらず実際に引っ越しをしてもそのアパートには他に住民はおらず電気代と公共料金が実際に住んでいる人に均等割されて異常な負担となるし第一誰も住まないアパートは痛みが早いが、そのような事は計画書には書かれていない。

 

計画がすべて終了するまでにかかる経費は誰が負担するのか?下手をすればその経費は配当利回りなど一気に吹っ飛ばしてしまうことになる。

 

ロングステイ財団にしてもイスカンダル計画を売る日本人にしてもそこにあるのは結局「目先の商品販売」にしか過ぎない。しかし移住とは10年単位のお付き合いである。調子の良い夢の様な話などあるわけがない。

 

現地で生活を始めれば当初は想像もしなかったような問題が発生する。そして殆どの場合「こんなの聞いてない!」というクレームになる。移住に対する期待度が高ければ高いほど反動としてのクレームが増加する。

 

移住をするのは単純に渡航をすることではない。渡航して到着後からが大事になるのだ。そしてこれはお金だけで解決出来ることではないし「頑張ります!」なんてかけ声だけでも解決しない。

 

他人の人生や違う価値観を理解するという受容力や柔軟さ、自分の価値観を相手に押し付けて交渉するのではなくお互いの妥協点を求めながら隣人と楽しく生活をする高い生活能力が要求される。

 

移住とは楽をしようと人生の住む場所を変えるのではなくより良い生活を求めて苦労しても住む場所を変える話である。そこに行けば誰もが自由になれる社会なんてこの世界には存在しない。



tom_eastwind at 21:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月04日

人の気持ちが分からない人

人の気持ちが分からない人が増えた。日本では最近電車に乗る時に「ベビーカー」の扱いが問題になっている。どうやら都内の電車の話だろうと思うが、電車でベビーカーを邪魔者扱いにする乗客が増えてトラブルが起こってる。

 

そういえば数カ月前に移住された方が「日本では子供が邪魔者扱いにされたりするんですよ」と言ってたが、なるほどこの事か。

 

日本は昔と違って心に余裕がある人が少なくなった。そして学校でもとにかく競争ばかり教えていて子供は他人を省みる余裕もなく自分だけが何とか蜘蛛の糸を登ろうとしている。

 

今回の論争のポイントを読んでいるとベビーカーを利用しているヤンママは他人のことなど気にせずにベビーカーを広げたまま子供を座席に座らせて周囲に迷惑をかけてて、一般市民がそれに対して苦言を言えば「なによ、あんたに関係ないじゃん、ひっこんでろ!」みたいな態度になる。

 

それで一般市民がすべてのベビーカー使用者に対して「お前らいい加減にしろ!」となる。ところがきちんと礼儀正しくベビーカーを折りたたんで乗ろうにも座る場所がないから仕方なく開いたままの「正しい利用者」に対しても「おい、いい加減にしろよ、満員電車なんだから邪魔だろうが、他の電車に乗れや!」みたいなことになっていく。

 

こうして正しい行動を取っている人と傍若無人なヤンママが同一視されて結局はベビーカー利用者対一般客と言った間違った対立が起こってしまう。

 

たしかに都内でもベビーカーだけでなく妊婦や老人に席を譲らない「一般客」はよく見かけるようになった。昭和の時代じゃあり得んかったような話であるが都会に住んでる日本人が次第に他人を邪魔者扱いして自分だけ良ければという風潮が広がっているのも事実である。

 

自分たちが子供の頃は大人に助けられて大きくなったわけであり年を取ったら年金や医療など若者世代の世話になるのが分かっているのに、社会の中心部にいる中年層は自分だけの生き残りを図って電車の中で自分の座席を確保すべく他人を攻撃する。

 

集団で生きるってことは、今は自分が先頭をきって走ってるかもしれないがいつ集団の最後列になるか分からない。そうなったら次に脚切りされるのは自分だという事を理解しようとしない。集団の落ちこぼれを作らない仕組み、それが世代間の助けあいである。

 

世代間の助けあいが保障されているからこそ他人への思いやりが出来る。今の状態がもう暫く続けばいよいよ電車に乗るのも行列を作らず割りこむようになりまさに現在の中国人のようになるだろう。

 

ニュージーランドでは助け合いがごく普通に行われているし子供は常に社会全体で守るという意識が徹底している。子供は個人の所有という日本のような発想はない。だから例えば10歳の子供を自宅で一人で置いて外出すればこれはもう速攻で警察が飛んできて親は逮捕子供は施設に送られる。

 

それほどに社会全体が個人生活に干渉してくるのも子供が社会の宝であり次世代を支える若者だという認識があるからだ。だからバスに乗ってても老人や女性に対してすぐに席を譲る。そりゃそうだ、男は子供を産めないのだから女性を優先すべきだ(笑)し、いずれは自分も年を取って足腰が弱くなる日が来るのだから「その日のために」今から社会制度を維持する努力が必要なのだ。

 

それとくけ加えて言うと、ニュージーランドを訪れた日本人は皆キーウィの人の良さに呆れるほど感心している。もちろん人々は素晴らしくお人好しであり人を助ける事で自分が幸せになれる正確の良さを持っている。

 

しかし彼らだって白人だ、お前か俺かって生き残りになれば驚くほどにうまく立ちまわって自分だけが生き残ろうとする。白人は自分たちがそういう民族であるって事を理解している。そして皆が「人の気持ちを考えず」に「自分だけがいつも得をする」ような社会が長続きせずいずれ自己崩壊することを理解している。

 

だからこそ社会制度の中にうまく「自浄システム」を組み込んでいる。「他人のために働けばいずれ自分にも利益になる」し、それは自分の利益だけの為に働くよりも多くの利益を将来的に得ることが出来ると保障された目に見えないシステムがあるから子供を社会の宝として公共財産として守るインセンティブが発生する。

 

ニュージーランドの人の良さを理解する際に大事なのは、この「見えない自浄システム」を感じ取ることが出来るかどうかだ。

 

日本は昔から自浄システムが存在していた。誰も意識しないが、他人を助けることが自分を助けることだと分かっていた。日本では今そのシステムが崩れ始めている。なぜなら他人を助けるインセンティブがなくなり始めているし日本の学校教育から道徳がなくなって久しいからだ。

 

皮肉なものである、人間のずるさ弱さを認識した上でそれを人間が作ったシステムで補強をしようとして成功している国と、人間は良い人であると言う前提で何も補強システムを作らないからある日突然互助システムが崩壊し始める国。人の気持ちを斟酌していたらやっていけない国なんて、まるで中国や米国みたいだ。



tom_eastwind at 21:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月03日

銀行法第二条

銀行法第二条

14  この法律において「銀行代理業」とは、銀行のために次に掲げる行為のいずれかを行う営業をいう。

  預金又は定期積金等の受入れを内容とする契約の締結の代理又は媒介

  資金の貸付け又は手形の割引を内容とする契約の締結の代理又は媒介

  為替取引を内容とする契約の締結の代理又は媒介

第九章 罰則

第六十一条  次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

  第四条第一項の規定に違反して、免許を受けないで銀行業を営んだ者

 

 

言うまでもなく国によって法律は違う。Aという国では違法でもBという国では合法だというのはしょっちゅうだ。例えば麻薬についても合法の国と違法の国がある。飲酒についても同様である。不倫も米国のようにやりたい放題の国もあれば中東のように石をぶつけて殺される死刑が適用される国もある。

 

だから日本の法律で決められているからって金科玉条のように「ホーリツが絶対!」と騒ぐのはおかしな話で、ホーリツは永遠の真実ではない。日本の法律は日本国内法であり「その日その時日本国内限定で」適用されているだけであり国を越えた法律が存在するわけではないのだ。

 

だから2つの国以上にまたがってビジネスをする際は常に両国の法律チェックが必要となる。ところがマカオや香港あたりで口座開設ビジネスをしている連中の中には「おれおれ詐欺」あたりから金融に入ってる為に法律知識が全くなくて自分がやってることが違法行為である事さえ気づかずに日本居住者向けに銀行口座開設ビジネスをしたりするケースがある。

 

ネットで検索すると「香港のHSBCで口座開設しませんか」とやって日本で募集説明会や営業をやって日本発口座開設ツアーを売っているのだが、募集をかけている主体(つまり日本人)は日本に住所があり日本に定住している「居住者」であり、募集対象者が日本国内に在住している「居住者」であった場合、これは銀行法第二条に掲げる「銀行代理業」にあたり免許が必要だ。

 

もし免許なしで募集行為を行った場合は同じく銀行法六十一条で三年以下の懲役または罰金三百万円または併科となる。つまり日本の国内法に基づいて違法行為を行ったことになる。香港側の法律がどうのではなく日本国内法の問題である。

 

一昨年までは日本財務省も海外の法制度が進んでおらずに放置状態であったが去年から取締が厳しくなり関東財務局が一斉摘発を行い悪質業者は財務局のホームページで会社名公表まで行われた。

 

しかし実際に逮捕されたケースはぼくの知る限りない。去年のケースは警告で終了したようだ。財務局も忙しい、いちいち小物を捕まえててもきりがないし、それよりは彼らを通じて口座開設をした顧客リストの提出をさせた方がよい。リストがあれば先々誰がどこの銀行に口座を作ったかが分かるからだ。

 

今後の自己資産を防衛するための海外口座開設という選択肢は正しい。しかしその実行過程で日本国内の法律を無視すれば後々で問題になる。ところが口座開設をする人間にとっては「その場凌ぎ」なので、口座開設して手数料をもらえばそれで終わり、1年後や2年後は全然違う商売をしているのだから、「その場」では、「大丈夫ですよ、問題ありませんよ!」という。

 

そりゃそうだ、あなたにとっては問題なんて考えようともしない。しかしぼくらの場合はお客様がニュージーランドに移住してきたらそこから10年単位の付き合いが始まるのだ、「その場しのぎ」では何も出来ないのだ。

 

じゃあおまえんとこでも口座開設やってるじゃないかと言われるが、僕らの場合はビジネスの中心が移住であり移住に資金は必要であり実際に個人がニュージーランドに渡航(下見)に来て口座開設のサポートをする場合はサービス提供場所はニュージーランドなので日本の国内法は影響しない。

 

そして当社は日本には一切の拠点(PE)を持たない非居住者であるから日本の法律は適用されない。NZで合法であれば問題ないのである。同じようなサービスでも法律的には全く違う。このあたり、NZに住んでる日本人でも多くの人が誤解をするのだが、二国間の協定は「条約」ならば存在するが二国にまたがる法律は存在しない。

 

ぼくらがお客様に提供するサービスは上記のように両国の法律や条約をきちんと確認して合法であると両国の法律家や税理士や弁護士からお墨付きを貰った時のみである。でなければ10年単位の付き合いなど出来るわけがない。

 

それから日本とニュージーランドは租税協定を締結してるのでこの点は常に認識しておく必要がある。海外に口座を持つというのは自分の資産を海外に移動することが目的であるから自分が防衛しようとする資産の状態によってはニュージーランドで行った行為でも租税協定の対象となる場合がある。

 

例えば日本居住者がNZで口座開設を行い資金を運用した場合、運用で得た利益(利息)に対して通常はNZ非居住者なので15%の課税が発生する。しかし非居住者が申請すれば2%のLevy(税の一種)でOKだ。

 

しかしその際は日本で申告納税をする必要がある。日本で申告を怠った場合は修正申告が必要だしもし悪質と見做されたら追徴課税されるし、何よりもまずいのは海外口座すべてが調査されて資産の全容が把握されるという事だ。

 

そしてこのような海外口座の存在がなぜ日本の税務当局によって把握出来るかと言えば、それが冒頭にあるように当局が口座開設業者に顧客資料の提示を求める事が出来るからだ。顧客資料を提示すれば目溢ししてやろう、もし提示しなければ懲役ですよと脅されてしまえば誰でも資料を提出するだろう。

 

手紙はある日突然税務署から届けられる。内容は「あなたは海外で口座を持ってますね。すべての海外発行の銀行口座の詳細とクレジットカードの詳細を過去7年に遡って提出しなさい。もし口座隠しなど虚偽申請した場合は犯罪とみなします」

 

法律は正義の味方ではない、法律を知ってる者の味方だ。「知りませんでした御免なさい」では通らないのだ。自分が何かをする時は必ず情報のダブルチェック、法律チェック、実態チェックなどを行った上で状況を判断して行動を起こさないと、後で痛い目に遭うのはあなたである。



tom_eastwind at 21:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月02日

精神神経免疫学 「こころの免疫学」続きの感想

 

移民局相手に「切れやすくなっている」のは日頃の彼らの対応よりもぼくの食生活、さらに食生活が脳に与える影響の結果なのではないか(苦笑)?

 

相手に対して寛容になろうと思えば座禅を組んで一年修行をするよりも毎日自然で栄養のある食事を取っている方がよっぽど役に立ちますよって言われたようで、ちょっと続きを書きます。

 

日本でうつ病が増加したのはここ10年くらいであるが花粉症などは1960年代に初めて認知されている。日本人の食生活の西洋化が大きな転回点であるが同時に公害が環境に与えた影響も大きいだろうし1970年代の核実験の影響もあるだろう。そして1990年代後半からは失われた20年の強烈なストレスの中で耐え切れずに壊れていく精神。

 

昔なら日本人は食生活が魚と野菜が中心でしっかりしていたから現代病のようなものは発症しなかったしストレスについても三世代家族で孫の苦労を理解してあげるお爺ちゃんがいたから良かったが、食事の西洋化と核家族化により今ではそのようなセーフティネットもない。

 

肉体を病気にしないことが肉体免疫であるならば精神を病気にしないことは精神免疫だ。ところがその精神でさえも食事が70%の影響を与えているとなればこりゃ食い物の大事さ、それもたくさん食うってんじゃなくて自分の体に何が良いかを理解した食事が必要となる。

 

今の日本に出張する度にストレスを感じる一番の理由は「気が乱される」という点だ。とにかく周囲に流れる気が良くない。とてもギスギスとしていて、ニュースで若者がキレて事件を起こしたとかも自然と理解出来るのが恐いくらいだ。

 

ぼくは20歳くらいの頃から人の多い場所が苦手になる癖があり、それが映画館とかなら良いのだが目的も考えもばらばらな人が集まる福岡の天神地下街やデパートでは息苦しくなることがあった。

 

当時は単なる癖なのだろうと思ってたら最近の話ではどうも「広い意味でうつ病、精神疾患の一つ」との事。。。けどな〜、脳みそに雑音が入ると頭がずきずきするのは疾患と言うよりも気が弱いから???あはは、自分で笑ってしまった。

 

 

この地球に初めて生物が現れた時、彼らに脳みそはなかった。腸だけで生きていた。時代が進化するにつれ脊椎が出来て脳が発達してとありながらも結局人間は腸から進化してきた。その腸を大事にしてそこを中心にして食生活を改善することで精神的な免疫を得ることが出来て、、おお、何と良いことではないか。

 

ぼくは個人的には人間に宿る精神を重視する方であるが、それでも人間というこの人生を生きるための肉体を健康で長生きさせるためにも食事の大事さを考える良い機会になった。

 

ところで文中で「うつ病治療」についていくつかの症例が書かれていた。ふと思った。これってニュージーランドで二週間程度のヒーリングツアーを組めばいけるんっでないか?

 

世界でトップクラスの自然があり毎朝の景色に癒されて、食事はすべてオーガニックで日本人向けの栄養バランスを考えたメニューにしておいて、夜はマオリハーブティを飲みながらツアー友達と心置きなくお喋りをする。

 

天気の良い時にはスピリチュアルスポットを巡ってカウリの大木を見学に行っても良いだろう。マイナスイオンのシャワーを楽しみ、日本の事をすべて忘れて心を落ち着けていけばかなり治療効果があるのではないかと思った。

 

とりあえず思いつきではあるが、この本を読んで現実的にツアーの形が見えてきた。



tom_eastwind at 22:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年09月01日

移民局 最近の動向

出来ないなら引っ込んでおけ。理解出来ないなら他の仕事をしろ。自分の手に負えない仕事を請け負って失敗して困るのはあんたじゃなくて僕らなのだ。

 

自分がいつも正しいと思い込んで自分が想像できない世界の話は一切受け付けない移民局の連中め。北半球には南半球の小島で人口400万人で農業国家である人々には理解出来ないようなビジネスがごろごろしている。

 

そのようなビジネスモデルを説明すると「それはいままでNZにはなかったからもっとくわしく教えて欲しい」教えても理解出来ないものだから今度は「そんな事で利益が出せるわけがない」と言い出す。

 

そりゃさ、君等はじゃがいもの成長速度や羊の毛刈りの時期は知ってるだろうが、そうやって生み出された食物が様々な流通経路を通じて付加価値が追加されて結果的に原材料費用の数十倍で市場に出回っているのは理解出来ないだろう。

 

そのような付加価値を付けることで今まで世の中に存在しなかった新しいサービスが発生して雇用が生まれて社会が拡大していく。すると拡大そのものが新しい需要を生み出す。そうやって都市化や分業が進み、小さな農村だけではあり得なかったビジネスが生まれる。

 

田舎では何でもかんでもDIY,自分の住む家まで自分で作るから建設業が進化しない。人が集中していないから本格的なレストランビジネスも成立しない。朝ごはんを自宅のキッチンで食べてから農作業に出かける人には、なぜ東京のような大都会で朝ごはんを自宅で食べずに出社前の会社近くの大戸屋で食べるのかが理解出来ない。

 

けど少なくとも他人のビジネスモデルを評価する立場にいる人間なら世界のビジネスくらい常識として知っておこうよ。知りもせずに偉そうに聞くってのはまるで猿の顔をした下級役人でしかない。

 

それに君ら、自分でビジネスをしたことがあるのか?成功体験は?何も知らない連中が口を出せる世界ではないだろう。

 

おいおい、リスクを取るのはお前じゃないし結果ダメなら36ヶ月のビザ延長をしなければいいだけだろーがよ、少しは頭を冷やして考えろ、この国にはきゅうりもスイカもあるんだから頭突っ込んで考えてみろって。少なくとも自分が見た事ないからって理由だけでどうこう言うんじゃないよって感じ。

 

それほどにここ2〜3ヶ月で移民局の対応が大変化している。問題は新しくやってきた部局のマネージャーが真面目であり過ぎて各種申請にどう対応していいか分からず、説明をすべきケースオフィサーも自分でビジネスを考えたことも経験も夢もないから当然まともな説明も成立しない。

 

その結果としてお互いに一番無責任でいられるのが審査を引き伸ばしたり無意味な質問を続けてみたりしてとにかく自分はやることやりましたと言い逃れをすることだ。彼らが認可しなかったビジネスが実は潜在的需要があっただろうが彼らには分からないし分かる必要もない、彼らの顧客はそれぞれの上司であるのだから。

 

このあたり役人の発想は世界中どこでも同じで、自分が責任を取らなければいいって発想は結局民間の自由な発想や挑戦を塞ぐものでしかない。

 

相手に好意的に評価すればマネージャーが変わったばかりですべてにおいて慎重であると言えるしケースオフィサーも中国人なので下手な事やって中国人がまたも穴抜けするような前例を残して自分に泥がかぶるのもいやなのだとも言えるが、だったら最初に書いた様に「出来ん事はするな」なのである。

 

それにしても移民局のやってることは法律に書いている事を教条主義みたいに守る発想しかないが、何故この法律が出来たのか、誰のためにあるのか、ならばどう運用してこのニュージーランド社会を発展させようとするのか、法律の条文でなく法の精神で考えてもらいたいものだ。



tom_eastwind at 21:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌