2012年10月

2012年10月31日

次回11月17日東京説明会と個人面談

 

10月の説明会及び個人面談が終了してオークランドに戻ってきたのがついこの前だと思ってたら次の説明会は11月17日で、オークランドにいるのは出張と出張の間のつなぎ時間という感覚になっている。平和な時代と平和な時代の区切りが戦争時代って感覚ではなく戦争と戦争の間につかの間の平和があるって感じだ。

 

毎年同様であるが移住の仕事はニュージーランドの夏場に忙しくなる。お正月あたりに移住を考えて決断するようになって準備をする、子供の学校に合わせる、日本での仕事の区切りの良いあたり、色んな理由はあるが結果的に夏場に集中する。

 

なので毎年夏が始まると仕事が忙しくなるのだが特に今年は忙しい。説明会から戻るとオフィスワーク、オークランドでの面談、到着したお客様の出迎えなどがあり、今年はいよいよ現地に移住された会員向け互助会組織を創設したので、どのようなサービスをどういう形で提供してくか、毎日考えることが多い。

 

そしてまた日本からのビザ診断も毎日たくさん舞い込んでくるのだが、正直これからは直接説明会に参加してもらい現地の情報を積極的に取り入れる方が重要ではないかと思う。

 

というのも去年までのニュージーランド移民局の姿勢は受け入れに積極的であり方向性もあまり明確でなかったが今年半ばから方向性がかなり明確になり以前のようにとりあえず受け入れってのがなくなっており、つまり急激に難しい方向に向かっているからだ。

 

のんびりと診断して考えるよりもさっさと説明会に来て話を聞いて個人面談で自分のケースがどうなのかを判断していけそうならルールが厳しくなる前に決断するってことだ。中国語のことわざでも幸運の後ろ頭はハゲってのがある。幸運は来た時に掴まないと通り過ぎて捕まえようとしても毛がなくて捕まらないって意味だ。

 

当社のビザ診断は基本的に移民弁護士とほぼ毎日メールや会議で打ち合わせをしながら行なっている。当社も弁護士事務所もオークランド・シティ内で徒歩10分以内なので何かあったら書類抱えてすぐに行けるので臨場感が高い。

 

つまり移民局の動きが弁護士経由でそのまま伝わってくるので日々の変化を感じるのだが、その変化はあまり良い方向ではない。というのが去年まではシンガポールに水を開けられていたニュージーランドだが、シンガポールが今年4月から永住権基準を大幅に厳しくして豪州やカナダも条件が厳しくなる中結果的にニュージーランドが有利な立場、つまりビザが比較的取得しやすい国となった。

 

そうなるとニュージーランド移民局もげんきんなもので早速基準を高めて来た。当然であるが移民はニュージーランドに貢献してくれる人でありどの程度貢献してくれるのかが基準となる。この貢献度基準が高まっているのだ。

 

一般的な日本人感覚では未だもってビザが政府の商品だというイメージを持っていないが国民のレベルを高めるという意味では立派な商品である。とくに永住権は一度発給すると取り消しが難しい。

 

だから役に立たない人材を獲るという発想は当然の如く、ない。ここ1年で専門学校から永住権に繋げるコースもかなり厳しくなった。以前は専門学校に1年通えばオープンワークビザが発給されるってんで人気のあるコースが学期途中に急にルール変更になりワークビザが発給されなくなった。

 

だもんでそのコースに参加していた数十人の学生は途中で他のコースに移ることになったのだが、そりゃ何じゃ?という話である。けどそのコースは僕から見ても「それで専門コース?ビザ出すの?」って疑問だったから、やっぱりねという感じだった。

 

今後も学生ビザ→就労ビザ→永住権と繋ぐコースは継続されるものの入学基準や通学期間が緩和されることはないと考えた方が良い。

 

だもんで一般的な情報としてビザ診断をしてもそれはあくまで一般論であり、実際に本人が持っている経歴(職歴学歴)や能力(英語、パソコン等)によっては思いもよらぬ方向に道が開ける事がある。

 

それが説明会や個人面談で頻発するケースであり、技能移民でいろいろと検討してた方が説明会と個人面談をするうちに、職歴と能力を考えれば学校より最初からワークビザ狙いの方が有利だとか技能移民よりも起業する方が現実的であると分かった事もよくある。

 

本人からすれば、てか日本の社会常識からすれば起業なんてそんな大それたと思うがニュージーランドでの起業ってのは自分で自宅の塀を修理する程度の感覚だ。ダメで元々、うまくいけば大したもの、それでも挑戦する価値ありって感覚だ。

 

ごく普通のサラリーマンだった場合、学校に数年通ってその先に取得出来るかどうか分からないワークビザを狙うよりも、日本で寿司屋とか和食店で2年程度給料をもらいながらしっかり下働きを通じて寿司、刺身、天ぷら料理を覚える方が効率的だ。少なくても給料をもらえて日本なのでゼロから生活を作る必要もなくシェフの勉強を出来る。

 

レストラン業界は転職が多く常に流動性があり和食は今や流行ではなくしっかりと根付いているのでこの業種は常に採用活動を行なっている。ただしこれも本人の性格の問題で、会って顔を見て個人面談をしてみないと何とも答えられない部分がある。

 

ビザ診断だけではどうしても読み込めない部分をカバーするのが説明会であり個人面談だ。移住の仕事を始めてもうすぐ10年近く、面談件数はすでに1千件を超している。今までの経験で相手のメールを読み説明会での雰囲気を感じて個人面談をすれば、最終的にご本人が判断するかどうかは別だがほぼ100%の確率でその人が移住出来るかどうか分かる。

 

もちろんいくら移住力があっても家族に病人がいれば現実的に難しいし他にも本人に直接関係のない理由で移住ができないケースもある。ただ移住力とは最終的に決断能力と自分を信じて能力以上の努力を常に繰り返して自分を成長させることの出来る能力である。

 

11月の説明会は東京だけだが個人面談は沖縄と福岡でも受け付けている。沖縄と福岡の個人面談を組んだのはすでに既存の年間移住会員が住む街であり今回は彼らとの面談があるのでその前後に個人面談を組んだ。来年1月の個人面談では日本のどこかの街で設定するようになる。

 

移住って人生で何度も真剣に考えることはないんだから限られた自分の情報だけでどうせダメだろうと自己診断するよりも、本職から具体的に何がダメなのか、もしかしたらそれを乗り越えたら機会があるのか、ひょっとして今の経歴で移住が可能なのか、一歩前に踏み出してみるのが良いと思う。

 

カナダに住む日本人医師がある時こんな事を言った。「幸せは、努力と偶然の曲がり角にあるんだよ」。さすが日本人、民度の違いでしょう、幸運の後ろ頭はハゲって言うよりずっとスマートですね(笑)。



tom_eastwind at 16:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月29日

旅行屋の発想

昨日の話の続きですがぼくがクイーンズタウン時代に経験した事を書いてみます。これも長くなりますが業界の方であれば参考になるかと思います。

 

ぼくは1988年にクイーンズタウンに落下傘降下でやってきた。誰も知り合いがおらず何のつてもなく英語もろくにできない状態で到着して約2週間後にワークビザを取得してその2ヶ月後くらいには永住権を取得していた。

 

まさにぼくにとっては運に恵まれたとしか言いようがないが、それからの約4年はクイーンズタウンにそれなりに貢献出来たと思ってる。当時日本人ハネムーナーのメッカだったこの街に毎日大型バスで若いハネムーナーがやってきた。ぼくはそこで一種のフリーランス販売カウンセラー的な立場にあった。

 

ある時お土産屋のキーウィご主人がやってきて「おいtomよ、うちの土産は良い物を置いてると思うんだけど、実際店にお客は来てくれるんだけどなかなか買ってくれないんだよな、何か良い知恵はないかい?」

 

早速店を訪問したら原因はすぐに分かった。「ね、この棚に置いてある地元のちっちゃな絵とか彫り物だけどさ、これって一品物だよね。絵描きさんにお願いして同じ絵を20枚描いてもらって。彫り物も同じ、最低20セット揃うようにしてみて。出来れば50個単位が理想だよ」

 

おじさん、こいつおかしいのか英語がぜんぜん出来ないのか?って疑問に思ったようだが、とりあえずダメ元でやってみようという事になった。その一ヶ月後おじさんが突然ぼくのフラットに赤い顔をして息を切らしてやってきた。失敗だったかな〜と思いながら彼をフラットに入れると、椅子に座るなりだされたお茶も飲まずに封筒を出してきた。

 

「おい、お前はマジシャンか?お前の言うように商品を注文して先週店に並べたら、今週全部売り切れたよ、ありゃ一体何だ?」封筒の中にはそれなりの現金が入っていた。

 

「別にマジックでも何でもないよ、彼らハネムーナーは結婚式に参加してくれた人々に平等なおみやげを配る必要がある。だからどんなに良い物でも一品物は買わないんだよ、ぎゃくに少々品質が下がっても手頃な価格で均質な品物の方が売れるんだ」

 

それ以降クイーンズタウンでハネムーンをターゲットにしたお土産屋は方針変更、キーウィのマスコットやコースターを山ほど並べるようになった。

 

ある時はホテルのマネージャーが訪ねてきて「あのさ、日本人が来てくれるのは嬉しいんだけど、あんまり朝食を食べてくれないんだよね。ちゃんと美味しく作ってるつもりなんだけどさ、目玉焼きとかも」

 

「ふーん」しばらく考えて言った。「あのさ、オークランドでこんなものを売ってるはずだからそれ買って日本人の朝食会場のテーブルに置いてみたら?」

翌月このマネージャーがにこにこしてやってきた。「tom、あのマジックはなんだい、皆がばくばく食事をしてくれるようになったよ!」

 

何のことはない、お醤油の小瓶をテーブルに用意させたのだ。1980年代の日本人が初めての海外旅行でクイーンズタウンに来る頃は4日目だ。すでに西洋料理に飽きて醤油系の味が欲しい、ところが出てくるのはあいも変わらずバターと塩コショウ。これでは胃袋も食指が湧かない。

 

そこにお醤油の小瓶があれば目玉焼きにちょっと垂らして大豆の香りを楽しみ醤油独特の塩味でばくばくと食べることが出来る。

 

それ以降そのホテルのバーではワカティプ湖が見える一番良い席に客として座ることが出来るようになった。英語は下手でも隣に座る地元の有力者から「面白い奴だね」と思われたようでよく話しかけられた。

 

一番おもしろかったのは僕がビザを取ってもらった中華料理店での話だ。クイーンズタウンに到着したぼくは客としてそのレストランで夕飯を食っていた。ほぼ3日続けての訪問だ。炒飯、焼きそば、どれもすごく美味しくて、夜の6時になるといつも一人で食ってた僕をご主人は変な日本人と思ったのかもしれないが、ある時向かいの椅子に座って「よう、いつも一人だね、旅行かい?」と会話が始まった。

 

ぼくは「長期滞在だよ、昔この街に来て、仕事をやめたら一度はここでゆっくりしたいと思ってカバンに本を一杯詰めてやってきたんだ、元々旅行屋なんだよ」と何の気なしに伝えた。すると彼はガバっと背筋を戻して「おい、それなら教えてくれよ、うちは日本人ツアーに昼飯を出している。旅行会社も予算を沢山くれるので一番高いメニューを出しているんだけどさ、どうもあまり喜んで食べてくれずに困ってるんだよ」

 

そこでぼくは昼食のメニューを見せてもらった。あ〜あ、これじゃダメっしょ。「あのね、明日からこんなメニュー出してみたら?確実に皆お代わりするよ、その時は遠慮なく追加料金をもらうことも忘れないでね」

 

そして翌晩お店を訪問するとご主人がびっくりした顔で僕のテーブルに来ていきなり「これ飲め!」と一番高そうなブランデーを持ってきた。「どう?効果あった?」と聞くと、彼は身を乗り出して来て「お前さ、明日からうちで働いてくれ、夜だけでもいいし好きな事をしてもらったらいい、日本人ツアーが来てる間だけでいい、ビザも取る、給料もきちんと払う、来てくれよ」と頼まれた。

 

何が起こったのか?実はその店で当時最高級の飲茶としてお客様に出していたのは鴨の舌とか鶏の足とか、栄養価も味も良いのだろうが1980年代の日本人が食べるにはあまりにも行き過ぎたメニューだったのだ。

 

そこでぼくは酢豚に海老チリ、焼賣に海老蒸し餃子と焼きそば、ついでに炒飯を出させるようにした。これが、オークランド到着から4日目の洋食に疲れた日本人の口にピッタリ合った。彼らは久しぶりに食べる美味しい中華で大食いをして追加料理を注文して店は大儲け、手配した旅行会社は日本の旅行会社からお褒めの言葉、レストランは大口のツアーの手配が舞い込み、ぼくはそれから美味しい中華料理を無料で食べることが出来てこの店で永住権を取得したのだ。

 

その後ぼくはこの店でもう一つ面白い仕掛けを作って大当てしたのだがこれはまだ今でも使える手口で時効が来てないので(笑)内緒。そのうち誰かがばらしたら僕もばらします(笑笑)。

 

旅行における売上ってこんなもので、ほんのちょっとだけやり方を変えれば売上は思いっきり変化する。とくに原価があってないようなお土産なんてのは、一発当たれば大儲けだ。

 

何でこんな下らない自慢話みたいな事を書いたかというと、小売店の店主さんに「時代は変わっても基本的な売り方は変わらない、顧客視点で見れば何でも売れる」という事を理解してもらいたいからだ。

 

今から50年前に水が売れるなんて思ってた人はいなかった。ところが今は誰もがペットボトルを持ち歩く時代になった。現在もニュージーランドの水を日本に売ろうとしている日本人がいる。ならば次はニュージーランドの空気を売ってみればどうだろう?

 

旅行屋が売っているものは何か?それは夢や体験である。思いもよらない体験、テレビで観た景色の中に自分がいるという再確認の満足、そのどれもが形のない商品である。

 

売ってるものが冷蔵庫であれば店員が少々態度が悪くても性能が良ければそれほど問題ではない。けれど旅行では経験がすべてであり添乗員の腕一つで顧客満足度は全く違ってくる。

 

昔ぼくらの世代の一つ上の旅行屋で本当にプロだなと思わせた人々は1970年代前半のニューヨークで開かれた何かの会議に日本人を連れて行った時、お客に内緒で電気釜を持参した。そして朝ごはんの会場で電気を借りて(変圧器はホテルで用意してもらった)ご飯を炊き、海苔と味噌汁で洋食に疲れた参加者の胃袋を優しく温めたものだった。

 

プロの思いやりとは東京からニューヨークまで電気釜を運ぶ、そこまで徹底したものである。そして気遣いさえ出来れば旅行屋は原価不要で誰にでも出来る、思いやりの気持と顧客視点さえあれば。自分の手間とか面倒くさいとかこのへんでいいやって思ってる人間にプロの旅行屋は務まらない。

 

これからこの業界に入ってみようと思う人には是非とも理解してもらいたい。旅行業界は情報業である。お客様はぼくらにホテルを建てろとか飛行機を飛ばせなどと要求していない。そういうパーツをうまく組み合わせて旅をする人が楽しい夢を見られるようにすることだ。その為の情報であればどのような内容であろうと知識を振り絞ってあちこちから集めてお客様が喜ぶように物語を作り提供することだ。

 

もしお客様がミルフォードサウンドに行く途中の休憩場所で道路をじっと見てたら道路を専門とする土建屋かもしれない。ならばニュージーランドの土壌や道路の作り方を説明すれば喜ばれるだろう。

 

専門でもないのに自分が何でそんな事しなくちゃいけないのって?専門じゃないならこの瞬間から勉強して専門になりなさい。何故自分がしなくちゃいけないの?勉強したくないならしなくても良い、明日から違う仕事を探してください。

 

働くとは自分を日々成長させることであり顧客に尽くす事だ。そしてこの業界で最も要求されるのは人の気持ちが分かり解決方法を常に提供出来る人材である。自分が自分がと威張って取引先にでかい態度で値引きを要求したり「なんでうちがこんな事しなくちゃいけないの?」と自分で勝手に自分の仕事の範囲を決めて顧客の要求を理解出来ない偉ぶる人材ではないってことを。

 



tom_eastwind at 13:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月28日

「NZへの旅行者数の増減の予想をお願いできないでしょうか」

これはNZ地元の方から頂いたご質問。「日本人だけではない旅行者をターゲットにしている小売店」となればお土産屋さんか、いずれにしても旅行者についてぼくの見立てを書いておきます。

 

僕は35年間プロの旅行屋としていつも現場の第一線で仕事をしてきて今は移住という長期旅行で飯を食っておりオークランドの会社も1996年に立ちあげて現在は約20人の社員に働いてもらってますからニュージーランドの旅行業界の事についてはそれなりの知識と経験があると自負しています。

 

そこでこれからのトレンドを予想すれば、まず誰でも分かるように当然ですが中国人は激増します。1980年代から2000年代までは日本人旅行客が年間15万人くらい来ててお金もあるからどこのお店も日本人店員を雇ってましたが今では年間7万人くらいに激減して日本人店員需要も減少して、オークランドの免税店に行くと中国人店員ばかりが目立つ状況です。

 

中国の場合は旅行用ビザが緩和されて以前は年間6万人くらいだったのが現在は大幅に増えて年間15万人くらいになってます。中国が一時的に不況になろうと長期的に中国は豊かになっていきます。国境がなくなり世界が均質化されていく中では日本の労働者と中国の労働者の賃金が限りなく近くなります。

 

その時点で日本の10倍の人口を持つ中国人が日本人旅行客の10倍になっても何の不思議もありません。チベットで仏教者が何人焼身自殺をして中国離れをしようが旅行業界にはあまり関係はありません。

 

今中国からやってきてる中国人は基本的に沿岸部の富裕層でありこの層は増え続けます。短期的に中国経済が乱れようが長期的には中国からの観光客が確実に増えます。

 

これからの中国からの旅行客は1970年代の日本の旅行客のように、出っ歯でメガネの農協団体が首からカメラを下げてエッフェル塔の写真を撮りパリの雰囲気をブチ壊しながらホテルの風呂では洗い場が無いことを知らずにお湯を溢れさせビデが飲料水だと思って飲んでた時代をニュージーランドで繰り返すようになります。もうすでにその現象はあちこちで現れてますけどね。

 

中国人市場は置いておいて、中産階級が世界中で消滅し始めてますがニュージーランドはその点上手いことをやったというか、元々航空券代を他地域に比べて高めに設定しており本当にニュージーランドが好きというコアな客が世界からリピートする仕組みになっています。例えば東京からだとニューヨークやローマ往復が8万円なのにオークランド往復は13万円とかですね。

 

つまり大人数を追わずに質の高い客を狙い、豪州とは全く違った観光政策を取ったおかげで豪州のような青田刈りにならず計画的に観光客が増加する、それも青田刈りで集まったような二度と戻ってこない市場ではなくじっくりと育てて連作可能な市場を作っているのです。

 

豪州からの観光客はこれからも安定して来るでしょうが彼らは数は多いけど正直あまりお金にならない。冬場のクイーンズタウンを見ればよく分かりますが、毎日豪州のあちこちから飛行機が飛んできても来るのは殆ど若者ばかりで安いバッパーに泊まりファーグバーガーとビールで腹を膨らませるだけですから、一般的なお土産屋、レストラン、ホテルにはあまり関係がない。

 

米国や欧州からの家族旅行のお客はお金持ちが多いですね。とくにオークランドは夏場のクルーズ船がやってくるので彼らはお金を落としてくれる。クイーンズタウンの冬場は長期滞在のスキー客として高級ホテルに泊まり高級レストランで食事をしてお金を落としてくれる。

 

つまりこの国は元々富裕層を狙ったのか結果的にそうなったのかは別として世界の観光地で見れば富裕層が多いと思います。この国は飛行機に乗って最低でも3時間、遠い欧州からなら乗り継ぎで20時間近くかかります。だから飛行機代は当然高くなり、客単価は高くなる。そしてこのトレンドは地理的な要素ですからこれからも変わらないです。

 

他の国々地域では一般的に旅行客とは近隣の人々を含みます。例えば草津温泉に東京の観光客が訪れるので客単価は安くなりますがニュージーランドの場合はどんなに近くても豪州ですから客単価はそこそこに高くなります。

 

近隣と言えばオークランドからクイーンズタウンにスキー旅行に行く人々も結果的に国際価格を払わされる事になるのでそれなりの収入がある層しか行けない。オークランドの普通の若者は車で5時間離れたワカパパやトロアのスキー場で遊び泊まりはオハクネあたりのスキー宿という事になります。

 

そして面白い事にお客が現地で使うお金は移動や宿泊に遣うお金、つまり日本で言えば団体旅行費用と旅行中に遣うお金がほぼ同額だという実績があります。

 

なのでどのようなビジネスモデルかにもよりますが旅行者を数で捉えるビジネスであればビジネスモデルそのものを富裕層向けに転換した方が良いと思います。数ではなく消費単価で捉える切り口にすれば確実に儲かります。

 

何故なら一回の販売に要する時間が同じであれば単価の高いほうが利益が出るからです。高めの商品でも物語や買い物客の心を動かす要素を作れば付加価値が付いて売れます。これはぼくが実際にクイーンズタウン時代の4年間でやってきたことです。

 

ただ多くのキーウィ小売店の場合、ぼくも見てきましたがあまり変化を好まない。自分が売れると思う商品を並べて売れれば、それはそれで幸せだと考える傾向があります。

 

けどそれが本当に旅行客の心に刺さっているのか?供給者側の論理でものは売れないのだ、徹底的に需要者側の視点で考える必要があるのだ、そういう意識を持った経営者は少ない。それは彼ら自身が世界旅行を経験していないから世界、とくに北半球の市場の大きさに気づく事がないからです。

 

これからの市場はどう変わるか?確実に二極化します。経済的な国境はなくなり世界の5%以下の富裕層を取り込むか、95%の一般層を薄く広く利益率低く他社との競争の中で利益を出すか?という時代になります。

 

旅行屋を35年もしていると世の中の動きを感じます。1980年代は中流層狙いが正解でした。今の狙い目は確実に富裕層です。世界的な不況と言うけどそれはお金が中間層から富裕層に移っただけの事です。

 

石油が高いとか言うのは中間層ビジネスをみた場合の話であり、自分の店が誰にも用意できない商品を用意してゆったりしたソファに座ってお客と最高のお茶を飲みながらまず人間関係を構築して、それから相手に合わせた商品を「これならあなたに合うのではないですか?」と提供する。小さな国の特性を逆利用して少数を相手のビジネスに特化するのです。

 

結局旅行客が買うのは思い出です。自分の家に帰って友達を呼んだパーティの時におもむろに取り出したニュージーランド産のお土産を「これってさ、世界でたった一つしかないんだよね」と言える付加価値です。



tom_eastwind at 17:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月27日

「沖縄が日本から独立する可能性はあるでしょうか?」

タイトルのようなご質問を頂いた。幅の広い答え方があるが言葉そのままに捉えてぼくなりに今までの沖縄に対する独学で見立てを書いてみた。かなり長いので興味の無い方は読み飛ばして下さい。

 

★抜粋開始

専門家の多くは、東シナ海にある釣魚諸島(日本名:尖閣諸島)の領有権を巡る中国と日本のあつれきに不安を抱いている。だが中国にはより過激な見解を持つアナリストたちがいる。そのようなは人たちは、この釣魚諸島を巡る論争は日本の沖縄県が多くを占める琉球諸島にまで拡大する可能性があると考えている。

 

中国の還球時報は7月、中国は沖縄県がある琉球諸島に対する日本の支配に関する法を見直すべきだとする社説を掲載した。沖縄県には米兵士を除いておよそ140万人が暮らしている。英国の「ファイナンシャル・タイムズ」紙が記事を抜粋して伝えたところによると、「中国は領土の一体性に関する論争において、日本と争うことを恐れるべきではない」という。

 

中国人民解放軍国防大学 ・戦略研究センターの所長を務める金一南少将は、さらに踏み込んだ考えを表した。所長は国営ラジオの番組で、釣魚諸島だけを対象とするのは「あまりにも幅が狭い」との見解を表し、中国は琉球諸島すべてに関する領有権問題を提起するべきだと述べた。

★ファイナンシャル・タイムズより

 

正確には井口ブログからの引用だが原文はファイナンシャル・タイムズから。沖縄独立は十分に有り得る。ただその視点はあくまでも沖縄を周囲の国家との距離感、つまり地政学からである。

 

古代沖縄が独立した国家であった事は殆どの日本人が知っている。日本と中国それぞれを相手に交易を行っていた貿易民族である。ちなみに昆布の消費量がつい最近まで日本一だったのは沖縄県である。

 

これは古代の日本海貿易で北海道あたりで採れた昆布などの海産物を十三湊、新潟、そして博多港から沖縄経由で台湾、広州ルートや福建から上海経由北京へ届けていた時代の名残である。

 

中国と日本両国と良い関係を取っていた沖縄だが中国が次第に海洋国家から鎖国国家に変化していき沖縄との関係も疎遠になるにつれ薩摩藩が沖縄に触手を伸ばして侵略してしまった。

 

江戸時代を通じて沖縄は薩摩に虐待され、江戸幕府も沖縄など所詮九州の更に南の小島の土人くらいに考えていたから沖縄がどのような扱いになろうと無視していた。

 

そして明治時代になると琉球処分が起こる。1872年の琉球藩設置から始まり沖縄を完全に日本の領土とする明治政府の一連の政治的的運動である。

 

政府は沖縄の人々は日本人というが東京のエリートの腹の中ではそのような事はみじんも思っていない。

佐藤優「外務省に告ぐ」P93

1880年に日本政府は中国にこんな提案をしたからだ。<琉球諸島を二分し、台湾に近い八重山・宮古の両先島を清國へ割譲し、その代償として日本が中国内地での欧米並み通商権を獲得しようというものであった。日本が提案し、しかもその実現に熱心であった。「分島・改約」案は、日清間で合意に達したが、清國側の調印拒否にあって、流産したものの、もしもそれが実現していたら、日本人の中国内地での通商権と引きかえに、宮古・八重山両島の土地・人民は、清國政府の管轄に移されていたはずである>原文は金城正篤「琉球処分論」1978年から引用

 

このように沖縄はその位置関係から日本および中国の間でつねに揺れ動いていた。尖閣諸島問題で中国に対して感情的になる人々の理屈で言えばその昔あなた達の敬愛する日本政府が沖縄の一部を中国に売り渡そうとしていた事実をどう考えるだろうか、是非とも知りたいところである。

 

ぼくが初めて沖縄の土を踏んだのは1970年代後半である。道路も未整備で南部戦跡では洞窟に入ると人骨があったり豊見城や糸満あたりでは誰も住んでおらず放置された民家があった。沖縄戦で家族全員が殺された家である。

 

国際通りのマクドナルドの前では顔一面が火傷の為に赤黒くなり髪も殆ど残っていない老人が行くあたもないようにぶらぶらと歩いていた。コザ市に行くと米兵相手のバーが軒を並べて派手な格好の女性が米兵の腕にぶら下がっていたものだ。

 

霞が関で働き電車に乗りクーラーの効いたマンションに住んでる「日本人」には思いもつかない世界だろうしどうでも良い世界の話なのだろう。

 

沖縄が返還されて沖縄の人々はやっと日本に戻れるとホンキで思った。けど結局基地は残り米兵に対しては日本国の法律が適用されず犯罪を犯しても逮捕出来ず犯罪人が米国に帰国しても追いかけることは出来なかった。沖縄の人はやっと夢から目が覚めた、俺達の土地は俺達が守るしかないと。

 

そして彼らは考えた。ここで義憤に燃えて独立すべきか。大田昌秀知事の時代はどちらかと言うと沖縄独立の方向性があった、琉球民族は大和民族から離れて独立国家となるべきだという意見だ。

 

しかしそこは元々貿易国家であり日本と中国の間という地政学的位置を利用して来た賢い人々である、大田昌秀の次を継いだ知事の時代あたりから独立という義憤に燃えて名を取って貧しくなるよりも現実を見据えて日本から金を巻き上げるという実を取った。

 

それが基地を抱える代わりに沖縄に対する様々な助成金を出させることである。金を取ろうと取るまいと基地はそこにある。どうせあるなら金を取ってしまえとなった。

 

同時にそのカネを今日の飯にするのではなく空港整備に使いモノレールを作り海洋博で東京によりさびれさせられた北部に一大リゾートを作り本土からの観光客を呼び寄せて政府の金だけでなく日本民族からも直接金を巻き上げる政策になったわけだ。

 

これが今の沖縄の繁栄の原点である。このあたりをしっかりと理解しておかねばいくら普天間問題や尖閣諸島や中国との軋轢などを感情的に声高に叫んでも所詮表層的な自己満足的感傷「わたしって何て愛国心があって優しい人なのかしら〜」としかならない。

 

日本はその国益のために沖縄を利用してきた。大東亜戦争時には沖縄を盾にして本土を守ろうとした。サンフランシスコ条約で沖縄を米国に譲り渡した。日本復帰後も核兵器を嘉手納基地に保有することを認めて来た。

 

官僚は米国と基地を利用して国家予算を「思いやり予算」として米国と自分の懐を肥やすために使ってきた。つまり日本民族は歴史的にただ一度として沖縄の人々を日本人並に扱って来なかったのだ、そしてそれは現在も続いている。

 

冒頭の沖縄独立はあるかというご質問に対しては「あると思う」がぼくの答だ。もちろん未来を完璧に予測することは出来ない。しかし今までの歴史を見て沖縄を地政学的に見て沖縄が以前は独立しており今も日本民族とは違う価値観で生きている以上、独立の可能性は十分にある。

 

時期的に言えば、21世紀に米国が第二国境線まで下がりアジアから離れていくあたり、つまり後510年程度で可能性が出てくる。日本政府としては思いやり予算が欲しいから米軍に出ていってもらうと困る。そのためには沖縄に金を落す必要がある。

 

しかし米国議会がアジアからの完全な撤退を決めてしまえば日本政府に止める力はない。従って様々な手段を打って米国が離れていくのを止めようとしている。尖閣で揉めれば米国が撤退を言い出しにくい。

 

しかし欧米流の冷徹な理屈でいけばいずれ日本は捨てられる。米国も金がないのだ、外国に派遣する余裕はないのだ。世界警察の立場を降りる事で少しでもその金を社会保障に充てて国内治安を守りたいのだ。教育に金をかけて貧しい黒人の立場を向上させたいのだ。

 

沖縄は基地があるから日本政府から金が取れるが基地がなくなれば二等国民に落とされるのは分かっている。だから沖縄から基地が出ていき沖縄が独立しても十分に自前で食っていけるような貿易国家となり観光資源インフラを整備してカジノを導入していけば独立の可能性は十分にある。

 

というか、独立しなければ二等国民になるのだから誰が座して死を待つような事をするだろうか?独立という選択肢しかなくなるのがものの道理である。そうなった場合に日本政府が「蛮民」をどれだけ足蹴にして独立を潰そうとするかが問題である。今時の日本で武器を持った直接的独立戦争が起こるとは考えにくいが公安と諜報を使い独立派の撹乱を図るだろう。

 

そしてその時には皆様の大嫌いな中国が出てくる。確実に出てきて沖縄独立を応援する、それは中華帝国が朝貢国家を増やすための常套手段である。そこが日中戦争の始まりになる可能性も高い。

 

米国としてはアジアが自立してもらった方が良い。しかしどれか一国だけが強くなって欧米に互角に適する程に強くなっては困る。だから日中を噛みあわせておく戦略は当然の判断であろう。今もアーミテージやジョセフ・ナイが東京や北京をたてつづけに訪問してアジアから離れるお駄賃がどれだけ取れそうかを計算している。

 

中国と日本の中間に位置して米国との付き合いもある沖縄はその地政学的立場を一番良く理解している。前回は中国が鎖国になって均衡が壊れて日本に侵略された。今回は日米中という三カ国の中で均衡が取れそうになっている。沖縄を囲む三カ国の均衡が取れた時、それが沖縄独立の引き金になると思っている。



tom_eastwind at 16:15|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月26日

山崎

山崎10

 

オークランドのエリオットストリート沿いに新しく出来た高級フードコート内にウイスキー専門店がある。

 

ウイスキーは英国で作られた飲み物と言っても実際はスコットランドでありイングランドでは1300年代までは庶民のお酒はビールやシェリー酒が中心だったと、とある南海バブルネタで1300年頃を舞台にした推理小説に書いてあった。

 

その山崎10年物が150ドル。高いかやすいかは人の判断に任せるがジョニーウォーカー黒が58ドルで同じ750mlなので3倍はする。

 

最初は何の気なしに入った店だが、入り口すぐ右手のところに何だか見慣れたボトルがある。日本語だ・・え、山崎?他にも竹鶴とかあるし、へー、日本のウイスキーもここまで出てきましたかとうれしくなった。

 

海外で生活して日本の商品を見かけることはよくあるが、お酒もここまで進出してきたかって感じるのはやはり日本人としてうれしい。あ、この表現だが、ぼくは日本生まれなので国籍はニュージーランドなので英語で言えばジャパニーズキーウィ、だから日本人とも呼べる。

 

しかしまあ冷静に考えてみればこの店に置いているアイラ島の上質なウイスキーは殆どサントリーが買収しており、酒屋に卸す際もアイラウイスキーと抱合せで販売しているのかもしれない。

 

けど品質は日本独特の柔らかな水を使っておりアイラとは一味違った洗練された丸みのあるものなので飲み比べをすればその品質の高さは理解してもらえると思う。どうでも良いことだが日本人はずっと軟水を飲んでいたのに何故えびあんのような硬水が売れるのかどうも不思議。日本人の下の嗜好はそこまで変わったんかな?

 

しかしこの値段はきついな〜。ジョニ黒3本分の値段のウイスキーは普段飲みはできませんぜ。これは円高のきつい部分かな。それでも記念に一本買った。お店の人はぼくが日本人だとは思わなかったのだろう「おい、この酒は美味しいぜ」ぼくは「知ってるよ、おれ日本人だもん」と返してにこっと笑って「また来るよ」と店を出た。

 

日本の品質の高さを一番よく理解しているのは海外で生活をする日本人である。すべての身の回り品を見渡しても日本には常に最上の品質のものが豊富にあふれている。海外で生活をする日本人が節約して韓国ショップや中国ショップで普段使いの醤油や海苔や味噌やコメを買うことがあっても、それは日本製品が品質が悪いというわけではなく単純に値段が高いからだ。

 

値段が高い理由の一つが流通量が少ないという事がある。もし海外で生活をする日本人が増えて彼らが積極的に日本製品を買うようになれば値段はもっと下がるだろう。BuyJapan活動でもしてみるか。

 

ウイスキー山崎を手にとって自宅で水割りを楽しみながら、今日は久しぶりに日本の映画でも観るかなと考えた夜。一杯一杯を「たっけーな」とか「おいしー」とか交互に気持ちがよぎった夜だった。

 

上記のブログをネタとして書き置いたのが実は今年の9月。酒ネタばかり書くとアル中と思われるので(笑)しばらく放置しておいたけど、実は昨日オフィスに久しぶりに出社して机に溜まってた書類の中から日経ビジネス2012年10月15号を引っ張りだして昨晩読んだら、その61ページ、「ニッポンの商品100」でジャパニーズウイスキーとして山崎と竹鶴が紹介されてた♪

 

嬉しいな、愉快だな、中国や韓国のように他人の足を引っ張るだけ国家と違い、自分で何かを作り出して世界に売っていける技術力、高付加価値を想像して創造出来る技術力。ニッポンチャチャチャです!

あ、ちなみに「こんな事書いて下さい」てのがあれば できる限りリクエストにお応えしますよ。説明会に参加するほどではないけどここんとこどうなってるのNZでは?というのは、プライバシーや他起業の毀損に当たらない程度で書けますので、ウォシュレットとかクーラーとかガス料理とか、小ネタもたくさん書きためてるのでよければどーぞ♪





 



tom_eastwind at 17:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月25日

キーワードは中国人か?民度で考えるシンガポール

民度の低いシンガポール、何故か?最初に書いておくがこれは全体像に対するぼくの個人的印象であり、シンガポールにも立派な人がいます!なんて個別例外論で読まないで欲しい。民度とは国民が国家を成立、維持、成長させるための行動をどれほど取っているかである。つまり自発的な相互互助をどこまで理解出来ているかだ。一部個人が立派かどうかの話デはないことを最初に記しておく。
 

 

さて、まさか赤道直下の暑さでやられたとは思えないが、のんびりした国民性という以前の問題で自分で物事を考えようとせずにまるでところてんのように流れ作業をして、それでは非効率ではないかとかそれではサービス業と言えないでは無いかという事が全く国家として理解出来ていない。

 

そこには様々な理由があるが、ここで一つ仮説を考えてみた。それはリー・クワンユーがあまりに優秀なワンマン社長であるために社員である国民が自分で考えることを放棄して国家の言われるがまま上司に言われるがままに作業に専念してその作業が必要なのか効率的なのかもっと他のやり方はないのかと自発的に考えることをしない。

 

香港ではそのようなワンマン社長がおらず国民は英国植民地支配の基本である積極的放任主義で育った為に一人ひとりが自分の頭を振り絞ってものを考える。だから一人ひとりが非常に個性が強く理屈を持ち議論が成立する。

 

しかしシンガポールでは自分で考えることをしないために他人に指摘されても何が悪いのか自分では分からない。「何で私が文句言われるの?私は言われたままにやってるだけなのに」となる。

 

これは日本でも同じでワンマン社長の会社では似たような現象が起こる。これは個性の問題ではなくシステム上の問題なのでワンマン社長の下にいながら自分で考えることはかなり大変である。できない事はないが組織がシンガポールのような大きな社会になると不可能に近い。

 

大日本帝国軍隊がその規模の大きさゆえに、ニューギニアやインパール作戦で間違っていると分かりきっている戦略でも現場は受け入れてご無理ごもっともを押し通して多くの使者を出した。それでも誰が悪いのかを指摘も出来ず組織全体が崩壊するまで思考停止状態が続いた。

 

リー・クワンユーの賢い点は、彼は自分の晩年になり国家がある程度成長していくと野党の存在を認め少しづつ民主主義を導入し始めた点である。その息子も現在首相をしているが、そのあたりはきちんと親父に教えられていると思う。

 

つまりシンガポールが発展するためには邪魔だった民主主義を導入せず経済的発展が一定の段階まで来た時点で国民が自分で考える仕組みに移行しようとしている。その為の民主主義の導入である。

 

しかし今まで長い間バカのままで放置され自分で考える能力を放棄した一般国民はある日突然自由を与えられて自分の頭で考えろと言われ自分の価値観で政治家を選べと言われても簡単にはシフト出来ない。

 

今のシンガポールの発展は非常に良い方向に動いてはいるが今まで民度が低いままで自分で考えることを放棄してきた国民をどのように自発性を持たせて自己責任で生きていけるようにするかだろう。

 

道路に唾を吐かずバスや電車はきちんと行列して車内で飲み食いせず、つまり中国系シンガポール人が抱える血統的中国人の血液を拒否出来るかどうかだ。

 

現在の状況の変化を国民がどれほど理解しているかは実際に街に出てみれば分かる。変化は始まったばかりであり一定の方向性が見えるまであと5年くらいかかるのではないか。

 

しかし幸運な事にシンガポール国民のリーダーはその問題を理解しており彼の目の黒いうちにシフトをしていかねばならないという危機感を持っている。今はまだ民度の低い国であるが、肌感覚で言えば5年程度でこの国も大きな舵取りで方向転換をしていくのだろうと感じている。

 

今年中にもう一回シンガポールに行って見立てを確定したいと思ってる。これって全く仕事とは関係ない部分で活動しているが、自分にとっての仮説の検証とそれによる勉強が少しでも自分の知識の薄さ加減をほぐしてくれればと思っている。



tom_eastwind at 18:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月24日

フローズンマルガリータを飲みながら

シンガポールのホテルでフローズンマルガリータを作ってもらう。このホテルではシュガーシロップを使うようだがぼくはでライムだけで作ってもらったのだが、これがキンキンに冷えてて真夏のシンガポールで火照った体にとても合う。

 

シンガポールはその昔英国植民地だった事もあり英語も通じるが、正直これはシングリッシュであり僕らが一般的に使う英語とは全く異なる。英語と米語の違い以上に違うので最初は何を言われているのか本当に分からない。

 

でもってこれが言葉の使い方だけでなく価値観や考え方の違いにも出てくるのでしゃべってそのうち頭がグラグラしてくる。彼は謝っているのか怒っているのか笑っているのか、どう聞いても全然分からない事がある。

 

話はフローズンマルガリータに戻るが、広いグラスの縁に綺麗に塩を付けてくれるのだがこの塩が美味い。どこの塩だろうと思って「これ美味しいね、何?」と聞いたらきれいに「ソルト」と返された。

 

そう、質問は正確に対象を捉えて範囲を限定して聞かなければ、日本人同士の会話のように言わなくても分かる部分はない。

 

同じような場合で中華レストランで出てきた蒸し魚が美味しくて「これ何?」って聞いたら「フィッシュ」と返されることがある。

 

相手はこちらが何を聞きたいか正確に理解していないしこちらも質問の仕方が間違っているから会話が成立しなくなる。

 

シンガポールでは中国系シンガポール人が政治を握っているのだが彼らは自分の事を中国人と呼ばれるのを非常に嫌っている。あんな下品で恥知らずの連中と一緒にしないで、まさに香港人と同様である。

 

彼らにとって自分はシンガポール人であり仲良く出来るのは英米白人と日本人でありそれ以外の人種はフィリピン、マレーシアなど一段階下って位置付けをしている。

 

今回も夜は行きつけのバーに顔を出して最近の日系企業の進出ぶりを聞く。店のままに「ねえtomさん、シンガポールはこれからどうかな〜?」と聞かれた。僕の仕事を知っているので他の街と比較した情報が欲しいのだ。

 

大丈夫、これから5年はシンガポールはイケイケだよ、中国が大変な事になって誰もがチャイナリスクを理解すると同時にアセアンを使った中国包囲網が必要だと中国の周辺国はよく分かっている。ベトナムからタイを経由してインド洋まで東西横断の高速鉄道と高速道路が出来て状況は一気に変わる、その際のハブとなるのがシンガポールだよ。逆に香港は今は景気が一時期ほど良くない、中国に巻き込まれてしまってるね。実際に香港では行きつけだった日本人向けバーが3ヶ月ほど前に閉店してた。

 

だからママさんのシンガポールの商売は少なくとも後5年は安泰だ、そう説明するとほっとしたような顔をしていた。やはり日本人が裸一貫で外国で商売を始めるリスクは高く、そのことを一番分かっているのが実際に起業している人たちだ。

 

街は賑やかであり次々と開発が進み新しい高層ビルが立ち並んでその発展は急激であり大掛かりであり世界のハブとしてインフラ整備が進んでいる。

 

けれど進んでいないのは肝心のシンガポールの一般人だなって感じた。これは1980年代から感じていた事で今年も数回シンガポールに渡航した際にシステムや器の素晴らしさとそれを実行している一般人との乖離である。

 

なんだろうなこの感覚って、昔から分からなかった。けど何となく今回の訪問で「あ、これか〜」と感じた事がある。けど時間がない、そろそろシンガポール空港に移動です、この事はまた明日まとめて書きます。

 



tom_eastwind at 16:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月23日

損壊議員

損壊議員、懲戒議員、司会議員、狷介議員、滑稽議員、草履大臣〜

漢字変換をしたら様々な実態が見えてくる政治家であるが、どっかの法相はお食事券が汚職事件になるのも日常茶飯事の世界では「おらが村の山猿大将」が見えてくる。

 

青森ではすでに民間企業が青息吐息でお上頼りで原発関連施設がなかったら食っていけない、だから原発でも毒まんじゅうでも食ってしまえという話になっているが、それって要するに今までしっかり自分の頭で自分の生活を守ろうって考えがなかったからでしょ。

 

地吹雪でも外国人には観光名所になるって現実を理解している人は生き残れる。けれど地吹雪や自然をそこにある迷惑なものくらいにしか思えない連中は「うちは自然が厳しいし土地が貧しいから原発もらってけ」となる。実に貧弱な発想である。

 

自然が厳しいならそれを売り物にしろ!土地が貧しいならそこでワインでも作れないか?それでもダメならその土地から勇気を持って出てけ、新しい土地を開発しよう!などと言うと先祖代々のどうのこうのってセリフが出てくるのだろうが、そんなのはまさに弱虫で無教育でだらしなくて自分で何も切り開いていこうとしない卑怯者の逃げのセリフでしかない。

 

素晴らしい自然を持つ村を目先の金だけの為にぶっ壊すのが損壊議員であり、地元の街で身内や仲間内の利益ばかり配分して、けど手口があんぽんたんでバレバレだからすぐ逮捕される懲戒議員、地元の有力者の結婚式や葬式に顔を出して「いや〜この度は〜」とお喋りするだけなのが司会議員である。

 

まさしくバカで役立たずな連中が自分たちの生活する地域をどんどんダメにしている。自分の馬鹿さ加減を知ろうともせずに言い訳ばかりして逃げまわり結果的に地元に原発を導入して結果的に村を崩壊させていく。バカの極みでしかない。

 

民主党がマニュフェストに書いた群馬県八ツ場村ダムの工事中止にしても結局は役人や目先の金に釣られた連中が工事継続にして目先の金で自分の村の素晴らしい自然をぶっ壊してコンクリートの塊にしている。

 

こいつら損壊議員はまさに子供たちの将来を何も考えていない。今目の前にある問題だけを一番簡単に片付けてそれで自分たちはしめしめと逃げまわっている。そのような自分の子供達にツケを回して問題先送りをする連中が現在の日本の閉塞状況を作っているのだ。

 

江戸時代に五公五民で苦労した百姓でも、やる気のある奴らは新田開発をして豊かになった。考え方次第で世界はどうにでも変えられる。人間にできないことはない。自分で自分に壁を作るのが最も心の弱き連中のする逃げ口である。

 

逃げるな!戦え!考えろ!親からもらった脳みそを最大限に振り絞って自分と家族を守れ!歴史の大きな流れの中で避けられない運命があっても、流れの中で舵を使って左右に動くことは出来る。激流を下るボートでも単に流されるのではなく自分で舵を操って少しでも良い方向に舵取りをするのだ!

 

今日はシンガポールに来ている。東京では刺激的な経営者とお会いしてやる気が出て、また多くのお客様と面談が出来て、彼らが自分たちだけでは絶対に見えなかっただろう移住に関する提案をさせてもらった。

 

けど一つの面談時間が45分しかないのでかなり端折っていきなりプライベートなポイントにツッコムを入れる僕の姿勢は普通の生活をしている人にはとんでもない乱暴者に見えるだろう、その点はお詫びするが時間的制限もありご容赦戴くしかなない。

 

しかし現在の日本は本当に崖っぷちに来ている。ぼくは1970年代の日本、1980年代のニュージーランド、1990年代の香港やシンガポールや中国、2000年代のニュージーランドを見ながら、それぞれの街や国家の栄枯盛衰を見てきた。

 

どこの街や国でも繁栄する時のシグナル、崩壊し始める時のシグナルがある。これは新聞やテレビでは絶対に分からない、その場に流れるほんのちょっとした空気である。またそれを感じ取る感覚である。

 

仕事柄年中いろんな国を旅しておりそれがまさにぼくの仕事なのだが、定点観測をすればそこにいる人には見えなくても旅人には見えてくるものがある。ゆでガエルみたいなものだ。毎日村という鍋の中にいると少しづつ温度が上がっているのは気づかない。あまりに変化がゆっくりしているからだ。けれど気づいた時には逃げられない状態で茹でられて死んでしまう。

 

外から時々訪れて同じ場所の温度を測ると、あれ?前回よりも随分熱くなっている、そういう事に気づく。その街に住んでては殆ど感じ取れない温度差だが、旅人には感じることが出来る。

 

香港はすでに衰退時期に入っている。1990年代前半は香港が超イケイケ状態でハンセン指数が急上昇していたがやはり1997年に中国に飲み込まれてからその自由な勢いをなくしてしまいアジアの金融センターのハブ機能をシンガポールに奪われてしまった。

 

シンガポールも1980年代まではアジアの小さな国だった。水は隣国のマレーシアからもらうしかなくシンガポール内のマレー人と中国人の軋轢をどう処理するかで悩んでいた小国だった。マーライオン並みのちっちゃな国、それがシンガポールだった。ところが1990年代に入りリー・クワンユー首相の力強い統率力でシンガポールは民主的独裁国家として急成長して世界の金融センターの一つに登り詰めた。

 

それはすべてにおいてリー・クワンユー首相の危機意識と対応能力の素晴らしさにある。水がなければマレーシアに頭を下げて水をもらうが同時に日本企業と組んで海水から真水を取り出す技術を開発する。シンガポールは海に囲まれているのだから海水から真水を取り出せばマレーシアに頭を下げる必要もない、つまり国内にいるマレー人に対する優遇政策も不要となる。あと4年程度で真水取り出しが実現するとのこと。

 

中国は巨大過ぎて下手に近づけば飲み込まれてしまう、だからアセアンと日本を共同させて対中国包囲網を作る、けどそれは中国と完全に敵対化することではなく中国と対等の立場になる為の作業であり決して中国を批判することではない。けれどあまりに多くの中国大陸移民が来ればすかさず投資家ビザを停止する機敏さはある。いたづらに同じ事を繰り返すわけではない。

 

生きるってのは常に変化を恐れずに現実に立ち向かっていく事だ。現実は避けられないがうまく対処することは出来る、変化を恐れなければ。変化を恐れて問題を先送りして自分の頭を使わない連中、それが結果的に村を壊す損壊議員どもだ。



tom_eastwind at 14:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月22日

旅日記 恵比寿

恵比寿にて

 

偶然に恵比寿の小籠包レストランで20年ぶりに古いお客様に会う。邂逅、そんな言葉がぴったりの巡り合いだ。

 

赤坂にお住まいのお客様と食事をするのにたまには恵比寿でと思い検索して選んだお店が、偶然ぼくが香港時代に大変にお世話になった人が経営するお店だったのだ。

 

ぼくは東京にいても普段は殆どがホテルの中にこもって仕事をしており外に出ることは少ない。けど恵比寿駅前にオシャレなお店があるのはネオンサインを見てて分かる。

 

だもんでネットで検索して美味しそうなお店を見つけてよっしゃと思い、いつものくせで会社概要を読むと、え?この名前、あれれ?って感じでびっぐびっくり。あの人じゃんか!

 

当日お店に入り、あまりの偶然ながらお店の店長にぼくの名刺を渡して「社長に渡してもらえませんか」と伝えたのだが、まあ大きなビジネスをしているのでお店には来ないだろうなって踏んでたら、なんとその1時間後に「こんなヤツ知らんぞー」みたいな雰囲気で彼が来たではないか!

 

お互いに顔を見合わせた瞬間ってのは、まさに20年の時が一気に流れて「あの頃」の雰囲気が出てきて、お互いにうわーって感じ。

 

1990年代前半の香港ってのは、とにかくハンセン指数が無茶苦茶値上がりした時代であり誰もが明日は幸せになると思ってた時代だった。誰もが楽しく生活をして活き活きとしてた時代、そんな時代にぼくはこの方の会社の成長を見ながらいつもすごいなーと思ってた。彼は僕に会う度に「はよー独立せいや」と言ってもらってた。

 

1996年、香港返還の前年にぼくはニュージーランドに戻り起業していろんな経験をしながら現在に至るわけだが、これなんてまさに彼の影響が大きい。

 

あれだけ個性の強い人ってどう表現すればいいのか分からない。おそらく1300年代に中国や韓国を襲って戦った倭寇のようなものだろう。

 

とにかく頭の中に国境がなく人生は常に戦であり平凡なところが全くなく更に笑いと楽しさを大事にしており、預金通帳なんてどうでもよく毎日を楽しみながらビジネスを徹底的に勝った負けたで楽しんでる人だ。

 

偶然の邂逅であったがその二日後に夕食をお誘い頂いて美味しい小籠包と懐かしい会話が弾む。日本ってこんなに狭かったか〜と思うくらい懐かしい出会いだ。神様ありがとって言うしかないが、そんな事言ったら彼は「運は実力のうちじゃ!」って言われそうだ。

 

この方とも実にいろんな話をした。楽しくって会話が途切れることがなくて、何よりもお互いに外国で自分の腕一本で戦ってきたという経験があるので話がぴったり合う。こればかりは日本国内でどれだけ大きな会社で頑張ろうが海外駐在をしようが絶対に理解できない裸一貫の世界である。

 

本当にイタコ一枚海の底みたいな生きるか死ぬかの戦いを毎日過ごしながらそれでも笑いを忘れずに人生を楽しみ人を人として敬い相手の出自ではなく相手の心構えで評価して、その評価コストをしっかり払いつつ生きていく、そんな生活って日本の歴史の中で言えば一番近いのは1300年代から1600年までの戦国時代であろう。

 

これだけは、やった人間にしか分からないところがある。実際に自分を明日死ぬかも分からない背水の陣に置き戦い勝ち抜いた人間だけが持つ独特の道徳ってのは、ほんとに一種貫いているものがある。

 

よっしゃがんばろう、もっと頑張ろう、みっともねえ事はできねーぞ、そんな気持ちになった恵比寿の夜だった。

 



tom_eastwind at 02:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月21日

人を切りたいと思った

JR博多駅で起こった無差別傷害事件では男性6人に被害が出た。幸いにも死者は出なかったが犯人の「人を切りたいと思った」はまさに時代が生み出した事件であろう。

 

ニュージーランド移民局が移住関係各社用に作成した内部資料によると、今年の8月までの投資家部門(投資家プラス43件及び一般投資家359件)の申し込み国家別ベスト3の一位は英国で28件、二位は中国で27件、三位は米国で25件である。

 

ここで注目したいのが第三位の米国である。この国は世界で最も偉大であり裕福でありながら何故ニュージーランドに移住しようとするのか?

 

それは、ニューヨークの一等地に住んでいてもいつ爆弾が落ちてくるか分からない、通り魔のような無差別殺人で「ふつーの人」に殺される可能性がある、テロリストの標的になるかもしれない。ましてや戦争になればまっさきに米国のシンボルとして習われる可能性あある。

 

だから彼ら富裕層米国人は自家用ジェットに乗ってオークランドにやって来て移民局に「おい、永住権くれ、なんぼや?」という話になる。考えてみれば確かにそうだ。テロリストにとっては爆弾を仕掛けるだけで誰が死ぬかはどうでも良い話だ。金で命を買えないのだ、」ニューヨークに住んでいる限り。

 

そうなると資産が出来れば世界で一番治安が安定している国で生活する権利、つまり永住権を取得することが大きな問題となる。映画監督のジェームズ・キャメロン(有名ですよね♪)もウェリントンの南に牧場を買ってロサンゼルスを往復している。

 

今日はセミナーと個人面談で午後1時から7時まで6時間喋りっぱなしでさすがに喉も疲れたが、参加された方の気持ちがよく伝わった。毎回12名限定でやっているけど、これくらいがちょうど良い。参加者の方の顔を見ながら焦点を合わせる事が出来るからだ。

 

危機感。これってどれだけ危機が近づいて感じるかは人によるだろう。けど米国の金持ちがニュージーランドに逃げこみ始めているって現実だけは理解したほうが良いと思う。



tom_eastwind at 20:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月20日

クラブハウスサンドイッチ

ちょっと旅日記。

 

今日は恵比寿から日帰りでの大阪出張を終えて夜7時過ぎにホテルに戻りシャワーを浴びる。くだけた服装でリラックスしていつものバーで今日一杯目の水割りを飲む。水割りってのがいつの時代から焼酎の話になったのか本当に不思議だけど、水割りとは僕の頭の中では常にウイスキーだ。

 

バーで食うものはいつもクラブハウスサンドイッチ。偶然なのかマニュアルがあるのか知らないが、ぼくがメンバーになっているスターウッドグループ加盟のホテルで食べるクラブハウスサンドイッチは東京だろうがバンコクだろうが香港だろうがシンガポールだろうがすべて同じ食材と作り方なので、こりゃ何かマニュアルがあるのか?と思ってしまうほどだが、これが結構美味しい。鶏肉と卵焼きとレタスとトマトがバランス良く入ってて、分厚くて食いにくいが健康には良さそう。

 

朝の羽田空港から関空へはスターフライヤーが飛んでて結構快適に移動。シートの作りが良いのか気持ちよし。お客様のご自宅を訪問して話し込み、いろんな話をする。

 

タクシーよりも電車の方が早そうなので帰路は電車に乗ると、あはは、久しぶりに懐かしい光景♪。何で電車に乗ってる5人くらいの中学生グループが元気良くて木刀持って車内でつり革持ってブランコしたりしてるのかな〜(笑)。

 

こういうのって一種のピリピリした空気があり分かる人にはわかる。彼らはとにかく喧嘩したくて、ちょっとでもガンつけしたりとかの機会があれば速攻で木刀で誰かを殴りたいんだろうなってのがひしひしと伝わる。あはは、いいけどさ、今日はこっちゃスーツ着てるし飛行機に乗り遅れるわけにはいかんし、適当に無視しておく。

 

彼らも今日はあまり戦闘モードではなかったようで次の駅で降りたにーちゃんたち、おお、ここが岸和田ですな。岸和田愚連隊って映画でも有名になった喧嘩大好きの場所だけに、次回来る時はこっちも特殊警棒を持っておこうかなとって思うくらい楽しい場所ですな。

 

その代わり連れは先にタクシーで関空に帰さないとね(笑)。大丈夫、飛行機に間に合うように片づけますよ、こういうのは一応慣れてますから(大笑)。

 

岸和田のあたりで降りた子供たちも、まさに結構気合入ってて面白かったな。体がまだ出来上がってないので強いことはできないだろうが、あと3年もすれば筋肉もついて楽しい生活送れるようになりそうだ(笑)。

 

日本を旅してて楽しいのは、こんな景色を見ることが出来るからだ。

 

関空から羽田に戻る機内では出発寸前に急病の患者さんが出て40分ほど出発が遅れた。飛び上がった後でなかっただけで患者さんには幸運ではないか。機長が遅延のお詫びをしていたが乗客も「明日は我が身」と思っているのか誰も気にした様子なし。

 

たぶんこの便に乗ってるのは大阪で仕事が終わったビジネスマンだからあまり来にしなかったのかなって思う。さてっと、これで今日は仕事も終了、クラブハウスサンドイッチで腹一杯になったので寝ますzzzzz。



tom_eastwind at 02:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月19日

天下最も多きは人なり最も少なきも人なり

何を聞かれたかではなく何故聞かれたのかを考える。

 

右のものを左に伝えるだけではあなたに付加価値はない。そんな仕事はあっという間にパソコンに取って代わられてあなたの仕事は無くなる。

 

右は情報源であり左の情報購入者に伝える前に自分で考えて付加価値をつける。考えるベースとなるのが日常の勉強、一般知識を身につける事、つまり本を読むこと、これが古代から洋の東西に関係なく言い伝えられているが、これが自分の価値だ。

 

毎日が勉強と考えて周囲で起こっていることを何故?と考えるくせを身につける。そのくせが身につかない人は言い訳は上手だが人生を自分の足で歩いているとはいえない。

 

誰に何を聞くのか?車の修理工に家の建て方は分からない。正しい相手に質問しているのか?

 

学校の先生が正しい答を知っている可能性はかなり低い。彼らが知っているのは受験に合格するための答であり人生に必要な本当の答ではない。相手は聞かれた事に答えるだけで何故聞かれているかを考えないから間違った答が返ってくる可能性がある。

 

先生とは「先」に「生」まれたという意味でしかなく、先に生まれた人間が偉いのであれば世界で一番偉いのはネアンデルタール原人だって事になる(笑)。

 

などなど、今日は東京で長い付き合いのお客様と会食しながら人生の様々な話を楽しませてもらった。仕事をしてて何が楽しいかって、こういう含蓄のある話をお客様から聞ける事だ。

 

会社の話もした。会社は誰のものか、企業性善説や性悪説、日本では長期の利益は長期の信頼に正比例する社会だから本来日本の企業は社会の役に立つように活動する。その意味で日本企業は性善説である。しかし現実には戦後民主主義と米国式経営が導入されて本来あるべき姿と実態が乖離しているケースもしばしば見かける。

 

アングロサクソンビジネス一発勝負の短期ビジネスである。彼らは元々大航海時代に貿易船がインドに行って商品を仕入れて戻ってくるまでの2年間が投資期間であり2年経って船が無事に到着すれば配当が出て儲かるが途中で船が沈んでしまったら投資は失敗する。

 

だから企業が長期にわたって成長して社会の役に立つという視点がない。社会を良くしたり社会保障を整備するのは、それは政府の仕事でありその源泉として企業は利益を出して納税することで企業の社会的義務は終了するのだ。

 

あくまで投資家=株主の利益を最大化するだけが目的だ。従って利益を最大化するためには出来るだけ安く仕入れて出来るだけ高く売る、つまり顧客と自分のどっちが損をするかのゲームである。だから短期視点で相手を騙そうとする。2年で売り切れ利益出せ、儲かれば即解散だって事になる。

 

昔の話であるがフォード・ピント事件がある。米国自動車メーカーフォードが自家用車を開発する際にガソリンタンクを後部トランクの上に置くか後輪上部に置くかで議論になった。後部トランクの上に置くと安全だが開発費用が高くなる。後輪上部に置けば開発費用は安くなるが事故を起こした際に発火の危険性がある。

 

そこで社長はこう言った。「まず事故の発生率を計算しよう。それから生産台数を決めてみよう。事故が起こって裁判で訴えられてかかる費用と開発費用の節減と、どちらが得か計算してみよう」

 

結果的に事故で訴訟を起こされてかかる費用を払ってでも開発費用の節減の方が利益が出ると分かった為に危険を承知で後輪上部にガソリンタンクを置いた。つまり事故が起こって人が死ぬ事が予想されても利益が出れば優先する、つまり金が人を上まったのだ。

 

後日案の定訴訟が起こった。そして裁判において企業側の利益優先人名無視の事実が判明してこの時に米国で初めて企業に懲罰賠償を課すことになった。つまり米国では企業は性悪説でありだから常に取締が必要だ、社会で生きる人々を守る為に必要であれば企業が人命無視で得た利益を罰金として課すのだという姿勢になった。

http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html

 

ところが米国では企業システムそのものが企業利益追求=株主利益の追求になっているからリーマン・ショックが起こってもそれまでボロ儲けした銀行家には何の責任もなく一般大衆が払った税金で彼らの失敗の尻拭いをするという非常に矛盾したシステムになっているのだ。

 

等など、長い夜をグラスを傾けながらいろんな話をする。天下最も多きは人なり、最も少なきも人なりである。東京2日目終了。

 



tom_eastwind at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月18日

100ドルなんてあっという間ね

「100ドルなんてあっという間ね」アクセントからして多分米国から来た4人家族だろう、ちっちゃな子供たちはホテルのエレベーターの箱のなかで賑やかそうだが、お母さんからすればうんざりしたような声で「何て物価の高い国!」って嘆いてるところだろう。子供たちがこれから向かうであろう電器店でゲームソフトを買うと財布の中はどんなことになるんだって感じかな(笑)。

 

火曜日の午後2時過ぎに香港から羽田に飛んで(それにしても羽田は便利だ!成田は早いとこ「東北及び北関東地元野菜売りもやってる一応国際空港」と早々に名前を変更すべきだろう)夜の9時に到着。

 

入管はあいも変わらずダサくて、大体到着カードの書き込み枠の狭さ!僕の場合は外国人なので英語で記入するのだが、とにかく5メートル離れた5センチの輪の中に直径3センチのボールを放り込めってくらい書き込み枠が小さい。これでどうやって「ようこそ日本!」なんて言えるのか??

 

それこそ20年前にシンセンから中国に入国する時に書き込んだ、顕微鏡でもなきゃ書けないような狭さの到着カード並だ・・・あ、そうか、日本は中国のコピーだもんねって思わず苦笑。海外旅行に行かない人間が作った入国カードなんてどんなダサさだ。政治と現場が全然リンクしていないのがこのあたりから丸見えである。

 

今の日本円は本当に強いってのは、この米国人奥さんの声でもよく分かる。香港では1990年代は1万円出すと600香港ドルもらえたが、今は一万円で900香港ドルもらえる。時代の違いですね。

 

幸運な事に今はNZドルも強いので日本円で払ってもそれほど痛みは感じないが、米国から直接来た人が米ドルに換算したら、そりゃまさに「100ドルはNothing!」だろう。

 

この円高を悪い苦しいと輸出産業が言うがそれは言葉を返せば海外投資をする人たちにとっては非常に有利な条件でありこの1年で日本の飲料メーカーがニュージーランド企業を買収したりして健闘している。

 

今は世界的な影響で円に避難している資金も長期的に見れば日本ブランドの地位低下で40%程度は下落していく。つまり今が1ドル78円でも近い将来には1ドルが120円くらいになる。そうなると海外投資をするにしても厳しくなる。

 

だから円高の今のうち海外投資をして海外事業で利益を出して日本に還元すれば今度は日本円が安くなった場合に受け取り配当は増える。その意味で今は積極的に海外投資をすべきであろう。

 

いっその事世界の通貨を一つにしてしまえば為替の問題はなくなるのだが既存システムをぶっ壊すには強大なエネルギーが必要なので実現には相当の時間がかかるだろう。当面はアメリカ大陸で通用する通貨、欧州のユーロ、そしてアジアで通用する通貨(元なのか円なのかユアンなのか名称は分からないが)くらいに三分割されるだろう。

 

米国人は戦後すぐにやってきた時は強いドルを享受していたが今の時代になるとドルが安くなっている。50年経てばいろんなモノが変わる。日本も変わる。僕らはいま間違いなく激動の時代に生きている。もしかして日本円が紙切れになる時代が突然やって来るかもしれない。その時になってどうにかしようと思っても手遅れだ。

 

なんて事をいつものホテルのバーで一人ぼやっと考えながら東京の初日終了。



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2012年10月17日

中国人と呼ばないで

月曜日は久しぶりに香港の行きつけのお店に飲みに行く。行きつけのお店は香港と華南地方に駐在する日本人向けのカラオケバーで、地元の情報が一番集まるところ。

 

定点観測が言い訳なのか(笑)単純に飲むのが好きなのか(苦笑)は置いといて、実務的にも現地で生活をする香港人の生の声を日本から来た学生や地元香港人で日本語が出来る女の子がアルバイトで働いてて広東語で直接聞けるので役に立つし日本から派遣された駐在員のお金の使い方や生活の様子がよく分かるので非常に重宝している。

 

うちの奥さんは中国大陸人を大嫌いでいつも「私は香港人よ、大陸中国人じゃないわよ」と言い張る。ぼくからすればむきになって主張する奥さんは可愛いばっかりであるが、本人からすればプライドの問題らしい。日本人か韓国人かって違うくらいでそこまで怒るかって感じだが(笑)本人からすれば真剣である、まさに中国人らしいメンツにこだわる

 

尖閣諸島でどうこうなってるが、いろんな主張をする人は実際にどの程度香港と中国の違いを分かっているのだろうか?実際には香港と大陸中国は日本人と韓国人くらいに違う。つまり見た目全く同じでありながら中身はかなり違うと当人は思ってるが大陸欧州人からすれば日本と韓国の違いなんて英国人と米国人の違いだ程度である。

 

それほどに距離感は大事で、自分は熱くなってるけどちょっと離れて見てみると、何でそこまで熱くなるの?って感じがする。

 

翌朝はチムシャツイのキンバリーロードの吉野家。温玉と牛丼で36.30香港ドル、約360円だ。この立地で家賃も高いだろうに健闘してますね。ちなみに香港では生卵の提供は基本的に出来ない、熱帯地方なので衛生署の許可を取りにくいからだ。

 

大戸屋も結構人気なようで、家賃がどんどん値上がりする香港でよく頑張ってるなって感じだ。頑張って欲しいが香港では日本人は食い物にされるケースが多い。しかし香港人が日本人を好きなのは日本人を食い物に出来るからではなく日本人が信頼に足る民族であると知っているからだ。

 

行きつけのカラオケバーの一軒は2ヶ月ほど前に暖簾を下げた。聞くとどうも「家賃の値上がりについていけない」という事だった。そうだよね、コーズウェイベイのどまんなかだから家賃はどんどん高騰してるのだろう。

 

道路を挟んだ反対側には旧三越の場所に新しいショッピングモールが出来て大繁盛、行列を嫌う香港人が行列を作って日本食のお店に通ってる。日本人が普通にやってるビジネスモデルでは家賃にくわれて利益を出すことはかなり難しくなっている。

 

今は大陸中国と密接な関係になっているが香港は元々は英国の領土である。だから1997年までは英語が主体だった。けれど今ではマンダリン、中国語を学ぶ人が増えている。

 

そうでなきゃ飯が食えないからね、それが香港人の本音である。1980年代は成長する日本企業で働くために日本語学校が繁盛して今は香港のボスが中国人に変わったので中国語を学ぶって事だ。

 

それでも腹の中では古典的中国を大事にして古典的中国の礼節を実行している日本人に対して「おお、あいつらちっちゃな島国なのに大したもんだな」と感心しているのが実態である。つまり香港人からすれば日本の方がよほど古代中国の教えを真面目に実行しているじゃないかって事だろう。

 



tom_eastwind at 22:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月16日

猿の惑星〜もう一つの未来

一昨日書いた事で「そこまで日本人が悪くなるはずがないじゃないか」とご意見を頂いた。もちろん悪くならないで欲しい。しかし現実は振り子の針は一旦左に行けば次は確実に右の端まで行くのだ。

 

だから日本では古くから中庸という言葉があり極端に走らない教育や道徳や社会制度があった。特に江戸時代は世界の環境も幸運だったのだが徳川政治の「世の中を安定させる現実的な政策」が効果を見せて約300年続いた。

 

ところが古代中国古典から転用された江戸時代の徳智教育が戦後教育で滅んでしまい、現在においては「俺さえ良ければいい」となり「道得」とは日ごろ道を歩く時に他人を押しのける事が「得」であると学び弱者救済のための社会制度が次々と崩壊(年金、医療、安月給の常態化、不正規採用の拡大)している現状では社会がおかしくなっていくのが物の道理だ。

 

水は低きに流れる。教育のない者は目先の感情で行動する。そして今、不正規採用が増えて給料が安く抑えこまれ結婚することが出来なくなる現状で現在の20代が本気で反乱を起こしたらどうなるのだろうか?

 

現在の社会のシステムは団塊世代という日本の中心で団結スクラムと内部競争を生き残ってきた世代であるが間もなく社会の現役から去っていく。年を取って優雅に暮らす彼らを見ながら若者が「働けど働けど猶我が暮らし楽に成らざりじっと手を見る」とLED電球の下で「じっと我が手を見る」時代がやってくる。

 

「大学は出たけれど」という戦前の日本を描いた映画も有名だがそれはすべて現実に起こった事だ。このような時代になると自然と若者が共産主義に近い考えを持つようになる。自分たちの不公平をどうにか平等にしようと勉強会を始めて行動を起こすようになる。

 

この活動はある一定線を越せば燎原の火のように広がるだろう。政府の読み違いの原因は「百姓は生かさず殺さず」五公五民にしておけばお上に逆らうことなく黙ってついて来ると考えていた点だ。たしかにそうだ、社会が安定して取り分が十分であれば明日の将来も安心出来る。なぜ安心出来る将来を棒に振って今を危険にさらすか?

 

しかし現実の不満はそんなものではないのだ。まだ見えない火口の遥か下のマグマであるが、少しづつしかし確実に沸々と煮えたぎり始めているのである。

 

非正規雇用が増加して彼らの半分近くは一生結婚出来ないという調査が最近出てきた。もしかしたら結婚出来るのは3割以下ではないかって話もある。

 

そうなると彼らは今まで描いていた「頑張ればどうにかなる」という将来が無いという現実を身にしみて理解するようになる。今はまだ目先の数字の調査であり当の本人も強い認識はないだろうが、いずれそれが肌で感じるようになると社会体制の変化を求めて行動を起こすようになる。

 

猿の惑星では地球にやってきた最初の猿は物珍しく扱われたがいつの間にか猿が人間並の知識を身に付けて自分の地位が不安定で不平等である事に気づき人間に対して抵抗を始める。

 

この場合人間とは霞が関の特権階級にいる「普通の人々」の生活を知らない役人及びその家族である。猿とは社会に出てきた当初は物珍しく扱われたフリーターであり次にニートが出てきてそれから引きこもり、次にオタク、そして非正規雇用者である。

 

彼らは発生当初は猿と同じような地位であったが次第にその数が増えて自分たちの労働の多くが一部特権階級に奪われているという現実を理解するにつれ権利の闘争段階に入る。

 

最初は低次元だろう。金がなくて結婚できない罰則としてソープランドの割引券を発行しろとか、熱海温泉で1泊1千円で泊まれる非正規雇用者専用の宿を作れとか。けど最初はバカみたいな話でもインターネットと同じであり次第にリテラシーが高まっていくとそれはもっと根源的な闘争の段階に入っていく。

 

それがまさに戦前の日本共産党が行なっていた反政府闘争であり地下運動である。今回はネットの発達で運動の拡大速度は政府が予想もしないほど早くなる。日本社会に暴動が起きて喜ぶのは韓国や中国だ。

 

これを機会に日本の反体制派を支援して日本政府を乗っ取れと思うだろう。その反対に日本の安定的平和植民地を望む米国は言えば何でも言い値で買ってくれる日本政府を支援することになるだろう。

 

この内部抗争こそ国が割れる時であり場合によっては内戦が始まる状態を招くことになる。韓国だって大東亜戦争が終了したら一つの国になると思ってたが蓋を開けたら2つにわかれて戦争をするようになった。そして誰も望まなかったし誰も想像もしなかった国家の分裂が起こった。

 

世界の歴史を振り返ってみれば、歴史がまだマグマの下で胎動している時は誰も気づかないが吹き出した時にはもう遅い。ロシア革命でさえ革命の最中でさえロマノフ王家が崩壊するなんて世の中の殆ど誰もが思っていなかった。フランス革命も同様である。

 

世の中は突然変わる。ある日、ほんのちょっとした事がきっかけでそれまでの日常生活が吹っ飛んで、全く違う時代に突入するのだ。

 

そして革命と闘争と遂には戦争まで起こし多くの国民が亡くなった後になってやっと人々は言うのだ「平和が大事だ」って。そして社会全体が平等になるように仕組みを作るのだが、それがいつの間にか制度疲労を起こしてまた数十年後に不平等社会が出来上がって格差が固定化してまた戦争になるのだ。

 

「政治は腐る、長期政治は確実に腐る」とは英国の政治家の言葉であり独裁はいつか滅びる。そして日本が間違いなく官僚の寡占支配になっており長期にわたって民主主義の名のもとに一部だけが儲かり損をしたら一般国民に押し付ける不平等がまかり通ってきた。

 

それでも過去はまだ良かった。生み出したものが多かったから取り分が少なくても絶対量が多かったから国民は文句を言わなかった。今は取り分も少なく絶対量も不足し始めているのだ。それこそ革命の第一歩なのだ。

 

徳川時代は「百姓は生かさず殺さず」で時には百姓が喜ぶ徳政を実施することでガス抜きをする知恵があった。ところが今の時代は官僚に中国古典の知識がないから100年の長期展望に立った発想が持てない。政治家は理想ばかり語り現実を見ずに間違った方向に国民を押し込んでる。

 

2015年に消費税が10%になる。マイナンバー制度も同時に導入される予定だ。相続税増税は今年か来年のうちだろう。医療改革に名を借りた「年寄りは健康保険の金を使わずに自然死しなさい」も間もなくだ。老齢年金は数年ごとに後送りをして最終的には75歳まで現役社会とか言いながら年金支給を減らす方向だ。

 

と言うことはここ数年で一気に増税と社会保障の切り捨てを行うわけでその一つの完成時期が2015年であると思って良い。そしてもちろんそれまでも給料は下がり続ける。日本のサラリーマンの給与が毎年下がり続けているのはネットで検索すればすぐに出てくる。

 

ぼくが2015年が転機になると書いているのは上記のような現実があるからだ。2020年に共産党政府が革命または選挙によって日本で設立されても僕は不思議ではない。その時に革命の嵐の刃は既得権益階級に向かうだろう。

 

中国でもロシアでも起こった事が日本で起こる。一部の腐敗官僚だけでなく官僚制度そのものが襲撃の対象となりお金を持っているだけで反社と呼ばれて政府に没収されて逆らえば殺されるようになる。

 

最終的には一時期のロシアのようにすべての社会活動を国家が運営する「完全に平等」で「完全に公平」で「誰もが飯を食える生活」と「誰もが無料で教育と医療を受けられ」て「国家の愛によってすべての国民は老後を働かなくても良いように保障され」て、まさにビッグブラザーの時代になる。

 

何度も書くがもちろんこれは仮定である。しかし今まで世界で繰り返し起こった事実を基礎とした未来の一つのカタチである。起こるかもしれない。起こらないかもしれない。けれどそれは猿が地球を支配する確率よりは間違い無く高い。笑って済ますもよし猿の惑星を観るのも良し、けれどここから先は自分で判断するしかない。



tom_eastwind at 15:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月15日

ロードショー

日曜日の夜、行ったこともない北朝鮮の夢を見た。それも随分長いストーリーで、映画一本分くらいの記憶が頭に残っている。

 

ニュージーランドには北朝鮮大使館がある。意外と知られてないがお互いに社会主義国であるから当然と言えば当然か。

 

ツアーで参加して途中で北朝鮮の様々な支配の手口を見つけつつ時にはツアーから外れて個人的にあちこち視察したり、それが行ったことのない国なのにものすごく具体的なものだからどきどきした。

 

途中で北朝鮮で入手したものを日本で受取る場所を指定される。日本海側のどこか、免税品を売っている場所だった。新潟か舞鶴か鳥取あたり。あのへんで免税品を売ってる場所ってどこだ?

 

夢を見る原因は様々だろうがとにかく昨日のはリアルだったな。午後に映画「エイリアンズ」を観たのも一因か(苦笑)。

 

龍馬くんのスクールホリデイも昨日で終わり、今朝は7時過ぎにりょうまくんの為にゆで卵入り棒ラーメン醤油味を作る。中国製のチャーシューも入れると更に味が豊かになる。りょうまくんは美味しい時はお皿を舐める癖があるのですぐ分かる。

 

りょうまくんを学校の近くまで車で送りぼくの朝ごはんは鶏スープで作ったお粥。さてっと、龍馬くんの休暇も終わりぼくも今日からまた日本ロードショーだ。

 

今回は東京集中滞在で個人面談と説明会をこなすことになる。すでに説明会参加希望者の方や個人面談希望の方からたくさんの質問を頂いている。メールだけでは説明出来ない部分を相手の顔を見ながら説明していく。

 

ほぼ毎月の説明会も今年は今回1020日と11月中旬のみで終わりだ。11月の説明会では後半(1118日)に沖縄の個人面談も設定する事を考えている。まだ確定していないのでウェブサイトには掲載していないが、もし沖縄在住の方で興味があれば時々ウェブサイトを訪問して下さい。

 

さてっと、まもなく飛行機の出発時間、これから約11時間かけて香港に飛ぶ。長いロードショーの始まりだ。



tom_eastwind at 12:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月14日

世界平和指数

日本ではホームレス連続襲撃事件が常態化する時代になった。何時の時代も学校や職場でイジメはあるが、それと今日本のあちこちで発生しているホームレス襲撃事件はその原因が同じでも結果が明確に違う。

 

現在行われているのは潜在的社会的弱者、つまり若くして自分に将来がない事が分かり真面目に働いても給料は少ない責任は重いストレスは溜まるとなれば、誰もそんな社会に出たいと思わない。

 

そして結果的に現実的社会弱者となるのだが、彼らが自分たちより更に弱い人々を叩き殴り殺す事で少しでも「自分はまだ中の下だ」との立ち位置を確認しようとする作業だ。

 

どこの世界でも同じで格差があるだけでは犯罪は増加しない。格差が固定化して初めて犯罪が増加するのだ。米国では1920年代の好景気の際に格差は広がったがそれが犯罪に比例することはなかった。何故なら誰でも頑張れば金持ちになれるというアメリカンドリームがあったからである。

 

どんなに頑張っても人生の出発地点で差別があり固定化されているとなれば弱者に取って残された手段は犯罪や暴力しかなくなる。

 

世界平和指数というのがある。様々な要素を数値化して世界中の国家を比較するのだが、ニュージーランドは常にトップかトップクラスを維持している。その理由の一つに犯罪の少なさがあるのは誰もが納得出来ている。

 

これはニュージーランドが世界でも珍しく成功した社会主義国でありその原因はこの国が地政学的にも安定しており英国出身の優秀な政治的リーダーの平等意識が高かったからだ。その結果としてすべての子供に教育と医療の無料化で機会均等を導入して累進所得税や失業手当、無料医療、老齢年金を提供することで格差を殆ど無くした。

 

また誰もが頑張ればそれなりに豊かになり社会全体がその空気の中で家族を大事にしながら時間内は目一杯働いて退社時間になったら一切の残業をせずに自宅に帰り子供たちと一緒に食事をする環境を作った。

 

もちろんいつも言うことでニュージーランドは天国ではない。こそ泥犯罪もあるし時には殺人事件も起こる。しかし今の日本と比較すれば確実に豊かな生活環境が確保されている。マネーリッチではないがマインドリッチで安定した国情である。

 

 

今年になって日本が平和な国第5位になった。NZはデンマークと同2位、1位はアイスランドだ。僕はこの数字が国際的に現在の状況を表していると思う。

 

しかしこれからの5年間、2017年に向けて日本は胸突の急坂を転げ落ちて治安が大幅に乱れていくだろう。犯罪を起こすのは社会の中核にいるべき若者であり被害者は今のうちはホームレスだが、確実にその目標は政府役人や一部資産家となる。

 

彼らがある日自宅に帰ったらそこには人殺し集団がいて先に殺された家族の死体が転がっている福岡の家族皆殺し事件、東京で宅配を装った殺人者に退職した官僚が殺された事件のような状態になる。

 

つまり政治的に問題が起こっており選挙では何も変わらないから直接政治的攻撃をする知性的若者と、脳みそ空っぽの肉体系若者が目先の金を狙って資産家を襲うという構図である。ホームレスをいくら叩いても金にはならない、どうせ叩くなら主義主張や実利を狙った方がいいという事だ。

 

これは明治以来の日本政府が思いもよらなかった事態である。昔の日本人は「貧すれど鈍さず」であり「人様に迷惑をかけてまで生きるのは恥ずかしい」という文化があった。ところがバブル崩壊以降世の中は変わった。

 

その原因は教育であり、昭和後半にバカな親に鍵っ子状態で放置されてまともな社会常識も学ばなかった若者が社会に出て結婚して子供を作るが、これは子供が子供を生むようなもので何も知識がないから何も教えることが出来ない大きな子供が生まれただけで何の知識もないこどもを自分の個人所有物として自分の子分に仕立ててヘンテコな名前を付けてそれで親の義務を果たしたくらいに思っているが、一番肝心の社会道徳を教えてないから常識のないこどもが育っていった。

 

恥の文化はなくなり若い女性が電車の中で化粧をして若いサラリーマンが電車の座席を占領して自転車は歩行者を引っ掛けて怪我をさせて急ぎ足で道を歩くサラリーマンは子供連れのベビーカーを邪魔者扱いするようになった。

 

この先に起きるのは何も一生懸命予測をする必要はない。過去を見れば良いのだ。世界中の歴史を見れば、国政が乱れて将来の不安が出てくれば自然と国民は守りに入り乱れが社会不安を更に大きくかきたてれば動乱が起こる。

 

それは百姓一揆だったり西南戦争だったり米騒動に繋がる。要するに大きな時代の流れに巻き込まれてしまうと自分一人がいかに頑張っても時代の流れに逆らうことは出来ずに翻弄されるようになるって事だ。

 

本日現在においては弱者が弱者をいじめるだけだが、これが数年で拡大していくと社会の騒乱を生むしその前段として犯罪が激化する。それは被害者が誰でも良い犯罪であり、いつ自分の子どもや家族が巻き込まれてもおかしくない時代となる。

 

そして警察は戦後一環してやらなかった犯罪予防対策を行うことで未然に犯罪を防ごうとして戦前の特高警察のような組織が出来て、思想家や特定の政治家が狙われていくようになる。言論は統制され言いたい事も言えずに一部政府と官僚と警察が表立って支配する時代になる。いつの時代も同じである。

 

どのような流れなのか興味がある方は是非とも山上たつひこの「光る風」を読んで欲しい。大作であるが非常に現実的でありこれから5年でやってくる日本の近未来を予測しているかのようだ。

 

世界平和指数

1. アイスランド(1113

2. デンマーク(1239

2. ニュージーランド(1239

4. カナダ(1317

5. 日本(1326

6. オーストリア(1328

6. アイルランド(1328

8. スロベニア(1330

9. フィンランド(1348

10. スイス(1349

11. ベルギー(1376

12. カタール(1395

13. チェコ(1396

14. スウェーデン(1419

15. ドイツ(1424

16. ポルトガル(1470

17. ハンガリー(1476

18. ノルウェー(1480

19. ブータン(1481

20. マレーシア(1485

21. モーリシャス(1487

22. オーストラリア(1494

23. シンガポール(1521

24. ポーランド(1524

25. スペイン(1548

26. スロバキア(1590

27. 台湾(1602

28. オランダ(1606

29. イギリス(1609

30. チリ(1616

31. ボツワナ(1621

32. ルーマニア(1627

33. ウルグアイ(1628

34. ベトナム(1641

35. クロアチア(1648

36. コスタリカ(1659

37. ラオス(1662

38. イタリア(1690

39. ブルガリア(1699

40. フランス(1710

41. エストニア(1715

42. 韓国(1734

43. リトアニア(1741

44. アルゼンチン(1763

45. ラトビア(1774

46. アラブ首長国連邦(1785

47. クウェート(1792

出典  http://rocketnews24.com/2012/06/18/222216/

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%BA%A6%E6%8C%87%E6%95%B0

 

                                                                                                                       

 



tom_eastwind at 12:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月13日

男は夢で移住を語る、女は現実で移住を語る。

この仕事をしていて一番面白い点は「どこで主導権が移るか」だ。面白いと言っては大変失礼だが、移住を最初に思いつくのは大体においてご主人である。

 

ご主人が昔からの夢で海外生活をしたいと思って説明会に来る。そこでニュージーランドの現状を聴きこんで自宅に帰って子供を寝かしつけてから奥さんに話す。

 

「ねえ移住しようよ、ニュージーランドはどうやら良さそうだよ、すでに日本人が沢山移住しててオークランドには1万3千人くらい住んでるんだってよ。社会保障もしっかりしているし白人国家の中で最も差別が少ないし地元の人は日本人には好意的なんだってさ」

 

“どうせ説明会でうまいことちょろまかされてきたんでしょ、あんたもお人好しだからね”そう心の中で思ってる奥さん。

 

旦那制御方法をよく心得ているから直接反対はしないけど心のなかではすでにバッテンマーク。“一体どこのどいつが調子いい事吹き込んだのか”って間接的に僕に敵意を抱くのだが(苦笑)、どうせ次の夏休みは時間もあるし旅行がてら子供を連れて一緒に行ってみるか、行って見れば現実が分かって旦那も諦めて今の仕事に集中してくれるだろうよ。

 

ところが下見に来て実際に現地で生活を始めている日本人移住家族の方から直接話を聞いてみると、どうもこりゃ思ってたのと違うし何となく生活、日本よりも良さそうじゃんか。仕事も、無理して贅沢しなければどうにかなるな・・。

 

そう思ったら俄然やる気が出てきて女性にしか見えない視点で様々な質問を移住してきた家族に聞いて、学校を訪問して本当に日本人の子供が白人の子供たちと仲良く英語でお喋りしているのを見て、わ、うちの子供も一年もすればああやって英語がネイティブになるの〜って、何となく具体的な将来が見えてくる。

 

ところがご主人の方は、最初は夢で移住なんて語る自分を好きだったのが現実的にオークランドで下見をしてみると、どうやら本当に現実的になりそうだけど、それって今まで日本で作ってきた社会的地位も肩書きも給料もすべて捨ててゼロから作り直すって事じゃんって現実に目が覚める。

 

今さら学生じゃあるまいし、この年でまたおいっちにーって就活なんて怖くてやれねーよ、第一失敗したらどうすんだ、俺の責任になるじゃんか、急に現実に引き戻されて恐怖さえ覚えて「やっぱ止めようよ」って奥さんに言い出す。

 

ところが現実のニュージーランド生活を見てこりゃ長期的に見て子供の将来を考えたら移住が絶対いいわって決めてしまった奥さんを押しとどめる力は不幸にして旦那さんにはない。

 

まるでエイリアンズ(2)でシガーニー・ウィーバー扮するリプリーが後半で兵士ヒックスに自動小銃の使い方を習う時に言った「あなたが始めたのよ、最後までやりましょ」って言葉を思い出す。そして彼女はグレネードランチャーの使い方を学んで派手に手榴弾をふっ飛ばすのだ。

 

そして移住計画が現実的となる、つまり主導権が旦那から奥さんに移る。

 

21世紀は水と食料とエネルギーの時代だ。神の恵みかニュージーランドはこの3つ全てを自前で揃えている。それでも人口400万人を賄うには十分すぎるほどだが人口1千万人を賄う事は出来ない。世界の人口は今世紀中に70億人を超すと言われている。

 

そうなれば現在は移住を積極的に推進しているこの国もいずれ国境を閉鎖するときが来るだろう、少なくとも今のような「緩い」移民政策ではなくなり、本当にこの国に役立つ国際的な人材しか受け入れなくなるだろう。

 

その時になって「ね、あの時移住してて良かったでしょ♪」って言うのは旦那さん、腹の中で笑うのは奥さん(笑)だろう。



tom_eastwind at 18:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月12日

ヒストリエ

最近はすっかり娘の後塵を拝しているコミック収集だ。おっかしいな、5年くらい前まではぼくの方がずっと良い作品を見つけて娘に読ませてたんだけど、最近は娘が「お父さん、こんなの好きじゃないの?」ってamazonで注文してくれる。

 

浦沢直樹なんてぼくの方が先に知ってたのに、いつの間にか欧州を舞台にした素晴らしい作品「Monster」を持ってきて「お父さん、この作家さん好きなんでしょ、読んでみれば?」と。一体どういうこっちゃと思いながら読んでハマる。

 

今回のヒストリエも、今の忙しさではなかなか調べる手間も時間もなかったのだがいつの間にか用意してくれてて、最初は「何だこの画風?手抜きか〜」とか思いながら、あっという間に古代欧州から中央アジアの歴史の渦の中に放り込まれて、読む時はいつも愛用のレッツノートでギリシアからイスタンブール、そして黒海あたりの地図を表示させてストーリーを追う始末である。

 

情けないやら娘の成長を喜ぶやら何とも言いようがないが、このヒストリエもよく出来た作品だな。実に良い。

 

ぼくは子供の頃から活字や漫画が大好っきで、その為にいろんな思い出もあるけど、世間、特に西洋の人々がコミックに持つ偏見は全くなく、堂々と本をカバーなしで持ち歩ける。誰かが「大の大人がそんな本を?」と聞かれれば堂々と言い返せる。「ではあなたの宗教は?価値観は?文化に対する理解度は?」

 

ぼくにとっては漫画も哲学も全く同じ「人間の知識と先見性を競うメディア=媒体である」と考えている。伝える形が絵なのか文字なのかの違いだ。それで言えば映像で伝える映画も同じでいくら金をかけたかではなく作った人が何を言いたかったのか、そしてそれはどこまで独創性があってどれだけ僕にとって役立つ知識かどうかがすべてである。

 

だから媒体に上下なし、すべてはその「実質」にあると考えている。人に見られて恥ずかしいものはなにもないわけで、だから僕は本を買うときもカバーを一切しない。人にタイトルを見られて気になるのは自分に自信がないからだ。

 

自分に自信があれば相手がそのタイトルを見て誤解したとしてもそれは一時の問題でありその誤解が一生抜けないような相手に誤解されても無視すれば良いだけと考えている。何で程度の低い相手にこちらが合わせカバーをしなくちゃいかんのだ。

 

という事でヒストリエ。

 

「お前ならどこ行っても上手くやってけるよ、元気でな」殺人を犯して逃げるエウメネスに子供時代からの親友トルミデスがかける言葉、じわっと心が温まってくる。

 

「壁の外の世界は様々な変化に富んで面白いよ・・・でも強い覚悟を決めなきゃならない事もある。君は無理をして城壁の外へ出るべきではないと思う。」エウメネスが兄に対して言う。これも事実。何だかまるで移住の話をしているようだ。出来ないのに無理して生活を潰しても意味はない。夢だけでは飯は食えないのだ。

 

この時代では城塞である街を出て船で黒海に繰り出すのはそれだけで危険な作業であり沈没の可能性もあり現地に到着しても自分が想像していたのとは全然違っていたりする。それでも乗り出していけるには心に相当のゆとりがないとやっていけない。

 

現在第7巻。あと何年かかって完成するのか分からないが、期待してます。それにしても漫画。日本が世界に誇る文化ですね。



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2012年10月11日

誰がために金は鳴る

「復興予算:誰のためか…被災者ら、怒りと諦め 衆院小委」

法務省では23年度第3次補正予算で、北海道の月形刑務所、埼玉県の川越少年刑務所でがれき撤去などの職業訓練を拡大するために3千万円を計上した。この2カ所を選定した理由を「被災地に近接している」と説明していることが問題視されている。

 アジアや北米との青少年交流事業費(約72億円)、沖縄県の国道整備(6千万円)や国税庁関連施設の耐震化(12億円)といったケースに対しても「被災地の復興と関係がない」との批判が出ている。

何を今頃「深窓のお嬢様」じゃあるまいし、復興予算が出てきた時から役人の懐に転がり込む事くらいわかってたでしょ。それにしても北海道や埼玉が福島にどれくらい近いのか知らないが、役人も徹底的に一般市民をバカにしているのがよく分かる。

 

役人の発想はどこまで行っても国体の維持でありそれは役人が支配する国家の維持であり、国民なんてのは枯れて死んでしまっても又生まれ変わってくる稲くらいにしか考えていない。役人は稲をコメにして食うことを考えてどうやれば出来の良いコメを作れるか品質改良をするが今ある稲そのものを人間として認識しようとしていない。

 

だから福島で起こった大震災も霞が関の連中からすればおらが村の米倉を膨らます手段にしか過ぎず、一般市民が母屋で粥をすすっている時に離れですき焼きを食うような真似が平気で出来るのである。

 

こんなのは歴史を振り返るまでもない事で大東亜戦争でも中央官僚が自分で銃を持って戦場に行く事はなかった。戦場に行くのは田舎の農家の次男三男であり死ぬのは彼ら田舎の若者なのだ。

 

中央官僚はぬけぬけと赤札逃れを行い閨閥やお互いに貸し借りを作り日本国民に厳しく守らせる法律でも自分たち支配層の間では適用される事なくのうのうと構えている。

 

そしてそれは政界、経済界とも強力な閨閥による繋がりを持ちお互いに得意な分野で助け合いを行う。警察は政治家の要請を受けて駐車違反から殺人事件までもみ消す代わりにパチンコ屋の賭博行為を黙認してもらいパチンコ屋に天下りをする。

 

官僚は自分の利権確保の為に官僚に抵抗する政治家や学者などを警察や税務署を通じて調査させて冤罪事件を作り相手を無力化させる。政財界は鉄のトライアングルで結ばれておりそれは労働組合にまで繋がりを持ち、日本全体をほんの一部の支配層による寡占社会としてしまっているのだ。

 

彼ら日本の真ん中東京の霞が関で実権を握っている者からすれば福島で何万人死んでも何が起ころうがそれはExpendable(消耗品)であり自分の権力を増加させるための機会でしかない。だから今回のように復興予算が流用されたからと言ってるが、元々流用するための予算であり何を今頃庶民めが騒ぐかってとこだろう。

 

官僚なんてのは所詮そんなものであり国民は消耗品として扱われているってことをしっかり認識して、自分とその家族が消耗される前に自分で生きる道を探すしかないのだ。

 

西武鉄道グループの支配者であった堤家でも衆院議長をやってた親父堤康次郎が大蔵省に相談して相続税をゼロにする手口を税務署所長から直接手ほどきを受けて息子である堤義明に資産を譲ったのは有名な話である。

 

こういう官僚と政治家による脱税は公的機関が堂々とやるから査察されることはないが、それを下々の消耗品が一生懸命法律を守りながら節税するとそれはお上に逆らう行為でありたいーほ、となる。

 

何でお上に逆らう行為か?それは、稲はできる限り丸々と太ってお上に食われるために存在するからであり稲が自分の家族の為にお上の取り分を盗む行為は許されないからである。

 

うちの奥さんは組織を通じた寄附行為が大嫌いで絶対にしない。そんな彼女でも311の時はテレビを見ながら僕に「ねえ、何か出来ることはないかな、寄付とかさ」と本気で聞いてきた。ぼくは言った「やめとけ、日本でさえ寄付をすればアフリカと同じで途中で中抜きされて最後はすかすかになるだけだ」。

 

「え?日本でもそうなの?やっぱり世界はどこでも同じなのね」と悲しそうな顔をしていた。彼女は中国には既に失望しておりアフリカの慈善活動も結局は現地の独裁者の懐を膨らませるだけと知っているが、日本でさえそうなのかと悲観したのだ。

 

もちろん日本でも本当にきれいなボランティア団体はあるだろう。しかし今の状態ではどの団体がまともでどの団体がおかしいかなんて調べようがない。出来ることは自分たち消耗品が一生懸命働いて少しでも世の中を豊かにして、お上に盗られてもまだまだ余裕が残るようにするしかない。

 

誰がために金は鳴る?お上のために金が鳴るのである。21世紀になった現在でさえ一般庶民の生活はまさに江戸時代の百姓と同じである。



tom_eastwind at 17:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月10日

これからのキーウィウェイ

ちょっと興味ふかいアンケートがあった。

 

ニュージーランドはこれから外国人富裕層のタックスヘイブンになると思うか?

思う→73.93% 思わない→26.07% 総投票数2965

Is New Zealand becoming a tax haven for wealthy foreigners?

73.93% Yes  26.07% No  2965 Votes

 

僕もこの国がタックスヘイブンに近づくと思う。但しケイマン諸島とかのようなタックスヘイブン専門でペーパーカンパニーが増えるという意味ではなく西洋諸国が納得出来る範囲内で実業も含めて安い税率と住みやすい環境を提供するという意味でだ。

 

税率についてはこの国でも様々な税項目があり、モノによっては日本に存在しない税項目があるが、全体を合計すると北半球で納税するよりも安いのは事実である。そして何よりも良いのはこの国が富裕層に対しても非常に平等であり恣意的に狙い撃ちにするような「金の卵を生む鶏」を殺すような事はしないって意味でだ。

 

そしてケイマン諸島のように「タックスヘイブン」としてその取引が調査対象になるような事はなく「けっこうきれいな取引」と見做されるようになる。一番近いイメージはシンガポールだが、白人国家でありPureNZ(純粋NZ)であり政治が安定し汚職が殆ど存在しないのでシンガポールよりも頭ひとつ抜けた国家として見られるようになるであろう。

 

ぼくは仕事柄日頃付き合うキーウィといえば弁護士、会計士、企業経営者、政治家等で、彼らは目に見えない独特のネットワークを持っており、ぼくは村にやってきた旅人扱いであるから直接何かを聞くことはないが、それでもある程度の「雰囲気」を理解することは出来る。

 

その雰囲気とはやはり現在の首相ジョン・キーの空気である。英国伝統の「目に見えない空気」がNZにもあり、それは一般庶民が普段触れることがないが、どうも今はジョン・キーが英国の認可を得てこの国を変化させようとしているって事だ。

 

ジョン・キー自身は庶民層の出身であるが、その頭脳明晰で経済戦争に強く交渉力もあり夢と現実的な洞察力を持ち合わせているってので英国の支配層から「お前、ちっちゃな島だけど一つ頑張れや」と声を掛けられたような雰囲気があり、それが毎日のジョン・キーのテレビ出演と現在大きな問題になっているドットコム事件の進展にも影響を与えているような感じがする。

 

これはあくまでもよそ者が感じる「雰囲気」であり明文化されていない。誰も言わない。けど何だか、わかってる人はだれもがわかってるって感じかな。

 

そしてジョン・キーが目指そうとしているのがまさに富裕層向けの「安心して住める国家」の提供だと思う。安心とは「税金が手頃、治安が良い、空気が綺麗、核がない、地政学的に戦争が起こりにくい、教育も決して低くない」そんな要素だろう。

 

ただしこの国に来るためのバーは高く設定されており、今後富裕層が増えれば増えるほどそのバーは高くなるだろう。鉱物資源もなければ人口も少ない国が生き残るにはそれなりの工夫が必要なのだ。

 

だからアンケートでも今後のニュージーランドの方向性を問うているのだが、この国も早い者勝ちで永住権を提供していくだろう。今はまだ技能移民でも受け入れをしているがいずれそれはシンガポールのように永住権取得要件を厳しくしていくだろう。

 

ちなみに人口600万人程度の小国では、地元で生まれ育った約30%の国民を支配層として政治経済のトップに持ってきて次の30%を優秀な外国人ビジネスマン層で現場の仕事をさせて金を稼がせ、彼ら上級60%の日常生活を支えるために建設現場やレストランや農場で働く外国人短期労働者を入れるという政策がある。

 

現在のニュージーランドの人口は約400万人であるが毎年の人口増加により2050年頃には600万人くらいになるであろう。おそらくそのあたりを一つの目標として現在の政策が作られていくような気がする。

 

地元民優先で地元で生まれただけで一級市民になれて、どれだけ優秀でも地元で生まれてなかったらその世代は二級市民、けど二級市民の子供が頑張れば一級市民の仲間入りが出来るって雰囲気かな。

 

金も資源もない国が生き残る選択肢はタックスヘイブンである。その意味でこの国は新しい国家の形に変わろうとしている。今までの社会主義、すべての人々は機会平等結果平等ってところから、機会均等結果不平等が出てくるようになると思う。

 

流れは英国によって承認されて変わらないのであれば、早いうちにその流れに乗ることだ。これはぼくの現場体験としての推測であるから何の技術的証拠も見せることは出来ない。

 

けれどいつも、とくに今週なんてまさに毎日2〜3件のアポを入れて弁護士や会計士と次々と出てくる案件をこなしながら彼らの言い分が1年前と微妙に変化しているのを聞くと「おお、大きく流れが変化を始めたな」って感じる。



tom_eastwind at 17:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月09日

水晶の夜

移住するというと周囲から不思議がられる事もある。「何で日本のような良い国を出てわざわざ苦労しに行くのか?」くらいの不思議ならまだしも「お前ら他の人を放ったらかして自分たちだけいい思いをしようってのか!」なんて言われる事もあるだろう。

 

ぼくは18歳の頃に日本を良くするために政治家になるのが現実的だと思った事がある。その前、小学校から中学校の頃ベトナム戦争をテレビで見ながら地球から戦いを無くすためには僕が火星に行って火星人と手を組んで地球人に戦争を仕掛けるしかないと本気で思った。

 

人間は異星人が攻めてきたら同じ人間の内輪同士の戦いを止めて手を組むだろう、それからこっちが負ければ地球は一つになる、そう本気で思ったものだ。これも小学校の早い時期からSFマガジンとハヤカワ文庫で鍛えた脳みそだからそんな変わった発想になるのだが、今でも理論的にはアリだなと思ってる。

 

しかし高校になって現実的に政治家になっても結局は上位の政治家の走り使いをして長い時間をやりたい事も出来ずに過ごしてやっと首相になったらもう60歳、それでもやはり周囲と妥協したり調節したりしながら過ごす人生を結局自分は望んでいるのだろうか?

 

そしてそのあたりからもう一つの考えが出てきた。それは、自分が望む幸せと他人が望む幸せのカタチが違う場合はどちらが正義なのかという点だ。

 

結局公明党は創価学会を発展させる事が究極の幸せであり共産党は日本を共産国家にすることが幸せと考えているし僕には僕の価値観がある。一つの国家でありながら幸せのカタチがバラバラであれば何か一つを強制することは出来ない。

 

国民の幸せのカタチが個人個人に保証されるような、できる限り自由度の高い政治が望まれる。それが政治のあるべき姿であり政治が個人の思想信条に立ち入りすることは良くない事だ、そう考えるようになった。

 

同時に、できるかぎり自分の価値観と近い価値観を持っている人がたくさんいる場所、それが自分にとって過ごしやすい場所という事になる。九州の田舎で過ごすのも良し、東京という荒波に自分を放り込んで厳しい社会でバリバリと戦うもよし、それぞれの地域によって価値観が違うのだ。

 

地域を広げていけばそこに国家があり政府はその地域の人々の価値観によって国境を作り価値観を守るべきであり、それが宗教や肌の色、家族に対する考え方で線引出来るならそれで良い。

 

日本では原発事故以来それまであまり表に出して来なかった価値観の違いが表出することになり、それが地域社会で様々な問題を作り出した。昨日まで本音で話さなかった、表面だけを撫でるようにして腫れ物に触れない事で何もないふりをしてた共同体が、原発事故を通じて本音を出さねばならない状態になり、人々は地域社会の中で少しづつ本音で語るようになった。

 

その結果として今まで住んでいた地域が実は自分の幸せと違うカタチの幸せや価値観の集まった地域であることに気づいた。そうなった場合は、地域の価値観に合わせて生きていくか、それとも出ていくしかない。

 

ところが出ていこうとすると残った人々からすれば自分たちの価値観が否定された事になり、更に本当は自分も出ていきたいのだが現実的な事情があり出ていけない人々からすればまるで捨てられたような怒りを覚えて出ていこうとする人々を非難する、まるで売国奴か何かのように。

 

しかし「現実的な事情」はまさに自分が作った事情であり人生には危機が来る時もあると考えずに日頃の努力を怠った結果である。自分が努力をしなかった事に対する自分に対する怒りなのにそれを認める事で自分が今まで間違った選択をしていた事を自覚するから心の痛みは増大してそれが出ていくものに対する憎しみに変わるのだ。

 

「そんなに外国が好きなら外国に行けばいいでしょ、非国民め!あたしはこの街を守る愛国者なのよ!」と言い出すだろう、本当は出るだけの心の準備も何かあった時に対応出来るだけの日頃の努力を怠っていただけなのだが。

 

「ここが私の故郷なのにどうしてよそに行かなければならないのです!私は生まれてこの方ずっとこの国に住んでいるのに。私の両親はこの国の大地に眠っているのです。両親の両親もここに眠っているのに!あなたがアメリカ人であるように私もアメリカ人です。もしかしたら、あなた以上にそうかもしれない。いや、それはもう明らかだ。なぜなら、私は言論の自由を、平等を、おそらくあなたには想像もつかないそういった概念を、心から信じているからです。あなたはアメリカの国旗を振るのに忙しくその旗の意味することについては何も考えていない!」

「エージェント6」 トム・ロブ・スミスより抜粋

 

上記は小説の一文である。黒人であり1960年代の黒人差別を共産主義を通じて無くそうとした人が、愛国者を誇り彼を非難する人に対して反論している。とくに「アメリカの国旗を振るのに忙しくその旗の意味することについては何も考えていない!」という文章は、そのまま日本に置き換えてみたら分かりやすい。

 

「日本の国旗を振るのに忙しくその旗の意味することについては何も考えていない!」旗を振ることで日本政府を容認して日本政府が進めてきた原発政策を認め、非核三原則と言いながら現実には核の受け入れを行い、日本政府が長期にわたり一般市民から税金を巻き上げて自分たちだけで都合よく使い回している現実を容認しているのが、実は日頃何も考えない一般市民なのである。

 

そのような市民の反応をよく分かっている政府はアメとムチで、田舎にダムを作っては地域に補助金と仕事を与え、逆らえば法律を無視して個人攻撃を行い個人の家庭を破滅させる。そういう政府を支持することが日本の国旗を振る行為になるのだ。

 

では最初の話に戻って、そのような地域の価値観がアメムチで一致している中で自由と平等と公平を求める人は少数派であり攻撃非難される対象となる。ではもう答は見えたようなもので民主主義に従えばその地域から出ていくしかないではないか。それとも一般市民は日本国民が憲法で保証された移住の自由さえ否定しようとするのか?

 

出ていけば売国奴と言われ残れば彼らの無知な旗振りに付き合わされる。どちらを取るかと言われれば、例え売国奴と呼ばれようが出ていくのが自分の価値観を守る為の最後の手段ではないか。

 

日本を出ていくが日本の郷土を愛しているのは誰よりも強く、ただ国旗を振って政府にしっぽを振るのを潔しとしない、ただそれだけなのである。

 

大体において愛国心などという言葉が一般市民から出始めるのがきな臭い時代になった第一歩である。尖閣諸島も竹島も問題を整理して冷静に行動しようとせずいたずらに感情的になり自分は愛国者だと自己陶酔に陥り始めるのが国家が間違った方向に進みだす時のサインである。

 

日本国内で消費税が増税されサラリーマンの平均給与所得がもうすぐ400万円を割ろうとして貯金も出来ない家庭が急増している中で国民の不満を他所に向けるのは、まさに中国や韓国がやっていることで、日本の政策でもそれは同様だ。

 

第二次世界大戦前夜、すでにヒトラーは人種差別政策を取り外国へ戦いに出る準備をして軍備を強化、それが愛国心と誇りを持つ一般ドイツ国民に強烈な歓びを持って迎え入れられた。その時危険を感じて米国に逃げたユダヤ人は自由と財産と家族を守ることが出来た。

 

しかし危険を感じることもなく出ていくための気構えもなくまだ大丈夫と思っていたユダヤ人は「水晶の夜」に自宅や店を焼かれて財産を奪われゲットーで自由な生活を奪われ最後にはガス室で妻や子供たち家族ともども皆殺しにされた。

結局ドイツに残る選択をした父親はドイツ人愛国者である一般大衆で作られたドイツ軍に毒ガスで殺される寸前に何を考えただろうか?財産を不当に奪われ自由を奪われ家族を守ることも出来ずに自分までもがガス室で命を失うその寸前に。



tom_eastwind at 16:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月08日

「頑張ります」ではなく「何が出来るか」について

日本の労働法では労働者の能力は企業が身に付けさせるものという発想がある。しかしニュージーランドでは能力を自分で身に付けてから採用試験を受けて下さいという社会構造の違いがある。

 

最近はニュージーランド移住の一つの方法として現地専門学校に通って卒業して就職のためのビザを取得して企業巡りをして採用してもらいワークビザ、そして2年程度働いた後に永住権を申請するケースも増えている。

 

というか、移住する日本人が増えているので選択肢として「企業で採用してもらう」というのはありなのだが、ここで注意してもらいたい心構えがある。

 

それは、ニュージーランドでは基本的に労働力は即戦力と見なしており採用の際に能力がなければ「これから頑張ります」は通用しないという点だ。

 

日本では大手企業が終身雇用が前提であった時代には社会人教育は会社が引き受けていた。大学を出て白紙状態で実践能力のない人間を自分の会社で使えるように箱に押しこむ為に短くても3ヶ月から長ければ1年近く新入社員教育を受けて現場に出されたものだ。

 

しかしこれはその労働者が60歳まで辞めずに働く事を前提にしておりまた大企業だからこそ初期投資として出来た制度だ。

 

だから日本の労働法の発想は「仮に労働者の能力が不足していても、まずは会社側が教育や指導によって能力向上を測るべきで、いきなり解雇をしてはいけない」のが日本の過去の判例である。

 

ところが現代のようにいつでも辞める事が出来るようになると労働者は会社の教育を受けて現場の知識を身に付けたらすぐに転職するような時代になると、会社としては初期教育の投資が無駄になるだけでなく他社に引き抜きをされることで自社の利益逸失ともなる。

 

ニュージーランドは労働法が世界で最初に作られた社会主義国家であるから労働者の権利は強く守られている。従って労働者は転職の自由がある。そうなると採用する会社側とすれば属人的に採用するのではなく業務推進のために必要な椅子の数で採用を決める。

 

そして採用に際しても即戦力となる人材でなければ教育という投資をしなければいけないので、初期投資の不要な人材を選ぶようになる。なので「頑張って」もらっても能力がなければ意味はないのだ。

 

今日から椅子に座ってもらい明日から売上などの実績を出してもらう人材になるためにもう一つ理解しておくこと、それはこの国の企業では一般事務員の需要は少ないという事だ。ネットがなかった時代であれば経理や総務の事務作業もあったから中間層の業務もあった。つまりそこそこに社会常識と一般的な知識があれば務まる仕事があった。

 

しかしネット社会では一般事務はパソコンで処理したりするからバックオフィス業務はなくなり経理事務そのものが英語を使う他国に外注されるので、業務としては思い切り二極化、つまり銀行で言えば投資家向け商品の企画や販売網作りが出来る超優秀な能力か支店窓口で顧客対応をするかである。

 

前者であれば普通の日本人はまず勝ち取れないポジションであり後者であれば英語ネイティブでもない現地事情も知らない日本人を雇う意味はない。大手銀行では1〜2名の日本人が働いてるがこれは主に日本からの移住者向けである。

 

だから採用の際に「私は日本語ができます」と言ってもあまり意味はなく、むしろ中国語が出来ますと言う方が有利であるくらいだ。自分に何の能力があるのか?なければ何を身につけるべきなのか、その点を最初に考えて就職から昇給まで含めてどのような資格を取るべきかを考える必要がある。

 

日本人が日本人であるというだけで有利なのはツアーガイドとか高級和食レストランである。昔ならこれにお土産屋さんがあったが今では日本人観光客は激減しておりDFSなども中国人店員ばかりである。

 

そしてツアーガイドやレストランの店員の場合若いうちの勉強であれば良いがどうしても給与が頭打ちであり他に金融収入などがない限り将来的にかなりきつい。

 

夢を持ってニュージーランドに来るのは良いが日本的な「就職すればどうにかなる」という発想は止めておいた方が良い。それよりも自分が「手に職を持つ」独立した個人事業主として会社と契約をする労働者として自分という商品を売るという発想でいた方が良い。

 

移住をして永住権を取得して数年生活して日本に帰る家族も多い。両親の介護の問題もあるがどちらかというといつまで経っても増えない給料と社会的地位が中の下に固定されてしまう閉塞感もあるのではないかと思う。

 

いずれにしても日本とは違い「就職」すること自体がけっこう大変であり就職したからと言って経済的に安定するわけではない事を理解して、少なくとも10年単位で経済的に自分の生活をどう構築するかを考えて欲しい。



tom_eastwind at 10:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月07日

成りすまし 情報管理について

「成りすまし」事件。ネットリテラシーの重要性は別の機会でも書くことがあったがネットの発展と利用者の知識のずれに警察のネットリテラシーの遅れが加わるとまさにこのような誤認逮捕に繋がるという現実的な恐怖が出てくる。

http://blogos.com/article/47948/

 

ネットが出てくる以前の話だが団地の掲示板にある主婦が「あそこの野菜やさんの野菜は良くない」と書き込み、それが直接の原因で野菜やさんに行く人が激減して数カ月後に倒産するという事件があった。

 

そこで掲示板に書いた事が果たして「威力業務妨害」や「風説の流布」に当たるのかと言う問題になった。当時はまだそういう情報関係の法律も考え方も整備されておらず一般の人々は「その程度の事でどうなんか?」という認識だった。

 

その後別の事件が発生した。ある朝電車で女子高生が友達と何気なくおしゃべりして「ねえねえ、あそこの銀行さ、何かやばいみたいよ」と言った事が電車に乗り合わせた赤の他人の耳に入り、それが一気にその街で噂として広がり遂には取り付け騒ぎになった。

 

そして現代はネットが発達して様々な情報が個人から直接公衆に向けて発信されるようになったがあいも変わらず人々にネットリテラシーが追いついていないから事件が起こる。

 

今回は人を逮捕できるという合法的暴力装置を持つ警察がネットリテラシーもないままに一般人を逮捕した訳だが上記ブログでも書かれているようにIPアドレス=本人特定が逮捕要件を満たさないという事実さえ理解出来ない者が一般人を逮捕して一ヶ月も勾留する権限を持っているという恐怖。

 

最近の日本を外側から見ていて常に感じるのは、国民も警察もますます「おかしく」なっているという事だ。国民は常にピリピリしてるけど何もないような顔をしてとにかく責任を取らなくて良いように逃げまわり警察も同様に個人は無責任に逃げこみながら組織としての無責任は誰も責任を取らなくなよいので放置して国家の威信と警察の権力を守るために違法逮捕誤認逮捕、やりたい放題やっている。

 

日本では逮捕されるというだけで社会的地位は剥奪され後日無罪になったとしてもその地位が回復されることは殆どない。一般人が逮捕されればそれだけで有罪と決めつけられるのは一般大衆の誤認であるが、それが誤認であると認識していないから問題が発生する。

 

つまり警察も一般大衆もリテラシーが乏しいままに何が正確で最新の認識かを理解しようとせず、とにかく何かあれば問題を無視したり見ないふり聞かないふりをして逃げまわり、きちんと問題に立ち向かおうという勇気がない。

 

ネットリテラシーは無意識に身に付くものではなく自分で意識的に身に付けねばならず、更に一度身に付けても常に最新情報に書き換えをする努力が要求される。そうでなければ情報装置には回覧板からパソコンまで一切触るなという事だ。

 

昔の話で都市伝説であるが、1970年代の香港でデパートに買い物に行くと奥さんが洋服の試着室に入ったまま出てこない。心配になったご主人が店員に聞くと「そんな人いなかったですよ」。そして数ヶ月後に両手両足を斬られて見世物にされていた。

 

なーんて都市伝説があるが、これもインターネットもなかった時代には結構まじめに語られて、香港に海外旅行に行くんだなんて言うと本気で心配されたとかあった。これも風説の流布であり旅行業にとっては損害である。

 

人は何かを話す時に「どのような場所」で「情報の正確な裏付けのある内容」を語り「どこまで話が広がるか」を予想して語るという訓練をしていない。だから口から出た何とない話と本人が思っていてもそれがとんでもない禍を招く可能性が常にある。

 

10月から違法ダウンロード規制法も施行された。警察にとっては誰かを狙い撃ちにするにはますます都合の良い法律だ。一般人が自分も知らないうちにダウンロード犯罪を犯してしまい、警察はダウンロードで別件逮捕して取調室に放り込み誰も見ていないところで本当に取り締まりたい事で相手を締め上げる。こうなれば警察はやり放題になる。

 

ある意味人は口や手という情報発信ツールを持って社会生活をしている限り、情報管理が出来てないというのは闇夜で地雷原を歩くようなものだ。都合の良い時だけ情報を利用してリテラシーを持たず、都合の悪い時だけ「え〜、だって知らなかったんだもん」では通らない事をしっかり認識しておくべきだ。



tom_eastwind at 10:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月06日

街の風景

クイーンストリートを歩く人がますます増えている。クイーンストリートとビクトリアストリートの交差点にオフィスを構えてからもう11年になるが、あの頃と比較すべくもない人口増加だ。

 

当社の入居しているビルもFAIビルディングからデータセンタービルディングに名前を変えて、その頃から中国系や韓国系の留学、旅行、移住などのエージェントが増えている。

 

このビルのオーナーは白人キーウィでいかにも良い所のぼっちゃん育ちのおじいさんだが、彼も時代の流れを感じているだろう。昔はすべて白人の企業しか入ってなかったのだが共産圏に強い魚商社が一社だけ入ってきて(当時のNZは共産諸国と仲良しだった、今も北朝鮮と国交がある)、それから暫くして留学会社として当社が入ってきて、それから急に日本人の出入りが増えて一時期はビルの床が抜けるのではないかと笑い話があったくらいだ。

 

オーナーはあいも変わらず上品な英語を使い上品にレクサスに乗り(僕と同じ駐車場を借りてる)オフィスでは子供たちの肖像画を飾っているがビルのテナントは英語もまともに使いこなせないアジア人だらけという不思議。

 

同時に浮浪者が増えた。彼らは自分の住む場所もあるのだが基本的に精神障害を抱えているアル中や麻薬中毒で、何日も風呂に入ってない様相でどろで汚れたボロ雑巾のような饐えたような毛布で道端に座り道行く人に小銭をねだり不愉快さを醸し出している。

 

これには警察も手を焼いており、ニュージーランドで一番の大都市の一番人通りが多くて観光客の多い地域でこんな「社会主義国家ニュージーランドでは有り得ない浮浪者」が存在することが、移動の自由や生活圏を保障している「社会主義国家ニュージーランド」 の国是とぶつかり合って苦い矛盾を生み出している。

 

つい3日前も会社の交差点の向かいに最近出来たスーパーマーケット「カウントダウン」にフルーツサラダを買い出しに行った時、入り口でガタイの良い白人警察官二人に追い越されて何だろうと思ってたら、店員に案内された彼らが酔っぱらいの浮浪者を「補導」して、彼の手の中でぐちゃぐちゃになってたサンドイッチを確認して「さあ、きちんとお金を払うんだよ、そして早く出ていきなさい」と言ってた。

 

誰しも買い物の自由はあるしお金があるのだから本来は客であるが、浮浪者はどう見てもただ単純に人がいるところに入り込んだだけで酒の匂いをプンプンさせて周囲に迷惑をかけているだけで店からすれば超迷惑な話である。

 

ちなみにニュージーランドではTrespassingという個人所有地立入禁止の法律がありお店は「酔っぱらい」や「浮浪者」だけでなく普通の人も追い出す権利がある。なので店から通報を受けた警察は彼ら不法立ち入りをしたモノを追い出す義務がある。

 

やれやれ、社会主義国家が1984年に資本主義自由市場経済国家に変わったのだが、生まれた時からニュージーランドに住んでいる人々からすれば一度の人生を二回生きているような気分だろう。

 

1900年代初頭から黄禍(YellowPeril  としてアジア人を閉めだした歴史があり社会主義国家として成功した体験がある人々からすれば、現在のようにクイーンストリートにアジア系企業がこれだけ進出して自由主義経済で人々が起業して成功する者もいれば時代についていけない浮浪者が街に出てくるようになったこの街の景色は随分変わったものに見えるだろう。

 

最近は中国系警察官も増えた。アジア系、特に中国人を取り締まるには同じ中国人を警察官として雇うほうが合理的である。彼ら中国系警察官はニュージーランド国籍を持ちニュージーランドの学校を卒業してネイティブ英語を話し同時に中国語も話せるバイリンガルなので訳の分からん中国文化とキーウィ文化の懸け橋にもなれる。

 

韓国人はオークランドのノースショア地区にたくさんの小型市場を作りその内部にビデオレンタル、衣服修理、化粧品販売、肉屋、野菜や、食料品屋、韓国雑貨、おまけに店の入口には子供向けの焼き菓子を売ってて、この市場ではあまり英語が通じないというミニコリアンタウンになってる。

 

なにせ肉屋では英語のBeefという表記がないしどっちが味付きカルビーかなと思って聞くと、にこっと笑って「BEEF!」で終わり・・はは、、。

 

これはもちろん中国人市場でも同様で、ぼくも良く買い物に行くノースコートの市場にある太平市場では基本中国語であり魚の名前も肉の名前もすべて中国語表記、奥さんと広東語で話しながらレジに行くと当然の如く広東語で話しかけられたりする。そこで英語を使うと怪訝な顔をされたりするので場の空気を読んで気を使って広東語で返すのだが、ここ英国圏なんだけどーと一人で苦笑。

 

そんな街の風景だが、今一つ欠けているのは日本人の存在である。先週は日本から移住してきたご家族数十名で賑やかにパーティをやって楽しんでもらったのだが、まだまだ全体的な存在感、パイが小さい。

 

韓国人約3万人、中国人約20万人(不法滞在含む)のアジア人の中で日本人はまだ15000人くらいしかいない。これではまだ日本人向けの高品質市場は育たない。早いとこ5万人計画を実現させたいところだ。

 

土曜日の午後、澄み切った青空と流れる白雲、そして時折の叩きつけるような通り雨のオークランドの自宅でランギトト島を眺めながら、10年後のオークランドの姿を考えてみた。



tom_eastwind at 16:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月05日

転職できる仕事

昨日の地元ニュースでオークランドに電力を供給しているハントレー炭鉱で労働者約105名に対して職場待機命令が出た。そのうち63名が解雇になる予定だ。誰が解雇されるか分からないがハントレー炭鉱は発展を続けるオークランドに電力供給をしており経営は順調である。

 

今回は今まで24時間操業を行なっていたのを技術進歩による操業時間短縮により人件費削減でさらなる利益追求をして株主への配当を増やすというべきか、このあたり株主最優先が経営陣の使命であり一般国民である株主に安い電気や配当を提供する考え方が目立つ。

 

日本だと企業は自社の利益を削ってでも無駄な雇用を守りこれが社内失業者を増加させて欧米に比較すると企業の利益率のゼロが一桁違う状況を生んでいるのだが、欧米ではここはドライに考える。企業の利益は社会へ貢献する。その為に無駄な人件費は削減する。しかし解雇された人は社会全体で守る。

 

NZ社会では失業保障は最高65歳まで受給出来るし65歳以上は老齢年金対象なので労働者が首を切られたとしても日本のような山手線ジャンプをする必要はない。

 

そのうえ退職パック(redundancy Pack)というものがあり今回の場合は半年程度の給与は保証されてその期間に会社による再雇用斡旋も行われるだろう。これはNZでは一般的である。

 

ただここで忘れてはならないのは、鉱山労働者はそれ以外に労働力としての価値がない人が多く他の労働市場においては殆ど使い物にならず、NZ国内では炭鉱は数少ないから結果的に豪州や英国など他国の鉱山で働くか、または専門学校でゼロから何かの技術を勉強して労働市場で一番競争力のない「見習い」から再度社会に戻るかしかない。最低賃金である。

 

その意味で潰しのきかない仕事くらい年を取るに連れ辛いものはない。仕事バカってのは何となく格好良く見えるが自分を労働市場で客観評価する場合は非常に危険である。まるでディーゼル機関車時代の窯焚き職人みたいな、デスクトップパブリッシング(コンピューター入力)時代の写植工(活字を棚から拾って枠を作り新聞印刷の版とする仕事)みたいなもので、特別な技能ではあるが時代や技術が変われば全く無用となってしまう。

 

こういう時間をかけて学んだ知識をサンクコストというそうで、自分がつぎ込んだ時間と手間と勉強はすべて無駄になるのだが、それを嫌がって技術革新後も古いものを残そうとすると日本の企業内失業者やもっと多くの規模で言えば時代遅れの技術部門を残して国際競争に負けてしまうって事もある。

 

その意味ではニュージーランドのような解雇は企業が社会のものではなく個人や一部集合体のものであると明確に位置づけていることが分かる。企業は個人や一部集合体が自分の利益のために作るものであり倒産しても自己責任だが雇用を無理やり守る義務はなく、それは社会全体で補佐するものと考えている。

 

ちょっと話はそれるが米国で危機に陥った民間金融機関を国家が直接救済するという「民間企業でありながら大きすぎて潰せない」というのは本来資本主義社会ではあってはいけない矛盾した理論である。企業や個人はリスクを取ってリターンを得る。失敗すれば自己責任だ。倒産した会社は退出するしかない代わりに成功した際の利益を多く得られるのが資本主義だ。

 

日本も同様で自分の都合の良い時だけ資本主義自由経済を主張して大金を稼いでおいて失敗したら大きすぎて潰せないからと政府に守ってもらうのはリスクを取らずにリターンだけを得ようとする反社会的行為である。

 

何故なら社会全体のパイの規模は同じであればリスクを取らずにリターンを取る人間がいれば、どこかでリスクばかり背負わされてリターンが貰えない人々が出てくるからだ。それは結局人から独立自尊のやる気を奪い誰もが長いものに巻かれろになり社会の進歩が止まってしまい結局いつの日か他国に滅ぼされるからなのだ。

 

本題に戻ると西洋型の個人会社が良いのか日本型の企業は社会の公器が良いのかは難しいところだが個人に引き直して考えてみれば炭鉱夫という仕事を選んだ際にそれが転職の機会の多い仕事か、つまり現役で働いている間に身についた知識や知恵が転職の機会に役立てるかどうかである。

 

転職出来る職業、転職先でも仕える技術や知識、そういうものを個人でしっかり身に付けておくことがこれからの時代に生きていく支えになると思う。

 

About 105 Solid Energy staff will stay home today to wait anxiously for letters advising them whether they will lose their jobs.

 

The letters will be delivered to all Huntly workers after the company confirmed last week that 63 redundancies will be made at the Huntly Mine and 230 at the Spring Creek Mine. There is a separate process running for corporate support and development roles where redundancies have also been proposed.

 

Solid Energy spokeswoman Vicki Blyth said coal would not be extracted from the mine for 24 hours so workers could be notified. She said workers who received letters saying they were "tentatively" being made redundant would be consulted during the next week. The redundancies would be confirmed on October 12.

 

Brian Lynch, the union delegate for the Huntly mine, said it was probably the best way to handle the situation given the circumstances and workers who were laid-off were not expected back at work.

 

"It's best people stay at home and get their letters and they can open them at home in their own privacy. It might save a bit of embarrassment for some ... Only the people who get the jobs will show up on the Friday."

The Engineering Printing and Manufacturing Union organiser Ray Urquhart said management had the right to keep their most qualified staff and this was what Solid Energy's process was doing.

 

Ms Blyth said mine managers had been consulting employees and the EPMU to select who stayed on in the reduced number of roles.



tom_eastwind at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月04日

法の支配のない社会

小宮山洋子厚生労働相は28日の閣議後記者会見で、厚生年金基金制度の廃止を盛り込んだ厚生年金保険法の改正案を、早ければ来年の通常国会に提出するとの考えを示した。厚年基金は運用利回りの低下で財務が悪化しており、積み立て不足額が1.1兆円に達している。制度を維持し続けても財務改善のメドが立たないことから、廃止を検討することにした。

 

 小宮山厚労相は厚年基金制度の廃止に向けて「社会保障審議会で検討し、成案が得られれば、来年の通常国会で提出する」と述べた。厚労省は28日午後に開く対策本部で、一定期間後に厚年基金制度を廃止する方針を確認する。廃止時期は10年程度先になる見通しで、厚労省は他の企業年金制度への移行を促す考えだ。

 

 全国に572ある基金の半数にあたる286基金で、国から預かって運用する厚生年金部分で積み立て不足が生じている。積み立て不足は基金が穴埋めするのが原則だが、財政悪化が深刻な基金は穴埋めできない場合がある。その時は公的な資金である厚生年金保険料を使う案が浮上しているが、小宮山厚労相は「国民の納得が得られる方法を議論したい」と述べた。

 

 来年提案する法案には、厚年基金を解散しやすくするための施策も盛り込む。具体的には、国に返還する積み立て不足額の減額や基金に加入する企業が共同で積み立て不足を返済する連帯保証制度を廃止する。

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ややこしい文章であるが、要約すれば今まで美味しい思いをしていた人々が損をしそうなのでそれは社会全体で負担しましょうって事だ。こんなの1990年代の住専問題からずっと同じで、最初に美味しい思いをした連中が損をしそうになると国民全体に負担を強いる。

 

じゃあ真面目に年金払ってた人々は何の美味しい思いもないまま他人の尻を拭くだけってのか?そんなのおかしくないか?リスクのあるビジネスに手を出した以上、損をしたら自己責任でしょ。

 

それが社会に与える影響はでかいというなら最初からそのようなビジネスを民間に提供すべきではなかったのだ。何故そのようなビジネスを民間に提供したか?それは厚労省の天下り先の確保のためである。

 

つまり厚労省が天下り先を確保するために厚生年金基金を作り民間に役人を送り込んだ、ところがそれが赤字になると今度は国民全体に負担を押し付けてちゃらにしましょうと言う厚かましい話である。

 

自己責任とはリスクを取ってリターンを取りに行くという、非常に単純な話である。失敗すればそれは自分で負担するのだ。それが人生である。ところが役人だけはリスクを取らずリターンだけを取るという発想しかない。

 

ゲームのルールは自分で作り、表が出れば俺の勝ち、裏が出れば君の負けって事だ。こんな馬鹿らしいゲームに参加する必要がどこにあるのだろうか?

 

それは米国でも同様で、金融で大儲けをした銀行家がリーマンショックで銀行に大損を与えると銀行救済を国民の金で行い大儲けした銀行家は知らん顔という話だ。それならいっその事すべての事業を国家がやれば良い。

 

共産主義国家のようにすべての経済活動は政府が行い民間人は国家に指定された国営企業に就職してその代わり政府がすべての国民の生活を保障する、そのほうがよっぽど分かりやすい。

 

ぼくが中国に仕事で訪問するようになったのは1970年代も終わりであるが、当時ぼくのツアーにアテンドする現地中国人ガイドは全員が大卒で日本語流暢な若者だった。彼らは政府に就職先を指定されて僕のガイドだった若者も「政府のおかげで仕事も就けて満足しています」と、結構本気で言ってた。

 

当時の日本では中国は共産主義国家であり仕事も自由に選べないと思われていたが、ぼくはガイドの若者の顔を見ながら「こんな社会もある意味公平で平等かもしれない」と思ったものだ。

 

西側体制(古い言い方)が自由主義とか民主主義とか市場原理主義とか言いながら結局やってることが一部の人間だけが責任を取らずに利益だけを奪っていき、その責任を取らされるのが一般市民であれば何のための自由主義であろうか?

 

それなら最初から共産主義の不合理に甘んじた方がよほど「合理的」であり「平等」である。何故なら共産主義の下ではほんの一部、人口1億2千万人のうち1億1千996万人までは平等であり、ほんの4万人だけが特権階級なのだから目立つことはない。

 

彼らが内部抗争をしようが平民の生活は保障されており、あまり難しい事を考えなくても生きていけるなら共産主義でもいいではないか。

 

今回のような国民だけに失敗の責任を押し付ける救済策、こういうのを一般的に「騙し」または法の支配のない社会という。



tom_eastwind at 15:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月03日

自分の住みたい場所

オーストラリアへの移住者激増

NZdaisukiより引用開始

 ニュージーランド統計局の調べで、昨年9月から今年8月までの1年間で総合計で4万人がオーストラリアへ移住したことが分かった。詳細は、53,000人がオーストラリアへ移住、14,000人がオーストラリアからニュージーランドへ移住という結果。差分の約4万人は記録的な大きさ。この移住の大半はニュージーランド市民権保持者。

 しかしながら全体的には、英国、中国、インドからニュージーランドへ移ってきた人達によって移民者数は増えている。同期間の1年間にニュージーランドを訪れた人の数は、260万と5パーセントも増えているが、これはラグビーワールドカップの効果である。

社会   2012924

NZdaisukiより引用終了

 

ニュージーランドは西洋社会の尾瀬である。東京で平日に生活して文楽や落語やコンサートや美味しいレストランを満喫した都会人が尾瀬に行き「素晴らしい!こんな自然に住めるあなたたち若者は幸せだ!」と言うが、言われた方からすれば「じゃああなた、ここに住みますか?コンビニもカラオケもないような田舎に?」と返答したいわけだ。

 

キーウィの若者も同様で、やる気のある若者は田舎で一生懸命学んだことを基礎にして都会(シドニー、ロンドン、ニューヨーク、香港、東京等)に出て、まだ見たことのない都会、例えばニューヨークのライブハウスで最新のジャズやロックを楽しみロンドンのシェークスピア・グローブ劇場でご先祖様の演劇を楽しみたいのだ。アジアでは真夜中でも歩ける範囲内で食べ物やヒゲソリが買える店(コンビニ)に行き週末は東洋文化や芸術を楽しみたいのだ。

 

ニュージーランドで生まれたやる気のある若者は都会に出たいのだ。そして十分に都会生活を満喫してから50歳前に故郷に帰るのだ。ちょうど、九州や北海道で生まれ育った子供が東京の大学を卒業してそのまま都内で就職して家庭を持ち一生懸命働きお金を貯めて、45歳くらいになって故郷に戻って自宅を建ててのんびり生活するようなものだ。

 

今年の移住者の多くはもちろんクライストチャーチ地震の影響もある。地震後に多くの人々がいつまで経っても復旧の目処が経たないこの街を離れてシドニーやメルボルンなどの都会に移住しようとする。同じ英語だし賃金は高いしねって。

 

付け加えて言うと、ちょっと申し訳ないが地震で移住を考える層の人々はさすがにロンドンやニューヨークの社会で戦っていけるほど戦闘能力が高くないので身近な豪州という事になる。

 

けど豪州でも現実の壁にぶつかってびっくりする。家賃は高いし普通の能力しかないキーウィは二級市民扱いで、生活に苦労する現実がある。彼らは大変だろう、今まではニュージーランドの社会主義のゆりかごの中で言いたいことだけ言って白人だからって一級市民でいられたのにそれが通用しないって事が分かったからだ。

 

彼らはシドニーのような大都市で二級市民として働くか田舎の地元に帰るかの選択になるだろうな。シドニーで苦労をしているキーウィの実例を見ているだけに胸が痛いが仕方ない現実である。

 

しかし少し視点を変えてみれば世界のAクラス都市でビジネスを競っていた人からすればニュージーランドは保養地なのだ。リラックスしてほどほどに働ける場所なのだ。テロもなく無差別殺人もなく水も電気も食料も豊かだから多くの外国人がニュージーランドで永住権を取得しようとする。

 

こんなのんびりした国、そこにビジネスチャンスはないのか?例えばニュージーランドを「シェルター」として売っていく、つまり日本で引きこもりになってる子供や社会人をNZの学校や社会で簡単な仕事をしながら少しづつ自分らしさを取り戻していく、そういう発想を持てばこの国は面白いと思う。

 

いずれにしてもニュージーランドは英国人などアングロサクソンにとっての尾瀬である。そして世界に出稼ぎに出たキーウィの若者にとっては懐かしいGreenGreenGrass な、いつか錦を飾って戻りたい故郷だ。



tom_eastwind at 16:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月02日

<美女からの投稿>

面白いチェーンメールを一つどうぞ♪


タイトル:お金持ちと結婚するためにはどうしたらいいの?

 

正直に書こうと思います。私は25歳で、かなり美人ですし、品もよく、センスもいいです。私は年収50万ドル(4000万円くらい)以上の男性と結婚したいと思います。欲張りだと言われるかもしれませんが、ニューヨークでは年収100万ドル(8000万円くらい)でも中流と言われるのです。私の要求は高くありません。このフォーラムに誰か年収50万ドルの男性はいませんか? みんな結婚しちゃってるんですか? 

 

私が聞きたいのは、あなたのようなお金持ちと結婚するためには、どうしたらいいのかと言うことです。私が今までお付き合いした人の中で一番のお金持ちは、年収25万ドルの人だったのですが、年収25万ドルが限界なのかな、という気がしています。でも、ニューヨークの西にあるニューヨークシティガーデン(?)というところに引っ越すためには、年収25万ドルじゃ、足りないんです。

 

恐れ入りますが、次の質問に答えてもらえませんか?

 

1.お金持ちの独身男性はどこに集まっているのですか?(バーやレストラン、ジムの住所のリストがほしいです。)

2.何歳くらいの人を狙ったらいいでしょう?

3.なぜ、お金持ちの妻達のほとんどが、特にかわいくもない平均的な容姿なのですか? 美人でもおもしろくもないのに、お金持ちと結婚した女の子を何人か知っています。

4.結婚するか、付き合うだけで終わるかの決め手は何ですか?(私の目的は、結婚することなのです。)

 

美女より

 

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JPモルガンCEOのお返事>

親愛なる「美女」さん

あなたの投稿をおもしろく読みました。おそらく、あなたと同じような疑問を持っている女性はたくさんいるでしょうね。あなたの状況を、プロの投資家として分析することをお許しください。私の年収は50万ドル以上。あなたの希望に添っていますので、ここでこれを読むみなさんの時間をムダにしないのではないかと思っています。

 

ビジネスマンの視点に立って判断すると、あなたと結婚するのは悪い決断です。理由はとても単純です。説明しましょう。

 

細かいことは抜きにして、あなたがやろうと思っていることは「美」と「お金」の交換です。Aさんが美を提供し、Bさんがそれに対してお金を払うのです。フェアでわかりやすいですね。

 

しかし、ここには1つだけ重大な問題があります。「美」は、そのうち「なくなってしまう」ということです。しかし、「お金」はそうではありません。実際、私の年収は毎年上がり続けています。しかし、あなたは毎年どんどん美しくなるでしょうか。

 

つまり、経済的な観点から言うと、私は「魅力的な資産」ですが、あなたは「値下がりしていく資産」だということです。しかも、「急激に値下がりする資産」なのです。もし「美」があなたの唯一の資産ならば、あなたの10年後の価値は、かなり心配すべきものでしょうね。

 

ウォールストリートでは、どんな取引にも「短期保有」と言うものがあります。あなたとデートすることは、「あなたを短期的に保有すること」です。取引では、売買するものの価値が落ちるとわかれば、私たちはそれを売ってしまいます。「長期保有」することはないのです。でも結婚は、「あなたを長期的に保有すること」なのです。

 

残酷なようですが、賢い選択をするなら、急激に価値が値下がりするものは、売ってしまうか、レンタルするくらいで十分なのです。年収50万ドルを稼ぐ人はバカではありませんから、あなたとデートはしても、結婚することはないでしょう。

 

お金持ちと結婚するための方法を探すのはおやめなさい。それよりも、あなたが年収50万ドル稼ぐ人になるのです。これが私のアドバイスです。お金持ちのバカを探すよりも、ずっとチャンスがあると思いますよ。

 

この返信が、役に立ったらうれしいです。もし、あなたが「レンタル」に興味があるなら連絡してくださいね。

J.P.モルガンCEO

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これ、チェーンメールらしいけど、実に面白い。移住という仕事をしているとこのような状況によく出くわすから、更に興味深い指摘である。このような「美女からの問い合わせ」が現実に存在するからである。

 

それは「就職」。一般的にニュージーランドで就職さえ出来れば後は安泰と考えているケースが目立つが、何が何でも就職、つまり相手に何かを求めるのではなく、自分が何かを作り出す「起業」も選択肢に入れるほうが良いという事を知ってもらいたい。

 

日本では正規で就職出来れば大丈夫みたいに思われるがニュージーランドには正規も非正規もなく、どちらも単なる就職である。

 

そしてこの国では仕事を楽しんで働くが、退屈になったり他のことに興味が出たりすると簡単に転職する。転職がごく当然の国では転職先に就職してからが勝負であり就職したら終わりではない。

 

就職する際には適正な能力が求められるし就職してからは業務内容を決められてその内容で十分な実績を出せなければ能力不足と見做される。そしてぼくが見る限り日本人が就職出来る職種は限られており、その職種についても売上が出せなければ退出させられる。

 

つまり言葉は悪いが、たとえ就職できたとしてもエサは自分で取ってくるしかない、そのエサを親分に上納して残った分が自分の取り分だと思った方がいい。

 

ならば、エサを取る力があるのなら就職するよりも自分でその専門領域で起業して地元の会社と提携契約をした方が取り分が増えるし力関係も平等である。

 

けれどその際は自分を労働市場における商品として位置づける事が出来るか?その際の適正価格は?そして価値の有効期限は?を自分で客観的に把握する能力が要求される事は当然である。

 

多くの場合は自分がニュージーランドに貢献出来る「価値」よりもニュージーランドから何がもらえるかという「リターン」を考えるが、専門職でみれば、正直言えば今のニュージーランドで就職して手に入る給料は日本の数分の一だと思ったほうが良い。

 

だから自分と家族の生活を賄おうとするのなら、専門職であれば独立するほうが正解である。独立のリスクは高いと思うかもしれないが、ニュージーランドでは就職も独立も苦しさにおいてはそれほど大きな違いはない。

 

ならば就職にこだわる、つまり金持ちと結婚するのではなく、自分で自分の道を選択出来る「起業」の方がよほど正解ではないかと思うのだ。

 

もちろん本人の性格もあるだろうしある程度の資産があれば金融収入を労働収入に加えて就職しても食っていけるなら問題はない。自宅を現金で購入することが出来て毎年5万ドル程度の金融収入が得られるなら就職も良いかもしれない。

 

なので最初から「何が何でも就職」を狙うのではなく、もしかすれば自分に起業の道もあるかもと思った方が選択肢が増えて良い。このあたりが今日のネタの「美女からの質問」を読みながら感じたところだ。

 

ちなみにぼくならこのような立場の美女からの質問であればおそらくぼくは現場の場数を踏んでいる分このCEOの提案以外にもいくつかの現実的な選択肢を提案出来る。けどそれを書くと読者が半分になるのでやめておく(笑)。



tom_eastwind at 16:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年10月01日

家族移民基準の厳格化

最近移民法の大きな変化があった。それは移民してきた人々の家族、とくに両親の呼び寄せについて規制強化され、大雑把に言うと難しくなった。これも中国人などが自分たちの家族、特に両親を呼び寄せて来る移民向け対策だ。

 

中国だと受けられる医療水準が低いがニュージーランドでは誰もが最低限の医療を保障されているから中国人からすれば「もらえるものは貰っておけ」とばかりに家族申請をして移住させ、一度もニュージーランドに貢献せず仕事もせず65歳になったら老齢年金まで貰ってしまえって事だ。

 

ぼくら日本人からすればニュージーランドに一度も貢献せずに金もらうなんてどういう神経だって考えてしまうが、偉大なる中華民族は他人の物は俺のものと考えて恥と思わない文化があるから性善説のニュージーランドの医療制度を食い物にしようとする。

 

タダ乗り移民がテレビで取り上げられてウィンストン・ピーターズ元副首相が移民問題発言をぶちあげて(ちなみにこの人はNZファースト党という自民族一番、移民嫌いなマオリだ)今回の移民法見直しに繋がった。

 

人好きのする笑顔のおっちゃんで日本で言えばハマコーや野中広務のような一発屋であるが結構ずばっと言う政治的センスはあると思う。

 

数日前のブログではニュージーランドの政治の良さの源泉を説明したがあれは英国系白人の話であり彼はニュージーランドの政治家では珍しく我田引水、マオリだけが儲かれば良いという下品なセンスでありマオリ票で当選しているので白人に対しても厳しいことを言う。

 

但し今回の中国人移民の「社会保障のタダ乗り」は白人も苦々しく思ってたのでNZ社会としては正当な意見であると受け取られている。迷惑なのは真面目にやってるぼくら日本人のような移民である。

 

移民を考える時に日本人はすごくまじめに道徳的に考えたりするが、ニュージーランドにとって移民とは国家政策であり世界中の金持ちに来てもらいNZに投資をしてもらいNZを豊かな国にしようとするビジネスの一つでしかない。

 

だから移民受け入れをやって社会保障だけタダ乗りされるのでは意味がないどころか赤字である。難民ビザなどは人道的な受け入れをするが通常の移民枠においてはやはりこの国に貢献してもらわねば意味がない。

 

今回のタダ乗り防止法案もぼくらからすれば結構青天の霹靂であり、テレビにウィンストンピーターズが出てすぐに法改正だったので、既存ルールで手続きを進めていた案件がゼロからやり直しになったりする。

 

ここで皆さんによく理解してもらいたいのは、移住を考える時に「2〜3年後を目標」にしているのなら2〜3年後にもう一回ゼロベースで考える事が大事って事だ。(事が3回並んだ〜)

 

つまり元寇、じゃなかった、現行の移民法を基礎にして今から準備をしても申請寸前にルールが変更になることがよくあるわけで、それは決して自分にとって有利に働くとは限らないって事で、移民法はニュージーランドでさえ年々厳しくなると思って欲しい。だから既存のルールを念頭にして2年後に向けて準備をしても2年後にはルールが変わっているので意味はないという事だ。

 

カナダも同様なようでカナダ在住の方が書いてる分かりやすいブログを一つ。

http://blogos.com/article/40026/

 

時々「何故あなたはニュージーランドに移住したのですか?」と聞かれることがある。ぼくの場合は立派な信念も政治的意見もないままにたまたま川に流される小枝が引っかかったところがニュージーランドというだけである。

 

ぼくはニュージーランドに来た時は半年程度で」次の国に行こうと思ってた短期旅行者だった。スーツケースに文庫本を詰めてクイーンズタウンのワカティプ湖のほとりで本でも読めればいいやって感じだった。

 

ところが僕が到着した時はクイーンズタウンは日本からのハネムーナーで観光バブル状態、日本の旅行業を知っているというので「今すぐ手伝ってくれ」ということで何の書類もなく旅券だけを渡してその場でワークビザを取得、今ならあり得ん状態。

 

更にその一ヶ月後に移民局から突然手紙が来て「永住権招待状」。ぼくは別に永住権が欲しいわけではないからめんどくせーな、放置、と思ってたらその時の雇用主が「おいおい、しょせんは紙一枚なんだから取れる時に取っておけ」と言われて、これがぼくの運命の分かれ道になったのだ。

 

でもって旅券と300ドルの小切手を添付して移民局に送ったら一ヶ月もせずに永住権が貼られた旅券が返送された。健康診断も無犯罪証明も学歴も不要、ほんとにあっという間に取れたのだ。

 

そしてその永住権があったからこそ今の奥さんと知り合って結婚して子供が出来てついにこの国での生活が20年を超すことになった。人生ってこんなものである。予め予定して物事が動くわけではなく、てか予定された人生なんて有り得ないし面白くもない、むしろ人生を波乗りやスキーに置き換えてみたほうがいいくらいだ。

 

けどその時に思ったのが「やれる時にやれるだけやっておく、ビザが取れるなら今のうちにとっておく、自分は運命を決めることは出来ないが舵取りは出来る、出来る時に何でもやっておいて何かあった時に対処出来るだけの能力を身に付けておく」って事だ。

 

今ニュージーランドに移住することを考えている人は、あまり計画を先延ばしにしても意味はない。むしろ状況は悪くなると思った方が良い。どれだけ日本で準備しても世の中がどう変化するか誰にも分からない。無謀に飛び出すのも危険だが準備に時間をかけすぎて渡るべき橋が壊れてしまえば意味もない。

 

日本でもう一回大きな地震が来てそれが原発をふっ飛ばすような事になってから移民を考えてもニュージーランドはその時は受け入れ基準を非常に厳しくするだろう。冒頭に書いたようにビザは売り物であり買い手が多ければ値段が上がるのだ。

 

小松左京の「日本沈没」でも書かれていたが、世界各国は日本からいきなり1億人が移住しようと思っても受け入れはしてくれない。せいぜいが大型タンカーに乗って中東からの避難民のように太平洋をぐるぐるするしかない。

 

英語でNow or Never という言い方がある。今かそれともなしか、みたいな意味だ。エルビス・プレスリーが歌えばラブソングだが世間一般で言えば最後のバスに乗り遅れるかどうかである。目の前を走るのが最後のバスかどうかなんて考えているうちにバスは出てしまう。それから何を考えても遅いのだ。



tom_eastwind at 13:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌