2014年12月
2014年12月31日
2014年12月30日
大阪から東京に戻る。
昨晩はホテルに戻って近くのコンビニで買った非常食(豚汁)を食って寝る。腹減ったー。今朝は新大阪駅から品川に向かうが座席指定で何と横に妙齢の美人。
普通ならここで喜べば良いのだろうが人生経験の長い僕としては(笑)名古屋を通過した時点で一つ後ろの空いてる座席に移る。痴漢と間違われては迷惑であり何か起これば確実に疑われる僕の人相では(苦笑)戦いようがない、ははは。
東京に着くとまたも晴れ。おれは晴れ男か?などと思いつつ品川駅から恵比寿に戻るとここもまた人だらけ。
OK,自民党税調の話をしよう、または国会での税制大綱の話をしよう、どっちも出来る。けど問題は詳細である。これが出て来てないから詳細の議論が出来ない、さあどうする?って感じだ。
全部出てくれば戦えるけど、まだだなー、後一ヶ月ってのが今の感覚。
2014年12月29日
大阪出張
今朝は5時に目が覚めたので温かい紅茶を飲みつつ外を見ると、おお今日の東京は雨ではないか。昨日までの晴れとは全然違うけど、ぼくは今から大阪へ移動なので雨は関係なく部屋で仕事を開始する。その後朝飯代わりの豚汁飲んでアタッシェケースに書類詰め込んで10時の新幹線のぞみで大阪に向かう。
東京を拠点にして名古屋や大阪に一泊出張する時はこのアタッシェケースに引っ掛けるようにして布製の今はなきブランドメーカーの落ち着いた茶色のソフトバッグを持ち歩く。このバッグに洗面具と着替えを入れての移動は機能的で混みあう新幹線駅で人にぶつかることもない。
ちなみにこの「今はなきブランド」プロデューサーの父親はVANの創始者だ。知る人ぞ知る、ですね。モノの良さとビジネスで成功するかは全く別問題。
片道2時間30分の旅だがさすがに年末、座席はほぼ満席。予め指定席を取っておいてもらったので座れたが自由席は乗車率100%を超してますね。
新大阪に着くと賑やかで人間だらけ。普段Aucklandで生活をしていると日本の都会のこの人口密度が一番びっくりする。勿論理屈では分かっているのだけどやはり人間がこれだけ集まると半端ないな、人の気が圧倒的で思わずくらっとする。
そう言えば僕は日本に住んでた時もあまり人混みが好きではなかった。当時は何でだか分からなかったけど今では多分あれは「人の気」なんだろうと思う。人が多く渦巻いているとそこに様々な欲望が出てくる。その気をもろに受けてしまうから疲れるのだろう。
大阪のホテルでお客様と面談終了。この方とも4年以上のお付き合いになるか、やはり信頼を頂いて今年のNZ総選挙のくそ馬鹿ったれな政治絡みのスキャンダルとビザエージェント同士のトラブルに知らない間に巻き込まれた騒ぎの中もずっとお付き合い頂き、総選挙後にビザが取れた。さあ次にやることは見えているぞ、見てろって感じだ。
その後は大阪北新地でイーストウィンドOBの集まる忘年会に参加。これ、日本社会、とくに大企業に慣れた人にはとても不思議で意味不明な集まりだが当社では極普通の集まりである。
うちの会社では創立当時から「2年働いたらうちを辞めろ」という規則があった。皆はNZに来たわけであり当社に就職するためにNZに来たのではない。ならば当社で2年間働き永住権を取得するまでの間に取引先と人脈を作り永住権取得後地元企業に転職するべきだ、それが僕の考えだった。
愛社精神とか忠誠心など不要、とにかく自分がこの国NZで生き残れるためにうちの会社を目一杯利用しろという気持ちだった。だから今でもAucklandで日本人に石を投げれば10人に1人は当社のOBではないかって状態だが、皆仲良く付き合っててある意味うちは大学の同窓会のようなものだ。
2001年頃から働いてもらったスタッフは当時ワーキングホリデイビザなどであり日本に帰った今は40代の油の乗ったビジネスマンだ。皆それぞれの特長を活かして優良企業に就職しつつもあまり自分を変えない生き方をしている。
いいなー、皆頑張ってるな。
2004年のホテルインターンシップ事件で当社がクライストチャーチの労働組合の捏造詐欺に巻き込まれた時の話もネタになった。当時のクライストチャーチの責任者は今では日系大手企業の海外ビジネス担当であるが、今晩もそのネタで盛り上がった。
あの事件、本当に腹がたったな、完璧に不意打ちの騙し討ちだ。一から十まで嘘なんだからどうしようもない。労組の詐欺に巻き込まれた当事者の日本人ワーホリ女性は泣くだけでいいがこっちは会社の問題である。労働局や移民局に行き話を聴き間違いを正し最終的には彼らが「お前らは正しい、けど、悪い時に悪い場所に居ただけだ」っていかにも西洋風の答で終わった事件である。
大阪北新地の細い路地沿いにある料理屋で15名集まってワイワイ騒ぐ。そのうちの3名は現役NZ在住だ。当時の生まれたばかりのちっちゃい子供が今では飲み会でも自分が紹介されればきちんとゲーム機械をたたんで大人の顔を見て「こんにちは」と言える年になった。親の躾だな、良い親を持ってよかったね、ほんとにそう思う。
一次会が終了すると皆盛り上がってて二次会だが、さすがに今回の出張では「ここで二次会はまずいでしょ」って当社メディカルチームの提言もありカラオケは行かずにホテルに戻る。
けど、いいよなーこういう付き合いって。来年末もまた、集まれるメンバーで集まれればいいと思った。今回はNZから僕を入れて4名参加、広島から5名参加、東京から数名参加、大阪から数名参加、名古屋から1名参加、賑やかな忘年会になりました。
2014年12月28日
神田川
今日は東京駅に行く。定点観測とその後の東京駅近くでの仕事。元郵便局が完工して営業開始してよくこなれた状態のKITTE、東京ステーションホテル、そして東京駅南口(つまり丸の内の入り口)の素晴らしいドーム型天井(ニューヨークのグランドセントラルと良く似ている)、何かお上り気分であちこちを見て回る。
それにしてもこの高層建築の数といい質と言い、これが日本が失われた20年に作られてたのかと思うとぞっとする。この建物群を見上げていると一体何が失われた20年だ?と思う。
失われた20年、それは日本の地方に住む多くの日本人にのみ適用されるものであり東京都心に住み政府や三菱や三井の本拠地で生活をして仕事をする東京のエリートたちには全く関係ないのではないか。
そのような立派なビル地下の郷土名物料理フロアに行くと鹿児島名物や沖縄名物料理、比内地鶏料理店などが軒を並べ家族連れが美味しそうに地元料理を楽しんでいる。
通路の反対側の反対側のコンビニに行くと通路の一番端っこの隠れるような壁沿いの硬いベンチに少し疲れた様子のちょっとくたびれた服を着た多くの人がぎゅうぎゅうに座りつつすぐ前のコンビニで買ったパンやおにぎりを食べている。
東京駅線路下の店はあいも変わらず古ぼけててレトロと言うより手書きの献立と雰囲気は昭和の時代に流行った「故郷酒場」を明らかに彷彿させる。
そうだろう、これだけの工事を何年もかけて作ったのだ、現場で夏は汗にまみれ冬は寒さに凍える下請けや孫受け会社とその労働者家族も東京に住んでいるのだ。しかし彼らは東京に住んでいても扱いはあくまでも「不可視層」なんだろうな。
今この東京駅丸の内の地下街の主役は明るく素敵なレストランでベビーカーを引きつつ美味しそうなものを食べている若い家族たち(何故か両親も子供も上品で奇麗)が主役であり彼らの視野に入らないのが主役の為のインフラ整備を雨の日も雪の日も行い道路工事やビル建設で働いている影の人々である。ここにはヤンキーさえいない・・・。
昭和の時代までは東北の人々にとって東京の入り口は上野駅であった。啄木の「ふるさとの訛り懐かし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」のは上野駅だ。NHKの新日本紀行では東北から出稼ぎに来る人々の姿がよく撮られていた。ところが東北新幹線が東京駅まで乗り込むようになるとその様相が変貌した。東京駅がいつの間にか東北から来た人々にとっての入り口になったのだ。
そして彼らは東北の地元で得られない仕事を得るために東京に出て来て派遣でも孫受けでもとにかく仕事があるだけ良い、東京の安いアパートを見つけて数人で住み様々な現場で働き、生まれ故郷で得られない現金を得た。
午後2時からアポまでの午後4時まで約2時間、コートもなしで東京駅界隈、つまり三菱村を歩きまわる。今年最後の東京駅定点観測であるが非常に学ぶものがあり良かった。革靴だったので足は痛いが運動にもなった(苦笑)。
安部首相の経済政策の一つに地方創生というのがある。地方の活性化の為に東京に集中しすぎた人々を地方に送り新しい産業を作り?新しいビジネスを起業し?とにかく政府に頼るな自分で頑張れである。
本音はバブル時代に東京に来て大企業で社内失業している連中は田舎に戻って田んぼでも耕して食料自給率を上げて冬は雪かき夏は草刈り普段は老人介護でもやってろだろう。これが地方創生だ。
東京の仕事はすでに「モノを発想して創りだす超先進的な街」になった。製造業も工場もバックオフィスも不要なのだ。想像したモノは世界のどこかの工場で作れば良い、経理業務は海外に外注だ、この街には本当のエリートだけが住んでいれば良い。
昭和の時代であればバックオフィス業務があり少々使えないバカでも一連の作業に必要であった。しかし21世紀の現在、そのような仕事はすべてコンピューターとネットを通じた外国への外注に切り替わり、僕がいつも書くことだが学校出たての普通の学生に残された仕事はコンビニか道路工事という、そこにいなければ出来ない仕事でしかない。
優秀でおしょうゆ顔で立派な親を持つ東京生まれの学生は自然と彼らだけで固まりいつもホームパーティで団結力を強めて丸の内界隈で高給を取りお洒落なレストランに行きお互いに助けあう。そう、今の東京にはそういうエリート階級でカネとコネのある人間しか必要ないのだ。
平凡だけどカネとコネのある若者が一流企業に就職出来る。優秀だけど地方出身のカネもコネもない若者はどう頑張っても階段の最初の一段目に足をかける機会がないのだ。何故ならカネとコネが持つ価値の方が優秀さよりも上回り始めたのだ。
東京と言う街の夜景は綺麗である。特に今のような年末のイルミネーションは素晴らしい。だって世界で戦えるレベルのデザイナーやプロデューサーが企画しているのだから。
定点観測後、丸の内界隈の仕事を終わらせて恵比寿に帰る頃には木々を彩るイルミネーション。素晴らしいな、綺麗だな、これが東京一極集中なんだな、けども政府からすればもう東京に集中してもらわなくても結構、何だか現場を歩きながら政府の強いメッセージを感じた。
それでも東京は魅力ある街であり続ける。1970年代、多くの若者が夢を見てフォークギター一本抱えて上京した。その中に「かぐや姫」というフォークソンググループがいた。彼らが作った歌の一つに「神田川」がある。そしてこれからもいつの時代も東京は魅力的であり続けるのだろう。
2014年12月27日
お客様への手紙
今日はあるお客様からの多方面にわたるお問い合わせを頂きそのメールを書いてるうちに「あれ?これって他の方も知ってもらった方がいいよね」と思って少し内容を改定してブログに転載。
***
(「あなたの判断基準は?」と聞かれて)僕の判断基準は二つあり、まず世界を俯瞰して歴史と照合する、 いろんな街で定点観測、何が変化して何が変化していないか、そして現場で話を聴いて最後に肌感覚で答を作る、つまり相手のやろうとしていることやこれから起こる変化を読むという方法です。
海外資産調書、出国税、マイナンバー、消費増税、資産税、これは 財務省の一連の動きですべて繋がってますね。明確です。 富裕層向けの囲い込み、そしてフルボッコで平民の地位に落とす。これは戦後すぐの時期にも違った形で実行された事は古い世代の方の脳裏に明確に残ってます「政府は信用出来ん」として。
しかし海外資産調書などは資産を持っている人から取る方法でありますが資産家などは世の中の1%でありそこにいくら課税しても合計額としては財政に影響を与えることはありません。
政府にとってもっと大きな問題は世の中の95%以上を占める「持っていない人」への課税です。持っていない人にどう課税するのか?
それは医療費、年金、福祉の減額による実質的課税です。つまり今まで国家負担であった福利厚生費用を個人負担してもらうことです。毎年1〜3%程度の減額、それも一番利用の多い世代を狙い撃ちにします。
消費税が上昇して複利減額、さらに物価が上昇している現在、この世代にはきつい話ですが更に問題なのはこれは一過性の話ではなくこれからずっと死ぬまで続く話だという事です。
はっきり言えばカネがない人には「お国の為に頑張ってくれてありがとう、もう君は用済みなのでとっとと死んでくれ」です。これからカネがなくて病院に通えず年金減額物価上昇でまともな食事も出来ない人々の孤独死がますます増加していくでしょう。
それから銀行口座開設規制ですが、NZが米国に逆らえないのではなく世界が米国に逆らえないのです。ただ一つ
言えばNZは金融以外では米国に逆らってますよ。核搭載艦の入国拒否、 最新鋭戦闘機購入予約の取消など、しょっちゅう米国を怒らせてます(笑)。おかげで1980年代には米国との実質外交停止が5年ほど続きました(笑笑)。
(NZに増えた中国人を規制するとお金も流入が止まるのでは?)それから対中国ですが、NZにとってカネは必要だけどヒトは不要ということです。現在投資家ビザで申請する中国人のうち永住権まで辿り着けるのは30%程度です。
家族ビザ枠で申請する90%以上が中国人ですが、これも申請してから最低8年以上かかるようにしてその間に親が健康を害して落とす、または死んでしまうのをまつのがNZ移民局の「対策」です。
中国経済が崩壊するか?これは僕も非常に興味を持っており注視しておりますが現時点では崩壊しないと考えています。
バブル崩壊は共産主義の仕組みならばお札を刷りまくって崩壊はしませんが異常なインフレが起こり結局国民にしわ寄せがいくだけです。金利上昇で今までローンで買っていた中国本土の不動産の支払いが出来なくなり海外の不動産をたたき売りは十分にあり得ます。
売買で損をするのはNZから去っていく中国人でありキーウィからすると住宅価格が下がるのは有難いことです。購入の多くは実需であり現在が上昇し過ぎなので20%くらい調整で下がってくれた方がNZの若い夫婦のためです。
バブル崩壊とは需要のない風船が破裂する状態ですがNZでは住宅を買いたい30代夫婦がたくさんいます。彼らは70万ドルまでなら銀行ローンで買えます。この実需が売却件数を下回らない限りバブルではなく実体経済上昇になります。
そして20%程度下がっても人口はAucklandで毎年5万人増えるわけですから、5年後には自然と不動産価格は上昇します。人口増加が続くAucklandでは10年単位で見れば不動産投資は常に上昇しています。
実は香港で去年末まですごいチャイナマネーが流れこんで不動産価格が急上昇 したのですが、今年3月頃から一気に叩き売りになった事があります。大陸本国の不動産
投資資金が回収出来なくなり香港の不動産を手放したのです。
そして今面白いのが習近平の虎刈りですね。今年習近平がニュージーランドを公式訪問した理由の一つがNZに逃げた賄賂役人を摘発して財産を差し押さえ、その財産を NZと中国で半分こにしようぜって提案です。
要するにNZからすればまず投資で中国人を呼び込んでおいて彼らが居住開始した後に彼らの財産を中国と組んでごそっとカッパライ本人家族は中国に送り返す政策です。
技術的には銀行口座凍結をして本人と家族のビザを「申請の際に不正があった」として剥奪して中国に送り返し後は中国政府が裁判所に連れて行く。そして凍結した財産は中国とNZ税務局によって山分け。これは数年前にスイスと日本が五菱会事件の際に山分けしたのと同様ですね。
この提案にはNZも乗っており「おー、海賊精神の祖先の血が湧くぞ!」みたいな 雰囲気です。どっちもどっちですが(笑)普段は優しく視えるキーウィでも税金を担当する税務署になればキーウィでも話は違うってことですね。
ただそれでも真面目に 働く人間には優しいのも事実なのが救われるところです。 少なくとも若い労働者と政府が約束した事を後になって破ることはしない、その意味では約束を守る良い国です。
そしてNZは良い立ち位置な国でもあります。後進国なだけに北半球の先進国で起こることを見つつ彼らの対応を見てから自国の立ち位置を決めます。ここだけは上手だなって感心してます。
長くなりましたが、それでは来年も宜しくお願いいたします。
tom 拝
2014年12月26日
名古屋へとんぼ返り出張
12月25日はホテルで午後に顧客とのミーティング。この方も今年の総選挙後に永住権が取得出来た方である。本来なら今年の2月に取得予定だったのが、これも総選挙に巻き込まれて延長に継ぐ延長だったが最後まで信じて頂き年末に永住権が発給された。
この方は現役の社長でありこれから永住権要件の滞在日数をどう稼ぐかの話になり、いくつか助言をする。最初の2年間は183日以上滞在する必要があるが、日数計算の方法やその他表に出てない移民局内規を使う方法など。
最近は移住という仕事が目立つようになりそれに目をつけた日本やNZ在住の人々が「うちはビザやってます」などと言ってるが、ちょっと困りものだ。ペンキ塗りしか出来ない人が「私は家を建てることが出来ます」と言うようなものだ(苦笑)。
日本できっちりとビジネスをやっている人ならそういうのはすぐ見抜けるのだがやはり世の中には相手の言うことを真に受けてしまう人がいる。
今日のお客様は日本で数十年企業経営をしておりバブル崩壊も乗り越えて大成功した人であるから相手の話が本当かどうかなどすぐ見抜く。なのでビザが取れなかった期間も他の人に何を言われても相手にしなかった。うちの言うことと他の人に言われたことを聴いて今まで起こった事実を基礎に自分で答を出せた人だ。
さてホテルのカフェで話が終わると次は18:00から会食である。ここではニュージーランドに関する一般論やキーウィの思考回路の話だ。時間があるので色んな例を取りつつ話をすると皆「へー」である。約2時間の食事を終えると皆さんハッピーだ、僕を除いて。
というのも食事が終わったら僕はそのまま夜9時過ぎの新幹線で名古屋に移動。翌日の名古屋での個人面談があるのだ。夜11時ころに名古屋に着いて帽子とマフラーを巻いて足早にホテルに移動してチェックイン、寝たのが12時過ぎである。
翌朝は朝食に行くのも面倒だったので持参した非常食のコンビニ豚汁を食べて(飲んで?)ほんとに力仕事、健康で良かったぜと思いつつ仕事の準備にかかる。
名古屋では時間の関係上確実に昼飯が食えないので一杯の豚汁がエネルギー源、今回が初回面談のお客様、二回目のお客様、すべて2時間単位なので合計4時間きっちり話し続けるがこれは非常に大事である。
雑談や世間話や一般論を聴くことも大事である。それは彼らの価値観や興味を示すことが分かるからだ。この時は完全に聴きの姿勢に入る。最初の面談で皆さんの希望の全体図を読み取り彼らの望むことの何が最優先で何が2番めかを読み取ることが出来なければ間違った方向行きの工程表を作ることになってしまうから緩急をつけて話しつつ聴きこみもするのだ。
彼らからすれば一度も行った事のない国であるが移住の気持ちは相当に高く2組はすでに視察ツアーを来年始めに予定している。
名古屋での仕事は16時30分に終了、お客様を送ってからホテルに預けてる帽子とマフラーをつけたらそのまま名古屋駅行き最初に来る新幹線に飛び乗り水を一本と駅弁を2個買う。今晩は東京で19時30分からの食事会に参加するので時間的にかなりぎりぎり、なので名古屋駅でゆっくりと何か食ってる暇はないのだ。
ところで何故弁当2個かというと、さすがにこれだけ話し続けると腹も減るが駅弁の場合重量のうち半分はコメが占めてるわけで僕の場合はコメを食べないのでコメの上に乗っかってるおかずだけガツガツと食うことになる。申し訳ないなと思いつつも、だからと言って隣に座ってる人に「ご飯、食べますか?」など聞けるわけもない(苦笑)。
ハンバーグ弁当のハンバーグと牛肉弁当の牛肉を食べたらちょうど弁当一個になる。おかずを食べて水で流しこんで一息ついた頃、車内の電光板ニュースが流れた。
「海外移住する富裕層を対象に課税。来年7月から実施。金融資産1億円以上」
うお、ついに一般新聞でも発表されたか。発信元は産経新聞。けど何だかこれも観測花火かな?何せ今回狙い撃ちにする富裕層には政府に対して力を持つ人が当然多い。
プリンスホテルと西武鉄道のオーナーである戦前の堤康次郎は相続税対策をするのに当時の大蔵省の税務署を管轄する高級官僚に手口を教えてもらって自分だけ逃げ切った。今回もこの観測花火で政府側に帰順する人とそうでない人を分けるのではないか。
いずれにしても去年の5,000万円以上の海外資産調書が来て次に今回の富裕層の海外流出への足止め法案(出国税)が来た。まずは日本からお金が出ないようにした上で(つまり囲い込み)資産税をかける。所得税増税、相続税課税範囲の拡大、とにかく生きているうちに金を全部吐き出させようとする発想だ。
個人が生意気に子供に金を残すだと?そんなのは政府の仕事だ、政府が生まれてくる子供を医療、教育面で平等な立場に立たせて競争させるのだ。お前のカネは政府に寄越せ、政府がうまく使って貧乏人でも賢ければ東大法学部に行ける仕組みを作り本当に優秀な人間を霞ヶ関に呼び込みその他大勢の国民を管理するのだ。
富裕層課税を喜ぶ一般市民は大多数だろう。けれどそれはそのまま自分の身に降り掛かってくる。
富裕層の資産課税の次に出てくるのが一般民という本丸である。富裕層がどれだけ個人資産があってもそれは日本全体の資産のほんの数%でありそこに課税しても単価は大きいが分母が500万人もいないので合計額で大したカネは取れない。思い切り小さいのだ。
ところが消費税のように薄く広く1億2千万人の一般市民に対しても貯金をさせずに金を使わせるための預金税、消費増税(15%までは確実にいく)、こうやって消費回復による好景気を官僚的に作りあげれば本丸を攻め落とせる。
こうやって2020年に向かって日本国は大躍進していく、その影で江戸時代よりも高い8公2民制度が定着していく。
2014年12月25日
クリスマス・イブin六本木ヒルズ
昨日もまたやってしまった。徹底した方向音痴である僕は昨日15:00に六本木ヒルズを訪問したのだが、電話番号と住所もすべて控えておき森ビル側に向かったのだが、どう見ても1階から移動する方法が見つからない。
仕方ないのでビルの反対がわまでグルーッと回って受付の女性に道を聴こうとするとぼくが彼らから直接何を買うわけでもないのに「いらっしゃいませ」と素敵な笑顔。
間接的に彼らの雇用に繋がることをぼくがやってるから道も聴けるが、これが全く関係ない人だと恥ずかしくて聴けないぞ。結局説明されたがやはりどこかで間違ったようで、ヒルズをぐるっと一周して最初にタクシー降りたところに戻り最初に降りたところが正確な場所であるのがわかった。あーあ、頭ぼけてるのか?
昨日の前の日の12月23日の朝4時にAucklandの自宅で起きて空港へ向かう。朝9時の飛行機でAucklandを出発、映画と読書で11時間のフライトを過ごして香港に着き1時間の乗り継ぎで羽田に向かって飛行時間約4時間。羽田空港に着いたのが21時05分、NZ時間なら午前1時05分であるからこの時点で20時間起きてた事になる。
しかしそこからターンテーブルで荷物を取り空港を出てホテルに向かいチェックインして荷物を置いたらもう日本時間の23時つまりNZ時間の午前3時。なので約23時間車や飛行機に揺られつつ起きてた事になる。馴染みのバーで一杯だけ飲んですぐ部屋に戻ってひたすら寝る。
直行便に乗れば11時間で成田北関東空港に到着するのだが、どうしてもNZ航空に乗る気分にはなれない。目的のためには自分のプライドを捨てるのかって事だ。けどヒルズで迷ってる事のいいわけにはならんな(笑笑)。普段は香港で一泊して定点調査するのだが今回は何せ12月年末にクリスマスがかぶったので1日で移動する手段を取ったが、これやる時は気合入れとカントいかんな。
六本木ヒルズに行くと何より人の多さにびっくりする。Aucklandとはほんとに人の流れが違うなー。そう言えば昨朝7時に起きてホテル近くのローソンに水や非常食の買い出しに行く途中、日仏会館の目の前のほんの3m程の赤信号の横断歩道を気にせずに渡ろうとするといきなりタクシーが突っ込んで来た。そっか、こっちが悪いのか、Aucklandとは違うなー。
ローソンで買った非常食(1.5Lの水2本、チーズ、サラミ、ハム、豚汁、しじみ汁、カップ麺<ほんとに人に会いたくない時用>等など)に付いて来たお箸に付いて来た爪楊枝がものすごく苦い。これ、漂白剤ですな。爪楊枝も殆どが中国製だからほんとに気をつけなくちゃ。
今の日本人はこんな爪楊枝を普通に使っているのだろうか?体に毒薬が貯まるぞ。原発よりも身近な公害は「コンビニの爪楊枝を使うこと」だが残念な事にAucklandの日本食レストランで使っている爪楊枝も中国製があり時々苦いのにぶつかる。
コンビニでの買い物で毒を口に入れる時代になったかー。ぼくは普段Aucklandの自宅で使う爪楊枝は日本製を選んでるので匂いもなく使いやすく全然問題ないのだが、そういう丁寧な手仕事が評価されなくなったんだなー、人の命の値段が安くなったのかなー。
ヒルズに向かうタクシーが飛ばすのもビビった。これ、すぐ前を走る車が急ブレーキ踏んだらOUTだな、てかこんな細い住宅地を時速50kmで走ると子供が飛び出したらOUTだな、後部座席の手すりをぐっと握りしめ腰を浮かしつつひやひやしてたらヒルズに到着する。
そして冒頭の場面、つまり道に迷うって事態に陥る。こんな事クリスマスイブにやってる奴っていないよねー、あふぉか(自己反省)。
そんなこんなしている内に東京の夜は更けていく。ヒルズではあいも変わらず「俺、勝ち組!」って感じの若いカップルがお洒落な服装でクリスマスイルミネーションの綺麗な坂道を歩いてる。彼女の手にはブランドショップの紙袋がいくつもぶら下がっている、メリークリスマス!
夕刻の六本木から宿のある恵比寿まで戻りながら途中見かけるご家族連れは暖かそうな服装で子供が楽しそうにはしゃぎながら次々とレストランに入っていく。良かったね、メリークリスマス!
それにしても二極化だな。これは日本だけで起こっている話ではなく西洋社会で同時進行している。日本だけの特殊な問題と思わない方が良い。二割の生き残りと八割のそれ以外。この現象はこれから更に進むが絶対に昔に戻ることはない。だから考えるべきはこれからの時代を読んでどう対応していくかだ。
おそらく今日、六本木から恵比寿に至る道は幸せな人々ばかりであろう。そんな景色を見つつ僕は新宿から恵比寿に行く途中にある渋谷の駅前の高架下でブルーシートを張ってその日の生活を過ごす人たちの事をどうしても思い出してしまう。彼らも昔は元気良かったんだろう、ネクタイをして彼女を連れて活き活きとして渋谷の街を闊歩していたのだろう。
けれどバブル崩壊以降、自分では思いもよらないほんのちょっとした人生のハシゴを踏み外して次第に転げ落ちていき、いつの間にかブルーシートに囲まれた部屋の中で料理を作り、今日のような寒い日は皆で肩寄せ合って車座で暖かくした日本酒を飲んでるのだろうな。
クリスマスイブの今日もばたばたしつつ1日が終わる。
2014年12月24日
頑張れ自由共産党!
***
<第3の矢、経済界が内部留保はきだし応えなければ成功しない>
麻生財務省は、きょう発足する第3次安倍内閣でも「引き続きアベノミクスに取り組む」との決意を示したうえで、成長戦略などの「第3の矢」は経済界が応えなければ成功しないと述べた。
第3の矢について、麻生財務相は「政府として税制面や規制面などいろいろな形で経済界に支援をしている。経済界がこれに応えきる覚悟や決意を示してやってもらわなければ、第3の矢は成功しない」と指摘。「民間がその気にならず、内部留保だけを増やすのでは景気はよくならない」と語った。
***
安倍政権が描く、てか官僚が描く「百年続く国家」ってのはほぼ共産主義に近い計画経済である。中国やロシアでは失敗した共産主義であるがそれは海を越えた日本で成功しているのだ、マルクスも墓の下で「さすがは日本人!」と喜んでるだろう。
物価は国家が決め給料も国家が決め経済も国家が決め国民の未来も国家が決める。だから政府というボスの言うことを聞かない民間企業の社長などは「生意気」であり、財務省が「おい、お前ら給料上げろ、俺たち役人みたいに」と言ってるのに給料上げないのは「政府に弓引く反逆者」だから法を超越してでも民間企業を叩く、となるのだ。
これは共産主義と同様の計画経済である。唯一の違いは共産党だとすべて国家が経営する国営会社になり倒産することはないが(ロシアの経営者が労働者に「いいか、僕は給料を払ったふりをする、だから君は働いたふりをしろ」)
日本の場合は国家が直接間接に経営関与するけど赤字になれば「民間会社なので自己責任」となる。全く頭良いぜこの隠れ共産主義者は(笑)。都合の悪い時は「あ、それ、民の事だから民でやってね、自己責任でえすよ」とやって都合の良い時は「民に任せることは出来ません、政府の指導に従って下さい」となる。
東大法学部を出た人々は頭が良いのだ、だから戦前は日本帝国運営は成功だった、間違ったのは軍部だけだ、責任は天皇に取ってもらい義務なき権利を教授するのが官僚の責務である
帝国運営実験では満州国を運営した岸さんだってうまくやった。すべての物事は百年の計を決める俺達が決める、法律が決めるんじゃない。一般サラリーマンの給料決めるのも国家なのである。
面白いものである。自由主義経済である、資本主義であるはずの日本が各企業の専権事項であるべき社員の給与を国家によってコントロールしようとしているのだから。「お前ら大企業を儲けさせたのだから社員の給料上げろ」だと。
麻生財務省は今年の春闘でも労働組合の背中を押して民間企業に賃上げさせた。今回も来年の春闘を視野に入れて国家による賃上げを要求している。こうなると自民党と共産党の主張が一致するわけで、右翼左翼が手を組んで国家挙げての賃上げ要求である。
右翼の考え方も左翼の考え方も今の国家をより良くしようとする意味では同根である。だから例えば地球のてっぺんに右翼と左翼が住んでいたとする。右翼は右に右に進み地球をぐるっと一周したら辿り着いたところは左翼の場所だったって話、これは左翼も同様で左に左に回って行ってたら最後は右翼の場所にたどり着いたってのが冒頭の話である。
何せ今回の選挙で勢いづいた共産党は自民党の麻生発言に大喜びである。内部留保を取り崩して賃金にしろってんだから。こうなったら日本共産党はその名前を自由共産党にすれば良い。じゃあ自由民主党は?当然自由共産党だ。そしたら普通に勘違いする有権者が増えて、どちらももっと議席が増えるぞ(笑)。
2014年12月23日
今年最後の日本出張開始
朝4時に起きて空港に向かう。キャセイ航空は夏場の運交代制は1日2便となる。朝9時丁度にAucklandを出て15:25に香港に着く。この便だと香港発16:20の羽田行きに間に合い21:05に羽田空港に到着する。
香港の人口は600万人でありこんなちっちゃな空港からキャセイ航空が1日2便往復就航(1日あたりの輸送量は約300人x2機x往復=約1200人)しているのに人口1億2千万人の日本はあいも変わらず成田から1日1往復便(600人)。日本と香港の人口比で考えれば計算不能であるが海外生活能力からすれば計算可能である。
1980年代に香港の中国返還が決定してから当時約600万人だった香港人の1割にあたる60万人の「移住出来るだけの資金と能力」をもった香港人が米国、カナダ、英国、オーストラリア、そして一番最後の選択肢、つまり消去法的選択としてニュージーランドに移住した(苦笑)。
それでも当時移民して来た人々の数は6万人を超すわけでビジネスマインド旺盛な香港人がAucklandにやって来て「魔法の鍋」と呼ばれる中華料理のテイクアウェイ、フードコートでの出店側常連になったのである。
元々英国植民地でもあり移住する(出来る)レベルの人々は当然ネイティブとしての広東語、外来語としての英語を使う、更には北京語も話すトリリンガルも極普通であった。更に曾祖父さんの時代から英国式教育にも慣れているから西洋式ビジネスにも抵抗がない。思考回路が一致しているのだ。最近大挙して大陸中国からやって来る「いなご」と呼ばれる大陸中国人とは全く人種が異なる。
移住するからにはある程度の資金もあるし近接遭遇戦には強い。つまり大雑把に「いけるな」と思ったら細かい計画などは作らずに相手国に飛び込む。現地で「予測出来るトラブル」等はトラブルではない。問題は「今は存在してない予測不能のトラブル」であるが、何せ孫氏や孟子に鍛えられてるからこういう時の即戦力としての香港人は強い。
どのような状況にも対応する香港人の子供が1980年代以降Aucklandで育ちオークランド大学やAuckland工科大学を卒業して医者になったり税理士や法律家、SEになったりしてこの国に生活の根っこを張って、自分に比べれば訛りの強い英語を話す父親に代わって電話を取ったり郵便配達人と受け渡しをしたりして次第に香港の生活からニュージーランドの生活に適応していく。
時々香港のテレビ番組主催で海外に住む香港人の末裔たちの美人コンテストがあるが、こんな時はニュージーランドで生まれ育って無茶苦茶にポジティブな教育を受けた若い連中は元気が良い、あたしが世界で一番よ!みたいなANZの店頭広告のような“やっっほー印”でコンテストに挑む。
子供たちの英語は完璧ではあるが親の話す広東語を完璧に覚えられるわけではない。更に言えば書き言葉、つまり漢字になるときちんと意識して学んでない子供はほぼお手上げである。
親の生活を意識しつつ、近接遭遇戦に強く、広東語に弱くても美人コンテストには喜んで参加する明るい「バナナ!」の誕生である。
今読んでる本は山崎豊子の「二つの祖国」だ。戦前に米国のハワイやロサンジェルスに移住した日本人やその子供たちの生活を描いている。442部隊も出てくる。
今年最後の日本出張で読む本がこれか・・・、巡り合わせの面白さとでも言うべきか。
親はまだいいよ、自分の意志で移住したんだから。けど子供はそういうわけではない。肌の色、言葉、帰属心、どこの国で住もうが、移民の子供はどうしてもそういう事を意識しつつ強くなるしかない。二つの祖国にはさまれて目の前にある現実に立ち向かって考えて答を出すしかないからなのだ。
真夏のオークランド空港で襟付きのジャンパー着てる僕はあまり周囲の雰囲気に合ってないが、仕方ない。今から行く北半球は気温10度とか寒いのだから自己防衛は必要だ。
行った先で何が起こるか分からない。何も起こらないかもしれない。けど、何が起こっても絶対に負けない、それだけの体力と知力は移民に必要である。よっしゃ、9時ちょうどのキャセイ航空118便に乗り込む。
2014年12月22日
外神田の牛カツ店の貼り紙
外神田にある牛カツ店の貼り紙に「九・入店される人数分でのご注文をお願いします」というのがある。検索中に偶然たどり着いたサイトで食べ歩きの記事にぶつかり偶然目にしたのだが、その時突然頭の中で「火垂るの墓」と「青春の門」が出て来た。
今日は徹底的に仕事を忘れてAucklandの明るい空を見ながら山崎豊子の「二つの祖国」を読むことにして朝から本を開いてた。途中調べ物がありネットを開いて外神田の牛カツ店にぶつかった。
もちろんこのネット記事はお店に対する何の偏見もなくきちんと正しいと思った事を書いているしお店を好意的に評価しているしこの貼り紙そのものには全くコメントをしていない。
それ以外にも書いてあることは「ご飯は残すな、ゴミは持ち帰り」などと店としてごく当然の意見表明もごもっともである。何の問題もない。
ただぼくの頭の中では「入店される人数分?」?何故かどうしてもこの部分だけが心に引っかかった。勿論お店側の言い分としては何の問題もない、ごく当然至極だ。
けどな、、、入店される人数分注文したいよ、どうどうと食べたいよ、けど、けど、中にはお腹を空かせた4人家族だけどお金がなくて3人分しか注文出来ないこともあるんじゃないか?「この子はさっきご飯食べたばかりなんで」と言い訳をしつつ、お腹を空かせた子供のためにご飯を申し訳ないと思いつつも自分は食べずに自分の子供の為に注文する母親もいるんじゃないか?
もちろんこれはよくない事である。道徳的にもやっちゃいけない、4人で来て3人分しか注文しないのはダメだ・・・・ずるいよ・・・。けど、その悲しさって分るか?
けれど、けれど、、、世の中には食べたくても食べられない人たちがいるのも事実である。ほんとの底辺って、世の中の90%の人には理解出来ないのだ、そして自分たちが無意識のうちに好意的に積極的にどれだけ貧乏人を差別しているかが分からないのだ。
この店の店主は良い人だと思う。人生を強く生きてきた人だと思う。きちんと食べ方を説明して礼儀を教えて、、、、けどそれって自分と同じ階層で生きてる人にだけ通じる話だよね。
「火垂るの墓」は数日前に仲間と書評をしている時に出て来た本で、ぼくはこの本は二度と読みたくない一冊であると評価した。あれほどに悲しい物語を野坂昭如がさらに悲しい筆致で書くのだ、何でこんな拷問のような本を二度と読みたいと思うか。
どうしろと言うのだ、泣けとでも言うのか?悲しめとでも言うのか?こんな、言葉に出来ない小説をよくも書けたものだと思う。野坂昭如が自分の事を売文家だと言ったのもよく分る。こんなもん売ってその金で銀座で酒を飲むお前は一体なにものだと聴きたい。
日本国内でありながら食べるものがなく為す術もなく餓死する子供たち。「青春の門」では上京した主人公が売血をして得た金で卵焼きを食べようとする、その横でお腹を空かせたちっちゃな女の子が「た・ま・ご・や・き」と口をふくらませてる。
あなたはその時何が出来るだろうか?子供に卵焼きをあげるだろうか?自分の血を売った金で?あげなければ今眼の前の自分の心の痛みから逃れられない。けど、あげたって問題は解決しない、明日もこの子は飢えているのだ、今日だけの卵焼きを上げても問題は解決しない。
そういう、日本のいろんな問題に根本的な結論を出さないままぼくはニュージーランドに来て、この国ではそういう根本的な問題が起こらなくて良いような仕組みがあって結局また答を出さないままに生きてきた。
12月の最後の仕事も終わらせて今日は絶対に仕事のことを思い出さずに徹底的に「二つの祖国」にはまるぞっておもいつつ、つい検索で引っかかった。やはり問題に答を出さないままではダメってことか?
2014年12月21日
親と一緒にニュージーランドに住むという選択肢
今年後半になって流れが変わっている。NZ在住日本人の話だ。自分たちは永住権が取れた。けれど親の面倒どうするか年代に入ってる。
去年までなら殆どの場合折角作ったNZの生活基盤を捨てて日本に帰る家族が多かった。けれど今年になって何となく流れが変わった。親を呼び寄せるようになったのだ。
親を呼び寄せるためのビザには大雑把に言って三種類ある。
リタイアメントビザ。65歳以上で健康で75万ドルの投資を年間継続すること。
呼び寄せビザ1。子供がニュージーランドに居住していて親が健康であること。
呼び寄せビザ2。これ、面倒だし日本人にはほぼ適応しないので書かない。
もしくは永住権狙いなら子供がNZに居住してて親が100万ドル投資するってのもある。非常に大雑把な書き方で申し訳ないが基本的にこのブログは殴り書き、ほんとはもっと細かい規則があるのだが書き始めたらきりがないので大雑把この3つである。
何でこんなビザがあるのかって言うと、この国では家族は一緒に住むものだという基本的概念があり、子供たちがニュージーランドに移住するなら親を呼び寄せて一緒に住むのが当然だ、ならば彼ら英語ができない人々も人道的にみて呼び寄せるべきだ、そういう考えのもとに作られている。
実際にこのビザを利用するのは90%以上が中国人である。ニュージーランドまで逃げ切った人々からすれば次は親を呼び寄せるのは当然の発想だろう、いつ王岐山率いる虎刈りに捕まって処刑されるかわからないのだから。
そして一般的な北半球居住者からすれば何を物好きであんな南半球の田舎の、物もまともにない所で生活するのよであるから子供がNZに住んでても単なる変わり者でしかなかった、ましてや自分が訪問する国でもなかった。
けどほんと、今年になってからだけど、日本を大好きだけど、でも、ほんとに足腰立たなくなる前だったらニュージーランドもいいかな、子どもや孫もいるし、太陽は明るく風は涼しく空は青く大地は緑でしっとりと輝いていて、どこの街にも大きな公園があって自分たちが子供時代を過ごした日本のようで、隣人は皆良い人で鳥の鳴き声で朝目覚めるような、そんな生活を一年のうち数ヶ月過ごせれば、これはこれで良いのではないか?
もちろんこんな生活は全然日本人の大多数ではなく思い切りニッチでマイナーな世界ではあるが、それでもニュージーランドに自分の子供の一人がいればそれだってありではないかと思う人が増えていく、それもここ数年で急激に。これがぼくの感覚である。
でもってこの感覚、大体当たる。ぼくは自分の利害がない部分で視える感覚は大体当たる。だから僕はパチンコも賭博も一切やらない、だって確実に外すから(苦笑)。
これからNZ在住日本人が少し発想を変えて「親がいつも季節の良い街で過ごす」為の選択肢の一つとして呼び寄せをする事が出てくるだろう。
このビザは発給数も少なくて対応も相当に雑であるが使い勝手の良いビザだ。もし今、親の事で悩むNZ在住日本人であれば、自分が日本に戻るだけの判断ではなく、親が季節の良い時に日本とニュージーランドを行き来する、またはNZの居住権を取得する、そういう発想もあって良いのではないかと思う。
これが来年のビジネスの一つのネタである。リタイアメントビザ。呼びよせビザ。名前は何にせよ親と一緒にこの南半球の青空の下で過ごす。
僕の場合は大体世間より3年早いビジネスモデルの構築が一般的。つまりいつも早すぎ(笑)。だけどこの「呼び寄せビザ」に関しては1年早いだけではないか(苦笑)、今から種まきして来年花を咲かせよう。
2014年12月20日
ホランジア路部隊員
土曜日、随分前に亡くなった父親が残した第二次世界大戦(大東亜戦争)の資料を整理しているとA4サイズより少し大きめの昔のガリ版印刷で「臆(原文は口へん)、苦難転進の路(航空部舞台転進概要図)」というのが出て来た。
昭和19年4月から6月にかけてニューギニア東部ホーランジアに駐留していた第一梯団恩田大佐、第四次梯団北川秀人中佐(5月17日病氏)が率いる第六十戦隊、第六十三戦隊、七十戦隊などが4月22日の米軍のフンボルト湾(ホランジアの東隣)上陸で敗走してから6月にかけてホランジアからワクデ、サルミまで逃げ切った時の記録である。その後8月にマニラに渡る。
地図には父親の手書きの赤マジックペンで「木村さんにホランジア路部隊員の名前を確かめること。」と書いてある。黒い万年筆だろう、「ワクデで戦死した事になっている草場注意は十三野戦気象隊」と右上に書き込みもある。
次のページからは父親が所属していた第一航空路部隊兵士の氏名、階級、住所、死亡年月日、場所、死亡区分と続くリストだ。北は北海道釧路上川郡営麻村から始まり、札幌、室蘭、樺太、岩手、山形、青森、秋田、宮城、福島、栃木、茨城、東京では深川区扇橋1−10の追分定義伍長、静岡、福井、三重、京都、奈良、石川、兵庫、岡山、神奈川、広島、愛媛、徳島、鳥取、香川、福岡、鹿児島、長崎、大分、熊本と続き、更に父親の手書きで長久保衛生兵・沖縄、井上軍曹・アル中、松井少尉・経理・スラバヤ転進などと続く約150名の死亡者名簿だ。
第一航空路部隊ホランジア地区生存者として新潟、岡山、大阪から3名の名前がある。計算としては大体合ってるな。当時ニューギニアに派遣された日本軍約20万人のうち生きて本土の土を踏むことが出来たのは約5%だった。ぼくの父親がその5%の一人だった。
***
草の根やトカゲ、昆虫類など、食べられるものは何でも食べたが、将兵は飢餓と感染症に倒れていった。毒のある植物を食べて中毒死したものも少なくない。4000メートル級の山地越えでは貧弱な装備と低下した体力のために凍死者も続出している。後の証言によれば、日本兵が日本兵や現地人を襲って食べる人肉食事件が発生したとされるのもこの時期である。1944年12月に第十八軍は「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」と布告していたが、これに反して友軍に対する人肉食が発覚した4名が処刑されている。
***
今の時代からすれば信じられない話であるが1944年、ほんの70年前の話である。当時はオーストラリア軍と米軍が日本軍相手に戦争をしていたのだ。
その戦争のまっただ中で父親はニューギニアに派遣され一兵士として戦闘に加わり敗走し、サルミに逃げるまでの間に仲間は川を渡ればワニに食われジャングルに入れば地元民に殺され食い物が無くなれば仲間に食われ、多くの兵士が病気や飢餓で命を落とし、その間飛び石作戦の米軍はB17やB25で頭上を飛び越えてマニラに向かった。
1945年8月終戦。父親はその後復員して地元新聞社の記者となる。
その後1959年に生まれたのが自分であり、ぼくは父親が逃げまわったニューギニアの上空をエアバス340で飛び越えて南半球のニューギニアより更に南にあるニュージーランドで似たような事やってる(苦笑)。今回は多勢に無勢ではあるがネットと智慧と体力で米軍並に戦っている(笑笑)。
南半球の透き通るような青空でランギトト島を眺めながら父親が残した戦争の資料を少しづつ整理している。戦争、、、面白いものだ、そしてやはり人は歴史に学ぶべきだと再度思う・・・けど、ま、いいか(笑)、男の仕事は高いところにあるものを取る事と重いものを持つこと、そして外に出て戦うことだけだ(笑笑)。
2014年12月19日
山のふもと
また一件ビザが取れた!年末の最終営業日の朝一番に弁護士からメールが来たのだ。クリスマスプレゼントか(笑)?
この案件はNZ総選挙絡みで異常なほどに時間がかかり、昨日まで担当者は「こりゃ年越しかな、嫌だな、お客様にどう説明しようかな」と悩みつつ今朝出勤したらメールが飛び込み、思わず嬉し涙である。
ほんとに担当者もお客様もよく頑張って我慢してくれたものだ。自分で判断したら最後まで信じるって事だと思う。
今日は今年最後の営業日。計算してみれば今年は8月から毎月日本に出張している。一回あたりの出張が平均で2週間。忙しいはずだ、机の中に山積みになった半年分の資料を引っ張りだして(今年後半は机の中を整理する時間が全くなかったのでホコリだらけのゴミの山状態)片付けを始める。
山のふもとあたりにある書類は今年の6月の日付が入ってる。そっかー、あの時はこの案件やってたんだ、hadhadの大過去な話だ。さらにその下には2013年末に作成した2014年営業目標がある。
開いてみると何じゃこりゃ?あの時考えてた事業別目標の半分くらいが実行されてなくて結果的に全然違う事業がビジネスに入り込んでる。
市場の細かい変化に合わせてやっているとホントに一ヶ月単位で中身を組み替える必要がある。日本の大企業ではあり得ないだろうが当社のような移住というニッチビジネスに取り組む会社の場合、なにせ対応する法律が3ヶ月単位で変わる。今の法律ならいけると判断して作った企画が、よっしゃ販売可能!ってなったその瞬間に法律変更でOUTになる。
しかし幸運にも僕自身が10代の頃から千個の企画を作り三つ当てる千三(せんみつ)ビジネスに慣れており常にネタは豊富にある(苦笑)。なので次々と手を変え品を変え2014年の献立を変えつつ対応した為に中身が大幅に入れ替わっているのだ(笑笑)。
今日は面談を入れてないので朝からネクタイを胸ポケットに入れて書類を整理してシュレッダーにかける文書はずたずたに、普通のゴミ箱に放り込んで問題ないパンフレットは丸めてゴミ箱に、ちょっと気になる書類は自宅に持ち帰るためにファイル・フォルダーに入れる。
書類の整理が終わったら次はパソコン内に入ってるファイルの整理だ。デスクトップに置いてるのに結局3ヶ月前に更新したまま触ってないファイルはドキュメントに格下げ。
それにしても今年の後半は戦闘の連続だった。戦略ではなく戦闘だ。目の前で次々に現れる事象をその場の判断で切り抜ける近接遭遇戦であり次の角に待ちぶせしているのを予測して先に手を打って何とか切り抜ける、全く何じゃこりゃ?って半年だった。
けど来年は視えてきた。ぼくの場合は何故か先のことが三次元的に見えてくる。これだけは何故か分からない。今観てるのは、これは戦略でも戦術でもなく単なる未来の絵である。視えてる絵をどう自分のビジネスに繋げるかはまた別問題だ。ここが難しいが、今まで18年やって来た。
今年一年が成功だったか失敗だったか?それを聞かれれば今年に限らず毎年失敗である。何故なら千三(笑)ってのは997個の企画は失敗するからだ。もし今年の企画が一つでも当たったかと言われれば、それなら、勝った、かな(笑)。
今年の営業日は今日で終了。今はまだ5万人移住の山のふもと、机を整理して荷物をまとめて来週からの日本出張の準備開始だ。
2014年12月18日
何でも印刷できる印刷所
今日は僕にとっての笑い噺、日本に居住する日本人からしたらあり得ない噺、世界のどこの国に住んでいても中国人にしたら当たり前の噺です。
Aucklandは人口150万人のNZでは最大の都市。そうは言っても物価は高く品質は低く電球5個買うと1個は壊れている。だから3個電球が必要な場合は事故防衛として5個買う。そして3個が無事に点灯し試しに他の2個も付けて点灯したら思わず「おー!」って言うようになれば、あなたも立派なキーウィだ(笑)。
さてそんな街ではあるが、何とこの街のAuckland工科大学(AUT)、Auckland大学の間あたりに非常に腕の良い印刷所がある。お客様の注文に従って相手の欲しいものを紙質、画質、色質、文字、すべて正確に印刷するのだから大したものだ。
この印刷所ではお客様の注文に従って例えば北京大学の卒業証書、医師免許、運転免許証、旅券、銀行残高証明書、とにかくありとあらゆる書類を作ってくれる。そう、偽造屋なのだ(笑)!
中国人からすれば
1・北京大学には親のコネで入った奴がたくさんいる。
2・おれはあいつらより頭が良い(と脳内してる)。
3・だからおれは北京大学の卒業証明書を発行してもらう合理的な理由がある。
4・発行場所が違っても効力は同様である、正確でありさえすれば(苦笑)
三段論法+1、みたいな感覚なのだろう、偽造することに何の疑問も持たない。
世の中は諸行無常であり真は非、非は真、陰があれば陽がある、書類に本物も偽物もないのだー、くらいの勢いなんだろう。日本人からしたらあり得ん噺であるが香港の永住権を持って香港人の中で仕事をしてきた僕としては、笑うしかない話であるのも事実だ。
この話はNZ政府系から入ってきた情報であるがここ一年で激増した中国人の旺盛な需要(出生証明書から始まって大学卒業証書、銀行残高証明、ペーパーカンパニー登録書類、運転免許証、偽造旅券)でビジネスは盛んであろう(笑)。
そう言えばパスポート用の写真の話も面白い。5年以上前のある時Aucklandに古くから住む(つまりキーウィルールで生きている)中国人がパスポートを取得することになった。
そこで彼は仕事の合間にシティにある中国系の写真屋に入って「パスポート写真撮って下さい」するとそれまで椅子に片膝付いて弁当がつがつ食べてたスタッフが弁当とお箸を片手で持ちあげて「あそこに座れ」。
お店の若者がニンニク臭い顔を近づけて来て「じゃカメラのここ観てね、取るよ、カチャ」あれ、もう終わり?全然準備してなかったお客は「あのさ、パスポート写真だしさ、あんまりみっともないのも嫌なんだよね、全然準備出来てなくってさ、もう一回撮ってくれないかい」あんまり早過ぎるぞって思いつつそう伝えた。
するとこのカメラマン(どう観ても思えないが)、面倒臭そうにこう言った。「心配するな後でフォトショップで編集するから」
2014年12月17日
イエスは守ってくれない。
今日は取引先の大手会計事務所の取締役と「富士の金太郎」で昼食。「富士の金太郎」は元々日本航空系の寿司屋が最初のレイアウトを作ったので高い天井に広々とした雰囲気で高級感がある。
今までは高級感があり過ぎて敷居が高かったのだが「居酒屋富士の金太郎」が出店して気軽な居酒屋に路線変更してから急にお客様が増えた。高級な雰囲気で居酒屋価格の料理、店長シェフは日本で現役の店長でありお客様にも人気だ。
ランチミーティングなのでメニューは何でも良いので今日のランチ(19.5ドル)を注文する。日本円で約1,800円!しかし現在のAucklandでこの味と量なら十分過ぎるくらいで人気メニューだ。
誰だAucklandは田舎だって?よく見ろよ昼食だってこんなに高いし生活費は家族4人で一ヶ月40万円くらいかかるし(借家の場合・持ち家なら20万円)東京並、いや今の為替だと東京以上に生活費がかかるぞ、ものは少ないし値段は高いしよく壊れるけど、どこが田舎だ?(笑)。
この変なロジックだが今の日本の為替を考えると東京生活の方が余程生活費が安く納まる。最近下見や出張に来られるお客様は誰もが口を揃えて「高い!」
けど今から30年前は東京のサラリーマンの給料が世界トップクラスであり物価が高くて交通渋滞がすごくて住みにくい街であった。それが今では長年のデフレで物価が下がり競争激化によるサービスの向上が重なって日本が住みやすい国になった。
ただ問題はこれからだ。今の日本政府(財務省)がやろうとしているのは経済丁半博打である。
丁:日銀が市場に金を注ぎ込んで企業の投資意欲を促しモノが売れるようになり企業の景気が良くなりそれで労働者の賃金が上昇して購買意欲が増加してまたモノが売れるという好循環。
半:市場に注ぎ込んだ金が企業に流れずジャブ付いた金が株などに回り実態のない株価上昇でバブルになって一時的に金持ちが増えて高級品が売れるようになるが殆どの人には恩恵はないどころか賃金が上がらないままの物価上昇で消費増税どころの騒ぎではないスタグフレーションが起こるがその結果として政府が抱える1200兆円あまりの負債の実質的価値が100分の1にでもなってくれれば政府はすぐに借金を返せる。
実際にこれで戦後の混乱をくぐり抜けてきたのが日本政府である。発行してた国債をすべて満期償還して不渡りなしでごりっぱな実績、けどその損害はすべて国民が負担したのである。
こうやって、丁半どちらが出ても政府が勝つように仕組んだのが今回の黒田日銀の政策である。「いいか、今から俺とお前が丁半博打をする。丁が出れば俺の勝ち、半が出ればお前の負けだ、分かったな」である。
会計事務所の取締役には昼飯を食いつつ今年のNZ総選挙の裏舞台で何があったか、来年日本で導入される予定の出国税について、丁半博打について(笑)、来年の日本人投資家の動きに関する情報を渡す。
彼らも多くの日本人顧客を抱えており最新の情報が飯の種でもあるわけで、だからこそ彼らもNZの裏事情を教えてくれる。ここで大事なのは、このような場所で交換する情報の対価は金ではない、情報だって事だ。
これが分からないと確実に一年以内に「昼食のメンバー」から外される。自分が情報を取りに行く力がなければ人間力がないわけで、そういうメンバーは自然に外される。
だからと言って何でもかんでもペラペラ喋っていいわけではない。目の前の人間に何をどこまで話すか、相手の言葉遣いを読み取りつつ自分の持つ情報の「ここまで」を渡す。必要であれば全部渡してでも相手の持つ情報を渡してもらう、その駆け引きが大事だ。
お互い常に相手が持ってない情報を交換することでお互いの情報が2倍になる。これで武器が2倍になるわけでそれぞれの戦場に戻った時に強い力を発揮する。そして相手が情報を渡せなくなった時がお別れの時だ。
腕の良い奴は常に最新の情報を持ってくるしだからこそ彼も最新の情報を得られて戦略を作ることができる。だから生き残ることが出来る。
同じことは弁護士とのミーティングでも言える。彼らの立場でしか知り得ない情報は多いわけで、政治の舞台裏で何が動いてるのか、昨晩のTVONEのニュースの背景はなにかって情報を渡してくれる。
更にこれからどこにどんな高層ビルが建ちその裏にいるのは誰かも教えてくれる。今日などはまさに1年前に渡してもらった再開発物件情報が現実に動いてるのをお客様に説明するにも非常に役立った。
僕らは彼らに対して移民局が欲しがっている今の日本の投資移住傾向と対策の情報を渡す。NZでは移民局は投資貿易促進庁の下にあり投資情報は重要であるから移民局は常に投資家の窓口となる腕の良い弁護士を集めてヒアリングをするのだがその時に移民局に「かっこいい最新の情報」を提供することで移民局に顔を売れる。
これはある意味弁護士にとっては死活問題だ。良い情報を提供出来れば次に自分が申請する永住権が取れるかどうかの時に「話し合い」が出来るからだ。これが弁護士が高い金を取る理由でもある。
ぼくは同時に弁護士には彼らが持つ日本人顧客の背景情報を渡す。「あれさ、上場企業の社長と言っても裏ではヤバ筋と繋がってるからね、あまり一緒に飲みに行かない方がいいよ、仕事だけの付き合いにしておきな」とか(笑)。これほんとだから困る(笑笑)。
Aucklandのビジネスマンのランチミーティングではそんな事の繰り返しである。初対面では相手の力量を見極めつつ、何度か会う中で相手のレベルを読み取り相手を自分の程度箱の中のどこに置くか決めて相手に出す情報を決める。
同時に相手から受け取った情報の質が良ければ次はもう少しレベルの高い情報を提供することで誠意に答えて、そうすると相手も更に質の高い情報を渡してくれる。
年末っちゅうのにまだこんな事しているわけだがイエス・キリストがぼくの生活を守ってくれるわけではない。彼は忙しいのだ、だから自分の生活は自分で守るしかない。ならば、出来る時に出来る人と会い必要な情報を交換して、時には相手に特定の情報を渡してそれがどこで浮上するかを見る事も必要だ。
折角久々に食う昼飯なのでとんかつ定食をゆっくりと米なしでがっつり食う。旨い。1,800円払うが今日得た情報から考えれば安いものだ。
2014年12月16日
Sydney Siege(シドニー包囲)
シドニーで人質事件が発生した。場所はぼくがシドニー出張時に泊まるホテルのあるマーティンプレイスのカフェだ。人ごとではないぞこりゃ、そう思いつつTVONE夕方6時の特別ニュースを見ている(現時点では昨日)。
3ヶ月前くらいから豪州の若者達(白人、中東人)がIS(イスラム国、またはISIS)に参加する為に中東に渡りビデオでアボット豪州首相やオバマ大統領を弾劾する発言を行い豪州警察は豪州内でのテロ活動を事前に捕捉して逮捕したのだが、それにも関わらずシドニーのど真ん中でテロ活動が行われた。
夕方6時の時点では犯人からの連絡はなく背景も分からないがイスラム教がよく使う旗を窓に掲げている(てか二人の人質が両手で旗を窓に押さえつけている)。
だがこの旗はIS(イスラム国)が使っている旗ではないし要求がすぐ出て来てないし単独犯のようなのでISとは思えない。普通ならすぐに首切するだろう。しかし確実にイスラム教信者による犯罪である。
これが一体何を示すのか?1980年代に豪州の行った多文化主義の追求方法の技術的失敗だろう。理想を高く掲げて世界中の人々を受け入れるのは良い。それで自分の理想は満足だろう、いかにも立派な事をした気持ちになるだろう。
しかし受け入れた人々のその後は?仕事は?生活保障は?家族サポートは?
日本でも中国残留孤児を受け入れたがその後のサポートがないまま残留孤児の子供たちが日本社会についていけず中国ギャングとなった。どこの国も同様だ、政府のその場の思いつきや脳内理想主義者が自分だけの自己満足の為に人道主義を振り回した結果がこれだ。
今まで安定していた社会を移民を受け入れることで変質させて変化と進歩を導入することは大事だ。しかしそれには大前提がある。
国家による移民一世への持続する生活サポート(医療、教育、雇用、生活権、老後)、人種差別を生まない教育宣伝(移民の子供も地元の子供も医療と教育の機会均等を守る)を保障すること、そして結果的に生まれる格差については政府による社会保障で格差縮小を図ることである。
何よりも大事なのは移住して来た人たちが「自分たちはこの国の人に助けてもらってる、この国に恩返ししなきゃ」って気持ちにさせることだ。
多文化主義など偉そうな事を言って永住権を発給してその後は少数民族同士の抗争(中国人ギャングとレバノン人ギャングの争い等)を放置したり地元生れの白人による夕食人種差別や移民の子供の就職機会差別などを無視したり、挙句の果てに米国にほいほい付いてって中東で戦争したり、それで今回のような国内問題を産んでしまえば何のための移民政策であろうか。
僕自身が移民であり最終的にはNZ国籍を取得する中で数十年かかって考えて来たが、やはりまずは何よりも移民に対しては教育を提供しつつ地元民とその考え方を優先して後から来た移民は自己主張ではなく相互理解を求めるべきであることを教える。
次に一度に一つの国から大量に入れるべきではない。一気に大量に入れると彼らはすぐ仲間で「塊」自分たちの文化を持込み仲間同士で新しい国の悪い点をあら捜しして馬鹿にしたり愚痴をこぼしたりする。
折角新しい国に来ることが出来たのにやってることと言えば自分の仕事を探す努力ではなく他人のアラ探しをするネガティブな努力、全くバッカじゃないかと思うがそれを無意識に勧めているのも受け入れ側であるのも事実だ。
豪州はあまりに短期に大量の移民を受け入れて今その病根が完全にシドニーの街に根を広げてしまった。
では振り返って日本の移民政策はどうだろうか?ぼくは個人的には日本はよくやっていると思う。このまま、少子化だからと外国人労働者を大量に受け入れるべきではない。
その意味でバブル時期のブラジルからの労働者受け入れと中国残留孤児に関しては厚労省の失敗だったが、それ以外は全般的に良いと思う。日本という国が元々馴染みやすくガイジンに優しいからなのもある。
だから目先の少子化などを理由に移民の受け入れ増加など、現場をよく見てから判断してほしいと思う。今の日本は受け入れる準備もできてないし受け入れれば日本が持つ繊細な文化が確実に破壊される。
こんな事書くと「中国人が増えたじゃねーか」なんて反論が来そうだけど、世界をよく見て★い。日本国内の移民しか知らない人は「増えた」という、しかしその分母から見た割合は、例えば米国、カナダ、豪州、フィジー、NZが受け入れた数に比べればよく制御されてる。
また金(投資額)だけでは永住権を出さないし実際にやって来た中国人のほとんどは日本語をよく学び日本の文化を尊重し中国の共産党政権に対して批判的であるのが特徴だ。
今日になってシドニーサージの犯人が豪州に住むイスラム主義者で今までも数多くの逮捕歴がある人物だとわかった。アボット首相との対話を希望し・・・お前、馬鹿?対話したいならそれだけの実力付けろっつうの。
結局犯人を含む3名が警察による突入で死亡、原因がISと直接関係ないにしてもこれから豪州に住むイスラム主義者は苦しい思いをするだろう。
ではこれがNZに与える影響は?少ないだろう、少なくとも観光客が交通事故で怪我をするよりは確実に少ない。おそらくは限りなくゼロに近い。
何故ならNZでは国が小さいだけに移民政策の小回りがきき、常に先進国である欧米英米や豪州カナダの失敗を見つつ、例えば短期大量移民受け入れで何が起こるか解ってるし、その為にDiversion,つまり分散化の必要性と、更に受け入れの優しさの必要性を理解しているからだ。
例えばナイジェリアの内乱で逃げてきた人々を年間一定数受け入れてるNZであるが、難民はMtRosill地区の先住者の近くに家を借りてもらいサルベーション・アーミーがオークランドの人々に「余ってる家具ないですか?食器でもいいです、彼らのために何かできることがあったらお願いします」という仕組みが実に見事に出来上がっている。
ナイジェリア出身の仲間による助け合い、教育と医療の機会平等、就職の平等、ほんとに今のこのNZは社会主義と資本主義のバランスが良く取れた国だと思う。中に入れば入るほど思う。
イスラムの人々の99%は平和を望んでいる。それはNZに住むイスラムの人々でも同様だ。ならば仲間ではないか。宗教が壁になるなら、キリスト教も時にはモスクに行け。イスラム教も時には教会に行けである(但し教義的にはイスラムのほうが正しい場合が多いので困ったちゃんになるかも・笑)
やっぱ色々考えたけど、テロはNZには来ないな。国家の仕組みが違う。そんな事言うと「え?豪州とNZって同じじゃないの?」と思う人もいるだろう。ではその人に質問。「え?中国と日本って同じなんでしょ、同じ漢字使ってるしどっちも共産主義だしアジア人じゃん」みたいなもんだ。
ただ豪州の記事で一つ救われたのが”Ride with me”だ。「一緒に乗ろうよ」あるオージーがイスラムの人々に対して「ぼくはこのバスに乗る。君も一緒に乗ろうよ、安心しな、何かあっても僕がいるよ」というメッセージだ。こういうのがあるから人間でいて良かったなって思える瞬間だった。
2014年12月15日
いつかきた道の一里塚が始まった。
安部首相率いる自民党と公明党が大勝した。争点のない選挙とか最初言われてたが、これは間違いなく財務省相手の消費税選挙だ。11月27日時点で書いたブログで
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細かい事は分からない、例えば今回の安倍政権の総選挙を決めた時期などは分からないが目的は分る。今回の選挙は安部首相が財務省に対して「ごめん、増税はちょっと待って、けど次は必ずやるから。ただ、今は選挙対策で僕の立場を強くさせてね」って駆け引きだ。
選挙の目的が安倍さんの地盤固めと財務省との駆け引きだから表に出てこない。こんな変な選挙はないがそこを指摘できる政党はない。財務省選挙とでも呼べば良いのか。
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安部首相としては財務省を相手に大博打を打った、そして勝った。消費税を延期することで国民の支持を勝ち取り総選挙で再度大勝利をして今後の政権を安定させて来年から次々と経済対策を打つ、それは財務省にとって消費税延期を受け入れた代わりの増税策でもある。
これで出国税は確定だ、後は時期がいつになるか課税範囲と税率だけの問題だ。とりあえず出国税で日本人を日本国内に押しとどめる。
次に最高55%に増税した(所得税、住民税、復興税)所得税で毎年がさーっと持っていく。そして最高55%に増税した相続税と基礎控除減額で押しとどめた日本人からがさーっと取る。楽しいね、まるでグリコのキャラメルだ、一粒で二度美味しいではないか(笑)。
おまけに2015年末にはマイナンバー制度導入、2016年実施であるから、これですべての資産が捕捉される。やったね、これでもう名義講座も郵貯の小分けもなくなる、財務省が一番やりたかった「名寄せ」があっという間に実現するのだ。
そうこうしているうちに安部首相が約束した消費税の確実な増税、10%がやってくる。景気が冷えようが関係ない、財務省相手に約束したのだから確実に実行される。マイナンバー制度、消費税増税、これで一般家庭からも税金が取れるようにする。財務省は大喜びである。
こうやって財務相を喜ばせておいて安部首相はいよいよ自分が本当にやりたかった、おじいちゃんの時代からの悲願である「真に自立した独立独裁国家」を作るのだ。
自衛隊の海外派遣の実行、中国との領土争いにおいては一歩も引かず、米国とは良い関係でいつつも自国領にお引き取り頂く。
西太平洋は日本軍が現在保有する空母二隻(強襲揚陸艦とも呼ばれる)を更に増やし(軍備費増強=名目は米軍が出てったから)空母の周囲をイージス艦と世界最高クラスの潜水艦で固めて日本海軍が戦前のように艦隊群を作り日本海から西太平洋、グアムの手前までを自主的に防衛する。辺野古建設なんて単なるめくらましであるのは民主党政権以前の自民党時代から分かりきった事である(笑)。
国内においては国民を鼓舞して2020年オリンピックを目眩ましに使いつつ次第に国民に愛国心の大事さを教え込み日本古来の道徳を学校で学ばせて国家のための臣民に仕立て上げる、戦前に日本政府が取った行動であり安部首相のおじいちゃんが大好きだった北一輝も望む国家の出来上がりである。
2020年までにここまでやっておけば日本は確実に変化する。国家と国民が一丸となって(一丸にならないと非国民呼ばわりされる、逮捕される可能性もある)独立した国家として周辺事情に対応していく。
まず考えられるのが中国が崩壊した場合(可能性は十分にある、割れれば中国は清朝末期のように四分五裂して各地で軍閥が独立して国家経営をするだろう)日本は積極的に中国の治安維持の為に国連軍の一部として日本海軍及び陸軍が派遣される。
北朝鮮の崩壊も同様でいつ起こるか分からないが、起これば大量の難民が韓国、中国、日本にやってくるわけだから日本海防備として日本海軍が出動する。
ロシア、この国は例え経済政策に失敗してもそれに乗じて何かをするってのはあまりない、四分五裂に崩壊することはない。ゴルバチョフの時もエリチェンの時も指導者が変わることがあってもばらけない、ただ単純に自壊して皆平等にウォッカを飲みつつ沈むのみだ。
2020年以降は日本がいつの間にか周囲で一番強い国家に戻っている、軍備を保有して。フィリピン、マレーシア、シンガポール、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、インドは日本と友好関係を構築して互恵協力だ。
あれ??おかしいな、この景色、以前見た事があるぞ・・・ということは行き着く結論は?石原莞爾か(笑)?・・・。
5年後に僕のブログを読み返して欲しい、そして2014年からの歴史を検証して欲しい、歴史は繰り返すって事を。
2014年12月14日
日本人が日本人であるために
金曜日のクリスマスパーティでは多くの人にご参加頂き楽しんで頂いたと思う。人種で言ってもいろんな人々が混ざっていたがうちのスタッフは皆英語も日本語も問題ないのでその場のメンバーに合わせて言葉を使い分ける。
複数の外国人と話す時のマナーとして、例えば10人で会議をする場合で9人が英語の出来る日本人、1人が英語しかできないキーウィって場合は基本的に英語を共用語とすべきだ。けど、じゃどこまで英語が出来れば「英語が出来る」と言えるかって判断基準はない。
正直僕も今でも英語で迷う事があるが仕事やパーティで会話に困ることはないので完璧である必要はないと思う。ただしニュージーランドという国で日常生活に困らない程度の能力は必要。
昔クイーンズタウンに住んでた頃、面白い日本人がいた。とにかく思いっきり語彙に乏しいのだが何故か見事に地元キーウィと会話を楽しんでいる。HappyとUnhappyだけ使い分けてその時の自分の気持ちを相手に伝えるのだが、それが実に上手だ。彼を観てると英語が出来るってのは語彙じゃねーな、伝えようとする気持ちだなって思った。
うちの会社のように顧客は全て日本人、取引先はすべてキーウィという場合は顧客との会議はすべて日本語であり取引先と当社が複数メンバーで会議をする場合は英語が共用語となる。なので取引先の、例えば相手が弁護士一人でこっちが3人って場合でも基本は英語だ。
これは相手に対する礼儀であるし同時に信頼を醸成する手段でもある。こっちは何も隠し事してませんよ、あなたに分るように英語で話しますってことだ。
勿論信頼関係のある相手ならこっち側がてっとり早く日本語でわーってやることもあるが、それも決してベストなやり方ではない。やはり基本は相手に分る言葉で話すって事だ。
しかしここまではパーティや会議の必要最小限の話でありここから先は日本人が日本人である為にどうすべきか、である。
パーティ会場では僕も含めた国際結婚組や、まだ結婚してないけどキーウィパートナーを連れてやって来る日本人がいる。そうなるとそれぞれの生まれ育った生活習慣が持ち込まれる。
キーウィからすればパーティの椅子にザックバランに足を組んで座っているが、普段なら集まった順番から酒を飲むのだけど日本企業の年末のフォーマルなパーティなので開始前から「おーい!ビールくれ」ってのはダメだろうな、くらいのわきまえはある。
色んな人々が集まる中でパーティ開始宣言をして飲み物(子供はジュース、大人はビールやワインや日本酒)を手に持ちカンパーイ!ここから先は無礼講であるからカウンターに並んだ豪華な料理を次々に手に取り三々五々立食テーブルの回りや壁沿いの椅子に座って皆が楽しそうに会話を始める。
しかしまあ今年は料理が豪勢だなー。カウンターに並ぶ料理は和食でありながらキーウィ風にアレンジされてて例えば大ぶりの海老天にマヨネーズとかナポリタンソース。魚のすり身なんだけど爪楊枝で刺してサンドイッチみたいに数枚を一つにしてたり、お寿司はパーティが始まってから目の前で握ってくれて新鮮な状態で大きな寿司桶に並べてテーブルに配られる。
テーブルでは生牡蠣やシーザーサラダが並んでおり出来立ての茶碗蒸しも絶品、そのうちNZ名産のマッスルバター焼き、下にパスタを敷いてる!そしてさすがに富士の金太郎だ、博多名物のもつ煮込みも出て来て皆さん欣喜雀躍!
うちの会社ではあまり飲み助はおらず女性が殆どなので、とにかく食わせておけばhappyである(笑)。次から次へと出る料理、ニュージーランド国家演奏、ア・カペラグループによる歌、楽しいビンゴゲーム、デザートと出て来て、6時30分に始まったパーティが9時過ぎになると皆良い気持ち。
そんな中、僕は基本的に皆のテーブルを回って今年一年有難うございましたとあいさつ回りをしつつ皆さんの様子を観る。
年末にキーウィの彼氏を日本に連れ帰って親に紹介するカップルとおしゃべり。ちょっとでも目を話したらすぐに飛び回る子供を怪我しないように片目で見ながら友達とおしゃべりを楽しむ奥さんたち。富士の金太郎から外にでることはないので大きな怪我はないだろう(笑)。
今年一年ビザで苦労したビザチームが集まって感慨深げに思い出しつつおしゃべりしてる。出国税の話で盛り上がってるチーム。Aucklandの富士の金太郎で開かれてるパーティで同じキーウィなのに何だか硬苦しくて「あれ、あの人達会話してないな」と思うと入り込んで話題を盛り上げに行く。
日本から3ヶ月程度の短期滞在で娘を訪ねてやってきたおじいちゃんは、お孫さんに囲まれて楽しんでいる。英語はそれほど得意ではないが日本の話をすればそりゃもう立派なビジネスマンである。大阪の末野興産の話になった時はお互いに笑った(笑)。このネタが通じる人は少なくなったな、てかネタ知ってる人で今まで生き残れた人の方が少ない(苦笑)。
そんな中、子供を見れば親が分るというか、下は3歳から上は19歳まで多くの子供がいたが、子どもたちがカウンターの料理を取る時、ある子どもを見てふと気づいた。この子、きちんと裏箸してる。
大皿料理の皿に取り箸がない時にどうやって料理を取るか?キーウィなら手づかみ(笑)?皆がそれぞれの文化があるのだけど、外国で育って日本の文化を知らないはずなのにこんな大皿料理ではきちんと裏箸を使える子供、大人と会った時はきちんと「こんにちは」と言える子供。こういう、一つ一つの何気ない仕草がやはり「日本人が日本人であるために」必要な教育ではないかと思う。
僕がクリスマスパーティをするのも会員互助会をするのも皆さんが外国で助けあいつつ日本人として生きていける、同じ価値観や同じ道徳を持った人々が団結して生きていける、そういう組織を作る為だ。
そういう交流会の中できちんと挨拶出来る子供や裏箸を使える子供や周囲の大人に大人というだけできちんと敬意を払える子どもたち(苦笑)を見ると、やはり親がしっかりしているなと思う。
外国で生活をしようがそんなの関係ない、自分は日本人であり子供には日本の躾を身に付けさせる、それが日本人の親である。
今日は自民党の決戦、3分の2が与党になると何が起こるか?面白い、一気に右翼化するぞ、けどその時日本に残って生き残るために日本の良い道徳を忘れようとする日本人の道徳とぼくらのように海外に出たけど日本の良い部分を維持していこうとする日本人の道徳と、比べてみたいものである。
2014年12月13日
過ち認める勇気を
「過ち認める勇気を」南京事件で台湾総統府
南京事件で台湾政府が上記の発言、お、大したものだ台湾政府、やっと中国共産党のデマ宣伝に対して「過ち認める勇気を」と言ったのか。
と思って本文読むと、まだダメだな(苦笑)。
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台湾総統府は13日、旧日本軍による「南京事件」に関する声明を発表、「第2次大戦の歴史の傷に向き合い、過ちを認める勇気を示してほしい」などと日本に呼び掛けた。
声明は、現在の日台関係は「断交後40年余りで最高の時期」にあると強調する一方で、日本の一部に南京事件を軽視したり否定したりする人がいるのは「遺憾だ」とした。「馬英九総統は、歴史の誤りは許せるが歴史の教訓は忘れてはならないと考えている」と指摘した。(共同)
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そりゃ本土と一つになりたい人々からすれば共産党の嘘でも認めるしかない。もっと言えば台湾に渡った国民党が本来の中華民国を引き継いでるわけであり共産党に正当性を与えてしまうと自分たちの存在の一部を否定して歴史の過去に埋めてしまう事になるのだけど、それでいいのか?
そ、それとも本当は中国共産党に対して言う積りだったのが途中で内容を変えて「南京事件を軽視するな、否定するな、これは大事なキャンペーンなんだ、ここで軽視すると慰安婦事件と同様でますます中国共産党につけ込まれるぞ、戦え、もっとキャンペーン張れ!」と応援してくれてるのかもしれない(笑)。
中国共産党の習近平は国家レベルでキャンペーンを張り今年は主席自ら南京事件追悼式に参加して「歴史をしっかり見ろ」と言ってるが、それは自分に向けた言葉か?(笑)。
30万人住んでなかった南京でどうやったら30万人殺せるのか非常に疑問である。またもし仮に30万人が死んだらその死体はどこにある?まさか川に全部流したとか(笑)?
とにかく死者数だってちょっと考えればどれだけ矛盾があるか分る事だし(それを考えさせない共産党の教育宣伝が上手?)、ましてや南京事件の虐殺写真と言われたものが実は通州事件で中国民衆が日本人婦女を虐殺した時の写真だったとか、写真の細部を見ればすぐ分る嘘をつく。どこまで民衆を馬鹿にした話かって事だ。
しかしこれも慰安婦問題と同様で、無視したり軽視したりすれば間違いなく相手につけ込まれて観衆である西洋諸国から日本を間違った歴史の加害者にされてしまう。日本人の悪い癖「言わなくても分る」が通らない相手なのだ、きちんと理論的に反対していくべきだ。
どうせなら日本と中国で学者を入れて公開討論会をやれば良い。お互いに確認出来る事実を突き合わせて真実を明らかにしようと言えば良い。戦時中、中国は一度も南京事件の事を自分たちの新聞記事にも書かず戦後も当初は殆ど問題にせず共産党が政権を取ってから自分たちの正当性を認めて鬼畜日本を破ったのは共産党であると宣伝するために南京事件を捏造した。
そりゃ戦闘なんだから人は死ぬ。民間人に紛れ込んで日本兵を襲うんだから(便衣兵)日本兵だって便衣兵を殺す。それが民間人虐殺?ふざけんなっつうの。自分たちは通州事件で何やったのか?だったら今からでもいいから世界に対してしっかりした証拠を付けて中国人が通州で何やったか発表すれば良い。あれこそ歴史的事実である。
中国共産党は今こそ「過ちを認める勇気」を持つことだ。これ以上過ちを拡大して日本を本気で怒らせて公開討論会やったら恥かくのは自分だけだぞ。
2014年12月12日
最高のクリスマスパーティ!
よっしゃ、また永住権取れた!
べつにビザに関する全部の話を書いているわけではないしこれが仕事なので取れて当然なのだが、この一年移民局スキャンダルと総選挙でビザが無茶苦茶になり本当に苦労した。
今日は会社のクリスマスパーティで一旦自宅に戻って「赤」を基調にした服に着替えろって指示に従い赤いパーカと赤い靴でパーティ会場である「富士の金太郎」に到着すると、すぐその後に到着した担当者が思いっきりの笑顔で「あの方、永住権取れましたー!」
その言葉を聞いた瞬間、ほんとにどきー!って気持ちとストーン!て気持ちが交錯して何にも言葉が出なかった。泣くのはみっともないのでぐっとこらえたが本当にこの案件は苦労した。14ヶ月。まさに総選挙と移民局スキャンダルと地元勢力闘争に一方的に巻き込まれた一年だった。
何度思い返しても悔しくて腹が立って、それでも何よりも最後までぼくらを信じてついてきてくれた皆さんに感謝である。
彼らからすれば初めての国であり法律も常識も分からない。言われるままに書類を用意して提出してまた意味の分からん難癖付けられて、それでもぼくらの言うことを信じて再度書類を用意してくれた。
この一年、絶対にこの人の永住権はもぎ取ってやる、そうやって全力を尽くした。金じゃない、意地だ。そうやってほんとに移民局相手に戦ってきた。けど、それは僕がいう言葉ではない、すべては担当スタッフのほんとにあり得ないくらいの努力の結果だ。
彼らの努力は生半可ではない。ひたすら知恵を絞りアイデアを出し細かな書類の更に細部をチェックして、磨きに磨きをかけて提出する、この作業は確実にNZで一番だし日本人じゃないとこんな細かい仕事は出来ないな。今回の永住権取得はこの業界で最先端をいってるうちの中でも最高の出来だ。ほんとに感謝。
この方の永住権、ほんとにうれしくて、この方とは年末に東京でお会いする予定があるので、ほんとにうれしくて話が尽きなくなるだろう。
この一年の移民局スキャンダルではほんとうに腹が立ち、嫌な思いてか自分の目の前にある机をぶん殴ってぶっ壊してグチャグチャにしてやろうかてくらいだった。
そして総選挙が終わり、その後当社で申請していた各種ビザが、まるで飛行機からビラを撒くように発給されてきて、ほんとにもー、ああ長い一年だったなーて思いつつ、今まで僕らを信じてついてきた皆さんに感謝である。
この方のお友達も当社で一ヶ月前に永住権が取れて、これでお二家族ともニュージーランドで幸せに生きていける。よかったー。
信じるってのはほんとに難しい事だと思う。けど彼らは自分の目で物事を判断出来る人だから当社をしっかり見てついて来てくれた。「細かいことはよく分からんけど、こいつらとにかく俺のために頑張ってるんだな」そこを信じてもらい付いて来てくれる。本当に感謝である。
12月12日金曜日、ほんとに最高のクリスマスパーティでした!
2014年12月11日
そうだ、非居住者になろう!
出国税の反応がすごい事になっている。さきほども電話で「本当に来年からやるのか?」と直接問い合わせが来たがぼくは財務省ではないし占い師ではないので来年の事は分からない。
けれど「財務省は来年にでも実施したい」というがありゃ観測花火だな。現実問題として法律もないのに罰則規定付きの通達なんて出来るわけがない。法律は政府の手足を縛るものであり法律にないことを政府が国民に強制することは出来ない。法律なくして課税なしである。もし通達だけでやったら裁判でまた敗けるぞ。
そうは言っても現実問題として「オレのことか?」と思う人は不安だろう。法律が出来る前に出国してしまえばよいんか?とも考えるだろう。
ここでご注意頂きたいのは出国税の対象者は「日本人」ではなく「日本居住者」であることだ。つまり外国旅券を所持してても日本に「居住」していれば出国の際に出国税の対象者になるという事だ。おまけによく出来てるのはこれは日本国籍で日本に居住している日本人駐在員などいずれ帰国する人は対象にならない。つまり完全に金持ち相手の狙い撃ちである。
けど、だからと言って日本に居住していれば確実に所得税55%、更に相続税55%だ。てーことは、自分が損するリスク取って100万円稼いでも所得税で55万円取られて相続税で24万7千500円取られて20万2千500円しか残らない。約80%が税金で持っていかれるなんて江戸時代よりひどい話である。
じゃあどうやれば非居住者になれるのか。単純に出国しただけでは非居住者にはならない。中には「単純に183日海外に居ればいいんだろ?」と思い込んでる人もいるだろうが、世の中そんなに甘くない。武富士裁判、中央出版裁判、立て続けに負けてる税務署からしたら「江戸の敵を長崎で!」である。
ここ十分に注意な点である。法律の条文だけ読んで理論だけでうまくいっても現実にはそうはいかない。相続税法だけ確認してOKであっても所得税法ではどう認定されるのか?租税協定はどうなっているのか?NZ側での課税率は?様々な観点からチェックをしてルービックキューブを揃える必要がある。
では日本からどうやれば「出国」出来るのか、具体的な要件を書いておくが、非居住認定は具体的な範囲を定めておらず「全体的に見て判断する」ってのが裁判の判例である。逆に言うとすべてきれいにやった積りでも税務署が否認して裁判所が「あんた居住者」と言われるとOUTである。
こういう事が起こるのは主に皆がギリギリの線で法解釈をするからだ。こういう大事なところをけちって大損をする人が目立つ。相手が絶対に言い返せないところまでやって、つまり完璧に自分を安全地帯に置いて初めて安全と言える。
そこでまず居住、非居住の認定についての要件を一応書いておく。実際には個人個人の状況に応じて答は変化するが一般論として理解してもらえば良いと思う。
非居住者として認定されるための6つの最低条件
1・住居の状況:自分が日本国内に持ち家があるか、固定電話引いてるかなどだ。もし自宅があるなら自分の持つ会社に売却などが必要だ。
2・滞在状況:183日ルールは勿論存在するが、とにかく日本に居住することが目的でないような滞在状況を作ること。つまりAucklandに自宅を買い固定電話を持ち日本に行くときは「旅行」であること
3・職業の状況:日本にある会社に役員とか社員でいるのはOUT・株主は問題ないが日本で勤労収入を得ることはOUT。
4・親族の状況:生計を一つにする親族が日本にいる場合もOUT。例えば旦那さんがNZに住んでて奥さんと18歳未満の子供が日本にいる場合はOUT。
5・資産の所在:自分の持っているお金が日本に多数ある場合、またそのお金が金利や配当で利益が出ててそれが自分の主要収入である場合は要注意。
6・居住意志:自分はNZに移住して永住権も取得して今後も日本に戻る意思はないってのを客観的に証明する事。これはNZに自宅を持ち生活の拠点がNZであることを示せばいける。
まったくもう、政府っつうのは国民の公僕だのに、いつから国民を支配するようになったのだろう?上に政策あれば下に対策あり、自分の住みやすい国に移る、人々にそういう自由がもたらされている現在、出来る人々はその権利を行使すべきだ。
2014年12月10日
KYC 昭和は遠くになりにけり
昨年のG20以降、どこの國も連携して「大きな政府」として国家管理体制を取り始めて自国民が世界のどこにいようが税金を取る仕組み作りに忙しい。
昨日は地元銀行の国際業務担当責任者とのミーティングだったが、彼らもアメリカ様から命令されてNZで新規口座開設をする人すべてに「米国との取引や居住歴」の提出を要求付けるようになったってぶつぶつ言ってた。米国では米国籍を離脱した後でも10年間は課税するなんて離れ業をやっている。これも米国の国力が今だ強いからだ。
日本では出国税が話題に上っておりいよいよかーって雰囲気が広がっている。ぼくが初めて出国税の話題を書いたのはたぶん3年くらい前だと思うが当時は「お前バカ?」呼ばわりされたものだ。何時の時代もそうだったから気にはしないが(笑)。
そして今ニュージーランドではテロリスト対策と称して“Know Your Client”という仕組みが導入された。マネーロンダリング、組織犯罪などを防ぐために銀行が企業を対象に口座開設をする際に開設理由を聴く。更にその口座が海外の投資家と関係があると聴いた場合、その場で口座開設を断る。
例えばBNZでは去年までなら支店レベルですぐに口座開設出来たのが、今は開設する場合は銀行法務部の人間とテレビ電話で話をする。話の内容が彼らにとって不自然(つまり馬鹿だから理解出来ない)と感じたらその場で「あ、すみません、お断りします」だ。
つまり世界の大きな流れは「自国民から税金を取る」、「たとえ外国に行く時でも取る」、そして「国際テロと戦う」の3つである。
事の起こりの一つは2008年のリーマン・ショックで、それまで投資銀行業務で大儲けしたバンカー達が銀行の借金だけ国民に押し付けて自分たちは太陽の照るタックスヘブン街に引っ越した、大金を抱えて。
そこで銀行性悪説が出て来て、だから銀行は自由化をやっては駄目だ、政府が徹底的に規制すべきである、正悪説を基本としてって事になってKYCが出て来た。
そしてイスラム国家の台頭である。世界に散らばったイスラム原理主義者が様々なルートを使って世界中の金をイラクやアフガンに送り現地ではその金で欧米、ロシア、中国から武器を買いアメリカ人を殺す。
豪州ではすでに相当数のイスラム系オージーがシリア、イラクに行き軍事訓練を受けて殺し合いに参加している。英国系イスラム原理主義者が白人の人質を殺したのも有名な話だ。
実際は一番の悪役はサイクス・ピコ協定を結んだ英国なのだがそういう「原因」は棚に上げてとにかく今起こっている「結果」をイスラムにかぶせているのだから、そりゃイスラムからすれば怒りカックラキンである。まさに鬼畜米英ってのを翻訳献上したいくらいだ。
しかし、だからと言って今頃そんな事言っても時効でしょ、てか英国の策略に乗っかって国家分断されたあんたらの祖先も情けないよねって話である。
そんな事より今からでも遅くない、自分たちの国境を自分たちで見なおして内乱の起こらないような昔の国境に戻したり政府を廃止して各部族ごとに戒律を持って生活すれば争いの多くはなくなるわけだ。
戦争すると必ず儲かるのが兵器産業でありそれは欧米中ロの兵器産業からすればお得意様である。何のことはない、イスラム人が欧米で働いて得た収入が中東に送金されてその金で欧米製の武器を買い欧米の兵隊や民間人を殺しているのだ。全く死の商人とはよく名づけたものである。
僕から見ればどっちもどっちの戦いだが、問題はそれに全く関係ないぼくのような日系キーウィまで巻き込まれるって事だ。
銀行の規制強化により海外送金がものすごく締め付けがきつくなり少額の送金でも色々聞かれた挙句に断られてみたり、移住目的で口座開設をするにも山ほどの書類を(大体3cm程の厚さの書類なので山ではないか)要求されて質問の受け答えに失敗したら口座開けない。
ほんとにまあ昭和の時代が懐かしいって話だが(笑)とにかく何するにしても誰よりも先にやらないと、とろとろやってるとあっという間に規制かけられて何もできなくなる。
昭和といえば実は最近おもしろい案件を数件扱っている。1980年代後半のバブルからバブル崩壊後あたりにかけて表に出ないまま結構な額のお金が海外に出て行った。
当時は送金規制もうるさくなく外為法があったけど腹をくくった人々はえいや!って掛け声をかけたのだ。そのうち一部はまだ見ぬ国ニュージーランドにもやって来た。そのお金は誰にも知られぬまま20数年様々な形で膨れ上がっていった。
そして今その投資家はそろそろ鬼籍に入るようになり、残された子供が亡くなった父親の資産を整理してたら「何じゃこりゃ?」ってよく分からない英語の不動産書類が出て来たのだ。
相続税は時効が基本5年、実際は7年が適用される。所得税も同様の決まりがある。あ、一つ覚えておくといいのが相続税法と所得税法はそれぞれに違う解釈があり相続税法で逃げたと思っても所得税法で補足される事があるのでご注意。片方だけ知ってても意味は無い。
さて銀行の送金書類は7年間保管されるがそれ以降は基本的に個人が特定されない限り調査されようがない。倉庫の奥にマイクロフィルムで眠ってるだけだ。20年以上前に隠された宝ですな(苦笑)。
そして僕が受けた仕事は宝探し(笑)。こんな仕事もやってみると面白い、隠された当時のいろんな事が分かってくるからだ。そうか、この人はこう考えてたんだ、こうやって何とか家族を守ろうとしていたんだ、会ったこともないその父親の気持ちがよく分る。
この国では本人名義のまま死亡した場合、不動産は裁判所によって凍結されてEstateとして扱われ弁護士が被相続人の遺書に従って処理するのだが遺書がない場合は裁判所に告訴して自分が正式な受取人であることを証明する必要がある。
この手続だけで最低半年はかかるが、親からすれば子供のために最後に残した資産なのだろう。しかし資産の存在は表に出せない。言い出せないまま父親はあの世に行ってしまい、あの世から子供に「あのよー」って声かけても届かない(笑)。
お子さんはどこに相談していいか分からず当社のような何でも屋に問い合わせしてくる。昭和の匂いのする案件を扱いながら今の銀行規制を見つつ「昭和は遠くになりにけり」と思った1日でした。
2014年12月09日
少年よ、大志を抱け
「少年よ、大志を抱け」ってのはクラークさんの言葉だがクラークさん以外でもよく言われている言葉だ。
ここで面白い日本語パズルがある。文字の欠けている部分に自分で思いつく文字を入れるパズルだ。
「少年よ、大XXXけ」 さあ何入れる?
答は「少年よ、大人しく働け」だ。
まさに今の世の中をよく表している。冗談が冗談じゃないってのが面白い。まさに今の時代多くの若者は会社やお店の言われるがままに黙って働くしかない。挙句の果てに正社員じゃなかったらいつ「雇い止め」されてもおかしくない状況で、どうやって自分の意見を言えるだろう?黙って働くしかないのである。
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「リスク取れ」「挑戦を」=若手研究者を激励−中村・天野教授が公式会見
中村さんは、実用化が困難とされた青色発光ダイオード(LED)の研究を続けることができた理由について「あらゆる問題を解決するのが好き。クイズみたいなものだ」と説明。「重要なのはリスクを取ること。若い科学者がリスクを取らなければ、ブレークスルー(突破)はない」と強調した。天野さんも若者へのメッセージとして「人類に貢献するため、挑戦しようとすることが重要だと訴えたい」と述べた。(2014/12/07-19:10)
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君さ、僕の人生が失敗したら責任とってくれるの?リスク取れとか言うけどそれで失敗したら一生立ち直れないような社会システムなのに、一体どうやってリスクを取れって話になるわけ?
たまたまあなたは幸運にもノーベル賞取ったからそんな事言えるだけで、世の中にはあなたのような人じゃない人だらけだ。
リスク取って転職したら給料下がり、リスク取って起業したけどあっという間に倒産して借金だらけになったり、何とかコンビニフランチャイズの社長になって生き残ってるけど今度は朝から晩まで自分で働くしか無く休みも取れない厳しい管理システムでサラリーマンの方が余程良かったって話だ。
日本はその社会制度の中に実に上手く「リスクを取れない仕組み」が組み込まれている。これは江戸時代から続く統治システムであり「百姓は黙って働け、自分で考える必要はない。難しい事はお上が決めるのだからお前は土に向かって黙々と働き年貢を納めれば良いのだ」である。
とにかくほんの一部の支配層だけですべて決める。そんな時にリスクを取ってビジネスを起こすような事をされたら困るのは政府である。国家とは国民のために開かれた共同体であるがそれを管理する政府からすれば自分が決めるべきことを国民にリスクを取って決定されたら政府の力が弱くなるわけで、こりゃ困る。
だから制度的にリスクを取って失敗したらそれは二度と敗者復活戦のない人生になる、必要に応じて山手線ダイブが必要になるように設計しているのだ。更に凄いのは学校教育の中に徹底して「失敗するな、失敗は大変に悪いことだ」と教えこんでいるから大人になってもほとんど誰もリスクを取ろうとしないのは当然である。失敗は間違いであり悪いことになっているのだ。
それでも勿論政府系、つまりお上の下で大人しく言うことを聴いてくれるなら起業してもらってよい。だから口では「起業家支援」とか言いつつも実際は自分たちのお気に入りなら政府補助金だけど言うこと聞かない起業家はどんどん潰していく。
「ちゃんとした大人だったら知ってるよね、政府は怖いよ、下手に独立なんてしたら潰されるよ、気をつけてちゃんと政府の言うこと聴くんだよ」って話である。
そんな制度の中でリスク取れとか「少年よ、大志を抱け」なんてのはとんちんかんな話であり、その点「少年よ、大人しく働け」これこそが現実をよく伝えている。
落ち:ところでこの「少年よ、大志を抱け」はそのままの文意でもう一つ意味がある。はは、お後が宜しいようで(笑)。
2014年12月08日
2014年末の個人面談
今年もいよいよ後2週間。今年は早かったなー。特に後半は早いなんてもんじゃなくてスーパーサイクロンだった、グチャグチャにされたぞ(苦笑)。
日本も突然の総選挙で安倍政権の不意打ちにぼこぼこにされた野党の姿が今から見えるようだ。僕が日本入りする頃には国民の明確な意志が現れるのだろう。
今年最後の投資家向け日本ロードショーは12月25日から29日までだ。すでに予約が埋まりつつあり、ぼくはとにかくやれるうちにやれることをやっておこう。東京、名古屋、大阪、やれることをやるのみだ。詳細は当社ウェブサイトを御覧ください。
http://www.eastwind.co.nz/immigrant/seminar.php
というのが出国税だけでなく銀行などの現場では金を海外に出さない為に様々な規制が強まっておりそれに呼応するように今まで外国に目を向けてなかった方が今年後半になってニュージーランドに興味を持ち始めているからだ。今やるしかない。
そんな事を思いつつ今朝出社すると、ちょっと待て−!って状況になってた。今日は面談2件で2時間使ってそれ以外の時間で仕事が出来る筈だったが、何故かメールが大変な騒ぎになってた。
普段でも読むメールは1日約200通だが、今日は目を通すだけで300通、必要があって送ったメール48通、送ったのはどれも阿部寛(濃い)だから最後のメールを送り終わったのは夜の22時。こんなの久々、やはり皆クリスマス前に今年の事を全部片付けようって事なんだろな。
メール全部送り終わって今日すべきペーパーワークが全く出来てないことに気づき「やば。」であるが、仕方ない、やれることをやるのみと思い、明日の仕事の準備にかかる。今日はロボット人間だな、はは、体力勝負。
今の時代、パソコンとインターネットの存在がどれだけスピード感を高めてくれるか有難い話である。一人で仕事が完結するのだからこれは有難いが、ただこのスピードについてこれない人にはキツい時代になったな、ほんとにそう思う。
結局20世紀の終わりまでは学校卒業したばかりの若者が僕らのような立場の人間の仕事を助手として支えていて学び独立した。ところが21世紀はこのような仕事が全部PCにシフトしたので新卒の学ぶ機会、あなたの子供の仕事がなくなるのだ。
ぼくは午後3時に会社を出て自宅でPCを開いて一人ですべての仕事を終わらせている。僕の大事な助手は今、MacBook
Airという名前の機械になっているのだ。将棋やチェスでプロに勝てるソフトが出来て人工知能が出来て、こうなると生き残れる人間って相当に数が減るぞ。大変な時代になったものだ。
けど、豊臣秀吉の時代も鎌倉幕府の時代も「大変な時代になった」と言いつつ変化した者が生き残ったのだろうな。
ほんとは今日はLixilの220億円の失敗した相続対策について書こうと思ったが、もうすぐ夜の11時。今日はやめときます。明日も早い。寝ます。
2014年12月07日
世はなべて事もなし
土曜日はCitadel(砦)会員の定例パーティをBlockhouseBayの公園で行う。偶然だがこの日はジプシーフェアってのもやってて十数台の色鮮やかなトラックが行商してた。
会員の皆さん普段はそれぞれ自分の家と近所のキーウィと仲良くしているが平均して2ヶ月に1回開催しているこのパーティでは日頃英語ではなかなか表現出来ないことやキーウィには聞きづらい事などお互い思いっきり情報交換!
お互い年の近いお子さんを抱えていれば話のテーマは自然と今通ってる学校の様子や今後どこの学校に行くかとか楽しい話だ。子供同士はだだっ広い公演の芝生を走り回り、大人たちは日焼けしないように大きな樹の下のベンチでワインを軽く飲みつつおしゃべりを楽しむ。
毎回30名くらい集まるCitadelパーティは地元の公園に皆さんが料理を一品づつ持ち込みワインは当社で準備して日頃は子育てや仕事で忙しい移住して来た皆さんの息抜きの場でもある。
皆さん移住するってのは日本を出る時は大変な覚悟である。日本の自分の住んでる街では到底言い出せない。けれどAucklandに来てみると、何とこれが自分と同じ価値観を持った人の集まりではないか!
皆さん思いっきり言いたい事が話せるし本音で話せる。だって価値観が同じなのだから。
Aucklandには日本人会もあるがやはり守るべき価値観が違うと本音で話すことは出来ない。どうしてもPTAのお付き合いみたいな話になる。それに比べれば価値観を共有出来る仲間ってのは安心出来る。
そうは言ってもCitadel会員組織は基本1~2年程度のお付き合いであり、NZ生活が安定してくればもう互助組織は不要である。そこから先は自分で納得満足出来る自分なりの付き合いを作れば良い。Citadel時代に仲良くなった人を更に抽出して深い付き合いをすれば良い。
僕らの仕事はNZに移住して来た人の最初の一年を安心して過ごしてもらう事だ。土曜日の昼過ぎに気の合う人々同士がワインを飲みつつ子どもたちは芝生の上を駆けずり回り、手作りのおにぎりや料理を楽しむ。
こうやって、一人では永住権が取れるまでの不安があってもすでに永住権が取れた人たちの話を聴きつつ「何だ、自分だけじゃないんだ」って安心出来る集まりってのは大事だな。
あ、Citadelってよく「舌が出る?」と思われますが英語で「砦」の意味です。一人では野原に出たら危険な事もあるけど、すぐに食われることがあるけど、何かあればすぐに砦に戻り皆で砦の中で助け合えば生き残れる、そういう意味です。
それにしても太陽が燦燦と輝くAucklandの広々とした公園でワイン飲んで美味しい手料理食べて、世はなべて事もなし、天に向かって突き抜けるような東京にはない青空に鳥が舞う平和な土曜日の午後でした。
2014年12月06日
花の金曜日
金曜日の朝は9時30分から定例の移住チームでミーティングで昨日来たお問い合わせについてそれぞれの方向性と担当者決めてさくっと30分で済ませる。
そして間を空けずに「海外相続税務コンサルタント」とのミーティングだ。日本の資産家と言っても不動産や自社株で保有している場合が多く相続が発生した場合に納税用の現金がない。
こういう人たちを、てかご本人はご臨終しているので残された相続人が困らないように予め海外相続を利用して納税用の資金を作るスキームだ。スキーム自体は1990年代から存在しており僕も香港を使ったスキームを何度か組んだ事がある。今回はこれをもう少し形を変えてやってみようって事だ。
このちょうど1時間の会議が終わる頃にはすでに次の面談者がお茶を飲みつつお待ちでぼくは手元のマグに入った紅茶(いつも砂糖ミルクなし、コーヒーは飲まない)をそのまま隣の会議室に持ち込み、今度は貿易に関する打合せを行う。
日本とNZの間でニッチ市場は沢山ありこれをどう開発、販路開拓していくかが議題。これは商社機能であり、単なる口銭ではもう利益が出ない時代である。だから川上から川下まですべてを一気通貫でいくSPA方式を取る必要がある。ではニッチ市場で当社がSPAを出来る商材や市場はどこなのか?
例えば水耕栽培によるオーガニック野菜、例えばLED、例えば例えばetcetc,いろんなケースを想定しつつ何が可能かを探る作業。当社ではすでにマオリハーブを使ったホリスティック、お魚ネットなどすでにSPAは扱っているので後は商材を何にするかのみだ。
その後すぐに次の方の訪問で、これは随分と個人的な話で相談を受ける。話を聴きNZの法律上の問題点を指摘しつつ現状をご案内する。判断はご本人である。
この面談が終了するとケータイ電話だけ持って道路向かいの弁護士事務所に行く。ここでは首都ウェリントンから出張して来た移民局幹部との会議。主に僕らユーザーから日頃感じていることをそのまま伝えて改善要求である。
今年の総選挙でグチャグチャになったビザ問題では文句の一つも言ってやりたいが彼も「ぐちゃぐちゃ」に巻き込まれた「仲間」であり、まあそういう非建設的な話ではなく今後の話をしようって事で、まずはリタイアメントビザに関する実務的な問題点を指摘していく。
移民局幹部は元銀行マンで受け答えがはっきりしているし“もごもご”言わないのが良い。できることは出来ると言い持ち帰りはきっちり持ち帰りと言うので話が早い。
日本からの移住者ってのは法の順守が徹底しており地元に溶け込み日本人だけで固まらず常に他人の事を考えて何事も「来た時よりも美しく」が出来るので、もっと審査の順番早くしてくれよ−とか審査基準は他国よりも緩くしてくれよとか言ったら苦笑いしてた(笑)。
まあそうだろう、移民局という立場からして人種差別するわけにはいかないし、かと言って日本市場はこれから大きくなるのは分かってるわけで、痛し痒しだ。
弁護士事務所の担当者、所長も入れてきっちり1時間話をした。心のなかでは移民局からこういう機会を作るってのはなかなかいいじゃないかと思いつつ口では結構突っ込みもやったが、はいこれで14:50。
今日もこれで終了。移住、税務、貿易、法律、ビザ、様々に彩る花のような金曜日でした(笑)。
2014年12月05日
「生たこ、400gでいいっすか?」
今週はいよいよお魚ネットのトライアル仕入れ初回だ。ぼくは生たこ300g注文したのだが、生たこは個体サイズが違うので実際に届いたのは400gである。まさに「生物」であり工業機械のように精密さは要求出来ない。
大トロ中トロも同様で、一冊あたり500gになるようにしているが魚だって自分の身を削ってきっちりとグラムで計られるのが嫌なのか、600gだったりする。
レストランに配達した後にスタッフから受けた注文は居酒屋「フジの金太郎」で刺し身にしてもらい皆さんお持ち帰りだ。
翌日は担当者が各レストランを回り魚の様子を聴いて回る。どこのお店でも反応がよく、お、これならいけるなって感じだ。個人注文で反応を聴くと、これも生たこやマグロを中心に人気がある。やはりAucklandでは食えない魚だ。特に生たこはコリコリ感がぜんぜん違う。NZには存在しない食い物である。
あるお客様は昨日のメールで「トロは無論お刺身で、タコは茹でてタコブツときゅうりの酢の物、美味しかった。日本以上に美味しく感じました。NZでこんな新鮮な贖罪が手に入れば本当にうれしいですね。明日はたこ飯にします」とお褒めの言葉。素直にうれしいですね。
個人からの受付は今回は100g単位で受けたけど、量に関しては受け取った時点で若干の誤差がありますってのはきっちりと伝えなければ。
今後はグラムが明確でないためにちょい苦労するだろうが、とりあえず一番大事な味は日本の味をそのまま持ってくることに成功。やったね。
ところが、である。皆さん楽しんで頂いたお魚、大トロ中トロ赤身、生たこ、さんま、ぼくは全然食べることが出来なかった。
というのもこの日に限ってものすごい時間制限の、それも今から30分以内にとか1時間以内とかで検討して文章にまとめて相手に返さねばならない、すんごい阿部寛くらいに濃い内容のメールを次々と送るのである。
お魚スタッフが「tomさん、あの、魚」と話しかけてきたが「うるせー、今忙しい!」とスタッフの顔も見ずにひたすら文章作成とメール送信、その間も受信メールが増え続けるわけで、この日のパソコンに座って仕事している忙しさってのは短距離走選手みたいな感覚だ。
だもんで気づいた時にすでに午後3時、魚を食わないままに退社時間だ。まあいいや、別に魚を食うために残業するつもりもない(笑)。
最後の一枚のファックスをスタッフに依頼して自宅に戻るとまたメールが届いてて「あの、ファックス番号書いてないんですけど・・・」。思わずへたった(笑)。
それでも全体的に見れば人探しに苦労していたお魚ネット、非常に優秀なスタッフがすべてを一気にこなしてくれて今こうやって博多で捕れた新鮮な魚がAucklandに届くようになった。レストランにも配達できるし個人向けにも売れるようになった。
お魚ネットは来年2月から本格的に活動する。
これで日本人の生活の質がまた向上した、より住みやすくなった。よっしゃ!
2014年12月04日
前を見ない人が増えたな。
今日は会社の定期健診も兼ねた定期血液検査。体は一つしかないので大事に使う、なので3ヶ月毎にチェックしているが、今年2月から始めた糖質制限の効果が絶大で血液検査の度に医者に「ほらー!」って威張ってる(笑)。
でもって糖質制限を始める前からだがぼくの血液はずいぶん元気よく注射針突っ込んで血が出るときの勢いがすごい。ドピューって音がする感じなので看護師さんもいつも「すごいですねー!」と喜んでもらえる(笑)。中には採血しようとしてもなかなか血液が出ない人がいて、何回も刺さないといけないらしい。ヤク中みたいになるのでは?と他人ごとながら気になる。
ぼくは糖質制限信者ではないし、食うものがなければラーメンでも食う。非常食としてホテルに置いておくこともあるが結局今までのホテル滞在経験上食べた事はない。コンビニで買うおつまみチーズとかサラミで十分だ。ラーメンはあれば安心するだけで別に食わなくてもよい状況だったので結局最後は飛行機に持ち込んでそのまま置きっぱなしとかである。
逆に自宅ではここ一ヶ月で2~3回ラーメン食った。夕食を食い終わった後に何故か少しお腹がすくので食ったが何となく以前のような美味しさを感じなくなっているので卵、のり、干しエビなどを入れてる。
ほんと、糖質制限を始めて食事量が増えたのには周囲もびっくり。それでも袋ラーメン一食あたりの糖質は60g以下である。信者ではないけど科学的かつ経験的に考えて糖質制限効果ありだ。
今日はわりかし早めに検査が終わったので早めのランチって事でいつものカレー屋さんに行く。店に入るといつもの兄ちゃんが僕の顔を見るなりにこっと笑って“No Rice?”とだけ聴く。
YES。簡単でいいな、本来のメニュー名は“Chicken
Katsu Curry”であるが、カツってのがすでに日本語だよな、でもって僕がかつカレーを注文することを前提に「今日もご飯なしでいいんだよね?」だけ聴く。だって料理名は”チキンかつカレー“。ほら、カレー”ライス“じゃないもんね(笑)。
それにしてもこの店に限らずで気になるのがアジア人の携帯電話中毒?とでも言うのか、飯食う時くらいは飯を見ようよ、友達と食べるんだったら誰か知らない相手にケータイカチャカチャやらずに目の前にいる現実の友達とゆっくり話せば?って思うんだけど、何故かアジア人、例えばこの店でも若い中国人女子学生二人が一緒にご飯食べてるのに会話がないままお互いにケータイをジーっと見つめつつカチャカチャやってる。
じゃあ一緒に飯食う意味って何だ?少なくとも目の前に話すべき相手がいるのに自分のケータイをカチャカチャやる人間とビジネスは出来ないし一緒に御飯食べたくない。
結局あれって心が弱いのかな?常に誰かと繋がってないと不安で目の前にいる友だちと距離的に繋がり、けど他の友だちとも繋がっていたくて、なんてのはまさに北海道南部、どうなんである。
人は一人で生れて一人で死ぬ。生まれた時は何も持たず死ぬ時も何も持っていかない。そんな人生で言葉が話せるようになった頃から段々と人と対面で付き合い始めて人間関係が分かってくる。会って話してこそ信用が何なのか分かってくる。
なのに見えない相手にケータイかちゃかちゃ・・・どうなん?そんな薄い付き合いで相手に命預けられるか?2千年前の中国の歴史を学んでいるのか?三国志や梁山泊が「作りもの」だとしても当時の人々の心意気を表していたわけであり、それを文化大革命がぶっ壊して歴史を持たない成金ばかりを生み出したのかな?
カレーを美味しく頂きオフィスに戻り、次の仕事は300QueenStの弁護士オフィスでの会議だ。午後1時にオフィスに行くと、このビルはほんとに殆どのオフィスが韓国と中国顧客向けでハングル文字と簡体字がずらーっと並んでいる。
ビルの入口ではタバコ吸いがたむろいエレベーターフロアでは誰もがケータイカチャカチャ、エレベーターの中でもカチャカチャ、何だかな。
それにしてもこの人達にかぎらず日本人も同様だけど、思わず「そんなに寂しいの?」と聞きたくなるくらい一日中ケータイに向かって話しかけてる。
中国製ソフトでケータイのマイクのあたりに向かって話しかけてるのがあって、これなど知らない人から見れば「だ、だいじょうぶですか?使い方知ってますか、そこ、話すとこじゃないですよ?」となる。
この弁護士事務所は新しい取引先で韓国系で実はぼくは数年前から面識があり(彼も僕を知ってる)新規のワークビザの話を進める。相手担当弁護士のプロ度合いを確認しつつポイントを突っ込む。わりかし素直に回答してくれるから「弁護士がそれ言っていいの?」って思ったりするが、まあ話が早くていいや。
弁護士は状況によって使いわけるのだが、自分の命を量り売りする習慣のない日本人にはここは今はまだ当社の実績が少ないから、まずは難しくない仕事からやってもらう事にする。良い点はトップクラスに比べて安くて手頃でアジア人感覚でやってもらえることだ。
帰り道にクイーンストリートを歩くとほんとに人が増えたが、とくにアジア人が、道を歩いてるのに前も見ずにケータイ見つめてカチャカチャ、耳には詰め物(音楽を聴く装置のようだ)、目も耳も塞いだ状態で歩いてくるから危なっかしくて仕方ない。
あなたはそんなに忙しいのか?それとも前も見ずに音楽聴きつつケータイ見つめるのがなんかIpadやIphone の宣伝写真の主人公になった気持ちにさせるのか?
前を見ずに生きていくって、ほんとに危険だよ。そうやって前を見ずに車に撥ねられたらかっこ悪いよ(苦笑)。そして人生そのものも同様で、足元ばかり見て耳塞いでいると遠くに明るく輝いてる道が見えないままに泥沼に足を踏み込んでしまうよ。
2014年12月03日
そうだ、言葉を考えてみよう。
RVとPR。RVは日本ではレジャービークルだがNZではレジデントビザである。RとVだ。そしてPRというのはパーマネントレジデンスであり、両者の違いは旅行条件のみである。
NZではRVは去年まではRRV(リターニングレジデントビザ)と呼ばれておりビザ取得後2年間は年間183日以上NZに滞在することが要件であった。
2年経過した時点でRRVがIRRV(インディフィニトリーリターニングレジデントビザ、舌、噛むな)に変わり、所謂無制限永住権となった。つまり一度これを取れば10年間NZ以外に居住しても永住権は保持できるって、とっても有難いビザだ。このビザの事を新しいルールではPRと呼ぶようになった。
今回の中国人大量ビザ申請問題から始まり移民局のスキャンダル、そして様々なルール変更が行われビザの名前まで変わってしまったのかどうか分からないがただ古いルールを頭に入れてるぼくからすればPRという呼称はパーマネントレジデントで永住権の俗称であり正式な法的用語ではない。
なので普段僕らが使うことはなかった。同様の案件で僕らが使わない用語にビジネスビザってのがあるが、NZではワークビザであるから当然使わない。
なのでPRが導入されると「あれ?」って気持ちになりこれを正式に取り入れるのかい?ってなんか下品な感じがするぞとは思いつつ、それでも規則が変更すればそれに従うのみ。
何かを示すための言葉は時代に応じて変化していくわけで、それでどうこう言っても仕方ない。
ただ言葉は変化すると言ってもその変化の仕方にどうも「品がないな、語呂が悪いな合わないな」ってのは常に存在する。それは例えば日本語で使われる「アラフォー」とかで、語呂の悪さが「誰が作ったんだ?」と思うし、喜んで使うのも恥ずかしい話だ。踊らされてるのがわからないのが痛い(笑)。
言葉を知らない、他の表現方法を知らないから仕方ないんだろうが、あらふぉーを「だいたい40サイコロ」みたいな感じに受けてしまう。だったらビューティフォーティでB4とかB4tyとか、もちっと考えれば?と思う。ちなみにB4は英語でBeforeと絡まっている。
ぼくが今でも覚えてる面白い造語はニューヨークで聴いた「5アベ」だ。安倍さんが5人いるってわけじゃない(笑)、5th Avenue をそのまま発音すると長すぎるので「ごあべ」、よく出来てる!
ことばを略する時は語源の意味と造語の音感と組み合わせた結果としての含蓄や楽しさがあるとよい。語呂を考えないとおしゃれではない。「日本語としてよく使われる病名の一つにトラウマというのがあるがあの言葉の原語はタイガーホースである」・・・お後がよろしいようで(笑)。
2014年12月02日
夏が来た、クリスマスシーズンの始まりだ。
12月1日になるとAucklandは一気にクリスマスモードに入った。今年も僕の座る机から巨大サンタがよく見える。つまり今年のAucklandもいよいよ仕事納め始めで、あと15営業日くらいで殆どの「街の決定機能」が停止する。
なにせ政治家も官僚も次に会うのは来年1月15日以降である。今年一番怒ってるのはジョン・キーか?悔しい思いをしているのはジョン・バンクス?いつも笑ってるのはウインストン・ピーターズか?けれど誰の上にもメリークリスマス!
街ではクリスマス商戦に遅れないようにとクイーンストリート沿いの高級店が次々と開店したり開店準備。特に現在のヴィトンとグッチの向かいに出来るPRADAやDiorすでに開店して客がはいってるスワロフスキーなど実に賑やかである。
それにしてもどんどん街が発展している。高級車が街を走り高級ブティックが出店し、まるで小型シドニーだ。勿論まだまだ規模は小さいものの、道には人が溢れ今日も街を物珍しそうに歩く多くの白人観光客、とくに老年ご夫婦を見かける。
毎年この時期は大型豪華客船が北半球から次々とやって来る。変な英語をしゃべる街に来たけど、何だかガイドブックに書いてるようにこんな都会の街中でも地元の人が笑顔だよねー、自分の住んでるニューヨークに比べれば乞食も思いっきり少ないよねー、なんて思ってるのだろう。
地元民は自分の覚えてる「過去のこの街」と「今のこの街」を比べて乞食が増えて悲しむ。観光客は自分の住む「今の自分の街」と「今のこの街」を比べて「何て治安が良くて乞食が少ないんだ!」と喜ぶ。
比較対象が違うだけなのだが、同じ街をどの角度から観るかで答が変わるんだから、自分の視点だけをあまり信用しないほうが良い(苦笑)。
彼ら北半球からの観光客はヴィトンが目的ではない。キーウィがほんとに変な英語を話しているのか(笑)、都会でも人は本当に笑顔を見せるのか、街に乞食が少ないって本当なのか、そういうのを自分の目で確認したいのだ(笑)。
旅行の目的は大きく分けて二つある。一つは写真やテレビで観たNZのAucklandって街は本当にきれいなのか?って言う確認作業だ。そしてもう一つは「トラブル」である。予測の付かない事が起こってびっくりして、けどまだ生きてて(笑)。
例えば貴方が旅行に行き写真を撮るとその時点で満足してしまい旅から戻ると写真を見て「あれ?これどこだっけ?いつだっけ?」となる。
ところが旅先の、例えばインドで自分の乗ってる小型観光バスが田舎の村に入り交差点でスピードの出しすぎで子供をはねる。運転手は無造作に金を渡して何もなかったかのように通り過ぎて行く・・・。一生忘れない経験ですね(笑)。
旅の記憶とはいつもそんなもので人を楽しくさせる。自分の首を撥ねられるようなイラク行きの旅は別としても、普通の旅ってのは楽しいものだ。
ところでクイーンストリートをカスタムストリートまで降りた交差点に新しくANZ支店が出来て玄関先に両手を挙げた人形の「やっほー!」サインがおまぬけ(笑)?を晒して「いかにも南半球の会社ですね」と笑わせているのは、船から降りて来たご夫婦がANZのサインを見て両手を上げて「やっほほー!」って喜んでたからだ(笑)。
今朝はそんなクイーンストリートを来年の企画作成に向けて駆け下り地元大手会計事務所で会計事務所取締役、国際税務責任者、資産運用会社社長を入れて企画会議。
投資家ビザを取得するってのは最終的に投資が必要である。誰しも損はしたくない。税金は払うが税務申告は出来るだけ簡単なのが良い。そういう顧客の希望を聴きつつREIT商品を作り上げる。
あいも変わらずだが彼らに「あのさー、どうやったらそんな発想が出るわけ?」って顔されて「北半球で生きてみろ、すぐわかるから」日本語でぼそっと思いつつ、まあいいやお互いに次のステップを確認して年内にもう一回打合せをして来年1月には商品化しようって雰囲気になった。
こういう二つの国をまたぐビジネスでは様々な視点から見当が必要となる。最低でも5つ、両国の弁護士が係る法務、両国の税理士が係る税法、それに租税協定だ。
これに加えて外国人の不動産購入ルールを守り、大事なのが移民局の適格投資先にすること、等などまさにルービックキューブ。99%うまくいっても一つだけ色が違ってればOUT、またゼロから開始である。