2015年02月

2015年02月27日

「イカロスの翼」池井戸潤 読了

半沢シリーズの最新作で今回は日本航空を舞台にした金融ドラマ。筆の勢いが全然落ちてない。てかむしろ第一作に比べてどんどん内容が引き締まっている。半沢シリーズって成長しているんだって思わせたこの一冊。普通は連作になると段々犬も倒れるワンパターンになるのだがこれは成長している。

 

小説が成長って言うと変な言い方になるけど、漫画で言えば「島耕作」シリーズみたいなものだ。僕は課長島耕作からずっと愛読者だが当初は大したことないサラリーマンだったのが様々な仕事を経験して次第に成長していく、あの感じだ。

 

そう言えば課長島耕作時代に島が大阪出張に行くとある広い土地に連れて行かれて「みろ、ここにこれから一大遊園地が出来るんだ」と言われた。これが漫画の世界ではなくUSJだと僕が知ったのはずっと後だ。

 

イカロスの翼。これはお勧め、「是非読み」ですね。

 

あ、そう言えば以前紹介した「ケモノの城」ですが、ありゃ散々な悪評でした、紹介責任あり、すみません(苦笑)。よく出来た小説なんだけど、良すぎてあまりにリアルでまるで普通の人が道を歩いているといきなり血まみれに千切られた手首がぐいってあなたの手を握ったような感じ?

 

それとも巨泉の11PM11AMに放映する感じ?(笑)

だから作者の書いた内容で僕が怒られるという、とても不思議な状況に追い込まれましたー。

 

いずれにしても池井戸潤、これからも目が話せない作家です。これならどんな読者層でも安心してお勧め出来る作家です(笑)。同時に「ケモノの城」を書いた誉田哲也、損害賠償起こしてやろうかな(苦笑)。



tom_eastwind at 17:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月26日

昼下がりの歩車道

今日は久々に昼の時間が空いたのでチキンカツカレー(ご飯なし、ご飯ありならチキンカツカレーライスである)を食べて街を散策する。店のお兄ちゃんは僕の注文を覚えててくれるので気軽に注文出来てついつい馴染みになる。どうでも良い事だが(苦笑)このメニューは英語でChicken Katsu Curryとなっている。Katsuが英語になったのか(笑笑)?

 

その後次の仕事まで30分程時間があって天気も良かったので(夏は常に天気が良いのだが)ローンストリートからハイストリート、そしてフォートストリートまで歩きまわり街の様子を見る。

 

やはり夏だな、そして2月だな、完璧に仕事が再開して白人ビジネスマンはあちこちのアウトサイドカフェでサラダにコーヒーやワインでミーティングしてたり、クイーンストリート沿いの店でいそいそとテイクアウェイの寿司やスーパーマーケットのニューワールドでバナナとかりんごとかサンドイッチとか買ってたりする。

 

特にローンストリートは表通りのクイーンストリートより食い物屋が圧倒的に多く家賃の違いを感じる(笑)がここではアジア系のお店がずらっと並んでて、どこも何だか屋台街を歩いてる雰囲気を感じる。

 

ただ僕の目から見えるのは朝からカフェに座って美味しそうにコーヒーを飲んでいる英国人が自分の持つ土地と建物をアジア人に貸してアジア人がテナントとして忙しく働き家主に家賃を払う図式だ。

 

ローンストリートからハイストリート、そしてフォートストリートと続くのだがこのフォートストリートは約30年ほど前までは売春宿の並ぶ通りだった。Aucklandにもそんな場所があったのかと思う方もいるだろうが、警察による一大摘発後に再開発されて今はすっかり様変わりしてお洒落なカフェストリートである。

 

ただそうは言ってもまだ昔の雰囲気の残っている店もあり、オコンネルストリートやエリオットストリートとは随分違う。

 

ただ、この3つの通りに共通しているのは表通りの一本裏に入った生活空間であり車と歩行者の区別がない「道」があることだ。

 

自動車も人も同じ石畳の道を歩く。ゆっくりと歩く。誰も急がない。晴れた日の通りには石畳の上にレストランがテーブルを出してお客様は太陽の下で食事が出来る。つまりゆっくり走る車の真横にテーブルがあるのだ。

 

人は車と同じ道を歩き後ろから車が来ると人と同じ速度で移動する。これって忙しい日本では無理かもしれないがニュージーランドにはぴったりな風景である。車道と歩道が分かれてない。車と人が同じ道を歩く。昼過ぎの、ちょっと気持ち良い風景であった。



tom_eastwind at 14:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月25日

雇用の流動化が盛んなニュージーランド

あなたがもしメガネ屋だとして目の見えない人に度入りメガネを売るだろうか?サングラスとかなら目を隠すために買うのは分かるが、度入りメガネは不要でしょ。「けどメガネでしょ、うちはメガネ屋だし、それがサングラスでも度入りメガネでもどっちでも、買ってくれるんだから何でもいいだろ」って話にはならんだろう。

 

日本のデパートやホテルで食材偽装の話が出る度に僕が疑問に思うのは「何でそんな事をするんだろう?」だ。だってデパートやホテルを利用する人、特にデパートの地下街やホテルのレストランや地元の利用客が多いわけで観光客とは違う。

 

デパートもホテルもお客様とは数十年にわたる長い付き合いをするわけであり一時の目先の薄い利益の為に信用という一番大事なものを失ってどうしたいんだろう。

 

もちろん実行者にも言い分はあるのだろう、長引くデフレ不況で少しでも安くて良さそうな物を出さないとお客が来てくれない、ノルマも予算もあるのだろう、だからいつの間にかそのような事をやってしまう。

 

けど貴方が努力して価格を下げれば他店もまさに同様の事をやって価格を下げてくる。結局どっちも売上が下がるだけで競争は続き挙句の果てにはお客様に偽装食品を売ってしまい、売上も減り利益も減り最後には信用を失くす。結局誰もが損をする、バカな話になってしまう。

 

「ではどうしろと言うのか?」実行者は聴くだろう。そんな時僕の答は決まっている、「その店をやめなさい」である。ホテルのレストランのシェフであれば他の店で働く、デパートの食材であってもデパートの店員を辞める。

 

「え?辞められないよ、だって他に仕事がないんだもん」だったら続けて食材偽装をすればよい、バレて信用を失うその日まで。

 

この問題の原因の一つが日本の場合雇用が流動化していない、つまり一旦一つの業種に就職すると転職が難しい事にある。だから一つの業種の中で皆が戦って赤字産業になっても労働者は他の産業に移れないから更に値段の叩き合いをして自分の給料は下がり挙句に偽装事件、これがバレて会社の信用失墜となるのだ。

 

ニュージーランドでは雇用の流動化が高く、例えば15歳で中学卒業して5年ほど父親の農場を手伝った後IT関連に目覚めて大学に入り3年程度勉強して23歳でSEとしてシステム会社に就職。

 

けど5年もするとITも十分学んだので今度は大工になるため専門学校で1年程度現場仕事を学んでから29歳で大工デビュー。10年ほど大工やってから今度は好きな車の整備工場を自分で立ち上げる、なんてのが普通に可能であるし実際皆そうやってる。

 

いま、自分のやりたい仕事で収入の良い仕事をするのだ。例えば現在は建設ブームでありこれは後10年位は長期化する。それなら大工になろう。安定した収入であればシステムエンジニアってのも良い。Auckland大学工学部トップクラスでも初任給は5万ドル程度だがその後PMなどに昇格すれば給与は上がる。

 

これは言葉を変えれば、赤字の産業から人は出て行き儲かる産業に人が集中する構造と言うことだ。これによって日本の大企業のような社内失業は発生しないしゾンビー企業が政府の保護で生きながらえるって事もない。

 

そして儲かる産業では賃金も上昇するから労働者もうれしいし雇う側も労働力が提供されるから助かる。これにより労働者も自分の権利を主張出来るし、もし会社が偽装を要求すれば堂々と断って他の会社に行くだろう。

 

その結果として企業はそれほど悪い事もしなくなり労働者もサービス残業はないし皆にとって良い労動環境が出来上がる。

 

ほら、良い事ばかりではないか。



tom_eastwind at 18:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年02月24日

イラク!

今日、ジョン・キー首相が国会で物凄い勢いで怒鳴りあげた。

 

“ゲットサムガッツ!Get some Guts !

 

そうとうに怒ってたのだろう、人前でこれだけ大声を出すのはあまり記憶にない。国会で議論するにしても現在は与党と野党が60議席ちょうどなので決議を求めると否決される可能性がある。こんな大事な時に何で国会が反対するんだ、何でもたつくんだ、自分の気持ちが何で君らに伝わらないんだ、そんな怒りが彼を怒鳴らせたのだろう。

 

ニュージーランドもいよいよISIS国に対する「イラク義勇軍」に参加する方向で検討に入った。NZでは元々国連主導でなければ動かなかったのだが、今回はすでに多くの人質を残虐なやり方で殺しているわけでこれは国対国の戦いではない、単なる人殺しである。

 

中東にいるテロリストを叩き潰すのだ、つまり戦争ではない。例えば中東の石油を運ぶ輸送船を守るために各国海軍が護衛してソマリアの海賊を叩くのと同じ理屈である。

 

NZでは今まで何度も書いたが英国連邦の中で最も人種差別の少ない国でありイスラム圏からも多くの人々が移住しているが、99%のイスラミックはキーウィ社会に溶け込んで生活をしている。だから彼らイスラミックは今回のISISに対して怒りキーウィに対して胸を痛めているがキーウィが平和に住んでいるイスラミックに何かをすることはないと信じている。

 

何よりも良いのは、隣国の豪州のように単に受け入れて後は放置ではなく地域住民の助け合いがあることだろう。だからこそ豪州のように貧しい地位に置かれたまま格差が固定化してそれが既存権力へのテロに向かうことがない。

 

ただ今回の一連の動きをよく観ると、そこにはジョン・キーならではの駆け引きがある。イラクに遠征すると言いつつ実際に送る場所はイラク軍訓練キャンプであり人数もSAS(空挺団)16名(現時点)。つまりアフガニスタン国連軍のように戦場に出て戦い戦死者を出すというビジネスモデルでないことだ。

 

この形であれば欧米に対しては「ちゃんと旗を見せたよ」と言えるしNZに対しては「少人数、あくまでゴロツキ退治」と言える。NZに住むイスラミックも納得出来る数だろう。

 

勿論これが今後どうなるのかは相手(IS)次第であるが、少なくともジョン・キー首相の判断では、ここで派遣した方が国益と判断したのだろう。明日から実務が始まる。 



tom_eastwind at 20:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月23日

長い付き合い

5年ほど前だろうか、東京都内で日本人ビジネスマンと会議をする機会があった。その時彼は何故か「利他」を繰り返していた、まるでそれが「開けゴマ」の合言葉のように。

 

いや、利他なんてのはビジネスの基本でありわざわざ強調する部分じゃないよね。あなたにとって利他と言う概念が珍しいのであればあなたは今まで利他を実行したことがない、つまり自分だけ儲ければ良いと考えてた事がよく分る。案の定そこは1年も続かず鞍替えしてた。

 

日本には江戸時代から続く商売の基本がある。三方一両得とか顧客の利益最優先とか自社の信頼を常に最優先するとか、損して得取れとかである。

 

僕は上記の言葉にすべて素直に納得出来る。何故なら今までニュージーランドと言う海外で仕事をして来て全く違う文化であっても、結局ビジネスの基本は愚直に取引先と顧客と当社と信頼を作りまず顧客、そして取引先が利益を出してもらい、最後に利益があれば自社で確保することは何も変わらないからだ。

 

当社のような外国企業がニュージーランドをビジネス拠点として日本人を相手にビジネスを全部取ってしまえば仕事を取られたと思う地元企業が面白いわけがない。

 

だからまず僕は自社で出来る(内製化)仕事でもコアでなければ外部に発注することでお互いに良い関係を作った。そしてお互いに利益を出せる「住み分けビジネスモデル」を構築した。

 

但し勿論こちらの必要な基準を維持している事が前提であり、中には基準維持も出来ないのに仕事くれって言ってきてこっちが断ると当社の悪口を言いふらす輩もいたがそういうのは結局長続きしない。こちらのビジネスパートナーにすぐ潰されたのだ。

 

話は少しそれるがバブル崩壊後成果主義という考え方が流行った。しかしそんなのは表面だけで実際には使い物にならず、上司にとっては余計な仕事が増え部下にすれば冒険が出来ず結果的に企業を疲弊させた。

 

成果主義が悪いと言ってるのではない、僕は外国で25年生活をしているから世の中には様々な考え方があると理解している。ただ同時に、日本社会に成果主義ってのは木に竹を接ぐようなもので決して主流にはなり得ない、むしろ場合によっては木も竹も腐ってしまうことがある。

 

話を戻して、僕がAucklandで長期的にビジネスを継続するために大事にしているのが「仲間」である。良い仲間と長い付き合いをする。その為に必要なのは相手にこちらを信用してもらう事であり、その為に必要なのはまず相手の利益を考えることだ。

 

僕が地元キーウィ企業と取引をする際にある程度話を詰めたら必ず聴くことが「これであなたの会社はちゃんと利益が取れるか?」である。それは利益を削れと言う意味ではなくその正反対、あなたの会社の社員がきちんと給料を受取れて30半ばで銀行ローンで住宅を買えるような値段を当社に請求しているか、である。

 

いくら会社が儲かってもそこの社員が疲弊してしまっては意味がないしお金がなければ家も買えない。だから僕は「きちんと請求していますか?」と聴くとたいていの企業は僕と話をするとびっくりする。「え?何?」って顔になる。何故ならキーウィには三方一両得が理解出来るほど長いビジネス経験がないからだ。

 

元々1970年代までは社会主義経済であり1980年代からは市場経済に移ったがそれでもまだビジネス社会自体が30年の経験しかない。だから短期的な視点でしかモノが見えないので、ついつい西洋的な「俺かお前か、死ぬのは一人」という分捕り合戦になる。

 

分捕り合戦では協業が出来ずシンジケートを組めず仕事を大きく構築することが出来ない。また競合が出るとすぐに豊富な予算で徹底的に値段叩きをして相手を潰した後に自分はまた元の高い値段で販売する。

 

話は少し本題からそれるがニュージーランド航空はまさに上に書いた通りであり航空自由化が導入された際もAuckland空港国内線ターミナルをアンセット航空(豪)に使わせずわざわざ歩いて5分ほど離れた場所にターミナルを作らせて顧客不便を押し付けた。

そして航空運賃の大幅値引きでアンセットを苦しめた。じゃあ今までの運賃設定は何だったのか?と聞きたくなるほどの値下げだ。

 

現在のAuckland空港国内線の建物が二つに別れて最近やっと連絡通路が出来て一つになったがこんなところにもキーウィらしい分捕り合戦を感じたものだ。

 

ちなみに後日談が面白い。NZ航空はアンセット航空を叩き最終的にアンセット航空はNZ航空に買収された。さあこれで独占だ、稼げるぞ!そう思ったNZ航空がアンセット航空をいざオーストラリアの空を飛ばそうとすると豪航空局から機体の不備を指摘されて発着できなくなった。

 

そう、NZ航空はアンセット航空を買収する際にきちんとしたデューデリジェンス(資産審査)をせずに機体がすべて使用期限が切れてた事に気づかずに金を渡してクズを買ってしまったのだ。その結果NZ航空は倒産した(笑)。まさに笑うしかないレベルのビジネスである。

 

本題に戻ると、僕が長い付き合いをしている相手は皆長い付き合いが出来る会社ばかりである。つまり最初に僕が取引を持ちかけて相手がびっくりして、けどいつもまずこちらが取引先の利益を考えて条件交渉をするから、彼らからしたら今まで見たこともない人種に見えるが、そのうち「おー、こいつら本気で三方一両得をやってるんだな」と気付いてくれる。

 

そうなると強い。何が強いかって言うとやはり地元白人キーウィであるから政治的な押しも出来るので政府関連の機関からの問い合わせに僕が困ったような顔で「ねえ、こんな手紙が来たんだけど」と聴くと、手紙をさっと読んで「お前はそこにじっとしておけ、今からおれがそいつに電話する」と、ほんとにその場で電話する。

 

相手が税務署でも移民局でも労働局でも同様だ、ガンガン押しまくる。さすがに「お前の高校どこだ?先生誰だ?」なんてのはないけど、Aucklandのシティで言葉を武器に仕事をしている人々は少ないのだ、皆がどこかで関連を持っている。

 

うちにちょっかいかけてくる企業があれば僕に代わって電話して「ふざけんじゃねーぞ!」とやってくれる。

 

その代わり僕は水道の蛇口のようにできるだけたくさんの水を日本からNZに流す。本来カナダや米国に流れるはずだった水もNZに引っ張ってくる。これが僕の仕事である。

 

それぞれが自分の立場で適材適所の人材を配置して皆で強くなっていく。今までもこれで成功してきた。日本的なビジネスの一部であるが世界でも実際に通用する。これが長い付き合いだと思っている。



tom_eastwind at 20:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月22日

仕事ありますか?能力ありますか?

昼下がり、蝉の鳴き声が心地よく耳に入り思わずiPhoneで流してた音楽を消して自然の音楽を楽しむ。Aucklandの青空には薄い雲が流れてほんといいとこだなって思う。

 

この街の良い点は自然だけではない。ここに住む人々が他人に優しいという点もある。これはこの街に住み始めれば誰もが感じることだ。誰もが平等であり他人に親切だ。その理由も合理的に説明出来るが書くと長くなるので後日にするとして、実際にあった話を一つ。

 

今から約10年くらい前になるかな、僕の友人夫婦が鉄板居酒屋を経営していた。夫婦ともに元気でお昼になると店の前にお弁当を積んで売ってた。ある時そこにいかにも浮浪者といういでたちの中年男性がやって来て弁当を一つ手に持つとそのまま去ろうとした。

 

そこで奥さん、いきなり店から飛び出て「何やっとんじゃ!カネ払わんかい!」と英語でまくしたてた。すると偶然通りかかったYシャツ姿のビジネスマンが間に入り彼女に「ごめん、彼は僕の知り合いなんだ、けど今持ち合わせがないから僕が代わりに払う。それで良いね?」と聴いてきた。

 

もちろんそんなのその場の嘘であることなんてだれでも分る。けど彼女は黙ってお金を受け取り、浮浪者は弁当を手にその場を去り、ビジネスマンは何事もなかったように通り過ぎていった。

 

今のように浮浪者が増えたクイーンストリートではもうこういう場面を見かける事も少なくなったがそれでもキーウィの性根は、代償を求めない優しさにある。

 

そして今日の本題に入ると、キーウィは優しいだけでなく質実剛健である。手に汗をかいて労働してそこで得た対価で家族のための食事を用意する。

 

例えばAucklandのビジネスマンが冬の休暇でスキーを楽しむためにクイーンズタウン空港に降り立ち客待ちタクシーに乗り込むと運転手はいつもの明るい会話を始めたとする。

運転手「ハイ!どこからきたんだい?」

客「Aucklandからだよ」

そういうと運転手はルームミラーで客の色白な顔を見ながら

「あ、そうかい」と言ったまま黙ってる。

 

タクシーの運転手からすればAucklandで働いてる色白の連中なんてのはどうせ弁護士や会計士やバンカーやファンドマネージャー、要するに手に汗流さずボロ儲けしている「悪い奴ら」なのだ。

 

じゃあ標準的キーウィからすればどういう仕事がキーウィらしいか?やはり一番は農家だろう。広い牧場で羊や牛を放牧したり見渡すかぎりの農場でキーウィやりんごやレタスとかほうれん草作ったりとかである。

 

それ以外にもまずは大工が格好良い。ピックアップバンに自分の道具を積んで携帯電話一つで街中を駆け巡ってる、腕の良し悪しは別にして(笑)他にも一般的にブルーカラーと呼ばれる手に職モノ作りをする人の方が強い発言権を持っているってのは僕の個人的感想だ。

 

この事をキーウィ弁護士に指摘すると彼らもそれまでの饒舌を止めてちょっと戸惑ったように、「ん、んー」となるのが面白い。キーウィ社会は年収ではなく社会への貢献度なんだって事が弁護士にも分かってて自分がやってることが手に職系に比較すると「ちょっと、どーかな?」と分かっているのだ(笑)。

 

但しこれはあくまでも僕が外国人として25年間キーウィ社会を見てきた個人的感想なので当然違う意見もあるだろうから異論のある方はどうぞご自分のブログで反論を書いて下さい(苦笑)。

 

さて15年ほど前に書いた「仕事ありますか?能力ありますか?」という記事がある。内容はAucklandにやって来たワーキングホリデイビザ保持者が昼間のオフィス仕事を探すのだがなかなか見つからない。そこで仕方なく日本食レストランで働くのだが彼らの愚痴は「Aucklandには仕事がない」と言う。おいおいちょっと待ってくれ、仕事がないのではなく君に能力がないのだって現実を何故認めようとしないのか?

 

一体君にどんな能力があるのだ?英語は出来ない、日本で普通に大学文学部あたりを卒業して(仏文?)普通の会社にサラリーマンとして就職した君に一体どんな特技があるのだい?

 

日本で生活をしている中では自分が大きな歯車の中の一部品であるって事に気づかずに就職したらそれで終わり、後は会社の言われることだけやって家に帰ったらテレビ見て寝るだけの君に一体どんな専門性があるのだい?

 

会計士の資格は?弁護士の資格は?じゃあ調理師免許?建築設計士?システムエンジニア?大工?何もない。結局君には何の、世の中で一人で生きていくための資格がないことが分る。

 

ニュージーランドの技能移民の問い合わせを受けると僕が真っ先に話すのが「手に職」である。この国では専門性を持った仕事なら需要はある。ところが日本で生まれ育った人々は社会や企業の歯車として全く専門性がなく社会に直接貢献しないホワイトカラー仕事が立派と思ってそんなところに就職する。

 

しかし日本社会の矛盾に気づきいざ海外に出ようと思うといきなり自分が無価値だという現実に気付かされる。そして言う、「仕事がない、悪いのは俺じゃない」と。

 

仕事はある。「仕事ありますか?能力ありますか?」これから求められる人材はブルーカラーである。手に汗して働く人々が正当な評価をされる時代が来る。

 

ホワイトカラーなんてのは組織の中でしか通用しない置き換えの出来ない業務であり世間一般では立派と思われているが、組織がでかいから自分を組織そのものと勘違いして威張ってるだけだ。

 

もしニュージーランドに移住を考えているならこの国で必要とされる職種に転職して日本で5年ほど働いて専門性を身に付けてそれから移住を考えるべきだろう。現時点での僕のお勧めは日本食シェフと大工、それも個人住宅を主に取り扱える大工だがその気になれば農業だって十分に見込みはある。

 

とにかく自分に労働者としての価値を付加する事。昼間がサラリーマンで忙しいなら夜勉強する、そして自分を鍛えて磨いていく。それが一人で生きていくって事だ。



tom_eastwind at 17:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月21日

日教組

219日の衆院予算委員会で民主党議員の発言に対して安倍首相が「日教組はどうするんだよ」とやじを飛ばしたとのこと。それほど大声でなかったとしても言われた方からすれば痛いところを突かれた訳で逆上するって話だ。

http://blogos.com/article/106150/

 

これは本文よりもコメント欄の方が楽しい。左右両方からの書き込みが100を超しているが要するに安倍首相のやじはそれほど的外しではなく、むしろ首相の本音をついついバラしてしまったのではないかってことだ。

 

選挙権年齢引き下げの時に少し書いたが安倍首相の狙いは長期安定政権であるうちに今の年寄りではなく20歳以下の若者、それも高校生あたりを授業の中で愛国心を持たせようとしているという事だ。今年中に高校教育に政治(道徳?)という科目を入れて長期的に「強くて優しい国、ニッポン」を復活させようとしている。

 

その為に真っ先に潰す必要があるのが日教組である。だからその日教組出身の連中が多い民主党が狙い撃ちにされる。その民主党が与党政権時代に日教組からの献金問題で政治問題になった時に言い逃れた理屈を今回自民党が使ってて、目くそ鼻くそを笑うって筋になってるからその状況を理解している安倍首相が思わず「日教組はどうするんだよ」って話になったのだろう。

 

まず大前提として政治はカネが必要だ。表のカネで賄えない場合は裏のカネが出てくる。それは自民党も民主党も同様であるから同じ穴のムジナだ。むしろ自民党の方が最初から「うち、ちょっと汚れてるかも」って印象があるからまだ可愛い。民主党のように偉そうな立派な事言っても実際には中国やロシア、日教組からカネをもらって活動しているのだからたちが悪い。

 

それはニュージーランドでも同様であるが幸運な事にNZでは賄賂を受けなくても政治は表のカネでやっていける仕組みがある。日本でも導入すればと思うのだが、付け届けやお中元やお歳暮の文化がある日本では表のカネでやれるようになってもやっぱり裏のカネは動くのだろう。

 

民主党は左翼系のお金で政治活動を行い自民党は右翼系のお金で政治活動を行っている。どっちもどっちだからヤジをいちいち真に受けてブログに書き込むことでもないのだけど、それにしても民主党の議員ってあまり頭が良くないな。こうすればこうなるって段取りが理解出来てない。頭は良いが正確確実に失敗する東大卒の官僚のようなものだ。

 

けど今日は民主党ではなく日教組の話。個人的に安倍首相がこの団体、労働組合の名の下に政治活動をしている連中を潰すことは賛成である。

 

日教組に入る前にまず国鉄。昔日本には国鉄、日本国有鉄道という組織があった。現在のJRだ。戦前は中国大陸で世界最速のアジア号を走らせ戦後は新幹線を走らせた技術を持つ組織だが、そこには戦後中国やロシアで抑留された時に共産党に洗脳された連中が船に乗って舞鶴港に戻って日本国有鉄道に就職した。政府による就職サポートだ。

 

仕事と給与を得た彼らが真っ先にやったのは国鉄内に労働組合を作り仕事を斡旋してくれた日本政府と真正面から戦うことだった。そこでは現在も続く過激派団体が組合を牛耳り今も地下活動をしている。問題は彼らが共産主義とか偉そうな事を言いながら自分の利益だけを考えて行動していた事だ。

 

国鉄という組織に寄生した労働組合(国労、動労など)は機会がある度に政府に攻撃を仕掛けた。今のJRからしたら想像もつかないが現実にそれは起こったのだ。

 

特に動労はひどかった。何がひどかったと言えば国民の生活や経済を全く無視してストライキや労働交渉を行いその間に主義主張のために殺人も行った。国鉄は結果的に組合に食いつぶされ政治家の選挙ネタとしてしゃぶられてどうしようもない所まで行き詰められて民営化した。

 

この時の動労について一言書いておくと国鉄解体当時の動労の中央委員長は若い頃に人殺しをしてそれを当時の自民党重鎮の後藤田氏に掴まれた泳がされていたスパイだった。

 

国鉄がJRになる際に組織として大きな方の国労が断然突っぱねたのに動労がころりと政府側になびいたのも後藤田氏の手腕である。その結果として国労出身者はJRでの仕事が得られず動労の連中は皆仕事を得た。そして彼らが今もやっているのは日本政府を潰すための労働運動である。今も公安は彼らの活動を把握している。マングローブという組織を調べれば分る。

 

さて日教組。この組織も国鉄と同様に戦後の日本で中国とロシアの洗脳を受けた多くの人間が送り込まれてきた。学校でやることは労働運動であり自分の目先の利益だけを心のなかで考え表向きは「大衆労働運動はどうあるべきかー!」などと騒いでいた。

 

あなた達は子供に何を教えるのか?教科書に従って教える労働者なのか、聖職として子供を導く導師なのか、それとも政府から給料と言うカネを貰って日教組に組合費としてカネを渡して政府を潰そうとする過激派なのか?

 

問題はこの組織が現在も残っており組織率は低下しているものの今だ潜在的攻撃能力を持っていると言う事だ。そしてその攻撃能力は常に日本政府に向かっており日本の教育を悪い方向に進めている。

 

こうやって書くと僕は右翼なのか(笑)左翼なのか(笑)分からない部分があるかもしれない。だって安倍首相の進める「皇民化教育」には反対しつつ、だからと言って日教組の進める「日本人バカ化」には反対しているのだから。

 

日教組は組織としては今も強大であり現場の教育に大きな影響を与えている。今、安倍政権が安定しているうちに、100年先の日本を年頭に是非とも潰すべき組織が自己の利益だけ考える日教組である。



tom_eastwind at 17:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月20日

アラサー

金曜日は忙しかったー、昼飯抜きはいつもの如くで3日連続であり、直接僕の個人アドレスを知っている方から届くメールの入り方が半端でなく、返信を一つ作ってる間に3つ受信するって感じだ。

 

一日にざっと目を通すメールだけで200通は下らないのでまさにパソコンの前に張り付いて動かない感じだが、特に金曜日は朝からダブルヘッダー会議、つまり同時に二つの会議に出席することになった。Bの会議で主要な部分を先に話しておいてAの会議にお客様が来て僕の順番になったらBを中座してAに行き話をする。

 

Aが終わればまたBを再開して、その間もCのお客様が来社されており挨拶と書類渡してまたBに戻る。そしてBで会話をしつつ手元のパソコンではメールの返信を書いている。どうやら僕には女性の素養があるようだ、夕食の支度をしながら女友達と長電話する奥さんのようなものだ(苦笑)。

 

そんな一日を何とか終わらせて自宅に帰ってシャワーしてソファに体を預けて日本から届いた雑誌や本やネットニュースをゆっくりと読んで情報を体の中に入れる。

 

実はこの時に一番くたびれるのが「変な英語」である。一日中英語と日本語と広東語を使って仕事や会話をしているわけでその状況に合った言葉を使うようにしている状態で「変な英語」が眼や耳に飛び込んでくると、ほんと頭痛がする。

 

ここ数年どっかのバカ雑誌の無知蒙昧編集者と呼ばれる要するにほぼフリーランスのようなそれでいて自分が「ノマド」とか「いけてる!」とか思い込める脳内に蝶々が飛んでるような連中がわけの分からん言葉を「捏造」して言葉(言霊)本来の意味や語感を全く無視して乱れた言葉を粗製乱造しているから堪らん。

 

例えばそれの代表が「アラサー」とかである。本来の語源であるAround Thirty からは想像もつかない日本語訳であり更にその語感が悪い。一体英語なのか日本語なのか、鵺(ぬえ)のような響きとカタカナ文字を持ち、更に悪いのはそこに知性も教養も言葉そのものが持つ「楽しさ」もないことだ。簡単に言えば「下品」である。

 

「楽しさ」ってのがわかりにくいと思うけどこれは口にして気持ち良いって意味だ。例えば高校生言葉でも語彙が少なくてもよく考えて作られた言葉はたくさんある。14年前にニューヨークに出張した時に地元の学校に通う日本人留学生から聴いた「“ごあべ”のあそこのカフェで会おうね」なんてのはセンス良いなと思った。

 

まず“ごあべ”って響きが良い。気持よく耳に飛び込んでくる。でもって「それ何?」って聴くと語源はFifthAvenueだ。つまりNYC五番街。けど、日本語でも英語でも長すぎるからってんで数字の5は日本語で、Avenueをあべって略して使ってる(笑)。これは合理的だな、十分に笑わせてくれる。笑いは長生きの原動力である(笑笑)。

 

英語も同様でケータイでのテキストが普通になった今、学生たちがテキストで簡潔に送りたい場合、例えばBTWなんてのがあって、これ語源はBy The Way,「ところで」であるが全部入力すると面倒なのでBTWで済ませてしまう。もちろん法学部の一年目の終わりのテストでこれを書けばやばいが友達と日常のテキストならこれで十分だ。

 

香港で仕事をしてた時も面白い言葉があって、それがB4である。紙のサイズでしょって思ったあなた、失格(笑)!ここは香港、仕事は英語であり英語圏ではB4サイズの紙を使うことはまずない。A4サイズかせいぜい弁護士などが使うA4長めだけである。ではこのB4とは?

 

それがBeforeである。カタカナで書けばビフォー。だからB4で通じる。香港で使われている広東語は話し言葉であり発音をそのまま文字に当てはめられない言語であるため、話し言葉と書き言葉がずれることに抵抗がないからB4にも抵抗がないだがや(笑)。

 

例えば広東語で午後を発音すると「はーちゃう」というが文字で書く時は意味が明確になるように「下午」と書く。けどこれを文字とおりに発音すると「はーんん」となる。それでも皆気にしない。つまり広東語の場合、本来存在する漢字は固有の発音を持っているが日常で使っている発音は違うって現実があるからだ。

 

等などいろんな場所でいろんな言葉を改訳して使ってるが、その時に大事なのが言葉(言霊)のセンスである。そのセンスのないのが最近の日本の「変な英語」なのだ。アラサーに限らず、普通に日本語で表現出来るのにその日本語の語彙がないのか、それじゃ誰でも思いつくから面白くないって考える編集者や記者だから、仕方ないパソコンで英語変換してそれの頭だけ取って英語にしてアラサーにして「アタクシ、いけてる!」なんて思ってしまうのか。アラサー!そのまま盆踊りしてろって語感である(苦笑)。

 

要するに日本語知らずで英語コンプレックスの目立ちたがりバカが捏造した「雑音」であり本来存在すべきではない言葉が次第に街にあふれるようになっているのだ。

 

英語は英語として使い、日本語は日本語として使う。正しく使う。これが基本である。しかし時には日本語にない表現を日本語にする必要がある。その時は例えば英語のFreeという概念を「自由」と訳したように、語源を正しく理解して日本風に改訳して自らに由る=自己責任とすべきだ。日教組あたりはこれを「無責任」と教えるようだが、これはまた後日。

 

商業主義を飛び越して遂に自己満足の世界に入ってしまった日本の雑誌やネット世界ではインターネットが出現するまでは全く読書もせずに教養もないままおとなになった連中が乏しい語彙で無意味どころか改悪した言葉を捏造している。これって文化破壊という意味ではイスラム国のテロリストよりやばいぞ。

 

きれいな日本語はどれだけ語彙がなくても気持ちよく耳に入る。何かを簡潔に伝えようって気持ちが伝わるからだ。正しい日本語とは気持ちのこもった言葉(言霊)だ。それは英語も広東語も同様。皆さんも流行と思って変な言葉を使うのは長い目で見て自分の品性を劣化させることになるので十分ご注意を(笑)。



tom_eastwind at 15:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月19日

選挙年齢引き下げ

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共産、社民両党を除く与野党各党は18日、選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる公職選挙法改正案を来週中をめどに共同で衆院に再提出する方針を固めた。今国会で成立し、2016年夏の参院選以降の国政・地方選挙に適用される見通し。選挙権年齢の変更は1945年に「25歳以上」から現行の「20歳以上」に改められて以来70年ぶりとなる。

 選挙権年齢の見直しは、昨年6月に成立した憲法改正の国民投票の投票年齢を「18歳以上」に引き下げる改正国民投票法を受けたもの。

 公選法改正案は昨年11月、自民、民主、維新、公明の各党などにより国会提出されたが、衆院解散に伴い廃案となっていた。改正案は、施行時期を「公布1年後」としており、各党は6月24日の今国会会期末までの成立を目指す。

 少年法は未成年者の刑事事件について、成人よりも軽い刑罰を規定している。しかし改正案は、18、19歳の者でも買収など連座制の対象となる悪質な選挙違反を犯した場合には、原則として家庭裁判所が検察官送致(逆送)し、成人と同じ処罰対象とする規定を盛り込んだ。

 法案検討の段階では、刑事裁判の裁判員や検察審査会の審査員の選任資格についても同様に引き下げる方向だったが、「当分の間」は現行の「20歳以上」を維持することにした。

 16年夏に改正法が適用される場合、有権者は約240万人増える。高校在学中に選挙権を得るケースが多くなるため、改正案に賛同する各党でつくるプロジェクトチームは今後、高校での「政治教育」の拡充について議論していく考えだ。民法に規定される成人年齢の引き下げも、引き続き協議の対象となる。 (2015/02/18-18:45

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この、選挙権年齢引き下げ、何でいまこんなに政府が力入れてやってんだろうって疑問に思った。けどこの記事を読んでなるほど、そこかーってわかった。これも2020年政策の一つだな。

 

この政策の骨(こつ)はこれから社会を支えていく若者世代を高校あたりの早い時期から国民奉仕精神を叩き込もうということだ。240万人の若者に<<高校での「政治教育」の拡充>>って、やるねー安倍首相。

 

元々日本人が勤勉であるのはよく知られた事だ。しかし日本人として生まれ育ち大学を卒業する頃には誰もがところてんみたいな同じ穴を通って同じ格好で社会に出て行く。受け入れ会社側もYESMANが欲しい訳で要するに政府の文部科学省が戦後率先して作り上げてきたロボット教育が大成功したわけだ。

 

誰もが政治に関心を持たず毎日遅くまで仕事してバカなテレビ番組見てゲラゲラと笑い一生を終わる集団生活が長く続いてきた。それで良かった、皆が平等で米国の背中を見て追いつけとやってればよかった、米国の核の傘の下で。

 

しかしこれからは違う。米国の核の傘ではなく普通に武装した独立国家になるわけで、そうなると日本人教育の内容も変わる。お国のために滅私奉公する事こそ君ら若者の義務であると教えこむ必要があるのだ。

 

「今の大人はなっておらん!政治に関心を持たず目先の平和にボケている!これからは君たち若者が積極的に政治を担って日本を良い国にするのだ!その為にはまず平和ボケしている大人たちを積極的に排除しろ、そしてくだらない番組ばかりやってるテレビ局には抗議をしてもっと国民を高揚して軍国忠義、あ、違った、独立国家として気概を持てるような番組編成にするように訴えるのだ!」

 

やってることはイスラム国のテロリストの洗脳と同じだが唯一違うのはこっちでは本物の国家が率先してやってるってことだ。

 

高校生は染まりやすい。そして一旦空気が出来上がってしまえば誰もそれに逆らうことが出来ないのが日本である。何か間違っていると思いつつも強い国家作りに誰もが逆らえなくなる。

 

そして立派な大日本帝国の復活である(笑)。ほんとに歴史は繰り返すなー。



tom_eastwind at 14:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月18日

おじいちゃん、ぼく頑張ってるよ

 

2015年運動方針案が16日分かった。安倍晋三首相が悲願とする憲法改正への賛同者拡大を目指し、国民的な運動を展開する方針を明記。4月の統一地方選は全ての公認・推薦候補の必勝を目標に掲げ、「総力戦」で臨むとの決意を示した。文言調整を経て、3月8日の党大会で採択される。

 運動方針案は1955年の結党から今年で60年を迎えることに言及。「今、改めて胸に刻まねばならないのは、日本の文化・伝統・国柄に立脚し、憲法改正を党是として出発した保守政党としての矜持(きょうじ)だ」と強調した。

 その上で、衆参両院の憲法審査会などを通じて改憲原案の検討・作成を目指すと表明。各種支持団体の協力を得るなどして、国民の理解を求める運動を推進していく方針を打ち出した。 

 また、今年が戦後70年の節目に当たることにも触れ、「靖国神社参拝を受け継ぎ、国の礎となられた英霊のみ霊に心からの感謝と哀悼の誠をささげ、不戦の誓いと恒久平和の決意を新たにしたい」と訴えた。

 統一地方選について、運動方針案は衆参両院選挙での勝利を踏まえた「政策実現政党としての足場を完成する極めて重要な選挙」と指摘。支持層の広がりを狙ってインターネットを活用した広報活動に力を入れる考えを示した。今年中に党員数を120万人まで回復させるとした従来の目標や、国会議員1人につき党員4000人獲得の「ノルマ」も盛り込んだ。

 個別の政策分野としては、アベノミクスの推進や岩盤規制の打破、地方創生などに重点を置き、与党協議が始まった安全保障法制の整備に「全力を注ぐ」ことも明記した。(2015/02/17-02:33

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今日は地元大手会計事務所の資産管理運用部門の社長とミーティング。ちょうどオフィスに着いたところでビルの前が人だらけ。あーあ、またもアラームだな(苦笑)。クイーンストリート沿いの大きなビルは毎週一回くらいはミスアラームが鳴ってしまい、仕事の途中でもビルの階段で道路まで降りてワーデンが各社の頭数数えて避難終了となる。

 

例えばメールを書いててもお茶を飲んでてもお客と会議していていもお昼ごはん食べててもとにかく追い出される。

 

そしてこちらの人の考え方は「アラームがなればきちんと階段を歩いて降りて外にでる」のが当然であり仕事が忙しいからとオフィスに残るような「不埒な輩」は許されない。全員が一斉に階段で降りて、そのうちの一部はついでにタバコ吸ったり近くのカフェに行ってコーヒー飲んだりするのだ(苦笑)。いやいや決して息抜きではないよ(笑)。

 

ビニール袋を馬鹿高い値段で女性に売りつけているお店や香りの付いた水とかで儲けてる、男性にとって大敵(天敵?)のお店が並ぶビルの入り口あたりに今日ミーティングする社長と取締役が待ってた。にこっと笑って「お茶でもしようか(笑顔)」。

 

道路を挟んだ奥まったお洒落なカフェに行くと広い店内はすでにビジネスマンでほぼ満席状態、皆考えることは同じだ(苦笑)。仕方ないので少し離れたカフェに行きそこで僕は紅茶を注文して(僕は殆どコーヒーを飲まない)さあ仕事の話開始だ。

 

この社長がまず聴いてきたのが日本経済と今後の予測である。何せ彼は日本株も扱っており顧客の預かり資産の運用もあるので情報が命だ。「君の友人のMr安倍首相はどんな感じだい(笑)?第三の矢はまだ放たれてないようだけど」である。

 

「農協改革で岩盤規制が少しづつ動き始めてる、抵抗は大きいが今回の安部首相は本気度が高いよって事、その背景にあるのが去年の総選挙で実質的勝利だ、これから5年間は日本の国体は思いっきり変化する」

 

「但しこの変化は戦後すぐの日本が行った農業改革、銀行の預金封鎖、インフレーションによる政府債務の実質的減少、そして毎年50兆円の赤字国債を発行している原因である社会福祉制度全体の見直し(切り捨て)による政府のプライマリーバランスの黒字化を目指している」

 

「消費税はこれから2020年にかけて更に上がるだろう、20%もあり得る。国民がどれだけ反発しようが自民党が圧倒的多数の議席を国会で保持しており公明党が政権離脱したらその時は維新の党などを一時的に味方に付ければどのような法案でも通る」

 

「これから儲かるのは三菱重工など軍需産業だ。日本は去年の法改正で武器輸出をすることが可能になった。すでに豪州に潜水艦を売る話や英国との武器共同開発が進んでいる。これからは大企業はますます強くなり中小企業はますます先細る。戦前の財閥が完全に復活して日本の支配層とダブって一般庶民にとっては奴隷化が進むことになる。大学を出てもまともな仕事もなくパートタイムの掛け持ちになるだろうな」

 

等など随分生々しい話をすると「やはりそうか」と妙に納得してた。彼は英語ベースで日本の情報を仕入れているのだが英字で配信される記事も元ネタが日経、読売、朝日あたりであれば(既に政府が全マスコミに報道統制を敷いてるので)政府の大本営発表しか知ることはない。しかし現場の嗅覚をもってするとどうも記事は信用ならない。そこで僕のような人間に情報を聴いてくるのだ。

 

今の日本の現実は「富裕層は今すぐパスポートを持って海外に逃げろ!逃げられるうちに」である。これから始まる資産課税はすさまじい勢いでやって来る。政府はすべての資産家の財産を課税して国民すべてを下向きの平等に仕上げる準備が出来た。それが出国税であり銀行預金課税であり相続税増税であり所得税増税である。包囲網は出来上がりつつある。

 

逃げ足の早い人々はすでに海外の永住権を取得して財産も海外に移している。とりあえず出ておけ、それからどうするかは後から考えれば十分間に合う。けど出損なった人々は確実に捕捉される。

 

1時間のカフェミーティングの後にすぐ自分のオフィスに戻り日本人のお客様との約2時間にわたるミーティング。この方は現在もも日本で現役社長である。

 

彼の読みは方向性は僕の観測とほぼ同様であるが更に過激である。現実に日本でビジネスをして輸入原材料が値上がりしており円安のマイナス面を十分に理解しており、それは自社の問題ではなく日本全国が受けている損害であることも理解している。

 

彼の見立ては2020年までに日本政府による包囲網の構築、そして財産税の強化によってすべての国民が一律に下向きの平等、更にハイパーインフレーションによる日本の赤字国債の消滅と、かなり過激である。彼のネタ元は日本の大手銀行のプライベートバンカーでありこれはかなり事実に近い。

 

と、ここまでは経済の話だったが、今日会った二人に共通するのは日本の軍事強化についてあまり興味を持ってない点だった。これがビジネスマンと僕の根本的な違いかな、ぼくは経済よりも今日本が向かっている「普通の軍事国家」の道の方が恐ろしい。

 

経済と軍隊は必ずワンセットでやってくる。まず経済進出を行いその背後に軍隊がある。今回日本が選んだ選択肢は日本国家としての経済立て直しと同時に軍備強化、外国進出である。

 

日本は確実に普通の軍事国家に向けて進み始めた。そして一旦方向性が決まればそこは日本人の勤勉性、あっという間に次々と高性能の兵器を作る。そして作れば使いたくなるのが人の常である。

 

そして最高のタイミングで安倍首相が宣言をした、「外国に行って戦います」と。これは現状では確実にイスラム国を敵に回すことになり日本在住のイスラム宗徒にとって大変な騒ぎであるが日本人にとっても治安の悪化を招くやばい事態になる事は確実だ。

 

午前のミーティングも午後のミーティングも重いものになった。けど常に現実に目を据えておかないと夢物語だけでは生き残れない。

 

そして僕は今日もまた昼飯を食い損なった(苦笑)。



tom_eastwind at 18:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月16日

My word is my Bond

今日はアジアでビジネスを展開している三世代ご家族の視察ツアーでの個人面談だ。三世代移住なので各自のビザをどうするかを考えつつ皆さんの健康状態、希望する生活スタイル、その他必要な事項を聴きこむ。

 

2時間にわたって当社オフィスで聴きこみをしつつ同時にAucklandの住宅、NZの学校、ビザを取得するための投資先、NZの現状などなどを説明した。

 

この説明は実はかなり大事だ。何故なら表面的な現象は視察すれば分かるが、では何故そうなるかとなった場合正確に背景を説明する必要がある。

 

例えば何故NZは景気が良いのか?毎日の生活で物価上昇が年3%以上なのは理解出来るけどその背景は何なのか?マクロ経済とミクロの肌感覚での合理的説明が必要。

 

キーウィが親日なのはわかるけど何故なのか?歴史的背景と現状を含めた説明が必要。

 

何故キーウィは一人でタクシーに乗る時助手席に座るのか?歴史と社会主義の背景説明が必要、等など。

 

日常生活から社会、経済、歴史までを即答するわけで、ここで手元の資料を見ずに正確で最新で目の前の方に理解し易い分かりやすい方法で情報提供が出来なければ僕は失格である。

 

投資家の場合この説明と聴き込みは非常に大事だ。特に第一回目の聴き込みでは当然の事ながら相手からすれば知らない人にあまり実情を話したくないから最低の情報しか出してこない。

 

だからこちらは最低の情報提供の際に出た部分ではなく出てこなかった部分、本来の会話なら出てくるはずの部分に目をつけて頭のなかに付箋を貼っておく。人によっては付箋だらけになる人もいるが(苦笑)。

 

移住とは生活の場を国際的に移動させる家族の引っ越しである。国内引越であれば言葉も通じるし商習慣も法律も同じだからそれほど難しくはない。ところが移住の場合はそうはいかない。

 

まず言葉の意味合いが通じない。どれだけ英語が出来て同じ英語圏と言っても英語の言い回しや意味合いが異なるから会話が成立したようで実は同床異夢だったりする。だって米語と英語の表現が違うところから始まる(車のトランクTrunkは米語、英語ではブーツBoot)のだから。

 

北半球の契約概念とこの国の契約概念の違いなどは全く理解不能である。商習慣の違い、YESNOだったりする場合が普通にある。約束は努力目標くらいに考えている人が多い国では日本のように誰もが正確に仕事をすることで作られた最適化が期待出来ないのだ。すべてに幅を持たせてやらないと仕事が進まない。

 

不動産を購入する時などは特にそうである。移民は確実に足元を見られて高値で掴まされる。相手を信じて署名したらそれで終わりなのだ。え?法治国家じゃないの?

 

ましてや法律の違いなど日本人からは想像もつかないが、例えばこの国では車を買っても保険を買わない人がいる。自賠責が存在せず、更に人を轢いてもその為の対人保険という発想がない。だから交通事故に巻き込まれると大変な騒ぎである。

 

等など、要するに今まで自分が培ってきた常識では対応出来ず、自分でやってしまうと思いっきり無駄な時間と無駄なお金がかかる。この費用と時間が半端でない。

 

何せ自分がやってる手続きが弁護士や会計士に言われた事と合致しているのか、日本で考えていた移住構想と今回のビザが一致しているのか、不明な点ばかりになる。けどそれを弁護士に聴いても弁護士はキーウィであるから日本人が何を不明に思っているのかわからないから答えようがない。つまり試金石がないのだ。

 

そこで我々のような国際引越会社が出てくるわけだ。僕らは毎日「移住」という国際引越をやっている。毎日やってるから手慣れたものであり最新の情報で動けるからお客さまにとっても最も無駄がなく一番安い経費でいける方法を提案出来る。

 

僕らのような移住会社を使わずにすべて自分でやることも「物理的」には可能だが現実的には手間暇時間そして余分にかかる費用は確実に適正費用の30%以上余分にかかっている。つまり150万ドルの投資をして45万ドルの無駄金を使っている計算だ。

 

一般的に投資家ビザの場合は僕らや弁護士への支払い費用は投資初年度の配当とほぼ同額で要するに投資額の5%程度の費用で納まる。ならばリスク回避の為にも5%の費用を保険として考えて支払い初年度の投資利益で賄い無駄な30%の支払いを回避した方が利口である。

 

僕らにとってもこの仕事は遊びではない、毎回詳細まで確認しつつお互いの信頼関係を作り上げる必要がある。だから僕の口から出た言葉は僕の保証付きである。”My word is my Bond”、約束したことは守る。でなければこの市場で仕事するなって事だ。

 

約束した事は守りつつ一つ一つ確実にこなしていく。最低の情報の中では結構大変だがそれでもやるのがぼくらの仕事だ。

 

話は少しそれるが、去年のビザクライシス(苦笑)の時にうちを信じて付いて来た方は皆ビザが取れた。途中で不信感を抱いて離れた方はまだビザが取れてない。約束の重さの認識の違いかな。



tom_eastwind at 18:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月15日

カラーに口紅

今日はお笑い話。前回の日本出張の際に持ってったYシャツの襟が真っ白なんだけど新しいシャツ、つまりカラー(襟)が結構堅くてしっかりしてて、それはそれで良いのだけど日本のおもいっきり乾燥した空気ときついカラーで首の周りが「あかぎれ」してきた。

 

まるでワイヤーで首を締められたような細い線になってしまい、名古屋のホテルで朝身支度をしている時に思わず指で引っ掻いたらちょっと血が出た。あーあ、めんどくせーな、このままにしておくとカラーに紅い血が付いてしまう。仕方ないから旅行用ケースの中に常駐しているバンドエイドを貼り付けていこうと思った。

 

そこでバンドエイドをぺたっと貼り付けた状態でYシャツを着てネクタイしたら、バンドエイドがちょうどカラーの上から半分以上飛び出てくる。

 

鏡を見たらそれがまるで昨日の晩に酔っ払って付けられたキスマークを隠すような位置なので、こりゃまずいなーって悩んだ。そこで思い出したのが表題の歌「カラーに口紅」である。

 

軽快でコミカルで歌詞が結構笑わせてくれて楽しいのですが、いざ自分がこういう場に置かれると、バンドエイドで隠すのか「カラーに血液」となるのか、結構悩んだ朝でした(笑)



tom_eastwind at 18:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年02月14日

Aucklandの住宅不足

NZ大好きより記事

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移民ますます増えて住居不足

 昨年ニュージーランドへ移住した人の数が急増したことに伴い、ますます新し住居が必要となっている。

 2014年において新しく建てられた家やアパートの数は24,500軒で、その前年と比較すると16パーセント増えている。

 ニュージーランド統計局の数値では、移民者は5万人にも昇り、これは最高の記録となった。昨年、全体的な人口は51,000人増えた。

 海外からニュージーランドへ入ってきた人の数は、109,000人でこれも最高記録。逆に海外へ出てしまう人は多くはない。

 ANZのエコノミストは、ニュージーランドへ移住してきた人のほとんどは、オークランドに住む、と語る。

社会   201524

http://www.nzdaisuki.com

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そうなんだよね、とくにAucklandって南北に長いから現在は高級住宅は北へ北へと土地開発が進みデベロッパーは大変な忙しさだ。とくにアルバニーの周辺では昭和40年代の東京のような交通渋滞で、これが自然渋滞だからどうしようもない。

 

なんだかアルバニーあたりに来ると高速道路(無料)が駐車場みたいで、中には助手席から降りて燦燦と輝く太陽の下でタバコ吸ってる人もいるくらいだ(笑)。タバコ一本吸い終わってから100m程先に行った車を追いかけてる(笑笑)。

 

すでにAuckland市役所も道路の拡充やバス専用道路を作っているがさすがにこれだけの人口増加には追いつけていない。これからの人口増加は人口動態によっても確認されておりAucklandが現在の150万人から200万人になるのは近い。

 

住宅価格は毎年平均8%くらい上昇している。定期預金よりも儲かるし売却した際のキャピタルゲイン課税はないので必然的にこの市場にプレイヤーが集まってる。

 

今日は3週間ぶりにAucklandで迎える週末ってことで奥さんと二人ドライブがてら奥さんの好きなワイラウロードのTMARK(台湾系食材店)で中国食材と僕の必要な鰹節とか昆布だしとかを買って次のキーウィ系食材店farro(ここも奥さん大好きなお店)では牛肉とか果物とか買って(farroは気持ちの良い店だ)自宅に帰るともう午後2時だ。

 

土曜日なのでこのままシャワーして奥さんと軽食しつつ自宅の庭の花や木をどう植えるかって話したりしてゆっくりと午後を過ごす。夏空が広がり遠くにはランギトト島が見えて大きく開けた窓から涼しい風が入ってくる。クーラー不要である。

 

この時間が大事なんだよね、ゆっくりとした時間、奥さんとゆっくりいろんな事を話す。

 

日本では旦那の「忙しいんだ!」という一言は会計上は経費と考えれば良い。利益は奥さんとの会話である。つまり利益=奥さんと向き合って話をすることが積み重なれば時には「忙しい」という経費が使える。

 

けど多くの日本人男性は常に「忙しい」とか「会社が」とか「付き合いなんだ」と言って経費ばかり使って肝心の利益を作らないから奥さんにストレスが溜まってしまう。経費ばかり使って利益が出ない家庭はいつか会計上のバランスが崩れ夫婦の関係が冷え上がり夜遅く旦那が自宅に戻ると三行半(みくだりはん)がテーブルに置かれてるってことになる。

 

現金を奥さんに渡していればそれでいいって思ってるのか?ご主人、あなたの目の前にいる女性は銀行か?ATMか?違うでしょ、少なくとも一度は「好き」と宣言した女性でしょ。

 

その女性が欲しいのはお金だけではないのですよ、あなたの「愛してるよ、今日もかわいいね」って一言なのです。この言葉は自分の体から出すので原価ゼロ、それなのに効果バッチリ!こんなうまい商売ないでしょ(笑)!

 

土曜日の午後、セミの鳴き声を聴きつつ涼しい風にあたりつつ奥さんと多愛もない会話をしつつ、けど頭の中では海外相続、特に日本の不動産を相続税ゼロで子供に継承する方法を更に踏み込んで検討中。



tom_eastwind at 16:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月13日

海外相続2015

今回は2週間の旅の間に海外相続に関するいろんな相談を受けた。僕が海外相続の仕事を始めた10年ほど前までは富裕層だけの話だった相続が今は普通の一般家庭にまで広がっているって感じだ。特に今年の相続税増税の影響が大きい。

 

そして相続は金額の多寡ではなく「争続」にまで広がっており親からすれば生きているうちにきっちりとまとめて子供たちが喧嘩にならないようにして置く必要がある。

 

「普通の人々」からすれば思いもよらない事であるが現実問題として出て来てる訳だから対応するしかない。しかしどこに相談すれば良いのか?何を聴けば良いのか?そして何をどう判断すればよいのか?分からないことばかりである。

 

日本から戻るといつもの事であるがスタッフがきれいに拭いてくれてる僕の机の上に日本から送られてきた雑誌、例えば日経ビジネスなどが数冊載っかっている。ペーパーナイフで日経が入った国際封筒を開くと特集で「1000兆円の資産が動く。相続で激震、ニッポン金融」とある。

 

なるほど。相続問題が起こるのは数年前から分かっていた事である。政府の目的は「あなたが死んだらお金は全部政府に渡しなさい、政府がうまく再配分するからね」である。自分の判断で寄付したり子供に残したりなどは許しませんよ、それが政府、財務省の基本的考えである。

 

これはこれで一つの主義主張だ。日本が戦後歩いて来た道は全体社会主義であり、まず国家が父親として国民を正しく善良に管理する事で社会全体をよくしようとする、それなりに悪くない考え方だ。

 

実際に1960年代から1990年代まではそれなりにうまく回っていた。だからこの方法を踏襲する事は何もおかしくはない。ただ今の時代、それを好むかどうかは国民の選択肢である。

 

現在の相続対象となる資産の半分は不動産である。いざ相続が発生したら妻や子供たちは現金で納付出来るのか?もちろん現金がなければ不動産を売却するしかない。

 

政府は日本国民の身体の安全を保障しているのだから親の不動産は安心して売却して子供は住宅供給公社が提供する公団住宅に入居すれば良いと主張出来る。

 

社会保障だって充実している。健康保険、老齢年金、失業保険、生活保護、ほら良く出来てるでしょ。だからその支払い原資としてあなたの(親の)個人資産を政府に差し出しなさいと言ってるだけだ。それも生きてる間に取ろうとしているわけではない、あなたが死ぬまでにこの世の中で使いきったら相続税はかからないし、3千万円+家族枠までは免除しようって言ってるんだから何て大盤振る舞い!

 

などと政府からすれば思うだろうけど、人によっては「ふざけんな!」と思う人もいるだろう。自分でリスクを取って一生懸命頑張って得た収入は自分だけで作ったのではない。家族全員の努力で作ったお金だ。

 

それを何の努力もせずにただ東大を出たってだけの人間が「合法的に」持ってく権利があるのか?怒りを感じる人も多いだろう。第一そのカネの使い方に疑問を持っているわけで、政府は毎年税金を増税するのに何で毎年赤字で国債を数十兆円も発行しているの?これを返すのは僕らの子供世代だよね、それでいいのか?母屋でお粥食ってる最中に離れですき焼き食ってる公務員を信用しろって、そりゃ無理筋だ(苦笑)。

 

特にこれから「資産の殆どは東京都内の不動産だから父親が亡くなれば自宅を売却するしかないよね」という人が増える。

 

子供の頃から住み続けた家を手放すことに疑問を感じる人は当然いるだろう。その時にどうするか?それが海外相続である。すでに早い時期から日本の資産家が自分の財産を海外の資産管理会社に移して一定額を納税して資産を守ったが、これを不動産にそのまま適用すれば良い。つまり海外に作った会社が日本の不動産を購入管理して自分たちはテナントとして住むのだ。

 

幸いな事に日本は法治国家(笑)であるから法律にないことは国民に強制出来ない。2015年度の税制大綱では相続税増税は決定したが相続税の対象となる部分については変化がない。おそらくここも後2年のうちに穴を塞がれるだろうが今ならまだいける。

 

海外相続、本気で考える時期が来ている。



tom_eastwind at 18:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月12日

NZ会社法改正

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NZで会社を設立される場合】 201551日より会社法が改正され、 取締役(ダイレクター)の一人はNZ居住者であることが条件となります。 その為、どなたかNZ居住者の方を、 もう一人のダイレクターとして登録しなければなりません。 NZの不動産管理、日本の不動産を購入し管理することは問題ございません。  下記リンクご参照下さい。 http://www.business.govt.nz/companies/news-updates/news/article-22-august-2014  なお、この改正により、既に設立されている非居住者のみがダイレクターの会社も、 新たにNZ居住者をダイレクターにアポイントするなどを行う必要があります。 (期限は51日から180日以内) 

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NZは元々外国居住者のみで会社を設立することが出来た。しかしリーマン・ショック後にまず金融引き締めが行われその後のG20で犯罪収益移転防止法(AML)、テロ資金供与防止法(CTA)などが導入された。

 

今回はNZにある企業が外国人(非居住者)によってマネーロンダリングに使われないようにするために取締役にNZ居住者を入れろってことになった。NZ国内にいるキーウィからすれば取締役に入るって事は法的責任を負うわけで、例えば外国人がキーウィ取締役に黙って送金してもキーウィ取締役の責任が発生する。

 

一般的なキーウィであれば知らない人に名前を貸すことはあり得ないわけで、これでNZ企業を使ったマネー・ロンダリングやテロリスト資金対策として有効である。勿論万全ではないが、今までよりは良くなったと言える。

 

僕が2000年代初頭にカナダで会社を持っていた時は取締役の半分以上(Majority)がカナディアンであることって決まりがあった。僕はカナディアンではないのでこの時は会社で雇用した社員を取締役に入ってもらい会計事務所の会計士にも入ってもらった。

 

その会社は実質的に彼らが会計から送金からすべて手掛けており僕は年に数回出張ベースで行くだけだったので彼らも不安はない、むしろ僕の方が不安を感じるべきだが(苦笑)全然気にならず小切手発行やサインや入出金はすべてスタッフに任せていた。日本の経営者が聴くとびっくりするだろうな(笑)。

 

でもって本題に戻ると、今日本に居住していてNZに会社を持っている人はたくさんいるはずだ。1980年代あたりからNZに会社を作り会社名義で資産管理をしたりとかである。

 

ただもう、NZでもその方法は今後使えなくなる。なのでNZに居住するか誰かキーウィを一人取締役として入れる必要が出てくる。名義貸しはあまり期待しないほうが良い。この国は緩いように見えてこういう点は厳しい。

 

僕は仕事柄様々なケースを見てきたが例え日本人であっても「知らなかった」では通らない時代になってきている。ほんとにここ数年のNZビジネスの変化は大きい。現場で見ているだけに「うおー!」ってびっくりするケースもある。

 

なので今回の会社法改正、自分に関係があると思ったらNZのしかるべき所、例えば弁護士や会計士に自分の状況がどうなのか、一度聴きこんでおくことをお勧めします。



tom_eastwind at 20:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月11日

街を流れる空気 Auckland到着

月曜日の朝5時起床で東京のホテルを出て火曜日の午前11時にAuckland空港に到着。29時間かけての移動だ。

 

空港はいつものように多くの人でごった返し、一歩空港を出るとどこまでも青く透き通った空気が空を飾り、シティにはビジネスマンがいつものように忙しそうに歩きノースショアの自宅で周辺では2週間前の景色が今日も同じように「そこにある」。

 

何だか自分が2週間この街にいなくてその間福岡に行き東京に滞在し大阪で面談して名古屋で打合せして木曽福島にスキーに行ったりその後また新幹線で東京に戻って翌日個人面談したりした時間がまるで何もなかったようである。ほんとに街の基礎となるところが何も変わらない。

 

ほんとにこの街って流れる時間が違う。これはもう空気の問題であり数値的計算は現在の技術を持ってしてもムリだろうが、間違いなく空気が違う。

 

東京の忙しさは本当に個人に考える時間を与えてくれない。

 

夜まで仕事をするのが当然の街ではちょっと立ち止まって考える時間がない。とにかく常に知恵を絞り時には人を出し抜き誰もが始めないうちに自分が開始するために大変な思いをする。

 

もちろんそれで努力した全員が報われるわけではないから今回負けた人は次回こそと更に努力してそれが結果的にさらなる残業に繋がる。そしてますます立ち止まって考える時間がなくなる。

 

Aucklandでもビジネスは大変だが、昼しか仕事をしないのが当然の街では昼間の時間に飯の時間を削ってでも効率的に昼間で仕事を終わらせようとする。取引先も同様だからお互いに効率を重視してとにかく残業しなくて良いようなビジネス環境を作る。そうやって家庭と個人がビジネスに優先する社会が作られる。

 

夕方5時になれば皆が自宅に戻り、お父さんがキッチンに立つときはお母さんがお皿の後片付け、夕食は子供たちと今日あった事を話しながら今日あった事を振り返る。お父さんは夕食のテーブルで家族と楽しそうに話しながら心だけ立ち止まってゆっくり考える。「今日のあれって何だったんだろう?それって良かったのかな?」

 

人を出し抜くのではなく人のやってないビジネスって何があるかな?常に青い海を見る。他人との価格競争で自分の利益を減らすのではなく誰もやってない事を思いついて実行する。自分の利益は十分に確保する。

 

同じ地球なのに、本当に違う世界だな。

 

真夏のAucklandと言っても朝は17度とか十分に寒い。カーテンを閉めているから目が覚めた瞬間に自分が今東京のホテルにいるのか自宅のベッドにいるのか分からなくなる。

 

変な感じである。毎回感じる、流れる空気の違い。まあいいや、今日からAucklandの仕事再開である。



tom_eastwind at 20:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月10日

機内にて

羽田からシンガポールが約7時間、シンガポールからAucklandが約11時間、乗り継ぎに5時間なので20時間以上が移動時間だ。

 

ただ僕の場合はこれをどうしても長いと感じられない。というのも直行便を使って成田から11時間でAucklandに着いた場合でも、早く着いたからって何か特別にすることあるのか?

 

ぼくは普段はキャセイ航空だが今回は急遽福岡でミーティングが入ったので到着に都合の良い便を探したらシンガポール航空であっただけだ。

 

人によっては「何て遠回り!」と思うだろうが、早く着こうがAucklandに早く戻ろうがやってることは機内でも自宅でも会社でも同じ、ひたすらMacBook Airを立ち上げて仕事をするか本を読むかである。

 

むしろ機内にいる分メールが来ないのでリラックス出来るし本も読めるし食事も楽しめる、何せ食事後にお皿を洗う必要がないのだから(笑)。

 

今回かばんに入れてきた本の一冊が中村天風(随分読み込んで頁の端っこが折り目だらけ)で、内容が数頁ごとにテーマがわかれているので出張中もちょっと時間が出来た時に読むのにちょうど良い。機内の時間を利用して自分なりに整理してちょっとメモ。まさにWEB(ネット上)でLOG(記録)だ。

 

***

人間は生まれながら真理を理解している。ところがそれを世間と言う垢がひっついていつの間にか真理を理解する心が錆びついてしまい真理を失って自分で判断能力を失って周囲に振り回されてしまう。

 

日本ではこれを同化と呼び、同化しないと「空気読めない」となるわけだが、それって世界中がゾンビーになったからお前も噛まれてゾンビーになれって事か(笑)。

 

けれどよく考えて欲しい。人って元々真理を持って生まれているのだ。それを常識と言う名の下に壊しているのが大人だ。常識は決して真実ではない、世の中の8割の人が信じているその日その時の大多数の同意事項であって、普遍的に地球に存在する真理とは全く違う。

 

「常識だから」と押し付けるのがいかに子供を傷つけているか知る必要がある。大人はせっかく本を読む機会があり学ぶ機会があるのだから何が普遍的であるかを考えてみればどうなのだろうか?忙しい事は言い訳にならない、少し立ち止まって考える訓練をしてみよう、そうすれば少しづつ変化出来て真理が見えてくる。

 

人生の真理を知らない生まれっぱなしで年だけ取った人生素人が子供に自分の人生を押し付ける。人生素人の生まれっぱなしは「これのみが正しい!」と信じてるから正義感を持って子供に間違いを押し付ける。

 

例えて言えば今のIS国では自分だけが正しいと信じてテロ行為を行っているわけでテロのちっちゃい版が家庭内暴力であり子供の洗脳である。

 

生命の価値とは、自分に与えられた宿命を乗り越えることだ。乗り越えれば光る。誰にも天命はあり、例えば手足がないこどもは天命であるが、だからと言って自分に与えられた宿命を出来ない言い訳に使うな。

 

天命は神に任せて宿命は自分で神に頼らず立ち向かう。例えば人間は激流を下るエンジンなしの筏のようなものだ。人間はこの世に生まれて川の源流を出発する。筏は川を遡ることは出来ない、つまりいくら振り返っても時を戻すことは出来ない。自分の人生のゴールに向けて源流を出発して海に向かって下るだけだ。

 

けれどその気になれば川の右や左に行くことは出来る。川の流れは天命でも、どう流れていくかの宿命は自分で決めることが出来る。生きているから生きているってのは自分の人生を主体的に決めずにただ流されているだけだ。

 

川の流れが天命ならば宿命を理解しつつ強く生きようではないか。いつかは海に辿り着き天に戻るその日まで。
*** 



tom_eastwind at 14:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月09日

二極化を生きる

5時起床。シンガポール航空とキャセイ航空は羽田発着便が12便ある。彼らは国交省との「お付き合い」なのかまだ成田発着便をかかえているが本音ではすべて羽田に集中させたいのではないか。

 

6時にホテルを出発して空の雲の低さにびっくり。これって昨晩の夢と同じだ。夢の中では空がすんごく低くなってそれを支えてる柱がどんどん低くなってて「うおー、大変だー」って周りで話す声が聴こえてた。

 

羽田空港国際線は使い勝手がよく成田北関東国際空港のように地産地消の野菜直売場もないのですっきりしてて良い。レストラン街はEDO(江戸)をイメージさせた作りで小洒落ている。

 

そう言えば江戸って運河の街でもある。千葉あたりから小舟が野菜積んで江戸屋敷にお届けに上がるのも船、帰りにお屋敷のゴミを引き取って千葉の田舎で捨てるのも船、今の東京からは想像もつかない。

 

偶然だけど随分昔に恵比寿の書店で江戸の古図のコピーを買ってそれを今も会社の壁に貼って観てるのだけど江戸が出来た頃の地図と江戸の終わりの頃の地図があり両方を見比べると江戸時代から東京湾に向かって埋め立てをして土地を広げそのすべての区画に掘割があって運河が形成されていたのがよく分かる。

 

佃島など元々徳川の時代に当時繁盛していた大阪から職人を連れてやって来て名前もない砂州の上に作った島であり職人の住んでいた佃という地名をそのまま持ってきたが現在では佃と言えば東京である。

 

それにしても江戸時代に生きた人々は実に豊かな生活を送っていたな。ウォシュレットもエアコンもなくたって生活の知恵で楽しく生きていた。もちろん個人的には苦労する時もあっただろうがその時には回りが助けてくれた。現代の物質社会とは違った「長屋の心のつながり」があった。皆がそれなりに出来る事を提供して地域の助け合いがあった。

 

江戸時代もある意味一部の武士とそれ以外の人々って二極化していたが人々はそれを受け入れて生活をしていた。安全、治安、安心、食べ物、医療、教育、名前は何でも良い、要するに二極化したって生きていける土壌があった。

 

空港ロビーではテレビニュースで格差とISISの問題についてやってるが、どちらにも共通するのが世の中の二極化である。二極化を悪いと言うならコンピューターをぶっ壊してインターネットを禁止すれば良い。

 

そしたら過去のように無駄なバックオフィスや事務作業や資料整理やコピーお茶くみの仕事が再発する。お茶くみ、あ、これは今も同様だな。どうしてもくせでコピーと来ればお茶くみと答える昭和脳である(苦笑)。

 

けど現実コンピューターとインターネットを今の時代になくす事は不可能であり、言葉を変えて言えば車社会で交通事故死が発生したから自動車を廃止しろって言うようなものだ。時代の進化に合わせて発生した二極化、これを積極的に受け入れる、その覚悟がぼくらには必要なのだ。

 

世の中ってのは想像と創造で進化していくものである。その結果として、例えば工場で機械回していればそのうち油かすが出るように世の中が進化していけば自然と不要なものが出てくる。不要なものがバックオフィスや書類整理である。その仕事がなくなればビジネス社会は自然と変化していく。

 

だから二極化を「悪い事」と捉えずに世の中はそうなっていくのだから自分を変化させようと思う気持ちが大事だ。例えば二極化と言っても農業には山ほど改革の余地があるではないか。

 

何も思いつかないなら農業すれば良い。サラリーマンしようと思うから二極化とか仕事がないって文句言うだけだ、発想変えれば世の中には多くの仕事がある。都会で仕事がないなら田舎に行って農業すれば良い。休耕田を耕して新しい食物を作れば良い、それが創造だ。

 

21世紀になったのに20世紀のようなコピー取りとか茶坊主とか事務仕事をするのが偉いのか?一生懸命勉強して大学に入るがその目的が良い会社に就職すること?時代が違うんじゃねーか?

 

人間に本来与えられた仕事は創造である。この世をどのように良くしていくか、その為に会社が存在する。会社とは個人が出来ないことを集団でつくり上げる創造装置であるべきだ。だから本来会社に入るとはその会社の理念に納得して自分の望む創造を叶える為の行為である。

 

それがいつの間にか手段と目的が逆転して良い会社に入ること=高い給料貰うことが目的になっている。けど人ってカネのために生きているのか?もしそうなったらカネの奴隷になるぞ。カネは手段、それが目的になったら寂しい人生になるぞ。そんな人間をたくさん見てきたからわかるけど、それじゃ人間として本末転倒ではないか。

 

世の中は常に変化する。それが今の自分にとって都合が良いか悪いかだけで変化を判断してはダメだ。変化が世の中に受け入れられるのはそれが世の中に必要だからだ。ならば必要なのは世の中の変化に合わせて自分が変化することである。

 

変化を嫌い消極的な心の持ち方。どうしようもないと諦める心。それが自分を腐らせる。変化を恐れるのではなく、二極化を恐れるのではなく二極化を受け入れて自分がその中でどうやって生きていくかを考えるべきだ。

 

人は想像して創造するために生まれている。この事を愚直に信じることだ。理由などない、生きているとは無条件に自分を信じて出来ると信じて自分に与えられた天命を受け入れてそれを最大限に活かすのだ。何となく生きているから生きているというのは最低の生き方だ。

 

人間は創造する生き物である。だからこそ毎日を積極的に生きる必要がある。だらだらと、生きているから生きている?あなたの無駄に過ごした一日は他の誰かにとってかけがえのない一日なのだ。

 

二極化を否定するのではなくこれを受け入れて自分にとってより良い社会をどう創るか。だらだらでなく生きることに意味を持てば必ずそこに答はある。

 



tom_eastwind at 18:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月08日

名古屋から品川へ。

金曜日のピーカンスキーを楽しみ昼過ぎにガタガタになった膝を抱えて(笑)スキーも終了だ。さあ下界に戻るぞ(笑笑)。

 

皆を載せた車は中津川経由で名古屋に戻る。中津川の川口屋のお菓子が美味しいという事で休憩がてら寄る。干し柿の中に餡を詰めたものが人気。子供の為に一つ買おうと思ったらお客様が「子供に持っていって!」と言って買ってくれた、申し訳ないがありがたく受け取る。

 

このあたりは東京と違う文化がある。本物を本物のまま皆さんに伝えよう、そういう気持ちを感じる。東京のような一発文化、俺だけ儲ければいい文化ではない。

 

賞味期限って何だろうな、赤福事件は多くの人にとって忘れ去られた事件だろうが、マスコミの売上至上主義、下らん売春宿のポン引きのようなネタに振り回されたお菓子屋が今までの顧客至上主義で真面目にやってたことが馬鹿らしくなって商売廃業して日本らしさが失われていくのでは悲しい話である。

 

中津川で美味しい菓子を頂き抹茶を飲み一息ついて名古屋に戻る。

 

夕方の新幹線は混み合ってビジネスパーソンがお弁当広げたりビールの栓をプシュっと抜いたり賑やかである。こりゃ居酒屋新幹線か(苦笑)?

 

ぼくは次の仕事もあるので水だけ飲みつつ周囲の空気を定点観測。うーん、人が変化している。他人の事を考えなくなっている。自分さえ生き残ればよい。けどそれって最終的に自分も潰れるんだよね。

 

品川で降りて荷物を抱えてホテルに向かう。日も暮れて、江戸時代ならその辺のお寺の鐘がゴーン、ゴーンと鳴るのだろうが今の時代は無機質なアナウンスが次の電車の到着時刻を伝えている。

 

サイモンとガーファンクルの歌に”Homeward Bound”がある。旅の終わりにあるのが家だ。

 

さ、下界だ。あと2日、仕事するぞ。



tom_eastwind at 18:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月07日

私をスキーに連れてって VER3

ホテルで美味しい朝食を頂いた。贅沢だな、お金の問題じゃなくて美味しい。野菜の旨さってのが本当に地産地消ってよく分る。

 

820分にホテル出発。「まっさん」を観てからと皆さんの希望(笑)でこんな中途半端な時間になった。それにしても明治の人々の意気込みや高しだ。今回は明治村を回ってきたのでノリタケとか近代日本を作ってきた人々の意気込みが更に強く感じられた。

 

さて今日のスキー場は山に近づくと粉雪が降っていたが滑り始める頃には晴天になり2日続けてのピーカンスキーとなった。

 

大阪田舎者集まり論;

滑っている時も楽しいがもっと楽しいのはお客様とリフトで話すネタである。1980年代、新幹線が出来て以降大阪ではストロー現象が起こり優秀な人材がどんどん東京に吸い上げられたが名古屋では殆ど起こらなかったその理由としておとといの大阪田舎者集まり論を提示するとお客様は名古屋の重鎮として長く名古屋経済を見てきただけに「なるほど!」

 

ピケティ論

ピケティの本が売れているが果たして彼の主張は正解なのか?ぼくは彼の主張は量的判断であり質的判断ではないと提示。とくにピケティの案は人種別発想及び「土地が持つ個性」の違いを要素に入れてないし歴史的数字を見れば正しく見えるかもしれないが「人間が正しい判断をする」事を前提に作っているようだ。人間の不合理さが係数に入ってないと思った。

 

つまりピケティの歴史認識は僕がよくやる「現場での定点観測」が入ってない。「そんなもん今からタイムマシンに乗って1800年代にスリップしろと言うのか?」なんて言われそうだが、いやいやそういう必要はない。その時代の様々なデータ、書物から絵画、宗教、人々の行動様式、範囲、こういった現場を加えていけば答はかなり変わると思う。そこを読み込むのが定点観測だ。

 

さてピケティ。これはまず大前提としてピケティの議論の前に語られるべきだが、共産主義は素晴らしいものだがあれは神様しか実行出来ない思想であり1900年代にあれを人間に当てはめようとしたのが間違いだ。

 

次に、じゃあ今までの資本主義を批判するにしても、ではどのような道があるのかと言えばその解答としてまるで現代日本の社会全体主義が良いと主張しているように見える。

 

であれば彼の主張は明確で社会全体主義は個人が公に尽くす事で全体が良くなりその次に公が個人に施しをすることが出来るって理論だが、これは西洋人には無理。

 

西洋人は元々ルソーの「社会契約論」から始まり都市国家に移り個人の権利を確保するためのイエーリングによる「権利の闘争」へとテーマは移っていった。

 

個がすべての始まりの西洋人に対して公が始まりの日本で成功した方法がそのままで西洋に伝わると考えるのはあまりに人=質を観ていない。

 

ピケティの主張が実証されてない段階で彼の手法を実行すればその社会は確実に30年で崩壊する(と僕は予測する)。

 

もし彼の主張が通れば共産党は崩壊に80年かかったが今回は情報ネットワークの劇的な広がりと国境の低さで多分10年で国家が潰れるだろう。優秀な国民は外国に出て自分に合った国を選び移り住む。

 

残ったのは大学を出たけど世界で通用しないレベルの若者がサービス産業、それも機械に置き換えられない現場作業をすることになり、それはホテル、レストラン、介護、コンビニレジ、トラックから下ろした商品を店に並べる仕事等に限定されるだろう。

 

中部州設立

名古屋から岐阜と長野、南に行けば三重、東に行けば静岡と中部経済圏は広い。そして実にしっかりした製造業が根付いている。三菱リアジェットなど好例である。であればここを独立した州として独自運営をしていけば東京コントロールよりも余程地域に密着したサービスが出来る。

 

日本政府官僚は自分たちの権利を一手に掌握したいから中央集権にして全国一律の法律にしたが現在はそれが地方にとっての手枷になっている。

 

ならば中部には力があるし道州制を主張する人々のように中部州、関西州、関東州、九州、などと文化や物理的に近い大きなくくりをすればよいではないか。

 

その際に大事なのがスマートシティであり州全体を大きく住居地域、週末余暇地域、労働地域、老人+子供たちの教育を含めたデイケア地域など効率的に仕切り直せば良い。

 

例えば中部州では工業は三重、名古屋、静岡と太平洋側が物資の集積と組み立て付加価値を作る、岐阜や長野の一部が精密機械、今いる木曽福島などの地域が余暇地域として週末を過ごせるようにする。

 

そんなことを次々とテーマを変えつつリフトの上で限られた時間で話すわけだが、これは話がだらだらにならなくてよい。だってリフトは5分で山頂に到着する。だから5分以内にまとめられるテーマをお互いに持ち出す。そしてリフトを降りる頃に議論を終わらせるように理論を組み立てる。

 

まさかマイナス8度の山の頂上でいつまで経ってもピケティ論やってたら凍死するぞ(笑)



tom_eastwind at 16:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月06日

私をスキーに連れてって VER 2

今回泊まったホテルはこれで3回めだが、このホテルは雪が降る山の中だから野沢菜とかが美味しい地方で、土の下で冬を過ごした野菜が実に美味しい。更に飛騨牛を使った夕食も美味しい。朝食もお米がつやつやしていて地元の様々な漬物が素晴らしい。もちろんそれ以外の料理も実に美味しい。

 

要するに3日間朝晩の食事に全く飽きが来ないのだ。少食の僕にはきつい量だがそれでも今回はスキーが目的なのでしっかり朝ご飯食ってスキーして冷えた体を風呂で温めてから皆で夕食を楽しむ。

 

お客様からすれば僕がこれほどたくさん食べるのを見るのは多分初めてだろう。1年前から糖質制限を始めて最初のスキーツアーであり、明治村で食った炭火すき焼き、ホテル初日の豚肉しゃぶしゃぶ、がんがんと肉を食った。

 

かと言って糖質制限信者と思われるのも嫌だし実際違うので今回はご飯もお椀に半分とか十割そばを食べた。おかげで2kg肥った・・・。糖質がお腹ポッコリの原因の人体実験やってるようなものか(苦笑)。

 

けどまあいいや、元々のぼくの身長は165cmで最適体重は60kgであり58kgは体が軽くなって良いけど60kgでも全然問題ない。58kgがサービニヨンブランクとすれば60kgはシャルドネだ(よく分からん例え?笑)。

 

このホテルは洋風に見えるがサービスは民宿風のような和風サービスである。家族ビジネスのようでプロとしてのホテル業ではないが地元の常連である旦那衆向けの料理旅館、つまりオーベルジュと考えれば納得出来るサービスだ。

 

ここが元オーベルジュであることが確認出来たのは、2日目の晩は大食堂が中学校の修学旅行生の鍋料理で煩いからと奥にある和風の畳宴会場を用意してもらった時だ。5人に対して24畳の宴会場は広いが小上がりから宴会場の中に入った瞬間、ものすごい既視現象を感じた。

 

「あれー?ここって昔の温泉付き高級料理旅館ではないか!」1970年代から旅行業で働いている僕からすれば、九州で言えば霧島温泉、雲仙温泉、別府温泉などのちっちゃいけどお洒落で小粋な旅館を想起させたのだ。

 

まず畳が一定の場所だけぼこぼこしている。これは入り口から真っ直ぐ二列に並んでおり旦那衆がいつも座って大きな体を揺さぶりつつ大騒ぎしていた時代の名残だろう。その後旦那衆はいなくなり畳の修理をするにもカネはかかるが客はない、今更新しくしてもねー、じゃあそのままにしておこうって雰囲気だ。

 

天井のランプの色は白色蛍光灯ではなく怪しげなオレンジ色、鴨居には派手な彫り物の七福神が入り口からこっちをじっと見下ろしており、カラオケもマイクもなかった時代から続いている事がよく分かる。

 

特に面白いのが料理を運ぶ膳部が宴会場の入り口ではなく隠し扉みたいなところからすすって開いて料理が出て来て膳部が並ぶことだ。

 

こりゃすんげええ、もしかして俺って今、歴史観てる?そう思った瞬間にぼやっと薄暗い宴会場でバブル前の時代から木曽のヒノキで儲けた旦那衆が芸者抱えてちんとんしゃんとやってた光景が目に浮かんできた。

 

オーベルジュなんて名前がなかった時代からオーベルジュをやってた旅館だ。すんげーな。

 

「まだ50年ですよ、この宴会場は元々新館で今お客様が泊まってる場所に木造本館があったんですよ。その木造本館を壊して今の洋風にしたんですけど、まだたった50年ですよ」

 

岐阜や長野やこのあたりのオーナーはこの古びた新館の50年が「まだまだ」なのだ。白馬あたりに行くと100年前に移住して来た人は「新米」であり、地元って呼ばれたいなら300年住みな、みたいなところがる。歴史の長さを感じさせる地域である。

 

ほんとに岐阜とか長野とかの雪深い地域では都会と繋がる道が発達しておらず村社会が普通の人々の生活の範囲であり、おそらく村の人々の5割以上は村の半径5km以外に出たこともないまま生まれて死んで行ったのではないか。

 

人口の流動性が殆どなかった時代から続く人間関係は深く強くどろどろとしてそれが山の中で完結して一つの村社会を構築している。

 

東京は日本の真ん中であり一極集中であるがこの木曽福島はその正反対の極地にいる。スマートシティがこの村にどのような影響を与えるのか?ここも定点観測の場所になっている。将来の日本、未来の日本、そしてあなたにとっての日本。

 

雪深い山の中でしんしんと降る雪を眺めつついろんなことを考えてみた夜でした。



tom_eastwind at 21:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月05日

スピードとバランス

名古屋で仕事を終わらせて一泊して翌朝、約3時間のドライブで木曽福島に向かう。お客様と毎年恒例のスキーツアーである。もう5年目くらいか。ニュージーランドから日本に出張するのにスキーブーツを持っていく人は少ないだろう(苦笑)。

 

毎回木曽福島に向かう途中で名古屋の観光地をご案内して頂くのだが、これが緊張!何せお客様の知識の豊富さは半端ではない。徳川美術館、名古屋城、犬山城、そして今回の明治村とノリタケ。

 

何とかついていくのが必死で自分の知識不足を毎回痛いように感じるが仕方ない、頭悪いのだから(苦笑)。それでもお客様はちゃんと教えてくれるのだから有難い。人生いくつになっても学ぶことが多い。

 

その後19号線を木曽福島に向かうのだが途中の馬込、妻籠も素晴らしい観光地である。名古屋周辺には見るものが多いのだが、アジア人観光客の取り入れは他の街に比べるとまだまだかな、思いっきり発展の余地ありだ。

 

あ、ちなみにノリタケだけは明治からニューヨークに出店したのでノリタケ美術館のパンフレットは英語中国語広東語韓国語と並んでいる。

 

今日は朝7時に朝食、その後木曽福島スキー場に向かう。雪模様との天気予報で9時前に到着した時は少しどよんとしてた空もリフトに乗って一本目を滑降する頃には青空が広がってきた!

 

御岳を正面に眺めつつ平日の午前中で人は少なく、何よりもこのスキー場はスキーヤーオンリー。広々としたゲレンデは適度にしまった雪で大回り小回り、どっちも楽しめる。

 

ぼくの場合スキーは決して上手ではない。ただあまりこけずに下まで行けるだけだ。スキーも英語も全く学校なしで独学なので、英語なんて文法は超でたらめだしスキーを始めた頃は上体を振り回して板を回していた。

 

でもってスキー。青空で人がいなくて雪質が適度にしまっててとなれば後は一切の休憩なしで立て続けにノンストップスキーである。リフトを2本乗り継いで降りたら、そこから一気に駆け下りる。これは気持ち良い。

 

何がいいかって僕が仕事を忘れられるのはスキーで斜面を駆け下ってる時だけだ。そりゃそうだ、滑りつつ「あ、あの件どうなった?」なんて考えると確実にコケるぞ(笑)。

 

1130分から1時間程度の昼飯、その後14時まで滑りまくる。結構きつい斜面を突っ込んでいくとスピード制御の為にずらすスキーで行くと板が「ばばばばばばば!」と叩き始めて太ももの筋肉をぐわーっと使うことになる。かと言って切るスキーにするとスピードが出てしまう。

 

けど途中から筋肉痛くなり「もーいいや!」と開き直って内側エッジを使って切るスキーに切る変えると速度は上がる、怖い怖い(笑)!

 

さすがに足がきついなーと思った頃に雪がちらつき始める。午後2時だ。よっしゃ、明日も忙しいんだから今日はここまでって事で皆であがる。皆さん怪我なくホテルに戻り一番の楽しみのお風呂である(笑)。

 

その頃には外は本格的に雪が降り始め日本らしく上から下に真っ直ぐ降っている牡丹雪。木曽川沿いの雪景色、何か日本の原風景を感じた。

 

今日はとにかく仕事を忘れてお客様とスキーを楽しむ、昼休みにメール5本ほどと電話3本程処理した以外は(苦笑)。だって下界は平日ですからねー。

 

さあ、明日は朝から滑って午後名古屋に戻り新幹線で東京に移動。夜は一件予定があるし土曜日は朝から4件アポイントがあるのでスキーで怪我してる暇はない(笑)。

 

飛ばさなければスキーではないし怪我をしたらスキーが出来ない。そこでスピードとバランスが大事になる。これってまさに仕事と同じだなって思いつつ宿の美味しい食事を頂く。



tom_eastwind at 23:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年02月04日

名古屋、大阪

大阪で朝を迎えてコンビニで買った豚汁を部屋で食べて(飲んで)今日も開始だ。

 

豚汁は良い。レトルトとは言えど適度に野菜も肉もあるし味噌が体を温めてくれる。ホテルのレストランでも飯を食えるのだけど、その為に髭そって顔洗って着替えて、などと考えると部屋食(豚汁)の方が気軽だ(苦笑)。

 

なので豚汁食って洗面してスーツに着替えてネクタイして見かけはえらそうなサラリーマンの格好になると、おお、それなりに馬子にも衣装ではないか(苦笑)。

 

などと思いつつ大阪から名古屋に移動、午後定宿のホテルでお客様と面談する。

 

大阪から名古屋に来るとたった1時間なのに街の雰囲気が変わる。何よりまず新大阪駅のエスカレーターでは右に立ったが名古屋では左に立つ。

 

大阪のホテルでは東京の人間はあまり歓迎されないのか、何をするにしてもNOから入る。Yシャツをクリーニングに出そうと思い机を開けると「予約なしでYシャツをクリーニングに出しても受け付けません。必ず事前に電話してください」??

 

他にもいくつか対応不明な点があり、いつもの如くハテナマークが飛び回りつつ名古屋に入るとこっちのホテルの対応は全然違う。ごく普通に対応してくれるのだ。

 

名古屋は世界中からビジネス客が来る。特に名古屋の定宿はトヨタ詣での外人が世界中から集まっており、レストランではあちこちの外人グループがワイワイと飯を食っておりバーに行けばこそこそヒソヒソと外人同士が情報交換していたりするので、ホテルに要求されるのは世界標準である。

 

なのでホテルのサービスは世界中のホテルで外国人が普通に納得出来るサービスでありホテル側の事情を押し付けるような雰囲気はない。てか、そんな事やったらクレームになる。

 

大阪にあって名古屋になかったもの。恵方巻き。これ、セブン-イレブンの戦略に見事日本中が引っ掛けられたのだけど、恵方巻きって元々関西であるから名古屋にはなかった。

 

大阪になくて名古屋にあるもの。味噌カツ、味噌煮込みうどんetc(笑)。

 

日本は決して広い国ではない。そこに12千万人が住んでいる。ほんとに細分化された文化がそれぞれの街にある。この仕事をしているといろんな街を回るのでほんとによく分かる。

 

大阪は江戸時代から商人の街であり明治から昭和初期にかけては東洋のマンチェスターと呼ばれるほど工業も発展した。

 

しかし昭和後期、新幹線が走るようになり東京霞ヶ関の戦略に大阪が見事引っかかり1980年代にストロー現象で多くの大阪人が東京に行った。BOROの「大阪で生まれた女」のフルバージョンが当時の雰囲気をよく表している。

 

しかしその時も名古屋の人は大阪ほどには動かなかった。名古屋は実家から通う若者が多いのもよく知られた話だ。

 

つまり大阪とは商業と工業で西日本を中心とした田舎の若者を吸収した「田舎者の集まり」であり人口は増えたものの横のつながりは名古屋ほどに強くはなく、東京の方が景気いいじゃんとなれば大阪を離れて東京に行く。

 

新幹線が出来れば大阪日帰りが可能であり、今までは大阪が本社だった企業が日本政府とのパイプを強くするために東京本社を作った。そのうち本社が二つは非効率となり東京に判断機能を集中させて大阪は連絡事務所になった。そうなると優秀な人間は本社で働きたいので当然東京に行く。

 

しかし名古屋は元々が地元の人間であり合理的にものを考える。名古屋には仕事もたくさんある。だったら家賃を考えれば実家から通えばいいじゃんって話になる。

 

現在リニア計画が進んでいる。じゃあこれでリニアが走り始めれば名古屋の人が東京に行くか?あまり考えられない、だって新幹線が出来ても東京に行かないのだから。

 

仕事は東京に取られるか?今でさえ東京から名古屋は新幹線で1時間30分。取られるものはすでに取られているわけでリニアが出来ても何か新たに取られるものはない。そして名古屋には戦前から工業地帯があり世界でもトップクラスの技術を持っている。

 

こうなると10年単位の長期でみれば日本の2大都市が東京−大阪ではなく東京−名古屋が2大都市になる可能性が非常に高い。



tom_eastwind at 21:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月03日

殉死

日本人人質殺害事件の扱いがいつの間にか自己責任論から「海外の法人保護」そして「殉国の死」となっている雰囲気がある。明治の昔、天皇の崩御に殉死した乃木大将がいたが彼は新聞でも軍神として取り扱われて軍人の鏡!みたいな話になったが、現実の軍人としての戦闘能力は高いものではなかった。

 

今朝の人質殺害事件ニュースを横目で見ながら「何だか戦前の、メディアがいつの間にか参戦の空気を作ってしまう状況」を感じた。

 

「ジャーナリストが現場に行かなければその状況は日本にいる日本人には理解できないではないか、彼らは崇高な使命を持って現地に赴いているのだ、ジャーナリストは現地の悲惨な様子と現地の罪のない子供たちを助けるために活動をしており、日本のために戦っているのだー!」

 

いやまあ、そりゃいいんだけどまず第一に彼らのようなフリーランスを使い捨てにしている日本のキー局は自己責任はないのか?自分たちの記者は送り込まず死んでもいいフリーランスを送り込み安い金で使い、死んでしまえばまた「殉国の徒」としてネタにするその姿勢は良いのか?

 

東京の安全なスタジオでぬくぬくと座り込んで偉そうなことばかり言ってるのが、まさに今の日本のメディアであり、そしてそのメディアの「殉死」を聴いて喜ぶ視聴者レベルをよく表している。

 

しかし問題はそこではない。昨日も書いたように明治時代の日本は国防という名前の元に日本を守るために軍隊を作った。一度作られた軍隊は日本人の習性として磨き上げられていき戦いに勝つのだが、苦しい時代を知っている老兵が去ってしまうと残るのは戦を知らず過去の戦歴だけを誇る青年将校たちとなる。

 

これが危ない。日本が戦後の驚異的な発展を遂げたのも戦争で負けた岸元首相のような敗戦組が世界に十分に注意しつつ日本を引っ張っていったからだ。その時も国防については米国に委任することで自らが戦争の主体となることなく全方位外交を敷いて中東でも良い関係を築き上げた。

 

ところが失敗を知らない青年将校とバカメディアが組んで人質を殺したイスラム過激派をネタにして自衛隊海外派兵の雰囲気を作り上げ、イスラム過激派に殺された日本人を殉死扱いにして「だからこそ海外派兵」という話になっていくと怖い。

 

先日も書いたが積極的平和活動とか防衛と侵略ってのは紙一重である。誰も1939年当時、日本と米国が破滅的な戦争をするとは思ってなかった。

 

日本人人質を殉死にしてはならない。それを口実に事件がエスカレートするからだ。

 

おそらくだが今回のISIS、イスラム過激派は潰されるだろう。何故なら戦略がないからだ。しかし問題は前回のアルカイーダ、今回のISIS、どこを潰してもまた過激派が出てくる。何故なら根本的な問題は欧米の侵略にあるからだ。

 

日本はあくまでも有志連合ではなく国連主導でいくべきだ。そして出来る限り欧米と距離を置いた外交を継続すべきだ。殉死の空気を作ってしまえば次には必ず侵略になる。

 



tom_eastwind at 21:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月02日

東京から大阪へ

昨日は東京でビジネスマンとの個人面談。ほんとに移住って十人十色、皆その目的や手法が違う。誰もが自分の価値観を持っているからどうやってその価値観に合った移住の手段を作り上げるか?

 

お客様と話をしながらゆっくりと情報をお伺いしつつ、どこはOKでどこがダメかを推測して少しずつ個人の価値観の中身を確認しつつどんな提案が出来るかを考える。

 

ぼくの頭のなかの引き出しを検索してあっちの引き出しとこっちの引き出しをくっつけてお客様の価値観に合った道筋と工程表をご案内する。この引き出し作業はタリフもマニュアルも手引も存在しない、最後は想像力である。

 

1時間30分の第一回面談は終了。ビザ取得に必要な点数はまずはご自分で計算して頂きその上でこちらから見た点数と比較して最終的に申請に必要な点数にもっていく。

 

この点数計算ってのは正解のない計算である。いくつもの項目がありそれぞれに点数がありどこに重点的に点数をとってどこで点数を捨てるかという、まるで日本の受験対策のようなところがあるけど唯一違うのは唯一の正解がないって事だ。逆に言えばいくらでも答を作ってよい、だってその人の人生なんだから。

 

ただその計算方法が移民法的に正しいのかどうか、これはお客様には判断出来ない。そこでうちが弁護士と組んで再計算をしていけるかどうかを判断する。さあ、このお客様は一年後のビザ取得を視野に入れて来週から工程表作りだ。

 

その後東京で仕事を終わらせて夕方の新幹線で大阪に向かう。品川から新大阪まではのぞみで約2時間30分。

 

この間今回の日本出張で相当に難しい案件を頂いているので全体の絵図を広げてみて、曲げたりひねったりひっくり返したりするが、あまりに検討要素が多すぎてなかなかまとまらない。

 

そんな事をしてたら2時間30分はあっという間に過ぎてしまい日の暮れた新大阪駅に到着。いつもの如く昭和のような駅で昭和のような運転手さんが昭和のようなタクシーで梅田の定宿ホテルまでぼくを運んでくれる。

 

ホテルに着いたらもう8時で、外で飯を食う気にもなれず館内のレストランで和食をと思って、お、天ぷらがあるなって聴くと「マンセキ」。寿司しかない。

 

いや、寿司カウンターでもいいんだけど糖質制限でコメを殆ど食わないのでお店に悪いな、じゃおつまみでいこかと思いつつも、寿司屋の大将ってのは頑固な人が多く「コメを食わんなら寿司屋に来るな!」と、まるで「ハゲは散髪屋に来るな!」的な気持ちを持たれると嫌だなーって悩みつつ、けど何か食わなくちゃ死ぬわけでとにかくカウンターに座る。

 

冬なので河豚の白子とかお刺身を切ってもらい美味しく頂く。けどやっぱり大将が両手をがっしりと広げてネタ箱の上に乗せてこっちをぐっと睨んで「コメ、食わんのか?」という顔をしている。

 

困るなー、あなたの価値観を押し付けられてもと思いつつ、けどぼくの間違いでもある。ある意味ココイチカレーでライス抜きのカレーを注文するようなもんだから、相手からしたら異星人を相手にしているようなものだ(実際そうなのだが)。

 

大阪の夜は景色も良く部屋で仕事をしながらBGMBOROの「大阪で生まれた女」フルバージョン23分。さあ、明日は朝イチから仕事だ。



tom_eastwind at 21:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2015年02月01日

国際協力と言う名のいつか来た道

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首相「痛恨の極み、テロリスト許さない」

2015/2/1 6:52

 安倍晋三首相は1日朝、中東の過激派「イスラム国」を名乗る組織が後藤健二さんを殺害したとみられる画像をインターネットに配信したことに関し「ご家族のご心痛を思うと言葉もない。政府として全力を挙げてきたが、誠に痛恨の極みだ」と語った。そのうえで「非道、卑劣きわまりないテロ行為に強い憤りを覚える。テロリストたちを決して許さない」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

 首相は「罪を償わせるために国際社会と連携していく。食糧支援や医療支援といった人道支援を拡充していく。テロと戦う国際社会で日本として責任を毅然として果たしていく」と強調。日本人2人の殺害を受け「今後とも日本人の安全(確保)に万全を期していきたい」とも語った。

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そっか、日本政府はこっちから来たか・・・。

 

イスラム問題については近代における元凶は英国である。19世紀から20世紀にかけて中東に侵略して勝手にフランスと秘密協定を結び(サイクス・ピコ協定)イスラエルを誕生させた。その後撤退する際には宗教と民族でぶつかり合うように勝手に国境線を作って後日戦争になるネタを仕掛けた。

 

現代においては米国である。中東で石油が取れると分かって20世紀の米国は宗教的対立を煽り民族対立を作り出しそこにある地域の安定を次々と崩壊させてきた。イラク戦争など元々フセインは米国寄りの政権であったのが米国がフセインを煽ってわざとっクエートに侵略させて反撃という名目でイラクに侵略した。

 

だから先に手を出したのが英米欧州でありその反撃として一部のイスラムが過激化したわけであるから順番から言えば英米欧州が悪いわけだ。

 

過激派が今回の事件の直接的責任を負うのは当然であるがその遠因を考えればどう考えてもキリスト教の十字軍から始まるイスラムへの過激的攻撃である。

 

日本は戦後長い間中東と良い関係を築いてきた。石油外交を行い中東諸国からしても「お、こいつは欧米とは違うぞ」と理解してくれていた。

 

しかし日本が「積極的に」英米に追従するとなれば過激派からすれば日本も敵である。今回の安倍首相の中東地域訪問に合わせて日本人二人を公開処刑したのは戦争開始宣言であり、今後は日本国内でテロが起こる可能性が一気に高まった。

 

過激派からすればハード・ターゲットである英米でテロを起こすよりも治安体制のゆるい日本=ソフト・ターゲットを攻撃する方が簡単である。

 

今回の日本人殺害に関しては過去の日揮事件もあったわけで海外の紛争地で活動するからには一定の覚悟、自己責任が必要である事は当然だ。もちろん政府としても何らかの行動を起こすことは必要だが、どこまで踏み込むかはあくまでもケースバイケースだ。

 

国民の生命と財産を守るのは国家の義務であることは間違いないが、同時に国民は国家の公益の為に行動する義務がある。それがどこまでか、これもケースバイケースである。常に正解という方程式がないことが今回の問題の根源にある。

 

人質事件は様々な意見があるだろうが少なくとも今回のケースでは身代金を渡しての解決をしてしまえばこれからも事件は続く。二人目の被害者を出さない為にも、日本人を誘拐しても意味はないって事を教える必要がある。人質も形は違うけどこうなったら国家の公益のために命を危険に晒すことは覚悟してもらうしかない。

 

国民と国家の関係は一種の助け合いである。国家と言っても国民があってこその存在であるが同時に国民も国家を守るために時には個人の命を投げ出す必要がある。誰も国民が個人の権利ばかり主張しても国家は維持出来ない。

 

人質事件はほんとにケースバイケースである。勿論これが例えばフランスやドイツの観光旅行に行った日本人ツアー20名がフランス人過激派にツアーごと誘拐されてISの人質になったらどうする?身代金交渉となったらどうする?外国、例えば米国海兵隊に依頼して救助突撃をしてもらうか?それともお金を払うか?

 

これはほんとにその場その場の状況で判断するしかない。しかし最終的には日本自衛隊が海外派兵して日本人の救出をすることになるだろう。自衛、防衛という意味でも結局海外に派兵していくしかないと思う。

 

例えば現在のニュージーランド軍は国連主導で東ティモール、アフガニスタン等に派兵しているがもし必要であれば宗主国である英国特殊部隊と共同で救出作戦を実行するだろう。

 

ただ今日の本ネタであるが冒頭の安倍首相が主張する積極的平和→海外派兵がこのままでは方向性がずれていく、それを何となく感じたので今日のブログを書いている。安倍首相が今回の件を使って海外派兵を狙っているのは分る。今は国家として防衛をする所までであるから良い。

 

積極的平和、それは良い。しかし一旦日本が軍備を持ち海外派兵を始めて一旦成功すると日本人の悪い癖ですぐに調子をぶっこいて防衛出動のはずがあっという間に正義や大義の名のものに侵略戦争を始める可能性が高い。

 

日本人は周りの空気に同調する。いつの間にか国民の中に正義や大義の風潮が出来上がり、個人的におかしいと思ってもいつの間にか反対出来なくなってくる。これこそが1945年に日本を焦土にした一番の原因である。

 

明治時代が始まり日本が軍備の近代化を図り実際に近代化してみると周囲には眠れる獅子である中国や伝統的に不凍港を求めるロシアの南下政策に対応する必要が出て来た。

 

当時の朝鮮半島は中国の領土のようなものであったから中国軍が釜山まで降りてくればすぐ日本に上陸される。なので日本としては朝鮮半島を押さえておく必要が出て来た。日清の間で朝鮮を舞台に何度も衝突が起こり最終的に日清戦争に繋がった。

 

日清戦争の発端は中国の朝鮮進出に対する「日本人保護や日本領事館防衛」であり、今日谷垣さんが発表した声明文「海外における邦人の保護等々、日本の権益をしっかり守らなければいけませんし、国内においても水際対策や警戒というものをきっちりやっていかなければならない」(自民党 谷垣禎一幹事長)と全く同様である。

 

この戦争では中国を破ったがその後のロシア主導による三国干渉で遼東半島は中国に残った(後日この地域はロシア支配下になる)。

 

ロシアの南下政策を防ぐ、つまり防衛する為に起こした戦争が日露戦争である。この戦争ではかろうじて敵失で勝利を得たがロシアの恐怖を肌で感じた日本は当時誰も主のいないような状態の中国北東部に満州国を設立してロシアに対する巨大な壁とした。

 

ここまでは防衛戦争であり日本国を守るための戦いと分る。だからこそ軍部の要求が常に優先された。

 

しかしこのあたりから調子をぶっこき始めた戦争の怖さを知らない青年将校たちが先輩のやった事の表面だけを見て「俺らもやらねば!」と中国大陸に意味のない進出を開始した。これこそが侵略戦争の始まりだった。

 

「海外における邦人の保護等々、日本の権益をしっかり守らなければいけませんし、国内においても水際対策や警戒というものをきっちりやっていかなければならない」(自民党 谷垣禎一幹事長)というのが常にどこかで一線を越えてしまい本格的戦争が始まるのだ。これは歴史の偶然ではなく歴史は繰り返す、なのだ。

 

防衛は必要だが侵略はよくないなんて単純な線引は出来ない。何が防衛でどこから侵略なのか?今回のテロで日本が目標にされて日本人も真剣に世界の一員として責任を持ちつつ同時に安倍政権の動きに対して細かく見ていく必要が出て来た。



tom_eastwind at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌