2016年02月

2016年02月29日

電波停止発言に驚きと怒り?

何を今更民放のキャスター達が騒いでいるのか?政府が報道を制限する最終的な根拠は免許停止である。こんなの日本政府の既定路線でありキャスターが騒いだって何も変わらない。

 

電波法が存在して政府が電波を停止出来ることは事実なのだしそんなの民放で働いてたら周知の事実でしょ。驚きと怒りを感じるキャスターに「お前らガス抜きか?」と問いたくなる。

 

戦前の日本政府もまず最初に新聞を抑えこんだ。そしてバカ朝日などが政府万歳提灯記事を書くようになり戦争を煽った。

 

大体において電波は公共の財産である。それを各民放はただのような値段で借り受けて多くの負担を携帯電話利用者に押し付けている。

 

そこは口を拭って自分の都合の良いとこ取りだけして都合の悪いとこは「言論の自由である、反対である!」などと言っても、それはコンビニで万引きしたアンパンを片手で食いながら反対の手で「万引き防止!」とプラカードを出すようなものだ。

 

マスコミは高い給料もらって立派な名刺を持ってても、やってることは政府の御用聞きであることを自覚したほうが良い。



tom_eastwind at 09:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月28日

G20

今年もG20がやって来た。

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【上海=石川潤、大越匡洋】市場の安定に向けて20カ国・地域(G20)に打つ手はあるのか――。世界の金融市場の参加者が厳しい視線を送るなか、市場波乱の震源地である中国・上海で26日夜、G20財務相・中央銀行総裁会議の幕が開いた。中国経済の減速や原油安などのリスクが重なり、世界経済は失速しかねない状況にある。問われているのは財政出動や構造改革などの大胆な政策協調だ。

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G20はISなどテロリスト対策として国境を越えた資金移動について協力して調査をしているが本音では自国民が国外に置いてある資金に課税して自国の税収としたいだけだ。

 

G20は世界の金融を国境をまたいで情報交換を行いそれぞれが税金を取れるようにする。これが特にここ5年で一気に国際ルール化が進み、例えば中国とNZなどはNZに逃げた中国政府高官の隠匿資産を補足してその身柄は中国へ戻して資産はNZと中国で半分こにするなどの「にぎり」が出ている。

 

日本だってすでに五菱会事件ではスイスに逃げた資金をスイス当局と山分けした実績がある。どこだって税金が欲しいのだ。

 

そりゃスターバックスあたりがやってる国際的節税は合法だがどこの国だって分前は欲しい。そこで各国が協力して世界的企業に課税根拠を付けるわけだ。

 

しかしこれは僕の推測だが各国政府の結束は3年程度で崩れ始める。何故ならどこの国も自分の取り分を増やしたいのだから、例えば中国のカネがニュージーランドにあればNZで全額課税すれば良い、何も中国と半分こする必要はない。

 

そうなればNZの税務当局は中国への情報提供を控えた上でNZに住む該当中国人に面談して「お前さ、どーするよ?カネ全部奪われて中国に送還されるか?それともNZで納税して残ったカネはNZで消費してくれるか?」みたいな「相談」が行われるだろう。

 

勿論こんなのは100億円単位の資産家の話であるから普通の人にはG20が何だか世界の閣僚が集まって立派なことを話しているんだろうなと思うだろうが、そんなことはない人間の営みはどの階層であっても同様なのだ。

 

そう言えば最近の海外送金の規制強化。学生の生活資金の送金さえ出来ない案件が発生した。

 

「送金が必要であれば財務省の許可を取って来て下さい」。親が子供の生活費を送金するのに財務省に許可??一体どんな国だって話だがそれが現場で起きている現実だ。



tom_eastwind at 17:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月27日

甘いもの

今日のTV2で脂肪吸引手術をやってた。実に気持ち悪い。歩くと上半身の脂肪が波打ち下半身は逆三角形のデブデブの白人の体から生白い脂肪が抜き出されてくるのだけど、こんな手術する前に個人でやれることあるだろって思う。

 

今の社会ではほんの一部の世界的大企業が世界中の人民を相手に動物農場をやっているのが現実である。けれど賢い大企業は動物相手に「お前は動物、餌を食わせて太らせて俺が儲けるのさ」とは絶対に言わない。

 

大企業が甘いもの、美味しい物を美味しそうに見せてお馬鹿大衆の欲望を狩り立たせて飲ませ食わせ欲望を満たさせ太らせて彼らの持つお金を奪っていく。

 

まず子供の頃から甘いモノを食わせて太らせる。儲かるのは米国の小麦を作ってる会社だ。カーギルが中心となっている。果物関連であればドールであろう。

 

ドールは20世紀後半は南米で国家転覆をさせてでもドール農場を作り上げた、搾取と言う基本方針で。奴隷制度とどう違うのかって話だ。

 

コカ・コーラはとにかく調子の良い事を言って子供にコーラを勧める。子供は訳も分からず甘いからってんでがぶ飲み。NZでは1リットルペットボトルを抱えた若者がお腹をゆさゆさ揺らしながら街を歩いている。

 

親からどんな教育を受けたのか分からないが自分たちが彼らの餌にされていることを感じないのだろうか。デブと弱虫は言い訳上手だ。

 

そして思い切りデブになった体は様々な病気を発症して病院に駆け込まれる。すると次に儲かるのは世界大手の製薬会社である。

 

薬が売れれば大儲け、お待ちしておりましたオデブ様、いらっしゃいませーな世界だ。

 

こうやって世界の人々はほんの一握りの甘いもの企業に搾取されていく。自分たちが失った、本来得られたであろう健康な体を考えてみたらどうだろうか。



tom_eastwind at 16:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月26日

デッドボックス

アップルでは顧客の通信データについて政府と色々とやってるが、要するに個人情報保護と国家治安のどちらが優先するか、である。

 

それは国家治安の対象となるものによる。例えば普通の学生がiPhoneで「ドナルド・トランプ、カッコイイよなー」と友達とテキストしたり通話したりのが国家治安になるようでは民主国家も終わりである。

 

しかしそれがテロリストで米国内で大量殺人事件を起こしたのであれば普通に「治安問題」と感じる。

 

調査する政府だって誰にでも何でもかんでも万遍なく規制をかけるわけではなく、あくまで調査対象となった人物、例えばイスラム国のテロリストの情報など最初に対象を絞っている。

 

これに対して一般大衆の意見は「私のプライバシー侵害に繋がる!」となる。だが国家の安全があってこそ国民の治安が守られる。

 

戦争だってそうだ。国家は国民の生命と財産を守る義務があるのに戦争が起これば国家は国民のうち若い男性に対して生命を捨てる事を要求している。

 

民主主義においては時には完全なプライバシーは存在せず限られた特定個人の情報は政府によって収集されるものだと考えたほうが良い。

 

てゆーか、今時個人情報なんて政府がその気になればすぐ収集出来る。米国中心で英国系国家(米英加豪紐)が運営するエシュロンはすでに世界中すべての電子情報を収集している。

 

犯罪者の携帯電話の通話内容は日本ではすでにNTTが警察に必要に応じて提供している。通話、メール内容、FAXだって受信出来る。

 

お金に関してはクレジットカードの利用状況、銀行口座の資金移動、国内外の財産調書、すべて税務署が把握出来るデータである。

 

だから個人が他人と話した事を知られたくなかったらインターネットも電話もFAXも使わない事だ。常に会って話をすることだ。メモを取る時は必ず下敷きを使いメモパッドの次のページに文字が残らないようにすることだ。

 

そして人と連絡をする時は冷戦時代のスパイのようにデッドドロップ作ったり2階の窓のハンカチの色で危険を知らせたりするしかない。

 

治安は守って欲しいけど自分のプライバシーは侵害しないで、うーむ、それは両立出来る世の中であれば良いが現実は北半球で起こっているテロを考えればそれは不可能である。

 

プライバシーを守ってほしい、ならば法律を守る良い市民であることだ。そうすれば少なくとも調査対象からは外される。



tom_eastwind at 16:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月25日

トレイン・トレイン

Auckland市内は最近あちこちで大型工事をやってて道路封鎖がすごい。本来4車線だった道を2車線にするから大型バスが離合出来ず大変な騒ぎだ。

 

最近の大型工事は2022年まで続きそうでそれが何とシティ地下鉄新設なのだ。

https://at.govt.nz/projects-roadworks/city-rail-link/city-rail-link-route/

 

おお、いよいよシティも空じゃなくて地下鉄ですかい。

 

Aucklandの交通渋滞を緩和するために北半球の大都市の失敗例を学びつつ、ノースショアにもう一本橋をかけようという話もあった。

 

今回の計画はとにかく人口増加が止まらないAucklandが殺人的交通渋滞になる前に大型輸送が可能な列車、それもシティは坂になっているので地面ではなく地下を掘り抜いてのシティレイルである。

 

第一期が現在始まっておりこれから10年近くはシティのあちこちで道路を掘り返す作業が続くのでシティで仕事をしている僕らからすれば目先は不便であるが将来を見れば確実な人口増加に対して今から手を打つのは正解ではないかと思う。

 

そして第二期がシティレイルを中枢の軸として放射線上に広がるノースショア地下鉄、ウエスト地下鉄と続くようになる。2040年頃の話なのでまさに次世代の為の工事である。だから現役世代はちょっとくらいシティの工事も我慢しろって話だ。

 

それなら納得、持続して発展する社会や子供たちのためにシティ内の交通渋滞に揉まれましょう。

 

この時頭に浮かんだ歌がトレイン・トレインだ。

“トレイン・トレイン、走っていく、トレイン・トレイン、どこまでも〜”



tom_eastwind at 17:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月24日

街の質

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(CNN) 米コンサルティング大手マーサーが毎年発表している世界の都市の「生活の質」ランキングで、オーストリアのウィーンが7年連続の首位となった。西欧では最近の治安情勢にもかかわらず、7都市がトップ10に入った。

 

同ランキングは外国人駐在員への参考に作られ、今年が18回目。治安や保健、教育、娯楽、環境、公共サービス、消費財といった分野の評価に基づき、230都市の順位が決定されている。

 

西欧諸国ではスイスのチューリヒが2位、ドイツのミュンヘンが4位に入った。3位はニュージーランドのオークランド、5位はカナダのバンクーバーだった。

 

ドイツからは6位にデュッセルドルフ、7位にフランクフルトも続き、8位がスイスのジュネーブ。9位はデンマークのコペンハーゲン、10位はオーストラリアのシドニーだった。

 

マーサーは「最近の治安問題や社会不安、経済の先行き不安にもかかわらず、欧州の都市は世界最高レベルの生活の質を維持している」と指摘した。

一方、中東やアフリカの都市は紛争などの影響で下位に集中している。

http://www.cnn.co.jp/travel/35078398.html

***

 

中東やアフリカよりはAucklandの方が治安は良いだろう。しかしこれは世界のエリート駐在員が派遣される都市ごとの情報であり彼らは会社から住宅費用や子供の学費に高い給与を受け取っているのでAucklandに住み生活する一般市民から観ると「どうよ?」と思う。

 

そこで日本の東京と現在のAucklandの「ノースショアで生活をしてシティで仕事をする」のを基本にして肌感覚で比較してみよう。何故ならAucklandは南北に長く南に行けば「これが同じAuckland?」と思うような街もあるからだ。

 

こういう一般的な比較論を書くと必ず「そんなんじゃない!」と主観的個人的な意見も出てくるがそれは「そういう事もあるけど例外ね」と考えれば良い。

 

治安:確かに治安は良い。現在の北半球ではどんな街でもいつテロが起こってもおかしくない。東京のテロは考えにくいが一般市民が自転車で老人ハネ殺したり通り魔殺人とか普通に起こっている。Aucklandでは普段の警察は銃を携帯しないほどだ。

 

保健:医療サービスは整っている。ただ日本と違って医者は薬を出さない。風邪ひいて病院に行けば「寝とけ」で終わりである。薬は安くないし税金で払うのだから日本人の感覚からしたら「薬くれないのー?やぶ医者!」となるだろう。

 

教育:うん、これは公立学校でもしっかり勉強して大学に入る学生もたくさんいるし、更に北半球の有名大学を狙っている学生はAICなど私立高校に行けば良いので教育環境は整っている。ただ自分が勉強する気がなければどうしようもない。

 

イジメもあるけど日本ほど陰湿ではない。例えば中学では校長先生のメールアドレスを子供たちに伝えているので相談する相手もいる。

 

娯楽:これはもう東京には敵わない。娯楽は東京は世界一ではないか?安くて楽しくて次々と新しい娯楽が生まれている。AucklandAuckland以外の田舎から来た若者には「素晴らしい大都会」だろうが東京の生活を経験した人には「何にもない田舎」である。

 

その田舎さが良いと思う人には自然が娯楽になるのかもしれないが。

 

環境:空が青い!特に今日の空の青さはダントツで素晴らしい。この空気がただで吸えて青い空で目の保養、街には公園が多くてちっちゃな子供たちが走り回っている。東京ではあり得ない環境である。

 

公共サービス:うーむ、失敗して育つ人々が大人になっても失敗を恐れず、銀行では1千ドル入金すると残高が100ドルしか増えてなかったりバスが道を間違ったり、役所への問い合わせは10人に聴けば10の全く違う答が返ってきたりする。

 

なのでいらいらする人にはお勧め出来ない公共サービスである。

 

消費財:ないない、なーんもない、とまでは書かないし最近はヴィトンもプラダもあるけど東京に比べると比較にならない。日本を撤退したTOPSHOPTOPMANが最近オフィスの向かいに出来たくらいか。日本を知っている人からすればAucklandは買い物をする街ではありません。

 

残業、年休、週末:これは駐在員には関係ないからマーサーの調査項目に入ってないのかもしれないが、実は労働者としてはこれが大きい。

 

まず残業が殆どない。年休は毎年一ヶ月完全消化。一年のうち一ヶ月ですぜ。会社に戻っても机あるし。そして週末は通常の企業であれば土日ともお休みなので家族や友人と自宅の裏庭でバーベキューを楽しんでいる。

 

こんなサラリーマン生活なら家族重視で生活出来ますね。ただし駐在員に現地の法律が適用されるのかどうかは不明。

 

うーん、こう考えてみるとどこでもコンビニがあってタクシーが走ってて従業員の礼儀は正しくレストランでは美味しいものが手頃な価格で食べられる物質文明が大好きな人には「どうよ?」であろう。

 

だけど家族重視で家庭を生活の中心に持ってきたいならこの街は良い街である。

 

ただ問題がある。それは一般生活者からすると「物価の急上昇」がすごい勢いという事だ。毎年5%物価上昇するAucklandでローンなしの自宅と毎年5%以上給料が上がる地位なら良いけどそうでなければ家賃支払いが大変だ。

 

街の質は良い。けどそこで過ごせる賃金を稼げるか?駐在員の場合は家賃も給与も会社持ちだから何も気にならないだろうけど、自力でAuckland生活をする人はまず何よりもお金のことを気にした方が良い。



tom_eastwind at 17:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月23日

移住の理由

最近あるお客様から頂いた移住の理由の回答が具体的で分かりやすかったので引用させて頂く。

 

僕らは移住希望の方にはまず何よりもその理由を聴くことにしている。これはITの要件定義に似ている。何故なら相手が言ってることではなく言いたい事を聴き取ることが必要だからだ。

 

話す方も生まれて初めて移住を考えるわけで自分の頭の中にある程度の予想を描いているかもしれないがその前提となる本人が信じてる事実が違っていたら意味はない。

 

だからその「前提となる事実=本人の認識」を読み取り全体の状況を掴むのがとても重要になる。「認識」を隠して話されると何を作ってもうまく回らないのは当然である。

 

最初に何を言ってくるか、相手も自分が望んでいる事を普通に説明してくれれば本人が考えているより簡単に移住できる方法が見つかることもある。

 

そこで移住の理由をお伺いしたある方の回答。

***

健康、家族、時間、自然、生活、学、、放射能染、境破争、日本国崩

***

 

うーん、よくもこれだけたくさん並列具体的に答えてくれたものだ。すごく明確である。そしてまさにこの通りである。

 

日本は放射能汚染がまだ続いているわけで中国からの環境汚染PM2.5などは毒薬である。空から降ってくる毒薬は逃げようがない。

 

戦争、、。これは可能性が高い。限定的であろうが日中戦争は何時でもドンパチ出来る状態であり安保法改正も済ませて制服組が力を強めている。日本は周囲を火種だらけで囲まれているから自分だけ非武装中立は通用しないのだ。

 

そして日本国崩壊。これは物理的な意味で例えば列島が真っ二つに割れるとかではなく国家の「仕組み」が壊れていくことだろう。ただそれは国民の側から見た場合だと思う。

 

日本国民にとって豊かだった1980年代までの仕組み(年金、医療、雇用保障、定年制度)は確実に壊れていくけど、政府からすればこれから政府の望む究極の「国民すべて下向きの平等」になるから全然問題ない、てか推進しているのは官僚だし。

 

国民はすべて平等、金持ちも貧乏人もいない、皆が国家のために働き結婚して子供を作ってもらう必要があるので子育て出来る程度の給与は払う。強い国を作りしっかり納税して働けなくなれば病院に行かず一人で消えてもらう。

 

生まれた子供は学校で何も考えさせない日本式教育を教え込みところてん式に社会に放り込み労働力として働いてもらい結婚して子供を作り納税して年を取ったら医療費遣わずに政府にご奉仕。

 

また親が死ぬ時に貯金などがあれば政府が回収して国家のために遣う。何故なら日本で作った財産は日本政府が「働ける場所」を提供したからだ、子供に残すなど間違いである。子孫のために美田を残さず、政府が綺麗に遣ってあげよう、である。

 

「仕組み」は目に見えないけど体にもろに影響を受ける、ある意味中性子爆弾みたいなものだ。人々を確実に蝕んでいく。

 

例えば将来の年金は支給額が削減されて労働者の税金は見えない形で増税されて(多くのサラリーマンは自分の給与明細を観てない)いつの間にか社畜で辞めるに辞められない状態になる。

 

辞めたいけど転職先もなく今の仕事じゃ貯金も出来ない。毎月一生懸命働いて(勤労の義務)入ってくる給料(納税の義務)を自分が消費者として支出すると消費税まで加算される。そして月末はお金が残らない。

 

65歳になって支給される年金は生活を維持するのさえ難しいから65歳以降も道路工事とかで国家のために働く、死ぬまで。

 

ついでに医療はこれから大改革を行い、政府が主導して表面的にはピンピンコロリの生き方を導入するだろうが実際は医療費の負担比率を変更することで病気でも医者にかかれずある日簡素なアパートの一室で・・・。

 

その意味ではまさに今の日本は官僚が中性子爆弾を作り国民に撃ちこみ、東京にはたくさんのビルも娯楽施設もあるけどそこで働く人々は常に床を向いて掃除して勤労と納税で終わり、高層ビルで上を向いて娯楽施設を楽しむのは、世の中を楽しむのは一部の支配層のみである。

 

こうやって国民は代々国家の歯車として死ぬまで奉仕を続けることになる。



tom_eastwind at 17:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月22日

2.22

今日はクライストチャーチ大震災からちょうど5年目である。

2011年2月22日正午過ぎ。大聖堂を中心に人々が歩きお昼ごはんを買って食べたり弁当をビルの中で食べたり。そんな時に大地震に襲われて多くの死者を出した。 

日本からも救命隊がやって来た、まさかその3週間後に3.11が起こるなど予想もせずに。日本の救命隊が引き上げて3月11日、今度は日本で東北大震災が発生しNZのレスキュー隊も駆けつけた。まさに持ちつ持たれつである。

それにしても偶然だけど9.11、2.22、3.11どれもゾロ目である。何かあるのか?

クライストチャーチでは復興活動が続いているが日本のように地震慣れしてないし個人主義の住民の要望を全部叶えることも出来ず 大変な様子が伺える。

ここがアングロサクソンの面白い特徴だが、彼らは外敵には一致団結して戦う遺伝子がある。個別撃破されないように砦の門を閉めて皆で役割分担して戦闘行動に入るのだ。

ところがこれが内部分裂(地震など)だとお互いが自分の主張をガンガンするので収まりがつかなくなる。

2.22もお互いに言いたい事がたくさんあるのだろうが、特に地元に根づいた労働組合などはここぞとばかりに政府のカネを奪い取ろうとする。そして更にクライストチャーチを疲弊させていく。

復興と復旧は違う。街が進化し続けるには進化と変化が必要であり地震に襲われればそれを逆手にとって市街化計画を進めれば良い。すべてはその時その街に住んでいる人々の自立しようという意気込みである。

進化についてこれない人々、それは悪いが一定の権利を与えてそれでさよなら、君はここで自分で生活してな、俺達はあっちに行くよ、である。


tom_eastwind at 17:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月21日

文明とバッタ

文明はエスカレーターのように確実に上昇して進歩するが、それを制御する人間はバッタのように飛んではまた元の地面に戻り進歩しない。

 

生まれてから学校に行き社会に出て恋をして結婚して子供が出来て子育てが始まり子供がやっと社会に出る頃には年を取り子供に孫が出来て暫くすると死んでいく。

 

人間は個体としてこの循環を何千年も繰り返して生きているわけで何千年経っても人は同じように恋愛に悩み子供を作り育て社会で与えられた仕事をするのだが、じゃあ子供は親が生まれてから学んだ事を生まれた時点ですべて引き継げるのか?

 

5歳の子供が「教育論とは〜」とか10歳の小学生が「イエーリングにおける権利のための闘争は日本的社会では〜」18歳の青年が「恋とか出産は遺伝子に操られてるだけだよね」とかあまり想像出来ない。てか無理だ。

 

親バッタがぴょーんと飛んで元の場所に戻るように子供バッタも自分でぴょーんと飛んではまた親と同じ元の場所に戻る。

 

つまり人間の個体における蓄積出来る知恵や知識は子供に引き継ぐことが出来ず結局文明がどんどん進化しているのにそれを操る方が進化しないから戦争とかバカな事をやってしまう。

 

ぴょーんと勢い良く飛ぶのだがいつかは同じ床に戻るのだ。だから進化し過ぎる文明を制御出来ないままに凶暴な武器となった文明に振り回されるのだ。

 

バッタの中でもイナゴは大群となって空を飛ぶ。害虫なのでたとえは悪いが人間もお互いに手を組んでエスカレーター文明の進歩に合わせて人間や文化の発展も出来ないものだろうか。

 

青い空と吹き抜ける涼しい風と蝉の声に包まれた週末のAucklandで感じたバッタの話。それにしてもこの街、自然が多いな。



tom_eastwind at 14:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月20日

灰とダイヤモンド

土曜日はアンジェイ・ワイダの戦争三部作の一つ、1959年公開の「灰とダイヤモンド」を観る。

 

それにしてもポーランド、オーストリアを含む東欧州は偉大な芸術家を輩出しているが暗い作品書かせたら天下一品みたいな感じである。これはユダヤ人気質と常に変わる支配者への鬱憤、怒り、諦めとかがあるのだろうか。

 

アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」では1950年代のポーランドをそのまま見ることが出来る。当時の古いバーやレストラン、ホテルの様子などまるで時空飛行したような感じだ。

 

白黒映画をそれだけで嫌いという人もいるが、白黒時代の映画は色で誤魔化すことが出来ないからより光と影を使い俳優は演技に力がこもっている。

 

この映画でアンジェイ・ワイダが扱っているテーマは戦争によって狂わされた人々、特に若者の人生である。

 

ポーランドは東のロシア(ソビエト)、西のドイツに挟まれいつの時代も戦争の被害者であった。特に1939年から始まる第二次世界大戦ではポーランド分割統治を図るロシアとドイツの両方から攻め込まれてポーランド政府は一気に崩壊、ついに政府と軍隊は最初はフランス、そして英国に亡命した。

 

第二次世界大戦ではドイツ軍によるカティンの森の虐殺(一万数千人)も行われたがこれは長い間公表されることはなかった。ちなみに2007年に同じくアンジェイ・ワイダ監督によって映画化されている。まさに戦争によってもみくちゃにされたのがポーランドである。

 

戦後ドイツが全面降伏して出て行くと代わりにやって来たのが共産主義ソビエトの軍隊である。

 

共産主義者を批判する亡命ポーランド側は英国に本拠を構えておりこの映画の主人公は英国からの指示を受けながらゲリラ活動を行っていた。

 

ある日ホテルのバーに行くとそこで働く可愛い女性がいる。からかったりして最初はツンツンされるがそのうち何となく惹かれるものを感じる。

 

翌日は共産党シンパであるポーランド人指導者の殺害という重い任務を背負って、彼は彼女との一晩を過ごす。

 

重いテーマである。この二人に何の責任があるのか?なのにこの二人の若者には暗さがない。悪い時に悪い場所にいた、ただそれだけである。

 

そして若者は銃を取りテロに向かう。

 

ただこれだけの、たった一日の話であるがアンジェイ・ワイダの視点、戦後のワルシャワの姿、そして主人公が実にジェームス・ディーンに似ているので、それだけでも観る価値がある。



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2016年02月19日

目を伏せ耳を塞ぎ歩く。

歩道を歩く人に聴きたい。あなたは目を伏せ前を見ないで挙句に耳栓をして音も聞こえない状態で赤信号に突っ込んで車にハネられることは賢いと思うか?

 

これに対して「そいつバッカじゃん」と自分に対する皮肉とも気づかず素直に答える人が90%で、これを自分に対する皮肉と理解して嫌な顔して答えないのが10%くらいか。

 

歩き携帯の話である。クイーンストリートでも最近は急激に増加している。まるでゾンビーに噛まれた連中が生き返って、肩を落として手を前に出して道をふらふら歩きながら、やっぱゾンビーじゃん。

 

これは何も日本人だけではなくアジア人全体に目立つ現象である。人混みの歩道を目を伏せ耳栓して歩くのだから当然人にぶつかる。相手がよけてくれるとでも思ってるのか。

 

交差点でも歩行者信号を観てないから信号無視をした歩行者の後にすすっとついていって車にクラクション鳴らされる。

 

バカな話である。道を歩く時間がそれほど大事なのだろうか?メッセージ送りたければ立ち止まって壁に背中をつけてかちゃかちゃやれば良い。それを、目も耳も塞いだゾンビー状態で歩くのだからどうしようもない。

 

歩き携帯でどこまで時間節約出来るのか合理的に考えてみればどうだろうか。

貴方が歩き携帯でカチャカチャやって一体何秒の時間節約になるのか?

 

それに対してリスクとして

1・ぶつかった相手に嫌な顔をされる。

2・ぶつかった相手にその場で携帯電話をはたきおとされる。

3・ぶつかった相手がその筋の人で事務所に連れ込まれる。

4・ぶつかった相手が車で病院に搬送される。

どう考えても費用対効果が合わない。けどこういう計算が出来ないから歩き携帯をやっているのかな。

 

若者の携帯依存にはLINEなど「自分だけ取り残されたくない」という恐怖心があるのも事実だ。仲間外れにされたくない、いつも最新の情報で友達と話したい、そういう生き残りの術でもあるのだろう。

 

それにしても上に書いたように費用対効果が合わない。携帯を使うなら立ち止まる。これは親が教えるべき携帯電話の使い方だろう。何故なら世の中はあなたに道を譲る善人ばかりではないのだから。



tom_eastwind at 12:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月18日

ベイルイン

南半球のAucklandでは穏やかな日々が続いている。北半球では今日もトルコの首都でテロ事件、米国では大統領選挙で大忙し、日本はマイナス金利導入で銀行の預金を株式に投資させようと政府が頑張っているが、その裏でもう一つの動きが出ている。

 

それがベイルインだ。G20ですでに日本を含む各国がこの考え方を導入することで合意した。欧州では今年から順次実行に移される。

 

今までは銀行が倒産しかけると政府が救済していたが今後は銀行が倒産しかけるとその銀行が保有する預金を使って自己救済するのである。

 

つまり銀行の預金は今までのように「絶対安全」ではなくなり預けた資産がある日気づいたらなくなっていたということが起こりうる。

 

実際に欧州ではこの制度を利用したイタリアの銀行の預金者が資産ゼロになって首吊り自殺をした。

http://www.trendswatcher.net/latest/geoplolitics/ベイルイン-元年となる2016/

 

欧州では今年から各銀行が導入するようになりこの方法はいずれ日本を含む世界に広がるだろう。何故なら大きくて潰せない銀行を税金で救うほうがおかしいからだ。

 

例えばあなたが日本の銀行に預金をしているけどある日突然ATMの一日の利用額が1万円までとなる。1万円以上は銀行窓口でも引き出せない。

 

そこで銀行に問い合わせしたら「現在一時的に規制をしています、詳細は後日」で蓋を開けてみれば銀行が持つCDS証券などの負債を顧客の預金等で補填することになっていることが分かった。その後預金者の預金は数十%減った。

 

これで銀行政府からの補填なしに無事に生き残る、損をするのは預金客である。銀行による預金封鎖は2013年にキプロスで起こった事実である。当時は1100ユーロが引き出し上限となった。

 

マイナス金利はもし銀行が口座管理手数料を取るようになれば実質的に預金者のマイナス金利となる。

 

例えば100万円の年利が0.0001%なのに口座管理手数料を毎月100円頂きますとなれば年間で1200円支払い、受け取る金利は100円。預けるだけで立派なマイナス金利である。

 

しかしマイナス金利よりも怖いベイルイン=預金封鎖が現実化してきた事はもっと大きな問題である。

 

2016年は今までとは完全に違う世界になり、何が飛び出してもおかしくない年になった。



tom_eastwind at 13:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月17日

3月日本出張予定

ここ数日Aucklandは雨模様である。下見ツアーが次々と訪れるので出来れば全部晴れて欲しいがニュージーランドを美しく見せる草や花だって水が欲しいのだから相身互いというところか。

 

今日は朝から3月日本出張の社内打ち合わせとランドバンキングのアドバイザリーボード会議で昼飯抜きで午後2時までしゃべり続けてさすがに喉が痛くなった。

 

ランドバンキング、最初は個人デベロッパーと組んでたが最近はすっかり政府案件になっている。土地区画整理を政府住宅供給公社がやってくれるのでデベロップの最初の半分以上の手間が省ける。

 

けどこのメンバーで話をしていると脳みそが疲れる。特に政府系のスキームに移ってから送られてくる書類にとにかく専門用語が多く3文字言葉で書いているから時々話についていけない。

 

なので今日は会議の冒頭に僕から皆に「僕を馬鹿扱いしてくれ、おそらく会議の途中で君らにとっては既に知っている事をアフォ面して質問するから、先に謝っとく」と言うとさすが紳士の国の末裔だ「そんな事はない誰も専門外はわからないものだ、安心して質問してくれ」。

 

その後「GSA」と表記されてたのを「これは何の略だ?」と聴いたら「はあ?」って顔された。ほらー、だから言ったじゃんか。僕にとってのGSA Ground Service Agent である。それ以外の意味があるのか?

 

会議を終わらせてオフィスに戻ると僕個人宛のメールボックスが埋まっているのでどんどん返信しないと次の仕事が進まない。なので結局今日も朝から水呑み百姓である。

 

夕方に近くのスーパーで持ち帰り食材を買って家に帰って風呂に入ってやっとバクバクと食べる。ちなみに僕は夕食はお風呂に入った後で食べる習慣で、これは家庭によって色々と違いがあるようだ。

 

3月の日本出張は2回にわかれている。最初は35日から9日まで、これは東京、名古屋、大阪、福岡と周る予定。2回めは326日から27日の東京である。

 

どちらの回も個人面談のみを設定している。個人面談と言っても何を聴いて良いか分からない方は当社のウェブサイトトップページのバナーでNZの概要を販売しているのでまずはこちらを読むことをお勧めする。

 

去年からNZ政府も日本人投資家を視野に入れており「汚い中国の投資家10人よりも綺麗な日本の投資家1人が良い」と考えている。その為移民局の対応も他国の申請者よりも扱いが良くなっているのは肌で感じる。

 

個人面談の日程表もウェブサイトのトップページに掲載しているので投資移住や三世代移住に興味のある方は是非どうぞ。

 

日本人の場合大体の方がおかす間違いが「まず自分が出られる状況になってから(23年後)」問い合わせをすれば善いと思っていることだ。

 

けどNZのビザのオペレーションマニュアルは3ヶ月単位で変わる。移民法自体も1年単位で変わる。だから今の条件を頭に入れて準備しても準備が出来た頃にはルールが変わっており使い物にならなくなる。

 

同時にビザは申請から実際に自分の体をNZに移動させるまでの時間調整が1年単位で可能である。従って現在のルールでビザが取れる内にまず取っておきその後調整しながら渡航可能時期を設定することが出来る。何よりもまずビザを取ることが肝要である。

 

家で食事をしながらニュースを観ているとこんなのがあった。

 

「ニュージーランドの民族別人口比でマオリは20%、ところが刑務所内人口比では50%。白人は30%で残りをアイランダーとアジア人が占めている」との事。

 

そう、楽園のように見えるニュージーランドでも先住民族であるマオリ問題は常に社会の根底にある。一生懸命働く白人キーウィと昼間から道端に寝そべって道行く人に小銭を求めるマオリ。その格差はますます広がっている。

 

但しこれは「作られた格差」であることも事実だ。表面上はマオリとパケハ(白人)が平等と言いつつマオリをだらけさせる政策などで実質的に常にマオリがパケハの下になるようにしている。これなどよーくこの社会を観てみないと分からないが、英国人の植民地政策の一片を感じさせる。

 

さあ明日も外部会議だ、とっとと9時前に寝よう。



tom_eastwind at 20:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月16日

マイナンバー送金

海外居住者にとっては困った状況が発生しているようだ。海外から日本国内の自分の口座に送金してもマイナンバーがないから入金出来ない。

 

http://blogos.com/article/161072/

 

http://sekaitabi.com/mynumber9.html?utm_campaign=shareaholic&utm_medium=twitter&utm_source=socialnetwork

 

海外居住者同士が情報交換を始めているが、事態は進行中で確定的な結論は出ていない。

 

しかしまあ何だか明確な日本政府のメッセージだな、海外に出るなら日本との銀行取引なんかするな、である。

 

もちろん過渡的な問題であり1年もすれば様子が見えてきて2018年には法律として明確に導入される。

 

ただすでに海外に住居を移して日本に住民票がない人については当面面倒くさい状況が続きそうだ。



tom_eastwind at 20:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月15日

明日からマイナス金利導入

いよいよマイナス金利導入となった。安倍政権では3本の矢でアベノミクスを開始して円安と株高を招きこれは良かった。しかしその後が続かなかった。

 

本来やるべき国家の経済構造改革には既得権益団体に阻まれ手を付けられず物価を2%上昇させますと宣言した副総裁がこけて、ほんの一部の人だけにお金が回る現象が起こった。

 

テレビでは景気の良い話も出るが実体経済は冷え込んだままで、殆どの人々は10円でも安い商品を探して人々は街を歩きまわる。

 

政府が希望するのは実体経済の成長と賃上げによる消費増加である。ところが長年の構造不況で経済は冷え込み人々はすでに必要な物は持っているからモノを買わない。内需が成長しないのだからどうしようもない。

 

外需は?これは取れた。ただ円安で利益を得た大企業は内部留保で従業員の賃上げに回らず中小企業には勿論全然回らず、ここに来てアベノミクスのトリクルダウンは一気に枯山水になった。

 

内需を生み出すには若者がリスクを取って起業して政府が起業を後押しすべきだが実際に起業して頑張ったら政府に潰され刑務所に放り込まれる時代である。一体誰が起業なんてするものか、サラリーマンにしがみつくのみである。

 

政府は口だけ起業、生意気言えば刑務所送り、そんな状態で新しい活力が生まれるわけもない。

 

政府は実体経済のテコ入れをしようとしてもなかなか浮上せず。要するに規制緩和すればよいのだがそこは既得権益が壁を作っている。ついには企業に対して賃上げ要請を繰り返すが実質賃金はマイナスだ。

 

そこで政府が思いついたのがマイナス金利の導入である。

全く次から次へとよく思いつくが、最初が黒田バズーカ、次にQEで日本を金余りにさせて日銀は政府が発行する国債を買い銀行に自由になるカネを持たせたらこれが民間融資に回らず日銀にブタ積み。

 

そこでマイナス金利の導入でとにかく設備投資と賃上げで世の中の景気を引き上げようとしている。

 

とにかく銀行にカネ預けても何の利息も生みませんよ、食料品物価が上昇して消費税が増税でその分どうやってカバーするんですか?株に投資しなさい、政府の声が聴こえる。

 

ところがそれでNISAをやった人々は年始からの株価下落で大変な騒ぎになっている。

 

マイナス金利、これ今の日本で国民資産を動かそうとするには無理筋だな。今までお上は民に何も教えずただひたすら銀行に預けるように誘導して実際に個人資産の多くは銀行預金となった。

 

今になって突然その銀行預金はよくないよ、株に投資しなさいってやっても顧客には何の知識もない。個人資産は株式市場と言う賭場でどんどんプロの投資家に奪われていくだけだ。

 

マイナス金利。今まで行ってきた政策と同様に実質的な経済成長を生まないままずぶずぶと金余りが続く。何も生まないというのは語弊がある。実際には多くの札束があちこちに生まれており、これが何を生み出すかが見ものであるが、一般的にはバブルを生む。

 

最初は株バブルから東京の一部の土地にオリンピックバブルが繋がりある日突然土地バブルでインフレーションを起こす可能性がある。

 

しかしそれは一部の人々の中だけで回るお金であり実質経済成長にはつながらない。それでも安倍政権にとっては見かけだけでも経済が活性化されることが命綱である。だからこそのマイナス金利だ。世界の金融マフィアが日本を観ている。これは半年くらいで物凄い金融の「不可逆的な流れ」を作るだろう。振り回されるのはいつも庶民である。



tom_eastwind at 19:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月14日

バレンタインデー、加えて地震

本日午後クライストチャーチ(CHC)でまたも地震発生。今回はM5.7とのことで死亡者やけが人はいない様子。

 

市内の酒場やスーパーでは棚から落ちた商品が地震の強さを物語っている。だが、だが、この事でCHC以外のニュージーランドに住む家族への連絡はあまり意味がない。

 

何故なら例えばCHCからクイーンズタウンは飛行機で1時間以上離れている。CHCからウェリントンも1時間、Aucklandに至っては2時間離れている。

 

NZは地震が起こりやすい断層の上にあるがそれはたった2箇所、ウェリントンとCHCだけである。僕が住むAucklandはウェリントン断層から西に900km離れている。

 

なのにCHCで地震となるとNZ全体が地震のように思われるが、では福岡で起こった地震で札幌が揺れるか?

 

NZに関心を持って頂くのは善いのだが距離感は最初に理解してもらいたい。

 

さて閑話休題、今日はバレンタインデーである。戦後日本のチョコレート業界において行われた戦後最大のキャンペーンであり大成功を収めて今や214日文化ともなっているバレンタインデー。

 

日本人にダイアモンドを買わせる習慣を付けさせたデ・ビアスは光る石ころに値段を付けて「給料の数カ月分」等とノルマまで付けて日本人に買わせてそのカネを外国に持って行った。

 

あの売り方に比べればチョコは内需拡大でありバレンタインは面白い独自の習慣として発達しているから良い方だ。

 

NZでは女性から男性へとか義理チョコという習慣は勿論ない。むしろ男性から女性への贈り物というイメージが強い。バレンタインディナーは結構定着している。Aucklandの高級レストランでも日曜日に張り切って営業している。

 

けれどバレンタインに絶対に何か出せって強盗的雰囲気ではなく皆がそれなりに考えて愛する相手に渡しているのが現状だ。

 

以前のブログで日本人の贈与の歴史を書いたが、西洋人は神頼みとかが日本人ほどではない。友達同士の贈り物交換でも自分が作ったものを相手にあげる「心のこもった」贈り物の方が喜ばれる。

 

それに対して日本では義理チョコという誠に面白おかしい文化が出来上がってしまった。おかげで嫌いな上司でも机の上にチョコを置くという変な現象が起こっている。

 

バレンタインデーに匹敵する文化?流行?になったのが恵方巻きである。元々は関西でしか行われてなかった習慣が10年ほど前にセブン-イレブン?の仕掛で日本中に広まってこれまた日本独自の行事になっている。

 

恵方巻きなどの食文化は地域によって違いがあるがチョコレートは日本全国均一であるから馴染みやすかったのかもしれない。

 

いずれにせよバレンタインデー、誰の上にも幸せあれ!



tom_eastwind at 22:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月13日

羊、狼、番犬

金融取引の締め付けは世界中の動きであるが日本はこの動きに付け加えて個人資産を徹底的に補足して日本国内のお金の流れをすべて把握しようとしている。

 

これなどは5年前から予測されていた事で5年前から時計の針は確実に前に進んでいる。財務省の方針は決まっており国外財産調書、出国税、財産債務調書、すべてに罰則を付けることで自分の財産すべてを政府に晒す必要があることになった。

 

今後はタンス預金や純金でさえ申告が必要であり、国民の財産すべてを国家が把握することになる。タンス預金して申告しなかったら違法?罰金?バカな話である。

 

「自分がきちんと働いて作ったお金をどう使おうが役所に関係ないだろ」そんな理屈はこれからはもう通らない「法律で決まりました」でOUTだ。

 

本来は国民の生命と財産を守るのが政府の仕事なのに現在は国民の財産をしっかり管理するのが政府の仕事になっている。自民党が安定している間に財務省としては個人資産1000兆円を国家資産に取り込むわけだ。

 

これから4年で世の中は激変する。政府が国民の生命及び財産を支配して普通に戦える国家になりそれは東北アジアという地政学的にヤバイ場所にある日本に戦争が起きる状態になる。

 

今後の民間取引でも近い将来50万円以上は現金取引の禁止、1万円札を持っていたら「どこで得たのですか?」となる。大金を持つ国民は非国民。来るぞー。大日本帝国の臣民がご近所のお金持ちを税務署にちくる時代になる。

 

羊、狼、番犬。羊とは自分で考えない大多数の人々である。狼とは羊を襲う少数の動物である。番犬は羊を守る犬のように見える。

 

しかしこれを日本に置き換えれば違う景色が見える。羊は日本国民であり小学校からところてん式に「何も考えるな、政府が正しいのだ」と教えこまれて今の社会の殆どを構築している人々だ。

 

ところが狼の存在は羊を荒らすのではなく羊に対して「目を覚ませ!」と訴える役目なのだ。こんな社会はやる気のある人にとっては生きにくいよ、目を覚まして何か違うことをしようよ。

 

そして番犬、これが日本政府だ。羊を囲い込み彼らから最大限の収穫を得て次世代の羊を産んでもらう、これが番犬の役目だ。

 

だから番犬にとって一番邪魔なのは真実を語る狼である。そこで番犬は群れを作り法律を作り狼を追い出し追い詰め羊に近づけないようにする。こら、余計な事を言うんじゃねーよ、黙っておけ。

 

羊。日本政府に言われてその気になってNISAを始めた人は今回の株の大暴落で相当の人が被害を蒙っているだろう。だーから政府が素人相手に賭場を開くような真似をするのがよろしくない。

 

とにかく国民の資産を株式にぶち込み株価を上昇させアベノミクスの失敗を表面化させない為のNISAであり国の借金である国債を個人に直接持たせるが、10年もので金利いくらだ?物価上昇、インフレなどが起きたら国債はまさに紙切れだ。

 

今年はやばい年だ。今出来る内に出来る事をしておかないと個人資産はどんどん目減りしていく。個人資産、なくなってから考えても仕方ないのだ。



tom_eastwind at 18:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月12日

魂をなくした男

ブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィン最新作「魂をなくした男」邦題はあいも変わらず編集者の教養素養のなさを感じるが本編は実に面白い。

 

このシリーズは1977年に第一巻が発行されて以来ずっと愛読している。ベルリンの壁がある頃に初老の英国スパイチャーリー・マフィンが自国諜報部に狙われてその罠を非情な手段で切り抜ける。

 

その後も生きる、ただそれだけの事に徹底して頭脳を使う英国スパイは各国スパイとの諜報戦で常に敵を出し抜き最後に生き残る、敵が例え英国諜報部であっても。

 

毎回このシリーズを読んで思うのは常に何事にも偶然はないと疑いを持つことである。ほんと、世の中で起こることは必ず必然がある。極端な話をすればあなたが今日会社から自宅に帰るまでの間に何もなかったのは、それが必然であるからだし、何かあればそれも必然。

 

何かある、又は何もない、どちらにも共通するのは必然である。その必然を呼び寄せているのは自分自身である。

 

チャーリー・マフィンは常に自分の置かれた状況を冷静に判断して常に自分を甘やかさない。毎回主人公の発想や考え方に学ぶものが多い。

 

ところで「チャーリーさん、あなた今何歳?」であるが、それはゴルゴ13の年齢を聴かない礼儀である。

 

特に僕が個人的に好きなのは中国返還前の香港を舞台にした「呼びだされた男」である。チャーリー・マフィンが英米諜報部やソビエト諜報部からも追われる中、古くからの知り合いでどうしても断れない仕事を引き受けてしまい香港に渡る。

 

英国諜報部のお好みは香港側のマンダリンホテル。米国CIAのお好みは九龍側のペニンシュラホテル。当時の深センは何もない田舎で香港から中国に行くためには香港側最北端の電車駅を降りて10分ほど歩くようになる。

 

英米情報部からも追われつつそれでも中国の鼻先をかわして何とか事件を解決するのだがとにかく縦横奇才、実に楽しめるシリーズである。

 

今回は前回と連作になっているがマフィンがロシアに囚われながらも尋問官を通じて情報を入手して自分なりの仮説を立てて行動に移すその思考過程が実に面白い。

 

福岡から香港経由Aucklandに戻る途中で読了。良い本は心を楽しくさせてくれる。



tom_eastwind at 18:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月11日

本田商店

福岡から香港経由でAucklandへ帰る日、昼飯としてキャナルシティ内のラーメンスタジアムにある本田商店に行きラーメンと餃子を注文する。

 

11時開店との事で1059分に入り口で食券を買って入るとすぐにカウンターの端っこに座ったのだが僕のラーメンが出てくる頃には振り向くと広い店内が満席。

 

それも半分近くが東北アジアからの観光客である。すごい勢いだな、これを観てると政治と経済と文化は全く別だというのがよく分かる。

 

日本政府としてもこれを機会に多くの中韓の人々に来てもらい素のままの日本を見てもらい「僕らはあなたと同じ普通の人なんですよ」というメッセージを送ることで相互理解が深まれば善いと思う。

 

普通の言葉が通じるホテルを出発して福岡空港に行くとここも混雑してるがやはり北東アジアのお客さんだ。香港や台湾からの旅行客は日本に旅慣れた様子で個人旅行を楽しんでいる。

 

福岡のホテルもレストランも空港も東北アジアからの旅行客で占められており全く様変わりであるが福岡はこの状況をよく受け応えている。

 

特に善いなと思うのが旅行客に日本のルールを説明して納得してもらう方向で様々な案内が出来てる事だ。

 

自分の品を下げず値段を下げず相手に丁寧に接して日本を分かってもらう。これで東北アジアの人々が日本の良さをますます理解してもらえるのだ。

 

翻ってバス業界。ここは日中の旅行会社に狙い撃ちにされてる。観光バスの転落事故や長距離バスの事故などいつ起こってもおかしくないのがバス業界の現実だ。

 

それはひとえに業界の秩序がない事である。単なる運賃競争ではなく付加価値を付けた競争をすべきなのに昔からバス会社の営業といえば値引きしかない。

 

だから旅行会社に各個撃破されて値引き競争に走り最後は事故に繋がる負の輪である。

 

本田商店のラーメンは一番安いので820円である。一番高いのは1,020円、それでも客が入るのだ。同じラーメンを久留米で食べれば390円である。

 

立地、メニューの絞込、食べたくなるようなお店つくり、いろんな要素が絡んでこの値段で売れるのだから付加価値の考え方だろう。

 

観光バスだって乗りたくなるバスがある。一時期はサロンバスなども流行ったが、要するに休憩所で他の団体客がバスを見た時に「あ、かっこいー」と思わせることだ。

 

そうなると旅行会社はそのバスを使いたいから言い値で受注出来る。バスの設備は様々だろう、現在の東北アジアからの団体ツアーはすべて大型バスを津kっているが45人がぎっしり乗っているとは思えない。

 

ならば座席を30席くらいにして隣同士が話しやすい全席窓向き横並びとかがあっても面白い。後はバスの外見だが「トラック野郎」とか「ドラゴンファイター」または今年の干支のサルにする、毎年塗装を干支に合わせるとか。

 

今の日本は偶然にも東北アジアからのお客様で賑わっている。これを一過性のものにせず日本に繰り返して来たくなるリピーターを増やす施策、安売りではなく付加価値を付けてやってもらいたいものだ。



tom_eastwind at 14:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月10日

吉野ケ里

ちょっと番外編ですが今回の出張で「弥生人の声が聴こえる」歴史公園に行ってきました。

 

「よしのがり」最初に聴いた時は一種の髪型かと思った「よしの刈」。天気が良くて佐賀視察の後に時間があったのでお客様にご案内頂きました。

 

そう言えばここの遺跡は昭和の時代から有名だったらしいが僕は全く知らないままに九州を出ていたな、こんな歴史公園になったのはいつだ?とか思いつつ西口駐車場に到着。

 

今日の話は弥生時代の歴史の話ではなく公園で感じた「面白い事」です。

 

入り口で元気そうな管理人のおばちゃんがうれしそうに観光客にいろいろと案内している。「え、3名ね、はいどうぞ、ところで今日はどこまで見に行くの?」

 

「いや、近くに来たものだから寄ったのであまり考えてないんです」というとその管理人のおばちゃんはにこにこして「そうかい、だったら売店やレストランのある東口駐車場を使ったほうがいいよ、ここじゃなくて」と言い出す。

 

そのまま続けて「買い物行くんでしょ買い物、だったら東口よ、ここ出て右に行って〜」とまあ、まるで彼女が主権者の勢いである。

 

もう笑うしかない、だがわざわざ他の駐車場に行くのも面倒なので丁寧にお断りして入場口へ。彼女はがっくりした様子もなく次に来たグループに「え、何名?いいとこあるよー」。仕事熱心というより自分への絶大なる自信であろう。

 

入り口に大きく書かれた案内がある。「持ち込み禁止」の案内だが、最初に出てきたのが「金属バット」。これにはほんとに笑えた。歴史公園に金属バット持って来て何するんだ、お墓に使われた甕棺(かめかん)をぶっ壊すのか?

 

てか、こんな案内しているから本当に持ち込む人がいたんだろうな、頭の中では思わず「ツッパリハイスクールロックンロール」がかかりリーゼント頭で金属バットを肩に乗せてやってくる高校生を思い出した。

 

そして次に公園を彼方此方歩くことになる。広大な敷地でありカモが泳ぐ池や遠くからでも分かる物見櫓とかも「ここは映画のセットか?それにしてもだだっ広い」と思わせる。

 

そして最初に着いた王の家。ここには笠を被って当時の服装をモチーフにした和服を着てにこーっとしてる女性が3名いた。

 

そのうちの一人は先に来ていた女性二人組にたっぷりと話し終わったのであろう、その目は今度はこちらを向いて「獲物が来たぞー」である。

 

語り部が追いかけてくる。いや別に難しい話じゃなくて普通に歩きまわるだけで十分なんですがと思いつつ当方のメンバーの一人が捕まると「ここはですねー」から始まりとにかく離さない。

 

僕は出来るだけ距離を開けて歩くのだがメンバーとバラバラになるわけにもいかずなんちゃらの家かんちゃらの家を観せてもらう事になる。

 

「ここがですね〜、王はいつもたくさんの奥さんがいてですね〜、それは何故だか分かりますか〜?」知るか。

 

そして同じ場所にある物見櫓。「いやー、ほんとはあっちの櫓の方が景色いいんですよ、こっちでいいんですか?ほ・ん・と・に・こっちでいいんですね?」あんな遠くまで行かんちゅうに。

 

物見櫓は3階建てになっており開かれた階段を順々に上がっていくのだが、これが何か語り部に追い立てられる感じで彼女の自信に満ちた声が広がる。

 

「この櫓がですね〜」物見櫓に登り始めて振り向くと、何と語り部まで一緒に登ってきており「この景色がですね〜」とやる。3階まで上がるか?

 

この公園ではとにかく自分が正しいのだ。他人は自分の意見を聴くのだ・・・。

 

なんじゃここはー?

 

良い場所です。綺麗で整備されてて係員の皆さんは仕事以上に親切で世話好きで、話好きな人には良い場所です。ふー。

 

今回の九州めぐり、番外編でした。



tom_eastwind at 21:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月09日

福岡に戻る。

博多駅に到着するとタクシーで10分ほどのホテルに一旦戻り荷物を置いてから夜の街に出る。

 

福岡市は全国でも珍しく人口が増加している街である。Aucklandとほぼ同じ150万人程度であるがAucklandしかないニュージーランドと東京に直結して次々と新しいものが取り入れられる福岡では当然商品センスが違う。

 

Aucklandは今そこにあるものしかない。けれど福岡では今ここにないものが見えている。同じ人口でも人の動きが全く違う。

 

まずいつものようにホテル近くの観光客向け屋台の集客の様子を観る。8軒くらい並ぶどこの屋台も美味しいが客引きが一時期うざかった。最近はおとなしく声をかけてくるので警察の指導が入ったのはすぐ分かる。

 

いやいや、ビジネスの継続では無理やり引きこむのは駄目なのですよ。客引きのあなたがいきなり外人観光客の前に立ちはだかって中途半端な韓国語や中国語で無理に引っ張ればそれは確実にビデオに撮られてSNSで晒し者になるだけですよ。

 

それから中洲に入り客の入りを観ると、おーおー戻っているではないですか。勿論バブル時のように「人が溢れて歩けません」はないけど、どこでも「おっしゃー、次—!」と賑やかである。流石金曜日の夜である。

 

人口が増えて明日に希望が持てる街ってのは独特の匂いがある。それは街の匂いである。何だか甘くてほっぺたが紅潮するような感覚である。

 

馴染みの店に顔を出して最近の様子を聴く。中洲経済を一番よく分かっているのは現場で働く彼らである。

 

ちなみに偶然だけどこの店の入ってる通りのちっちゃいビルの3階には僕が30年以上前に一時期通ってたフリー雀荘が今でもある。賭け事に全く興味のない僕が麻雀を始めたのはポーカーなど西洋式のゲームがすべて統計学でいけるのに東洋式の麻雀だけは統計学が通用しない。何故だ?知りたかった。気の流れを知りたかったからだ。

 

フリー雀荘とはお互いに知らない4人が雀卓を囲んで半荘ごとに精算して、お互いに相手を知らないままに分かれていく場所だ。

 

ここなら何故統計学が通用しないかを勉強出来るだろうと麻雀に参加した。フリー麻雀は腕のたつ連中ばかりであり彼らがカネを稼ぎに来ているわけだから「カモられる」わけにはいかない。

 

こっちも真剣に場を見て(統計学)下家の顔を観て(心理学)こんな最後の一枚はないなと思ってテンパイを取るために最後の一枚を振ると上家が静かな声で「ロン」。心が凍るとはあの瞬間を言うのだろう、何の準備も予測もないままいきなり打倒された、そんな感じである。

 

麻雀をやって分かったのは「気」である。その場の気があり参加者の持つ気があり更にお互いハイを打つ中で段々と気が高まってくる、4人の間を物凄い勢いで渦巻きのように気流が回っている。

 

誰がどこで気流を分断するのか、自分にやって来た気をどうやって長いこと保持させるか。勉強になった。

 

所で麻雀の気は易経にも繋がっているようだ。一人で勝ちっぱなしというのは一時的には点棒が増えてもいつか仕返しが来る。又は麻雀で勝っても本来他の時や場所で得られてた筈の何かを失っている。

 

20代で福岡で仕事をしながらフリー雀荘に通い人生勉強もした。ある時は昨日までにこにこしてた対面のふっくらしたおじちゃんが今日は来ない。

 

どうしたんだろうと思うと制服姿の警官が3人来て雀荘の事情聴取。対面のおっちゃん、どうやら先週銀行強盗やらかしたとの事。

 

ヤクザ屋さんも打ちに来る。彼らはプライドがあるから負けられない。けど盤上の勝負に誤魔化しは効かない。丁寧語で「ロン」と接しつつ頂くものは頂く。悔しいのはよく分かるがそれで闇討ちなしよって感じである。なので時々負ける。このあたり距離感である。

 

お店ではすでに予約の席もあり賑やかさを感じる。景気が、つまりお金がこういうお店にまで流れ始めているのだ。安倍政権がトリクルダウンといって頑張っているが中洲では少しづつ実感出来始めている。

 

今回の「北部九州ぐるり散歩」は移動距離も長かったが観るものも多かった。福岡空港から久留米、街を視察して翌日は佐賀に行き時間があったので吉野ケ里も見学させてもらった。

 

久留米の不思議体験を終えて福岡に戻り荷物を置いてそのまま大分へ。途中北九州の街を見ながら到着した大分。僕の生まれ育った街がこうなったのはまさに時の流れと生き残りの結果である。

 

そして夕方のソニックで福岡に戻り最後の晩を過ごす。うーん、今回は前半の東京よりも後半の九州の印象が強すぎて、今でも頭の中で北部九州の景色が次々と回っている。



tom_eastwind at 21:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月08日

JR大分シティ

大分は釘宮前市長時代に駅前大規模再開発を行った。JR九州と組んで大分駅をゼロベースで作り直した。鉄道を高架にして駅の両側が通り抜けられるようにして同時に車が中心の駅前ターミナルを歩行者が中心のターミナルに大改造した。昔を知っているから本当に「大改造」という言葉がピッタリである。

 

大分駅に到着した時は高架である事に気づかず昔の印象で階段を降りた。電車を降りて地下道に入りすり減った石造りの階段を登って改札口・・・だったのが、全く作り変わっていた。

 

何だこりゃ?大分駅の短い階段を降りたら、そこは新しい改札口だった。

 

それまでの大分駅は日豊本線と久大本線の基幹駅として乗降客はいても彼らはそのまま駅から流れ出ていた。大分駅は単なる乗り継ぎ地点でしかなかった。

 

大分が衰退してた時期にJR大分駅構内にラーメン屋とか飯屋とか入れたが所詮それも骨の折れた患者に絆創膏貼るだけのようなもので根本的な解決策にはならなかった。

 

勿論テナント店舗も彼らなりに一生懸命がんばって店を盛り上げようとして「安くて美味しくてサービスが良くて」を追求したが、顧客はすでにそのようなサービスは期待していなかったのだ。

 

大分市は別府市と違い観光地ではない。毎日同じ人が同じ道を通って仕事に行き家に帰るのだ。その彼らが何を考えているのか。

 

大分は変わった。今までの供給者目線から消費者目線に切り替わりJRと大分市と付近の地主が共同で全く新しい街づくりを行ったのだ。

 

その結果大分駅という名前だけ残して今まであったすべての構造物を破壊して道路を掘り下げて駅裏のそれまで使われてなかった土地を再利用してターミナル駅としてホテルを建ててレストラン街、ファッション街、その他エンターテインメント性を持つ広場等を作った。

 

こういう時に大事なのは「あそこに行けば何か新しいものがあるかな?」と常に感じさせることである。供給者視線で「美味しいのになー」ではなく消費者視線で「日曜に行ったらまた何かありそう!」と思わせてリピーター獲得に成功したのだ。

 

そして起こったのが「人が戻ってきた」である。JR大分シティでは平日でも45万人、週末は78万人の集客を得た。大分市の人口が40万人ではこの数が出るわけがなく実は東九州自動車道を使って宮崎や北九州側の福岡からも人が来るようになったのだ。

 

JR大分シティの成功は全国でも取り上げられて各自治体からの訪問団がたえないと言う。

 

昨日も書いたけど高速道路とJRの高速化で大分の名門デパート「トキワ」はもろに福岡のデパート群との戦いになった。いくら大分一でも福岡の、それも東京のセンスを纏ってやって来た三越に叶うはずもない。

 

トキワのピーク時2002年の売上は単体で786億円、グループを入れると1250億円、当時の大分の小売業全体の1割を占める大企業であった。

 

ところが環境の変化に追いつけず何とか改革をするも後手後手、小さすぎるし遅すぎる対応で顧客を逃がしてしまった。

 

その結果として2012年の売上は475億円、10年で半分近くの売上を落としてしまったわけだ。

 

トキワ経営陣は何を見逃したのだろう。ぼくは大分に住んでないので具体的な事は言えないが日本中あちこちを回っているのでその理解で言うと長年の成功体験が足かせになり環境の変化の中で上司や幹部が自分たちの作ってきたものを壊せずにいたことだと思う。

 

そして更に何よりも大きな問題は、キーパーソンとなるべき人物に「まさか名門トキワが」という甘えがあったのだろうと思う。これは企業の規模に関係なくキーパーソンが如何に危機感を持ち利き耳を立てお客様の動きを観ているかがすべてである。

 

危機感は仲間でつるんでる時には絶対に感じない、部下のせいにしている時も感じない、客足が落ちても「一時的なもの」と思い込み感じない、福岡に客が移動し始めても「お、おれの責任じゃないよな」と危機感を持ちたがらない。その結果として皆が皆の顔を見つつすくんで何も出来なくなる。

 

JR大分シティは一度は観ておきたかった。今回の出張では福岡から久留米を回って福岡に戻り翌日の飛行機で香港経由Auckland戻りだったが、JR時刻表を調べると何とか日帰り往復可能、JR大分シティで昼ごはんを食べることも出来た。

 

それにしてもこのJR大分シティ、実によく作ってる。釘宮前市長もインタビューで語ったように「一番田舎で一番最後だったから全国各地の成功例を取り入れられた」との事。

 

勿論そうだけど、大分の田舎の地主や利害関係者を取りまとめる苦労は「成功例」には書かれていない。

 

さあ次はトキワと中央町商店街、そして竹町商店街だ。紙に書かれた言葉で危機感というのではなく、本当に鳥肌が立つように自分個人の危機感を持って変われるか?

 

その後大分駅からソニック48号で博多に向かう。大分16:45発博多18:47着。今回の出張最後の市場調査と情報収集である。



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2016年02月07日

大分へ

僕が住んでた頃の大分はど田舎であり交通の便が悪い僻地でもあり福岡とは遠くにある見知らぬ大都会であった。それでも当時はまだ別府も賑やかで観光バスがやって来て温泉旅館は賑わってた。

 

信じられないだろうが当時は流川あたりの旅館に泊まる客は旅館の浴衣に上掛けを着て部屋の鍵だけを持ち呑みに出てた。

 

飲み屋は部屋の鍵を確認してその日のうちに旅館に連絡をする。酔っ払った客は店が旅館まで送る。旅館は飲み代と送り代を翌朝のチェックアウト時にお客に請求する。客は黙って払う。

 

旅館は入金後各呑み屋に支払いを行うのだが、お客が財布を持たずに安心して街に出て呑める、街を挙げて作った全くよく出来たシステムであった。

 

別府から車で10分、大分県の県庁がある大分では当時新日鉄が進出してくれて街は賑わっていた。都町では新日鉄、トキワ、自治労、教組などが繰り返し呑みに出ていた時代である。

 

僕が高校を卒業して暫くしてから大分は誰も気づかないうちに寂れ始めた。地元の商店主などはこれを一過性のものと考えて何も変化せずに対応せずにいつものように商店主が集まっては酒を飲みお互いを褒めて時間だけが過ぎていった。

 

その結果として大分の中央通り商店街は次々と店が閉まり中央商店街と交差する位置にある竹町商店街は本当にシャッター街になった。

 

その時、つまり対応が遅れ変化をせずにいた結果が出始めた頃、大分の人々も考えるようになった。しかし今更去ってしまった人々を呼び戻すことも出来ない。

 

大分にはトキワという老舗地元デパートがある。トキワの包装紙で贈り物をすることは高級とされた時代があった。

 

しかし今は九州自動車道が発達してバスで2時間程度で福岡に行ける。電車でも2時間である。そうなると大分の人々も福岡へ日帰りで買い物に行くようになる。トキワは今までの無敵から突然敵だらけになった。

 

福岡の三越、大丸、天神、博多駅などのショッピング地域がもろに競合になったのだ。そうなるとトキワに勝ち目はない。おおいたで無敵であった時代に自分たちの未来を読んで変化しようとしなかった、新しい流れを予測しなかったその結果がもろに老舗デパートを襲ったのだ。

 

新しいブランドを一つ二つ入れても売れるわけがなく客が入るのは地下の食料品売場だけになった。そして大分はついに地盤沈下を始めた。

 

今回大分を訪問した一つの理由は大分駅の全面改装とそれによる集客の劇的変化を観ることである。

 

博多駅を出て途中折尾、八幡を過ぎて小倉で電車は進行方向を変える。日豊本線に入るのだ。北九州も人口減少の街である。明治時代は炭鉱ビジネスが盛んで麻生さんの出自もここである。

 

筑豊の山で取った石炭を川に運び海に運び石炭運搬船に積み込む。当時は軍艦だって石炭で戦争していた。石炭はまさに黒いダイヤだったのだ。炭鉱夫は前職を問われず働けば金になるから日本各地から食い詰めた連中がやって来た。炭鉱で働き船を漕ぎ石炭を海に運ぶ彼らのことを何時しか「川筋者」と呼ぶようになった。

 

明日の命は知れないから、稼いだカネはすぐ遣う。博打、演劇、女、様々なビジネスが炭鉱の町で興隆した。当時の繁栄ぶりが分かるのが筑豊にある嘉穂劇場である。何せ下手すりゃ東京よりも賑やかで繁盛していたのがよく分かる。

 

そして官製八幡製鐵所が出来て小倉の街は栄に栄えて一世代を誇った。

 

ところが石炭から石油へのエネルギーシフトが始まる。日露戦争は軍艦が石炭で戦っていたのに第二次世界大戦では石油となった。戦後も車のエネルギーは石油となり次第に北九州の石炭は斜陽産業となっていく。

 

しかしこれも毎度の事で一時の繁栄を経験した人々からすれば構造的に斜陽になった事を認めないし理解しようとしない。何か他の事に理由を付けて問題を逸らす。そして時間だけが経っていき、北九州市は往時の勢いをすべて福岡に奪われてしまった。

 

博多駅から小倉まで途中の街や建物やスペースワールド(週3日のみ営業という寂しいアトラクションである)を見ながら過ごす。

 

小倉駅は昭和の繁栄とその後の剥落を観たければ良い見ものである。小倉駅前などそのまま歴史遺産として保存しても良いのではないか。

 

小倉を出て暫くすると行橋、中津と続く。ここらあたりはどこも田舎であるが昔から田舎だったのであまり変化は感じない。

 

別府に来ると駅前はあいも変わらず人がいない。それでも頑張ってアジアからの観光客を取り入れており地獄温泉などはまた人が入るようになっているから北九州よりはましかもしれない。

 

そして到着した大分駅。最初に着いた時はまったく分からなかった。ここはどこだ?



tom_eastwind at 17:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月06日

北部九州の旅

6時起床。外はまだ暗いが体内時計は起きろと言ってる。荷物を整理してレストランに降りて駆け寄ってくるスタッフが言う前に先に「目玉焼き」と言ってからバイキング料理を取る。

 

バフェット料理という言い方が最近の日本で定着しているがここではバイキングである。ここでバイキングといえばバイキングなのだ。カーク・ダグラスがどうしようが関係ないのだ、料理の取り放題はバイキングと決まってるのだ。

 

料理はどれも美味しい。数が多い豪華ではなくおいしい食材を自宅で食べている感覚である。朝カレーがあったので久しぶりに久留米の米でカレーライスにして食べると、米が旨い。これくらい旨くないとやっていけないのだろうが、旨い。

 

但しデザートだけが頂けない。フルーツの缶詰を開けただけのような芸の無いものである。おそらくであるが朝食にデザートを食べる習慣のない人々が宿泊客に「朝ごはんでフルーツはないのか?」と言われて仕方なくスーパーで買った缶詰をボウルに開けて「これでも食っとけ」になったのだろう。

 

今日は忙しい。朝久留米を出てまずは直線距離35kmの福岡に移動、ホテルに荷物を置いて博多駅からソニックに乗り2時間ちょっとの時間をかけて大分駅に行き昼食を取り夕方にはまた福岡に戻り夜は21時ころから福岡で軽いミーティング兼情報収集だ。

 

昨日書き忘れたが久留米には本当に美人が多い。周囲が美人ばかりなので自分を美人と認識していない美人が多いのである。

 

これが東京だと自分のレベルを理解して上昇させてその意識バリバリであるから鼻につくが、それがないのである。田中麗奈が普通に店員やってるという街である。

 

豚骨ラーメン、焼き鳥、居酒屋、医者、美人、そして「自分」だけがある不思議な風土。興味のある方はぜひ久留米へどうぞ。

 

話を戻すと目玉焼きの朝食を取り部屋の荷物を2回に分けて下ろす。普段ならバゲッジダウンをお願いするところだけど「そんなもん知るか」光線で「台車」だけ持ってこられても調子くるうのでまあいいや、自分で下ろした方が気が楽である。

 

一回目のスーツケースとガーメントバッグを下ろしてフロント向かいの椅子によいしょっと荷物を置くとフロント女性スタッフがじっと見てて優しそうな「よく出来ましたね」光線が飛んできた。不思議な街だ。

 

二回目にビジネスバッグと小物入れを持って降りてチェックアウト。すっかり良い子と思われた僕は愛想の良いスタッフに迎えられて支払いしてタクシーを呼んでもらう。

 

「すみません、タクシーをお願い出来ますか」

「はい、呼んでおります」

 

これにはびっくりした。君は僕の行動予定を完全に把握していたのだな。それから彼らはタクシーを手配して「5分程度で参ります」。はい、参りました。

 

タクシーで福岡に向かうとこの運転手がまた「自分」である。運転手はよく太り帽子をかぶり運転席からこちらを振り向いて「私はタクシー運転手のxxでございます」きちんと挨拶が必要なのだ。こちらもきちっと「はい、お願いします」という。そうしないと走り出さない雰囲気である。

 

福岡のホテルの名前を伝えると「少しお待ち下さい、間違いなく行けるようにナビを入れます!」と携帯電話を取り出して配車センターに電話して「すんまっせーん、このホテルのナビをお願いしますー」

 

ホテルの場所が分かり都市高速道路の千代で降りることを声掛け確認した後に車は出発する。車は30分程度で福岡に着き高速道を降りる事になる。運転手は出口の分岐点寸前で「千代の出口から一般道に降ります!」ときっぱりという。

 

面倒くさいから黙ってたらもう一回「千代の出口から一般道に降ります」目の前はもう分岐点である、どうすんだおいおい事故るぞ、仕方ないので「はい」と言うと運転手は満足そうに千代の出口から一般道に降りた。

 

福岡のホテルに着くとやっと人間の住む世界に降りてきたような気分でチェックインする。いつものエレベーター近くの禁煙部屋を取ってもらってるのを確認して大きな荷物をホテルに預けて博多駅に行く。

 

博多駅は数年前に全面改装してから人が増えて天神とは違った賑やかさがある。アジアからの観光客も増えて旅慣れたグループや家族連れがあちこちで写真を撮って楽しんでいる。

 

久留米から福岡に出てそこから大分に日帰りなどは僕が高校生の頃には考えもよらなかった。JR九州も民営化されてサービス向上、列車の高速化、ななつ星等など次々とアイデアが出てくる。

 

博多駅から2時間30分の旅で大分に向かう。



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2016年02月05日

久留米二日目

久留米で泊まったビジネスホテルは西鉄駅前にある最近出来た小奇麗なホテルだ。ここでも何故か奇妙な体験をする。とても可愛い田中麗奈のようなフロントスタッフの発言が常に「自分から」なのだ。相手がどうこうではなくすべて「自分からの発言」なのである。

 

いや決して失礼ではないしおかしくもない、ただそこに明白な「ずれ」を感じるのだ。たぶんこの気質もたくさんの俳優を生み出しているからなのかもしれない。

 

チェックインの際に時間が早いので荷物だけ預かってもらおうと頼むと業務用の「台車」が出てきた。宿泊表にNZの住所を記入して出すと普通の顔で「パスポートのコピーを頂きます」。

 

頂きますなのだ、彼らのルールなのだ、それは絶対であり頂いて当然だから「頂きます」なのだ。mmmmmm。

 

日本でホテル生活をしていてパスポート提出を求められたのは記憶する限りここが最初だがパスポート提出の違和感だけでなくその、彼らが持つ絶対の自信というのが実に面白く興味深いのだ。

 

「朝食は食べられますか?」と聴かれても明日の朝のことは分からないので素直に分からないと答えると、まるでテストでバツばかりもらった子供を見下ろすような目で一つため息をつかれてから「あーそうですか」mmmmm。君は、本当に偉いんだな。

 

久留米は焼き鳥だけでなく医者の街でもある。ブリジストンの創業の地でもあり石橋さんが医科大学を作った事から始まり久留米に医者は多い。学校に行けば子供の同級生には必ず医者の子供がいる。

 

そしてこのホテルに宿泊する客はよく見ると皆小奇麗にまとめたスーツでスマートなビジネスバッグを持ちチェックインを済ませるとそそくさとホテルを出る。行く先は大学病院、客は製薬会社である。

 

この日も武田薬品のビジネス会議が13階会議室で入っており部屋は満室。日本のあちこちから集まったビジネスマンや貸切バスでやって来たグループなどが次々とやって来る。そう、この街は医療ビジネスが盛んなのだ。

 

当日飛び込みの予約電話にも(オマエハダレカ?)光線でばちっと「本日は満室を頂いております」と木で鼻をくくったような回答。

 

「お前らのような医者でも製薬会社でもない飛び込みや紹介のない客はどうぞよそへお行き下さいませ」という態度が見え見えである。ある意味、強い。

 

久留米はとんこつラーメンの発祥地でもある。博多とんこつラーメンは久留米から流れていったのだ。そしてラーメンでもとにかく一番でないと気が済まない物凄いラーメン激戦区であり毎日切磋琢磨しているがいわゆる「ゲテモノ系・変化系」ではない。本音本元本物を大事にして進化している。

 

昨日はお店巡りの後に文化街を訪問したがここでも実に奇妙な体験をした。

 

それは久留米は美人の産地というだけでなくご案内頂いたバーで話をする女性スタッフの思考回路が実に「自分から」であり、これが逆にものすごく良い距離感と合間と状況にピタっと合った言葉で会話をする。

 

誰かに教えられたとか作られた会話ではない、自分から話すものを持っている。だから初めて会った客でもすっと相手の会話に溶け込んでいける。だからまるで東京の一流店で会話をしているような気持ちになる。

 

普段ぼくがニュージーランドから来たというとびっくりされてわーわー言われてそこばかりの話になってうざいのだがこの街では「あ、そうですか」で終わり。自分がどこにいるかがすべてであり他人がニュージーランドだろうが地球外から来ようが関係ないのだろう、その距離感が心地よいのだ。

 

今日は一日中久留米と佐賀を回ってあちこち見て回る。よく歩いた。

 

昨晩で街は十分に楽しんだので今日はビジネスホテルのこじんまりとして小奇麗なレストランで一人飯。たまにはこういうのもいいなー、パソコンもケータイも持たない。目の前の料理と店の雰囲気と従業員の応対を楽しむ。

 

前菜はどんなに噛んでもカマンベールチーズのフライ。う〜む、旨い。久留米はホテルのレストランでさえ旨い。それからカルビーのシチューがメインコース。カルビというのもいかにも久留米らしい食材である。牛タンシチューもあったのだがここはカルビーだ。

 

注文を受けたスタッフに思わず「このシチューってかっぱえびせんが一杯入ってるのじゃないですよね?」と言いかけたがマジ顔で「それも出来ますよ、じゃあそうしますね」と言われるとまずいので止めといた。

 

久しぶりにゆっくりと部屋で過ごした翌朝はホテルで朝食を取る。場所は昨晩のレストランと同じでありこじんまりしている。

 

レストランの入口に立つと3分の1くらいの客の入りなんだがスタッフがいきなり駆け寄ってくる。僕は「一人です」と言おうとするがそれを遮るように「目玉焼きですかスクランブルエッグですか?」と聴かれた。

 

こっちが何名かではなくレストラン名物の鉄板焼き卵料理が世界の中心なのだ。これもまた面白い体験である。

 

久留米は「久しく米が留まる」街でもある。



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2016年02月04日

久留米へ

東京から福岡空港経由で久留米に向かう。今回は新しく始める企画で久留米の視察である。久留米は人口30万人程度の地方都市だがどうも通常の人種ではないようだ。

 

古くはチェッカーズ、松田聖子、酒井のりこから田中麗奈、家入レオ、それにホリエモン、となり町では孫正義、つまふぎさとし、徳永英明、等など多数であり人口比で言うと異常ではないか。

 

この土地の米を食い水を飲み育った人たちは久留米が世界の中心で東京に行くのは通り道、目的は自分のやりたいことで一番になることなのではないかという気がする。

 

とにかく他人を見ていない。他人はどうでもよい、自分がどうかなのである。その空気がこの街を作っている。

 

福岡空港に着いて久留米まで車で30分程度だ。ホテルに荷物を置いてから早速視察を開始する。今回の目的はレストランめぐり。日本の味をAucklandへ、日本のサービスをAucklandへ、移住した後の日本人がどうやって生活していくのかという切り口である。

 

久留米は福岡で三番目に大きな街といいながらも昼間は皆福岡に働きに出て寂れたような感じがする。JR久留米駅は新幹線が停まる駅だが乗降客よりも駅員の方が多いのではないか。

 

西鉄久留米駅が街の中心街であるがここも昼間はのんびりしたものである。ところが実はこの久留米、人口比で焼き鳥屋の数が多い。そして普段は他人の事など我関せずの久留米人がビジネスとして手掛けると皆が激しい競争心を燃やしてとにかく自分がいちばんになろうとするからすごい。

 

久留米と福岡は、横浜と東京みたいなものだろう。横浜じゃんじゃんからすれば東京など所詮地方人田舎者の集まりであり「ふーん」である。久留米も同様であり「福岡?地方から集まった人ばかりですよね」となる。敵対心無く見下している。

 

この日はレストラン4軒を見て回り文化街に出て久留米文化を十分に味わう。



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2016年02月03日

東京ばな奈

ガラスの東京での仕事終了。甘木さんが閣僚辞任、勿体ないことだ。テレビや新聞では現金授受や利権関与は政治家にあってはならないと綺麗事を言うが現実問題として贈与がなくならないのは彼ら政治家が一般市民の価値観を代表しているからだ。

 

日本では何かを期待して贈与するという文化が律令期からある。畑を作り米を耕す農耕生活においては天候が重要で、そこで村長は季節ごとに祭壇に魚や米を捧げて神様から「晴れ」というキックバックをもらってきた。

 

今も天皇陛下の大事な行事として新嘗祭があるが、あれなど「今年も豊作でありがとうございました」と神様にキックバックを渡しているのだ。立派な贈与である。

 

天皇自ら神様相手に贈収賄やっててそれが国家行事なんだから天皇の認証を受けて国民を代表する内閣閣僚政治家が贈与を受けて頼みごとをする事に対してメディアが綺麗事を言うようではどうしようもない。

 

国民もずるい。甘木さんのニュースを見つつ「あらまあ、甘利さんってこんな事してたの〜?」みたいな話。

 

自分たちだって住んでる町の隣近所に何かあればお菓子を持って行ったりするし旅行に行けば必ず地域住民用のお土産を買って帰る。これは「自分だけ旅行に行ったけど仲間外れにしないでね、ほらお菓子買ってきたよ」である。

 

その後も地域社会、所属社会ごとに「村」の中で贈与の歴史は続く。お中元、お歳暮、付け届け、様々な機会に人々は自発的に誰かに何かを贈りその見返りを期待した。

 

それは現代でも同様であり「お世話になったあのひとに」贈与をするのだ。だから三越は儲かったのだ。送る相手が上司の場合、部下である自分だけ何も送らないという「村八分」になるわけにはいかない。

 

「ねえあなた、今年は佐藤部長に何送るの?同期の方は何送ってるのかな?」これなどマイナスにならないための贈賄である。

 

贈与を受け取った上司は当然の事と受け取る。何せ日頃面倒を観ているのだ、当然だろう。そこで目立つのはお中元やお歳暮等の贈与がなかった部下である。「こいつだけ、何で何も持ってこないんだ?」

 

政治の仕事は国民の利害関係の「調整」である。日本という村社会ではそれが摩天楼のビルを作る時も田舎の田んぼの利用方法も「調整」が大きな影響を与えているのだ。

 

だから地域代表である村長=政治家が「調整」をすればそこに贈収賄が出てくるのは当然だ。ある会社が甘利さんにお願いごとをしたら贈与は発生する。贈与がない?お願いだけして贈与がないなんて、そんな失礼な話があるかってことだから当然贈与が発生する。

 

そしてそれは甘利さんが口利きをしたからである。

 

建設利権などはもっと酷い。古賀誠など叩けばどこまでも真っ黒である。

 

それを現金で受け取ろうがどうだろうが問題はそこではない。問題は日本の歴史と文化と風習の中に贈与が大切な位置を占めているという事だ。

 

てか、天皇から一国民まで贈与の歴史を持つ日本人が新聞記事の時だけメディアは自分だけいい子ちゃんするのか?

 

贈収賄。犯罪である。しかしその根本を理解もせずに表面だけで誰かを叩くような事は止めたほうが良い。

 

それよりも贈収賄が起こる原因が日本人自らが社会性として持っていることなのだからそれを根本的に治すのかそれとも現実的に贈収賄にもっと幅をもたせるのかを考えたほうがよい。

 

東京ばな奈。今日も羽田空港ではずらっと並んだおみやげ屋さんとお土産を買う人々で溢れている。

 



tom_eastwind at 12:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月02日

東京の空

ビルがデカイ。薄暗い雲の下に広がる高層ビル群。この街は「地権」魍魎なんだろうな。

 

去年から日本の現役社長と話してて感じたのは東京の魔物さである。ホテルから見える六本木ヒルズ、防衛庁跡の開発。

 

これなどはまさに様々な業界を横断した利権である。土地を出す政府、政治家、防衛利権、大手建設会社、下請け、それぞれ魔物のような連中が東京の夜のあちこちの暗い店でごそごそと情報交換をやっている。

 

この街は政府支配層から始まり次々に情報層が広がっていく。裏の繋がり、よく言えば学閥とか会社閥とかが順々に下に降りていく。何かその空気が「匂い」である。

 

地頭の良い連中の集まりとかではなく、子供の頃から机を並べて相手と付き合いお互いの事をよく理解している連中の集まりだ。

 

たぶんそこには地頭のよい企画担当と頭は悪いがよく働く労働担当とか根回し上手とかいるのだろう。仲間内で仕事を分担して世代を越えた信頼と忠誠とか誠実があるから実質的に一つの組織である。

 

ホテルのバーでパソコン開いて仕事してると何だか雰囲気のおかしい、どう見ても昼間のサラリーマンではないような人々が頭を突き合わせてごちょごちょ話している。

 

ある時ぼくがバーから見える改装された庭が綺麗で写真を撮ったところ、フラッシュがたかれて窓際に座ってたガラの悪そうなおっちゃん達が写真に入ってしまった。

 

おっちゃんはとっさに目の部分を手でふさぎこちらにやってきて「何だお前!」みたいな雰囲気になった。僕は喧嘩が嫌いなので素直に謝り「いやいやそういう意味ではない、庭の写真だ、ほら、あなたの目は映ってない」と説明して事なきを得た。

 

あれも何か悪巧みしてたんだろうな、目を塞ぐのが早かった。

 

去年11月の日本出張から今日までAucklandにいたのですっかり体がNZ仕様になってしまってたのだろう、今回ホテルの窓から見える高層ビル群を観ているといつの間にか頭の中に渦巻きが出来上がった。

 

ビル群のてっぺんにあるのが人魂のような渦巻きのてっぺんである。少人数の、けど誰か一人がリーダーシップというのではなく学閥や会社閥がお互いの距離感を確認しつつ互いの利権を荒らさないように合意する。

 

そしてそれはビルの周りをぐるぐると渦巻くように建設会社から建設資材会社、実際に施行をする地元工務店などが絡み、青写真が出来上がる頃には下半分である「じゃあこのショッピングモールのここはお前が出店するか?」みたいな学閥で決定出来る部分が出てきて全員がいつの間にかうまくまとまる。

 

そうやって根回しの出来た工事は円滑に進む。何せ数世代に渡る学閥親子社会はその中にいることで得られる情報と利益は大きいから一回だけ騙して自分だけ抜け駆けなんて発想はないのだ。

 

けれどそれはあくまでも日本の東京の支配層の一部の中での話である。そこから渦巻きの下に行けば行くほど大きく黒い渦が広がり、建設現場ではブラック企業に残業、過酷な労働条件で過労死などが次々に出てくる。

 

けど雲の上の人々には下々の生活は分からない、見えない。だって自分たちの仲間でいつもホームパーティやったり週末のテニスを楽しんだりしているから見えないモノは見えない・・・。

 

ぼくが泊まっているホテルは今週一杯満室だ。イタリアファッション物産展?みたいなのをやっており人の流れが多い。それにいつもの通り週末には結婚式が入ってて賑やかである。

 

ここにいると日本が消費者物価を何故2%上げられないのか不思議な気持ちになる。

 

ところが現実問題としては非正規雇用労働者の年収が200万円とか大企業が下請けを叩く現実は何も変わっておらず、食物連鎖の下に行けば行くほどきつい。

 

向かいのオフィスビルに入ってるコンビニでは400円のり弁当が売られており、その上の3階にあるビルで勤務しているスタッフ用のレストランではぶっかけそばが380円とかである。もうワンコインでさえ死語である。

 

ご立派なビルで首にカードぶら下げて働いているけど全員が全員年収700万円とはいかないのだろう。

 

駅近くに行けば日高屋が安いラーメンを提供して時にはちょい飲みに使われている。新橋のガード下に行けば昭和の時代からやっている居酒屋がこれでもかと価格競争をやっている。

 

安倍政権は一生懸命給料を上げる努力をしてて、そりゃもう労働組合も唖然とするほどである。最低賃金上昇もやろうとしている。

 

そう、アベノミクスが偽薬であり黒田バズーカと同様に打ち上げ花火をやるが結果的に効果が出ない。そこで国民が気づく前に次のバズーカを撃って目先をそらせる。マイナス金利などはまさに「はよ投資せんかい!」の明確なメッセージである。

 

しかし安倍首相の最終的な狙いは国民生活の向上でありその為に賃上げが必要なのはよく分かっている。所得倍増計画をやろうとしているのはまさに安倍首相でありそうやることで選挙にも勝てる正しい自民党を主張出来る。

 

ところが現実には非正規などという世界から見れば意味不明の雇用形態があり「同一労働同一賃金」をわざわざ主張しなければならないほど労働者の格差が広がっている。

 

東京で生活をしていると自分が所属する層の歯車に心地よくハマっているから何の根本的疑問も持たないだろうが、異邦人である僕から見れば忙しそうに仕事をして疲れてコンビニで温めた弁当を付設の休憩ブースで食べている人々を見ているとまさにこれこそチャップリンの「モダン・タイムス」を感じる。

 

素晴らしく良く出来た社会なんだよな、それは明るいジョージ・オーウェルや明るいオルダス・ハクスリーとでも呼ぶべきか。

 

東京に存在する目に見えない様々な階級、そして歯車の中で生きていく人々、ホテルの窓から高層ビル群を見ながら異様な渦巻きが見えてしまった。



tom_eastwind at 17:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2016年02月01日

行列

香港国際空港から羽田国際空港に移動。そろそろ春節を迎えるので空港も混み合っている。ここでは僕は外国人である。つまりその地域の習慣を守る、少なくとも尊重する必要がある。

 

香港には香港の習慣がある。例えば香港人は友達と歩道を道幅一杯に広がって歩いているようで香港人同士は決してぶつからない。つまり距離感が取れているのだ。

 

これを日本人はすぐ「香港人は道幅いっぱい広がってよくない」というが彼らにとっては狭い香港の道路を有効活用しているだけだとも言える。

 

香港人はバス停でバスを待つ時にもきちんと行列を作る。基本的に割り込みはしない。それは行列なしで乗り込むことでかえって乗車に時間がかかるしお互いに不愉快な思いをすることが分かっているからだ。

 

行列を作るとはある意味成熟した社会の暗黙的合意である。俺がルールを守って並ぶからお前も並べ、割り込むな、である。

 

その香港の空港の手荷物検査で面白いことがあった。香港はハブ空港でもあり世界中に向って飛行機が飛んで行く。中東行き、米国行き、中国行き、アジア各方面、いろんな習慣を持つ人々が一つの行列に並ぶ。

 

ここの行列は検査場所に向って左右に紐を引っ張って腸のように移動しながら前進する方法である。そこで行列の中の2人の若い香港人が同じグループだけどチェックインなどで時間がかかったのだろう残りの4人くらいのグループが後から来たので紐を上げて「おい、こっち来いよ」と言った。

 

4人グループは「え?いいよ、このままで」という雰囲気であったが、最初の2人が「来いよ来いよ」と言うので一人が紐をくぐった所僕の10人位前、2人より10人くらい後ろの香港人が大声で「おい、行列守れ!」とやった。

 

さてどうなるのかと観ていると速攻で怒鳴り合いが始まる。よく観ると割り込みを勧めてた2人のうち1人は首の上からしっかりモンモン入っており後ろに向って「並んでるだろ、見えねーのか!」と怒鳴り上げる。

 

後ろの男性も「行列を守るのは当然だろうが、元にもどれ!」とやる。多分後ろの4人組は仲間と言っても真面目なのだろう、いいよいいよと紐をくぐらずにいた。

 

するとこのモンモンが頭に来たのか「おい、こっち来いって言ってるだろうが!」と引っ張りこむ。4人組は仕方なく割り込む。

 

すると後ろの男性が更に大声で「お前ら行列守れよ、係員呼ぶぞ!」と怒鳴る。モンモンは今回は明確に後ろを振り返ってその男にピンポイントで「何じゃー、呼べるものなら呼んでみろ!」と大声で怒鳴る。

 

両方が怒鳴り合い係員が見えないふりをしている間に行列は進み若者グループは荷物預け検査に入ったのでお流れになった。

 

行列を守ると言っても香港の下町に行けばヤクザはたくさんいる。あいつらは行列を守らずにすぐ割り込みをする。彼らにそれを指摘して強引に止めようとするとそれだけでメンツを潰されたと考えて自宅を狙われる。

 

このあたり香港人は現実的であるから、行列の中に一人のヤクザがいて割り込みで喧嘩をすることで余分な時間が取られてバスの出発が遅れるよりも、一人くらい入れて流れをよくしようという判断が働く。

 

けれど空港では割り込みを指摘して怒鳴ってもこっちの身元を特定されることはない。だから香港の常識である正論「並べ!」と主張出来るのだ。

 

これなど中国大陸から来た中国人は行列を作らないので空港では香港人に怒鳴られているのだろう。客である中国人であれば何も言えないが空港で行列を作る人間であれば香港の常識を押し付ける事が出来る。

 

順番を守るというごく当たり前の、そしてそれは誰にも行列に並ぶ理由が保障された社会が香港にはまだある。

 

今度から中国人だけ別のレーンにして行列の紐をなしでそのまま手荷物検査窓口に押しかけたら面白いだろう。



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