2017年02月

2017年02月28日

割り勘文化

東京の人と話をしてていつも疑問に感じていたのが割り勘文化である。あれって知らない者同士が一緒に飲むから割り勘なのか。つまりよく言えば一期一会、悪く言えば一回限りの付き合いなのでお金の事もきっちりしておきたいという事なのだろうか。

 

東京の人はそういう事を深く考えもしないようで普通に飲み会に男女が参加しても男女平等の割り勘で支払う事が普通のようだ。女性の食事代を安くしてしまうと「なめんじゃねーよ、あたしゃ生活保護じゃねーよ!」と女性に怒られる事もあるのかもしれない。

 

僕が日本の田舎の九州で生活をしていた1980年代はどのような集まりでも女性がお金を払うと言う文化はなかったような気がする。

 

それとも僕の周囲だけだったのかもしれないが、田舎に一期一会はない。誰もが同じ街で生まれ同じ街で育ち同じ街で働き中には親同士も昔は学校の同級生だったなんてのも普通にあったから、一生一緒みたいな雰囲気がある。

 

そして九州では表面的に男尊女卑なところがあるから例えば田舎の青年団の飲み会だと宴会の最中でも女性は男性の酒が空になっていればささっと酒を注ぐし豊富な話題で会話を楽しみつつ男が宴会の度に毎回繰り返す同じ自慢話を毎回初めて聴いたように「まあ、すごいですねー!」と男性を立てる。

 

その代わり支払い時になれば参加した男性の頭数で飲み代を割り勘にしたりもし先輩がいれば「よかよ、俺がこれだけ出すけん」と余分にお金を出したりしたが女性がお金を払う事はなかった。(これはあくまでも僕の付き合ってきた範囲内の話であるが)

 

そして飲み会の終わりには数人の男性がチームになって女性を順々に自宅に送り届けて親御さんに引き渡す、一対一で送ることはしなかった。そうやって女性を守りムラの青年団は秩序を保ちながら成長していったものだ。

 

ところが最近ある書き込みで、バーベキューに参加した家族グループが「うちが余分に負担させられた」とか「xxさんは何もせずに持ち込みもしないのにうちが持ち込んだワインはどんどん飲んだ」とかずいぶんせこい内容であった。

 

日本ではまだバーベキュー文化やホームパーティが根付いて無くて、慣れてない人が格好付けてやるもんだから一期一会なのか一生一緒なのか距離感もないままに「あらまー素敵!うちもいよいよ素敵な階層に参加してますよー」と喜んでフェイスブックに書き込みして喜ぶが、カネを払う時に急に素面に戻って細かいところをぐたぐたと言い出す。

 

僕が「沢庵」と勝手に名前をつけている小話がある。それは皆が宴会で集まりご馳走の豪華幕の内弁当が出るのだが、皆社会でそれなりの立場にいて発言も立派で天下国家の話も見事に語る。

 

なのだが、熱く語り手元の箸を持ち上げたその瞬間に手元の弁当と相手の弁当を見比べて「あれ?おれの沢庵が一枚少ないぞ」と言い出す話である。

 

いくら立派なことを言っても目の前の沢庵の枚数を数えているようでは如何なものかと考えてしまうがそれが現実に起こりうるのも東京の話である。

 

ニュージーランドでは週末のバーベキューが生活の中に染み込んでおりいつもどこかで開かれているし知らない人でも気軽に参加出来る。

 

ところがバーベキューで皆が大騒ぎしているように見えて実は新しい参加者の事はしっかり観ている。

 

基本は料理や酒を持ち込むのだが、中にはいつも持ち込みよりも多く消費してケロッとしている人もいる。次回はどうかなと思ってても次回が同様に持ち込みよりも消費が多いとなれば、次第にその人はバーベキューに呼ばれなくなる。

 

香港時代もよく海辺のバーベキューに参加したものだ。僕だけ日本人なんだけど呼んでもらい赤柱(スタンレー)と呼ばれる監獄の横のきれいなビーチ沿いの岩場にはバーベキュー設備が整っており、皆が三々五々肉を買ったり近くの士多(食料店)でビールを買ったりして上下の差別なく楽しんでたものだ。

 

けどこれもやっぱり参加者はしっかり他の人を観ており、きちんとバランスが取れているかを長期的に判断してた。次は誘うかどうかを。僕は日本人と言う事もあり彼らも気を遣ってくれたがそれでもぼくは常に三人分の飲み物は用意していった。

 

実はこの場所、香港のウインドサーフィンのメッカのような場所でもあり僕はそこで毎週末は必ずと言って良いほど朝から香港の仲間とウインドサーフィンやってたのでその付き合いで参加させてもらったのだ。

 

そんな事もあり僕としてはバーベキューってのは長期的な付き合いのバランス感覚が必要なんだなといつも思ってた。

 

けどそういう仲間内の付き合いをきちんとこなしていると何時の間にか皆が助けてくれるようになる。香港人の結婚式に呼ばれた時に参加した老人が「何で日本人がここにいるんだ!」と怒った事があった。老人は日本軍が香港を占領していた時代を覚えていたのだ。

 

そんな時周りの仲間が「いや、こいつは良い日本人なんだよ、ヘタだけと広東語もしゃべるんだ、いいヤツだよ」と助けてくれた。

 

ニュージーランドも香港もパーティ文化は日本よりも発達していた。だからこそ参加する際もきちんと自分の立ち位置やあるべき役回りを考える事で仲間が増えていった。

 

パーティとはそういうものだ、一期一会なのか沢庵なのか分からないが東京の割り勘文化に僕が馴染めないのはそういう経験があるからだ。


一期一会程度なら参加しない。参加するなら長期的視野で付き合う、けど東京のような大都会では距離感が取れないのかもしれない。香港もニュージーランドもちっちゃな地域社会だから学べた話である。 



tom_eastwind at 18:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月27日

今隣にいる他人はあなたの試金石ではない。

昨日の読書の話の続きになるが吉田兼好がその書の中で「見ぬ世の人を友とするぞ、こよのう慰むわざある」と書いている。

 

「書物を通して古人を友とするのは、最高に心を慰めるものである」とも訳されるが僕はこれを自分なりに「今この世に生きているだけの生まれっぱなしの隣人の話を聴いたりその人のやる事をいちいち気にして自分がバカに巻き込まれるよりも、一人静かに過去の時代に生きていた賢人の書物を読んで学ぶほうが遥かに正解であり利口である」と訳している。

 

つまり、今同じ時代に生きている他人の事などどうでも良い、それより自分が自分の眼で物事を判断出来るようになる為に会った事もない過去の人の「古書から学び試金石を取り出して座右の銘にすることでよりよい人生を送ることが出来る」と言う事だ。

 

本を読みながらそこに学びを感じて同時に何かしらの「人生の普遍の真実」を読み取ることでそれを自分の試金石とすることが出来ればそれが読書と言う追体験を通じて得られる人生最大の果実だと思っている。

 

誰もが人生を生きて行く中でいろんな判断を求められる機会があるが、その時の判断基準に「隣の人が今何しているか」なんてのは本来ない筈だ。

 

歴史を振り返り今のあなたと同じような状況にいながら正しい判断をしてその結果としてそのような事柄が本になり後世の人々に文字として残された事を考えてみよう。

 

つまり僕らが学ぶべきなのは過去でありそこに正しい答えが常に用意されている。何故なら文化や文明がどれだけ進歩しても人間が生まれてから死ぬまでの間に起こる人間の感情の移ろいには何の変化もないからだ。

 

2千年前の人も人と戦い恋に悩み何故生きるのかを考え家族を作りそして死を迎えた。その時の心の持ちようはいつの時代も同様である。

 

なのに何故か多くの人は今目の前にいる他人や周囲の意見ばかり気にして周りにどう観られているかを気にして常に他人との比較でしか物事を考えられない。

 

だから常に他人を気にして他人の噂話を面白おかしく聴きつつ自分が相手より上にいると思った瞬間に「勝った気がして」歓喜にあふれるのだがそんな薄っぺらな気持ちは自分より少しでも上の人間を見た瞬間に嫉妬心と怒りで体が燃え上がりその他人の全てを否定してしまわなければ嫉妬心も怒りも消すことが出来なくなる。

 

本来人間は一人で生まれて一人で死ぬ。その人生に今の他人が影響を及ぼす事など殆どない。だから他人がどうしたこうしたなんてのはまさに人生の瑣末事でしかない。

 

自分はどうなのか?自分はどう考えるのか?自分はどう生きるべきか?その為にこそ古人の本を読み学び自分の生活の実践に役立てるべきなのだ。

 

そうやって自分の内面を見つめる勉強をしていれば自然と他人は視界に入らなくなる。他人に何か良いことがあれば自分の事のように喜んであげる事が出来る。他人が自分より賢いと思えば素直に「学ぼう」とする気持ちが出て来る。また他人がいつもネガティブで周囲に負の空気をばら撒くようであれば「君子淡交」で近寄らない事だ。

 

なのに試金石のない人はとにかく他人の視線ばかり気にして他人と話をする時も「自分は社会的にどうこうで学校はどこそこでカネはしかじか持ってて」と、自分の内面とは全く関係ない話で相手より優位に立とうとして「立てれば歓喜負ければ嫉妬、歩く姿は疑心暗鬼」となる。

 

情けない話であるが多くの人間が意味もなく今いる他人と繋がろうとするのは内面の試金石を持っていない証拠である。

 

恋をしよう「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身も焦がれつつ」

戦おう「己を知り相手を知れば百戦また危うからず」

そして周囲の反発をかってでも「君死にたもうなかれ」と言ってみよう。

 

試金石、それは自分で探して見つけて時間を掛けて磨くものであり今あなたの隣にいる人が与えてくれるものではない。

 

吉田兼好はその書の中で「何事も先達のあらま欲しき事なり」と書いている。

 

学びは一生の友、学ばずつるむは一生の恥である。



tom_eastwind at 17:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月26日

本当に背筋の凍る読書

僕は子供の頃から本を読むのが大好きで小学校低学年の頃から文庫本を読んでいた。

 

勿論習ってない漢字も多いわけで最初に読んでたのは小学生向けに書かれたSF
とかだったけど面白いものだからどんどん読み進み時には難しい漢字もあてずっぽで前後の意味ではめてみたりして読み進んだものだ。

 

あの頃一番印象に残ったのがハインラインの「夏の扉」である。あれくらい夢と浪漫とぶっ飛ぶ発想と科学想像力を駆り立ててくれた本はなかった。

 

もちろんその後に読んだ「月を売った男」とか他の作品も「あり得ん!」と思うくらい素晴らしくて常に変化し続ける未来と絶対に変わらない人間の心をよく書いてた。SFはサイエンス・フィクションと呼ばれた時代からスペキュレーション・ファンタジーに変化した時代でもあった。

 

漫画に至っては当時の貸本屋全盛時代に少年漫画から少女漫画、でもってガロ、とにかく活字と絵を描いていればどんなものにも最新版に飛びついていた。

 

少年ジャンプは発刊以来ずっと読んでた。「男一匹ガキ大将」とか「ハレンチ学園」とか分野に拘らず色んな作品が掲載されていた。

 

なので今の30代の人々が電車の中でジャンプやマガジン読んでるって話を聴いて、良い悪いかは別にして理解出来る素地は今もある。

 

当時は永井豪のハレンチ学園が上品なPTAのご主婦の方たちに吊し上げにされたりしたものだ。しかし彼女たちは同じ作家である永井豪が描いた恐怖のSFを知ることはなかった。

 

親子の情愛が突然生理的に崩壊した町で夕方自宅に元気よく帰ってきた子供を母親がにこっと笑って野菜を切ってるその包丁で、まるでゴキブリを叩きつけるように斬り殺す。

 

そんな内容はもう小説さえ超えてたものだ。永井豪のデビルマンなども一般世間の文字や絵に対するバカで白痴で進歩のない認識を完璧に越えるものであった。

 

もっと言えばジョージ秋山の「阿修羅」。これは神奈川県の女性団体から発禁を求められて実際に発禁になった漫画であるが、僕は当時最初からずっと読んでて背筋が凍る思いをしながら親に捨てられた子供が大人を殺してその肉を食いながら生き延びると言う平安時代の日本と言う舞台を通じて描いた人生の怖さを感じたものだ。

 

学校の図書館にある本も楽しくていつも色んな本を借りては読んでた。以前も書いたけど当時南米の山脈に墜落した飛行機の生き残った人々が死んだ仲間の肉を食って救助された話でキリスト教徒の間で大きな話題になった本とかも読んだ。

 

そんな当時の読書はまさに「コペルニクス的転回」であり、読書が追体験と言いながら「そんな視点から人生を観ることもあるんだ」と怖くなった記憶がある。

 

そんな本の中でも図書館で一番びっくりしたのは山ほどあるけど一つまず書くとすればスウェーデンボルグである。

 

勿論他にも山本周五郎とか絶対日本人に読んでもらいたい本はあるけど、やはり日本人に馴染みのないキリストの原点の「天国と地獄と輪廻転生」を理解するのに役立つ本であった。あれ以来夢を見るのが好きになったのも事実である。

 

そして自分の人生の試金石となったのが五味川純平の「人間の条件」である。この本は10年単位で僕の試金石を磨いて新しく持たせてくれる。

 

これはやはり戦前の日本と敗戦後の日本と、そこに関わった中国や韓国の人々の生々しい歴史、同時に戦後に共産主義がいかに日本に浸透するためによく書かれた本であるかというのが後日わかりながらも、それでも作品的価値を全く落とさないと言う、ある意味ナイアガラの滝を棒も安全紐もなしに歩くピエロの格好をした壮絶的なハラハラ感を小説家として感じさせてくれる内容である。

 

どっかで落ちるんじゃないか、どっかで妥協するんではないか、そう思いつつ読み終わってみると自分の内包するもの、その言葉さえもが極無虚に感じさせるほどの妥協のない強烈な小説であった。

 

その後もとにかく何か字や絵を書いている(描いている)ものは何でも遠慮なく飛びついた。友達に「お前少女漫画読んでるのか!」と言われても透明感のある萩尾望都等は「この宇宙空間、すっげー!」と感激しながら読んだものだ。

 

同時に掲載された内容には「いじめ」もあった。

 

学校に通う女の子がいつもみすぼらしくて金持ちの女の子に虐められた。けどその子供は何の気持ちも示さず学校が終わるとすぐにうちに帰ってた。

 

そんな彼女を不思議に思った同級生が後をつけて彼女の住む薄暗い小さなアパとにたどり着き、割れた窓の隙間から覗き込む。

 

すると母子家庭で母親が病気がちで布団に寝ていて子供のためにティッシュボックスどころかちり紙も買えない。寒い冬でお母さんを看病しながら鼻水を垂らしていた女の子をそっと抱きしめて鼻水をなめてすくいあげて飲み込む母親。生きているだけで一生懸命だった二人。

 

驚いた覗き魔の女の子は学校に戻り、それから暫くして貧しい女の子が学校に来なくなりある日先生から「あの子とお母さんは自殺しました」と聴く。

 

これを追体験と呼ぶべきか。そうだなー、追体験としか表現のしようがないな、そうやって「本を読む」と言う行為を長く続けてきた。そんな作品も当時の少女漫画に掲載されてたのだ。

 

自分の経験の中で「本読みの本知らず」と言う人々も随分観てきた。

 

もちろん僕もその一人である。読みながらも理解せずましてや追体験すらせず挙句の果てに本のタイトルだけを狩猟と言う名前の下に一方的に殺した動物の首のように偉そうに振り回している理屈ばかり言ってる。

 

一知半解どころか一読無理解、勲章大好きだけど努力は嫌い、立派な事は言いたいけど学ぶのは面倒だから他人の書いた書評を自分のものにすること大得意、まるで大学受験のあんちょこみたいな読まない嘘体験を語る。

 

そうはならないようにしよう、自分の為の読書でありたい、そしてそれが行動に繋がるべきだ、そう思いながらどうしても逃げたり嘘言ったり誤魔化したりする自分を感じて自己嫌悪に陥りつつも、それでも追体験をすることで学べるものがあると考えていた。どんなバカでも機会だけはある、それが読書かなと。

 

ところが今日読んだあるブログの書評で、ほんとに体が凍りついた。何の気無しにいつものように調べ事しててたまたま劇薬小説とタイトルにあり「何だろ?」とクリックしたのが運の尽き。

 

やられた。

 

完璧に心を殺された。

 

この感覚は生まれつき本を読む人でないと理解するのがきついと思う。ある人にとっては何の影響もない周波数でもある人にとっては致命的な周波数となり心を完璧に砕くのだ、それもボロボロの粉ではなく粘り気のあるドロドロとした状態にされて元に戻れないのだ。

 

読書における追体験とは結局は脳内で実体験をすることでありそれが肉体に影響を与えることは否めないがその読書の怖さがここまで来ると・・・思わず読書は止めましょうと言う気持ちになる。

 

少なくとも子供にこのような読書をさせたくない。作品の善し悪しではなく悪魔の黙示録を読ませることだけはさせたくない。

 

それにしてもよくもここまで人間の心理の深奥まで書いたものだ、こいつらは生まれつきの人殺しなのか。背筋の凍りつくような読書論であり、これはリンクしないでおく。

 

読書は素晴らしいものであるが時には注意しないと、とんでもない作品にぶつかって心をボロボロにされる事がある。



tom_eastwind at 10:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月25日

桜の花の咲く頃

 

やっと今週で仕事が追いついた。さあ今週末は3月初旬からの日本出張の準備にかからねばならない。

 

2月はオークランドの観光シーズンでもあり日本からのお客様対応が中心だったけど3月は初旬から日本に入り個人面談は310日から12日までである。これから予定を入れていく事になる。

 

日本はそろそろ桜の季節ですよとお客様からお伺いしており桜の本場日本で桜を観る機会があればと思う。

 

そう言えばもう9年位前になるか、弘前城の桜を家族で花見に行った事がある。大きなお城の中では桜が咲き桜の下では地元の人達だろう、円座になって楽しそうにご飯を食べてお酒を飲んで本当にのんびりとした時間を過ごしてて、家族皆がびっくりしたものだ。

 

あの清潔好きな日本人が公園の地面にそのまま座り込んで公衆の面前で昼間から酒を飲んでるんだー!。

 

公園には縁日の屋台がたくさん出ており家族は物珍しそうにおでんや焼き鳥や地元の料理を縁台に座ってぱくぱく食べて楽しんでた。

 

その時のブログがある。「桜の花の咲く頃TWO

http://tom.livedoor.biz/archives/51136901.html

 

でもってTWOと書くくらいだからONEがあるわけでそれが2004年当時の記事である。

http://tom.livedoor.biz/archives/2004-05.html

 

どちらの記事も、自分で書きながら日本人って本当に良い民族だな、お互いが相手を無条件に信じられるのだからなー、もちろんそれにはほぼ単一民族であり長期的関係を築くためにはお互いに誠実に生きるほうが良いというナッシュのゲーム理論もあるわけだが、弘前城で誰もが楽しくお酒を飲んでるのを観ながら日本っていいよなと思ったものだ。

 

最初の桜の花の咲く頃からもう13年経っている。次のブログからは9年。いつの間にか日本を外から観るようになり、日本に居た時とは違った視点で物事が観えるようになった。

 

13年前と言えば当社が紙の情報誌を発行していた最後の時期だ。あの頃に情報誌をネットに切り替えた。ビジネスモデルも移住を中心にし始めて日本で移住説明会を開催するようになった時期でもある。

 

紙の新聞を止めた時も移住にシフトを始めた時も当時のスタッフからは物凄い反対をされた。けど時代は間違いなく変わっていってた。変化するしかない、時代の流れる方向へ。そう考えて無理やり大きく舵を切って会社の方向を変えた。

 

それでも日本に戻り家族と桜を観るようになると、そこには良い意味で変わらない日本があった。思えば遠くに来たものだ、それでもこうやって桜を楽しめる国民性だけは持ち続けていたいなと思う。



tom_eastwind at 19:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月24日

住むには良いけど仕事には?

経産省が2016年に日本に住む海外からの留学生約850名を対象に意識調査を行ったところ、日本で住むのはとても良いのだけど仕事をするとなると微妙という意見が多く実際に日本で就職する人は限られている。

 

それは就労ビザの取得の難しさや業務の内容の割には給料が低い(年功序列式)とかが原因であったり、やはり日本でつきまとう残業の多さなどが「働く環境」を重視する人々からすれば敬遠の理由にもなるのだろう。

https://news.careerconnection.jp/?p=20741

 

この、日本が働きにくいという留学生の認識は今の僕は理解出来る。けれど僕が20歳代の頃に日本に住んでてそんな話を聴いても「え?嫌?だったら母国に帰れば?会社に忠誠を誓い夜遅くまで残業して帰りは仲間と焼き鳥で一杯飲んで同士を確認するのが日本だぜ」で終わりである。

 

当時は残業なんて当然、むしろ若い社員は仕事を教えてもらい覚える時期であり給料貰って勉強しているのに残業手当とか個人の生活なんていうのは一切話にならなかった。

 

ある会社の営業チーム等は中堅どころの営業マンが上司にお伺いを立てた。

「済みません、明日の午後から休ませて下さい、こればかりはどうしようもないようです」

「ほう、そんな大事なのか、で、それは何だね?」

「はい、結婚式なんです」

「結婚式〜!それごときで休むのか!」

「いや、それが私の結婚式なんです、終わったらすぐ職場に戻りますから」

 

当時は年功序列で永久就職、転職や労働者の市場価値など誰も考えてなかった。皆が与えられた職場で会社の為に尽くすのだから家族は二の次であった。

 

その代わり会社では家族も含めた運動会や慰安旅行やパーティを開催してその時ばかりは「いやー、奥様のご苦労はよくわかります、その結果としてxx君は一生懸命働き今年も素晴らしい実績を残しました、これも奥様の内助の功があったからこそです、来年もよろしくお願いします!」と、家族を巻き込んだ会社社会が構築されていたのだ。

 

それは一旦就職すれば定年まで同じ会社で働くことが前提であり若い世代は費用対効果の合わない仕事でも将来は自分が見返りを受け取ることを知っていたから我慢もできたし理屈も理解出来たから喜んで働いていた。

 

しかしバブル崩壊後にサラリーマン社会は激変した。終身雇用制が崩壊して年功序列もなくなり成功度合いによって毎年の給料が決まる社会になった。

 

それでも大手企業等では今も「ムラ社会」が残っておりムラの中でのみ通用する常識(世間で言う非常識)と排他的な仲間意識が残っておりそれが社員採用の際にも明確に現れている。

 

世界標準で採用するなら今目の前にいる学生にいくらの労働価値があるかで判断すべきなのに「若いから下働き」とか「給料は年齢と共に上がる」とか外人から観れば意味不明の条件を押し付けてくる。

 

つまり日本にとっての労働者とは会社と言う組織の歯車であり一人ひとりの生産性ではなく全体の合和によって得られる総利益を優先しており、だからこそ一人あたりの労働生産性やその生産性による賃金決定と言う発想は出てこない。

 

僕がこういう理屈をある程度理解出来るようになったのも自分が外国で一労働者として働き生活しつつNZでも日本でも生活の中心にあるのは家族でありどんなに忙しくてもワークライフバランスを取りながら仕事をする姿を観て自分で実感してからの事だった。

 

特に香港人なんて労働虫くらいに思われて夜中まで働いていると思われているが実際は家庭第一奥さん大好きである。お正月は家族と一緒に親戚回りして一族の団結を確認してお互いに無条件に助け合う。学校の友達も大事で全員が社会に巣立った後でも友達同士が狭い香港で情報交換しながら成長していく。

 

そこに「会社」はない。誰かが作った会社は誰かの為にあり自分の為ではなく従って会社とは常に一定の距離を持ち常に自分の家族を生活の中心に置く。

 

社会全体と個人の家族の間に中間組織のような疑似社会である「会社」は存在しない。

 

会社もそんな事分かっているから労働者はその労働力や労働価値によって採用するし優秀なら給料もたくさん払う。しかしそれは「今の君」に払うわけで「これからの君に期待して」前払いをすることはあり得ない。

 

ニュージーランドで生活をしていると特に家族一番と言うのはひしひしと感じる。生活の中心に家族があり仕事は二の次なのである。

 

会社を退職する時だって会社の仲間は「おお、またね。次、どこかで会おうね!」であり日本のような「う、裏切り者—!」なんて感覚はない。

 

バブル崩壊後に社会に出た若者は会社に対する帰属心も薄いだろうけど昭和を経験した今の会社幹部等はまだ頭の中は「24時間働けますか?リゲイン!」である。

 

だから会社組織の仕組みも大きい企業になればなるほど変化していない。

 

日本で勉強する留学生も居酒屋でアルバイトしながら大企業の偉いさんたちが愚痴っているのを観て不思議に思うだろうな、自分たちの生まれた国とは全く違う疑似社会的な中間組織のある国だから。

 

日本は世界の中でも治安の良い国であり生活はしやすく物は安くてサービスは良い。だから住みたいと言う気持ちが出てくるのは当然だろうが、働く国と言う視点から観れば入社してすぐに能力に応じた給料が貰える米国のIT企業などの方がやはりずっと魅力的に観えるのも仕方がない事実だろう。



tom_eastwind at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月23日

犯人に告ぐ

東京のあるメガネ店で眼鏡の万引きが発生した。哀川翔のプロデュースしたモデルであり一本約3万円x7本が万引きされ、合計約21万円の被害である。大きな店ではないのでこの被害はそのまま店の毎日の売上減に繋がる。つまり社員や社長の給料を直撃するのだ。

 

そこでこの店の社長は会社のホームページで犯人の顔写真を公開してモザイクをかけて

WANTED〉〈あなたです!! 徹底的に追いかけます!!覚悟してください!!

とやったのだ。指定期日までに購入するか返却しなければモザイクを外します。

 

これに対して下記のような意見が出てきた。

***

テレビや新聞は、〈「人権侵害」指摘も〉と見出しを打った朝日新聞はじめ、多くは「店主の気持ちはわかるが、モザイクを取ることには、問題点もある」式の取り上げ方をした。

 曰く、その「問題点」とは、大別すれば3つ。

「万引きという罪とネット公開という罰のバランスが取れていない」「法的に名誉毀損、プライバシー侵害に当たる」「法治国家で禁じられている私刑に相当する」

 これらを弁護士や“識者”などがコメントするのである。こうした点に留意してか、先のコンビニ2店は早々に掲示を取り下げている。

http://news.livedoor.com/article/detail/12710486/

***

 

「万引きという罪とネット公開という罰のバランスが取れていない」

?馬鹿か?罪のバランスって量刑の問題だよね?けど犯罪には変わりない。米国西部の開拓時代では馬を盗むと死刑だった地域があった。

 

馬の価値の問題ではなく馬を盗られる事によって盗られた方の生活が成り立たなくなるからだ。つまり盗んだものの価値ではなくその被害の大きさが問題なのである。

 

例えば盲人からその杖を奪ってその盲人が交通事故に遭って死んだら杖の価値など問題ではなく杖を失くした事によって発生した死が加害者の量刑になるのだからバランスを取って死刑になってもおかしくないのだ。

 

罪とのバランスなど泥棒に遭った事もない偉そうなバカが自分を人権主義者かなにかと勘違いしてのたくってるだけだ。自分が被害者になってみろ、こういうやつに限って騒ぎまくるのだから。

 

次:「法的に名誉毀損、プライバシー侵害に当たる」

それがどうした?名誉毀損とはやったやらないは別にして「言っちゃいけないよ」と言う話である。例えば浮気が事実だとしてもそれを第三者が公表するのはだめよって話だ。

 

けれど今回は盗まれた被害者が当事者として被害回復を求めて行う行為であり第三者の話ではない。被害を受けた被告が加害者を訴えることのどこが名誉毀損であるか?

 

第一犯罪者のプライバシー?ふざけるのもいい加減にしろ、被害者の被害はどうでも良いのか?これまた左巻きのアフォ人権主義者の戯言である。

 

でもって:「法治国家で禁じられている私刑に相当する」

実はこれが一番問題なのだが、元々人間には自己防衛機能がある。

 

ルソーがその「人間不平等起源論」で説くように古来人間は一人で森の中に住んでいた。だから人間としての進歩はなかったが自分の事はすべて自分で片付けた、例えば敵が攻めてくれば自分で暴力を使って相手を倒すことだ。

 

しかしそれでは人間が個人として生き残るための限界がある。相手が自分より強いライオンである場合に安々と食われてしまうのか?

 

そのような自分の肉体を守るために人間が思いついたのが「集団になること」である。そこで人は森から出て来て城塞を作りその中でお互いを助け合いながら集団以外の敵対的行為を自己集団の暴力で排除することで生き残るようになり、同時にお互いが知識を交換することで都市としての成長を果たした。

 

しかし誰もが利害関係が細部に至るまで一致しているわけではない。そこで個人が自分だけの正義を主張していては都市社会が維持出来ない。

 

だから利害関係調整の為の話し合いが行われ誰もが納得出来る法律が作られ更に個人が持つ「自衛権」としての暴力行為を警察と言う組織に委託して個人では実力行使を出来ないような仕組みにした。これが現代社会である。

 

けどその暴力代行組織である警察が個人を守らなければどうなる?個人は防衛としての暴力権を警察に委託しているがもし警察が代行してくれなかったら?

 

本来都市社会に居住することを選択するのは個人である。暴力装置を放棄して警察に委託するのは西部劇にあるように「この街に入る時は腰の銃を警察官事務所に預けろ」である。

 

けれど銃を預けた挙句に警察が自分やその財産を守らず悪党に奪われてしまいその賠償もないとすれば?

 

この場合都市社会と個人は社会契約を結んでいる。これは双務契約でありどちらか片方のみに義務が発生する片務契約ではない。

 

従って犯罪を処罰すべき警察が処罰をしなければ契約は自動的に破棄されて個人は社会の中にいてもその自衛権を行使することが出来るようになる。

 

僕はこれが社会の限界であると考えている。つまり行政を請け負った側がその義務を果たさない場合は社会が崩壊するという事、または社会に参加する人々が社会を崩壊させるということである。

 

そこで今回の「モザイク晒し」はまさに行政の不作為による参加者の被害でありそうなれば被害者は自衛手段としてネットで晒すという行為を取るのは自然な行為である。

 

勿論行政からすれば自分たちが受託された業務であるから民間人が勝手にやることは許せないだろう、だから民間人による私刑、リンチであると言う。

 

では民間人の被害は行政が保障するのか?しないでしょ?自分がやることやらずに民間人が自衛をすれば犯罪か?

 

政府大好きお上の言うこと御尤も、土曜のサスペンス劇場観るのが唯一の楽しみって人なら気にもならないのだろうが家族を抱えて法律を守って生活をしていた人がある日突然被害に遭って誰も救ってくれないとしたら責任ある立場の人間はどうすればよいのだ?武器を取って立ち上がり戦うしかないだろう。

 

人権主義者の真似事をするアフォーを相手にどうこう議論をしても時間の無駄である。

 

但し。但しここで一つきっちりと言っておきたい事がある。

 

それは今回の事件では犯人が明確であり誰もが共有する価値観の中での事件だから許容範囲内であると考えるが、これが個人の価値観だけで例えばイスラム教徒過激派が自分の主張だけの為に他人の首を切るのは全く別問題という事だ。

 

社会に参加する以上個人の価値観や主張は抑えるべきである。自宅で何をやっても良いが公衆の面前で主張を実行することは健全な社会の維持を妨げるわけで今回の僕の意見を拡大解釈する気持ちはない。

 

僕はあくまで双務契約として暴力を否定しているし暴力を実行する気持ちもない。けれど家族が危機に晒されて行政、合法的暴力装置である警察が動かなかったら?その時は自衛としての暴力を選択するだろう、それがネットで晒すという方法であっても人間の自然権として行使するだろう。そうならない事を行政側に期待するのみであるが。



tom_eastwind at 18:06|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月22日

弁護士は神様じゃない

日本人の真面目さというか弁護士は先生であり何でも知っていて答えは一つしかない、弁護士先生は正解しか言わないという思い込みがあるようだ。

 

僕は日本に住んでた頃から弁護士は普通の人間であり他人より余分に法律を知っているけど完璧でもなければ正解しか言わないということはないと思っていた。

 

もし法律の答えが一つしかないのであれば裁判所など不要である。司法権力が法律に則って量刑すれば良い。しかし現実的には様々な解釈があり人によって観る角度や観える角度が違うから話し合いが必要になる。

 

その話し合いの基礎となるのが法律であり法律をどう解釈するかで答えは変わってくる。

 

こんなの当然の事だと思うのだけど、真面目で健全な疑問を持たない人は「弁護士の先生にこう言われました!」と弁護士の言葉を神の宣託のように振り回し他の言葉が一切耳に入らない。

 

じゃあ一つの法律の解釈を5人の弁護士に聴いて答えが全部違っていたらどうするのだ?全部ご宣託にするのか?

 

昔の事件だがやはりある弁護士に相談しているのに他の弁護士に何か言われてころりとそれだけを信じ込んで宗教のようにご宣託を振り回して自分で自分の首を締めてたことがあった。

 

弁護士は基本的に「職業」であり「神様」ではない。法律をどのように解釈して自分なりの理論構成をするのかはその人次第である。

 

だからこそいろんな弁護士のセカンドオピニオン(第二次助言)を聴いてまわり自分なりにどれが合理的であり納得できるかを健全な疑問を持ちつつ判断していくしかない。自信ありげに大声で威圧する弁護士だけが偉いのではない。

 

特に海外で生活をする中では日本とは全く違う文化の中で育てられた価値観に基づいて法律が出来上がっている。

 

ましてやニュージーランドのように日本の法体系(大陸法)とは全く異なる法体系であるコモン・ロー(常識法)を採用していると日本人が日本の感覚で考えていても理解出来ない事が当然のようにたくさん出てくる。

 

それなのに真面目で勉強しない人は何かと言えば日本でも通用しない自分だけの正義を持ち出して「これが正しい!これだけが正しい!」と周囲に主張するのだけど、そんなもん当然通用しない。

 

ましてや法体系の全く異なるNZではまともな弁護士なら相手にしない。唯一その意見に同意して鼓舞してくれる弁護士とは着手金が欲しいだけで腹の中では「バカじゃないか」と思ってても表面では同意しているふりをするだけなのだ。

 

ところが初めて自分の意見を認めてくれた弁護士が出てくるとそれだけで舞い上がりその理論構成の矛盾や誤謬に気づかず考えもせずひたすらにご宣託を振り回すことになる。

 

NZは法治国家である。そしてそれは世界でもよく知られている。しかしその法律は決して国民全員が納得出来る内容ではないのも事実である。

 

この国で法律を学ぼうとする人が最初に目にするのはゴールデンルールと呼ばれている「法律とは正義を追求するものではなく人々の意見をとりまとめる(調整する)ものだ」という考えである。

 

法律が正義を追求する為の手段であるわけではないし、だからこそ個人が自分だけに通用する正義感を振り回しても何の意味もないどころか他人の迷惑になるだけである。

 

ならば真面目な人はどうすべきか?自分が住んでいる国の法律を学ぶしかない。その努力なくして自分だけの正義を語ることは自分の首を締めるだけである。



tom_eastwind at 14:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月21日

復活! 親不孝通り。

この記事は夜の福岡の屋台や中洲や西通り等におつきあいのない人には全く縁がなくて面白くない記事だと思うので飛ばして下さい。

 

***

地元の町内会や福岡市中央区役所、福岡県警中央署などでつくる協議会が19日、発表した。住民アンケートの結果を踏まえた措置で、今後、標識やパンフレットの表記は「親富孝おやふこう通り」から変更される見通し。

 

 「親不孝通り」の呼び名は、周辺の予備校に通う若者たちの姿が目立った1970年代頃から使われ始めた。しかし、97年、中央署が「愛称につられて集まる若者の非行を助長する恐れがある」として、市に「親不孝」を使わないように要請。「よろず町通り」を経て、2000年から「親富孝通り」に改名された。

 

 アンケートは「慣れ親しんだ以前の愛称が良い」との住民の声も踏まえ、「天神・舞鶴 親ふこう通り協議会」が、住民や商店主らを対象に1月上旬から約1か月間、実施。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20170220-OYT1T50000.html

***

 

おおそうかー、長い時間がかかったけど、やっとやったなーフクオカン!んって感じだ。

 

「フクオカ」という土地を九州の賑やかな地域と認識して地図の上で理解している人は多く、また「食べ物の美味しい街ですよねー」と認識している人は多いが、福岡市の一つの交通の中心であるJR九州の駅が「ハカタ」駅でありそこから徒歩でも30分の範囲内にあるもう一つのビジネスの中心街である天神発の私鉄は西鉄「フクオカ」駅であることを疑問に感じる人は少ない。

 

この歴史は「福岡」と言う名称が江戸時代の外様から来た名前であり本来は中国等外国と二千年の貿易の歴史を持つ「博多」が本名であることに由来する。

 

福岡市のうちの東半分は現在の山笠が飾られている櫛田神社(平安時代末期の平清盛が日中貿易の為に勧進された(作った)と言われている)を含む博多区やそこから更に東に行けば元寇で有名な敵国退散の大きな紋章のかかる筥崎宮があり、そして南に行けば勿論菅原道真の大宰府などが広がる歴史のある地域であり1600年代になってやっと街として作られた湿地だらけの江戸とは全く違う(ここまで書くと泉下の太田道灌に「僻むんじゃねーよ〜」と言われそうだが、ははは)歴史のある街であり、ましてやその江戸時代になってようやくやって来た外様は所詮外国人、君らは福岡という街を作ってお城を作って福岡市の西部で生きてくれ、僕ら地元人は博多で生活するからって感じだった。

 

だから今回の快挙は博多っ子ではなく外様であるフクオカンの領土内で起こった事件であり、そこがまた面白い点だ。つまり外様も長い時間をかけて自分たちのフクオカ文化を築き上げたと言うことだろう。

 

東京から派遣されたキャリア組が本部長である福岡県警の意見をひっくり返して自分たちの主張を通したのは江戸時代に領地を貰った人々にしてはお上に逆らう行為であり大したものだと思う。

 

さて本文。

 

この記事にあるように1980年代の親不孝通りはその通りの入り口の反対側(海側)の端っこにまさに当時水城学園などがドーンと真正面にある学生で賑やかな通りであった。

 

九州で一番大きなビジネス街である天神から西へ歩いて約5分、親不孝通りの入り口には当時珍しいインドカレー屋がありそこから右に曲がるとまさにビジネス街のすぐ近くなのに通りの雰囲気が思い切り変わって、ビートルズのタイトルをもじった畳バーとか何とも薄暗くて入り口のちっちゃな店ではいつもレゲエがかかってたりとか、とにかく異色な店が多かった。

 

当時は店のマッチも結構人気で通り沿いのお店ではどこも喫煙可能だったからお店の個性のあるマッチを集めるのも面白かったりしてたものだ。

 

そして勿論記事にもあるように「それだけ」ではなかった。福岡+九州のあちこちから集まった学生が大学受験の為に予備校に通いつつ、夜になると自分のお気に入りのバーやレストランに溜まり夜中から朝まで下らん理想論や意味不明の夢を語り、ビートルズを熱く語るやつがいればふざけんなクラプトンが最高だ!とか、何をバカどもが、最高はローリングストーンズだよ!とか誰もが熱くなってわいわい騒いでたものだ。

 

中洲で飲むのが大人のサラリーマンであり親不孝通りの通りを反対側に入ったところの西通りがゲイバーなどお洒落で時代の最先端をいってる芸能人が大好きな店であるのに対して親不孝通りでは学生たちの一種自由な自治区の雰囲気があり、解放区な時代であったのも事実である。

 

僕は博多っ子でもなければフクオカンでもなく1977年から始まり自分の18歳から28歳までの10年間を過ごした街であるがある意味距離を開けて観る事が出来たし(山笠に何度も誘われたがお断りした)僕も1980年代はこの通りを昼も夜もよく通ったものだ。何故なら当時の水城学園は僕の仕事上のお客様でもあったからだ。

 

そんな時代を親不孝通りで過ごした自分としてはお上による名称変更?何じゃそりゃ、知った事かと思っていたが、それは江戸時代にやってきた人々も何時の間にか地元民になりフクオカンとしてのアイデンティティを持つようになったという事だろうか。

 

中洲の川沿いに並ぶ観光客向け屋台、明治通りの地元民向け屋台、天神の皿い〜パーソン向けの屋台、ほんとそれぞれに特徴がある。

 

信じられないかもしれないが1980年代の天神の屋台は僕の知っていた当時であり出会い系でもあった。若くて可愛い女の子が一人で来たりは普通で、屋台の「お母さん」とお喋りを楽しみつつビールにおでんとか食べてる。

 

そこに現れる仕事帰りの若いサラリーマン兄ちゃん、屋台の暖簾をくぐるまでは横着そうな顔をしててもふとカウンターの反対側に可愛い子が座っていると背筋を伸ばし直してしゃきっとした顔で「すみません、ビールを一杯」とか言ってる。

 

屋台のおばちゃん、つまりお母さんもよく分かってて「この子にこの子は合わんねー」と思ったら話題をどっちにも振らない。それで男は撃沈された事に気づくし女の子はくすっと笑う、男は自己反省する「もっと磨かんといかんね〜」そんな時代だった。

 

フクオカの面白いところは誰もが結構バカになって格好つけるよりも素直にバカな方が生きやすい街だという事だろうかな。

 

親不孝通り復活、うれしい話である。次回フクオカに行ったら寄ってみよう。



tom_eastwind at 17:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月20日

キム・ドットコム高裁判決出る。

今日のニュースでやってたが長いこと時間のかかった政治ドラマ「キム・ドットコム」事件で高等裁判所がドットコムを米国に送り裁判を受けさせるよう判決を下した。

 

この事件は背景が長く深く2014年には総選挙を控えてNZの政治家をも巻き込んだスキャンダルに発展した大事件である。

 

日本だと政治家と金持ちの癒着とか賄賂とか接待など日常茶飯事であり神代の時代から「贈与の歴史」を持つ国であるから珍しくない。

 

けれどニュージーランドは世界でも最高の政治クリーン度を誇る国である。だから普通の賄賂であれば一発退場、永住権剥奪後に引き渡しを求める米FBIに送致することで事は片付いた。

 

ところがNZでドイツ移民がインターネットとファイル交換技術で得たお金で政治家と組んで永住権を取得して各種の寄付やお正月の花火を賑やかにさせたりとかで、どっちかと言えば国民の間では「賄賂」と言うよりもNZを賑やかにしてくれた、ちょうど日本で言えば逮捕される前のホリエモンのような人気者であった。

 

その為にドットコム事件は犯人引き渡しを求める米国FBINZ政府の戦いになった。

 

その状況下でいくつもの事件が起こり結局米国送致は行われず今日に至ったわけだが今回の裁判ではキム・ドットコムが敗訴となった。

 

日本の感覚で大雑把に理解するとすれば米NSA元職員のスノーデン事件とかジュリアン・アサンジのウィキイリークスのようなものだろう。

 

NZにとっては別の国から駆け込んで来た人物ではあるが犯罪性があるのか人物としてどうなのかを判断していく期間がこの3年間だったのだろう。

 

但し今回の裁判結果はあくまでも日本で言う高裁判断であり次は最高裁がある。ここで負けても弁護側は最高裁で戦うであろうから、これからまた数年は選挙をまたいで裁判が続くだろう。



tom_eastwind at 15:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月19日

棘の街

久々の堂場瞬一作品。堂場作品はどれもさらりと読めるのが良い。その分激しい感情描写とかがないので過激本が好きな人は西村寿行を読むべきだろう。

 

さてその棘の街、文庫本で589ページであるが読みやすい為に週末2日で読み終わった。

 

ただ読みながら普段の堂場作品と違って随分ぎしぎししてるなー、何だか話の作りは面白いのに一章ごとにでこぼこしてて、あれ?言ってること違うじゃんって感じがしたり、ちょっと偶然に頼り過ぎな筋書きは他の堂場作品とは異なる印象。

 

何だか同時期に書かれた他の本と切れ味も切り口も違ってて、何か新しい事を試したいけど何とか繋げようとしてるけどムリのある感じ。けど彼の特徴である「さらりと読める」ところは変わっていないから不思議なものである。

 

だから自分としては珍しく「この本は秀逸なのか少しデキが悪いのかそれともその真中あたりを行ったり来たりしているのか?」という印象を持ってしまい、普段なら他人のレビューなど読了後の作品で読むことはないのだけど他の堂場作品ファンはどう感じているのかと考えた次第。

 

でもってレビューを読むとやはり似たような印象を持っている読者は多く「この作品、他と違うね」という意見が多かった。

 

ここ半年くらいまともに堂場作品を読む機会がなく、ましてやこの作品は購入したのが半年前でそのまま積読(つんどく)になっていたのでちょっと作者に申し訳ない気分になった。

 

この作品を初めての堂場として読む方には「これだけが堂場じゃないから他の本を先に読んでみれば?例えば鳴沢了シリーズを読めばこの本の立ち位置が分かるよ」と言いたい。

 

買ってそのまますぐに読んでおくべきだったな、やはり気になって買った本はすぐ読むべきだろう。自己反省。



tom_eastwind at 13:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2017年02月18日

春一番

昨日は日本全国で強風「春一番」が吹いたとの事。各地では舞い上がる砂や成田空港では着陸する飛行機の機体が揺れたりとかで大変だったようだ。

 

そうは言っても春一番は自然現象であり「冬が終わりましたよー」と本来はこれから暖かくなる予兆である。

 

ところが現在の日本では春一番の次に来るのが花粉症であるってのが困った点である。

 

この強い風に飛び散った花粉が街を歩く人々を直撃する。マスクを付けても目の裏が痒くなり目を取り出して洗いたくなるくらいだろう。

 

病院ではこれからまた花粉症患者が急増する季節でもある。

 

僕は花粉症を経験した事はない。1970年代までの日本では花粉症というのは存在はしたけど相当に少数の病気ではなかったか。

 

もちろんニュージーランドでも花粉症に近い病気は存在する。英語ではHay Feverと呼ばれて目や鼻や喉が痛くなる病気である。但しこの国では少数の病気でありましてや街中でマスクをする人は殆どいない。

 

マスク付けた格好で銀行にでも行くようなら警備員に不審な顔で観られるのは間違いない。銀行に入る時はヘルメットも取らなければいけない。

 

だからNZにとっての花粉症とは1970年代以前の日本並でありあまり意識されない病気でありましてやそれが理由で公衆の面前でマスクを付けてしまえば「何かあるのか?」と思われるくらいだ。

 

もう一つ言えばNZでは風邪をひいたりすると「会社に来るな、他の人に病気が移る」と迷惑顔をされることもある。風邪を引いてもマスクして頑張って出社することが滅私奉公という感覚がないので合理的に休む。

 

それとこれは僕の推測だけど日本で花粉症に罹っていた人がニュージーランドに来ると不思議にピタリと花粉症の症状が止まるという事実がある。

 

NZにも杉の木はあるわけで杉の花粉も飛び回っているはずだがそれでも多くの方がNZに来て花粉症を発症しなくなっているのは、やはり日本では空気そのものが人間の体力を奪い免疫機能に異常を起こしているのではないかってことだ。

 

だから空気さえ変わってきれいになれば少々の花粉でも体がきちんと対応して花粉症のような異常免疫を起こさないようになるのではないかと思っている。

 

花粉症の方も毎年3月から5月まではニュージーランドで過ごすようにしてみればどうだろう。



tom_eastwind at 13:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月17日

仕事に追いつくメールなし

2月に入ってからまたも仕事が増えてきた。毎日僕あてに直接送ってくるメールを対応するだけで午前中はほぼ「満」だし午後も当社訪問のお客様対応などで気づくともう退社時間の午後3時になっている。

 

退社と言ってもシティからの交通渋滞に巻き込まれて帰宅に1時間もかからなくて済むようにフレックスにしているだけで自宅に帰ってもそのまま仕事は続けるのだが何時まで経っても仕事が頭から抜けなくなって夢に出てきたりもするのが自分なりに笑える。

 

良いことはこれが全くストレスにならない事で、毎日楽しく仕事をしているのだがその集中度が去年よりも濃ゆくなっている分だけまともに使ってなかった脳みそが活性化されて、これも良いことではある。

 

人間の脳みそは半分以下しか使われてないとも言われるが脳みそがフル回転したらこれは楽しいだろう。今まで思いもつかなかったような発想が出来て実行力が身につく。

 

やはり仕事って、好きなことをするのが一番だなと思ったりもする。ニュージーランドでは多くの人が自分の好きな事を仕事にしている。嫌な仕事はすぐ辞めるし失業保険もあるので好きな仕事が見つかるまで無職で待つ事も出来る。

 

こちらの履歴書は日本と違い無職期間があっても「その期間は自己探求」とか「自宅で勉学に勤しむ」で通ったりする。てか雇う方からすれば「今即戦力になるか」が大事であり日本のように職業がずっと切れずにいる必要はない。

 

そんなのんびりした社会だから発展度合いも北半球に比べて非常に遅いのだが、じゃあ発展が早ければやりたくない仕事もやるのか?って発想になる。

 

社会発展のために自分の人生を楽しくない方向に向けて、それで社会が発展しても個人は幸せじゃないよね?そう考えている人たちが社会でサラリーパーソンしてたら、その発展で一体誰が幸せになっているんだ?という話である。

 

今日も仕事でメールを書くのだけど今月はなかなか追いつかないぞ。連絡が遅れているお客様、申し訳ありません。

 

けどまあ、好きな事を仕事に出来てそれで忙しいのだから有り難いと言うべきだろう。北半球に比べて発展の遅い街ではあるが、それでもビアード・パパの種クリームが食えるしラーメンも美味しくなった。

 

北半球の時代の後乗りではあるけど北半球のような厳しさがない分だけゆとりと楽しさと安心感があるのも事実である。

 

さあ、これからまたメールを書くぞ。



tom_eastwind at 13:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月16日

ゆとりでしょ?そういうあなたはバブルでしょ?

第一生命保険のサラリーマン川柳があいも変わらず面白い。表題はバブル世代の上司を持つゆとり世代の若者の視点であろう。

 

うちの会社でも年齢層が50代から30代までいてそれぞれの年代ごとに一年ボーナス4回とか新入社員もタクシー券とかのバブル経験者から就職難、氷河期、大学出ていきなり非正規社員とか様々な体験談がある。

 

誰しも忘れられない記憶であろう。バブル期の証券会社などは自分が売ってる金融商品がどんなものでも構わない、何せ売れれば確実に値上がりする時代だったからお客も儲かったしそれで営業スタッフもボーナスを一年に4回も貰えて青春を楽しんだ時代であった。

 

ところがバブルが崩壊しても「バブルよもう一度!」と祈るような証券会社は次々と合併吸収破綻してバブルなんて望むことも出来ない時代になった。

 

それでも上司はバブルの感覚が残っており部下のやる気の無さに「おまえ、それがゆとりなのかー!」と文句を言いたくなる。

 

就職時期が氷河期であり希望する仕事どころかまともな仕事さえ見つからなかった若者からすれば「ふざけんじゃねーよ、このクソ親父!」とも言いたくなるだろう。

 

この川柳を詠みながら「あれ?このネタ10年位前に書いた記憶があるぞ」と思い出して調べたら20061202日にあった。タイトルは「バブルを知らない子どもたち」

http://tom.livedoor.biz/archives/50480862.html

 

ちょうどライブドアが世間を賑わしていた時代である。その時に「戦争を知らない子どもたち」を本歌取りして思いついた替え歌が「バブルを知らない子どもたち」である。

 

*****

バブルが終わって 僕等は生まれた
  バブルを知らずに 僕等は育った
  大学出たら 就職氷河期
  年金、医療費 僕らはもらえない
  僕等の名前を 覚えてほしい
  バブルを知らない 子供たちさ

  背伸びをするのが 許されないなら
  ITバブルが 許されないなら
  不況の時代に 残っているのは
  涙をこらえて サービス残業
  セクハラパワハラ 毎晩終電
  夢を知らない 子供たちさ

 

バブルの時代に バブルで稼いで
  退職金満額 もらった世代は
  僕ら子供に  借金押し付け
  君らだけが 逃げ切ってしまった
  君らの子供の 時代は悲惨さ
  借金だらけの 日本経済
  お先が真っ暗 日本社会

 

*******

 

2006年の時点でサービス残業にセクハラパワハラ、バブル世代は退職金に年金満額、子供に借金押し付けと、まさに今問題になっている状況は10年前と何も変わっていないという事だ。



tom_eastwind at 12:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月15日

金正男暗殺?

来たな−。こう来たかという感じである。北東アジアの均衡はほんとに第二次世界大戦後にすんごい事になってたがまだしも各国が直接戦争になったのは朝鮮戦争以来なかった。

 

しかし今回の金兄暗殺、これは北朝鮮がやったとの話だけど誰がやったにしろ中国が怒るから大問題である。

 

ロシアも自分が気に入らない連中を毒針や薬で殺しているがそれを北朝鮮がやったのか分からないがもし金弟が指示したなら一つ間違えば中国が北朝鮮にクーデターを起こす可能性がある。

 

習近平は均衡政治であり北部軍部と上海系財閥の間で頑張っているがもし本当に金弟がこれをやったのであれば北部の連中は単純で気が荒いし世界政治情勢はあまり気にならない人々なので一触即発の危機が発生したと言って良い。

 

第一次世界大戦の始まりもバルカン半島の火薬庫に火を点けたのは普通の青年であったがそれが火種となり4年間も欧州で戦争が続いた。

 

今回の事件の最悪の場合は瀋陽区あたりの幹部が北朝鮮にお灸を据えて同時に経済侵略するために国境紛争を発生させて金弟を物理的に排除するか政治的に排除するかして傀儡政権を作る可能性がある。

 

これが一番おとなしい筋書きであるがもし金弟が上手く状況を逃れて中国に対して大砲と兵隊を向けて鴨緑江を渡って進出させたら間違いなく朝鮮半島から難民が日本海を渡って日本に流れ込む。

 

それだけではなく現在日本に居住する在韓民団及び朝連の人々にも破壊的な影響を与える。

 

北朝鮮は朝連に資金送金を命令するだろうし半島から渡る難民はおそらく民団が対応することになるだろう。

 

そうなると日本本土を巻き込んだ事態になるし手がつけられない状態に陥るのは間違いない。

 

金兄の暗殺ニュースを聴いて「海の向こうの事件」と考えるのはやめたほうが良い。

 

結果的にどうなるにせよ、その一つの選択肢に北東アジアでの戦争の発生があり得るのは事実である。



tom_eastwind at 22:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月14日

オークランドのバレンタインデー

日本では義理チョコが飛び回り何も得るものがない男性が「バレンタイン粉砕デモ」とか言ってる。

 

ニュージーランドは男性が女性に花を送るのが一般的であるがレストランで食事もある。例えば今日のテレビではSOULという地元で有名なレストランで夫婦でランチを楽しむ風景も紹介されてた。

 

ちなみにこのご主人はこの日の為にわざわざ豪華な「運転手付きストレッチリムジン」を予約して自宅に奥さんを迎えに行ってた。派手だな、今日は会社は休みにしたのだろう。

 

ただ日本のようにバレンタインデーでチョコで愛を告白するとか社会的立場や社内的立場を守るために義理チョコを配るとかはまだない。てかこれからもないだろう。

 

国によって祝い方が違うのはバレンタインデーがビジネスになると最初に目を付けた会社が違うからか。日本ではチョコレート業界の陰謀論とかもあるけど1950年代に広告してそれが定着したのは1970年代とのこと。今ではすっかり日本に定着している。

 

日本人のお祭り好きと言うか外国の習慣でもハロウィーンとか何時の間にか日本のお祭りに入り込んでいるし関西地方の文化でしかなかった恵方巻きを全国に広げたのはコンビニであるがそれに乗っかるのも日本人である。

 

まさに「踊る阿呆に見る阿呆」であるから「どうせ阿呆なら踊らにゃ損損!」とばかりに時代の流れに乗るのであろう。

 

夏に盆踊りを楽しみ冬にクリスマスを楽しみお正月は神社に参拝してとまあ何と楽しい民族であるか、これは素直に喜んで良いと思う日本人の特徴であろう。

 

どっかの外国の宗教のように「神は唯一人なり!」なんて堅苦しいこと言ってたら同級生が一緒に遊んでくれなくなるぞって感じでいられる日本は宗教においては他人が何を信じようが構わないし宗教行事を遊びに持ち込むなど実に自由闊達であり良いと思う、ははは。

tom_eastwind at 13:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月13日

決める。

日曜日は日本からのお客様と夕食。スカイシティ横のデポ(Depot)で生カキ、貝、それにミニフィシュバーガー等を楽しむ。

 

食べログのつもりではないのだけど何故か最近食い物ネタになるな。

 

このお客様は日本で様々な業態のレストランを経営するオーナーシェフであるが既に何度もオークランドに来ており当社のレストラン部門の提携先でもあるので気軽にお店を決めて食事を楽しめる。

 

彼らの間で「決める」という言葉がある。料理を作る際に「ここまでやって自分の味を決める」という意味だそうだが要するに自分の出したい味がお客にも伝わるその限界である。

 

妥協しすぎても美味しくないし自信がないからと味を追求しなければこれも美味しくない。

 

シティで昼食をあちこちの店で取るようになってから繁盛店や客の入らない店の違いも段々分かるようになった。味だけではないが味も重要である。

 

特に日本食レストランとなるといくら客が入ってても殆どは日本人客ではないので日本の味付けの必要性がないからと随分「独創的」な日本食を出す店もある。

 

しかし一番多いのはまともな日本食を食べたり料理経験のない人々が見よう見まねで作る場合だ。つまり独創的ではなく単純に本当の味を知らないという話である。

 

例えばどんなに勢いがあるらーめん屋でも作っているのが素人なんてのはよくある話である。

 

彼らはラーメンと言えば塾帰りのコンビニで買って食べるカップヌードルをラーメンと思っているしコンビニ世代に本格的な味を求めても「本当の正しい味」を知らないのだから再現のしようもない。

 

これはもう食べたことのない味の再現なんてムリな話でありラーメンを美味しそうに思って作ってるその顔を観ているとこちらが胸が痛くなる話である。

 

彼らは店のキッチンの壁に手書きで貼ってる「作り方」を観てそのように手続きを進めるのだけど、ラーメン、特に豚骨スープの場合毎日の気温や湿度で味が変わるから本当の味を知っていないと再現のしようがない。

 

ましてや味を良くしようと下手に手を加えてしまえば失敗してボスにも客にも怒られる、ならばこの辺でいいや、レシピ通りにやってまずければ俺の知った事ではないなんて話にもなったりする。

 

その結果として「美味しくないラーメン」、博多弁で言えば「ふーたんぬるかと!」となるわけだ。

 

シティの日本食レストランでも洋食MORITA等は日本的洋食を美味しく食べさせてくれる。シェフが本場の味を理解した上で日本風に少し手を入れているけど本当の味が分かるから「決める」ことが出来る。ぎりぎりまで自分の味を出せるのだ。

 

刺し身一つにとっても同じ魚なのに切り口や包丁の入れ方一つで全く味は変わる。見かけは変わらないのに口に入れると味の違いが出る。同じ魚の刺し身を半分は刺し身、半分は炙りで出すと一つのネタで味が二回楽しめる。

 

悪いのはちゃんとした食事を子供に食べさせない親の問題でもあると言えるが親も忙しいのだろうし子供も塾がある。その結果として日本人でありながら本当の味が舌に残ってないから日本人が作る日本食が美味しくないというミスマッチが発生する。

 

オークランドでは最近日本食のレベルが上昇して来た。それは日本で料理の勉強をきちんとして来たプロがいかにオークランドの食材で美味しいものを出そうかと考えて現地に馴染んで出来上がった美味しい料理になるからだ。美味しい料理お代表といえば和食ではないがKAZUYAがおそらく一番だろう。

 

日本でイタリアンを学び日本食の要素も取り入れつつ日本らしきめ細かなサービスと共に提供される料理は今やオークランドで予約の取れにくい店になり地元雑誌でも毎年賞をとるほどである。

 

これからはプロの日本人シェフの下で日本人の若者が努力をして料理を学び美味しいものを味わうことで「決める」料理が出せるようなレストラン世代になればと思う。



tom_eastwind at 13:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月12日

平等に貧しくなろう?

上野千鶴子という人物がいる。彼女が最近の対談の中で下記内容を語ったとの事。

 

***

1.     日本は今転機にある。最大の要因は人口構造の変化。

 

2.人口を維持するには自然増か社会増しかない。自然増は無理だから社会増、すなわち移民の受け入れしか方法がない。

 

3.したがって、日本には次の選択肢がある。「移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。」

 

4.「移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。」世界的な排外主義の流れがあり、さらに日本人は単一民族神話を信じているから多文化共生には耐えられない。

 

5.結局自然増も社会像も無理だから「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればい_い。」

 

6.「日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。」

 

7.本の希望はNPOなど「協」セクターにある。様々な分野で問題解決してる。人が育ってきている。

 

8.憲法改正論議についても心配していない。 日本の市民社会は厚みがある。

http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-mochizuki/chizuko-ueno-government_b_14716704.html

***

 

これに対して多くの反論が繰り広げられている。特に若い世代から「ふざけんな、自分たちだけはバブルを謳歌して景気の良い時代を過ごし今も安定した地位で収入のあるヤツが言うんじゃねーよ!」である。

 

聴くとこの上野という人は以前は本も書いて一定の評価を得ていた人らしい。僕はその本を読んでないが今回の彼女の主張は僕としても「全体的に的外れだな」と感じる。

 

僕は彼女の意見のうち、4については同意見である。日本には移民を集団で受け入れる素地もないし集団で受け入れて彼らの文化と共生することは出来ないと考えている。

 

だから労働力確保とか人口確保なんてちっちゃい発想で日本の将来を破壊することはあまりに費用対効果が合わない。もっと書くと民族論になるからきりがないけど、4については同意見、但しそこに至る経路は彼女と違う事は明記しておく。彼女は本当の意味での移民を理解していない。所詮は「塀の向こうの良い人々」である。

 

けれど5については「馬鹿やろー!」である。少なくとも社会的責任のある立場の人間がこんな「平和に衰退していく」なんて、まさに「お前が言うな!」である。

 

1990年代に社会に出てきた若者はその時点からすでに「失われた20年」という衰退をまさに体験しており社会に出て一度も良い事もなく賃下げ、サービス残業、休暇を取れば戻ってきたら机がなくなるような時代を生きてきたのだ。

 

衰退の前の繁栄期を満喫した人間に今更そんな事言われたら「ふざけるなー!」と言いたくなるのもよく分かる。俺たちゃすでに20年間苦しんでるんだ、それをこれから更に衰退しろだと!?ふざけるな−!である。

 

少なくともここで語るべきは上向きの平等「みんな一緒に上を向いて、落ちこぼれを出さないように上昇しようよ」である。

 

何故なら平等に貧しくなるのも平等に成長するのもどこに線引をするかだけの問題であって意味は同じなのだ。それならば言葉を選んで「平和に成長していこうよ」と発言すべきなのだ。

 

本も書いて対談にも出るくらいだから言葉の使い方くらい知ってるだろうに、それがこんな発言をすれば「老衰ですか?老害なんですけど」と言いたくなる。

 

そして6番目の社会認識のなさ。「日本には本当の社会民主政党がない」だって?まさにアフォか!である・

 

日本には自由民主党及び東京大学法学部で社会民主主義を学んだ霞が関官僚がいるではないか。彼らこそ再配分を行い金持ちも貧乏人も作らず人々が平等に生活出来るように社会構築をしているのだ。

 

名前に社会主義がないからってやっていることが社会主義じゃないってわけではない。むしろ昔の戦後社会党より余程強烈な国家全体主義の社会主義である。

 

ご自身どこかの大学で学んだのだろうから東大で当時何を教えていたかくらいは分かるだろうにこんな事を書くのは何か裏があるのか?

 

日本で本当に不足しているのは民間で突き抜けた人材を生かす技術である。しかしこれは東大法学部のみが国家運営をするのに彼らより頭の良い連中が民間に委ねるなんてプライドが許さないしそれを認めてしまうと東大支配そのものが否定されてしまうから官民交流はやらないのだ。

確かに東大法学部は飛び抜けて優秀である。しかし彼らの致命的な欠点は自分たちのやっていることが完璧でありそれ以外の答がないと決め打ちしてだから更に過去の先輩が決めた製作は無謬であり死守するものだとして不要なダムを作ったりすることだ。

 

これは戦前の日本も同様であり陸軍大学を出たエリートが自己無謬で突っ走った結果として全体の誤謬を生み出して日本を崩壊させて300万人の日本人が死ぬことになった。

 

しかしだからと言って東大法学部がバカなのではない。ほんの一部の作業に問題があるだけで全体的には社会民主主義を実現させるために頑張っているのは間違いない。

 

だからこそこの上野さんが言うところの「社会民主政党がない」という意見には「何かあるのか?」と思わざるを得ないのだ。



tom_eastwind at 19:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月11日

人権について

人権という概念はマグナカルタやジョン・ロックの自然権思想が発展して出来た考えと言って善いと思う。

 

ところが19世紀あたりから君主制国家が台頭し人権が「国家より与えられる権利」と置き換えられるようになった。

 

それが第二次世界大戦以降は自然権思想が復活して「人が人であることで有する当然の権利」として世界に普及して日本でも憲法で「犯すことの出来ない永久権利」として認められるようになった。

 

しかし日本では江戸時代から人権は存在せず武士の支配の中で人々は自然的人権を持たず生活をしてきて、まあ庶民も何も考えなくてお上にお任せでいいから気楽に生きていた。

 

明治時代は天皇制が復活して天皇の赤子(せきし)となり天皇の子供だからやっぱり自然賦与の人権はなかった。

 

それが第二次世界大戦で負けてから米国思想の自然権が憲法に取り入れられるようになった。

 

「権利のための闘争」は19世紀ドイツの法哲学学者イエーリングが主張した考えであるが日本では初等教育の段階で「そんな、権利権利って言うんじゃないよー」と教え込まれて否定されている。

 

戦うことを嫌う日本社会でどうやって自然権としての人権を維持することが出来るだろうか?

 

憲法でどう書かれても憲法を守らず主張せずでは憲法などないも同然だ。

 

けどこんな小難しい事を勉強して憲法の権利を守り尚且つ戦うなんてめんどくせーな、そんなのはお上がやってくれよ、そう言って権利を放棄するのが一般的日本人である。そして都合の良い時だけ「俺の権利はー!」と的はずれな主張をする。

 

日頃運動もせず不摂生をして糖尿病になり足の切断って事になって「おい、やめてくれよ!」と言っても遅い。自分の責任なのだ、麻酔だけはかけてやるから覚悟しておけである。

 

今日はあまりに身勝手な日本人の書き込みを観ていらっとしたので自分の備忘録として書いたが、自分を動物としてしか扱わないものはすでに人間扱いされない事は理解すべきである。



tom_eastwind at 18:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月10日

あなたが意見を主張する権利

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201725日、日本のホテルチェーンのアパホテルが南京大虐殺などを否定する書籍を客室に置いているとして中国で批判が出ている問題で、日本在住の中国人ら約100人が、東京都新宿区の同ホテル周辺で抗議デモを行った。 

 

デモは日本在住の民間の中国人らが臨時に立ち上げた「中日民間友好委員会」の呼び掛けによるものだ。メンバーによると、デモは(アパグループの)元谷代表の挑発的な動画を見た数人が「何も声を上げないのでは怒りを抑えられない」として呼び掛けたものであり、いかなる政府当局も後ろ盾になっていないという。 

 

スマートフォンのチャットアプリなどを通じて参加者を募り、数百人が支持を表明した。警視庁にデモを申請し、3日に許可が下りたが、デモ前日の4日にメンバー内で意見の対立があり、退会者なども出た。

 

そのため最終的な参加者は100人程度になったという。ある中国系の記者は「彼らはスローガンもなかなか決まらなかった。デモ申請方法についても古くから日本に住んでいる中国人に教えを請うような状態だった」と経験不足を指摘する。メンバーの行動を随時ツイッターに投稿していたある日本人は「おそまつだ」と評している。 

 

デモ参加者は、新宿の繁華街沿いに新宿御苑付近にあるアパホテルまで約25キロを行進した。現場周辺ではデモに抗議する対抗団体のメンバーが、警戒に当たっていた警察官に静止される場面も見られた。参加者は日本の警察の対応や仕事ぶりに感激している。 

 

デモの様子は、中国中央テレビなど主要メディアで報じられ、中国国内では賛否両論が巻き起こっている。 

 

ネット上には「自分自身や大衆の利益のためにデモを行う人は少なくない。だが国家や民族の尊厳のために行動する人は多くない。これこそが中国人の偉大さだ」「在日中国人が民族の尊厳を守るために日本の街頭を練り歩いたのは今回が初めてではないか。彼らに敬意を表すべきだ」などと賛同する声が少なくない。 

 

一方で異なる意見も出ている。「デモをする側もされる側も同じレベルだ。日中両国の民間感情を損なうような行動には賛成できない」「一つのホテルが本を数冊置いただけで、(中国の)観光局がアパグループの利用停止を呼び掛け、ネット民が騒ぎ出し、デモまで起こし、他人を従わせようとする。

 

恥ずかしいと思わないのか」「信念を持つ自由は誰にでもある。右翼も違法ではない。彼らも国を愛している」「日本人が中国で抗議デモを行ったらどう感じるか。他人の思いや価値観を軽視すべきではない」「外国人のデモを認める日本の寛容さに感心させられる」などの声もある。(編集/レコードチャイナ編集部)

http://www.recordchina.co.jp/a162824.html

***

 

アパの問題についてはあまり書く気がしなかった。多くの方はすでに記憶の彼方だろうが日本では姉歯事件で建築構造問題が勃発して国会まで巻き込んで一大スキャンダルとなった。

 

その時にアパホテルがまさに自分のやった事を棚に上げてすべてを他人に押し付けて政治家(安倍首相を含む)に懇願して自分たちだけは逃げおおせた事件だ。

 

当時は「何だこの卑怯者!」と思ったがこんなクソッタレの事を書くだけでこっちも不愉快になるので無視してた。

 

ところが今回の南京事件本。これはまあ政治家に救ってもらったしアパのオーナーの主張もあるから自分のホテルに本を置くのは当然、くらいの気持ちだったのだろう。

 

実にバカな話である。法的にどうこうではない。ビジネスをする上で個人の主張をサービスを受ける客の目にとまるような所に置くか?その時点で顧客理念がないのがすぐ分かる。

 

要するにアパは姉歯事件の時から何も変わっていないバカなままなのだ。

 

ホテルには聖書や仏教の本が置いてあったりする。けど「これは宗教の押しつけか?とは」言えないだろう、何故ならどちらもこの世界に一定の浸透度と理解があるからだ。

 

けどじゃあホテルにオーム真理教を称える本を置いてたらどうだ?こりゃ日本人だって怒るだろう。

 

南京事件についてはあったともなかったとも言える。何故なら南京入場後に一人の民間中国人も理由は何であれ日本軍の兵隊によって殺されなかったとは言えない以上事件はあったのだ。

 

ところがでは中国の主張するような「30万人虐殺」があったかと言えば、これはなかったのだ。当時の人口が30万人もいなかった南京でどうやって30万人殺せるのだ?簡単な算数である。

 

また戦争当時の資料を観れば中国側の公式発表でも当初は数千人、それが1万人になり戦後の公式発表では30万人と膨れ上がる。こういうのをまさに焼け太りとでも言うのか、バカな話である。

 

では今問題となっているのは突き詰めて言えば「何人殺したのか?」であって「事件があったかなかったか」ではないことが分かる。じゃあ何人以上殺したら虐殺で何人以下なら虐殺ではないのか?

 

世界中で人類が武器を持ったときから虐殺など常にあちこちで発生している。特に権力による虐殺数で言えば歴史的本場は中国だ。あそこは易姓革命でとにかく政権が変わったら既存の仕組みと人々は全員死んでもらわないと新しい王朝の正統性に問題が出るので派手に殺しまくったのだ。

 

共産党が1949年に政権を取ってからも大躍進で数千万、文化大革命でも数百万人が餓死や虐殺で命を落としたが中国人の誰一人としてその責任は取ってないし肝心の主犯者である毛沢東は革命の英雄として今も天安門広場に祀られている。

 

そんな、民衆虐殺のプロだから日本相手にマスコミ攻撃をやらせても宣伝戦には強い。だから何時の間にか日本が悪いことになった。便衣兵の問題など西洋では知らない人が殆どである。

 

南京事件は未だ日中間で折り合いがついていない事件である。それを民間と言いながらホテルに本を置いて自己主張をするのは、それは違うだろう。

 

だからアパについてはこのクソ野郎!としか思わないが、今回のデモで日本人が中国人の主張に耳を傾ける姿勢を見せたのは良かった。

 

デモ反対の右翼も妨害をしていたがそれに対して日本人が止める場面もあった。これは新宿や大久保のコリアタウンで起こった事象と同様で、日本にはまだまだ言論を守る空気があることを感じた。

 

こんなデモが中国で起こったら公安が出て来て速攻逮捕投獄拷問である。法輪功などはすでに多くの死者を出している。

 

今回の中国人デモにしてもいくら今日本で生活をしているからと言って自国を侮辱するような真似をされれば怒るだろう。

 

南京事件に未だ国際的決着が出ていない現状でいたずらに両国の間に揉め事を作るような真似をする馬鹿さ加減に腹が立つしもし僕が中国人であればやはり自分たちの意見を主張するだろう。

 

しかし今回の中国人によるデモには話し合いの機会がある。彼らは平和的に主張している。こういう時こそお互いに手の中にある歴史カード、事実カードを出して冷静に話し合いをすればよいのだ。そうすることで初めて相互理解が出来るのだ。

 

今日書きたかった事は、日本では「あなたが意見を主張する権利」が未だ存在すること、そして阿呆のアパが未だバカのままでありこれこそ日本人がアパに対して「そりゃ違うだろ」と主張すべきではないかという事だ。



tom_eastwind at 18:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月09日

世界最長飛行距離

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飛行時間を聞いただけでお尻が痛くなりそうな話だ。中東のカタール航空が6日、現行の世界最長となる新路線を就航させた。カタールのドーハとニュージーランドのオークランドを結ぶ直行便で、距離は14535km、飛行時間は17時間30分。これまで最長だったエミレーツ航空のドバイ〜オークランド線を約600km上回り、世界最長路線となった。使用機材は、民間機としては世界最長の航続距離記録を持つ『ボーイング777-200LR』で、ビジネス42席、エコノミー217席の編成で毎日運行される。

 

6日にオークランドに到着した記念すべき第1便にはカタール航空のアクバル・アル・ベイカーCEOが搭乗し、現地で貿易・国有企業大臣のホン・トッド・マクレー氏も出席して歓迎式典が行われた。

中東産油諸国の国策企業であるエミレーツ航空(ドバイ)、エティハド航空(アブダビ)、カタール航空(ドーハ)は、国から様々な便宜(燃料を無償で提供されているとの疑惑も)を受けながら新路線を開拓。ここ数年は燃費の良い最新機体を大量に購入し、世界各地に超長距離の直行便を飛ばしてシェアを拡大してきた。しかし、欧米のメガキャリアは以前から湾岸航空会社に対して新たな規制をかけるように働きかけを強めており、“アメリカファースト”なトランプ大統領が就任したことで、今後の空の勢力争いに注目が集まっている。

http://www.excite.co.jp/News/anime_hobby/20170207/Getnews_1621947.html

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一回の飛行時間が17時間30分。これだけ長い時間をずっと機内で過ごすわけだから感覚的には飛行機に乗ってすぐ酒のんで飯食ってぐっすり寝て次に起きたらビール飲みながらまた飯食って映画でも観ているうちにドーハに着くって感じだろうか。

 

酒を飲まない人には随分退屈なフライトだろうし喫煙者にとっては強制収容所のようなものだろう。タバコ好きな人は絶対に拒否するだろうな、このフライトは。

 

どうしてもタバコ吸いたい人は貨物室に降りていってタバコ専用トイレに入って常に空気がシュバ!と抜ける便器に頭とタバコを突っ込んで煙を吐く度にトイレのフラッシュをシュバ!っとやって煙を機外に出すか。そのうち間違ってトイレの穴に頭を挟んだりして抜けなくなったら笑い者であろう。

 

さてドーハが一番の飛行距離になるまで世界で最も飛行時間が長かったのがオークランドからドバイだったってのが、要するにニュージーランドは世界の南太平洋に浮かぶ小島であることをよく示している。

 

とにかく北半球からは遠いのだ。

 

僕は基本的にキャセイ航空を利用しているのでオークランドから香港まで11時間。香港から羽田空港が約4時間。乗り継ぎを別にして機内で過ごす時間が合計15時間だが機内から一度外に出られるという開放感は大きいから感覚的にも11時間と4時間は別物である。

 

空を飛んでる時に外に出ることはよほどの事がない限り出来ないので嫌な人にとってはその閉鎖感は相当に苦しいものがあるだろう。

 

あ、それからちなみに日本在住の方は地図を観て「お、シンガポールからオークランドの方がずっと近いね」と思ったりするが、オークランドからシンガポールのフライト時間も11時間である。

 

2次元の地図で見るとシンガポールやバンコクの方が近く観えるけど地球は丸いから実際の飛行時間はシンガポールであろうがバンコクであろうがソウルであろうが東京であろうがはたまた香港であろうがどこも約11時間に変わりはない。

 

1970年代まではこんな田舎の小島に来る直行便などなかった。飛行機の能力的に11時間ぶっ続けで飛べるだけの機体もなかったし第一こんな田舎に飛行機を飛ばしても羊を輸送するわけでもないし人間様相手では商売が成り立たない。

 

なので大体の場合は東南アジアから一旦シドニーあたりに飛びそこで乗り換えて約3時間でオークランドに着くのが一般的であった。

 

ところが当時日本航空が成田からオークランドの直行便を飛ばすようになった。B747ジャンボの就航である。大型4発機で長距離が飛べる。

 

そして1980年代の日本はバブルに突入しており普通の若者カップルがハネムーンでニュージーランド旅行に行くようになり一時期はハネムーンの定盤ともなった。

 

実はこの後押し、てか先鞭を付けたのが1984年に映画上映された松田聖子の「夏服のイブ」である。ミルフォードサウンドやワナカを舞台にした映画で松田聖子の皮依頼しさと恋愛物語がぴったり合って「ハネムーンならニュージーランド!」となったのだ。

 

ハネムーナーにとっては機内の時間が長くても彼氏と二人で手を握って過ごせるので長い時間の方が良いくらいである。唯一困ったのは当時のジャンボは3+4+3の配列で横10席のうち二組4席だけは通路を挟んで離れるのでこれは添乗員が一番困った。行きに離れたカップルは帰路は必ず窓際二人を用意するとか気を使う必要があったものだ。僕も当時の添乗員の一人であった。

 

しかし日本のバブルが崩壊して11時間の長距離でハネムーンに行く人々も減った。その為一時期は成田、関空、中部、福岡から直行便があったけど結局成田を残してすべて撤退、おまけに成田便も日本航空が撤退したのでニュージーランド航空の独占となってしまった。

 

成田からオークランドも約11時間であり、21世紀になってからかな、ハワイからニュージーランドに旅行先をシフトする人が増えたけどやはりその飛行時間の長さが問題になり観光客は減少の一途を辿っていた。

 

それがここ2年位でやっと日本からの乗客が増えてきているがこれは観光というよりも長期滞在(留学等)や移住組が増えたのが一つの原因である。北半球、例えば米国の学生ビザが取得しにくいし治安を考えたら同じ英語圏だしニュージーランドの方が安心というのもあった。

 

21世紀になりオークランドが次第に北半球からの避難場所、ハワイの代わりの長期滞在リゾート、勉強の場所として位置づけが変化することで世界からの飛行客が増加してオークランド空港はここ数年いつも改築工事をして拡大している。ちっちゃな国ではあるが空港周辺は元々牧場とかで拡張する為の土地は十分にある。

 

そこにエミレーツ航空やシンガポール航空が総2階建ての飛行機を飛ばすようになりA380専用の搭乗口も新築された。

 

これからのオークランドに必要なのは飛行時間をいかにして短縮出来るかである。もし東京からオークランドまでコンコルドを飛ばせば約6時間で到着出来る。

 

開発当時のコンコルドは騒音と航空券価格があまりに高すぎてビジネスとして成立しなかったが技術的には短時間で飛ばす方法は確立されている。またエミレーツなどのように機内にバー設備を整えた機体もある。

 

ニュージーランドが抱える「遠い」という地理的欠点が技術的に解決されれば逆に北半球の喧騒から離れているという理由でこの国に来る人は益々増えるだろう。



tom_eastwind at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月08日

霜降り

今日もまた食べログになってしまった。何かあるのか最近?

 

浅草ちんやという明治時代から続く老舗すき焼き料理屋がある。この店が最近思いっきりメニューを変えた。てかメニューの売りであった霜降り肉を熟成適さし肉という脂身の少なめな肉に変更したのだ。

http://www.chinya.co.jp/menu/index.html

 

熟成適さし肉120グラムの「おかわり」で8,000円也。勿論超が付く高級肉ではあるが現在のご主人が今まで使っていた脂身たっぷりの「霜降り信仰」から覚醒して「何だ、赤みが美味しいじゃん」と宗旨替えしたのは大した判断力だと思う。

 

もう10年以上前の話だけど新宿のあるホテルの鉄板焼きレストランでの思い出がある。当時出張があって夜仕事が終わりホテルから外に出るのも面倒くさかったのでホテル内のレストランを探したらちょうど鉄板焼の店が開いていた。

 

そこで一人で飛び込み鉄板焼きの牛肉を注文して前菜を食べながらカウンターで座っていたのだけど、シェフ帽をかぶった立派なシェフが現れて肉の説明をしながら鉄板で焼いてくれた。

 

お箸で肉を一切れつまんで口に入れるとその脂が口中に広がりヤバイ!口の中がどろどろになって、かと言って吐き出すのもみっともないのでビールで口の中に一気に流し込んだが気持ちが悪い。

 

仕方ないのでシェフに「済みませんが脂身の少ない肉はありますか?」と聴くと怪訝そうな顔で「今の肉は最上級の霜降りですよ?お口に合いませんでしたか?」と返された。

 

食えないものは食えない、けどそう率直に言うと悪いと思って「いや今日は胃袋の調子があまり良くなくて脂っぽいのが苦手なんです」と断って「いや、これを下げろと言ってるのではなくてお金はちゃんと払いますのでもう一枚脂身の少ない肉を焼いてくれませんか」とお願いした。

 

怪訝そうなシェフはそれでも「じゃあ次はA3のお肉をご用意しますね、赤みの多い肉です」と言いつつ焼いてくれたのだがA3と言われて出された肉がやはりこれも油の塊である。

 

喰えん!口の中に入れてまたも広がる生だらりとした脂が下に絡まりこれまた吐き気がした。これも一気に目をつぶって飲み込みシェフには「済みませんがやはりこれもちょっと・・・」と言うとシェフの顔つきが変わった。

 

「も、もしかして新手の恐喝か?」とでも思われたのか益々怪訝そうな顔でこちらを観ている。僕はどうしようもなく「すみません、ご飯と味噌汁だけで結構です」と、とっとと白ご飯を味噌汁で流し込んで店を出たのだがあの時は何だか自分が異星人になった気持ちであった。

 

考えてみれば僕は日本に住んでいた時も脂身の多い霜降り牛肉があまり好きではなくすき焼きでも赤身の肉を関西風に煮込んでそこにビールをさーっと注いで肉を柔らかくして食べるのが好きであった。

 

大体普段の食事で牛肉を食うと言えば千代の玄風館の焼肉が当時の標準だったから霜降りに縁がない。けど1980年代の古い玄風館の整地されてない玄関の土間に置いたテーブルで仲間と焼肉を食べるのが最高に旨くて「これが肉でしょう!」と思ったものだ。

 

そしてニュージーランで生活を開始したが当然牛肉はニュージーランドでは赤身肉である。ぎゅっと噛み締めて出て来る肉汁の旨味は赤身にある。脂にはない。赤身の肉をがつっとかんでその旨味が口の中に広がりよく冷やしたビールや白ワインで流し込めばすぐ次の肉に手が出ていく。

 

そんな生活をしていたから日本がバブル期に霜降り信仰が徹底して高級店の象徴となりバブル崩壊後も一般的な日本人が「霜降りが美味しい」と洗脳されて自分の舌で食べるのではなく他人に自慢するための霜降りを食べて口をねちゃねちゃにしても無感覚なまま「おー、これが美味しいって言うんだな、そうかそうかこれが美味しいって言うことだな」と自分で決め打ちしてしまう。

 

ある意味大阪のらーめん屋と同様の感覚であろう、とにかく他人と同調することが大好きな人々が自分の舌でなく他人の評判で味が決まるのかと思わせる無思考無感覚。

 

ところが冒頭に書いたお店のご主人は肉の買い付けをしている時に同業者が安い赤身の多い肉を買ってたので「あれ?メニュー変えたんですか?」と聴くと「いいや、店で出すのは霜降りだよ、これは俺が食べるの、こっちの方が美味しいから」。

 

裸の王様という話があるけど21世紀になって牛肉情報もインターネットで入手出来るようになったのだから霜降りの良し悪しもやはり自分の脳みそで学び自分の舌で感じてほしいものだ。

tom_eastwind at 18:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年02月07日

大阪のらーめん屋

今日はちょっと昔話。

 

大阪の心斎橋とか道頓堀にはざっけ無く美味しい店がずらっと並んでいる。特にたこ焼きとかお好み焼き、それにもうちょっと南に下った地域の焼肉なども鶴橋ほどではないけどどこで食べても実に旨い。

 

どこの店も、もう最初の一口でそれが何料理であろうと「旨い!」と言わしめるほど旨いので「大阪の食べ歩きガイドは不要、何故ならどこでも美味しいから」と言わしめた。

 

りょうま君なんて日本食も何も全く区別の付かない時期であり東京のホテルの美味しいと言われてる寿司を食べさせてひとつ食べたら品よく「お父さん、ぼくお腹いっぱい」と言ってささっと部屋に帰るくちだったが大阪だけは別格で今までみた事も食べたこともないたこ焼きを一口ほうばっただけでパクパクと無言でひたすら食い続け10個入りを全部食べ終わってにこっと笑ってすぐ「もう一個ちょうだい!」であった。

 

三角公園のたこ焼きに一度連れて行ったらずっと覚えていて大阪に行く度に「たこ焼き、食べるー!」と片言の日本語で自分の丸々のほっぺたにOKマークを付けてねだったものだ。

 

家族も大阪のたこ焼きや焼肉が大好きで日本の旅行で新幹線移動の際にはあえて食べるためだけに新大阪駅で途中下車して一泊してたものだ。心斎橋の屋台たこ焼きも旨いし当時はあまり知られてなかった難波の肉吸いも家族で食べて「面白いねーこれって!」と喜んだものだ。

 

ところがその当時一つだけ不思議な店があった。そこはラーメン屋なのだけど「三回食べたら病みつきになる」との事。

 

ふーん、どんなものかと思ってた食べたらこれが美味しくない。だらっとした麺にふにゃっとしたぬるいスープにキャベツをざく切りにして煮込んでいるだけの料理だ。君は麺入りポトフか?と思ったくらいだ。

 

いや、店が小汚いとかオープンキッチンの中がぐちゃっとしているとかなら博多の元祖長浜ラーメンなんてテーブルも椅子も油で汚れて店員がテーブルに置いた丼がその勢いですーっとテーブルの上を滑るくらいである。

 

特に夜中すぎの混み合っている時に行くと丼の縁に口紅べっとりなんてのもあるくらいで、裏を見たらタライに丼を突っ込んで洗ってたりで臭い汚いのには大概慣れている。

 

けどそれとは異質の汚さであっった。でもってこれをラーメンと呼んでいた。これがラーメン?まさに理解不能であった。

 

いや、ラーメンと思うから不味いのだ、ではない。家族も大阪の料理はそれが何と呼ばれようが何料理であろうが美味しいものは美味しいと言ってたのにこの料理だけはOUTであった。

 

三回ってどういう意味だと思って壁を見たら「一回目はなんだこりゃ?と思う」「二回目はおおこりゃ!と思う」「三度目には美味しく感じる」

 

つまり一回目が不味いと感じるのは当然、みたいな書き方だ。そっか、僕が不味いと感じたのも当然なんだな、だって店が認める程不味いもの。

 

でもって二回目が「おおこりゃっ!」てのは舌が段々麻痺して来た証拠。

 

でもって三回目に美味しく感じるってのは下世話な言い方をすれば「ブスは三日で慣れる」であろう。慣れたら幸せになれるのだろう。

 

ここまで来れば面白い営業戦略ではあるが(そう言えば大阪では北海道の銘菓“白い恋人”を“面白い恋人”と書いて売ってた、その延長か?)、あれだけ美味しいものがある大阪なのに何でラーメンだけはこうなのか?まさに疑問であった。

 

これなら金龍の方が開き直ってる分だけまだましと思ったものだった。わなかのたこ焼き食った後に隣の金龍でラーメンライス食ったらよほど「まし」であった。ちなみにご飯は美味しかった。

 

元来大阪では粉ものが主食であり粉物は美味しい。ならばラーメンだって粉ものであり美味しくて良い筈なのだ。

 

ラーメンが何も東京の特色ある食い物ではないし1980年代の東京のラーメンなんて美味しい店を探すのにガイドブックが必要なくらい不味かったし寿司屋で寿司を注文すると着色料で真っ赤なタコとかマグロがどす黒いとかで特に新橋駅ガード下のうどんなんてありゃあエイリアンしか食わないだろうってくらいお湯に濃ゆい醤油を溶かしただけの汁にいつ打ったのか分からないし口に持っていく前に2cm毎に麺自体の重みでぶちぶち切れていくような切れ味の良い麺であったのだから東京に対する反発があるなら美味しいラーメン作れば絶対に勝てる時代だったのに何であんなラーメンなのだったのか、今でも不思議な思い出である。

 

件のラーメン店は現在は東京にも展開中であるが新宿歌舞伎町の店のメインは酔客との事。酔客の常連