2018年01月

2018年01月31日

FAKE NEWS

昨日の話の延長だが最近ネットでフェイクニュースが出回っている。言葉のごとく偽記事である。起こってもない事を起こったように書き世間を振り回す。

 

例えばカナダでイスラム系の11歳の女の子が自分の被ってた頭巾を切られたと報道されたが、実際にはそのような事件は起きておらず女の子が偽記事をネットで流してこれが拡散されてカナダの首相までもがコメントする事態になった。

 

ネットは21世紀になり急激に発達してインスタグラムが出て来て写真投稿も急増した。

 

中にはやることのないバカが愉快犯として他人の記事にキチガイみたいなコメントを付けることがよくあったが、最近の悪い流行はフェイクニュースである。

 

去年あたりから米国大統領選でも利用されるようになり一気に表面化したが、問題の本質は簡単である。嘘には騙されるな、自分の頭で考えろ、である。

 

まずネットで何か記事を見つけたら一次情報がどこから来ているのかを確認する必要がある。クロスチェックである。例えばカナダの偽記事の場合、一次情報がネットで一つしかなく他でクロスチェックのしようがない。

 

ところがネットで拡散するうちに読むほうが「ああ、これだけ書かれているから本当なんだろう」と思い込むが一次情報は一つの発信源しかなくそれが拡散しているだけ、それも警察発表でもなければ病院で取材されたわけでもない(勿論これも鵜呑みに出来ないが)。

 

カナダの場合は多くの人間が人権を訴えて書き込みしたけど元ネタがフェイクだったと言う笑えない笑い話である。こういうクロスチェックが出来ない情報は注意した方が良い。つまり触らないと言うことである。

 

これが例えば「東京で大雪!」の記事であれば様々な一次情報が発信されており写真も動画もあるから正確度合いは思いっきり高まるので積極的にコメント出来る。ましてや自分が一時情報発信者であればなおさらである。

 

昔ネットがなかった時代にこんな話があった。1980年代のグアム空港手前の海で日本航空が墜落しましたとのこと。もちろん新聞にも掲載されていない。そんな噂も周りにない。

 

けど発信する人間がもっともらしく「当然だ、これは要人暗殺のためであり決して真実が表にでることはない」。当時は情報源と言えば自分の目で観るかテレビ新聞しかなかった。そしてテレビ新聞に掲載されてない記事があるのもよくある話だった。

 

勿論これはフェイクニュースを楽しむ愉快犯がやった事だけど、言われた方は確認の取りようがないからこの話が真実かどうか分からない。

 

数年前にマレーシア航空が消息不明になりあの時も様々な憶測が出たが今も真実は分からない。それで言えば日航機御巣鷹山墜落事故も様々な憶測が出ている。殆どの人が死んでしまい当時の技術では証明出来るものも少なく調査するに連れて様々な独立した情報が出て来てそれが今に至るまで日航機墜落事件の憶測は続いている。

 

だから時代に関係なく常に一定数のフェイクニュースは発信されている。その最も効果の大きいのが「風説の流布」である。株価操縦のために様々な偽情報を発信して株価を上げたところで仕掛けた本人が売り抜けて大儲け、風説の流布に舞い上がった人は高値で掴まされて大損。勿論これは法律で禁止されており罰則もあるが、今でもネットを使って情報発信している人が多い。

 

だから最初のネタに戻るのだが「嘘には騙されるな、自分の頭で考えろ」となるのである。

 

まず嘘かどうかは一時情報源のクロスチェック。そして周りに振り回されるのではなく冷静に「そんな事、起こるか?理屈や筋書き、通っているか?」を確認することである。

 

そして最後に一番大事なのは「分からない事はやらない、書かない、触らない」である。これはウォーレンバフェットの格言であるが、

「私は十分知っていることでも十分に振り回されている。ましてや知らないことをするなんてない」である。

 

フェイクニュースは短い文章でいきなりそれらしく書くから何気なく読む方はつい信じてしまう。

 

20世紀初頭の米国のラジオドラマで「火星人襲来!」をやったら多くの信じ込んだ人たちが自宅を飛び出て避難所に向かったと言う笑い話がある。

 

ラジオが信じられていた時代に難しい事を考えない人々が心構えもないままに火星人襲来を信じたのは、今の時代にインターネットの書き込みを真に受けて容をチェックもせずに批判したり賞賛したり他人のフェイクニュースの尻馬に乗っかる人々である。

 

結局フェイクニュースを書く方のリテラシーが高いのか読む方のリテラシーが低いのかってことなのだろう。今の時代、生き残りたければ自分の読解能力を高めることが大事である。



tom_eastwind at 11:18|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月30日

情報収集

オークランドに戻り今朝出社して日本から郵送されてる週刊日経ビジネス等各種情報整理をする。

 

僕の仕事は情報が非常に重要であり今現在北半球の大都市で起こってることが3ヶ月後に海を越えて南半球の小島のちっちゃな街にどう影響を与えるかを考える必要がある。

 

今日のニュースでは米国債10年ものの利回りが2.68%に上昇している。うわ、上がったな。これが米国企業の社債調達時の金利に影響してそれで米ドル安になれば輸入商品が値上がりして米国はものを買わなくなり世界に影響が出る。

 

米国債券の利回りが上昇するのは米国債の信用が下がっている事を意味するから米ドルも同時に引っ張られて下がってしまう。

 

そしてNZで金融をやってる連中は常にFRBと米国債を観ている。当然だ、これが南半球の小島に影響を与えるのは毎回の事だからである。まさに米国がくしゃみをすればNZは風邪をひく、くらいの感覚で誰もがFRBの動向と米国債金利を観ているからだ。

 

このあたり日本も昔は同様だったが今は世界の取引通貨の主戦場になっている日本円は「有事の逃げ場」として使われており、世界で突発事件が何か起これば一気に円が上昇して1NZドルが50円になる。今までも何度も経験した事だ。

 

そしてそれは日本から観ればNZの不動産や高金利の定期預金等を買う素晴らしい機会となる。実際にリーマン・ショック時もその前の円高の時も日本から現金持って買い付けに来る人がずらっと軒を並べたものだ。

 

トランプ大統領は米国の覇権を止めて世界を三極化しようという英米奥の院の人々の指示通りに動き、軍産複合体に媚を売るように観せながら方向性としては確実に世界の警察から降りている。

 

中東の弾薬庫であるイスラエルとパレスチナの仲介はせず一方的にエルサレムをイスラエル領土として引き下がった。トルコから東のアジアについては露中にお任せである。

 

そしてこの方針を護る限りトランプは奥の院に再選される。それにしても電子投票とか上手いこと思いついたものだ。

 

今の米国で怖いのはジャンク債である。現時点では利回り5.1%で取引されているが、ジャンク債は映画「ウォールストリート」でマイケルダグラス演じるゲッコーが派手に暴れまくった挙句にインサイダー情報で逮捕されてジャンク債市場が吹っ飛びウオールストリートを震撼させた事実に基づく。

 

またその後の2008年リーマンショックでは不良債権をお化粧して投資適格にした不動産ジャンク債を大手投資銀行が売りまくり最後にババを引いたドイツ銀行とAIAが吹っ飛び投資銀行自体も商業銀行に吸収されたが、売りまくった連中は一般投資家に泥をぶちまけて自分たちだけ逃げ切ってしまった経緯がある。

 

ジャンク債はすでに米国で二回も経済をふっ飛ばしているのにまたも今同じことをやろうとしているのはどうせ今回も泥を被るのはバカな一般投資家、俺達は逃げ切るぜって計算しているのだろう。

 

ジャンク債は本来市場で売るものではなく、一般投資家は今までの苦い経験があるわけで手を出してはいけないのに、何故かこれが数年ごとに忘れた頃に出回るのは一体何なんだろう。余程一般投資家がプロの投資家にバカにされているのか??

 

北半球の次は地元の情報を仕入れていく。これは思いっきり細かくて具体的だ。今どこの会社や店が売りに出てるか、どこが買いたがってるか、条件はどうなのか。

 

こういう情報は水面下にしかないので弁護士や会計士にメール送って「最近どうよ?」と聴くことにしている。こういう情報は基本的にNDA(Non Disclosure Agreement)と呼ばれる秘密保持契約を書面で結ぶが、日頃からやり取りしている連中はそんな事百も承知でもういちいち確認は取らない。

 

すると清濁併せ呑む案件が出てくる。僕の仕事の一つがこの清濁の濁を取り除く事である。まともに彼らの情報を飲み込んでしまえばとんでもないことになるからだ。

 

僕の場合オークランドにいる時はこれと言ったオフィスワークを持っておらず、何時も人と話をするばかりだ。そして実際に後日契約が決まれば地元の人々も「お、次に何かあったらまたあいつに話をしよう」ってことになる。

 

情報は表に出た瞬間に価値は半減する。だからこそ常に最新の情報を仕入れてその中で使えそうなのを引っ張り出して更にデューデリをささっとやって実現可能性を測る。

 

けどそれでも相方で買う人がいなければその情報はお流れになる。この仕組みの中で一番派手に短い時間で勝負に来るのがチャイナマネーである。これは投資額もでかいが短期で大きなリターンを要求される。利回り5%以下ならまず相手にされない。また長期保有もない。

 

オークランドに戻って初日の朝9時前から情報収集、10:00からは2週間後に予定している出張の社内準備打ち合わせをぎっちりと行う。この案件はなんとしてでも成功させる必要があるから徹底的に詰める。

 

これも各地の情報収集を行いどのような対応策を打つかを検討するので1時間は軽く超す。

 

でもって昼時になると街に出てレストランに行くのだけど、これも街の活気を知るためのバロメーターである。今いくらのランチが売れているのか?誰が大きい声出してるのか?何語が良く聴こえるのか?そういうのを定点調査のようにしてシティのレストランを回ると、これは面白い。

 

不動産の爆買いは減ったものの中国人に勢いがある。習近平の狐狩りで叩かれたのにと思ってたら、どうやら習近平が次の5年を取った事が一般中国人からすれば「安定したな」と感じているようだ。

 

おまけに王岐山が復活して来た。こりゃ習近平は買いだな、よし、その方向でいくぞ、何かそんな感じがした出張明け初日であった。



tom_eastwind at 20:42|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月29日

飛行機の中で

昨日の夕方福岡空港を出発して香港で2時間の乗り継ぎ後オークランド行きのフライトに乗り今日の午後オークランド到着。何故か疲れない。

 

皆は11時間のフライトは疲れると言うけど僕の場合11時間+待ち時間2時間+日本→香港が4時間なので合計17時間であるが、何故か疲れない。

 

皆に不思議がられるけど長いこと旅行の仕事やってそんな体質になったのだろう。それともう一つは多分であるが僕は性格的に他人のやってることが視野に入らない。

 

だから他の人が機内でどう過ごすかとか観てないし自分は機内で一番気軽な気持ちと格好で過ごしている。飛行機に乗ればすぐに柔らかくて温かい部屋着に着替えて靴下脱いで機内用靴下とスリッパにするので足の裏を通る血液も良く回ってくれる。人前であろうが普通にストレッチングもする。

 

欧州あたりでは機内も公共の場所と考えるビジネスマンが多く彼らは11時間の旅でずっとスーツを着て革靴を履いてたりするが、あれじゃ足が痛いだろう。

 

公共の場所と個人の場所の区別は、ホテルと旅館の違いのようなものかと感じている。僕ら日本人は旅館文化であり旅館に到着すればまず靴を脱ぎ靴下を脱ぎ浴衣に着替えて大温泉に行く。

 

旅館の廊下は皆が使う場所だけど浴衣にスリッパで大丈夫だ。お風呂に至っては皆さんすっぽんぽんである。自分のプライベートな場所と言えば部屋の中であるが、それでも慰安旅行で行けば職場の仲間と雑魚寝である。

 

だから飛行機に乗った瞬間から旅館にチェックインした気分で部屋着に着替えてスリッパ履いて自宅のようなのんびりさで過ごす。その分肉体的にも負担が少ないし精神的にも安定するので疲れない。

 

機内食にしても食べたくない時は食べない。これが「出されたものは残らず食べなさい」と教育を受けている人は夜10時過ぎに出される重い夕食を全部食べて、それから消灯して寝ようにも胃袋が活発に活動しているわけで身体に良いわけがない。

 

つまり飛行機に乗る時に自分の身体が一番疲れない精神状態を作り上げればそれだけで11時間の飛行時間でも疲れが残らないのだと思っている。

 

これが欧州人の中でも「貴族の生まれ」で「ドライナニ−の躾が厳しかった」人たちにとっては長距離の移動でもびしっとした服装で過ごす必要があるのだろう、特にキャセイ航空はロンドンとオークランド間を香港で乗り継ぎさせるから両方のフライト時間足したら22時間以上になる。

 

これではいくら貴族でも体に堪えるだろう。そうなると年に何回もこの区間を往復するのも嫌になるだろう。

 

けど日本の旅館文化で育った礼儀を知らない田舎の高卒からすればそのような自分への縛りがないので気が楽だ。「粗にして野だが卑ではない」を地でいくようなものだ。

 

日本人でも決まりに厳しい人がいるし自分が決めた規則をどんどん積み上げては絶対に守る人がいる。けど規則って、少なければ少ないほど気が楽になる。つまり自分がその社会で生活をしていても最低限の規則だけ守れば後はもう気ままに生きようぜ、そうすると気が楽になる。

 

古代中国でも優秀な皇帝は臣民にあまり多くの規則を押し付けなかったと言う。それは規則を作れば規則が人を縛りかえって息苦しい生活になり、今度は逆に他人の規則違反にばかり目が行きすぐに他人を訴えるようになると知っていたからだと言う。

 

話は少し逸れるが日本で生活をする時もそうであるが、マンションのゴミ捨て場で朝早くからじっと他人を見張ってみたりする人もいる。それとか他人の一挙手一投足に徹底的に自分の基準で文句を言ったりするけど、それって幸せか?

 

勿論集団で作った規則は守る必要があるけど、それは本来管理人の仕事ではないのか?あまり他人のやることをジロジロと観たりしても自分の人生を有効活用しているとは思えない。

 

話を戻すと長時間の飛行機の中で出来るだけ楽しく過ごすには出来るだけ自分の決まりを持たない事だ。周りに迷惑をかけない程度に寛いで好きな事をすれば良い。



tom_eastwind at 17:05|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月28日

ソシオパス・サイコパス

今読んでる小説でCIAに独立資産として所属する登場人物の一人が昔の仲間に聴かれる。

「お前、ソシオパスと診断されたんだろ」

「いや、違う」

「判った、お前はサイコパスなんだ」

 

平気で嘘を言える。良心がない。人を操縦することだけを考える。衝動的に行動するから後先を考えない。だから見た目は良い人に見えるが実はすべて計算されている。

 

それがソシオパス:後天性、またはサイコパス:先天性と言われている。

 

アンソニー・ホプキンスが演じるハンニバル・レクターがサイコパスとかソシオパスとかに位置づけされているが、僕はソシオパスとサイコパスの区別はよく分からない。

 

ただ、たまたま最近東京でNHKの国会審議を観ててそういう人間を観る機会があり、へー、世の中には本当に映画に出るような人が現実に存在するんだとびっくりした記憶がある。息を吸うように嘘をつく政治家連中である。

 

特に野党はひどい。自分の為ならどのような矛盾した論理でも平気であり、例えば憲法改正などは反対と言っておきながらその憲法に矛盾する自衛隊の即時廃棄は要求しない。いざとなったら自分たちを守ってもらいたいからだろう。

 

憲法改正反対であれば自衛隊の即時廃棄を要求すべきだ。それとも何か?憲法改正反対とは言ったが憲法を守れとは言ってないとでも言うつもりか?

 

国会のサイコパスは別として、社会ってのは同じ価値観を持つ人間同士がお互いに背中を見せても刺されないという事を前提にしている。

 

ところがそんな日本でも異常な犯罪が多発している。「刺すのは誰でも良かった」とか、日本国内で他人に背中を向けられなくなっている。

 

東京でお客様と面談をしていてもここ10年日本で起こる異常な犯罪の話になると、結局どれだけ自分が真面目に生きていてもある日突然道端で刺殺されるかもしれない。

 

見知らぬ誰かに監禁されるかもしれない、だから人とは距離を置こう、知らない人とは話をしない、社会がそんな風潮になるのは当然である。

 

その意味では今の日本は中國に似通い始めているのかもしれない。中國では道路で車に跳ねられた人を助ければ助けた本人が犯罪者扱いされるので誰も見て見ぬふりをする。日本もこれからは助け合いが減っていくのかもしれない。

 

 

それから政府による盗聴や監視カメラ、英米連邦によるエシュロン諜報等は理性的でありやることを予測出来るからこちらも対応も出来る。

 

盗聴やエシュロンへの対応は第二次世界大戦前後の情報交換であるデッド・ドロップや便箋に何か書く時は必ず下敷きを敷くとか、大事な話は会ってしか行わないとかである。

 

しかしサイコパス、無差別殺人となるとそうはいかない。こちらが身構えようがない。何時、どういった形で相手が攻撃を仕掛けてくるか読みようがないからだ。

 

だからやれることは常に「即座に逃げられる状態」に自分を置くことである。例えば毎日の歩く道を変える。街を歩く時は常に周囲に視線を張る。出口のある場所に身をおくようにする。

 

他にも様々な基礎的技術があるが、このような技術は自分の危機をゼロにする技術ではなく危機を最小化するための技術であり、要するに絶対的な安全など存在しないけど比較的に安全を確保する方法はあるって話である。

 

だから生きていきたければ常に注意をすることである。しかし注意は適度にすること。何故ならあまり注意ばかりすると自分が精神的に疲れて潰れてしまい逆に不注意になる。

 

また過度の注意はそれが攻撃者から観れば攻撃のサインになる。こいつは今ビビってる、よし仕掛けてやれとなりやすい。

 

だから一番良いのは適度の注意を常に周囲に払っておいて、潜在的な攻撃者からも「こいつは止めておこう」と思わせる事である。

 

生きるとはびびったまま死ぬのではなく、もっと堂々としたものでありたい。

 

それにしても国会サイコパス、ありゃほんとにやばいぞ。



tom_eastwind at 15:47|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月27日

雷神

僕のMacは現在は雷神を貼っている。以前のAirではリンカーンだった。リンカーンの時はキーウィでも「お、リンカーンがA15を持ってるね」と笑ってくれたが、雷神では流石にキーウィも分からず「何だこれ?」である。

 

ただ僕がこのシールを貼る一番の目的はオークランド空港で他の人のパソコンと間違わないようにするためである。

 

ウィンドウズであれば様々な機種があるがMacの場合はそれほど機種が多くなくラウンジでも電源が使えるカウンターにはずらっとMacが並ぶことがよくある。そんな時に自分のMacにシールを貼ってあれば区別が付きやすい。

 

でもって前回日本に行った時にお土産屋でふと観た風神と雷神があった。縦横3cm程度のちっちゃいシールだけど、Macは電気を使った仕事道具なのでと思って雷神を選んだ。

 

今回も朝起きて最初にする仕事がMacを開くことで夜寝る時最後にするのがMacを閉じることである。

 

FAXもなかった時代から仕事をして来て今は電気に囲まれた仕事をしているが、本当に世の中の移り変わりは激しい。

 

超国内需要だけでビジネスをして来た人たちからすれば、パソコンもインターネットも秘書に口頭で指示して自分の名前でメールを送らせてでも良いのだろうが、僕の場合は自分自身が変化していかないと時代についていけない。

 

よっしゃ、今日で日本出張終了。次は2月のニュージーランド国内出張に向けた準備である。この時期は中國の春節、旧正月とぶつかるのでどんなアクシデントが起こるか分からないが、そこは旅行屋、現場即時対応能力でやっていくしかない。

 

昔と違ってパソコンがあり携帯電話がある。即応体制を考えれば随分と楽になったものだ。雷神様ありがとう、明日からもまた頑張って働きます。



tom_eastwind at 15:35|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月26日

今日はプレミアムフライデー

今日で東京の仕事は終了、明日の飛行機で福岡に移動する。それにしても今回の東京は寒かった。ホテルから歩いて5分の場所にあるコンビニまで歩いていくのに身体がかじかんでしまい途中から手足の動きがおかしくなるくらいだ。

 

そうは言ってもこっちはスーツにYシャツだけでコートもマフラーもないので寒くて当然ではあるが、ここまで寒いとほんとに身体が動かなくなるのが良く分かる。

 

コンビニに行くのに、これは買い物が目的なのか暖を取るのが目的なのか途中で考えるようになるほど脳みそが痺れてる。

 

何かロシアでも今年はものすごい寒波で歩行者が凍死したとかニューヨークも寒波だし、北半球はどこも寒いぞ。

 

それにしても東京は冬になると雪が降り気温がマイナスになり、夏になると暑い日差しが照りつけて場所によっては40度近くなり、まあ忙しい天気である。

 

天気だけを考えればオークランドは夏も一般住宅はクーラー不要だし冬場も部屋にオイルヒーター置いておけば十分に温かいので過ごしやすいと言える。

 

明日は氷点下の東京を離れて福岡であるが、福岡も寒い。あそこは玄界灘の風がそのまま吹き付けるから、これまた寒い。

 

そんな寒い状況であるが経産省が今年もプレミアムフライデーをやりますって、へー、そっか、今日は月末の金曜日だ。けどまだやってたのかって感じである。

 

何せ導入決定時点から「月末の金曜日?一番忙しい日だぞ?」と民間で疑問続出。月末は集金もあるし締めもあるしおまけに金曜日となると土日が休みなので後がない。

 

有識者会議とかも開いたって言ってるが、誰が参加した有識者なのか疑問である。本当に現場を知る民間人は参加していたのか?

 

「今年もやりますプレミアムフライデー」に対して民間の皮肉は

・計算しよう経産省。

・役所と一部大企業のプレミアムな人たちだけのフライデー。

等などあるが、NISAでも書いたように民間の現実を知らない役所が思いつきと無責任でやっても何も良いことはない。

 

バランスを取るために書くとネクタイ外すクールビズは良かった。何せあれは役所が夏場に自分とこの冷房を冷たく出来ないから、だったら暑い職場、いっそネクタイ外せである。そして日本株式会社のトップがネクタイを外せば下々の人間もネクタイを外せる。

 

つまり仕事をする上でネクタイは必須ではないと言う現実が偶然にも発見されたのだ。困ったのは対応を間違ったネクタイ業界であったが夏場のクールビズがここまで定着すれば余程何か事象が起こらない限りネクタイが戻ってくることはない。

 

しかしこのクールビズは役所が役所の為にやったら偶然にも民間の要望を発見したという例外である。何故なら小渕首相の時代にもクールビズやって半袖スーツなんて変なもん作ったけど誰も買わない。

 

当然である、スーツとは長袖で全部のバランスが取れるように作ってるわけで、その袖を切ってしまえばサファリルックにしかならない。

 

本来なら半袖シャツなんてのもあり得ない存在である。TPOは相手への礼儀であり自分をどう見せるかが大事なのに自分の事だけ考えて半袖シャツの下にシャツを着るのもTPOを考える必要がある。

 

そう。役所に足らないのはTPOである。国民や民間が何を望んでいるかを理解せず自分たちの感覚で対応するから月末に休むプレミアムフライデーな結果になるのだ。

 

下々の民が休む事が月末の金曜日に可能かどうか、現実的かどうか。相手の事情をちょっと考えたらわかることである。と金曜日も夜遅くまでホテルで仕事をしながら考えてみた。



tom_eastwind at 12:42|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月25日

NISAとIDECO

昨日からの寒波であるが今朝の東京は晴れで−3.5度。だから富士山が実に綺麗に観える。夏場だと富士山はあまり見えないが冬場は空気が透き通っているし今日のような大雪や大雨が降った翌日の富士山はほんとに綺麗である。江戸時代の人は日本橋からもこの富士山を観ていたのだろう。

 

今朝は電車運転は見合わせが出ており平日なのに大変だな、本当に東京って雪に弱いのを感じる。これでは今日もタクシーが混雑するぞ。

 

そう言えばタクシー乗り合いサービスが国交省の肝いりで昨日から始まった。同じ方向に向かう乗客がアプリで申し込むと順々に乗客を拾い順々に下ろすことで運賃が安くなるという方式。

 

なのだけど、大雪とか地震時なら緊急避難として使うだろうけど普段タクシーに乗る人は自分の時間を大事にしたいわけでタクシーと言う隔離された空間で仕事を考えて移動時間を短くする事で一つ余分にやることが出来る。費用対効果で考えれば乗り合いサービスを利用する人が増えるかな。

 

大体において役人が民間ビジネスに口を出すとろくな事はない。何故なら自分でリスクを取って経営した事がないから失敗しても責任を取ると言う恐怖感を持たないので雑なビジネスモデルを作ってしまう。

 

そんな事を考えながらニュースを観ていたら今度はNISAIDECOが本格的に始動するぞ!って政府宣伝。

 

NHK街角のインタビューでは「あまり投資が分からない」とかの意見を集めているがそれはそうだろう。

 

NISAは個人の小口投資であり日本政府の目的は一般市民が銀行においている預貯金を株式市場に転用することで株価を上げる事だ。決して一般市民の利益を出すためにやっているのではない。損をさせる事が前提なのでその分税金を安くしますよとやるのだ。

 

IDECOは個人型確定拠出年金である。つまり払う年金額は決まっているけど将来いくら貰えるか分からないよってことだ。戦後の日本では公的年金は受領額が予め分かる仕組みだったがこれからの年金は将来いくら貰えるかは本人の運次第って仕組みだ。

 

官僚が日本株式会社のトップに立つのなら経営能力のある、リスク管理が出来る人材が必要だけど、どちらの能力も民間の現場で働かない限り身につかない。だから本来なら民間の叩き上げを官僚組織に入れるべきだが実際に官僚組織は完全に閉鎖された組織であり民間を入れてもその意見は反映されない。

 

今は安倍首相と菅官房長官が官僚から政府へ権力を移しているわけで、それなら日本株式会社のトップを政府にして時の政府が民間の叩き上げをどんどん採用して彼らを官僚組織のトップに持っていくとか官僚組織の上にアドバイザーとして政府から派遣された民間人が一時的に官僚組織の意思決定に少なくとも民間の知恵を提供することが出来る。そしたらNISAIDECO等ではなくもっと魅力的な商品を作るだろう。

 

NISAIDECOを国民の啓蒙と言うのならまず小学校時代に簡単な社会経済の仕組みや株式市場とか資本主義って何だ?と言う事を教えるほうがずっと効果的である。そうやらないのは一般国民が本気で経済を理解すると現在の政治の馬鹿さ加減がばれるからだ。

 

民間活力を導入するため、例えばニュージーランドでは官僚と民間の交流はごく普通である。市役所や政府の高級なポジションが普通に一般公募する。

 

フランスでは官僚と政治家が入れ替わってみたり米国では昨日までウォールストリートで働いてMBS売ってた民間人がリーマン・ショック後にFRBに転職してリーマンショックの後片付けをしたりする。そりゃそうだ、事件起こしたやつが事件の事は一番良く知っているのだから。

 

タクシーの相乗り程度の案はおそらく大手タクシー会社が大学の同級生である国交省担当者に持ちかけたのだろうが、これは失敗しても国民に大きな問題はない。けどNISAIDECOはそういう訳にはいかない。NHKの街角インタビューでも「よくわからない」と言うくらいだ。投資の鉄則は、分からないものは手を出さない、である。



tom_eastwind at 20:15|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月24日

寒波と噴火と日本人

寒い。昨晩真夜中前に東京入りしたけど、都内にゆきが積もってる。冬で雪が降るのは予報で聴いてたけど実際に都内に入ると、実に寒い。ホテルの前にも雪が積もっており溶ける様子もない。

 

そして草津白根山の噴火。台湾からスキーに来ていた観光客グループがビデオを撮っており噴火の瞬間から小屋に避難する様子、そこから救助隊のスノーモービルで下山する様子がよく分かる。噴火した時に火山から吹き出した真っ黒な石があちこちに転がっている。

 

ビデオを撮っている人は「逃げろ!」と言ってるが火山の噴火の怖さを知らないのかグループの中の女性客などはのんびりしたものだ。御嶽山の噴火では多くの死者を出した。

 

今朝もホテルを出て5分も歩くと、やはり寒い。太陽が出て晴れているのに寒い。夕方のニュースでは明朝の東京の朝はマイナス4度との事。屋外の水道管が凍る寒さである。

 

日本の自然は本当に大変だ。夏は東京で40度超す事もあるし冬は雪が降るし寒暖の差なんてものじゃなくて日本の自然は本当に脅威である。

 

ところが日本人が創るサービスの面ではほんとに日進月歩である。

 

今日のニュースではスーパーの買い物では商品を自分でスキャンして精算出来るからレジで並ばなくて良いようになったとの事。またスーパーやコンビニで使うクレジットカードにしても一定額まではサインしなくても使えるようになった。クレジットカードを使えなかった時代はもう過去のものである。

 

かといえばコンビニとフィットネスが一体化した店舗が出来たりコンビニで買い物したらそのまま横のスペースで食べることが出来る2つで1つ店舗があったり、ほんと日本はこんなサービスはどんどん進化している。

 

日本に住んでいるともう慣れているからこの便利さにピンと来ないかもしれないけど外国に住んでて時々日本に来るとサービスの良さを実感する。

 

同時に火山の噴火や大雪のニュースを観ていると自然が豊かと言って良いのかどうか。

 

ただ昨日の大雪に関しての記事が面白かった。大雪と分かっているのに朝から出社して電車やバスが運休になってから「今日は早く帰って良い」と言っても、おいおいすでに電車が止まってるんですがねって容である。

 

それに対して「そうやって大雪でも会社に来て仕事をするから君はコンビニで買い物が出来るんだよ」とかの意見も出たりしている。日本らしい議論である。

 

さあ明日も仕事だ。



tom_eastwind at 00:10|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月23日

橋下徹氏が名誉毀損で訴える相手

橋下徹氏は現役政治家を辞めても喧嘩人である事は止めないようだ。今回の記事でも大阪時代の名誉毀損に関して自称ジャーナリストを告訴するとのこと。

 

http://blogos.com/article/272548/

 

今回の自称ジャーナリストは橋下徹氏の出自に関して個人情報を暴露したりするが、それは公人としての彼の活動とは何の関係もない。誰も出自は選べないからだ。

 

本人の責任でないことを本人の責任のように書くのなら人の痛みを知らず良心を持たないサイコパスであり安倍首相が昔地元で政治家として何やって来たかを記事にする方が余程公益であるのに書かないからジャーナリストではない。

 

彼の出自が事実であるという点と、それは個人情報であり公益に当たらない、自称ジャーナリストが自分の記事売りたさに商業目的で情報暴露すれば、これは明確な名誉毀損である。

 

橋下氏の喧嘩上手は観ていて良く分かる。喧嘩に一番大事なのは周囲の状況を読み自分の立ち位置を理解して、この喧嘩で負けたら最大の被害はどれだけかを理解することだ。

 

喧嘩に慣れてない人は何故か「正義は勝つ!」と思い込む。けどそれは映画の見すぎである。そして自分の正義は誰も同じ、世界共通であると思い込む。けれど事実はこの世では「勝ったものが正義」であり「自分の正義」は自分だけの狭い世界の価値観でしかない。他にも十人十色の正義があるのだ。

 

そのことに早く気づき喧嘩の作法が分かればあまり負けることはないし被害も少なくて済む。その意味で今の日本は喧嘩下手なのが多い。運動会とか、幼児教育不足なのか?

 

今回の橋下徹氏が問題としているのは名誉毀損で、これも多くの日本人がネット社会で大きく勘違いしているのだが、名誉毀損とはその容が事実かどうかは問わず本人の名誉を情報公開することで毀損した場合に適用される「犯罪」である。

 

ところがこれがまた困ったことに普通の日本人は事実を言うことは罪ではないと言う。けれど事実って何だ?裁判所で判決の出た話か?

 

個人の名誉は事実かどうかではなく公表するかどうかが争点である。

 

そしてこれにネットが発達して誰でも書き込めるようになると日本の刑法や民放も理解しないまま平気で他人の情報をネットで上げて裁判で訴えられている。

 

特に公益と言う分野においては例えば政治家は税金で国民のために働く公僕であるから彼らが何か不正をすれば告訴または告発と言う手段が取れるし場合によっては新聞で記事になる。

 

けれど50過ぎた病身の芸能人が病弱の妻を介護しつつ自分も弱っているのにその個人情報を暴露して記事ネタにするのは、明らかに名誉毀損である。その前にそういう雑誌を買う人も同罪と言って良いのではないか。

 

インターネットが馬鹿発見器であるのはネットに流れる情報を観れば一目瞭然である。まさに玉石混交、20年前なら団地の掲示板程度で済んでた話が現在は一気に世界中を駆け巡るのだ。

 

21世紀にインターネットを使うなら、まずは各国の法律と文化、次に少なくとも正しい日本語の読解力、そして最後に人に対する優しさがなければ貴方の生活に悪影響を与えることは間違いない。

 

言い方を変えれば、耳をヘッドフォンで塞ぎ目を携帯の画面に集中し前を見ずに自転車で歩道をビュンビュン飛ばして行けば事故るのは当然と言うことだ。

 

それから名誉毀損とはちょっとネタが違うけど、5年前と違い今の日本警察は明確にネット対策班を強化して優秀なハッカーを警察が雇う時代になった。昔のような刑事の足と勘で思い込み捜査は誤認逮捕を繰り返し警察はその反省からネット対策を一気に強化した。自分がネットカフェから発信したら正体が分からないなんてもう過去の遺物である。

 

貴方が日本中どこにいようとネットで「小学校爆破します」と書き込めば警察は必ずあなたの所在地を掴み上げる、それも短時間で。Nシステム、連動する防犯カメラ、顔認識ソフト、普通の人が逃げ切れられる時代ではない。

 

だからこんな時代こそ意見があれば堂々と論陣を張って相手とやりあえば良い。相手の名誉毀損で足を引っ張るのではなく対談でも論戦でもよい、きちんとネットに成熟した社会を作るべきだ。そうすれば警察もいきなり国家権力を使用することはない。

 

その意味では「一般市民に告ぐ。法律を知りネットリテラシーを持て」である。



tom_eastwind at 19:50|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月22日

争族

日本の相続税の高さはまさに社会主義をそのまま体現している。国民全員の社会的平等を目指してお金持ちから資産を取り上げて政府の資産として教育や医療に使う事で社会的弱者を救い誰もが幸せになれる国造り、なんて言うけど要するにお上が下々からカネを取り立てて自分の懐に入れるだけの話である。

 

暦年では所得税で45%、住民税で10%取っておいて被相続人が亡くなった後は「生涯にわたる所得税の取り漏れ」を防ぐために被相続人の生涯の収入をすべて調査して「精算」させる。

 

今年からは東京に住む人々の8%程度が相続税の支払対象になると言われているが、政府からすればカネはいくらあっても困らないのだから現在の相続税率の最高55%を更に80%くらいに上げても困るものではない。

 

何せ戦後すぐの頃は米国占領軍の中でも「ほぼ全部巻き上げろ」なんて議論があったわけで、戦後70年の歴史を観れば今の相続税率などまだ安いって言い出す官僚が出てきてもおかしくはない。

 

勿論彼ら官僚や有能な政治家は自分たちの財産はきちんと管轄の税務署の署長に聴いて相続税対策をすることで財産は子どもたちに残すので相続対象にはならない。

 

それは堤康二郎が西武鉄道や西武デパートを子どもたちに渡す際に税務署長から印鑑使ってごまかす方法を教えてもらったりブリジストンの創業者一族である鳩山一族が「お母さんからお小遣い」などふざけた事をやってたので誰でも分かる話だろう。

 

ところが一般人がそれと同じことをすると税務署は「否認」する。要するに税金を払うかどうかは支配層にいるのか被支配層にいるかだけの違いだ。

 

相続税はこれから間違いなく増税する。基礎控除をなくして相続税率を昔のように上げて政府の財産とする。

 

ところが政府がそんな事を考えている時に一般家族の中では争族やってる。それも家族が仲良く理性的に話をすれば良いだけのものを家族の内輪で喧嘩して結局税務署に持っていかれる。富岡八幡宮事件ではないが、本当に家族が家族を護る、この基本がなくなれば家族など何の意味もなくなる。

 



tom_eastwind at 16:15|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月21日

タイムマシン経営

ソフトバンクの孫正義さんが米国で学んだ事を日本で実行する戦略の事をタイムマシン経営と言ってた時代がある。米国は常に日本より510年進んでいる。だから米国で学んだ知識で日本に時間差輸入するって意味でタイムマシン経営。

 

例えばスーパーマーケット。日本では百貨店しかなかった時代に省人化した低価格商品を大量販売するスーパーマーケット経営はその後ダイエーがコピーして一時期大成功した。

 

コンビニのセブン−イレブンも発祥地は米国である。それを鈴木敏文氏が日本に持ち込み当時の酒屋等を業態転換させて日用雑貨を売るようになった。

 

1970年代後半に住んでた福岡のアパートの向かいに酒屋があったのだが、そこがある日突然コンビニになりびっくりしたものだ。オーナーの若主人に聴くと「もう酒の配達や角打ちで飲ませる時代が終わりましたよ」と苦笑いしてたのを思い出す。

 

当時は食料よりも生活雑貨が中心であったが現在ではすっかり街のインフラとなり食料が中心である。

 

そしてこれと同様のタイムマシンが北半球対南半球でも起こっている。それは、北半球で流行る商品はいずれ南半球のオセアニアにやって来ると言うことだ。

 

例えば日本のラーメンなど20年前であれば英国系である白人は麺をずるずると「すする」などと言う「下品で礼儀知らず」な食べ物は絶対に受け付けなかった。ましてやナマの魚をそのまま食うなんてあり得ない!

 

ところが1990年代頃日本に転勤して来たオセアニアの人々が増えて彼らがオセアニアの地元に帰り日本料理を食べたくなる。そこに出てきたのが日本料理屋である。寿司、刺し身、天ぷら、うどん。

 

本場日本の味とは比較しようもないがそれでも「日本食を食べられる」のと「日本食は健康的である」と言う信仰が広がり日本食が次第に受け入れられるようになった。

 

豚骨ラーメンは40年前であれば東京の人間には信じられない臭さで食えたものではなかった。ところが1980年代に東京で「なんでんかんでん」が出来て東京にとんこつラーメンブームが広がりあっという間にとんこつラーメンは全国区制覇。

 

一風堂の河原さんなど最初は福岡の大名で小奇麗なラーメン屋を経営してたのが何時の間にか世界のとんこつラーメン、シンガポールや南半球のシドニーにも進出して一大ラーメン居酒屋チェーンを作り上げた。

 

ただ難しいのは北半球の品物は南半球で売るとどうしても販売量が少なく原価が高くなり南半球の人間は保守的であるから、一体何時のタイミングが一番良いのか誰もわからないと言うことだ。

 

吉野家は牛肉を食わせるわけでシドニーのフードコートにはそれなりに和食が進出していたが、吉野家が牛丼を出しても人気が出ないまま撤退。

 

ところがアジアでは吉野家は定着して僕も香港では随分お世話になった。但し夏場は生卵は衛生上の問題で提供出来なかった。最初はやってたんだけど、誰かが衛生署にちくったのだろう。

 

でもって南半球では海苔巻き寿司は十分に浸透している。日本人が観たら全く意味不明な食い物であるが、地元キーウィはあれを寿司と勘違いしているが、少なくともSUSHIと言う言葉は現在は定着して市民権を得ている。

 

100均はNZでは2ドルショップとか3ドルショップと呼ばれて地元民に重宝されている。ダイソー等は人気である。

 

しかし未だ地元キーウィに馴染まないのがウオシュレットだ。台湾や韓国の会社がオークランドでウオシュレットの販売もしているが主な客筋はアジア人であり単価が8万円くらいするからなかなか市場に定着しない。これは何時になれば定着するのだろうか。

 

いずれにしても北半球で売れるものはいずれ南半球でも売れる。後は時期の問題だけである。

 

皆さんも豪州やNZを旅行していると「あれがない、これがない」とお気づきだろうが、無いのには「ない理由」があるってのと、無いのは単純に知らないだけで、いざやってみると3ドルショップのように大当たりするものがあるけど、この線引が難しいと言う事である。

 

最近オークランドはずっと景気が良いので街中を大音響のバイク、ハーレーダビッドソンが走りまくりオートバイ業界は盛況である。こっちからすれば仕事している最中にうるさいばかりであるが、実はキーウィの男性は年齢に関係なくオートバイが大好きなのだ。

 

元々アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」と言う映画でNZのインバカーギルに住む老人が改造したオートバイで米国に渡り世界最速記録を作る話であるが、こういうのって如何にもキーウィらしい。

 

けどこれがオークランドの景気で急激に売れるようになったってのは、一体誰が予測出来ただろう。

 

北半球にあり南半球にないもの。さあ次は何が当たるか。誰が正しい歴史のタイムマシンに乗ってオークランドに来れるのか、興味津々である。



tom_eastwind at 18:54|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月20日

オークランドでB&B経営しませんか。

今日は僕のビジネスとして書くので興味が無い方は無視して下さい。

 

B&BBed & Breakfastは日本ではあまり観られないホテル型式であるが欧州や英国ではごく普通に存在する。

 

自宅のようなちっちゃくてお洒落なブティックホテルに泊まり景色を楽しみ夜は近くのお洒落なレストランで過ごし、翌朝はきっちりと手作りで美味しく作られた朝食を楽しんで次の場所に移動するのがB&Bである。僕も30年前にオークランドに来た時にはレンタカーで移動しつつあちこちの街のB&Bにお世話になったものだ。

 

B&Bのオーナーは地元の観光、治安、名物、面白い事をよく知ってて、レンタカーで来た旅の客に色んな案内をしてくれるので、旅人は安心して外に出られる。

 

同じ車の旅でも米国などに多い鍵を渡すだけのモーターインとは違い旅先の人との会話があるので、これは楽しい。モーターインが白黒映画とすればB&Bはフルカラー映画のようなものだ。

 

欧州大陸にあるオーベルジュの場合はレストランで最高の食事を楽しむためにわざわざ車でそこまで行き食後はそのレストランに付属のリビングでオーナーシェフたちと会話を楽しみ付属の部屋で寝て翌朝次の場所に移動するとなる。なのでB&Bとは反対の位置づけになる。

 

ニュージーランドでは生活を楽しむと言う考え方がありB&Bやワイナリーの場合Life Styleと言う言葉があればそれはビジネスとしてよりも生活そのものを楽しむと言う意味になる。

 

今回入ってきた案件も、どちらかと言えばLife Styleである。ただし、敷地が広い。西オークランドの郊外にありシティから車で40分ほどかかるが、とにかく広い。何せ敷地の中に小川が流れその向こうの山も敷地であり時々は牛が迷い込んで庭先にいたりするくらいである。

 

逆に言えばオークランドからたった40分で森の中に入れて小川には鰻がいて山には食べられる草があり夜は満天の星空を眺めながら日本式のお風呂を楽しめるってのは、なかなか出来ない体験である。

 

最近売りに出たこのB&B物件は僕自身も関わっており不動産自体の政府価格もビジネス機会としての価格も把握している。もし興味があればご一報頂ければ詳細をお伝えします。

 

と言うことで今日はビジネスM&Aの営業ブログでした。



tom_eastwind at 17:13|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月19日

NZ女性首相初出産

去年末の総選挙で政権を勝ち取った労働党の党首であるジェシンダ・アーデン首相が今年6月に出産とのニュース。6週間の出産休暇中は副首相のウインストン・ピーターズが代理を務めて首相勤務に戻ればご主人が専業主夫となり子育てをするとの事。

 

如何にもニュージーランドらしい記事である。

 

これがもし日本で女性首相が出てくれば新聞記者は「出産の予定は?」とか評論家が出て来て「だから女はダメなんだ!」とかやりだすんだろうな。日本は所詮男が偉いと思い込んでいる男だけの文化である事は何も変わらない。

 

しかしその男が子供を産めるか?

 

男が得意とするのは一般的に高いところにある物を取ること、重いものを動かす事である。

 

けど21世紀になりロボットが出て来てモバイルスーツが出て来て書類がペーパーレス化してしまえば男の得意とする分野はなくなる。そして総合的に物事を判断出来る人物であれば男も女も関係なくなる。

 

すでにそんな時代が来てるけど、どんなに時代が変わっても男が子供を生むことは出来ない。女性であれが冷凍精子をずっと溜め込んでおけば男なしの世界でもやっていける。まさにアマゾネスの世界である。いずれ男が男であるだけでは生きていけない時代が来るぞ。

 

今回の出産はおめでたである。ニュージーランドの地元でも歓迎のニュースだ。こういう記事を皆が素直に喜べるのは良いことである。



tom_eastwind at 18:19|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月18日

ランドバンキング

今日のオークランドは雨。霧雨と斜めに殴るような雨が繰り返し降っている。けど空はそれほど黒くないので夏の雨である。

 

先週は当社スタッフがお客様同行でランドバンキング現地視察を行った。それなりに天気も良くて現在建設中の29棟の外装工事が終了、これから内装工事にかかり2月後半から居住開始となる。

http://blog.livedoor.jp/citadelnz/

https://youtu.be/9b_IPZ4-U-0

 

下のyoutubeは上空にドローンを飛ばして撮影した動画である。3次元画像なので立体感があって面白い。記事で読むドローンと実際に自分の仕事で観るドローンはやはり印象が強い。

 

ランドバンキング企画を考えたのは5年前である。当時はオークランドの不動産の価格がここまで急上昇するとは誰も思ってなかった時期だ。

 

けど移民である僕の目から観れば南半球で治安の良いオークランドは当時から人口増加が続いてて「北半球でテロや戦争に巻き込まれる前に避難先見つけよう」って考える人がこれから北半球で急増するだろうと推測出来た。

 

そして日本の昭和中期を過ごして東京の多摩地区とか大阪万博跡地の住宅開発とかもずっと観てきたから「これから土地開発と居住用不動産だな」と予測することが出来た。

 

だから最初はグレンフィールド地区のそれまでは単なる荒れ地だった斜面を切り開いて住宅建設して次はオークランド南部の広い元軍用地に集合住宅を建てて、どこも建設終了までに売り切った。

 

当時は「こんなちっちゃな家でもこんな価格で売れるんだ」と実感したが、それほどオークランド住民が必要な住宅が不足していた。

 

住宅価格上昇の一番の原因は外国から移住して来た資産家が自国の街の住宅価格と比較して「まだ安い!」と思い、広い庭付きの住宅をどんどん買っていったからだ。

 

なので既存の住宅価格が値上がりしてそれが本来50万ドルの住宅を100万ドルにしてしまい普通のサラリーマンがローンを組めない金額に跳ね上がった。

 

そこで政府が問題解決策として政府の保有する土地を放出して民間デベロッパーに開発させて通常の住宅価格よりも30%近く設定してローンが組める金額、つまり70万ドル前後でファーストホームバイヤーの手の届く価格になった。

 

ある意味ここまでは過去の北半球の歴史を知っていれば予測も推測も出来る話である。人間の考える事って北でも南でもそんなに大きく変わらない。

 

けど今年は去年や一昨年のような高騰はないだろう。大体物価上昇率と同様の5%程度値上がりが基本だろうが、住宅価格があまりにも上昇しすぎた地域では価格が少し下がるのではないかと思う。

 

ただ米国のサブプライムのようなたたき売りは出てこない。と言うのもNZで住宅を買う場合不動産投資というよりも自分で住む場合が多く、折角買った住宅を値引きしてまで売る理由がないからだ。

 

これからも北半球からの移民は続く。現政府としても投資や起業をしてくれる人々は歓迎である。これは世界的な現象であり日本だって優秀な能力のある外国人には永住権を発行して日本に居住してもらおうとしている。

 

特に南半球の小島であるニュージーランドは隣国である豪州に比べて人口も四分の一と少なく、現時点で全国民約480万人であるが、豪州ではシドニーだけで約500万人である。

 

ニュージーランドは人口密度も低く土地はまだ十分にある。小高い丘を切り開けばまだ住宅開発に十分な余裕がある。これから最低でも10年くらいは住宅開発が続くであろう、昭和中期の日本がそうであったように。



tom_eastwind at 13:29|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月17日

年金不支給

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年金受給開始70歳以降も可 高齢社会対策大綱案の全容判明 65歳以上一律「高齢化」見直し 60〜64歳就業率67%目指す

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産経新聞記者のまとめ方が上手いのか政府広報の担当者が予め作ったのかわからないけど実によく出来た文章である。

 

要するに政府は年金を払わんぞ、年をとっても働け、である。今まで払ったカネ?もう遣い切ったよ、箱物行政で。60歳以降の老後は穏やかでは?そんなもんないよ。死ぬまで働け、但し怪我するな、病気するな、健康保険使うな、である。

 

それを「高齢者はエイジレスであるから意欲、能力を持って働きましょう!」とか「年金は70歳から貰えますよ!」とか、よくもまあ上手く言い換えたものだ。さすが政府!立派!

 

そして高齢で癌になった場合など、どうせ死ぬのだから無駄な治療などせずおとなしく死んでくれってのをQOL(生活の質)などと置き換えている。

 

いや、言ってることは僕も理解出来る。定年など設定せず元気なうちは70歳になっても働けば良い。生活の質であるQOLも同意である。

 

けど日本政府が今それを言うか、である。こんなのは昔から分かりきっていた事なのに戦後の政府が工業化する日本社会で若年労働者を適正な賃金ではなく安くこき使い踊らせるために「60歳になったらもう働かなくても良いですよ、だから60歳までは安い賃金で死ぬほど働いてね」と言う仕組みを作っただけだ。要するに賃金の先送りである。

 

そうやって政府及び支配層は自分たちだけしこたま稼いだ。おまけに年金は箱モノ投資で自分たちの天下り先確保、全くどこまで労働者を絞れば気が済むのか、どこまで絞っても一滴でも水が出る限り絞り尽くすのだろうかって感じである。

 

しかし21世紀になり労働者が正当な報酬を要求する世代になると今度は「死ぬまで働け、健康保険使うな」であり、結局多くの国民は本来の労働に対する対価を受け取れず死ぬまで元気で働くしか無い。一体誰のための国家か、である。

 

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 大綱案は「65歳以上を一律に『高齢者』と見る一般的な傾向は、現状に照らせばもはや、現実的なものではなくなりつつある」と指摘した。その上で「年齢による画一化を見直し、全ての年代の人々が希望に応じて意欲、能力を生かして活躍できるエイジレス社会を目指す」とした。 

 年金の受給開始年齢については、原則65歳で60〜70歳の間で自由に選べる現行制度を見直し、「70歳以降の受給開始を選択可能とするなど、年金受給者にとってより柔軟で使いやすいものとなるよう制度の改善に向けた検討を行う」と明記した。

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上記の文章など実によく出来たものであり日本語の勉強に最適であろう。エイジレス、年金支給が70歳以降、ここまで書けばまさに黒いものを白いと描くようなものだ。例えば白地に大きな黒の斑点が付いた牛と黒地に大きな白い斑点が付いた牛の区別がつかないようなものだ。

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このほか医療に関し、「QOL(Quality of Life=生活の質)の観点を含めた高齢のがん患者に適した治療法などを確立する研究を進める」と書き込んだ。高齢者にとって抗がん剤治療は吐き気などの副作用でQOLを低下させる可能性があり、手術をする場合も一定の体力が必要となる。こうしたことを踏まえて記した。

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今までさんざん製薬業界とつるんだ厚労省が患者を薬漬けにしておいて患者及び家族の人権を無視しておきながら医療費がかさむと「生活の質」など、今になっていうかって話である。

http://www.sankei.com/politics/news/180117/plt1801170003-n1.html

 

けど言ってる話は決して間違いではない。人は死ぬまで現役、健康な間は働き続けて社会と繋がり貢献して報酬を得てそれで美味しいものを食べて最後はピンピンコロリで往生する。これはもう死生観の問題であるが今回政府が発表した年金及び健康保険に関する基本的な意見は間違っていない。

 

ただこれを実行する時は、今度こそは自分たちだけのご都合主義ではなく、国民を真ん中に置いた民主主義を実行してくれって、そして国民も何度も政府に騙されるなってだけである。



tom_eastwind at 20:34|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月16日

さらば1万円札

去年から議論が出ているのが日本銀行が発行する1万円札の廃止である。

 

仮想通貨、フィンテックによるスマホ決済、中國のアリペイ等電子通貨が次々と登場して来て中國では乞食や大道芸人もアリペイ決済と言う時代になった。

 

政府としては通貨は管理したい。誰がいくら持っているか知るのに電子決済であればすべての資産の把握がネットで一発で出来る。

 

そんな時代に現金1万円札?1万円あれば都会のビジネスホテルに泊まって近くの店でせんべろ楽しんで翌朝はコンビニでコーヒーとドーナツが楽しめるぞ。

 

てか1万円札がたくさんあれば大きな現金決済に使われてお金の行く先が分からなくなるから税務署も把握が大変。それなら1万円札を廃止すればどうよ?と言う話が出てくるのだ。

 

すでにインドでは高額紙幣を廃止したり北欧でも現金通貨の流通を止めてすべて電子決済にしようとしている。

 

今時日本ではコンビニでもお財布携帯、クレジットカード、最近では鉄道系カードで決済とか広がっている。

 

実際に僕も日本のコンビニで買い物をする時、以前は現金しかなくて不自由したものだ。到着した空港で現金を引き出すけど基本1万円札。

 

それでコンビニ行って水やパンやカップヌードル買ってお釣りが8,958円とかになるとポケットじゃらじゃらだ。小銭は重いしポケット膨らむし、かと言ってアタッシュケースに入れてると買い物の時につい忘れてしまい、オークランドに戻って使えない日本の小銭を見つめることになる。

 

オークランドでの生活ではEFTPOSと言うデビットカードとクレジットカードが一枚になっているので朝起きて会社に行く途中でスムージー買ってお昼ごはんを屋台のようなお店で食べてスタッフ用にドーナツ買って訪問先の駐車場で駐車料金払って自宅に戻る途中にガソリンスタンドでガソリン入れて、これで自宅を出てから自宅に戻るまで一度も現金を使わずに生活出来る。

 

オークランドで生活してて日本に出張すると「そう考えると日本って現金文化だな」そう思ってたらここ数年でカードが普及したので随分と支払いが楽になった。現金でさえも到着空港のATMなら外国のカードでお金を引き出せるからこれで非常用の現金は確保出来る。

 

なので僕にとっては日本で現金がなくなるのは有り難い話であるが、やはり多くの日本人にとっては現金文化が根づいているのでいきなり1万円札廃止と言う事にはならないだろう。

 

フィンテックの発達でビットコインが成長しているがあれは中央政府が管理出来ない。ならばブロックチェーンの仕組みを政府が導入して政府が主体となる電子通貨「円コイン」を発行して徐々に市場に出回っている現金を回収して電子通貨に切り替えていく。

 

その際には国民全員にまず政府発行の「円コインカード」を支給するがここにはマイナンバーが全て付設されている。国民がどこで決済しようがどこの銀行に入金しようがマイナンバーで全て把握出来るし現金がないのでタンス預金も出来ない。

 

2020年に向けた国内銀行の名寄せ作業はすでに大手IT企業が受注して作業の真っ最中である。

 

マイナンバー発行→国内銀行名寄せ→国外財産調書→共通報告基準(CRS)→通貨の廃止→泥棒にも課税出来る仕組みの出来上がりである。

 

もともと消費税を導入する時に欧米では「泥棒からでも課税出来る仕組み」と言ってた。そりゃそうだ、泥棒だって盗む時に税金は払ってないけどレストランで食事したり買い物したらすべて消費税を払っているから、泥棒からでも取れる税金となっているのだ。

 

消費税は世界的に観て今後も定着していく税制であり企業への法人税を減らして経営者がいちいち節税対策しなくて済むようにして、その代わり経営者には高級車買ってもらい高級レストランで食事してもらい、その度に消費税を払ってもらう。政府としてはこの方が手間いらずだ。消費税はNZなら現在は15%だ。

 

国民から確実に税金を取る。この仕組の未来版が現物通貨の廃止である。原始時代の石の通貨から始り天保銭、日本銀行発行の円と続いてきた通貨の歴史がインターネットとファイナンスの発達と融合でいよいよ通貨自体がなくなる。

 

そのことで中央政府が国民の資産管理が出来て課税も適正にできて、政府からすれば「あはは!」である。国民からすれば「払ってもいいけど、何に遣うんだよ?消費税って君らが消費をするために国民が納税しろって事かい」ってなるだろうな。

 

僕はニュージーランドで20年間ビジネスをしているがその間消費税、PAYE(源泉徴収)、どれもこれも馬鹿正直に払ってきた。何故なら税金を払ってもそのお金で僕の子どもたちが小学校から大学まで行けるわけで、住んでる地域で医療が提供されて生活に困った人たちに補助金が支払われて誰でも平等にこの社会に乗り出していけるからだ。

 

1万円札がどうなろうが構わないが、一体日本は誰のための政府であるのか、ただそれだけである。



tom_eastwind at 16:29|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月15日

蛇口と水槽

会社は先週木曜日に再開したが取引先もまだ開いておらず年末年始の郵便やデスク周りの片付けが中心であった。仕事本体は年末年始に関わらず継続しているので会社が再開したと言う違和感はない。

 

でもって今日の月曜日は久々にスーツに袖を通してネクタイして取引先訪問と会議だったので久しぶりに仕事感ありだ。

 

去年後半から行っている日本企業によるNZ企業の買収案件で取引先と色々打ち合わせ。こういう仕事はシンジケートであり誰がボスって事にはならないけどシンジケートのトップレフトに立つのは誰かってのは決める必要がある。

 

だから今日の会議でも誰がどこを担当するのか決めるんだけど、仕切るのはどうしても当社になる。現在のニュージーランドにおいて当社の立場は水道の蛇口、地元チームは水槽(シンク)であり、彼らは水槽にたまった水をどう適正に分配するかを考えるのが仕事だ。

 

僕の仕事はどれだけの水をこの水槽に流し込むかでありこちらでシンジケートの様子を見ながら判断することになる。今までも水をいろんな水槽に流し込んできた。

 

2017年の日本は景気が良かった。大企業は利益を増やしビットコインはロケット上昇し日本の大企業は内部留保した資金をどこに使うかと考えている。

 

2017年の日本が円安株高で金利が低いので2018年には円キャリートレードでまた使おうぜって話も出ている。ビットコインはまだまだ伸びるって話も賑やかである。

 

ただこういうのは通貨の投機であり実業への投資ではない。目先のカネは稼げるがそれが人々を幸せにするのかな?

 

例えばニュージーランドで豊富な資源を日本で適正価格で販売する。それが水でも樹木でも空気でも良い、日本に住む人々を幸せにさせて適正な代価を頂く。

 

販売する仕組みはキーウィが作るけどその開発資金を日本企業が拠出して日本企業は配当で利益を得て地元キーウィはビジネスで事業利益を出す。こういうのをNZ移民局もスタートアップビジネスとして応援している。

 

こうやって雇用が生まれて若者が社会進出出来る。

 

投機のような金融ビジネスはどうしても少数の人々だけのゲーム場になってしまい、社会成長とは言えない。

 

キーウィのビジネス仲間とも買収案件を話しつつ、今の日本のビットコインブームは雇用を生むのかなって話になった。

 

明治の渋沢翁は株式会社をよく理解しており会社の存在価値をその社会的価値に置き換えることが出来た。曰く「利益は機械の油かす、大事なのは社会への奉公である」。

 

まさにその通りである。企業が社会に存在する価値はその企業がなければより良いサービスや商品を受け取れない人の為であり、もし企業がサービスや商品提供が出来なければ退場すべきである。中途半端に政府の補助でゾンビーのように生き残ってしまえば、逆に健全な企業が迷惑を被る。

 

雇用を生む。顧客が幸せになる。企業が発展して更なる雇用と顧客を創り出す。その為に企業は常に「今人々が何を求めているか」を理解して商品化する必要がある。

 

それもその商品が人々を幸せにするのかも大事である。いくら商売と言えど麻薬を非合法で売っちゃダメでしょって話だ。

 

だから必然的にビジネスの範囲は限定していくことになるが、それでも十分夢はある。NZのような小さな国でも日本向けに売れるものはたくさんある。大事なのはそのすり合わせである。

 

NZにおける雇用と企業成長を考える。今日も取引先の会議室であーでもないこーでもないとか話しつつ、何か次に繋がるものはないかと考える一日であった。



tom_eastwind at 21:27|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月14日

氷水(こおりみず)

うちの奥さんが日本に滞在する度に必ず文句を言うのがレストランや喫茶店で出される氷入りの水である。

 

中國や香港では基本的に冷たい水は出さない。これは漢方では体を冷やすのは万病の元と言われているからだ。

 

なので日本に行く度に冬の北海道のラーメン屋でも氷入りの水が出て来て「すみません、氷なしの水を下さい」と言う話になる。

 

最近の日本インバウンドで多くの中国人が日本を訪問して景色や人々や文化を楽しんでいるが、氷水だけは彼らが受け入れることはないだろう。いくら日本文化とは言え自分の健康を害するようなものを飲むわけにはいかないからだ。

 

オークランドではガタイのよい連中が真冬でも半袖で街を歩いているが彼らは常に運動して筋肉があり熱を発している。中国人は自宅の中でもヒーターではなく厚着をして体を芯から温める。

 

しかし日本人の場合は焼きたての焼き鳥を食って思いっきり冷えたビールを飲んで、中国人からしたら「おいおい、お前は自殺願望か?」となるのだ。

 

実際に日本人の体温は50年前の36.8度に比べて下がっている。最近では35度なんてのもあるくらいで、そりゃ病気になるでしょって体温である。

 

体温が下がる原因はいくつもある。例えば運動不足、塩分の取らなさ過ぎ、ストレス、夏のクーラーなどがあるが、冷たいものを食べたり飲んだりするのは直接的な体温下げの原因であるのは間違いない。

 

体温が1度下がれば新陳代謝が12%、免疫力が30%低下して病気になりやすくなるわけで約2度下がった現在では免疫力が60%下がるわけで、そりゃ病気にもなる。

 

かくいう僕も日本で生活をしていた頃はガンガン氷水を飲んでいたわけでその意味では立派な戦犯であるが最近は奥さんの厳しい指導で随分と冷たいものを飲まないようになった。

 

だからと言ってパーティの場の雰囲気を壊すわけにはいかないから最低限の礼儀は守るけど、冷えた白ワインよりは常温の赤ワインとか、日本酒なら少し温めるとかである。ビールは最近全く飲んでないが次はドイツ人のように室温で飲んでみるかな。

 

勿論糖質制限もあるので糖分摂取は考えるが温度管理は別物であるので、これはこれで考える。

 

考えてみれば人間の身体の中には内臓があり臓器は常温で活動しており普通に生活すれば現在であれば100年くらいは利用可能である。

 

その臓器に癌とか病気が出てくるのが運動不足とかストレスとかが原因の冷え性で新陳代謝が下がり免疫機能が弱まった結果として異常細胞である癌を発症するなら少なくとも氷水を飲まないのは実行しやすい1つの生き残り手段である。

 

何だかいくつになっても奥さんに教えてもらって生きてるな、よく飽きもせずに色々教えてくれるな、感謝の毎日である。

 

日本の氷水文化は右に倣えの賜物であるが、これもどこかのメディアが取り上げて「氷水、からだに悪いんだってよ」ってやればそこから一気にレストランや喫茶店で「お水は氷お使いになりますかー?」と変わっていくような気がする。



tom_eastwind at 20:39|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月13日

言霊

最近の日本でテレビ番組を観ると健康オタクのような番組が増えた。年をとるとこんな病気になるから気をつけろ。そりゃそうだ、世の中が高齢化しておりテレビを観るのは高齢者であり、ならば番組構成も健康番組が増えるのは当然である。

 

ここまでは良い。問題はここから先で誰も彼もがテレビ番組を観て一夜漬けの医者になり仲間を掴まえては「おいお前、最近ここが痛いだろ、それはなんちゃらと言ってな、身体が年を取ってきた証拠なんだよ。何?痛みを感じない?そりゃやばい、早く医者に行った方がいいぞ」

 

口から出た言葉は言霊に変化して現実に大きな影響を与える。だから老人同士が病気でもないのにお互いを病気呼ばわりして実際に病気になる。病は気からであり気は言霊である。

 

例えば夏は暑い。暑いから暑いと言う。ここまでは良いがその暑さをネタに否定的な話をしても仕方ない。「暑くてやってられない」と言うよりも「暑いのはさっぱりしてこりゃいいや、どんどん汗かいて新陳代謝良くしようぜ」とか、もっと生産的な話をする方が良い。だって否定的な話は何も産まないのだから。

 

病気も同様で、年を取ったからと言って誰もが病気になるわけではない。ピンピンコロリで90過ぎまで元気に生活する人がこれから医療の進歩で急増するだろう。

 

死ぬまで元気なのが医療費もかからないし良い事なのだから老人同士元気になる話をすれば良いのに、集まればすぐに病気の話ってのは何も産まないどころか病気を生み出すだけである。

 

年をとると言う事は知識が次々と身に付き賢くなることである。その知恵で何かを創り出すことが出来る。学ぶことに年齢制限はない。インターネットのキーは木の幹を叩くような力は不要である。今後は音声入力も発達するからキー入力も不要になる。

 

それで毎日散歩をしてしっかり食事してぐっすり寝れば身体は元気だし何時までも創作意欲は失くならない。

 

問題はそういう自分の生き方を見つけることが出来ない人々である。今までの人生をずっと他人と横並びで行動して自分の頭で考えることをしなかった人々が退職した場合、自分の生きる目標を持つことが出来ない。そういう訓練を受けてこなかったからである。

 

いずれにしても言葉は言霊である。たとえ本人が不注意で発言してもその言葉は自分で足を持って歩き出し、発言した本人も止めることが出来なくなる。

 

だから他人と横並びにテレビを見て一夜漬けの医者になるのではなくて、これからの50年をどうやって生きていこうか、その為の積極人生を考えて正しい言霊を発すべきである。



tom_eastwind at 20:06|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月12日

19歳が読む乱調文学大辞典

ティーンエイジと言う英語がある。これは13歳から19歳までの年齢を示す英語の語尾がteenになるからで、心が一番大人に変わっていく年齢層である。

 

でもって英語の発音でよく取り上げられるのが1990とかであるが今日は英語ネタではなくあるサイトで見つけたお笑い。

 

恋に溺れるのが19歳、風呂に溺れるのが90歳。

道路を暴走するのが19歳、道路を逆走するのが90歳。

まだ何も知らない19歳、もう何も覚えていない90歳。

自分で自分を探すのが19歳、皆が自分を探すのが90歳。

 

上記のようなお笑いを笑えるかどうかは聴いてるご本人次第である。

 

世の中には真面目な人が多くて物事の道理を外れると全く脳内に吸収されず完璧に跳ね返してしまう事がよくあるが、笑いというのは様々な種類があるわけで「笑う」と言う行為が肉体に良い影響を与えるのはロビン・ウィリアムズの映画でもあったようにある程度は医学的に証明されているようだ。

 

しかし問題は何を観て笑うかであり何を観ても読んでも笑えなければ意味はない。そこで人類は古くから様々な劇や踊りで人々を泣かせ笑わせ心を弾まさせていたものだ。

 

近代では落語で笑うと言う文化が日本に出来上がった。上方落語や江戸落語がありそれぞれに芸風が違うがそりゃそうだ、住んでる土地の文化が違うから笑いのとり方も違うのは当然である。

 

これがラジオやテレビが発達して全国一斉に放送が中継されるようになると全国均一に受け入れられる笑いが出てくるようになった。

 

そして一般的な笑い、つまり1+1=2的な合理性のある笑いが定着すると今度は逆に1+1=11のような非合理的だけど数学の原点を引っくり返す疑問をぶつけるようなネタが出てくるのだが、ここになるとテストで点が取れる一般的な頭の良い良い子にはもう笑えなくなる。

 

だって1+1は2でしょ、それが何で11なの?となり頭の中で11が受け入れ不能になるのだ。てかそれ受け入れたらそれで今まで自分が営々と築き上げてきた常識が破壊されるからだ。

 

けれど本来112になるのは1+1が2になるのではなく1+1は2と呼ぼうとする社会的合意であり物理的再検証可能な事実とは別物であると考えれば、1+1を11とする考えがまるで既存通貨を無視するビットコインのように流通しても良いのではないか?

 

等などまさに終わらない神学的な議論が交わされるわけだが、ここで出てくるのが筒井康隆の「乱調文学大辞典」である。

 

彼は実に腕の良い作家であり小松左京と同格か、執筆の多様さからすれば小松左京が王貞治なら筒井康隆はイチロー選手か。

 

今から30年昔、僕がクイーンズタウンに住んでいた頃に「乱調文學大辞典」を読んだのだが、とにかく抱腹絶倒、最初から最後まで「ここまでやるか!」と笑いの連発であった。

 

何故ならそこに書かれた世界は徹底的に事実を学んだ上で事実をからかっておちょくってシニカルにネタにしてそれでいて全く嫌味がないのだ。

 

例えばこの辞書では「アウトサイダー=密造の清涼飲料水」となる。他にも抱腹絶倒はあるがさすがにこの場面では女性もお読みなので書けない。

 

ただこの笑いって、世間全般に対する基礎知識がないと笑えない。

 

大阪の漫才だと単純である。元ヤンキーが公衆の面前で他人の頭を殴って公衆を笑わせるから何の知識も不要である。単なる暴力の行使だからだ。

 

ところが同じ大阪出身でも筒井康隆は文学を極め世界の本を読みその上で笑いを作った。だから筒井康隆の笑いに付いていくためにはしっかりと本を読み込んでいないといけない。

 

更に大事なのが本を読み込んだ上でその常識を自分で破壊してそこから笑いを取り出すことなのだ。これが普通に学校で良い点数を取る日本人には難しい。何故なら学ぶことが全てであり疑問を持たないから答を破壊することが出来ないのである。

 

蜻蛉日記(かげろうにっき)=とんぼの生態観察記録。



tom_eastwind at 17:11|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月11日

ホテルとコンビニ

僕が日本に出張してホテルにチェックインして真っ先にすることが近くのコンビニでの買い物だ。

 

フルーツパック、サンドイッチ、カップ麺、2L南アルプス水、おつまみ、ゴルゴ13、ローソンならチキンとか焼き鳥、時にはのり弁当。ホテルに持ち帰るのはあまり格好良くないけど部屋での生活必需品である。

 

何せ一日仕事をするとかなり疲れるからレストランに行くのも億劫だし一人で飯を食っても仕方ない。ルームサービスでスタッフが部屋に入ってこられるのも身繕いしなくちゃいけないので面倒だ。

 

それならば仕事が終り風呂に入って体を伸ばしてソファに転がって一人で焼き鳥とかのり弁当食って水をがぶ飲みする方がずっと気持ち良い。

 

けどホテルの中でショッピングバッグ持ち歩くのもあんまり品が無いよな、そう思ってたら最近はコンビニOKなビジネスホテルが増えてきた、てかコンビニ併設なホテルになっているのだ。

 

だから冷蔵庫は最初から空っぽでコンビニの買い出しをお待ち申し上げます状態である。

 

例えば平均的なセブン-イレブンの日販が60万円でファミマが40万円でもホテル内にレストラン代わりにファミマ作ればセブン-イレブン並の日販が取れて、そしたら宿泊部門は低価格でもきちんと利益が取れて料飲部門(コンビニ)も利益が取れて直営レストランを持たないから固定費も人件費も不要である。

 

そして部屋に電話を置かなければ初期投資も安く収まるしテレビを置かなければNHKにカネ払わなくて良い、ましてや新聞なんて宿泊客がネットで読むから不要、そう考えればビジネスホテルの固定費が大幅に減額出来る。

 

まさに時代の変化に合わせた宿泊業の変化である。

 

旅館とかホテルの歴史を観ると常に時代に合わせて変遷して来たのがよく分かる。宿泊業は時代を常に反映していると感じる。

 

元々日本でも江戸時代の宿は温泉地の旅館は別にして移動と出張のための旅籠は雑魚寝が一般的であった。馬込、妻籠などに行けば細い街道沿いに雑魚寝の旅籠が並んでいたのが分かる。

 

貴重品は身体に巻いて火鉢の近くにごろ寝して朝起きれば草鞋を履いて次の宿に向かう旅人たち。こう考えれば江戸時代も今もビジネスマンも多忙に違いないが時代の変化は宿の変化に直結している。

 

そう言えば最近はカプセルホテルも大きく変化しており飛行機のビジネスクラスやファーストクラスをイメージした作りのカプセルも出てきている。簡易型旅館なので鍵はかからないが、飛行機のビジネスクラスだって鍵はかからない。

 

格安な値段で狭いながらも快適に過ごせる設備が整っており男女区別されているから不快な思いもしなくてよい。よく考えた仕組みである。

 

顧客視点から観れば携帯電話が発達した現在、部屋に固定電話は不要である。新聞も時代遅れ。レストランがなくても安くて美味しいコンビニでドーナツとコーヒーで十分。そう考えるとこれから宿泊業界も二極化していくと思う。

 

徹底的に顧客視線で合理化して安全な滞在と安い宿泊費を追求するホテルか、長期滞在を前提としてホテル内で会議を行い顧客と食事をして仕事を完結させる「旅先のオフィス」となるホテルとするのか。

 

いずれにしても旅行業にとって宿泊業は切っても切り離せない業界であり今後の動きは大変興味がある。

 

ホテルとコンビニ、1970年代に北海道のホテルを予約するのに往復はがきを送ってた時代を体験した者からするとまさに隔世の感があるが、それが時代の変化と言うことだろう。少なくともコンビニは日本在住の日本人以上に海外から訪れる人々にとってはまさに魔法の玉手箱みたいなものだという事だけは知っておいて損はないと思う。



tom_eastwind at 16:38|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月10日

言語明瞭意味不明瞭

最近目立つのが言語明瞭意味不明瞭な問い合わせである。

 

NZで会社を作りたい。手続きを教えてほしい」

 

普通に考えれば何も難しくなく意味も明瞭だと思われるだろうが、日本人がニュージーランドで会社を設立するには必ずその背景がある。単純な事業拡大なのか社員の誰かを送り込むのか又は自分か誰かの永住権取得を視野に入れているのか?

 

会社作りのその前提となる最終目的が明瞭にならない限り正確な答は出せない。

 

例えば現在の商法ではNZの会社には必ず一人はNZ居住者の登録が必要だ。また今後NZ非居住者が実質的なオーナーである場合、その個人データ及びNZの会社の財務情報をネット公開することとか、様々な条件が付随してくる。

 

またこれは日本とニュージーランドの法体系や商習慣の違いも大きく影響する。日本は大陸法、NZはコモンローでありながら日本人ビジネスマンが何か考える時は結局大陸法で考えるから、最初に大陸法的な発想で自分の頭に全体図を描くのだがその前提となる情報が間違っている事が多い。

 

例えば自分がNZに永住したい、ならば誰かにNZに会社を作ってもらいそこでワークビザを発行してもらい2年ほど働いて永住権取得を、みたいな道を描く。それを前提として当社に「会社の作り方」を聴かれても、そりゃ会社なんていくらでも作れるがご本人が永住権を取れるかとは全く別問題である。

 

ワークビザでも駐在員であれば職歴が加算されないとか永住権申請には英語力テストとかもちろん健康診断も無犯罪証明も必要なわけで、ところがご本人は5年くらい前の古い技能移民の知識が前提として入っているから話が食い違う。

 

大体NZの会社では必ず地元居住者を取締役に入れる必要があるが逆に言うと雇われた人は取締役として商法上の責任が発生するわけで外国人が会社作って何やってるか分からないのに「はい分かりました役員やります」なんて話にはならない。

 

また日本のビジネスを拡大すると言うが上記の反対に「雇われ取締役をどこまで信用出来るか?」と言う問題もある。広げようとしたビジネスそのものを取られてしまうかもしれない。

 

キーウィはお人好しだし個人的には良い人が多いけど仕事となれば全く別物である。僕がよく見るパターンは頭の良さそうな日本人が颯爽とやって来て

「おい、会社作ってくれ」

「取締役はどうしますか?」

にこっと笑って

「心配するな、俺の友達がキーウィなんだ!」

とやる。

大体OUTである。

 

日本の資産をNZに移す目的であった場合は将来的にマイナンバー提出義務が発生した場合どうするのか?資産を移すのであれば自分の代で使い切るなら良いが子供に残すと言うのなら最初から相続対策としてある程度低税率で納税をした上で収益資産を早期に子供の名義にすべきだ。

 

そんなこんなと色々あるけど、頭の良い人に限って自分の頭の中で絵を描きすぎて最初にガチガチに固めてしまいがちだ。

 

国が変われば法律も変わる。法律も変われば遵法精神も変わる。遵法精神も変われば商習慣も変わる。商習慣も変わればお互いの言葉も変わる。言葉が変われば相手が何を言ってるのか分からなくなる。分からなくなれば言葉と言う試金石がなくなる。試金石がなくなれば闇夜の地雷原を懐中電灯なしに歩くようなものだ。その結果吹っ飛ばされることになる。

 

話す(通信)と言う(放送)は別物である。話をしようと思うなら相手が使っている言葉を理解することが必要である。でなければ聴いている方からすれば「こいつ何言ってるんだ?言語明瞭意味不明瞭」となるだけだ。



tom_eastwind at 13:03|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月09日

ここはニュージーランドだ!英語で話せ!