2019年02月
2019年02月07日
市民権と永住権
最近の問い合わせでよくあるのが市民権と永住権の違いである。
「果たしてニュージーランドの市民権取得に永住権以上のメリットがあるのか?」
これは守るものが何かによって答えが違うと思う。例えば僕の場合で言えば家族を守らねばならない。子どもたちの生活ベースはニュージーランドでありNZ国籍を所持しているからだ。
この状態でもし僕が国外退去を食らったら子供と一緒に生活が出来ないし生活基盤を変える必要がある。だから市民権が必要だ。市民権を取り日本の国籍を離脱すれば強制退去は使えない。
最近は豪州に長く住む中国人ビジネスマンが豪州の永住権を剥奪され海外出張している間に国外退去が決定、知り合いの政治家に依頼するも外交の問題なのでどうしようもないとか起こっている。
こうなると普通の日本人は「だって僕、悪いことやってないもん,だから大丈夫だもんね」となるが、国家間の外交においては何が事実かではなく国家が何をやりたいかが問題である。
そして永住権は当該国政府が何時でも剥奪出来る。剥奪された後の本人は自分の国籍国に戻るしかないしNZには最低でも2年は再入国出来ない。おそらくもっとだろう。自分がNZで築いた基盤はゼロになる。
だから自分の生活の基盤が日本でも構築出来て子供が日本に馴染むことが出来て居住地の健康保険や市民税を払い所得税を払う余裕があり相続の際に現金納付が出来れば日本という選択肢もあるだろう。
何だか永住権と市民権の比較って言うと、日本の市民権の良さとNZの市民権の良さを比較して「日本のほうが世界で通用するから、日本の市民権のほうが〜」という人もいるが、市民権を持つことは当該国の義務も果たすことだ。
その義務の重さやこれから30年間の二カ国の教育、社会保障、経済成長、暮らしやすさ、そういう動向を理解した上で言ってるのかって話である。
学校の試験じゃあるまいし物事を一面から観ても正しい答えは出ない。
2019年02月06日
目を閉じて行けよ
戦前の日本から米国に移民した人々の話は石川達三の「蒼氓」から始まり「442部隊物語」、戦後のハワイで米国と日本のために尽くしたダニエル・イノウエ、たくさんある。
彼らは片道切符でやって来て日本語の通じない米国で飯も食えないほど貧困の中、子どもたちに教育を与え、子供の世代で何とか米国で大学に入れて自分たちで生活出来るようにさせた。
つまり両親からすれば自分たち移民一世の貧乏生活などよりもこれから米国で成長していく子どもたちのために朝から晩まで働いていたのだ。
当時の移民一世には今の移住者と違い「家族のために移民した」という認識があるから「自分が思ってたのと違う」なんて認識不足があるなら周囲を変えてしまえと考える。だからそこには「逃げる」という選択肢はない。
なのにここ数年の日本からやって来た移民は結局「自分が思ってたのと違う」から日本に戻ると言うが、ならば移住していた期間に子供はNZで友達が出来たのにそれは良いのか。自分の計算が甘かっただけの話だろう。
思ってたのと違うのは両親の話であって、親の勝手な都合でやって来て自分がNZに合わないから日本に帰るって日本で「帰国報告」したりするけど、それってあまりに身勝手ではないか??
要するに日本を出る時は「家族のために!」と立派な事言って出てきたが、結局考えているのは自分の事だけだ。そんなところの子供はどんな気持ちなのか?
親が本当に子供の生活を考えて移住するなら自分の生活なんて無視するのが普通だろ、なのに何故自分のプライドだけ考えて自分の生活のことだけ考えて、これから子どもたちにとっては大変になる日本に戻るのか?
日本が抱えている問題は山積みである。少子高齢化、健康保険の切り下げ、年金がなくなる、サービス残業に低賃金。そんな場所に子供を放り込んで子供が苦しい生活をすればどうするのか?同時期にNZに移住して親が歯を食いしばって子供のために働き子供がNZで生活をしているのを自分の子供が観たらどう思うか?
この問題は昔から機会がある度に書いているが、移住とは父親が子供や家族のために行うことだ。そこに父親の人権や生活権なんてない。寝るな、死ぬまで働け、頭が擦り潰れそうになるまで考えろ。
日本に帰る前にやれることはいくらでもある。
2019年02月05日
居酒屋
しかしまあこの業態の店がここ数年で増えたな。ざっと計算しても2倍ではないか。そして特徴は日本人オーナーが直接経営している店が目立つことだ。
日本で料理の勉強をしてオークランドで修行してから独立するとかである。
僕が居酒屋形態のお店をやってた時は地元の人に居酒屋の概念がうまく伝わらず現場では苦労したものだが現在はすっかり定着して、安くて美味しいメニューの豊富な店と理解されている。
刺し身はまだまだ苦手なキーウィもいるが鳥の唐揚や枝豆、牛肉料理はすっかり馴染みになっている。
なので居酒屋業界はきちんとした味、雰囲気、サービスさえあれば賑やかな業界である。
住宅業界も同様で2年前の爆買いが終わっただけで市場はあいも変わらず手頃な値段の不動産を探している。
もともと僕は2年前から「こりゃバブルだ、そのうち沈静化する。けど大きく壊れることはない、2割引きの価格調整だ」と推測して公言してきてたので不思議ではない。
居酒屋も含むレストラン業界も同様で、一部のレストランの大成功を見た外国のレストランが殴り込みを掛けてきたが、彼ら外国人はNZのし上の小ささを分かっていないために新規出店が相当控えめになった。
ここ2年で出来る高層オフィスビルディングは一階にカフェがあるし古いビルも改装で対応している。つまりオオバコで稼ぐ時代が一巡してこれからは質の時代に変化を始めている、その間をカフェが成長しているのが現状である。
そのように時代は大きく変化するしビジネスの内容も細かく変化する。ただこれは自分で手がけてないと分からないのかもしれない。
2019年02月04日
風見鶏移民局またはヒラメ。
昨日の夕方のニュースである移民家族が移民局に永住権申請を拒否されて今年7月までには退去することという命令が出た。
https://nzdaisuki.com/news/general/3447-2019-02-01-2
詳細は上記記事にあるが、問題はこの決定は理屈も何もない単なる移民局担当者の判断でありやってる本人だって分かっているはずだってことだ。
この家族がNZに移住して来た時はLTBV,起業家ビザを申請した。当時のポリシーは雇用と売上が大事だった。そしてこの家族は一生懸命働いて雇用も売上げも伸ばした。
なのに何が問題だったのか?それは同じ規定の隅っこに書かれてあり当時は見向きもされなかった「NZ国家への貢献」である。しかし起業家ビザ枠が作られた当時はNZの赤字企業を黒字にするとか雇用創出、そして売上を伸ばして消費税やPAYEを払えば良かった。だから申請する人は自分で考えていけると思って起業家ビザを申請した。
つまり家族は自分たちが起業家ビザを取得した時に移民局と約束した内容を守れば良いと考えていたが、移民局は後出しジャンケンのようにルールを変えてきて今回彼らの申請をはたき落としたってことだ。
法の不遡及という原則がある。未来に作った規則を過去に遡って適用してはいけないという事だ。
けれど日本人の多くが勘違いしているがNZの移民局は世界からの移民希望者に対して平等に扱う場所ではない、あくまでも移民局がビザの発行を通じて経済発展をすると言う為に活動している「販売促進局」であることだ。
そしてその経済発展の方法は政権や民衆の声で大きく動く。決して正義や平等からではない。だからNZに移住したい中国人に合わせて制度を作った。
なので国民党時代に起業家ビザを作った時は中国人が相当数利用した。ところがこの枠で入って来た中国人が良からぬことをした。そこで起業家ビザで入国して来た人々には永住権の発行を実質的に止めた。
本来なら彼ら外国人の為に門戸を開いたわけで、ならばもう少し個別の事情を配慮すればよいものを、全員を「落とすための審査」に切り替えた。
あまりに単純すぎないか?とは思うのだが移民局自体が下っ端の部局でありお上が決めた事にはさからえない。落とす比率は98%、これでは何のためにこのビザを作ったのだと思うが、これが世の中の現実だ。移民局はNZの経済発展部門なのだから。
それにしても家族、あと一年早く来てれば永住権は取得出来た。何時も言うことだが、ビザはとにかく後ろから追っかけてくる。だからこそ「ビザは取れる時に取れ」という話になるのである。
2019年02月03日
いつが幸せだい?
それは今。年を取れば取るほど人生は楽しい。今の医学なら肉体は100歳まで生きても毎日新しい知識が身に付くからその知識で人生を楽しめる。
但し、毎日世間に文句を言って何も学ばずにいればそんな退屈な人生はない。退屈とは自分が学ばないことの言い訳であり何も生まないのである。
そして自分のためだけに生きている人は何かが常に不足しているが御本人は何が不足しているか具体的に分からない、ただ何時も脳内に何か不安があるだけだ。
僕が人と会って話をするのが仕事のため、長生きしつつ人生を楽しむ人を尊敬しながら観てきたし、まだ若いのに何の努力もせずにだらしない生活をしている、というか流された人生を生きている人も観てきた。
“おもしろきこともなき世を面白く、すみなしものは 心なりけり”
そうやって考えてみると人が生きるのは自分の心次第、ならば周囲がどうであろうと自分の考えで生きて「今が一番幸せだ」と言えるのが一番幸せだ。
2019年02月02日
2019 ランドバンキングの次
2018年12月末の第三四半期報告書が上がってきた。当シンジケートで全体で約113軒の自宅建設計画で、これを4期に分けて建設しているのだが、すでに第一期の建設終了分は完売、第二期もまだ建設に入ってない分も含めてほぼ売り切れ、第三期もまだ地面しかないのに半分くらい売れてる。
やはりこの理由は低価格住宅であること、仕事が正確に進んでいることだろう。日本だとこんな無駄なことに時間かけやがってとなるがNZではかなりよく出来たシンジケートである。今回の総事業費は約90億円であり価格競争がないので3年前に見込んでいた利益率よりも高いものが取れそうだ。
NZ政府からはすでに次の開発計画の話が来ており(最終的に6千軒の住宅建設予定)順調に進んでいる。
なんかこう書くと良いことばかりに見えるが実際にはここ5年本当に苦労の連続であった。まずは開発許可を政府から取り付けるところから入り建設会社を上手くまとめて何もないところから組み立てていき、その間にも相手を信用しつつ何が試金石なのかを真剣に考えぬいて。
白人チームの仲間の中で僕が唯一ネイティブでないアジア人であり専門知識もない中で書類を自宅に持ち帰り夜中まで読んでいた。あるときなどふと気づくと宅地開発地図の上下を逆にして読んでた事もあったが翌日は知らんふりしてまた会議に出席してたものだ。
他にもオークランドでは何時も誰もがやってないビジネスを切り拓いてきた。
楽しかったなんて到底言えないけど、それでも何でもかんでも公開してやってきたからとりあえず後悔はない。
さあ、次は何をやるか、である。2019年、これからまた11ヶ月が続く。
2019年02月01日
社会主義の時代
去年後半から急に仕事が増えた。それも、どれも重い仕事であり緊急突発的に発生するし、一回の対応で終わらないのでどうしても神経を使う。そのためにブログを書くような気持ちになれずに1月末まで過ごした。
今まで書いてきたブログはどちらかと言えば自分が俯瞰しての意見だったがここから先は俯瞰ではなく直視をしていく時代になったような気がする。
社会主義の時代が来たのではないか?つまり政府が民主主義と憲法を無視して自分たちが国家の代表として国民を従わせる、無知蒙昧は政府の言うことを聴いておけばよいのだ、おれに逆らうな。
それも世界の大きな国がどこも続けて力強いリーダーをG20などに送り込み本当に高い意味での会議と合意が成されて、それまで民間の案件に直接手を出すのは控えめだったのが、積極的に直接行動に出始めた気がする。
さあ世界大戦の前のきな臭さがしてきたぞ。