2005年08月14日
靖国問題 テレビの力と政治
靖国問題。テレビの力と政治の考え方 私案
テレビの力は凄いものがあると感じた。
ある自民党有力議員がテレビ番組で司会の質問に対して「靖国参拝をするべき。(他国は)内政干渉をするな」との返答をしていた。賛成派の一般的な回答である。
しかし、その語調に直感的に嘘を感じた。本人が真実を知っていながら嘘を言う時は、かならず一瞬の百分の一の「躊躇い」があるものだ。この議員は、靖国問題の本当の背景を理解していた。だから躊躇いが画面を通じて出てきたのだ。テレビにはそんな力がある。
靖国問題自体は既に様々な視点から議論されているが、一つだけはっきりしないのは、小泉首相の本音であった。建前の議論は十分承知しているが、本音が見えなかった。それが、やっとテレビの力を通じて見えた気がした。
ではその嘘とは一体何か?実は靖国問題は、「外国による日本への内政干渉」ではなく、米国と中国の外交問題に対する「日本による中国への内政干渉」であるという事である。
政治では、表面的な問題と実際の問題点が別であるというのは、よくある事だ。今回も
その本音は、実は日米関係にあると思う。元々米国の一部として活動してきた日本は、最近の米国の、米中直接頭越し外交に対して危機感を募らせている。今、米中が協力関係を構築してしまうと、日本の存在価値が希薄化する。これは国力の弱体化につながる。
そして中国としては、アジア連盟の盟主になりたいという意識を常に持っており、アジアにおけるナンバー2?としての日本の実力は十分承知しているから、米中を基軸にしておいて、そこに日本をアジア側として自分の陣営に取り込もうとしている。つまり米国側から切り離して、自分の子分にしたのだ。
そこで飴(日本の企業受け入れ、技術移転、経済協力)と鞭(戦争責任、南京虐殺、)を使い分けながら、僕と仲良くすれば鞭は使わないし、もっと飴もあげるよと言ってる。
だから日本としては、米中がつながってしまい、それのおこぼれ的な立場に日本を追い込まないために、中国が日本と組みたくても組めないような作戦に出た。それが靖国である。
靖国問題がある限り、反日教育を植え付けられた中国人民は日本に対して怒りを持ち、そんな国と中国政府が手を組む事は決して認めない。1970年代であれば、政府に逆らう奴は殺せば良かったが、国際社会でトップの座を狙う中国としては、今そんな人権問題は起こせない。必然的に中国が日本と組む事は出来ない。
つまり米中+日本という構想は、靖国という越えられない川がある限り、作れないのだ。
同時に日本も、戦前からアジアの盟主になりたいという夢を持っている。その為の五国協栄、大東亜連盟と謳っていたのだ。しかし、今の日本は失われた10年と国家再構築をやっている最中で、こちらから中国に仕掛けていく体力もない。
なので、まずは中国と経済的に密接な関係になり、技術の日本、労働力の中国という、住み分けを明確にした上で、少なくとも対等、出来れば優位に立った状態で交渉に臨みたいのであろう。
いずれは組みたい中国だが、今相手の要求を受け入れる形で組み始めると、なし崩し的に中国の望む形での大東亜連盟になってしまい、日本が主権を取れない。
もうちょっと体力がつくまで、靖国という防衛手段を使っていこう。少なくとも互角に立てるという自信と体力がつけまでは、靖国で突っぱねよう。何せ靖国カードは、自国に経済的、政治的な痛みを与えない、片刃の剣なのだから。
逆に言えば、日本が靖国カードを使って中国に対して反対要求を突きつける時は、日本が戦う準備が出来た時だろう。「分りました。靖国を分祇します。でも中国も大東亜連盟の為に、相応の妥協をお願いしますよ」と。
教科書問題、戦争責任、靖国問題、反日デモ、と、今年になって仕掛けてきた中国の作戦は次々と失敗に終わった。
扶桑社の教科書を読みもしないで、恫喝だけでねじ込もうとした中国に対して、日本外交は是々非々を明確にして対応して、杉並区に扶桑社教科書の採用を決定させた。靖国は「内政干渉」として切り返した。反日デモに至っては、日本が本格的に中国を叩く前に、諸外国の笑い者になったしまった。
今年は中国の拙速な外交が失敗した年である。外務相の対中国交渉の流れを見ると、これが国連問題と同じ相かと思うほどである。よほど担当者のレベルが違うのであろう。日本の企業でも、担当者によって仕事の出来が違うのと同じだ。
日本は、今回は守りぬけた。しかし、いつまでも守りでは、いつか負ける時が来る。今回の総選挙で小泉が勝ち抜き、国家の長期戦略を明確にして日本外交が積極的に中国へ攻勢に出る事を期待する。