2005年08月15日

巨星墜つ。 NZ改革の立役者 ロンギが病没 1

ロンギ元首相が昨日、入院先の病院で腎不全で病死した63歳。私の大好きな政治家の一人だ。以前当社新聞に掲載された、彼に関する記事を紹介する。

ロンギ政権の大英断NZの経済・行政改革

 回は第2次世界大戦後の3人の首相についてお話しましたが、今回は経済危機に瀕したNZが挑戦した新たな「実験」、経済改革についてお話しします。

 1900年代初頭までのNZは、優秀な政治家のもとで移民国家として南太平洋に確固たる基盤を作り上げ、多くの革新的な法律や制度を導入してきました。その姿は、当時の北半球の国家から「実験国家」と呼ばれるほどでした。例えば、資本主義国家のイギリスの植民地でありながら、政治の実態としては社会主義を導入し、世界大恐慌の後は多くの公社を誕生させ、国家による統制経済が始まりました。労働者保護法制、老齢年金法、女性の参政権など、多くの優れた法律やシステムを作り上げ、北半球の多くの国家がわざわざ視察に来るほどでした。

中:ロバート・マルドーン、左:デイビィッド・ロンギ、右:ジェームス・ボルジャー

して当時の国際機関の調査では、持ち家、離婚率、自殺率、賃金、物価など様々な要素を基礎にした「世界の国家幸福度調査」で常にベスト10に入るほどの安定した農業国家で、この幸福は1950年代後半まで続きました。

 ところが1960年代になると、時代が大きく変わります。NZも「国際化」の波にさらされるようになりました。民間飛行機が世界を小さくし、大型タンカーが出現するにつれて、南米諸国が台頭し、まず羊毛価格の下落を招きました。NZにとって北半球ははるか彼方であり、南半球の地理的有利性を生かしたビジネスが、それまでのNZ経済に大きく貢献していましたが、同じような地理特性を持ち、物価や賃金が非常に安い国が台頭してくると、それまでの高賃金や公社制度が逆にNZの首を締める事になったのです。

 1970年代になると、状況はますます厳しくなりました。国家統制による公社経営は、それが独占市場であるうちは有効ですが、いったん外国市場との競争にさらされると、国家公務員は民間企業の敵ではありませんでした。南米、オーストラリアと競合相手が参入してくるなかで、追い討ちをかけるようにイギリスが英国がEEC(ヨーロッパ経済共同体、現在のEU)に加盟します。これによって、NZは最大の貿易相手国を失ってしまうことになったのです。その後のオイルショックによる輸入価格の向上などが、この南半球の小島を飲み込もうとしていました。

 このような中で、マルドーン首相は、経済構造を大きく変化させるために「Think Big Project」をスタートさせました。それは、従来の第1次産業に依存した経済を、第2次産業に変化させようとしたのです。

 しかし、結果からいうと、このプロジェクトはほぼ完璧に失敗しました。そのうえ、大きな借金を抱えてしまうことになりました。資源の少ないNZで第2次産業を発展させるためには、戦後の日本と同じような加工貿易を目指すしかありませんでしたが、高い人件費、個性を伸ばす自由な教育、環境問題に敏感な国民性などが障壁となり、1980年代初頭には、ほぼ国家が破綻したといえる経済状況に陥ります。そして遂には物価凍結令を発動するまでに至りました。

 このような状況のもとで、1984年に政権を取ったデイビッド・ロンギは、国家に大鉈(なた)を振るい始めました。これがNZの経済改革です。当時、アメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権が取った政策と同様に、市場原理と自己責任の導入、小さな政府による国家財政の再建を目指したのです。

 しかし、NZの改革がアメリカやイギリスのやり方と違ったのは、その徹底したやり方でした。もともと、アマチュアリズムの政治形態を取るNZでは、政治家が特定団体と利権をめぐって組むことがありません。日本のように議員が子どもに地盤を引き継ぐこともありません。そのために、正しいと思ったことをそのまま国会に上程し、一気に法制化するということが可能だったのです。

 ロンギ政権下で始まった経済改革は、BNZ(Bank of New Zealand)の民営化、郵便局の分割、消費税の導入、通信事業の自由化、金融の自由化、放送規制緩和、石油業規制緩和など、国営企業の民営化を進めました。当時、約7万人いた国家公務員を、一気に3万人に削減したのですから、国民の驚きようは激しいものがありました。

 国営企業の民営化と言えど、その当時NZではそのような企業を買い取る力が民間企業になく、国家資産を次々に外国に売却することになりました。日本でいえば、三井住友銀行やNTTを外国資本に売り渡すようなものです。国家公務員を民間企業に移籍させたことで国家財政は身軽になりましたが、国民の間には不満が高まりました。ロンギ政権の政策は国家建て直しのためにとられたものでしたが、改革が国民の激しい痛みを伴うことだったこともあって、国民は短期的視点で「売国奴」、「首切り人」などと反発していたのです。

 しかし、改革の効果はてきめんにあらわれました。詳しくは次回お話しします。



tom_eastwind at 06:20│Comments(0)TrackBack(0) NZニュース 

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