2005年08月15日
経済改革の立役者 デビッド ロンギ 2
経済改革のその後 経済復興への道 前回は経済危機に瀕したNZが取り組んだ経済改革についてお話ししましたが、最終回の今回は経済改革の成果と日本への教訓についてお話しします。 | ||||||
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彼は、選挙戦中は労働党の方針を批判しましたが、首相に就任するころにはロンギ政権下の経済改革の効果が出て、国家財政が急激に上向き始めました。そうなると機を見るに敏な政治家は、ロンギの方針をそのまま継続し、引き続き経済改革を進めることにしました。特に、労働者を支持基盤とする労働党政権が手をつけられなかった労働組合問題に着手します。彼の率いる国民党は新雇用契約法の導入で組合を一気に弱体化させることに成功しました。 それまでのニュージーランドは歴史的に労働組合が強力で、例えば土曜日に働いた場合は給料が2倍、日曜日は3倍という条件が強制的に適用されていました。同じ業種の労働者が組合を構成する職能別組合のもとでは経営者には自由裁量の部分が非常に少なく、これが実は企業の競争力を奪っていたのです。 新法に基づく新たな雇用関係を結んだ経営者と労働者は、自由な雇用契約に基づいた経営形態を始めます。週末営業です。今ではオークランドの目抜き通りクイーンストリートの多くの店が週末も開店していますが、ほんの10年ほど前には、週末になるとスケートボードでKロードからカスタムストリートまで一気に駆け下りることの出来るゴーストタウンとなっていたのです。 デイビッド・ロンギは石もて追われた形になりましたが、その政策の正しさは、ジム・ボルジャーが長期政権をまっとうしたことで証明されました。彼が首相を務めた1997年まで、NZ経済は成長を続けました。その後、世界初の女性首相ジェニー・シップリー、そしてヘレン・クラークと続く政権でも、この基本は引き継がれています。 国家予算は1993年以降黒字を続けています。関税撤廃、農業自由化による競争力強化など、新たな政策も功を奏し、現在のオークランドを見る限りでも景気の向上が分かります。 ひとつの例を挙げましょう。スターバックスのコーヒーは平均3ドルです。しかし、つい5年前まで、オークランドのコーヒーと言えば1ドルで飲み放題のカフェが常識でした。アメリカズ・カップ・ビレッジで食事をすると1人70ドルかかることもざらですが、そのようなレストランが週末になると予約なしでは入れない状況なのです。 経済発展は同時に、昔からの住民に対する大きなプレッシャーを生むこともあります。新たな住民であるアジアからの移民問題や貧富の差による犯罪の発生のおかげで生活しづらくなったと感じる人も多いでしょう。しかし、それは同時に多くの人々が新たなビジネスチャンスを運んでくるということでもあるのです。 人間に子供から大人に生まれ変わる時期があるとすれば、NZはまさに新たな時代に入ったといえるでしょう。子供はいつか大人にならなくてはいけないし、いったん大人になれば子供には戻れません。どれだけ昔を懐かしんだところで、それは思い出にしか過ぎないし、思い出だけで人は生きていけません。小さなゴムボートで、時代と言う大きな川の流れに乗っていくしかないのです。流れる川をどう乗り切るか、そこにこそ個人の力量が発揮されるということです。そしてそれが自己責任と呼ばれる現代なのでしょう。 経済改革を叫びながら思い切った手を打てず、いつ果てるかも知れない「痛み」を国民に強いている日本の姿を見る時、いま日本がNZに学ぶことは多いように思います。この連載は今回で終わりますが、NZの歴史に興味を持つきっかけになったとすれば幸いです。 ご愛読ありがとうございました。(おわり) | ||||||
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