2005年08月26日
教科書問題 自分が居住する社会への意見
移民とは全然関係ないようでちょっと関係あるのが、最近読んだブログ。日本で最近活躍している中国のタレント(10歳から日本に住んでいるそうだ)が、自分のブログで「ちなみに今日は、平和を愛する私としてはマジ許せない事が東京で起きました。日本の侵略戦争を否定して美化してる人達が作った歴史教科書を杉並区が採用したんです(>_<)」と書いている。
個人の意見表明に対しての批判はない。しかし彼女は教科書を読んだのか?読めば分るが、歴史教科書でも戦争の反省をしているし、悪い事をしたと書いているのだ。平和を追求すべきだと書いているのだ。
議論をするなら、まずは前提となる歴史的事実をしっかり把握してから語るべきであろう。
そしてもう一点は、外国人が内国問題を語るときは、同国人が同国人の事を語るよりも、時には影響が強いと言う事実を無視すべきではないという点である。
まず歴史的事実:
歴史には両面があり「当時のアジアが西洋に植民地化されていたという事実」は明快に存在しており、大東亜共栄圏思想自体はアジア各地で大きな支持を得ていたのも事実である。インドネシアやマレーシアの独立に日本人の助けがあったのも事実である。
日本の侵略を責めるなら、それまで数百年間、アジアを植民地化していた西洋の罪はどうなるのか?少なくとも同等に語られるべきだろう。ましてや、西洋がアジアの解放者だったなどと、歴史的事実をねじまげるのは、おかしな話だろう。
例えば日本の「占領」を解放した筈のオランダ軍が、その後インドネシアの独立を阻むべくインドネシア人に戦争を仕掛け、その為インドネシア人が独立戦争を迫られて、多くの愛国者が亡くなったと言う事実は、実は日本も西洋諸国も(正確には日本の権力者も西洋の既得権益者も)結局同じ穴の狢であり、弱いものいじめをしていたに過ぎないという事実を指し示しているのだ。
だから語られるべきは、弱いものいじめをする事が可能な国際社会の階級の存在であり、国家対国家という問題に矮小化すべきではないというのが、本来の歴史教科書が語るべき主張である。
そして、外国人としての礼儀:
僕は自己意思でNZを選んで住んでいる一世アジア人だ。拉致されてNZに住んでいるわけではないが、だからと言って今のNZのすべてを礼賛しているわけでもない。
しかし、よそから来て住まわせてもらっているのに、相手の国(NZ)のセンシティブな時事問題を一方的に、内容も吟味しないまま非難するのは控えたいと思うのが、日本人としての普通の感覚ではないだろうか。
NZ生まれの僕の娘が無知なままに発言しても「馬鹿ね」で済むが、僕が同じ事を言えば、言葉の重みが違うのは誰でも理解出来る事だ。ましてやそれがブログと言う公開された場所で発言されれば、必然的に言葉の重みが出てくるのはやむを得ない。
住まわせてもらっているという言い方を卑屈と感じる人がいるかもしれないが、少なくとも許可を貰って住んでいるのは事実だし、自分がよく知らない事を知ったかぶるのが「発言の自由」と思うほど僕は「自由」ではないと認識するのは、卑屈ではなく、むしろ「社会常識」だと思っている。
その程度のたしなみを持って外国生活をしたいと思う。