2006年03月06日
いつか来る関東大震災
統計と科学により、地震の発生はある程度見当がつくらしい。「らしい」と言うのは、僕が科学者ではないからどの程度の見当なのか断言出来ない、そう言う意味の「らしい」であり、関東大震災が来る「らしい」ではない。
関東大震災は来る。遅かれ早かれ、来る。その為に今、政府は一生懸命地震の予知と発生後の対策を研究している。
じゃあ、地震が起きたらどうなる?政府の予想では、4万人程度は死ぬそうだ。夕食時間とか津波が来れば、ゼロメートル地帯もあるから、多分もっと死ぬだろう。もちろん財産は、一瞬で消滅する。このあたり、石黒耀の小説によく書かれている。
地震保険に入ってても、東京直撃で発生する損害を、民間保険会社がカバー出来るとは思えない。
じゃあ、今のうちから安全な場所に引っ越せばよいではないか?それが出来ない一番の理由。自分は巻き込まれないと思ってるから。そして、生活の基盤が東京なので、出来れば移りたくないからだ。そしてその気持ちが次第に「本当に起こるかどうか分らないような事を真剣に考えてもしようがない」という事になる。
危機って、いつも忘れた時にやってくる。でも今回の関東大震災は違う。誰も忘れていない。政府は今、必死で「いつ、どこで起こるか」を調査している。東京で生活をする個人は、考えても仕方ない、忘れようとしているだけだ。
僕が初めて大震災を学んだのは、小松左京の「日本沈没」だった。SF好きな僕には、その話が事実としか思えなかった。だから、いつか来る地震の対策は大事な問題なんだと思っていた。ところが、政府はその地震帯の真上に原発や首都を持ってきた。
そのツケが今回ってきてるのだが、当時の経済成長の中では「いつか起こる大惨事」よりも、目先の経済成長を優先したのは、時代の要請だったのだろう。この場合、過去の事を批判しても仕方ない。
それよりも地震で原発が破壊された場合や、首都機能が麻痺した場合の対策を考えるべきだろう。これは今、政府がやっている。個人レベルで言えば、個人の安全、資産の保全、生活の速やかな復旧という3点が大事だろう。
勿論、地震よりも交通事故に遭うほうが怖いし、そんな事真剣に考えても仕方ないという意見もあるだろう。でも、出来る限りリスクを避けるという意味では、今東京に住んでても出来る事があるのではないだろうか?