2006年03月13日
ザ・ウエスティンホテル
実は東京の定宿である。何より部屋が広いのと、バーが好きだ。好きと言うのは、6泊して合計の飲み代が10万円で、それでもサービスを気に入って思わず追加でチップを払ってしまうというくらいの、好きなのだ。
お酒を飲まない人(つまりうちの奥さん等)からすれば、「ばっかじゃないの〜?」とよう言われるが、僕という存在には、このような逃げ場所が必要なようだ。
一日走り回り、移住に関する重たい相談を受け、お客様ごとにどのような解決策があるかを智恵を絞って考え、一回の面談約2時間が終了する頃には、随分と頭が混乱する事もある。そのようなケースを一日で3〜4件こなすと、夕方には自分の頭がパニックになっている。
そんな時に、木目調の家具に囲まれた、物凄く天井の高い、下手な音楽など一切かからない静かなバーで水割りを飲むと、頭の中がやっと整理出来るのだ。
19世紀の英国調の絵画を壁にかけて荘重さを強調し、余計な物音から隔離されて、余計なリップサービスもなく、でも水割りが空になる氷の音を聞くと、すかさず次の一杯を作ってくれる、スタッフ全員が男性で、みんなおいしいカクテルを作れる場所だ。
移住するお客様からすれば、自分のケースに一生懸命であり、喋りたい事を思いっきり喋ってくる。それはそうだろう、移住というのは「あらまあ、このお野菜高いわね、テレビのニュースで野菜が高騰しているって、本当ですわね〜、ほほほ」なんてスーパーで店員相手に話を出来る事ではない。
お客様の話をしっかりと受け止めて回答を出来るのは、それほど多くはないだろうから、出来るだけ面談の機会に多くの話を聞きだして、相手の心を軽くしてあげる。
だから2時間も話をすると、相手はすっきりするのだが、受けたこちらは凄く思い気分になる。どうすればこのお客様の希望通りの計画が作れるのだろう?そう考えながら、相手の人生に深く食い込む自分を感じる。実際、相手と痛みを共有する事もある。
そういう時に、夕食抜きでバーに入り、シーザースサラダと生ハムを摘みにしながら飲む酒が、自分にとっての一番の健康療法だ。
そう言えば、昔の住宅には「書斎」という、お父さん専用の部屋があったらしい。「らしい」というのは、家は子供の頃から貧乏で、書斎等と言う場所は、例えば「風とともに去りぬ」のようなクラシック洋画の中でしか見る事がなかったし、生活に追われている頃は、そのような部屋の使い方さえ見当がつかなかったからだ。
最近の日本の住宅で書斎が一般的かどうか分らないし、今もNZの僕の家には書斎はない。奥さんが料理を作っているキッチンの横で、子供は宿題、お父さんは会社で遣り残した仕事を広げているだけだ。
東京の仕事が終わった夜、ウエスティンホテルのバーに腰掛けるその時が、僕にとっての、唯一の書斎なんだろうなと思う。