2007年08月12日
武器なき斗い
喉風邪を引いたようだ。声がうまく出ない。
金曜日の夜、自宅で軽く飲みながら午前3時までネットで様々なテーマの議論を読んだりして夜更かし。その後一緒に寝てた竜馬君に布団を取られ、朝方に寒い思いをしたのがコタエタらしい。
土曜日は一歩も外に出ず、酒も飲まずに、溜まっていた映画を観たり本を読んだりした。
1951年製作、ゲーリークーパー主演の「遠い太鼓」。フロリダのセミノールインディアンと騎兵隊の戦いを描く、まだ白人至上主義で「僕が騎兵隊だ、君はインディアン役だ」と、子供たちが木切れを持って遊んでた時代の映画だ。
西部劇で初めて白人が反省を示した「ソルジャーブルー」が1970年に出来るまでの、白人の常識だった筋書き。セミノールインディアンの「反乱蜂起」は、インディアン先住民族から見れば「土地を守る戦い」だったのだ。
1953年製作、リチャードバートン主演の「聖衣」。ローマ時代のエルサレムでキリストの処刑と、それに続くキリスト教のローマへの浸透。正義と、清らかさと、誠実さと、清らかさと、えっと、それから何だっけ、とにかく世の中の良いこと全部をひっくるめた、今で言えばキリスト教原理主義者が見れば「そうなのよ!」と言いたくなるようなテーマ。
唯一の救いは、この映画に最初からヴィクター・マチュアが出てたこと、くらいか。いずれにしても1950年代の米国ってのは、戦争に勝ち経済に勝ち、まだ共産党の侵略を恐れずにいれた頃の、本当に幸せな時代だったんだなと感じさせる。
そして本日最後の一本がこれ、「武器なき斗い(たたかい)」
「斗」という漢字が変換出来ずに、少し迷った。たたかい、略字だから出ないか、、、いっと、一斗樽でも出ない、、、ちがうな、、、次にじょうごで出したら、やっと漏斗が出てきた。
1960年、独立プロの山本薩夫監督による名作。
1919年、天皇支配下の日本帝国政府の治安維持法改定(改悪?)にただ一人抵抗し、右翼の凶刃に倒れた労農党代議士、山本宣治(ヤマセン)の生涯を描く、かなり左翼主義的な映画。
1960年と言えば安保闘争真っ盛りであり、社会党委員長浅沼稲次郎が党首立会演説中に右翼の山口二矢に刺殺された年でもある。その年に、労働者から寄付金を集めて作った映画だけに、当時の左翼のプロパガンダが随所に出ている。
ただ、今の視点で見ると、山本薩夫の描くこの映画は、左翼というよりも、圧政下での民主化運動という切り口で描かれており、単なる左翼翼賛映画になってないから、良い。
京都宇治の料亭「花やしき浮き舟」の二代目として恵まれた地位にいながら、カナダに留学して早くから民主主義や平等を学び、生物学者として京都帝国大学、同志社大学で教授を務めた経歴を持つ、当時としては資産家階級に所属して、尚且つ日本でトップクラスの頭脳を持つ学者である。
何しろ、末は博士か大臣かって言われてた時代の、帝国大学のセンセーである。両親からしても自慢の種だったのだろう。
ただ、今も彼の生家である「花やしき浮き舟」のウェブサイトに山本宣治が出ているのは、そんな権力や知識よりも、一般大衆のために自分の知識と知恵を惜しみなく与え、最後には自分の矜持を守る為に命を投げ出したという事にあるのだろう。
ヤマセンを演じる下元勉の演技が、実に光っている。
金持ちの二代目としてのおっとりした面と、学者として論理的に物事を説明する態度と、農民に向かって力強く戦いを訴える態度と、その使い分けが見事だ。
60年代の俳優は、白黒映画という事もあったのだろう、その演技力は今の俳優?ってか高校生の演芸程度のテレビドラマをやってるタレントに、「もし金儲けではなく俳優として成長したいなら、見てみれば?」と言いたくなるほどだ。
技術が発展して便利になればなるほど、人間力も演技力も低下するものだと痛感した。
彼は、農民の小作制度に反対した。土地を農民に渡せと訴えた。
小作制度の下では、土地は永遠に地主の所有物であり、土地から離れられない奴隷は何代続いても奴隷でしかない。本来人は生まれながらに平等であり、そうでなければ不平等はいつか社会自身を崩壊させてしまう。
政府は産めよ増やせよと訴えるが、誰が子供を産むのだ?当時日本の労働人口の殆どを占める農民が産むのだ。でも、誰がその為の費用を負担するのだ?
出産、子育て、教育、医療、そんな生産コストを全て農民に負担させて、大きくなったら徴兵で戦地に送り込む。赤紙一枚一銭五厘の世界である。
負担は個人にさせて、果実は政府が持っていく?兵士の死体というコストの上に奪った外国の土地は、またも一部資本家が独占する。そんな不平等はあり得ない。
そこで彼は、一人ひとりの子供を幸せに充実して成長させるために、まずは産児制限を導入すべきだと学生に、そして広く国民訴えた。多すぎる子供は育てる事が出来ず、間引き、身売り、病気になっても医者にかかれない等、農民の生活を直撃する。
それよりも子供を1〜2名にして、その子にしっかりした教育を与えるべきだ、その為には正しい性教育を学ばねばならないと、大学の生物学の授業で性教育を教えたヤマセンは、その言動があまりに「反社会主義的」であったために、大学を追われる。
大学を追われた彼は、生物学者として農民を啓発する各地で勉強会などの活動を起こす。この時に映像は、当時の京都、大阪の光景がよく分かる、貴重なドキュメンタリー資料でもある。
しかしその過程で、彼は多くの壁に突き当たる。当時導入された治安維持法を適用した、政府による規制、弾圧である。
人を幸せにするための生物学を進めるためには、まずは産児制限、その為には地主農業問題の解決、その為には農政の改革、その為には政治に進むしかないと理解した彼は、農民と一緒に地元宇治で選挙に立ち、対立候補を破り、帝国議会の中で数少ない労農党代議士して国政に参加する。
「本当は生物学者が好きなんだけどな」とか「最初は労農党で選挙になんか出るつもりはなかったんだ」、親しい仲間にそう話す彼は、それでもやはり誰かがやるしかないと思った。大学の教室の中では、労働者を本当に救うことは出来ない。
宇野重吉、キャストに名前は出てはいないが田中邦衛など、脇を固める俳優もすごいが、下元勉の演技を観るだけでも十分に楽しい。
この映画は90年前の日本を描いている。当時は、国民としての権利を主張するだけで警察に引っ張られて殺されていた。
今はなんと言う素晴らしい時代だろう、自分の権利を主張しても、誰にも逮捕されないし、時には、自分の責任を全く放置して権利ばかり要求しても、選挙民という肩書きで、何でも言える。
自分の村に道路を作れ、病院を建てろ、グリーンピアを作れ、新幹線を引っ張って来い、そうやってばら撒き政治の結果、21世紀を迎えた日本がどうなったか?
彼は一時期クリスチャンだったそうだ。山本宣治がもし今の時代に天国から舞い降りてきて、この日本の現状を見たら、一体何と嘆くだろう。