2007年08月21日
女王の街
先日のクイーンズタウンの余韻が残っているのか、まだ体がウキウキしている。スキー以来、ベスト体重の60kgを維持して、調子が良い。酒が美味い言い訳にもなる。
スポーツ理論的には、たった4日スキーをしただけで一気に体重が落ちて筋肉がついて体調が良くなるなんてあり得ないんだろう。
だが、所詮医学なんて統計であり、個別の病状?ってか、僕の体調を完璧に医者が理解できる事なんかありゃしない、本気でそう思ってる僕からすれば、スキーは最高の体質管理であると思った。
だから9月上旬の最後の雪の時も、もう一回行こうなんて考えている。一年に何日滑れば良いとか、何日以上滑ったら体に悪いなんて決まりもない以上、滑って健康になるなら、こりゃもう、ばんばんやんなきゃ。
9月の日本出張前に、足を折らない程度にばんばん健康管理をしよう、でも、家庭崩壊を招かないように、さて、どうしよっか。
そんな事を考えている最中に、一緒にスキーを同行して頂いたお客様から写真が届いた。
僕の黄色いスキージャケットは20年近く前にクイーンズタウンで仕入れたもので、今もあったかくて重宝している。今回気づいたのだが、スノーマシンの黄色と同じ色だ。
雪の状態を見ていただければ分かると思うが、悪くない。北半球の夏にスキーが出来る事を考えれば、こりゃもう贅沢だ。リフト代が日本よりバカ高くても、バス代が高くても、いいですよ、その分しっかり働くもんね、そんな気持ちにさせてくれるクイーンズタウンだ。
この街ではお金の感覚が変わる。欧州や米国、アジアからやってくるお金持ちが、とにかく短い冬を楽しもうと、食べ物、遊びに糸目をかけない。スキーの合間のショットオーバージェットも、30分のボート乗りで100ドルかかるけど、楽しければいいじゃんか、そんな彼らの雰囲気が伝わってくる。
ディナーは、淡いキャンドルライトが雰囲気を作る中、糊の効いた真っ白なテーブルクロスで、アフタースキーの余韻を楽しみながらギブストンバレーのワインを傾ける。
ただ、オーストラリアから来たスキーヤーだけは別物だ。彼らはバックパッカーに泊まり、ハンバーガーとビールで夕食を済ませ、後は夜中までどんちゃん騒ぎ。
今年一番感じたのが、随分日本人が減ったという事だ。その代わり韓国や中国からのアジア人が増えた。
1980年代の終りには、クイーンズタウンのスキー場は日本人で持っているようなものだった。日本人客が大量にやってきて、毎日へリスキーがクイーンズタウンやハリスマウンテンの山に舞い降り、ディナークーポンがバンバン売れて、ショットオーバージェットが毎日満席で予約が取れず、そんな時代だった。
1980年代後半の日本を知っている人は、「私をスキーに連れてって」というホイチョイコンセプトを今でも思い出と共に記憶の中に残しているだろう。
しかし、時代ってか、時は残酷なもので、立ち止る者の為に少しでも待ってあげるなんて事はしない。
「かつて貴方は素敵だったわ。さよなら、また貴方が立ち上がってくるまで、私は他の男と時代をエンジョイするわ」
まさに今のクイーンズタウンが、そんな女王の雰囲気を醸し出している。
「日本人?そういえば昔は居たわよね、まあ、終わってしまった人の事なんてどうでもいいわ、私は今日も生きていかなきゃいけないの。悪いけど、もう過去の人よ」そんな言葉が聞こえてきそうな、街の夕暮れ。
今年3月に志賀高原に行った時も、平日だったせいもあるが、スキー場に随分アジア人が目立った。勿論日本人もいるのだが、殆どは50歳以上の、昔からスキーをやってますって人たちばかりだった。若い人は、香港や韓国から来た人たちが、非常に目立った。
今の日本では、スキーはどんどん廃れてきてるのだろう。遊び方も変わったのだろう。
金があるんだ、どうしてわざわざ寒くて怪我するような運動なんかするんだよ。そんなのより、キャバクラで遊んだり、フェラーリ買って走り回るほうがいいじゃんか。
気の置けない友達夫婦を招いて、フランス産のシャンパンを抜いてホームパーティを開いて、お互いの階級を確認しながら、東京都下を見下ろすマンションで楽しくやってるほうが、よほどいいじゃないか。
金がないんだよ、スキーどころか、今日のたばこ銭さえ、どうしようかって感じだよ。朝はおにぎり、昼はのりべん、夜はカレー焼きそば、ワンコインでコンビニで済ませてるんだ。
時給も950円ぽっきりで、一日働いても1万円にもならない。地方の工場勤めじゃ、所詮派遣でしか入れない大企業、いつ首を切られるか分からないしね。スキー?なんだか親父の時代には賑やかだったかもしれないけど、俺らの時代にゃ、どうでもいいことだね。
どっちにしても日本は二極化した。そして、その両極にいる人々には、健康管理と言う意味でのスキーも存在しないし、一生懸命働いた自分へのご褒美としてのスキーも存在しない。
1950年代までは、日本でもスキーや登山は一般的ではなかった。世の中が総中流になり、皆がお金持ちになり、西武の堤が仕掛けて、ゆーみんが歌って、スキーは一時期、時代の先頭バッターになった。
19世紀代後半にマウントクックでスキーを楽しんだのは、欧州から客船でやってきた上流階級だった。21世紀の現在、欧州や米国からやってくる上流階級は、やはり百年一日のようにスキーを楽しんでいる。
日本人は、そんな彼らの上っ面だけを一瞬通り過ぎた、所詮にわか成金だったのだろうか。
水の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
次に日本人が浮上する時は、もっとしっかり自我を持って、100年、いや、1000年続く基礎を作っていかねばならない。そうでなきゃ、上滑りで、見かけだけで、中身が全然追いついてない、でも一生懸命白人文化を追っかけてるなんて、惨めでしかない。
日本人が自我を持つのは難しいだろう。でも、最初から諦めていたら、何も進まない。
今日は、新しいビジネスを開発するための会議を持った。いけそうだ。これを梃子に、ニュージーランドをもっと日本人に近めたい。国境なんか跳び越して、政府がびっくりするような仕掛けを作りたい。本気でそう思った、スキー写真と会議の、今日だった。
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この記事へのコメント
そして・・女王の街でヘリでスキーをしたり、第一NZまで行ってスキーをする30代はいないと思います。それはやはり経済的・時間的に余裕のある40代後半からの裕福な人たちでしょう。
女王の街・・・確かに金持が住んでいてニーズを見つけられれば新しい商売ができるかもね。
私のCHcの知り合いはクイーンズタウンの金持の年寄り相手にITを教えています。