2007年08月23日

原発

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先週末の日曜日、ニュージーランドの正午丁度に始まる「NHK討論」。当日のテーマは「エネルギー政策 原発」。

 

日本は、実に様々な危機を抱えた国である。

 

エネルギー資源はないし、食料はないし、地震銀座の真上にいるし、台風の大通でもある。

 

そして、古代の大国であり、世界一の人口を抱えて現在発展中の中国と、今世界で最もパワーがあって、尚且つその使い方がどうしようもなくわがままなパックスアメリカーナの米国に挟まれている。あれやこれや、全く開闢以来、トラブルの絶えない国が我が日本である。

 

これから先も、中国が先進国化する中で、国境を越えた公害が日本を襲うことになる。

 

今までは幸運なことに、国難が起れば神風が吹いてくれた。

 

1200年代の元寇の時は本当に神風が吹き、1600年からは徳川300年で安定した国家が出来上がり、1860年代の国際社会への参加に否応無しに巻き込まれた時は維新の志士がいて日本の独立を守り、戦後の日本では敗戦を知った優秀な政治家と官僚が、軽武装政策の中で経済を急成長させ、日本を見事なまでに再建させた。

 

失われた10年の後、やっと今も少しずつ日本が形を取り戻し始めているが、ただ、かつてのような強烈な政治家も優秀な官僚もいない現在、この国をまとめて指導出来る層というか人物がいないのが、今の日本の国難であろう。

 

日本のエネルギーのうち31%が原子力発電である。石油やガスが限られた資源として産油国のコントロール化にある以上、電気がなければ生きていけない日本は、生殺与奪権を外国によって押さえられたようなものだ。

 

食糧問題とエネルギー問題は、実は日本が抱える構造的な問題であるが、目先にない為に、ついついイラク問題や年金に目が行くが、実は国家百年の計として考えるべきは、国家の構造でる。

 

今のような全方位外交であれば、中東の石油産出国とも仲良くして石油も買える。しかしもし日本が舵取りを間違って彼らを敵に回したらどうなるか?また、中国やインドが経済成長して、彼らがどんどん中東の石油を買うようになったら、どうなるか?

 

かなり綱渡り的な政治交渉が必要になるが、そもそも日本に資源がないのが、何よりの問題である。元々大東亜戦争の始まりも、日本が南洋の石油資源を求めていった結果とも言える。

 

その石油にしても、いつかは枯渇するわけで、再利用可能な代替エネルギーをどうするかというのは、昔から日本が抱える根源的な問題である。

 

その中の現実的な選択枝として出てきたのが原子力開発だ。

 

核分裂の連鎖反応を原子力発電に応用して実用化したのはエンリコ・フェルミ、第二次大戦後の事である。それから実用にこぎつけて、世界は原子力発電の時代に入った。

 

原発の燃料であるウラニウムなら、少量を確保するだけで大きなエネルギーが得られる。豪州とはうまくやれるし、元ロシア連邦の一員である、スタン諸国などの、ウラン資源を持つ国とも仲良し交渉をやって、うまいこと商社を噛ませて原子力エネルギーの元であるウランの確保は出来る。

 

そこまでは良かった。1970年代は、ウラニウムの資源確保はどうにかなるって事で、原子力発電所を作った。石油以外の代替エネルギーを確保しなければ、日本の繁栄は保障されない。そういる国策の下に、原子力が花形ビジネスになった。

 

そこで日本中あちこちに原発を作った。ところがスリーマイル事故、チェルノブイリ事故もあり、日本人独特の、意味のない「気持ち悪い〜」とか「怖い〜」とかの、理屈抜きの感情を大事にするしょーもない反対運動によって、潰された原発も出てきた。

 

言っておくが別に僕は原発推進派ではないし、蛇が出てくれば、「気持ち悪い〜」って言うし、暗闇でお化けに遭えば、「怖い〜」って思うだろう。

 

ただ、国家がエネルギー政策を考える中で選んだ選択を、「気持ち悪い〜」とか「世界で唯一の被爆国であるわが国は〜」という、現実的選択が必要なエネルギー政策を、全く違う感情論の次元の問題で捉える、あまりにも平和ボケした考えが嫌いなだけだ。

 

国民がそんなレベルだから政府も「いいえ、原発は安全ですよ〜」と、同じ次元に下りて、安全でもないのに安全なふりをするという、無意味な空論を重ねる事になり、本質的なエネルギー問題に国民が対面するという、本当の解決に繋がっていない現状が嫌なのだ。

 

本来国民と政府が話すべきは、既存エネルギーを自国で確保出来ない国が独立国家として他国の干渉を受けずに国家運営を健全に維持するためには、何らかの代替エネルギーを考えねばならないという事。

 

風力なのか太陽熱なのか、または地熱なのか。それとも原子力なのか?それぞれにコストと安全性を検討していく中で、現実的な選択をせねばならないのだ。

 

例えば原発一基で100万人の電力を賄えて、一基作るのに500億円かかるとする。(あくまでも例え)。

 

でもって、最近猛暑の日本で、例えば福岡市の建物全てを、国家の予算で、太陽熱を吸収出来るソーラー発電機を設置した場合、屋根の葺きなおし費用が500億円かかって、それでも福岡市全体の電力を賄えるなら、原発と太陽熱と、どっちが良いか?

 

勿論それなら太陽熱!という事になるだろう。しかし、今の日本のソーラー技術で一体どこまで電力が作れるのか?

 

それなら政府が、現在の技術力で出来る電力と、それにかかるコストと、作った場合のリスク、つまり原発ならメルトダウン、核爆発、数十万人があっという間に死亡するというリスクを比較して表にすれば、誰もが理解出来るだろう。そしてその表を国民に見せて、「さあ、どうしますか?」と信を問うべきなのではないだろうか?

 

例えば福岡市でソーラーに切り替える費用が1兆円で、それでも原発の5分の1程度しか発電出来ない、結果的に電気代が毎月1万円上がるとしたら、どうだ?夜は繁華街も消灯して、真夏のクーラーも使えない、コンビニなんてとんでもない、てなったら、果たして福岡市民は我慢するか?

 

つまり、消費生活物質文明に慣れた人々が、江戸時代とまでは言わないが、戦前の日本の生活に戻っても、核爆弾を食らうよりはましだと思うかどうかだ。

 

現在稼働中の原発は17箇所である。テレビでは、原発推進派ってか、政府の役人が右側に並んでいる。左側には、原発に対する反対ってか、自分の足の指の数も数えられない大衆が並んでいる。

 

大衆は、なんちゃら評論家とかが「あのですね〜、とにかく安全なものさえ作ってくれればいいんですよ、それが政府の役目ですから、私たちを安心させてください」って、どんなあふぉ、このおばさん?

 

原発は、全く安全ではないのだ。どんなに作ろうと、技術的にはまだ完全ではない、爆弾を転用したエネルギー源であり、廣島型の核爆弾の数倍以上の爆発力を持ち、当然放射能も発生させる、まさに人類はじまって以来の強力な兵器なのだ。

 

だから、原発に安全や安心を求めるのは、目の前に鰹節を置かれた猫に向かって「お願いだから鰹節を食べないで」とか、目の前に麻薬でらりった状態のキチガイが、片手に大型ナイフ、片手にピストルを持ってあなたの前に立っている状態で「まさか撃たないよね、刺さないよね〜」って聞いてるようなもんだ。

 

国民が垂れ流して使っている電力を、これからも垂れ流し状態で一晩中ライトアップで街を照らして、24時間いつでもケータイが使えて、クーラーを入れっぱなしにして寝る生活を守る為に、いつ爆発するかもしれない核爆弾と一緒に生活するのかって事は、選挙という手段によって間接的に国民に判断が委ねられている。

 

その、二者択一の問題を、「安全を守ってください」という理論にすり替える欺瞞が、今の日本をかえって悪い方向に追い込む、その事をどこまで理解しているのか、この人々。それとも、わざとNHKがそういう人を選んだのかと、思わず勘ぐりたくなる。

 

特に原発を誘致した街は、どっかの技術者のほんのちょっとしたミスか、または大型の直下型地震が起れば、確実に核爆発の正面に立たされて、他の町の国民の誰よりも早くこの世からグッバイする事を理解して受け入れているはずだ。

 

いつ爆発するか分からない核爆弾よりも、今日の町民の生活、綺麗な道路と公民館と安い住民税の方が好きって人は、それは選択の権利があるのだから、そりゃどうぞ、だ。その選択に納得出来ないけど多数決で負けた人は、仕方ない、原発を受け入れるか、他の、原発がない地域に引っ越すしかない。

 

テレビでは、推進派がしきりに、「安全で安いコストで作れるエネルギーは何か?」という視点から、生活消費なんちゃらかんちゃらという、机の反対側に座ってるおばさんに訴える。

 

「電気代は毎月払うものですよ、それは出来るだけ安いほうがいいでしょ?」そりゃそうだ、その部分だけを見ればそういう事。でもさ、その代わりに受け取るものが核爆弾じゃ、あんた、情報の片手落ちでしょ。

 

「経済的な投資という立場で見れば、技術が確立している原子力が一番効率的ですよ、今から風車作ったりソーラーパワーの研究をしても、現実問題として高い電気代を払いますか?われわれは国民に安くて〜」と、様々な美辞麗句が続く。しかし、根本的な問題、国民が全てを知った上での選択を求めるという、本来政府がやるべきことは、番組の中では絶対に出てこない。

 

最近は原発推進派も、昔のように念仏のように「原発は安全」とは言わなくなった。情報がこれだけ出回る時代だ、そんな見え透いた嘘は、さすがに通じないという事に、遅まきながらやっと気づいたのだろう。

 

ただ、その代わりに「ちょっとでも揺れたら自動的に止まるシステム」があるから、今回の中越沖地震でも炉心には全く問題がなかったとか、「あれだけの想定外の地震でも殆ど放射能も漏れておらず、通常以下の数値だった」とか、災害に強いという点を強調していた。

 

でも、浜岡原発で直下型地震が起り、その時に風向きが東京方面であれば、10時間で放射能が東京を襲い、東京が死の町と化すのだ。そこで何万人が死ぬか、まだ発生してないのでわからないが、東京から避難するのが遅れた人々が巻き込まれるだけでも、数万人は死ぬだろう。

 

原発とはこのように危険なものだが、その危険なものと隣り合わせに生きなければ、もっと大きな危険、外国による支配という問題が出てくるのだ。

 

どっちもいやん、私は清く生きたいわなんて、そんな戯言が通じない環境にいるのが、今の日本なのだ。

 

だから、日本としては、地震だけでなく、エネルギー問題、食糧問題など、さまざまなリスクを背負って日本という土地の上で生きていくのか、それとも大東亜共栄圏を広げて地理的にリスクを分散するのか、考える必要がある。

 

もっと言えば、日本政府にとって、守るべき人々はどこまでなのかという問題がある。

 

そのような問題を提起しないままに上滑りだけの安全神話議論をどれだけNHKがやる、たった一つの意味は、国民の目を現実から逸らして、何も考えさせないという事だけだ。

 

今後日本政府としては、原発エネルギー供給を現在の31%から40%にしたいと考えている。ならば、その原発をどこに作るのか?そして、原発が危険なものと認識した上で、どこまでの被害なら許容できるかを国民が議論すべきではないか?

 

自分は原発の被害に遭いたくないけど、原発の恩恵である電気やインターネットには与りたい、そんな自分勝手でわがままな理屈が通らない時代なのだ。

 

様々な問題を抱えた日本。一番簡単な答えは、考えないこと。事故が起れば、ちょっと反省して、また同じ事を繰り返す。そのうち技術が進歩して、問題自体が解消するさ、そう言って笑っている役人の姿が見えるようだ。でも、メルトダウンは役人の家族も巻き込んで発生する。その時になんて言うんだろうな。

 

写真は、シティのチャンセラー広場で、冬の太陽を浴びながらベンチに座ってランチを楽しむビジネスパーソンたち。そう、ニュージーランドには、100万人の都市で平気で電気が数時間も止まるし、大風が吹けば送電線が切れて数時間電気が止まるし、ロウソクが必需品で、場合によっては数日も電気が来ないこともあるけど、原発はありません。

 

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tom_eastwind at 18:16│Comments(2)TrackBack(0) 日本ニュース 

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この記事へのコメント

1. Posted by 大和(やまと)   2007年08月23日 18:54
tom様、はじめまして!

ブログランキングより参りました。

原発や海外移住など私の関心のある内容で、興味深く拝見いたしました。

また、訪問させていただきます。
2. Posted by あきれたちゃん   2008年05月02日 18:37
2 原発一基は500億円じゃ無理ですよ、大体、少なくとも3000億円はかかるし、その迷惑料で周辺自治体にばら撒く費用がほぼ同額ぐらいは掛かるでしょう。それにまあ、化石燃料に比べれば安いものの燃料費と後処理費用(これはまだ正確な費用は出てない)で、偽悪ぶってもぶたなくても、費用は誰かが支払うことになるのです。まあ、何処にどういう風に金を使うかで未来の姿は変わりますな。NZへ頭脳流失、優秀な人材が流失しないで、この可哀想な国が良くなるように働いてくれる人が増えて欲しいものです。

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