2007年08月30日

ガイド養成講座

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昨日は、当社が扱っているガイド養成講座で、ニュージーランドの歴史と経済、政治についての初級者編の講義をする。

 

な〜んて、偉そうな事を言ってるな。

 

まともに学問をしなかった僕が教えるにはおこがましいけど、他に誰も適材がいないまま、場数だけは踏んでいるという理由で、6年間、この講義を受け持っている。

 

実は、予めテキストがあるので、それに沿って話せば、それほど難しくなく説明は出来るのだ。

 

ニュージーランドは1840年に植民地としてその歴史が始まったから、植民地の歴史としては167年である。

 

ガイドブックには、ニュージーランドを初めて「発見」したのはアベルタスマンだと書いてる。

 

でも、よく歴史書を読み込むと、タスマンに「ここ行けわんわん」の指示をしたのは、当時のオランダ国王だったという記録がある。その国王も、勿論自分がニュージーランドに行ったわけではない。国王の手元にある古文書に、その存在が記されていたのだ。

 

それは例えばアメリカ大陸を「発見」したのがコロンブスだって言う、実にあふぉな「歴史的事実」と認識されていることが実は全然大間違いで、そりゃさ、世の中で欧州人だけが人間であれば、それも一理あるだろうけど、コロンブスがやってきた時点で、すでにアメリカ先住民は長いこと北米大陸で生活してたわけであり、要するに、白人にあらずば人にあらずという何でもかんでも欧州白人至上主義が、世界の歴史的事実を捻じ曲げてた、その一つがニュージーランドにも存在するという事だという事ともちょっと違う。

 

うわ〜、いっき一筆書き。

 

つまり、ニュージーランドの場合は紀元前に生きてた西洋人によって「すでに」発見されており、コロンブスのように、西洋人の歴史に始めて出てきたというわけでさえないのだ。

 

これは歴史の手抜きというべきか、過去の歴史をとってもよく忘れやすい、例えば今で言えば米国のブッシュとかレベルの人間が15世紀の欧州にはたくさんいたのだろう。

 

そりゃそうだ、タスマンがどれだけ優秀な探検家だとしても、南太平洋に一本のマッチ棒のようにひっそりと存在するニュージーランドを、どうやって見つけることが出来るか?

 

大体、人間がいかだの上に乗っかったとして、自分の視野に入るのは精々周囲5〜10kmもない。地球は丸いからだ。いくら大きな舟に乗ったとしても、司会に入るのは精々数十キロだろう。それに対して、ニュージーランドに一番近いオーストラリアでさえ2千キロ、南極は4千キロ、南米に至っては8千キロ以上離れている。

 

そして一番のポイントは、「あるかないか分からない状態」で、冷蔵庫もない、食料にも限界がある、精密な海図さえない、そんな環境で、誰も行ったことがない島を「探す」なんてあるだろうか?

 

あるわきゃない。大体、そこに島があるって分かってなきゃ、舟の漕ぎ出しようもない。日本近海でも漁船が難破した時など、あれだけたくさんヘリコプターや救助船を出してもなかなか見つからない、それなのに、南太平洋の孤島であるニュージーランド、どうやって探せるというものか。

 

だから、実は最初にニュージーランドを発見したのは、オランダ国王が手にした古文書に、ニュージーランドの存在を示した人となる。

 

そしてそれは、当時の記録ではフェニキア人だと言われている。その本の出所は、アフリカ大陸の北岸にあるアレクサンドリアであり、ギリシア人が世界最古で最大の図書館を作ったと言われている都市である。

 

その都市を古代ローマ人が攻め破った際に、図書館にあった本がローマに持ち去られた。そしてローマはドイツ、フランス、スペイン、そしてイギリスと版図を広げる中で、そのうちの一冊の本が1600年代になってオランダ国王の手元に渡ったと見られている。

 

「言われている」とか「見られている」とかばかりで、これといった確証がないので、学者からすれば「証拠もなしに、何を言ってる!」という事になるだろう。

 

ただ、「あった」という証拠はなくても「なかった」という証拠もないので、ガイドとしては、ある程度真実性のある話ならば、旅先の楽しみとしてお客様に喜んでもらうというのは、ありだと思う。

 

ガイドブックに書かれていることを棒読みするだけなら、ガイドなんて不要だ。歴史の教科書やガイドブックには書いてない話をするのがプロの仕事である。

 

話自体はなんとなく御伽噺(よとぎばなし)みたいで、それでも何となく、「もしかしたら本当にあったの?」と思わせるような内容なので、結構皆さん、楽しんで聞いてくれる。

 

他にも、ガイドブックに書いてない話を交えながら、大体4時間の講義を行う。

 

この講座の特徴は、座学を2週間程度やってから実際に先輩ガイドについて業務を学び、そのままオークランドのガイドとして給料を貰って働けるという点だ。

 

ただしガイドという仕事は固定給ではない。そしてかなりの経費が自腹でかかる。お客様を待つ間のコーヒー代も自腹だ。だから、収入は非常に低い。普通のガイドレベルで夏場の手取りが1500ドルいけばよい方だろう。冬場だと1000ドルを切る事が多い。

 

それでも、「ガイドになりたいんです」という人がよく来る。彼らには最初から、「収入は少ないから、生活の糧と思うのなら止めたほうがいいですよ」という。実際に、生活の糧にするなら、お土産やで働いたほうがずっと手取りがよい。

 

でも、どうも日本でOLなどの職種で、特にコピー取りなど夢のない仕事をしていると、団体を引き連れて颯爽と歩く添乗員や、現地でお客様に知識を提供してお客を喜ばせているガイドを見ると、「まあ、素敵!人を幸せにする仕事だわ〜」と感じるらしい。

 

僕自身、旅行業でもうすぐ30周年を迎える立場の人間として、一般社会の方が旅行業にあこがれてくれるのはうれしいが、それに応えるだけのお金が払えない、構造不況の業界であるのが、かなしい。

 

何かの知識を得たいとか現地の人の本音を聞きたいという学究熱心な方が、期間限定でやるには、楽しい仕事だと思う。それに、自分に積極性を身に付けさせたいという方にもお勧め。

 

ガイドの仕事をすれば、どこまでも覚えることがある。それこそ当社の講座でも、歴史や経済の話から、お客様が緊急の病気や怪我をした場合の応急措置、旅行日程が台風などでめちゃめちゃになった時の対応など、とにかくやることが幅広い。

 

だから、ガイドを一年すれば、大体どのような業界での仕事も勤まるようになる。場数、度胸がついて、大人数の前でもびびらず、段取りがさくさく出来るようになるからだ。

 

うちの会社でも、ガイド上がりや旅行会社上がりのスタッフは多いし、やはり彼らは、独特の勘所を理解している。

 

ただ、一つだけ言えるのは、ガイドは、人生の一部分の、若いうちに経験することは良いが、それで一生飯を食おうとは思わないことだ。

 

ワーホリビザでやってきて、ニュージーランドを満喫して帰るには、ガイドの仕事はとても魅力的である。毎日いろんな人と会い、いろんな経験をして、自分が成長していくのが分かる。これは、他の仕事では、なかなか得られない体験である。

 

だから、体験をしてもらい、楽しい思い出を持ったまま日本に帰り、その知識や体験を利用して、普通の仕事についてもらいたいと、正直思う。

 

もしニュージーランドに残りたいというなら、ガイド時代に出来るだけたくさんの人脈を作り、航空会社、ホテル、留学業界などに転職する方法もある。ガイド上がりで永住権を取ったという人は多い。永住権申請の際の英語テスト免除をもらえることもある(あった)。いずれにしても、ガイドのまま長期間を過ごそう、ガイドで生計を立てようとするなら、かなりの能力を要求される。

 

それほど、旅行で飯を食うというのは、ほんっとに、それほど大変なことなのだ。

 

写真はクイーンズタウンの空港。僕のNZ旅行業人生は、この場所から始まった。あの頃は空港というより飛行場という感じだったけど、今では国際線も発着するようになった、ちっちゃいけど素敵な空港です。

 

 

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tom_eastwind at 12:36│Comments(3)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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この記事へのコメント

1. Posted by May   2007年08月31日 00:56
添乗員は養う家族がいるので踏みとどまった。
看護英語のセミナーに行った。講師は東大の博士でありながらフレンドリーで、スポンサーをつけるのも断り続けている人。彼女を支援したい、と大阪のメンバーでコミュを立ち上げた。私は大病院で働く立派なナースたちとは違い准看護師のしがないおばはんだが、来年NZに乗り込むということで参加させていただいた。医療通訳ができるのは看護の現場で働いた事のある人間しかいない、と言う言葉に感銘した。永住権が取れなくても、遠回りでも、人の役に立ちたい。私は不器用で、頑固だ。
2. Posted by May   2007年09月02日 22:53
ますますもって混迷極まる新プラン。半年みっちり英語をやる。ボランティアビザ?にコンディションを付けるとフルで働けるらしいと言う情報あり。それでお金貯めてポリテク行く。行ってみんとわからんw
3. Posted by May   2007年09月02日 23:49
あんまり関係ないかもしれないが、私は昔から進化論を信用しない。猿は今でも猿だし、ピラミッドやモアイやナサの地上絵って昔からあるし、人間は元々人間なのよ。我々は何のためにどこから来たのか考え出すと眠れないからやめた。看護学校も人間にスイッチも付いてないのに動くのが不思議で行きたいと思った。生きるのは自己満足のためかな。連続コメントすみません。

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