2007年09月11日
ムーンライトブルース
1979年に「一人咲き」を引っさげて九州から飛び出して嬬恋(つまごい)で入賞、その年に「一人咲き」でシングルデビューしたチャゲ&飛鳥は、僕が今でも大好きな歌手の一人だ。
デビュー曲の「一人咲き」や「男と女」、「万里の河」、チャゲが作った「エピローグ」など、時代を越えた名曲だと思う。
特に「エピローグ」を聴くと、丁度ビートルズの歌の殆どがジョンレノンの作品なのだが「Yesterday」は珍しくポールが作曲してて、ポールはそれ以降仲間内で「昨日だけの男」って呼ばれた話を思い出す。
そしてチャゲ&アスカの名曲「ムーンライトブルース」が発表されたのは、1984年2月22日だ。バブルの前兆を感じさせる時代、その歌は日本中を駆け巡った(と、思う)。
“
お願いだから 今夜はそばにいて とてもひとりじゃ夜を越せないから
あなたは あなた わたしは わたし とても そんな気になれない
このながい髪 とてもきれいでしょ 薄めに引いた紅が綺麗でしょ
今更なんて思わないでよ みんな あなたに あげたもの〜
“
そして、”MoonLight 揺れてLastnight blues 〜“ と続く、失恋の夜を綴った名曲。
この歌、当時遊んでいた中洲でよく歌ったものだ。
ほぼ毎晩太陽が昇るまで遊び、ちょっと仮眠してそのまま仕事をしていたのを思い出す。
てか、その当時は、飲みながら仕事を取っていたのだから、24時間ほぼびっちりと仕事をしながら遊んでたことになる。
なにせ旅行屋は遊びを売るのだ。非日常をアレンジして楽しんでもらうのが仕事だ。そんな立場の人間が、朝9時から夜5時までで、後はきちんと自宅に帰ってご飯作って食って風呂入って寝ますってんじゃ、商売にならない。
中には、夜の12時過ぎから営業開始というお客もあった。その時はあまり酔わないように飲んで、お客の仕事(夜の9時頃から仕事が始まるのだ)が終わって事務所に戻ってくる真夜中の2時頃に、一升瓶を提げてタクシーに乗って営業に行ったものだ。
その頃は中島みゆき、谷村信司、谷山浩子など、今では大御所と呼ばれる人々が毎晩ラジオでおしゃべりしてた。実に楽しかったな〜。て〜か、谷山浩子は一時期7枚くらいLPを持ってた記憶がある。今は皆いい年になったが、声も脳みそも全然衰えてない。
てゆ〜か、小田和正もそうだが、あいも変わらずメッセージを発信し続けている。ポリシーがあるからだし、大きな意味でのプライドがあるからだと思う。
今の時代、何が乏しいかって言うと、教養とか、おっきな意味でのプライドかなって思う。
教養ってのは金にも体力にもならないものだが、それがあると生活がとても豊かになる、そういう、文化の豊かな時代からしか生まれないし、得る事も難しい知識である。
皆、実にナンセンスな事を面白おかしく語っていた。ムーンライトブルースなどの名曲に、あえて替え歌を作ったりする。
“”
お願いだから、今夜はそばにして とてもうどんじゃ夜を越せないから
あなたは たぬき わたしは きつね とても そんな気になれない
このながいそば とてもうまいでしょ 薄めにつけた味がとても素敵でしょ
更科なんて無茶言わないでよ 全部 あなたが 食べたから〜
“”
ムーンライトブルースを大好きな人からすれば「馬鹿にすんな!」と言われそうだが、あはは!って笑えるのは教養と心の余裕がある証拠だと思ってる。
そういえば更に昔、一世を風靡したセピア、じゃなくて、ピンキーとキラーズとかの時代にこんな替え歌があった。
本歌
“”
森と泉に囲まれて 静かに 眠る ブルーブルー ブルーシャトー
替え歌
もりとんかつ いずみにんにく かこまれてんぷら
“”
これだけの短いセリフだったが、これが週刊誌や当時出てきたテレビの歌番組で取り上げられた。誰が作ったのかわからないままだったが、当時本歌を歌ってたグループがどう反応してかって言うと、「いや、こりゃ面白い!この替え歌作った人に100万円あげますよ!是非とも名乗り出てください!」とやったのだ。
これが肝っ玉のちっちゃな連中だと、「人を馬鹿にしやがって」とか「ふざけやがって」という事にはなる。ところが彼らはあくまでも、替え歌のうまさを褒めて、お金まで払おうとする、そこが心の余裕じゃないかなと、子供心に思った。
最近ワーホリメーカーでニュージーランドにやってくる人を見ると、どうも心の余裕がないように感じる。
ちょっとした事で切れるのに、でも自分でどうしていいか分からない。薄っぺらくて、ペーパーナイフでちょっと引っ張れば、簡単に破けてしまうようなプライドだ。プライドでさえないのかもしれない。単なる見栄なのかもしれないな。
文学や歴史の知識がない連中は、他国の人とどう接するか、怒ってよいのか笑ってしまえばよいのかが分からない。
そして一番大事な教養がないから、ニュージーランドの初めての海外生活で自分が持つべきプライドと寛容という事がわからないままに戸惑っている。
相手に反論するにしても、結局感情論で、「気分悪いっす」とか「おれ〜、よくわからないけど、それってまじおかしいっす」とか、まるで子供のおねだりかぐずぐずである。そして日本人同士でつるんでしまい、お互いに傷のなめあいをする。
それが2歳や3歳の子供ならまだしも、20歳過ぎた大人のやることかと思う。
自分がしっかり教養を身に付けて知識や識見を持てば、たいていの事は誇り高く笑って過ごせる。
それがないまま動物のように、オークランドにやってきて薄汚いカッコウをして街を歩き、それが自由だと思い込み、自分で何も出来ないままに周囲にぎゃんぎゃん吼えている。実にかっこわるい。
ただ、今の20歳から30歳の年代ってのは、たしかに日本全体が大不況で、何をどうすれば良いか分からず、大人は自分の生活のためだけに右往左往して、子供の事など気にかけることも出来なかった時代の子供たちだ。
当時の学校の先生は、元々デモシカ教師で自分の立場ばかり考えて(勿論そうじゃない人もいただろうけど、一般論を語る時に私の先生は〜なんて個別論を持ち出さないでね)、組合がど〜のこ〜のとかやってたから、結局失われた世代になってしまったんだろうな。
1980年代に生まれた子供は、小学校の頃はバブルを知るほどの大人ではなく、社会に興味を持つようになった1990年代からは未曾有の大不況が起り、一生安泰と思ってた親の会社が倒産して、就職氷河期に突入し、フリーターってのが格好良いものだと思い込み、結局は世の中の大人に労働人口のクッションとして使われた事にも気づかすに、さあ今になってどうしようかという事になる。
勿論そんな時代だから、ゆっくりと中国の古書や日本の歴史を学ぶ時間もなければ、哲学を学ぶ暇もない。結果できあがったのが、他人を思いやれず、生きる意味を見失い、すぐ切れる現在の20歳代ではないだろうか。
これは本当に恐るべきことだと思う。大人が、自分たちが生き残るためだけに子供から教育や教養を学ぶ機会を奪い、収入を得る機会を奪い、大人の生贄となったようなものだ。
今の時代の格差ってのも、この時代から始まっているのだから、当時の政府が若者をどう思ってたのか、つまり「使い捨て」と考えていたのがよく分かる。
まあその意味で言えば、政府ってのは元々国民を、自分の知恵さえ持たない奴隷としか思っていないのだから、十分推量出来る。
久しぶりにムーンライトブルースを聴きながら、そんな事をふと考えた。
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この記事へのコメント
私のばあちゃんが歌ってたのはえんたつ・あちゃこの替え歌で、お手〜天ぷら食べ過ぎて〜あちゃこせんせに叱られて〜坊や〜もうだめだ〜肺炎、肋膜、神経痛〜神経痛はできそこないの〜豚のケツ〜。
自信喪失する時、プライドがあれば自分に勝てるんでしょうね。最近そう思います。プライドは失くしちゃダメだ、と。華原トモミの歌みたいにね。

