2009年07月24日
デキる弁護士
★引用開始
デキる弁護士とそうでない弁護士を分ける能力は何でしょうか。それは、「問題点を的確に見抜く能力」です。
依頼者の話を聞き、「どこに問題があるのか、依頼者のニーズは何なのか、強みと弱みは何なのか、相手はどのようにこの件を見ているのか。」などを的確に把握することが重要なのです。
これができる弁護士は、事件を適切に解決し、できない弁護士は、事件を混乱へと導きます。
★ 引用終了
これは谷原誠弁護士がブログで書いてたこと。
こういう、弁護士の能力ってか資格は日本もニュージーランドも同じである。
そして残念なことに「問題点を的確に見抜く能力」を持った弁護士は少ないのが事実である。特に多いのが「自分は知らない」ってことが理解出来ない弁護士である。
仕事柄年中弁護士と話しているのだけど、元々「大げさな自己主張」と「自分は悪くない」を繰り返す国民性の上にそれを理論で武装しているので弁護士は実に手ごわい。
てか、彼らを正面切ってバカにして失敗を指摘すると本気で拗ねてしまうので、適当におだてて使うというのが実に難しい。
けどその事と今から書くことは別の話。
最近も僕のところに日本人から「弁護士に騙された!」なんて相談が来た。けどよく話を聞くと騙されたのではなく日本人が正しい質問をしなかったとかきちんと押さえるべきところを押さえなかったというケースである。
つまり一般的日本人の持つ先入観念である「士行(士の資格を持ってる、例えば弁護士とか会計士とかです、武士ではありません)はエライ!」「一流大卒法学部はエライ!」、だから一流大学を出て弁護士をやってる人間を見ると、それだけで「エライ!」と思い込んで何でも言いなりになるからだ。
てか、そう言ってしまうと弁護士の皆さんに申し訳ないのでもうちょっと付け加えて言うと、殆どの弁護士にとって日本人は未知なる生命体なのだ。
だから日本人が何を考えて何故今ここで僕の前に坐っているのか、何を依頼しようとしているのか読み取りようがないのだ。
日本人は彼らからすれば自分の腹の中で何を考えているのか分からない、何を言ってるのが論理不明、勝手に期待されて勝手に失望してしまう、ある意味どうしようもない人種なのだ。
その原因は至って簡単で、文化の違いである。
日本では弁護士は「センセー」であり正義の味方だ。けどこの国では自分の意見を代弁してもらうだけの存在にしか過ぎない。
つまりこの国の弁護士にとっては正義が何かなんて議論はどうでもよい、依頼主の期待に応えるかどうかが問題で、応えた分だけ費用がもらえるかどうかが大事なのだ。
頭の中で蝶が跳んでるような日本人には理解不能かもしれないが、この世の中では真実が何かなんて、あなたの考えてる真実だけが真実でも正義でもないのだ。100人いれば、100の真実や正義があるのだ。
それを理解もせずに認めもせずに無理やり自分のやり方をこの国に持ってくるからトラブルになり、その結果として「あ〜ん、あったし〜、弁護士にだまされちゃった〜!」となる。
騙されても何でもない、お互いに美しき誤解で始まった取引が冷然たる現実にぶつかって理解して、悲しい結末を迎えただけだ。
恋愛も弁護士への依頼も似たようなものだ。お互いに相手が何なのかをよく理解して付き合う必要がある。
けど他人任せが大好きな日本人は、弁護士と聞いただけで「ま、偉い人〜!」となってしまうから、弁護士としても「意味不明???」になるのだ。
だからこちらの事を「理解デキない弁護士」を「理解デキる弁護士」にするには、相手の分かる言葉で説明して相手を誘導してあげることが肝要となる。
けど日本人は、こっちが正しいんだから相手はわかるはずだと思い込む。そして裁判所は正義を裁く所だと思い込んでる。もしかして一番悪いのは戦後の映画で「まだ最高裁判所がある!」なんて言った主人公なのかもしれない。
これからニュージーランドに住むような方には是非ともこの理屈は理解してもらいたい。
いずれにしても裁判所は正義を捌く場所ではないし弁護士は正義の味方ではない。依頼者の権利を代弁して主張するだけの「商売」なのだ。
商売人には上手な人もいれば下手な人もいるように、また得意や不得意があるように、弁護士も同じなのだ。
だから後は、いかに彼らに自分の考えていることを伝えることが出来るか、いかにうまく付き合っていくかが大事なのだ。
恋愛や結婚と同じなのだ。過度の期待をしないで欲しいし、頼り切らないで欲しい。

