2009年12月17日
オッド・トーマスの霊感
オッドトーマスの霊感 ディーン・クーンツ
本の「面白さ」と食事の「美味しさ」の共通点は、どっちも基準が人によって異なり全員が同じ答えを持つ事はないってことだろう。
そんな事は分かりきっていながらグルメ番組で評価されたレストランに行って後悔することもあれば「おお!やっぱりすごい!」と思うこともある。
だから本とか食事の評価については出来るだけ自分の趣味と同じような人の評価を見つけることだろう。
その意味でビジネス本の場合はぼくは日経ビジネスの本評価欄を見ている。この週刊誌で評価されてる本は内容がわりかし自分の趣味に近いので外れがない。
けど通常の小説の場合はあまり他人の批評を読むことはなく、自分で本をぱらっと見てから決める。小説等の「本」はぱらっと見た瞬間にある程度内容が分かる。これは一種の肌感覚なんだろう。
本によっては棚に並んでいるのを見ただけで「あ、だめだこりゃ」ってのがある。でも、ある種の人にとってはそんな本でも「面白い」と思うことがあるので、まさにこりゃもう嗜好の世界。
そこで「おまえはオッドトーマスかい?」っとなる。
ここまで書いて「こいつは分かりきったことをまるで初めて見つけたように偉そうなこと書きやがって」と思う人もいるんだろうね。そういう人が読んで面白くないのがこのオッドトーマスである。
そう、普通に分かりきったことを普通に書きながらあっと言う間に別世界に送り込むのがディーン・クーンツの特徴である。
世の中にはあり得ないことがあるってのを理解して受け入れる心の余裕がなければ、何を書いているのか何が面白いのか理解出来ないのもディーン・クーンツの特徴。
こういう本はクライブカッスラーのような大当たりはない。カッスラーは猿でも笑えてどきどきするように書かれているから一般大衆にぴったり、特に標準的な米国人にぴったりなのだ。
イランとイラクの場所を地図で見ても分からないだろうし(ニュージーランドはニュージャージーの隣くらいに思い込んで)英語以外の言語を理解しようとしないし(出来ないし)キリスト教だけが正しいと無批判に信用して自分の言ってることだけが正しいと本気で思い込んでて、その場傘加減を思いっきり皮肉に指摘するとその意味が分からず本気で口をぽか〜んとあけたまま黙り込んでしまうような人々にはクライブカッスラーが良いのだ。
リビングルームでポテトチップスとビール缶の1ダースくらいを並べて野球やアメフトを見てきゃーきゃー叫んで、時にはチャンネルを切り替えると猿向けのアクションをどきどきはらはらしながら見続けている、そう、そういう人にはカッスラーが丁度良いのだ。
野坂昭如の「四畳半ふすまのした張り」を見て「エロ本だ発禁だ!あいつは変態だ!」と騒いだ連中は「蛍の墓」を読んで何を考えただろう。
ジョージ秋山の「アシュラ」を発行停止に追い込んだどっかの教育委員会やPTAのくそばか連中は、その後彼の「はぐれ雲」が大学の教材として使われるようになってどう思っただろう。
たぶん何も考えてないだろう、てか、自分が過去に彼らを批難して叩き潰した事さえ忘れているだろう。なにせばかなのだ、そんな古いことや難しい事を覚えているわけがない。
覚えていれば今頃恥ずかしくて「人生は意味不明」とか言いながら華厳の滝にでも飛び込んでいるだろう。
でもってその正反対に位置するのがディーンクーンツのような作家だろう。
ぼくはカッスラーも読む。よく出来た話だし、頭をリラックスして何も考えたくないときには丁度良い。
例えて言えばいつもは自宅で手間隙かけて作った鶏肉クリームシチューを食べてても、時にはめんどくさくないKFCのホットロッドを食べるようなものだ。(あんまりまともな例えではないな)
どうでもいいけどKFCは値段表示が上手と言うか、ホットロッドを高値でつかまされている気がするのはぼくだけか。けどこれがキャンペーン商品で期間限定なので今では食べられなくなってりょうまくんは寂しい思いをしている。
でもってディーンクーンツの話。
だいたいこのあたりで@結局こいつ何を言いたいんだ?あふぉじゃないか@と思う人はディーンクーンツ向きではないので更に最初にお断りをしておくけど、この本は面白い。
だから自然とクーンツのファンは限定されてくる。誰でも楽しいってわけではないからだ。冗談が好きで皮肉をそれなりに楽しめて長い文章を読んでも疲れずに内容が理解出来る読解力が必要とされるからだ。
と、こんな風にクーンツ風に書いてみた。
なぜか写真とか貼り付け出来ないぞ。文字サイズ調整も出来ない。今日からライブドアブログの書式が変更になったのか???
本の「面白さ」と食事の「美味しさ」の共通点は、どっちも基準が人によって異なり全員が同じ答えを持つ事はないってことだろう。
そんな事は分かりきっていながらグルメ番組で評価されたレストランに行って後悔することもあれば「おお!やっぱりすごい!」と思うこともある。
だから本とか食事の評価については出来るだけ自分の趣味と同じような人の評価を見つけることだろう。
その意味でビジネス本の場合はぼくは日経ビジネスの本評価欄を見ている。この週刊誌で評価されてる本は内容がわりかし自分の趣味に近いので外れがない。
けど通常の小説の場合はあまり他人の批評を読むことはなく、自分で本をぱらっと見てから決める。小説等の「本」はぱらっと見た瞬間にある程度内容が分かる。これは一種の肌感覚なんだろう。
本によっては棚に並んでいるのを見ただけで「あ、だめだこりゃ」ってのがある。でも、ある種の人にとってはそんな本でも「面白い」と思うことがあるので、まさにこりゃもう嗜好の世界。
そこで「おまえはオッドトーマスかい?」っとなる。
ここまで書いて「こいつは分かりきったことをまるで初めて見つけたように偉そうなこと書きやがって」と思う人もいるんだろうね。そういう人が読んで面白くないのがこのオッドトーマスである。
そう、普通に分かりきったことを普通に書きながらあっと言う間に別世界に送り込むのがディーン・クーンツの特徴である。
世の中にはあり得ないことがあるってのを理解して受け入れる心の余裕がなければ、何を書いているのか何が面白いのか理解出来ないのもディーン・クーンツの特徴。
こういう本はクライブカッスラーのような大当たりはない。カッスラーは猿でも笑えてどきどきするように書かれているから一般大衆にぴったり、特に標準的な米国人にぴったりなのだ。
イランとイラクの場所を地図で見ても分からないだろうし(ニュージーランドはニュージャージーの隣くらいに思い込んで)英語以外の言語を理解しようとしないし(出来ないし)キリスト教だけが正しいと無批判に信用して自分の言ってることだけが正しいと本気で思い込んでて、その場傘加減を思いっきり皮肉に指摘するとその意味が分からず本気で口をぽか〜んとあけたまま黙り込んでしまうような人々にはクライブカッスラーが良いのだ。
リビングルームでポテトチップスとビール缶の1ダースくらいを並べて野球やアメフトを見てきゃーきゃー叫んで、時にはチャンネルを切り替えると猿向けのアクションをどきどきはらはらしながら見続けている、そう、そういう人にはカッスラーが丁度良いのだ。
野坂昭如の「四畳半ふすまのした張り」を見て「エロ本だ発禁だ!あいつは変態だ!」と騒いだ連中は「蛍の墓」を読んで何を考えただろう。
ジョージ秋山の「アシュラ」を発行停止に追い込んだどっかの教育委員会やPTAのくそばか連中は、その後彼の「はぐれ雲」が大学の教材として使われるようになってどう思っただろう。
たぶん何も考えてないだろう、てか、自分が過去に彼らを批難して叩き潰した事さえ忘れているだろう。なにせばかなのだ、そんな古いことや難しい事を覚えているわけがない。
覚えていれば今頃恥ずかしくて「人生は意味不明」とか言いながら華厳の滝にでも飛び込んでいるだろう。
でもってその正反対に位置するのがディーンクーンツのような作家だろう。
ぼくはカッスラーも読む。よく出来た話だし、頭をリラックスして何も考えたくないときには丁度良い。
例えて言えばいつもは自宅で手間隙かけて作った鶏肉クリームシチューを食べてても、時にはめんどくさくないKFCのホットロッドを食べるようなものだ。(あんまりまともな例えではないな)
どうでもいいけどKFCは値段表示が上手と言うか、ホットロッドを高値でつかまされている気がするのはぼくだけか。けどこれがキャンペーン商品で期間限定なので今では食べられなくなってりょうまくんは寂しい思いをしている。
でもってディーンクーンツの話。
だいたいこのあたりで@結局こいつ何を言いたいんだ?あふぉじゃないか@と思う人はディーンクーンツ向きではないので更に最初にお断りをしておくけど、この本は面白い。
だから自然とクーンツのファンは限定されてくる。誰でも楽しいってわけではないからだ。冗談が好きで皮肉をそれなりに楽しめて長い文章を読んでも疲れずに内容が理解出来る読解力が必要とされるからだ。
と、こんな風にクーンツ風に書いてみた。
なぜか写真とか貼り付け出来ないぞ。文字サイズ調整も出来ない。今日からライブドアブログの書式が変更になったのか???

