2010年06月09日
黄昏の国
シドニーでもロンドンでもオークランドでも共通しているのは、多くの日本人は地元の人間に比べて低賃金であると言うこと。
シドニーでは地元オージーであれば10万ドルくらいは最低貰うマネージャー仕事でも、同じ事を日本人がやる場合は4万ドルくらいになる。
英語がネイティブではないしビザの問題もあるんだろうけど、それ以上にニホンジンと言う農耕民族的性格上、あまり給料交渉をすることが苦手だからかもしれない。
今回の出張では久しぶりだったのと仕事の話もあったので地元の有名なおすし屋さんに行ったんだけど、昨日のレストランに引き続きお客の殆どは地元オージー。去年まではリーマンショックのせいで空席が目立ったのだが、今回は7割くらい埋まっていた。
お客が少しづつ戻り始めましたね、そんな世間話をしながら、こちらのお願いである魚の骨抜きペンチ、英語名がなかったので地元民に分かり易いように“BoneCollector”と名付けた道具を実際に使ってもらうためにお渡しした。
このおすし屋さんで食べると一人AU100ドル以上だけど、その話をある会議の雑談の際にすると「え〜、あそこに行かれたんですか、すごいですね〜」と感心された。
シドニーで働く日本人には簡単に行ける店じゃないですよ、そう言われると「けどオークランドのような田舎じゃあ、カネを出してもこんなものは食えませんからね、福岡の田舎もんがカネ溜めて六本木ヒルズの高級料理店で食事するようなもんですよ」と返しておいた。
ただ実際にどこの街でも日本人の存在、とくに消費者としての存在感が薄れているのは事実である。
今回行ったシドニーの老舗的バーでも以前は日本人のみ会員制ですとうたっていたのだが、最近は中国や韓国のお客でもきちんとした人なら入れているようだ。話を聞くと「やっぱり日本人だけでやっていくのは、今の時代は難しいですからね」と苦笑いしながら言ってた。
日本人駐在員が全世界的に日本へ撤退している。更に駐在員が昔のようにカネを使わなくなった。それは彼ら今は駐在と言ってふんぞり返っていられるけど、日本に帰ればしょせん課長クラスだしいつ首切りに遭うかもしれないから、出来るだけ駐在手当てを貯金しておこうって事だ。
そして移住して現地に住む日本人も地元民に比べて安い賃金で仕事をしているし、高い金を払ってまで飲み食いなんてムダでしょうとなる。
バブル期の日本人は、明日は今日以上にカネが入ると思って世界中の土地や建物を買い占めた。ニューヨークのロックフェラーセンターを日本の大手財閥系不動産会社が高値で購入した時は随分米国人に批判されたものだ。
それが今ではJapanNothingである。消費者としての地位も低下して現在世界中で買い物をしまくってる中国人にすっかり存在感を奪われている。
中国人からすれば日本人の高級料理店に行ったり銀座で買物をしたりするのはステイタスであり、何せカネがあるだけではなく夢がある。明日は今日よりも稼げる、そう信じて中国から飛び出しているのだ。
今の日本の外国での地位低下は、どうも単純にお金がないってだけではなく夢のなさと自信のなさと将来の不安とが混ざって出来上がった現象のように感じる。
明日は今日より給料が下がるだろう、白人と比べられても仕事出来ないしな、リーマンやってても大して実力ないからいつ首切られてもおかしくないもんな。そんな弱気が日本を覆っているのではないか。
けど、そんな状況を変化させる事は可能である。自分で実力を付ければ良いのだ。
まずは何よりも英語で仕事が出来るだけの語学力を身に付ける。そして発音の下手さを通り越しても雇いたくなるだけの専門的能力を身につけ、自分の労働価値を数字で表して「ほら、私を雇ったらあなたの支払いは10万ドルだけど、私は一年で50万ドル稼ぎますよ」と狩猟民族的に説明出来れば、それで雇わないボスはいない。
今更英語の勉強はしたくない、専門知識ったって、元々大学でも麻雀とカラオケばかりで何も身に付けてない、今更勉強するにしても英語でしょ、サラリーマンやってると明日の給料の不安よりも今日とりあえず何とか過ごせるからそれでいいやとなってれば、これはもう仕方のない話である。
しかしさ、一生食っていけるだけの職場がこれから先も一生存在するのか?誰かに生殺与奪権を握られたまま仕事をする事の危険性の方が余程人生の不安定要素ではないか。
その不安定要素を取り除く為に勉強をして専門知識を身に付けて誰にも首を切られないようにして、出来れば独立して更に安定を目指して自分の生殺与奪権を自分に取り返すほうが安全ではなかろうか?
まあ日本には1400兆円の個人資産がある。これだけあれば今の60歳代の人々は問題なく生き残っていけるだろう。
問題はその後の世代、個人資産を使いきった日本で自信も実力もない人々ばかりが社会の真ん中に来てしまった時、日本は確実にスペインやポルトガルのような“過去の国”になって行くと言うことだ。
今更農耕民族的発想を変えることも出来ないんですよね〜と言うのはよい。けどその結果として地位の低下が発生するのだ。自分を変化させずにじわじわと弱っていって最後はスペインやポルトガルみたいな「昔は良かったけどね」となるか。
生き残る為に狩猟民族的に外国で戦いを挑むかどうか、それが21世紀の日本の分かれ目になる。少なくともぼくは戦い続けるな。
写真はシドニー空港のカンタス航空ラウンジから眺めるシドニーの街。この街では毎日が戦争だ。
シドニーでは地元オージーであれば10万ドルくらいは最低貰うマネージャー仕事でも、同じ事を日本人がやる場合は4万ドルくらいになる。
英語がネイティブではないしビザの問題もあるんだろうけど、それ以上にニホンジンと言う農耕民族的性格上、あまり給料交渉をすることが苦手だからかもしれない。
今回の出張では久しぶりだったのと仕事の話もあったので地元の有名なおすし屋さんに行ったんだけど、昨日のレストランに引き続きお客の殆どは地元オージー。去年まではリーマンショックのせいで空席が目立ったのだが、今回は7割くらい埋まっていた。
お客が少しづつ戻り始めましたね、そんな世間話をしながら、こちらのお願いである魚の骨抜きペンチ、英語名がなかったので地元民に分かり易いように“BoneCollector”と名付けた道具を実際に使ってもらうためにお渡しした。
このおすし屋さんで食べると一人AU100ドル以上だけど、その話をある会議の雑談の際にすると「え〜、あそこに行かれたんですか、すごいですね〜」と感心された。
シドニーで働く日本人には簡単に行ける店じゃないですよ、そう言われると「けどオークランドのような田舎じゃあ、カネを出してもこんなものは食えませんからね、福岡の田舎もんがカネ溜めて六本木ヒルズの高級料理店で食事するようなもんですよ」と返しておいた。
ただ実際にどこの街でも日本人の存在、とくに消費者としての存在感が薄れているのは事実である。
今回行ったシドニーの老舗的バーでも以前は日本人のみ会員制ですとうたっていたのだが、最近は中国や韓国のお客でもきちんとした人なら入れているようだ。話を聞くと「やっぱり日本人だけでやっていくのは、今の時代は難しいですからね」と苦笑いしながら言ってた。
日本人駐在員が全世界的に日本へ撤退している。更に駐在員が昔のようにカネを使わなくなった。それは彼ら今は駐在と言ってふんぞり返っていられるけど、日本に帰ればしょせん課長クラスだしいつ首切りに遭うかもしれないから、出来るだけ駐在手当てを貯金しておこうって事だ。
そして移住して現地に住む日本人も地元民に比べて安い賃金で仕事をしているし、高い金を払ってまで飲み食いなんてムダでしょうとなる。
バブル期の日本人は、明日は今日以上にカネが入ると思って世界中の土地や建物を買い占めた。ニューヨークのロックフェラーセンターを日本の大手財閥系不動産会社が高値で購入した時は随分米国人に批判されたものだ。
それが今ではJapanNothingである。消費者としての地位も低下して現在世界中で買い物をしまくってる中国人にすっかり存在感を奪われている。
中国人からすれば日本人の高級料理店に行ったり銀座で買物をしたりするのはステイタスであり、何せカネがあるだけではなく夢がある。明日は今日よりも稼げる、そう信じて中国から飛び出しているのだ。
今の日本の外国での地位低下は、どうも単純にお金がないってだけではなく夢のなさと自信のなさと将来の不安とが混ざって出来上がった現象のように感じる。
明日は今日より給料が下がるだろう、白人と比べられても仕事出来ないしな、リーマンやってても大して実力ないからいつ首切られてもおかしくないもんな。そんな弱気が日本を覆っているのではないか。
けど、そんな状況を変化させる事は可能である。自分で実力を付ければ良いのだ。
まずは何よりも英語で仕事が出来るだけの語学力を身に付ける。そして発音の下手さを通り越しても雇いたくなるだけの専門的能力を身につけ、自分の労働価値を数字で表して「ほら、私を雇ったらあなたの支払いは10万ドルだけど、私は一年で50万ドル稼ぎますよ」と狩猟民族的に説明出来れば、それで雇わないボスはいない。
今更英語の勉強はしたくない、専門知識ったって、元々大学でも麻雀とカラオケばかりで何も身に付けてない、今更勉強するにしても英語でしょ、サラリーマンやってると明日の給料の不安よりも今日とりあえず何とか過ごせるからそれでいいやとなってれば、これはもう仕方のない話である。
しかしさ、一生食っていけるだけの職場がこれから先も一生存在するのか?誰かに生殺与奪権を握られたまま仕事をする事の危険性の方が余程人生の不安定要素ではないか。
その不安定要素を取り除く為に勉強をして専門知識を身に付けて誰にも首を切られないようにして、出来れば独立して更に安定を目指して自分の生殺与奪権を自分に取り返すほうが安全ではなかろうか?
まあ日本には1400兆円の個人資産がある。これだけあれば今の60歳代の人々は問題なく生き残っていけるだろう。
問題はその後の世代、個人資産を使いきった日本で自信も実力もない人々ばかりが社会の真ん中に来てしまった時、日本は確実にスペインやポルトガルのような“過去の国”になって行くと言うことだ。
今更農耕民族的発想を変えることも出来ないんですよね〜と言うのはよい。けどその結果として地位の低下が発生するのだ。自分を変化させずにじわじわと弱っていって最後はスペインやポルトガルみたいな「昔は良かったけどね」となるか。
生き残る為に狩猟民族的に外国で戦いを挑むかどうか、それが21世紀の日本の分かれ目になる。少なくともぼくは戦い続けるな。
写真はシドニー空港のカンタス航空ラウンジから眺めるシドニーの街。この街では毎日が戦争だ。