2010年06月14日
消費税
消費税
日本人の消費税に対する反対意見はしょっちゅう耳にするが、ニュージーランドでは12.5%の消費税を15%に上げると言ってもそれほど大きな反対意見は出てない。英国やカナダに行けば消費税はもっと高い。
日本の5%が高いかどうか、これはあまり議論する必要のない点だと思う。5なのか6なのか7なのか、これは技術やである役人が綿密に計算して算出すればよいところだ。
大事な点は、国家の運営は国民の参加と納税によってしか成り立たないと言うことであり、あれはいやこれはいや、けどあれもこれも欲しいという子供じみた議論では何も前進しないし、むしろそれは他国による経済的支配を受けかねない危険な道筋になるという事だ。
目の前に働けない老人がいる。彼が飢え死にするのは問題ないのか?彼が青いテントで寒い東京の冬を過ごすのは問題ないのか?
子供が病気になっても保険を払ってないから医療を受けられない、それは問題ないのか?
自分に関係なければ他の人のことはどうでも良いのか?
社会とは参加者全員が相応の負担をしながら万一の時に助けてもらう相互扶助の仕組みである。そうでなければ全員が森に戻って毎日動物の襲撃に恐れながら木の上で生活をすれば良いのだ。
木の上の生活は嫌だけどお金を払うのも嫌、他人が困るのは良いけど自分が困るのは嫌、そんな理屈が通るわけないでしょう。
必要な金は皆で拠出する。その上で使用方法についてはきちんと皆で話し合う。そういう全員参加型社会ではないから消費税値上げいやだと言う議論になってしまう。
政府のお金の使い方は気にしないくせに払うときになるとうだうだと文句ばかり言うようでは他国にバカにされても仕方ない。
ふざけんな、政府のお金の使い方は気にしているし、おかしいときは文句を言ってるという人もいるだろう。しかしそれさえも、じゃあ諫早干拓や長良川堰などの利権がらみの時はどうだったのか?
結局長いものには巻かれろ的に自分が社会に参加する意識もないままに、そこに生まれたからそこで生活をしていると言う程度の認識しかないから、要するに国民がいつまで経っても社会に参加していると言う認識がないから税金の使い方には何も言わないのに払うときだけ文句を言うという変てこな仕組みになっているのだ。
これはまさに16世紀頃の中世欧州や日本と同様の“領民”であり民主主義の下の市民ではない。自分の位置付けを都合の良い時は“市民”と呼んであれくれこれくれと言ってるくせに都合の悪い時は“私は領民ですから”と開き直るのはご都合主義ではないか。
消費税は堂々と値上げすれば良い。実際に12.5%を払っている側からすれば最初から内税なので大した痛みは感じない。日本のように外税表示をするから税金を感じるだけであり、あれは内税にすれば感覚として痛みは大幅に減る。
例えば99円+消費税5円と表示されていても内税になれば同じものがそのうちに99円になる。販売側がいずれ消費税を込みの表示にしてしまうからだ。
だいいち皆が自動車で高速道路を走っている時に1kmごとに「あ、おれ今ガソリン代のうちいくらの税金を払っているんだ」とか考えないでしょ。
つまり目の錯覚なんだけど、あまり痛みの感じないところで課税をしてその税金で青いテントに寝てる人が普通のアパートに住めるようになればいい、ちっちゃな子供が自分は健康保険に入ってないからと親に遠慮して病気になっても病院にも通わない、そんな現実を解決しようとしないままに消費税反対って言うのはどうかな。
払うものは払う、しかし使い方にはきちんと責任を持って意見をする、それが全員参加型の社会だろう。
日本人の消費税に対する反対意見はしょっちゅう耳にするが、ニュージーランドでは12.5%の消費税を15%に上げると言ってもそれほど大きな反対意見は出てない。英国やカナダに行けば消費税はもっと高い。
日本の5%が高いかどうか、これはあまり議論する必要のない点だと思う。5なのか6なのか7なのか、これは技術やである役人が綿密に計算して算出すればよいところだ。
大事な点は、国家の運営は国民の参加と納税によってしか成り立たないと言うことであり、あれはいやこれはいや、けどあれもこれも欲しいという子供じみた議論では何も前進しないし、むしろそれは他国による経済的支配を受けかねない危険な道筋になるという事だ。
目の前に働けない老人がいる。彼が飢え死にするのは問題ないのか?彼が青いテントで寒い東京の冬を過ごすのは問題ないのか?
子供が病気になっても保険を払ってないから医療を受けられない、それは問題ないのか?
自分に関係なければ他の人のことはどうでも良いのか?
社会とは参加者全員が相応の負担をしながら万一の時に助けてもらう相互扶助の仕組みである。そうでなければ全員が森に戻って毎日動物の襲撃に恐れながら木の上で生活をすれば良いのだ。
木の上の生活は嫌だけどお金を払うのも嫌、他人が困るのは良いけど自分が困るのは嫌、そんな理屈が通るわけないでしょう。
必要な金は皆で拠出する。その上で使用方法についてはきちんと皆で話し合う。そういう全員参加型社会ではないから消費税値上げいやだと言う議論になってしまう。
政府のお金の使い方は気にしないくせに払うときになるとうだうだと文句ばかり言うようでは他国にバカにされても仕方ない。
ふざけんな、政府のお金の使い方は気にしているし、おかしいときは文句を言ってるという人もいるだろう。しかしそれさえも、じゃあ諫早干拓や長良川堰などの利権がらみの時はどうだったのか?
結局長いものには巻かれろ的に自分が社会に参加する意識もないままに、そこに生まれたからそこで生活をしていると言う程度の認識しかないから、要するに国民がいつまで経っても社会に参加していると言う認識がないから税金の使い方には何も言わないのに払うときだけ文句を言うという変てこな仕組みになっているのだ。
これはまさに16世紀頃の中世欧州や日本と同様の“領民”であり民主主義の下の市民ではない。自分の位置付けを都合の良い時は“市民”と呼んであれくれこれくれと言ってるくせに都合の悪い時は“私は領民ですから”と開き直るのはご都合主義ではないか。
消費税は堂々と値上げすれば良い。実際に12.5%を払っている側からすれば最初から内税なので大した痛みは感じない。日本のように外税表示をするから税金を感じるだけであり、あれは内税にすれば感覚として痛みは大幅に減る。
例えば99円+消費税5円と表示されていても内税になれば同じものがそのうちに99円になる。販売側がいずれ消費税を込みの表示にしてしまうからだ。
だいいち皆が自動車で高速道路を走っている時に1kmごとに「あ、おれ今ガソリン代のうちいくらの税金を払っているんだ」とか考えないでしょ。
つまり目の錯覚なんだけど、あまり痛みの感じないところで課税をしてその税金で青いテントに寝てる人が普通のアパートに住めるようになればいい、ちっちゃな子供が自分は健康保険に入ってないからと親に遠慮して病気になっても病院にも通わない、そんな現実を解決しようとしないままに消費税反対って言うのはどうかな。
払うものは払う、しかし使い方にはきちんと責任を持って意見をする、それが全員参加型の社会だろう。