2011年02月14日

ニューヨーク 人種のるつぼにて

今日のお昼はお弁当売りさんから6ドルのエビフライ弁当を買って休憩室で食べてスタッフとおしゃべりしながら“そういえば”と思いだした。

 

現在ニュージーランドに移住する人は現地学校に通う費用とか会社を設立するだとか基本的には“ある程度”の資金がある。なければ移住出来ないのだから当然だろう。

 

けれど戦前の移民は片道切符、長男が親から畑を貰ったら次男は仕事がなくなるわけで、お金がなくて貧しい農村の次男坊は明るい未来を夢見て海外に移民した。

 

そこで話が米国に移民した人たちのことになった。とくに移民した日本人が第二次世界大戦で収容所に強制収容されて味わった苦労と“おれたちの祖国と母国”に挟まれて悩みながらそれでも米国旗の為に命を投げ出して日本人の名誉を守ろうとした若者がいた。

 

そこで「あ、思い出した、2003年に当社が発行していた月刊情報誌でちょうどその記事を書いてたな」と思い出した。

 

ちょっと古いけど引っ張り出したので、移住をお考えの方、海外で生きるという事を少し違った視点から見てみればいかがでしょうか。

 

★ここから記事開始

 

日系二世のみで編成された442部隊。第二次世界大戦で米国兵としてヨーロッパ戦線で戦った日系二世兵士は約16,000人いる。個人勲章1万8千143個、戦死傷率314%。

 

一人最低一回は勲章を貰い、最初に配置された兵は勿論、交替の兵も合わせて、ほぼ全員が何度も傷を負い、そして多くの兵が戦死したが、脱走兵が唯一人としていなかった事でもよく知られている。

 

戦死傷率、個人勲章授与数は米国史上最も多く、時の大統領が「彼らこそ本当のアメリカ人だ、肌の色の問題は関係ない」と感激した事でも知られている。勿論これは米国内の事であり、殆どの日本人が知らない事実である。

 

少し長くなるが、逸話がある。戦争中、フランス戦線で敵の包囲に遭ったテキサス部隊211名を救助する為、442部隊は休暇を取る間もなくドイツ軍によって包囲された大隊の救出を命じられた。テキサスからやってきたこの大隊は敵陣地に深入りしすぎたのだ。二世部隊は多大なる犠牲を払い作戦に成功する。

 

それで師団長はじきじきにねぎらいとお褒めの言葉をかけようと、連隊長に命令した。一件も外出許可を出すな。全員足止めさせておけ。激戦の後でうっぷんを晴らしたいのはやまやまだろうが、と。

 

当日、各中隊の点呼結果が報告された。E中隊がその日連隊最大の中隊だった。整列した隊員42名。中隊の定員は197名だった。I中隊はわずか十数名しか残っておらず、たった一人の二等軍曹が指揮を執っていた。

 

将軍は連隊長を叱り、こうたしなめた。「連隊全員を集めろと言ったはずだぞ。外出許可を出したようだな」

 

連隊長は答えた。「連隊全員であります。残りは負傷、もしくは戦死しました」。

 

戦闘参加者800名。戦死187名、プレイベートライアンを思わず思い浮かべるが、第二次世界大戦中に日本人が命を賭けて、命を捨ててまでアメリカ人を救ったのだ。

 

ニューヨークに行くと、第二次世界大戦中に収容所に入れられた日系移民の話をよく聞く。アメリカに渡りアメリカ人として生活をし、差別にもめげずにアメリカを祖国として愛した移民。

 

にも関わらず、祖国が起こした戦争の為に、たった一晩で敵性国民になったのだ。「移民許可証を持ってても、あいつはジャップだ。見ろ、あいつの肌の色を!」

 

そして彼らは武器を取った。母国と、収容所で飢えている、愛する家族の為に。

 

二世部隊は、命を賭けて家族を守り、家族は命を賭けてアメリカ人になった。その中の一人に、部隊に参加し負傷し、パープルハートを授与された米国上院議員ダニエル井上氏(ハワイ選出)もいる。彼は移民社会の中で国家的地位を勝ち取った。

 

彼らにとっての日本は勿論祖国だ。しかし、その祖国日本が母国アメリカに戦争を仕掛けたら、あなたはどちらの立場を取るだろう?二つの国を持つ人の、生まれ持った葛藤がそこにある。

 

また、あなたの子供はどちらの立場を取るだろう?もし子供に、「何で日本人なんかに生んだんだよ!」と言われれば、どう答えるだろう。

 

歴史に「もし」はなく、そのような決定的な瞬間に出会わないまま移民として生きていく事の方が多いだろう。起こりもしない事に悩む必要はないだろう。でも、もし「決定的な歴史の転回点」に立たされたら?そして実際に、多くの日系移民が選択を迫られた。

 

12月、人種の坩堝のマンハッタンは厳冬である。マイナス11度、道路に粉吹雪が舞う中、ゆきは風邪気味の体をコートとマフラーで包みながら、毎朝早くからダンス教室に通う。「早い時間の方がね、昨日ブロードウェイに出てた人とかが来てるんで、すごく勉強になるんです。」

 

26歳、ニューヨーク在住3年目を迎える。元々日本ではプロダンサーで、生活も安定していた。でも、ブロードウェイの踊りを見る度に、子供の頃からモダンバレーを学んだ体が自然に踊りだすのを感じた。「今しかない」そう思った彼女は、親の支援もないままに、手元のお金をかき集めてニューヨークに渡った。

 

レストランのウェイトレスや皿洗い等、様々なアルバイトをしながらも明るく答える彼女。「ニューヨークのレストランで、あたし達みたいな学生がいなくなったら、半分がとこ潰れるんじゃあないですか、やる事多すぎだけど、今は最高に幸せですよ!」。

 

多くの若者が夢を求めてやってくる街。中途半端に妥協せず、最高のものをここで手に入れる。「出来ない」とは絶対思わない。絶対出来る!そんな気持ちがなければ最初から来ていない、毎日が充実している。

 

「私の夢はブロードウェイに立つ事。オーディションも何度も受けたけど、まだまだうまい人が多過ぎて、私まで順番が来ませんよ、でもね、ここで踊りを見てるだけで目が肥えます。日本の歌番組ビデオでバックで踊る知り合いとかを見てると、おっくれてるな!と感じますね。まだまだ人生は長い、もっと勉強しますよ!」

 

二世部隊には母国と家族を守るという目標があり、泥だらけの戦場で命がけで追いかけた。ゆきにはダンスという目標があり、粉雪の降る中で夢を追いかけている。一方は究極の選択であり、片方は飽食の時代の選択だが、お互いに目標は明確だ。

 

その国の国民になる事が目的の人もいれば、その国で学ぶ事が目的の人もいる。

 

どちらも、目標があり、自分で選択した。ある意味、誰よりも幸せではないだろうか。なぜなら、目標に向って努力しているから。

 

ニューヨークは人種の坩堝だ。アメリカ人が日本人にビルを売り、日本人はメキシコ人にテレビを売る。中国人は道端で新聞やピーナッツを観光客に売り、韓国人はデリ(コンビニの一種)で黒人にコーラを売っている。

 

この街で生き抜こうとする人に肌の色の違いは関係ない。あるのは、目標を持って強く行きぬく人種と、競争に敗れて道端に座り込んでいる人種だけだ。勝者と敗者の差は大きい。目標を持たない事の怖さを感じさせる街だった。

 

次回は日本から。



tom_eastwind at 18:48│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔