2011年03月08日
お笑い国会
法律は誰のもの?
答=役人のもの。
理由=法律は細部に宿るというが、その細部である通達は役人が決めている。つまり政治家が国会で決めてる法律なんてのも裏方である役人が決めて政治家が表に出てぼこぼこにされながら決めさせて、またも裏方の役人がその法律を自分たちの有利になるように判断しているのが現実だ。
だからどっかの大臣が知らないままに課長が法律を決めて日本全国に通達するという現実が出てくる。これはいかにも日本的だ。戦前もそうだった、だれもが責任を取らず何も知らないまま物事はいつの間にか進んでいく。
午後から部屋で仕事していたらちょうどNHKで国会中継をやるというのでテレビを付けながら仕事を続けた。
ところがあんまり面白いものだから5分に1回くらい笑いながらメール書いたり書類作ったりしたので誤字脱字だらけ。
それにしても管政権、ここまで来るとあわれですな。野党にぼこぼこにされて笑いものにされて、質問に対してまともに答えも出来ずにいる。
その中で一つ興味があったのが介護問題である。共産党の質問時間に「特別養護」問題が提起された。48歳の男性が父親の介護の為に会社を辞めて父親と同居、生活費は父親が受け取る年金10万円だけである、この現実を政府はどう考えるか。
介護問題はまさに日本人自身の政治への他人事意識てか当事者意識の薄さ、日常生活では他人に対しては「子供は親の面倒を見るものよ」と格好良い事を言って自分がその立場になった途端に自縄自縛で「あらま、大変だわ」ってことになる。
ニュージーランドでは日本のような介護問題はない。何故ならリタイアメントビレッジと言う仕組みと教会を中心としたボランティアが発達しているからだ。そして何よりも大きな違いは国民自身が当事者意識を持って介護を考えている。
勤労世代は働いて社会の生産性を上げる。体の弱った老人はリタイアメントビレッジに入居して同じ世代の人たちと助け合いながら共同生活を送る。
ビレッジは元々教会が運営していたが政府の方針で民営化されて大小さまざまなビレッジが自由競争の中で高品質のサービスを常識的な費用で提供している。
入居は日本のような数千万円なんてのはなく、基本的に年金があれば生活出来るようになっている。
大きなビレッジなら中心に病院を配置してビレッジ内はバリアフリー、銀行、郵便局、コンビニ、教会がその周囲に集まっている。
日本では親の面倒は子供が見るという古くからの教えを変える事が出来ないまま、他人には「親を見るのは子供の義務でしょう!」と言うが、その前提である三世代同居がすでに崩壊しているのだから、そんなの出来るわけないじゃんか。
と言う事で父親が病気になった瞬間から子供の義務が始まるが、その介護はどれほど生産性があるのか?それよりも介護は専門のビレッジに任せて勤労世代は労働した方がプラスでしょう。
元々ニュージーランドでは子供は学校を卒業すると親元を離れて一人暮らしをする習慣がある。この点個人主義が徹底している。だから三世代同居と言う発想がない。
だからいずれ両親は病気になり体も弱る。その時子供は一緒にいない、だから親も体が弱ればリタイアメントビレッジと言う発想があるのでどちらの負担にもならない。ビレッジ運営で民間ビジネスも成長する。体が弱って死期が近づけばホスピスがある。
このリタイアメントビレッジ、訪問すると分かるが日本のような養護施設とか老人ホームのような姥捨て山ではない。むしろ残された人生をもっと積極的に楽しもうとする人々の笑いで溢れている。
日本では三世代同居から核家族に変わったのにいつまでも過去の文言だけを取り上げて自分の頭で何も考えずに子供による介護を要求する、そこに今の日本の問題がある。
その上に乗っかってるもう一つの問題が政府による「見て見ぬふり」である。介護が問題になるだろうことは1980年代からわかっていた。核家族化が進むことでこの問題が発生するのにその対応を取らなかった。なぜか?金がかかるし国民意識を変化させるのが面倒だったからだ。
介護問題は日本社会全体の問題でありこれからさらに大きな問題になっていく。今何よりも大事なのは時代に合わせた発想の転換である。労働者世代を巻き込んで老齢者と共に討死するのが美徳なのか?
医療も介護もどれだけ国会で話し合っても結論が出ない。出るわけがない、だって国民自身が「老いと死」と言う事実に対して当事者意識を持って向かい合っていないからだ。