2011年03月15日

人間失格と社会人失格の間で生きるということ

昨日のブログでJapanDay開催の件で「不謹慎だ!精神を疑う!」と書き込んでた人たちは下記のブログを読んでみるとよい。問題点を整理しているし、コメント欄を読めば何が不謹慎で何がやるべきことかも推測できる。

 

http://agora-web.jp/archives/1278351.html#comments

 

ただぼくが世間に流れる不謹慎に対して最も恐れるのは、このような現象は結果的に国民が誰も疑問を持たず異議を差し入れず、不謹慎と言われた瞬間に発言停止してしまいついでに思考停止、その結果として起こった第二次世界大戦を生み出す原因の一つであったという事だ。

 

「天皇陛下!」と言えば誰もが逆らえない状況で軍内部の派閥争いで政敵を潰したいときは天皇陛下と言う王冠をかぶって相手を理論でなく権力で押しつぶし、一切の発言をさせなくなる。

 

例えば2.26事件の時でも天皇陛下が直接何かを言ってるのではないのに、周囲の連中が天皇の気持ちを「忖度(そんたく)」して反乱部隊に「お前ら、恐れ多くも天皇陛下は〜」とやって結果的に反乱部隊を鎮圧した。

 

その後は誰もが理論的な発言を出来ない中で、なんとなくその場の雰囲気で言っちゃいけないって中で、軍部の中でも自分たちの意見を通したい派閥が「忖度」と「不謹慎」と「恐れ多くも天皇陛下」を連発して周囲を黙らせて「それでは、全会一致ですね、戦争します」となった。

 

この「不謹慎」発言に関して何よりも怖いのは、それがいつの間にか世間の主流になってしまい、大本営発表以外の事を言えば「非国民」となり、天皇機関説を主張すれば「不敬罪」となり、言論弾圧の手段として使われてしまったという事だ。

 

自由な発言と自由な議論こそが人々の生活を豊かにするのは自明の理であるが、一部の感情論者にはそれが分からないまま、結果的に自分たちの社会を貧しくしているのだ。

 

だからこそぼくはそのような「不謹慎論者」を敢えて偽善者と呼びたいのだ。もちろん非常に微妙な問題である。理屈では絶対に割り切れない部分が多い。

 

上記ブログのコメントの中にもあるが自衛隊員は被災者の前では食事をしないそうだ。救助活動をするのだから飯を食わねばならないのは誰でも分かる。

 

けれどそれを「おれは理論的に正しい」と言って被災者の前でむしゃむしゃ食うようであればそいつは人間失格である。

 

だからと言って思考停止状態で「何もかも不謹慎」として止めてしまえば、それは社会人失格なのである。

 

人間失格は生きる権利はない。社会人失格は生きる能力がない。



tom_eastwind at 18:14│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

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