2011年03月22日
戦の仕方
★記事開始
首相官邸に怒鳴り込んだ。21日午後、石原都知事は菅首相に会談を求めた。理由は福島第1原発3号機で、英雄的な放水活動を展開した東京消防庁の隊員に「速やかにやらないと処分する」と脅した閣僚がいたからだ。
「現場の事情を無視して、(放水作業を)速やかにやれ、やらなければ処分すると…。みんな命がけで行い、許容以上の放射能を浴びた。担当大臣か何か知らないが、恐らく上から来るのだろう。そんなバカなことを言うのがいたら戦(いくさ)にならない。そんなことを絶対に言わさないでくれと言ったんだ」
会談後、石原氏は首相に厳重抗議したことを明らかにした。これに首相は「大変申し訳ない」と謝罪、「恫喝まがい」の発言があったことを認めた。21日夜、会見した枝野幸男官房長官(46)も「事実関係を調査し、善処する必要があれば対応する」と述べた。
また、都関係者は21日夜、問題の発言を行ったのは海江田経済産業相だったと述べた。「処分する」といった人間が「処分される」可能性が出て来た。
石原氏は記者団に「処分するという言葉が出て、隊員はみんなガク然とした。指揮官は、それが一番不本意だったと言っていた」と不快感を示した。石原氏は「処分」と発言した閣僚が誰かは触れなかった。言った人間よりも、その上にいる“言わせた人間”に怒っているのだろう。
また、同隊が使用した放水車の連続放水能力は4時間が限度だったが、政府側の指示で7時間連続で放水したため、石原氏は「完全に壊れた」と説明した。
一方、東京消防庁ハイパーレスキュー隊など帰京した隊員の活動報告会が21日午前、東京都内の消防学校で行われ、ここにも石原氏は出席。参加した115人の「勇士」を前に号泣、言葉を詰まらせながら感謝を述べた。
「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…もう、言葉にできません。本当にありがとうございました。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」 石原氏は、この報告会で「恫喝まがい」の発言を知り、すぐさま首相官邸に突撃したとみられる。活動報告会に参加した隊員の1人は、「あの強気の知事が涙をながして礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。
http://www.sanspo.com/shakai/news/110322/sha1103220507015-n2.htm
★記事終了
まさしく第二次世界大戦末期、南太平洋の多くの島で起こった事と同じだ。
戦争末期、南太平洋に取り残された兵隊は食べるものは木の根もなく飲む水もなくそれでも自分の陣地を守り最後は日本万歳と死地に向かって突撃を行って散っていった。
彼らは自分たちが特攻しても勝てるとは思ってなかった、ただまさに少しでも自分たちが食い止める事で家族や友達のいる日本本土を一日でも長く守れると思って特攻したのだ。
逃げることも出来た。捕虜になることも出来た。負傷兵のふりをして戦いを拒否することも出来た。それでも多くの兵士は自分から志願して戦いに出たのだ。
そういう若い兵隊たちに向かって当時の東京の大本営やシンガポールの南方軍司令部は馴染みの料亭に通い酒を飲み女をはべらして大言壮語!「なんだあ、南方はなっちょらんのあ〜!わしが行けば鬼畜米英など一発じゃ〜!」「兵隊はびびっちょるんじゃないか、突撃せん時は軍法裁判だぞと言っておけ!かかか!」などと豪言をまき散らしていた。
★当時の戦争中のシンガポールに料亭があったの?と単純な疑問を持つ人に説明すれば、日本の司令部が海外に出ていくときは必ず司令官馴染みの東京の料亭に「おい、わしが今度シンガポールに行くので料亭を用意しちょけ、あ、もちろん女もな」と言うのが常識であった。つまり戦地に行っても自分たち高級将校だけは常に酒池肉林だったのだ。もちろんこのような施設?は一般の兵隊は利用できない★
多くの若者が南太平洋に散り、当時の大本営や南方軍司令部で大言壮語を吐いていた連中は戦後もぬくぬくと日本で生活をして老後を過ごして「おれは正しかったのだ!」とほざく。太平洋戦中インパールなどあちこちの方面で若い兵隊を殺した高級将校、代表が牟田口だろう。
今回の消防隊の任務はまさに命がけであるが隊員たちは「自分に行かせて下さい!」と手を挙げた。放射線と爆発と言う二重の敵を相手に命を捨てて戦いに行った。
そんな若い隊員を守る総司令官にあたるレスキュー隊の隊長も自ら最前線に出て指揮を取り、ホースを準備してさあ戦いに行こうとするまさにその時「早く行かんと処罰するぞ〜!」だと!!
ふざけるのもいい加減にしろ!お前らのような後方の安全なところでぬくぬくしている連中が現場も知らずにエラそうな物言いをしやがって、そういう発言が戦いの現場でどれだけ指揮に影響が出るか分かっているのか?
分かっていない官僚だから、現場の放射線にまみれてない連中だから、どうせ最後は自分たちは官僚同士で固まって逃げ切ったりするような連中だから、第二次世界大戦では多くの若者が捨てなくても良い命を捨ててしまい、挙句の果てに戦争に負けた。それもすべて現場を知らないばかな東京の連中のせいだが彼らは何の責任も取ろうとしなかった。
結局この日本では自分たちで現場を踏もうとしない官僚だけが出世して、そういう連中が戦時の指揮を取るからこんなバカなことが起こる。
石原氏は毀誉褒貶の多い人物であるしぼく自身彼の評価は定まっていない。ただ、戦時の大将としてはとても優秀であることを認める。今回のレスキュー隊員送り込みでも、それが何を意味しているか一番よくわかっているからこそ報告会で号泣したのだ。
福島原発で命がけの戦いをしてきた兵隊たちが戦地から戻ってきたその時、兵隊たちに命令を出した内閣はどこにいたのだ?兵隊たちをねぎらうべき総理大臣や内閣の大臣は、どこにいたのだ?
天気が悪いと言って視察を取り消したような総理大臣、そして「はやくやらんと処罰するぞ!」とほざいた海江田大臣、現場のやることにそこまで文句があるのなら今すぐぬくぬくとした安全な場所から出てきて、自分たちで福島原発3号炉の正面に来てホースを構えてみろ!