2011年03月28日

渚にて

AKB48が沖縄映画祭でライブを開催して寄付金を集めている。浜ちゃんも飛び込み出演で寄付金が増えたそうだ。

 

沖縄ばっかりじゃなくて少しづつ北上して鹿児島、宮崎、福岡あたりでもガンガンやってもらいたいものだ。

 

そして同時に「不謹慎派」がこのようなチャリティをどう思うか、是非とも聞いてみたいものだ。

 

「渚にて」はネヴィルシュートによって書かれた、おそらく世界で初めて世界レベルの原発被害について書かれたSF小説だ。

 

http://homepage1.nifty.com/Woodnote/books/science%20fiction/on_the_beach.htm

 

普通はamazonの紹介を入れるのだけど、「渚にて」を検索して偶然このサイトを見つけてその出来のよさに、ああこれならamazonよりもっと良い書評だなと思ったので乗せる。紹介については作者の許可は取っていないので何かあれば僕の責任である。

 

1960年代、北半球の冷戦で原発攻撃が始まった。そして北半球のすべての大都市は崩壊した。その放射能は北半球を覆い大気を駆け巡り北半球のすべての人類は死滅した。

 

この小説はそこから始まる。奇跡的に生き残った米軍原子力潜水艦がオーストラリアのメルボルンに行き普通に生活しているオージーたちと会う、そこからオーストラリア北部など各地を回るのだが、今年は気流が北半球だけでも来年になれば南半球に流れてくる。

 

そうすれば今ここで植えている作物を収穫する間もなくオーストラリアの人々も死んでしまう。自分で何かをしたわけではないのに、他国のやった事なのに自分の国が脅かされて最後にはオーストラリア国民全部が死滅してしまう。

 

ぼくがこの本を読んだのは15歳のころだったと覚えている。最初は物凄くショックだった。一生懸命毎日を生きようとしている人に上にも降り注ぐ放射能。地球上どこにも逃げようがないという現実。

 

そのような状況の中でもオーストラリアの人々はおとなしく運命を受け入れて「明日はこの花、咲くよね」と種を植えて、その花が咲く前に体中から血を流して死んだ。生まれたばかりの子供もちっちゃなベッドの中で真っ青な顔で息絶えている。

 

通常兵器の殺し合いでも家族が虐殺されることはある。交通事故で人が死ぬこともある。日本政府の使えない人減らし策略で山手線に自分から身を投じる人がいる。

 

けれど、原発だけはそのような限定的武器と決定的に違うのだ。自分が制御出来る武器で戦うのは分かる。しかし原発は制御不能だ。地球を破壊するのだ。

 

「戦争の目的は政治的目的を達成するための一つの手段である」とはクラウゼウィッツの言葉であるが、相手の土地を破壊して更に自分の領土を破壊して政治的目的を達成することが出来ない原爆や水爆は、すでに戦争の手段としては使えないのだ。

 

だから小型核兵器と言うものを米軍が開発して限定的な被害に留まるようにしている。

 

しかし民生用の原子力発電については限定的な効果と言う発想がないからどこまでも電気利用と言う発想で広がっていく。そこでプルサーマル、核再利用、廃棄物処理って事で六ヶ所村になるのだ。

 

再度書いておくが六ヶ所村しか世界の電力を守る方法がないしそれで日本国民が納得しているのならぼくは何も言う事はない。制御よろしくっていうしかない。

 

原始時代の人間は火を制御する時に何度も痛い目に遭ったと思う。密林の中で火を残したまま寝込んでしまい山火事になり死んだ人々もいるだろう。

 

けど、それでも山火事であり限定的である。地球全体を吹っ飛ばすという事ではなかった。

 

しかし今の原発、とくに六ヶ所村は確実に地球全体を吹っ飛ばす可能性がある。「何を言うか、今回はこれだけ漏れただけだし誰も死んではいないではないか」

 

そりゃその通り、今はね。問題は、では原発が本当に爆発した場合に地球に及ぼす最悪のケースはどうなのだという事だ。

 

今回は30km以内の人は「ただちに健康被害はない」と言いながら自主退避を求める。次は80kmだろう。「大丈夫だけど食糧とかの配達が大変なので避難して欲しい」

 

そうこう言ってる間に霞が関の連中は次々と政治機能を名古屋、大阪、福岡方面に移す。最上層部の人間だけは「日本全体の為に自分が生き残らねばいけない」と言う理屈で東京から今も避難しているのだ。

 

これは第二次世界大戦末期の関東軍の活動と全く同じである。

 

1945年8月に攻め込んできたロシア軍に対して、無敵関東軍は一般市民に最初は「心配するな大丈夫だ、何もないから」と言いその場から疎開させなかった。その間にせっせと自分の家族や財産は朝鮮向けの列車に乗せて安全地帯に運んで行った。

 

ロシア軍の大砲の音が近づくと「まだ大丈夫だ、あいつらは脅かしているけど、おれら無敵関東軍がすぐに追い払ってやるよ、ははは!」と豪語して民衆に留まるように指示した。そして自分たちが軍隊の糧秣庫からくすねた食糧を列車に乗せて朝鮮に送った。

 

ただそれでも兵隊の数が不足するので、補充兵として民間人を集めて一度も銃を持ったこともないような15歳の子供まで兵士の頭数に揃えようとした、その時も「大丈夫大丈夫、俺たちが守るから」と言った。彼らに渡したのは古い銃と10数発の弾丸、そして2発の手りゅう弾。

 

運命の日、ロシア軍が怒涛のように北満国境になだれ込んできた。その時関東軍は最後の食糧と武器と自分たちを列車に乗せて真っ先に朝鮮に向けて逃げたのだ。

 

残された民間人は何の情報もないまま右往左往して、ここで戦後知られるようになった残留孤児問題が発生した。これはすべてにおいて政府及び軍部の責任である。これ以上はあまりに酷い歴史的事実でありぼくが語るよりも戦後引揚者の人々の話を聞いてもらえばと思う。

 

今回の原発問題も範囲は東北及び関東に広がっているが、すでに京都や名古屋に「一時避難」した政府関係者がいるだろう。

 

ぼくは世界が一定の進歩をする為に原子力技術を生かすってのもありだと思ってる。その意味で感情的な反対派ではない。制御された空間で限定的に運用して、何かがあっても許容範囲内の被害であれば許せると思う。

 

ただ、今すべきことは政府関係者全員を福島原発の前に1時間づつ並ばせた上で今後の原子力政策を語ってもらう事だと思ってる。



tom_eastwind at 21:40│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

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