2011年04月01日
逃げろ!
月曜日の真夜中過ぎのフライトでシンガポールへ。火曜日の早朝シンガポールチャンギ空港到着後にランチミーティングを行う。仕事は超忙しいのだが、ちょっとでも時間が空くとぼけーっとしている。どうも自分の体が東北の震災時のどこかの場所と同期しているようだ。
早く逃げろ!そう言ってるのだが次の瞬間には自分が波に飲み込まれている感じ。寝ててもふっと見える夢があまり夢ではなく既視現象のような、今まで一度も行ったことがない場所に自分の体があって、古い木製の細い階段を上がったり下がったりしながら次々と違う場面にぶつかる。
シンガポールは32度、人々は優しくてちょっとしつこいくらい話しかけてくるが、総じて賑やかだ。景気の良さを感じる。こんなちっちゃな島を一つの独立国家として創り上げて今の繁栄をもたらしたのは一重にリークワンユーの努力が原因である。
貧しい人を国家組織として守る一方、成長しようとする国民には手を差し伸べて誰でもどんどん上に行ける仕組み。その結果として埃の舞う建設中の道路の端っこで汗をかきながら働く外国人労働者とその横を走る高級車に乗る地元シンガポーリアンがいる。
ドバイと似たような構図だな、そんな事を思いながらシンガポール金融庁ビルに入居している弁護士事務所を訪問する。
今回のシンガポール出張の目的は日本とニュージーランドを繋げる中継地点としての基地設立である。
こちらの考えているビジネスモデルを説明すると、「へー、これって日本では一般的なのか?」と聞かれた。東京でもニュージーランドでも同じ質問をされたが、誰もまだやった事のない全く新しいアイデアである事を説明する。
「へー、こんな事、出来るんだ〜、全部を見てしまうと“え!”と思うけど、一個一個をばらしてみるとごく普通の事なんだよな」最後にはそう納得してくれるのだが、洋の東西を問わず弁護士は頭が固い。
飛行機では飯も食わずにひたすら寝て、アポを全部終わらせた後はシンガポールの燦々と降り注ぐ太陽とショッピングモールを全く無視してカーテンを全部閉め切って寝た。
髪を振り乱した生首が正面から飛んでくる。自分の頭の左側にぶつかって、思わずベッドの中でのけぞる。右手の上の方には欄干にぶら下がった和服の女性の死体が見える。
昔からこんな場面に遭遇しているからもう慣れた。無理に体を動かさずにその場の流れに乗せていくとそのうちに古い田舎の家の薄暗い廊下にたどり着く。廊下の突き当たりの左側に障子のようなところがあり、そこを潜り抜けると次にまた長い廊下があり、階段を上がったり下がったりする。
そんな事をしているうちにどーん!ってすごい音がして体が舞い上がるのを感じる。本当にベッドから持ち上がって宙に舞っている感じ。
そこで目が覚めて体中が汗びっしょりで重くなっているのに気が付く。シャワーを浴びてもまだ生汗が出る。時計を見ると午後5時。前日の夕食から計算すると約24時間何も食べてない事に気づき、ホテルのバーでサンドイッチとジントニックの夕食を取る。
月曜日以降、原発はまるで何もなかったかのように静まり返って、しんしんと放射能を東北日本に降らせている。
サルコジが日本を訪問してネタ探ししている。プーチンは日本人に「サハリンで仕事提供しますよ」だって。お人よしの米国は自国の軍艦出して原子炉に真水注ごうとしてくれてる。こういう時は歴史的に性質の悪い欧州よりも単純なお人よしの米国人に親近感を覚える。
行きつけのバーで震災の話になる。そこで働いている彼女は埼玉出身のワーホリだが親戚の多くは東北にいるので毎晩電話で喧嘩になるという。
「あんたは外国に行った人だからエラそうなこと言うけど、こっちではみんな一致団結してるんよ、外国に行くなんて考えもしないわよ」そういう母親の上にも放射線は降り続けている。
日本人は土地と共に死ぬことを潔良いと思うのか?少なくともぼくは逃げる。空から降ってくる放射線は竹槍や団結では止めようがないのだ。おれって日本人の皮をかぶった外国人か?自分でだんだん疑問が湧いてくる。
けど、ぼくが何人と呼ばれようが、自分が変わることはない。生きて生きて生き抜く、どんな状況でも最後まで戦う。いつの時代もそうやって生きてきた。それをもって潔くないと言われるなら、日本人らしくないと言われるなら日本人の名前を返上しても結構。
ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道は出来る。人は一生懸命に生きてこそ人であり、どうしようもない時におたおたすることはないけど、そこに可能性がある限り精一杯努力をして生きたいと思う。
シンガポールでの仕事も金曜日に終了、これからSQ285便、20時45分発のフライトでオークランドに戻る。
シンガポール滞在中に突然の案件が飛び込んできた。この件、実現するようであれば4月上旬には北京に出張になりそうだ。世界は動いている。焼け跡からでも立ち上がって、戦って前に進んでいくしかない。ぼくの前には焼け野原しかなくても、そこを歩けばいつか道が出来る、そしてそこを人が歩くようになる。
僕の前に道はない、僕の後に道は出来る。たとえそれが逃げることでも。