2011年04月22日
danKogaiのブログより
★抜粋開始
(宋文洲氏の「逃げるが勝ち」より引用)
「でも、つらい人生なんてありません。つらい状態がつづくようなら、つらい現実を変えるか、つらいと思う自分を変えるか、逃げ出すかやめるか。解決策はその三つです。」
宋さんにとって度し難いのは、「つらいに耐える自分はえらい」という自己陶酔。そしてそれを他人に評価してもらおうという傲慢。そう。実はそういうつらさへの対処というのは、意外と近所迷惑なのだ。
自分がつらいだけでももったいないのに、これではまわりまでつらくなってしまう。それなら、つらさから逃げる方がよっぽどいい。少なくとも本人は幸せになる、というわけだ。
しかし、それがつらいか、そしてつらいとしたらどれくらいつらいかは、味わってみないとわからない。宋さんが逃げるのは、あくまで体験してから。その点が「働いたら負けだと思っている」人々と決定的に違う。
★抜粋終了
最後の文の「働いたら負けだと思っている人々」と言う言葉がすごいな。dankogaiの言葉使いには時々感心する。事象を全部見極めて一言でまとめてしまう。だから敵も作りやすいのだろうが、きちんと理解すればその言葉の深さには驚かされるばかりだ。
もちろん意見の合わない部分も多いが、非常に参考になるブログの一つだ。
今回の大震災後の対応で東京在住の外国人が一時期海外に避難し、今も家族は香港やシンガポールに残したまま東京に戻ってきて仕事を再開し始めたとの記事。
「皆が震災後の片づけをしているときに自分だけ逃げて、それで日本社会で通用すると思ってるのか?」こういう意見が目立つ。
しかしこの意見の中にどうしても日本人の危機意識の薄さと思考停止を感じるのは僕だけだろうか?
逃げられる時に逃げられる準備=何から逃げるのか?なぜ逃げるのか?何を持っていくか何を置いていくか?どこに行くか?、失うものは何か?得るものは何か?こういう事を日頃から真剣に考えていれば生存率は飛躍的に高まる。
生きるという事を主体的に考えていけば必然的に守るべきものの優先順位が出てくる。日本人は何もかも守ろうとして何もかも失うのは、日頃から生きるという事に真剣に取り組んでないからだ。
何かが起こってから「逃げる計画」を作り出しても間に合うものではない。ところが日本人のほとんどは今日と同じ明日が来ることを前提に生活をするからいちいちめんどくさい「逃げる計画」など作らない。
何よりも問題なのは「逃げる計画」を考え始めると、自分がどれだけ“どつぼ”にはまってて逃げられない状態なのかに気付き、自分の心で決断すべきことを「まあいいや、時間が解決するさ」と先送り、放置している自分に直面してしまうのだ。
だから結局「逃げる計画」を持たないままに非合理な状態で残留するわけだが、これを無知の結果や自分の人生に対する怠惰のせいだと自分が知りたくないから、戻ってきた人々に対して感情的に「お前ら何やってんだよ!」となる。
ぼくは逃げるも踏みとどまるもありだと思ってる。今回の放射線が東京までは届かないし届いてもたいした被害はないと計算して残留するもよし、子供だけは海外に一時疎開させるもよし、その時の判断だ。
ところがそうやって自分の判断で逃げた人たちを何も考えないまま残留した人たちが批難する。これはいったいどういう事なのか?他人の価値観と判断を尊重出来ずいたずらに自分の感情論と価値観だけを振り回して自分だけが正義みたいな顔をして他人を批難するのは何故なのか?
クライストチャーチで地震が発生して多くの日本人学生が亡くなった時、日本の親は元気でクライストチャーチやオークランドで勉強している子供に「とにかく帰ってきなさい」と言った。これも感情論だ。
「つらいに耐える自分をえらい」と自己陶酔に陥るのは構わない。けれど周りを巻き込まないでほしい、臭くてたまらない。