2011年04月24日
ソニーの経営方針
★経営方針☆
不当ナル儲ケ主義ヲ廃シ、飽迄内容ノ充実、実質的ナ活動ニ重点ヲ置キ、徒ラニ規模ノ大ヲ追ハズ
経営規模トシテハ寧ロ小ナルヲ望ミ大経営企業ノ大経営ナルガ為ニ、進ミ得ザル分野ニ技術ノ進路ト経営活動ヲ期スル
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ソニーの大賀氏が4月23日に亡くなった。音楽家でありビジネスマンであり多方面にわたって活動し、自分の個人資産を軽井沢で音楽堂を作るために寄付しようとしたら「税金」で大揉めに揉めた人でもある。
ソニーが戦後の焼け野原から立ち上がって電機メーカーとして活躍を始めた時、彼らの社訓は上記のように「規模の拡大を追わない」と言ってた。さらに「経営規模としてはむしろ小さなサイズを好み大企業の出来ないビジネスに取り組みたい」とも書いている。
現在のソニーはその方向性からすればかなりずれているとしか言いようがない。増収増益、領域拡大、株主利益、もともとソニーが持っていた精神からすればかなり離れた場所にいると言わざるを得ない。
それもすべては株式市場と言うものを理解しないままに導入した日本的経営にあるのだろう。和を持って貴しとなる社会では株式売買が頻繁に行われる株式市場を作る事自体に馴染まないのだ。
短期的な利益を追う投資家を対象に株式市場で公開すれば四半期ごとの決算が求められる。四半期決算数字に一喜一憂しながらやるビジネスって、一体どんなビジネスだ?そんな事やってても長期的視点でのビジネス構築は出来ないだろうと思うのだが。
極力製品ノ選択ニ努メ技術上ノ困難ハ寧ロ之ヲ歓迎、量ノ多少ニ関セズ最モ社会的ニ利用度ノ高イ高級技術製品ヲ対象トス、又単ニ電気、機械等ノ形式的分類ハサケ、其ノ両者ヲ統合セルガ如キ他社ノ追随ヲ絶対許サザル境地ニ独自ナル製品化ヲ行フ。
要するに社会的に役立つ高級製品を大量生産などは考えずに作り既存技術の組み合わせで製品の独自化を行うと書いている。製品の独自化と社会的に役立つ技術は同時に企業にとっても利益になる。どんな素晴らしい技術を持っていても売り方を間違えれば企業として成り立たない。
戦後の日本はソニー、ホンダ、トヨタなどで多くの優秀な経営者を輩出したが、彼らはいずれも戦争体験者であり技術者であり米国の強さを理解しており、要するに現場視点で理詰めでものを考えることが出来る人々であった。出来ることは出来る、出来ない事は出来ないのだ。そんな簡単な理屈が分からずに日本国民に無理を押し付けるのが現場を知らない素人官僚である。
今回の原発事故でも結局は素人が政治のトップに座り現場の玄人の意見を無視して自己保身と出世の為に進めた結果として起こった「事件」である。
その素人は子供の頃から勉強ばかりで社会の実生活を理解せずに、学校卒業後も閉鎖された一部勘違い連中の中で出世して常に上司の目を伺う事の上手な連中だけが生き残ったゾンビーのような官僚社会で民をバカにして自分たちだけがこの国の支配者であるという顔をした。
昔の話だが町内会で順番で町内の掃除をすると決まった。その時に回覧板を持って隣の家に行った奥さんが「ねえねえ、来週は私たちが当番ですよ」と言うと隣の家の奥さんちょっと困ったような顔をして「あの・・・宅は東大なんですけど・・・」と答えた。
それくらい一般社会から隔離されてずれている連中が口を出すビジネスに限って次々と失敗していったのは有名な話である。半導体ビジネスなど惨澹たるものである。
大賀氏はオランダのフィリップスと組んでCDを開発する際に、彼らが主張する60分のCD規格に対してベートーベンなどクラシックが75分程度であるからとして75分規格を主張して押し通した。
洋楽クラシックの本家であるフィリップスに対して東洋の島国の会社が洋楽クラシックのベートーベンを持ち出して文化規格を通したわけだ。立派なものである。
このような優秀な人々が次々と鬼籍に入る中、次に続く人々はどれほどの気概を持って堂々と戦っていけるだろうか?日本社会はますます法律に縛られ「権限あれど義務はなし」の官僚が好き勝手にやりまくっている。
教養とか知識とか文化とか、そういう目には見えないけれど人生を生きる上でとっても楽しくなるスパイスを持った人、時間をかけてでもそんな人になりたいものだ。