2011年04月26日
ガラスの地球を救え
ガラスの地球を救え―二十一世紀の君たちへ (知恵の森文庫)
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手塚治虫が晩年に書き残した「ガラスの地球を救え 二十一世紀の君たちへ」と言う本がある。20年も前に発刊されたが手塚文学を現代生活の警鐘として打ち鳴らし未来がどのように変化していくか、そしてそれがどのように人々の生活に影響を与えていくかを描いている。
手塚治虫の事を考える。科学、医学、神学、仏教と様々な面で彼がこの世に問うてきたテーマの幅広さと深さに改めて唖然とする。こういう幅広い学問を彼はおそらく最初の頃からどれも見極めていたのではないかと思えるくらいだ。
時間をかけて知識を身に付けて成長してきたというよりも、最初からそこにあるものをかみ砕いて小出しにして、その時代に合わせて子供たちに分かりやすいように手を変え品を変え「マンガ」として提供してきた。
アトムの科学として日本の子供たちに空を飛ぶ夢を見せた。ブラックジャックでは医学を通じて人間の身体とは何かを教えてきた。ブッダではもちろん仏教思想、そしてその集大成でありおそらく日本で作られたマンガとしては最高峰に位置するであろう「火の鳥」で輪廻転生、人間とは何か地球とは何かを訴えてきた。
昨日の夜ベッドの中でごろごろしながらイースターを振り返り、たまたまだが医療関連の本を読みOMENを観て神々の指紋を読んで未来から来た人の話を読み、この三つが昨日の夜頭の中にすっと納まってしまった。
それはもしかしたら手塚治虫は未来から来た人ではないかと言うことだ。
100年先の世界から1950年代の日本にワープしてきた彼は、自分が知っている未来の怖さを経験してきており、原爆、戦争、飢餓、心の乱れ、など等はどれだけ訴えてもしょせんは「宗教」と思われて聞いてもらえないことは最初から分かっていた。
だから彼はそれを「マンガ」と言う形で子供たちに提供して子供たちの心の中に平和の大切さや科学の正しい発展の仕方を教えていこうとしたのではないか?
そして大人たちにはブッダや火の鳥を通じて、生きるとは何か人生とは何かを教えて、人類が協力していかない限り地球は滅びるぞと訴えて来たのではないか。
彼には強烈な危機感があった。地球が滅びる日は近い。その日までに何とか自分の考えを伝えていきたい、その為に寝食を削ってマンガを描き続けた。
つまり彼は未来から来た人間であり預言者であり彼の住んでいた世界は荒廃しており子供は食べるものもなく大人たちは殺し合い文明はすでに過去のものとして忘れ去られてしまった・・・。
日本は今地震、津波、原発と大きな被害を出して更に政治がマヒし役所までが身動きできない状態だ。しかし日本を取り残してでも世界は確実に毎日の営みを続けている、国益と言う名の下に。
ここでせっかくだから宇宙ステーションに乗っている自分を想像してほしい。ステーションの窓から地球と呼ばれる星を眺めている自分を思い浮かべてみてほしい。
宇宙から見る地球に国境なんて存在しない。坂本龍馬の時代は藩が国家であり藩同士が争いをしていた。
ところが藩が県になり中央集権が敷かれると廃藩置県となり、隣の県の奴は嫌いだと言ってもそれだけの理由で殺し合う事はなくなった。中央政府により各県ごとに分配制度が出来上がり不満を持つ者が武器ではなく言語で訴える先として裁判所を作った。
ならばここで今一歩進めるべきなのは「廃国置球」ではないだろうか。
今日もタイとカンボジアが国境線の争いで殺し合いをしている。インドネシアが調停に入ろうとしたがそれも不調、すべては国益と言う名前の下に人々の命が奪われているのだ。
日本と韓国がお互いに相手をどうのこうの言っても、戦後にそれが理由で殺し合いになった事はない。日中関係も同じであり日本は世界の中では比較的平和に隣国と付き合ってきているのだ。
ならば日本自ら国益と言う利己主義言葉を捨てて球益の下に活動をしてみればどうだろうか?日本なら出来ると思う。それほどに日本とは変わった国であり自分の利益より相手の利益を考えることが出来る「思いやりの国」なのだ。
今回の災害を期に、手塚治虫のように地球全体を考えてその中で日本がどうあるべきかを見極める、それを基盤にして日本復興計画を作ってみればどうだろうか?
「ばかやろお前、そんな事したら中国に乗っ取られるぞ!」とびびっている人たち、どうせ地球は一つなんだし人類は一つなんだから、彼らが日本に興味を持って乗り出してくるなら北東アジアの平和を守るために手を組めばよいではないか。それが最終的に地球全体の平和につながるんだ。
5年の短期では日本の不利になることがあっても10年の長期で見れば彼らのためにも我々のためにもなる、そういう方向性を検討すべきではないだろうか。その為には日本が持つ最新技術を提供すればよい。
心配しなくても彼らは「今ある技術を真似して安く作る技術」はあるけど、今ここにないものは彼らに作るセンスはない。これは日本人にしか出来ない事であり自信を持って交流していくべきだ。
国益と言う言葉が世界中で猛威をふるって結果的に多くの国民が殺された。ならば見方を変えて球益と言う言葉ですべての人々が殺し合いではなく話し合いをする、そういう方向に持っていけないだろうか。
手塚治虫が未来から来た人かどうか、もちろん本当の事は本人しかしらない。けれど彼が指摘した戦争の悲惨さ、科学を間違って使う事の怖さ、人が人を差別することの非道さこそがまさしく今の世界の不幸を作っている。
そしていつまで経ってもそういう事を止めようとしない人類に対する地球の反応が今回のクライストチャーチ及び東北の地震であったとすれば、残された時間は多くない。マヤの予言2012年12月22日が現実のものとなるかどうかは、もしかしたら我々自身の問題になっているのかもしれない。
現役のビジネスマンがこんなこと書くと「こいつ??」と思われるかもしれないが、現役ビジネスマンであるからこそ見えてくる違った視点からもあると思うし、ビジネスマンである以前に子供の親である。現役のビジネスマンが目先の残業の仕事ではなく自宅で寝ている子供の将来を真剣に考えることが大事ではないだろうか。