2011年04月27日

あの鐘を鳴らすのはあなた

ホリエモンが今日、鐘を鳴らした。

 

 

あるブログで「堀江は越えてはいけない一線を越えたから有罪」と言うコメントがあった。まさにその通り、ただその意味はブロガーの意味する点と僕の意味する点は違うと思う。

 

このブロガー(司法書士)の発想は「堀江は粉飾決算という越えてはいけない一線を越えた」と言う点であろうが、僕の発想は「堀江は検察と徹底抗戦をして更にそれを本やブログで世間に訴え検察の無謬性を否定するダブルパンチをくらわすという越えてはいけない一線を越えた」と言う点だ。

 

法理的な面はいろんな解釈がありそれは事件当時よりたくさんの書籍が出ているのでそちらに譲るが、当時の法律においてどの企業において誰も違法性の認識はなく同様の処理がされておりそれが税理士による決算書作成や会計士による監査を受けて認められていたという事実一つを取っても明白な違法認識性を問う事は出来ない。

 

そのような状況では精々が決算書の修正申告と追徴くらいだろう。ましてや実刑などあり得ない、真面目に起業して税理士や会計士の指導を受けながらビジネスをしてたらある日突然逮捕起訴?そんなので誰が起業しようと思うものか。

 

第一彼がやった事が粉飾決算でありそれが実刑に相当するならば彼の行った粉飾?の数百倍の粉飾をやった日興証券を先頭に何十社の上場企業社長が実刑にならねば法の下の平等とは言えないのは確実だ。

 

つまりその当時は合法であり多くの会社で行っていた会計処理を、後になってそれは違法であると決めつけ、次にホリエモンだけを実刑にして他の会社は罰金、不問などで終わらせたのはどう見ても法の下の平等に反するのである。

 

 

ホリエモンだけが問題になったのは彼がお上に逆らったからである。つまり今の日本ではお上は絶対であり逆らうこと自体が違法なのだ。けれど戦後の法律では検察や社会権力に対する「不敬罪」と言う項目がないので他の理由を付けて罰しているだけだ。

 

こういうのは世間一般では一罰百戒、もっと分かりやすく言えばみせしめと言う。

 

ホリエモン叩きは元々が既存の経済界から出た意見でありそれに政治家が絡み世間の評価を得たい検察までもが動き出してついには実刑判決が出てしまった。

 

元々ホリエモン逮捕のきっかけになった海外送金事件が実は合法で事件性がないと分かり、その時にホリエモンに当時の検察が「そこに直れ!悪うございましたと言え、そうすれば許してやる」と言ったのだろう。

 

それに対して江戸時代からのお上の無謬絶対主義に頭を下げなかったホリエモンは結局全然関係ない容疑で起訴されるに至ったのは様々な本で描かれている。

 

「この06年の事件が、その後の新興市場に与えた打撃は深刻だった。ベンチャー企業の育成を目指した市場からは個人投資家が離れ、取引高は大きく減少したままだ。大学生のときに起業し、「IT時代のヒーロー」ともてはやされた被告の責任は重い。起業を目指す若者たちの気概までも摘んでしまったのではないか。(信濃毎日新聞より」」

 

こういう記事が目立つが、若者の気概を摘んでしまったのはホリエモンではなく彼を逮捕して若者に対して「大人にたてつくな、逆らうとこうなるぞ!」と言う明瞭なメッセージを送った「大人たち」ではないか。

 

一体どういう風に解釈すれば物事をここまで反対に書けるのか、書いて恥ずかしくないのか、本当に不思議な記事である。彼が何も知らずにこの記事を書いたなら無知の罪で記者失格、分かってて嘘を書いたのなら人間失格。どっちにしても失格である。

 

起業家育成の芽を摘んだのはまさに検察と「大人たち」であり、日本社会で何かするなら俺たちのルールに従え、法律に従うなんて生意気な事、言ってるんじゃないよって明確なメッセージだから、メッセージを受け取ったやる気のある人間は結局公務員や大企業を目指して長いものに巻かれる道に進む。すると今度は大人たちが「最近の若者は覇気がない」と言う。いい加減にしろ、彼らはお前らくそじじいのおもちゃじゃないんだ。

 

ついでに書いておくと最高裁の上告棄却と言うのを勘違いする人が多いが、これは最高裁がホリエモンの起訴事実を「審理した結果お前が悪い」と言ったのではないって事だ。

 

最高裁が決定した事は「事実の誤認や量刑不当などでは上告理由に当たらない」であり上告自体を受け付けないと言ってるのだ。内容を審理した結果でダメと言ってるのでないってのをしっかり理解して欲しい。

 

世の中にはいつまで経っても裁判所が正義を行う場所だと思っている人も多いが、あれは政府が自分の気に入らない誰かを叩くために「合法」と言うマントを与えるだけのものだ。だから裁判になれば事実が証明されるなんて思わないでほしい。裁判になれば法律を知って策略を駆使した方が勝つだけの駆け引きなのである。

 

「事件後も堀江被告は、インターネット上や著書で大きな発言力を持ち、検察批判を続けてきた。その背景の一面には、強引な地検特捜部の捜査に対する国民の不信がある。検察自身にも十分反省してもらいたい。:2011年4月27日付け信濃毎日新聞より」

 

最後に書いておくと上記のマスコミの記事のバカぶりもここに至りである。発行部数を守るために時の寵児を作り上げ褒めあげ英雄として記事にして新聞を読者に売りまくるが、時の寵児が峠を越した瞬間に民衆の敵であるかのようにぼこぼこに叩きまくる。

 

そして最後は「検察だって反省しろい」だって?元々はお前らマスコミが作り上げた虚像ではないか、反省すべきはマスコミである。

 

時の神はある意味平等だなって思う。ホリエモンを潰したテレビや新聞などのマスコミは結果的にネット時代に自分を変化させることが出来ずに自滅し始めている。テレビは広告収入の激減、新聞は発行部数の激減でどちらも破滅に向かって一直線に進んでいる。

 

経済界では米国のような若い起業家が現れず古い企業は世界の流れについていけずビジネスモデルのコアの一番美味しい部分を米国に持っていかれて、それこそIphoneIpadなど日本の技術者から見れば「枯れた技術の組み合わせ」を組み合わせなおして全く新しいものに見せて日本の消費者が飛びつくという現象が起こっている。

 

ぼくは検察に対してブログや本で徹底抗戦するホリエモンを見ながら、最高裁判決でホリエモンが勝つとすれば判決が出る時点で日本社会に検察批判や官僚不信が盛り上がっている時だと思っていた。世間を味方に付けねば勝たない。

 

検察批判は元検事のデータ改ざん事件があり流れは良かった。しかし官僚に対しては政治が完ぺきに負けており、これは勝ち目が薄くなったなと思ってた。そこに東北大震災が起こり世間の目は完ぺきにホリエモン事件から離れてしまい勝ち目はなくなった。

 

時の寵児が今日、時の弔辞の鐘を鳴らした。「皆さん、もう自由とか権利とか自分勝手な事を言うのは止めて一番頭の良い人は官公庁、次に頭の良い人は大企業、普通の人は一般社会に入って、今までと同じ階級社会で何も考えずに毎日黙々と働いてください、そうでないとお前を塀の中に放り込むぞ」

 



tom_eastwind at 18:44│Comments(0)TrackBack(0)

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