2011年04月28日
自分を説明するということ
「一流の技術が二流の広報活動で格下げされ三流の政治に足をすくわれる」
今の日本、て言うかいつの時代も同じだが日本を象徴的に表す言葉だろう。世界で最も進んだ携帯電話技術を持っているのに他国に対する広報がきちんと活動せずに携帯電話の標準と言う技術とは関係ない、しかし一番大事な基盤となる部分を他人に説明して理解させるという作業を怠った為に一番大事な世界標準になるという部分を他国に持っていかれてガラパゴスになった。
Iphoneにしても一つ一つの技術は日本の技術者からすれば「枯れた技術」であったのにアップルはその枯れた技術に「広報」と言う技で見事に大ヒットさせた。なぜ日本が乗り遅れたかと言えば大声を出すだけのバカな山猿連中や何でもかんでもケンリケンリ!と主張して自分だけの既得権を守ろうとする無意味な「著作権無解放運動者」が邪魔をして政治的に「じゃあまあやめておきましょか」と無難に先送りした結果として他国に一番美味しいところを奪い取られてしまった。
原発もその意味で言えば同じである。世界に誇る技術力を持ちながら原発事故の際は国内向けには政府の情報管理の不徹底と読み違えを繰り返す対応だった。
特に問題なのが海外向けには外人記者に対する情報発信が全くと言ってよいほど対応されなかった為に多くの外国人記者は自分なりに日本語の新聞を読みながら自分なりに判断していった。その結果として「いったい日本政府は何をやっているんだ?嘘ばかりじゃないか!この原発、メルトダウンを起こしているじゃないか!」となって世界を駆け巡った。
その後は日本政府がどう説明しようと外国人記者は「いや、あなたの話は信用できません、本当の事を言ってください」と抗議し政府が更に説明しても「いや、だから信じれないのですよ」と言う疑問のループになってしまった。
その結果として海外からの旅行客は激減し日本からの農産物が売れなくなった。これなどまさに一流の技術で原発の爆発と言う最悪の事態は防ぎながら二流の広報で国の内外に疑問を持たせ三流の政治で原発事故処理が後手後手に回り「一体日本は何やってるんだ??」と世界の信頼を失った良い例である。
これが日本の特徴であると言えるし一番の弱みである。何より自分を表現することが下手であり「良いものを作ってればいい、それでわかってくれる」と言う文化の中で何百年も生活をしてきたからすっかりそのDNAが染み込んでいて、外国の文化では自己表現が出来ないと通用しないという現実を理解出来ない。
しかし、なぜこんな文化になったかと言えば、情報発信は政府がやるから国民は黙って田圃を耕してろ、良い者さえ作ればそれでよいのだと江戸時代から徹底的に叩き込まれたからである。
ところが肝心の政府が情報発信能力を失ってしまっている。これはなぜか?それは日本の学校教育が情報発信やコミュニケーションを無視した上からの押し付けになっているからだ。
「ここはこうなってるんだから黙って聞いてろ、テストの時にはこう書け。何?ちょっと違うんじゃないか?そんな事言ってるとテストで点が取れないぞ、志望大学に行けないぞ」となる。
子供なりに健全な疑問を持っても先生は間違った答=受験に受かるための答えを出すだけで、そんな教育を一方的に押し付けられて育った子供が、大人になったからと言って突然コミュニケーション能力が付くものではない。
先生のいう事を疑問を持たずに自分で考えずに勉強する子供が良い大学に行き公務員試験に合格して日本の中枢を担っているのだから、そりゃだめっしょ。
りょうまくんと話をしていて面白いのは、平気で Nothing is Safety (世の中に安全なんてものはない)とけろっと言いのけるしKiwiの子供たちとおしゃべりするときでも普通に自分の主張に数字的裏付けとかの根拠を持ってきて「ね、だからこうだろ」とやってる。つまり子供にきちんと世の中の真実を伝えて他人と話をする時に声が大きければよいものではない事を教えてくれる。
ニュージーランドは田舎な国ではあるが子供の勉強にはとても良い国である。米国のような銃の乱射される国ではなくシンガポールのような競争社会でもなく、ほどほどに子供たちの自立心を伸ばしてくれる。
お金を残しても子供がバカであれば何も考えずに全部失ってしまって結果的に不幸な生活を送ることになる。けれどそのお金で教育を身に付ければお金がなくてもお金を作れる。
同じ「持っているもの」でも、カネは盗まれることがあっても教育は盗まれることはない。今の日本を見ると戦後の日本人が一生懸命働いて作り上げた資産を、立派な大学を卒業した会話能力なしのバカな子供がどんどん無駄遣いしているようなものだ。